林心平の自宅出産日記

2004年10月30日(土) 子どもの記憶

 19週(5か月後期)になり、妻のおなかも大きくなってきました。3歳6か月の下の子まーちゃんに聞きました。
「こうやって、おなかの中に入っていたの覚えてる?」
「うん」
このことは、何度も聞いたことがあるのですが、いつも、覚えていると言います。
 次に、5歳9か月の上の子ぷーちゃんに聞きます。ぷーちゃんは、まーちゃんを自宅出産した時に、生まれてくるところをじーっと見ていました。
「まーちゃんが生まれたときのこと、覚えてる?」
「覚えてない」
 2歳のときの記憶はないようです。強烈な体験を子どもと共有したと、ぼくは思っているのですが。
「でも、今度の赤ちゃん、しーちゃんが生まれてくるのは覚えてるね。でも、まーちゃんは覚えていないかもしれないね」
 すると、妻が言いました。
「覚えていなくても、その体験がまーちゃんという人を作るんだから、いいんだよ」
確かにそうだと思いました。
「覚えているかいないかってことは、そんなに大事じゃないのかもしれないね」
 子どもたちに教育しようと思って自宅出産を選んでいるわけではないのですが、出産の場にいたことを、子どもたちがどう受けとめるのかということには興味があります。それに、体験が人を作るのだとしたら、命の誕生も含めた様々な体験をすることは意味のあることでしょう。
 ぷーちゃんは、まーちゃんが生まれるとき、夜遅かったので眠っていたのですが、もうすぐ生まれるという頃、一人で起きてきたのでした。



2004年10月28日(木) 妊婦の運動と北海道の冬、夫は東京でさまよう

 「読書日記」にも書きましたが、『分娩台よ、さようなら』の中で再三書かれていた安産対策として、1日3時間の散歩が提案されていました。しかし、折りしも北海道は冬を迎えようとしています。昨日は初雪がけっこう降りました。
 冬になると、雪が積もって道路は凍るのです。道産子ならば、妊婦さんであっても、氷の上をすいすいっと歩いてしまうのかもしれませんが、妻は四国出身なのでした。転ぶのが恐くて、冬は散歩どころではありません。
 しかしだからと言って、運動が必要なことには変わりなく、何か、外の散歩に代わるものを考えなければなりません。そこで、以前から導入を検討していた『通販生活』の「室内自転車こぎ器」がほしくなりました。液晶画面がついており、消費カロリーなども計算してくれるものです。
 ただ、問題が1つありました。もう、予算があまりないのです。『通販生活』には中古品を扱うリサイクルショップがあるのですが、通信販売はしていません。東京の店舗に行かないと買えないのです。中古品だから、自分の目で確認してもらってからでないと、売れないということなのです。
 でも、健康器具なんて、いかにもリサイクルされていそうでした。
 
 以上の話を妻としたのは、ぼくが出張先からかけていた電話でのことでした。そして、その出張先とは、なんと、東京だったのです。1泊2日の行程の1日目に思いついたのが幸いでした。その日の夕方なら時間がとれるので、お店に行ってみることにしました。仕事は5時に終わり、お店の営業は7時まででした。行ったことのないところでしたが、急げば間に合いそうでした。
 仕事が終わって電車を乗り継いで、中野駅に降り立ちました。区役所のそばだと妻に聞いていたので、区役所のほうに向かいました。しかし、区役所がみつかりません。ぼくは、ひどい方向音痴なのです。妻に電話をかけて再度聞こうとしたのですが、妻は犬の散歩中でわからないとのことでした。時計を見ると、6時20分になっていました。ここまで来たのに、何も得られず帰らなければならないのかなと思い始めた矢先、中野区役所にたどりつきました。そこからは、すぐにお店を見つけることができました。
 店の中に入ると入口のすぐ脇に、なんと、「室内自転車こぎ器」が3台もありました。おまけに2階にも2台ありました。読みはあたったのです。
 急に思いついたことだったので、お金もカードも持っていなかったのですが、店員との交渉の結果、特別に通信販売のように振込用紙同封の上、発送してもらえることになりました。
「現品を確認してもらいましたので」と言ってくれたのです。
5年前に買われたものでしたが、あまり使われておらず、値段は新品の1/3ていどでした。
 ああ、よかった。

 はたして、「室内自転車こぎ器」の効果はあるのでしょうか。



2004年10月23日(土) 夫、料理に失敗する

 サラリーマンになって2年目に入り、まかされる仕事もけっこうできてきて、忙しくなって、日記の更新が滞っていました。

 妻の血液検査の結果を病院に聞きに行きました。やはり、貧血気味とのことでしたが、検査は、ぼくが心を入れかえて料理に取り組む前に受けたので、改善されていることを祈っています。
 産科・婦人科の病院の待合室で、付き添いの男性がビデオカメラを持っていて、ファインダーをのぞいていました。待合室には、検査着を着ている女性もいたし、録画していなかったのかもしれませんが、とても不快な気持ちになりました。よくないですね。

 自宅出産志望仲間の雑把さんの日記に、ビーフシチューが食べたいという切なる願いが書いてありました。ちょうどつい先日、ドミグラスソースなしの、でも、驚くほどおいしいビーフシチューを作ったのでレシピを紹介します。
 栗原はるみ『ごちそうさまが、ききたくて。』というとても有名な料理本がありますが、その中に「ビーフシチュー」があります。

材料:牛肩ロース肉600g、玉ねぎ3個、じゃがいも3個、にんじん1本、赤ワイン1カップ、A(固形スープ3個、トマトピューレ1カップ、とんかつソース大さじ2、はちみつ大さじ1/2、ローリエ1枚、水5カップ)、小麦粉、バター、サラダ油、塩、こしょう

①牛肉は塩、こしょうをふり、小麦粉大さじ3をまぶしてサラダ油大さじ2で表面を焼きつける。
②肉を取り出して、バター大さじ1をとかし、玉ねぎ1個の薄切りを入れて、15分ほど中火で炒める。
③玉ねぎが薄く色づいたら、小麦粉大さじ1をふり入れ、弱火にして焦がさないように炒める。
④③に赤ワインを注ぎ、手早く混ぜて、炒めた小麦粉と玉ねぎを溶かす。
⑤④が煮立ったら、①の肉を戻して、Aの材料を加え、あくを取ったあと、ふたをして1~2時間煮る。
⑥一口大に切ったじゃがいも、玉ねぎ、にんじんを加えて煮、やわらかくなったら塩、こしょうで調味。

 実際には、このまま作ったわけではなく、牛肩ロース肉→豚のサガリ、赤ワイン→白ワイン、固形スープ→豚骨スープ、トマトピューレ→ケチャップで作ったので、「ビーフシチュー」ではなく、「サガリのトマト豚骨スープ煮込み」だったのですが、それでも、とてもビーフシチューのような感じになったので、このレシピはなかなかのものです。

 昨日、妻がビデオにとっておいてぼくに見せてくれた料理番組がありました。もちろん「これ、作ってね」ということなのですが、それはごまたっぷりサブレでした。
 そこで、今日作ってみました。うちのオーブンは火力が強いので、レシピよりも10度下げて焼きました。子どもたちもオーブンの前で「こんがりきつねいろー」などと歌いながら、じーっと中を見つめていました。
「あっあっあーっ」と言うので、見に行くと、たいへんなことになっていました。台にしたクラッカーは焼けすぎてそりかえり、上にかけたごまペーストも焦げていました。焼き時間も短く設定しなければならなかったのです。しょんぼり。
 それでも水あめがごまをしっかりつかまえて、そこにはちみつの風味が加わり、とてもおいしかったので、このレシピもおすすめです。

 夜、妻が頭痛がすると言うので、足裏マッサージをしていました。子どもたちが本を読んでとせがんできたので、上の子に「絵本、読んであげて」と頼みました。すると、向こうの部屋でしばらく読んであげていたようでした。
 それにも飽きたのか、また子どもたちはやってきました。下の子はすっかり眠たくなっていて、
「読んでくれなかったんだよ」と言いました。上の子は
「読んだよ」と言いました。すると、それは事実だったらしく、下の子は
「聞いてなかったんだよ」と、眠い目をこすり不機嫌になりながら、言いました。
 まったく、眠たくなった子どもって、なんて理不尽で、かわいらしいのでしょう。



2004年10月20日(水) ぜんそくからの脱出に向けて

 ぜんそく対策として、掃除にまじめに取り組んでいますが、同時にいろいろな住環境改善のための道具を、『通販生活』にて購入しました。まず、畳の上にじゅうたんを敷くのはダニの温床となると聞いたので、じゅうたんをはがしました。ただそれだけでは、畳のケバがたってしまうので、畳クリーナーというワックスを買いました。ユーカリ油などが配合されており、先日須永紀子さんより「ユーカリ油は風邪や鼻づまりにいい」と教えていただいたので、ぴったりでした。ぱさぱさになっていた畳は、ワックスがしみこみ、とても嬉しそうでした。かなり、かんきつ系の香りがしました。
 はがしたじゅうたんは、子どもたちのベッドのある部屋に敷いたら、すっかりいごこちのよい場所となり、喜んで二人して遊んでいました。ちなみに、これも、アレルゲン抑制カーペットです。
 また、妻の寝具を大幅に改善しました。ほこりのたたないかけ布団とベッドパット、ダニを通さないベッドシーツです。さらに、加湿器のフィルターを新しいものに替えました。夜は加湿器をつけて寝ます。
 オレンジの洗剤もよいものが『通販生活』にのっているのですが、こちらは「クロワッサンの店」にて、パックスナチュロン社のオレンジオイル入りふろ洗い用洗剤(実際には石けん)を買いました。これを使って、カビの生えている窓をきれいにしました。妻も、体調が良くなってきて、一緒に掃除に励みました。
 掃除には、ぞうきんモップを使っているのですが、最近使っていなかったアウロ社の床ワックスを、ワックスかけモップにて塗りました。まったく、『通販生活』のものばかりそろえています。
 
 「ぜんそくもおさまってきたので、散歩に行きたい」と妻が言うので、犬の散歩にも行きました。また、体重が増え気味になってきました。これまでは、体調が悪く栄養も不足気味で、体重が増えていなかったのですが、少々ひきしめなければならないくらいになっていました。ネパール人の友達が来てカレーを作ってくれたのですが、そこに中国人も加わって、おかずを作ってくれ、妻は期待に応えようとして、食べ過ぎてしまったのです。
「これは、いいことだよ。でも、しばらくは、お昼は鉄分入りクッキーとミックスキャロットジュースくらいにしておく。それで様子を見てみる」と妻は言いました。

 掃除機は、一度ミレー社の排気のきれいなものを注文しましたが、けっこう重たいものだったので、ダイソン社のものも検討していましたが、しばらくはなくてもいいのではないかという結論に達しました。そして、ぼくのとても欲しかったものを買うことにしました。届いたら、報告します。

 計画通り、ぜんそくは抜けられそうなので、次は、規則正しい早寝早起きの生活にしようと宣言しましたが、ぼくの管理していたずさんな家計簿を作り直しているうちに、すっかり朝方になってしまいました。またまたごめんなさい。



2004年10月15日(金) コロッケ工場

 朝方の部屋の乾燥を防ぐため、夜洗濯をして干しました。0時半までかかって、やっと、とりこみたたみ干しつけが完了。とても一日分の洗濯物の量だとは信じられませんでしたが、信じないわけにはいきません。
 15分ほどして、妻が目覚めました。「空気が冷たくなった」と言っています。どうやら、大量の洗濯物を干したので部屋の温度が下がって、のどの具合が悪くなったようです。そこまでは思いつきませんでした。吸入器を用意してあげ、結局、床暖房をつけたまま寝ることにしました。これはいい具合で、湿潤な部屋になって、妻はすやすやと眠りました。

 『クロワッサン』という雑誌に、主夫の人の記事がのっていました。その人は専業主夫なのですが、ぼくと生活がとても似ていておもしろかったです。熱血主夫というホームページを運営している方です。
 その記事の中で、家事の中に育児を取り込む、ということが書いてありました。どういうことかというと、例えば皿洗いをするときに、子どもと一緒にやるということでした。
 うちでは、特に3歳の子が料理が好きで、ぼくが台所に立っていると必ず寄ってきます。そして、「何か切るものがあったら言ってね」と言います。ぼくが「にんじんを切って」と言うと、実に嬉しそうにやってきて包丁を握り、けっこう上手に切ってくれます。
 今日は、妻の提案で、みんなで南瓜コロッケを作ることにしました。種は作っておき、成形を皆でしようと言うのです。
 まず、ぼくが丸めて粉をつけ、隣の息子に渡します。息子は卵をからめて、隣の娘に渡します。娘は、砕いたコーンフレークをまぶして、皿にのせます。それを妻が揚げていきました。名づけて、コロッケ工場。ぼくは粉の工場長。息子は卵の工場長。娘は衣の工場長。それぞれが責任ある主でした。工場の運営は、きわめて順調でした。
 しかし、大事件が起こりました。途中でコーンフレークがなくなってしまったのです。ぼくは、急いでパン粉を作ることにしました。冷凍庫の中にあるパンをオーブンで焼いて、フードプロセッサーでパン粉にしました。この間5分。しかし、その間、子どもたちがじっと待っているのは、至難の業でした。
「また、作るからそのままで待ってて」と言ったちょうどそのとき、
「ピンポーン」と玄関のチャイムが鳴りました。宅配便やさんでした。お届け物好きの息子は、手を卵だらけにしたまま立ち上がって走り出しました。 コロッケ工場は、非常に不安定な状態になってしまいました。結局、一度、手をふいてあげなくてはならなくなりました。
 それでも何とか、再び工場を稼動させることができました。
 そして、できあがったコロッケを子どもたちは、3個もたいらげました。
 ぼくにとっても、とても楽しいひとときでした。
 忙しさにかまけて、なかなかこんな時間を作ることわしていませんが、皆が楽しくなり、その結果おいしいものができ、それを子どもたちがいっしょうけんめい食べるなんて、いいことづくめでした。
あとかたづけが、少々たいへんでしたけれど。



2004年10月14日(木) 1人目を生んだ助産所をやめた理由

 1人目の子どもは助産所で生みました。2人目は自宅出産で、3人目も自宅で生もうとしています。助産所生むのをやめたのには、次のような訳がありました。
 助産所で、そこの所長である助産婦さんに検診を何度も受けたのちに、出産を迎えました。ぼくたちは当然、出産のときにも、その助産婦さんに立ち会ってもらえるものだと思っていました。しかし、陣痛の間隔が10分以内になって、いざ、助産所へ行くと、その助産婦さんはおらず、それまでほとんど面識のなかった助産婦さんに介助してもらうことになりました。そういうこともあるならば、事前に説明してほしかったと思いますし、一般的にはよくあることなのかもしれませんが、最後の最後で知らない人に手助けしてもらうというのは納得がいきませんでした。

 助産所の分娩室へ行くと、古い木製の、普通のベッドがありました。ベッドに横たわってすぐに、妻は言いました。
「寒い。ベッドの脇から隙間風が来る」
「ごめんなさいね。なにしろ古い建物だから」助産婦さんは、そう言いながら、部屋中のクッションを集めてきて、風の吹き込んでくる隙間を埋めました。
 北海道の真冬のことで、部屋ではストーブが燃え盛っていましたが、それでも冷たい風が常時妻に吹き寄せました。これは、6時間も続いた分娩室での出産の間中、妻を苦しめました。

 また、出産当日にぼくたちが助産所に着いたのは、23時50分でした。出産後、所長さんはそれを聞いて、手をたたいて喜んだのです。どういうことかと言うと、23時50分に入所し、翌日生んだ場合、料金が2日分発生するからなのでした。当時、とてもお金がなかったので余計、そのことが印象に残っています。

 以上のような理由で、2人目を妊娠したとき、ぼくたちはこの助産所での出産を選択肢から外しました。病院で嫌な目にあって、これも口コミでたどりついた助産所にはじめは期待していましたが、ぼくたちには満足のいかないものでした。
 自宅出産では、助産婦さん個人にお願いしているので他の人が来ることはありませんし、出産環境は自宅なので、自分たちで整えることができますし、出産開始時刻によって料金が変わるということもありません。



2004年10月13日(水) 夫の小さな喜び

 妻のぜんそくぎみは続いています。特に、朝方が調子が悪く、部屋が乾燥していると、のどがとても痛いそうです。でも、家に帰ると妻は洗濯をしてくれていました。もともと洗濯は主に妻が担当していたことなのですが、つわりが始まってからは、ぼくがやっていました。久しぶりに妻がすっかり、干してあるものをとりこんでたたんで、新しく洗濯して干していてくれたので、とても助かりましたし、何よりも、洗濯できるくらいの元気があったということに嬉しくなりました。
 もう、うちでは、朝晩暖房を入れていますが、洗濯を干すことは湿度を保つ上で、とてもよいことです。もっと早く、朝方の乾燥を防ぐために夜、洗濯物を干すようにしたらよかったのですが、いろいろなことが後手後手に回ってしまっており、自分のいたらなさに悲しくなります。

 今日は、初めて、職場からの助成によって、人間ドックというものに行きました。なんと、超音波による内臓の検査があって、それは、妊婦のエコーによる検診とまったく同じでした。望んでもいないのに、ベッドに寝かされ、ローションをおなかに塗られ、体の中を探られた、先日の妻のことが少しわかったような気がしました。
 検査が全て済んだあと、医師と栄養士によるお話がありました。結果はすべて、以上なしでした。血液検査のたくさんの項目も、すべて正常値の中におさまっていました。栄養士は言いました。
「とてもよい結果です。食事に気をつけていますか」
 こう言われ、ぼくは、とても嬉しかったのです。自分が健康だったことももちろん嬉しかったのですが、それよりも、ぼくの作る食事が評価され、それを妻や子どもたちが食べているということが嬉しくなったのです。先日、食事作りについて反省してから気をつけて料理してきたので、そのことを認めてもらえたように思いました。
 反省の多い夫の、小さな喜びでした。

 妻は「おいしいものを作って」と言い、連日、料理研究家有元葉子氏の出演する「きょうの料理」をぼくに見るようにとすすめます。そう言いながら妻は、眠たくなってしまうこともありますが、ぼくは言われたとおりにまじめに、おいしいものの作り方を学んでいます。



2004年10月09日(土) ぜんそくの発作が起きた。夫、再び反省する。

 先日、急にぜんそくになることはないと書きました。そのことを訂正します。しばらく日記を更新できなかったのは、次のようなわけなのです。
 ここ数年、9月頃になり、少し寒くなりはじめる頃にかぜをひくと、ぜんそくの発作が起こりそうになったり、あるいは起きてしまったりしていました。発作が起こり、入院しそうになったのは、2人目を妊娠中の12月のことでした。
 そのときは、かぜが治らなくて小発作が起きていました。小発作が大発作につながることはあるそうですが、妻の場合、急に大発作になることはありませんでした。
さて、今年の9月には鼻水がたくさん出て耳鼻科にかかったこともありました。そのときから、もっと注意していればよかったのです。しかし、ぼくは、ぜんそくになるかもしれないことを考えて、家の掃除に取り組んではいませんでした。室内に犬がいるので毛やほこりは、けっこうな量になります。それなのに、掃除を毎日してはいませんでした。
 妻のぜんそくの原因となるのは、ハウスダストであるとわかっていたので、妊娠していないときも、掃除はぼくの担当でした。妊娠すると薬に制限が出てくるので、今まで以上に部屋を清潔に保たなくてはならないはずでした。

 吸入器を使い始めたのですが、1回に20mlの水を使い、2回吸入したいときには、一度水を捨ててから再度セットしなくてはならないのでした。しかし、久しぶりに使ったためぼくはそのことを忘れており、説明書で確認もしていませんでした。妻は
「続けてやってもいいの?」とききましたが、ぼくは安易に続けてスイッチを押してしまいました。あとで説明書を読んだところ、続けてスイッチを押すと加熱しすぎてしまうとのことでした。
 しかも、水の量が多すぎ、いつもより長時間、蒸気を吸入してしまいました。吸入が終わると、妻は咳込んでしまいました。のどが「ひぃーっ。ひぃーっ。」と鳴りました。咳き込みましたが、深夜になりそのまま眠たくなって眠ってしまいました。
 しかし、朝方、咳が出て目が覚めてしまい、妻はインターネットで妊婦のぜんそく薬の服用について調べました。すると、吸入薬は使用後きちんとうがいをすれば気管までしか作用せず、呼吸困難になって胎児に影響を与えるよりはよい、ということだったのです。今までは、とにかく薬は使えないと考えていたのですが、考えを変えました。
 それからぼくが目覚めたのですが、妻の咳がとまらなくなり、以前、病院でもらった吸入薬を吸入しました。
 すると、発作はおさまりました。
 ついに、ぜんそくの小発作が起こってしまったのです。様子を見て、病院にいくことを考えることにしました。
 妻は「呼吸が苦しくなり、しーちゃんは大丈夫だっただろうか」と気にしていました。
 風呂をわかし、ふたをあけたままにし、少しでも空気が乾燥しないようにしたり、暖房をつけて寒くないようにしたりしました。
 
 先日、ぼくは、料理がおろそかになっていたことを反省しました。そして、今日は、掃除がおろそかになっていたことを反省しました。
 毎日、ぞうきんモップとほうきでカーペットとフローリング上のほこりをとり、週末にはワックスがけをしたり、窓の桟をふいたりすることにしました。また、長年持っていなかった掃除機を買うことにしました。排気のきれいな機種です。さらに、ほこりの出にくいふとん、畳クリーナー、すでに持っていた加湿器の替えフィルターなどを注文しました。
 このままおさまってくれるように、できるだけのことはしようと、気合を入れなおしました。もう、出産は始まっているのだということを、忘れそうになっていました。ごめんね。



2004年10月07日(木) 風邪と低血圧と運動の優先順位

 5か月になり、つわりもおさまってきたものの、重かったつわりの影響もあってか、妻の体調はすぐれません。ずっと風邪気味なのです。
 おまけに低血圧で、そろそろ運動不足も解消したい時期になってきました。そこで、この三つの課題について、優先順位をつけることにしました。
 まず、運動不足を解消することから始めるわけにはいきません。風邪気味なので、運動を始めることができないからです。風邪と低血圧について考えてみました。当初は同時に改善していこうと考えていました。しかし、低血圧をすために、早起きして朝食をしっかりとろうとすると、どうしても寝不足になってしまい、いつになっても風邪が治らないようでした。
 早く寝れば寝不足にならないのが道理でしょうが、現実はそうでもないのです。3歳と5歳の子どもたちは、夜、たいていおしっこで目を覚まします。上の子はトイレに連れて行ってあげないと、寝ぼけたままでベッドの上でもじもじしてしまいますし、下の子は寝るときだけつけているおむつを換えてあげなければなりません。
 子どもたちとぼくたちは別の部屋で眠っています。トイレやおむつの世話はぼくがしています。それならば、ぼくが子どもたちと同じ部屋で眠れば、妻はぐっすり安眠できると思っていたのですが、そうはならないのだそうです。
 子どもたちが起きても、ぼくは起きずに、目を覚ました妻がぼくを起こして、そのぼくが子どもたちの世話をする仕組みになっているというのです。今までぼくは、「子どもたちの声でちゃんと目を覚ますとは、ぼくもだいぶ親が板についてきたな」などと思っていたのですが、ぼくは自分では起きていなかったのです。
 ですから、ぼくが子どもたちと寝ても、結局、妻が隣の部屋までぼくを起こしに来ることになってしまい、今よりもたいへんになってしまうとのことでした。
 もっとも、ぼくは子どもたちの世話をしたあと、3秒くらいで眠ってしまうので、夜中に起きてもそれほどたいへんではありません。でも、妻はなかなか眠れないらしいのです。

 ですから、妻は、早く寝ても寝不足になりがちなのです。そこで、優先順位を、風邪を治す、低血圧対策、運動不足解消とすることにしました。早寝遅起きにし、朝食を食べる時間にはこだわらずに、とにかくたくさん眠る。そして、吸入器を常用するのです。
 もちろん、低血圧対策として、鉄分をたくさんとる食事はこころがけます。



2004年10月05日(火) 夫、大いに反省する

 夕ご飯はお好み焼きだけでした。食後、妻は怒っていました。
「食事の支度を担当するなら、ちゃんと、妊婦の栄養を考えてやってほしい」そう言って、妻は、保健センターでもらってきた、妊婦の栄養・食事についてのパンフレットをぼくに見せました。一読後、ぼくがいかに、無自覚的に料理を作っていたかを認識し、大いに反省しました。昨日からの献立を書き出してみます。
10/4夜 シチュー
10/5朝 シチューの残りとご飯、昼(弁当) ブロッコリーのゆでたのと市販のミートボールと卵焼き、夜 お好み焼き、
 これでは、炭水化物もタンパク質もビタミンも何もかも不足しています。おまけに妻は、助産婦さんに低血圧や鉄不足を指摘されたばかりでした。
「助産婦さんに言われたにんじんとごぼうジュースを作らないのなら、それよりも効果のあるものを考えないといけないでしょう」
 まったく言われたとおりで、ぼくが自宅出産に際して助けになる最大のことが、よい食事作りなのに、実にいい加減にしていました。妻は言いました。
「悪循環になってる。このままだと、私はずっと風邪っぽくて、ぜんそくになってしまうかもしれない。そうなると、家事をやってもらうことになって、忙しくて、ますます料理がおろそかになる。一度、仕切りなおさなくては」
ぼくは、心を入れ換えて、10/6には次のような献立にしました。
朝 バターロールと南瓜スープと目玉焼き、昼 チキン豆腐バーグとじゃがいものごまみそマヨネーズあえと小松菜ともやしのナムルとひじきじゃこご飯。

 もう1つ指摘されたことがありました。総合病院の医者の予定日の話に対して、ぼくは、自分で反論できなかったのです。基礎体温をつけていたので、排卵日はほぼ特定できていることを、妻はデータを示しながら教えてくれました。そういうふうに、データを確認しようともしていなかったのは、実は、その話がよくわかっていなかったからではないのか、と言われました。
 そうです。勉強不足でした。ごめんなさい。

 手綱を締めなおした一日でした。頑張ります。



2004年10月04日(月) 夫、病院で医者に怒る(後編)

 やっと、診察室に呼ばれました。二人で中に入ると、医者と看護婦さんがいました。
「病院には行ってないんですね」
「助産婦さんにみてもらいました」
「それで、検査だけ受けに来たということですか」
「はい。自宅で出産しますので」
「どうして病院で産まないの。殺伐とした雰囲気だから?」
(なんで、そんなことをきかれなくちゃいけないのだろう。)
「ベテランの助産婦さんですか。何歳くらい」
「はい。70いくつの方です」
「それは、ベテランだ。何かあったらどうするの」
(あなたには関係ないでしょう。あなたのようなぶしつけな医者がいるから、病院は嫌なのです)と言いたくなってきました。ぼくたちは、検査を受けに来ただけなのです。それでも、妻は答えました。
「病院に行きます」
「急に病院に行っても診てもらえないよ。どこに行くの」
「助産婦さんの嘱託医があるんです」
「じゃあ、そこで診てもらったほうがいいよ。ぜんそくがあるんだね。もし、出産中に発作が起こったら、命に関わるよ。そうなったら、その助産婦さんは責任取れるの。そういうこと、ちゃんと話しておいたほうがいいよ」
(何の兆候もなく、突然ぜんそくの発作は起こりません。もし、誰にも予想できない突発的な事態が起きたら、誰にも責任は取れません。そもそも、自分で責任を引き受けるという考えで自宅出産に望んでいます。責任の所在については、この医者に何の関係もありません)というような反論が次々と思い浮かびましたが、そんなことを言っても自分たちに何の得もないなと思っていたので、黙っていました。この医者は、そもそも自宅出産に否定的だし、きっと、ぼくたちのような飛びこみの者を診察したことがないのでしょう。
 
 それから、エコーで診ると言われ、妻はベッドに横になりました。しーちゃんの画像を見せられながら、言われました。
「昔はみんな自宅で産んだんだもんね。でも、その頃はたくさん死んでたってことを、忘れちゃいけないよね」
いつのまにか、くだけた口調になっています。たいてい人を見下している人は、口ぶりが変わります。
 (「忘れちゃいけない」なんで言われても、ぼくたちの関心は自分たちの出産にあるのであって、ここで医者から講義を受けるつもりはないのです。また、自宅で産んだからたくさん死んでいたというのはとても乱暴な論理であって、栄養、衛生環境、妊婦さんの社会的地位、その他もろもろの事情によるものでしょう。しかも、今の助産婦さんがその頃と同じ技術、考えで介助していると考えていること自体がまちがっています。現に、昨日の助産婦さんは、ドップラーの機械を担いできました。)
さらにこの発言は、正確に歴史を踏まえていないことを、後に教えていただきました。
「妊産婦死亡率に関して、これまで一般に信じられてきたことで必ずしも正確でない"常識"に、過程分娩から施設分娩に移ったから安全であると言うものがある。施設分娩が急激に増加していく時期の施設化と妊産婦死亡率についてけんとうしてみると、1947年に施設分娩数の比率は2.4%、1957年に28.7%、10年間に施設分娩率は12倍に増えた。この間、妊産婦死亡率は16.8%から17.1へと、17を前後としてほとんど動かない。」(『助産婦の戦後』p.276)

 それから、医者はしーちゃんの大きさを機械の画面上で計測しました。
「こんなに大きくなってからじゃ、予定日が正確に特定できないよ。助産婦さんは、最終月経から予定日を出したんだね」
(毎日こつこつと基礎体温をつけていたので、予定日は大体わかっていました。それ以上の精度で予定日がわかることに、何の意味があるのでしょうか。予定日より大幅に早く生まれるとか、ずいぶん過ぎても生まれないとか、そういうときにそのことを認識できることが大切なのでしょう。しーちゃんは、生まれる日に生まれるのです。予定日に生まれるわけではありません。そんなこと、わかっているでしょう。今、その機械で予定日を正確に特定できないことでぼくたちが困ることはありません)
「内診は?」と看護婦さんが医者に言ったようでした。
「いい」と医者は小声で答えました。
 それで、検診は終わり、ぼくたちは待合室に出されました。看護婦さんがやってきました。
「血液検査はしなかったので、この券はお返しします。エコーの料金だけかかるので、会計へ行ってください」
「あれっ、血液検査を受けにきたんですが」とぼくは言いました。
「いえ、先生がしないって言ったんです」と看護婦さんが言いました。その看護婦さんは、ぼくたちが血液検査等をお願いした人です。ぼくたちの来院の目的を知っていながら、この人は医者に何の意見も言えないのです。医者が言ったことをそのままぼくたちに伝えているだけなのです。看護婦が医者に意見を言えないような雰囲気にしている、医者や管理者の責任もあるでしょうし、この看護婦自身が医者と対等な立場に立って仕事をしていないという責任もあるでしょう。
「だって」とぼくが言いかけると、妻が「いいよ」と言いました。どうやら、医者は検査を拒んだようでした。

 それから会計窓口に行くと、「6560円です」と言われました。一瞬、意味がわかりませんでした。妻のところに戻り、お金をかき集めながら思いました。やっぱり、おかしい。妻が空腹を抱えていたのはよくわかっていたのですが、
「ちょっと言ってくるね」とぼくは、会計窓口に行きました。例の無料券を示しながら、
「これでこの券に書いてある検査をお願いしたんです。それなのに、その検査はしないで別の検査をして、お金をはらえだなんて、納得がいきません」
 すると、会計係りの人は電話をかけ、再び、無料券とカルテをクリアファイルに挟み、それを持って産婦人科へ行くように言いました。
 再びしばらく待たされ、診察室に呼ばれると、あの医者がいました。ぼくはクリアファイルを渡しました。
「この券で無料の検査を受けにきたのに、頼んでもいないエコーをやって、お金を払えだなんて納得がいきません」
「ふつうは、妊娠検診は保険外なんです。でも、保険を適用してあげたんですよ。そうじゃなかったら、7000円もかかるんです」
「6560円ですよ」
「あれっ、おかしいなあ。初診料も入ってるんですよ」
「無料の検査を受けにきたんです」
「それならそうと言ってください」
「ちゃんと、問診表に書きました」
「私に、言ってください」
「だって、問診表に書いたんですよ。問診表見ましたか」
「はい」
「それなら、あなたのミスじゃないですか」
「無料だから来たんですか」
「そうですよ。妊娠は確定してるんだから、エコーなんていりません」
「あなたねえ、ちょっと私の話を聞きなさい。赤ちゃんが正常かどうか調べるのに、エコーが一番大切なんですよ」
「それは、あなたの判断でしょう。ぼくたちには必要ないんです。どんな検査を受けるのか決める権利は、ぼくたちにあるんでしょう」
「はい。それなら、エコーはいりません」
「そうですよ」
「お金もけっこうです」
「あたりまえです」そう言って、ぼくは、医者の向こうに置いてあったクリアファイルの中の無料券を手に取りました。すると、医者は言いました。
「検査を受けないのなら、それはいらないでしょう」
「検査は受けます。ここで受けないだけです」
そう言って、診察室を出ていきました。その医者は、検査もしていないのに、ぼくが黙っていたら、無料券を返さないつもりだったのです。なんということでしょう。

 帰り道、妻が言いました。
「結局、いじわるなんだよ。本気で怒ったり悲しんだりしちゃだめだよ。でも、お金を払わずにすんでよかった。代わりに怒ってくれたから、すっきりしたような気がする」
 しばらくぼくはぷんぷんしていましたが、帰りに子どもたちのおみやげに筋子を買うと、元気が出てきました。

 一度家に帰って仕切りなおし、夕方、別の病院に行くと、女性の医者でした。ぼくは、はじめに受付で「この券で無料の検査を受けたい」とはっきり言いました。ぼくは、診察室に入れてもらえなかったのですが、次のようなやりとりがあったそうです。
「この券の検査以外にも妊婦検査はありますが、どうされますか」と看護婦さんに聞かれ、妻は
「いくらですか」と聞きました。どうやら、今度は「無料の検査」というところを二人して強調したために、「この人たちはお金がなくて、無料券があるから検査に来たのだな」と思われたようでした。
 でも、それは、そう思われてみると、事実でした。
 それから、無料の検査の中身についてきかれました。尿検査は、今日、したばかりなので飛ばしてもらうことにしました。
「エコーはどうされますか。無料ですが」
なんとなんと、こちらでは6560円ではなく無料だと言うのです。とはいうものの、こちらもついさっきやったばかりなので、いりませんと言うと、結局、血液検査だけということになりました。
 
「助産婦さんに診てもらった」と妻が医者に言うと、助産所で出産しようとしている人が検査だけを受けに来た、と認識されたようで、「どうして病院が嫌なのか」だとか、日本の出産の歴史についてとか、胎児の大きさから予定日が正確に算定できないとか、の話は出ませんでした。そして、無料の検査だけを受けられました。
 妻は言いました。
「ここで産んでもいいと思えるくらいだった」
 まったく、はじめからこちらにくれば、何の問題もありませんでした。まるで、この「自宅出産日記」をおもしろくするために、総合病院に行ったようなものでした。



2004年10月03日(日) 夫、病院で医者に怒る(前編)

 昨日の助産婦さんにお願いするならば、病院へ行って検査を受けなければならない、ということを妻は納得しました。また、低血圧についても気になっていました。そこで、いぜん、知り合いが推薦していた総合病院へ行くことにしました。
 その前に、区役所へ行き、母子手帳をもらってきました。母子手帳も、いよいよ3冊目です。助産婦さんにかいてもらった「妊娠証明書」を窓口に出すと、すぐに真新しい手帳をくれました。なんだか、晴れがましいような気持ちがしました。
 家に帰り、住所、氏名、昨日の検診結果などを書き込み、最初のページにある「妊婦一般健康診断受診票」に必要事項を書きこみました。昨日、助産婦さんが「無料で病院で診てくれる券」と言っていたものです。

 母子手帳と保険証と水筒を持って、妻と病院までてくてく歩いていくと、玄関の前に立っている電柱に、別の産婦人科医院の広告が貼られていました。
「なんでこんなところに、別の病院の広告があるんだろうね」
「きっと、この病院にかかって、不満に思った人が、この医院へ行くんじゃない」
などと冗談を言いあっていました。
 中に入ると、総合病院だけあって、受付の窓口がたくさんあって、どこに行ったらよいのかわかりませんでした。とにかく、見当をつけて行ってみました。
「この妊婦一般健康診断を受けたいんですが」と言いながら、「妊婦一般健康診断受診票」を見せました。
「診察券を機械に挿入してください」
「いえ、初めてなんですが」
「妊娠していることは確実なんですか」
「はい。そうですよ。だって、母子手帳があるじゃないですか」
「それなら、こちらに書いてとなりの窓口に出してください」
と、産婦人科の問診表を渡されました。
 このとき、気づいたのですが、おそらく、妊娠が確認されていて、いきなり飛び込みで「妊婦一般健康診断」を受けたいと言ってくる人はあまりいないのでしょう。

 普通の手順としては、①「妊娠したかもしれないのですが」と病院にやってくる。②診察を受けて、「妊娠していますね」と医者に言われる。③次の予約を入れる。といった感じなのでしょう。
 でも、ぼくたちのようにいきなり病院へ行かない人たちは、検査だけを病院へ受けに行く、という場合があります。このときに、助産婦さんの嘱託医であれば話は早いのでしょうが、助産婦さんの地元は少しうちから遠かったので、近くの病院へ行ったのです。
 ともあれ、妻は、問診表にとりかかりました。その中に、なぜ病院に来たのかを問う設問がありました。選択肢に丸をつけることになっているのですが、例えば「妊娠したかもしれない」とか、「腹部に痛みがある」などと列記してありました。しかし、どこにも、「妊婦一般健康診断を受けたい」というようなものはありませんでした。
 しかたなく、「その他特別な症状(     )」という欄に、「妊婦一般健康診断希望」と書き入れました。それを受付に提出し、再度しばらく待つと、その問診表と診察カードを渡され、産婦人科の窓口へ行くように言われました。

 長い廊下を渡って産婦人科へ行くと、たくさんの妊婦さんが長いすに座って、順番を待っていました。ぼくたちも、先ほど書いた問診表と診察カードを渡しました。少し待つと、看護婦さんがやってきました。
「今日はどうされましたか」
「妊婦一般健康診断を受けたいんです」と妻は言いました。
「それなら、この券を使ってもいいですか」と言って、「妊婦一般健康診断受診票」を取りました。
「はい、お願いします」
すると、妻は別室に連れて行かれ身長と体重などを測って戻ってきました。別室では、看護婦さんとこんなやりとりがあったそうです。
「どこか病院で妊娠していると言われましたか」
「いえ。うちに助産師さんに来てもらいました」
「どこにも病院に行ってませんか」
「はい」
「自宅に助産師さんに来てもらった特別な理由はありますか」
こう言われて、妻は困ってしまいました。
「特別な理由はないんですが」
と言うと、看護婦さんがびっくりしていたので、こう言いました。
「自宅で出産しようと思って来てもらったんです」
なおも看護婦さんは驚きながら、
「あまり、そういう人、珍しいから」と言いました。
それから、「しばらくお待ちください」
と言われ、ずいぶん待ちました。1時間半くらいです。お昼時をすぎて、すっかりおなかがすき、二人とも帰りたくなっていました。ぼくたちよりも先に来ていた人が、まだ何人も待っていました。



2004年10月02日(土) 助産婦さんが家にきました

 「ピンポーン」
おおむね掃除が終わり、ベッドのシーツを新しいものに替えようとはがしたときに、チャイムが鳴りました。おおあわてで、シーツをつけて、玄関に行きました。子どもたちは昼寝中です。
 ついに、助産婦さんが検診にうちに来てくれたのです。どんな人かと少し緊張していましたが、大きな黒いかばんを持った、おばあさんでした。いただいた名刺を見ると、「出張出産介助 助産婦」と書いてありました。あとは、お名前と自宅の住所だけ。どこの組織にも属さず、1人ですっくと立っている、潔い名刺でした。お茶をお出しして話が始まりました。

 まず、最終月経開始日・終了日、月経の周期を聞かれ、助産婦さんは直径5cm高さ2cmくらいの銀色の円柱形の道具、桃印がついていました、の側面の目盛りをかりかり動かしました。「予定日は3/23ですね」
「赤ちゃんがぴくぴくっと動きだした日、むくむくっとではなく、その日に暦で4か月20日を足した日が予定日です」
それから、過去の母子手帳を見ました。
「血液は、鉄欠乏、血小板が少なめですね。薬は早くききますが、にんじん2cmごぼう5cmを皮むかないでななめに切り、のの字にすってください。それをしぼって飲みますが、飲みにくかったら、りんごまたはレモンを一緒に皮ごとすって、しぼって飲んでください。それから、風邪予防のためにうがいと手洗いをしてください」
「お医者さんでの検診は、はじめと後期10か月のときに受けてください。その間はにんじんとごぼうを続けて下さい。お産が3回目と言っても注意することは同じです。その都度はじめてだと思って。」
「私がここに来ると3000円なんです。ハイヤー代もらうかもしれないし、保健センター行きますか。210円です。お医者さんも来て、エコー、血圧、小水の検査。少しでも浮かしたほうがいいんじゃないかと思って。私も行ってあげます。自分が貧しかったから。うちは日曜日でもいいですけど、もしいらっしゃるのなら2000円です。分娩費用は16万5000円。一人目のお産のときに、羊水が少し混濁と書いてありますね。その後、お子さんはお元気ですか。なんらかの影響があることがありますから。羊水症候群といいます。私、とってもうるさいんですよ。」

 それから小水を見て異常なし。ベッドに行き、胴囲と子宮底長を計測。それから、大きな黒いかばんから取り出したドップラーの機械。赤ちゃんの心音を聞くための機械でした。それを妻のおなかにあてて、みんなで音を聴く。
「ぐわんぐわんぐわん」と初めての心音が聞こえてきた。しーちゃんだ。
「元気な声です。いいですね。雑音もないし。かわいいねえ。まだこんな小さいのね。」
と言いながら、親指と人差し指を開いた。
「おなか冷やさないように。おふろでおっぱいにコールドクリームつけてあげて。昔は下をあったかくして、動いたのでお産は軽かった。5か月になったら胎盤は形成。7か月は早産に気をつけて。10か月で2600gで生まれるのは低体重児であって、未熟児じゃありません。9か月で2600g(10か月になると3100gになるはず)で生まれるのは未熟児です」

 血圧計測。73-36。
「血圧低すぎます。さっそくねえ、にんじんとごぼうを。今日私が来たので、あと1か月くらいしてから無料券で検査に行ったほうがいいですが、血圧が低いのでお医者さんに早めに行ってください。嘱託医もありますが、この近くのお医者さんでいいですよ」
「私も急には変わりないので、元気にやっていますので。お産は大丈夫です。お産のときに必要なものは、経験あるからわかっていますか」
「いえ。教えてください」
前回は、「何も用意しなくていい」と言われたのを言葉どおりに受け取っていたら、当日、出産直前に脱脂綿を探し回ることになったのです。
「産褥ナプキン大1、小2、生理用の大きめナプキン1袋、50gの脱脂綿7個、パッドは買わなくていいです。作ってあげるから。バスタオル大5(大きめの1含む)、タオル3、ハンカチガーゼ古いもの、ふろ、せっけん、産着」「あまりぱりぱり食べて、赤ちゃん大きくしないほうがいいです。食べる小魚とかにしてください。赤ちゃんも小さいほうが産道をすぽーっと通ります。小さく産んで大きく育てるのがいいです。赤ちゃんも楽、お母さんも楽、とりあげる私も楽です」
「今までは仰臥位だった?」
「はい」
「今度は、横になったりして。私の言ったとおりにしてもらえばいいです」
「次は1か月後に来ていただいたらいいですか」
「はい。1か月に1度です。8か月になったら、1か月に2度ですが、何もなければ8か月になっても2か月に3度くらいにしましょう」

 それから助産婦さんは、「妊娠証明書」を書いてくれました。「医師・助産婦」とご自分の職業を選択する欄に、丸をつけるとき、助産婦さんは定規の代わりに何かのケースをあてて、まっすぐに線を引いて四角で囲みました。
「これを保健センターに持っていって、母子手帳をもらってください。そこに、今日の結果を書いておいてください」
 助産婦さんは帰っていった。
「ありがとうございました」
 玄関のドアが開いてから、気づきました。
「あっ。お金払ってない」
 ぼくは、お金を握って飛び出しました。まだ、マンションの中にいました。
「お金はらってませんでした」
「あら、次でいいですよ。領収書もないし」
「領収書なんていりませんよ。タクシーで帰られますか。いえ、娘が待ってますから」
お金を受け取ってもらうと、助産婦さんはマンションの前で待っていた車に乗って帰っていきました。

 妻が言いました。
「どう思った?」
「前の助産婦さんより、いろんなことに厳しいというか、きちっとしている人だと思った。「助産婦」に丸をつけるときに、まっすぐ線を引いてたし」
「うん。あの人は、任せてほしいって、感じなんだね。私、病院に検査に行こうかな」
「でも、お金もらっていかないなんてね。それから、保健センターをすすめてたけど、そこに助産婦さんに来てもらったら、あの人何の得にもならないんじゃないかな」
「もうけなくていいんだよ。貧しかったって言ってたけど、ああいう人だから、人の痛みもわかるんだね」
 ぼくは、妻から「病院に行く」という言葉が出て、少なからず驚きました。でも、早めに行ったほうがいいなと思いました。
 親戚が北海道にまったくいないぼくたちの助産婦さん探しは、綱渡りのような感じで、どうなるかわかりませんでしたが、ようやく、お会いすることができました。



2004年10月01日(金) もうひとつの自宅出産日記

 この「自宅出産日記」を読んで下さっていると、「雑把」さんという方からメールをいただきました。イギリスに住んでいて、自宅出産をしたいと考えているのだそうです「雑把録」という日記をごらんください。
 イギリスは日本とはずいぶん出産事情が違うようで、ぼくたちが苦労して、偶然のように出会えた自宅出産をお手伝いしてくださる助産婦さんも、イギリスには普通にいらっしゃるようです。雑把さん、遠くから、応援しています。
 ぼくたちのほうは、今週末、初めて助産婦さんにお会いして、検診を受けることになりました。部屋を掃除してお待ちいたしましょう。

 最近作ったおいしいパスタをご紹介しましょう。①塩鮭一切れ焼いてほぐして、フライパンでパセリとともに炒める。②パスタとささげを、時間差をつけながら同じ鍋でゆでる。③①に生クリームをカップ1入れて温め、そこに②を入れてあえて、塩こしょうで味をととのえる。
 ほんとうは、スモークサーモンを使ったレシピを見ていたのですが、そんなにすてきなものはなかったので、塩鮭にしたのですが、かなりおいしかったです。


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