林心平の自宅出産日記

2004年09月30日(木) 妊娠中にぜんそくで病院へ行った顛末

妊娠中にぜんそくで病院へ行った顛末

妊娠中の体重についての訂正 
 妻がこの「自宅出産日記」を読んで、訂正箇所を教えてくれました。
 先日、1人目を妊娠したときは、20kg以上太ったと書きましたが、2人目を妊娠していたときは、もっと太っていたのでした。2人目の妊娠中は、小樽の助産婦さんの家に定期健診を受けに行ったときに、体重を計ってもらっていました。なぜか、助産婦さんはじゅうたんの上に体重計を置いて計測するのが常でした。そのため、値があやしいなとぼくたちは思っていました。けれど、真実を知るのがおそろしくて、そのことはあえて、追求しないようにしていました。
 当時の妻にはストレスがたくさんありました。初めての自宅出産を控えていたり、しかも最寄の病院へは車を飛ばしても20分以上はかかる(しかもあとで述べるように信用できない医師がいるところ)という、へき地に住んでおり、さらに妻はケーキ屋さんでハードに働いていました。それらのストレスのため、実際にはかなり太っていると思っていました。 
 出産後、家のフローリングの上で体重計に乗ったところ、なんと、76kgもあったのです。ちなみに、1人目の産後1週間の体重は72kgでした。どちらも妊娠前の体重は52kgです。

妊娠中にぜんそくで病院へ行った顛末
 こちらについても、先日書きましたが、妻が思い出してメモを作ってくれました。それをもとに書きました。

 妻はぜんそくで病院へ行くと、歩くと発作が起きるため、車イスに乗せられました。
診察室で「妊娠してからどこの病院にもかかっていない」と医者に言いました。それからすぐ内診。その後「赤ちゃんの写真撮っときました」と言われ、別に頼んでもいないのに胎児のサイズを聞かされ、それから予定日も教えられました。
 医者は、おせっかいにも、妊娠して初めて医者にかかる、妊婦に対する診察をしたのだと思います。写真など撮られなくても、胎児のサイズを測らなくてもちゃんと、予定日くらい把握していたのに。
 しかもそのあと、入院することになり、せきと発熱でぐったりしていた妻は、産婦人科の病室に移されました。そこは5人部屋くらいで、他はみな産婦らしく、すぐむかいにそれらの人が産んだ新生児室があり、ひっきりなしに赤ん坊が泣いているのでした。妻が病室に入れられたのは、深夜でしたが、赤ん坊の部屋は常に蛍光灯がついていて、お母さんたちの部屋から見えるようにあけっぱなしで、人がしょっちゅう出入りしていたそうです。何人もの産まれたばかりの赤ちゃんが集められていたら、いつも誰かは泣いている、というのは当たり前ですが、わが子でもない赤ん坊の泣き声をずっと聞かされるのに、ぜんそく発作の止まらなくなった私が耐えられる訳がありませんでした。
 それまでの医者の処置に疑問があった妻は、吸入をしている間考えて、看護婦さんに無理を言って、入院はやめて、帰してもらうことにしました。
「泣き声を聞いていると、今、友人宅に預けている自分の子どものことを思い出して、そうしたら心配になって、こうして寝てはいられないのです」と訴えました。丸く収めるために、決して、「こんなところではぜんそくがよくならないよ!!」とは言いませんでした。
 看護婦さんは非常に困っていました。でも、そこで寝ていてもぜんそくが良くならないことは明白でした。しじゅう赤ん坊が泣いている、まわりはみな産婦さん、という状況で、どうやってぜんそくが改善するでしょう。そこは、24時間、赤ん坊の父親、祖父母などが遠慮なく入れかわり、母親も赤ちゃんにおっぱいをあげたり、ミルクの世話をしているのです。
 それは、産婦さんどうしなら、お互い様だけど、どうして妻がそれに耐えなければならないのでしょう。もしも健康でも、そんな中でがまんして休むことなんてできません。
 けれど、そんな簡単なことも想像できないで、妻をその病室に入れたあの医者は、全くなんて不自由なのでしょう。病院も。妻は、そうしてますます病院嫌いになりました。



2004年09月29日(水) 自宅出産をするための条件

 昨日テレビで「アット ホーム ダッド」というドラマを観た。その中で、専業主夫のいる家での自宅出産が取り上げられていました。それだけ、社会的に認知されてきたのだなと驚きましたが、同時に、そのドラマの中の家でどうして自宅出産が可能であったのか、考えました。
 出産を迎えるまでは、先日来書いてきましたように、つわり時のケアとか、体重管理とか、家族の理解と協力が必要です。しかし、それらは、自宅出産であろうとなかろうと同じことです。世の中には夫の協力があまり得られなくても、妊娠生活を送っている妊婦さんはいるでしょう。
 問題なのは、産むときの協力と、産んだ後の育児と家事の担い手を確保することです。出産時には助産婦さんに来てもらいますが、その前から家に一緒にいてくれる人が必要です。助産婦さんへの連絡、出産の準備をとりすすめるためです。
 さらに重要なのが、産後の家の中のことです。通常、病院や助産所で出産したときは、母と新生児は1週間入院します。つまり、少なくともその間の食事の支度や新生児の世話については、外部からの協力を得られるわけです。ところが、自宅で出産したときは、出産後の育児、食事、洗濯、掃除のすべてを担ってくれる人が必要です。出産で疲れきった母親には、休息が必要です。新生児の世話は、産まれた瞬間から24時間体制であたらなければなりません。
 もしもその家に専業主夫がいたら、これほど心強いことはないでしょう。家事の技術を持ち、外に働きに出なくてよいのですから。専業主夫がいなければ、兼業主夫の出番となります。育児休暇をとって、頑張りましょう。この場合も、にわかじこみの、あまり料理も掃除も洗濯もしたことがないのです、というような人では頼りないので、日常的に家事をやっている人でなければ、なかなかつとまらないでしょう。
 
 周りを見ていると、出産後は実家から母親が手伝いにくる人が多いようです。ぼくたちの場合は、それを望めなかったので、何とか自分たちで乗り切るしかありませんでした。特に、1人目が産まれたあとの1か月間は、妻は、本当に大変でした。ぼくは、フリーターだったので、仕事を休めば収入はその分減りました。朝6時から夜10時まで、最大で4つの仕事をかけもちしていました。あの頃は、ぼくは、仕事に行くことばかり考えており、初めての育児で大変だった妻は、「1人ぼっちだった」と言います。妻が熱を出したときも、妻と子を家に置いて、ぼくは仕事に行きました。
 今ふりかえると、申し訳なかったと思います。そして、それでも何とか2人で子どもを育てていったために、おそらく、ぼくは少しずつ変わっていくことができました。もしも、誰か手伝いの人が家に来て、ぼくがあのまま「仕事人間」であり続けていたら、2人目を自宅出産することはできなかったと思います。

 ですから、自宅出産をするための条件の中で重要なものの1つは、協力者の存在だと思うのです。



2004年09月27日(月) ぜんそくとハーブ

 妻が特別に健康だから、自宅出産ができるというわけではありません。まずは「自宅出産をしたい」という気持ちが大切で、そう思ったからには、そのためにできることをするしかない、ということなのです。そのことをわかっていただくために、いかに妻の体調が悪かったかという話をしたいと思います。
 妻は、妊娠にかかわらず、日常的に2つの体調不良に悩まされています。1つは、この「出産日記」でも述べてきた偏頭痛です。そして、もうひとつはぜんそくです。
 ほこりを吸い込んだとか、かぜをひいたとか、ちょっとしたきっかけで、ぜんそくの発作は誘発されてしまいます。そして、一度発作が出ると、その後、数か月にわたって苦しまされるのです。特に、注意しなければならないのは、寒くなってきた秋口、ちょうど今頃の時期です。はじめはかぜをひくのですが、しだいにせきがとまらなくなってしまいます。
 ですからそうならないように、かぜをひかないように、疲労、ストレスに気をつける。ほこりにやられないように、部屋をきれいにする。そのために掃除をこまめにしますが、これは本人がやってはいけないのです。しかも、掃除中は別の部屋に避難してもらわなければなりません。
「すまないねえ」と妻は言いますが、これは自分のためでもあります。ぜんそくの発作が出ているときのかなりつらそうな妻の姿を見るのは嫌ですし、その看病にくらべたら、掃除などたいしたことはありません。

 2人目を妊娠していたとき、この発作が起こってしまいました。夜、あまりにひどくなった妻のため、ぼくたちは上の子を友人宅に預ってもらい、総合病院へ行きました。呼吸器科、せめて内科の医師に診察してもらいたかったのですが、妊娠中である旨を告げると、産婦人科の先生しか診てはくれませんでした。
 しかも、なぜか、内診をされたのです。妻は、1人目のときの内診がとてもつらく、それをされなくても済むようにということも1つの理由として、自宅出産を選択しました。それなのに、明らかにぜんそくで苦しんでいるのに、まず内診をされました。
 このことには、ぼくも、いまだに納得がいきません。その医師は、目の前の患者をみていたのでしょうか。それとも、妊婦のぜんそくには、まずは内診というのが医学の常識なのでしょうか。

 そんな経験もあり、今は、ぜんそくの発作が出ないように注意しています。昨日は、ハーブを使いました。ボールにミントとローズマリーを枝ごと入れ、お湯をそそぎます。ここにタオルを浸してしぼり、蒸しタオルを作ります。これを顔にのせて、深呼吸をするのです。のど、鼻がうるおいます。妻は、「超リラックス」と言って喜んでいました。続いて子どもたちにも同じことをしましたが、嫌がりもせず、「いい気持ち」などと言っていました。ぼくもやってみましたが、とても安らぐものでした。
 ただ1つ問題があります。マンション住まいで庭がないので、ベランダに置いた鉢でハーブを育てています。ローズマリーはまだたくさんありますが、ついにミントはなくなってしまったのです。妻は言いました。
「隣の公営住宅の庭に生えているよ」
そうなのです。告白すると、ぼくは、暗くなってからはさみと袋を持って、近所の庭からミントの枝を2本失敬してきたのです。
 個人の庭ではないし、おそらく自生しており、誰かが管理しているとは思えないミントですが、それでもちょっと気がひけました。そこで、来年以降のために、もう2本根ごと抜いてきて、別の鉢に挿しておきました。かさねがさね、すみません。



2004年09月26日(日) 妊婦さんの体重管理

 自宅出産であってもなくても、妊婦さんにとって、体重の管理は大切なことです。妊娠中毒症の予防のため、安産のため、産後の体重をもとに戻りやすくするため、体重を増やしすぎないように注意しなければなりません。
 『カラー版 はじめての妊娠・出産』(池下久弥/ナツメ社)2002年、という本によると、体重増加の目安として、「ふつうの人 8〜10kg」、「やせている人 10〜12kg」、「太っている人 7〜8kg」とありました。
ちなみに、1人目を出産したときは20kg以上も増え、助産所の助産婦さんにも、そのことで「こんなに太っていては、難産になりますよ」とたびたび怒られました。このときに太ってしまった原因は、ストレスのためです。この頃の生活については、頁を改めて書きたいと思っていますが、生活が不安定で、しかもぼくがバイトのことばかり考えており、非協力的でした。それに加えて、助産婦さんに怒られたことがさらなるストレスになってしまったのです。
 2人目を自宅で出産したときは、助産婦さんに何も言われず、体重増加についてはそれほど神経質になりませんでした。もっとも、当時は妻が働いていたので忙しく、太る暇もなかったということもあります。

 そして、このたびの三人目の妊娠ですが、妻は、「ふつうの人」ですが、抑制気味にしたかったので、目標増加体重を8kgと設定することにしました。現在4か月なので、残り28週(=7か月)を、1週あたり250g の増加とすると、増加体重が7kgになってしまいます。これを目標値とすると、多少オーバーしていても大丈夫だと思ってしまい、危険です。かといって、1週あたり275gとすると、管理が難しくなります。
 そこで、1週あたり300g の増加とすることにしました。こうすれば、1か月で1.2kg、7か月で8.4kgの増加となります。これでは、多少目標よりもオーバーしてしまいますが、300gが最大値だと認識していれば、抑制気味に管理できるでしょう。

 9月8日(12週=4か月)時点の体重が52kgで、これを起点とします。これに、7か月で8.4kgの増加分を加え、予定日3月23日の目標体重は、52kg +8.4kg =60.4kgとなります。ぼくたちは、カレンダーに毎週300gずつの増加分を、予定日まで書き込みました。
 ちなみに、9月26日現在の体重は、52.4 kgで、計算によると、9月29日時点で52.9kgまでよいので、今のところは範囲内です。これから、つわりがおさまってきて、食欲が回復してきたときが要注意です。
 特に、病院にかからず、自宅出産に臨もうとするときは、安産をめざした自己管理が重要となってきます。自宅で快適に出産をするためには、それなりの努力がいるということです。でも、実は、どの妊婦さんとその家族にとっても、妊娠・出産について自覚的になり、体調を管理することはいいことです。

 などと書きつつも、今日はアップル・パイを作ってしまいました。とても喜んでくれるので、つい、作りたくなってしまうのです。まだまだ、ぼくも徹底できていません。せめてものカロリーダウンのために、アップルパイの
「ふた」は省略しました。体重が増えすぎたら、「底」も省略しましょう。そうすると、アップルパイはただの「アップル」になってしまいますね。



2004年09月24日(金) 胎児の命名

 ぼくたちは、おなかの中に子どもがいるときに名前をつけて呼ぶことにしています。3人目の子どもは、「しーちゃん」と呼ぶことにしました。
 産まれるまでその名前で呼びます。例えば、妻が疲れておなかがいたくなったときは、
「しーちゃん、だいじょうぶたよ。ちょっと、疲れただけだからね」と言ったりします。
 また、子どもたちは、
「しーちゃんが生まれたら、おむつをかえてあげて、抱っこして、散歩に連れて行ってあげる」などと言っています。
 半年以上もの間、家族でその名前で呼んでいると、産まれて名前をつけてからも、その呼び名を変えることはできなくなってしまいます。かと言って、本名には産まれたときの親の思いもこめていますので、呼び名とはまったく別の本名になります。
 ですから、子どもたちはそれぞれ、本名と呼び名の2つの名前を持つことになります。家にいるときには、ほとんど呼び名で呼びあっていますが、保育園に行くようになると、本名も必要になってきます。それでも、保育士さんたちには、呼び名があることを伝え、呼び名で呼んでもらうようにしています。
 つまり、「しーちゃん」は、「はやししおり」といった名前になるとは限らず、「はやしはなこ」になったりします。保育士さんたちには、「しーちゃん」と呼んでもらいますが、友達の親や、担任以外の保育士さんの中には、「はなこちゃん」などと本名で呼ぶ人もいます。
 本人たちは、このような状況をどうとらえているかというと、驚くほど的確に、場面によって使い分けています。
自分のことは、「しーちゃん」と言いますが、例えばはじめて会った人に
「お名前は?」とたずねられれば、
「はやしはなこです」と答えます。そして、「しーちゃん」と呼ばれても「はなこちゃん」と呼ばれてもふりかえることができるのです。

 保育園のクラス名は、動物の名前になっています。話がややこしくなるのは、クラス名と本名に同じものがあって、しかも違うクラスに所属していたりする場合です。
 例えば、本名が「はやしいるか(仮名)」だとします。そして、保育園には「いるか組」があり、しかし、「いるか君」が「くま組」だとします。
 すると、「しーちゃんは、本名がいるかだが、いるか組ではなくくま組です」ということになります。しかも、きょうだいが「いるか組」だったりすると、こんなことになってしまいます。
「しーちゃんは、本名がいるかだが、いるか組ではなくくま組です。弟は、もーちゃんで、本名はたかしですが、いるか組です」
 こうやって、事態は混沌としてくるのですが、これは、実際にあったことなのです。



2004年09月22日(水) 普光院亜紀『共働き子育て入門』

 『共働き子育て入門』(普光院亜紀/集英社新書 714円)2003年、読了。育児休暇、学童保育などについて知りたかったので、保育園に関する部分は飛ばして読みました。制度、親の心情、子どもと接するときの具体的な行動指針についてなど、必要な情報がぎっしり詰まった好著でした。
 以前、職場の総務部に育児休暇中の給与について問い合わせたら、「ゼロです」との返答でしたが、本書によると、雇用保険から給与の30%が支給されるとのことでした。調べてみる必要がありそうです。
 ぼくの職場では、女性は結婚したらやめることになっているそうで、そうなると、育児休暇をとる可能性があるのはほとんど男性だということになり、周りを見渡したとしても、そんな話は聞かないので、おそらく誰もとったことがないのでしょう。

 保育園に子どもを迎えに行くため、夕食の支度をするために定時に退所したり、子どもの病気を理由に遅刻したり休んだりする人もいませんが、ぼくはそうしています。周囲の理解もあるのですが、多少の居心地の悪さを感じることがあります。でも、これからは、どんどんそういうことが当たり前になっていくのです、ということが本書には書かれており、これでいいんだな、と思いました。
 
「みんなが子育てのために仕事を休んだりするという前提になれば、それなりの職場の体制づくり、意識の変化が進むはずです。『家庭の都合を職場にもち込む』のは母親社員だけでなく、父親社員も同様。」
「『必ず残業をする』『家庭の都合で仕事を休まない』という働き方が『一人前に働く』ことだと考えるかどうかは職場風土にかかわる問題ですが、職場風土は働く人たちの意識によっても変わっていきます。」

 こんな文書を読むと、元気が出ます。
 ちょっと、「自宅出産日記」から脱線してしまいましたが、おすすめの本でした。



2004年09月21日(火) つわりのピークが過ぎたようです

 9/14の日記に少し手を加えました。ご覧ください。

 13週も終わりが近づいてきました。妻の体調が回復してきました。つい先日までの生活は、朝は頭痛やら腹痛やらで調子が悪く、なんとか朝食は食べるものの、午前中は寝込んでおり、昼食を食べてテレビを少し観て、それで疲れてしまってまた横になり、しかも頭痛がしてあまり眠れなかったりして、夕方ぼくが帰宅して、やっと起き上がり、夜も具合がよくなくて、足の裏を押したりする、といった感じでした。つまり、1日中、体調が良い時間帯というものは存在しなかったのです。

 しかし、行けないかと思っていた子どもたちの運動会も皆で行けました。子どもたちも嬉しそうでした。他人のことは気にせず、もくもくと自分の動きに集中する娘は、リレー走でアウトコースながらも、ほとんど隣の男の子と並んで走り続けるというがんばりを見せてくれました。
 一方で息子は、クラスでも年齢が高いほうなので、あまり真剣になれないのか、なんとなく競技に参加しており、きょうだいでもこんなにも違うものなのだなと、思わされました。とっくに3歳になってしまった息子には、2歳児はとても小さく思えてしまうのかもしれません。

 昨日、今までベッドでとっていた食事を子どもたちと一緒に食卓でとる、と宣言していました。友人の子どもの誕生パーティーをうちでひらいたのですが、妻もしっかりと台所に立ち、久しぶりに一緒に料理をしました。何よりも、妻が元気になったと思わされたのは、ぼくに対していろいろ注文をつけられるようになったことからでした。
今までは、なにかと
「家事も育児も何から何までやってもらって、すまないねえ」と言っていました。しかし、昨日は
「普通、肉はこっちの方向に切るでしょう」とか(たしかにぼくが変な切り方をしていました)、
「シンクの中にむいたジャガイモなんか置いておいたらじゃまでしょうとか(すみません)、言っていたのです。
 そんな声を聞いたのは久しぶりだったので、ぼくは注文をつけられながらも、内心嬉しく思っていました。

 昨日のメニューは、豚バラの角煮とカラーピーマンとたまねぎの酢豚風、あなごと豆腐の卵とじ、肉じゃが、ロールキャベツみたい、アップルパイ、ソフトクリームでした。来る予定の人たちが来なかったりして、ずいぶんと余ってしまったおかげで、今朝の朝食も温めただけですみましたし、今日のお弁当も豪華になりました。
 もっとも、子どもたちは、デザートさえあれば幸せ、といった風情でしたが。
 ちなみに、「ロールキャベツみたい」というのはNHKの「きょうの料理」で小林カツ代さんが紹介していたもので、「巻かないけれどもロールキャベツみたいにおいしいもの」です。スープ、ケチャップ、トマトジュース、の中に8等分したキャベツと人参を入れて煮、煮立ったらひき肉を入れるだけです。妻のアレンジでひき肉ではなく、肉だんごにしました。キャベツの芯、人参の皮、卵、片栗粉、パセリやセロリ、ナツメグなどと豚肉を、それぞれフードプロセッサーで細かくして混ぜ、丸めて鍋に入れました。
 なんだか、アメリカ南部の母の味、といったような感じでした。友人はロシアの味だと言っていましたが、大好評でした。



2004年09月17日(金) 妊婦と薬の問題

 ここのところ、妻は洟をひっきりなしにかんでいました。先日来続いていた頭痛が、蓄膿症などの鼻の不調と関連があるのではないかと心配し、医者にかかりたいと言われました。
「薬は飲めないけど、鼻の中を洗浄してもらえたら、すっきりするし」
 そこで、近所の耳鼻科へ行きました。まず、問診表に自分で記入します。下の方に、「妊娠している方 →  か月」と書く欄がありましたので、妻は「4」と書きこみました。
病院がとても苦手な妻は、待合室で待っているあいだも、「やっぱり帰ろうか。こんなことで来て、なんて怒られそうだし」と言っていました。そして、やっぱりひっきりなしに洟をかんでいました。
名前が呼ばれ、妻は診察室に入っていきました。耳をそばだてていると、何やらやりとりがあってから、吸入をすることになったようでした。しばらくすると、すっきりとした顔になって出てきました。
「どうだった?」
「鼻炎だって。洟が透明だから蓄膿ではないって。薬品入りの吸入をしたら、すっきりしたよ」と言いました。
「薬は?」
「出るって」
「飲み薬?」
「うん」
「妊娠しててもいいのかな。先生は妊娠のことわかっているのかな」
「そりゃあ、わかってるんじゃない。ちゃんと、『4か月』って書いたんだから」
 そんな話をしていると、先生が診察室から出てきて、待合室を横切って、奥に入っていきました。
 それから受付で名前を呼ばれました。
「処方箋が出ています」
 と言って差し出された紙を見ると、2種類の飲み薬が7日分も処方されていました。
「あのお、妊娠しているんですけど、この薬飲んでもいいんですか」とぼくは聞きました。受付の人は
「先生にお話しましたか」と妻に向かって言いました。
「いえ。問診表には書きましたけど」
「ちょっと待ってください」と言って、受付の人は先生に内線電話をかけました。
「今、先生がいらっしゃいます」と言われて、ぼくたちは腰掛けて待っていました。すると、先生がやってきて、こちらを見ずに前を通り、診察室へ入っていきました。
 ぼくは、どうも、感じが悪いなと思いました。
 再び診察室に呼ばれて妻は入って行きました。少しして戻ってくると
「飲み薬はやめて、吸入する薬にするって。でも、1日4回の薬だけど、2回くらいにしてくださいだって」
 ぼくは、何ていいかげんなんだろう。もし、気づかずに薬を服用したら、大変なことになったかもしれないのに。と思い、怒りを表明しようかと思いました。しかし、妻がちっとも怒っていなかったので、ここでぼくが怒ったりしたら、逆に妻に不快な思いをさせてしまうのではないかと考え、怒らないことにしました。

 医院を出ると妻は言いました。
「吸入薬も買いに行かないつもりだよ」
「そうか。最初の薬も、結局、処方されても飲まなかったか」
「うん」
「でも、あのお医者さん、感じ悪くなかった? 怒ろうかと思ったよ。こっちを見もしないでさ」
「ああ。あれは、恥ずかしかったんだと思う。なんか、早口だったし、目を合わせないし。とても人見知りをする人だったんじゃないかな」
「そうだったんだ」
「それに、ちゃんと『うっかりしてました』って謝ってくれたよ。ちゃんと、診察室で。あんなとき、電話だけで済ましちゃう先生もいるんじゃないかな」
「そうか、じゃあ、怒らなくてよかったよ。でも、薬のことは自分で気をつけなくちゃいけないね」
「うん」

 自宅出産に限ったことではないと思いますが、他人任せにしないで、自分で注意を怠らないことが大切だなと、改めて思った日でした。まあ、どのみち、妻は薬を飲む気はさらさらなかったようなので、処方箋ごときに目くじらを立たせることはなかったのかもしれませんが。



2004年09月14日(火) ついに助産婦さんにたどりつきました。

 これからの話がわかりやすくなるように、9月11日の日記を書き直しました。まずは、そちらをご覧ください。

 仕事の昼休み中に、Mさんに電話をかけました。そして、何度もくりかえしてきた「妻が妊娠したのですが」という話を始めました。
「はじめまして。林ともうしまして、OさんにMさんを紹介していただいた者です」
「はい。林さんね。きいていますよ」
ああ、よかった。
「実は、妻が妊娠しまして、自宅で出産したいと考えているのですが、お願いできないでしょうか」
「おめでとうございます。私がやってあげられたら一番いいのですが、私は、ちょうど90になりまして、今は、指導とか相談はやっているのですが、お産はあまりやっていないのです。でも、知り合いの助産婦がたくさんいますから、その中から、一番いい人を紹介してあげます」
「はい。ぜひ、お願いします」
「それでは、奥様のお名前と年齢、連絡先を教えてください」
「はやしきょうこです」
「きょうこさんは、京都のきょうですか」
「いえ。恭賀新年のきょうです」
「ああ、恭賀新年のきょうですね」
ひとつずつ丁寧に言葉を区切り、何度か聞き返されながらも、必要な情報をお伝えしました。
「それでは、一番いい人に連絡をとって、お電話いたします。2、3日お待ちくださいますか」
「はい。よろしくお願いします」
 すぐに妻にも電話をして、うまくいきそうだと伝えました。
 
 それから、20分ほどして、ぼくの携帯電話にMさんから電話がかかってきました。
「今、みなさん、お盆休みなので、連絡がつかないので、4、5日待っていただけますか。必ず、一番いい人をご紹介いたしますから」
「はい。よろしくお願いします」
 2、3日待つようにと言いつつも、すぐに連絡をつけようとしてくれたのです。ありがとうございます。
 そして、なんと翌日、Jさんという方から電話がかかってきました。
「助産婦のJともうします。Mさんから話は聞きました」
「はい。ありがとうございます。妻が妊娠しまして、自宅で産みたいと考えていまして、お願いできる助産婦さんがいらっしゃらないかと探しているのです」
「はい。よろしいですよ」
やった。ついに、助産婦さんにたどりついたのです。
「奥さんの名前は、はやしやすこさん、とおっしゃる」
「いいえ、きょうこです」
「えっ、きょうこですか」
「はい。恭賀新年のきょうです」
「ああ。恭賀新年のきょうで、恭子ですね。やすこじゃないんですね」
「はい。恭子です」
どうやら、「恭子」とは伝わっていたものの、いつのまにか「やすこ」と読まれていたようだ。
「お年は、35歳ですね」
「いいえ、ちがいます。」
年齢も違っていた。
「初めてのご出産ですね」
「いえ、3人目です」
 名前も年齢も子どもの数もすっかり違って伝わっていて、なんだかおかしくなってしまった。
「今、3か月でつわりに苦しんでいます」
「そうですか。おなかをすかせないほうがいいですね。病院へは行っていますか」
「つわりでですか」
「はい」
「いえ。行っていません」
「偉いねえ。今の人は、つわりがつらいと、病院へ行って薬をもらってきたりするのに」
なんて、優しい言葉だろうか。
「母子手帳はもらいましたか」
「いえ。まだ、どこにも診せていないのです」
「そうですか。私がおうかがいすると、4000円かかってしまいますから、区の保健センターへ行けば、210円で診てもらって、母子手帳ももらえますよ。そこに、私も行きましょう。それから、出産の料金は、産後1週間通いまして、18万円でけっこうですから」
「あのお、お医者さんがあまり好きではないものですから、もし、4000円をお支払いしてJさんに家まで来てもらって、妊娠の診断をしていただいて、それから区役所に行って、母子手帳をもらうことはできますか」
「はい。それでもいいですよ。妊娠証明書を書きますから」
やった。それでもいいのですね。
「では、おうちに戻られて、奥様とご相談されて、いつおうかがいしたらよいかお決めになってください」
「はい。わかりました。また、ご連絡いたします」

 家に帰って、妻と相談して、つわりが落ち着いてからにしてもらおうということになった。その旨をJさんにも伝えました。妻も、ぼくもやっと、一安心しました。
 Iさん→Oさん→Mさん→Jさんと、人のつながりによって助産婦さんに会えました。さっそく、IさんとOさんとMさんにお礼の電話をかけました。

 以上が助産婦さんに出会うまでの顛末です。今日現在、つわりが続いているので、まだJさんにはお会いしていません。
 
 ここからはリアルタイムの話です。
家に帰ると、南瓜が蒸し上げられていた。お昼に妻が自分で南瓜スープを作ったのだそうです。少し、具合がよかったのでしょう。夜ご飯も、子どもたちに南瓜スープを作ってあげて、と言われましたが、子どもたちの保育園でのおやつも南瓜だったそうなので、その南瓜は明日のおやつとして、パンブキンパイの材料にすることにしました。
夜ご飯の支度をしながら、簡単なパイ生地を作って、冷蔵庫で冷やし固めておきました。フードプロセッサーで小麦粉とバターと砂糖を切り混ぜ、冷水とともにスキッパーで刻みながら一つにまとめていきます。
子どもたちを寝かせてから、中身を作りました。南瓜の皮を取り除いてつぶし、卵黄、砂糖、バター、みかんジュースと混ぜて練ります。パイ生地をのばして型に入れ、この中身を入れて焼けばできるのですが、はや、0時になってしまい、力尽き、焼くのは明日の朝に延期しました。
ともあれ、妻の体調がよいのは何よりです。

 翌朝、寝坊してしまってあせりましたが、出勤5分前に何とか焼きあがりました。妻は、あまり朝食を食べたくなさそうでしたが、
「パンブキンパイ焼けたよ」と言うと、
「食べる。食べる」と元気がよくなりました。行ってきます。



2004年09月13日(月) 助産婦さん探しは口コミで

 妻は、今、活字を見る気力がないそうでこの日記をまだ、読んだことはありません。どんなことを書いたかをぼくが口頭で伝えていますが、「まだ助産婦さんにたどりついていない」と言うと、「それじゃあ、『自宅出産日記』にならない」と言われましたので、助産婦さんにたどりつくまでの話を書いてしまおうと思います。
 
 口コミで助産婦さんを探そうと考えたとき、まず、まっさきに思いついたのが、I家の人々のことでした。Iさんたちは、農家です。札幌で、無・低農薬の野菜を中心とした直売所を畑の前に構えており、一家の生計はすべてその店によって立てている、というすごい農家です。野菜だけではなく、イチゴやメロンなどの果物、米、自家製粉の小麦粉、ソバ、しめ飾りなども販売しています。
 ぼくが大学4年生のときに、農学部で卒業論文を書きました。「地場流通の今日的意義 〜札幌市の農家直売を事例として〜」とうテーマで、有人の直売所をたずね、農家の方にお話を聞かせていただき、お客さんにアンケートをとらせていただきました。スーパーで野菜を買っている人の回答と比較したところ、直売所のお客さんはおいしさ・新鮮さ・安全性を重視し、スーパーのお客さんは価格を重視しているという美しい結果が出ました。
 そのときに、とてもお世話になったのが、I家の人々だったのです。その後も、ご飯をごちそうになったり、ぼくと妻がともに熱を出してしまったときに子どもを預っていただいたり、家庭教師をやらせていただいたりして、お世話になりっぱなしの人たちなのです。

 店をやっていること、しかも安全志向の高いお客さんが多いことから考えると、自宅出産に携わっている助産婦さん、あるいは自宅出産をした人をご存知ではないかと考えたのです。そこで、電話をしてきいてみました。
「助産婦さんか、自宅出産をした人をご存知ではないですかとたずねると、電話の向こうでは、
「Oさんが自宅で産んだんじゃなかったっけ」と話をしている様子が聞こえました。
「確か、自宅出産した人がいるので、その人に確認してみますね」
 そこで、待つことにしました。すぐに折り返し電話がかかってきました。
「Oさんというお客さんが自宅出産をしたそうです。でも、それは数年前の話で、助産婦さんは80いくつだったらしいんです。でも、その人の助手もいて、紹介してくれるかもしれないというので、Oさんに聞いてみてください」
と言い、Oさんの連絡先を教えてくれました。
 
 早速、Oさんに電話しました。妻が病院での出産を嫌い、自宅での出産を望んでいる旨を伝えると、賛同してくれ、前回の助産婦さんに頼めないということについては、たいへん残念がってくれました。
「Mさんという助産婦さんに来ていただいたのですが、人間的にもたいへんすばらしい方でした。ただし、今年、たしか90歳で、ちょっとお願いできないと思います。二人組みになって来てくれたのですが、そのときに一緒に来てくれたもう一人の方が、その方も70代でしたが、来てくれるかもしれません。どちらにせよ、Mさんに言えば、どなたかを紹介してもらえるでしょう」
と言い、Mさんの連絡先を教えてくれました。 
まだつづく



2004年09月12日(日) 疲れやすい妊婦さんの買い物

 4か月の第1週目。まだ、安定期とは言えません。でも、一日中家の中にいても、気が滅入るだろうと思い、週末は家族で買い物に出かけたりします。
 今日は、「冷蔵庫で冷やすもの」を買いに出かけました。どうしてそんなものを買いに行ったかというと、大きな冷蔵庫を買って嬉しかったからです。

 ぼくたちは今まで、大学を卒業して引っ越していった友達が置いていった一人暮らしサイズの冷蔵庫を家族四人で使っていました。これは、かなり詰め込んで使っていました。豚を飼っている友達から、つぶしたときに買うので、一度にたくさんの肉が届くのですが、特に豚骨が場所をとっていました。 一度にスープをとってしまうと使いきれないので、豚骨のまま冷凍しておきます。それが小さい冷凍室のほとんどを占めていました。そのため、氷など作ることはできず、氷枕や氷嚢を使いたい時には、コンビニエンスストアまで、水割りに使うような氷を買いに行っていました。
 考えてみると、実家を出てから14年間、冷蔵庫を買ったことはなく、すべてもらいものを使っていました。けれど、もうすぐ5人家族になるのだし、大きい冷蔵庫が必要ではないか、という話になりました。それならば、ノンフロンのものをと思い、家電屋さんに行くと、驚くべき機能と省エネ性を兼ね備えた冷蔵庫たちが並んでいました。野菜をそのまま入れる、凍ったまま切れる冷凍、今のうちの冷蔵庫の4倍の容量なのに電気代は半分以下。ほんとうにそんなことがあるのでしょうか。
 それらはすべて事実でした。ぼくたちは、お店のおじさんが強くすすめてくれた冷蔵庫を、ついに買ったのでした。それが届いて、嬉しくなって、みんな一つずつ冷蔵庫に冷やすものを買いに行こうということにしました。

 デパートに行き、妻はケーキにしようかなと言っていましたが、その前に見たい本があるとのことで本屋に寄りました。それがいけなかったのです。妻は、疲れてしまって、まずは喫茶店で休むことにしました。休むと少し元気になりましたが、「お金をつかっちゃったから」と言って、 ケーキを買おうとはしませんでした。少し、食料品を買って、帰りがけに子どもたちは「冷蔵庫で冷やすもの」として、チョコレートとキャンディーとラムネ付きスタンプとアイスクリームを買いました。ぼくは、料理酒兼で冷酒を買おうと思いましたが、手ごろなのがなくやめました。

ここから妻が得た教訓。
1、買い物はひとつだけにしぼること。



2004年09月11日(土) インターネットで助産婦さんを探してみましたが

 ここからは、9月3日(金)の日記の続きです。

 まず、インターネットで検索することにしました。キーワードは「札幌 自宅出産 助産婦」などでやってみました。すると、札幌で2、3箇所、出張分娩をしてくれる、助産婦さんや助産所が紹介されいてました。その中でも自分でホームページを開設されており、感じのよさそうなところにメールを書きました。
「はじめまして。妻が妊娠したらしいのですが、自宅出産をのぞんでいます。3人目の子どもで、1人目は助産所で、2人目は自宅で産みました。そちらでお願いすることはできるでしょうか」
 それから2日間、返事を待ったのですが、届きませんでした。メールを見ていないのかもしれないと思い、電話をかけてみました。すると、助産婦さんが出ました。
「おととい、メールを書いた者なんですが」
「すみません。メールを見ていませんでした」
「妻が妊娠したらしく、自宅出産をしたいと考えているのですが、そちらでお願いすることはできますか」
「普通は、妊婦さんが電話をかけてくるのですが。ご本人は同意されているのですか」
そんなこと、あたりまえでしょう。妻が同意していないのに、ぼくが助産婦さんに電話をかけたりするわけがありません。と思いましたが
「はい。今回が3人目で、1人目は助産所で、2人目は自宅で産みました。今、つわりで気分が悪いので、私が電話をかけたのです」と言いました。
「それでは、だいたいのことはおわかりでしょうが、まず、妊婦さんはおいくつですか。予定日はいつですか。母子手帳はもらいましたか」といろいろ質問をされました。
「いえ。まだ、どこにも診せていないのです」
「そうですか。一度お会いしてお話をしましょう。ちょっと今、予定日の方がいらっしゃるのでお約束はできないので、こちらからメールをお書きしますが、よろしいですか」
「はい」
 
 数日後、メールが届きました。
「まだどこにも診せていません。とありましたが、母子手帳をもらうための妊娠の確定は、助産院では出来ません。
一番初めは、病院で確定を受けて正常に妊娠が確定しているかが必要になります。どうしてかというと、自宅出産は正常に経過している場合のみ、私達開業の助産師が関われるからなのです。また、だいたいの予定日も推定できます。
どこの病院でもいいですが、妊娠の確定をして頂いてください。私のところの嘱託医もあります。要所要所で1.2度かかる可能性はありますので、初めからそこでもいいです。検査をして、それからお話をしましょう」

 メールの内容を妻に伝えました。
「要所要所で嘱託医にかかるってどういうことだろう」と妻は言いました。
「うん。病院にかかりたくないから、こうやって、助産婦さんを探しているのに、どうしても嘱託医にかからなくちゃいけないのかな」
「私、嫌だよ。わがままなのかな」
「そんなことないよ、もう1つのインターネットにのっていたところに連絡をとってみるよ。それから、電話帳でも調べてみるよ」
「うん。もう、小樽にひっこそうか」
妻は、またまた、がっかりしてしまったようでした。
 もう1人の助産所は、電話帳にのっていたのと同じ人で、やっぱり、そこでも嘱託医に何度かかかってもらう、とのことでした。そして、このときにわかったのですが、妊娠の確定には、エコーによる診断(超音波をおなかにあて、胎児を画像で確認します)が必要だということでした。そして、この助産所にはエコーの機械がないとのことでした。
 考えてみると、一人目を産んだ助産所にはエコーの機械がありましたし、2人目は自宅出産でしたが、妊娠の確定時にはまだ、その助産所に通っていたのでした。
とりあえず、1人目の助産婦さんにメールを書き、「もう少し考えて見ます」との意を伝えました。


 さて、こんなに助産婦さん探しが難航するとは思っていませんでした。妻が言いました。
「やっぱり、口コミだよ」
「そうだね。前の助産婦さんも、口コミでたどりついたんだもんね」
 ぼくは、口コミのとっかかりとして、頼りになる人を知っていました。 つづく



2004年09月10日(金) 『知って安心 お産の知恵袋―助産婦さんのアドバイス65話』

 「読書日記」で、本書を紹介しましたが、とてもいいことが書いてあったので、こちらに抜き書きしておきます。
妻が先に読み、ぼくも読むといいよ、と言っていたのですが、たしかに読んでよかったと思います。今まで考えてきたことが、再確認できました。

「妊婦が自然分娩を望むのであれば、妊娠中の生活がとても大切になります。正常なお産をするには、妊娠中毒症などの予防がなによりも大切です。リスクの高い分だけ自己管理をしっかり行う。それができてお産にのぞむのでれば、私たち助産師はそのお手伝いをさせていただくわけです。」
 自己管理のためには、夫の協力が重要です。一緒に体重を計り、食生活と運動の計画を立て、一緒に散歩をするなど、できることはたくさんあります。
 基本的には、他人に頼らないお産をする、という緊張感が日々の生活を律し、結果としてそれがさらなる安産につながるのでしょう。

「私が考える安産の原則の第一は、『自分の身体の変化に敏感になって変調や異常に気がつくこと』です。身体を冷やさない、妊娠中毒にならない、逆子にしないなど、さまざまなことがいわれていますが、すべて『自分の身体の変化を自分で気づくこと』が安産への第一歩です。」
 これは、上記の自己管理の精神面と言えるでしょう。

「自宅での出産のデメリットは、産婦が働きすぎるという点です。(中略)前もって『自宅に入院するつもりで働きすぎないように』といっておきます。(中略)メリットは、何よりも妊婦さんの精神的安定、快適さでしょう。」
 このデメリットについては、驚かれる方がいるかもしれません。出産に異常があった場合のリスクが、自宅出産のデメリットではないのです。助産婦さんも専門家ですから、診察中に異常があれば医療機関へ行くことを進めるでしょうし、当日、安産を迎えられるための準備については、妊婦とその家族とたくさん話しあいます。
 このデメリットは、産婦に働かせなければなくせることであり、これはすごいことです。なぜなら、家族の努力によって解決できるからです。そのためには、夫の育児休業中もあるていどの給与が国によって補償されるなどの仕組みができればいいのですが。今でも、頑張れば不可能ではありません。
 メリットに関しては、そのとおりです。



2004年09月09日(木) 一度目の自宅出産のこと その2

 8月31日の日記の続きです。

 以前、北海道新聞にコラムを書かせていただいていたときがあり、2001年6月21日に、次のような文章を書きました。今読みなおしても、臨場感があるので、一部改変の上、採録します。


 2人目の子どもは、自宅で産むことにした。妻が最も落ちつける環境だからだ。出産予定日までは一週間あったので、ぼくたちはすっかり油断していた。その日は、庭の花だんのさくをつけていた。すると妻は、おなかが張ると言う。早々に切りあげて夕食を食べている最中に、痛みがやってきて、横になった。計ると七、八分間隔で痛みがきていた。陣痛だろうか。
 だが、上の子を産んだときは、「おしるし」と呼ばれる出血があってから陣痛がきた。今回はおしるしがないので、そのまま一時間ほど様子を見てしまった。状況は変わらず、小樽に住むかかりつけの助産婦さんに電話をした。戦中から助産婦だったという大ベテランだ。すると、「のんきだねえ。まにあわなかったら、どうするの。張りを感じたときにすぐ連絡くれたらよかったのに。おしるしなんてあてになりません」と怒られた。
 急いで、娘と犬を乗せて車をとばして迎えに行った。助産婦さんはマンションの七階に住んでいるのだが、すでに一階の玄関で身支度を整えて待っていてくれた。「経産婦は、陣痛から生まれるまでが早いのです。まにあうといいですけど」。たった1人で妻は、子どもを産んでいるかもしれない。ぼくはこの上なく不安になった。ほとんど無言で車を走らせた。
 家につくと台所にあかりがついていて、妻は立って皿を洗っていた。まだだったのだ。よかった。だが、ここからが本番だ。まず、助産婦さんは言った。「脱脂綿はどこ?」。そんなものは用意していなかった。何も特別な準備はいらない、と言われていたので、その言葉をうのみにしていた。ぼくは、日曜の夜九時に、薬屋さんに無理を言って売ってもらった。家に戻ると、新生児を迎える準備がすっかりできていた。妻は陣痛をこらえながら、子どもの服、おむつ、タオル、ベビーベッドの代わりの乳母車、ベビーバスの代わりの衣装ケースなどをきちんと並べていた。
 二歳の娘はすでに眠っていた。しかし、出産が進行し、妻が声を張りあげると目を覚まし、立ちあうことになった。娘は、当初、ぼくにぴったりくっついていたが、しまいには妻の頭をなでて応援した。一時間半、妻は頑張った。そして、男の子が生まれた。「赤ちゃん生まれたねー」と娘はうれしそうに言った。
 山にコブシの白い花が咲いているのを、妻が見つけた日のことだった。


 ここからは、現在のお話です。たこ好きの妻のリクエストもあって、たこめしというものを作りました。しかし、作りすぎて大量に余ってしまいました。翌朝とお昼にも食べようと思ったのですが、朝は時間がなく、昼は一度帰宅して食べるつもりが台風のせいで帰れなくなってしまいました。
 家に1人残された妻は、このままではいけないと果敢にも昼に食べたのだそうです。その晩、まだまだ大量に残ったたこめしを、お好み焼きにリニューアルして食べることにしました。が、まだ頭痛の残るつわり中の妻と、病み上がりの娘、3歳の幼児に、少々怪しくなってきたこのたこめしを食べさせていいものだろうか、と思いました。
 たしかにもったいないのですが、ぼくの失敗をごまかすために、家族に食中毒を起こすようなことはしてはいけない、あやまちはあやまちとして、その痛みをこの身に引き受けなければならないのではないだろうか、と悩み、お好み焼きは普通に作り、たこめしは捨てることにしました。お好み焼きは人気でした。
 しかし、ご飯を捨てるなんて。なんということをしてしまったのでしょうか。この反省を次に生かしたいと思っています。ごめんなさい。
 ちなみにぼくは、「水田農業課」で働いています。かさねがさねごめんなさい。もうしません。



2004年09月08日(水) つわりのときに夫にできること

 つわりは病気ではない。がまんするしかない。確かにそうなのだろうけれど、苦しんでいる本人にそんなことを言っても何の救いにもならないので、ぼくは、せめて、足の裏を木の棒で押してあげることにしています。

 『症例別足もみ療法』(鈴木裕一郎/日東書院 1260円)1999年、という本には、体調を整える基本的な押し方と、頭痛、便秘などの症例別のやり方が解説されています。薬の飲めない妊婦にはこのくらいしかできないのですが、あるていどは効果があるようです。
 ドイツのストローバーという健康靴メーカーがあり、妻もぼくも愛用しています。デパートのストローバー売り場に、本書が置いてありました。著者はシューフィッターであり、本書の中でストローバーも紹介されており、ぼくたちはその売り場でご本人に会ったこともあります。
 ストローバーは、今まで合う靴がなかった妻も、ぼくも、今では他の靴をはくことはなく、室内でもサンダルを愛用しています。足の裏のツボがほどよく刺激され、履いていないと気持ちが悪くなるほどです。その経験があったので、足もみを試してみる気になったのです。

 妻の持病の偏頭痛が出て、娘は39度ちかい熱を出し、仕事を休むことにしました。頭痛は冷やすのがよいというので、薬屋で氷嚢を買ってきました。氷嚢というものの実物を初めて見ました。
 娘は一日中眠り続け熱は下がったのですが、妻の頭痛は波のように強弱をつけながらも、続いています。早く良くなるといいと思いながら、足をもみましたが、まだ、苦しんでいます。



2004年09月06日(月) 忙しい日々

 つわりが続いているので、ぼくが家事いっさいをとりしきっています。そのため、忙しい毎日です。
 朝6時に起き、米をとぎ、ゴミを出して、犬の散歩に行き、犬にエサをやり、洗濯機をまわして、簡単に掃除をして、子どもたちを起こし、着替えをさせ、朝ごはんを作り、弁当を作り、洗濯物を干し、保育園の支度をし、妻が飲めるようポットにお茶を入れておき、朝ごはんの片づけをし、娘の髪を慣れないながらも三つ編みにし、子どもたちを保育園に送ります。ああ、ワイシャツにアイロンをかけていませんでした。もう時間がないので、しわの少ないのを選んで着ていくことにします。
 保育園に行く途中に娘にききました。
「どうして、あまり、朝ごはんを食べなかったの?」
「だって、毎日、おにぎりなんだもん。しかも、おかかばっかり」
「ごめんね。何がいいの?」
「オムライス」
「ちょっと、それはたいへんだけど、明日はおにぎりじゃないものにするね」

 保育園で子どもたちにばいばいをし、職場に向かいます。9時に出勤すると、ここでやっと一息つけます。夕方、帰りがけに買い物をし、保育園に子どもを迎えに行き、家に帰り、みんなでお茶の時間にし、夕食の支度をし、子どもたちと犬の散歩に行き、子どもたちをお風呂に入れ、ハミガキをさせ、寝る前お話をし、寝かしつけ、思わず一緒に眠ってしまいそうになりながらも何とか起き出し、妻の足の裏を押し(これについては後日書きます)、妻と話をし、夕食の片づけをし、これで夜11時半。夜中は子どもたちをおしっこに行かせたり、おむつをかえたり、おなかが痛くなった妻の足の裏を押したりします。
 職場で
「テレビでオリンピック、観てる?」ときかれました。
「観てません」
「読書三昧ですか」
「いえ、家事と育児三昧です」とこたえましたが、ピンとこないようでした。



2004年09月04日(土) つわりのときの食事のとりかた

 ものの本には、おなかがすいたときにすぐつまめるものを用意すること、なんて書いてあります。妻も、突然おなかがすくので、せんべいとか、クッキーとか、おにぎりとかを常備しておくようにしました。
 今日は、夕方の4時頃におなかがすいたものの、もうすぐぼくが帰ってくるのでそれまでがまんして、一緒にお茶の時間にしようと思ったそうです。はたしてぼくが帰宅してお茶をいれると、とてもおなかがすいていたようで、おまんじゅうを2個食べ、それからパウンドケーキを2切れ食べてしまいました。途中でとめようとしましたが
「だって食べたいんだもん」と言われてしまいました。
 動物は、飢餓状態が続いたあとは、本能的に大量の食物を摂取しようとするのだと読んだことがあると、妻は言いました。
 だから、こまめに食べて、短時間に食べ過ぎないようにしなければならないのでしょう。夕食後、妻はおなかが少し痛くなってしまいました。

 自宅出産をしようとするならば、自分で体調、特に体重を管理しなければなりません。努力してできるだけ、安産に向かっていくのです。経験上、そういうことを妻はよくわかっています。ぼくも、わかっていなければなりません。
 だから、太りすぎないように、がんばろう。こまめな食事で。



2004年09月03日(金) 再び小樽の助産婦さんに電話をかけました

 高い体温が続いてどうやら妊娠したらしいということがわかりました。そこで、小樽の助産婦さんに電話をかけました。長男が生まれてからも、年賀状のやりとりを続けていました。
「林です。3年前に息子の出産でお世話になりました」
と言うと、
「あー、林さん。わかりますよ。大きくなったでしょう」
「はい。3歳になりました。実はですね、妻が妊娠しまして、またお願いできないかと思って、お電話したのです」
「あー、林さん、今、札幌でしょう」
「はい。遠いですか」
「いえ、そうじゃなくて、小樽と札幌の助産婦会が別れたんです。だから、私が札幌に行ってやると、札幌の助産婦会に悪いのでできません。産まれたとき、届け出を出すとわかってしまうんです。」
「そうなんですか。妻は、またぜひ、お願いしたいと言っているんですが」
「それは、悪くてできません。札幌の助産婦にお願いしてください」
「そうですか。わかりました。誰か、札幌の助産婦さんをご存知ありませんか」
「私も年だから、知りあいといっても引退した人ばかりだからねえ」
「そうですか」
「すみませんねえ」
「いえいえ、札幌で探してみますので」

 ぼくたちは、お元気ならば、また力になってもらえると思っていました。そのような事情があるとは、ちっとも知りませんでした。
 妻に電話の内容を伝えると、困ったような顔をしました。
「もう一度、お願いしてみようか」
「それはできないよ。産まれる頃に、小樽にマンションを借りようか。里帰り出産だと思って」
「うん。それもありかもしれないけど、札幌の助産婦さんも探してみるよ。電話帳とか、インターネットとかで、自宅出産をやってくれる人を」
 こうして、ぼくたちの助産婦さん探しは、ふりだしに戻ったのでした。



2004年09月01日(水) つわりのときに食べるもの

 妻は、今、3か月の3週目でつわりのまっさいちゅうです。うちでは、ぼくがご飯を作っているので、今はとにかく妻が食べられるものを用意します。米を炊くにおいがだめだと言うので、みんなでそうめんばかり食べたり、突然スパイシーなフライドチキンが食べたいというので鶏肉を買ったものの、帰ってから作っていてはその欲求に間に合いそうもないので、同時にできあいのチキンを買って帰ったりしていました。米が食べられないと聞いて、中国人の友人は、週末に餃子や肉まんをつくりに来てくれています。

 今日は、天ぷらが食べたいというので、ありあわせの材料を天ぷらにしました。さつまいも、かぼちゃ、鶏胸肉、オクラ。それからきわめて安かった鮭のアラでお味噌汁。少々くどいかなとも思いましたが、ぺろりと食べてくれました。なんだか暑くなってきたのでと言い、それからプチトマトを食べていました。

 しかも、おかげで子どもたちは、大好きなおいもの天ぷらが食べられて大喜びでした。最近は、玄米を食べていたのですが、これも妻のリクエストで、今日、近所の米屋で精米してもらったので、しばらくぶりの白米を炊きました。 これにも子どもたちは大喜びでした。おいしいものが家族のみんなも食べられて、妊婦さまさまです。


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