木津未来会議の日記
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新聞紙上で知った会長逮捕。市議事情聴取。 現在副会長が会長代理を努めているとか。
農業委員会は、競売物件などについての地目を判断する役目があり、売買にあたって、その地目がもたらす影響が大ということが今回の件でよくわかった。公職を利用して、私服を肥やすそんな行為があったとしたら、それは許せることではない。
旧山城町議、すなわち現市議が事情聴取されたその内容は、容疑者と一緒に土地の確認に立ちあった時の様子を聞かれたらしい。山城町農業委員会副会長であったから、かかわりを調査されても当然という感じもする。
議会の議決は慎重に考えるべきというのが、今回のことでよくわかったはず。 議会推薦の農業委員を否決したその候補者だった。議員からの選出を控えるとの申し合わせを反故にしても、その地位に固執されたことに、疑問を覚えたのは、私だけではなかった。だから否決できたのだが・・。
あとは、警察・検察に委ねて、きっちりと調査してもらいたいものだ。 当然委員をどうするかにも関わってくる話。 それにしても、地域審議会会長をはじめ、複数の委員会委員に市長が委嘱していることとあわせ、今後きっちりと対応しなければならないと思っている。
2008年01月30日(水) |
研修をどうとらえているの? |
千葉県銚子市の議会だより編集委員5人と事務局員1人が研修に見えた。 昨年秋にも、長野県諏訪市の委員が研修に来られたこともあったので、2度目。木津川市議会だより編集委員8人が全員参加した。
木津町議会だよりが表彰を受けた経緯があるので、視察先として選ばれたらしい。
自分のまちの議会だよりをよくしたいと研修することは、否定するものではないが、話しているうちに委員の本音が見えてきた。京都見物、物見遊山を交えての視察は、もうごめんというのが正直な感想だった。
木津川市の議会だより編集委員会では、 市議会は、町村と比較すると事務局作成のものが多く、委員研修にあまり意味がないとのことで、現時点では視察を見合わせている。
3町の議会だよりを継承しつつ、新たな歴史を作っていくスタートの年であり、研修を受けること自体もためらったが、委員双方が意見交換をして研修するとのことで今回2度目を受けたが、 職員がすべて作成している、委員会は発行15日前に1回のみ、急激な改革は難しいとかなんとか。
できない理由を探しだしたら、改革はできない。
そんな思いを強く感じた銚子市の委員との時間であった。 他市のことながら、委員会視察全般があのようなら、住民はたまったものではないと思った。
2008年01月28日(月) |
木津川市議を聴取の記事が・・・ |
夕刻、ニュースを見たと言う住民の方から電話をいただいた。 私は、今日午後総務課で情報公開請求などをして、その後あちこちをうろうろしてから帰宅したから、TV見ていなかった。
京都新聞HPで検索したら、なんと・
木津川市議を聴取 京都府警、競売入札妨害の疑い 京都府警組織犯罪対策二課などは28日朝、競売入札妨害の疑いで、木津川市議(68)の聴取を始めた。競売入札の経緯などについて慎重に調べている。 府警によると、市議は数年前、経営する会社の不動産を差し押さえられて競売にかけられた際、土地を農地と偽った疑いが持たれている。土地は雑種地だったが、農地にすると購入者が限られることから、市議が自分の土地を買われないようにするために土地の用途を偽ったとみて、当時の経緯を追及している。 市議は旧山城町の町議を経て、木津川市への合併により昨年4月から市議を務めている。
とあった。 この市議は、誰?農地転用の問題にとどまる話なのかな? 注視しなくてはならない問題であることは必須。
2008年01月19日(土) |
肝炎ウィルス検査を受けましょう |
人事ではない。そんな出来事。それも自分が知らない間に、信頼する病院でおきたとなるとホント憤りを感じる。そんな思いでこの間、ニュースをみていた。血液製剤による肝炎などへの感染のこと。 薬害肝炎救済法成立に拍手を送りながら。
出産や手術の際に投与されたフィブリノゲン製剤・非加熱血液凝固因子製剤により、肝炎ウィルスに感染している可能性が高いというもの。
実は私も第1子を出産したときに、投与された可能性がある。以前病院名が公表されたとき、すぐ保健所で検査を受けた。結果は−だった。検査結果がでるまで落ち着かなかったっけ。私はそこで終えてしまったけれどと、この間の闘いを見てわが身を振り返り申し訳ない気持ちが湧く。
新聞折り込みに入っていた「検査をお受けください」。病院名や相談窓口が示してある。 可能性のある方は、ぜひ、検査を受けてください。
いつものようにカレンダーが進み、今日を迎える。 私にとって忘れられない友との別れの日。
同郷の友を震災で亡くした。毎年年賀状をやりとりし、「会いたいね」を交わしていた友。13年前は17日になっても届かないのが気になっていた。
そしてあの震災。3人の幼子とともに、自宅の崩壊で命を落とした。
家族みんなで訪れた芦屋の自宅マンションのあの光景。今でも脳裏に焼きついている。2階がそのまま1階を押しつぶしていた。 ベランダには、さっきまではいていたかのようにきちんとぬがれた幼子の無傷の運動靴。その横には、ぺっしゃんこになった洗濯機が見えていた。
震災の2日後、彼女から届いた年賀状。 「今年こそ、鳥取で会いたいね。」 涙が止まらない私を心配して、その日の夕食は小二の息子が作ってくれたハンバーグだった。
年月が経っても、忘れてはいけない出来事。
全国あちこちで成人のお祝いが行われた。
懐かしい友との再会を喜び、恩師はすっかり大人になった新成人に感嘆の声をあげ、名前で呼ぶ。そんな光景は毎年の風景。 振袖・羽織袴の若者たちで埋め尽くされた会場は、華やか。
行政が成人式をするようになったのはいつから?何のためにだったのかな?と式中の新成人の様子を見つつ、思いを馳せる。
そういえば、、破綻した夕張市の成人式。昨年大きく取り上げられていた。予算もない中、自分たちで計画しようと。 全国からの物心両面の支援を受けての手作りの式が映し出されて結構感激した私だった。
さて、今年の木津川市。 途中何度も声をかけ注意したくなる気持ちを抑えるのに必死だった。 何年か前小学校での入学式での出来事を思い出した。 親同士が、カメラの位置をめぐって、式の真っ最中にけんかを始めた場面だった。参列していた私は、我慢しきれず、「子どもたちの式をめちゃくちゃにしないでください。」って静止したことがあったっけ。 20歳の主役たち。 自分の行く道は考えた分だけ、すすむんじゃあないかなって心の中で言うのが精一杯の私は、まだまだだな。
2008年01月13日(日) |
今日の子どもとの会話から |
夕食の時間の会話。
「幼いころから、オロナミンC好きだったんやで〜。」 「覚えているわあ。」 「おいしい!!ってポーズしてたんやでぇ。」 「ぇぇー。今のお兄ちゃんから想像できない〜} など。
そして、 「オロナミンって最初の頃、アルコールが含まれていたんだって。」 「そうなん。」 「アルコールっていえば、この前、飲酒検問にあってん。アルコール飲んでないけど、にんにくくさくてすみませんって言って息吹きかけたよ。」 「そういえば、飲酒運転の裁判でたんだ。3人の子どもが亡くなった地裁判決結果。どう思う?」 「危険運転でないって、あんだけ飲んだのに変だよ。」 などなど。3人の子どもとの会話も多岐にわたるようになった。
私と子どもとの会話は、それからも続いた。
年末から年始にかけて、長あ〜い冬眠生活?とご心配をおかけした皆様ごめんなさい。 かかえている宿題の重さにつぶされそうに・・。 宿題も何とか山を超えそうで、 会員であるむ・しネット通信に載せる原稿で2008年のご挨拶にかえますね。
「国会では、57年ぶり再議決で給油新法が成立。民意を代弁する議会はどこに?との疑問が私の中にまたまた浮上する。地方議会とて同じ。昨年の選挙を経、市議2年目に突入する今年。議会の中にいても、いえいるからこそ、市民の常識を議会に持ち込み、闘い続ける。政務調査費訴訟もある。追求した一般質問もそのままにしたくない、追い続けていきたい。リビングが資料の山積みになる日もそう遠くなさそうだ。子どもたち、堪忍。」
木津未来会議
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