みずきの日記

2005年04月30日(土)

WJ、次号のデスノが挙がってたので見せて貰いました。
とうとう月死亡か・・・。
悲しいような、最後はあっけなかったような感じです。
でもリュークの行動はOKなのか?
最後まで見届けないといけないのでは、とも思いますが商業誌的にはやはり月のような大量殺人者を最終的な勝者にする事はできないんだろうな。

次はどうなるのか。
また新たなノート使用者が出てくるのか、それとも終わってしまうのか。
終わるのは寂しいけど、月がいないんじゃツマラナイ。
色々予想も出ていたけど、最終回or今後どうなるか。



2005年04月11日(月) 改めて土・日の旅行

改めて土・日の旅行を。

4/9,10で親戚の還暦他お祝いの為、旅行に行きました。

9日(土)AM9:00 出発予定でしたが、いつものように遅刻者がいて10分遅れで出発。 マイクロバス+プリウス1台での行動。
バスの親父連中は出発と同時にビールを飲み始め、旅行の間中飲みっぱなし。 いつもは何もしないのに、こんな時はビールはもちろん焼酎おつまみを自分達で準備し、お湯を入れたポットまで持ち込みました。
旅館に着くまでに弟が買って来ていた赤霧島はカラでした。

土曜日の観光は、臼杵の石仏と竹田の岡城跡。
石仏観光は階段が結構あり、最後は願い事を書いてお願いしてきました。
後で『生涯幸福』と書けば良かった、と言ったら従兄弟と弟から「もっと具体的に書かないと、仏様からしたら『日々の食事に困らず、健康だったら幸せ』とか取らせそうだからダメじゃん」みたいな事をいわれました。
やっぱりこの二人考え方が似てる。

もう一ヶ所の岡城跡はキツかった。 
駐車場から4〜5百メートルぐらい歩くとお城跡へ上がる坂、というか階
段? 所々に石が埋め込みされていて登るに意外と疲れた。 その後は階段。段差が割と高めで膝上の筋肉が痛くなった。 日ごろの運動不足がよく分かりました。 てっぺんに上がると、本丸・西の丸を始め時間のある限り登って見ました。 周りに柵など全然なく、いいのかなぁと思うけど景色は最高。 桜も満開でイイ感じでした。 しかしカメラをバスに置いたままだったので、写真がない・・・。

予定時間を大幅に過ぎて宝泉寺温泉へ向かう。
到着までの道中、ホントにココ国道?というような道を通り、宝泉寺温泉郷の案内があってホッとしたのつかの間、旅館が2〜3軒あっただけでまた何もない山道。 みんなが不安になった頃、【宝泉温泉へようこそ】な看板があって、そこからが温泉街でした。

やっと旅館に到着。
食事を19:30に変更して頂き、その前に温泉へ。
ちょっと温度が高めでしたが、温泉の質も良く良かったです。
そして食事がスゴク良かったです。
鍋と鉄板焼き、両方があるのって珍しい。 品数も多く、量もあり美味しかったです。 仲居さんも時間が遅くなったにも関わらず、とてあ対応が良かったです。
温泉は2パターンのお風呂があり時間で入れかえ。
私達の到着が遅かったので、それに合わせて入れ替えをして頂きました。
おかげでどっちも入れた。 入れ替え後のお風呂は、洞窟があり階段を上がると露天風呂。 露天の温度が丁度イイ温度だったので、そこでまったりしてました。 

夜も暑かったらしく、2回も目が覚めてちょっと寝不足気味に起床。
温泉に行くと朝からお風呂に入るので、露天でゆっくりしてちゃんと目もさめました。
朝食も多かった。 いつもならこんなに食べないだろう、という量も何故か旅行中は食べてしまう。 山芋の茶碗蒸しが美味しかった。

二日目の観光は昭和村。 昭和30年代の町並みと昔の車や製品が置いてある資料館。 親達の方が楽しんでました。
洗濯機が3台、年代順に並べられ初めて手動の洗濯機を見た。
駄菓子屋もあり、ついつい買っちゃう。
外の町に出ると昔の学校給食が食べられるお店なんかもあり、色んな所で引っかかる。

昼食は昭和村から車で5分ぐらいの所にあるお店でした。
古民家風な造りで、ギャラリー併設。 手作りのアクセサリーや焼き物とかがあり食事も美味しかった。
周りは民家しかないので、もう一度行きたくても難しいかも。

後は帰るだけ。 
楽しい旅行だったけど、今回のバスは小さかったせいもあり疲れました。
ここ4〜5年、毎年のようにあったお祝い事も次は2年間が空きます。
次の時にも独身参加だったらイヤだなぁ。
 



2005年04月10日(日) 旅行

もう少しで書き終わる、という所で文章全部消えてしまいました。
今日はもう一度書き直す気力がないので、また明日。


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