りえるの日記

2008年04月28日(月) Partir

「今これを書いているとき、雨が降っている。瓦に雨の音がして
無数の雨樋が切れ目なく歌っている。空気が洗われて
まるでろ過されたみたいだ。雲は切れ切れになった華麗な
衣装のようだ。こういう美しさがわかるようにならなければならない」
(アラン)

アランはデカルト「情念論」を美しい物語だと絶賛している。

プラトン「国家」も読みたい。

毎日30分はフランス語ラジオを聞いている。
ナチュラルスピードだからなかなか全部の理解は難しい。
世界を舞台に活躍する友人と話していて、
英語で世界と戦おうとしたら、現地で3年はかかったと。
1年そこらの留学で、世界に通じる英語は話せるわけないし、
旅行英語にすぎない。
経験者のみ語る重い言葉。
自分の中に芯になる分野がなければ語学は上達しない。
彼と話していると、壮大な自尊心に私までも
押しつぶされるような感覚に陥る。
そして、科学者の目を通しての人生の諦観。

希望があるから不安がある。

悲しみを考えるのはやさしい。
幸福になることこそ難しい。
幸福は待っていてはこない。
行動する

ルネ・シャールは言った。
行為は処女である。繰り返されても。
L'acte est vierege,meme repete.

まずは一歩から始めよう。



2008年04月27日(日) 幸福論

電車でアラン「幸福論」を読んでいて、
最初は性善説すぎて退屈だったが、
段々心の筋肉が解きほぐされてくるのを感じる。
アランは常に前向き。
心の持ち方は大事だと思わせる作品。

文章で時々でてくるデカルト「情念論」
積読本なっていたので、再読してみよう。

「昼顔」をBGM代わりに見る
やはり、ブニュエルは面白い



2008年04月24日(木) アラン

最近、デガダンス的な作品が多く、澄んだ文章を読みたくなったので、
「幸福論」アラン、「銀の匙」中 勘助 を購入

アランの「PROPOS Sur le BONHEURE」は、
「哲学を文学に、文学を哲学に」変えようとする文章で
「フランス散文の傑作」と評されるそうだ。
いつか原文で読んでみたい



2008年04月19日(土) 余韻の原因

フランス名詩選は仏語を習い始めたときの
私の愛読書だった。

久しぶりに解説を読んでみる
安藤元雄氏。
ここで、エリュアールの余韻の心地よさの原因が分かる。

「フランス詩を一望すると「知識の土壌」とでもよぶべき
ものに気づく。甘美な叙情を歌いあげるときでも、悲痛な絶望を
表白するときでも、詩人は規則的な前提条件とでも
いうように、冷静な知的操作を行うことを忘れていない。
それが、どんな混沌をも見透かす明晰さとなって、
彼らの言語表現を支えている。
人生知でもなければ、経験の蓄積ではない

エリュアールの自由
この詩は、政治的自由、圧迫からの自由と読まれてきたが
彼自身が語っているところでは、この詩は、恋する少年が
相手の少女の名をいたるところに書きしるす場合のように
読まれてよいということだった。

自由とは、アナーキーな、人が生まれながらにもつ
生への希求。
少年、高齢の読者であれ、生というものの奥行きを再発見させる
そのために、この詩はいくつもの詩節を繰り返す。
こういう表現意図のなかに、精神風土全体の、知的な側面が
垣間見える。」


流石、安藤元雄。
計算された繰り返しにより、生への希求を感じ
心に響くのだろう。



2008年04月18日(金) 自由

私の最近の好きな詩は、ポール・エリュアール

Liberte という長い詩がある。
最後のページが好き。

Sur l'absence sans desir
Sur la solitude nue
Sur les marches de la mort
J'ecris ton nom

望んでもない不在の上
むきだしになった孤独の上
死神の歩みの上に
君の名を書く

Sur la sante revenue
Sur le risque disparu
Sur l'espoir sans souvenir
J'ecris ton nom

立ち戻った健康の上
消えうせた危険の上
思い出のない希望の上に
君の名を書く

Et par le pouvoir d'un mot
Je recommence ma vie
Je suis ne pour te connaitre
Pour te nommer

Liberte

一つの言葉の力によって
僕の人生は再び始まる
僕が生まれたのは 君と知り合うため
君を名ざすためだった

自由 と


最後まで読むと、余韻が残るいい詩だと思う。



2008年04月17日(木) 中身

「山猫」トマージ・ディ・ランペドゥーサ
を読み始める。ヴィスコンティの映画の理解を深めて
くれる重厚な文章。

なぜ、この小説が心に響くのか。
解説が見事に語ってくれる

「この作品の魅力の背後には、死という陰があればこそ生は
光り輝き、色鮮やかな本質を浮き彫りにする。という
人生の奥深い真実が潜んでいるのである。
どの章であれ、自然風景、庭園、家具調度、衣装、飲食物
そして、美男美女の姿態を描くとき、彼の筆は見事に冴え
わたっている。
彼の死に対する鋭い感受性と深い思念の働き。
だからこそ人も事物も、限りなく哀切で愛おしい姿を顕す」

そして、

山猫は仏語訳でまず出版され、今回は伊語からの翻訳で
イタリアのある雑誌では山猫は1位になるくらい
人気のある作品らしいと、

友達に言うと
解説を100%信じるのは馬鹿だみたいな事を言われ
さらに上乗せは、「プライスレス」という映画を見て
中身がないというと、中身がないとはいったいどういうことだと
つめよられた。

感覚で生きている私にとっては痛い言葉。

中身とは単なる引用の羅列にすぎないマスタベーション的な
芸術にすぎないのではないかと
少し、自分に対して反省を感じた一日



2008年04月03日(木) ルネ・シャール

行為は処女である。繰り返されても。
L'acte est vierege,meme repete.

行動することから全てが始まり、常に新しい喜びがある。

これはルネ・シャールというフランス詩人の
「眠りの神のノート」feuillets d’Hypnons
アルベール・カミュに の引用

永遠という言葉を口にする愚かな生き物女性に
一言送る言葉は、

永遠は人生よりもそんなに長くない
L'eternite n'est guere plus longue que la vie.

これもルネ・シャール。

言葉は偉大な生き物。



2008年04月02日(水) 冷たい水の中の小さな太陽

サガンでポール・エリュアールの詩が好きになった。
「冷たい水の中の小さな太陽」でもエリュアールの詩が
使われている。
フランス語で読むと、もっと素敵だろう。

未知の彼女はぼくのいちばん好きなかたち、
 人間であることの悩みからぼくを解放してくれたひと、
 ぼくは彼女を見、それから見失う、そして
 ぼくはぼくの苦しみを甘受する、
 冷たい水の中の小さな太陽のように。

ポール・エリュアール  朝吹三吉訳



2008年04月01日(火) 君はバロック

この1週間は気ぜわしく過ごした。
それを象徴するかのように、本も乱読
ラディゲ「肉体の悪魔」マンディアルグ「オートバイ」
三島「殉教」。

マンディアルグは、棺の中の薔薇園のエロスあるいは
ゴシック建築のエロスの様な、非常に細部の豪奢な
ディテールが素晴らしい作家だと思う。

そういえば、建築家黒川紀章氏が妻若尾文子に
「君はバロックだ」と言った言葉は洒落ていると思う。


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