2008年03月20日(木) |
哀しい TRISTE |
大人に分かる会話を茶化さずにきちんと話せる人を 見つけるのは至難の業だと思う。
問いかけと答えの姿勢と、漂う落ち着いた空気感 言葉を考える。 それを知っている人の劣らぬ美しさには、 ひれ伏さざるをえない。
友人が最近、フランス語を勉強し始めた。 triste 哀しい を覚えたと喜んでいた。
TRISTEといって、思い浮かぶのは、 サガン「悲しみよこんにちは」で最初に引用されている ポール・エリュアールの詩。
(La vie immediate) 直接の生命
Adieu tristess Bonjour tristesse Tu es inscrite dans les ligens du plafond Tu es inscrire dans les yeux que j'aime Tu n'es pas tout a fait la misere Car les levres les plus pauvres te denoncent Par un sourire Bonjour tristesse Amour des corps aimables Puissance de l'amour Dont l'amabilite surgit Comme un monstre sans corps Tete desappointee Tristesse beau visage
悲しみよ さようなら 悲しみよ こんにちは 天井のすじの中にもお前は刻みこまれている わたしの愛する目の中にもお前は刻みこまれている お前はみじめさとはどこかちがう なぜなら いちばん 貧しい唇さえも ほほ笑みの中に お前を現わす 悲しみよ こんにちは 欲情をそそる肉体同士の愛 愛のつよさ からだのない怪物のように 誘惑がわきあがる 希望に裏切られた顔 悲しみ 美しい顔よ
芸術家と科学者の違いは、なんであろうかと 考えると、舞台で演じられるかどうか。 芸術家は、その瞬間は冷静さを忘れ、人生の甘美なひと時に 没頭できるのだと思う。
私はどちらかといえば、冷静で自分の感情を表現しない方だが、 もしかすると自尊心を少し忘れて、オペラのアリアのように 舞台で演じることが必要ではないかと最近、思う。 ここで重要なのは、没頭しすぎることなく。 情熱溢れる恋が死で終焉となるのは、小説の世界では素晴らしいこと かもしれないが、死を選ぶのは完全なる醜悪な自己満足だと思う。 醜悪こそ、エロスともいうが。
仄かな光をたやすことなく、蝋燭の炎を心に持ち続けることが 選ばれた大人の付き合いのような気がする。
「ジブシーキャラバン」という映画を見た インドのジプシーロマの舞踊が豊穣の色彩に満ち溢れ 素晴らしかった。 三島、谷崎が千一夜やインドに魅せられるのも分かる。 宝石からでる宇宙的な煌きは、人間に幸福と快楽、 幸福の裏側の深淵の世界に誘ってくれる。
ボードレール月間なので、また一つ。
ボードレール 「吸血鬼の変身」 LES METAMORPHOSES DU VAMPIRE
「あたしって、唇もしっとりして、知っているのよ ベットの奥に古臭い良心なんか消してしまう秘術を」
Moi, j'ai la levre humide, et je sais la science De perdre au fond d'un lit l'antique conscience
「私はね、可愛い学者さん、快楽にかけては博士よ」
Je suis, mon cher savant, si docte aux voluptes
「不能な天使も私のために地獄に落ちるほどなのよ」
Les anges impuissants se damneraient pour moi!
素敵。 この様なファムファタールに身を滅ぼしたいという 男性の気持ちはよく分かる。 大理石と氷の世界に住む女王。
最後の地獄におちるという se damner pourは、恋のために身を滅ぼすという 表現。
ボードレールは、フランス語を解すると より世界に浸れると思う。
三島のあとがきで「遺書のつもりで書いた作品」について
「それは言葉である。「言葉」に対しての熱烈な恋文の数々がこれだ」
ボードレール詩の禁断詩篇は素敵。
「あまりにも快活な女に」 A CELLE QUI est TROP GAIE の最後の2連が素晴らしい。 この2連が残虐な血と猥褻を感じさせると判事たちは 考えた。 毒という言葉がメランコリー、憂鬱を意味するのは 刑法学者たちにとっては単純するぎる考えだったのだ 彼らの梅毒的解釈が、彼らの良心のとがめとならんことを!
頭の固い人達こそ、梅毒的であり 鋼鉄のような想像力は失笑する。
「おまえの嬉しげな肉を懲らしめてやりたい おまえの許された乳房をいためつけてやりたい そしておまえの驚いたわき腹に ぱっくり大きな傷をこしらえてやりたい
Pour chatier ta chair joyeuse, Pour meurtir ton sein pardonne Et faire a ton flanc etonne une blessure large et creuse
それから、目もくらむほどの楽しさ! 本物以上にあでやかで美しい この新しくできた唇から、おまえに 私の毒をつぎこんでやりたね、わが妹よ!」
Et vertigineuse douceur! A travers ces levres nouvelles Plus eclatantes et plus belles, T'infuser mon venin,ma soeur!
ルコント「リディキュール」では、ファニー・アルダンが 「私の爪が丸くなったとでも思ってるの?」という 挑発的な言葉があった。
爪はファムファタールの大切な装飾物。
身を飾るものつながりで、三島「宝石売買」は面白かった
「宝石にそれ自身値段などというものはありません。 宝石を手放したら見るかげもなくなってしまう人の宝石は高価でしょう しかし、宝石をつけてもつけなくても若さと美しさで輝いている人の 宝石はお安くしかいただけません。」
そして、片桐が久子の宝石を薬指にはめる姿を見て、久子の胸は高鳴る
「彼の右手の指たちは加勢にきて、燦然たる宝石の泉を翳らし、この 光輝まばゆい黄金の締めで薬指を苛んだので、薬指は 琥珀いろの若い奴隷の体のように、あやしく身悶えしながら締めを 脱れようと試みた。」
物に対する執拗で官能的な描写。 一つのものから、イマジネーションが広がるのは谷崎にもみられる。 谷崎の場合は、物よりも、人の体の一部。 例えば、指、口、耳等。
そして、「LES BIJOUX」のボードレール
Et son bras et sa jambe, et sa cuisse et ses reins Polis comme de l'huile, onduleux comme cygne Passaient devant des mes yeux clairvoyants et sereines Et son ventre et ses seins ,ces grappes de ma vigne
その腕といい脚といい、太ももといい腰といい 油のようになめらかに、白鳥のようにしなやかに 私の晴れ晴れと見開いた目の前を通り過ぎた また その腹やその乳房、私の葡萄のこの房は・・・
視姦の感性をもつ芸術家達。
福永武彦「愛の試み」を読んだ。
人間は孤独であると
「夜われ床にありて我が心の愛する者を たづねしが尋ねたれども得ず」 「雅歌」第3章、1
愛と孤独とは相対的な言葉だが、決してその反対語ではない 愛の中にも孤独があるし、孤独の中にも愛がある 孤独を意識するときに、必然的に愛を求め、愛によって 渇きを潤そうとする。 人は愛があってもなお孤独であるし、愛があるゆえに一層孤独な こともある。 しかし、最も恐るべきなのは、愛のない孤独であり、それは一つの 砂漠というにすぎぬ。
愛が失敗に終わっても、失われた愛を嘆く前に 孤独を充実させて、傷は傷として自己の 力で癒そうとする、そうした力強い意志に貫かれてこそ 人間が運命を切り抜けていくことも可能だと。
孤独を充実し続ける強い意志を持つと自覚すると 心がすっと軽くなる。
「囚われの女」を電車で貪るように読む
翼をもった逃げ去る女だからこそ 欲望は深まる。 相手の到達の距離が遠いほど燃え上がる 娼婦はあった瞬間に到達が容易であり、 道のりを感じられない。
プルーストを読んでいると 自分もマルセルになって相手と自分を分析してしまう。 ボードレールは愛し合うときに口づさむと 官能に満ち溢れる黒豹になった気分になる。 欲望や嫉妬の裏地で作られたマントを着せられても 決して征服はされない 私は逃げ去る女
「悪魔のような女」をフランス語学校でかりてきた 数秒で名作だと分かる 最初はバルベードールヴィイの言葉から始まる
Une peinture est toujours assez morale quand elle est tragique et qu'elle donne l’horreur des choses qu'elle retrace. (絵画は、おそろしい物事を描いても、 悲劇的で戦慄させる絵になり得ていれば つねに十分道徳的である
朝の読書は 三島「家族あわせ」「夜の支度」 この2作品も好き
色あせるもの
数年前、インスパイアされている人が色あせてくる プルースト「囚われの女」でもアルベルチーヌが色あせる姿を マルセルは語る。 惰性の繰り返しが幸福であることは間違いないが それだけでは、世界は広がらない。 新たな半身を求めていないのに、視界にあらたな姿があらわれる。
ボードレールの詩暗誦は A UNE MADONE あるマドンナに
おまえの「服」は、つまりおれの「欲望」さ、ふるえたり 波を打ったり、高まったりするわが「欲望」だ 峰の頂はふらふらと揺れ、谷間ではゆっくりと休み、 白と薔薇いろのおまえの体を接吻で一つでそっくり覆う。
Ta robe, ce sera mon Desir, fremissant Onduleux , mon desir qui monte et qui descend Aux pointes se balances, aux vallons se repose Et revet d'un baiser tout ton corps blanc et rose
白と薔薇色の組み合わせは、囚われの女でもでてくる 女性の皮膚を白のレースにみたて、薔薇色は官能の赤み。 神聖なる淫らさ。 アルベルチーヌが寝ている間、不動なる所有の快楽を貪るマルセル 無意識のアルベチーヌが快楽の表情の逸楽に満ち溢れる表情。 直接的な言葉はないのに、エロスを感じる文章。
「横たわるアルベルチーヌ 私はその眠りの上に船出する」
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