ピアノレッスン。 バッハシンフォニー3番3声。 陰翳を大切に。陰の声を聞きながら。 音楽も人間も、メロディーとなる太陽と影があるからこそ 美しい。 バッハの音楽は限りなく知的な音楽なんだと思う。
三島「近代能楽集」を読んでいると、音読したくなる。 美しい言葉の羅列を聴覚で味わいたい。
帰りに駅前のスーパーに。 仕事とピアノで疲れて、不覚にも欠伸をしてしまったのを アルバイトの店員の男の子に目撃されてしまう。 気をぬくと駄目だ。 まだまだ私も未熟者。 いつも凛としていたいのに。 立ち振る舞いが下品な人が多いなか、 いつも自分のまわりだけでも、知的オーラをだして過ごしたい。
この気持ちって大切だと思う。
「題名のない子守唄」を見る。 「マレーナ」「ニューシネマパラダイス」の監督 ジョッゼッペ・トルナトーレ
逃げ出したい過去の重みの呪縛から逃れられない苦境。 そこに芽生える愛。
苦境の裏側にある小さな愛の幸福。 いや、小さくはない。 体中を暖かい光で包み込む情愛。
この監督は、人間の愛情の尊さを丁寧に描く。 答えはすぐにでない。 何十年後に、出会った人達の心のふれあいを 一挙に走馬灯のように映像化する。
生きるとは、こういうことなのかと 涙がとめどなく流れていく。
三島「近代能楽集」の「卒塔婆小町」を読む。
これは面白い。 泉鏡花を思い出させる不可思議な世界。 こういう作品は好き。 この舞台化は見たい。 能とギリシア古典劇は似ていると解説に書いてある。 どちらも未開拓分野なので、読んでみると 面白いかも。
醜い老婆は詩人に言う。
「私を美しいと云った男はみんな死んじまった。 私を美しいという男は、みんなきっと死ぬんだ」
詩人は深草少将を演じながら老婆の話を聞く。 すると夜の公園は、明治時代の鹿鳴館の美しい庭に変わり、 舞踏会のために着飾った男女が現れる。
醜い老婆はかつての美しい小町となって、 詩人は美しさに魅了される。 九十九夜、九十九年の魔力に包まれて・・・
ラジオ講座の抜粋文学はボヴァリ夫人もあった。
抜粋箇所が私が好きな場面だったのは驚きだ。 シャンパンを初めて飲んでボヴァリーが身震いする場面。
On versa du vin de Champagne a la glace. Emma frissonna de toute sa peau en sentant ce froid dans sa bouche. Elle n'avait jamais vu de grenades ni mange d'ananas. Le sucre en poudre meme lui parut plus blanc et plus fin qu'ailleurs.
切手を探していると、昔のフランス語ラジオ講座の パトリスの文学館の切り取り記事をみつける。 モーパッサン、フローベール等の抜粋。
今、読んでみると、さっと読める。 電車の中で、小さな声で音読しながら通勤する。
モーパッサンの物語は、ロジェ・グルニエと同じように 人間の機微を丁寧におりこんだ作品が多い。
モーパッサン「イス直しの女」
「恋に落ちている人間なんて大概が酔っ払いと同じようなものだ 一度飲んだものはまた飲むというが 一度経験したものは、また恋に落ちないではいられないのだ」
Je vous redondrai que,s'ils n'avaient pas commis cette betise de se suicider,ce qui leur enlevait toute chance de rechute, ils se seraient gueris; ils auraient recommence, et tojours,jusqu'a leur mort naturelle. Il en est des amoureux comme des ivrognes. Qui a bu boira-qui a aime aimera...
香りの記憶。
肌から発する体温と香水が 見事に体に一致すると官能的な香りになる。 自分をよく知っている人ほど 印象的な香りを身にまとっていると思う。
三島「沈める滝」を読んでいると、 彰子を語る、香りの描写がある。 彰子の冷たさと傲慢さと美しさが見事に表現してある。
「優雅で、暗く、澱んだ強烈な甘さの上に、人を反発 させるような金属的な冷たさを装った匂いである。 暗い庭を歩くうちにゆきあたる花のような匂いであり。 しかもいくたびかの雨を浴びて、半ばすがれて、 匂いだけが夜の動かない空気のうちに、漂っていると 謂った感がある。」
三島「サド侯爵夫人」が好きだという人は(私も含め) ボードレールの豪奢と頽廃の言葉が大好きで、 芸術にストーリー性を求めず マスターべション的偏愛芸術嗜好があると思う。
こういう言葉を使うから、訳わからないといわれるのだろう。
「わが友ヒトラー」は、いまいちだった。
「イタリア的恋愛マニュアル」を見た。 かるいラブコメディーで楽しめた。 体中がゆるくなる感じ。こういうのも、時にはいい。
ボードレールを仏語と日本語で読んでいる。 「月の悲しみ」TRISTESSE DE LA LUNE 最後の連が好き
「てのひらのくぼみにその青白い涙を受けて オパールのかけらのように虹いろの光を映すそれを 太陽の目の届かないように心の奥にそっとしまいこむ」
詩は、一行一行、大切に読み 情景を想像しながらゆっくり読む
月の蒼白い光に照らされた美しい女の裸体 まばゆいばかりの白い肌に、そっと接吻されているような 官能的空間 倦怠と憂鬱のオパールの様な虹色の涙を 手に受け取り、心の奥にしまいこんでくれる彼。
ボードレールはイマージュの宝庫の詩人
「ボヴァリー夫人」読了。 心理描写が的確な小説だった。 高校生が読んでも、分らないだろう。 多分、つまらない作品だと批評するんだろう。 フランス小説の恋愛は、大人の香りが充満している。 「危険な関係」ラクロ等 意地悪なエッセンスの罠。
「サド侯爵夫人」三島を読み始める。 こちらは、悪徳の香り。 悪徳は突然現れるものではなく、
「天から授かった広い領土で、どんな意外にみえることに 出会おうと、領土の外からきたものではない。
突如如実に見え、遠い谷間から吹く硫黄の火がみえ 森の中で牙をむき出す獣の赤い口が見え、 自分の世界は広大で、全てが備わっていることを知る。」
25ページ目の悪徳についての語りが素晴らしい。 澁澤「サド侯爵の生涯」を読まなければと思った。
「ボヴァリー夫人」 やはり、面白い。 文章のリズム感がいい。
田舎で育ったボヴァリーが初めて舞踏会に招かれて 氷に冷やされたシャンパンをつがれる。 初めて飲むシャンパンにエマは身震いする。 堕落と情欲の鐘がなるようで、たった一行でも 読者の私も身震いする。
帰りに三島「サド公爵夫人、わが友ヒトラー」購入。
仏検準1級を11月に受験することにした。 ディクテは毎日している。 仏検対策として、大賀先生のフランス語名詞化の構文を 覚えていこう。
「石の微笑」を見に行く。
好きな映画。 愛する彫刻フローラに似ているセンタに出会い、 真面目なフィリップの生活は洞穴の魅惑にはまる。 狂気だと分りながら、魅了される肉欲。 このどろどろした不条理な世界。
ブノワ・マジメルは、「ピアニスト」の時は、まだまだ青い青年だったのに 今は色んな役をこなす。 「ピアニスト」では、エリカ演じるイザベル・ユペールの愛の嘔吐の 洗礼をうけていた。 今回も同じように、ファム・ファタール、センタ(ローラ・スメット)の 魅力に翻弄される。 世の男性で、時々、ファム・ファタールに翻弄されたいという人が いるが、毒婦の怖さをしらない。 毒婦は平然と究極を求める。 男性は情念の蜘蛛の糸に絡まり、生きている実感を味わいたいのだろうか。
センタは言う。
「私を愛しているなら証明して。 木を植えて、詩を書いて、同姓と寝て、 そして誰でもいいから殺して。」
友人にマルチェロの映画についての感想を聞き、笑った。 毒舌家の彼らしいコメント。
マルチェロに次々に登場する証言者たちの中で ひときわ変なおばさんがいて、妖怪みたいだったと。 その化け物がクラウディア・カルディナーレ。 卒倒しそうになったらしい。 映画を見ていた老夫婦が、驚きで囁きあったのも 映画中の会話は射殺するという法律があってもいいと言ってる 彼が、今回は許すと言っていた。 それほど、衝撃。 イタリア女優の変貌ぶりは本当に恐ろしい。 若い頃あんなに綺麗なのに、年をとると醜くなる。
毒舌家の人は好きだ。 胸がすかっとするし、毒舌家の人は、頭の回転が早く 分析能力が優れている。 毒舌の基本は、人を傷付けるのでなく、 笑わせないと駄目だけどね。
三島「音楽」読了。 この作品は、大学時代に読んだ記憶があるが 大人になった今読むと読後の感覚が全然違う。 「マダムエドワルダ」を読んだ後に、「音楽」を読むと 三島がバタイユに傾倒していたのがよく分かる。 昼メロちっくでありながら、奥底には三島の思いが感じられ 読みながら唸ってしまった。 「神聖さと徹底的な猥雑さとは、いずれも「手にふれることが できない」という意味で似ているのであって、麗子がこのとき感じた 比類ない汚辱感が、やがて神聖さの記憶に転化される」
「酒場の女、兄の情婦、あの下品なガラガラ声の女は、そこで ひとりの証人に変貌し、世間のあらゆる禁止と非難と挑発を 代表していた。兄は司祭であり、麗子は無垢な処女の巫女だった そこで行われようとしている神聖なしかし恐ろしい儀式は、兄と 麗子だけでできるものではなく、どうしても過酷な目撃者の目によって 完成されるのだった」
神なき現在の至高性の回復と体験、 人間の肉体、精神の極限の真の冒険の世界。
「音楽」を読んだからには、次は「沈める滝」を読まないといけない。
最後の澁澤の解説は非常に興味深い
「推理小説がいかに面白くても、文学たり得ないのと同断であろう 推理小説にも精神分析にも、最後に必ず解決というものがなければ ならないが、そもそも芸術作品には解決などありはしない」
この言葉はミニシアター系映画を見て、ストーリーがないという人たちに あびせたい。
「作者が近親相姦という古い人類の強迫観念の、「猥雑」と「神聖」の 表裏一体の関係を提示しようと試みたことには、あの汚辱と神聖、 禁止と侵犯の哲学者ジョルジュ・バタイユの理論に影響されることが あったのではあるまいか、と考えられる」
流石、澁澤。解説が素晴らしい。
「不完全な二人」を見に行く。
久しぶりに映画館通い。諏訪敦彦監督作品。 うーん、駄目だろう。これは。 駅、ホテル、カフェで様々語るシーンはあるけれど あまりにも、ヌーベルヴァーグの映画の模倣に過ぎない気がする。 重みがないんだよね。 台詞もいまいち。 私が退屈しているぐらいだから、皆退屈しているんじゃないかな。
映画も中途半端だったので、梅田でふらふらとウインドーショッピング。 相棒から電話があったので、軽く飲み会。 イタリアンバール風のレストランで、スパークリングワインのボトルを あけ、爽やかに別々に帰る。 私は駅に自転車をとめているので、いつも必然的にそうなる。 そういう自由な感覚が心地いい。 自我がつよい二人だと、それぐらいの距離感が長持ちの秘訣かも しれない。
ボヴァーリ夫人読み始める。いいね。数ぺージで手応えがある
どうしてもエナメルの黒の靴が欲しくて 数店回る。 美しい靴は、吸い付くように足に密着する。 そして、値段も一緒に高くなる。 中途半端な靴を数点買うより、 よりすぐりの1点を買う方が最近は好き。 姿勢に自然と品格がでてくる気がする。 いい靴のヒールの足音は、主張せず、 凛とした貴婦人のような存在。
購買欲が増し、シャツも購入。
カフェで「マダムエドワルダ」仏語で読了。 1時間程で貪るように読む。 「恋人までのディスタンス」で、ジュリー・デルピーが 読んでいた本は「マダムエドワルダ」だったらしい。 そういう女性像を描いた監督は、本というディテールで この女性のインテリ度、手強さ、 そして快楽への理解度をあらわしているのだろう。 ある人にとってはかけがえのない存在になりうる予感
神への供犠で、死への快楽を得ていた中世の人達とは違い 現在には神は存在しない。 一体、神なき至高性の体験はいかに行われるか。 そこに登場したのがエドワルダ。 神聖さと猥雑さは、お互いに触れることができない 透明な神々しさを含んでおり、 猥雑さという悪も後に聖なるものへと昇天する。
「マルチェロ・マストロヤンニ 甘い追憶」を見た。 フェリーニはあまり見てないので、マルチェロについては あまり知らないが、魅了された。 軽さと優雅さとバタ臭さ。着こなし、仕草のしなやかさ。 フランス俳優にはないラテンの香りが素敵。 マルチェロを語る周囲の人々の画面に溢れる個性が また魅力の一つ。全身にパーソナリティがみなぎっている。 共演した女優アヌーク・エーメの話す際の独特の空気感と間が 色っぽく、ああいう風に年をとりたい。 「男と女」の映画の彼女の話し方は演技ではなく、 彼女そのものの呼吸だったんだ。 アヌーク・エーメのフランス語は好き。
有島武郎「或る女」を読み始める。 登場人物のキャラクターがしっかりと 書き上げられて、力作。 しかし、三島、谷崎に通じる鳥肌のたつ文章ではない。 読みながら、少し退屈する。 読了はしてないから、判断するには早いが。
痺れる言葉に触れたくなり、ボードレールを フランス語で再読。 数年前は四苦八苦していた言葉が 皮膚に入り込んでいくのが分る。
やはり、ボードレールは言葉の宝庫だ。
LE BALCON
思い出という思い出の母 恋人の中の恋人よ おお、我が楽しみの全て 我が義務の全て 思い返してくれ かわした愛撫の美しさ 暖炉の和やかさ 黄昏の魅惑を 思い出という思い出の母 恋人の中の恋人よ
石炭の火に赤々と照らし出された黄昏時 また 薔薇色の靄につつまれた バルコニーのたそがれどき おまえの胸の柔らかだったこと お前の心が優しかったこと 幾度も幾度も私たちは不滅の事どもを口にした 石炭の火に赤々と照らし出されたたそがれどき
暖かい日暮れに太陽の何と美しいこと 空の何と深いこと 心の何と強いこと お前の方に身をかしげると、恋人の中の女王よ お前の血の香りが匂うかと思ったものだ あたたかい日暮れに太陽の何と美しいこと
夜が壁のように厚みをましていくのだった 私の目は闇の中におまえの瞳のありかを見分け、 私は思えの吐息を呑んだ おお その甘さ 毒の味 そしてお前の両足は私の友愛の中で眠りに落ちた 夜が壁のように厚みをましていくのだった
知っているとも 幸福の刻一刻を呼び出すすべを お前の膝の間にうずくまる過去の私をまた生きるのだ なぜなら おまえのものうい美しさを求めてみても 何になろうか お前の愛しい肉体の外 こんな優しい心の外に 知っているとも 幸福の刻一刻を呼び出すすべを
あの誓い、あの香り あの限りない接吻は よみがえるだろか われらのさぐりのとどかない深い淵から さがら太陽が 底知れぬ海の底で身を洗い清めたあと 日ごとに若返って 空へとのぼれるように おお誓い、おお香り おお限りない接吻よ
Mere des souvenirs, maitresse des maitresse O toi, tous mes plaisirs, o toi tous mes devoirs Tu ta rappelleras la beaute des caresses La douceur du foyer et le charme des soirs mere des souvenirs, maitresse des maitresse
Les soirs illumines par l'ardeur du charbon Et les soirs au balcon,voiles de vapeurs roses Que ton sein m'etait doux! que ton coeur m'etait bon! Nous avons dit souvent d'imperissables choses Les soirs illumines par l'ardeur du charbon
Que soleils sont beaux dans les chaudes soirees! Que l'espace est profond! que le coeur est puissant! En me penchant vers toi, reine des adorees Je croyais respirer le parfum de ton sang Que les soleils sont beaux dans les chaudes soirees!
La nuit s'epaississait ainsi qu'une cloison. Et mes yeux dans noir devinaient tes prunelles Et je buvais ton souffle,o douceur! o poison! Et tes pieds s'endormaient dans mes mains fraternelles La nuit s'epaississait ainsi qu'une cloison
Je sais l'art d'evoquer les minutes heureuses Et revis mon passe blotti dans tes genoux Car a quoi bon chercher tes beautes langoureuses Ailleurs qu'en ton cher corps et qu'en ton coeur si doux? Je sais l'art devoquer les minutes heureuses
Ces serments, ces parfums, ces baisers infinis Renaitront-ils d'un gouffre interdit a nos sondes comme montent au ciel les soleils rajeunis Apres s'etre laves au fond des mers profondes? o serments! o parfums! o baisers infinis!
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