りえるの日記

2007年08月31日(金) マダム・エドワルダ

友人と「マダム・エドワルダ」について語る。

結局は神さえも悪を救ってはくれないのだという
悲壮感を語っているのではないかと。
私は、どうしても映像的人間なので
イマージュを頭に描き、深く読み取ることは
あまりしていないと痛感した。

やはり原語で読もうと決心する。
日本語で味わう以上に絶望感と孤独を文章で感じたい。
人間の隠したい欲望、肉欲を極限まで体験することで
生きている証を感じたい。
しかし、最後は、それも泡と化し、孤独に打ちひしがれる。

今日の仏語の眼球譚は大好きな箇所で、
仏語を読みながら、ひとりで盛り上がる。
「闘牛」を語るシーン。
闘牛と闘牛士の永続的な上下運動と
死を予感させる姿は、人間のセックスとエクスタシーを
想像させる。大観衆と共に見ることによる集団の恍惚感。

D'un bout a'autre de la corrida,
elle demeurait dans l'angoisse, ayant la terreur,
expressive au fond d'un insurmontable desir,
de voir l'un des monstrueux coups de corne
qu'un taureau precipite sans cesse avec colere
frappe aveuglement dans le vide des etoffes de couleur,
jeter en l'air le torero.IL faut dire, d'ailleurs
que si, sans long arret et sans fin,la redoutable
bete passe et repasse a travers la cape,a un doigt
de la ligne du corps du torero,on eprouve le
sentiment de projection totale et repete
paeticuliere au jeu physique de l'amour.



2007年08月30日(木) 再読

ニーチェ。「この人を見よ」を再読。
深い。一度読んだぐらいで分かるわけがない。

「生は苦境である。生きることは悩むことだ、と
ショーペンハウアのペシミズムは、ニーチェの思索の
出発点となった。
生の苦境は厭わしいものだ。嘔吐をもよおすものだ
しかし、それを逃げない。ごまかさない
むしろ「苦境の真っ黒な潮のなかへ」深く降りていく。
黒く厭わしいものを、むしろ強め、大きくする。そして
それを肯定する。この深淵の思想に耐えられるならば、
ひとは生の疾患から癒されるのである。」

深淵。苦境、悪を肯定し、破壊する喜び。
肯定と強い力がいる。
こればニーチェのいう選ばれた人なのだろうか。
深淵とは、私にとって、どちらかといえば、
神秘の愛の世界だった。
ニーチェの深淵は、苦境を増殖し、固い石の悪を破壊する喜び。

「夜の歌」の光。
神々しい光を放つものの孤独。太陽の憂鬱。



2007年08月24日(金) バタイユの色彩

「眼球譚」を仏語で読んでいると、
バタイユの色彩感覚のコントラストの素晴らしさに気づく。

例えば
彼女の「ピンクで黒い肉」が白いミルクにつかっていた。

マルセルは白いガータベルトに白いストッキング
黒髪のシモーヌは黒いガータベルトに黒いストッキング

目を、赤いのものを、太陽を 剃刀で剃りだす

白目は玉子の白身で、黄味は子牛の瞳

マルセルは絹のストッキングをはき、それを真っ赤なリボンで
できたガータベルトでとめる

こうした映像のアクセントになる色彩は、
ゴダールを思い出させる。
トリュフォーはゴダールの優れた色彩感覚には
かなわいと言っていたが、分かる

突如とあらわれる、赤、青、黄、白、黒。
目に妬きつく



2007年08月22日(水) クンデラ

クンデラを読んでいると、色々な感じ方に共感できる。

「宗教は体制により迫害され、大分の人は教会に行くのを避けていた。
ミサが行われている教会に座っているのは、年寄りの男女だけだった。
というのも、この人達は、体制を恐れていなかった。
その人達は恐れていたのは、死のみだった。
神父が歌うような声で祈りを唱えると、皆が合唱で神父のことばを繰り返した。

サビナは後ろの方で座り、ことばの音楽に耳を傾けるために目を閉じた。

その教会でサビナが思いがけず出会ったのは神ではなく、美であった
その際に、その教会とその連祷が美しいのではない。

ミサは裏切られた世界のように急にそして密かに彼女に現れたゆえに
美しかった。

美とは、裏切られた世界だということが分った。
われわれが美に出会えるのは、迫害者たちが美をどこかに忘れた
そのときだけなのである」

サビナの感性を想像する。
偽善を嫌悪するサビナ。

カミュ「異邦人」を読んでいても、
ムルソーの母の葬式で、死を恐れる老人達の集団の
描写はグロテスクで、印象深い。
灼熱の太陽、埃、そして、皺を伝って流れる汗。

老人は、人生を経験してきたからこそ、
小説の脇役の背景として、深い印象をあたえるのだろう。



2007年08月21日(火) デカルト

「魔女」ミシュレが終わったので
デカルト「方法序説・情念論」
方法序説は読み終わったが、かなり難しかった。
解説でも書いてあるように、デカルト自身、この作品のことを
「最もすぐれた精神の持ち主でも多くの時と多くの注意とを
必要とするであろう」と書いている。
他人の意見は無駄であり、自分を信じて突き進むエネルギーを
感じる。
並行して、「善悪の彼岸」ニーチェを。
やはり、ニーチェのテンションは好きだな



2007年08月19日(日) 前世のくらし

ボードレール「旅への誘い」を
友達に話すと、さっぱり分らないと言われた
或る意味、衝撃的。
自分に素晴らしいものが、
他人には解釈不可能。
自分の世界に入っていくことにより、
見つけることができる宝物もある。

デュパルクの歌曲。

「前世のくらし」の歌詞が終わった後の
最後のメロディーは素晴らしい。

「彼らは棕櫚で私の額を扇いでくれたが
気遣いはただ一つ、もっと深めることだったのだ
私を衰弱させていく苦しい秘密を」

この歌詞が終わり、音楽とともに
深い洞窟の泉の中に、沈んでいく私。
諦念の美が交差する美しい世界。
深淵の世界に陥ることにより
肩の荷がおりていく快感。
人間は弱い存在であるから、強さを求め続けても
ある瞬間、弱かった自分の世界へ
逃げ出したくなることがある。
自分が嫌悪する世界であったとしても。

今、仏語で読んでいる「存在の耐えられない軽さ」の
文章がこのボードレールの詩を体現しているよう。
究極の恋愛小説と言われた所以がわかる。



2007年08月18日(土) 旅への誘い

ボードレールの歌曲のCDを聞いた。
素晴らしい。
フォーレ、デュパルク、ドビュッシー
ボードレールを見事に表現しているのは、
デュパルクの歌曲だと思った。

「旅への誘い」「前世のくらし」

この旅への誘いの詩が素晴らしい。

 私の子、私の妹
 思ってごらん、

 あそこへ行って一緒に暮らす楽しさを

 しみじみ愛して
 愛して死ぬ

 おまえにそっくりなあの国で

 曇り空に
 うるむ太陽

 それが私の心を惹き付けるのだ
涙をすかしてきらめいているような

 あそこでは あるものすべて秩序と美、
 豪奢、落ち着き、そして喜び


この最後の2行。
自分が愛する国への最高の褒め言葉の表現だ。


L'invitation AU Voyage

Mon enfant,ma soeur
songe a la douceur
D'aller la-bas vivire ensemble
  aimer a loisir
Aimer et mourir
Au pays qui te reseemble
Les soleils mouilles
De ces ciels brouiles
Pour mon esprit ont les charmes
Si mysterieux
De tes traitres yeux
Brillant a travers leurs larmes

La tout n'est qu'ordre et beaute
Luxe,calme et volupte





2007年08月10日(金) 合格通知

「魔女」のバタイユの解説を読む。
バタイユお得意の、難しい言葉の羅列で
脳がやられた。
それも、ある種の才能なのだろう。
ロラン・バルトの「ミシュレ」の方が
数倍まとまり、洗練されている文章だと思った。

5月に受験したフランス語DELF B1の合格通知が届いた。
フランス語のTOEIC的存在で、仏検準1級レベルぐらい。
基準点が50点で私は64点。
絶対落ちていると思ったので、嬉しかった。
でも、6割だから、充実感はない。
語学の勉強に終わりはない。
秋は仏検準1級も受験するし、
伊語、英語も試験を受けて、自分の位置を確かめたい。
試験に合格しても、受かった本人は、これからがスタートラインだと
思っている人って多いと思う。
歩みを止めることにより、退化が始まる。
絶えず何かを求め、進んでいこう。



2007年08月09日(木) 魔女

ミシュレ「魔女」は、中世にいかにして
魔女が発生したか。
中世の美しい詩の裏側に潜む、貧困、迫害、
未来のない生活。
それを打破するには、悪魔に魂をあずけ、
魔女になるしかなかった。復讐と民衆の影の支配者。
反面、魔女と定義される女性は、
憎悪と嫉妬の対象であり、美しいというだけで、
「魔女」だと囁かれる。
終わりのない村社会。

盛んに行われた火刑は、民衆により、罰せられたばかりでなく、
修道女のように、限りなく続く倦怠に終止符をうちたくて
みずから妄想を口走り、死へ急ぐ者。

何が悪いか定義づけるのではなく、
中世における必要悪ではなかったのかと思わせるような内容。

こういう事を知識として知っておくのも面白い。

ミシュレの後は、デカルト「方法序説、情念論」



2007年08月02日(木) 自分の位置

自分の位置を大きく考えてみる。
永遠の到達点へ向けての、
静かな波と激しい波がある。
そう考えると、少し停滞気味の時も気分が
楽になる。

アキ・カウリスマキ「街の灯り」を見てきた。
シュールな音楽と映像の中の絶望。
最後にやっとマッチの灯りほどの
希望がみえてくる。
それでも、いいじゃないかという気分にさせる
映画。

「存在の耐えられない軽さ」の仏語版購入
単語が比較的簡単なので、なんとか読めそう

「永劫回帰という考えは秘密につつまれていて
ニーチェはその考えで
自分以外の周りの哲学者を困惑させた」

という文章から始まる
クンデラのこの作品は、哲学、文学等
色々の意味で考えさせられる。
仏語でもう一度堪能してみよう。



2007年08月01日(水) 停滞気味

最近、少し停滞気味。
新しい誘いも、二の足を踏んだり。
出かけないと、何も始まらない。

その反面、イタリア語は、毎日、聞いて、
書いている。
仕事の休憩時間の合間と朝支度しながらの時間を
使って。ラジオ会話だから、基礎だけど、
なんとなく文章を見なくても内容は分かる。
まるで、文盲。


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