りえるの日記

2005年09月26日(月) 街散策

来月から、またラジオイタリア語が基礎から始まる
だんだんリズムにのってきたので、続けられそうだ。
フェリーニの映画のセリフを言うかのごとく、イタリア語を話すと
楽しい。

涼しくなったので、街散策。

日本でよかったと思うことは、
普段着でエルメスのブティックに行っても、
さほど冷たい扱いはされない。
そのお蔭で絶対買えない美しい品々を見ることができる。
本当は、お店の格式に申し訳ないから、
外から、ディスプレイを眺めるだけにしないといけないのだが。

先日は、こげ茶のような黒色のシンプルなニットとスカートに、
グレーの細かなチェックのストールの組み合わせ。
腰には細い茶色の革と紫をポイントにしたベルト。
シンプルでエレガントな美しさに圧倒された。
恐ろしくて、値段は見れない。
ああいうお店で値札チェックしたら
いけないんだろうけど。




2005年09月24日(土) シテール島

家で読んでいるボードレール「悪の華」
シテール島が詠われていた。

無知な私はてっきりシテール島はどこかの地名かと思っていたら
愛の理想郷の島らしい。

ボードレールは
「年老いた独身者が一様に憧憬寄せる黄金郷(エルドラド)」
と語っているが、一旦現実をみると、

「恋愛至上の罪深い邪教を信じた贖罪に」
「自分の姿の吊るされた象徴の絞首台、あれだけだった・・・」

シテール島は芸術家を触発する何かがある。
アンゲロプロス「シテール島への船出」も見たくなった。
ロダンもシテール島を題材にしているらしい。ゆっくり画集をみてみよう。



2005年09月19日(月) 楽器を奏でる

伊丹十三のエッセーの理想の女性像がおもしろい。
我儘一杯の配偶者探しの20ほどある条件の一つに
「巧みに楽器を奏でられること」
(ハーモニカ、ウクレレ、マンドリンは除く)

楽器を奏でることは、バッハ、モーツアルトたちと直接つきあうこと。
楽譜をとおして数百年前の偉大な作曲家たちと向きあうことができる
貴重な体験。

そう思って、日ごろの練習をすると、
一音、一音を丁寧に弾ける
今、私はバッハと向き合っているんだと思うと
ほんの少し、崇高な音楽に近づけるような気がする

あと一つ。
呼吸困難にならないように演奏する。
ついついあせってリズムも関係なく、突っ走る傾向がある
これを防ぐ為に、呼吸しながら演奏する。
ミスタッチをするぐらいなら、少し速度をゆるめて
確実に音をつかむ。

少しの注意力で演奏が落ち着きを増してくる



2005年09月16日(金) マルチの人

ジャン・コクトー展。
マルチの人と言われているが、
作品は本の一部のデッサンしかみたことがなかった。
毛糸で綴られたようなデッサン。
タピストリーも綺麗だった。
洒落てて、肩の力がぬけている。
コクトーはパリの中世美術館の一角獣のタピストリーが好きと書いてあった
私も今回の旅行でタピストリーを見ようと思っているから、
嬉しかった。

闘牛の絵。闘牛はフランス語でコリーダというのを
初めて知った。「愛のコリーダ」は闘牛の意味合いも含まれているのかな。



2005年09月13日(火) イタリア人

文春を読む。
相変わらず宮藤官九郎のコラムはきれがない。
林真理子のコラムで、
田丸公美子さんというイタリア語の通訳の人が書いた
「シモネッタのデカメロン」がおもしろいらしい。
イタリア人がいかに女好きで、そのことばかり考えているかという本。
イタリア人は決して酔っ払わない。
なぜなら、酔いつぶれては女性と楽しむことができないから。

周りを見渡すと、私の職場にもいる
何人もの女の子を口説いたと噂される彼は
酔ったふりはするが、絶対よってない。
歩くときも必ず、女性の目を射抜いていく。
分かりやすくておもしろい。

レ・ミゼラブルを読み始める
重厚感あふれる文章に、原本の挿絵もちりばめられ
朝の電車で背筋を伸ばして読みたくなる作品。

「ライフ・イズ・ミラクル」

いい映画。
ボスニア紛争下、セルビア人の男性が捕虜に恋する。

これだけみると、ただのお涙頂戴の映画と思うが、
画面にはおとぼけ動物が人間の悲劇、喜劇を何だかなという眼差しで
みているのが可愛い。
機関車がすすむがごとくゆっくり時間が流れていくのはいいなと思う。

この監督は「アンダーグラウンド」を撮ったエミール・クストリッツア

オルゴールの小箱のおとぎ話のよう。





2005年09月08日(木) 悪の華

ビールを数ヶ月飲み続け、だんだん頭が泡泡になっていく気がする。
そろそろワインが恋しくなる
思考を誘い出す美酒葡萄酒。

ボルドーのワインをあける
料理を作りながら、最後にワインの味見をしてみた
大きめのグラスに少しワインをいれ、香りから楽しむ。
大地の香り。これはビールでは味わえない。
一口、口に含める。
口いっぱいに広がるルビー色の魅惑。

前菜もシンプルに、
アヴォガドを半分に切り、種をくりぬく
レモンを絞り、みょうがを上にのせる
あとはわさび醤油でいただく。
簡単で、かつ繊細な味わい。
レモンの酸味は素晴らしいドレッシング。

気なる本を購入。
「女たちよ!」「ヨーロッパ退屈日記」伊丹十三
この2冊は廃刊だったんだけど、2005年に復刊。
確固たる美意識(ここ最近の私のテーマ)が
随分古いエッセーなのに、今でも充分読むに値する。
すぐ読めるからテレビを消して、読書に勤しむ。

レオノール・フィニも生涯の愛読書としていた
「悪の華」ボードレール 堀口大學訳

毎日、聖書のように、少しずつ読もうと思って買った。

「特別に醜くて、性悪で、不潔な奴が一ついる!
こ奴、大してあばれもしない、大きな叫びも立てないが、
そのくせ平気で地球を滅ぼし
欠伸しながら世界を鵜呑みするくらいの平気の平左

こ奴、名は 「倦怠(アンニュイ)」

最初のページからかっこいい!
生ぬるくなく、頽廃の美の香り。いいねー



2005年09月05日(月) 美意識

最近、仕事が忙しくあまりフランス語の勉強ができない
朝、ラジオのフランス語を聞くのがやっと。

レオノール・フィニ展に行く。

研ぎ澄まされた美意識に触れる歓び。
絵画、仮面の物質だけでなく、自分の存在自体を
芸術品として作り上げる。

ボードレール「悪の華」を生涯の愛読書とするレオノール・フィニ

ボードレールは情婦ジャンヌ・ヂュヴァルについて次のように言っている
(図録より)
「彼女は美しいどころかそれ以上のもの、驚きと言っていい。
彼女の中には溢れんばかりの暗闇があり、彼女から発せられるものには
ことごとく深い夜がある。彼女の二つの瞳は、微やかな光を放つ謎を
秘めた洞窟さながら、そして眼差しは稲妻のよう。つまり
闇の中の爆発なのだ」

レオノール・フィニの写真を見れば見るほどこの描写があてはまる。

毒婦と深い夜の美しさ。

今回の展覧会でも本の栞としてポストカードを買う。

列車のコンパートメントに向かいあう麗しき女性。
密室に広がるエロティシズム。

フィニは語る

「コンパートメントは不安を与えると同時に保護された場所でもあります。
束の間の共謀の場。そこでは皆が見せかけの眠りにつき、
閉所恐怖症的な、そして恍惚とした犯罪的な夢に没入しているのです」

「コンパートメントは劇場の桟敷席に似ている。まるで男女の密会の場所であるかのようなコンパートメントの中で、幻想的でエロティックな夢のような
「劇中劇」が展開しているのである」

暖かな夜のオレンジ色の光に包まれながら、列車の旅にでたくなる。





2005年09月04日(日) 鹿島先生

鹿島先生のラジオフランス語会話はおもしろかった。
特別番組でフランス人気質について。

ラ・フォンテーヌ(フランス寓話)より
「狐は見るからに熟した葡萄をみつけた
厚かましいものなら、喜んでご馳走になっていたことだろう
しかし、狐は葡萄に手が届かない

狐が言った言葉「あまりにも青いな、下男の食い物だ」

繰言をいうよりも、まだましではないか」

この寓話にフランス気質が凝縮されている。
自分の負を決して認めない。

ショパンコンクールでも
落選したフランス人にインタビューしたところ

「どうせ、適当に審査したんだろ」と言った。

それを聞いた時、これだよこれと笑ったそう。

自分の否を認めない精神プラス
嫌味な負け惜しみをいいのける強さはおもしろい。
私も見習って、性格の悪い日本人を目指そう。


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