野良猫達の求愛の季節がやってきたようです。
家の周辺が、ずいぶんと賑やかです。
そのうち、可愛い子猫が姿を現すようになるのでしょうね。
そんな子猫を子供達が拾ってきたのは、ここに引っ越してきて
まだ間もない頃、ざっと20年ほど前です。
可愛いトラ猫でした。が、新築の家の中で飼うのには抵抗がありました。
そこで濡れ縁の上の小さなダンボール箱が、子猫の家になりました。
昼間はそのダンボール箱の中で眠ったり、子ども達と庭で遊んだり。
しかし、猫は本来夜行性の動物だったのですね。
ミーチャンと名付けられたその猫は、どうやら人間達が深い眠りにつく
真夜中、こっそり活動を開始していたらしいのです。
毎朝、庭の芝生の上に、小さなネズミや虫の死骸が転がるようになりました。
箱の中に、大きな牛蛙の死体を発見したこともありました。
「ぎゃぁ〜〜!!!」
可愛くて獰猛なミーチャンとの楽しい生活は、そういう状態でいつまでも
ずっと続くかのようにみえたのですが・・・
ある朝、いつも戻っている筈のミーチャンの姿がありません。
子供達は心配しながらも、小学校に行きました。
近所の人の知らせで、ミーチャンが交通事故に遭って死んでいるのを
見たのは、そのすぐ後でした。
活発で行動範囲の広いミーチャンの最後でした。
ダンボール箱に入れて、すぐに役場に持って行きました。
子供達にその姿を見せるわけにはいきません。
そこからが問題でした。
義母は、絶対に子供達に真実を喋らないようにと言います。
「きっと、どこかでお友達と幸せに暮らしているよ」と言ってあげなさい。
私は迷いました。子供達はその言葉にほんとうに納得するだろうか。
小学校低学年の子供には、ペットの事故死はあまりにも衝撃的で
受け止められないものだろうか。
学校から帰宅した子供達には、ひとまず、義母の
「きっと、お友達を見つけたので、何処かに」説を採用することにしました。
しかし、二人とも何度も縁側の戸を開けては「ミーチャン! ミーチャン!」
と呼びます。でも夜になっても、当然ミーチャンは帰って来ません。
娘が突然、我慢ができなくなったのか、泣き出しました。
その時、私は娘には事実を伝える決心をしました。
ミーチャンが死んでしまったことを知るのは悲しい。
でも、いつまでも行方知れずという状態もやっぱり悲しい。
そして、たとえ、今、どこか別な場所で幸せに暮らしていると仮定しても
あんなに可愛がっていた仲良しのミーチャンが、自分のもとから黙って去って
帰って来ないということも、ある意味、許しがたく悲しいのだから・・・
後で「可愛そうに・・・言わなくてもいいのに」と義母は言いました。
でも、下の息子には、皆で黙っていることにしました。
だから、その後もしばらくの間、息子はフと思い出したように、縁側を開けて
「ミーチャン! ミーチャン!」と呼んだり、
「今日ね、僕ね、原っぱでミーチャンを見かけたよ!」などと
報告してくれたものです。
たしかに、ミーチャンはありふれたトラ猫でした。
彼の中ではミーチャンは、義母の思惑通り、何処かでずっと
元気に生きていたのでしょうね。
義母説を素直に受け入れたのは、彼がまだ幼かったからでしょうか。
それとも男の子だったからでしょうか。
昨日はヤンママ時代の仲間三人が友人宅に集合しました。
複雑なお年頃の私達です。
子供の幼稚園時代の思い出話に、ゲラゲラ笑いこけたかと思うと、
突然、みんな額のシワを深くして、深刻な顔つきで介護や老後の
話題に飛び移ったりと、ほんとうに有意義(?)で楽しい時間を
過ごしました。
オシャレな友人宅は、家具や小さな調度品に至るまで
すべて、こだわりのある一品というのでしょうか、
実用性と値段に重点を置く我が家とは、全く異なった
優雅でハイセンスな空間という感じです。
その友人が、最近、新しいパジャマを用意しておきたいと思い立ち
デパートとかいろいろ捜しまわっているのだと言います。
なんで、わざわざ今頃パジャマなのでしょう。
友人いわく、
私達は、事故や病気で、いつなんどき、突然倒れて病院に
運ばれるかも知れない。
そんな時、自分でパジャマを買いに行くことはできない。
病院のベッドに居ながら、主人にパジャマを買ってきてくれるように
頼んでも、どんなパジャマを買ってくるかわかったものではない。
息子達は言うに及ばず、お嫁さんだって年齢が離れ過ぎているので
私の欲しい好みのデザインの物を買ってきてくれそうもない。
「たとえ、突然の病気や事故で病院に運ばれたのだとしても、
私は自分の選んだパジャマを着ていないとイヤなの」
身に着けるすべての物に、こだわりを持っているオシャレな友人、
病気や事故で痛々しい姿になっても、せめて身に付ける物くらいは
自分の気に入った美しいものを着ていたいのだ、
病気の顔でも、できるだけ肌を美しく見せる色というのもあるのだ、
などと言います。
だから、自分の選んだこだわりのパジャマと下着の新品セットを
常に箪笥の中に用意しておき、イザという時、その場所を言って、
誰かに持ってきてもらうのだと。
そういう彼女は昔からほんとうにいつ見てもオシャレな人です。
ウエーブのかかったセミロングの髪の毛も乱れていたことがありません。
スラリとした体型も二十代後半の頃と全然変わっていなくて、
羨ましいな・・・と思っていましたが、きっと努力しているのでしょうね。
ちなみに、もし私が突然入院したら、
主人に千円札数枚を手渡して頼むと思います。
「ジャス○か、しま○らでテキトーなパジャマ買ってきて」
優しい人とは、どういう人を指すのか、
それは、なかなか難しい問題だ。
しかし、私の主人は優しい人だと思う。
いつ、私がそれを一番感じるかといえば、
年寄りや親に対して、いつもとても親切だから。
私の(ヒガミがいっぱい混ざった)独断と偏見によれば、
若くて美しい女性に親切なのは男性の本能であって、
必ずしも、それは優しい人とは言えないのだ。
また、我が子に対する愛情に満ち溢れた行動も
親としての本能であり、それは普通の人なのだと思う。
主人は昔から敬老精神が発達している。
学生時代、アルバイトで貯めたお金で、やっと買った中古の
軽自動車に、当時80歳近い祖母を隣に乗せて二人で
大阪から日光、鬼怒川方面へ旅行に行ったという。
私と結婚した後も、祖母と息子の関係は非常に愛情深いものだったが
幸か不幸かヤキモチ戦争が勃発するのには、ちょっと歳が離れすぎていた。
そしてグランドマザコンだと主人をなじる間もなく祖母は亡くなった。
今、双方の親達が80代になった。
年寄りに優しい主人の人柄は、いまだ健在だ。
毎週我が家に来る義父母の時代遅れの言葉やお説教に
嫁の私が内心カッカッしていても、主人は根気強く
親を説得しようと努力し、決して態度を荒げることはない。
それは、私の母親に対しても同じだ。
雨戸が閉まり難いと我が母が訴えれば、
休日には大工道具や工具箱を持って私の実家にかけつける。
サッカーの試合中に「オフサイドって何?」と電話で尋ねてきたら
面倒くさがらず丁寧に年寄り向きに説明をする。
年寄りはさすが年の功、優しい相手を逃さない。
私から見れば、図に乗って甘えてくる。
さて、昨日の日記のつづき・・・
「私も愛知万博に行きたい」と駄々をこねる母のことを話したら、
嫌な顔もせず、「連れて行ってあげようよ」という。
ちょっと大変だと思うよ。
私の母は携帯電話を所持していないし・・・
でも、つい今しがた、主人から電話があった。
「シニアの入場券、会社で買ったから」
はや〜・・・
2005年06月06日(月) |
元気なことは良いことだ。 |
元気であるということは、良いことである。
ついつい、当たり前のことを自分に言い聞かせてしまう
そんな今朝のできごとだった。
電話から流れる声の主は満八十歳の私の母だ。
用件はいろいろあったが、大きな課題がひとつあった。
「私も愛知万博に行きたい」と。
先日、主人の両親といっしょに車で愛知万博に行った。
そのことを何気なく私は母に言ったのだ。
こういう反応を我が母が示すとは予想していなかった。
「なんで、その時、私も誘ってくれへんかったん?」
厳密に言えば、今月で82歳と81歳の義父母、
80歳の我が母が一番若い。
その母だけ、なんでいっしょに連れて行ってくれなかったのか
と、本人はかなり御不満な様子。
しかし、あの日産マーチに五人でギューギュー詰めの
三時間の高速ドライブ、想像しただけでグッタリとなる。
後部座席で、揃いも揃ってよく肥えた母達に挟まれて、
真ん中で小さくなって長時間耐えられるだろうか・・・私。
名古屋に到着するまでに、疲れ果ててしまいそうだ。
日帰りバスツアーでも、と思ったりもしたが、
11時から4時過ぎまでの万博会場滞在なんて、
ただ並びに行くだけみたいなものである。
それでも、よかったら・・・と我が母に尋ねると、
そんなんだったらイヤだとごねる。
暑くても雨でもかまわないから行きたいと。
歳をとっても、いつまでも元気でいるのには、
胃腸が丈夫であること(二人の母は、かなりふくよか体型)
好奇心旺盛であること(たのもしいかぎり)
気が強いこと(ちょっと鼻息荒過ぎ)
などと、元気な三人の親を見て思う。
寝たきり症状、認知症などのお年寄りの介護で、毎日明け暮れている
方々のことを考えると、私は幸せなのだと、つくづく思うが・・・
しかし、自分の母だからといって、うかつに何でも喋らない方がいい、
なんて感じてしまったことが、少し寂しい。
以前の母だったら、ちゃんと事情を察してくれたのに。
ということで、今日もまたグチ日記になってしまった。
昨日とはうって変わって、真夏のような陽射しの中、
窓ガラスを拭く手に力がこもる。
サッシの汚れを拭き取ったら、次は網戸をゴシゴシこする。
不安やストレスを払拭させるため、今日は掃除に励むことにする。
キッチンとか居間とかではなくて、普段サボっているところ、
ということで、まず、義父母の部屋から始めた。
将来同居するための部屋だけど、いまのところ、たまに泊まるだけ。
家具もない和室の八畳は、最近はもっぱら主人のトレーニング部屋だ。
私も時々太極拳の練習などをさせてもらっている。
縁側と反対側の窓の周辺が汚れていた。
それならば、まじめに掃除をさせていただこう!
私が心配していても、どうすることもできない。
不安やストレスを抱え込んで、神経をキリキリすり減らすことで
事態が好転するとは思えない。
こういう場合、私のような五十女の思い付くところは、掃除!
もっとも、ふだんからキレイ好きのピカピカ主婦は
また、ちがうことに挑戦されるのだろう。
私の場合は掃除だ。毎日の掃除ではない掃除だ。
好きでないから頑張って真面目にやってる気分になれる。
ちょっとは神様も助けて下さるかも・・・
なんてね、要するに、苦しい時の神頼みなのだ
(ヘヘヘ・・)たとえ、結果が思い通りにいかなくても、掃除してキレイに
なっただけでもエエやん。
そう思って、子供達の受験の時も、いつも特別掃除をした。
(何度も書くけれど、ピカピカ主婦にとっては普通の掃除だと・・)
いつの試験だったか、廊下と縁側にワックスをかけてピカピカにした。
でも、終わってから、フと気付いた。
「ワックスがけなんかしたら、スベル、スベル、受験なのに・・」
でも、今までのところ、子供達の受験はいつも順調だった。
この掃除のお陰なんて思ってませんヨ。モチロン!!
掃除は、母の気休めなり。(現実逃避かも・・・)
専業主婦になったのだから、ほんとうはもっと掃除に頑張らなければ
いけないところなのだ。
こんな時にしか、真面目に頑張れないヶ所がまだまだあるよ。
ふだん、意識して視野に入らないようにしている所が。
とか、なんとか言って、今はパソコンに向かって日記を書いている私。
日記を書くのが好きな私は、人様の日記を読むのも好きだ。
そして、とても励まされて助けてもらっている。
弱っている時ほど、言葉は心に染み入る。
時には「良薬、口に苦しか・・・」と感じることもあるけれど。
今年の二月から始めた配食ボランティア、
今のところまだ続いている。
二週間に一度だけの二時間前後の仕事量、
エネルギー蓄積傾向のある私は全く苦にならない。
先月いっぱいでスポーツジムを退会した私としては
もう少し、エネルギー発散(ストレス発散かも)の
機会を増やしてもいいかな、と思う。
自宅の掃除や整理整頓に励んで汗を流すのが、
エネルギー発散方法としてはベストなのだと思うが、
家に閉じこもっていると、どうも精神状態があまり
芳しくない今日この頃。
本日はAコース、(ディナーだったらいいのにナ)
最初の出発から遅れ気味。
まず、お弁当の到着がいつもより遅かった。
そして、何軒目かの配達が終わり出発しようとした時、
コンコンと車窓をたたく人あり。
もう81歳というその御婦人、年上のご主人と二人暮しで
私達もそのようなお弁当を受け取りたいが、どこに申し込
むのか、という質問。
運転手のAさんが、車を降りて親切に丁寧に説明をする。
延々と続く会話に少し時間が心配になり始めた私、
案の定、福祉事務所からAさんの携帯に電話がかかった。
これから配達するお宅から「お弁当が遅い」と、福祉事務所
に電話が入ったらしい。
遅れているといっても、私の今までの数少ない経験から判断
して、わずか五分から十分ほど。
お弁当が多い曜日には、もっと遅くなる日もあるそうだ。
運転手のAさんはちょっとカンカン!
その日の諸事情や道路事情もあるのに、そんな五分や十分
の遅れを福祉事務所に訴えるなんて・・
あのJRの事故のように、遅れを取り戻そうとあわてて運転して
交通事故でも起こしたら、どうしてくれるんや!
ほんとうに、そのとおりだと思う。
もともと、お弁当の配達を受けるお宅は、体の不自由な人、
食事作りが困難な家庭ということだから、玄関の呼び鈴を
鳴らしても、すぐに出て来てくれることの方が少ないのだ。
けっきょく、今日も11時40分頃に24個の配食を終了、
この時期、町内の住宅地周辺はどこも庭の花や木が美しく、
狭い町といえども、車で走り回るのはかなり良い気分だった。