そよ風


2005年05月31日(火) 嵐の時期

我が家はけっこう嵐が吹き荒れる時期がある。
好きで嵐を呼ぶわけではない。
向こうから勝手にやってくる。

嵐の時期は、息子の高校入試の年、大学入試の年、息子が留年した年、
そして今、この就職活動の時期だ。

舅、姑の私へのグチがピークに達する。
ノンキな母親の私に、居てもたってもおれなくなるようだ。

高校入試の時、
「なぜ○○高校を受験させないのか。
なぜ、もっと勉強させなかったのか。」
成績が自分達の思い通りでないのは、すべて母親の責任だ。
毎週、毎週、同じ愚痴を二人で繰り返した。

大学入試の時も然り。
息子を塾にも行かせない(本人が嫌がったから)私が
まるで無責任でぐうたらの母のように写るらしい。

そして、今は・・・
なぜ息子の就職がまだ決まらないのか。
親がほったらかしにしているからではないのか。
ちゃんと、どういう会社に就職試験を受けに行ったか
把握しているのか?
ひとつの会社に絞った方がよいのではないか。
親がもっと後押しをしてあげるべきだ・・・云々

そのたびに私は疲れ果て、逃げ出したくなる。

義父母にとっては、忍耐強く見守るというのは、ほったらかしということ。

私は、二人にヤイヤイ言われることが、とてもストレスになる。
だから、益々子供にあまり言いたくないと思ってしまう。
それは、プレッシャーやストレスを倍増するだけだから。
頑張っていても、結果が出ないことは多々ある。
「体に気をつけるんよ。諦めてはダメよ」くらいしか、私は言えない。

でも、私は最後に付け加えなければいけないと思う。
義父母は、心から孫達を可愛く思ってくれているということ。
内気で大人しい私の息子を、ほんとうに心配してくれているということ。
決して嫁の私を精神的に落ち込ませようなどと思っているのではなく、
親としてアドバイスをし、励ましているつもりなのだということ。

それもまた、まちがいなく、真実だから。



2005年05月26日(木) いろいろな訪問者

今日もまた、朝から突然の訪問者。
といっても、今回は置き薬の○○薬品さん。
いつもは事前に電話連絡があるのに、今日は電話が
繋がらなかったけれど寄ってくれたということ。
この季節、庭に出て花の世話などをしていることが多く
結果的に居留守になってしまったみたいだ。

置き薬の点検をする前に、一枚の用紙を手渡された。
「個人情報保護宣言」と題して、「○○薬品株式会社は
個人情報の保護に関する法律および政令等を遵守し、
以下の・・・・(つづく)」と細かく書いてあった。

置き薬屋さんも、いちおう顧客の情報を握っているものね。
「個人情報と言っても、私がどんな薬を飲んだとか、どんな
健康食品を買ったとか、別に秘密を厳守してくれなくても
かまわないよ。特に変な薬(?)、何も使ってないし。」
「はあ・・今はいろいろと煩いみたいで・・・」

でも、なんだかんだうまいこと勧められて買ってしまった。
ローヤルゼリー、蜂蜜、コラーゲン、ビタミンC、それ以外
にも、よく知らないけれど、いかにも若さを維持させるのに
有効そうな物がいろいろ入っているドリンク10本。
弱くなりましたね。こういう健康飲料に。
こんな物に一縷の希望を託すようになってしまったのかしら。

他のお宅を訪問した時「○○さんの奥さんも、若さを保つため
このドリンクを飲んでるんですよ」と私の個人情報を流して
下さってもけっこうよ。(売れなくなってしまうかも・・・)

先日、二人の中年セールスレディーが我が家を訪れ、
「お願いします。どうぞ置かせて下さい」と、かなり強引に
ボックスを押し付けてきた。ア○、レ○ィー○化粧品だ。
置き薬と全く同じような透明ボックスに、薬と同じ感じで
化粧品の小箱が詰まっている。

「置き薬」ならぬ「置き化粧品」のお願いなんて初めてだった。
毎月点検にきて、使ってない分のお金は不要というけれど、
今使っているコープの安物化粧品で私はじゅうぶんだ。
それに薬と化粧品はちがう。
突然の発熱や病気になって、あわてて置き薬を使うことは
あっても、置き化粧品を使う機会はあるのかしら。
どう考えても、私にはそのチャンスは巡ってきそうもない。
イザとなれば、というより、ほとんどの場合すっぴんだし。
(たとえ公害だと言われても・・・)
とにかく、こちらも必死で化粧品ボックスを押し返して
なんとか帰っていただいたのだった。



2005年05月25日(水) 突然の訪問者

ある日、突然、目の前に現れた人は・・・

高校時代三年間、ずっと私の憧れだった人。
もちろん、告白もぜず、ただ一方的に思いを寄せていただけの人。

その人が、ドアの外に立っていた。
娘が三歳、息子がまだ六ヶ月の赤ちゃんだった頃のこと。
誰か判別できるまで、ちょっとした時間が必要だった。
高校を卒業してから十数年が過ぎていた。

ブラスバンド部でトランペットを吹いていたあの頃は、
とてもスマートで学生服のよく似合っていた人。
同じクラブの部員といえども、私には近寄りがたく、
三年間、ほとんど個人的に言葉を交わしたこともなかった。

高三のクラブを引退する間際、三年生だけが全員集まって、
将来の夢や希望を語り合った日、
彼はみんなの前で「外交官になりたい」と言った。
その時、誰もが頷いた。彼ならきっと・・・
彼が関西屈指の名門国立大学に合格したことは、風の噂で知った。

それから十数年。
正直、あまり思い出すこともなかった。
私は私で、それなりに幸福な人生を歩んでいたから。

でも、その彼がなんで我が家の前に立っているの?

しかも、まだ三十歳そこそこだったはずなのに、
彼は見違えるほど太っていた。前後左右に二倍づつ、という感じ。
すぐには、彼と気付かなかったのも無理はない。

その日、彼は生命保険の勧誘員として我が家に現れたのだった。
実は、彼の方は偶然でも何でもなく、高校時代の同窓会名簿を片手に
昔の知人宅を回っていたらしい。
が、私にとっては、彼の来訪はほんとうに想定外の出来事だった。
すっぴんで化粧気ゼロだったのをとても後悔した。

話は盛り上がった。
懐かしい高校時代の友人達の現状を、彼はいろいろ知っていた。
でも遠路遥遥、川西市くんだりまで来てくれたのに申し訳ないが、
彼の勧める生命保険に加入する気は毛頭なかった。
既に加入しているいくつかの保険で我が家の当時の財政はアップアップ、
余分な保険なんて入り込む余地などなかった。

ごめんね。冷たいもんです・・・

もし、あの時、彼が勧誘に現れなかったら・・・
きっと、五十歳を過ぎた今でも、私の中では、
スマートで知的でデリケートな彼のままだっただろう。

その日、話しをして初めて、彼が私の思い描いていたタイプの
人ではない、と思った。
独身だった彼は自慢した。
自分は今、かなりの高い年収がある。
同世代の人達と比べようもないほどだ・・・と。

私の描いていた彼は、そういうことを喋る人ではなかった。

ちなみに私の当時住んでいた家は、中古のマッチ箱のような建売住宅。
しかも、やっとローンで買ったばかりだった。
(思わず、そんな我が家をチラッと見てしまった私・・・)
他にも、「えっ?」と感じるような言葉が出てきた。
(それは省略)

ほんとうの失恋は、あの時だったのか・・・
いいえ、最初から、自分で勝手に作り上げたイメージの彼に
一方的に憧れていただけ。それも高校時代だけのこと。

そんなこと、よくある話だ。

最近、同窓会の案内を手にする機会が多くなった。
この歳になると、子供も手を離れ、時間的にも経済的にも
少しは余裕ができてくるのだろう。

昔を懐かしく思い出して、あの頃の気分に浸る・・・

でも、卒業してからの約35年という年月の流れ、
それがどんな風に自分の顔や体に表れているのかなあ、
などと考えると、ちょっと・・・

いいえ、顔や体にではなく、言葉に表れると思う。
久々の同窓会に出て、ずっと黙りこんでしまったりして・・・

・・・なんてね、今更、どうでもいいのです。
みんなそれぞれ、いろいろあって、ここまで生きてきたのだから。



2005年05月20日(金) 浮気がバレた?

メールなど無かった私の少女時代の趣味は「文通」、
でも、この文通、決して侮れません。手紙がもとで浮気が
バレることって、よくあるようですから・・・
私もちょっと似たようなことを体験しました。

小学6年生からの文通友達、エミちゃんと知り合ったのは、
泉南郡の各小学校の代表として参加した高野山での合宿。

中学、高校時代には、好きな男の子の話題で、私達の文通は
おおいに盛り上がっていた。
お互い、離れた町の中学校に通学していたので、堂々と相手
の名前も教え合い、包み隠さず何でも報告。

エミちゃんは、目のクリクリっとしたとても可愛いらしい人、
大好きな彼T君とは同じ中学校で、ずっと相思相愛の仲だった。
(古くさい言葉です。今では、ラブラブ・・というべき?)
だからエミちゃんの手紙はいつも彼とのアツアツの話ばかり。

そのエミちゃんの彼T君を初めて見たのは、入学したばかりの
高校だった。クラスこそ違ったけれど、私とT君は同じ高校。

エミちゃんの様な可愛い人が夢中になる男の子って、どんな人?
とても楽しみだった私。
でも、少し小柄で、ずんぐりした体格のT君を見たとき、正直、
とても意外だった。(失礼・・・第一印象だけのことです)

でも、きっと魅力のある人だったのだろう。
三年間、同じクラスになったこともなく、口をきくことも
ほとんどなかった。
でも、ある時、えっ?と耳を疑うような話が飛び込んできた。

T君が同じクラスの○さんと相思相愛だなんて・・・

大阪市内の私立の女子高に行ったエミちゃんからは、相も変わ
らずT君とのアツアツぶりを手紙で知らされていた。
きっとエミちゃんとT君は将来、結婚するのだろう、とまで
私は勝手に信じるようになっていた。

そのT君がクラスメートの○さんとかなりの熱愛ぶりという。
話の出処は私と同じ出身中学の友人、そしてその友人はT君達と
同じクラス、しかも○さんと大の仲良し。

T君が○さんに語った熱いラブコールの言葉まで筒抜けだった。
(コワイね!)

アラ、まあ〜・・・
地元ではエミちゃんとラブラブ、学校では○さんとラブラブ、
T君!! そんなのアリか〜??

(と、モテない女子高生は叫びたかったよ。ヒガミかも?) 

うまく隠しているつもりでも、バレバレなのだよ、T君・・・

可愛さ満載のエミちゃんとは正反対の楚々とした美人の○さん。
どちらともお付き合いしたいと思うT君の気持ち、わからぬで
もないが・・・

私さえ黙っていれば、エミちゃんも○さんも何も知らずに
二人ともとてもしあわせ♪♪ ということになるが。

これを黙って見過ごすことはできる?
その頃の私は、至って融通の効かないガリ勉タイプの女子高生。

(今の私だったら、口止め料をせしめたものを・・・)



その後、ちょっといろいろあったけれど、エミちゃんとの文通は、
高校卒業後、自然消滅してしまいました。
でもその文通はとても楽しいものでした。
特に男女共学だった私は、エミちゃんが手紙で教えてくれる女子高の
実態というか、教室での雰囲気がとても面白くて新鮮でした。

あれから30年以上過ぎた今でも、99パーセント、エミちゃんと
T君は結婚したと思ってます。

二人のラブラブ時代の中学校、その隣町に引っ越してきてもう19年。
案外、気付かずに何処かで顔を合わせているのかもしれません。

その気になれば、電話帳や高校の同窓会名簿から、T君とエミちゃんの
その後を知ることも可能なのでしょうけどね・・・



2005年05月19日(木) 今はメール、昔は文通?

昔、私がまだ少女だった頃、インターネットやメールというものは
この世の中に存在しなかったと思います。
家に電話があるということすら珍しい時代でした。

そんな時代、私は文通が大好きな女の子でした。
長い間、ペンフレンドだった関東の男の子とは、小学時代の
学習雑誌の文通コーナーで知り合いました。

これって、今でいう出会い系サイトになるのかしら?

当然、手紙は親の目にも触れるわけですが、特に反対もされず
けっこう長い間続きました。
手紙は、学校のこと、地域のこと、趣味のことなど、くそ真面目で
平凡な内容でした。
きっと、お互い、相手のイメージを自分の好みに勝手に作り上げて、
文通を楽しんでいたのでしょう。
何年か後、写真を交換した時、正直言ってガッカリしました。
よくある話です。(ごめんなさい。お互い様だと思いますが)
ただ、もう高校生になっていたので、そんなことで文通を止めたら
失礼になるのでは?(きっと、これもお互い様だったと・・)と
文通は続きました。
二人とも筆マメだったせいもあるのでしょう。

ペンフレンドである彼は、その後「日本光学」という会社に就職、
そこで、ほんとうの良き伴侶と出会い、結婚されました。
彼女の写真も送っていただきました。

もうその頃は、年に数通の手紙の交換となってましたが、その結婚
報告を機に私達の文通は自然消滅となりました。
かれこれ三十年以上も昔の話です。

特に恋愛感情もなく、何だったのでしょう・・・

しかし、最近になって、デジカメなどが好きになった私は、
「日本光学って、ひょっとしてニコン??」と、フと思って
なにげに昔の文通相手のことを思い出してしまいました。

きっと、もういいオジサンでしょうね。
(孫を抱いているおじいちゃんかも)

お互いさま・・・



2005年05月18日(水) ストレス発散

なぜか不思議とバッタリよく出会う人がいる。
そんなに、ぶらぶらと毎日出歩いている訳でもないのに、
たまたま行ったスーパーでバッタリというのが、三、四回、
滅多に立ち寄らない高級和菓子屋さんの店内でバッタリ、
先日は、自転車に乗ったその人と小さな交差点でバッタリ、
(狭い田舎町とはいえ、道はたくさんあるのに・・・)

最初は「元気?どうしてる?」と軽い挨拶程度だったのが、
出会う度に立ち話の時間が延びてきた。
今では、いっしょに働いていた五年前よりも親しくなった、
というか、立ち入った話などもするようになった。

同じ職場にいた頃は、そういう類の話をお互いに喋り合うほど
親しくはなかったし、やはり、パートといえども職場の仲間に
自分のいろんな面を曝け出すことには抵抗もあった。
「愚痴を言う人」なんて他人に思われたくもなかった。

先日、立ち話をしていて、どちらも長男の嫁、旦那様の方は弟と
二人兄弟という共通点を発見。
(そんな設定、巷には掃いて捨てるほどゴロゴロしているが)

で、いろいろ盛り上がってしまい、ちょっとした弾みで
出るわ、出るわ、グチのオンパレード・・・
「いつでも喜んで交代させて貰うわよ、長男の嫁の座なんて」
「いいよね〜、次男夫婦って」などと息巻いてしまった。
もちろん、私のほうのこと。

思いキシ、ストレスを発散してしまった。

(鬼顔になっていたかも・・・)

偶然の出会いってコワイです。
会うごとに、だんだん本性が現れてくるというか・・・



2005年05月16日(月) ジジババ同伴の愛知万博

行ってきました! ジジババ同伴の愛知万博。

ともに80歳代の主人の両親、行く間際の数日前まで
「足が痛い」「腰が痛い」「ちょっと行くのは無理かも」
などと不安材料が満載、
でも13日の金曜日、とにかく予定は無事決行となった。

せっかく買った前売りチケット、しかし、かなり間際まで日程すら
なかなか決まらず、結局パビリオンのネット予約はできなかった。

でも、さすがお年寄り。朝は早い。当日は全員4時半起床。
5時20分、主人の運転で我が家を出発、一路名古屋に向かった。
予約していた身障者専用の駐車場に到着したのは8時半ごろ、
そして、開門9時の数分後、全員西ゲートから(めでたく)入場。

当初の予定通り、すぐに自転車タクシーに乗り、企業パビリオン
が集まっている北ゲート付近に向かった。
天気は快晴、五月の風は爽やかで、陽射しを浴びていても
すこぶる気持ちがいい。

企業パビリオンA地区は、まだこの時間帯では何処も行列もなく
ガラガラ、すぐに入れる状態だった。
大多数の人達はトヨタ館があるBゾーン地区に流れるのだろうか。

結局、私達はA地区の「JR東海超伝導リニア館」を皮切りに
「ワンダーホイール展覧車」(すでに40分待ち)
「三菱未来館」(当日予約したので待ち時間無し)
「ワンダーサーカス電力館」(夕方6時前、30分待ち)に入館、
後は各国のパビリオン巡りを楽しんだ。

民族舞踊や打楽器の演奏などのアトラクションがあったり
民芸品や巨大仏殿があったりと、各国様々なパビリオン、
ゆっくり全部入ってみたいと思っていたが、とても一日ですべてを
見まわることはできない。またのお楽しみ。

昼食はルーマニア館で「ロールキャベツ定食」1300円、
味も値段も御手頃だったと思う。ルーマニアのビールも美味しかった。
ただし、ここでも席に着くまで15分ほど待った。

ジジババ同伴ということで、どのくらい会場を見まわれるのだろうか、
などと心配したけれど、予想していたよりもいろいろと楽しめた。

まず何よりも気候が良かった。日中、日陰もない広大な会場をゆっくり
歩いていても、爽やかで気持ちがいい。

会場内の移動に、自転車タクシー、ゴンドラ、自動運転バスなどの
交通機関をフルに利用したのであまり疲れなかった。

足の痛い義父に合わせて、全員スローに動いたので、私達もまた
ゆっくりと余裕を持って周ることができ、案外それがよかったのかなと
思ったのが正直な感想。

これが私達だけだったら、どうなったか・・・

できるだけ入館パビリオンの数を稼ごうと、二人で手分けして
各パビリオンの整理券や当日予約や待ち時間などの状況を調べ、
携帯で連絡しあって、走りまわって、アクセク、アクセク・・・
グッタリ疲れ果て、あげく、あまり何も覚えていない?
なんて結果になった可能性もありそうだ。

ただ、思ったことは、花博にしても、万博にしても、
もう少し期間を延長はできないのだろうか。
経済的に無理なのだろうか。
もう一ヶ月もしないうちに入梅、そして暑い夏がやって来る。
日本の夏は高温多湿だ。あのカンカン照りの太陽のもとで、
汗を流しながら、会場内を歩きまわったり、並んで待ったりすることを
考えると、出かける気持ちは失せてしまう。
期間中、気候の良い時期はあまりにも短い。

秋の万博、秋の花博、ぜひ行ってみたいと思うが・・・



2005年05月11日(水) すっかり忘れていたこと。

すっかり忘れていた。
四月十二日は、私達の三十回目の結婚記念日だった。
もう31年目に入って、早一ヶ月が過ぎてしまったのね。
完璧に二人揃って忘れていたのは初めてかもしれない。
約十日後の娘の結婚式のことで、頭がいっぱいだったのか?

もともと記念日好きな人間ではないと思う。
プレゼントも欲しいと思わない。
花は好きだけど、根っこの付いていない花は
そんなに欲しいとは思わない。

でも、ショートケーキくらい買ったのに・・・


いよいよ明後日、名古屋行きが迫ってきた。
もちろん、「愛 地球博」見物だ。
それも、子連れ旅行ならぬ「ジジババ連れ旅行」だ。
八十歳の儀父母といっしょに行く「愛 地球博」 

大丈夫かな?

そもそも、娘への結婚祝いのお礼のつもりで、こちらが誘った。
最初は日帰りの予定だった。
でも名古屋への日帰りドライブには、慣れているとはいうものの、
万博見物後は少々キツイかな・・・。
ということで、あまり有名でない温泉宿に急きょ予約をした。
しかも当日、我が家をかなり早朝に出発しなければいけないので、
前日(つまり明日)から、両親が我が家に宿泊することになった。

ああー だんだんタイソウになってきたよ・・・

ということで、今日は朝からパタパタと忙しかった。
毎週、遊びに来るとはいうものの、宿泊となると
掃除どころも違ってくるのだ。
いつもは、リビングに張り付いている二人だけど、
お泊りとなると、まず両親の部屋と続きの納戸をちゃんと
きれいにしておかなくては・・・

同居のために作った和室八畳間は、今やすっかり主人の
トレーニングルームだ。
2キロ、5キロ、10キロのダンベルがゴロゴロ転がり、
私が三十年前に嫁入り道具として持参した分厚い和座布団が
部屋の中央でトレーニング用マットの代用品と化している。
主人の汗がいっぱい染み込んでいるのか、やたら重い。

三畳の納戸も、ほんとうは両親のための場所なのに、
私達の物で溢れている。
ファンヒーター、スーツケースなどの大物から、缶ビールや
トイレットペーパーの買い置きまで、ありとあらゆる物が
我がもの顔でこの納戸に収まっている。

なんて便利なスペース! 
でも、そんなデカイ態度で、のさばっていてはいけないんだよ。

いろいろ整理して、なんとか「おばあちゃん達の部屋」
みたいになったかな・・・

疲れた〜 そして、いつもここで思う。

「同居しているお嫁さんはエライわ!!」



2005年05月09日(月) 君の名は?


奈良県の山奥の森林で見つけた
あの黄色い花は、いったい何と
いう花なのだろう。
杉の落葉が茶色く腐葉土化して
ジメジメと湿った場所、そんな
目立たない所で、木洩れ日を浴び
ひっそりと咲いていた可憐な花達、

白い花はニリンソウ、
では黄色い花は何という名前?
場所や季節や花色からネット検索しても、その花には
いっこうに行き当たらなかった。
図書館で山野草関連の本を三冊も借りてきたけれど、
その黄色い花には出会えなかった。
主人は「名も無い雑草や」と言うけれど、名前のない
花なんてないのよ。

でも昨日、ついに、その花とよく似た写真に遭遇。
書店で三千円近くする分厚い「山野草辞典」を見つけ、
暇に任せてページを繰っていた時、「コレだ!」と
思う花の写真が出てきた。「キバナサバノオ」という
ややこしい名前を必死に老化した頭に叩き込み、
(立ち読みはツライね)帰宅後、ネット検索を開始。

たしかにネット上の写真を見ても、キバナサバノオの花と
あの花は似ている。が、葉の形が少しちがうような感じだ。

もし、キバナサバノオだったら・・・

キバナサバノオはレッドリストに載っている植物。
「絶滅危惧種」ということだ。
そんな貴重な花が、人目につかない所で群落を作って
咲き広がる姿を、こっそり私に見せてくれた?

ちょっと嬉しいような悲しいような複雑な気分・・・

とにかく、来年この時期、必ずまたあの森林に行こう!!



2005年05月07日(土) 天からの贈り物?

昨日の日記の続きです。

奈良県は大峰山麓の森林の中、偶然見つけた可憐な花の
小さな群生地、そこは道から少し外れた目立たない場所。

小さくて地味で、まるで雑草のように生えている可愛い花を
こっそり持って帰りたいという誘惑、でもそれはいけないこと。

それをきちんと守らなければ、自然に生えている美しい山野草や
高山植物は、たちまち消えて無くなってしまう。
こころ無い人間の行為で、絶滅の危機に瀕している動植物は
たくさんあるのだ。採取する量や質にかかわらず、自分もその
ひとりになってはいけない。

そんな真面目な私は、少し離れた所にクチャクチャと丸められた
ティッシュらしき物を発見。

こんな所に誰がゴミなんか捨てたのだろう。

でもティッシュの中に何か入っている。緑色の葉みたいな物が・・
よく見ると、私が欲しいと眺めている、まさにその花ではないか。
根の周囲を濡れたティッシュでくるんであったのだ。

私と同じことを考えて、花を持ち帰ろうとした人がいたのねー
でも、なぜ、今ここに置いてあるのだろう。
やっぱりイケナイことだと思い、持ち帰るのを中止したのだろうか。
だったら、ちゃんと土に戻すべきだ。このままでは、ティッシュが
乾けば枯れてしまう。

それとも後で取りに戻ってくるのだろうか。
全長二キロ以上の森林のコースを舞い戻ってきて、再びこの場所を
見つけることができるだろうか。しかし、そういうことをする意味も
ないし、考え方として無理があるように思う。


ということで、私は、その花を再び土に戻すことは・・・しませんでした。
ありがたく、そのティッシュで包まれた数本の苗を頂くことにしたのです。
その苗を、さらに自分のティッシュで包み、デジカメのケースに入れ込んで
隠すようにコッソリと車の所まで運びました。


帰宅してから、心あたりの山野草をネットで調べた結果、
まさに花も葉の形もピッタリ一致しました。
白い花は「ニリンソウ」でした。大切に育てるつもりですので・・・
ただし、黄色い花の名前はいまだに不明です。







2005年05月06日(金) 誘惑

先日、この私、誘惑と戦った。

決して、してはいけない誘惑・・・

鬱蒼とした森林の中の自然歩道を歩いていた時、
偶然、可愛い花が群生している場所を見つけたのだ。
倒木の陰になり、落ち葉や小枝が腐ってジメジメした
道から少し外れた目立たない場所に、
黄色と白の小さな花が咲き広がっていた。

花の写真撮影したいのに、倒木などで思うように近付けない。
しゃがんで無理矢理近付くと、「踏みつけてるぞ!」と主人の声、
ほんとうに足元の腐った木屑の中にも可憐な花がチラホラ、

誘惑がムクムクと湧き上がった。
「ねぇ! うっかり足で踏みつけてしまうくらいなら、
家に持って帰って育てた方がマシとちがう?」

こんなにいっぱい咲いてるんだもん。
ひと握りの花の根っこを掘って採取しても、何の影響もないだろう。
売ってお金儲けするわけでもないし・・・
ちゃんと育てるのだから、ちょっとくらい採ってもいいのでは?

ダメダメ、花の好きな人がみんなそう思って採取したら、
自然に咲いている可愛い花は、アッという間に無くなってしまう。
それが自然破壊だ。みんなで自然を守らなくてはいけない。
しかも、人が少ないとはいえ、ここは公共の自然歩道。
ここの自然の美しさは、みんなの物。

でもでも、さっきからここを通る人達、誰もこんな小さな花には
目も留めないで、さっさと行き過ぎてしまうよ。

欲しい・・・

かなりの誘惑。でも、良心が許さない・・・自然を守らなくては!

でも、これからは、常にカバンの中に、小さなスコップを入れておこう・・・

????? (ダメです!!)

毎年、新緑のこの時期がやって来ると、秋の紅葉シーズン同様、
ドライブに出かけたくてウズウズしている主人と
愛車コペンで大峰山方面にドライブに出かけた一昨日のことです。


私は、実は、持って帰って来てしまったのです。
今、小さな植木鉢で、元気に育っていると思います。

ただ、自然破壊をしてしまったかどうか・・・というのは、
ちょっと予期せぬことが(大げさかな?)あったからです。

つづく



2005年05月02日(月) 手紙

先日、久々に手紙を書く必要に迫られた。 しかも、かなり急!

いまどき、たいていの用件は、メールか電話で事足りてしまう。
たまに書いても、お礼や近況報告の小さなハガキだけ。
便箋に向かうことなど滅多にない私なのに・・・

それは、娘の結婚式のちょうど一週間前の夜、

「母から娘への手紙」を書いて欲しいとの依頼があった。

結婚式二次回の幹事をして下さる新郎の友人からだった。

「娘さんには、絶対に秘密にしてくださいね。
二次回にもドッキリ感動の場面を作りたいのです。
くれぐれも極秘でお願いします。」

と、急に言われても・・・困惑、困惑・・・の私。

でも友達の結婚式を盛り上げるため、いろいろと考えて、
準備をして下さっていることに、ほんとうに感謝!

翌朝、飛行機で娘が帰って来るというのに
あの子に内緒で手紙を書くなんてことできるかな。
しかも、式までに幹事さん宛てに送るとなると
そんなに、ゆっくり考えている時間もない。

すっかり手紙という物から遠ざかっていた私、
パソコンのワードやメモ帳がなくては全然ダメというのが情けない。
この年代の女性としては落第だと思う。

しかし、とにかく頑張らねば・・・

このパソコンには、ほとんど娘が張り付いていた。
だから、式場との打ち合わせや買い物に出かけた娘の留守を狙って、
けっこう、必死でパソコンに向かって書いた。

せめて、もう一週間早くに言って欲しかったなあ、などと思いながら、
なんとか、式の三日前に幹事さん宛てにポストに投函した。

言いたいことはたくさんあっても、なかなか結婚式用の手紙は書けないもの。
他の出席者の存在も意識してしまうから。

結婚式には、親も手紙を書くことになる場合もあるので
そういう、こころの準備をしておかなくてはいけないということ。

ひょっとして、これって、今では常識なのかな?


 < 過去  INDEX  未来 >


nogiku [HOMEPAGE]