そよ風


2005年04月28日(木) 結婚式と赤ちゃん

以前の日記の内容を蒸し返すことになりますが、
4月4日「へこんでます」 に関しての結果報告の日記です。

娘の友人が六ヶ月の赤ちゃん同伴で結婚式に出席すると言うので、
どうしても納得の行かない母親の私は、その友人のお母様に
赤ちゃんを預かって欲しい旨をお願いしたことから、
話は意外な方向に展開してしまったという話です。

結婚式間際になって、私達母娘関係までギクシャクしてしまった問題です。
私が余計なことを言ったために、出席するはずだったYちゃんが
欠席する旨を電話で伝えてきた時、娘は、私からYちゃんに
「赤ちゃん同伴でもいいから出席してください」と頼んで欲しいと
言いました。が、私はできませんでした。

仮に、Yちゃんのお母様が赤ちゃんを預かる気がない場合でも、
旦那様のお母様だって、Yちゃんの妹さんだって、他の親しい御親戚だって、
みなさん同じ地区で御近所に住んでおられるというのに・・・
旦那様だって、もしYちゃんが真剣に頼めば土曜日の三時からの披露宴だもの、
預かって下さるのでは?

要するに、Yちゃん自身が赤ちゃんを預けてまで出席する気はないということ、
また、意地悪な見方かも知れないけれど、今までのなりゆきから
「可愛い赤ちゃんをみんなに見てもらいたい」というYちゃんの思いを、
どうしてもチラッチラッと感じずにはおれなかったのも事実です。

「もし、今回のことでYちゃんとあなたが不仲になったとしたら、
それだけの友情関係だったんだと思ってほしい。
もし、他の近所の古い友人達から何か文句が出たならば、
お母さんがどうしてもダメと言ったから、と伝えておいて」

さて、結果、Yちゃんは欠席しました。

そして結婚式を終えた今、やっぱりそれでよかったとつくづく思っています。

結婚式、披露宴を通じての間、赤ちゃんが突然泣き出しても
全く何の影響も無い場面など、私は無かったと思います。

生のパイプオルガンの荘厳な音が響き、
聖歌隊の美しい歌声が流れるチャペルはもちろん、
和やかなムードの披露宴会場でも、決して赤ちゃんの泣き声の似合う
シーンはありませんでした。

会場のスタッフの方々は、式や披露宴を和やかで格調高い
雰囲気に盛り上げようと、あらゆる細かいところまで神経を張り巡らせて、
式を進めて下さいました。
参列して下さった大勢の友人達も、主役である二人を取り囲んで、
祝福ムードを盛り上げるために必死で頑張ってくれた、という感じです。

出席して下さった方達のお陰で、とてもいい雰囲気に盛り上がった結婚式、
でも、もし赤ちゃんがいたならば、驚いて泣き出すだろうなと思ったシーン、
けっこう多いのです。

突然、真っ暗になったり、シーンと静かになったり、音楽が鳴り出したり・・

「赤ちゃんの泣き声がしても気にならないアットホームな雰囲気」の
結婚式にするならば、ホテルの結婚式場ではなくもっと気軽な
公民館のような場所にするべきではないでしょうか。

ホテルのスタッフの方々の真剣な仕事ぶりを見て、つくづくそう思いました。

この件に関して、いろいろな方から御意見を賜りました。
落ち込んでいた私は、とても励みになりました。
また、娘にもその方達の御意見や考え方を伝えることができ、
娘との関係修復にも大変よかったと思います。
ほんとうにありがとうございました。




2005年04月26日(火) 花嫁は声を張り上げて・・・

海の見えるチャペルで、無事結婚式を挙げた二人、

翌日、娘は日常会話すら不便なほど喉の調子が悪く、
二日後に控えたイタリア旅行に出発できるのか
私はずいぶん心配した。
が、なんとか無事に日本を発ったようだ。

準備のために我が家に帰って来てから挙式までの約一週間、
娘はほんとうに忙しかった。

ウエルカムボード、ミニカード、席辞表などの作成、印刷、
プチギフトや二次会の景品などの袋詰め、ラッピング、
様々なシーンでのBGMの録音、編集、
その合間を縫って、エステ、ヘアーメイクリハーサル、マネキュア、
遠路遥々、大阪市内まで毎日のように出かけて行く娘。

挙式当日にむけて、我が身の美しさの最高潮に達するために、
花嫁は物凄い努力をするものなのね。

でも正直、思ってしまった。
あまりの忙しさに、かえってゲソっとやつれてしまい、
目の下に大きな隈ができてしまうのではなかろうか。
お肌がガサガサに荒れてしまうのではなかろうか。
のんびり、健やかに過ごした方が、美肌になるのに・・・と。

でも当日、親の心配をよそに、娘のウエディングドレス姿は、
なかなかよく似合っていた。
すごいね!! 式場の美容室スタッフの力は偉大だ。
熟練した技術力の結集に感服!!

翌日、娘の喉が嗄れて声が出なくなってしまったのは、
疲れて風邪をこじらせてしまった為・・・・だろうか。

いいえ、披露宴でカラオケを熱唱し過ぎたからだと思う。

職場の友人でもあり、キューピット役でもあったWさんと二人で
(新郎をひとりポツンと残して)
花嫁自らドリカムの歌を声を張り上げて熱唱する姿、
息もピッタリで、まさしく「女傑」のイメージだった。

隣の席のおばあちゃんがボソッとつぶやいた。
「時代は変わったなあ。昔の花嫁はずっと俯いてたのに・・・」
(ほんまに・・・)

カラオケの熱唱の後、娘の家族への手紙の朗読が始まった。
横で主人がシンミリと鼻をすすっていた。
親戚の人達も感動して涙が出たと言ってくれた。

でもその時、私の心中は複雑な気持ちでいっぱいだった。
「カラオケ熱唱の後、今度はお手紙、娘ばかりひとりで出過ぎだよ。
新郎の御家族や親戚の方達は、どんな風に感じておられるだろう」
なんて心配しても、今更しかたがないが・・・

無事、披露宴もお開きになった時、

うるうる・・・の花婿、にこにこ・・・の花嫁、

スタッフの人がひとこと、

「女は強いですねー」

(ほんまに・・・)



2005年04月14日(木) ストレスの原因

この町に引っ越すことになった時、周囲の知人達は皆同じことを言った。
「○っちゃんは、絶対に大丈夫! 活発だし、シッカリしているし!」
母親の私もそう思っていた。
大人しい息子の方は少し心配だけど、娘は誰が見ても大丈夫な子。
転校しても、すぐに新しい環境にも学校にも慣れるだろうと。

小学校二年生の秋だった。
すぐに新しいお友達もできた。
転校して一週間後の運動会にも参加した。
予想通り何もかも順調に行っていると安心しきっていた。

でも、ある朝、娘は学校を休むと言い始めた。
たしかに顔色は優れない。熱は無さそうだが全く元気が無い。
ただただ「しんどい・・」と言う。

活発で元気な子、友達も学校も大好きな子だから、
ウソを言ってズル休みなどする筈がない。
きっと、いろいろな疲れが出たのだろう、と思った。

でも、家で寝ているわけでもない。
閉じこもって、所在無さ気にボーっとして過ごしている。

そして翌日も学校に行かないと娘は言った。
初めて、アレ? おかしいぞ・・・
とり合えず、近所の医院に連れて行った。
特に悪い所は無かったが、触診の後、医者は
「ストレスでしょうね。胃がカチカチに硬くなってます。」

ストレス? この子がストレスなんて・・・


原因は給食だった。
転校先の担任の方針は「絶対に給食を残さないこと」

娘は食が細くて食べるのが遅い。
昼休み中ずっと食べて、それでも残った分は、そのまま保存。
そして放課後に再びそれを食べる。全部食べ終わらないと帰れない。

知らなかった〜。

前の小学校では、残すも残さないも自由だった。
楽しく食べるということをモットーに
机を寄せ合ってグループになり、お喋りしながらのランチタイム。
担任は毎日順番に各グループの中に入り、いっしょに食べる。
「○○さんは、プロ野球は好き? どこのファン?」」
などと話しかけてくれた。

ここの小学校は、食事中は喋ってはダメ、
できるだけ、サッサと食べ終えること。
学校によって、こうも方針が違うものなのか。

娘は輪切りのコーンがどうしても食べられないと言った。
「そんなもの、コーンをかじったら、すぐにパンを押し込んで、
パンといっしょに食べればいいよ」
すると、驚くべきこたえが返ってきた。
「コーンはデザートだから、全部食べ終わってからでないと
食べたらアカンの!」


まだ、周りには全く友人も知人もいない私は、
担任に医者の証言も交えた手紙を書いた。

幸いなことに、娘は再び元気になった。
自分の食べきれる量を自分でとる、という方法になったそうだ。

すぐに解決して下さったことに感謝もするが、
私はその後、娘の担任が変わる度に、先生にその話を愚痴ってしまった。

それは、決して給食を無理強いしないで欲しい、
給食のせいで登校拒否になることだってあるのです、
と言いたかっただけなのだが、
かなり、恨みがましい口調だったと思う。
今でも根に持っているくらいだから。
もう、二十年近く経つというのに・・・

でも、最近その話が出た時、娘は言った。
「私はね、いつも、あの子は絶対に大丈夫、
と思われることが一番イヤだった」

そういうことだったのか。
いつも無理して、必死に頑張らなければいけなかったのね。
ほんとうのストレスの原因は、意外なところにも潜んでいたのね!



2005年04月12日(火) 紙おむつ物語

今の世の中、紙おむつは常識、
でも私が出産した頃は、もちろん布おしめの時代です。

産前五週間前になり、産休に入った私が最初にしたこと、
ミシンを買いました。もちろん、おしめを縫うためです。 

おしめ用の生地の反物を買い、先輩ママのアドバイス通り
おしめ百枚、カタカタと縫いしました。

実は、直前まで働いていたその職場で、私は「漏れない紙おしめ」の
実験をしていたのです。

当時、「ええ! 紙おしめだってぇ〜!」とみんなで驚いたものです。
「漏れない紙おしめなんて赤ちゃんが可愛そうよー」
「そんな物、できるわけないわー」と。

ひょっとして、当時、紙おしめは既に存在していたかも知れません。
でも、まだ一般的ではなく、若い私達は知りませんでした。


その紙おむつの実験の思い出です。古い話ですが・・・

化学反応時の温度条件、触媒や薬品の量などを変化させて、
出来上がった各物質の吸水力、保水力を測定する仕事のことです。

紙おしめと同じような条件に近付けなければいけません。

その時は、晒で作った10センチ四方くらいの布袋に
1グラムのその物質(粉末)を入れて口を閉じ、水の中に放り込み、
一定時間置くという方法でした。

それは、グングンと水を吸収して膨潤し、布袋はパンパンに膨らみます。
袋ごと重量を測定して、何グラム吸水したかを調べます。

「でも、水を吸収するだけではダメや。
赤ちゃんは暴れるからな。座ったときには赤ちゃんの体重がかかる。
その条件下で、いったい何グラムの水を保水できるかだ」

ということで、水を吸収して膨らんだ布袋を、
洗濯機の脱水装置に一定時間入れて遠心力をかけ、
その後の重量をいちおう保水力としました。

反応時の条件を変えると、面白いほど、その物質はグングン吸水しました。
脱水機にかけた後でも、かなりの保水量を保っていました。

これなら、赤ちゃんのオシッコをじゅうぶん吸収して
赤ちゃんが暴れても座っても、オシッコは一滴も漏れないかも知れない、
すごい!! と思いました。

実験は次の段階に入りました。

赤ちゃんのオシッコは蒸留水でも水道水でもないのです。

えっ! 今度は水ではなく、オシッコを吸収させるんですかぁ?

いいえ、次の段階で、水から生理食塩水に変わりました。

結果は・・・

ガタガタガタっと、吸収量は激減。 ガックリでした。

水だとあんなに大量に吸収したのにー



残念ながら、その頃、私は産休に突入、そして退職しました。

会社から支給されたLLサイズの白衣や耐薬品性のズボンは
もう、はちきれんばかりでした。

私のような者でも母親になりました。
子育てをしていた頃に、優秀な紙おむつや生理用品のコマーシャルを見ると
「あっ、アレやわ、アレが入ってるんやわ」なんて独りごちました。

今では、もう既に過去の物になってるのでしょうけれど。



2005年04月11日(月) 昔はステキな少年でした。

チャールズ皇太子とカミラさんの御結婚のニュース、
テレビでチラッと見ました。
お二人とも私とは同年代、(ちょっと私の方が若いのですが・・・)
なんだか、しみじみ年月を感じてしまいました。

私が小学校五、六年生の頃に、「少女フレンド」という雑誌が
初めて出てきました。
当時は、漫画よりも少女向けの特集や記事が多く、
そちらがメインだったような気がします。

その中にイギリスのエリザベス女王の御家庭の記事が
しばらく連載されていました。

ヨーロッパに憧れをいだいていた少女時代、
その記事の中に登場するチャールズ王子の写真を
憧れの目で見つめていた時代があったんです。

白黒の写真でしたが、少年時代の王子は
それなりにステキに見えました。

私の男性を見る目も、まだ全然未熟な時期でした。
(って、失礼かしら。今も肥えているとは言い難い・・)

あの頃は、まだまだ遠い国だったヨーロッパ、
ヨーロッパの若い男性なら誰でも良かった?

と、そんな時期があったのですね。

ほんとうに、あれから長い年月が過ぎたのだなあー

チャールズ皇太子の今のお姿を見て、しみじみ感じます。

自分のことは棚に上げて・・・



2005年04月08日(金) 母はよそ者なれど・・・

この町に引っ越してきて、もうすぐ十九年になる。

最初は心配だった。昔からの人達だけの古い地区。

土塀や石塀に囲まれた住宅が並ぶ、曲がりくねった道、
車一台通過できるかどうかの細い道が続く町並み。

当時、小さな工場跡に建った三軒の新築住宅だけが異質な存在だった。
一軒には地元の方が入居、我が家とお隣さんの二件だけが全くのよそ者家族。

でも私には、意外にも住み心地の良い快適な環境だった。
地元の人達は、新参の私達に好意的で親切だった。

なんといっても、同世代の奥さん達(当時は三十代だった)が集まって
ペチャクチャと井戸端会議や噂話などに花を咲かせている風景が
ここには全くないのが、私には合っていた。

周囲は三世帯同居のお宅ばかりだ。
お嫁さん達はお姑さんの手前、井戸端会議などする暇もないのだろう。

この地域では専業主婦のことを「奥さんは遊んでるの?」などと言う。
皆がみな、大きなお宅の奥さん達も、仕事に行くのが当たり前らしい。
小さな町なのに公立の大きな保育所が八ヶ所もあって、
ゼロ歳児から預かってもらえる。

「かつて紡績と農業が盛んだったこの地域は、女性達は働き者で強い」
と講演会できいたことがあったのを思い出す。

ある意味、私がよそ者だから住み易いのだと思う。
古いしきたりやめんどうな付き合いを強要されることもなく、
地元の人達の噂や話題の対象にすらならないので、とても気楽だった。

でも、小学校二年生からここに来た娘は、親とは少し事情がちがう。
地元の近所の友達がたくさんでき、やれ祭りだ、盆踊りだ、などと
すっかり地元民化してしまったようだ。

それでも、小学校時代には毎日のようにいっしょに遊んだ仲間達も
中学、高校、大学と進むうち、それぞれに別の道を歩み始めて、
そのうち親しさも薄れていくものだ。

だから、今でもこの町に住みながら、なおよそ者感覚の母親は不思議に思う。

この地を離れて丸三年、遠い東京で生活をしている娘が、
自分の結婚式に、今はほとんど付き合いの無い昔の友人達を招待すること。

もちろん、今でも親しい友人もいる。
でも、当時からそんなに親しくなかった、
しかも、これからもあまり会うこともないだろう友達の名前もある。
たしかに、同じ地区の友達ではあるが・・・

「なんで? 結婚式に招待する友達って、ほんとうに親しい間柄だけよ。」

「そういうわけにはいかない。この人達だけを外すなんてことはできない。
そんなことをしたら、ここに帰ってこれなくなる」

ええっ!! そういう人間関係、母は苦手だー。

よそ者でいる方がずっと楽なのに・・・

でも考えてみれば、娘はこの町に来て、地元の子供達の仲間に入れてもらい、
とても楽しい子供時代を送ったということだ。

地元感覚が身に付き、母親とは違った価値観で人間関係を大切にする娘、
なんだか世間一般の親子とは逆のような気もするが・・・



2005年04月06日(水) 揺れっぱなしです。

ウェディングの準備で帰省していた娘が東京に戻って行った。
今の生活拠点である東京、ウェディング会場となる大阪、
今年になってから、娘は何度東京と大阪間を往復したことだろう。

ある時は夜行バスで、ある時は飛行機で、そして今回は新幹線、
この五日間はフル活動の娘だった。
式場との打ち合わせ、ウェルカムボードやリングピローの作成準備、
式場で流すBGMの録音、編集、プチギフトの袋詰め、
披露宴の座席表やミニカードの作成、

結婚式って、こんなに忙しいもの?

さらに、この忙しい合間を縫って、大阪ドームに出かけること2回、
相変わらず阪神タイガースの応援に熱くなった娘達、

そして突然ギックリ腰に襲われた月曜日、
あわてて整骨院に連れて行ったり、コルセットを買いに走ったり大変だった。

とにかく、挙式の日までに、まともなスタイルで歩けるようになって!

背中から腰にかけて、まるでボードが差し込まれているような格好で
フラフラと東京に帰って行ったけど・・・

さて、先日の日記の続きです。

今回の揉め事(Yちゃんのこと)について、やはり私なりの考え方を
娘にハッキリ伝えておいた方がいいと思い、
昨日の夕方、二人でそのことについて話し合いました。

あくまでも、娘の友人Yちゃんが六ヶ月の赤ちゃん同伴で
結婚式に出席することに反対の私、

赤ちゃん同伴でもかまわないから、Yちゃんに来て欲しいと
思っている娘、

さて、どちらが勝った(?)でしょうか。

先日、日記を書いた時の私と、今の私、
自分としては微妙にちがっていると思います。

結婚式の時に赤ちゃんを預かることはできない、と言ったYちゃんのお母さんは、

「私は、娘が美容院に行くときでさえ、赤ちゃんを預からないんです。」
とも言いました。

その言葉を聞いた時、選択肢は二通りしかないのだ、と思いました。

Yちゃんの赤ちゃん同伴の結婚式出席、か、欠席。

Yちゃんひとりで出席してもらうことは不可能ということです。

それまでは、この件に関して、私はYちゃんを
「友達として少し配慮が足りない」と、こっそり非難していました。

しかし、近くに住んでいるからと言ってすべての母親が
娘の赤ちゃんを預かってくれるとは限らない・・・

非難の鉾先が、Yちゃんからお母さんの方に移ってしまった私。

でも昨日、娘と話し合ってから、少し余裕ができたのでしょうか。

私には、まだ孫は一人もいないけれど、
もし初めての孫ができたら、数十年ぶりの赤ちゃんの世話。
程度の差はあっても、きっと私だって不安な気持ちになるでしょう。

「赤ちゃんが泣き止まないと、どうしていいかわからない」
「赤ちゃんと二人きりになれない」

お母さんは、実は真面目に真剣に言われたのです。

Yちゃんは赤ちゃんといっしょに、よく実家に帰ってきているし、
普段はきっと優しいおばあさんをされているのでしょう。

でも、一人きりで赤ちゃんを預かるのが不安ということ、
考えてみれば、私だってそうなるかも知れないのです。

ただ、お世辞にもデリケートとはいえない私のこと、
「赤ちゃんは泣くのが商売、元気な証拠よ!」という調子で
たぶん乗り越えられるだろうと思っています・・・が・・・

その時になってみなければ、わからないことはいっぱいある。

Yちゃんが娘に結婚式への出席を断ってきた時、

「ごめんね。私が浅はかで何も考えてなくて・・・」と
とても恐縮して謝ってくれたそうです。

娘は「とんでもない、私の母があんなこと言ったのは、
赤ちゃんがいっしょだとYちゃんがほんとうに大変だと思ったから。
だからYちゃんのお母さんに、赤ちゃんを預かってもらえないだろうかと
思って、いろいろ言ってしまったそうなの。
預かってもらえないのなら、赤ちゃんもいっしょに来て欲しい」
と伝えたということ。

Yちゃんは「お母さんが子供を預かってくれないから」
とは、ひとことも言わないそうです。

というわけで、やっぱり私は複雑なのです。

最初から何も言わずに、結婚式に赤ちゃんを連れてきてもらえばよかったのか。

でも、そうしていたら、私はずっと思い続けたかもしれません。

「Yちゃんもお母さんも、ほんと非常識な人達ね」って。

今は・・・・・(やっぱり揺れ動いております。いろいろな意味で)

結論は、今のところ「なりゆきに任せる」です。

相変わらず、シッカリできない私なのですが・・・

先日よりも気分的に落ち着いています。



2005年04月04日(月) へこんでます。

自分では常識だと思っていることが、他の人では全然違っている・・・
今回の私の失敗もその認識が甘かったからでしょう。

以前にも日記に書いたことなのですが、娘の結婚式の話です。
娘の友人が六ヶ月の赤ちゃんを同伴して出席してくれることになり、
母親の私は心中ずっと複雑な思いを抱き続けてました。

なぜなら、御実家は我が家のすぐ近く、
常日頃から赤ちゃん連れで時々帰ってきているようだし、
御主人の御実家も同じ町内です。
こちらとしては、結婚式の当日だけでも、
どちらかのお母様にお孫さんを預かってもらえないかと、
日が近づくにつれて、そういう思いが大きくなってきました。

それで、その友人のお母さんとも顔見知りの私は、
先日ついつい言ってしまったのです。

「Yちゃん、赤ちゃんといっしょに結婚式に出てくれると言う話だけど
大丈夫でしょうか。」

「六ヶ月の赤ちゃんだったら、Yちゃんも大変だと思うし、
もし泣き出したりしたら、席を外してもらわないといけないし・・・」

たしかに、暗に迷惑だというニュアンスが満ち満ちていました。

若い人だけの結婚式ならいいけれど、親戚や年寄りもいるし・・・などとね。

その言葉は非常に残念な結果をもたらしました。

「そんなこと、今まで思ったことはありませんでした」と最初の一言。

ガ〜ン・・・

「私は預かれません。赤ちゃんは母乳しか飲まないし、
泣き出したら、どうしてよいかわからない。
そういうことだったら、娘に結婚式に出ないよう言います。」

これって、最悪のパターンです。

予想できなかったのでしょうか。

私は甘い人間なのだと思いました。

私は、お母さんがお孫さんを預かってくれると思ってましたから。

最初の返事からして予想外でした。

赤ちゃん同伴での友達の結婚式への出席、
少しは当方のことを気にして下さっている、
何か迷惑をかけることがあるかも知れないと心配してくれている、
なんて勝手に思い込んでいた私です。

結婚式の参加を断ってきたYちゃんに
「お母さんから出てくれるように頼んでほしい」
と娘に言われて悩んでいます。

結局、最初から何も言わなかった方がよかったのでしょうね。

結婚式は親の為のものではないんですものね。



2005年04月01日(金) 桐野夏生 「玉蘭」

桐野夏生といえば、私はあの「OUT」以来です。
図書館で予約してから、けっこう長い間待たされた「OUT」は、
残念ながら私好みの小説ではありませんでした。
もちろん、まだテレビドラマ化されていない時のこと、
あまりにも血生臭いショッキングな場面にタジタジ・・となりました。

ということで、先週図書館で桐野夏生の「玉蘭」を
気まぐれに借りてしまったのは、題名に惹かれたからです。
「玉蘭」の二文字から思い浮かべるイメージは
「中国の歴史」と「清楚な花」のミックス(???)。
いくらなんでもあの血生臭い「OUT」とは、違ったものだろうと。

で、読み終えた感想は?

残念ながら、私は読書感想文というものを書けない人なのです。
こと恋愛小説になると、からきしダメですね。
面白いのか、つまらないのかさえも、わからない。
ただ、小説に出てくる登場人物は、それぞれに好きでした。
それぞれの人の主張、言い分、気持ち、を読むのがとても面白かった、
というところでしょうか。

感想文になっていない感想です。

それと、最後にちょっとした「どんでん返し」がありました。
そう感じるのは、私だけかも知れません。

気になったことは、中国での日本人留学生のことです。
小説に登場する留学生達は、ハッキリ言ってとても乱れています。
何も知らない人が読むと誤解を招くのでは? と心配さえしてしまいます。
私の知っている範囲の人達はみな真面目な学生でしたし、
留学生寮を訪れた時も、とても管理の行き届いた、
どちらかといえば厳しいくらいの印象を受けたものです。

話はガラリと変わりますが、雫井 脩介の「火の粉」
ちょっと前にテレビの二時間ものドラマになりました。
あれ、やっぱり内容がかなり違いましたね。
テレビドラマになると、あんなものなのでしょうか。


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