2008年08月29日(金) |
You're so fucking special. I wish I was special. But I'm a creep |
近所の古本屋「象のあし」に、文庫本51冊(一度に持てる限界)を持ち込む。1,650円。引越しはなくなったが、既に本棚も処分済だし、この際だから一気に減らすつもり。理由が何であろうと、痩せるのとモノが減る結果になるのは歓迎。
コレだけは売らないと思っていた本にどんどん手をつける。私は全てにつけて日本より欧米に興味がある為、本も日本人作家が圧倒的に少ないが。日本人作家で最後に唯一残ったのが澁澤龍彦なのには我ながら驚いた。処分した順を最後から逆に言うと、(当然最後に残るかと思っていた)谷崎潤一郎、(思った以上に最後まで残った)阿部公房、あとは川端康成、太宰治、三島由紀夫。
澁澤(現時点でまだ15冊くらいしか読んでいないが)が残る理由は、文章力だけでなく、資料としての価値があるからだ。
これまで資料的価値のみで残していた書籍の多くは、Wikipediaの登場で処分されたものだが。澁澤の書くような「データ」は、Wikipediaではけして得られない。
例えば「幻想の肖像」において澁澤の解説とともに名画を鑑賞したことがあれば、もうその「データ」抜きにはその絵を見ることは出来なくなるであろう。
全ての記述物は「虚構」であるという単純な事実をわかっていない人間は多く、そういう意味で私は、澁澤の手による歴史、澁澤のつくりあげた「事実」が気に入っているのだ。私は、澁澤の書いたシャルロット・コルデー(1793年にジャコバン党のマラーを暗殺)、澁澤の書いたサン・ジュストに魅せられていて、よそでそれに反する記述を見かけても切り捨てることにしている。
(中略)
要するに。結婚した後から、急速にkazuが私に対して下手(したて)に出始めたのだ。簡単に言うと、「大好き」が嵩じて、顔色をうかがうレベルにまで達してしまっている。今ではまともな会話も成り立たず、電話してきても何も言えないでいて、私に切られる。私は上に立ちたくなどないが、相手がどんどん勝手に下がるのだ。そして自分を卑下する。
けれど毎日一緒に暮らすようになれば、さすがに改善されるだろうと思っていた。その矢先の、今回の馬鹿げた顛末だ。
しかし私は忙しい。まだまだ再インストール後の作業もあるし。
PCに向かっていたら、夜中にPC内から何かのうめき声のような恐ろしい音がしたので、びっくりして固まる。何事?と思っていたら、どうも昨日入れたウィルス対策ソフト(試用版)のカスペルスキーというのが、ウィルスや攻撃を探知して削除する時の音らしい。これがもう、聖水を振りかけられた悪魔が抵抗して呻くような「・・・きしゃぁあああ」という音なのだ。真夜中に一人で聞いていたら怖いのなんの。慌てて音を出さない設定に変更。
このカスペルスキーというソフト、このようにやたらと大袈裟で、時々「攻撃を感知しました!!」などと大騒ぎする。・・・攻撃?(ネット検索したら、「個人が攻撃されるなんて普通ありません」なんていう意見もあったし)
ウィルスの脅威と自己の働きぶりを演技過剰に見せつけることで、有償版を購入してもらおうというハラか?
You're so fucking special. I wish I was special. But I'm a creep (きみは最高だけど、僕は違う。僕はクズだ) *Creep / Radiohead (1992) の歌詞。 *この曲、歌詞も含めて大っ嫌い。自虐に酔いしれていて薄ら寒い。
2008年08月28日(木) |
Didnt I, didnt I, didnt I see you cryin? |
iPodでゴリラズを聴きつつ、東京駅での授業に出かける。'Last Living Souls'も'Clint Eastwood'もいいけど、やっぱり'Feel Good Inc.'がうっとり。普段なら虫唾が走るくらい嫌いな黒人ラップも、この曲に挟まるとうっかり乗りそうになる。出だしの"City's breaking down on a camel's back"という、おそらく聖書が出展と思われる歌詞が痺れる。
ゴリラズはバンドとは名ばかり(絵ばかり?)で、実際にはデーモン・アルバーン一人の世界だし、しかもここでのデーモンはプロデューサーだ。そして彼にはブラーよりこういうのがよほど合っている気がする。
でもバンドがやりたいんだろうな。実は人間臭いタイプだろうから、彼は。
本当はグレアム・コクソンのほうがドライなんだと思う。
帰宅して、夜中にこの日記を書いていて、過去の日記でルカのことを読んで泣く。
そういえば。私はkazuの前で泣いたことすらない。母親譲りで涙もろいので、全く愛していなかったNobu(b)や、本気で好きにはなれなかったDV(b)の前ですら泣いたことがあるというのに。
単にまだ時間が足りなかっただけなんだろうか。
(9/14up)
Didnt I, didnt I, didnt I see you cryin? (君の涙は見たことがなかったっけ) *I Want You To Want Me / Cheap Trick (1977) の歌詞。
2008年08月09日(土) |
Summer Sonic 2008 |
13時半に海浜幕張駅でジンナイくんと待合せ。の、筈が。
京急の鈍行に乗っちゃてたらしくて、30分遅刻。毎度申し訳ない。
さて。サマソニである。ジンナイくんは初めてとのこと。私は2003年に次いで二度目。前回はジョンスペとキルズを観に行った。今回はキルズのみが目当て。
2003年はキャミソールとハイヒールで出かけた。今回も、胸が深くV字にあいた薄いノースリーヴの中に、正面のジッパーを半分下ろしたゆるいチューブブラを見せ、お尻の破れたローライズジーンズ、ハイヒールのグラディエーターブーツ。いくら真夏の野外イベントでも、チケットを買ったらついてきたサマソニTシャツ、スニーカー、首にはタオルという格好はゴメンだ。
しっかしだだっ広いし、人が多いし。駅から会場に移動してリストバンドもらって、トイレ行って(並んだので30分近くかかった)、お酒を買って、だらだら歩いて目当ての会場にたどり着いた頃には小一時間たってる始末。
2003年のサマソニではこういう面倒を感じた記憶がないな?と思ったら。あの時は行きの電車からMM(g)におごってもらったビールを飲み(当時まだかろうじて炭酸が飲めた)、着いたらいきなりMMがくれたケミカルをジンで飲み、おかげで一日ずーーっと気持ちよくラリっていたのだ。なのでそれまで野外イベントを嫌っていた私が「サマソニって楽しいねー!」などと言っていたのだが。要するに酒とクスリのなせるわざか。しかもキルズにジョンスペだしね。
今回シラフで周りを見て思ったのは、どうも音楽好きというよりイベント好きが多いということ。ここまで来てひたすらゲームコーナーで遊んでいたり、トリのバンドの時間になってもフードコーナーに並んでいたり。
あと今回やたらと大デブが目についた。驚いたことに大抵一人で来ている。単純に友だちがいないということなのか。
ソニック・ステージ。暗い室内。キルズは2003年もここでやった。
キルズの前のケイジャン・ダンス・パーティーというバンドの演奏が始まってすぐ中に入る。全員17歳という若さらしく、なのにこじんまりとしてつまらない。すいすいと人の間をぬって、前のバンドの終了時には前から5番目に到達。
私のすぐ前に外人3人組がいてやたらやかましく喋っている。一人がずっと"U R A fever, U R A fever"と3rdの曲を歌っている。・・・私はもう、あの3rdはiTunesからも消しちゃったわ。
ところがなかなかキルズが出てこない。開演予定時間を30分過ぎた頃、主催者側の人間と思われる男性が出てきてこう言った。「演奏を予定していたキラーズですが・・・」・・・この瞬間に私を含めて「何だそれ!」という抗議の声が上がる。謝罪に出てきといて、バンド名もわかってないわけか? そして結局、機材トラブルがあったから演奏しないんだと言う。唖然。
どうやら日本語を全て理解している様子の外人3人組が騒ぎ出す。"FUCK!!"の大連発。そのうちVVが通訳に伴われてステージに出てきた。何だか薄ら笑いを浮かべ、そわそわとして心ここにあらずといった風情。「悪いお知らせがあるんだけど」と言った瞬間にまた外人が"FUUUUUCK!!!"と叫ぶ。その外人らの声が一切耳に入っていないかのように無反応のVVは、かかとを軸にしてくるりと向きを変え、困ったように笑う。「ドラムマシンのデータが全部消えちゃったの・・・私たちがやったんじゃないと思うんだけど」
・・・・・呆れて声が出ないでいる私のぶんまで外人が騒ぐ。VVが「演奏するのを楽しみにして、遠くから来たんだけど」と言った瞬間、外人の一人が「俺らもだーーーー!!!!」と絶叫。この時はすかっとした。よく言った、外人。
私がたった一言叫びたかったのは、"Where is the other guy?!"だ。コレを言えば一番VVにはこたえた筈だ。だってどうして一人で出てくるんだ? ホテルはどこよ? いつもならステージでの喋り担当はホテルの筈だ。VVは私がかつて観たキルズのライヴ3回(2002年ロンドン、2003年サマソニ、2004年渋谷AX)、及び何本か見たライヴ映像でもただの一言も喋っていない。・・・何だか知らないけど何かあったんだ。ホテルはおそらく楽屋にもいないんじゃないか。大体データのバックアップがないなんて信じられるか。
それより何より、ドラムマシンが壊れたから演奏しないなんていうバンドがあるもんか。キルズには元々アコースティック曲もあるし、そうでなくても私が普段やっているように、キルズの曲なんてどれでもアコギ1本でやれる。そうすれば、客としては逆に珍しいものが見られて喜ぶ筈だ。かつてハノイ・ロックスのシークレット・ライヴにマイケル・モンローが来なかった時、代わりにアンディ・マッコイが全部歌ったが、口の端から涎を垂らすまでにイッちゃってるアンディを見て、こりゃ逆にいいもん見たなと思ったものだ。
演奏しないのはホテルがいないからだとしか思えない。それでもVVが(ギターも弾けるんだから)一人で歌うことは出来る。しかし、普段のVVのホテルへの完全な依存っぷりを思えば、それは無理なんだろう。
外人たちが「帰ろうぜ、馬鹿馬鹿しい」と言い捨てて去る。先ほどの男性スタッフは、客の抗議も全く気づいていなかったのかさらに「キラーズ」がどうたらこうたらと繰り返している。・・・誰かあいつをクビにしろ。
しかし。何より頭に来たのは、VVの謝罪とも思えない謝罪が終わった瞬間、会場から弱い拍手が起こったことだ。・・・怒らないとか許すとかならともかく、なんで拍手なのよ! 外タレを甘やかすのもいい加減にしろ。これだから日本はいつまでも欧米にナメられ放題なんだ。ちょっとは考えろ。
私が怒っていたら、ジンナイくんが「請け負った仕事のデータ全部消えちゃいましたー、って言ったらほめられたみたいだね」と言う。本当ね。
怒りつつシャトルバスで屋外のマリン・ステージへ。まだ時間があるし、今の騒動でハラが減ったので、ジンナイくんにチキンとチョリソーを添えたジャンバラヤを買ってもらい、そこらの地面に座って食べる。度数の弱い酒を飲んで、二人共通の煙草であるラッキー・ストライクを吸う。ふと見れば目の先に喫煙所が。「ということはここらは禁煙なんじゃないかなー」などと言いつつ、二人ともかまわず吸う。
食後にアイスも買ってもらい、ようやくスタジアムの中へ。
ところでひとつ面白いことが。会場に入るたびにバッグのチェックがあって、一人一人止められているのだが。何故か私だけ、リュックを左肩にしょって堂々と素通りしているのに誰も止めないのだ。こっちがしっかり係員の目を見ながら通っても、「あ、どうぞー」って感じ。・・・何でだ?(世の中は気合?w)
ヴァーヴも見ようと思えば相当近くで見られたが。ふと思い直してスタンドへ。一番前の席に座れたので、ジンナイくんと二人、前の椅子(使用していない)に足を乗せてくつろぐ。ほどなく演奏が始まる。いい意味でおおまかでだるい。でかい音が野外に拡散していくのがよく似合っている。まったく派手でなく、だがしっかりと客を引きつける説得力のある演奏、というかシンガー。・・・へえ、かっこいい。リチャード・アシュクロフトって、いいボーカリストなんだな。(歌っている時の動きはメチャクチャ変だけどw) アコースティックの曲になると途端にピッチが不安定になったりもするが、とにかく声がいい。一度アコギのバラードの最中にいきなり、「こんな曲やらねえ」と言って止め、別の曲をやろうとメンバーに言って、しかし結局また元の曲を歌うという場面があって、これにはちょっと目が点になったが。
しかしちょうど暮れかかる一番いい時間帯で、雰囲気がよく、気持ちいい。そこでしみじみと気分よく思う。このバンドって、やっぱり曲づくりはたいしたことないんだな。でもこうやってライヴを聴くとかなりたいしたバンド――というかやはりひたすらアシュクロフトか。
その「曲づくり」に関してしっかり確信したのが、'Bittersweet Symphony"をやった時。会場も大揺れだが、私もじーーーんとなる。ああ何ていい曲だろう。以前この曲のことを日記に取り上げた時には、「ストーンズの'Last Time'と'Bittersweet Symphony'は別物だ」と書いた。それは確かにそうだが、こうやってライヴでこの曲だけ完成度が格段に違うのをまざまざと見せられると、あのオーケストラのサンプリングがいかに大きな役割を果たしているかがわかる。
・・・まあしかしとにかくいいものをつくれるというのは素晴らしい。と思いつつ、'Bittersweet Symphony'(ラスト曲ではなかった)が終わると同時に立ったりして。(でもかなり満足しました)
で。もののついでにセックス・ピストルズ。来る前は全く観る気がなかったが、そこにいるんだと思うとにわかに興味がわいた。
ぎっしりの人をぬってかなり前まで行く。ジョン・ライドンの表情まで見えるいい位置。最近のジョンはすっかり本国でもお笑いタレント的位置づけのようだが。その太ったおじさんが何を見せてくれるのかと思いきや、いやもうこれが。まさしく太った親父のエンターテインメントショーで。メンバー紹介もリズムに乗せて「グレン!グレン!グレン!グレン! ポール!(×4) スティーヴ!(×4) ウィアーセックスピストーールズ!!!」てな感じで。肩をすくめて歩き回ったり両手をぱあっと頭上に開いたりするのは、自分の現在の体型を最大限にアピール出来ることをわかっての動きだ。マイクを腋にごしごしこすりつけて見せたりもする。適度な間と緩急をつけたMCはまったく手馴れた感じで見事。いやあこれ、楽しいわ。演奏そのものもベテランの「エンターテイナー」の堂々とした風格。
・・・まさかピストルズを観てこんな感想を持つとはねえ。
周りの20代中心の客は大喜び。(いや、これを喜ぶのは正しいんだけど) 時々気合の入ったパンクスが暴れたりしている。「セックス・ピストルズだ」という概念だけであれにパンク魂をかきたてられるとは、ワカモノって真面目だなあ。
ロックは死んでねえしパンクも然りだけど。「ジョニー・ロットン」はすっかりとっくに死んじゃって、今はあそこに新生「ジョン・ライドン」がいる。別にそれを非難する気はない。あれはあれで立派だ。
ただ、ノスタルジックに思い出す。がりがりに痩せて、自分でも何がしたいのかよくわからず、しかしひたすら真剣に、大人や観客や全てに対して挑戦的だった「腐った」ジョニーを。
ポール・ウェラーを観に移動する。(途中間違って隣の会場に入りホット・チップというバンドを一瞬観るが、エレクトロ・ポップとかいう恐るべきシロモノで慌てて退散)
しかし。ポール・ウェラーがものすごくつまらない。雰囲気だけで内容がなくみえる。やたらきんきんとした音のキーボードが邪魔。どうやら私たちは一番ダレてたところに到着したらしくて、しばらくしたらバンドが活気づいていくらかマシになったが。でもやはり退屈。見渡しても、客の入りといい反応といい、これで大トリがつとまっているのか?という感じ。
ポール・ウェラーを途中で抜け、サマソニ会場を後にする。
2003年と同じく、帰りは足が痛くて痛くて。ジョンスペ最前で踊りまくった前回に比べりゃ全然マシだけど。でももし次回行くとしても、やっぱりスニーカーは履かないよ。
2008年08月08日(金) |
You are the first one. You'll be the last one |
今日はワタクシ、生まれてから一番ボケたことしました。ええ。
20時から新宿で国王(b)、モッチー(g)と飲み。の、筈が。30分遅刻。ごめんなさーい。
今日は残念ながらコーさん(drs)がいないが、バンドの飲み会である。まあ単なる飲みであったのだが、しかし今夜は非常に有意義だった。
バンド名も決まった。心理学では人は名前のないものは愛せないというから、これは大変よろしい。バンド名は何と、国王のひらめきで「Screaming Bunny」である。単純過ぎるようでいて、逆に提案するのも了承するのも思い切りが要るバンド名だ。モッチーが、「よーし、俺、'Screaming Bunny'の初代ギタリストだ」と可愛いことを言っていたが、二代目を考える気はないので末永く弾いててねw
3人とも人生そのものがロックをベースにしていると言っていいと思うので、とにかくバンドについての意識を真剣に熱く語り合い、何とも手ごたえがあって楽しい。おかげで22時お開きの予定が、0時過ぎちゃって。
この日は殆ど寝ていないのと、結構食べちゃったのがきいたのか。或いは壁ぎわの席に座れたのがいけないのか。すごく久々に電車で寝ちゃったのだ。新宿から乗って、ふと目を開けたら電車が駅に止まっていて、車内の表示を見たら「三鷹」とある。げっ。
ホームに出てみたら、「もう上りはないよー」という表示。げげっ。仕方なく改札を出て、タクシーを拾う。まあ荻窪までなら3,000円もあれば着くだろうと思いつつ。そしてしばらくぼーっとしていた後、外の景色を見ていて驚いた。市ヶ谷? なんで市ヶ谷?? 運転手に問いただしたら、返ってきた答えが「だってお客さんが乗ったの、東京駅ですよ」
―――――げーーーーーーーーーーーっ。
まさか折り返して終点にいるなんて思いもしなくて。(今までは寝ちゃっても2、3駅乗り越す程度だったのに) じゃああの車内表示、「三鷹行き」ってことだったんだ。つまり、あの電車にそのまま乗ってりゃ良かったんだ。しかも私、改札を出ながら「東京駅にもこんな改札口あるなあ」と思い、タクシーから遠ざかる駅を見つつ「東京駅に似てるなあ」と思っていたのだ。・・・全て酔いのなせるわざ。よくよく考えれば三鷹駅の改札も外観も知ってるし。
そして更にアホなことに気づいた。下りはまだあるってことは、もっとさっさと気づいていれば、途中でJRの駅に降ろしてもらえばよかったんだ。慌てて携帯で終電時刻をチェック。既に新宿だが、新宿からの終電は1時1分。現在1時2分。・・・あーあーあ。
結局6,740円の出費。しくしくしく。・・・そりゃもっと遠距離を一人でタクシーに乗ったことは何度もあるけど、自分で払うのは初めてなんだっ。
帰宅途中にハニー(drs)から電話があったので、家に着いてからかけ直してもらう。鬱で仕事を休んでいたのが、大分良くなって、仕事も少しずつ復帰し始めたらしい。よかった。声もいつも通りだ。
でも結局私は彼の鬱の面は全く見たことがない。多分この人は、内情がどうなっていても簡単にそれを他人に見せないんだろう。彼のそういうところが好きだな。でも前にもらったメールには、私にしかこういうことは話せないとも書いてあって、それはそれで嬉しい。
もっと話していたかったけど、眠いというか軽く気分が悪くて、こっちから切り上げる。電話を切ったら、ちょっと吐いちゃうし。
今夜は経済的には大打撃だし、肉体的には気持ち悪いけど。でも精神的には非常に幸せ。
You are the first one. You'll be the last one (初代のあなたがずっと弾いてね) *Video Killed The Radio Star / Buggles (1979) の歌詞。 *赤字の部分は本来はどちらも'were'
2008年08月07日(木) |
「『そして誰もいなくなった』公演前のネタばらしに抗議する」に、抗議する |
kazuとメールで喧嘩。というかまた私が怒ってるだけ。でも今回は一番きつく当たった筈。
きっかけは一昨日kazuが、「土曜に仕事が入ってしまった」とメールしてきたことだ。14時には終わるというが、それではキルズに間に合わない。私はサマソニに行きたかったのではなくて、キルズが観たくてチケットを買ったのだ。で、ライヴ(ましてサマソニ)に一人で行くのは嫌なので、kazuを誘った。だからキルズが観られないのでは意味がない。で、ジンナイくんに声をかけたら快諾してくれたので、彼と行くことにした。このへん、非常にkazuに同情が集まりそうな話ではある。
でも私はとりあえず一言もkazuを責めなかった。そしたら今日になってkazuが「まだ怒ってる?」とメールしてきて、逆にそこでだんだんと怒ってしまったのだ。で、「あなたはもうこの件には関係ないの」とまで言ってしまう。(・・・ああ、非常にkazuが気の毒な話だなあ)
で、謝りの電話をくれたkazuに私が言ったことときたら。
「レッチリだったら仕事入れなかったくせに」
うろたえて何ごとか言い訳するkazuに、さらにたたみかけて
「レッチリだったら仕事入れなかったくせに」
さらにごちゃごちゃ言うkazuに
「レッチリだったら仕事入れなかったくせに。答えてよ。レッチリだったら行くでしょ?」
・・・・・・・・・・小学生か、おまえは。
しかしここできちんとうろたえて口ごもるkazuもどうよ・・・。最後には、「レッチリでも仕事を入れざるを得なかったと思う」とかもごもご言ってたけど。・・・ぜってーウソだね。
つうか、レッチリのライヴあったら仕事入れるなっての。
今日は実はお休みである。ベッドに寝っころがって筒井康隆のエッセイ「笑犬楼の逆襲」を読む。(似たような題のシリーズなので、とっくに読んだかと思っていたがまだったので)
珍しく日本語を読んでいる理由は、早く読んでしまって処分したいからだ。引越し前に荷物――特に本をちょっとでも減らすつもりなので、読んでしまえば処分できるものが増える。(それでも残したいものが700冊くらいはあるけど)
そしたらその中に、「『そして誰もいなくなった』公演前のネタばらしに抗議する」という文章があった。公演中に週刊誌にネタばらしをされたというのだが。
「現在、楽日も終っていることだし、バラしてしまうが」と言って、「実はこの芝居、XXXが犯人なのだ。(中略)しかるにこの写真週刊誌は、写真と記事によってこれをばっちりバラしてしまったのだ。『XXXXXXの男』などと書いて、トリックまでバラしている」とある。(注:Xの部分は私が伏字にしています)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・待てコラ。
言うまでもなく、「そして誰もいなくなった」は、アガサ・クリスティの名作である。私はあれを、13歳の時、旅行先の名古屋の観光バスの中で読んでいた。おかげで名古屋城の記憶など一切ない。ただその日がうす曇りで、薄陽の差し込む窓際の席で、ぞくぞくと興奮からくる寒気を覚えながら読んでいたことは今もはっきりと覚えている。
本格ミステリーは結末が命だ。だがクリスティの「そして誰もいなくなった」や「アクロイド殺害事件」、クイーンの「Yの悲劇」といった超有名作は、有名過ぎて結末を秘密にするのが難しくなる。だがそこを何とかみんな頑張って、大事に大事に何十年何百年と天然記念物を護るように保っているのだ。だから、ミステリーの結末を公の場でバラすのは、死刑は無理としても無期懲役減刑なしくらいは当然である。
それを、何とまあ、自分の芝居のネタがバラされたと怒って、原作自体のネタを書いちまうなんて。原作が自分のものだとでも思ってるんだろうか。
これまで日本人としては一番尊敬してきた筒井大先生。こればっかりはどうにも納得できません。どう申し開きも無理でしょう。
「『そして誰もいなくなった』公演前のネタばらしに抗議する」に、抗議する (怒)
2008年08月05日(火) |
Life In Prison |
ソルジェニーツィンが昨日死去したことを知る。・・・ああ、死んじゃったのか、ソルジェニーツィン・・・って、えっ、ソルジェニーツィンって生きてたの??
何しろロシア文学である。頭の中で漠然とドストエフスキーとソルジェニーツィンを同時代のイメージにしていたが。よく考えたらこの二人は生きていた時期がほぼ入れ違う。
調べてみたらソルジェニーツィンの生年はナボコフの19年後(1918年)で、私が唯一読んだナボコフの「ロリータ」が1955年発表、これまた私が唯一読んだソルジェニーツィンの「イワン・デニソーヴィチの一日」が1962年で、わずか7年しか違わない。しかし、印象的にはナボコフのほうがずっと「現代作家」のイメージであった。(のは、私だけか?)
ドストエフスキーは8冊読んでいるが、ソルジェニーツィンはまだ「イワン・デニソーヴィチの一日」一冊きりだ。そういえばこれはスターリン政権下の収容所での話だっけ。今ぱらぱらと読み返してみても、時代性や人間性という意味では、受ける印象は、ドストエフスキーの「死の家の記録」(1862年発表で、「イワン」のちょうど100年前)とあまり変わりない。「死の家の記録」も収容所(刑務所)での生活を描いたものだ。
ただし「イワン」の方は(14年前に読んだので細部の記憶がないが)、ある一日をただ詳細に述べながら、人間が日々の生活にいかに順応し、また周囲の他人というものにいかに寄り添って生きていくかを描いていて、イワン・デニソーヴィチという人物は時折まるで犬と変わらないほどの純粋さを見せたりする。
一方「死の家の記録」はひたすら記録であり、私はこれがドストエフスキー作品の中では一番読み辛かった。読んだのは17年前であり、当時自分が記した感想には、「余りに緻密な情景描写もさることながら、夥しい数の人物についての言及、またその性格描写たるや殆どが断定的な前置きである」「主人公(作者)は貴族であり且つ傍観者であった為に、完全にこの物語の枠外に自己を置いており、主人公不在のまま物語は進行してゆく。そこで読者は主人公の目を通してものを見るのであり、決して主人公の目をもってものを見ることが出来ない。故に徹底的なリアリズムが展開することになる。そこには物語性の片鱗もない」などと書いている。
・・・当時私は、年間100〜120冊(最高150冊)読んでいたが、読了した本の殆どにいちいちこういう感想をワープロで記していたのだ。(上の抜粋は一冊の感想のほんの一部だ) 今のようにネット上に発表する機会もなかったのに。たいした情熱だなあ。
Life In Prison (収容所での生活) *Byrds の曲。(1968)
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