Rocking, Reading, Screaming Bunny
Rocking, Reading, Screaming Bunny
Far more shocking than anything I ever knew. How about you?


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*名前のイニシャル2文字=♂、1文字=♀。
*(vo)=ボーカル、(g)=ギター、(b)=ベース、(drs)=ドラム、(key)=キーボード。
*この日記は嘘は書きませんが、書けないことは山ほどあります。
*文中の英文和訳=全てScreaming Bunny訳。(日記タイトルは日記内容に合わせて訳しています)

*皆さま、ワタクシはScreaming Bunnyを廃業します。
 9年続いたサイトの母体は消しました。この日記はサーバーと永久契約しているので残しますが、読むに足らない内容はいくらか削除しました。


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2008年09月30日(火)  I'll have no such chat

ウィリアム・ピアスンの「すばらしき罠」読了。1953年作。なんでこの本を購入したんだか忘れたが、以前にヤフオクで入手した初版の絶版本だ。
罠にはめられた主人公が、濡れ衣をはらすべく立ち回るというよくある筋なのだが。この男は、ある犯罪を犯していないことを立証する為に同じ犯罪を犯し、自分がはめられた罠から抜ける為に、別の人間を罠にはめるのだ。そして最後は、愛を粉々に砕いて終わる。犯罪は犯罪として、それでも愛だけは守れる状況においてそれを踏みにじる。要するにこの男は最初からずっとただの嘘つきで、自分のことしか考えていない。
これに比べれば、フレドリック・ブラウンの'The Wench Is Dead'で、愛する娼婦と共に、犯罪を抱えて生きることを選択する主人公の真摯な態度は、愛らしいまでに誠実だ。
*ミステリーを読む方にはおわかりでしょうが、ネタバレしないように喋っている為、言葉が抽象的になりがちです。
後書きに「ウールリッチの考えそうな着想」などとあるが。私の愛するウールリッチと比較するのはやめてくれ。ウールリッチは、どんな皮肉でペシミスティックな話を書いていても、痛いほどに誠実で、愚かなほどロマンティックだ。

メールをチェックしていて、Darrenから来ているのに驚く。新しく始めたらしいチャットシステムへの招待だ。興味は全くないものの、何となくサイトのリンクをクリックしてみたら、数秒とたたずにDarrenからチャット要求が来た。すぐさまサイトを抜けて、そのままメールも削除。
Darrenを受信拒否などにする気はないのだが。"your perfect ass"がどうこうとかメールを送ってくる男とチャットする気になれるかっての。
(10/13up)

I'll have no such chat (そんなチャットしたくないわ)  *Arthur McBride / Bob Dylan (1992) の歌詞。



2008年09月29日(月)  Should we talk about the weather? Should we talk about the government?

夜中に、NYから帰ったkenjin(g)からメール。大統領選の話などした後で、「ま、雨続きだし、Should we talk about the weather? Should we talk about the government?ということで」なんて書いてあって、相変わらず私のぐっとくるツボを押さえてるなあと思う。
メールの本題は、ニルヴァーナの映像を見せたかったらしい。カートが途中からギターを捨てて、マイクを手で持って歌っている。
私もこういうのは初めて見た。カート・コバーンというのは歌も歌うギタリストだとばかり思っていたから、確かに、一瞬でもギターを捨てる彼というのは想像したことがなかった。
先にkenjinの説明を読んでしまったせいか、それほど衝撃は受けなかったが、でも、予期していないところにこう来られたら確かに度肝を抜かれたかもしれないな。カートがいきなりギターを捨てる。マイクを持って長くシャウトする。それだけで、ドラマになっている。
kenjin自身はこの映像に相当興奮していて、ひとつのドラマに対するこういう反応の仕方は私に似ていると思う。
しかし。実はちょっと助かった。「kazuの大好きなニルヴァーナ」が、おかげで最近全く聴けなくなっていたのだ。そこにkenjinのおかげですいっと復活出来た。
よし、この方法でいけばいいのか。誰かツェッペリンの衝撃映像送ってちょうだい。(ボンゾがスティックを捨てて、いきなり素手でドラムを叩く・・・のはしょっちゅうやってるか)

Should we talk about the weather? Should we talk about the government? (お天気の話でもする? それとも政治の話?)  *Pop Song 89 / R.E.M. (1988) の歌詞。



2008年09月28日(日)  Jonathan

10月下旬にまた南阿佐ヶ谷ロックバーBセッションに出ることになった。実を言うと私は、毎回自分がかなり出ずっぱりな気がして、そろそろ一度くらい控えめに・・・と前々回くらいから考えていたのだが。逆に前々回からの2回こそが、バンドとしてばっちりやっちまったので。今回は前もってバンドに、「今回はバンドで出なくてもいい」と言った。そしたらMY(b)だけが出ることになった。
しかし精力的で顔の広いMYのこと、 2〜3日の間にギターとドラムを探してきた。それも、どうも「プロ並みに上手い」方々だとの噂である。うーん。
MYに3曲やりたいと言われて私が選んだ。最近バンドでやっている尖った雰囲気とは異なる選曲にしたら、これが何故か、3曲そろいもそろって、「死」に関係する曲。別に深層心理に何があるわけでもないだろうが。

3曲中1曲が、ガール・ブラザーズの'Reaching One'―――ウェンディ&リサがたった1枚別名で出した追悼アルバム'Girl Bros.'の1曲目で、歌詞もそのまま死を悼む内容。だから、普段の彼女達の(私が苦手な)色気のあるファンクとは違い、シンプルなネオアコ風だ。
私はこのアルバムを、2005年に高円寺CROSS ROADでたまたま手に取り、あっという間にのめりこんだ。その後CDライナーを読んで、これが追悼アルバムであることを知った。
亡くなったのはウェンディの兄、ジョナサン・メルヴォワン。キーボーディストで、1996年にスマッシング・パンプキンズの'Mellon Collie'ツアーに参加中に、ドラッグのオーバードーズで死んだと書いてあった。

が、今日ネット検索して初めて知ったのが、その時ジミー・チェンバレンも一緒にヘロインをやっていたということだ。ジミーが911に電話したが、救急車が到着した時にはジョナサンは既に死亡していたらしい。それが原因でジミーはスマパンをクビになったというのだ。
その結果、1998年に、スマパン唯一の、ジミーのいないアルバムが出る。―――'Adore'だ。私がこの半年あまりうっとりと浸り続けているアルバム。
私はジミー・チェンバレンのドラムは好きだし、スマパンの他のアルバムも聴く。一番好きなのは'Mellon Collie'だ。しかし、'Adore'は、ドラマー不在であることでスマパンの中でも異質であり、今現在の私をどうしようもなく魅了している。

ウェンディ&リサにとっての'Girl Bros.'も、追悼アルバムゆえの特異性を持ち、ファンにすらあまり知られていなかったりするが、これ1枚だけが私の心に食い込んだ。

ジョナサン・メルヴォワンという未知の人の死がきっかけで生まれた2枚の異質なアルバム、それが偶然に2枚とも私のコアにしっかりと根を下ろしたという事実が、何となく不思議な気がする。
(10/11up)

Jonathan (ジョナサン)  *Girl Bros. の曲。(1998)



2008年09月27日(土)  嘘をついたりしない

土曜なのでまた古本屋に本を売る。現在約170冊売って6,010円。ちなみに店主にはいきなり興味をなくした。(よく見たら好みじゃなかったです、っていう私によくあるパターンw)
カルディに寄って、キャンベルのミネストローネ、キャドバリーのミルクチョコ、ハバネロコーンチップを買う。

青梅街道の行きつけの美容院に、前髪をカットしに行く。ここには月イチのペースで来るのだが。6月に来た時は「彼氏出来ました」と言い、7月は「入籍したんですよー」、8月は「品川に引越すんです」、で今回が「離婚しました」だ。
担当美容師に毎回かなり面白がられている私だが、今回も「いやーBunnyさんらしいですねー」とウケていた。「というわけで今後もよろしくお願いします」と言ったら笑って喜んでいた。
そういえば離婚した日の授業に来た真理絵ちゃんたちに、帰り際に「あ、そうだ。先生離婚しました♪」と笑顔で言ったら、一瞬真理恵ちゃんが「あ!♪」と言ってその後ふっと黙ったので、「今『おめでとうございます』って言いそうになったでしょ?」と突っ込んだらその通りだった。実際言った生徒もいる。私に直接会ってこの結婚〜離婚話を聞いている人なら、決してお悔やみを言うどころか、うっかり「お祝い」すら言いそうになるのだ。
なのに。日記とメールでしか話を知らないと、私がいくら元気だと言っても信じず、「励まそう」としたりする人たちがたまにいて、これが非常に心外だ。
私にとって「強がり」は「嘘つき」と完全に同義だ。kazuが嘘つきだから離婚したのに、その私が嘘つき扱いされるのは不愉快だ。私は、アホで凶暴で大人気がなくてうかつでビジュアル記憶障害で遅刻魔だが、「嘘つき」ではない。
だいたい、「強がる」なんてかっこ悪いことしないわよ。失礼な。
それに強がるくらいなら、こんな日記なんか書くか。
(10/10up)

嘘をついたりしない  *ダーリン・ミシン / RCサクセション (1980) の歌詞。



2008年09月26日(金)  Don't ask me why

CBSニュースによれば、サラ・ペイリンの支持率――特に女性有権者からのそれが急降下らしい。わずか18日間で47%→34%だとか。残念なことだが、全く意外ではない。
若手の女性でアラスカ知事という際立った人物を選んだマケインの機知は見事だと思ったが、しかし選ばれた人物がそれを受けてたつ器量に少々欠けていたらしい。爺さんは、欠けている部分なぞ自分が補えると思ったのだろうが、予想を超えた注目度だったということか。

元々がちがちの保守派なのだ。加えてブッシュと同じで進化論より創世記を好み(驚くなかれ、統計によればアメリカ人の51%が創世記を事実だと思っている)、地球温暖化は人為的ではないと発言する。突っ込みどころ満載なのだ。今まではアラスカという僻地で、その考え方で問題なくやってきたところへ、いきなり全国から注目を浴び、その(マケイン批判を含む)過去の発言までがいちいち取り上げられる。そして彼女はそれに対する準備が出来ていない。
なので、簡単に逆上し、うろたえる。
最新のインタビューでCBSのケイティ・コーリックに、「あなたが昨年までパスポートを取ったことがないのは、世界に対する関心の欠如のあらわれではないかと疑念を持つ視聴者が多いのだけれど」と言われただけで、もう"I'm NOT one of those who..."と動揺で声が裏返り、「私は大学を出たら親が世界旅行していらっしゃいなんていう環境にはなかったの。仕事と家庭の両立で忙しかったのよ。世界のことなら学校教育や本やメディアから充分学んだわ!」(訳は私のダイジェスト)と泣きそうな顔で早口でまくしたてる。ものすごく、説得力がないのだ。常に守勢にまわって言い訳をしている。

ヒラリー・クリントンは堂々と嘘をついて信用を損ねたが、サラ・ペイリンは必死で自分に筋を通そうとして信頼を失っている気がする。その信念はことごとく私と反するものの、見ていて憎めない人物であり、もう少し頑張って欲しい気もするのだが。
結局あの爺さんが、もうちょっと考えておくべきだったということだし、今現在もフォローが足りないのだよ。
(10/8up)

Don't ask me why (何でかなんて訊かないでよ)  *Sarah / America (1977) の歌詞。



2008年09月23日(火)  Come back to me again, and play your sad guitar

グレアム・コクソンが、デーモン・アルバーンが「ブラーは終わった」と発言したのに対し、ブラーのオフィシャルに反論書込みをしたという。なんと、「彼が決めることじゃない」と言ったらしい。
・・・既にバンドを辞めているあなたが言うことじゃないと思うんですけど。「俺のほうからまた彼に連絡入れて話してみるべきなんだろう」とも言っているらしく、復縁希望ありありですね。逃げられれば追うのか? これが、グレアムを復帰させる為のデーモンの「手」だったとしたら、まんまと成功か?

しかしグレアムがブラーに戻ったりしたら、近づきづらくなっちゃうな。今なら(多分)単なるカムデン在住ギタリストくらいの身分だろうから、ロンドンに行って果敢にアタックすればロマンスのひとつも(すみません妄想ですから)

関係ないがフー・ファイターズも活動休止らしい。私の感想はといえば、「ジンナイくんが行くライヴがなくなるなあ」と思ったくらいだ。
前回のフーファイのライヴも楽しかったけど、やはり新譜が今ひとつの出来だったことが、活動休止にショックを受けない理由かな。

Come back to me again, and play your sad guitar (また僕のところに戻ってきて、あの切ないギターを弾いてくれ)  *Groupie(Superstar) / Delaney & Bonnie (1969) の歌詞。



2008年09月21日(日)  バイバイ 君といたってしょうがない

ベイビー(g)はじめ2、3人に、「人妻最後の夜」とタイトルをつけたメールを送る。そしてサルトルの戯曲「キーン」を読む。「狂気と天才」なんていうご大層な副題に似合わず、ほぼコメディといっていい。
その中に、「男が自分のためにしてくれた気違い沙汰―――それを許さない女があるでしょうか?」という台詞があって、ホントよねえー、とうなずく。2003年の彼がした「結婚直前の身でありながら、私を好きになってうちに入り浸った」という「気違い沙汰」、2005年の彼が、私のために妻と子供二人を捨てようとして、双方の親や上司まで巻き込んだ大騒動、など。その時々はそれぞれに辛い思いをしたけれど。彼らがそれぞれ分別をなくしたのが、私への愛情からだと思えば、はっきり認めてしまえば気分はいい。(単にそれぞれ性格的に問題があったのかもしれないけど)
要するに、私を含む多くの女は、男が自分のために馬鹿なことをしてくれるのが好きなのだ。馬鹿な男は愛しい。
私に対して恥をかくのを恐れる男なんて。愛せない。

などと。サルトルを自分の身の上に重ねて読みつつ、人妻最後の夜はふけてゆく。
(10/4up)

バイバイ 君といたってしょうがない  *ぼくはぼくの為に / RCサクセション (1976) の歌詞。



2008年09月20日(土)  Only got ten minutes

授業後13時半に、また例の古本屋で本を売る。土曜日ごとの恒例となりつつあるな。その後すぐ高円寺の「レア」へ。CDとDVDとレコード合せて16枚を売り、5,280円。とうとうレオン・ラッセルの激レアLPまで売っちゃったから、これで手元に残っているレコードは、2006年のCROSS ROAD最終勤務日にまるちゃんにもらったレッド・ホット・チリ・ペッパーズの'By The Way'のLPだけだ。これだけはずっと本棚の上に飾ってある。私の聖典だからね。

14時15分に、新宿でえみちゃんと会う。彼女は今夫婦間で問題を抱えているらしいので、今日はその話を聞くつもりでいたのだが。
会うなりまず「おなか空いた」と言われ、では(私は食べないけど)カフェにでも移動と思ったら、急に「カラオケに行きたい」と言い出す。えええ。予想もしなかったが、まあいいか。
南口にいたので、適当に近くの店に入ったら。物凄く安いかわりに、部屋が狭くて汚くて臭い。えみちゃんが苦情を出して部屋をかわる。えみちゃんがお好み焼きを頼んで食する間、私はコーヒー飲みながら、えみちゃんに例の夫婦間の話をふってみた。そしたらえみちゃんが話しだして。
結局2時間ずっと、話し込んでしまった。「あと10分です」と電話が来て「げっ」となり、慌てて1曲ずつ歌う。えみちゃんがゼルダを歌ったので、何故ゼルダ?!と驚きつつ、じゃあ私もとゼルダにするが。カラオケなんてまる4年ぶりなんで、「歌いづら!!」と思う。気合が入れられないので、声が伸びない。

えみちゃんがご不満なので、もう1件行くことになり、私の薦めで東口のパセラに移動。ここならばロックも山ほどあるはず。4年前に来たのもここだ。
私はホールガービッジパティ・スミスを歌う。昨日リハでやった曲が次々歌えるところがパセラの曲揃えの凄さ。(が、さすがにキルズは'Fried My Little Brain'1曲しかない。あんな曲がカラオケで歌えるかっての) 更にシナロケ戸川純オアシス
で、えみちゃんが何を歌ったかというと。スターリンINUスライダーズなど。相変わらずのピンスポットなマニアックぶりだ。うーむ。これを全部なんだか上品な声で歌うし。

20:45帰宅。ちょっと疲れた。そして実は朝から腹痛がしている。
スタンリイ・エリンの「ニコラス街の鍵」読了。1952年の作で1960年の翻訳だが。この翻訳がひどい。殆どまともな日本語になっておらず、文の出だしと終わりが一致していない箇所すらある。ハヤカワのポケットミステリは原作は一級揃いなのだが、古いものになると翻訳がどれもこれもひどく、ウールリッチなどは、最後の1行の決め台詞を誤訳して、作品全体の意味を損ねてしまっているものもあったほどだ。(あまりに噛み合わないので考えているうちに、そのおかしな日本語から原文の英語が推測できて、誤訳だと気づいた)
昔はミステリが軽視されていたことが原因なんだろうか。

ハヤカワではないが、フレッド・カサックの「殺人交叉点」などは、最初の翻訳者が作品の意味を全く理解せず、頭からトリックがわかるように訳してしまったことで有名だ。しかもこの作品は、(後に出たちゃんとした訳で)結末を読んだ私が衝撃で思わず椅子から立ち上がって2歩前へ歩いたほどの傑作なのだ。ある作家が、「この作品を読んだ知人が興奮して家中を走り回った」と書いていたので、「そんな馬鹿な」と読んでみたのだが。まさに驚嘆すべき結末だった。
良いミステリーは沢山あるが、これを上回る衝撃といえば、それこそスタンリイ・エリンの幾つかの短編くらいだろう。
(10/2up)

Only got ten minutes 「あと10分です」  *Fried My Little Brain / Kills (2003) の歌詞。



2008年09月19日(金)  I'll settle for a cup of coffee, but you know what I really need

荻窪リンキーで19時からリハ。最初は弦楽隊の合せがあるとのことだったので、私は40分遅れで入る。んが、しかし。
コーさん(drs)がなんと2時間40分遅れで到着。3時間のリハなのに2時間40分遅れ。
「ビジュアル記憶障害」、「片付け魔」などと並んで私の大きな特徴である「遅刻癖」が、このバンドにおいてはまっったく目立たない。負けている。うーん。
コーさんはライヴも遅刻するので、ライヴ用の曲はアコースティックバージョンも用意しておこうと、残り3人で検討しあう。(どこまで冗談に出来るんだろうなあ)

しかし。アコースティック状態でも、時間は全く無駄にしていないのである。今日は新曲2曲をみっちりやらして頂いた。
パティ・スミスのほうは、私は別バンドでリハでのみやったことがある曲。モッチー(g)に、「この曲の間奏、Bunnyさんの嫌いなアメリカン産業ロックっぽいんで、このままやりたくないんだよね」と言われ、そうか私は産業ロックが嫌いなのかと思う。言われてみれば確かにそのギターソロは安っぽい。いつの間にやら理解されてるわ。
もう1曲、キルズの'Murdermile'は、私も完全に初めての曲。国王(b)がコピーしてきてない様子だったが、iPodで一度聴かせたらすっと弾きだした。おお、器用な。
この曲は実はモッチーが半分近く歌うのだ。だけど彼のパートは同じ歌詞の繰返しなので、その場で訳しておしえた。
It's a train wreck (僕たちは激しくぶつかりあう)
You got me on the wrong track, honey (君は僕のことをわかってないんだ)
It's piling up one by one(食い違いがたまっていくばかりだね)
'wreck'は電車の衝突、'track'は電車の線路、'pile'も「電車に大勢の人が乗り込む」の意味があるから、この部分は全部電車のことに例えているのだ。これをホテル(g)があきらめ半分にだらーっと歌うのが色っぽい。

リハ後、スタジオ下のカフェへ移動。コーさんが全部おごってくれるというので、コーヒーに加えてクッキーも注文。
お喋りしていて、私がふとコーさんの遅刻の件に触れたら、すかさず「コーヒーをもう一杯いかがですか?」と言われて、笑った。

I'll settle for a cup of coffee, but you know what I really need (コーヒーを頂きはするけど、こんなことでごまかされはしないのよ?) なんちて。  *I Don't Sleep, I Dream / R.E.M. (1994) の歌詞。



2008年09月18日(木)  The Late Lamented

マイ・シューヴァル&ペール・ヴァールーの「テロリスト」読了。これでマルティン・ベック・シリーズを全て読んだことになる。'86〜'94年にかけて8冊を読み、最後の2冊だけがずっと未読だったのだ。数日前に9作目の「警官殺し」を読み、そして今日で10冊全部読み終えた。
これは1965〜1975年にかけて書かれ、当時のスウェーデンの10年間を描きだした警察小説だ。これがもう圧倒的なまでに面白い。
14年ぶりに読んだが、どうして今までこれを中断したまま放っておいたのかと思うほどの手応えだ。そして、14年の時を経て、レンナルト・コルベリ、グンヴァルド・ラーソン、メランデル、スカッケ、ルン、といった名前を見るだけで、瞬時にそれぞれの記憶が蘇る。
このシリーズは、鮮烈なのだ。全ての描写が映画のように生き生きと眼前に繰り広げられる。「笑う警官」におけるバス内大量殺人現場、「密室」の冒頭のあまりに手際の良い銀行強盗の場面などは、もう「見た」としか思えない。しかも、仰天し口をあいて「見た」のだ。
実は8冊は既に元ダンナに送ってある。このシリーズは絶対に彼の気に入る筈だ。同じ理由でエラリー・クイーンのライツヴィル・シリーズも送った。

元ダンナといえば。昨夜南阿佐ヶ谷ロックバーBでマスターと美香さんに、9/7にライヴを観に来ていた元ダンナをえらくほめられた。実は当日他のお客にも同様のことを言われた。つまり、「背が高くてかっこよくて、性格も良さそうで、Bunnyさんと似合う」って。・・・確かに元ダンナは、たいていの人に初対面から好かれる。一度会っただけの西荻ロックバーBのマスターも、後日私が元ダンナが他人に好かれるという話をしたら、「俺も大好き」と言っていた。
Bマスターに、元ダンナは元高校球児で、学生時代に絵で県知事賞を取っていると話したら、「才色兼備ですね。天才じゃないですか」とまで言い出した。うーむ。リップサービスにしても持ち上げすぎじゃないかな。
本はよく読む。私ほどじゃないが。音楽は相当に広く深く聴く。私なんぞは比べ物にならない。
でも、16年も一緒にいて、一度も彼をすごいと思ったことはなかった。音楽に関してはアレが普通かとすら思っていて、別れて初めてあんなロック馬鹿が他にいないことに気づいた。その点を別にすれば、やはり人に言われてもぴんと来ないなあ。

昨夜は。もうひとつ書いておくべきことがある。
Bで、誰も触っていないのにライトがひとつ消えたのだ。スイッチを入れなおしたらついた。私が「何今の。怪奇現象?」と笑い、「今日誰かの命日だっけ」と言った。そのとたん。
思い出した。まる一週間も忘れてた。9/10のBLACK AND BLUEのマスターの命日。亡くなってから、初めて忘れた。
このところ色々あって、気がそれてたから。
4年もたってるし、そもそも家族でも恋人でも、いや友人とすらいえない私がいつまでもめそめそとしていることが逆におかしい。ただ私が、あの時期ずっとあの店に気持ちを吐き出して、マスターが亡くなった直後から同じようにカウンターに一人で立ち始め、勝手に思いを重ねていただけだ。
死んだひとを神格化してはいけないし、もうない店よりも、今ある店に通うことを考えたほうがいい。
しかし。そうか。忘れちゃってたか。
なんだかとてもがっくり来て。一週間遅れで何かしようという気も起きない。

4年前のあの時―――亡くなって一週間後に店に集まって飲んだ時は、逆に、誰も触っていないのに、カウンター中のライトがいきなりついたんだっけなあ。マスターの大好きだった武道館ライヴの"Jumpin' Jack Flash"がかかったその瞬間に。
日付も同じ、9/17か。
私は基本的に幽霊を信じない。でも何だか「忘れたの?」と言われたようで、切ない。
(10/1up)

The Late Lamented (遅い嘆き)  *フレドリック・ブラウンの著書(邦題=「消された男」) (1959) *本当の意味は「故人」だが、字義通り取ると「遅く嘆かれた人」となる。



2008年09月17日(水)  Just like I told you before! Before!

南阿佐ヶ谷ロックバーBに行ったら、美香さんがいた。
荒れてて申し訳ないなあと思ったけど。今日は美香さんが何か面白いし、マスターも酒のピッチがいつもより早いらしくて、テンションが高い。じきにkzのことなど忘れはて、楽しく盛り上がる。
最近ロックを色々お勉強中だという美香さん。フー・ファイターズのことを話すので、「なんでフーファイなんて訊いてるの??」と言ったら、私が日記に書いていたからだとか。おお。素敵。
マスターに、「ジューダス・プリーストのボーカルは?」と質問された美香さん、軽く固まった後で、「ろばーと・はるふぉー」と語尾が自信なさげながら正答。なんでそんなマニアックなのから覚えさせるんだw
美香さんは最近まで「ジョン・ボン・ジョビ」と正しく言えなかったらしい。言ってみせようとするところへ、「ボン・ジョン・ボビだよ」と混乱させて楽しむ。「色々デタラメをおしえると面白いね。ヴァン・ヴァンヘイレン、とか」と言ったらマスターにウケる。しかし「Bunnyさん、それ2時3時のギャグですよ。惜しいなー、今が2時だったら爆笑だったのに」と言われる。確かにw しかしその後2時3時までの間に、何かといえば「ばんばんへいれん」と繰り返し、そのたびにウケる。今夜はテンション高いのである。

そして今夜はスゲー収穫があったのだ。
皆さま覚えていらっしゃるでしょうか。あの、「オノ・ヨーコは火サスに出ていた」事件を。あれは半年前、Bで美香さんが、「オノ・ヨーコって火曜サスペンスに怖い役で出てたんだね。しかもとんねるずの番組にも被り物をして出ていたし」と言ったのだ。その場にいた全員で「それは違う」と説き伏せ、私はそれはおそらくノギワ・ヨーコではないかと言ったのだが、美香さんが頑としてオノ・ヨーコだと言い張ったのだ。(しかもその時美香さんは、オノ・ヨーコがジョン・レノンの妻だとは知らなかったとも言った)
この話を私とマスターが思い出して語ったところ、横にいた客がこともなげに言ったのだ。「それ、小野みゆきだ」って。
・・・・・ああああああ。てっきり「ヨーコ」違いだと思っていたら。まさか「オノ」違いとは。
美香さんも、「あ、ほんとだ」と毒気を抜かれたような顔になり、「・・・じゃ、オノ・ヨーコって誰なの?」って。
「だからジョン・レノンの奥さんだって!!!!」と全員で叫んだことは言うまでもないw

すんごく楽しく、3時帰宅。
(9/29up)

Just like I told you before! Before! (だから前にもおしえたじゃんかよ!!)  *Ain't Talkin' 'bout Love / ばんばんへいれん (1978) の歌詞。



2008年09月15日(月)  What hope for the turning, if everything you know is wrong

10時半にKJ(g)からの携帯メールで目を覚ます。今からニューヨークに行くというのだが、同行する友だちが偶然少し前までカナダで毎日私の日記を読んでいたことがわかって、KJが知り合いだと言ったら驚いていたとのこと。「有名人ですね」と持ち上げてくれている。
・・・「カナダで」って言われると、なんかホントに有名人のような気がw(すいません、つけあがりました)

そして明け方のkzからのメールにも返信する。「私の時間を無駄にしないでくれる?」って。・・・ああ、他の友だちとの楽しいメールのやり取りとは、何て違いだろう。
もう大分前から、無意味なメールを送るのはやめてほしい、次のメールは「離婚届を送りました」だけにしてくれと言ってあるのに、いつも来るのは「ごめんなさい。今日送ります」だ。今日もそう。

日記の冒頭部分に、ネットで見つけたオアシスの映像をアップ。オアシスの、というか、オアシスが新譜をニューヨークのストリート・ミュージシャン達に演奏させるというかたちで発表したという、そのいわばメイキング映像だ。これがえらくかっこいい。
何がかっこいいかって。日本の駅前で腑抜けた雑音を垂れ流している連中とは格段にレベルが違うNYのミュージシャン達の余裕のある演奏・・・じゃ、なくて。
リアムがかっこいいわあw
黒ずくめで決めてて。かつてヴォーグ誌にその服装を「悪夢のよう」と叩かれた頃から、かなり頑張ったのね。相変わらず痩せてて。相変わらずかっこつけて、動作もいちいち人目を意識したこけおどし的で、底が浅くて頭悪そうで、素敵w

あれは4月だったっけ。南阿佐ヶ谷ロックバーBでマスターに、「一体どういう男性が好きなの?」と訊かれたので、しばし考えて、「・・・アホがいいなあ。気に入らないとすぐ殴るヤツとか」(注:私以外を)と答えたのだ。実例も訊かれたので、「リアム」と即答した。
で、5月にkzに会って7月に入籍しちゃった時に、「・・・ああこりゃBマスターに突っ込まれるだろうな」と思った。だってkzは、その真反対もいいところだもの。(実際後日、突っ込まれました)
(9/27up)

What hope for the turning, if everything you know is wrong (全てが嘘ばかりだとしたら、やり直すことに何の意味があるの?)  *The Turning / Oasis (2008) の歌詞。 **その「新譜」より。



2008年09月13日(土)  Can't you see we're wasting all this time

授業後、先週も行った古本屋へ本を売りに。私好みの痩せた店主は、私を見て「はっ」としたように顔を上げた。・・・まあ、あなたも私のことを意識してるのね?(お読みの方へ。すいません、妄想なんでほっといて下さい)
14冊で300円。その後しばらく店内を物色していたら、大分たってから急に店主が私に歩み寄り、200円を渡す。「・・・よく見たら、絶版本があったので」って。・・・フツー後からわざわざそんなことしないわよね。やはりあなたも私のことを憎からず思って。(すいません、最新の妄想なんで、いちいち怒らないで下さい)

アホはさておき。「サキ選集」を買う。最近はこの手の「お話」が読みたいのだ。サキを読むなんてのは、これぞまさしく「読書」だ。しかし、今の日本にサキを読む人間が一体何人いるんだろう。
読書はどうしてこれほどあっという間に、マニアックな行為になりはてたんだろう。まして「文学」を読む人間はどこにいるんだ。
小説は本来は芸術だったんだ。今、電車の中で暇つぶしに読まれているのは、ノンフィクションか、それに近い時代小説か、プロ意識に欠けるエンターテインメントばかりだ。
本を読む人間と、語りたいなあ。
私はkazuがそうだと思ったんだ。でも多分見込み違いだった。或いはこれも単に彼の嘘かも。彼は本を殆ど読んでいない。手をつけても大抵はきちんと読了出来ないし、しても何も捉えていない。そう確認したわけではないが、少しの会話からでもそれと知れる。
モームが好きだなんていうのも、適当に私に話を合わせただけだろうな。あの文豪は、本当に「文学」好きでないと、好きにはならないもの。

久々にカルディに寄って、ホットチリビーンズ、パンプキンバウム、ショートブレッド、パセリ、タイのイエローカレーを買う。読みものと食べものを買って帰るというのが、小学生の頃からの一番の幸せだ。

夜、kazuに長いメールを送る。これまでだって毎日毎日、すぐに離婚届を送るようメールしているが、毎回「ごめんなさい。送ります」というばかりで、送られてこないのだ。
「もう無意味なので怒らずに、噛んでふくめるように言うから、よくきいて」で始め、書類上の妻になんか何の意味もないから、これ以上時間を無駄にしないで欲しいという内容。「離婚届を送ってください。私はもうあなたは要りません」と書く。
書いてから、「もうあなたは要りません」っていうのは、私が彼氏と別れる時の、毎回のキメ台詞だなあと思う。これが出たらもう終わりだな。
―――しかし返信が来ない。・・・ああもう。どうすりゃいいんだ。
(9/25up)

Can't you see we're wasting all this time (時間を無駄にしているのがわからないの?)  *Write A Letter / Bay City Rollers (1976) の歌詞。



2008年09月12日(金)  All I'm saying is you're deaf to the fact that there's

シャワーから出て、ベイ・シティ・ローラーズの'Once Upon A Star'のアルバムを聴く。モッチー(g)に焼いてあげる為にCDを出したついでに聴いているのだ。地味かもしれないが、好きなアルバムだ。
1曲目'Bye Bye Baby'が不倫の歌だと知った時は驚いたっけなあ。
体と顔を化粧水で拭いて、唇と鼻の頭にワセリンを薄く塗り、体にベビーローションをすり込んでから、下着を着る。
3曲目'La Bell Jeane'とか、(アルバムは違うが)'Here Comes That Feeling Again'のような曖昧に発光するような甘さも好きだった。
髪にアイロン用フォームをつけ、ドライヤーで乾かし、トリートメントをつけて、オイルをつける。
7曲目'Once Upon A Star'は何だか安っぽく始まるが、聴いているとそれが、きっちりとつくられたノスタルジーの仕掛けなんだとわかる。じっくり聴くとちょっと涙ものだ。この曲が終わって、元気に素直に力まずに'Let's Go'が始まるところがたまらない。
今日も化粧はしない。ブラウンのアイブローとリップグロスのみ。
10曲目'Teenage Heart'―――なんて説得力のある曲なんだ。どう論破するのも無理だな、これ。
エタニティを手首と、胸の蝶につける。
13曲目の'All Of Me Loves All Of You'が・・・って、げっ、こんな時間だ。ち、遅刻する。

新宿のカフェで授業。21時終了。当然そのまま飲みに行く・・・筈が、何となくそのまま帰宅。最近ぱったりと飲みに行かなくなっちゃってるな。

iPodでXTCの'White Music'を聴きながら帰宅。・・・くぅ、かっこいい。
この世に「お前らは頭が悪いだろう?」と挑みかける音楽があるとしたら、これがそれだ。一般ウケしないのも当然で、ものすごくリスナーを限定する。これをいいと思う為には、まずその挑戦に気づくくらいの頭がなくてはならず、同時に「俺は頭がいいから大丈夫」と確信するくらいアホじゃないといけないんだ。ひねくれた、神経にさわる、快感。

出勤前と帰りで聴いているものがおそろしく違うけど。実は発売年が3年しか違わないこの2枚。
'70年代ブリティッシュ・ロックも、相当に様々なんだよね。
(9/24up)

All I'm saying is you're deaf to the fact that there's (俺に言わせりゃおまえらは目の前の事実すらわからないんだ)  *Radios In Motion / XTC (1978) の歌詞。



2008年09月10日(水)  First of all there is Blue. Later there is White, and then there is Black

明け方4時に詩を書いてアップ。5ヶ月ぶりに書く詩であるが、5ヶ月前の詩も今度の詩も、BGMはスマッシング・パンプキンズの"Adore"に入っている曲だ。
私はもう、この半年'Adore'に首ったけなのだ。今でもスマパンで一番好きなアルバムはやはり"Mellon Collie"であり、中でも"1979"は、この曲が私をつくったと思っているほど別格であるが。
しかし"Adore"―――この繊細な未完成。「美しさ」は退屈だという意見があって、しかしそれは「美」の定義を「瑕のない球体」と捉えた場合のことではないか。パルテノン神殿に見られる黄金比の美のような。
"Adore"における「美」は、まったく隙だらけであるし、球体どころか円にすらなっていない。
中でも9曲目の"Pug"(私にとっては「恋」という錯覚の具現化)と、11曲目の"Annie-Dog"(私にとって、肉と臭いと咀嚼と排泄の、昇華のような抽象化)の2曲は、今述べたような見事な対照を見せて、私に突き刺さる。
その2曲の間にあるのが、10曲目の"The Tale of Dusty and Pistol Pete"なのだ。明るい陽光をぼんやりと通しながら、弱い熱をたくわえる硝子のような曲だ。
今日はそれを聴きながら、詩を書いた。

実は。5ヶ月前に書いた詩とこれは、対をなしている。あれは5/4の早朝――つまり、kazukと初めて会う日の朝に書いたのだ。
自分が会ったこともない彼に、既に頭の中で好意を持っているのを知っていて、それに反発してみせたのがあれだ。(詩の内容自体はkazuと何の関係もない) 結果、その日には何の恋心も生まれなかったが。
そしてその詩のBGMが"Annie-Dog"だった。

もう今は、スマパンしか聴く気にならないな。
この頃、レッチリを、ニルヴァーナを、ビートルズを、ツェッペリンを、グレアム・コクソンを、全く聴く気になれない。全部kazuが好きだからだ。
聴けるのは、kazuが私に合わせて実際より好きなふりをしていた(そんなのすぐに判るわよ)R.E.M.、そして好きなふりすら出来なかったスマパンだ。
だから、今回書いた詩―――私からすればはっきりとkazuへの失望を表した詩のBGMがスマパンだというのは当然だ。

もし私が"Pug"をBGMにして詩を書けば、いわば三部作の完成ということになるが。その場合もうkazuは関係ない。何故なら、先に書いたように、あれは私には「恋」という錯覚の具現化だから。

ちなみに今回の詩の出だしは、
First of all there is Blue. Later there is White, and then there is Black, and before the beginning there is Brown.
私がサリンジャーと同じくらい美しいと思っているポール・オースターの'Ghosts'の出だしだ。
・・・ああ、書いてから気づいたけど。これもkazuが読まない作家だな。彼はサリンジャーは読むけど。

もっとも。こんな拘りは一過性のことに過ぎない。そうでなくてはならないのだ。kazuだろうと誰だろうと、私が文学や音楽を愛する妨げになんかさせるもんか。

First of all there is Blue. Later there is White, and then there is Black (まず青いのがいた もう少したつと白があらわれる、それから黒が)  *Ghosts / Paul Auster (1986) の出だし。*日本語訳は私の詩の出だし。勿論実際はそういう意味ではない。



2008年09月05日(金)  simple honest

日付を見て、今日は親の結婚記念日だなと気づく。うちの両親は北半球一番のおしどり夫婦であるから、この日は今でも父が母に花を送ったり、二人で食事に出かけたりしている。私も毎年電話くらいはしている。
しかし今電話したら、離婚の件でその後のことを訊かれるに決まっている。でもまあいいか。何か言われたら、私が結婚しようが離婚しようが親に文句を言われる筋合いはないとはっきり言ってやろう。
と、ハラすえて母の携帯に電話したら。母は美容院にいたせいか、全く普通に明るくお礼を言うだけ。あら拍子抜け。
来月両親が東京に来る件で父に電話するよう言われ、自宅にかける。この離婚騒ぎが起きてから父と話すのは初めて。ところが父も離婚の件など触れもせず、いたって快活に、来月東京で観る予定のコンサートの話などする。あらびっくり。
うちの両親って、思ってた以上にもののわかった人たちなのか。
・・・それとも、あれだけ言ってもまだ、私が落ち込んでいると思ってるのか?(だったらイヤだなあ)

イヴリン・ウォー作品集」を読了。ウォーを読むのは、15年ぶりにして二冊目。後書きにもあるが、確かにこの作家は日本では異常に知名度が低い。本国ではグレアム・グリーンと並び称されるらしい。私としてはグリーンよりウォーの方が好きだが。
「忠犬へクター」という話が面白かった。犬が、世話をして可愛がってくれる主人より、自分をペットショップから買ってくれただけの人間に忠を尽くすという設定がいい。もともと「忠誠」というのは愚直なものだ。

授業後、ブックオフに洋書2冊を売り(ブックオフは嫌いだが、近所で洋書を買うのはここしかない)、その後、ネットカフェへ。火曜にネットがつながらなくなって以来、来るのは初めて。しかも、あまり来たくなかったのを、いい加減メールチェックもしないといけないと思って来たのだ。これまでの私なら5時間パックでも物足りないところだが、3時間パックにしておいた。しかし、PCの前に座ってしばらくしたらもう帰りたくなる。・・・私、一体どうしちゃったんだろうなあ。
毎晩ネットのつながらない部屋で、ただ本を読んでいることの静けさ、楽しさに、久々に満たされてしまったらしい。
(9/20up)

simple honest (愚直)



2008年09月02日(火)  inconvenience in peace and quiet

「象のあし」に本を売りに行く。13冊で560円。この本屋は洋物ミステリーとSFを一切買わないのが困る。なのでそのへんは大半人にあげてしまった。

18時半に業者が来て、ODNの接続機器を撤去。これで9/8までネットにつながらなくなる。19時〜23時まで授業をし、その後すかさず駅前のネットカフェへ・・・と思っていたが。
まるっきり、まったく、出かける気がしない。このネット中毒の私が。PCを始めて以来、家にいる時間の殆どをPCの前で過ごし、TVもラジオもCDプレイヤーも持たず、音楽鑑賞も買物も振込も英語の勉強もニュースを見るのも全てネットでするこの私が。海外旅行先でも毎日ネットカフェに通い、PCに不具合が起きるたびに、一日数時間はネットカフェにこもっていたこの私が。
今回初めて、静かな不便を楽しんでいる。

本を取り出す。PCを買うまでは年間100〜120冊(最高150冊)読んでいたのが、今では半分から1/3に減っている。が、今でも毎日何かしらは読んでいる。
谷崎潤一郎の「人魚の嘆き・魔術師」を読む。初期の異色作とのこと。ビアズレー風の挿画もあって、雰囲気がオスカー・ワイルドの「サロメ」そっくりだが。
「人魚の嘆き」は、なんと言うか変な話だなと思う。結末がない小説は珍しくないし、特に純文学の中短編においては結末は時に不要ですらあるが。「人魚の嘆き」は筋はしっかりとして結末もあるのに、結論が欠落している。
「魔術師」はただ一種の雰囲気をつくりあげ、一枚の絵を描こうとしているのだから、あの救いも結論もない結びはありだ。だが、私の趣味から言えばこういう単なる幻想の中の退廃は好きではない。後に谷崎が「卍」で書いたような、現実がどうしようもなく落ち込んでいく退廃が好きなのだ。

inconvenience in peace and quiet (静かなる不便)



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