Rocking, Reading, Screaming Bunny
Rocking, Reading, Screaming Bunny
Far more shocking than anything I ever knew. How about you?


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*名前のイニシャル2文字=♂、1文字=♀。
*(vo)=ボーカル、(g)=ギター、(b)=ベース、(drs)=ドラム、(key)=キーボード。
*この日記は嘘は書きませんが、書けないことは山ほどあります。
*文中の英文和訳=全てScreaming Bunny訳。(日記タイトルは日記内容に合わせて訳しています)

*皆さま、ワタクシはScreaming Bunnyを廃業します。
 9年続いたサイトの母体は消しました。この日記はサーバーと永久契約しているので残しますが、読むに足らない内容はいくらか削除しました。


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2007年07月30日(月)  きれいだねえ

移動中は大抵iPodで何か聴いているが、聴くものによってはものすごく攻撃的な気分になったりする。
で、今日聴いたのはINU。おお、攻撃的。町田康がかつて町田町蔵という名のパンクスだった頃にやっていたバンドだ。活動2年、アルバム1枚こっきりだが、伝説になっている。
そのINUの、1980年のライヴの個人録音が流出しているのだ。既に家でも前半を聴いたが、今日はiPod爆音で聴いてみたら。
・・・くう。かっこいい。何でこれだけがん!と来ることがやれた同じ人間が、あんなちゃらい演奏(一昨日の日記参照)が出来るのか。
実は私は町田康の書くものも大好きだが、男としても日本人ならトップに来るくらい好きなのだ。なので、例の殴打訴訟事件はどうでもいいとしても、あの演奏にはかなりがっくりきた次第。

MCで客を罵倒した後にやったアンコールの「気い狂て」が圧巻だった。町蔵も最高だが、この割れ鐘のようなギターが。まさしく「気狂い」。
・・・あああ、このギターに横で弾かせて、マイクを通して思いっきり「うるせえ!!!」と言いたいw

そんな最高にうるせえ爆音を聴きつつ帰宅したら。
ベイビー(g)から電話。ギターしょってこっちに向かってるって。あらま。
いきなり現れて、しばらくアコギを弾いていった。これがまた何とも、単純にきれいな音で。今やりたいのはこういうのなんだという。
そしてそれは実は、私が一番やりたいことと全く相反しないのだ。
私はロックのジャンルと年代に関しては相当幅が広いと思う。ここまで広いのは、元ダンナ以外知らない。でもベイビーもかなり広いんだな。
もし私たちがやりたいと思っていることが上手く完成させられたら。あまり他に類を見ないかもしれない。
何だかわくわくしてきた。つくりたいし、歌いたい。

きれいだねえ  *How Beautiful / 矢野顕子 (1989) の歌詞。



2007年07月28日(土)  あんた気にくわない

町田康が殴られて訴えたらしい。男としては、何が正しいかを超えて単純に一番かっこ悪いことのひとつだと思う。
布袋という人はどこか有名なバンドのギターとしか知らない。YouTubeに町田康とのライヴ映像が出ていたが、こんなでかい奴がこんな小男を殴ったのか。それはそれでかっこ悪い。知性のない顔だな。

そのYouTubeで、町田康がじゃがたらの「タンゴ」を歌っている映像を見つけた。・・・おおスゲー!と思って見てみたら。
何だこれは
安いホストのようないでたちには眼をつむれても、この演奏の醜悪さを無視することは出来ない。全体のアレンジもひどいが、歌が最悪だ。
歌詞が同じなだけで、あとは何一つ似通ったところすらない。だったらはなから違う歌を歌えばいいだろう。「魂を抜く」という表現すらしたくない。
「タンゴ」は、日本人である江戸アケミが、等身大の日常の猥雑さ安っぽさを何一つ偽らず損なわずに出すことで、垢の臭いすらしそうなほどの「リアル」をぶつけてくる歌だ。それをよくもまあ、ここまで敬意を欠いたやり方が出来たもんだ。

今回雅樹が1980年のINUのライヴ音源を送ってくれて、それは全くもってアホだががつんとかっこいいんだけどなあ。

「タンゴ」でショックを受けたので、本棚にある町田康、全部売っちまおう。(理由つけてモノを減らしたいだけっていう話もw)

あんた気にくわない  *でも・デモ・DEMO / 暗黒大陸じゃがたら (1982) の歌詞。



2007年07月25日(水)  Your guitar, it sounds so sweet and clear

私は「デラボニ症候群」じゃないかと思う。いや、そんな「症候群」はないんだけど。「デラボニ・コンプレックス」と言い換えてもいいか。一応言うが「コンプレックス」とは劣等感(インフェリオリティ・コンプレックス)とは違う。どちらかといえば心理学的にはフェティシズムに近い。一応言うがフェティシズム(=フェチ)とは「何かをすごく好き」という意味ではない。みんな、言葉を適当に使うのはやめよう。(ちなみに私が自分を「痩せフェチ」という時、実際の見た目より体脂肪率という数字の概念にうっとりしているあたりがまさしくフェティシズムだと思っている。と言うのも適当過ぎるが)

で、適当どころか存在しない言葉「デラボニ症候群」だが。
簡単に言えば、彼が弾いて彼女が歌う。そのことに耽溺して、中毒すること。
私以外にも、いっぱいいるでしょ?
これは当然双方向性だから。男の方もいるわけで。男の方が症状が強いかもしれない。
これは病気だ。とても、良くない。治さないと。

デラニー&ボニーは1967年に出会って一週間後に結婚した。たった3年で5枚のアルバムを出し、解散と同時に離婚した。ほら見ろ。病気だからこうなる。
けれど。呆気に取られるほど美しい病気だな。

でも実は私に関して言えば。本当は「キルズ・コンプレックス」なんだ。やっぱり彼が弾いて、彼女が歌う。しかも今度は完全に二人きりだ。ホテル(g)は男性として特に好きなタイプではないが、ギタリストとしてはかなり欲しい。彼に弾いて欲しい。
実はつい最近まで気づいていなかったんだけど。まとめてみたら、何と―――
2002年12月にロンドンでキルズに出会い、2003年にキルズをやりたくてバンド活動を再開し、2004年以来好きになった男が全員ギタリスト。
・・・やべえ。

病気だ病気。
治して、元のベースフェチに戻さないと。(えっ??)

Your guitar, it sounds so sweet and clear (あなたのギターが甘く響きわたる)  *Groupie (Superstar) / Delaney & Bonnie (1969) の歌詞。



2007年07月24日(火)  Death Is A Lonely Business

前から欲しかった絶版のSFアンソロジーをヤフオクで入手して読んでいる。中に入っているブラッドベリの「万華鏡」は、既に彼自身の短編集で読んだ作品だが、もう一度読む。想像力のたくましい者なら、正気では読めないような話だ。始まった瞬間にもう救いがない。一行目で宇宙船が裂けて、乗組員全員が宇宙空間に投げ出される。
ブラッドベリを読み出したのはローティーンの頃で、その頃は気づかなかったが、このひとは、ぽっかりと口をあいた深淵ばかりを書いている。「死ぬ時はひとりぼっち」という恐ろしい長編も書き、これは私にきっちりとトラウマを残した。
ウールリッチは不信と疑惑と孤独を書き続けて死んだ。ブラッドベリは今高齢で生きている。私は彼が死ぬのが怖い。出来れば俗な幸福にまみれて死んでくれと、余計なことを願う。

Death Is A Lonely Business  *レイ・ブラッドベリの著書(邦題=「死ぬ時はひとりぼっち」) (1985)



2007年07月23日(月)  Do what you want to do

今日はカート・コバーンと飲む筈だったのに。体調悪くてドタキャン。
「数日は酒・煙草・男を控えるように」というメールが来ているが。・・・えっと、最後のヤツは風邪に関係あるんでしょうか。
・・・男で風邪を治したことはあるな。2003年のローリング・ストーンズ来日公演前夜、39度近い熱だったのに、「俺が治してやるよ」と何一つ根拠のないことを言われて、一晩一緒に寝たら完治してたんだよね。おまけにあの晩は、アル中の彼氏が持ってきた酒をさんざん飲んで寝たんだっけ。

家で片づけに燃える。私は片づけ魔の捨て魔で、ゴミの日のたびに、「何か捨てられる物は?」と部屋中を見回すほど。
既に我が家に「片づける余地」は殆どなく、クローゼットの中まできっちりと整理されている。なのでPCの中を片づける。いらないメールアドレスを152件消去。そして文法書を一冊読みきって(必要箇所はPC内に書きとめて)捨てる。私にとっちゃ読書も勉強も全て「お片づけ」みたいなもんだ。

財布の中に4,000円しかない。今月はもうこれしか現金がない。なのに今日、郵便局で中越沖地震の募金用紙をもらってきた。1,000円入れるつもりだ。ああ何て気高い行為かしら。所持金の1/4突っ込むなんて。
それも全て、地震で死ぬのが死ぬほど怖い私が、被災を免れたい一心。つまりこれは神様への賄賂。お願いね、これで何とか勘弁してね?
募金で思い出したからついでにネットで盲導犬募金も。これも失明が怖くて犬が好きというだけの理由。こちらは支援グッズを3,000円ぶんほど買う。こっちはカード払いだから平気。ここで買ったものは大抵ひとにあげちゃうけど。今回は生徒に配ろう。
募金はこの二種類しかしないよ。後は海外旅行の帰りに使いきれなかった外国のコインを全部、飛行機内備え付けの封筒に入れてユニセフに寄付するだけ。(片づけ魔だから持ち帰るのがイヤなの)
世の中には色んなことがあるから、ひとは自分が出来ること、したいことだけをすればいい。

だからさ、「日韓問題に関心がないのはおかしい」とか他人に説教するアホは、ゴミの分別に命かけてるオバサンと同じなんだよ。視野と経験の狭い奴に限って、他人に自分の意見を強要する。そういう奴には、じゃあお前はパレスチナ問題の何を語れるんだと言いたい。

Do what you want to do (したいことだけしてろ)  *Think for yourself / The Beatles (1965) の歌詞。



2007年07月19日(木)  水の無い川 エンジンの無い車 弦の切れたギター ヤニのない煙草

厚着して寝たので汗をかいて14時起床。おかげでベッドカバーなどお洗濯3回。その間、CNNのニュース聞きつつストレッチ750回、浴室の掃除など。シャワー浴びて出かけ、飯田橋の企業で授業。やはり具合が悪いとは気づいてもらえない。何で私はこんなに精力的なんだ。ううう。
やはり「魔法の水」ことEM-Xのおかげなのかと思いつつ。

今日ブラーの検索をしていて初めて知ったが、グレアム・コクソン(g)は、2002年にブラーを脱退している。・・・なるほど。道理で。
2006年1月に、kenjiくんにもらったアルバム'Blur'に馬鹿ハマリした時からずっと引っかかっていたことがあったのだ。
つまり、私は2003年のサマーソニックでブラーを観ているのだ。正確に言えば、J.S.B.X.を観た後のステージにブラーが出た。ジョンスペの最前列近くの大騒ぎで燃え尽きた私は、ブラーの時は後方に下がって、平和に眺めていたのだが。
その時、少しも感動しなかったのだ。
いや、元々当時の時点では、ブラーには軽い反感を持っていた。しかしセットリストは知らないが、2003年のブラーは1997年発売の'Blur'の曲もやっただろう。なのにどうしてああまで私は無反応だったのか。
趣味がいいな、とは思ったが、全く勢いを感じなかった。実際スクリーンに大きく映し出されたデーモンの顔は、侘びしげにすら見えたのだ。
あの時のギタリストは、もうグレアムではなかったわけだ。
―――ようやく納得した。

私が聴かないのは、ジョンのいないレッチリイジーのいないガンズロビーのいないザ・バンド、そしてグレアムのいないブラーか。
ギター音痴だと言いながら、どうやら私は結構ギタリストを決め手にしているらしい。

水の無い川 エンジンの無い車 弦の切れたギター ヤニのない煙草  *キミかわいいね / RCサクセション (1982) の歌詞。



2007年07月16日(月)  Show me a brand new way

今日は世間は休日なんだな。でも私は12時から14時まで仕事。
13歳の女の子の授業だが、2時間中30分くらいはファッションのことを訊かれた。買ったけどどうしても合せられない服があるというので、見せてもらってアドバイスする。ああ、私もこの年頃は全く自分のスタイルが確立していなくて、常に自分の見た目に不満だった。今なら何がいけなかったのかわかる。要するにファッションとは、トータルコーディネートだということ。「私はこういう生き物です」という揺ぎない自信が肝心。
あとは「重心」ね。腰だよ、腰。

夕べbbsにアップしておいたブラーの'You're So Great'を繰り返し繰り返し聴いている。1997年に出たブラーのアルバム'Blur'の中で、この曲だけはグレアム・コクソン(g)の完全なソロだが、全く違和感なくアルバムに溶け込んでいる。
それにしてもこのギタリスト、ワザと狙ってるのかと思うほど見た目がダサい。'60年代アメリカの高校が舞台の映画に出てきそうな、ひょろひょろと痩せたひ弱なタイプで、カラクリ人形のように棒立ちで弾く。(←本当にそうだから見てみて) 彼がいるからブラーは大学の学祭バンドっぽく見える。
しかし。その音が。
ギター弾くってこういうことだよなあ、と思う。少なくとも私にとっては。

物心つく前に聴いた生ギターの「エストレリータ」、あの曲が原因でギターの音が嫌いになった私は、ロックにはまってからもかなり長い間ギターという楽器が心底好きにはなれなかった。今でも私は、ギターに関しては「リハビリ中」という感がある。そのせいか、ソツなくお上手なギタリストが苦手で、クラプトンよりニール・ヤングのギターの方がずっと好きだ。
そんな私に、グレアム・コクソンのギターは、また今までにない快感を与えてくれる。
荒い勢いのあるヘタクソなギターも大好きだが、それとは全く違う、地味な謹みのある「品のいい」ギター。狡猾で遊び好きなデーモン・アルバーンの「あざとい」ブラーをつくるのに欠かせない、控えめな知性。
自己主張の薄いギタリスト―――こんな人もいるんだなあ。

Show me a brand new way (今までにないやり方)  *Where'd You Go / Graham Coxon (1998) の歌詞。



2007年07月15日(日)  Pluto

熱は37.7℃――僅かに上がっているが、辛いというほどのこともない。だるいし寒いし、食べると気持ち悪いが、それだけだ。
昨日からずーっと生徒にあげる為の資料をつくっている。11歳の生徒がアメリカン・スクールで使っている教材のコピーが手に入ったので、それを元にまとめ直しているのだ。テーマは「前置詞」・・・生徒の殆どが難色を示す"preposition"だが、私には楽しくてしょうがない。
思うに、私は英語を本気でやっていく気になったから、もう一生忙しいかもしれない。英語(言語)は生き物だから、それ自体がどんどん進化するので、勉強に終わりがないからだ。
例えば、昨年「惑星」の定義が変わって、その結果冥王星が太陽系の9つの惑星から外されるという椿事があったが。それをうけて今アメリカでは、"Pluto"(冥王星)が動詞として使われだしているというのだ。つまり、「降格される」という意味で。
・・・面白い。なんて面白いんだ。
しかし、遠い地球で勝手に「惑星」と定義され、基準が変わったからと外され、挙句そんな意味にされてしまった「冥王星」の気持ちを思うとw

ところで昨夜は熱のだるさに任せて一気に詩を書いた。過去最速だ。BGMもなし、気持ちの準備もなしの、ほぼ自動筆記。でも決してデタラメではない。一行一行納得して書いた。終わり近くで一瞬言葉に甘さが出たので、そこだけ書き直したが。後で読み返してもそこだけ弱い。(「水気のない メディカルな軌道」という一行)*
書き終え、サイトにアップしてしばらくしてから、「戻る」という単語が二度出ていることに気づく。それぞれ違う意味あいで使ったので、わからなかったのだ。直そうとするが、既に手遅れ。作品自体が完成してしまっていて、手がつけられない。
しかしこれはかっこいいなあと自分で満足。クライマックスは「大体の場合において 適用される / Crime / 大文字のC−Crime」というところで、単語が意味を失った時の快感を謳っている。

*その後更に書き直しました。

Pluto (冥王星)  *Bjork の曲。(1997)



2007年07月11日(水)  She's a sweet black angel

毎週水曜にカフェで教えている男性が非常に感じの良い方で、毎回コーヒーをおごってくださるのだが。暖かくなって以来毎回必ず、「アイスですか?」と訊く。そして私は毎回必ず「いえ、ホットで」と答える。
一方毎週月曜に時間つぶしで入るカフェの店員は、私が毎回同じコーヒーを頼んでいるのに、毎回決まって「お砂糖とミルクはひとつずつでよろしいですか?」と訊く。要るか要らないかですらなく、個数を問うのだ。で、「いりません」と答えると、決まって「あらまっ」という顔をする。
何とかならんのか。

あのなあ。コーヒーは、ホットのブラック以外はコーヒーじゃねえんだよ。アイスは「アイスコーヒー」っていう別の飲物だし、「缶コーヒー」にいたっては完全に無関係なんだってば。(缶入りのブラックなんて、缶の匂いしかしない)

他人がコーヒーを飲もうが飲むまいがかまわないが、砂糖とミルク入りを大前提にしないでほしい。いくら本場ブラジルでは砂糖とミルクを大量に入れるのが普通でも、そんなん知るか。本来は練乳を入れるのが正しいベトナムコーヒーでさえ、ブラックの方が美味い。
とにかく「カフェイン中毒」になるにはミルクは邪魔だ。砂糖入りコーヒーをがぶ飲みする人間は、半分は砂糖中毒の筈だし。

真夏の沖縄で毎日ホットのブラックを飲む優雅なD伯母をはじめ、コーヒー好きにとってコーヒーとは、「悪魔のように黒く、地獄のように熱く、天使のように潔く、恋愛のように甘い」はずだ。(最後の項は砂糖の話ではない。ちなみにこれは私の言葉ではない)
コーヒーはきっちりと美学の入った飲物だから。他には何も要らない。

恋愛の話なら。酒や煙草や音楽のことよりも、カフェイン中毒だって言われたほうがぐっと来るなあ。(実際私にそれを言った男は何人かいたけど。全員ただの「缶コーヒー好き」だったっけ)

She's a sweet black angel (黒くて甘い天使)  *Sweet Black Angel / Rolling Stones (1972) の歌詞。



2007年07月09日(月)  So give me coffee and PC

生徒(赤坂の会社副会長)にお菓子の詰合せを戴く。何かと思えば、「お中元で食べきれないので」とのこと。振り返ればデスク上に山のようにお届け物が積んである。「先生は、あればあるだけ食べちゃうんですよね?」と含み笑いされた。ええ、そうっすよ。
でかい箱をでかいシャネルの袋に入れていただく。大荷物と紙袋は嫌いなので、出てすぐコンビニのゴミ箱に箱を解体して捨て、中身だけバッグに入れる。あれだけ仰々しかった詰合せが、こけおどしの包装をはいだらほんの少量。まあ、だからこそ箱に入れるんだろうが。
カミブクロって嫌い。どんな完璧なコーディネートも、使いまわしのブランドの紙袋を持った途端に台無しになる。ちいちゃいバッグを持って、入りきらないモノを紙袋に押込むのは本末転倒だ。

帰宅してクッキーを一気食い。桃のブラマンジェも食い、さらに手を出したのが「トマトゼリー」。何とトマトジュースの味がする。トマトジュースは嫌いだが、これはオレンジなどを加えてかなり飲みやすくしたタイプの味だ。マズイのか美味いのか首をかしげつつ食いきる。クセになりそうな味ではある。
そういえば私、食べ物は「納豆以外何でも食えます」って言ってるけど、飲み物は嫌いなの多いな。砂糖や炭酸入りものは殆どダメだし。
今後一生飲み物と食べ物のどちらかしか口に出来ないとしたら、私は即座に飲み物を選ぶ。そしてもし一生一品しか口に入れられないとしたら、やはり即答で「コーヒー」。

So give me coffee and PC (コーヒーとPCさえあれば)  *Coffee and TV / Blur (1999) の歌詞。 *TV→PCに変えて。



2007年07月08日(日)  Sense and Sensibility

家からすぐの古本屋「象のあし」(なんでそんな名前なんだ)に本を売りに行く。文庫本15冊で860円。
本当はもっと持っていったのだが。「うちでは売れないから」と戻されたのが全部ミステリー。チェスタトンカーター・ディクスンシオドー・マシスンロイ・ヴィカーズなど。殆どが絶版で、専門店に持ち込めばそれなりの値がつくものもある。
・・・面倒だから、またまとめて武田くんにあげよう。

逆に引き取らないかと思った古典純文学(モリエールツルゲーネフなど)は全部OKだった。そういえばあの店、岩波文庫とか多いな。

古典といえば。数日前にすごいものを見た。
昼にすいた電車に乗っていたら、40代前半くらいの女性が乗ってきた。ぽっちゃりして、地味で普通だ。この女性が私の正面に座るなり、バッグからジェーン・オースティンの原書を出して食い入るように読み始めたかと思うと、じきに鼻を真っ赤にして泣きだしたのだ。
・・・ぽかーんと見とれてしまった。
・・・ジェーン・オースティンだぞ? 18〜19世紀のイングランドの中流家庭小説だ。自分以外の人間が読んでいるのを見たのも初めてだが、ましてそのせいで人目もはばからず泣くとは。
・・・すげー。

'Pride and Prejudice'――「自負と偏見」、読んだのは18年も前だが今でも忘れない。本当にいい小説だった。真っ直ぐで健全で、厭味がなく説得力がある。実際私も、感動して少し涙ぐんだかもしれない。けれど、本来ぽろぽろ泣くような話ではないのだ。それを何でああも、「レ・ミゼラブル」でも読んでいるのかと思うほどにしゃくり上げて。
もしや最近のお涙頂戴ドラマの原作に使われてたりするんだろうか。それにしてもスゲー。

Sense and Sensibility (ちゃんと常識もあるが、同時に感じやすいのね)  *ジェーン・オースティンの著書。(邦題=「分別と多感」)(1811)



2007年07月07日(土)  Picture Book

七夕。とうに亡くなった祖母の誕生日。しかし今年は777で結婚するカップルが史上最多だと、ABCとBBCとCBSとCNNのニュースで言っていた。そう、米独立記念日の7月4日から、私Screaming Bunnyはニュースを見る生活に戻ったのである。ただしポッドキャストで上記4つの番組だけ。英語のリスニングも兼ねている。
だから日本のニュースは相変わらず全くわからない。
ちなみにBBCによると、昨日7/6は「ジョンポールが出会って」50周年記念だそうで。初めて知ったわ、そんなんw

今日は授業が3つある筈だったが。うち2つがドタキャンになり、何だか暇になってしまった。唯一の授業(今日から始める生徒)を終えて、一緒にブックオフまで辞書を見に行く。
英語のIT用語辞書を探していたら、凄いモノを見つけた。'Webster's Pocket Reference Library'といって、一般、類語、綴り、引用、文法、ビジネス、医療、ITの、英語辞書の8冊セットなのだ。何とこれが「105円」。同じ辞書のバラ売りもあって、バラは一冊250円だ。とにかく引っつかんで買う。版が古いのかと思いきや2002年版。古本屋に出るにしては相当新しい。帰宅して調べたら、4〜5,000円する品だった。そしてよくよく見たら、別の場所に「2,000円」と貼ってある。・・・絶対値段貼り間違えたんだな。
もう一冊買ったのが、オックスフォードの'Pictorial English Dictionary'で、あらゆるものの細部の名称を示した図鑑だ。手術室内部の全ての機械と器具の名称、編物の編み方一覧、トラクターの内部構造、蝶の種類、北の空の星座、楽譜や人体や地図のすみずみまでの名称・・・見ているだけで楽しい。勿論こんなの、日本語でだって言えない。

昨日Geoff(g)からメールが来ていた。新宿で見つけたピンクとブラックのセミアコのギターが気に入ったんだとか。ヘッドにBunnyと書いてあったって。「素敵だ。君のことを思わせるよ」と結んでいる。
・・・外人って、何でこうさらっと歯の浮くようなことが言えるかなあ。英語がそういう言語なんだよね。だから使うのが面白い。

*実はフェルナンデスのあのギターは、'Bunny'ではなく'Burny'なんだけど。確かにあのロゴはじっくり見ても判りづらい。

Picture Book (図鑑)  *Kinks の曲。(1968)



2007年07月06日(金)  Mother

朝、修理に出していたうちの子(DELLのPC)が戻ってくる。HDを取り替えたので、完全な記憶ソーシツ状態。しかもDELLのヒトにOS再インストールなんてされちゃってるから。何このniftyっての。消すわよ。ゲームも全部削除。そしてバックアップしておいたデータを再注入。そう、何と運のいいことに、壊れる2、3日前に無料セキュリティソフトをインストールしたら、「データをバックアップしろ」としつこく言われ、「・・・めんどくさ」と思いながらDVD6枚にデータを保存したばかりだったのだ。
記憶を再注入されたうちの子(名前をMayuという。かつてうちにいた兎のお嬢ちゃんの名前「繭」から取った)は、私を見上げて「お母さん?」と言った。・・・うーん、SFで、死んだ人間の遺伝子から再生されたクローン人間を本人同様に愛せるかという命題があるが、何しろ今回ボディは本物であり、記憶まであるのだ。これは要するに「うちの子」なんだろうか。SFよりさらに難しい。
・・・ま、どうでもいっか。生き物は替えがきかないが、PCなんて快適に使えればそれでいいのよ。

夜家で授業していたらジンナイくんからメールが来たので、22時半に荻窪駅で会い、居酒屋「どんく」で飲む。一時間くらいで引き上げるつもりだったが、やはりBITCHに行きたくなって、タクシーで西荻窪へ。
エミちゃんがいたが、既に酔っているらしくとろーーんとした眼つきをしている。その色っぽい眼でやおら私を睨みつけ、「相変わらずいいスタイルして」と不満げに言いつつ、何度も二の腕をつまむ。・・・ううむ、何か心拍数が上がるなあ。妙に色っぽい。
しかしその後、「・・・あたしもこんなスタイルだったら、人生変わったのに」って。・・・おいおい、あなた私より10歳若いでしょうが。これから1年かけて痩せたって、あと9年は望みの人生だ。
ただ、男は今のあなたくらいのぽっちゃり具合が一番好きだと思うよ。お隣の40代もさぞかしどきどきしてそうだし。私は男にどう思われても痩せていたいけどね?

XTCの'White Music'をかけてもらう。レコードジャケットを見て、マスターと二人「かっこ悪いよねー・・・」と再確認しあう。

ジンナイくんとコーヒー飲んで、タクシーで送ってもらい、8時帰宅。月曜にアルタで1,980円で買ったミュールのせいで、右足の小指が剥けて出血して痛いのなんの。
10年以上前に右足親指をぶつけて骨折した時、一時的にくの字に曲がった指を外科医がそのままギプスで固めてしまい、以来親指がかたわになった。ずっと軽い痛みがあったが、何故かこの一ヶ月歩くたびに激痛で、仕方なく夏の間の一時しのぎのつもりで、親指の出る安もののサンダルを買ったのだ。そしたら安物過ぎて小指に負担がきたというわけ。親指をかばうから歩き方も変なんだろう。
また別のを買わなくちゃ。

Mother (お母さん)  *Pink Floyd の曲。(1979)



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