Rocking, Reading, Screaming Bunny
Rocking, Reading, Screaming Bunny
Far more shocking than anything I ever knew. How about you?


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*名前のイニシャル2文字=♂、1文字=♀。
*(vo)=ボーカル、(g)=ギター、(b)=ベース、(drs)=ドラム、(key)=キーボード。
*この日記は嘘は書きませんが、書けないことは山ほどあります。
*文中の英文和訳=全てScreaming Bunny訳。(日記タイトルは日記内容に合わせて訳しています)

*皆さま、ワタクシはScreaming Bunnyを廃業します。
 9年続いたサイトの母体は消しました。この日記はサーバーと永久契約しているので残しますが、読むに足らない内容はいくらか削除しました。


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2007年04月28日(土)  I won't deny the pain

ヴォネガットの「ガラパゴス」を読んでいる。未読だった数冊のうちの一冊。もうすぐ読み終える。途中、何でもないような箇所でふっと涙ぐみ、そこで気づく。彼は、意味でなく文章のリズムでもって、私の心の空いている領域を揺らし、振動を起こす。だから平易な言葉が時に感動を惹起する。

昨日母から、果物がぎっしりの小包が届いたので、やたらとそればかり食べている。果物だと、食べても罪悪感と嫌悪感が少ない。私のこの、食に対するこだわり(念の為に言っておくが、この言葉には本来悪い意味しかない)は、いつまでも消えないんだろうか。
「ガラパゴス」の中で、腹が減った野生に近い少女達が、他人の飼い犬──こともあろうに盲導犬を捕まえて、「歯と爪以外のどんな道具も使わずに」さばいて食ってしまうのは、ひたすら正しくうつくしい。
もっとも、私はどんなに苦しい思いをしても「知性」を持つほうがいい。それなくしては「うつくしさ」を鑑賞することも出来ず、それこそが本当の盲だ。
時にその盲は、盲導犬も杖もなしに、街中を堂々と闊歩している。──見えないことすら知らないで。

I won't deny the pain (苦しい思いをしてもいい)  *Galapagos(ガラパゴス) / Smashing Pumpkins (1995) の歌詞。



2007年04月25日(水)  Like the drink, only not spelt the same

普段何でもネットで買う私。だからしょっちゅう宅配便が届く。昨日も4回来た。本、服、日用品(ティッシュだのシャンプーだの)。で、最後が。
ピアノ。

日曜にヤフオクで40分もバトルして落とした、コロムビアの電子ピアノ。88鍵の脚付で、立派な家具みたいだ。元ダンナがホワイトデーと誕生日に振込んでくれたお金(+α)で購入。
夕べ18時に届いたが、授業後お食事に行ったのでまだ弾いていなかった。けれどもう、見ているだけでうっとり。

日付が変わった深夜、ピアノを弾いてみる。思えば、おそろしいくらい長いことピアノをやっていない。数年に一度実家に帰った時しか触らないから、もう全く弾けない。
蓋を開けて、クラシックでは一番好きな作曲家であるビゼーのメヌエットを弾いてみる。勿論ガタガタに間違える。それでも、自分の指から出る音のなんと綺麗なこと。・・・ああ、やっぱりピアノっていいなあ。ハンマーで弦を叩くアコースティックには劣るが、キーボードより遥かにいい。ダンパー・ペダル(アコースティックとは確かに異なるが)を踏む快感も思い出す。

もっと安く買える電子ピアノも沢山あったけど。コロムビアというメーカーと、あと色が気に入った。カフェオレのような茶で、茶色で統一した私の部屋にぴったりだ。
うちのベースギターは口紅のように真っ赤なので、キルズの曲名'Kissy Kissy'から、'Kissy'と名づけた。
このピアノには'Coffey'と命名。コロムビアというコーヒーの銘柄(実際はスペルが一文字違う)と、そのカフェオレ色からなのだが。何故'Coffee'でないかというと。
ある小説の登場人物の名前なのだ。'John Coffey'という。この人物が最初に名乗る時、感動的に記憶に残った一行がある。今回このタイトルをつける時、既に手元にない本の一行を確認する為にネット検索してみて、世界中で多くのひとが、私と同じようにこの一行を心に刻んでいることを知った。

"Yes, sir, boss, like the drink, only not spelt the same."
(はい、飲みものといっしょです。ただ、綴りが違うんです)

スティーヴン・キングの'The Green Mile'を読んだひとにならわかるだろう。この短い台詞が、いかにこの人物の人柄をよく表しているかを。

Like the drink, only not spelt the same (コロンビアというコーヒーの名前と一字違いなんです)  *The Green Mile / Stephen King (1996) の一節。
(Translated by Screaming Bunny)



2007年04月23日(月)  Well, now that we know each other a little bit better

月曜は、11歳と13歳の姉弟を教えている。二人とも英検2級はとっくに取得済みで、準1級を目指しているのだ。・・・無茶だと思うんだけどなあ。だって英検準1級の単語って、政治経済ビジネス用語満載で、子供には日本語で言ってもわからないものも多いから、理解させようと思ったら、政治経済ビジネスの仕組みから教えなきゃならない。
準1級取得は彼らの母親の要望なのだ。英語の他にも、塾は勿論、ピアノ、習字、テニス等あれこれやらされていて、自由時間など殆どなさそう。

ところが最近、上の女の子が反抗期に入ったようで。教え始めた一年前は、地味でいかにもお子ちゃまだったのに、最近ではおしゃれに興味が出てきたらしく、派手な可愛い服も着るようになった。
と思っていたら、授業に全く身が入らなくなってきた。ちゃんと聞いていない。「聞いてる?」と言うと、「ああ、はい」と見向きもせずに言う。そのくせ次の授業で同じことを質問したら全く答えられない。それを指摘して、更に次の授業で訊いても同じ。三度目に同じことが起きた時、とうとう説教してしまった。とは言っても、やさしーく、ゆっくりじっくり話したんだけど。
「あのねえ、これじゃまずいのよ」と言う。「このままだと、お母さんにお話ししなきゃならない。でも、私もそんなことしたくないの」

要するに問題なのは、私の他の生徒と違って彼らだけが、お金を払う人と実際に学ぶ人が違うということだ。自分で払っている以上は、その授業をどれだけムダにするのも本人の勝手。(例えば授業以外の会話をしたがる生徒というのは結構いる) でも彼ら姉弟の場合だけは、この授業が彼らの意志じゃない。(それが嫌だから、社会人でない生徒は引き受けないことにしているのだ。この姉弟だけがスクールに頼まれて特例) そして私は、教える以上はちゃんと上達させたいのだ。
そういうことも全部、13歳の子供相手に話した。どれだけ通じるんだと思ったけど、結構神妙な顔で聞いている。
「ちゃんとやる気がないのなら、私は辞めさせてもらうけど。でも私が辞めても、別の先生が来るだけだよ?」と言う。「もし英語を勉強するのが嫌なら、自分でお母さんにそう言わなきゃ」

そしたら急にキレたように彼女が言った。「・・・小学校までに習っていた英語に比べて、難しすぎるんですよ!」
・・・だよねえ? 私もそう思ってるわよ。だから最初お母さんに、「英検2級が受かったから、次は準1級!って思うのは、高校を受かったから大学を受験するみたいなものです。レベルが全然違いますから」とお話しして、もっと簡単なところからやらせていたのだ。それでも足りなかったらしい。(何しろ母親の期待が過大過ぎて、ちょっと簡単なテキストを使うと突っ込みが入ったりするので)
私、及び私の授業は好きだという。じゃあ、何とか頑張ろうよ、ね?
もっとレベルを下げること、一時間授業の中で休憩をはさむこと、などを約束した。お母さんにも話して、了解を得た。これが3月末の話。
さあ、4月からの授業はどうなることかと思っていたが。これが、ぐっと雰囲気が良くなったのだ。笑顔が戻り、リラックスしている。

今日も休憩中に、「先生、ポッキー食べます?」と言われたw 最近、私が甘いものに目がないことがバレてから、やたらとお菓子をくれるのだ。
今日は1時間半授業だったのだが。実は休憩を挟んだ後の30分あまり、殆ど授業をしていない。というのも、休憩中に彼女が、お母さんに内緒で買った服や化粧品が根こそぎなくなっているのを発見したからだ。どうも、お掃除の時にお母さんに捨てられたらしい。「うっそー!あの人信じられない!!」と大騒ぎで、どこかに移動されてないかと部屋中を探しまくる。(母親は留守) これではどうせ授業を再開しても、まったく集中できないことは目に見えているし、好きに探させておいた。そして、「今日お母さんに聞かれたら、ずっと授業してたって言ってよ?!」と念を押した。
結局一番大切なバッグ(1万円!)は見つかった。化粧品は全部没収された気配。彼女はお母さんに内緒で買った品々を私に全部見せてくれた。
前から彼女には、「私はお母さんでなく、あなたの味方だからね?」とは言ってたんだけど。今回これが確定した感じだなー。ま、今後は甘えすぎを防ぐことが問題になるかもだけど。

ちなみに彼女、先日の私の誕生日に私の年齢を聞いて驚愕。「28歳くらいかと思ってた!!」って。
・・・いい子だな〜〜〜w

Well, now that we know each other a little bit better (これでもうちょっと親しくなれたよね)  *Gloria / Doors (1968-70) の歌詞。



2007年04月22日(日)  Around the World in Eighty Days

昨日の昼から寝ないで、生徒用の英語の教材をつくっている。120ページの発音のテキストを、手書きでまとめているのだ。何故手書きかというと、発音記号がPCでは打てないから。面倒だが楽しい。大きな声では言えないが、「えっこれそういう発音?!」ってのも時々ある。

その合間に読書をする。何冊か並行読みをしているうちの一冊は、ブックオフで入手した'Truly Tasteless Jokes'という、人種差別ジョーク集。・・・いや、物凄い差別ネタ満載。これを電車の中などで読んでいてくすっと笑ってしまう時、思わずはっと我にかえって周りを気にしてしまうほど。
例えばこんな風:
Did you hear about Hellen Keller's new book?
Around the Block in Eighty Days
・・・え? 訳してくれって? ・・・冗談でしょう。(そんな恐ろしいこと)

このジョーク集、7、8巻まで置いてあった。・・・人気シリーズなんだな。おまけに2日後に残りを買いに行ったら全部売れていた。Amazonで調べたら、古本で一冊5,000円以上の値がついていた。・・・全部買っときゃよかった。

Around the World in Eighty Days  *ジュール・ヴェルヌの著書(邦題=「八十日間世界一周」) (1873) *要するにこの小説のタイトルをふまえて笑え、と。



2007年04月20日(金)  Far above the world

新宿でNariさんたちと、最初は21時に会う話。の、筈が。
私が振替授業が入ってるいるのを忘れていたりで、結局会えたのは23時近く。せっかく私に合せて時間も場所も変えてくれたのに、申し訳ない。

福岡から出張で来ているCAKEくん(g)、まるちゃん、Nariさんと、沖縄料理の店「海森」で飲む。このメンバーで音楽の話などしていると、説明しなくとも感覚が通じるので楽しい。
と、思っていたら。まるちゃんに「Bunnyさん、ビリー・コーガンダメなんですよね?」と言われた。あ・・・日記に「気持ち悪い」って書いたから?
違うのよ。私が、ビリー・コーガンは何度見ても気持ち悪いとか、デイヴ・グロールは鼻の穴がでかいとか、ジョン・フルシャンテは浮浪者くさくて池袋駅に寝ていても気づかないとか言う時、それは愛情表現なの。わかり辛い? でもそうなのよ。オアシスのリアムは最強のアホだとか、ニール・ヤングは歌がヘタクソだとか。全部「愛」なの。

CAKEくんは私と同じで納豆が嫌いだが。「ヘタしたら産業ロックと同じくらい嫌いだ」と言うので笑った。力強く言ってるけど、その例えが通じるひとはそんなにいないぞw(この場的にはばっちりOK) AORならまだ許せる場合もあるけど、というCAKEくん。私はAORの方が駄目かなあ。おしゃれなのが一番苦手なんで。大体、アダルトという言葉とロックとを並べないで欲しいわ。

お誕生日祝いということで、CAKEくんとまるちゃんにおごっていただいた。どうもありがとう。
帰りは金曜の最終、しかも電車が遅れているとあって、ホームは人でぎっしり。一度で乗れず、一本見送って次に乗る。iPodで、どるたんとやるかもしれない候補曲を聴きながら乗り込む。殺人的に混んでいるので、立っていても座席のバーが体に食い込むが。吊革につかまって目を閉じると、心地よい音が、密集も振動もかき消す。

Ground control to Major Tom (管制塔からトム少佐へ)
Your circuit's dead, theres something wrong (通信が途絶えている。異常事態だ)
Can you hear me, major tom? (聞こえるか? トム少佐)
Can you hear me, major tom? (応答せよ)
Can you hear me, major tom? (応答せよ)
Can you.... (応...)

・・・・・・・・・・・・ああ、私今どこにいるんだっけ?

Far above the world (現世から遠く離れて)  *Space Oddity / David Bowie (1969) の歌詞。
(Translated by Screaming Bunny)



2007年04月15日(日)  Ive gone to look for America

この金土日は時間がたっぷりあったのに。何も出来ず。どこも行かず。こんな時に限って、お天気もいい。

一昨日の夜、ヴォネガットの訃報に接する直前にメールしていた方(g)は、後でわかったがヴォネガットの愛読者だった。ヴォネガットを読んだことで今の仕事を選んだという。私がヴォネガットが死んで泣いていると知って、私を大好きだと言ってくれた。そう、彼の死を悼んでいると思うだけで、そういう気分になるよね。

K叔母に誕生日のプレゼントは何がいいか訊かれていたが。結局これもヴォネガットの洋書にした。未読の'A Man Without A Country'など三冊。

思えば。泣くほど好きな作家は皆アメリカ人だ。サリンジャーオースターフレドリック・ブラウンウールリッチヘミングウェイ
ヴォネガットもアメリカ人で、アメリカ人であることを、アメリカを書き続けた作家だ。父は移民であり、移民の子という、いわば一番アメリカ人らしい境遇であったと言える。
これからは彼の作品を英語で読む。もっともっと近づく。アメリカ人としてヴォネガットを読む感覚は絶対にわかりようがないだろうが。
日本人として、彼の描くアメリカ──アメリカの良心──をまだまだ読みたい。

Ive gone to look for America (アメリカを探しに出かけた)  *America / Simon &Garfunkel (1968) の歌詞。



2007年04月14日(土)  And So It Goes

夕べはさんざん泣き、今朝目覚めてもやはり泣き、授業が終わった夕方にまた泣き。しまいには何がどう悲しいのかわからなくなり。

彼の死を悼んでいるひとに会いたくて。ネット上に探しにゆく。沢山いた。
「世界でいちばん好きな作家がいなくなった。2番目に好きな作家はいない」と書いている方がいた。その方がこれを貼っていた。

最後のほうでヴォネガットが言っている。
"I have a message for future generations, and that is, please accept our apologies."
(未来のひとたちへ。どうか、僕らのことを許してください)

またはらはらと泣いた。

And So It Goes (そういうものだ)  *Billy Joel の曲。(1989)
*上に貼った映像のバックに流れる曲。この"So it goes."というフレーズが、ヴォネガットの「スローターハウス5」の中に繰り返し現れる。



2007年04月13日(金)  Breakfast Of Champions

朝10時頃から久しぶりにベッドで寝た。14時半に起きたら洗濯機が壊れていた。去年から調子が悪く、母が洗濯機代をカンパしてくれたのに、まだ使えるので買っていなかったのだ。で、最近、「このお金を使い込んでピアノ買っちゃおうかなあ・・・」と考えていた矢先だった。ちぇっ。
すぐさま荻窪駅前で購入。明後日の朝届けてもらうことに。私は片付け魔なので、洗濯物も少しでもためるのがいやで毎日のように洗濯するのだ。

後で携帯メールの送信歴を見ると、21時34分の時点ではまだ何も知らなかったらしい。ある男性(g)にお食事に誘われ、デートコースの三択を提示されて喜んで返信していたくらいだから。
21時52分には、BZにこう送っている。カート・ヴォネガットが死んじゃった」
ああ。


ここからの5時間はただ泣いていた。PCに向かって、ヴォネガットの死亡記事などの検索をいくつかした。私の誕生日に死んだんだ。
あとは彼の本を出して。あとは自分のbbsに考えなしに彼のことを書込みして。本を前に泣いていた。いい加減顔でも洗おうと思いながら、5分黙っていたら一時間たっていたりした。

「猫、いますか? ゆりかご、ありますか?」

「猫なんていないし、ゆりかごもないんだ」という台詞は衝撃的だった。私が二冊目に読んだヴォネガットの本「猫のゆりかご」の中の一節だ。以後ずっと、この言葉が頭から離れない。

初めて読んだ本は、「チャンピオンたちの朝食」で、購入したのは18歳くらいだと思う。だが実際に読んだのは25歳。
滅多にないことだが、「今この本を読むには自分の力量が足りない」と思ったのだ。本の素晴らしさを確信しながら、しかし今無理に読んではこの本をきちんと味わい損ねる、と感じた。

その18歳で買ったハードカバーを今目の前に見ながら、しみじみとそのことの重大さを感じる。「そのこと」とは、これがここにあること自体だ。
つまり、私は高校卒業と同時に一度家出しているのだ。ハワイ大学に入学手続きを進めていた母親を騙して、計画的に、しかし一瞬で姿を消した。その資金作りの為に、持っていたレコードと本を全部売った。本は殆どが文庫本だったにも関わらず3万円近くになった。本棚をさらうようにして全部たたき売ったが、「チャンピオンたちの朝食」は売らずに残したのだ。(その時点で未読の本は他にも山ほどあったが)
───家出から戻り、東京で暮らし始めた私は、ある時帰省した実家の本棚にぽつんと残っていたその本を東京に持ち帰り、読んだ。──もう読んでもいい時期だと思った。

「けつの穴」の絵が描いてあった。何だ、これは。
当時まだまだ青臭く少女じみた美意識にとらわれていた私は、一瞬ひるんだ。
しかしそのたった21ページ後の「ビーバー(女性器)」の絵を見る頃には、これを下品とも滑稽とも思わなくなっていた。逆に、息が荒くなるほどに感動していたのだ。
おかげで今でも私の中では、'Wide-Open Beavers'(大きく広げた女性器)というフレーズは、感動的な響きを帯びている。
実際私はその時、涙ぐんだんだと思う。今も、それを見ると涙ぐむ。

神様に、カーペットの状態を報告する。「ふわふわして新しいです。きっと奇跡の繊維かなんかですよ。青い色をしてます。青がどんな色かわかりますか?」
その他いろいろ。(このフレーズが作中に繰り返し現れる)

「チャンピオンたちの朝食」の主人公キルゴア・トラウトの名前は、───シャロン・リプシャツ(サリンジャーの'Nine Stories'に名前だけ出てくる女の子)とならんで、私の中にくっきりと刻まれた。

感動した私は、読了直後に、気合が入リ過ぎて空回りしたような感想文を書いた。後にワープロの操作ミスで消してしまったが、しかし出だしの一行だけは記憶に残っている。
25歳の私が書いた出だしの一行はこうだ。「これは外国人の為のアメリカ小説、異星人の為のSF、無力な赤ん坊及び長椅子で治療を受ける人々の為の教科書である」
サイエンス・フィクションという形式が、いかに哲学を語るのにふさわしくなれるかを発見した本だった。

ヴォネガットは、アメリカ人をそれ以外の地球全体の目を通して描こうとし、同時に人間を宇宙の目を通して描き出そうとしたのだ。

「チャンピオンたちの朝食」は、一見非常に救いのない終わり方をしているように見える。絶望的な叫びと、涙でしめくくられる。だが。
その涙が、かなしいという感情が、深い諦念と愛を持って何かを受け入れるという意味になるのだと、私は学んだのだと思う。

私は、長い間精神的にかたわだった。普通に生きることが出来ない子供で、肥大した自意識と恥の感覚に悩まされ、道を歩くのにも辛い思いをしていた。
今も、恐ろしく弱かったり不器用だったりするかもしれないが。

ひとつ大きく変わったのは、弱さを見せるのを恐れなくなった。傷つくことを回避しなくなった。他人が私を、私の望みどおりに見てくれないことに憤らなくなった。

指を一本噛み切るほどの関わり方をすること。
後にパトリシア・ハイスミスを読むようになり、自分が他人との精神的な交わりにいかに魅せられているか、いや、ほぼそれが生きる意味の全てだと考えていることに気づいた。

それが私のコアだから。
ヴォネガットは、私の血肉であり、私をつくったひとだと思う。

あなたは間違いなく私の右の薬指を噛み切りました。その感覚が今も残っています。
ありがとう。

Breakfast Of Champions  *カート・ヴォネガット(・ジュニア)の著書(邦題=「チャンピオンたちの朝食」) (1973)

*今回は、気のきいたタイトルをつけようという考えも浮かびません。何の含みもなく、この書名をタイトルにしたいと思います。



2007年04月12日(木)  'Love' is all you need

企業での授業。結局このクラスは全部で4人らしい。今日は男性3人が出席。
前回は生徒に自己紹介をさせた。今回は私のことを訊かせる。「何でも訊いて下さい」と言ったが、誰も年齢をたずねない。ちぇ。驚かせてやろうと思ったのに。「好みの男性のタイプは?」と訊かれ、「痩せたベーシスト」と答える私ってどうなんだ。
趣味を訊かれたので読書と音楽と答えたら、「どのアーティストが一番好きですか?」と訊かれたので、好きなアーティストは200くらいいるけどと言ったうえで、バッグから赤いロゴマークの入ったキーホルダーを出してみせて、「例えば、レッド・ホット・チリ・ペッパーズです」と得意げに答えた。そしたら全員が「誰です?」って。20〜30代の男性3人が、誰一人レッチリを知らない。「日本のバンドですか??」
・・・ああ、やっぱり自分の常識を周りの常識と思ってはいけないんだわ。(そう思ってるから絶対にレオン・ラッセルとは言わないのに。まだまだ甘いのね)

帰りに新宿で飲んでいこうかと思っていたが。iPodでSAを聴いていたらうっかり新宿を通過。

夜半前にyer-blues(g)さんからメール。「今君音いぃーかぁー」
大概の日本人にはわからないだろうが、不本意ながら私にはこれが「今、電話してもいいですか?」という意味だとわかる。「今ダメ」と返信。そして、「こないだも夜中に何度も電話してきて、しかも取るたびに無言だし!」といった内容の文句をたれた。そしたら更にきた返信がひとこと、「
・・・「愛」ならしょうがないわねえ。

'Love' is all you need (「愛」ひとことでたりる)  *All You Need Is Love / The Beatles (1967) の歌詞。



2007年04月07日(土)  It's my favorite combination

生徒がフルーツとカスタードと生クリームの饗宴とでもいうべきケーキを何個も差し入れてくれたので、一日でみっつも食べてしまった。ただでさえ、母が送ってきた焼菓子類が山ほどあるっていうのに。
最近お菓子をいただくことが多い。先々週の土曜なんて、偶然3人からチョコレートをいただいた。嬉しいけど、嬉しいけど。
ふと見ると、久しぶりに肌荒れ。・・・昨日のカレーのせいもあるかも。

仕事の移動中はずっとレッチリの"Stadium Arcadium"を聴いている。一昨日はベストまでつくってみた。内容はこう。
1. Dani California  2. Snow (Hey Oh)  3. Stadium Arcadium  4. Strip My Mind  5. Especially in Michigan  6. Wet Sand  7. Tell Me Baby  8. Hard to Concentrate  9. 21st Century  10. She Looks to Me  11. Make You Feel Better  12. Animal Bar
SA信奉者に殴られるかなあ、などと思いつつ。

結局今現在、SAと私とは非常にいい関係だ。最初の出会いにおいて、あれだけ戸惑いうろたえたのは当然で。今は落ち着いて愛せる。
ええ、「愛」ですとも。SAに対してどうこう言ったけれど、同時に最初から言っているのは、例えばもしこれがレッチリというバンドのデビューアルバムだったとしたら、驚愕に値する出来だということだ。それこそ大変な大騒ぎだ。

電車の中でiPodの爆音でSAを聴いていると、曲によっては涙ぐみそうになる。"Especially in Michigan"と"21st Century"がいい。特に"Especially In Michigan"は、繰り返し何度も聴いたりする。"Cry me a future where the revelations run amok. Ladies and gentlemen"というサビにはうっとり。
けれど。もしじっくりと吟味するならば。"Especially in Michigan"はイントロが弱い。正直その魅力を味わうにはBメロまで待つ必要がある。逆に"21st Century"はイントロ〜Aメロが痺れるが、そのテンションがBメロまで持たない。

"By The Way"において、例えば"The Zephyr Song"が、'Dosed'が、最初の一音から最後の一音にいたるまで過不足のない完成品であること。そのことの方が異常なのだ。

SAは、歌が印象的なアルバムだ。終始アンソニー・キーディスを意識させられる。歌が上手くなったし、歌詞もかなり手慣れてきたと思う。"Strip My Mind"の出だしの"Arthur J did"という一言にはかなりがつんとやられた。何て見事な音の選び方だろう。
"21st Century"の"Like the Cain and Able"という歌詞は小賢しいなあと思いながらも、この言葉の音には説得されてしまう。

ところで"Show me your wrist and I'll kiss it"っていうのは、その情景を思うとちょっと感動的だなあ。純愛だわ。

It's my favorite combination (これが私のベスト盤)  *21st Century / Red Hot Chili Peppers (2006) の歌詞。



2007年04月06日(金)  There is no way back from here

19時15分に新宿でHYさん、ひろりん(sax)、KA-DOOさん(drs)、ねふーどさんと待合せ。の、筈が。
家を出たのが18時55分。しかし何と2、3分の遅刻ですんだ。「早いじゃん!」と驚かれたしw

今日は私とひろりんの大食いコンビが、HYさんにカレー・バイキングをご馳走になるのだ。KA-DOOさんとねふーどさんは、その食いっぷりを見学に来たというわけ。
私は朝から何も食べていないが。ひろりんに「今日何か食べた?」と訊いたら、「16時半にカレー食べてきた」という。・・・思わず「おま!おかしいだろう!!」とキレる。いつも「同じものばかり食べるのは飽きる」と言ってるくせにぃ。
食う。ひろりん共々黙々と食う。私は軽く盛ったカレー5皿+タンドリーチキンでかいの3ピース+サラダ+ヨーグルト2皿、ひろりんは多分それ以上。しかしやはりカレーだと大食いしているという感じが弱い。
量的にはまだいけるが、ほんの少し胃にこたえた。最近ずっと脂ものを控えているからだろう。

21時半に歌舞伎町の「呑苦楽(のみくら)」に移動。ひろりんのバンドに元いた育世さんの店だ。育世さんには久しぶりに会うが、更に美人になっていた。堂に入った話しぶりで、水商売が板についている。
何とここでひろりんがカレーうどんを注文。・・・こ、この女。
今までひろりんを大食いの「師匠」とあがめてきたが。物凄く師事したくない気がしてきた。私、今なら引き返せるかもしれないわ。目を覚ますのよ。
しかし。カレーうどん、ちょっと美味そうだったので、一口もらったりしてw

0時帰宅。出かける前より1.6Kg増の被害を確認。まあ、これで済んだのならいいかと思いつつ、コーヒーを入れて、ねふーどさんに戴いたどら焼を食。

There is no way back from here (もう引き返せない)  *No Way Back / Foo Fighters (2005) の歌詞。
*この日記を読んだひろりんに、「アナタはもう充分引き返せませんから」と言われたので、上のタイトルにしました。



2007年04月05日(木)  Midnight Blue

今日から毎週木曜は、飯田橋の企業で授業をすることに。6人のクラスだが、いつも半分くらいの出席率だそうで、今夜も3人出席。6人のクラス参加時期もばらばら。そんなんでどうやって管理しろというのか、とも思うが。しかし考えてみれば、一般的な英会話スクールのクラスというのはこれが普通なんだよなあ。
何をやるかも一切わからず行ってみた。まずは生徒たち(20〜30代)に、今までどういう授業をしていたのか訊いてみる。もう1年半もやっているクラスなのだが、一番の古株に英語で話させてみたところ、基本の自己紹介すら出来ない。よくよく訊いてみたらこれが、昨日の体験レッスンの生徒を担当していたのと同じ講師と判明。・・・またおまえかよw

3人以上を一度に教えるのは初めてだったが。案ずるより生むが易し、ってことで。楽しかったな〜。

BZ(g)にメールして、10日の夜に会えないか訊いてみる。多分BZとは今後あまり会わなくなるだろうなと思い、だから逆に、誕生日になる時に一緒にいてもらおうかと思ったのだ。OKではあったが、メールのやり取りの中でこちらが会う気をなくした。
何故だかわからないが、昔から誕生日の4/11になる瞬間を必ず確認していた。時報を聞いていることも多い。そしてその瞬間に独りだったことは、生まれてから殆どない。

2002年の誕生日になる瞬間は、珍しく独りだった。3月にダンナと別居していたのだ。ダンナが絶対に離婚しないというので、ダンナの両親にお願いして来てもらい、無理やり実家に連れ帰ってもらった。
独りでいて、ぼうっと過ごしていた。0時少し前に電話の時報をスピーカーから流し、ベランダの洗濯物を干していたら0時になった。なんだかおかしかった。
ああ、私、一人だなあ。
真夜中のひんやりした空気が気持ちよかった。自分が選んで手に入れた孤独の満足が、薄い寂しさをはるかに上回っていた。

勿論私は人一倍寂しがり屋だが。そんなことよりも大事なものがある。あの時の満足感は忘れたくない。
いいや、今年も独りでいようか。そう決めてしまえば、何かすがすがしい。

Midnight Blue (午前0時の憂い)  *Laura Nyro の曲。(1975)



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