2006年07月29日(土) |
A girl got drunk and balled the dead |
るみと20時半に待合わせ。の、筈が。
30分遅刻。アホなことに慌てていて大久保駅の出口を間違えた。焦りつつ、明らかに地元民と見られる男の子に道を訊いたら、小滝橋通りどころか西武新宿駅すらわからないという。・・・使えねえ!(かつて高円寺駅南口で20000Vの場所を訊いたら知らないと言った、ガスタンクのTシャツ着てたパンクスの次に使えねえ!!)(←わかる人だけウケてください)
と、自分を棚に上げて怒りつつ、るみの待つカフェに到着。遅れておきながらるみにコーヒーをおごられる。
22時に新宿ロックバーCへ。
るみは4時頃Gへ行き、私は一人残ってドアーズなど聴く。"Alive She Cried"のアルバムはないので、他のライヴ盤の"Light My Fire"をかけてもらう。あれは"Bright Midnight"のバージョンだったのかな? 少々音が一本調子だ。
色んなライヴの"Light My Fire"を聴いたけど、"Alive She Cried"が一番、飛びぬけていい。9分51秒が私の頭に、というより体に入っている。スネア一発、キーボード、歓声。ジム・モリソンの声もいいが、レイ・マンザレクのなめらかにうねりひっかかるオルガンがうっとりするほどいい。2分半を過ぎたあたりから、ジム・モリスンの詩の朗読までのレイの演奏は、とても冷静には聴いていられない。
この詩の朗読、私はほとんど完璧に一緒に言える。こんなアホもあまりいないと思うが。「完コピじゃない」とBLACK AND BLUEのマスターに笑われたもんだ。いつも私が行くと、必ずといっていいほど"Alve She Cried"の"Light My Fire"をかけてくれた。最後に行った時もかかった。
────BLACK AND BLUEに行きたいなあ。せっかくCでドアーズを聴いているのに、そんなことを考えてしまう。
6時半帰宅。
以前はよく、ロックバーでオールした帰りに泣いていた。不思議なもので、BLACK AND BLUEがなくなったら、いつの間にかオール帰りに泣かなくなった。
よくあの店内で泣いていた。涙を、持っていかれちゃったらしい。
A girl got drunk and balled the dead (酔っ払って死人と寝る女) *Light My Fire / Doors (Alive She Cried version) (1970) の曲中の詩の一節。
2006年07月28日(金) |
And I must be what I must be and face tomorrow |
今日は珍しいキャミソール・ワンピースでBLACKに出勤。メイクもした。久々のダーク・ブラウンのシャドウを、目の粘膜にまでぐるりと入れる。おお・・・ジョーン・ジェットだ。
本日はYutakaさん(vo)をはじめ、私のお客さまが6人。中野さん(b)は、私が他の人に貸したままになっていたR.E.M.のDVDをわざわざ回収して届けに来てくれた。ありがとね!
本日お客が持ち込んだフリートウッド・マックの代表作「噂」のCDを聴いて、「これ誰?」と爽やかな笑顔で言うEGIちゃんは、本当に素敵な「ロックバーのマスター」だと思うなw
(先々週はホールかけたら、笑顔で「プリテンダーズ?」と言われたww)
そして今日はEGIちゃんがずっとてきぱきCDを変えていた。音も結構でかくて、まるで普通のロックバーみたいだわ、と思っていたら。先日亡くなった友だちの好きな曲ばかりかけていたらしい。
ピンク・フロイドも好きだったという。そうか、先週かかっていた'Wish You Were Here'は、シド・バレットの追悼じゃなくて、友だちの為だったんだ。
最近ある人からよく「死にたい」というメールが来る。仕事中に「首吊りたい」というメールが来ても困るんだけどと思いつつ、適当に放置したりしているが。
「自己嫌悪で死にたい」と言われるたびに、幸せな人だなあと思う。私は恐怖症のパニックを起こすたびに、死んだ方がましだと思うような苦しみを味わうが。死に対しても、それ以上に肉体的苦痛に対しても恐怖があるので、とても自殺なんか出来ない。これを押したら一瞬で死ぬというボタンがあれば、とっくに押しているだろうが。
だから今はもう、以前のように「死にたい」とは考えない。ただ、子宮内のポリープを再検査もせずほったらかして、「まあ、死んでもいいか・・・」と思ったりする。実際死に直面したら、自分がどれだけ動転するかは知らないけど。
そうして、死んでしまいたい人は本当に死んでしまう。私の周りには自殺が多い。叔父、友だちが二人(一人は親友)、そして2年前には、ある意味でとても大切だったひとがいなくなった。
そうして私はもう、「死にたい」と言うひとを止めようとは思わない。死ねば泣くひと、救えるものなら救いたいひとはたくさんいるが。
誰かが死んだ悲しみも含めて、生きていかなけりゃならないのだ。生きているのは、時には死ぬほど辛いけど。
色々あって、多分私はもう自分では死ねない。以前は救済のように思っていた逃げ場はもうない。だから明日からも耐えるしかない。
And I must be what I must be and face tomorrow (自分の人生を生きて、明日も耐え抜く) *Flowers Never Bend With The Rainfall / Simon & Garfunkel (1966) の歌詞。
9時に宅配便に起こされる。荷物は近田春夫のCD。いや、正確に言うとCD-R。何とコロムビアがCD-Rで発売している、オリジナル音源はとうに廃盤の「星くず兄弟の伝説」だ。レコードを手放した後、しばらくはテープで聴いていたが。今回久々にこういうかたちで聴けた。
「ガソリンの雨」はかなりストレートにかっこいいと思うが、それ以外は全曲とてつもなくダサい。意図してやっているのだ。いかにも日本的というか、日本にしかないタイプの美学だと思う。
「往年のバラード」は、コントのSEのごときイントロで始まり、適当な歌い方、詰めの甘い歌詞、ふざけた喋りのサンプリングなどで構成されているが。全部を犠牲にして、ただ一点に賭けてくる。
サビで、「これは、夢だ」、というのだ。
────かなり、ぐっと来るなあ。
これは夢だ *往年のバラード / 近田春夫 (1980) の歌詞。
2006年07月21日(金) |
後悔しそうな硬いやつ 不良が弾いてるエレキ・ギター |
BLACK5週目。ここまで毎回誰かしら私に会いに来てくれているが、今日が一番多くて5人。さすがすくばに人気。じゃなくて、新宿の力かw
本日初来店なのに開店から閉店まで11時間いてくださったRJさん、有難うございました。
今日はジンナイくんが山口百恵を持ち込んだ。さすがにかける前に一応EGIちゃんにことわってみたら、何のこだわりもなく自らCDをセットしていた。・・・あ、やっぱりBLACKってそういうバーなのね?
そして山口百恵を一緒に熱唱してみせる店員(私)w イギリス人のお客に、「そっくりだね。同じじゃない」と驚かれた。実はキルズを歌うのも百恵ちゃんを歌うのも、発声法はたいして変わらない。この手の歌い方は大得意なのだ。
ああ、キルズの'Pull a U'が歌いたい。あれは結局2004年にライヴで一度歌っただけだ。あれを芯から気持ちよく歌わせてくれる、人生捨てたようなギタリストはいないのか。
相方のギタリストと普通に恋に落ちているうちはまだ甘い。日常の生活が引きずられる、真夏のだるいノイズをだすギタリストはいないのか。
本気で後悔させるようなギタリストはいないのかな。
後悔しそうな硬いやつ 不良が弾いてるエレキ・ギター *エリーゼのために / RCサクセション (1982) の歌詞。
久々にハラ出しで出勤。いや、勿論英語の授業じゃなくてBLACKの方ね。
荒いレース編みのハーフトップにローライズ・ジーンズだから、もう堂々のハラ出し。ハラは時々人目にさらしておかないとね。ハラは出さないと出るから。
ついでにすっぴんだったけど。特に誰にも突っ込まれず。というか、気づかれないんだよね、すっぴんでも。変わらないらしい。ちぇ。
可愛い女の子のお客さま(まいちゃん)。20代だと思ったら、中1の子供がいるというのでびっくり。そのまいちゃんに、「○倉涼子」に似ていると言われた。これは今までに何度も言われているが。しかし私はTVを全く見ないので、米○涼子という人を知らないのだ。検索で写真を見てみたがよくわからない。
EGIちゃんが横から「杉○彩に似ている」と言う。これもたまに言われる。この人は知っている。「柴○コウ」に似ていると言われたことも3、4回あるが、これまた全く知らない人で、最初に言われた時は「しば・さきこ」って誰だ?と思った。
外人で似ていると何度か言われたことがあるのは、ソニー&シェールのシェール、それとジョーン・ジェット、クリッシー・ハインド。いずれも顔立ちというより、イメージの問題だろう。
けれど。自分で一番似ていると思っているのは、サディスティック・ミカ・バンドのミカだ。ためしに父親にミカの写真を見せたら馬鹿ウケだったから間違いない。ちなみにその時見せた写真は、'80年代後半、既にロンドンにいたすっぴんミカだ。当時、髪型までが私と同じだった。
何となく彼女とは性質も似通っている気がする。いつか本物のミカに会ってみたいものだ。
belly (ハラ) *Screaming Bunnyの詩 (2005)
2006年07月12日(水) |
I wake up in the morning and I wonder why everything's the same as it was |
シド・バレットのいない世界に目覚め、シド・バレットのいない世界を歩き回る。どこかに私と同じような気持ちを味わっているひとはいないんだろうか。
そう思いながら、すれ違う人たちの顔を眺める。
シド・バレットは音楽的には1972年に死んだ。1967年にピンク・フロイドの1st、フロイド脱退後の1970年にソロが2枚。
一般世間からも、いや現実世界からも退いてしまったような人だ。今日までの長い時間を彼がどうやって永らえてきたのかとすら思う。
私は、自分がまさかシド・バレットが死んで泣くとは思いもしなかった。実際彼のソロが大好きというわけでもない。どちらかといえばピンク・フロイドの1stが好きで、特に'Interstellar Overdrive'は、ブートの30分近いバージョンを続けて2、3回聴いてしまうこともある。
ピンク・フロイドは好きだが、1stは全く違うバンドだ。Syd Barrett's Pink Floydという言い方があるのも当然だと思う。2nd以降のフロイドは男臭く理知的でしかしどこか大衆的で、荘厳な完成を目指すあたりがかえって気が小さい。
シド・バレッツ・ピンク・フロイドは、しなやかな女々しさ、サイケデリックな華やかさ、エレガントな選民意識を持ち、その音は軽くバウンドして星に届く。
実は私は、ピンク・フロイドがいつまでも──去年のライヴ8での再結成にいたるまで──いつまでもめそめそとシド・バレットの面影を慕っているのが気に入らなかった。'Shine on You Crazy Diamond'や'Wish You Were Here'はいい曲だが、しかしそのコンセプトはどうかと思う。ましてロジャー・ウォーターズが後年、「ピンク・フロイドは、シドさえいれば他のメンバーは誰でもよかった」と発言するに至っては。
詳しいいきさつは知らないが、結果的にはピンク・フロイドはシド・バレットを見限ったのだ。違うというなら、解散するなり、狂ったままのシドを受け入れるなりすればよかっただろう。彼らはギルモアを迎えて新しい道を歩んだ。それでいいではないか?
ライヴ8までがメイン・テーマが「シド・バレット」だ。だからマスメディアはその前後に一般人であるシドを追いまわし、写真を撮った。
しかし、ライヴ8で'Wish You Were Here'を歌うロジャー・ウォーターズは、まさしく「お涙頂戴」的でありながら、実際に涙を誘う雰囲気があった。彼は、本当に今でもシドが恋しいんだな。そして1stの頃に、シドのかたわらで演奏するロジャー・ウォーターズは、実にいい顔──何かに魅せられたような顔をしていた。彼は、Angelと一緒にいたんだと思う。
それだけシド・バレットという存在は大きかった。私が泣いた理由も、要するにそういうことなんだろう。
あれだけ印象的な顔をしたひとは他にいなかった。彼はブライアン・ジョーンズと比較されることもあるが、両者の大きな違いは、ブライアンがパフォーマーであったのに対して、シドはクリエイターだったことだ。そして、パフォーマーのブライアンよりもクリエイターのシドの方がよりフォトジェニックであったことは、不思議でも何でもない。何故ならシドは、自分の存在自体をクリエイトしていたから。
カリスマとは自然発生的なものではなく、本人の自意識が生むのである。
街は何ひとつ変わらず、勿論変わる筈もない。しかし、もうこの世界にはシド・バレットがいない。既に観念の中だけで生きていたひとだが、しかしそのひとはもういない。この世界のどこかに、見えない穴があいている。
夕べよそのブログで読んだ、あのひとことに尽きるんだな。
「バイバイ、シド」
I wake up in the morning and I wonder why everything's the same as it was (目覚めると、いつもと変わらぬ世界なのが不思議だ) *The End Of The World / Carpenters (1973) / Skeeter Davis (1963) の歌詞。
2006年07月11日(火) |
Oh where are you now |
夕方、婦人科と耳鼻科のはしごし、そのまま美容院へ。帰宅して授業。
婦人科は一週間前にかかった。耳鼻科の薬の副作用が出たと思ったので行ったのだ。あるかなしかの症状ではあったが、数年前に同様の前例があったので、早めに診せた。そしたら検査をして、結果が出るのが一週間後にも関らず一週間ぶんの薬を出され、4,000円取られた。儲けようという以外の何ものでもない。そして今日出た結果は結局異常なし。
しかし医者は無理やり別の不調を見つけ(自覚症状すらない、「正常」の範囲内の不調だと思う)、「一応念の為に」とほざいて、そのぶんの薬を一週間分出した。薬局に持っていったら、薬剤師が不審そうに「何の為のお薬だと言ってましたか?」と訊く。説明したら、「ああ、じゃあ念の為にってことでしょうね」と言う。要するにやはりほぼ無意味なんでしょう?
しかし婦人科より呆れたのは耳鼻科だ。先週私が、副作用が出たかもしれないと話すや、悪事が見つかった子供のように苦笑して、それ以上何も聞こうともせず、「じゃあお薬やめましょう」といきなり投薬を中止したのだ。必要だから出してたんじゃないの?
逆に今度はこれを聞いた婦人科が呆れた顔をした。「副作用が出るからって投薬をやめるのは間違いですよ。耳を治す方が大事なんですから」と言う。ええ、私もそう言ったんですけどね。副作用が出たにしても、もう婦人科にかかっているんだから大丈夫ですってね。
なんにしてもどっちもどっちだわね。医者なんて、皆こういうろくでもない人種ばかりだね。
夜、午前2時3分、あるブログにたった一言書いてあった。「バイバイ、シド」 その横の画像は、シド・バレット。
「嘘でしょう?」とだけ書き込んで、慌ててネットを検索する。何事にもおそろしく情報の早いWikipedia(ネット上の百科事典)の'Syd Barrett'の項には、既にこうあった。
Roger Keith "Syd" Barrett (January 6, 1946 – July 7, 2006) was an English singer, songwriter, guitarist and artist.
泣いた。
「シド・バレットが死んでしまった」と自分のbbsに書く。その文字を見て更に泣く。
自分でも意外なほどの喪失感に驚く。
彼は、世間が忘れた存在だった。音楽の世界では、とっくに死んだも同然のひとだった。しかし今は本当に死んでしまった。
もうどこにもいない。
消えてしまった。
Oh where are you now (もうどこにもいない) *Dark Globe / Syd Barrett (1970) の歌詞。
2006年07月10日(月) |
It's too much information for me |
少し前からベックの'Mellow Gold'を買おうかどうか迷っていた。迷う理由は今とても貧乏だからというのもあるが、結局私が以前から好きなのは'Loser'1曲だけで、他の曲も試聴してみたがぴんと来ないのだ。ベックは'Mellow Gold'以外の音源なら2枚持っているが、それもたいして聴かないし。
で、今日、DLで1曲だけ買っちゃおうかなあと思い、まさに購入ボタンをクリックという寸前になって、はっと気づいた。
YouTubeで出せばいいじゃんか。
検索したらすぐにPVが出てきたので、保存する。実はベックのビジュアルを知らなかったので、へえこんな顔なんだと思いつつ。
しかし。そう考えるとYouTubeがあれば、もうシングルなんて買う必要ないな。今まで1、2曲だけ欲しいからと迷っていた曲は、全部これで揃えられたりして?
ジャパンで試してみる。おお、出るわ出るわ。通常のアルバムは全部持っているので、ピクチャーレコード(CDになっていない)にしか入っていなかった'European Son'や'Life In Tokyo'、'Stateline'が欲しかったのだが、最後のがさすがに出ないものの、最初の2曲はすぐ出てきた。ベスト盤にも入ってはいるが、ベストは嫌いなので、これで持ってる方が気分いいかな。
初めてYouTubeを知った時、レッチリで検索してみたら3,000件近く出てきたのでのけぞった。ガンズ&ローゼズと入れたら、ハリウッド・ローズのライヴ映像まで出てきた。十代のイジーがギターを弾いている。
すご過ぎて、逆にそれ以上チェックする気をなくしたんだっけw
It's too much information for me (情報すご過ぎ) *Too Much Information / Duran Duran (1993) の歌詞。
2006年07月09日(日) |
You know the door to my barest soul. You're the light in my deepest darkest hour |
アルバムには殆ど(特にここ最近は)カヴァーを入れないレッチリだが、ライヴでは相当の数のカヴァーを、しかもかなりの広範囲にわたってやっている。
ジョンが一人でやるものも多く、わりと好みが私とかぶる。ビートルズの'I've Just Seen A Face'、S&Gの'For Emily, Whenever I May Find Her'などという可愛らしいナンバーもこなす。これらの曲は多くの若いレッチリのファンには全く馴染みがないらしく、「誰の曲??」といった反応もよく見かける。たしかにレッチリのナンバーの間にこんな曲を挟むとは唐突もいいところで、好きなら何でもいいってものじゃないだろうと言いたくなるが。
今回発見したのが、何とビー・ジーズである。私のbest 100 songsにも入っている'How Deep Is Your Love'だ。セブンさんのブログに貼ってあった映像がこれ。今年のフランスでのライヴ。
何だかぼんやりと弾きはじめ、歌いだす。いきなり歌詞を間違える。度忘れしたらしくて一瞬ためらうから、間違えたのがまるわかりだ。
コーラスが重なるところを無理やり一人で歌う。せっかくアンソニーがからもうとしても、ジョンが進行を間違えるのでからめない。
ギターのコードを間違える。もう一度同じところを間違える。ついには途中で悪態をついて演奏をいったん中断。ひっでえな、コレ。*
だが。このジョンがもう、可愛くて可愛くて。うかうかとなんべんも見てしまった、この映像。
ジョンはいつの間にこんなに私好みの顔になったんだろう。というか、まさか私の好みがジョンに変わっていってるんじゃないでしょうね?
先日ネット上でマチちゃんに、「ジョン・フルシャンテにメロメロ」と書かれた私である。そんな、はは、と思っていたが。
'By The Way'でレッチリにはまってから数ヶ月もの間、私は自分がジョンの音に魅せられていることをわかっていなかった。ジョンのギターと、それからコーラスが、'By The Way'においてかなり重要であることに後から気づいた。
人物としてのジョンにまいったのは、日記で見るとどうやら2003年の4月らしい。・・・うわあ、もう3年以上も前じゃないか。
・・・"I'm not in love!!!"と否定し続けて3年余りかあ・・・・・。
* 後でYouTubeで検索してみたら、ジョンの歌う'How Deep Is Your Love'が25件出てきたが。オランダ、ドイツ、スペイン等のいずれのライヴでもジョンはちゃんと演奏している。どうやらフランスだけがひどかった模様。
You know the door to my barest soul. You're the light in my deepest darkest hour (あなたにメロメロなの。あなたこそが私の光明だから) *How Deep Is Your Love / Bee Gees (1977) の歌詞。
2006年07月08日(土) |
She's searching for another light. She looks to me she looks to me all right |
最初、その女の子からメールが来た時、てっきり私に「彼」に反論して欲しいのかと思った。「彼」がレビューで、SA(レッチリの新譜'Stadium Arcadium')を理解できないファンを全否定していると知らせてきたメール。
だからあえてそのレビューを読む前に、「今から読むけど、多分私は読んでも気にしないと思いますよ」と返信しておいてから読んだ。ああ、本当だ。全否定だね。
元々「喧嘩上等」という姿勢でやってきたひとだ。私も「彼」のそういうところが好きだし。何も私が喧嘩を売られたわけでもなく、私もSA否定派の一端を担う気はない。
まあ何となく、流れのまま「彼」にメールを書いた。レビューを読んだこと、私自身はSAを3つ星と評価しているがそれをまずいとは思っていないこと、同時に「彼」の意見に反論する気はないこと、など。翌日返信が来た。私のSAレビューは既に読んでいて、私の意見を尊重すると書いてくれていた。
メールをくれた彼女にも返信して、レッチリのファンの代表というべき「彼」の意見であろうが、プロの評論家の意見であろうが、それで(SAを完全に受け入れきれない)あなたが動揺することはないと書いた。そしたら「涙ぐんだ」「救われた」といった内容の長いお返事が来た。それを読んで初めて、まだ若い彼女が、「彼」の「SA否定派を全否定」に本気でショックを受けていたんだということがわかった。
可哀想に、と思うと同時に、可愛いなあと思う。
私はその部分では強いからね。私は、「彼」どころか、レッチリ本人に自分の意見を否定されても平気だから。
例えばわかりやすい話、ある日ジョンが「'By The Way'なんて糞だ」と発言したとしても、残念なことだとは思うが、だからといって私の信仰はびくともしない。私は'By The Way'気違いだからね。この「気違いじみた」感動は、このレベルに来てしまうと、もう誰とも、例えレッチリ本人とすら、わかちあうのは無理だと思う。私と同じかそれ以上に'By The Way'に感動している人はいるだろうが、その人の感動は私とはかなり内容が異なる筈だ。
しかし今回は逆で、フリーが「このアルバムが気に入らなければ、レッド・ホット・チリ・ペッパーズも気に入らないってことだよ」と言ったわけだ。そしてこの言葉は、上記の彼女のように自分の価値観が確立していない若いファンにとっては、脅迫となりうる。これが、「俺らの今度のアルバムは最高だ。これがわからない奴はクズだな」とでも言ったのなら、まだよかっただろうが。
あのセリフは、真面目なファンの心に微妙な負担をかけるのである。
私は未だにSAは3つ星評価のままだ。'Tell Me Baby'のPVは可愛いらしい幸福感に溢れていて、見ていて幸せな気分になるが、曲そのものは普通にいいと思うだけだ。
SAにぴんと来ないファンの多くが、解るまでもっと聴いてみようと頑張っているが。私は特に頑張る気もない。
私が10代で書いた詩には、「水晶のようなものが神にならないか」といったフレーズが多くみられた。'By The Way'に出会って、私は水晶をひとつ手に入れた。レッド・ホット・チリ・ペッパーズは、'By The Way'、'Californication'、'Blood Sugar Sex Magik'の3枚で、私にとってかけがえのないバンドになった。万一今後レッチリが目も当てられないような駄作を数十枚出したとしても、そのことは揺らがない。
だから私は、SAが解らなくても慌てることはない。今後ライヴでレッチリがSAの曲を演奏しても、何のこだわりもなく盛り上がれる。SAの殆どの曲は、基本的には好きだからね。
だって、レッチリだもの。評価が辛いのは、元々の基準設定が違うんだよ。
She's searching for another light. She looks to me she looks to me all right (光明を求めることはない。あなたはそのままで大丈夫だよ) *She Looks To Me / Red Hot Chili Peppers (2006) の歌詞。
2006年07月06日(木) |
I love you honey |
夜中にYB(g)から電話。酔っ払って、「やっぱさあ、おまえのことを一番愛してるのは俺だと思うよ」と言う。言われたとたんにはっはっはと笑ったら、あちらも声をそろえて笑った。あ、笑うところでいいんですね。
「・・・いや、でもマジそう思うよ」と真面目な声を出すので、またはっはっはと笑うと、また一緒に笑う。・・・うーん。考えてみたら「愛してる」というセリフは、ここ最近はYBに一番よく言われるかもしれない。
そういえばCRを辞めて以来、「告られ」てないなあ。先週25歳の男の子に「抱きたい」と言われたのは、あれはセクハラか?w
「結婚したい」、「一緒に暮らしたい」というセリフも今年は一度も聞いてないぞ。
「2年前に初めて会った時から好きだった」という感動的なセリフを言った男はいたが、言った時にクスリでベロベロだったので、感動も半減どころかゼロである。
そういえば以前にクスリでベロベロな男にプロポーズされたことがあった。彼はその場で親に電話で結婚報告し(いやあのOKしてませんけど)、友人2人に保証人を頼んだ。ついでにいえば彼は、感極まって失禁した。男に失禁されるなんて、人生であれ一度きりだろうな。
私を落とすのは実に簡単なんだけどな。前にも何度かここに書いた通り、「俺、レッチリと、R.E.M.と、ハニードッグスが好きなんだよね」と言えばいい。
或いは単に、ジョン・フルシャンテの'Loss'を口ずさむとか。
・・・アホだな、私はw うんうん。
朝4時に、ふと思いついてスタジオ入り。一時間歌ってみるが、あまりに声が出ないので呆然。思えばもう8ヶ月歌ってないんだなあ。
I love you honey (愛してるよ) *Hot Legs / Rod Stewart (1977) の歌詞。
2006年07月03日(月) |
psychosomatic medicine |
一週間前にもじょきちさんとこのbbsで読んだ、もじょきちさんの書込み。買ってきた水草を水槽に入れたら、中のエビがいきなり暴れだして全滅したという。熱帯魚などを大事に飼っているもじょきちさんだから、相当ショックだろうなあと思い、何か書こうとするのだが、書けない。
実は自分も相当ショックを受けていた。水槽という閉所から逃げられなかったエビの苦痛、それを見ているしかなかったもじょきちさんの苦痛。以後一週間、軽いトラウマになった。
動物を飼うというのは殆どの場合、生き物を物理的に拘束することだ。ケージも鎖も、人間なら「監禁」に値する。室内で放し飼いなら「軟禁」か。
飼われている動物はそれなりに幸せそうに見えたりするが、南北戦争以前のアメリカ南部の奴隷だって、開放されたらどうしていいかわからないから、今のままの境遇がいいと思っていたのだ。
犬をはじめとして多くの品種は、人間の都合だけでつくられた。アナグマを狩るのに適するように足を短くされたダックスフント、ブル・バイティング(つないだ牛と犬とを、どちらかが死ぬまで戦わせる闘技)の時に噛みついたままでも窒息しないよう鼻ペチャにされたブルドッグ、その体型に無理がある為8割が帝王切開でないと出産できないチワワやフレンチ・ブルドッグ。「101匹ワンちゃん」で人気のダルメシアンは、あの模様をつくる為の弊害として生まれつき30%が両耳、60%が片耳が聞こえないが、それだと商品にならないので生まれたそばから処分されている。
兎のイングリッシュ・ロップイヤーは、地面にひきずるほど長い耳につくりかえられた品種で、人間の世話なしには生きていくことも出来ない。そもそもロップイヤー(垂れ耳)自体が、走った時に耳を立てて体熱を放出することが出来ないので(兎は汗をかけない)、何かに追いかけられでもしたらオーバーヒートで死ぬことになる。
「売春がなくならないのは、女を買う男がいるからだ」という理屈にのっとれば、以上の悲惨な品種づくりの責任は全て、動物を「買う」側にある。
けれど私も多くの動物を飼った。可愛いからだ。心が休まる。体重30gのネズミに、パニックの発作を抑えてもらったこともある。
そして私は動物を食う。うまいからだ。
同じことだ。どっちにも責任を取るつもりはない。どっちかだけをいけないと主張する人間の言うことも聞く気はない。
習慣と歴史というものには、それなりの意味と重みがあるのだ。個人の都合や感情だけで、よその人間たちのそれまで否定するのは傲慢だ。
犬や馬は人間との長い関りの歴史を持ち、人間のために誇りを持って働き、そのせいで命を縮めたりもする。
盲導犬は、犬が本来怖がる車の往来に耐え、盲いた主人に道路を横断させる。そういったストレスから寿命が短い。
競走馬にいたっては、早く走る為の品種改良のせいで怪我をしやすく、酷使されたうえ、勝てなくなると処分されるので、平均寿命がわずか4年だ。(普通の馬は20〜30年) そしてサラブレッドは、この世でもっとも美しい生き物だと言われている。
psychosomatic medicine (心療内科)
2006年07月02日(日) |
gynecology |
どうして私って何でも喉もと過ぎたら忘れちゃうんだろう。いい加減自分が婦人科系が弱いことを覚えておかないと。
昔から何だかんだとしょっちゅう婦人科系はやられている。今回も耳鼻科から処方されている薬の副作用が出た。また婦人科行かなきゃ。
初めて婦人科にかかったのは13歳の時。膝が、どうしても開かなかった。「開いて」と言われ、開かなきゃという気はあるのに、どうしても開かないのだ。そのうち何とか診察が始まったが。腹部に垂れたカーテンの向こうに数人の気配がする。何と、医者が新人だか何かを相手に講義していた。私の体で。
その後また膝が開かなくなり、とうとう医者は診察を諦めた。私の症状を心配して、わざわざM島(勿論婦人科も総合病院もある)から那覇の大きな病院まで私を連れてきていた母が、「死んだらどうするの!」と怒ったが、「死んでもいい」と涙目で答えた。
死んでもあの診察台に座るのは二度とごめんだと思った。
あれからずっと医者は大嫌いだ。
そういえば2003年にみつかった子宮内のポリープ、あれはその後どうなったんだろうなあ。
まあ、いいか、死んでも。
gynecology (婦人科)
前の日記へ |次の日記へ