2006年06月18日(日) |
It's Alright, Ma (I'm Only Bleeding) |
14時にるみと立川で待合せ。の、筈が。
1時間近く遅刻。本当にごめんよぉおお!!!
カフェでコーヒー飲んで、15時過ぎにるみの彼とその友人が到着したので、4人で食事しに行く。要するに今日が、人生初のダブルデートなのだ。
私のお相手は例の、「お金持ちで見た目も性格も良く英語堪能なベーシスト」と、詐欺としか思えないような好条件(私的には特に最後のヤツが)の男性。ちなみに年下。
特に詐欺はなかった。「お金持ち」に関しては、趣味で土佐犬12頭飼っているということから考えても相当なものだろうし。「見た目」は、ブラッド・ピットやトム・クルーズ(両方とも映画を見たのに顔を忘れた・・・)よりもジョン・フルシャンテの方がはるかに好みな私の意見はおいておくとして、間違っても不細工ではないと思う。(るみやるみの彼氏は「いい男でもてる」と言っていた) 「性格」は、適度に明るく気さくで、会話もスムーズ、マナーも出来ているし、やさしそう。「英語堪能」は確認の機会はなかったけど、るみの彼(アメリカ人)が言うんだから間違いないだろう。
で、結局どうだったかって?
こういう会話がありました。
私: 「ジョン・ポール・ジョーンズもすっかり普通のおじさんになってしまって」
彼: 「ジョン・ポール・ジョーンズって誰?」
・・・はい、終了です。
ツェッペリンが好きで、バンドでベースをコピーしていながら、ツェッペリンのベーシストの名前を知らないことも充分あり得るだろうし、ましてそんなことを人を判断する基準にするのは馬鹿げている。
・・・でも、終了です。
ジョンジーのせいで安楽な人生を棒にふった責任を誰に取らせれば。(ジョンジーに取らせるわけにもいかないだろうしw)
お食事の後は、とりあえず車に乗る。彼の高そうなでっかい車。るみが「また違う車だ」と発言。おお。
高速ぶっ飛ばして新宿ロックバーCへ。21時入り。
今日は珍しくマスターがいないが、店員MG(g)が私の為にレッチリ、ホール、ニルヴァーナなどをたて続けにかけてくれる。ビートルズやレオン・ラッセルまで。彼が自分の好みでかける曲も私のどツボ。(マルーン5など) たまにちょっと私のど真ん中から外れると、これが何故か例外なくるみの趣味。(バックヤード・ベイビーズ、モトリー・クルーなど)
とにかく今夜のMGは素晴らしかったな。ジョー・サウスバージョン(要するにオリジナル)の'Hush'をかけるとは。ロックバー勤めはまだ8ヶ月くらいの筈で、その間にすごく色々覚えたんだというのがよくわかる。私も高円寺CRでそうだったわ。
男性2人は0時前に先に帰り、その後はるみと二人で気兼ねなく盛り上がる。
閉店までいて、1時半に新宿ロックバーGに移動。
実はGにいる間に、爆音で少々耳が痛くなる。本当は耳鼻科の医者に「お酒は駄目。安静に」と言われている身だっていうのに。おまけに一日三回飲まなければならない薬も、持って来ていないので飲めない。・・・ま、いっか。
5時の閉店までいて、そこからすぐのロックバーBへ移動。久しぶりに行ったら、ジョニー(キャバリア・キング・チャールズ・スパニエル)の足が悪くなっていた。それでもびっこを引いて寄ってきて、撫でてもらおうとする。可愛いなあ・・・。
7時閉店(20分オーバー)までいる。今日は3軒とも閉店までいたわw
るみとカフェでコーヒー飲んで、10時過ぎ帰宅。
私も20時間もの長時間お出かけだったけど、横浜から来てるるみなんてほぼ24時間外出の筈。
ま、一昨年くらいまでは、3日帰らず飲み歩いたこともあったたけどね。
帰宅して慌てて薬を飲む。何と耳から出血していた。
ま・・・まあ、いっかw
It's Alright, Ma (I'm Only Bleeding) (大丈夫よ、単なる出血だから) *Bob Dylan の曲。(1974)
2006年06月16日(金) |
Can you hear me |
新宿で授業して、荻窪に戻って耳鼻科へ行き、美容院で前髪を切る。
耳鼻科。12月頃からだましだまししていたけど、もう限界で、とうとう来た。
「何が原因かしら・・・」と不審気な女医さん。「鼓膜が腫れて、炎症起こしてますね。・・・とにかく安静にして。お酒はひかえて。よく眠って。治療に通ってください」
「きみ、何かしてるでしょう?」と物凄く不審気に外科医に訊かれたのは、2003年の6月。朝起きたら右手首から先が死んでたのだ。接続が切れたも同然で、何と全治一ヶ月。原因不明なので、外科医に訊かれた。「何か手を使うことしてるでしょう?」って。
PCやるって小声で言ったら、「どのくらいやるの?」と訊かれたので、「・・・かなりやります」とごまかしたけど。・・・だって一日15時間以上なんて、とてもじゃないけど言えないし。
今回は、「何か耳を使うことしてるでしょう?」とは訊かれなかったわ。だから答えなかった。
だって言えないもの。
「去年の夏にフー・ファイターズにはまったんです。iPodに入れて毎日毎日イヤホンで爆音で聴いてたら、だんだん耳がおかしくなってきて。なのにそれ以来イヤホン爆音の習慣がついちゃって。ピート・タウンゼントがイヤホンで難聴になったって聞いた時もヤバイなとは思ったんですが。・・・そろそろぽこさんバンドのコピーをしようと思ったら、耳が痛くてイヤホン使えなくて。かといってもうイヤホンでないと聞こえが悪いし。それでしょうがないんで診せに来たんです」
なんてね?
鼓膜の腫れがひいたらすぐ、イヤホン耳に突っ込んでコピーしなきゃ。
Can you hear me (聞こえる?) *In Your Honor / Foo Fighters (2005) の歌詞。
2006年06月13日(火) |
You need to be yourself. You can't be no one else |
昨日mixiのレッチリのコミュに、新譜を批判的に捉えたトピックが立った。私もたまたま最初の頃に書き込んだが、これがあっという間にかなりの数の書込みがあって、新譜に疑問を感じていたファンがこんなに多いかと実感させられた。皆レッチリが心底好きで、なのに新譜がどうしても納得いかず、我が事のように悩んでいる。批判的な意見の殆どが、痛切な愛情や、捨てきれない信頼を感じさせる。2、3むかっときた意見はどれも内容のない空虚な賞賛だった。
書込みのひとつに、フランス語のサイトを貼ったものがあった。自動翻訳にかけてみたら、どうやらレッチリがトム・ペティを盗作したと言っている。問題になっているらしい曲を検索で探して聴いてみた。1993年の'Mary Jane's Last Dance'
聴いた瞬間、思い出した。これはいつだったか、元ダンナが好きだと言ってPVを送ってきた曲だ。どうりで。
どうりで'Dani California'を初めて聴いた時、どこかで聴いたような気がした筈だ。────そっくりだ。
検索してみたら、6/2には既に音楽ニュースに流れていて、アメリカでは結構な話題になっているようだ。'Complete rip off'(完璧な盗作)という容赦ない見出しがついている。あちらのラジオ番組では、ふたつの曲を重ねて流し、リズムもコードも展開もぴったり一致するのを聞いて大笑いしている。歌詞まで同じだと嘲っている。確かに詞も似ている。
このふたつの曲はサビだけが全く違うが。まさしく'Dani California'は、サビでいきなり曲調が変わるのだ。そこだけ別に作ったかのように。
これは盗作だ。意図したかどうかは別としても。
すっかり気分がささくれだつ。
「盗作」自体はどうでもいい。ドアーズの'Hello, I Love You'が、キンクスの'All Day And All Of The Night'の盗作と言われ、謝罪させられているが、別にどうとも思わない。
オアシスに至っては、開き直りを超えている。ノエルは、自分から堂々とこう言うのだ。「例えば'Supersonic'の間奏のギターは、ジョージ・ハリスンの'My Sweet Lord'に似ている。だけど真似したんじゃない。自然に浮かんだんだ。似てたからって何だ。あっちが盗んだんだ。俺が訴えてやる」───聞いていると、おかしなことに胸がすく思いすらする。(関係ないが、'Supersonic'はギターフレーズも含めて、'My Sweet Lord'の数倍優れた曲だと思う)
だがレッチリに関しては。この微妙な時期────4年ぶりの新譜、何故二枚組なのか、シングル・カットの曲が何故日本の映画の主題歌なのか、何より新譜自体の出来、色々な疑問が解決しないうちにまた余計な雑音がひとつ加わって、すっかりうんざりした。
要するに私は、この盗作問題を鼻で笑えるほどには、今度の新譜を愛していない。それをはっきり気づかされてしまったのだ。
こんなつまらないことが、大切な恋を損ねるのか。
そう、レッチリとの関りかたはまるで恋愛みたいだ。そしてこれは私に限らず、レッチリのファンは皆そうだ。だから、新譜の意見を出し合っているだけで、すぐ感情的になって一触即発の雰囲気となる。
You need to be yourself. You can't be no one else (おまえの流儀でいけ。誰の真似もするな) *Supersonic / Oasis (1994,4,11) の歌詞。
2006年06月12日(月) |
Be quiet. Big boys don't cry |
まず最初に謝る。もしあなたがこれを読むことがあったら、ごめんなさい。
検索で偶然見つけた、歌詞を訳するブログ。10ccの'I'm Not In Love'を訳していた。全て男性の言葉になっていたから、コメントを書いた。「途中のセリフは女性の声だから、女性の言葉で訳するのが適当だと思います。ちなみに私の訳は〜〜です」と。
で、後から見てみた。気を悪くしたかな?と少し不安になりながら。2行だけとはいえ自分の訳まで書いたのはやり過ぎだったかな。
そしたらあまりにも意外なレスがあった。「女性の声の場所があったのですね。気づきませんでした」 そして、「ありがとうございます」とお礼。
呆気に取られた。何それ。何でよ。気づかなかった、って。
曲をちゃんと聴いてないの?
ブログのタイトルにはしっかり「音楽」という言葉が入っているのに。
曲のタイトルの下に「傑作」と書かれていて、この曲を賞賛する文句も書かれているのに。
「気づかなかった」?
WMPで'I'm Not In Love'をかける。人生で何百回目かに聴く'I'm Not In Love'を。ずっとこの曲を訳したかったけど、あまりにきれいで手が出なかった。そしてたった2行だけ訳したのがあのセリフだ。
Be quiet.
Big boys don't cry.
何故ならこのセリフはこの曲の命だからだ。
'I'm Not In Love'は、この世で一番女々しい曲で、馬鹿馬鹿しいほどまるわかりの愛情を垂れ流している。これがまるわかりなことは、本人である男性も知っていて、半ば確信的にやっている部分もあるが、結局はどうしようもないくらいの恋慕の情なのだ。
好きだ、と彼は訴えている。好きだ、好きだ、好きだ、好きだ、と無能さを不器用さを丸出しにして。
そうして、裸の魂ほど女の心を打つものはない。男の強さなんて何ほどのものでもないが、生き物の牝は無力なものを見ると本能で抱きしめるように出来ているのだ。
彼女が彼を愛しているかはわからない。いや、愛していない可能性が高そうだ。でも、だからこそ彼女は心からのやさしさを込めて言うのだ。
泣くなんて、子供みたいよ、と。
そう、彼は泣いているから。涙が見えなくても、彼女にはわかる筈だ。
───ああ、こんな気恥ずかしい曲は、一生に二度とは書けやしない。ギリギリのところで、透明なうつくしさを保って立ち尽くしている。無駄な音が、無駄な展開が何ひとつない。
私がこの曲にこんなに入れ込んでいること。訳詞(大好きな曲に限る)をする時は必ずイヤホンで耳に直接音を入れてエンドレスで聴き続けること。必ず気分を高揚させたままノンストップで最後までやること。例えばレッチリのように曖昧な言葉が多い場合は、ほぼ全部の単語を念の為に辞書でひくので、時には1曲に4時間かかることもあること。そんなことは全部、あのブログの持ち主には関係ない。
わかってるけど。よくわかってるんだけど。
────どうしても。自分がずっと長い間、うっとりと眺めてきたものを、軽く扱われたような気がして、涙が出た。
こんな馬鹿な文章は書かないほうが賢い。
でもこの愚かしい感情の奔流を記す為に、この日記はある。
そもそもこの日記自体が愚かしさの象徴だし。
だから書いた。
Be quiet. Big boys don't cry (黙って。泣くなんて子供みたいよ) *I'm Not In Love / 10cc (1975) の歌詞。
2006年06月09日(金) |
By the way I tried to say I know you |
「新譜どうだった?」と訊かれるたびに、無言の笑顔で逃げていた。結局一言も発しないまま、自分のサイトで他の人たちの意見を募集したりして。
もう一ヶ月もたつっていうのに。レッド・ホット・チリ・ペッパーズの新譜'Stadium Arcadium'が出てから。
私はレッチリが2002年にBy The Wayを出した一ヵ月後にScreaming Bunnyになった。そして秋には、このアルバムが私のバイブルになっていた。'Californication'も'Blood Sugar Sex Magik'も素晴らしいけど、でも私は'By The Way'気狂いだから、といつも言っていた。そしてあの頃から、レッチリの次のアルバムが出ることが信じられなかった。私にはレッチリは一枚出すごとに成長しているように思えたから。だったら次のアルバムは'By The Way'を超えるの? そんなことってあり得るの?
'By The Way'と私は、天上の恋のようにエレガントに出会った。2002年の夏、TVもラジオも音楽雑誌もない生活をしている私は、今の音楽なんか一切知るわけもなく、ネットでCDを買うんでも、ずっと以前に出たものばかりだった。ダンナを追い出し仕事を辞め、6歳下の男の子とつきあいだした。つまらない男だったけど、音楽の知識は凄かった。私の聴きたがるものを片っ端からくれた。
数年ぶりにローリング・ストーンに通い始めたら、お馴染みの古いロック、たまにかかる新しいロックの中でふと私の注意を引く曲があった。
彼を連れてストーンに行った時、その曲がかかった。「ねえ!」と腕をつかんで言った。「この曲、何?」 そしたら彼が答えた。
「レッド・ホット・チリ・ペッパーズの'By The Way'だよ」
やがて家に彼から'By The Way'のCDが届く。(彼とは既に会うのをやめていた) すぐにかけて、7曲目で声を上げた。「ああ!これもレッチリか!!」って。
その曲は2、3度ストーンで聴いていた。聴くたびに心が平静でいられなくなった曲だ。曲名を見たら、'Can't Stop'とあった。
毎日毎日毎日。家で'By The Way'を聴いた。
やがて11月の寒いロンドンに出かけて、街を歩き回ると、あちこちでしょっちゅう'By The Way'の音に出会った。たいていはアルバムを頭からそのままかけていたから、私はしょっちゅうあちこちで動けなくなった。
靴屋の前を通ったら、'Throw Away Your Television'がかかっていたので、用もないのに入った。店員が寄ってきて"Can I help you?"と聴くので、"Just looking."と答えながら、本当は"Just listening."なんだけどと思っていた。
私はロンドンに音楽を聴けるものを一切持っていかなかった。なのに'By The Way'は、まるで私がMDプレーヤーで持ち歩いたかのように、私について回った。実際の音がない時にでもだ。夜中に酔っ払ってB&Bに戻った時に私ははっきりと'This Is The Place'を聴いたし、アールズ・コートの駅で自分に'Don't Forget Me'の孤独な旋律が襲いかかった時、シャレではなく、私は本当にこの瞬間を忘れないだろうと思った。
'Dosed'と'The Zephyr Song'は、二人の女神のようにきれいで優しかった。
'By The Way'(曲)は完璧だと思った。どうやったらこんな曲が書けるんだろう。
とにかく16曲(この曲数は多過ぎると思うが)中14曲が自分の中での5つ星になったし、全体も見事に調和している。
それより何より、もう思い入れとして、これは私の聖典だ。だからもしも誰かが'By The Way'にけちをつけても、私はきっと少しも気にしないと思う。地動説を否定されているのと同じだからだ。ひょっとしたら私は笑い出すかもしれない。
そうして2005年の終わりにレッチリが新譜をつくった。10月には録り終えていたとか、ジョンが仕上げにこだわって発売が伸びたとか、とにかくなかなかリリースされない。一度は3月に発売決定と言われたが、結局は5月になった。
二枚組であることへの懸念、先走って聴いてしまったDani California、色んな思いが交錯した。偶然にも発売日には旅行に出ていて(私は後から、自分が潜在意識下でわざとこの日を選んだような気すらした)聴くのが遅れ、一度聴いてからもなかなか再度聴く気になれず、聴いてもすぐに意識が逸れて集中が続かず、二枚目のラストまでたどり着くことが殆ど出来ない。
人に感想を訊かれてもきちんと答えないまま、自分のサイトで「感想を募集」してみた。ある意味時間稼ぎのようなところもあったし、本当に「困って」いたんだと思う。
その間ずっと思っていたこと。'By The Way'を聴いちゃいけない。聴けばきっと、SAを聴く気をなくす。
なのに今夜、6/7の日記を書いていて、'Cant Stop'のタイトルを書いた時、ついうっかり聴いてしまったのだ。スタジオ版の'Can't Stop'を。そして続いてうかうかと、少し前にもらってまだ聴いていなかった音源───2002年、Melodic Flea-Wayというブート・ライヴの中の'Can't Stop'を。
弦が切れんばかりに跳ね上がるフリーのベースは変わらないが。ジョンの出だしのギターがもたつく。早過ぎる。指がからまったかのようで、リズムも安定していない。上ずった感じの始まり方で、そのせいかアンソニーもちゃんと歌えていない。とうとう"Come back strong with 50 belly dancers"のところは投げ出したように諦めて歌わない。その後も歌詞は間違えるし、ラストは完全にキーを外している。
───これを聴いた後で、ハイドパークの'Can't Stop'を聴くと、もっとずっと遅くてどっしりとしていて、特にギターは全く違っていて、キーすら低く聞こえ、じっくりとうねっている。ドラムはリズムが遅くて安定しているので、ロールもしっかりと決まっている。
一方Melodic Flea-Wayのドラムは軽くて、チャドの本領を発揮出来ているのはようやく後半になってからだ。
要するにこの演奏は、技術的には失敗に近い。特にアンソニー本人は相当納得がいかないんじゃないかと思う。
だけど、物凄くいいのだ。
例えば、全く違うがPANTA & HALの'TKO Night Light'の「ルイーズ」や、ギランのモンスターズ・オブ・ロックにおける'Mr. Universe'は、両方ともサビの大事なところで全く声が出ておらず、殆どつぶれている。それが何ともぐっと来る。
ヘタな方がいいと言ってるのではない。だけど、ライヴがライヴであることの意味。ライヴが生で、取り返しがつかないんだということの臨場感。───元々「慌てる」という要素はこの曲には合う。
少なくともこの場のオーディエンスの興奮は本物だと思う。私もこの場にいたら相当息が上がったんじゃないか。
というか。息が上がってしまった、本当に。連続して4回このバージョンを聴き、5回目はもう体力的に無理で諦めた。指が冷たくなっていた。
で、'Stadium Arcadium'は?
・・・ああ、私って馬鹿みたい。もう、すっきり迷いが抜けた。
私にとって'By The Way'は100年に一度のアルバムだし、'Can't Stop'は1,000年に一度の奇跡だから。これを超えるものが、4年に一度出るわけがない。
はっきりとわかった。新譜がどうこう言う前に、私は前から言っているように、'By The Way'気狂いだから。
さあ、これでやっと。
ようやく落ち着いて、'Stadium Arcadium'が聴ける。
By the way I tried to say I know you (ところで、言おうと思ってたんだけど、あなたを知ってるわ) *By The Way / Red Hot Chili Peppers (2002) の歌詞。
2006年06月07日(水) |
The Song Remains The Same |
昨日の授業中にB校のオーナーから電話が来た。ああもう毎日毎日。授業中だと言ったら妙にうろたえ、後でかけなおすと言う。またこの人からかかると思うと嫌なので、「何かあれば今」と言うのに、「いえ後で」って。
結局22時過ぎに2度かかったが、取らなかった。その後メールが来たから速攻でお返事した。用件は結局、10日の授業が延期になったというだけ。代わりの日時も決まってないし。だったら何でさっき言わないのよ。たった一言で終わることなのに。というか夕べの時点ではまだ4日も先なんだから、メールで済むじゃないか。私はスクール関係のPCメールにはいつも2時間以内に返事してるんだし。
昨日真理恵ちゃんに、「気があるんですかね?」と言われた。ぞっとする。私には珍しく、初対面から嫌いな相手だ。陰湿で偉そうでものが見えていない。
とにかく夕べのメールで「連絡事項は(電話ではなく)メールをくださればすぐにお返事します」と書いた結果、今日は一度も電話がこなかった。一週間か10日ぶりのことだ。ああ、平和。
久しぶりに。薄い恋心が降って来たかもしれない。
考えてみれば随分長いこと、「好きな人が出来た」って言ってない。昨年末までは「今週の運命の人」って冗談言うくらいに、ころころ好きな人が出来てたのに。去年の12月に体脂肪ひとケタのベーシスト(私の条件ど真ん中)を二人もたて続けに遠ざけて以来、何もないとは言わないが、しかし私の気持ちがさっぱり揺れていない。
最近は生活の中心が英語だったから、しまいには、「外人とつきあおうかなあ。そしたら英語のリスニングの勉強になるし」とか、「お金のある男とつきあいたいなあ。そしたらゆったりしたペースで英語講師をしていられる」とか、物凄く保守的な発想をしていたのだ。(発想だけで何もしないけど)
そしたら何となく今日、ふいっと「来た」
───嬉しい。少し前からこれの予想はあったけど。おまけにフェイクの恋だとわかりきってるけど。エネルギーを充填した感じでわくわくする。恋をすると綺麗になれるし、いい詩が書ける。
この感覚、今のところまだ、一週間持つかあやしいけど。でもその間にしっかりと「ふけって」やる。
出来れば本当は。フー・ファイターズの'Low'に恋に落ちた時みたいな。
あんな雷の一撃があればいいのに。
私は例えば、スマッシング・パンプキンズの'1979'が自分の為に書かれたとしか思えないし、レッチリの'Can't Stop'は私のものだと思っている。理性がどうたしなめても感性が納得しない。
で、今日表を歩いていてふとわかった。そうか、そう思うのも当たり前だ。
逆なんだ。
'1979'が私の為につくられたんじゃない。今日ここにいる私を、'1979'がつくったんだ。
そうか。2002年の夏に、'By The Way'というアルバムに出会って。
そこらへんから、Screaming Bunnyがつくられたんだ。
2005年に私は激烈な恋をしている気でいて。でも後であの頃の感覚を強烈に甦らせるのは、'1979'であり、ガービッジの'Run Baby Run'であり。どちらも彼と何の関係もない。ただあの頃私がそれを聴きまくっていただけだ。
そうしていつも、音楽が残る。そうして私が今日ここに立っている。
The Song Remains The Same (歌がいつも残る) *Led Zeppelin の曲。(1973)
五反田TOCビルでK叔母と会う。母の経営するブティックの仕入れで昨日から東京に来ているのだ。私もコシノ・ジュンコを6点(タンクトップ×2、スカート×2、カーディガン、ドレス)もらった。CROSS ROAD時代の一ヶ月の稼ぎより遥かに多い金額だw
K叔母から、お誕生日に花しか送っていなかったからと言って、茶の革のバッグとポーチももらった。Yから預かってきたというお小遣いも。(これも誕生日祝いだとか)
メーカーのラウンジでコーヒーをいただいてたら、サービスでマニキュアをしてくれるというので、K叔母と二人でお願いする。K叔母はシルバーの無地。私はベビーブルーに薄くラメをのせ、左の薬指だけに、胸のタトゥーと同じ青い蝶を描いてもらう。蝶の胴の部分はロンドンブルーのラインストーンをひとつのせる。横でやはりマニキュアさせていたご婦人がずーーーっとこっちばかり見ていると思ったらとうとう話しかけてきた。「ブルーがとっても似合いますねえ・・・」って。「もうさっきからそっちばかり見ちゃって。私もブルーにすれば良かった」
ネイル・アーティスト達も、今日一日やっていてブルーを選んだ方は初めてです、と楽しそうに言う。
今日の服はブルーのニット。ピアスもブルー系のビーズ。指輪とブレスレットはシルバー。パンツとミュールは黒。香水は久しぶりにエタニティ。今日の服の色彩にはどうしてもエタニティだったんだ。そしてそこに、ベビーブルーの爪は合うと思った。
19時から授業の大学生たちは五反田の隣駅の目黒に住んでいるので、連絡して彼女達の家で授業する。迎えに来た真理恵ちゃんに「ほら、タトゥーと同じ蝶」と見せたら、「タトゥー入ってるんですか?」と驚かれた。最近は胸元の隠れた服も多いので、わりと知らないひともいたりする。勿論スクールの仕事の際には隠している。
かと思えば先日母にバレた。会いに行く時、ブラウスから微妙に見えそうなのでどうしようと思ったが、もういいやと着替えずに行ったら案の定バレた。母は「親からもらった体に・・・」と涙目になりそうだったが、まあまあ!って感じでいきなり話題を変えてそれっきりにした。
隠し通すのも面倒だったので、まあ言いたかったんだと思う。母も、最近の私には満足しているせいか、それ以上何も言わなかった。
刺青というのは元々囚人用かと思っていたら、最初の起源は(たいていどこの国でも)体の装飾なんだそうだ。結局は何のポリシーでもなく、ただただ体を彩るという原始的な発想なわけだ。ものごとは大体そんなものだ。
ただ、漁民が漁に出て死んだ時の識別用に彫られていたという歴史もある。既婚女性の印として彫る部族もあるらしい。何かを「見分ける」という意味では、囚人に彫るのと変わりない。
以前、サイトに顔写真を出していなかった頃は、蝶のタトゥーの画像だけを出して、「ロックバーでこれを見たら私だと思ってください」と書いていた。その方がロマンティックではあるな。実際それで声をかけられたこともある。
ちなみにいれずみを「刺青」と書くのは、私の愛する谷崎潤一郎の小説が出て以来定着したらしい。
全く関連はないが、テネシー・ウィリアムズの「薔薇のいれずみ」、レイ・ブラッドベリの「刺青の男」などの作品もやはりロマンティックで好きだ。
Blue *RCサクセションのアルバム。(1981)
フレドリック・ブラウンの'The Wench Is Dead'(邦題=「Bガール」)が届いた。早いな! アメリカのブックセラーのサイトで注文してからたったの4日だ。優秀なサイトだわ。関係ないがこのサイト、何故か私の本名と同じ名前。意味もなく親近感アップ。(このサイト探せますか、bay city rollersさん?)
この本の日本語訳は、1961年に出た創元社の「世界名作推理小説大系」の中におさめられているのみ。アメリカでもネット以外ではまず手に入らないだろう。ロンドンの「世界最大のミステリー専門店」Murder Oneにも、フレドリック・ブラウンは1冊しかおいていなかったし。
22ドル+送料9ドル50セント。中古だがかなりきれいな状態で、本当に読んだのか?と思うほど。出版当時(1955)の価格が25セントとあるのを見て、長い時を経てこの本を入手できた喜びを噛みしめる。
カバーは可愛らしいというか安っぽいイラスト。小口はピンク。紛れもない「パルプ」だ。
カバーの謳い文句はこうだ。'Hoods, Winos, junkies, B-girls --- Here is a hard and Violent Novel of murder on Skid Row'(ギャング、アル中、ヤク中、売春婦。どや街の殺人を描いた過激で暴力的な小説)
特にコメントはしない。思い出すのはカート・ヴォネガット・ジュニアの傑作「チャンピオン達の朝食」だ。その主人公キルゴア・トラウトのSF作品は、ハードコア・ポルノ専門の出版社からエロ本のめくらましとして出される。そして帯の謳い文句はこうだ。'WIDE-OPEN BEAVERS INSIDE!'(大きく広げたビーバー満載!) ビーバーとは女性器のこと。
だけど今実際にこの本を目の前にして私が感じるのは、安っぽいイラストも含めてただただ、既に亡きアメリカの作家の未訳の作品を手に取り、これから読むのだという感慨だけだ。
アメリカは、現代においてもまだまだ遠い国なのだ。その国で51年前に出された小説を私が読む。ここまで来るのには、かなりの時間と手間がかかったんだよ。
今私は、この小説を読むためだけに、自分が英語を学んだような気がしている。
Hello (やっと会えたね) *Oasis の曲。(1995)
前の日記へ |次の日記へ