2005年11月25日(金) |
You wore our expectations like an armored suit |
昨日届いた、R.E.M.のDVD、'Road Movie'を見る。どこにも売っていなかったので、オフィシャル・サイトで買ったのだ。
1995年の「Monster Tour」の映像である。「Monster Tour」、ええ、もう一回言うわね。「Monster Tour」
・・・ちっくしょー。数日差で見逃した、10年前のあのライヴ。まさか。まさか次の来日までに10年もかかるなんて。
その来日公演の記事が載っていたロッキング・オンの、見出しのコピー「そして皆の胸は熱くなったのでした」を見た時のあの後悔。
Road Movieは、出た当時にTV番組(Making Of Road Movie)でざっと見たことがあるが。今回初めてDVDできちんと通して見た。
1曲目が'I Took Your Name'──今年3月の武道館でこの曲から始めた時は、あまりの渋さにくらくらとなったが。そうか、既に10年前の時点で同じことをやっていたんだ。
2曲目が'What's The Frequency, Kenneth?'で、3曲目が'Crush With Eyeliner'、4曲目が'Undertow'────ああ、私はこの場にいたら、失神したに違いない。
R.E.M.って変なバンドだ。特にマイケル・スタイプは何て変な生き物だろう。彼は175cmらしいが、ぞろりと細長いその体はもう10cmは高く見える。
何なんだそのおかしな格好は。ブレザーにパンツ、なのに腰から膝までにタオルケットのようなパイル布を巻いている。血管の浮いたスキンヘッドにサングラス、アイホールいっぱいのシャドウ。で、靴はスニーカーかよ。普通ならおそろしくちぐはぐな道化になる筈なのに・・・かっこいい。
その動きときたら、綺麗なトカゲと軽業師を合わせたよう。コートニー・ラヴが'99年のホールのライヴ映像で、これと似た動きを時折する。当時つきあいのあった彼の動きを真似ているのかもしれない。
'Losing My Religion'ってのは、本当にいい曲だなあ。一番有名な曲がちゃんといい曲だってのはいいことだ。ファンが世間に対して「あの曲を○○の真髄と思って欲しくない」と言い訳している図は見苦しいから。
大好きな大好きな'Let Me In'。今年の武道館では聴けなかったが、このDVDにはアンコールで収まっている。飛び散る火花のような映像をバックに、ビル・ベリー(drs)がタンバリンを叩き、ピーター・バック(g)がキーボードを弾き、マイク・ミルズ(b)が体を前後に揺すりながらギターを弾く。このギター、ディストーションとディレイのせいでリズムがあっているのかも判り辛い、この荒いノイジーなギターがいい。
ああ、いつか。この曲を生で聴けたらなあ。
(12/2up)
You wore our expectations like an armored suit (あなたは私たちの期待を鎧のように身にまとった) * What's The Frequency, Kenneth? / R.E.M. (1994) の歌詞。
2005年11月24日(木) |
I know your image of me is what I hope to be |
20年間ずっとあなたを愛し続けて来た。他にも魅力のある男はいくらもいるけど。でも私は、いわばあなたと結婚したようなものだから。
だから20年間言い続けてきたんだ。「一番好きなミュージシャンはレオン・ラッセルです」って。
それがこの仕打ち?
レオン・ラッセル来日公演最終日を観た。
公演初日の月曜から、観に行かないにも関わらず落ち着かなかった。今日は渋谷に向かう電車の中で泣きそうな気分になり、手も冷たく脈も早まり。
この緊張感が期待だけではないことはうっすらわかっていた。私は、今回のライヴがもしかしたら良くないんじゃないかと思っていたのだ。あまり考えないようにしていたが。
理由は、彼のここ数年のCD及び演奏だ。彼の作品の黄金期は、'70年の1stを頂点として、'75年の"Will O' the Wisp"で終わる。いや黄金期も何も、それ以降のアルバムは殆どベスト盤、ライヴ、企画モノ、未発表音源集ばかりだ。例外は2001年の"Guitar Blues"(考えてみればこれも、レオン・ラッセルのギターが聴けるという企画モノ)だが、ジャケット・デザイン以外特に印象に残るところはない。そして実を言えば私は、レオン・ラッセルは最初の3枚ばかり聴いているのだ。
彼の演奏が雑になり始めたのはいつからだったろう。私はこれまで3回彼のライヴを観ているが、一度目の'91年の九段会館は、音割れがひどかったにも関わらず本当に素晴らしかった。元ダンナとライヴ後に興奮して飲みながら語り合ったのを覚えている。その後の中野サンプラザ、そして厚生年金会館と、次第に興奮度が減っていったのは確かだが。
レオン・ラッセルはいつからか、嫌な意味で、「彼が演奏していれば何でもいい」人になっていった。
2001年に出た"Signature"を2003年に買ってみた。BLACK AND BLUEに持ち込んで聴いて、それっきり二度と聴かなかった。ピアノでのセルフ・カヴァー集という特殊性を味わう以外、特に価値もないアルバムだった。
そして彼のここ数年のアメリカでの映像。「渋い」、「ベテランの風格」、「堂々とした存在感」という言葉はふさわしくても、「感動」、「興奮」という言葉からは何と隔たった演奏だったことか。
開場時間ぴったりに到着し、開演時間には席にきちんと座っていた。喉が渇いて落ち着かない。周りの環境に苛々した。
オーチャード・ホール────何なのよ、このお上品ヅラした会場。ここは前にも矢野顕子を観たことがあって、彼女にこそ似つかわしいが、レオン・ラッセルの雰囲気には全く合わない。何しろ今回レオン・ラッセル公演の前後の出しものが「バレエ」なんだから。──そのせいか、客層が今までで最低に感じる。(後から思ったが、大半の客がレオン・ラッセルを殆ど知らなかったようだ)
殺風景なステージに、前置きもなくいきなりミュージシャンたちが現れる。何か拍子抜け。(同じことをかつてNHKホールでルー・リードが腰がくだけるほどかっこ良くやったことがある。要はやり方の問題だ)
オープニングはDelta Lady。音が小さい。こちらに迫ってこない。ああそうですかといった感じ。
────ああやっぱりな。緊張感が次第に失望へ、そして退屈に取って代わる。
はっきり言えば、途中から、早く終わらないかなと思っていた。
なんてひどい音響だろう。ギターは甲高く、そのくせよく聞こえない。ベースは大きすぎるのにこもっている。
なんてひどい照明だろう。適当以外の何ものでもなく、時々壁にレオンの手の影が大きく映るのが非常にうざったい。
なんてひどい客だろう。一番反応がいいのが"Georgia On My Mind"ってどういうことよ。
なんてひどい演奏だろう。ど真ん中で自己主張し過ぎのベーシストは、何故か何曲もどうでもいいリード・ボーカルを取る。ドラマーはゆっくりした曲になると途端にリズム・キープが曖昧になって、レオンのキーボードに引きずられている。ギタリストはそのどうでもいい演奏以外にも、やたらと右手を高く上げ、脚を若い頃のプレスリーばりにがくがくと振るわせるのが、バンドを間違えているとしか思えず、殺意すら感じる。バックバンドで一番マシなのが娘のティナ・ローズだってのはどうなんだ。その彼女ですら、一曲アカペラで歌わせたのは親馬鹿が過ぎるだろう。(歌い終わった後に"Thank you, daddy."と言ったのは、身の程をわきまえている感じで可愛かったけど)
しかしこれら全ての障害があっても、レオン・ラッセル本人にやる気があれば、私はきちんとそれに応えた筈だ。
装飾過多のキーボード、全てが均一のアレンジ(しょっちゅう曲をつなげていたが、どこから曲がかわったのか、曲を知っている人でないと判らなかったと思う)、メリハリもパッションも全くない演奏。
いくつもの名曲が殺されていた。"Hummingbird"では涙が出たけど、単にパブロフの犬状態でこの愛する曲に反応しているだけで、演奏に感動させられたわけではなかった。
ずっとライヴで聴きたくて聴けなかった"Prince Of Peace"は、"Out In The Woods"にくっつけられて、すっかり普通の「ゴキゲンな曲」にされていた。
"A Song For You"は、出だしは一瞬昔と変わらぬ演奏をするかと見せかけるというタチの悪さ。この一曲の中で、彼が昔のパッションの片鱗を取り戻したのはこの一行だけ。
I love you in a place where there's no space or time.
しみじみと思う。20代の頃から年寄りくさいイメージが強かったレオン・ラッセルだけど、実はこの人の魅力というのは、その強烈な攻撃性にあったんだなあ、と。
今は名実ともに年寄りになり果て、これ以上やりたいこともないんだろうか。
結局問題は、彼がこの数年間テーブル着席式の小さなライヴハウスでやってきた演奏を、2,000人入るホールでやってしまったということだ。
だらだらと30曲近くもやる。お仕事ですから、決まりですから、と言わんばかりのてきぱきしたアンコールは1曲きり。
演奏終了後、真後ろの席から「こんなもんなのかなあ」という声がした。
観に来ていた忌野清志郎は、非常に満足そうないい笑顔だったけど。
今回、レオン・ラッセルを初めて観る人がかなり多かったようで、その殆どが肯定的な意見だった。そういう人たちにはこう言いたい。「当たり前でしょう? だってレオン・ラッセルだよ?」
これだけくさしておいて言うが、今回の彼の演奏は、一般的に考えたら相当にレベルは高いのだ。何しろこの筋金入りの本気のロック馬鹿が「夫」と見込んだミュージシャンだ。右手の指が一本折れていたって、そこらのジャリよりはずっといい演奏が出来るだろう。
問題は、こちらがどれだけのことを期待していたか、実際彼にどれだけのことが出来る筈かということだ。
一緒に行ったNN、会場で会ったRBとその連れの女性と、4人で渋谷で飲んだ。今のライヴのショックから立ち直れず、まだ苛々が取れない。
NNとタクシーで高円寺ロックバーCRに移動。オーナーにお願いして、レオン・ラッセルの1stをかけてもらう。Hummingbirdを聴いて涙。
2時にタクシーで新宿へ。Cがもう閉まっていたので、リニューアルしたRSに初めて行く。その後バー「なかざわ」に移動。7時半まで飲む。
(12/1up)
I know your image of me is what I hope to be (君が僕に持っているイメージは、僕自身の理想でもある) * A Song For You / Leon Russell (1970) の歌詞。
* このライヴをご覧になった音楽評論家の方の文章はこちら。
2005年11月23日(水) |
Take a load off Fanny. And you can put the load right on me |
22時頃に新宿でHK(drs)と待合わせ。私が先に着くという異常事態がw
HKは私と同じでロンドン好きだから、フィッシュ&チップスのある3丁目のパブに案内しようと思ったが。遠くて面倒だったので西口のHUBにする。
3丁目にはもう、BLACK AND BLUEもストーンもないから。どんどんあの辺から足が遠のいていくな。
HUBに入ったら、まだ店内ガラガラだったにも関わらず、ど真ん中の席に案内された。外国なんかでもスノッブな店だと、見せたい客を目立つところに配置したりする。今日の私はすっぴんでおとなしめな格好だったので、おそらくHKのせいかと思われ。そして陳列されたHKは、隣のテーブルの男にずっとガン飛ばされていたというオチがつくw
ちなみに今日の私は、襟がブルーフォックスのダウンジャケットに、高円寺で買った500円のグラサン。値段が200倍は違うな。こういうガタガタなコーディネートは好きなんだ。コーディネートって言うのか、これw
一昨日、珍しく妙に気分が滅入っていた。ひとつには、その日がレオン・ラッセル来日公演初日だということがあった。色々あって、結局この初日は行かないことにしたのだ。が、やはり当日になると落ち着かなくなり、後悔の念に苛まされた。
けれどやっぱり最大の原因は天使(b)だ。結局彼に頼まれて、12/3から二泊のホテルと往復の飛行機を予約した。勿論この旅行を楽しみにしてもいるんだけど、一方では「私、何やってるんだろう・・・」という気分もあった。
で突然、ずっと会っていないHKと話がしたくなった。HKと天使はかつて同じバンドにいて、私が彼らのライヴを偶然に観たのが出会いだった。だからHKは、私と天使のそもそもの初めからを全部知っている、ほぼ唯一の人と言っていい。
実際に会ったら、うながされても殆ど具体的な話が出来なかった。回りくどい枝葉末節ばかり喋っていた。(実は私は、日記に書いたことなどを話すのが物凄く恥ずかしかったりする)
それでも話せて良かった。自分でもよくわからないけど、天使をよく知っているHKに話を聞いてもらったことで、自分一人で背負いこんでいた荷物を下ろしたような気持ちになれた。
関係ない、他愛のない話をたくさんした。HKはドラマーだから、ドラムのレッスンの話など。私は課題曲としてザ・バンドのThe Weightを叩くつもりでいるんだけど。
初めてHKと会った頃、メールでよくザ・バンドの話をしたのを思い出す。まあ何のことはない、要するに天使がリック・ダンコに似てるってのがきっかけだったけどね。
別れ際にHKは、天使には言うことはあっても、私には何もないと言った。それは私への承認ではないかもしれないけど、でもやはり私は気分が楽になった。
あと、今日は単純に会えて嬉しかったよ。
ありがとう。
(11/29up)
Take a load off Fanny. And you put the load right on me (君の肩の荷を下ろして、俺に預けてしまっていいよ) *The Weight(重荷) / The Band (1968) の歌詞。
2005年11月22日(火) |
The angel of the Lord just declared we aren't worth a thing |
今日は英語の授業のリスニングに、トッド・ラングレンの'All The Children Sing'を使った。この2週間ばかり馬鹿ハマリしている曲。
最近、素晴らしい曲との出会いが続いている。これだけでもCROSS ROADに勤めて良かったと思うわ。
色んなタイプのミュージシャンがいるけど。トッド・ラングレンという人は、他に類を見ない独特の個性を持った天才だ。
1978年発売の'Hermit Of Mink Hollow'は、そのジャケットも含め、きれいいな一定のトーンを持つ珠玉のアルバムだ。一定している筈で、このアルバムは全てトッドが一人で録っている。
けれど、「ワンマン」だの「ひとりよがり」といった印象は微塵もない。きっとこの人は、他人を介入させる必要を全く感じないまま、或いはそんな手間も惜しいほどに、音楽がどんどん湧いてきてしまったんだろう。
それを見事に象徴しているのが、一曲目の'All The Children Sing'だと思う。
All the children sing
All the dancers start to sway in time
The orchestra begins to play
Somebody pours the wine
The sun and moon collide
Isn't gravity a funny thing
The universe explodes apart
All the children sing
このサビの素晴らしさをどう言えばいいのか。
一行一行がぶつ切りになっていて、それが高速で回転する回り舞台のように次々と切り替わって目の前に差し出される。何てまあ壮大なファンタジーだろう。重力(gravity)までも笑い飛ばそうという勢いだ。しまいには宇宙が吹っ飛んで、それでも子供達は歌い続け、ダンサーは舞う。
誰もなしえないほどの広がりを持った世界をつくりながら、そこに「自分以外誰もいない」────childrenもdancersも皆、魚の群のようなもので、自分と交差する存在ではない。
けれどそこに孤独はなく、ただ愛がある。
これはまるで、神の視点のようだ。神が、その才能のほんの一片を使ってふと作ったユニヴァース。
この壮大さを前に、己の存在を無にして身を任せると、きらめくようなエクスタシーが待っている。
ポップス=ポピュラー・ミュージックというのは、本来クラシックに対して、それ以外の音楽を指す言葉だった。今ではクラシック以外の音楽も各々大きな顔をし始めて、ポップスという言葉は次第に通俗的で個性の薄いイメージに変わったが。
トッド・ラングレンのこのアルバムは、極上のポップスだ。
それこそ、「ロックなんかであるもんか」というくらいに。
(11/28up)
The angel of the Lord just declared we aren't worth a thing (天使が僕らを無価値だと断言する) * All The Children Sing / Todd Rundgren (1978) の歌詞。
2005年11月21日(月) |
もう、僕は何も怖くない |
夕べ入手したRCサクセションの「Rhapsody Naked」を聴く。
最初の「Opening MC」で、プレイヤーの時間表示を見ながら清志郎の喋りを聞いてたら、終わり近くに「20年近くもベースだけを弾いてきた男です」って言うから。・・・ああ来る来ると思ってたら、「オーケー、オーケー」って言って、曲目が切り替わった瞬間に、あの聞きなれた
「OK、カモン、リンコ・ワッショー」
・・・はは。嬉しくて、声出して笑っちゃったよ。
たまたま。聴きながら、11/12の日記を書いていた。
彼は「久保講baby」の一人だった。洋楽オンリーかと思いきや、実はBLACK AND BLUEにはRCも置いていた。明け方に爆音のRC大会になったこともある。
「Rhapsody」を初めて聴いたのは16歳。当時の彼氏(drs)がRCを大好きで、毎日彼の部屋に入りびたってはRCを聴いていた。彼は私が初めてつきあった男の子。私が初めて寝た相手。
あの時清志郎が「バンドマン」という呪文を私に植えつけたから。だからそれ以降、バンドマン以外とはつきあえない習性の生き物になっちまったんだよ。
その次の彼氏(vo)は、RCのコピーバンドをしていた。清志郎に似た高い声で歌ってた。
前の彼と別れて次の彼とつきあい始めるまでの短い間に、RCの「OK」が発売された。
その中に「指輪をはめたい」という曲がある。
「Rhapsody Naked」にはこの「指輪をはめたい」が入っている。実は「OK」よりずっと以前に作られていた曲だということを、今回初めて知った。
「OK」は、ずっと長いこと手もとになかった。(私は18歳で家出した時に一度持ち物を全て手放していて、その後も色々あって手もとにない音源も多い)
それが一昨年、Y-BELL(b)と一緒に日光に行った時(何と、二人きりで会うのはその時が初めて)、彼が車の中で「OK」をかけたのだ。あまりの懐かしさに嬉しくなって全曲歌いまくった。中でも「指輪をはめたい」は、ちょっと涙ぐみそうになった。
思い出が多すぎるよなあ。
「Rhapsody Naked」のラストは、12分28秒に及ぶ「指輪をはめたい」
泣きすぎて、ぐったりとなった。
神様、RCサクセションをこの世にくださってありがとう。
私はもう、今死んじゃっても、別にいいです。
本当に、そんな気分になった。
もう、僕は何も怖くない *指輪をはめたい(from Rhapsody Naked) / RCサクセション (1980) の歌詞。
2005年11月13日(日) |
I'm gonna follow you |
昨日の朝は仕事が8時に終わったので、marikoさん達と会うまでの時間つぶしにネット・カフェにこもった。
実はちょっとしたこと(一昨日天使に会った時に機嫌が悪かった原因)がもとで、死にたい気分にまでなっていた。憂鬱を抱えてPCに向かい、自分の詩にリンクを貼ってあるホールのMalibuを聴いていたら、涙が出てきた。
詩は、「天使」の名前の由来となった例の詩だ。あの詩を書いた時、私がどんなに幸せだったかを思い出す。それまで私は不幸だった。そしたら天使が私と一緒に死んでもいいと言った。私は信じなかったけど、それでも気分が良くなった。
Cry to the angels
I'm gonna rescue you
I'm gonna set you free tonight, baby
Pour over me
Malibuを聴いて泣いていたら、恐ろしいことに気づいた。
私の理想の「愛」はこの歌の中にある。もう、この歌の中に完成している。あと必要なのは、その対象だけだ。
だったら不可能じゃないか。コートニー・ラヴという女神の書いたMalibuは、この世には存在しない美しいheavenだ。その証拠に、コートニー自身が対象を見つけていない。カートは彼女を置いて一人で死んだ。その後彼女は、何度も新しい恋を繰り返しては手放す。泣いて、怒って、クスリで死にかけて。ステージで派手に陽気に立ち回りながら、裏で感性が悲鳴を上げている。
私は彼女の歌をコピーしているつもりで、生き方まで真似ていたの?
Cry to the angels and let them swallow you
Go and part the sea, yeah, in Malibu
コートニーはきっと不幸なまま死ぬに違いない。
私もだ。
昨日は、TACさん・猫ちゃん達と食事して別れた後、marikoさんと二人でお茶しに行き、えんえんと話し込んだ。
彼女が「生きているのは辛い」と言う。ここで理由を訊く人間は、そもそも何も解っていない。生きているのは辛いのよ。
0時近くに、28時間ぶりの帰宅。
今朝天使からメール。数日前に私がまた大阪に行きたいと言ったら、一緒に行きたがっていた。その日にちを決めたいという内容。
(11/22up)
I'm gonna follow you (あなたの生き方を真似る) * Malibu / Hole (1998) の歌詞。
2005年11月12日(土) |
Gimme BLACK AND BLUE beautifully |
時間の感覚が消えていた。ここがあの人の亡くなった場所か。ああそう。そんなこと言われてもねえ。意味がわからないよなあ。
今朝までの雨が嘘のように上がって、この季節なのに、気分は夏だ。頭上に大きな木の枝が広がっていて、風がざっと吹くと、葉にたまった雨をばらばらと降らす。
ひとは、こんなに簡単に死んじゃうもんなんだなあ。
私はどういうわけか、あなたの死亡診断書まで見たんだよ。
あなたが死んだ日のこと、何でも知ってるわ。
これが最後の。最後の仕上げだ。あなたの死んだ場所。
あのねえ。私はあなたが死ぬのと入れ替わりで、あなたがやっていたのとほぼ同じことを始めたんだ。毎晩暗い場所にこもって、ロックをかけて、お客を待って、お酒を出して。あなたの死ぬたった11日前からだよ。
だからね。
だからまるで、私には、私があなたのやっていたことを引き継いだように感じてしまうんだ。あの暗い場所をあなたから受け取ったような気が。
だから店で独りになるたびにいつも考える。
あれから一年余りが経過した今でも。毎日のように思っている。こうやって独りでいたんだろうか。
ひとはやっぱり、あまり暗いところにばかりいると、精神的に良くないんだろうなあ、なんて。普通に考えたりなんか。
今は真昼で。頭の後ろに太陽の熱を感じながら、なのに背骨からぞくぞくと冷えていく。両手が氷みたいになっている。
皆───TACさん、猫ちゃん、marikoさんが待っている。いい加減行かなくちゃ。動かなくちゃ。私もうどのくらいこうやって動かずに立っているの? 根が生えたように立ち続けだから、足の裏が痺れてくる。
きっと私は、ここに一人で来ていたら、暗くなるまで動けなかったに違いない。
ずっと一点を凝視していたら、だんだんと周りの樹木の緑色が中心に向けて狭まってきて、視界の周辺がまるくぼやけてきて、頭の後ろで蝉の鳴き声のような耳鳴りがして。
────ああ、もしかしたら私、生まれて初めて気を失うかもしれない。
そう思った瞬間に、猫ちゃんに話しかけられた。何かがぶつんと途切れた。
助かったんだか、邪魔されたんだか、わからなかった。
幽霊なんかいないわ。少なくとも生きているひとの前に出てくることなんかない。
だって。この一年あまり、どれだけ話しかけても答えてくれなかった。
あのね。今じゃ私、きっとあなたとかなり対等に音楽の話が出来るよ。いや、別に話さなくていいんだけど。もともとあなたとはあまり会話はしなかった。しなくてよかった。だから未だにあなたのことはあまり知らない。
だけどあなたは、どの彼氏よりもたくさん、私の涙を見たはずだ。
BLACK AND BLUEか。
この言葉の意味が、この数年でこれほど変わってしまうとはね。
あなたは私の顔に、まさに消えない青痣(black-and-blue)を刻印した。
あなたは私に、ロック・バーという暗く沈んだ(black and blue)空間を手渡していった。
今やこれは私の問題なんだ。
(11/21up)
Gimme BLACK AND BLUE beautifully (私に美しい青痣を与えて) * BLACK AND BLUE / Screaming Bunny (2004) の歌詞。
2005年11月05日(土) |
Do you have an opinion? A mind of your own? |
ネット検索で赤痢のmp3を見つけた。しかもライヴ。赤痢はレコードしか持っていないので、プレーヤーのない今は聴けないのだ。相当久しぶりで聴いた。
・・・うっわ、ヘッタクソだな。なんて汚い音だ。そして知性のかけらもない歌詞。
しかし。当時も今もはっきりと、「かっこいい」と思う。わめいているだけのようなボーカルの、このダルさ加減はわざとは出せないし、暗い終末観すら感じる。メチャクチャな歌詞も、妙なインパクトを持つ「音」になっている。
赤痢は特にベースがいいんだよなあ、と思いつつ、ベースを出してコピーしてみる。一瞬でコピー完了w
20歳の時つきあっていた彼氏(g)は、頭でっかちで理屈っぽい奴だった。オールド・ロックやハード・ロックの大御所ばかり聴いていた彼は、私が赤痢を聴いていたら、「こんなの、ちゃんとした音楽をやっている人たちは相手にしないと思うよ」と言いやがった。何て小さい男だろうと呆れた。他人が承認を与えたものしか、安心して受け入れられないのだ。自分の感性で判断出来ない小心者。
その彼を家からたたき出し、元ダンナ(b)と暮らし始めた。一度、渋谷のラママに一緒に赤痢のライヴを観に行った。リップ・クリームの前座だった。客が私以外ほぼ全員男で、歓声も拍手も一切なく、客と演奏者が睨み合いをしているような異様なライヴだった。まあ要するに当時のハードコア・パンク系は全部そうだったわけだ。
去年知ったのだが、その同じライヴをヨシトも観ていたというオチがつくw
Do you have an opinion? A mind of your own? (自分の考えってないの?) * Special / Garbage (1998) の歌詞。
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