2005年10月28日(金) |
I Was There |
常連さんのお連れ様で、50代くらいの上品な紳士。私のかけたポール・マッカートニーの、2002年東京ドームライヴに激しく反応。「何ですかこれは。こんなものが存在するわけがない」
聞けばまさにその日のライヴを観ていたらしい。
そうか・・・世の中には「ブート」ってものを知らないヒトがいるんだなあw
でも自分の行ったライヴの音なり映像なりに接したら、そりゃ嬉しいよねえ。私も最近はまるちゃんのおかげで、彼と一緒に行ったザ・キルズやR.E.M.のライヴ音源を入手している。全て私の「きゃ〜〜〜〜〜っ!!!!」って絶叫入りだけどw (まるちゃんゴメンよ。いつも、録ってるなんて全く気づいてなくて)
でも一番有難いのは、2002年11月10日さいたまスーパーアリーナのレッド・ホット・チリ・ペッパーズの映像が存在すること。何回も何回も何回も見たわ。客席は暗いので見えないけど。でもあそこに、前から2番目のど真ん中フリー寄りに、私が埋まってるんだよ。
殺人的に混んで、開演前から女の子たちが次々と酸欠で運ばれる中、片足を上げたら下ろせなくなった姿勢(しかも斜めに傾いて)のまま40分も待ち、レッチリが登場して1曲目のBy The Wayを演奏しだすや周囲のあまりの盛り上がりに軽く溺れかけ、前から2列目だっていうのに視界に何も入らず埋まっていきながら、ああ私はここで死ぬんだなあ、心残りはライヴを最後まで見られなかったこと(って。まだ1曲目だってのw)と思いながら、しかし何とか立ち直って最後まで観た。上からヒトが降ってくるのに耐え、全身打ち身だらけになり、誰かの眼鏡をグチャグチャに踏みつぶし、私の耳元で大声で(しかもムチャクチャな英語で)歌いまくる男を「アンソニーの声が聞こえない!」と威嚇し、Can't Stopで号泣し。
個人録音やブートに批判的な人っているけど。でもねえ、あれが保存されているなんて本当に有難いよ。大切なのは心の中の思い出? その通りだと思うけど、でも。
いや、もう、何もかもどうでもいいや。とにかく。とにかくね。
レッド・ホット・チリ・ペッパーズは、この世で一番素晴らしいバンドです。バンドという言葉はレッチリの為にある。
ライヴという言葉はレッチリの為にある。(あ、ジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョンの為にもあるかもしれないなw)
ところで50代の紳士(何とビートルズ来日公演を観たという!)は、私がたまたま持ち込みしていたAcetatesやEsher Demosといったビートルズのブートに大感激。「ビートルズは全部聴いていたつもりだったのに・・・」と言う。
・・・この世には「ブート」ってものを知らないヒトがw
紳士は連れの常連さんに、「今日ここに連れてきてくれて有難う」とおっしゃっていた。そう聞くと私も嬉しいわ。
音楽は本当に、素晴らしいですね。ね?
(11/8up)
I Was There (私がそこにいたんだ) *Green Day の曲。(1991)
店が大混み。この頃何故か日・月のほうがよく混む。逆に木・金が入りが悪い。
今日お店に来てすぐ、ナッズを聴いてみた。前からジャケで気になっていたのだ。そしたら1stの1曲目からいきなりかっこいい。数回聴いて、次に3rd(2ndは店にない)をかけた。これもいい。ポップな印象になり、Only One Winnerのイントロなんかローラ・ニーロのWedding Bell Bluesみたいだ。メンバーを見れば、何とトッド・ラングレンがいた。へー、あの人、バンドなんてやってたんだ。ワンマンな印象が強いので意外。
そこに入ってきた、初めて見るお客様。「これ、トッドのどのアルバム?」という。思わず嬉しくなって、「お客さん耳いいですねえ。これトッドじゃないんですよ。彼のいたバンドで1967年デビューで。1stのドラミングなんかフーばりで。トッドよりロックな感じでいいですよ」なんて一気に喋ってしまった。
後からこのお客が、某超有名音楽雑誌の編集長だと知る。・・・うっわー、私そんな人を相手に講釈たれちゃったよ。
しかし彼はナッズを非常に気に入ったらしく、「明日CD買おう」と言って帰っていった。お客が私がかけた曲を気に入ってくれるのが、この仕事をしていて一番嬉しい。
Crowded (大混み) *Nazz の曲。(1968)
14時から15時くらいに、三軒茶屋でカーボー(g)たちと会う予定。の、筈が。
12時にカーボーからの電話で起こされる。・・・ぎゃっ。寝る筈じゃなかったのにぃ。
・・・まあ、金曜は寝てないし。土曜は一日中外出して、帰ったらすぐ天使(b)がうちに来て。彼が帰った後、そのままベッドに戻って寝ちゃったんだ。・・・そりゃそうだよなあ。
って言ってる場合じゃ。普通に準備したら16時のところを、スペシャルな根性を入れて15時過ぎに三茶に到着。だって今日は、メチャクチャ久しぶりにNakeesの演奏が聴ける。・・・いや、もうNakeesじゃないけど。でもオサムさんとNOGGYくんがやる。
一年ぶりの「三茶de大道芸」。去年と同じ場所。同じガレージ。
どういうわけだか。この、一年前のことを思い出すと胸がつまる。前の夜は新宿でオールして、家に帰ろうと中野まで行ったが、ふと反対方向の電車に乗り換えて三軒茶屋へ行ったのだ。
自分の服装は覚えていないが、ピンヒールブーツだった。私にしては低いその靴のかかと(8cm)を浮かせめにしながら、オサムさんのまん前に立っていた自分をはっきり覚えている。その時私は哀しかった。自分の行き先を家から三茶に変更した時点で既に哀しかった。具体的な心境はもうわからないが、哀しいという感情は今も覚えている。今、一年前の今日の日記を読むと、驚いたことに泣きそうになる。もう忘れてしまっているが、私は確かに、何かをそこに書きつけたらしい。
到着したら、カーボーもまっちゃんもオサムさんたちに混じって演奏していた。久しぶりに会うNOGGYくん(b)は何だか男らしくなってた。彼と話し込んでいたら、カーボー達が'Come Together'を弾きだして私を呼ぶので、歌った。修さんもキーボードで加わり、何曲か適当にやる。
自分が引っ込んでから、Nakeesの曲も聴いた。久しぶりで嬉しいけど、特に曲を作り直したわけじゃないから、単にドラムが抜けた状態になっていて、それだとやっぱり喪失感があるのが残念。
去年の私はひたむきなほど真剣に演奏を聴いていた。それに比べ今年の私は集中力がない。けれど、今年の方が何だか気分がいい。地べたに腰を下ろして、もらったお酒を飲みながら聴く。ずーっとここにいてもいいな。
michiちゃん(vo)と話す。去年と雰囲気が変わった。フェミニンな感じから、可愛いらしくなったねと言ったら、「彼氏が出来たせいだと思います」としゃあしゃあと抜かし・・・あ、いや、おっしゃいましたw 「私もダメな人が好きだったんですけど。いつも自分が好きなタイプと違う人をいいなと思った時が、ダメじゃない人とつきあう時だと思うんです」と真剣に語ってくれた。いい子だなー。しかしね、ソレとっくによーくわかってるんだ。わかってるってところが問題なのよ。・・・ああ、この人となら幸せになれるんだろうなあ・・・と思いつつ、無言の笑顔で通り過ぎた相手がどれだけいたことか。
タクシーで下北沢に移動し、17〜19時リハ。終了後にGeoff(g)にばったり会う。よくここを使うらしい。
かつて無言の笑顔で通り過ぎた相手だったりして。今となっては手遅れだろうが。
(11/6up)
一年ののち *フランソワーズ・サガンの著書。(1957)
2005年10月21日(金) |
帰って 帰って 帰ってよ |
TDが、連れと二人で来店。さすがに今日は一人では来られなかったんだろうな。だって前回私は彼に、「帰ってくれる?」と言ったんだから。勿論お客にそんなことを言ったのは初めて。
彼は最近よく私に電話してくる。午前3時とか朝の6時に「用はないんだけど」とかけてくる。要するに好かれてるらしい。
だがまだ24歳の彼は人づきあいが恐ろしくヘタで、好きな相手にからんでは怒らせて嫌われる。最初のうちTDはこの店に同僚と来ていたが、全員怒らせて今では一人だ。今日の連れも、さっき電車で初めて会ったんだという。
彼は私にもよくからむ。だが私は他の人たちと違い、結構言い返して動じなかった。そのくらいの方が彼にはいい。
例えば会話はこんな風だ。まずTDがやたらと頻繁に時間を訊く。だから私が言う。
「何で時間を気にしてるの?」
「別に。え?時間訊いちゃいけないの?」
「いいけど。そこの携帯見ればいいじゃん」
「え?これは時間を見るためにあるんじゃないから」
「だったら私も、時間を訊かれるためにいるんじゃないのよ」
このくらいでちょうどなのだ。
けれど前回はそれが度を越したので、「もう二度と来ないでくれる?」と言ったら、一度はうろたえて謝ったのだが。結局は「帰って」という結果になった。
まあ要するに、酔いが度を越したってことだ。それが三日前の話。
今日TDの連れは私に、「彼はあなたを大好きらしいですよ。失礼なことを言ったので、謝りたいそうです」とさかんに言うが。他人に言わせてどうするんだよ。
対人関係において不器用な人種は嫌いじゃない。だから私はこういう人間を、つまりはトラブルを呼び寄せる。
自分をコントロール出来ない人間は好き―――でも、面倒臭いんだよね。
帰って 帰って 帰ってよ *ナンバー / 赤痢 (1985) の歌詞。
CROSS ROADから1分のAman Girlという美容室でカット。ここは、表から見た雰囲気が良さそうだったのでRonnyに薦め、仕上がりが良かったので店のお客にも薦めた。けれど自分で来るのは初めて。
飛込みで入ったら、たまたまRonnyと店の客の担当(偶然同じ美容師)があいていたので、彼女に切ってもらう。
女性の担当はものすごく久しぶり。そのせいか、いつになく喋りまくる私。いや、私はお喋りなんだけど、美容師だけは苦手なんだ。いつ寝るのかとかいつ食べるのかとか、どうでもいい質問ばかりされるのがいやだった。バンドのことを訊かれるのが一番嫌いだ。たいして興味もないくせに、「どんな音楽をやっているんですか?」とか気軽に訊かないでほしい。
だけど何故かこの子の場合は、こっちがだーっと喋ってしまった。かなり若い子で、ちょっととぼけた感じがいいのかもしれない。
けれど、もうRonnyとは別れたので、彼はここには来ないと思いますよ、と言った私に、「やっぱり別れても、お店に飲みに来てはくれます?」と訊いたのには、言葉が止まった。
いやあの。アナタもご存知の通り彼は神奈川県大和市在住なので、普段は高円寺どころか東京都にもあまり来ないんですけど。そもそも彼は店の客ではなく、基本的には私と過す為に私の出勤につきあっていたんだし。っていうか、とにかく別れたら普通来ないでしょ。いや、私は「普通」じゃないので、今となっては例え彼が毎週来ようが単にお客として歓迎出来るけど。でもあちらがね。普通はね。
・・・という説明もする気になれず、一言「・・・いえ、来ませんけど」と答えたら、「えー、来てくれないんですか? ・・・別れるって不思議ですねえ。つきあっている時はしょっちゅう会っていたのに、急に全然会わなくなるんですもんねえ」と無邪気な顔で言う。
・・・そうか。美容院でのひと時っていうのは、何の接点もない異邦人との密着した2時間を強いられることなんだ、と今更ながら気づく。あちらも大変だろうな。まあ、素直で可愛い子だし。いっか。
(11/4up)
異邦人 *アルベール・カミュの著書。(1942)
2005年10月19日(水) |
Black Coffee |
ゆっくりお休みで幸せ。休日は水・土だが、土曜は殆ど予定で埋まるので、水曜に家でゆっくりすることが多い。
なのに軽くキレかける。いや、もう最近では毎日だ。
けれど、少し前から私の中に変化がある。パニックを起こしながらも、前向きに色々なことに対してやる気が起きている。
ベースを取り出して、カルトのWild Flowerをコピーしてみる。恐ろしく単純なベースライン(けれどかっこいい)だから、ものの5分でコピー出来た。ガール・ブラザーズのReaching Oneもやりたいのだが、音域が5弦ベースのそれなので、弦を思いっきりゆるめないといけないのが面倒。
本も読む。またヤフオクで色々買ったし、武田くんにもらった本も沢山ある。最近はまたミステリー中心だ。ようやくフィクションを読む気力が出てきた。ノンフィクションは誰にでも読めるが、フィクションを読むのは技術と体力がいる。
DVDで「コーヒー&シガレッツ」を見る。大分前に半分見て、今日は後半を見た。11の短編から成るが、どの話も1〜2人の人間(他にはせいぜいウェイターくらい)がカフェや自宅でコーヒーを飲んで煙草を吸っているだけのワン・シチュエーション。画面はモノクロで、コーヒーの黒と煙草の白の強調だ。会話の妙味が中心と思いきや、主役ははっきりと「コーヒーと煙草」だ。
11の話に出てくるコーヒーと煙草は、全部同じトーンで統一されている。監督の好みなんだろう。コーヒーはいつも冷めている。待合せ相手のぶんも来る前に注文しておいたりするし、注ぎ足されると「ちょうどいい温度だったのに」と嫌がったりする。やたらと砂糖を入れてでかいスプーンでかき回すし、何故か人数分以上のカップがあったりして、がちゃがちゃした雰囲気が好きらしい。カップは口の広いものばかりで、その上を煙草が行き交うから今にも灰が入りそうだ。
カフェイン中毒としては、当然コーヒーを飲みつつこのDVDを見る。最近はマグカップを布コースターにおくことが多かったが、久しぶりに受皿つきの広口のカップにしてみた。がちゃがちゃ言わせながら、冷めたのを飲み干してみたりする。砂糖は絶対に入れないけど。
(11/3up)
Black Coffee *アガサ・クリスティの著書。(1930)
2005年10月18日(火) |
彼女の心は真つ直ぐい! |
きのぴー来店。見るたんびに印象が違う子だが、今日は何故か「おばちゃん」になってた。えらく可愛いおばちゃんだけど。
友達同士をくっつけようとしていると話すきのぴー。そんなヒマがあれば自分の彼氏を見つけろと言う私。
きのぴーはいいヤツだ。前回来店してくれた時は、帰りに家の鍵をなくしてアパートに入れず、人に頼んで梯子立てて二階の窓から入ってもらったらしい。・・・何で窓が開いてるんだよ。おまけにその経験から出た結論が、「もう鍵はかけない」って、おい!!
きのぴーはいいヤツだ。前回来店した時に、「さっき高円寺の民家の前で山羊を見たんです」と言って、常連さんに「ノイローゼですね」と言われて憤慨していた。なのに今日もまた別の常連に笑顔でその話を。・・・懲りないなあw
何か単純に会えて嬉しかったわ。またね、おばちゃんw
彼女の心は真つ直ぐい! *中原中也の詩集「山羊の歌」の一節。(1930)
出勤前に、一昨日まっちゃん(g)にもらったビートルズのThe Esher Demosを聴く。White Albumの為に行われた、'68年5月のジョージ・ハリスンの自宅でのリハ。いきなりCry Baby Cryから来られたので、うっかり涙ぐむ。よく出来た曲というのは、あらゆる蹂躙や変形に耐えるし、ましてNakedにされたひにはその貴重な素顔に感動・・・なんてことはどうでもいい。
Let It Be...NakedやAcetatesといった音源が素晴らしいのは、要するにそれがビートルズだからだ。どんなに録音がちゃちかろうが、肩の力を抜いてラクにやっていようが、この「完成度」の高さ。ジョン・レノンの声がけしてブレない。恐ろしいことにどうやら彼には、「雑に演奏する」ことが不可能らしい。
出勤して、がらりと変えてガール・ブラザーズを聴く。ウェンディ&リサの別名ユニットで、たった一枚出ているアルバム(タイトルも「Girl Bros.」)は、スマッシング・パンプキンズのツアー参加中に亡くなったウェンディの兄に捧げられている。追悼アルバムのせいか、本来ファンク・ロックの筈が、これだけネオ・アコ風に仕上がっていて実にいい。一週間前に店でかけてみたら、すとんとはまった。麻と木綿のリズム。世界に君臨する少女の、マーブルとエナメルで出来た旋律。何て素直にきれいなんだろう。これは、男には決してつくれない。これを歌えるというだけで、自分が女で良かったと思う。
'Reaching One'という曲が特にいい。ギターとキーボードである彼女たちは、他のパートの殆どを自分たちで演奏または打込みしているのだが、何故かこの曲のベースとドラムが快感なのだ。ボーカルは既にコピーした。今夜も聴きながら何となくドラムをコピーする。バスドラのスライドを真似してみたりする。
これ、本当に叩きたいなあ、と思っていたら。明け方近くにプロのドラマーであるこーいちくんが来店。とんとん拍子に話が進み、来月からドラムをおしえてもらうことになった。その場で'Reaching One'を聴かせて、「これを叩けるようにして」とお願いする。明日、音源を焼いて渡すことになった。このタイミングとテンポの良さ。
朝、仕事帰りにこーいちくんから「今後ともよろしく」とメール。見ているだけでやる気がわいてきて嬉しい。
(11/2up)
I Will (やるわ) *Girl Bros. の曲。(1998)
2005年10月11日(火) |
Blood loss in a bathroom stall |
15時半にシャワーを浴び始めた。あっという間にキレた。
髪の毛も全部びしょ濡れで浴室を出て、そのまま玄関のドアを開ける。私の部屋は建物の一番奥だから、ドアの陰にいる限り裸を見られるおそれはないが。だからといって私のやっていることは異常だ。でも。オープン・スペースの、冷たい空気を吸う必要がある。閉所恐怖が出ているのだ。
しばらくして表を人が通ったのをきっかけに、弾かれたように部屋に戻る。一旦は浴室まで戻るが、すぐまた出る。今、水を頭にかけるのは無理だ。うろうろと出入りするので、浴室外のキッチンの床がどんどん水浸しになっていく。一度濡れた素足で玄関先まで出て戻っているから、その足跡の部分が汚れている。
止まれずに動き回る。髪を洗わなくてはという気持ちと、水への恐怖の間を何往復もする。キッチンの木の床が水を流したようになっている。そこに血が落ちた。
薄い微量の血が、水ににじむ。
生理だ。
シャワーの直前に始まったのはわかっていたが。こんなことになるとは思っていなかった。
床が水浸しになるのも、そこに血が滴り落ちることも、今の私には止められない。手に負えない。
悲しくて悲しくて悲しくて涙がぼろぼろ出た。どうしてこんな目にあうんだろう。
元ダンナに電話して、「シャワーが浴びられない」と言った。「ひどいの?」と訊かれ、うんと返事。
そしたら彼が言ったのだ。「とにかく落ち着いて」って。
・・・はは。落ち着くって。それが出来ないのが問題なんだけど。
そして思い出す。ああ、私たちはこうやってしょっちゅう大喧嘩をしたんだっけ。彼に一切悪気はない。でも私はそれで火がついたように怒るんだ。
ごめんねと言って電話を切った。自分自身を無理矢理浴室に引きずり込む。
仕事に行かなくちゃ。
自分をオートマティック化する。思考を止めて素早く手を動かす。髪を洗う。体を洗う。出来た。
浴室から出た。もう17時だ。裸のまま、半ば無意識にPCに向かって、日記に書き込む。「医者にかようから、謝るから、たすけて」 その他にも書いたが忘れた。一時間後に発作的に削除した。まだ緊張が続いている。少しでも手綱をゆるめたらまた爆発する。どうしよう。
何か。何か私の気をそらして。何か。ネットのブックマークを片っ端からクリックする。お気に入りのもじょきちさんのサイトも今は役にたたず、いつも私を癒してくれるそのbbsに思わず毒づきたいほどの気分になる。何か。何かないの。
あるブログに目が留まる。私のrock lyricsの翻訳をリンクしてくれたので知った。海外の面白いサイトなどを紹介しているブログだ。――――これだ。ここに確か、単純なゲームが紹介されていた筈。(私はネット・ゲームが嫌いなので、OS内のゲーム類は全て削除済) ・・・急いで。カテゴリーからネット・ゲームへ。急いで。早く。
あった。碁盤目をランダムに4色に塗り分けた画面。四隅を同じ色でつなぐと、囲まれた領域が消えて得点になる。青・青・青・青と四隅をクリック――消える。緑・緑・緑・緑とクリック―――消える。
まだ泣きながら、マウスを動かす。次は黄色で、その次はピンクで囲う。消える。一画面全部いっぺんに消せると大量得点になる。
――――助かった。いや、ダメよ、考えないで。四隅をクリックする―――消える。
これはきっと、他人から見たら笑い話だわ。いえ、私自身にとっても何て馬鹿みたい。
けれど、ざわざわと波立っていた気持ちの水面が静かになっていくのがわかる。緑の四隅をクリック―――消える。青―――消える。
――――乗り切れた。
心から感謝して、手早く着替えて身支度をし、家を出た。
Blood loss in a bathroom stall (バスルームでの出血) * Scar Tissue / Red Hot Chili Peppers (1999) の歌詞。
ああ、きれいだなあ。アイボリーのようだ。
ローラ・ニーロの、'To A Child'。
昨日、ライヴのコピー曲であるビートルズをiPodに入れ、まる1ヶ月聴き続けたフー・ファイターズを消した。それで久しぶりに家でも他の音楽を聴いてみたんだけど。
このひと月の熱い恋を、軽く吹き消すような、強さ。
早逝したミュージシャンに関して、生きていればどんな素晴らしい音楽をつくっただろうという言い方があるが。ジャニス・ジョプリンやジム・モリスンが長生きしていたとしたら、きっとふためと見られぬほど太っているだろうし、酒びたりか何かになって、ろくな音楽はつくれないんじゃないか。少なくとも、あの当時より良いものがつくれたとは想像しづらい。彼らはロックのカリスマにふさわしく、きちんと「ダメ」だからだ。
けれどローラ・ニーロが今でも生きていたら。きっと、命ある限り真面目にいい音楽をつくり続けたような気がする。
彼女がコカインのことを歌うと、バッハのカンタータのように敬虔な響きを帯びる。彼女は、酒もドラッグも恋も母性も音楽も何もかも、生きることの一切に真直ぐなひたむきさで向き合う。
うつくしい人生だなあ。
うつくしい音楽だ。
仕事から帰って、今度はPCTVでザ・バンドの'Making Of The Band'を見る。何とも感動的だ。
リック・ダンコという人は本当に邪気がないというか、無心に音楽が好きなんだなあと思う。一方ガース・ハドソンは、人間である前に演奏者みたいだ。この奔放な天才児たちをしっかりと見据え捉えて導いていったロビー・ロバートソンとリヴォン・ヘルム。
いつ見てもリチャード・マニュエルだけが、少し上ずりながら、違う世界にいるように見える。
全てのものごとは結果としての現象だと思うが、であれば私にとってビートルズというのは「奇跡」だ。そしてその奇跡に対抗しうるバンドがあるとしたら、それはストーンズでもツェッペリンでもクリムゾンでもなく、ザ・バンドではないか。
昨日、日記の読者からメールが来た。「日記を読んで驚いた、まるで菩薩のようだ」といった内容。おそらく、アップしたばかりの9/15の日記のことだと思う。
「菩薩」か・・・ヤバイな、私そこまで格好つけ過ぎたかしら。「許す」という言葉は、自分でも書きながらどうかと思ったけど。あの時の実際の感情を、他の言葉で表現出来なかったんだ。
結局私が言いたかったのは、そこまで強烈なカタルシスを起こすビートルズのすごさ。この音楽の素晴らしさに比べたら、Ronnyとのゴタゴタなんてどうでもいいってことだから。
去年の夏、別の彼と別れた時も、ちょうどジョン・フルシャンテのソロにはまったところで、この音楽があれば彼氏なんかどうでもいいと本気で思った。
この戯言を、きっと多くの人が信じないだろう。でも私は自分が本気だってことを知っている。
ええそう。私は馬鹿なんだもの。観念を食って生きるのよ。
(10/20up)
奇跡 *有為エインジェルの著書。(1984)
2005年10月06日(木) |
The Music Of Chance |
出勤前に、店のすぐ近所のチョコレートチワワという古着屋で、すごく可愛いジャケットを見つけた。黒のビニール・レザーで、襟にグレーのフェイク・ファー。新品同様なのに、お値段が何と500円! ・・・思わず理由を訊いたところ、「去年の売れ残りなので」とのこと。ひっつかんで買う。
この店はたまに来ていて、今までもブレスレット(100円)や、シャツ(300円)、オレンジ色のジーンズ(700円)等色々買った。
あ、そうだ。6/18にOrangeでライヴした時の服も、この店で買ったんだっけ。
ここに初来店した時はRonnyと一緒だった。その時は何故かジューダス・プリーストがかかっていた。
次に一人で来た時、同じカセットレコーダーから、今度は日本人の曲がかかっていた。それがすごく久しぶりに聴く曲で、どんどん歌詞を思い出し、しまいには一緒に口ずさんでいた。
僕といるのは 僕はもうイヤだよ
僕が散るのは すぐにもうまだだよ
明らかに以前持っていた音源だ。だけどこれ、誰だっけ?
レジの小柄で愛想のいい女の子に訊いた。そしたら、「有頂天です」って。きゃー、そうだわこれ有頂天だ。懐かしいなー。
それ以来この店がお気に入りなのよw
(10/19up)
The Music Of Chance (偶然の音楽) *ポール・オースターの著書。(1990)
2005年10月04日(火) |
He died on the road |
今日から大学生の女の子に英語を教えることになった。店のお客の連れで来ていた子で、何となくそういう話になったのだ。最初は無料でとも考えたが、お金を取った方がお互い真剣にやると思い、きちんと月謝をいただくことにした。
「英語でペラペラ喋りたい」「TOEICの点数を上げたい」というのが彼女の希望。これはまさしく私の得意分野。もしこれが「英字新聞をスラスラ読みたい」「TOEFLの点数を上げたい」だったとしたら、LEO(g)でも紹介するところだが。
彼女はTOEIC480点で、私は825点。教えるにはちょうどいい開きだと思うし。
もともと教えるのは好きなんだ。以前にも英語の家庭教師のバイトをしていたことがある。久々に教えて楽しかった。(彼女も後日、彼氏に「すごく楽しくて、やる気になる」と言ってくれたようだ)
Darrenが、彼女のStephと来店。デイヴ・グロールに間違えられるほど似ている彼は、実際フー・ファイターズが大好きで、One By Oneをかけると次から次へと歌いまくる。
前に連れて来た親友のことを訊いたら、ふっと顔を暗くして「彼、死んだんだよ」と言う。「嘘でしょう?」「いや、本当だって! そこの通りで車に轢かれて死んだんだよ」「・・・いつ?」「この前、一緒にここに来た直後だよ」
Stephに確認したら、「生きてるわよ!!」って。・・・大真面目な顔で大嘘こきやがって・・・。
・・・まあ、彼女の目の前で私にキスを迫るくらい酔払ってたからなあ・・・・・。
(10/17up)
He died on the road (彼は通りで死んだよ) * He Was A Friend Of Mine(彼は僕の友だちだったんだ) / Bob Dylan (1962) の歌詞。
バイキングの朝食が9時半だったので、ギリギリに行く。ゆっくり身支度してチェック・アウトし、ラウンジでコーヒーを飲む。これは何とフロントのマネージャーのおごり。夕べフロントの新人がちょいっとふざけたマネをいくつかしてくれたので、軽く苦情を言っておいたところ、このようなもてなしとなったw(夕べのお食事にもワインがついたし)
みーこちゃんと大阪へ。14時半に心斎橋で、京都から来たkenjiくんと会う。ネット上のつきあいのみだったので、会うのは初めて。その文章から想像していたより遥かに「カワイイ」感じ。20代後半なのに、大学生くらいに見える。真直ぐそうだなあ。そういえば日記に、仕事中にラジオでかかったブラーが良かったので、(心の中で)窓外の京都タワーに届くほどの声で「ブラーーーーー!」と叫んだって書いてあったっけw
kenjiくんを引っ張りまわしつつ、懐かしいアメリカ村でお買物。ここには昨年のお正月に旅行で来た。彼氏でもない男性に連れてきてもらった。
ロックっぽいショップで黒革のキャップを買い、そのままかぶる。昨日神戸で買った890円のバッグと、高円寺で500円だった黒いサングラスとよく似合う。「この店、去年も来たよね。すごく綺麗な顔の外人の男の子がいたんで、意味もなく周りをうろうろしたよねえ」とみーこちゃんと回想。そういうことはよく覚えてるのねw
やはり去年も来た店で、専門家然としたお姉さんから葉っぱとパイプを買う。葉っぱは安物なので気分だけだろうけど。
アメリカンぽいカフェでコーヒーとベリーのチーズ・ケーキを食べる。
18時に東心斎橋のロック・バー、ファニー・メイへ。かつてここのマスターがBLACK AND BLUEのbbsに書込みしていたので知った。ロック・バーなのに焼きソバ(美味。250円!)を出すあたりはBLACK AND BLUEとはかなり趣を異にするが、そういうのも大阪であれば似つかわしい。
ストーンズ以外のCDは探すのが面倒だからかけないと言われた。そのくらいの適当さでないと、一人で年中無休(18〜5時)の営業はやれないだろうなあ。
新幹線の時間(20:23発)があるので、慌てて駅へ。途中でkenjiくんと別れ、みーこちゃんに見送られて新大阪へ。大慌てで車内へ駆け込み、席に腰を下ろした直後に発車。ジン2杯とバーボンと焼きソバ食べたばかりで走ったので、相当きつかった。
ふと見れば目の前に、みーこちゃんが改札越しに寄越したお土産の、Mannekenのでかいワッフル(コンビニ売りの倍の大きさ)が7個も。・・・とりあえず4個一気食い(かなり美味)。売り子が来たので、お茶と幕の内弁当も買って完食。
さすがに気持ち悪くなるが、0時半に帰宅する頃には持ち直し、残ったワッフル3個をたいらげる。
・・・旅行だから。たまのことだから、いいのよ、明日から絶食すれば・・・・・。
みーこちゃん、ファニー・メイではご馳走様。今回は色々ありがと。またね!
(10/16up)
Fanny Mae (ファニー・メイ) *Rolling Stones の曲。(1965)
2005年10月01日(土) |
Maybe deer |
8時前に閉店。慌てて帰り、洗顔・着替え・荷造りして、10時50分発の新幹線に10分前に滑り込む。
今日は、みーこちゃんと神戸で会って一泊するのだ。
のぞみの車内で、10/29のライヴの選曲をすべく、iPodに突っ込んできたビートルズ全213曲を片っ端から聴く。出来そうなのを携帯メールに打ち込んで、カーボーに送信。
それにしても。このところ本当に疲れているらしい。荻窪駅の時点で既にグッタリ。いくら仕事が忙しかったからって。一晩寝てないくらいでこうなるとは。車中で寝ては乗越すといけないから、頑張って起きている。
13:41新神戸着。大阪から先に来ている筈のみーこちゃんが見当たらないのでメールしたところ。
みーこちゃんから電話。「Bunnyちゃん、ごめんなー。あたし、寝過ごしてしまってん。今起きたとこ」
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とにかく心底疲れていたので「・・・マジでえ?」という声もかなり重い。みーこちゃんはさぞかしびびったに違いない。
実を言うと。到着にあと2時間近くかかると聞いた瞬間、「だったら少しホテルで休める」と思ってちょっとほっとした。しかしみーこちゃんにはあくまで気を悪くしたフリをしておくw
ホテルにチェック・イン後、「実は怒ってない」とメールした。そしたら返事が「実は電車乗り越して伊丹まで行っちゃった」
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遅刻魔で名高い私をここまで待たせるとは。みーこちゃんは相当「ダメ」かもしれないw
結局ホテルで会えたのが16時半。神戸は2度め(後から調べたら、前回来たのは'93,10,1。12年前のちょうど同じ日)で、観光する気はないので、元町へ買物に出た。
三宮から元町まで高架下を歩く。12年前もまさに同じルートを歩いたが、あの頃と殆ど変わらないように見える。細い通路を挟んで、安くて活気のある衣料品や雑貨の店がずらりと並んでいる。
小さなバッグ店で、黒いビニール・レザーのショルダーを890円で購入。みーこちゃんもフェイク・ファーのウェスト・ポーチを買った。
ここの店主が印象的だった。毛足の長いファーのバッグを指して、「これな、狐の可能性があんねん」 ・・・笑いそうになりながら、「ああそういえば狐っぽいですね」と言うと、目をきらりと輝かせて「そうやろ?」と言う。
ふとみーこちゃんがあるバッグを手にとって、「これ、鹿皮っぽい手触り」と言うと、店主が「ああ、鹿か! それは気づかんかったなあ。鹿ね!」と興奮気味。・・・絶対、次の客には言うんだろうな。「あんな、これ、鹿の可能性があんねん」ってw
南京町でタピオカミルクと海老団子とドーナツを歩き食い。これからお夕飯だってのにまったく。
ホテルに帰って会席料理のお夕食。部屋に戻って、ハーゲンダッツのアイスを食べる。今回の旅は、ほぼ食べに来たようなもんだな。
(10/15up)
Maybe deer (鹿の可能性があんねん) * Maybe / Janis Joplin (1969) の歌詞。('Maybe dear' のもじり)
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