2005年07月12日(火) |
Then it fills me up. It turns me on. Take me to the place I lose myself |
二人でVampで飲んだ帰りに、荻窪のスタジオを朝10時から予約(今日はRonnyのストラトの音出しの為)。一旦帰宅する。時間はたっぷりあった筈が、またもRonnyと寝てしまい、その後うっかり眠ってしまって、気づいたら10時過ぎ。結局時間を2時間から3時間に延長してもらう。(実際スタジオを使えたのは1時間半)
最近、リハを含め、うちから二人で出かける前につい「しちゃって」、おかげで遅刻ってことが多い。こう書くと大顰蹙な感じだけど。
私にとって彼と寝ることは、かなり優先順位が高い。彼にとってもそうだと思う。
私の人生で、「男と寝ること」自体の優先度は低い。あけすけな話で恐縮だが、私はかなり高感度なわりには性欲が薄い。たまに行為が面倒ですらある。
でも、「愛している男と寝る」のは別だ。Ronnyが私を抱きたがっている、そのことに私は反応する。彼が私を欲しいなら、私は火がついたようになる。
実は「愛している」イコール「体が反応する」ではない。それはやっぱり全く別で、「愛している」イコール「寝ると幸せ」ではあっても、だから「感じる」とは限らない。(全く感じなくても、愛している男とだけ寝たいけど)
で、Ronnyの場合は。
ずっと前にこの日記に、今まで生きてきて彼が一番好きだと書いた。そして奇跡的なことに、体の反応もそうなんだよね。
だけど。私はやっぱりまだ、Ronnyとは別れる前提にたっている。私の出勤時に彼も帰る為に一緒に電車に乗るが、色々あって、彼に他の女をつくれと勧めるような発言をしてしまう。「どういう意味かわかってんの?」と言われ、わかってるわよ、と思うが、やっぱりわかってないのかもしれない。
夜、前に一度来た40代男性が来店。口説かれているようでもあるが。ロックは何が好きかとしつこく訊かれ、何だかちゃんと答えるのがイヤではぐらかしていたら、会話がとげとげしい雰囲気になってしまったが。
「ストーンズに関しては、あっさり好きと言うには複雑な感情を持っているんです」と言った途端に、彼の顔が輝いた。それどころかいきなりカウンター越しに手を握られた。何だ、単なるストーンズ・マニアだったらしいw
「ストーンズはラジオでしか聴きたくない。CDなんか買いたくない」と言ったのはK叔母。このセリフはまさに私自身のストーンズに対する態度を示している。
本当にロックな人間はギターの練習をしない。じゃ弾けるようにならないだろうが。現にシド・ヴィシャスはベースが弾けなかった。本当にロックなブライアン・ジョーンズはオリジナルをつくるのを嫌った。マネージャーはそれを良しとせず、やはりロックなキース・リチャーズを部屋に缶詰にして、嫌がる彼に無理やり曲をつくらせた。全ては偶然の外部要因のおかげだ。
説明不足かもしれないが、私のストーンズに対する感情はこんな風。で、そのストーンズ・マニアにはそれが充分伝わったらしい。一気に機嫌が良くなったようで、その後えんえん数時間にわたってストーンズのリクエストを受ける。
彼のリクエストでかけたStripped、最初の曲が昨日私が手こずってたStreet Fighting Man―――このヴァージョンを聴いた瞬間に「何だ」と思った。Ronnyが昨日弾いてたのってこれじゃんか。疑問が氷解。これで歌えるわ。良かった。
Then it fills me up. It turns me on. Take me to the place I lose myself (私を充たし、感じさせて、我を忘れさせる) * BLACK AND BLUE / Ronny & Bunny (2005) の歌詞。
2005年07月09日(土) |
Rescue me before I fall into despair |
最近妙に眠くなる。特に勤務中に。ヘタするとお客の目の前で寝そうになる。睡眠不足なんじゃないかって? ええ、そりゃそうよ。きちんとベッドに入って寝ることなんて、Ronnyがうちに来た時だけだもの。
最初は「眠れない」だった。この日記の第一日目のタイトルは「インソムニア(不眠症)」
ベッドに入っても2〜4時間で目が覚める。眠りが浅いらしく、妙に寝覚めがいい。目覚めた瞬間から普通に動ける。
次第に「眠らなくていい」「眠りたくない」に以降した。今では「寝る」という発想そのものがない。起き続けている中で時々限界に来て気を失う、というのが私の睡眠の取り方だ。
最近時々襲ってくる、この猛烈な眠気。体調不良を伴う感じのこの睡魔。
今夜はRonnyとメールのやり取りをしている最中に来た。はじめは体がぐったりとして、ずるずると倒れこむ感じになる。メールを打つのも辛くなり、彼に対してかなりとげとげしい文章を打った挙句、しまいにはそのまま眠ってしまった。ほんの短時間の、電球が切れかけているような、接触不良めいた眠り。
意識を取り戻してから、ああ今夜は電話で声が聞きたかったのにな、と悲しくなる。
この数日、ネット上で見られるライヴ8の映像にはまっている。何しろ凄いラインナップだ。
しかし、昨日見たスティングが一番良かった。興奮気味の司会者に紹介されて出てくるや否や、'Message In A Bottle'に突入する。速い。明らかに走っている。確信的に堂々と、周りを引っ張って。ドラマーが必死についていく。まるで、知的な犯罪を思わせるようなスリリングさ。
'Message In A Bottle'―――疑問符で始まり、シンパシーを示し、切なさを残して去る曲。
たとえ他の何百億と言う壜が私の岸に流れ着いても、それで私の悩みは少しも解決されないのだけど。
それでも、世界に向って、虚空に向って、私は助けてと発信する。
Sending out an S.O.S.――――この日記を書く。
Rescue me before I fall into despair (私が絶望してしまう前に助けて) * Message In A Bottle / Police (1979) の歌詞。
朝まで仕事して、寝ないで12時からRonny(g)とスタジオ入り。の、筈が。
30分遅刻。家から5分のスタジオだってのに。このスタジオに近いからって今のマンションに引越したってのに。ああ私の馬鹿っ。
3時間かけて(私は2時間半だけど)、何となく持ち曲をおさらい。次回のライヴまであと18日だが、未だにセットリストすら決めていない。というか、前回のライヴ以来17日間、全く何もしていない。
実は意識が今月18日のXeroXのリハの方に向いちゃっているのだ。といっても、それに向けて何をするわけでもないのだが。
リハ後うちでRonnyと昼間から飲み、さらにジンをフラスクに入れて出かける。
今日はジェフ・ベックのライヴなのよ。私が一昨日、ヤフオクで最後の1分までバトルして入手した、一階ブロック最前中央寄り。6/30のお礼の意味を込めて、Ronnyへのサプライズ・プレゼント。
CB(g)のチケット(私たちより更にいい席)も取った。彼は大のジェフ・ベック好きで、今年2月には、赴任先のロンドンで偶然ベックに会って話をしている。
そんなCBと18:45に現地集合。の、筈が。
家を出たのが18:20って。Ronnyとゆっくりべったりし過ぎた。慌てて東京国際フォーラムに駆けつけ、入口でスタンバってたCBにチケットを渡す。一人すっ飛んでいく彼を見送り、この期に及んでトイレに駆け込むRonnyを待つ。19時をわずかに過ぎている。まさか定刻に始める気じゃないでしょうね。そんなのロッカーの風上にもおけない。レッチリはちゃんと軽く20分以上は遅れたわよ?
なんてメチャクチャ言いつつ飛び込んでみたら。何だ、まだ始まってないじゃん。余裕でもう一度外に出て、自販機で飲物買って戻ったら。
――始まってた。うわっ。二重扉の内側を開けるまで気づかなかった。何て防音のしっかりしたホールだ。
とにかく席へ。ブロック最前なので手すりを越えればすぐだが、席が高くなっていて手すりは肩より高い。Ronnyが先に手すりを飛び越え、すぐに私を引っ張り上げた。手を貸してもらうくらいのつもりでいたら、見事に一瞬で持ち上げられて驚く。
意外と頼もしいんだなあ、と思わず惚れぼれ。
会場はすでに総立ち。前に目をやれば。
アンプが積み上げてあるだけのシンプルなステージ。そこにきれいなブルーのライトが落ちて、深海のような紗をかける。ありふれた金色のライトがあたり、非日常でない「セッション」をうつし出す。
黒いシャツ、黒いジーンズ、スニーカーの、「ギター・ヒーロー」が、無粋なシールドを引きずって弾いている。
以下は、ジェフ・ベックをただの1曲も知らず、「どうせベックなんて、テク頼みで深みのない非人間的なつまんない音楽なんだわ」と長年偏見を持って食わず嫌いをしてきた者の書いたレポです。
腕が太い。手が――掌がでかい。親指が太い。でかい手がギターを掴んで軽く振り回すと、びくともぶれない太い、それでいて何ともきれいな音が出てくる。
ギターという楽器は本来嫌いだった。特に、きれいな音が嫌いだ。'Cause We've Ended as Loversのギターなんて、嫌いな音の代表格の筈だ。こういう曲が大衆受けするのを知っているので、更に反感があった。だが今実際に見るベックは、生のベックの音は、ただただ素直で、アグレッシブでもデリケートでもない、クリスタルでもメタルでもない。
チョコレート・バーみたいだ。外が硬く中が室温で軟らかい。ソリッドでかたちのはっきりした愉悦。
以前に哲(b)にジェフ・ベックを聴かされた時、その曲に全く感動出来なかった為、それまでのベックに対する偏見を確認するだけの結果となったのだが。今にして思えば、作品重視の私はベックの曲にジミー・ペイジ(当時の私のベスト1ギタリスト)のそれのような構成力や深い表現力を求めていたらしい。今、それが大間違いな態度だったことがよくわかる。
これは、ギターを「鳴らす」人だ。
楽器とは、人間の動作によって音が出る物をいう。ベックはギターという楽器を最大限に鳴らす。
instrument(楽器)という単語は、ラテン語の「築く際の手段」という意味から来ている。つまり大抵の人間には、ギターは「表現手段」なのだ。だがベックはギターを表現する。ギター職人クラプトンは、ギターを弾いて世界に貢献する。芸術家ジミー・ペイジはギターで世界をつくりだす。ジェフ・ベックにとっては、ギターが「世界」だ。
よく、何で「三大ギタリスト」があの三人なんだ、と言われるが。今回ベックを観てわかった。あの三人は見事に三者三様で、ギタリストのありようの三大サンプルとなっているのだ。
ベックはまるで、アナウサギが無心に地中に巣を掘るように、ひたすら自分のギターに没頭する。子供のような探究心が、飽くことなく自らの楽器に注がれる。
ステージ上にいてすら彼は、その探求の途上にあるらしい。その証拠に、音色が気に入らないとみるや、いきなり足元のエフェクターを踏んで音を一瞬でクリアにしてしまい、満足そうに弾き続ける。・・・あまりのことに呆気に取られてしまった。
ベックへのかつての反感の主な理由は、彼がオーディエンスを無視しているように感じたからだった。私はそれを、彼が大衆には己の音楽を理解する能力がないと思っているからだととらえていた。だが実際には彼は、他人にかまっちゃいられないくらい、自らのギターに魅せられていただけだった。これじゃ逆に好感が持てるくらいだ。
そしてベックはどんどん弾きつづける――ギターも変えず、チューニングすらせずに。どうやらこのツアーでは、そっくり同じオフホワイトのストラトを2本用意したらしいのだが、途中交換したわけでもない。
聞けばベックは、チューニングの狂ったギターでも、指やアームで音程をなおしながら弾けるという。・・・んな馬鹿な。いくら私がギターにど素人でも、そんなことはにわかには信じ難い。でも、じゃあどうしてたんだろう?
一部の最後にやった"Scatterbrain"が素晴らしかった。後日初めてCDで聴いてみたが、明らかにこの日の演奏のほうが速かった。なのに、あの目まぐるしい高速のリフを、とてつもない技量とリズム感で、一音たりともおろそかにせずにぴたっと決めてみせた。しかも印象的にはたいしたことはしていないかのようにさらりと。
――――Scatterbrain(注意散漫)どころの話ではない。おそろしい集中力だ。思わず「すごい・・・」と声が出た。
観る前は、よほど退屈するかと覚悟していたが。退屈する暇すらない、あっという間の2時間だった。セットリストはこちら。
ところで。あのボーカルはいらない。"People Get Ready"だっていっそ歌抜きでやればいい。あの曲は最初はインストの予定だったというから、この機会にそのバージョンを聴かせてくれればよかったのに。
帰りはRonnyとCBと3人で、新宿ロックバーCTへ。今日もマスターは、ローラ・ニーロの後にホールをかけるといった荒技までして、私の好きなのをかけ続けてくれた。心から感謝。てか、楽しいーーーw
もっと遊んでいたかったけど。「二人きりになりたい」と言われて終電で帰る。
今日のライヴは本当に楽しかった。横にいるRonnyが私と同じように楽しんでいて(彼も私と同じくベックに苦手意識があったのに、同じく今日のライヴでそれが消えたのだ)、二人で同じ興奮をわかちあえたのが幸せだった。
おまけに。初めて見たベックの動きが、Ronnyに似ていたので笑った。右の腰でギターのボディを持ち上げるところなんかそっくり。どうやら本人もそう思ったようだ。(後日知り合いにも言われたらしい)
おかげでベックにはすっかり好感を持っちゃったよw
Blackbird (黒ツグミ) *Jeff Beck の曲。(2001)
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