Rocking, Reading, Screaming Bunny
Rocking, Reading, Screaming Bunny
Far more shocking than anything I ever knew. How about you?


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*名前のイニシャル2文字=♂、1文字=♀。
*(vo)=ボーカル、(g)=ギター、(b)=ベース、(drs)=ドラム、(key)=キーボード。
*この日記は嘘は書きませんが、書けないことは山ほどあります。
*文中の英文和訳=全てScreaming Bunny訳。(日記タイトルは日記内容に合わせて訳しています)

*皆さま、ワタクシはScreaming Bunnyを廃業します。
 9年続いたサイトの母体は消しました。この日記はサーバーと永久契約しているので残しますが、読むに足らない内容はいくらか削除しました。


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2005年06月29日(水)  Music seems to help the pain

帰宅したのは朝5時過ぎ。7時にはRonnyが車で来る。9時に家を出る。今日は茨城の元ダンナのお見舞いに行くのだ。山のようなCD・レコード・DVDを届けに行く

車の助手席に乗るのは大好き。今日はRonnyの車に乗って遠出だから、もうドライヴ気分でわくわくしていた。Ronnyがコーヒー、パン、クッキーなどをたっぷり買っておいてくれたのを見て大喜び。しまった、CD持ってくるの忘れたわ!と思った瞬間、山のように持っていたことに気づいて笑う。
とりあえずはRonnyのCDでツェッペリンを聴く。霧雨であいにくの天気の筈だが。しっとりとした空気と薄いグレーの色彩が、私の興奮を軽く抑える感じで心地良い。
会うのがちょうど10日ぶり。こんなに離れていたのは2月下旬以来二度目。あの時は、一度別れたつもりでいた。今回も同じようなもの。どちらもつまりは、彼のお休みをたった一回会わずに過ごしただけなんだけれど。
手を伸ばして抱き寄せたい、と軽く思いながらずっとそれをしない。あちらも同じ気配だ。
別に今すぐ抱きしめてもいいんだ。今は何のこだわりもなく好きだから。だけど何となく、まだ距離を縮めない。

13時半に到着。Ronnyはそのまま近所のファミレスで待っていてくれることに。
大量のCD・レコード・DVDを運び込む。その数およそ800枚。直接CROSS ROADなどに持ってきてくれたもの、都内・大阪・那覇から小包で届いたもの。中でも浜松からのCDがすごかった。ダンボール3箱ぶん。届いた時、一体送料がいくらかかったのか宅配業者に訊ね、金額を聞いて更に頭が下がった。送ってくださったのは、かつてSad Cafeに一度だけ来たことのあるお客さまで、私のbbsの「救援物資募集」の書込みを見て送ってくださったのだ。
ストーンズのジッパー付のSticky Fingersのレコードといったレアものから、心を込めて焼いてくれたCD-Rまで、色々なものがぎっしり。どれも趣味の良いラインナップで、私が欲しいくらい。
これらを着くなりまずは元ダンナに説明。全部誰からなのかを言い、その人の説明もする。メモを取りつつ聞く元ダンナ。顔が喜びでぽかんとしている。

18日のRonny & Bunnyのライヴ音源も聴かせた。私のオリジナルには、「すごいね、まるっきり洋楽だ。邦楽の要素がまるでない」とのコメント。

初めて体のことをじっくり聞いてみた。
まとめると。長年の過度の飲酒からアルコール性肝硬変になり、肝機能が低下した為、腸内で発生したアンモニアが解毒されないまま心臓に入って全身を循環し、結果脳を侵して肝性脳症になったらしい。
記憶を失くしたりイライラしたり、腸の機能が低下したり、腹水が7Kgたまったこともあるという。果ては両膝から下の感覚がなくなり、歩けなくなった。
ところが。先月担当医が変ったら、歩くコツをおしえてくれたんだそうだ。まずは筋トレを充分にさせておいた後で、「膝から下はないものと思って」歩くよう指示したらしい。義足の人と同じ考え方で、その通りしてみたら、少し歩けるようになったんだという。実際歩いてみせていた。
しかしかなり厳しい食事制限をしているようで、お酒は勿論のこと、肉・魚・動物性の油も一切禁止らしい。これを言った時の元ダンナは、笑いながら泣き出しそうだった。飲み食いするのが大好きな人だったから、一緒にいる頃は彼に美味しいものをあげるのが楽しくて、買って帰ったり、料理したり、食べに行ったりした。お金も惜しまずに使った。

正直、来た当初から、いるのが気詰まりな部分があった。元ダンナが私が来たことを本当に喜んでいて、意識がこちらに集中しているのを感じたので、そのことにうろたえてしまったらしい。最初はこれでは数分と持たないように感じたが。
CD類の説明をし、体のことを訊き、話をするうちに、予定していた2時間が経過していた。Ronnyに迎えに来てもらう。

帰りの車中で、いつもより早口になっている自分に気づく。元ダンナといる間中、弾丸のような早口で喋っていたのだ。彼といた頃の私、短気でせっかちな私が甦っていた。いづらさは罪悪感の裏返しで、そのことを払拭したくて喋っていた。その余波がまだ残っている。
Ronnyと話しながら、徐々にそれを元に戻していく。

帰る途中、たまたま眼に入った葛西臨海公園の観覧車に乗る。眼につくわけで、後から知ったが高さ117mで日本最大級らしい。
高所が苦手な筈の二人が、先月何となく観覧車に乗ったのだ。それに続いて今日が二度目。あの日と同じでお天気がよくない。そのせいか乗っている人が殆どいない。
密室が地面を離れるや否や抱き合った。それまで殆ど触れてもいなかった。ずっとこうしたかったと言われる。私もそう。
15分かけて一周する。薄曇りなので景色はよく見えない。切り離された気分で宙に浮いている。二人きりで。

Ronnyの地元の大和市へ20時前に着く。彼の車を置いて、電車で下北沢へ。ヘヴンズ・ドアというロック・バーへGeoffのライヴを観に行く。
Geoffはベーシストだがギターもやる。N.Y.でサミー・ヤッファ(元ハノイ・ロックス)とセッションしたこともあり、一昨年に私が知り合った頃は名の知れた日本のプロ・ミュージシャンとバンドをしていた。今はMissing Sceneというバンドを組んでいて、今日初めてそれを観に来たのだ。3人構成で、彼(アコギ)以外にカナダ人(vo)と日本人(エレキ)。
Geoffの安定したストロークから生まれる安定した音、構成のしっかりした曲、安心して聴ける歌とハーモニー。さすが、さらっとクオリティが高い。あえて難を言えば、性格の良さがまるわかりというか、謙虚過ぎる。せっかくいいものをつくっているのだから、少なくともボーカルはもっと押し出しを強くしないと。(後日Geoff自身が全く同じことを、「それが僕らの課題だ」と語った)

0時過ぎの電車でRonnyと荻窪へ帰る。長くて楽しい一日だったが、ようやく二人きりになれる。

Music seems to help the pain (音楽が苦痛をやわらげる)  * Take Up Thy Stethoscope And Walk(聴診器を取り上げて、歩け)/ Pink Floyd (1967) の歌詞。


2005年06月28日(火)  ただいま

常連の一人が遅くに来店。他に客がいないので、一人で私を相手に話し込む。肩肘を張って生きているひとで、嫌われる性格であることを自覚しながら、「本来は好かれる筈だ」という思いも捨てられない。
非常に弱く、だが自分では強いと思っている。ひとは結局愛される為には先に愛するしかないが、それが出来ずに足掻いている。
そうやってじたばたしている人間は嫌いじゃない。私も同じことをしてきたから。
だけど人は皆忙しいので、私も結局は彼を捨てて帰る。

雨の中、明け方の誰もいない道を通って帰る。通りをはさむ家々の前の鉢植が気に障る。プラスチックの鉢に安っぽくて趣味の悪い花。レイアウトも何もなくごたごたと置かれている。ゴミを積んであるのと変わりない。
私は花が好きで、大泉学園の3DKにいた頃は、各部屋に花を飾っていた。小手毬、トルコキキヨウ、カサブランカ、カラー、オンシジウム、スカビオサ。でも民家の前に見かけるのはベゴニア、ペチュニア、パンジー、プリムラ――明らかに安さと丈夫さで選ばれた品のない花たち。
紫陽花も嫌いだ。ぼてぼてとして繊細さに欠け、大抵は色変わり中だから、薄褪せて汚い青紫やピンク。小さい花がびっしりと集まっているさまは、タガメの卵塊でも見ているようでぞっとする。
そんな6月の景色の中を歩いて帰る。

うちについて、玄関をくぐってほっとする。そして思う。私は要するに、「ただいま」と言いたいだけなのかもしれない。
私が欲しいのはそれなのかも。今、帰ってきたわ。あなたの為に帰ってきたわ。

繭(まゆ)。お嬢ちゃん。あの子が生きていてくれたら、それだけで私のこの3年間は変っていたんだろうか。

ただいま  *矢野顕子 の曲。 (1981)


2005年06月27日(月)  Thank you so much for those of you who love us, for those of you who hate us

元ダンナのお見舞いが2日後に迫ってきた。今はこれが楽しみでしょうがない。Ronnyとのメールでもそのことばかり話す。単純に彼とドライヴ出来る楽しみも大きい。更にこの日は夜にライヴも見る予定が入り、一日がイベントのようで、待ち遠しくてしょうがない。
「早く会いたい。時間がたつのが遅い」とメールする。最近じゃこんなに素直に言うのは珍しい。
このこだわりのない愛情表現は全て、自分がもう彼のものじゃないというベースがあってのことだ。
私としては、6月25日で終わったつもりでいる。他人から見て、いや彼自身から見てもそうは思えないだろうが。
つきあってちょうど5ヶ月だ。
いやになる。5ヶ月ー4ヶ月ー5ヶ月ーまた5ヶ月―――私はこの5ヶ月の壁を越えたことがない。どうしてなの?

出勤。おだっち(drs)の連れてきた20代前半のお客さま。かけている音楽にもほぼ興味を示さず、飲みすぎてただ眠そうにしている。トイレに立った時にガービッジのVowをかけたら飛んで戻ってきた。「僕この曲好きです!!」って。
聴けば1stが一番好きで、中でも"Vow"が好きなんだそうだ。へえ珍しい。普通は皆2ndが最高だっていう。1stの方がいいと言ったのは、自分以外ではRonnyだけだ。

たまたま今日の昼間に、グラストンベリーに出たガービッジの映像をネットで見ていた。そしたらシャーリーが「10年前に初めてラジオでかかった曲」と言って"Vow"をやった。メチャクチャ重苦しい歌詞なのに、爽やかといっていいほどの笑顔で歌っていた。
シャーリーに関しては、色々あって勝手に心配していた。歌詞がどれもこれもあまりに救いがなく、痛みを感じるほどだから。まして最近ある記事で、彼女が子供時代から実生活でも悩みを抱えてきたことを知り、更に勝手な同情を覚えていた。その記事は、ガービッジの成功を通してシャーリーがようやく幸福になったと結んではいたが。
今日見た彼女ときたら、このステージに立てることを心底喜んでいて、MCは勿論のこと、歌にまで幸せそうな様子が溢れていて、見ていて可愛くてしょうがない。
またも勝手に、良かった良かったと思う。

私自身にとっても"Vow"は思い出の曲だ。去年の4月にXeroXの初ライヴでやったんだけど。
当時LEO(g)が、「僕はVowが好きっていうより、Bunnyさんの歌ってるVowが好きなんだ」と言ってくれたのが、嬉しくて忘れられない。自分自身も一番気持ちの入る歌だったからね。
で、また今度、XeroXでコピー出来る。今度は前よりもっと良くなる筈だ。

Thank you so much, ladies and gentlemen, for those of you who don't know who we are, for those of you do know who we are, for those of you who love us, for those of you who hate us, we are, of course, Garbage. (私たちを知らない方、知っている方、私たちを愛してくれている方、嫌っている方、全ての皆さんに感謝します。私たちがガービッジです)  *グラストンベリーでのシャーリーのMCより


2005年06月16日(木)  In Relief

11日のリハ以来、一度も歌っていないどころか、ろくにやる曲を聴いてすらいない。一方Ronnyからのメールは連日「これから練習」、「今まで練習」と気合満々。・・・いいのか、こんなことで。
何をやっているかというと。主にこの日記を書いている。今日でムリヤリ14日ぶんまで書き上げた。これでたったの2日遅れというわけ。こんなことやってる場合かと言われそうだが、これが片づかないと精神的に何も手につかないのだ。ボーカルはメンタルな要素が大きい。言い訳というよりも、実際何か他のことが気になっている時は、仕方ないのよ。少なくとも私はね。
後は喉風邪が流行っているらしいから気をつけよう。何しろほぼ毎回ライヴ直前に風邪をひいている。いい加減にしなきゃ。

一昨日の夜、元ダンナ(今やアル中がたたって歩けず、茨城の実家から通院中)とメールしていて、ふと「そういえばCDとかどうしてんの?」と訊いてみた。そしたら、中古で5枚持っているだけだという。
あのロック馬鹿が、CD5枚で暮してるの?

欲しいのを焼いて持っていくよ、とメール。Ronnyに車で連れて行ってもらうことにして、二人の都合のいい日(これを逃すと1ヵ月後)を見たら、6/29で偶然にも元ダンナの誕生日。
ではどうせならと、bbsに「救援物資募集」と題して不要CD等募集の旨を書込んだ。そしたらすぐに反応があった。昨日はCDを宅配便で送るという書込みがあり、今日はレコードを持っていくというメールが来た。
何だかわくわくしてきた。

最後に会ったのは一昨年の12月。歩けなくなってからは一度も会っていない。
思えば別居を始めた(追い出した)2002年の3月以来、彼に何かしてあげるのは初めてのことだ。
最初に「何が欲しい?」とメールした時の返事。「レッチリスマパンケイト・ブッシュビートルズレオン・ラッセルローラ・ニーロ、きりがない」
・・・私が書いたみたいだわ。さすが私マニアw

私は彼に負い目がある。私は彼の人生を叩き潰した。
私が悪いんじゃないわ。その証拠に、事情を知る数人の人間(双方の親)は、誰も私を責めないどころか、私に同情的だ。彼自身も私を責めない。そうよ、私が悪いんじゃないわ。
――――いくら言いきかせてみても事実が消えない。私は彼の人生を叩き潰した。

だから。

CDを山と届けて、喜ぶ顔を見られたら。そこで救済されるのは私なんだ。
それでほっとさせてね。とても引き合うわけはないけれど。あなたを音楽の中に埋もれさせておけば、私はしばらく私の罪悪感から逃れられる。

In Relief (ほっとする) *reliefには「救援物資」の意味もある。 *John Frusciante の曲。(2004)



2005年06月15日(水)  Old Fashioned Love Song

雨の水曜日だが、お客の入りは悪くない。

初めての男性二人連れ。若い方は全く洋楽を知らない。
お客によって何をかけたらいいかを考えるのは楽しい。月曜は、初めて見る女性客の為にフェイセズストーンズとかけて馬鹿ウケし、次に何となくかけたブラック・クロウズがツボにはまり、連れとの会話に「パンクが好き」というひと言があったのでクラッシュをかけて大ウケだった。
今日は何がウケるんだろ? オールド・ロックに詳しそうな40代の方に照準を絞り、まずは小手調べでこれどうですか?とかけてみた。
I'm Not In Love
かかった途端に「10ccか」と40代男性。
ところが。洋楽にうとい筈の30代男性がいきなり反応。「これ何ていう曲ですか?!!」
「これ、勤務先(飲食店)の有線で何度か聴いて。すごくいい曲だから、そのたびに周りに曲名を訊くんですけど誰も知らなくて。いやあ、今日はここに来て本当に良かった!」
頼まれて曲名とバンド名をメモに書いてあげた。「この曲は私の携帯の着メロです」と言った私の顔は、さぞかし誇らしげだっただろう。
「とってもヘタレな歌詞なんですよ。僕は君に恋してなんかいない。君の写真を貼るのは壁の染みを隠す為だ、って」――頼まれてもいないのに説明する。

本当に嬉しそうに帰っていった。また来ますと言って。
「この曲好きなんです」と輝く顔。それを一日に一度見られるだけで、疲れも吹っ飛ぶ。

Old Fashioned Love Song (古臭いラヴ・ソング) *Paul Williams の曲。(1971)



2005年06月14日(火)  to be governed by this love

家でマルーン5をえんえん聴く。正確に言えば"This Love"だけをえんえんと。

このバンドは、少し前に元ダンナが薦めていた。高円寺CRに勤めてみたら、"Songs About Jane"のアルバムがあったので一度ざっと聴いてみたが、私の苦手なソウルやファンクの要素が耳について、まあ普通かなと思っていたのだが。
後日もう一度かけてみたら、"This Love"にいきなりはまった。「あれ?」って感じで何度もかけた。このボーカルを好きかどうかは微妙だし、"She Will Be Loved"なんかはいくら何でも甘ったる過ぎる。(一般的にはウケそうだが)
だけど"This Love"は。感性的にはあやういところでバランスを取っている曲のくせに、つくりは細部まできちっと仕上げていて遊びがない。3分半もない短い曲で、前置き抜きで始まり、そのまま一度も手綱をゆるめず、同じテンションを保ったままラストまでいく。
仕事明けで疲れてたんだか。ツボにはまって泣いちゃったし。

ソウルのテイストがあるのに好き――何かに似てるなと思ったら、ジャミロクワイか。

to be governed by this love (this loveのとりこになって)  *Virtual Insanity / Jamiroquai (1996) の歌詞。



2005年06月13日(月)  Don't want you here right now

店でお客が途切れた0時過ぎにストロークスの1stをかけた。そしたら元ダンナから「ストロークスがとてもいい」というメールが来た。タイムリーな。

ストロークスを知ったのはつい最近だ。前にお店で、うっかりCDが終わってしまった時に、次のを用意していなかったので慌てて手当たり次第にかけたのがストロークスの1st。音が出た瞬間に「かっこいい!」と口に出していた。
こういうメガホンでも通したような加工のボーカルと、たるいノリは好き。
Last Niteの、「When you turn me off」の発音がぐっとくる。どの曲も何だか中途半端で青臭い。
歌詞は、ちょっと衝撃的なくらいあっさりと身勝手だ。こういう詞を書かれると、世代のギャップなんていう言葉では片付かない恐ろしさを感じる。私はLast Niteの詞に出てくる「彼女」になるのはごめんだ。

Don't want you here right now (今は君にそばにいて欲しくない)  *The Modern Age(今時の世代) / Strokes (2001) の歌詞。



2005年06月11日(土)  With the birds I'll share this lonely view

14時半に夜勤&会議明けのRonnyが来る。15時から3時間リハ。どうも乗らない。どの曲もまんべんなくダメ。この期に及んで、このノリの悪さは何なんだろう。正体が掴めないままリハ終了。

別に二人の仲がしっくりいっていないということではない。
全て順調というわけではないが、でも今のところ、不満は全部(愚痴としてではなく)口に出してしまっている。これが出来るうちは大丈夫だ。
去年の今頃は、言いたくても言えないことがどんどん溜まって、卵詰りを起こした鳥みたいになっていた。そんな状態でうまくいくわけがない。だから今度は同じ失敗はしない。腑に落ちないことがあれば、落としてもらうまでだ。
本当に怖いのは、不満を口に出す価値すらないと思った時だ。

普段「経験から学ぶのが嫌い」と言っているが、それは例えば男性を好きになる時に、以前に似たタイプで懲りたからと気をつけたりするのは嫌だということだ。
人間関係の運び方に関しては、かなり成長したと思う。大人になるとはこういうことか。こういう風に成長していけるなら、年を取ることは悪くない。

大分前の話になるが。5/12にRonnyと外出した帰りに、Sad Cafeに未払い給料の取立に行った。そしたら案の定払えないといい、これも案の定私の勤務ぶりに文句をつけ始めた。曰く、私のせいで客が減ったから給料が払えなくなったんだ、と。馬鹿馬鹿しい。お給料は最初から遅れていたんだし、私の初勤務日の客はたったの2名、しかもうち1名はLEO(g)だって。どう「減る」っていうのよ。
こんな馬鹿げた言いがかりをつける45歳を相手に私は冷静に喋り、しまいには興奮した相手の手を取って握り締め、「早く気持ちよく縁を切りましょう。お金さえ払ってくれればそれでいいんです」と目を見つめて言ったんだから。頭の中で「私ってオトナだわ・・・」とうっとりしたわよ、まったく。

この日は一日Ronnyと二人でとても楽しかった。だから最後にケチをつけたくないという気分も大きくかった。
怒りは疲れる。うんざりする。離婚経験を通して、私はようやく「怒り」から解き放たれた。怒鳴ること、罵ること、興奮することには何の意味もなく、ただただ自分を消耗させ、相手を傷つける。
同じ言葉を、怒鳴らずに言えばいい。「怒る」人間は、もう自分の主人ではない。「怒り」という別の存在の奴隷だ。そこに自由はない。

だから今では、怒りを抑えられない人間を見ると哀れに思う。
元ダンナと駄目になったことは、私の予想以上に大きな哀しみを後々まで残した。でも、この哀しい景色は、静かでうつくしい。
空っぽで孤独だが、そこで私はほっと息をつける。

With the birds I'll share this lonely view (この寂しい景色を 僕と、鳥たちだけが見てる )  *Scar Tissue / Red Hot Chili Peppers (1999) の歌詞。



2005年06月10日(金)  I'm tearing at myself

このところ自分でもおかしいんじゃないかと思うくらい、ガービッジにはまっている。
正確に言えば、シャーリーの言葉に。
ガービッジに幸せな曲はただのひとつもない。歌詞の基本は、自己否定、自己破壊衝動、他人への攻撃、恋人への絶望。救いを求めながら、それがもたらされることを信じていない。

自分のバンドに、「ゴミ」という名前をつける女。

最近になってようやく2ndが好きになったのは、その歌詞をきちんと読んでみたからだ。サウンド的には今でも1stが最高だと思っている。だけど、1st の硬い挑戦的な詞もクールだが、2ndの傷ついていることを隠さなくなった、やわらかくなめらかな、優しいあきらめを含んだ詞を聞いていると、とても平静ではいられなくなる。

2ndは、全部がラヴ・ソングに聞こえる。
たすけて。たすけて。たすけて。
そう言っている。

昨日ネット上の記事で知ったけど。彼女は子供時代から外見をからかわれて孤立し、メイクなしでは外出できないほどで、かなり荒んでいたらしい。ファニー・フェイスだとは思っていたが、そんな目にあっていたなんて。高校中退してバンドをやるようになって、初めて自分の居場所を見つけたという。
私は外見をどうこう言われたことはないが、この話は相当に身につまされる。ジャニス・ジョプリンが大学時代に「キャンパスで一番醜い人」に選ばれたと聞いても、アメリカ人って信じられないことするなあと思うだけだが。シャーリーの話は、個人的に共感してしまう。
ある意味、私はシャーリーと同じ体験をしている。私は普通の子供じゃなかったし、友だちはたくさんいたけど、誰とも精神の共有が出来なかった。根拠のない自信と高い自尊心を持ちながら、自己否定も相当に強かった。

今でも突然、自分が完全に無価値だという気分に襲われることがある。
そういう時、自分を「食い荒らす」のは慰めになる。

*(この日記は、10日の12時にアップし、14時に引っ込めていたものです)

I'm tearing at myself (私は自分を食い荒らしている)  *Medication / Garbage (1998) の歌詞。



2005年06月07日(火)  Nightswimming

Sudden Fictionという本を読んでいる。全2巻で、1巻目はアメリカの短編70編、2巻目は世界の短編60編。何が書いてあるのかさっぱり解らない話や、どこが面白いのか見当もつかない話もあるが、とにかく何となく読み進めてしまう。1巻目では、スティーヴン・ディクソンの「署名」が良かった。9ページの作品を普通に一気に読んで、最後の一行でいきなりぼろっと泣いた。自分でも涙の理由がクリアに分析出来ず、もう一度読んでみて、やはり判らないままぼろぼろ泣いた。

今は2巻目の半ばで、モニカ・ウッドの「消える」を読んで少し涙ぐんだ。これが「来る」理由ははっきりしている。体重150Kgの女性が水泳でどんどん痩せていく話だ。彼女は消えたがっているのだ。2002年の夏に私も同じことをした。体重は150Kgの1/3以下だったが、やっていたことは全く同じだ。毎日泳いで、食べなかった。大抵は夜に泳いで、最後の一人になることも珍しくなかった。
私は独りで、ジムのガラス越しに夜を見ていた。自分が醜く感じて、どうにかしたかった。

以前に餓死自殺を思いついた時は、目の前が明るくなったような気がして嬉しかった。綺麗に死ぬんだわと思った。死体のやつれ具合は目を覆わんばかりだろうが、それでも余剰の醜さはない筈だ。
ネットで検索してみて、餓死自殺を企てたことのある人がたくさんいることを知った。皆失敗していた。途中で脱水症状から激しい下痢を起こすんだという。綺麗どころの話ではない。

*(この日記は、一度リアルタイムでアップして翌日に引っ込めていたものに加筆しました)

Nightswimming (夜、泳ぐ) *R.E.M. の曲。(1992)



2005年06月05日(日)  I Want To Tell You

髪をオレンジ・ブラウンからアプリコット・ブラウンに変える。髪の色を変えるのは久しぶりだ。赤からシャンパン・ピンクに変え、最近はずっとオレンジ・ブラウンだった。
赤は懐かしいな。黒を抜かずに染めたから、夜遊び中には黒に見えた。オールして朝の光の中で見て初めて「あれ? 髪、赤かったんだ」と驚かれた。カラーの上から赤のマニキュアもしていたので、珍しく日中に出歩くと艶やかな赤になった。

高校の頃は、上京したら髪を真っ青にしてやろうと思っていたが。結局やらずじまいだった。今では単に青は似合わないと判っている。
私は流行に興味がないどころか反発心すらあるので(店員に「これ今売れてますよ」と言われると一気に買う気をなくす)、当然ファッション情報は一切なく、おかげで若い頃は、今思えば結構趣味の悪い格好をしていた。私は他人のやることには口を出さない主義なので、もしも20歳の私に会ったとしても、先の人生のことに関しては何も言わない。でも、「もっと痩せろ」、「服装を何とかしろ」、「髪型を何とかしろ」の3点は言いたい。
ああ、あともうひとつ、とても大切なこと。「結婚式のメイクは絶対に式場の美容室に任せないこと」――自分でやったほうがマシだったわ。ったく。

I Want To Tell You (言っておくわ) *The Beatles の曲。(1966)



2005年06月02日(木)  So she do what she do

昨日エアーズから届いたキルズのDVDを見る。オフィシャルDVDの発売がもう3ヶ月も遅れているので、待ちきれずに関係ないブートを購入したのだ。2005年のTV用のスタジオ・ライヴと、2003年のライヴハウスの映像(オーディエンス・ショット)。
オーディエンス撮影には懲りているし、ましてこれはオーディエンスとしてもランクは中、しかも白黒。だからこれが他のバンドならまず買わない。でもキルズに限っては、モノクロだの荒い画像だのがぴったり合う。
そもそもVVやホテルが色鮮やかな衣装なんか着るわけないしね。

思ったとおり、スタジオ・ライヴ(わりとちゃんとした服装で、二人の絡みは少なく、VVが煙草を吸ってない)なんかより、ライヴハウスでの演奏の方がずっといい。
けれど2003年夏のライヴなのに、私の見た2002年の12月に比べると既に少し荒さが取れてきている。
あの時私は、最初VVを男かと思った。前に垂らした髪の毛で、顔が完全に隠れていた。VV以外の人間がやったら相当間抜けに見えただろう。
あの時点では、もしかしたら二度とキルズを見る機会はないかもしれないと思っていた。(場所がロンドンだったし、まだデビュー前だったので) だから私はVVの動きを食い入るように見ていた。こんなの今までに見たことがない。がちがちに硬いお人形。直線だけで出来た体と動き。
キルズは、音楽というより融合作品だった。二人の人間がいるとは思えない。場を巻込んでひとつになっていた。

思えば、「ギターと二人でもいいんじゃん」という発想はあの時に生まれたのかもしれない。

バンド名が「ザ・キルズ」で、代表曲のタイトルが"Fuck The People"―――このバンドにしか許されないわ。

So she do what she do (彼女は自分の流儀でやる)  *Gypsy Death & You / The Kills (2003) の歌詞。



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