2005年02月28日(月) |
But Mondays were never really my ideal |
早朝、詩を書いた。2/5に書いたのが"morning star"で、今日書いたのが "shooting star"だ。BGMはスマッシング・パンプキンズの「1979」で、この曲は最初から"shooting star"(流星)のイメージだった。
とはいえ。やはりこの二つが連作だってのは否定出来ない。
輝いていた"morning star"夜明けの金星)が墜落する詩――――。
昨夜はお店になかむらさんが、年下の彼と来てくれた。何と前日入籍したんだと言う。
爽やかで可愛らしい彼だった。フランク・ザッパが一番好きだとか。うーん、私が思いっきり食わず嫌いしているあたりだなあ。だっていっぱいあって面倒そうでw
日本語をしっかり喋るところが好印象。「重複(ちょうふく)」って口に出して言う人は稀だもの。早急(さっきゅう)、憧憬(しょうけい)、情緒(じょうしょ)、消耗(しょうこう)、独擅場(どくせんじょう)――皆さま、普段ちゃんと正しい読みで言えてる?
今夜は久しぶりにHYに、閉店後に中華料理をご馳走していただいた。彼とも別れたし、セッションも終わったし。ちょっとくらい食べちゃってもいいか。
というか。昨夜の出来事のせいでストレスが溜まって、やたらと食べたい。
今日は二人で4品取った。いつも来るこの店はとにかく量が多いのだが、今日初めて焼きそばを頼んでみたら洗面器一杯ぶんくらい出てきた。げっ、と思うが、普通に食べる。
どうして私って、太りたくなくて普段一日一食(しかもパン1個とか)に抑えているのに、絶対に胃が縮まないんだろう。おまけに辛いことがあると自動自己救済装置が働いて、食べ始めるという有様。
理想としては、恋が終わったんなら美しく痩せ衰えて死んじまいたいなあ。
But Mondays were never really my ideal (でも月曜は理想どおりにいったためしがない) *Alien / Japan (1979) の歌詞。
2005年02月24日(木) |
きみなしでは生きられない |
オーナーと話をして店を出たらまっぴーから電話があったので、午前2時から2時間スタジオ入り。
26日の為の一回きりのリハというわけ。アコギで3曲やるのだが、まっぴーがオアシスとRCサクセションをやろうと言ったので、「いいよ」と即答。曲もほぼ向こうのいうままに決めた。どっちも今まで歌ったことないけど。ま、何とかなるだろ。セッション大会だし。
まっぴーはリハ後にうちでコーヒー飲んで、5時半帰。
夜は雪になる。今年は本当に雪が多いな。
午前3時近くに、厚底ブーツで雪を踏みしめて帰る。雪は好き。世界がきれいになるから。
前回の雪の日は、二人で歩いて帰った。彼は少し酔っ払っていた。
あの日はまだ二人一緒で幸せで。今は一人で歩いている。
彼の言った言葉を思い出す。私がいなくては生きていけない、と。
あれはもう、雪融けのように消えてなくなったんだろうか。
悲しいのではなく、何となくうす甘い気分でそれを思い出す。
きみなしでは生きられない *スプリンクラー / 矢野顕子 (1992) / 山下達郎 の歌詞。
2005年02月23日(水) |
Driving that train, high on cocaine |
IC(g)と19時に渋谷で待合せ。の、筈が。
30分遅刻。初待合せだってのに。って、私いつも初で遅刻してるっけ。
最近お店も毎日遅刻だ。(オーナーはいい加減な人なので、何時に開こうが全く文句を言わないが)
実は私は遅刻したくないのである。遅れて目的地に向う時はいつもかなりじりじりしている。なのに遅れる。どうもこれ、前から言っているけど本当に心理的障害か何かあるかもしれない。だとしても何が許されるわけでもないが。ひとがいちいち「私は鬱病なんです」、「私は性同一障害なんです」と言い出したらキリがない。皆忙しいんだよ。いいから早く行け。
ベトナム料理のお店で食事。珍しくキューバ・リブレなんか飲む。たっぷりゆっくり食べてたら時間がなくなり、最後にベトナム・コーヒーが飲めなかったのが残念。(それは私が遅刻したせいでは・・・)
映画「フェスティバル・エクスプレス」を見に行く。私はこの映画の存在すら知らなかったが、何でもプロモーターと映画プロデューサーのいざこざで映画化がご破算になった挙句、この30年間フィルムの所在すらわからなかったという。
内容はといえば、1970年(私の大好きな'70年!)にトロントからカルガリーまでロック・ミュージシャンを満載した列車を走らせ、各地で途中下車してはコンサートをするという、ドキュメンタリー・フィルム。・・・冗談でしょう?と言いたいような企画だ。なんてまあ無茶な。クレイジーな。なんてまあワクワクする。
案の定行く先々でトラブル。タダで入れろとの抗議行動(市長自ら要求したケースもある。馬鹿か?)も起こる。ミュージシャン側もヒステリックになったりする。興行的には成功とは言い難い。
しかし演奏そのものは素晴らしい。
ジャニス・ジョプリンの Cry Baby ――何故かカメラがジャニスに寄りっぱなしで、ずっと顔のどアップ――ブッサイクなことこの上ないのだが、歌を聴いているうちにこれがうっかり美人に見えてしまうほどの物凄さ。
何考えてんの?と言いたくなるほどの力の入れっぷりに、1曲聴いただけでぐったり疲れた。たかが1曲にこんなに全身全霊を傾けていたら、コンサート2時間とかやったら死ぬだろう?!
―――実際ジャニスは死んじゃうのだ。この3ヵ月後、ライヴ直後に。
バディ・ガイ・ブルース・バンド。初めて見た。何度かここにも書いているが、私はブラックが全然ダメ。それでもこの人の歌とギターには参った。手に掴めるような「本物」だ。
ザ・バンド。・・・・・かっこいい。
普段は'76年の Last Waltz の映像ばかり見慣れているが。6年前のこの映像はまた、全く違う。リックやガースはそれほど変わらないが、リチャードは妙にとんがっていて迫力がある。リヴォンの叩き方はフォームが全然違っていて、'76年は、くわえ煙草でゆったりと、男臭いグルーヴ感たっぷりに、手首のスナップもやわらかく、時々右肩をくいっとあげて叩くが、'70年のそれは何というかもっと余裕がなくて、それはそれで緊張感があって悪くない。
ロピーは見た目から声からまるで別人。ただしあの硬くて色っぽい独特のギターの音は同じ。
―――ああ、とにかく。涙ものの'I Shall Be Released'――――
ライヴも素晴らしいが、列車内の風景もたまらない。
べろべろに酔っ払ったリック・ダンコ(おそらくドラッグもやっている)がアコースティック・ギターをかき鳴らし、隣ではやはりご機嫌のジャニスが歌っている。グレイトフル・デッドのジェリー・ガルシアも横に座って一緒に演奏している。
エリック・アンダーソンのインタビューが挟まる。「ベッドに入って1時間もすると、自分が損しているような気分になって眠れなくなり、また起きて演奏に加わってしまう」
お酒が切れる。プロモーターは、嫌がる鉄道会社側に「最寄り駅で止めろ」と命じる。「これは非常事態だ」と。まるで列車を酒屋の前に横付けするようにして、ディスプレイ用のカナディアン・クラブまで根こそぎ買い込む。誰かがその中にLSDを混ぜる。列車中がぐらぐら揺れて回りだす。
ワンダフル。
ところで。最初から列車内で一番存在感が際立っていたのがデラニー&ボニーのボニーなのだが。デラニーはシルヴィア・タイソンらとのセッション場面があるものの、ボニーは歌っているシーンが一切ないのだ!
しかし時折他のバンドの演奏シーンで、客として楽しんでいる彼女が映るだけでも、なんとも可愛くてしょうがない。
ストーリーも何もなく、ただえんえんと演奏シーンが続くだけの映画だ。少しはダレるかもしれないと思いきや。エンディングのクレジットが出た瞬間、「もう終わり?」と声に出してしまった。それほどあっという間の1時間半。
興奮冷めやらず、音楽が聴き足りず、久しぶりにロックバーB.Y.G.に行く。リクエストは勿論ザ・バンド。山ほどかけてもらって幸せ。
帰りにバーSCの前を通ったら、オーナーが中にいる気配。一度は通り過ぎたが、やはり思いなおして戻り、話をする。もうかなり長いこと会っていないし、携帯は通じないし。
昨日のレジのお金の話をしたら、爽やかな笑顔で「悪い悪い」と言われた。・・・明らかに私のお金だと知ってやがったな。
Driving that train, high on cocaine (列車を走らせ、コカインでハイになる) *Casey Jones / Gratful Dead (1970) の歌詞。
2005年02月22日(火) |
愛するために愛してる |
昼にロック・オデッセイのDVDを見る。HAPPYさんが貸してくださったもので、本来はフーを見たくて借りて、フーとポール・ウェラーは土曜に見た。今日見てるのはエアロスミス。
・・・か、かっこいい! 私が最後にライヴを観た'02年より明らかにかっこ良くなっている。
スティーヴン・タイラーがあの発声でいまだにこんなに歌えるのは奇跡的だと思う。どういう喉をしてるんだ。
ジョー・ペリーかっこいいなあ。若い頃より今の方がかっこいいくらい。そんなミュージシャンって、あとは元ガンズ(現ヴェルヴェット・リヴォルヴァー)のダフくらいだわ。
SR(vo)が初来店。「彼氏と別れちゃった」と言ったら、「彼氏いなかったじゃん?」という。
うん、前にあんたと会った時には影も形もなかったわw
正直言うと、出会った頃はSRの口説きがかなりうざったかった。けれど何だかんだ言ってもう2年くらいのつきあいになる。それって結局は彼が根はいい奴だからなんだよなあ。最近そう思うようになったわ。
私は基本的に「愛する生き物」だ。時には自分を嫌っている人間にまで愛情がわくことすらある。というか、感情の深い交流を大事に思っているので、敵意や憎しみもそれに該当するのだ。
実は、憎むより愛する方が遥かにラクだ。そしてこちらが愛してしまえば、大抵の人間はこちらを憎み続けるのは困難になる。
愛するために愛してる *わたしたち / 矢野顕子 (1987) の歌詞。
2005年02月21日(月) |
You never give me your money You only give me your funny paper |
OC(drs)ご来店。26日のセッションでやる曲を今頃渡す。
3曲中の1曲を聴いて固まるOC。何しろ私ですらやったことないほどの「どパンク」なのだ。まあ、ホールの曲なんだけど。OCは前にもホールは何曲も叩いてくれて、結構気に入ったりもしていたのだが、今回のは確かにかなりコートニーがキレてる曲なんだよねえ。
無理ならやめようか?と言ったが、頑張ってくれるとのこと。ご迷惑おかけしますw
HYから穴子鮨と鯖鮨の差入れ。私が昨日「彼氏と別れたから何か食べさせてくださーい!」って能天気なメールしたからねw 三人で食べる。
0時にIchiroさん(g)ご来店。土曜に初来店してくれた方。
一昨日と同じで4時まで楽しくお喋りしたが、一昨日と違うのは、彼は翌朝6時起きで仕事だってこと。・・・うわー、申し訳ないです。
Ichiroさんと一緒に楽しく飲んで、いい気分で帰ってしまい。
大変な失敗をやらかしてしまった。レジに自分のお金を置き忘れたのだ。(いつも自分のお財布からレジにお金を入れ、帰りに持ち帰るのだが) しかもそんな日に限って帰るなり寝てしまった。
10時に目を覚ました瞬間に自分の失策に気づき、慌てて店(うちから徒歩3分)に駆けつけるが、既にレジはカラ。「ありがとう! ガス代払ってきます」とオーナーからのメモ。・・・あーあ・・・・・。
* いつもタイトルは工夫してるけど。今日のタイトル、かなり上手くない??
You never give me your money You only give me your funny paper (オーナーはいつもお金はくれないくせに、ふざけたメモばかり置いていくのよ!) *You Never Give Me Your Money / The Beatles (1969) の歌詞。
2005年02月20日(日) |
元気でいるから安心してね |
Ronnyにメールを送る。これを送れば私たちは終わりになる。そういうメール。
夜、返信が来た。いわば言い訳だったので、きつく短く反論。そしたら「うん。ごめん」 という返事。
これは彼のいいところだ。本当のことである限り、けして見苦しく言い張らずに認める。
本当のこと。私がずっとこの日記にRonnyのことを詳しく書いてきたのは、彼が書いてもいいと言ってくれたからだ。逆にこっちが「書いてもいいの?」と驚いたりした。何度か「消そうか?」と言ったが、「本当のことなので消さなくていい」、「いい日記だ」、「読むと嬉しい」と言ってもらった。
嬉しかった。周囲に私とのことを隠す気がないというのもあるが、それ以上にこの日記を認めてもらったというのがある。
私 Screaming Bunny は、 2002年8月27日に生まれた。別居中のダンナが失踪して(結局は10ヶ月間私のうちの周りにいたのだが)、眠れなくなり、下着が体から落ちるほど痩せ、そんな中で私は書き始めた。
それ以来、私は自分という存在をずっとこのキャラクターに喰わせてきた。知り合って2年間(実際に会っていても)私の本名を知らない人間も多い。
ネット上の私は 架空の人物である。この日記にどれだけ本当のことしか書かなくても、これは虚構だ。
その虚構が、架空のキャラクターが、私を音をたててばりばりと喰う。
仮面がはずれなくなって、私がいつの間にか Screaming Bunny の顔になる。
そしてひとは自分の顔に責任がある。
幾人かの友人に「別れちゃった」とメール。「辛くない」と書いたが、それでも心配した返信をいくつかもらった。
夜にママ(友だち)から大丈夫か確認のメールが来たので、不思議なほどラクな心境であることを伝えた。そしたら返事が、「それなら安心した。Bunnyが泣かなきゃ私は良いんだぁ」・・・にかっと笑った絵文字つき。
私が何をしても批判しない。だけど泣いた時には無条件で慰めてくれる。それこそ私の考える「友だち」だ。
有難う、ママ。
元気でいるから安心してね *突然の贈りもの / 大貫妙子 (1978) の歌詞。
2005年02月17日(木) |
Do what you want |
昼にRonnyが友人と飲みに出かける。早い話が私との関係を反対されに行くのだ。そうと承知で笑顔で送り出す。
どうやら彼の周囲では私の評判が非常に悪いようだ。だとしたらそれはRonnyのせいだと本人に言う。私は実際に私の力で、XXの彼に対する悪い評価を逆転させた。彼にはそれが出来ない。今日も友人の意見をまるまる受け入れるだろうというのは目に見えている。
夕方、泥酔して戻ってきた彼は、案の定他人の意見にかなり影響を受けて動揺していた。自分の考えをきちんと持っていないからそういうことになる。
そもそも彼は最初からずっと、奥さんに対して攻撃ばかりしている。(先週土曜に何があったのかとても書けないが、あれなどはほぼ「暴力」と同義だ) あちらから別れると言われても不思議はない状況をどんどん作っているのだ。それは要するに、ヒトに決定してもらおうという卑怯な態度だ。
私に決定して欲しいのかもしれないが、泣いて奥さんと別れてと言うなんて死んでもお断りだ。
ところで。彼の周囲で私がどのように評判が悪いのかのポイントはわかっている。それに対して反論したくもあるが。
逆に、その悪評を更に増すであろうことを書く。
私は、男を愛すると全てを受け入れようとする。例外は浮気くらいで(それは愛の欠如を意味するから)、それ以外なら私は、愛する男が人を殺しても許すと思う。
ひとは、 ひたすら自分を承認してもらいたい。特に男は弱いから、その気持ちが大きい。そして私に愛された男は、生まれて初めてそれが充たされる。なので彼はもう、何に対しても努力をする必要がなくなる。
結果どうするか。彼は今まで自分を他者に認めさせるためにやってきた全てのことを、平気で手放し始めるのだ。
私の元ダンナは、詳細は省くが、結果だけ言うならば今はアル中がたたって歩けない。障害者も同然の状態だ。
「リービング・ラスベガス」という映画がある。アル中で会社をクビになった男が、酒の飲みすぎで死のうと決心してラスベガスへ行き、そこで出会った娼婦と同棲を始める。娼婦は彼を愛するが、彼のやることに干渉しないという約束を守り、黙って彼が緩慢な自殺を遂げるのを見ている。
'96年の公開時にこれを劇場で見た時は、生理的に不快だと思ったが。
私は最後の最後でダンナを見放し、彼を家から追い出した。実家に戻った彼は半年後に失踪し、結局(後からわかったが)その後10ヶ月間、私の住むうちの周りをうろうろしていた。彼が再び姿を現したとき、私は既に彼とやり直すのは不可能な状態になっていた。
だが、彼の失踪後に私は、自分自身が一度これまでの人生を全て捨ててみて、そして思った。
私は彼を最後まで受け入れれば良かった、と。 彼と一緒に一番下まで堕ちれば良かった。そうしてあげたかった。今ならそれが出来る。
要するに、それが私の恐ろしさだ。
ヨシト(g)は最低の男だったが、彼だけは唯一この恐ろしさに気づいていた。いつも一生懸命これに飲まれまいとしていた。口に出してそう言っていた。
思えば私が彼を唯一評価していたのはそこだ。
Ronnyに、「私はあなたが仕事も家庭も全て失った時に、あなたを受け入れる覚悟はある」 と言った。彼はその言葉に感激した。
でも、あなたは私に受け入れられる覚悟はあるの?
ずっと二人きりでいたい、外出したり他人に会うのが嫌だと言う彼。
完全に自分を見失っていく彼がいて、私はそれを黙って見ている。
Do what you want (あなたがしたいようにして) *Boys On The Radio / Hole (1997) の歌詞。
今日はRonnyの休み(イコールうちの店も休み)。
彼は本当は午前中に来る筈だったが、奥さんと話し合うことになったので遅くなるとのこと。まあこちらも夕べはオールだし。
そのまま寝ずにお洗濯などしてだらだら過ごす。
もう今日はNakeesのライヴは無理か、と諦めかけたが。彼が無理して駆けつけてくれた。新宿で待ち合わせて、京王線で永山へ向う。最後はオサムさん(vo,g)に車で迎えに来てもらい、演奏前ぎりぎりに間に合う。
オーガニックのカフェレストランといったところか。ペンションぽい雰囲気。私は最前列で、バンドはすぐ目の前。同じく最前にくまちゃんとひろりん。ひろりんは何だか縮こまって固まっている。兎が知らないところに連れていかれて抱き上げられた時にそっくり。白石さんと喧嘩でもしたかと思いきや、後で聞いたらこの場所の「健康的」雰囲気がカンに障っていたらしい。
私も本来はそういうのが気になるほうだが。今日は全く感じなかった。要するに左隣に座っているRonnyの存在が大きくて、ほぼ何もかもに薄いフィルターをかけていたと見える。
「マーマレード・ママ」で軽快に始まる。ハコの不自然さも客の異常な近さもものともせず、力まず手を抜かず完全に自分たちのペース。さすが。
今日は私ちょっと反則技に出た。オサムさんの顔をひたと見据えながら(これはいつものことだけど)、一緒に(声は殆ど出さずに)歌ったのだ。もうNakeesのライヴも7回目。オリジナルの歌詞はかなり知っている。だけどボーカルにしてみれば、これってかなりやりづらいんだよね。歌詞を間違えそうになるかもしれない。なので全部は歌わないようにしながらもちょこちょこ歌った。
お客のリクエストで仕込んだらしいジョン・デンバーの Country Roads も一緒に口ずさんでたら、オサムさんがマイクをくれたので歌った。キーが合わないからコーラス・ラインなども混ぜて歌った。
後から知ったが、この時神経が苛立ってキレかけてたひろりんが、私が歌ったことでラクになったらしい。だったら良かったわ。
しかし私の見る時って何故かべースアンプのトラブルが多い。今日も途中で取り替えるハメに。NOGGYくん(b)が上手いのはいつも通りだが、今日はちょっと音が控えめに感じたなあ。被り物をしてるせい?w せっかくの渋い音、もっとばりばりに響かせていただきたいところ。
そして最近ドラムのレッスンをしている我が身としては、白石さん(drs)のドラムはもういちいち感心するばかり。シンバルの使い方がかっこ良くてしびれたわ。
今日のオサムさんは声ののびがよかった。「蜜の川」のサビ、「きみと僕の間にある 深くて長い川」のアタマの部分で実感した。
今日は一度は来れないと諦めたのだが。その時この歌のこの部分が頭の中をぐるぐる回りだして、何だかじりじりしてしまった。
結局来られて良かったなあ。一緒にいいライヴが見られて嬉しかった。
小田急で新宿へ。ストーンとGOTZへ行くつもりだったが。
電車でずっと彼と話した。離婚が話題なのでどんどん重苦しい雰囲気になるのだが、何故か話せば話すほど二人の仲が濃密になる。新宿に着く頃には二人ともすっかりロック・バーに行く雰囲気ではなくなっていたので、そのまま荻窪へ。うちの近所の居酒屋で軽く飲んで帰る。
考えてみれば、彼と一緒にお出かけするのは今日が初めて。
当然、待合せも初めてだった。そして私が先(待合せ10分前)に着いたという驚嘆すべき事実を記しておくわw
まだ、つきあって、たったの18日め。
愛しいひとと行こう *4126 / Nakees (2003) の歌詞。
2005年02月09日(水) |
Time goes slowly |
まるちゃん、Nariさん、CAKEくん(福岡から上京)、中野さん(中国から一時帰国)がご来店。CAKEくん、中野さんとは実際に会うのは初めて。
CAKEくんはコーガンズというバンドのギタリスト。博多弁もセクシーな黒ずくめのいい男。一見ジョニー・サンダースみたいなのばかり聴きそうに見えるのに、実はかなり間口が広くて、BLACK AND BLUEのマスターが私の為に編集してくれたCDの中からシーナ・イーストンの Morning Train をリクエストしたりする。
一方中野さんは29歳なのにオールド・ロックに非常に詳しく、私がネットを始めたばかりの頃に彼のサイトを検索で見つけ、レオン・ラッセルのレビューにいたく感動して以来、たまにbbsにお邪魔させていただいている。
ちなみに彼、結構最近まで私のことを男だと思っていたらしい。「発言が男らしかったから」 というのだが、こんなハンドル・ネームの男がいたらイヤじゃないか?w
今日初めて知ったのだが、何と中野さん、ロックを歴史的に古い順からじっくりと聴いているので、新しいものを全く知らないんだと言う。「今ようやく1976年あたりです」だって。うわあ、やっとザ・バンド解散ですか。「ロックは死んだ」どころか、パンクがまだ生まれてないぞ。早くしないと中野さんが聴かないうちにミュージシャンが皆死んじゃって現役じゃなくなっちゃうよ。
中野さん、「いつかはニルヴァーナとかも聴けるのかなあ。その時カート・コバーンが死んだことにショックを受けたりして」 だってw
すごく楽しかったんだけど。実は私、今夜は具合が悪かった。
午後にRonnyがメールで喉が痛いと言った時、私も喉が痛かった。私たちはしょっちゅう同じ行動をしたり(ちょうど今起きた、とか)、同じことを同時に考えることがあるが、何も風邪まで一緒にひくことはないだろうに。
夕方彼が熱があると言ってきた。じゃあ私くらい元気でいようと思ったのだが、どんどん体調が悪化し、最後は立っているのも辛いほど。
おかげで普段に比べてかなりテンションが低く、せっかく初めて会うCAKEくんや中野さんと存分にお喋りが出来なかった。残念。
帰宅して翌朝には大分良くなった。何だったんだか一体。
Time goes slowly (時がゆっくり流れてる) *Morning Train / Sheena Easton (1981) の歌詞。
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