Rocking, Reading, Screaming Bunny
Rocking, Reading, Screaming Bunny
Far more shocking than anything I ever knew. How about you?


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*名前のイニシャル2文字=♂、1文字=♀。
*(vo)=ボーカル、(g)=ギター、(b)=ベース、(drs)=ドラム、(key)=キーボード。
*この日記は嘘は書きませんが、書けないことは山ほどあります。
*文中の英文和訳=全てScreaming Bunny訳。(日記タイトルは日記内容に合わせて訳しています)

*皆さま、ワタクシはScreaming Bunnyを廃業します。
 9年続いたサイトの母体は消しました。この日記はサーバーと永久契約しているので残しますが、読むに足らない内容はいくらか削除しました。


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2005年01月24日(月)  I'm Not In Love

私は、他人に好意を示されると簡単に喜ぶ。例え相手がどんな人間でも、好意がエスカレートして迷惑の粋に及ぼうとも(実際よくあるけど)、その迷惑行為に腹を立てながらも、基本的にその人が私を好きなんだということに対しては感謝する。人が人を好きというのは、有難いことだから。
だからその「好き」が恋愛感情で、それに応えられない場合は多少自分も辛い。
だけど、そんな私が唯一その恋愛感情に対して極端にドライになる場合がある。相手が「僕は別に君のことなんか好きじゃないよ」という態度を取る時だ。

私は、ほとんどあらゆる人間を許容する。体や心の障害の有無、前科の有無、出自、経済力、性癖、教養の程度は、私が他人を受け入れる障害にはならない。だけど、嘘つきだけは駄目だ。嘘からは何も始まらない。嘘は薄汚く、誠実でないだけでなく知的ですらない。
私は「虚構」は大好きなのだ。文学は美しい虚構だし、恋愛は甘い妄想だ。大阪人が「面白かったらええやん」という理屈で、他人の母親の話を「うちのおかんがな」と話すのも「あり」だ。
「嘘」というのは、保身の為に他人を騙すことを言う。「君なんか好きじゃない」の根底にあるのは紛れもなく恥をかきたくないという保身だ。それに対しては私は容赦ない。要するにあなたにとっては、私という人間より、つまらない見栄の方が上ってことだもんねえ?

そして、「君なんか好きじゃない」は、好きな相手を含めて周りじゅうに簡単にバレる。大抵は最初から丸見えだ。本人だけが、周囲を騙しおおせている気でいるのがまたみっともない。

だからね。あなたは完全にやり方を間違えてるのよ。
私は捨て身で来る相手には結構弱いのにね。
(この文章、はっきりと二人の人間に向けて書いている。でも決して「俺のこと?」と訊かないでね。あなたのことだから)

10ccの'I'm Not In Love'は、この世で一番女々しくて、美しい曲だ。この詞の中で男は虚勢を張ってみせているようで、実は確信的に本音を垂れ流している。歌詞を翻訳したら、全部「好きだ。好きだ。好きだ」になるだろう。
だから途中で女の声が、"Be quiet. Big boys don't cry."と言うのだ。要するにこの男は泣いてるのよ。

I'm Not In Love (恋してなんかいない *10cc の曲。(1975)



2005年01月23日(日)  Someday you will ache like I ache

昔一度音楽雑誌のグラビアで見てから、ずっと記憶には残っていた。派手で思慮が浅そうでロックを地で行っている感じ。顔がいい。キスをする為の唇。
コートニー・ラヴ
リアルタイムの情報が一切ない私は、1998年にも当然ホールのヒット曲"Celebrity Skin"すら知らずに過ごしていた。
ようやくちゃんとホールを聴いたのが2002年。自分用にカスタマイズしたネットラジオのお薦めで"Phonebill Song"がかかった。(私ならこれが好きだと思ったらしい。偉いぞネットラジオ)
コートニーが、"I could really fuck you up, yeah!"と叫んだ瞬間、あまりの爽快さに笑ってしまった。

今日は家に篭って、ホールのブート・ビデオを見る。1999年、オーストラリア、"Big Day Out"───コートニーが乳出しをしたので有名なライヴだが、実際そこはどうでもいい。エロティシズムなんか微塵もない、堂々たる乳出しなので。

色っぽい目つきのコートニーが、煙草を吸いつつ、とろんとした声で言う。「聖書にはいいことが書いてあるのよ。人を殺しちゃいけないとか。・・・人の旦那と寝ちゃいけないとか」
そしてくっくっと含み笑いする。彼女自身が当時、人の旦那と寝てたのだ。

1曲目は"Violet"。歌いだしの"And the sky was made of amethyst"の時コートニーはマイクの前にいない。ギターかき鳴らしたノリでうっかりどっかに行っちゃったのだ。ふと気づいて慌てて戻り、"...amethyst" と歌う。・・・あり得ないわ。多分、酔払ってるんだろう。
"Spin a lie in your mind, you're mine"と歌う前の、ピンクのライトに照らされた上目遣いのコートニーの顔。この数秒間の顔。
私は今までこんなに綺麗な女の顔を見たことがない。
これは、女として生きることを全身で引き受けた女の顔だ。
この顔を初めて見た時から2年間、私はずっと、この顔になるのだけを目指して生きてきた。顔とは自分でつくるもので、人はその顔に責任がある。あの理想の顔にはほど遠いが、おかげで私の顔はこの2年で驚くほど変わった。

"Malibu"を歌い終わる瞬間、何とも切なそうな表情をする。

彼女は母性的に笑う。慈愛溢れると言わんばかりの微笑。そして汚い言葉を吐き散らし、怒鳴り、睨み、叫び、ギターを弾いて歌う。しまいには胸まで出してみせ、オーディエンスは興奮のあまり上ずっている。
この女が家に帰った時に独りでいることを誰が想像するだろう。
彼女はステージ上の躁が、帰宅後の鬱として跳ね返ることを知っている。その報復を知っているから、ステージで時折あんな切ない顔をする。

それは、「虚」に魅せられた人生だ。いつかは無理がたたる。いつかは折れる。燃え上がる。それが怖いから、どこかで降りてしまいたい。でもまだ降りていない。
あの顔がこちらを見て言う。あなたもそこにいるの? 早くやめないと。いつか私のように泣くよ。
いつか私のように擦り切れて泣くよ。

Someday you will ache like I ache (いつかあなたも私と同じ痛みを知る *Doll Parts / Hole (1994) の歌詞。



2005年01月20日(木)  To be on your own

カーター・ディクスン著「わらう後家」読了。ずっと持っていたけど今頃読んだ。うちの本棚には常に未読本は200冊くらいある。本だけは、読む気になった時にしか読めないので、こういうことになる。

しかし。カーター・ディクスン(J・D・カー)は50冊(つまり翻訳で通常入手可能なものはほぼ全部)読んでいる筈だが。
かなり久しぶりに読んで、こんなにしょうもなかったっけ?と思った。この人物が犯人である必然性が何もない。探偵はあてずっぽうに見当をつけているだけ。トリックはちゃちく、展開はだらだらして、ラストの謎解き部分は短くて盛上がらず、解決も安っぽい。
実際一番力の入っているのはH・M卿のユーモラスな人物描写で、ミステリーではなくファースでも読んだ気分だ。
カーはこんなではなかった筈だ。この作品がひどいんだろうな。

またエラリー・クイーンのようなミステリーが読みたい。論理的で衝撃的で感傷的。
法月綸太郎だけがその感性を受け継いでいる気がする。

勢古浩爾の「ぶざまな人生」を読む。彼の本は4冊目。前の3冊は面白かったが、ここに来て飽きた。結局何冊読んでも同じことの焼き直しだ。引用に頼りすぎなのは前からだが、文章が荒れて品がなくなっている。
ただ一箇所良かった言葉。「経験は蓄積しない。つねに強いのは現在である」
全く同感だが、この単純な事実を正面から認められる男が果たしてどれだけいるか。男性の大部分が、経験が蓄積してくれることだけを願い、それに頼って生きているではないか。
女性はそうは思わない。女性は、今日の自分を売るしかないからだ。

私には、ボブ・ディランLike A Rolling Stone の歌詞が辛過ぎる。
これは私の問題の全てだ。これが私の理想であり恐怖であり、恐ろしいことに現実にもなりつつある。

To be on your own (独りで *Like A Rolling Stone / Bob Dylan (1965) の歌詞。('02,11,18のタイトルとダブるが、やはりこれ以外にないので)



2005年01月18日(火)  Cry for no one

Ronnyさん(g)と、TACさん(vo)がご来店。朝5時近くまで飲んでくれた。
とにかくえんえんとロックを聴き、えんえんとロックを語るのだから、本当にロック馬鹿ってやつは。・・・え、もちろん私もよ。

すごく楽しかったな。お酒も久しぶりに気持ちよく飲めた。
で、何で二人が帰った後に、いきなり気分が落ち込んだのか、自分でも解らない。反動もあるのか。

グラスを一個、叩き割った。
で、泣いた。
何でよ。

暗い店の中で、1時間近く固まってた。軽い酔いのせいもあって時間感覚がなかった。

やっぱりアレかなあ。昨日のsoul survivorさんとの会話。
親しい人が亡くなった話が出た。で、私はちょうど数日前に考えたばかりのことを話した。どうしてそんなことを考えたのかわからないが、今現在の私にとって、死んで最も泣く相手とは元ダンナかもしれないと思ったのだ。
断言するが、彼とやり直すことはあり得ない。なのにそれでもそう感じた。
多分もうこれは、彼という個人とは関係なくて、私が自分の人生において決定的な損失を経験したということだと思う。
意識の上でそう考えたことはない。嫌がり続けた相手の意思に一切かまわず、自分から別れたのだ。離婚後もずっと私が好きだという彼に、「馬鹿じゃないの?」 と言ってきたのだ。

何となく感じてはいたけど。私はこの2年あまり、だんだんと弱ってきている。

数日前に、店の照明がひとつ、つかなくなった。常連さんが、「もうずーっと使ってたから、駄目になったんだろうね」 と言った。
そうね。もうこれ以上もたなかったのね。

Cry for no one (誰の為でもなく涙する *For No One / The Beatles (1966) の歌詞。



2005年01月14日(金)  Black Crowes Fly Again

何だか変なの。大好きな曲。聴きなれたギター。でも全く感動しない。
お店でブラック・クロウズジミー・ペイジのライヴを持ち込んでかけた。これを最初に聴いたときの感想は、「何だこりゃ。ジミー・ペイジ用のカラオケじゃん」 だった。クリス・ロビンソンは多少ロバート・プラントに声が似ているから、真似出来てしまうところがまた辛い。
後で知ったが、クロウズはこの企画は嫌がっていたらしい。だろうねえ。

今日最初に来たお客様も、「今かかってるの何です? 曲はツェッペリンみたいだけど・・・何か違う」 と言ってた。うんうん、そうでしょ。
この方、うちの店名が'Sad Cafe'だから入ってみたという。ドン・ヘンリーのファンだって。たまにそういう方が来ると嬉しいなあ。大抵はイーグルスの曲名だとは知らないもんね。

ところでブラック・クロウズが3月にN.Y.でライヴをするらしい。今のところその後の活動予定はないようだが。(そのライヴの反応次第だとか)

Black Crowes Fly Again *Rolling Stone Magazine ('05,1,12) のヘッドライン。



2005年01月11日(火)  E→A またはA/E

繰り返しの快感、というのは多いけど。これはその最たるもの。
1曲にバカはまりすることは多いけど。こんなにまでというのも珍しい。
スマッシング・パンプキンズの「1979」――――1997年のグラミー賞だというからややこしい。
思えばこれでもう2ヶ月近くこの曲にはまっている。店のCD(1997 Grammy Nominees)に入っていたので、家のPCにも入れてはあるが、とにかく出勤すると大抵これからかける。しかも連続で何回もかける。

始まった瞬間からうっとりとなる。何というか、ギターもベースもボーカルもドラムまでも、全てがユニゾンみたいな、不協音のない平坦な、ぬるい波間をたゆたう甘い夢。どこにも行かずに思考を止めて、ぼうっとして浮力に身を任せていると
And I don’t even care to shake these zipper blues
と、ビリー・コーガンが歌う。正直、詰めの甘いボーカルだと思う。でも、この微妙な感情の込め具合と抜き具合にはくらっとなる。ここからのサビの、人間の口が発する音の快感ときたら。

気づけばだんだんとベースがギターが手に手を取ってこちらに迫っている。ドラマーの心拍数が上がっている。
終わり頃になるともう、感性が鷲づかみにされて痛い。
コードは Emaj7 → E → A → F#m → B ――もろに私のツボだ。目眩がするような、エクスタシーの A 。

やはり決め手はこの曲作りの良さなんだろうな。
ビリー・コーガンはコートニー・ラヴとつきあっていた関係でホールの3rdに作曲で5曲参加している。(うち1曲は私の愛するMalibu) コートニー自身にも彼が作曲技術を叩き込んだとあって、ホールの3rdの曲のレベルは2ndに比べ遥かに高い。

E→A またはA/E *私の好きなコード。



2005年01月07日(金)  You've gone too far now I won't give in.

昼にネットをしていて、とあるbbsで紹介されていたサイト(あまり有名でないアーティストのライヴ音源を保存する合法サイト)の中にハニードッグスのライヴ音源を見つける。1997年と2004年、合計で28曲も!

ハニードッグスは、私が好きなバンドの中でも無名中の無名。相当のロック好きでも名前すら知らない。(私の周りで唯一「CDを1枚持っている」と言ったどるたんは、所蔵音源が数万枚のマニアだ) CDも入手困難(日本で買えるのは2枚だけ)で、他はオフィシャル・サイトから個人輸入していた。(届いたら思いっきりケースが割れていた・・・) そのオフィシャルですら在庫切れがある始末。
ライヴ盤はなく、オフィシャルにビデオの断片があるだけで、今までライヴは全く聴いたことがなかった。なので感激で目頭が熱くなる。キンクスの Picture Book なんてやってるし!
ちなみに私自身は2003年の10月に検索で間違えてひっかけたのだった。時々こういう運命の出会いがある。ロンドンで特に好きでもないプライマル・スクリームを見に行ったら、前座で出ていたザ・キルズ(デビュー前)とか。

ひかるちゃんご来店。ほどなくまるちゃん(♂)も。
まるちゃんにハニードッグスを聴かせる。気に入ってくれた様子なのが嬉しい。

しかし一方では。久しぶりのひかるちゃんとの会話にかなり苛々してしまう。彼女の凄いところは、何を話題にしていても、発言のひとつひとつが苛々の元になることだ。(飲物のオーダーすらそうで、ウイスキーのストレートというからストレート・グラスに入れようとしたら、不満そうに「氷入れてくれないの?」など) 全ての発言が、「何ひとつ知らないくせに知ったかぶり。そのくせ己の無知や間違いを絶対に認めない」で構成されている。
そんな彼女が、「ロックをお勉強したい」などと言って、店に来るたびに「何を聴けばいいの?」と言うのがむかつく。彼女はロックなんか全然好きじゃないのだ。自分が好きなものを聴けばいいだろうに。
今日も同じ質問をした。一体どういうのがいいのよ?と訊くと、「しんみり泣ける曲がいい」 という。勝手に何でも聴いて泣いてろと思った瞬間、まるちゃんが 「じゃあまずはメタリカですね。あとスレイヤー・・・」 などとメタルを並べ始めた。即座に一生懸命メモを取るひかるちゃんに、にこにこ顔で 「人の意見を信じやすい方ですか?」 だって。・・・すげえ。思わず唖然。そうか、ひかるちゃんはこう扱えばいいのか。なるほど・・・しかし私にはこれが出来ないんだよねえ。真正面から怒っちゃうんだ。

「飛行機で暴れたっていう女の人の曲を聴きたいんだけど。何ていう人?」 と訊くひかるちゃん。
「・・・おしえない」 と答える私。いくらコートニー・ラヴがデタラメな女だからって、そんな滅茶苦茶な動機でホールを聴いてほしくないわ。

まるちゃんが 「ビートルズは好きですか?」 と訊く。そうか、お勉強ならまずはビートルズ聴けばいいじゃん。そしたら彼女、「私ビートルズだけは嫌いなのよ!」 と言う。絶対にビートルズのことなんか知らないくせに、と言ったら、かなり詳しいようなことを言い張る。
よしわかった、メンバー名言ってみろ。 「・・・えっ、えーと、ジョン、と、ポール・・・」 パートは? 「えっ・・・ポールは、ギター」 はい、この話は終わりました。 「えっ、違うの? あっ、ボーカルだっけ」 ・・・ビートルズのボーカル、って口走る時点で、ビートルズを何も知らないと言ったも同然だわ・・・。 「あ、わかった、ポールはドラム」 ・・・おまえ、ベースっていうパート知らないだろう?!
この私がどうしても勘弁できない領域があるってのを察しろ!!!!
そもそもビートルズの名前が出た時点で、「私ビートルズに関しては厳しいよ」 ときつく警告したってのに!
それでもまだ 「うちに(母の)レコードあるもん!!」 と幼稚園児のような反論をするひかるちゃん。

この日記の読者の大半が彼女をかなり若いと思っているようだが、実は彼女は34歳なのだ・・・。

You've gone too far now I won't give in (これ以上勘弁出来ない *Vow / Garbage (1995) の歌詞。



2005年01月06日(木)  俺の存在を頭から否定してくれ

なかむらさん(♀)ご来店。私が1時間遅刻した為、ずっとベローチェで待っててくれた。ありがとう。ごめんね!

しっかし、なかむらさんてば。I.W.ハーパーのボトル入れてくれて、その場で7割飲んじゃうし。やろうと思えば1本飲めるそうだ。これは既に「ボトル・キープ」とは言わないな。ボトルを買ってるんだ。
ちなみに飲み方はロック。チェイサーは殆ど飲まなかった。相変わらず男らしいわ、なかむらさん。
彼女といい、友紀やひろりんといい、私の周りには男らしい女が多いな。一方女々しい男も多いぞ。今読んでどきっとした人、そう、あなたよw

今日のなかむらさんの持込みCDは、やはりPANTA、そしてスターリン。普段店では邦楽はご法度にしてるが、これはまあ特別。

遠藤ミチロウのソロはともかく、スターリンは久々に聴いた。かっこいい。
「嫌だといっても愛してやるさ」なんていうフレーズは、今なら「あ、ストーカーね」で片づけられちゃうんだろうな。現代には、ストーカーだのセクハラだの、以前にはなかった無味乾燥な「くくり」が多い。既に本来の言葉の意味から離れ、「捺印・処理済」のような機能をする「くくり」だ。
弱くて愚かな人間は、未知のものが怖い=嫌いなので、名前をつけて分類済みにしてしまうことで安心する。安心して見下す。
そして安直な分類は、エロ、猟奇、悪といったものを骨抜きにする。
その愚かな弱虫たちを「ひとくくり」にして、最盛期のスターリンのライヴ会場最前列にぶち込んでやりたいわ。
お前たちのファイルに入れられるものかどうか、じっくりとその目で見てみろ。

俺の存在を頭から否定してくれ *メシ喰うな! / INU (1981) の歌詞。



2005年01月01日(土)  わたしの中に 愛があふれる

新年初メールは明けて30分もたたないうちにママ(友だち)から。
愛してるわよ、ママ。今年も男関係は全部ママに愚痴るから、私が幸せになるよう見守ってね。

お年賀メールが携帯にもPCにもたくさん。皆ありがとう。
bbsにはお年賀書込みも。そして年明けからいきなりザ・キルズの話題で盛上ってる。グレイト。

何だか不思議と、年越しのあたりから他人への愛があふれる感じになっている。
親、親戚などに年始のご挨拶電話。元ダンナ宅にもかけ、元舅とだけ話す。
メールもお返事がついつい長くなる。もらうこと自体すごく嬉しい。
誰とも会わないのに、妙な充足感がある。今日はうちから一歩も出てない。

わたしの中に 愛があふれる  *わたしたち / 矢野顕子 (1987) の歌詞。



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