Rocking, Reading, Screaming Bunny
Rocking, Reading, Screaming Bunny
Far more shocking than anything I ever knew. How about you?


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*名前のイニシャル2文字=♂、1文字=♀。
*(vo)=ボーカル、(g)=ギター、(b)=ベース、(drs)=ドラム、(key)=キーボード。
*この日記は嘘は書きませんが、書けないことは山ほどあります。
*文中の英文和訳=全てScreaming Bunny訳。(日記タイトルは日記内容に合わせて訳しています)

*皆さま、ワタクシはScreaming Bunnyを廃業します。
 9年続いたサイトの母体は消しました。この日記はサーバーと永久契約しているので残しますが、読むに足らない内容はいくらか削除しました。


この日記のアクセス数
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2004年12月31日(金)  alone

昼にヨナフィ(g)に電話して、深夜お店に来てもらうことに。去年同様、今年も親友と年越しをしようというわけ。
ところが電話を切ってから、窓の外を白いものがぼたぼた落ちていくのに気づいた。うわ、また雪だ。しかも今度はすごい。積もってる。
こりゃ呼びつけちゃ可哀想だ。夜に電話して無理に来なくていいと伝える。もともと作曲の仕事で修羅場中だしね。

大雪のせいで、来る筈だった友人たちが皆来ない。それをいいことにお店も0時直前で閉めてしまう。(0時過ぎに来ると言ったお客様もお断りしてしまってごめんなさい!)
年越しの瞬間は、玄関でブーツを脱いでた。あとで父にそう言ったら、「寂しいねえ・・・」と茶化されたがw

ヨナフィに会えなかったのは残念だが。年越しが独り、というのは何となく「演出」っぽい気分だった。絶対に誰かといたいと思えば、いくらでもどうとでも出来たが。
でも、大雪に気づいた時から、何となく、静かに独りでいようという気分になっていた。

おそらくだが、年越しの瞬間に独りというのは、生まれて初めてだ。
2002年には、誕生日になる瞬間に独りというのを初体験した。0時の瞬間にはベランダで洗濯物を干していたのだ。('03年と'04年はひとと一緒だった)
何となく、こういうのが気持ちいい。表面的には「寂しいなあ・・・」と思わなくもないし、例えば一緒にいてくれる恋人がいればとても嬉しい。
でも、どう言えばいいのか。この雪、澄んだ冷たい空気、静寂。
好きな食べ物を用意して、自分一人のために温かいコーヒーを入れる。marikoさんが私の為に下北沢の専門店で買って来てくれたフレンチロースト・マンデリン。
本を読む。ネットオークションで落としたSFの共作オムニバス(フレドリック・ブラウンが参加。現在入手不能)を読む。勿論PCもさわる。
何となく。ふわふわと幸せな気分になる。
どうしてだろう。

ああ、明日から3日間休みだ。どこへも行かず、誰とも会わず、ゆったりしよう。



2004年12月29日(水)  Help me Lord. I'll pay you.

前日は寝ていなかったので、明け方から10時半まで寝た。珍しく長時間睡眠。目が覚めたら雪でびっくり。昼食のお誘いもあったのだが、もう間に合わない。

メールが一通来ていた。多分書いた本人はそれほどの意味もなく書いたんだろう。だが夕べの今日でタイミングが悪かった。一気に動揺して、泣いた。何に泣いているのかわからなくなった。混乱していた。

マチちゃんから絶妙なタイミングで携帯メールが来た。これから実家に帰るんだという。「ところでバニさんて柴崎コウに似てるって言われない?」
「言われる」 と返信する。「米倉リョーコってヒトにも似てるって言われる。でもTV全く見ないからどっちも顔知らない」
涙ぐみながら打った。ありがとう、マチちゃん。

Nari さんのbbsをのぞいてみたら、地震で6万人死んだと書いてあった。この2年間世間と切り離されて生きているので、そんな大事件すら全く知らなかった。ユニセフの緊急募金へネットからクレジット・カードで寄付する。
ついでに盲導犬募金のサイトにも寄付。こちらはいつも街中で募金箱を見つけた折に500円未満の小銭を全部入れていたのだが、最近は日中に出歩くことがなかったし。
盲導犬募金に寄付する理由は利己的である。私は不安神経症なので失明したら多分気が狂うし、本が読めないのは想像するだけで地獄だ。そして子供の頃から犬が大好きなのだ。それだけ。
実は地震も苦手なので、大地震の際には大抵いくらか寄付している。それで何とか自分が免れればという下心だ。

実は今日の日記は、最初リアルタイムでこう書いた。それを読んで、慌てて旅先から携帯メールをくれた人もいた。
心配して翌日電話をくれた人もいた。
Nari さんも何度も温かい励ましのメールをくれた。
皆ありがとう。感謝してます。



2004年12月28日(火)  The End

MATTさん(vo,g)初来店。私がショット・バー勤めをしていることをつい最近知ったらしい。お住まいは横浜だが、わざわざいらしてくれてボトルを入れてくださった。MATTさんはBLACK AND BLUEのマスターの20年来の親友で、バンド仲間でもある。
と、すぐにmarikoさん・青野さんがご来店。marikoさんはBLACK AND BLUEのマスターの元の仕事仲間だから、MATTさんをご紹介する。お互いネット上で名前は見かけていたようだ。
マスターが生きていたら、今ここにMATTさんとmarikoさんが揃うことなんかなかったんだろうと思うと、不思議な感慨がある。

MATTさんは開店から閉店までいてくださった。最後は「レッチリを聴きましょう。僕はジョン・フルシャンテが大好きなんです。 Can't Stop をかけてください」なんて、他人のセリフとは思えないようなことをおっしゃったので、 By The Way 及び2002年幕張のブートをおかけした。

BLACK AND BLUEのマスターの、死亡診断書を見せられた。マスター自身が書いた文章も。私に見せる為に持ってきたという。
死亡診断書に死因が書いてあって、そこに「(伝聞)」とあった。伝聞。
マスターは、午前3時に独りで死んだ。翌朝、他人に発見された。私が最初にそのことを知った時、彼が真っ暗で寂しい場所で独りぼっちでいる姿を思ってぞっとした。
伝聞、か。

「Bunnyさんとの出会いは、彼にとってどんなに衝撃的なことだったか」とMATTさんが言う。「大学の頃から話していたんですよ、俺たちの好きなロックを理解してくれる女性は現れるのかな、って」
ええ。ええ、私もよ。私も、ローラ・ニーロの'Eli And The Thirteenth Confession'を「棺桶に入れたい1枚」と言う男性には初めて出会ったの。

2003年3月15日、ストーンズを見た帰りに、哲と初めてBLACK AND BLUEに寄った。私が女性アーティストではローラ・ニーロが一番好きだと言ったら、マスターが驚いていた。ベストアルバムは何といってもイーライだと言った。そしたら1枚まるまる全部かかった。哲はローラ・ニーロを聴かない。だから早く帰ろうと言われたが、私は言うことをきかず、最後まで聴いた。その時から、彼氏と行こうが誰と行こうが、BLACK AND BLUEにいる間は、私とマスターのかける音楽とが優先で、誰も入り込めなくなった。
それからずっと、私とつきあう男は皆、私が泣く音楽に無関心だった。私はかまわず一人で泣いてた。カウンターの後ろのどこか見えないところにマスターがいて、私の好きな音楽を次々にかけていた。
私はいつも、二人きりでいても、殆どマスターとは会話をしなかった。彼が音楽をかけて、私が聴いていた。何時間でもそうしていた。

私にとって、彼とあの店と音楽は全部一体だった。大事に思ってた。まだまだずっと、いつまでも、そこで待っててくれるものと思ってた。

私が今ショット・バー勤めなんかしているのは、紛れもなくマスターの影響が大きい。なのにその彼はもういない。
一人でオレンジ色の薄暗い店内にいる時、彼が私に残したCDを聴く時、何度か泣いた。
嫌われているのかと思っていたが、そうじゃなかったんだと色んな人が言う。亡くなった後で言う。
今となってはもう確かめようがない。彼はもう死んでるのよ。
たちが悪いわ。もういないのよ。

この話が終わらない。いつまでも尾をひく。
それで私は時々、虚空に呼びかける。そこにいるの?
そこにいるなら出て来て。姿を見せて、これを終わらせて。
畜生。誰か。これを終わらせて。



2004年12月26日(日)  Order !!!

7時に起きたらMS(g)から口説きメールが来ていた。4時半に打ってる。それに素気ない断りの返信をした後、ふと気づいた。この人ってギタリストじゃん。しかもかなり上手い。
「うちのバンドに入らない?」とメールしてみたら、好感触の返事が来た。今晩その件で会いたいと言う。何だかこのタイミングが気にいったな。タイミングと言えば、彼とはAKIHI(g)と同じ日に同じ場所で出会ったんだっけ。

しかし。夕べあれほど大変な思いをしたというのに、目が覚めたら何一つ症状が残っていない。二日酔い知らずの体質は健在らしい。お腹まで空いてる。
だが、体重を量ってみたら、夕べから1Kg減っていた。・・・やったw

LEO(g)に電話して昼からLEO宅で会うことにする。が、一時間遅刻。他の約束をずらしてもらったってのに申し訳ない。
飲物はロイヤル・ミルクティーを買って行く。・・・ま、昼間だからね。昼間でも珍しいけど。
AKIHIの件を話す為に行ったので、暗い雰囲気になるかと思いきや。
持ち込んだフジ・ロックのコートニー・ラヴのビデオのあまりのひどさについ興奮。「ったく・・・バックをこんなヘタクソ女で固めるなら、せめて美人で揃えれば納得いくものを、何だってこんなブサイクばっか。見てよ、このサマンサ(元ホール)のブッサイクなこと!」、「今の"Malibu"のイントロ聴いた?! 音合ってないでしょう!!」、「"Celebrity Skin"の歌詞を忘れるって・・・一番のヒット曲じゃん! しかもあんなあからさまに忘れましたって顔して!!」
LEOも笑い驚き呆れている。思わず2度見る始末。
そのうえいつも通りLEOが食事を出してくれて(今日に限って、胃にやさしいお茶漬けと焼き魚)、食べて喋ってビデオ見て、何だか元気が出てしまった。レッチリホワイト・ストライプスの映像も見せてもらう。

一旦帰宅し、店に顔を出して、恵美ちゃんとしばらくお喋りする。飲物はウーロン茶。・・・今はジンの香りを想像しただけで吐きそうなのよ。

21時から下北沢のSTOMPでNakeesのライヴ。Rくんも来る。
今日はカーボー(g)が来た。3ヶ月前から突然ロンドンに出張になっていたが、今日帰国したのだ。久しぶりだね、カーボー!!・・・ふ、太ったわね・・・ちょっと・・・いや、かなり・・・・・。聞けばイギリス人の食生活に合わせてるそうで、それは太るよなあ・・・。私もロンドンに2週間いただけで大被害だったもの。

ここでのお飲物はグレープフルーツ・ジュース・・・アルコールなしでNakees聴くの初めてだわあw

今日のNakeesは「キッチン」で始めた。
最初がオサムさん(vo,g)の弾かない曲とは珍しい。私の愛する「蜜の川」は3曲目だったのだが。
・・・あのね。これを書くと他のお客さんは気を悪くするかもしれない。もしかするとNakees自身も困るかもしれない。箱バンとはそんなものという意見もあるかもしれない。皆さん常連だしお馴染みさんだし。
でもね、でもね、でもね。・・・ああ駄目、我慢できない・・・・・頼むから頼むから
Nakeesが演奏してる時は喋るなっ!!!!!
・・・ごめんなさい。ごめんなさい。私みたいな新参者が偉そうに。
でもね、彼らは本当にいいバンドなんだよ。いい曲をやってるの。だから白石さん(drs)だって、あんなに陶酔した顔で叩くんじゃん。
お願いだから静かに聴かせて。入り込ませて。うっとりさせて。頼むわ。

このライヴが今年見た24本目で、最後のライヴ。仕事を始めたせいで、昨年の37本に比べて大分本数は減ったが。
今年最も愛したバンドはもちろんNakees。

23時半にMSが車で迎えに来てくれた。前に乗ったのと同じ赤のアルファロメオだが、今回は左ハンドルだ。(そうでなかったら私には前のと全然区別がつかない。彼はいつも赤のアルファロメオを買い換えるのだ)
家まで送ってもらいながら、バンドのことを話す。全てはこれからだが、まあやってみよう。

Order !!! (静粛に!)



2004年12月25日(土)  get dead

今日は新宿でセッションの日。の、筈が。
終わってみたら泥酔の日だった。過ぎてしまった今となってはその印象しかない。

IRJのセッション大会。うちの出番は21時頃と22時頃と勝手に決めておいたので、20時半到着を目指してCrawdaddy Clubに向かう。途中、GODZの前を通過。の筈だったが、何しろこのところ仕事してるせいでずっと来ていない。思い直して引き返し、入店。これが「泥酔」への序章となった。
飛び込んでKENKENに、「ジン・ロック一杯と、何か私の好きなのを1曲」とオーダー。かかったのはレッチリの Around The World。さすがKENKEN。お隣にいた男の子に、これからライヴするんだと言ったら、後で本当に見に来てくれた。
とにかくジンをほぼ一気し、しかも踊り、その後早足でCrawdaddy Clubへかけつけたのだ。今書いていると、以前にも非常に似たシチュエーションがあったのを思い出す。去年の5月31日だ。生まれて初めて酔って記憶をなくした。
あんな辛い思いをしたのにまた同じことをするなんて。学習能力の欠如および、絶対に二日酔いをしない体質のせいなのか。

今日のセッションはぶっつけだ。私が2週間前に曲を決め、他の3人にCDやmp3で曲を渡しただけで、リハは一切なし。OC(drs)には不慣れな最新のロック、HT(b)なんて生まれて初めて聴く曲ばかりだが、そこは二人ともさすがベテラン(&真面目な性格)、ちゃんとこなしてくれる。

21時過ぎにまずはザ・キルズを2曲やる。Rくん、まるちゃん、RUBENさんが来てくれていた。まるちゃんとは2週間前に一緒にキルズのライヴを見たばかりなので、今回このセッションを見てもらえるのは非常に嬉しい。
臆面もなく言ってしまうが、今回のキルズ、特に1曲目の"Pull a U"は自信があった。要するに私に合っているのだ。声がよく伸びるし、雰囲気もはまる。面白いもので、聴くよりもやった方が好きになる曲というのがあって、これはまさにそうだった。
気持ち良くかつ自信満々で2曲歌う。席に戻ってまるちゃんに「どうだった?」と訊いたら、即座に「完璧」という答えが返ってきたので満足。(そう言え!という迫力に押されたのかもしれないけどw)

ひかるちゃん登場。恵美ちゃんも友だちと来てくれた。「遅いよ。もう見どころは終わったよ」と言う。
ひかるちゃんに「遅刻した罰」といって赤ワインをたかる。・・・遅刻したらおごんなきゃいけないんだったら、私なんかとっくに破産だわねw

ところで。どうでもいいことをひとつ。ACに久しぶりに会った。顔を見て嬉しかったので抱きついた。(私にはよくあることだ) そしたらACも嬉しそうに私を抱き上げた。(これも珍しくない)
そしたら、すごく嬉しかったんだ。・・・何だそれ。
で、この後何日たっても、この日の一番幸福な瞬間としてこのことが思い出される。
この文章、本人が読む可能性を承知で書いている。書きながらどういうことかわからず、何とも無責任に書いている。

22時過ぎ、今度はホールを3曲やる。さっきはキルズのVVのつもりだったので、目つき鋭く直線的イメージで歌ったが、今度はコートニー姐さんになるのでにこにこ笑顔だ。そう、コートニーは実は可愛い女なのである。可愛いから、元彼氏の彼女を殴って訴えられたりするw
愛溢れるコートニーのとろんとした目つきを真似るつもりであったが。何の努力もいらなかった。何故ならすでに酔払っていたのだ。しかしこの時は気づいていなかった。気づいたのは声が出しづらいこと。力が入らないというか、感覚に膜が一枚被さっている感じ。しかし気分は良いのだ。いわゆるほろ酔いだったわけだ。
後からの恵美ちゃんの証言によると。彼女がいた数十分の間だけでも、私はジン・ロック2杯と赤ワインのピッチャー1本半を空けたんだそうだ。しかも熱唱している。これが効くんだ。Violetなんか絶叫すると、全力疾走と変わらないからな。
おまけにまる一日何も食べてなかった。更に私、月に一度の「飲み過ぎ食べ過ぎすると絶対に吐く」期間中だったんだ。
・・・ああ、書いてると本当に馬鹿みたい・・・・・わかりきってることをどうしてやるのか・・・・・。

数日後にこの日の画像を見たのだが。AKIHI(g)がドラムを叩いている画像を見て、「あれ、AKIHIドラムやったんだ。じゃ私が帰った後ね」などと思い、次の画像を見たら自分がそのドラムの前で歌っていたので驚いた。・・・き、記憶にない・・・・・。

AKIHIに話があるといって店の外に連れ出される。聞けばXeroXをやめたいと言う。
むかっと腹が立った。もちろん脱退についてではない。そんなことに怒ったってしょうがない。彼の口のきき方に怒ったのだ。この日彼は最初からずっと私に対して失礼だった。それは私に対する甘えだ。私は彼の彼女でも母親でもない。
「あのねえ! 私はあんたと寝る気はないのよ!!」と言う。言いながら、脈絡がないなと思ったら、AKIHIが「わかってるよ!!」と即答。・・・あ、通じてるわw
そもそもバンドを辞めるっていうんだったら、普通は「申し訳ないけど」でしょうが!!!、と怒ろうとした途端にくらっと来た。「気持ち悪い」と言って動けなくなる。

私はねえ、人前で吐くのなんて大っ嫌いなのよ。なのにもう一切コントロールがきかなかった。ああ、全く去年の5月と一緒だ。
あの時は家まで送ってくれる人がいた。(これ読んでますか? あの時は有難う。感謝してます) 今回はRくんにタクシーを止めてもらうだけにしたが、送ってなんかもらわなくて良かった。

タクシーを降りるのにも超人的努力を要した。家によろけこんで、ブーツとジャケットだけ脱いで、あとは全部着たままでバスルームに倒れこむ。寒くて死にそうなので、シャワーをひねって熱いお湯を頭からかぶる。服がびしょ濡れになるのもかまわずに。

吐気がおさまらない。苦しくて涙が出る。吐きたいのに、吐くものが何もなくて、体がぎりぎりとねじれるくらい辛い。
神様、二度とお酒は飲みませんから。お願い、もう勘弁してください。

気分的には3時間くらいそうして床にへたっていた。おそらくはもっとずっと短い時間だったんだろう。気づいたら口にお湯が入り込んでいた。やばい、このままだと溺れるわ。

時間をかけて、ずるずると服を全部脱ぐ。一瞬しか動く気力はない。力をふりしぼってバスタオルをひっつかみ、そのままベッドに走りこむ。バスタオルを頭の下にしいて、あとは全部濡れたままで布団にくるまる。
気絶。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


7時に目が覚めた。
後で見たら、玄関のドアの鍵があいていた。私、一晩中鍵もかけずに真っ裸で寝てたわけね。
・・・・・ああ、日本が平和な国で良かった。

get dead (泥酔)



2004年12月22日(水)  got Christmas presents

荷物が届いた。DELLのINSPIRON8600、私の欲しがってたノートPC。本来は16万円くらいだが、これは私向けにカスタマイズしてるので23万円。
何とこれ、ある方からのプレゼント。
今のPCは、最初に買った兎の名前をとって「LUKE(ルカ)」とつけた。2代目のこの子は、2匹目に飼った兎から「繭(まゆ)」にする。繭の名の由来は毛色が蚕の繭のように薄くグレーがかった白だったからだ。このPCもシルバーグレーでちょうどいい。キーボードのタッチが軽いが、本体は機能満載ですごく重いw
今年は何故か、何でもいいからクリスマス・プレゼントが欲しかったんだ。豪勢なのもらえたなあ。
脚長おじ様(私より若いが)、どうもありがとう。

ちなみにルカは、まっぴー(vo,g)にあげることに。・・・どうもこの名前をつけると、里子に出す結果になるなw

TACさんがご来店。私のトレード・マークである蝶のついたブレスレットをいただく。これも勝手にクリスマス・プレゼントということにしようっと。

今日は朝6時に閉店し、一人で1時間スタジオ入り。20分ドラム叩いて、40分歌う。帰りが明るいのも気分いいな。



2004年12月21日(火)  what's 'pretty'?

前髪切ろうかな?とbbsに書き込んでおいたら、前髪フェチのまっぴー(g)から「切ってくれえぇぇえ」とメール。では、と即日即決で美容院へ。
前髪を切るのは1年ぶり。今回は「ぶつんと切って、すとんと落としてください」とオーダー。イメージはお人形。仕上がりは満足。ただ切っただけなのに、毛が今までより細くまっすぐに見える。
切る前に気にしたのが、前髪を切ると「若く見える」こと。「若く見える」=「綺麗」、ではない。顔の印象が薄い、華やかさがなくて地味、知的でない、これは全て「若く見える」に通じうる。まあ、このへんも思ったより大丈夫だった。

「若く見える」は単なるひとつの要素であって、綺麗かどうかとは関係ない。とっても若々しいブスはいっぱいいる。ノーメイクだと若く見えるし。
「肌がきれい」も美人とは無関係。姫野カオルコが「男性が女性を見るさい、肌は得点外ジャンルである」と書いていたので、やっぱりかと思った。そしてどういうわけか、肌が非常にきれい(これ自体は羨ましい要素であるが)な女性は美人でない場合が多い。
ついでに言うと、あっさり「ブス」と思われてしまう女性は、たいていかなり痩せている。いや、ガリガリの美人もいっぱいいるんだけど、「ああ、こりゃブスだわ・・・」と否定しようもない女の子のほとんどが痩せているのだ。何故だろうなあ。気をつけてダイエットしよう。



2004年12月18日(土)  give a little time to think twice

まるちゃんがRUBENさんとご来店。RUBENさんとは去年チャック・ベリーのライヴでご一緒した。お顔は忘れてたが、ローラ・ニーロの話をしたのは覚えてる。そういうことは忘れないのよ。
まるちゃんが13日のザ・キルズのライヴを録ってくれてたので聴く。きっちり私の悲鳴が入ってるわw

木曜の日記のつけ足し。昼に物凄い自殺衝動がおきた。命の危機を感じるくらい眠くて何も出来ず、何もかも嫌になったら、瞬間的に「今死ぬ」という感じが襲ってきた。手元に銃があれば発作的に撃ってたと思う。だから個人の銃所持なんて禁じたほうがいいんだよ。
日本では自殺の6割が首吊りだそうだ。アメリカでは6割が銃。



2004年12月17日(金)  never mind

この数日体調がおかしい。とにかくおそろしく眠くて何も出来ない。仕事中以外はまともに機能していない。
水曜からは精神状態もおかしかった。些細なことに苛々する。

何か細かいことに拘る夢を見ていた。目を覚ましたらいきなりパニック(不安神経症)の発作を起こした。弾かれたように飛び起きて、そのまま表に出た。一瞬で体が冷えて、何とか精神の平衡を保つ。室内に戻ってまた泥に潜るように眠る。

今日の最初のお客様。アメリカ在住のハーフの方。2ヶ月に一度帰国するんだという。懐かしの'70年代・'80年代を色々かけたら喜んでくれた。特にミッシェル・ポルナレフには、「こんなのはアメリカでは滅多に聴けない」 とのこと。「明日CDを買いに行こう。今日ここに来て良かった」 とおっしゃってくれた。

Rくんも来店。何と昨日の私の日記を翻訳ソフトにかけたと言う。昨日の日記は、「他人に読ませたい」のと「読まれたくない」気持ちが入り混じった結果、英語になった。なので言い回しも簡単にわからないものをわざと使った。あれを翻訳ソフトなんかにかけたら一体どうなるんだ?
こうなってた。
「私は残骸です。私は調子が悪いです。私はおぼれます子猫。あなたは持ちます何かしなければなりません。いいえ、あなたはそれとは無関係です。生命はどんな響きなしででも続きます。私のコードをたたいてください。いいえ、あなたはそうすることができません。ありがとう」
・・・こりゃひどいわ。一気に馬鹿らしくなって、何だか吹っ切れた。思わぬものに救われるもんだ。

吹っ切れたので、正しい訳文をのせる。
「疲れ果ててるの。息も絶え絶え。私なんか死んじゃってもいいんだわ。助けてよ。いえ、あなたには関係ないわね。人生に共鳴なんてありえないんだわ。私の芯に触れてよ。いえ、無理ね。もういいわ」

Hello, how low? (ハロー、どん底かい?)は勿論ニルヴァーナの歴史に残る名曲の歌詞。



2004年12月13日(月)  she looked killing

ああどうしよう。全然眠れなかったわ。手のひら熱くて。そわそわして。
VV(ヴィヴィ)に会える。VVに会える。VVに会える。
今日はザ・キルズのライヴなのよ。しかも後座(w)は何とブルース・エクスプロージョン

まるちゃん(♂)と渋谷で17時に待合せ。の筈が。15分遅刻。ほら見ろ、ライヴだと到着が早いわw
先にお茶しようというまるちゃんを引きずって会場のAXへ。並ぼうとしたら全然ひとがいない。あら?何この平和さは。ハノイとかとえらい違いじゃん?(どうやらキルズ狙いが少ない気配)
結局。整理番号390番台だというのに、最前列が取れた。しかも!VVのほぼ真ん前!! はっきり言って全体で2番目にいい位置だ。(1番は私の左)

そわそわそわそわ。まるちゃんにしょっちゅう時間を訊いて、しまいには「気が短いほうですか?」と言われた。・・・違うわよ! VVに会うのが楽しみで楽しみで気が気じゃないのよ!!

VV登場。ぎゃー!!!!!!!!
まずはステージの前ぎりぎりまで来て、客をぎろっと睨み倒しながら歩いていった。真っ先に私がしっかり睨まれた。か、かっこいい・・・痺れる。

三度目のザ・キルズ。最初は2002年12月のロンドンで、デビュー前のキルズと運命の出会い。次が2003年8月のサマソニ。その時MM (g)と 「キルズのコピーしたいね。ねえ、コピーしかしないからゼロックスっていうバンドがあったらかっこ良くない?」 と言ったのがXeroXを作るきっかけだったのだ。
そして今日。変わらぬVV。細い。硬い。がちがちな動き。違いは煙草を吸ってないことくらい。(AXは禁煙なのだ。くっそー、VVから煙草を取り上げるなんて!)
物凄く目つきがきついくせに、お人形みたいにキュートなVV。棒のように細長いからだ。内股のポーズ。すいすいと歩き、がくがくと感電したみたいに痙攣する。全く色気のない体と雰囲気なのに、左手を股間の脇にあてる癖が何ともいやらしい。低い声と直線的な動き。Hotel との絡みのスリリングなこと。

わけもなくマイク・スタンドを担ぎ上げたりするだけの動作が、もう何ともたまらない。

2月に新譜が出るらしく、大部分が新曲だったが。
2曲目が Cat Claw だった。この曲はXeroXの過去6回のライヴで最も演奏回数が多い。(毎回かもしれない) 今では自分の曲のような気がするくらい。
ところが歌詞がわからない。検索でも出ないし、ネイティヴも聞取り不可とさじを投げた。なので仕方なく自分で聞取りしていた。そしたらたまたま数日前にようやく検索で見つけた。私の聞取りはほぼあっていたが、一箇所全く違うところがあって、それが ”So...One Two and...” という部分(私は ”So...Want to be...” だと思っていた)
なるほどそうか。じゃあ、と思い、この曲の時に高く手を上げ指を突き出して ”One Two” とカウントしてみた。そしたらVVも偶然全く同じ動きをしているし!(前の2回のライヴではやってない!)・・・何か感激。

粗野で荒削りな曲。体の芯に響く低音。動きの少ない旋律。単純なコード。単調なリフ。表面が震えながら、でもぴたっとした音程のVVの声。

Kissy Kissy もやった。この曲のタイトルから、私の赤いベースにKissyと名前をつけたのだ。
VVが間奏の時に私の真ん前に来たので、目があった瞬間に ”It's been a long time coming.” と歌ってみせた。今日ははっきり言ってキルズ目当ての客が少ない中、「あなたのファンです!」とアピールしたのだ。
VVが小さくうなずいたように見えたのは私の妄想ですか?

Fried My Little Brains もかっこ良かった・・・!

キルズは、そのバンド名、攻撃的な歌詞、ラフな曲調にも関わらず、非常に「品がいい」ライヴをする。
今日もいつも通り Hotel だけが少し喋ったが、「演奏の機会を与えてくれたブルース・エクスプロージョンに感謝します」 なんて言うあたりはまるで教会での祈祷みたいだ。最後もすっきりと品よく切り上げた。(その直前の、Hotel のギターとのけぞったVVの絡みがまるでセックスそのものだったにも関わらず、「品良く」である!)
ああ、しかし! 前座なのでアンコールがない!! 足りない。もう全然足りない!!!

と、いうわけで。
半ば放心状態で見てしまった。ブルース・エクスプロージョン。大失敗。何て勿体ない。
しかし今日のジョンは最高だった。サマソニの時より全然いい。(それはキルズも同じ)
ドラムのラッセルも物凄かった。このバンドって、ジョンの声と、ドラムが要だったんだなあと思ったくらい。タムなしのセットだということに初めて気づいた。両手を高く上げて振り下ろす。恐ろしくパワフルで切れがいい。

ジョンもしょっちゅう私の真ん前に来てくれたなあ。マイクをしゃぶるようにして歌うので、唾がかからないかと心配になったくらい近かった。
「世界で一番自分たちの名前を連呼するバンド」と言われるブルース・エクスプロージョン。しかしジョンが "Blues Explosion" と言う瞬間こそ、まさにこのバンドの真骨頂である。快感。

アンコールで Wail だの Bellbottoms など大好きな曲が続き、ようやく(遅い!)本気で乗り始めた、その時に!
見つけてしまった。ステージのすぐ裾で、腕組みして演奏に聴き入っている Hotel に。
・・・えええ、VVはどこよ? 途端に気もそぞろになり、しょっちゅうそっちを見てしまう。・・・うわー、本当に大失敗。

ところで関係ないけど、ユダが結構好みであることを発見。帰り際に手にタッチしておいた。

帰りはまるちゃん、Nari さん(今日が初対面の可愛い女性)と居酒屋に寄って、0時半帰宅。帰りながら、やはり今日のライヴに来ていた筈のMMに電話した。彼もキルズ狙いだったらしいが、ブルース・エクスプロージョンも相当良かったと興奮していた。「ブレイクがいいよな!」 と言っていた。本当だねえ。



2004年12月11日(土)  Honesty is the best policy?

ひかるちゃん来店。今日は何故か彼女に対してこらえがきかず、いつもよりきつくあたってしまう。他のお客も手を焼いている様子で、非常に空気が悪くなる。
なのにプレゼントもらっちゃった。ワコールのバーゲンで7万円ぶん買ったとのことで、私にもレースの部屋着とショーツ。この部屋着ときたら、白のスケスケのレースで、胸元に小さいボタンがひとつあるだけであとは全開。ひかるちゃん曰く「部屋で一人で裸の上に着て、ベッドにもたれながらロックを聴くのよ・・・ウォークマンで」
・・・・・・・嫌です・・・・・・・

しかし。彼女を今後どう扱うべきなのか。日記の読者には面白いと馬鹿ウケだが。
私の考える「誠実さ」とは、世間が彼女のことをどう見ているのかはっきり言ってやることだ。(私自身がどう思っているかは常にはっきり口にしている) 私は彼女の友だちのつもりはないし、そう思われるのも迷惑だ。
でも、どうせ彼女に言っても通じるわけがない。そして今現在彼女は、手荒く扱われながらも私が好きなのだ。何故なら他の誰も彼女の相手をしないから。
だったら、今のままが幸せなの? そんなんでいいの?



2004年12月08日(水)  taxi light shines so bright

と、いうわけでジョン・レノンの命日。人によってはハノイ・ロックスラズルの命日でもあり、一般的には太平洋戦争勃発の日。実はジム・モリソンの誕生日でもある。

明け方、ビートルズを聴きつつ詩を書いた。もっと推敲の必要な稚拙な詩だが、自分的にはラスト部分にじーんと感動。いいもん書いたなあ。詩は自分の感情の記録で、他人の目を気にしなくていいぶん日記よりも真情を吐露している。うんうん、吐露してるわ。
ジョンの命日なのに、ポールの曲を聴きながら書いたんだけどね。しかも一番大事な一行「タクシーのライトがあまりにも眩しい」は、ビートルズ以外のバンドの曲の歌詞を私ふうに訳したんだけどね。
私の愛するバンドの愛する曲。大事な思い出のある曲。
いつか誰かがこの詩を読んで、何の説明もされていないのに、「ああ、この部分、〜の歌詞だね」と言ってくれないかな。
このように、未だに王子様願望が取れない私である。私の王子様はきっとカネも地位もないヘタレで、でもキンクスの"Waterloo Sunset"をそらで歌えるのよ。

今日は、8月末にSad Cafeに勤めだして以来、一番楽しかった日かもしれない。
というより今日はほぼ仕事じゃなかったのね。お客は3人きりで、揃いも揃ってロック・マニア。その3人を相手に、ジョン&ビートルズナイトを繰り広げた。
猫ちゃんはハリウッド・ボウルのLPを持ち込んでくれた。このアルバムは母が持っていたので実家でよく聴いたが、今は持っていない。懐かしいなあ。
TACさんは、本来この日は毎年行くはずのBLACK AND BLUEがなくなってしまい、今年はうちの店に来てくれた。私だって行けるものならBLACK AND BLUEに行きたいが、仕方ない、気持ちを切り替えて逆に私が迎える側になって頑張ろう。
まるちゃんも来てくれた。この人も素直にロックを好きな感じが気持ちいい。私の好きなフォア・ローゼズのボトルを入れて、にこにこと飲んでは聴いていた。

3人とも翌日は朝から仕事または出張だというのに、遅くまで盛り上がってくれた。閉店は5時半。
皆さまがBunny Special(私のオリジナル・カクテル)をはじめ、よく飲んでくださったおかげで、お店の売上げが私が勤め始めて以来の最高記録でした。感謝!!



2004年12月07日(火)  after all, he had a sweet voice

明日はジョン・レノンの命日か。

毎年この日が嫌だった。どうしてそんなことで騒ぐの? クリスマス・シーズンでもあり、街が浮き立つ材料にされているようだった。
あとはジョンのカリスマ性に対する反発でもある。私にとってジョンは、クズで子供でヒモでヘタレな左翼だ。ただ、恐ろしくいい声を持っている。(今にしてあらためて思う。ジョンの良さの9割は、その声ではないかと)
奇しくも、ジョンの死んだ1980年には、ポール・マッカートニーが成田で無様な逮捕をされている。天才でありながら努力家という素晴しい資質を持つポールがただの人になり、だらだらと好き勝手をしていたジョンが神性を帯びた年であった。
訃報に接した瞬間、「ああ、これでジョンは、ポールを引き離して伝説になっちゃうんだな」 と思った。何となくその安易さが苦々しかった。

今年になってようやくその拘りが取れた。
結局私が愛してやまないのは、ビートルズにいたジョンなんだ。というより、ビートルズという現象と言ったほうがいいか。
「一番好きなミュージシャンは?」 と訊かれたら 「レオン・ラッセル」と答えている。一番好きなバンドなら 「レッド・ホット・チリ・ペッパーズ
でも、それでも、ビートルズは別格だ。
ビートルズは「奇跡」なんだ。ジョンがポールに出会った。それが全てだ。神様がやる必要のあったのはそれだけで、後は全てが自動的に動いていった。

もしもジョンと実際に知り合ったら、きっとすごく嫌なやつだろう。一緒にバンドを組んだら最悪だろう。
でも、ま、どうでもいいか。
子供の頃からの長い反発がやっととけて、同時に12月8日に対する拘りも取れた。別にいいか。世界がこの日にジョンを思い出したいというのなら、私が非難がましい顔をすることもない。

明日はお店で、あの声をたっぷり聴くとしようか。



2004年12月04日(土)  both heaven and hell

HYがご友人のOMとご来店。OMは初来店だが、いや何とも面白い人物だ。そのいかにも温和そうな見かけに騙されると大変で、何しろこれまでに数人半殺しの目に合わせているらしい。「まずは不意をついて、腕を折るなどして戦闘能力をなくす」、「相手が強い場合は必死で謝っておいて、後ろ向いた途端にぼこぼこにして逃げる」と、場数を踏んでいるなあと思わせる発言ばかり。
独身の一人暮らしで、玄人はだしの料理人。ビールも手作りするし、冷凍庫には5Kgの鹿肉だの3Kgのアンコウだのを常備とか。お正月に遊びに来ないかと誘われた。自宅のお風呂は温泉だし、連日食べて寝て入浴してごろごろしていればいいという。・・・ほ、ほほほほ。何それ、フォアグラ製造大作戦?

Eが来店。新品のディオールのバッグをいただく。前にもシャネルの指輪をもらった。彼女はご主人が年収3,000万だが、夫婦仲が出だしから上手くいっていないせいで一時期買物依存症になり、未だに未使用の高級品がごろごろしているのだとか。
先にひかるちゃんも来ていたが、Eを見るなりあからさまに嫌そうにして、すぐ帰る。どうもこの二人、互いに初対面から印象が悪いようだ。猟場のライバルということなのか。(そのライバルがいなくても、状況はたいして変わらないと思いますがね)

RくんがU2の新譜を持って来店。1曲目の"Vertigo"が、まさに思い残すところのない会心作という感じ。スペイン語の使い方もクール。

6時閉店。ああ、ようやく明日はお休みだ。



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