Rocking, Reading, Screaming Bunny
Rocking, Reading, Screaming Bunny
Far more shocking than anything I ever knew. How about you?


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*名前のイニシャル2文字=♂、1文字=♀。
*(vo)=ボーカル、(g)=ギター、(b)=ベース、(drs)=ドラム、(key)=キーボード。
*この日記は嘘は書きませんが、書けないことは山ほどあります。
*文中の英文和訳=全てScreaming Bunny訳。(日記タイトルは日記内容に合わせて訳しています)

*皆さま、ワタクシはScreaming Bunnyを廃業します。
 9年続いたサイトの母体は消しました。この日記はサーバーと永久契約しているので残しますが、読むに足らない内容はいくらか削除しました。


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2003年06月30日(月)  82時間

金曜から寝てない。朝PC打ちながらうとうとして、ふと気づいたら左手首がだらんと死んでた。嘘でしょう?!
右は10日前から死んでる。左まで死んだら何も出来ない。大体、寝たら圧迫されてなったんじゃないの? 今は座ったまま一瞬うとうとしただけだよ? どういうこと?
慌てて30分かけて振ったり揉んだり。何とか感覚を取り戻すが、親指が痺れている。すぐに知り合いの医者に連絡を取り、タクシーで病院へ。出る準備に相当もたついた。

診察、レントゲン。医者、首をひねる。やはり両手というのが解せないらしい。散々診た挙句、やおら私の顔をひたと見据えて、
「キミ、何かしてない?」
「は?」
「何かしてるでしょう。手を使うこと」
「え、あの、いえ、せいぜい・・・パソコンくらいしか・・・」
「パソコン?」 医者の目がキラリと光る。 「どのくらいやるの?」
「・・・かなりやります」
「どのくらい? 何時間?」
「・・・かなりです。PCはつけっぱなしですし・・・」
とてもじゃないけど言えなかった。1日15時間以上なんて。
それでも医者は言った。「それだね。とにかくそれをやめて。2週間くらいやめて、様子見ましょう」

お薬が出た。前の病院で私がうっかり処方箋をシュレッダーにかけちゃったやつと同じだろう。どうせ気休めの薬だと放っておいたが。
薬剤師が、「これを飲んだからって、すぐに効くっていうものでもないですけどね」と言う。やはり気休めらしい。
帰宅して薬の説明書をシュレッダーしちゃってから、一度に何錠飲めばいいのか知らないことに気づく。・・・あーあ。

そして帰宅した私は、PCに向かってここ数日忙しくてたまってた日記、メール、その他の作業を始めた。今コレを書いてる火曜の深夜(明けて水曜)まで、寝る・食べる・読書などの時以外は打ちっぱなし。
要するに、無視してます、ドクター・ストップ。
え? そんなんだったら同情なんかしないよって?
当然でしょうw 要らないよ。

午後にLL(vo.g)から電話。彼の荷物を預かってたので、夕方渡すことにする。私の最寄駅で会うことに。

19時に駅で会って、ショッピングモールのカフェに入るが、LLが外に座りたいと言うので、飲物を持って外のベンチへ。
少し話しているうちに、何故か苛々してきてかなり冷たくしてしまう。

深夜0時頃いつの間にか寝てた。今回は多分82時間起きてた。



2003年06月25日(水)  And if the wind is right you can find the joy.

昨日から寝ないまま新宿へ。
出る支度せずぐずぐずしてて、ふと見ると終電まであと45分。普段外出準備に3時間かかるし、そのうえ今は右手が使えないってのに。
大慌てで着替え、不自由な手でもたもたとブロー。アナ・スイのお人形ぽいミント・グリーンのアイシャドウを塗ったくり、マスカラが鼻の頭についたのをぐいとぬぐって家を飛び出す。

今日はLL(vo.g)がライヴハウスでDJをやるので来てくれと前から言われていて、昨日も今日も彼から念をおす電話が来た。新宿駅に着いた途端にまた電話がくる。今1時だから、2時半に行くと返事。

19日ぶりのBLACK AND BLUEへ。SS(g)が来てた。お久しぶり。
マスター、「何にする?」
私、「んーと、何にしようかな」
「ジン・ロック?」
「あ、じゃソレで」
19日ぶりに、いつもの会話。私ここ来ると毎回これと同じ会話してる。

マスターが私の好きなのをこれでもかとかけてくれる。ザ・バンド攻撃の後はストーンズの Sticky Fingers の最初の3曲、ローラ・ニーロ(Eli's Cominのスリー・ドッグ・ナイトのバージョンも)、ビートルズウィングスS&G。私からのリクエストは、トラフィックヤング・ラスカルズ
途中1980年攻撃があり、クリストファー・クロスの"Sailing"、シーナ・イーストンの"Morning Train"など。'80年の夏はカリフォルニアにいたので、この年のヒット曲はよく覚えてる。ストーンズの"Emotional Rescue"、ポール・マッカートニーの"Coming Up"などね。

今日はマスター相手にジョー・ストラマー講義をしたというSS(ムチャするなー)、そんなSSの為にジョニー・サンダースパティ・スミスがかかる。これがこの店の精一杯だねw
SSに「オンリー・ワンズ知ってる?」 と訊いたら、ライヴもブートも、その前身バンドのイングランズ・グローリーも持ってるって。さすが。

久しぶりのBLACK AND BLUE、久しぶりのSS。なんか楽しくて楽しくて、LLに連絡もせずに居続けてしまった。ジン3杯のあとは、SSのジム・ビームのボトルを飲ませてもらう。

5時にBACK STAGEに移動。SSのフォア・ローゼズのボトルを出してもらい、ロックでいただく。
持込でイギー・ポップのブート・ライヴをかけてもらうSS。私もその中から"Real Wild Child"と"Search And Destroy"をお願いする。
クラッシュの"Know Your Rights"がかかったので Rock The Casbah もリクエスト。
SSのおかげですっかりパンクな夜になり。

と、いうか朝だ。もう8時。SSとお別れして9時帰宅。そのまま15時半まで起きてる。



2003年06月24日(火)  Where is the life that I recognise? Gone away.

ジェーンズ・アディクションというバンドは、何がいいって名前がいい。"Stop!"という曲の冒頭で、スペイン語で「アディクスョン」と紹介されるところなんか実にクール。

"addiction"という単語が好き。私は「addiction中毒」だ。自分が何かを「愛してる」のが好き。
カフェイン中毒、チョコレート中毒などの軽いのから。活字中毒なんかは私のコアを形成してる。

昨日、手首の件を心配した母から電話。「あんたは何かを好きになると熱中し過ぎるクセがあるから気をつけて」と言われる。さすが母。

Can't Stopを好きなんてのは結構じりじりする「愛」だ。どこへも持って行きようのないピュアな愛なので。
"Stage Fright"を「愛してる」。"Beware Of Darkness"を「愛してる」。"A Day In The Life"を。"The Sound Of Silence"を。
"I'm Not In Love"(愛してないわ)を。

繭(まゆ)のことも愛してた。思い出すと胸が痛い。あれは無償の愛だったな。繭はロップイヤーとミニ兎のハーフ。5年間毎日うっとりしながら育てたお嬢ちゃん。

"obsession"という単語も好きなんだ。"addiction"が生活の習慣を思わせるのに対して、'obsession'は魂の病のようだ。熱病、疲労、妄執、コントロールを失った顔。"addiction"にはまだ遊びがあるが、"obsesseion"にはもう救いがない。

その向こうには谷崎潤一郎が描き出すような美がある。それは一般的には放棄、無責任、逃避と同義だ。
きれいにドレスの裾をつまんで、ひと思いに「降りる」のだ。心の平和のある、「通常の世界」から。



2003年06月21日(土)  左手は律動的に、右手は夢見がちに

朝方寝て、夕方起きたが、やはり右手首は死んだまま。

外科へ。医者は症状を聞くや嬉しそうに笑う。病院にはしょっちゅう行くからわかるが、医者って100%確信の持てる症例に出会うと喜ぶんだよね。
「橈(とう)骨神経が圧迫されたんですね。馴れない環境、硬い寝床などで肘や肩が圧迫されたことが原因です」
「・・・自宅の柔らかいベッドで寝て、腕は布団の上に出したまま、寝返りひとつ打たずに寝てたんですが」
「それでもなる人はなります」
・・・私にとって寝ること自体が不慣れな環境ってこと?
「まあ通常皆さん、1ヶ月くらいで治り始めますね」
「い、いっかげつですかあ?!!!!!!!」

ひと晩寝て起きたら、全治1ヶ月!!!
やっぱり寝るとロクなことがないじゃないか!!!!!!

おまけに早く治そうと何しても駄目だと言う。栄養とろうが、リハビリしようが、一切ムダ。圧迫が原因なので、マッサージにいたっては逆効果。

呆然と家に帰り、呆然と薬の処方箋を、領収書と一緒にシュレッダーにかけてしまう。 ・・・あ、しまった・・・またやっちゃったよ。前に婦人科の処方箋をなくしたばっかじゃんか。 ・・・医薬分業なんか嫌いだ・・・。
もういいや、どうせ気休めっぽい「神経痛に良い薬」らしいし。

そうか、治るの待ってても1ヶ月はかかるのね。それならば。

帰宅して、日記のアップを始めた。
結局どうやってコレを打っているかというと。
肘をついた右手をだらんとキーボード上に垂らし、上から中指1本を落としては叩いているのだ。───うんざりするほど時間がかかる。最初は10行書くのに1時間かかった。
でもそれでも何とかなる。これが完全に打てないとなったら、私どうしてたんだろ?

左手は律動的に、右手は夢見がちに  *Ashkenazy Who? / 矢野顕子 (1981) の歌詞。



2003年06月20日(金)  Screaming Body

お昼に起きたら、右手首が死んでた。

昼にリサイクル・ショップの買取が来るのを忘れて寝てたら、12時半に電話で起こされた。慌てて準備しようとしたら、右の手首に全く力が入らない。痛くも何ともない。ただだらんと垂れている。
何コレ?
30分もかけて、顔を洗うのがやっと。

買取が到着。衣類、バッグ、雑貨、食器など。どれも状態が良いと言われる。そりゃそうだ。状態が悪ければどんどん捨てている。今日用意したのは未使用品も多く、ミッシェル・クランのワンピースなど\23,000の値札がついたまま。
相当買値の安い店だったが、それでも合計で\14,000になった。お金になったことよりも、45ℓのゴミ袋3杯分のモノがうちから消えたのが嬉しい。
モノは嫌い。着ない服なんか見るのもイヤ。

そんなことより、右手。
そのうち治るだろうと軽く考えていたが、一向に良くなる気配がない。
手首に力が入らないと、ありとあらゆる動作が出来ない。洗顔、歯磨き、入浴はもちろん、お箸どころかスプーンも使えず、瓶の蓋も開けられない。───とにかく何も出来ない。
何よりも、PCのキーボードが打てない────。
マウスは何とか使える。なのでアップ作業などは、時間はかかるがまあ問題ない。でも、キーボード入力は・・・。

仕方なく、本を読む。何と今日だけで3冊も読了。

「エンガッツィオ司令塔」 / 筒井康隆。スカトロ小説だ。気持ちを入れないようにして読む。天才筒井の本領発揮の文章に、そんな態度で臨んでいいわけがないんだけど、でも勘弁して下さい。私まだ、甘ちゃんなもんで。

「悲鳴をあげる身体」 / 鷲田清一。80頁くらい読んでしばらく放っといたのを今日また取り上げた。面白くない。ピアーシングが身体毀損願望のあらわれだなんて書いてるし。ピアスはファッションだろうが。外国じゃ5、6歳の子がしてるのに、その子たちが 「自らの身体を毀損することでしか手に入れることのできないもの」 を持ってるっての?
読む価値のあったのはただ一箇所。人は所有することによって所有される、ということを書いた文章。 「人びとは、所有物によって逆規定されることを拒絶しようとして、もはやイニシアティヴの反乱が起こらないような所有関係、つまりは 「絶対的な所有」 を夢みる。あるいは逆に、反転を必然的にともなう所有への憎しみに駆られて、あるいは所有への絶望のなかで、所有関係から全面的に下りること、つまりは「絶対的な非所有」を夢見みる」 ・・・コレって一言で言うと、「着ない服なんか見るのもイヤ」ってことじゃん。何てタイミングいい。

「密室への招待」 / 1E・D・ホック。ハヤカワのポケット・ミステリを古本で読むことの快感。ホックはそれにまさにうってつけ。
───何だかこの本には肩すかしのトリックが多かった気もするが、まあそこはホックに免じて多めに見よう?

それにしても本当に幸運だった。読書だけが、左手のみで出来る作業だったのは。



2003年06月15日(日)  We don't think we can make it

今日は寝てない。居間へ書斎へ、4、5冊の本を持ってうろうろと移動している。
どうも額が熱いと思ったら38℃近くあるし。

ダンナが失踪した理由。今日それをひとに訊かれて、理由を訊いているってことこそ、うちのダンナを知らないという証だなあと思った。
ダンナが消えた時、ダンナの両親と私は、一瞬も事故や事件を疑わなかった。「全く何やってんだか!」と怒ったものだ。
要するにダンナは「そういうヒト」なのだ。当時ダンナは酒びたりで、フリーの建築積算士とは名ばかりの状態だった。私に家を追い出されて、実家で既に4ヶ月ぶらぶらしていた。実家には弟たちやその妻子までいて、普通に考えれば相当恥ずかしい筈だ。

ダンナが現れた時、私は失踪の理由を訊こうともしなかったが、ダンナが言うには、「実家で肩身の狭い思いをするのが嫌だったんだ」とのこと。・・・馬鹿馬鹿しい。そんなに嫌なら、働くか一人暮らしを始めれば良かったのだ。
そんなこと信じないよ。あんたは平気だったんだ。水が低いところに流れるように、ふとずり落ちていっただけだ。
ダンナは「堕落」という言葉の生きた見本だ。その恐ろしさは、結果を少しも怖がらないというところ。

もしも、この日記を初めからずっと読んでいる人がいたら、ここであれ?と思い当たったに違いない。だって「堕落」はScreaming Bunnyのキーワードじゃないか?
実はダンナと私はある一点で似ている。二人とも物事を全うする能力が欠けている。私の延長線上にダンナがいるのだ。但し大きな違いは、ダンナはそのことを何とも思っていないところだ。

この10ヶ月間の自分の変化はダンナと関係ない、と言っている私だが、実はひとつだけダンナからの影響があった。
それはつまり、ああいうことが出来ちゃうんだなという見本を示されてしまったこと。ただ消えて終わり。それっきり。何て簡単な。
そこに従来からの自殺願望が加わり、寝ない食べないの自虐趣味、ひいては 「いざとなったら死ねばいい」 の発想につながった。

結局どこまでもダンナと大きく違うのは、私ってとことん真面目なんじゃん。
ダンナ、前も見ないで落ちるなんて、かっこいいったらありゃしない。そんなこと出来るか!
私は崖っぷちでちまちまと自分を突き通してくれるナイフを磨いている。それはクロスのかたちをしている。

実際に毎日磨いているのは指輪で、いつも私はこうやって、何かの象徴にばかりすがって暮らしている。
生活の、やってくるサイクルだけが見える。



2003年06月14日(土)  「鳥は卵の中からぬけ出ようと戦う」 (デミアン / H.ヘッセ)

15時頃に寝た。

電話が鳴ってる。取ったらダンナ。今何時よ・・・23時半?! またこんなに寝ちゃった・・・また背中が痛い・・・
「背中痛い。寝返り打たないせいだわ・・・私って寝てるときぴくりとも動かないらしいね」 と口走る。
「え、それどういうこと」 とダンナ。
「いや、寝てるとこ見たヒトがそう言ったんだよ・・・」
「だからそれどういうこと。何か隠してることがあるのなら言って」
・・・どうして私があんたに男関係を隠さなきゃならないのよ。

ダンナ、「今後の生活どうするつもり?」なんて訊くし。ひとに訊いてる場合じゃないでしょう!
結局訊きたいのは離婚のこと。夕べ姑が、「Bunnyさんはあんたが帰ってきたら離婚すると言っていた」と言ったらしい。「・・・ああ、そうね。まあ特に急がなくてもいいけど。離婚するから署名してね」と言う。
・・・しーん・・・
「・・・どうしてもダメ?」
「うんダメ」
寝起きなんで、我ながらとりつくシマもない。

ところでダンナは昨日、ちょうど読み終わったからと言って文庫本を一冊おいていった。旅行記。
一昨日からうちのbbsが障害を起こし、ふと時間が出来たおかげでずっと本を読んでいる。並行読みがクセなので、今も4、5冊読んでいるが、この本も読み出した。
私はダンナが、食物を買うお金もない時に本を買ったことが嬉しかった。それは単にダンナの計画性の無さを示しているに過ぎないかもしれないが。
私たちは、同じ本の同じ箇所に感動したことがきっかけでつきあい始めた。その出来事の大切さは、ダンナに対して一片の愛情がなくなった今でも変わらない。



2003年06月13日(金)  I saw the light.

11時に65時間ぶりに寝て、19時までえんえん寝続けた。これほど長時間寝るのはかなり珍しい。風邪と、それから昨日の疲れか。

0時半にダンナから電話。夕方にも一度かかったが、風邪で声が出ず、後でかけ直すよう言った。話したいことが沢山あると言うし。
ダンナはひたすら私の変化に驚いたと繰り返す。それはあんたの甘えだね、と答える。自分がいくら留守にしても、私が変わらずにいると思い込んでいたんでしょう。

またもレッチリの話題が出るし。By The Way 気に入ったなら、焼いたCDあげるよと言ったが、待ちきれないので自分で入手するとのこと。
おー、レッチリ、グレイト。

驚いたことに、失踪以来ダンナは私と3回すれ違っているんだそうだ。いずれも半年以上前らしく、うちの最寄り駅の近くで。1度は夜、ジムからの帰り。1度は夜、私が駅に向かっている時、もう1度は朝、私が駅からの帰り。最後の2度は、ダンナは金髪の長髪、そして髭面だったらしい。相当近くですれ違ったのに、全く気づかなかったってんだから。

これも私がいつも言っていた通りなのだが、ダンナは結局この10ヶ月間、うちの近所をうろうろしていたのだ。うちから2駅以内のエリアを拠点とし、それどころかうちの駅前のパチンコ屋に頻繁に来ていたらしい。
自分で言うのもなんだが、ダンナは「私マニア」である。私さえいれば、友達も何もいらないのだ。だからダンナが失踪した時、私はそこを一番驚いた。あの「私マニア」が私と連絡を絶つとはねえ、って。
でも連絡しなくても、やはり私からそう遠いところに行けるわけはないと思っていた。これは自惚れではなく、単なる事実の認識だ。

時々、うちの明かりを確認しに来てたんだそうだ。切ない話だねえ。ってか。
3月までは毎晩居間の明かりがついていたのに、4月からは真っ暗だったという。おお、その通り。4月にPCを書斎に移したからね。私、PCの前でだけ生活してるから。

ところで今回ダンナが現れたことに関してのコメントで、「じゃあ今ラヴラヴだね」とか、「復縁かー」といったものが少なからず見られたのは大変心外である。この10ヶ月にダンナでなく私が変わったことに関しても「惚れたほうの負け」という発言まで出る始末。
こういう思い込みはかなり根強くて、私がいくらこの日記で再三書いてもダメらしい。なので今一度まとめて説明。

そもそも私が最初にダンナと別れると言い出したのは、結婚後わずか半年後の話。ダンナの実家まで行って、親を巻き込んでかなり大騒ぎした。なのに結局それから6年も一緒に住んでしまった。ダンナが絶対に別れないと言い張ったのだ。勿論私の意志も弱かったわけで。

昨年3月、泥沼の末にとうとうダンナを追い出した。ダンナの両親を呼んで、引きずるようにして連れて帰ってもらったのだ。
それ以来別居していた。後はダンナに離婚届に署名させるだけだ。
そしたら8月のアタマにダンナがうちに現れ、30分だけいて帰ったと思ったら、そのまま消えたのである。

ここまで話を聞いているにも関わらず、私がダンナに「逃げられた」という思い込みが後を絶たないのは、まさに「消えたもん勝ち」というものだ。
実際のところ、どんなに別れようと思っていた相手でも、失踪されてしまうときついというのはある。消えるってのはかなり卑怯なやり方だ。

そしてネット上にScreaming Bunnyが現れる。最大の特徴は「ダンナ失踪中」で、これはもう持ち芸ですらあった。一度チャット中に「離席」と書こうとして、変換間違いで「離籍」と書いたらウケることウケること。体を張ったギャグだってね。

私はよく日記にダンナとの思い出話を書いた。全て結婚前の話だ。要するにダンナを愛してた頃の話。思い出の中でだけダンナに会っていると、だんだんと美化されていくのがわかる。

ところでダンナの実家にはPCがある。見ようと思えば今すぐにでもこの日記が見られる。時間の問題なのだ。



2003年06月12日(木)  I know I know its you. &*%^$#@#$%^&*&()**%%$#@#$%*%

以前からこの日記のクライマックスになると予言していて事態が勃発。ダンナが現れた!!

お昼12時前に電話が鳴った。ディスプレイを見れば「コウシュウデンワ」の文字。
8日にも同じことがあって、出ると無言で切れた。ダンナだと確信していた。そして今また同じことが。
電話を取った。聞き覚えのある声が私の名前を呼んだ。
「今どこにいるの?」と訊くと、すぐ近くだと言う。こっちに来るのかと訊くと、行きたいという。そう、じゃあ来れば、と言って切った。

ほどなく現れた彼は、健康状態が良くないのか顔が少々むくんでいる他は、失踪した10ヶ月前と殆ど変わっていなかった。
驚いたのは彼の方だ。私の髪が赤くなり、耳に穴があき、胸にタトゥーが入っている。

最初の2時間は話をした。彼のこの10ヶ月の生活は、私がいつも言っていた通りだった。ちなみにこれは、彼の親を含めて私の周りのほぼ全員が信じなかったことである。
つまり、野宿したり安宿に泊まったりしながら、パチンコで食べていたのだ。昔2年間くらいパチプロ生活をしていたことのある彼は、今回もかなり稼いだようで、最高で1日20万円勝ったそうだ。現金も常に30〜40万円くらい携帯していたようだ。
それがここ最近盗難にあったりして、あっという間に一文無しになった。この10日食べていないという。5日前から寝ていないらしい。

私の話もした。新宿ロックバーRS通いを再開していると言うと驚いていた。男に誘われることはないかと心配そうに聞くので、いや、まああるけどね、とごまかす。実はストーンで会った男と3ヶ月前までつきあってたなんて言ったら、どんな顔するんだか。
Screaming Bunnyの名刺を渡しちゃったから、いずれは全部バレるけどね。ダンナは私の日記のことを知って、非常に読みたがっていた。以前はこんなものに興味を示す人ではなかったはず。酒が抜けたせいかしら。

そう、酒。お金がないせいで最近はずっと飲んでいないんだそうだ。「やっとやめられたよ。今ならわかるけど、俺ってアル中だっんだな」と言うので、「何言ってんの、お金が手に入ればまたすぐに飲みだすに決まってるでしょう。やめられた気でいるなら甘いよ」と言う。

最初の2時間はそうやって話。その後彼が帰る21時半までの7時間半、私たちが何をしていたか。
これはmine-Dさんにぜひ褒めていただきたい。

書斎に入ってきた彼は、CDの山に目をとめた。彼が失踪したと同時に私はPCを買ったので、ネット注文したCDが結構ある。その中の1枚をがばっとつかんで、
「え、レッチリじゃん! 何、レッチリ聴くようになったの?」
「そう! そうなのよー。いや、あんたが帰ってきたらソレ言おうと思ってたんだわ。もう"By The Way"にはまっちゃって!」
「なんだよー、俺レッチリいいって散々言ったじゃん」
「そうなんだよね。"Give It Away"のビデオとか見せられたもんね。あの頃は普通にかっこいいとしか思わなかったんだけどさ。"By The Way"のアルバムにヤラレてから、ブラシュガとか聴くとコレがもう最高で! そうだ、ビデオいっぱいあるのよ。見る?」

てなワケでこのアホ夫婦は、それからえんえん音楽ビデオを見たのだ。最初はレッチリの去年のパリ公演。"Search And Destroy"を初めて見て興奮するダンナ。「昔さ、一緒にじゃがたら見に行った時にストゥージーズのビデオ流してたよなー?」と言う。・・・覚えてないよ!
私の行った昨年のさいたま公演を見せる。"Around The World"を「おおお、かっこいいー!!!」と食い入るように見るダンナ。

そうだ、もうひとつ、ダンナが戻ってきたら言いたいことがあったんだ。ねえねえ私さ、イジー・ストラドリンからメール3通ももらったんだよ。
「え、マジで?!」―――てなワケでガンズのビデオに移る。最初はブートのライヴをいくつか見て、次にビデオクリップ集。"Sweet Child O' Mine"が始まった瞬間に「おおコレかっこいいんだよなー!!」とダンナ。
「そうコレかっこいいのよ。イジー最高で! さすがわかってるぅー!!」 ・・・って、私も盛り上がって・・・。
・・・いいのか、こんなことで?

ラモーンズのトリビュート聴かせて、ジェーンズ・アディクション聴かせて、で、あっと言う間に21時半。

もう遅いから実家に帰るよう言う。泊まっていってもいい?と訊くダンナにきっぱりダメ出し。茨城の実家にはとっくに連絡済みだし。
今からじゃ終バスに間に合わないかもと言うダンナ。そもそもソレ狙いで遅くまでねばっていたのだ。だったら東京駅でホテルに泊まりなさいと言い渡し、追い出した。

帰り際に、「会ってくれてありがとう」と言って、一瞬私の頭を自分の胸に引き寄せた。それが唯一の接触。

ダンナがいる時から軽い咳をしていたし、寒気もあったのだが。
計ったら熱が出ていた。喉も痛い。風邪らしい。何だか疲れたこともあり、やたらとおなかが空いた。珍しくちゃんと食べる。

火曜の夕方から65時間ぶりに眠る。

*(レッチリファン以外の方へ。今日のタイトルは文字化けではありません)

I know I know its you. &*%^$#@#$%^&*&()**%%$#@#$%*% (あなただってわかったわよ)  *Around The World / Red Hot Chili Peppers (1999) の歌詞。



2003年06月11日(水)  All right now baby, it's all right now

昨日の夕方からジャンキーのようにRCサクセションを聴きっぱなし。しかもほとんど3曲のみをぐるぐるぐるぐる聴いている。
「Johnny Blue」 − 「多摩蘭坂」 − 「ガ・ガ・ガ・ガ・ガ」
もう痛い痛い。神経に刺さる刺さる。レッチリだのレオン・ラッセルだのの、えぐるような突っ込むような刺さり方に比べたらどうってことないんだけど、やりようによっちゃ縫い針一本で人を殺すことも可能なわけで、要はこちらの精神状態の問題だ。

さてその精神状態はどうなってんだ?

このところうちのbbsが荒らされてる。本人たちは何か正しいことでもしているつもりだろうが、私のサイトのbbsで、管理人である私に文句をつける書き込みをするなんて、人んちに土足で踏み込んできて、そこの家の主人を妻や子供の目の前で罵倒するに等しい。
書き込み内容も話にならないが、それ以前に行動自体が人間としてなっちゃいないのだ。

もともとbbsと日記は乖離させることを良しとしていたので、ここに書く必要もなかったし、書くのも面倒だったのだが。
わざわざ書いた理由はひとつだけ。私の周りが、心配してくれているのだ。その人たちに、大丈夫だよと言いたい。この日記には絶対に嘘を書かないので、これが一番わかってもらえるはずだ。
特に一人、心配してくれてるしね。大丈夫だよ、スフォ。

何か面倒ごとが起こると、周りが心配してくれる。辛い・悲しいのは勿論イヤだけど、そういう時に自分が一人じゃないのを確認するのは嬉しい。
私がこれまでどういう状況にあっても、基本的に自分を幸福だと考えてきたことは何度か書いた。今もそうだ。
今回のことは辛くも悲しくもない。「煩わしい」だけだ。勿論それなりのパワーはあるわけだが。



2003年06月10日(火)  逃げられっこないぜ Baby そうさ おまえからは

うちのbbsは今、RCサクセションの話題で賑わってる。私が日記にRCを取り上げたのがきっかけだ。
逆に私もbbsに触発され、ずっと手元になかった「BLUE」のCDをネット注文した。今日届いたので早速聴いてみた。高校生の頃から一番好きなRCのアルバムで、特にA面の4曲は珠玉である。久しぶりに聴いて、わかっていてもあまりの良さに驚いたくらいだ。

A面4曲目が「ガ・ガ・ガ・ガ・ガ」。これが実はRCで一番好きな曲。なのに、かなり長いこと聴いていなかった。その曲が始まって。
・・・サビまでも行き着けなかった。慌ててイヤホンを耳から引っこ抜き、CDを停止した。

泣きそう、を通り越して、胃が気持ち悪くなった。しばらくしてからわんわん泣いた。

この時一瞬にして私を圧倒した感覚は自分でも説明が出来ない。
多分、この曲を初めて聴いた16歳の感覚が蘇って私を襲ったのだ。それがあまりにも、呆れるほどに幸せだったので。
この曲を聴かせてくれた、優しい優しい目をしたドラマーの男の子。私は彼の生活をめちゃくちゃに引っ掻きまわして、バンドの人間関係にもヒビを入れ、挙句に他のバンドのべーシストを好きになったのでさよならした。何も悪いことをしたとは思ってなかった。
それが今突然、初めて彼に会いたくてたまらなくなった。これだけの年月を経て、しっぺ返しをくらったようなもんだ。こんなことってあるんだね。

結局、いつもいつも、私を泣かせるのは音楽だ。1曲1曲が、見事に風景と感情を閉じ込めて、待っている。
パックしたアヴァロン。うっかり開けると、引き裂かれる。

逃げられっこないぜ Baby そうさ おまえからは  *ガ・ガ・ガ・ガ・ガ / RCサクセション (1981) の歌詞。


2003年06月08日(日)  When I see his face, he takes me away to that special place

最近はずっとうちにいて、PC中毒にカフェイン中毒、買い置きのチョコレートとアイスばかり食べて、本を読んで、がくがくするほど眠たくてでも寝なくて、寝ないままジムに行き、運動したのに何も食べず、とにかくずっと音楽を聴いて。
去年の9月に戻ったみたいだ。

仕事を辞めて、偶然全く同じ時にダンナが失踪して。考えてみればこの10ヶ月間、私、本気で怒ったことがほとんどない。・・・仕事とダンナ、このふたつは時々私を火がついたように怒らせた。あの気分から解放されているなんて、何て幸せなんだろう。

今夜は家でガンズ&ローゼズのPV集"Welcome To The Video"を鑑賞。一昨日病院の帰りに古本屋で購入。
13曲入りだが、見るのはイジー・ストラドリンの出ている5曲のみ。それと、"Don't Cry"は、画面中に一瞬現れる"Where's Izzy?"の文字だけが存在価値。
5曲とはいっても、"Live And Let Die"はもうほぼイジーのガンズではない。"Patience"はアクセルのカラオケビデオみたいだし。
"Paradise City"はとにかくアクセルのイメージが強い。イジーは幅広のバンダナに帽子で、動きもちょっと地味。渋くて美しいものの、"Patience"同様、lively感に欠ける。

一番美しいのは"Welcome To The Jungle"のイジー。黄色い革のパンツにゆるいトップスが色っぽい。髪の毛の伸び具合も絶妙。がつがつリズムを刻むその後ろ姿は、まさに男の後ろ姿の理想像。

でも私が好きなのは"Sweet Child O' Mine"のイジー。サングラスをして、黒の木綿のシャツに黒のデニムジーンズ。白い靴。いつものイジーより安っぽいラフさ。何だか背が低く小柄に見える。
ギターの弾き方もいつもより激しい。ネックを持ち上げて弦を引っ張るようなお馴染みの硬い弾き方に加え、ピート・タウンゼントかと思うような腕の振り。
終盤で、何か慌てるように振り向きながら後ずさる場面があって、そこがハイライト、異常なほどセクシー。

ところで"Paradise City"のPV、当時から何十回と見てるのに、今回初めてナスティ・スーサイドが映ってることに気づいた。・・・スタッフかと思ってたよ。

When I see his face, he takes me away to that special place. (彼の顔を見てるとトリップしちゃうわ)  *Sweet Child O' Mine / Guns N' Roses (1987) の歌詞。 *she→heに変えて。



2003年06月07日(土)  Baby don't you do it, don't do it. Don't you break my heart.

寝るタイミングを逃して1時間しか寝られず。昨日もそうだし。

今日も新宿URGAでLFMのライヴ。対バンのSMのAK(b)に見に来てくれって言われてる。出は19時半。
19時20分に歌舞伎町メタルバーGZに駆け込む。「ミルク入りの強いお酒作って」と、店員hideくんにウォッカミルクを指示。メニューにないのにごめんね。胃に膜を張りつつ急いで酔いたいもんで。
そしてまたも飛込みで1曲リクエスト。"Can't Stop"頼んじゃった。あの神聖な曲をそんなお手軽な興奮剤みたいに使うのは気がひけるが、一瞬で酔いたいなら何よりも効くはずだから。
・・・・・・・・・・・・効いた。
神様、この世にレッチリをくださってありがとう。大抵の辛いことはこれで乗り切れます。

・・・って言ってる場合じゃないぞ、おい。19時35分だ。
お隣に偶然新宿ロックバーCTのマスターが来てた。後で寄るかもと言って、あたふたと店を出る。

URGA到着。期待通り押していて、ちょうど前のバンドが終わったところ。オレンジブロッサムを買っていたら、ZPのボーカルに会ったのでご挨拶。ステージじゃ全裸で叫んでいるが、オフでは礼儀正しそうな子だなと思っていたら、案の定だし。

さてと。私の定位置のベース前へ。行くつもりが、あら?びっしり女の子で埋まってる。あら?皆SMってロゴ入りのTシャツ着て。・・・AK(b)って可愛い顔してると思ったら、もてるんだー。仕方ないのでど真ん中ボーカル前へ。空いてるし。ギター前もガラガラ。・・・露骨だなー・・・。
前回と同じくボーカルの子は下半身を露出する。今日は脱ぎやすいスニーカーにしてるのが笑える。股間も随分とかわい・・・いや、あの、パンクスって大抵こうなのは何故・・・って、いや、その、カワイくて構いませんが。

次が目当てのLFM。見るの4回目にして初めて、ヒロシ(b)が演奏中にステージから降りて来ない。演奏は逆にいつもよりきちんとしてるくらいだったんだけど。元気がない。何となく眼が虚ろ。
それが気になって、私自身が没頭出来なかったかも。
(大分後で聞いたが、演奏前にメンバーとモメたらしい)

フラスク忘れたおかげですっかりシラフ。尻すぼみな気分で外へ出たら雨。いよいよ冷める。
打上げに出るかどうかは来る前から迷っていた。SMくんたちにお誘い頂いたが、ちょっと考えて帰ることに。
打上げをパスしたのはいいとして、だから家に帰るっていうのが、自分でも信じられなかった。新宿にいて、終電で帰るの? 私どうしちゃったの? マジで引退?

この5日間くらい、気持ちが波立っている。帰宅して大分してから、"Stage Fright"を聴いたら、ぷつんと切れたように泣いた。

神様、この世にザ・バンドをくださってありがとう。
出来ればリックを返してください。



2003年06月05日(木)  いっしょに暮らそう 僕とふたりで

最近ますます活発なうちのbbs。バンドマンというキーワードもまた盛り上がってる。

しかし、「バンドマン」の定義って何だ?
うちのbbsもそうだが、ただバンドをしているというだけの意味で使われることが多いこの単語。
私がこの言葉で本来イメージするのは、ブルース、次いでジャズのミュージシャン。年齢的には40代で、煙草で喉がやられてて、小さいライブハウスの専属で演奏してる。家に帰ればちょっと崩れた感じの女がマニキュアを塗りなおしている。

そしてもうひとつ、「バンドマン」といえば。
「ラプソディー」。

スーツケースひとつで 僕の部屋に転がり込んで来てもいいんだぜ
ギターケースひとつの僕のとこで 明日から始めるのさ


RCサクセションのこの曲を初めて聴いたのは、16歳の時。彼氏(drs)の家で聴いた。当時の私はこの歌詞に心底うっとりしていた。
今にして思えば、「ギターケースひとつの男と暮らす」という、理想というより未来の絵とでもいうべきものが、きちっとここで出来ていた気がする。・・・本や音楽の影響って恐ろしい・・・。
それから2年後、予定通り私は、スーツケースならぬバッグひとつで家を出て、男と暮らし始める。相手の荷物はリュックとギターケース。ただしボーカリストだったけど。

その1年後には、まさにギターケースひとつの男がうちに転がり込んで来る。
胸が痛くなるほど好きな相手だったが、痛いままである日追い出した。確実に追い出す為に途中まで一緒に電車に乗った。駅に一人で置き捨てられた彼は、大きいギターケースのぶんだけ間抜けに見えて、妙に悲しかった。

その数ヵ月後に、ベースギターケースひとつ(+少々の荷物)の男がうちに転がり込む。そのまま彼と9年暮らし、結婚した。

バンドマン 歌ってよ バンドマン 今夜もまた
二人のための ラプソディー


たかが1曲に、人生のパターンを決められてたのか・・・。
しかし三つ子の魂百まで。刷り込みの恐ろしさ。16歳でこの曲にヤラレた私は、経験を積んで学んだ筈の今も、やっぱりこの状況には弱い。
ギターケースを持った男が玄関口に現れたら、追い返すのは難しそうだ。・・・失踪中のダンナがベースしょって帰って来ないことを祈ろう。

いっしょに暮らそう 僕とふたりで  *Oh! Baby / RCサクセション (1983) の歌詞。



2003年06月01日(日)  You'll be my only, my one and only.

HK(drs)は目覚めるなりブッカーズをロックで、ズブロッカをストレートで空けてしまう。私はさすがに今は飲めないので、ホットミルク。
私は昨夜泥酔中にHKの膝で寝てたらしい。信じられないが、デジカメの画像を見せられた。げ。

HKがおなか減ったというので近所の居酒屋へ。HK、終電を気にする様子もなく2時まで飲み、うちに戻って5時まで寝て、それから帰る。

ところで夕べヒロシ(b)に指輪をもらった。自分がはめてたのを外してそのままくれたのだが、サイズが大きくて、親指にはめてもくるくる回る。
とりあえず中指にはめてたら、ヒロシが「かして」と言って指輪を指の上からはさんだかと思うと、いきなりバキッ!
・・・リング部分を折っちゃった・・・
おかげでフリーサイズになったけど・・・。

それ以来、帰宅して他のアクセサリーを全部外してからも、これだけははめっぱなし。
もらった時の状況が能天気で気に入ったのかも。精神的にきつい時に、男の子の能天気な言動に救われることってよくある。

5月14日の日記に書いた、「毎日、救済のようにあらわれる / 蒸気のようにたちのぼる / 眼をみはるほどの / 夜明けよ」の、夜明けの象徴というか、代わりのような、この指輪。
私の、チープな執着。フェイクの宝石。プラスティックなロゼッタ・ストーン。



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