2003年02月27日(木) |
夜、遠くに見える火の柱 |
意味はないが、今朝からキンクス18枚一気に聴いてる。1曲も飛ばさずに。そうするとさすがに聴き覚えのない曲もある。CDだと、聴かないと思うとすぐに飛ばしちゃうからね。
レコードの時代には、聴かない曲を飛ばすなんてことは皆あまりしなかった。面倒だからだ。その結果、アルバムの全ての曲が記憶に残ることになった。それが良いか悪いかはわからないが。アルバム自体に対する愛情にはつながっている気がする。とにかくひとつの作品として丸ごと聴く。
今は1枚のアルバムで2、3曲しか聴かないなんてのはザラだろう。そしてネットのダウンロードが普及してきたひにゃ、誰がアルバムなんて買うだろう?
ちなみに18枚聴いて思ったこと。キンクスに捨て曲は存在しない。レイ・デイヴィスは素晴らしい。
橋本治著、「人はなぜ『美しい』がわかるのか」読了。
タイトルを見て即購入。この本の大きなテーマである「美しいがわからない人がいる」について、以前に詩を書いたことがあるのだ。「美しい」がわからないまま死ぬことへの恐怖を書いた。
作者の言う、美しいものは合理的であるという前提は、感覚的に納得できない。何故なら私はしょっちゅう非合理的なものに美しさを感じるからだ。例えば「完全に自己抑制能力を失った女」というのは、私にはうっとりするほど美しい。ジョン・アーヴィングの「158ポンドの結婚」に出てくるイーディスがそうだ。この小説自体はたいして好きではないのだが、イーディスというキャラクターは忘れられない。彼女は夫婦交換という関係の中で、すっかり自分を見失ってぽかんと口をあいている。
後書きにあるが、孤独は近代の発見だそうだ。何故なら前近代のそれは制度社会からの転落であって、前近代の転落は個人以前の複数(家など)で起こるからだと言う。前近代では 「剥き出しの個になってしまったら発狂するしかない」 という極端な認識があったのだそうだ。
また別の箇所で作者は、「豊かな人間関係の欠落に気づくことが、人の美的感性を育てる」と言っている。つまり美の認識とは、幸福の実感を身内に残したまま、現在の自分の欠落を意識すること、ということになる。───だったら現在の私は、なんと美を認識するにふさわしい環境にいることか。
もともとエモーショナルなたちである。それが現在の環境において、近代の発見である孤独の楽園にひたりながら、ひりひりするほどに欠落を認識、即ち美を認識しているのだ。
────死にたくもなるはずだ。
実はこの感覚は、作者のそれとは逆だ。作者は結末において「世界は美しさで満ち満ちているから、好き好んで死ぬことはない」と言っているのだ。
私は、圧倒的な美を前にすると、感動に口がきけなくなると、死にたくなる。作者が言うところの「欠落」の認識、美が私の内側をカラにして、世界を私の外に置くから、世界が私抜きで完成してしまう────その景色に、打ちのめされるのである。
くしくも──先に挙げたものとは別だが──昔書いた詩にこんな部分があったのを思い出す。
自由と鷹揚が
私を内側からカラにする
誰が私の寝ているあいだに
優しく地獄の火を焚くのか
*(これは18歳の時の詩。全文はこちら)
2003年02月24日(月) |
君と踊りあかそう日の出を見るまで |
わわわわわわわわわわ!!!!!!!!!!!!!!!
たった今すごいの発見した!!!!!!
昨日、捨てようかと思ってチェックしていたテープの中から、お宝を掘り出してしまった!!!
一体何年なのコレ? おそらくは'86年か'87年。場所ははっきりわかってる。新宿ロフト。多分'86年。'86年のロフト出演は3回。6月27日、10月4日、11月15日。全部行ったよ、どれだ?
口惜しい。どれだか判別する手だてがない。でもとにかく、私がそこにいたんだ。じゃがたらのライヴに。これはその、個人録音。録ったのは私ではなく、そこにいた知らない男の子。後日偶然にその子と話す機会があり、その日のライヴを録ったことを聞いて、貸してもらってそれっきり、今日まで返し忘れてたのだ。
「裸の王様」で始まってる。うわあ、どうしよう。私この音おぼえてるよ。最初にアケミがひと声叫んだら、客が叫び返したことから、全部おぼえてる。すごい迫力だ。
2曲目、「スピード」 。
ブートまではわからないが、もちろん正規のレコード化なんかされていないライヴ。だけどこのクオリティの高さときたらどうだ。実際出てるライヴ盤と比べて全くひけを取らない。演奏はもちろんのこと、音質も良い。アケミの声の通ることといったら。これがインディーズのバンドか。
3曲目、「ジャンキー・ティーチャー」。ああ今オトとナベが向かい合って、互いのギターとベースをくっつけるようにして出だしのフレーズを弾いたのが見えた。自分が誰とそこにいたのかもわからないのに(6月なら高橋。10月以降ならダンナ)、自分のいた位置ははっきりわかるし、何故かステージに向かって右側前方にいた男の子たちが興奮して飛び跳ねていたのも覚えてる。
4曲目、「でも・デモ・DEMO」。すごくスピーディー。客がみんなハイになってがくがく体を揺すっている。私もすでに酸欠をおこしそう。速い。オト、海老蔵、ナベ、ていゆう、ホーンセクションも。
4曲目が終わった途端にA面の音が切れた。テープはまだ余っているので、ここで一旦レコーダーから抜いたんだろう。
もどかしくテープをひっくり返して再生ボタンを押す時に、勢い余って隣の録音ボタンまで押しそうになる。ぞっとして、慌ててテープを取り出し、手近にあったボールペンを突っ込んでツメを折る。
A面とB面の間に録り損ねた曲があるのかどうかは判らない。しかし彼は大事なところには間に合ったらしい。B面の1曲目は「タンゴ」だ。
これも速い。合わせて歌おうとしたら声が出ない。代わりに涙が出た。そしたら、17年前の自分が見えた。今とおんなじようにサビのところを一緒に歌おうとして、まるで口パクのように全く声にならず、ステージを見据える為に大きく開いた目からそのまま涙を流し、声の出ない唇を開いて言った。 「さあ、しっかりねらいをさだめて、いつものようにおやり」、「さあ、しっかりねらいをさだめて、笑ったままでおやり」
「クニナマシェ」。客の手拍子が起こる。もちろん私もしてた。余りの感動に、ぶん殴られたようになっている。 「ゴキブリ共のお通りだヤラセロ!」 のところで意識がキレそうになる。私もまわりもみんな酔っ払いのように揺れている。音がだんだんと引いて、女性コーラスと客の手拍子だけを残して、曲が終わる。
そこでテープの音が切れた。ライブが終わったのだ。
君と踊りあかそう日の出を見るまで *じゃがたら のアルバム。(1985)
2003年02月23日(日) |
お友だちがいっぱい(全部男なのは何故だ・・・) |
私は片付け魔なので、モノを整理して捨てるのが大好き。今日は音楽テープに手をつけた。聴いてみていらない物は捨てよう。
昔ミニFM局で音楽番組のDJをやっていた時のテープも出てきた。「それでは今週の1曲目はツェッペリンの『聖なる館』から、"Dancing Days"」なんてやってるし。
前やってたバンドのデモ・テープが出てきた。タイトなドラム、重くうねるベース、ディストーションぎゅんぎゅんのギター、美しいアコギ、ふらふらしたビオラ、そこにぶつぶつと英語で喋ったり、ほわほわ歌ったりしてる私。・・・ヘンなバンド。全部インプロビゼーション(即興)だし。強いてかっこよく言えば、プログレに環境音楽を足して、ヴェルヴェッツを一滴たらした感じ?
懐かしくなりOS(g)に電話した。いつの間にか隣駅に引っ越してきてるし。ダンナの失踪を聞いて、「真面目そうな人だったのに!」と驚いてた。そう、うちのダンナは猫かぶり。
ちなみにこのギター、3人も子供がいながら、奥さんを強姦して離婚されたダメ男。去年、たまたま知り合った言葉も通じない子連れの中国人女性と再婚。「美人でもないし、たいして好きでもないけど、まあ何となく」だそうだ・・・。
OSと携帯で話してたら、家の電話が鳴った。福岡で画家をしてる友人のHIからだ。5年前まで東京に住んでた。池田満寿夫の弟子で、それでも絵では食べていけないので、顔が良いのをいいことに女3人に毎月5万ずつ貢がせていたツワモノ。
HIの近況。「いやー、去年からシャブ中になっちゃって。最近ようやくクスリの量を減らせて、人と会話できるようになったから電話したよ!」って。ちょっと躁が入ってたな。また入院もしてたらしいし。
HIは以前に、四方の壁がマットレスという施設に収容されていたこともある。
・・・何か自分がすごく地味でノーマルに思えてきた。それともこういう連中と友達だって時点でダメか?
MNとメールでやり取りしてたらIB(vo,g)がMNんちに来たので、チャットする。IB、「おまえは東京にいたらジャンキーか何かになってダメになるから、帰ってきて俺の店で働け」だって。IBのライヴハウスが東京にあったら、もうとっくに雇ってもらってるよ。ザ・バンドのかかりまくる店で働けるなんて、本望ですとも。
夜ジムから帰ったところに赤塚さんから電話。お土産でもらったという長崎の豚の角煮饅頭をわざわざ届けてくれた。
2003年02月21日(金) |
Nobody can see him. Nobody can ever hear him call. |
何べんも同じことを色んな人に聞かれるので、ここに書くことにする。あれから半年もたった今、システム手帳のダイアリーを参照しないと、何があったかも思い出せないが。
それによると、ダンナが失踪したのは8/2。
詳細は省くが、私とダンナは3月の時点でもう別居していた。と言うより、嫌がるダンナを私が蹴り出し、ダンナの両親を呼んで実家に連れ帰ってもらっていた。
そしてこれも詳細は省くが、ダンナは当時通院していた。8/2はうちの近所の病院に書類を取りに行った帰りだったのだ。
話が前後するがそれに先立つ7月半ば。私が風邪で仕事を早退して帰宅したところ、病院帰りのダンナが電話をかけてきて、そのままうちに来て看病したのはいいが、数日いついてしまい、出て行かせてもまた戻って来るということを何度か繰り返し、最後は私が出勤時に引きずり出してドア外に置き去りにしなければならなかった。
そんなこともあったので、8/2の段階でも気軽に立ち寄らせるはずはなかったのだが。
ただその日は、物凄い土砂降りだったのだ。ダンナも傘をさしていたが全く役にたたず全身ずぶ濡れ。さすがに追い返すわけにもいかず。上がらせて、服を脱がせ、さっさと洗濯を始めた。
普通ならそこでこれ幸いと居座るのがいつものダンナ。その日は何か様子が違った。やたらと「すぐ帰るから」と繰り返す。あまりにしつこく言うので、どうせいつも通り口だけのくせにと苛々し、「ああそう、だったら帰れば」と言ったところ、雨が上がったと見るや本当に帰った。うちにいたのはおそらく30分くらい。何と洗濯したての濡れたシャツをそのまま着ていった。
どうせこれで本当に帰るはずはないと思っていた。案の定、私が23時頃に近所の本屋に出かけた帰り、うちのすぐ近くで道端に立ってるダンナに出くわした。その時私は一瞬かなり物凄い目つきで睨みつけたと思う。無言でダンナの横を素通りして、帰宅した。
それがダンナを見た最後。
翌8/3の昼、ダンナの携帯に電話してみた。やはり実家に戻っておらず、昨夜は近所の漫画喫茶にいて、今は駅前のパチンコ屋で出してる真っ最中だって。さっさと帰るように言って切った。これがダンナと喋った最後。
夜23時に友達から電話。今から家に飲みに来いって。面倒なので断ったが、タクシー代を出すから必ず来いと言ってきかない。とうとう根負けして出かける。そのまま彼女の家で飲み続け、帰宅したのは8/4の夕方。
8/5の朝と、8/7の昼に、ダンナの携帯から電話があったが、いずれも何故か取ると切れた。
これで全部だ。8/20にダンナの両親が捜索願いを出した。それっきり今日まで行方知れずというわけ。
ところで突然だが、私にとってScreaming Bunnyというのは今やもう役柄のようなもので。この役柄の大きな特徴というか、背景にあるのは「ダンナの失踪」だ。
だから、このScreaming Bunnyの日記の一大クライマックスがあるとしたら、それは間違いなく「ダンナの帰還」である。ダンナの発見ではなく帰還の方がより盛り上がる、と、今や自分の役柄をふまえたScreaming Bunnyはそんなことを考えたりする。
2003年02月09日(日) |
「これはまるで、針が飛んでるかと思っちゃいますね」 |
ジムに通ってると、音楽番組見てどんどん音楽に詳しくなりそう。今日もロックのうんちく番組見ながらステッピング。
スティーヴ・ライヒ、テリー・ライリー、フィリップ・グラス。参考にフリップ&イーノ、タウン&カントリー、ハイ・ラマズ。・・・はい、もう何のジャンルのお話だかわかりましたか? そうですね、ミニマル・ミュージックです。え? 私がこの手のジャンルわかるわけないじゃん。フリップとイーノしか知らないよ。フリップはクリムゾンでのみ存じ上げ。イーノは昔持ってたな。片面1曲ずつ、みたいなスゴイの。
しかしこのハイ・ラマズ、なかなか良くて。この番組、ミュージシャンの説明のあとに実際曲がかかるんだけど、そのたびに私のステップのリズムが変わる。ハイ・ラマズがかかった時は、すごく気持ちよくステップが踏めた。ヘッドホンのボリュームをでかくして聴きながらステッピングしてると、やばいくらいに飛びそうだった。曲は途中をかなりカットしながら流してて、実は14分くらいあるらしいから、フルで流されたらエライことになるとこだった。ステッパーズ・ハイ起こしちゃうよ。
允(vo,g)から電話。とうとうミキサーと新しいターンテーブル買ったって。自分で聴くためだけに、いい物がんがん揃えるなあ。食べ物買うお金もないくせに。
哲也(drs)からメール。ストーンズの武道館の先行抽選予約4枚頼むって。手数料・送料込みで90,400円だよ。哲也、ドームも2日間行くってのにねえ。
みんな音楽にはお金惜しまないのね。
「これはまるで、針が飛んでるかと思っちゃいますね」 (そのTV番組で音楽評論家が言ったセリフ)
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