Rocking, Reading, Screaming Bunny
Rocking, Reading, Screaming Bunny
Far more shocking than anything I ever knew. How about you?


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*名前のイニシャル2文字=♂、1文字=♀。
*(vo)=ボーカル、(g)=ギター、(b)=ベース、(drs)=ドラム、(key)=キーボード。
*この日記は嘘は書きませんが、書けないことは山ほどあります。
*文中の英文和訳=全てScreaming Bunny訳。(日記タイトルは日記内容に合わせて訳しています)

*皆さま、ワタクシはScreaming Bunnyを廃業します。
 9年続いたサイトの母体は消しました。この日記はサーバーと永久契約しているので残しますが、読むに足らない内容はいくらか削除しました。


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2002年12月22日(日)  Do you need anybody? ---I need somebody to love

やらなければいけないことを全部棚上げにして生きてる。脇において。支払い停止にして。それこそ70年代フォークみたい。

「アビーロードの街」なんてタイトルがすでに安っぽい。バンド名もかぐや姫ってんだから。歌詞の浮ついた感じは救いようもなく。メロディも情けない。ヘタレの一言。で、これが。

30年近い時を経て、私の心に沁みる。1973年から。ナフタリンの香りがしそうな年代もの。


あの日の君は傘さして 青山通り歩いてた
君は雨の中 丁度今日みたいな日だった
ビートルズの歌が 聞こえてきそうと
二人で渡った 交差点
いつもは君と歩く道 今日は一人で歩いてる

通りがかりの喫茶店 ガラス窓越し雨の街
いつもなら君を 無理して笑わせている頃
となりの二人は 見てきたばかりの
映画の話しを あれこれと
一人のテーブル つまらない 君に逢えない水曜日

車の流れが耳につく 話し相手も居ないとき
ポケットを探り やっと見つけた十円玉
公衆電話だから 大きな声で
言えないけれど 好きなんだ
地下鉄駅まで帰る道 青山通り雨通り



この腑抜けな歌は、たった2行を言いたい為に歌っている。

公衆電話だから 大きな声で
言えないけれど 好きなんだ


あとの曖昧かつ無意味な歌詞は全部、この言葉の持つ重みを出す為に、ふわふわと周りにまとわりついているだけ。結局この頃の若者にとって、重要な意味を持つのはただひとつ、子供同士の恋だけだったから。

多分この状態というのは、ほぼ毎日(水曜以外?)会っていて、つきあっていると言っていいんだろうけど、特に具体的な約束はないというところか。
今では携帯が、なんて話は省く。大きな声で言えないということはボックスではない。当時電話ボックスは少なかったんだろう。どこかの店先か。赤かピンクの電話かな。
やっと見つけた10円でかけるわけだが、当時は10円で3分話せた。恋心を告げるにはちょうどいい時間か。今では10円だと1分しか喋れない。かなりさっさと用件に入る必要がある。
公衆電話は彼女につながるツールで、それはぽつりぽつりと街に点在する。用事はない。全然。
そしてこの 「好き」 にも何の意味もない。言われた相手も、だからどうするわけでもない。なので、後は雨の中をまた歩いて帰るだけの1行で終わることになる。70年代フォークの作り手たちは、自分たちの行動の無意味さをちゃんと知っていたりする。

それでもね、それだけに。
そのぼんやりとした曖昧さが、胸を打つ。本当は相手のない恋の告白。雨の街で公衆電話の受話器を握りしめて、そこには自分しかいない。モラトリアム。浮ついた青臭い恋。性別もほぼなく、顔もない。
切ない、という気持ちが実は、愛の欠如からくることに気づいていない、子供の恋。

そんな恋が、今でもそこらに、落ちてるんだろうか。

Do you need anybody? ---I need somebody to love (誰かにいてほしいかい? ―――僕は愛するひとが欲しいんだ)  *With A Little Help From My Friend / The Beatles (1967) の歌詞。


2002年12月19日(木)  Helpless, helpless, helpless. Baby can you hear me now?

今夜はまたご近所で飲んだ。同じコース。最初Guysで、次がTom Boy Club。
気づいたのは、女一人で静かに飲むのは意外と難しいということ。まず店の人が話しかけてくる。退屈させないようにとの配慮だろうが、実は私は退屈なんかしないのだ。話し相手が欲しければいくらでも調達は出来る。あえて孤独に飲んでやろうと思って、うちの父が若い頃好んでいたという「群集の中の孤独」というやつを味わうべく、わざわざ出かけて来ているのだ。でもそれがなかなか。
Guysでギルビーのストレート2杯飲んで出る。

Tom Boy Clubでは今日はザ・バンドのCDを持ち込んでかけてもらう。"Stage Fright"と"Up On Cripple Creek"を両方聴きたかったので、18曲も入っているベストを持っていったら、全部通してかけてくれた。こうなるといよいよ一人静かに酔いたいものだが。
隣の親父が話しかけてくるのだ。しかも酔払ってるので同じことを何度も聞く。奢ってくれたんじゃなければ災害に近かったな、あれ。
親父、自分が読書好きだと言い張る。「何であなたは中原中也なんか知ってるんですかあー。普通知らないでしょう。まして音楽詳しい人は知らないでしょー」って・・・中也は教科書にも載ってるよ・・・音楽好きは中也知らないって・・・アンダースローされた灰が蒼ざめるわよ。ついでに朔太郎の青猫も月に吠えるわよ。
「あなたは作家はじゃあ誰がいいんですかぁー?」って言うから、どの国にしますか?って聞いたら青ざめやがった。米?英?仏?独?露? 黙ってるので、日本にしておいた。谷崎三島太宰川端安部公房坂口安吾筒井康隆、最近ならば町田康。親父、こんなひねりのないラインナップなのに黙り込む。「・・・川端は、あれはノーベル賞なんか取ってるけど、良いんですかねえー」なんて言うから、「川端は一級のポルノです」と答えたらまた黙る。この親父に「眠れる美女」や「片腕」のエロを説明したところでしょうがないか。
親父、逃げようとして、「いやあ、僕は純文学より推理小説が好きでねえ」などと口走る。
・・・私には自分の目がきらりと光るのが見えたね。その発言、追いはぎにあってノーマン・ベイツの家に逃げ込むようなもの。さあ、どう料理してやろうかと爪を研ぎながら、まずは一般的な話題から、と、「この前、鮎川哲也が死んじゃいましたねえ」と言ったら、しーんと黙り込んだ。どうやら親父、江戸川乱歩しか知らないらしい。ふー。爪をひっこめる。つまんなーい。引っかく価値すらないや。セバスチャン・ジャプリゾくらい言いたかったなー。

どういうわけか私は時々、初対面の相手に中途半端な文学論だの音楽論だのを挑まれる。私は音楽も本も語れるほどの知識はないのだが、相手がうわべだけの薄っぺらな知識を振りかざし、自分の言葉で喋っていないと知った時には、足腰立たなくなるまで叩きのめすことにしている。
この時の親父は余りにも知識がなく、また基本的に気のいい親父であったので、特に攻撃しなかったが。
こちとら普段、綱島さんのような最高の知性を相手に会話しているのである。そこらの50代風情がなめてかかると痛い目見るわよ。綱島さんに言わせれば私の精神年齢は70歳。今まで生きてきて一番の褒め言葉。

それでもジンはおいしい。シュタインヘイガー、タンカレー、ボンベイ。
ラッキーが買えなかったのでやむなくマルボロを吸う。店のマスターが、 「さっきから見てたら吹かしてるだけじゃない。そんなんだったらやめなよ。体に悪いからさ」と言う。あらら、ほんとだ。どういうわけか私、すっぱすっぱ吹かしてた。 苛々してたのか?
にしても今日はやたらと説教される日だ。酒は控えろって哲に言われるし。まるでガイ・フォークスに火の用心を説かれてるみたいね。

3時頃店を出る。またキウイいっぱいもらう。食いつなげそうなくらい。

いい感じにほろ酔い。そしてまた哲に電話しちゃった。これが大失敗。
ほんと、酔払って電話なんかするもんじゃないね。 意識に一枚何か被さってて、自分の声が少し遠くて、だからまるで説得するかのように、自分の本音に向かってわめきたてる羽目になる。
――――「もう会わない」って言ったんだ。

幸いなことには電話を切った瞬間にすいっと気絶。コート着たままソファで4時間寝てた。60時間以上寝てなかったからね。今回は精神状態至って健やかなままだった。最後おかしな電話しちゃったのは、あくまで私の気持ちと、ジンの後押し。

それでは今日のタイトルは、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングの名曲から。

Helpless, helpless, helpless. Baby can you hear me now? (私、ダメなの。聞こえる?)  *Helpless / Crosby, Stills, Nash & Young (1970) の歌詞。


2002年12月18日(水)  例えば僕が間違っていても、正直だった悲しさがあるから

夕べはご近所で飲んだ。

1件目。Guys。家から3、4分だが、初めて入る。
入った瞬間に名前を呼ばれる。え? 見れば英語学校の受付嬢のやすこさん。そして一緒にいるのは先生のBrian。あらー。一緒に座って飲む。ジン、ギルビー、ロックで。
家庭的な店で、店中で会話する。谷山さんていうお客さんが、私がロック好きだと知って大喜びで話しかけてくる。ランディ・ローズが一番好きだって。 「フリー知ってます?」 って訊くから、今うちにビデオあるって言ったら更に大喜び。哲が持ってきたんだけどね。
0時閉店。終電で帰るはずの谷山さんは、私がこの後もう1件行くと聞いてついてくる。

Tom Boy Clubに移動。先月哲と1度だけ来た、テンプテーションズシュープリームスのかかる店。
谷山さんとロック話。スティーヴ・バイエクストリームヴァニティ・フェアライ・クーダー。私ってほんっと音楽の話を合わせられる。我ながら最近そう思う。「これだけ話が通じる人は初めてですよー!」と言われる。いや、浅ーく通じてるだけなんだけどね、実は。
今日は店主にもちょっとだけ話しかける。何が気にいられたのか、私だけ自家製のキウイを10個頂く。キウイ好き。果物だけ食べて生きてけるなら、それでもいいくらい。
お支払い、谷山さんが1万円近く払ってた。わー。二人ともジンをばかばか飲んだからなー。ボンベイ、タンカレー、ゴードン、ギルビー、全部ストレートで。「お酒、すさまじく強いですね!」と言われる。気のせいだよ。

2時閉店。谷山さんちにCDが1000枚、DVDも多数あるから、これから行こうと誘われるが、断って帰る。

家に帰って、何となくフリーのビデオを見る。谷山さんがベースが好きだって言ってたな。そうそう、アンディ・フレイザー可愛いのよね。髪形も服装も動きもレイ・デイヴィスに通じるヴォードビル性がある。本読みながらたらたら見てたら、ビデオが終わって。止めないでほっといたら、何と残り部分に入ってたらしい「音楽の正体」が始まるし。
懐かしい。これ10年くらい前だね。この頃のCXの深夜って毎日ほんといい番組流してた。「TVブックメーカー」、「アメリカの夜」、「バトラーの受難」。「やっぱり猫が好き」はオープニングが矢野顕子、エンディングが忌野清志郎。「子供欲しいね」はテーマ曲がニール・ヤング! 今は週に1分もTVを見ない私だけど、当時はそれなりに見てたのね。
「音楽の正体」はほぼ全回見たはずだけど、強烈に覚えてるのは吉田拓郎の「結婚しようよ」の回だけ。そしたらその回が入ってた。わ、嬉しい。

まずは三和音のお話から。トニック、サブドミナント、ドミナント。懐かしい。ついでカデンツ。どうよ、C-F-G-Cだけで何でも出来ちゃうでしょ? 代理和音てのもあるわけですよ。サン・サーンスの白鳥、綺麗でしょ?
全ての音楽は1度(C)から始まって1度に帰る。ビートルズの"All My Loving"はそれを嫌って、あえてDmから始めたんですよ、と言われてちょっとうっとり。
倍音のお話。何故「C-F-G-C」ががっちり出来てるのかの説明。ここまでの説明に番組の殆どを使い、ほぼ終わりに近づいた時に一気に「結婚しようよ」を持ってくる。

妙に素直な笑顔の、若い拓郎の画像を映して、曲を流す。C-G-Am-C。あれ? 3番目のコードが代理和音の6度(Am)だ。
「ここで世間はあっと驚いたのです」と、近藤サト。
本当かよ!!と、10年前と同じ突っ込みを入れる私。
曰く、6度は1度の代理和音であるから、1度の代わりもしくは1度の次に使うのが正しい。逆の6度から1度という流れは音楽理論上ありえない、と。
何故6度→1度がダメなのか、例え理論についていけなくても、耳で聴けばはっきりしている。この流れは間抜けなのだ。女々しくて弱い。未解決のままおめおめと古巣に戻る。無責任な'70年代モラトリアムそのもの。

ところがここからたった1分半の間に、番組が一気に盛り上がる。「結婚しようよ」がかかる。控えめな男性のナレーションが入る。ここを要約することがどうしても出来ないので、全部そのまま掲載する。

「AmからCの不安定な進行の上に、キーワードの『結婚しようよ』が乗ってきます。不安定な進行の上に乗っているだけに、肝心なプロポーズの言葉も説得力を持ちません。他の歌詞も現実感のない夢見がちな言葉ばかり。肝心の結婚しようよという言葉が重みもなく流れていってしまう。これでいいのだろうかという不安な頼りなさが漂います。ところがこの後現れる最後のサビ、ペアルックのシャツを干すという生活感の描写を4−5−1の基本カデンツで語り、しかもそこに『結婚しようよ』という言葉を入れ込んでいるのです。曲のクライマックスで安定感のあるカデンツの中にプロポーズの言葉を入れる。実によく作られています。では最後のサビをどうぞ」

ははは。
泣いた。
10年前も泣いたよ。思い出したけど。
あのね、こんなのフロイト並みの誇大妄想だよ。 「二人で買った緑のシャツを僕のおうちのベランダに並べて干そう」のどこが現実的なのよ。他に負けないくらい不安定で頼りないでしょうが。
ただ私を泣かすのは、ここで語られている'70年代フォークそのものだ。少しうろ覚えだが、ある日本のクラッシクの大家(だか、作家)が当時のフォークを評してこう言っている。 「その虚無感、責任感のなさ、言語感覚の貧しさは筆舌に尽くしがたい。故に、殺意に近い憎しみを感じる」
────そしてこれこそが正に、私の考える'70年代フォークの真髄なのだ。不安定な進行の上の、説得力を持たない言葉。現実感もなく夢見がちに流れる。不安定な頼りなさが漂う。

──無理やりな結論はいらないよ。そのサビも馬鹿げた夢のまんまだよ。平和な夢の真ん中に置き去りにされて、あんた達はみんな、どうしたらいいかわからずに、何の現実的な知恵も力も持たされずに、子供どうしで恋をしてたんだね。やわらかい木で出来た、切れやすい弦のギターを持って。似たような無意味な言葉を口ずさみながら。大人という生き物が本当にいると信じて。ひと時だけ、甘い自我の存在を信じて。

確かなことなど何もなく、ただひたすらに君が好き (流星)/ 吉田拓郎

例えば僕が間違っていても、正直だった悲しさがあるから  *流星 / 吉田拓郎 (1979) の歌詞。


2002年12月17日(火)  思い出話を少々

新宿ロックバーRSの辻くんに電話して、今朝の件を謝る。全然怒ってない。なんていい子だろ。
それより私だよ。遅刻癖なおせよ。

ロックバーRSといえば。
私がまだ19歳の、多分3月。当時大阪にいた先輩(b)に電話した。ベースの腕は問題ありだったが、見た目がかなり好みだった。私は彼のバンドのボーカルとつきあっていたのだが、彼の方が好きだった。何だそれ。
その彼が電話で言ったのだ。「東京にいるのなら、新宿のRSっていう店が面白いから行ってみれば?」
この一言。この一言さえなけりゃ。

速攻で行った。一人で。初回はカウンターでジンライムを飲み、店員と友達になった。二回目からは他人のテーブルに座りこんで一緒に飲むという荒業を繰り出し(当時RSは平日でも混んでいたので、一人でテーブル席を取るのは無理だった)、どんどん常連と友達になっていった。いつ一人で行っても、誰か知り合いがいる。週に3〜5日は通った。

ある日、珍しく女友達と二人でSRに行った日に、初めて高橋(g)と出会った。高橋はジョン(彼ともこの時が初対面)と飲んでた。あちらに誘われ4人で飲む。閉店時には高橋と二人だった。そのまま彼の部屋に行き、3日間いた。3日めに帰ったのは、うちにマルがいたからだ。いくら水も餌もたっぷりあったからって、ひどすぎる。帰ったらにゃあにゃあ怒る怒る。
彼氏(vo)に電話して、別れると言って激怒される。

それからの毎日は、RSと高橋の部屋の往復。二人の時もあれば、菅谷くん(drs)が加わって三人の時も。RSにいようが部屋にいようがやることは同じ。ロックとお酒。それだけ。
当時RSはウイスキーが1,900円でキープ出来た。だからお金のない私たちがあんなに入り浸れたんだ。皆ほんとに金がなくて、MSGのCDを買うから何日か食事を抜いたなんてのはよくある話だった。高橋なんて家に電話もなかった。誰もまだ携帯なんか持ってない頃。

5月に、私は一人でRSにいた。高橋と切れようと決心して、むしゃくしゃして。こんな日に限って知り合いが誰もいない。
長髪の男の子(g)に声をかけ、テーブルに座らせてもらったら、この子が何と高橋の親友と判明。あらま。
彼はもう一人の長髪の男の子と来ていた。背が高くて茶色の髪。痩せて鎖骨が浮いてる。べろべろに酔っ払って目がいってた。バンド何が好き?と聞いたら「ガスタンク」と答えた。これが後のうちのダンナ(b)である。

その後、私は高橋と切れるのに失敗。それどころか彼はギターケース抱えてうちに転がり込む。往復はRSとうちに変わった。相変わらず菅谷くんがからむ。彼は彼で私を散々くどく。彼は自分では気づいていないだろうが、高橋を崇拝していて、高橋のものが欲しいのだ。

漸く高橋をギターケースごと追い出すことに成功。あの直前の時期は何だか忘れられない。ポール・サイモンディランビートルズストーンズツェッペリン────特にポール・サイモンのダンカンの歌。それからビートルズのホワイト・アルバム。二人でもうこればかり聴いていた。私は彼の前では24時間緊張していた。彼のことが好きだった。だから追い出した。

8月。ダンナと一緒に暮らし始める。

高橋は私の友達としての位置を取り戻す。おかしなことに、私たち皆でバンドを始めた。私(vo)、高橋(g)、ダンナ(b)、菅谷くん(drs)。また見事にパートがそろってたもんだ。ライブもやった。私は掛け持ちで別のバンドもしてた。ライブの打上げは当然またRS。

RSにいると感覚がおかしくなる。常連同士で飲んでたりすると、そちらへの仲間意識の方が、ダンナとの関係より優先したりする。高橋もこの仲間意識を利用して、私との距離を縮めようとする。当然それらは全てダンナに伝わり、彼は私がRSに行くのを歓迎しなくなる。
結局それから数年かけて、ゆるやかにRSから遠ざかっていった。ダンナの方はとっくにRSに興味をなくしていた。
しまいには年に一度も行かないようになり。
更に数年間行かない状態が続き。

今年の8月はじめにダンナが失踪。9月にRS通い再開。今じゃご覧の有様である。

ほんとにあの店さえなけりゃ、私の人生変わっていたはず。ここに書けないようなことも山ほどあった。何て充実した、何て馬鹿げた日々だったろう。
もう当時の常連は、ジョンを除けば誰一人いない。皆どこかで生活をしているのだ。
私だけが舞い戻って来た。生活から浮き上がって。



2002年12月10日(火)  成田の入国管理局の方へ。これは全部フィクションです。

さて、もうひと勝負。成田の入管。

昨日の日記のタイトルにも書いたが、私はヘンプを持ち込むに当たって、全然怖がってはいなかった。捕まったら留置所行って、罰金払えばいいさ、くらいに思っていたのだ。前科ついたからどうってこともない。
実際一番気にしてたのは、私が成田で捕まっちゃったら、迎えに来てくれてるはずの哲に迷惑かけちゃう、ということだけ。

入管、記憶もないほどあっさりとパス。やっぱどこの国でもレジデンツには甘いね。

それよりも出る直前の手荷物検査。何とカウンター前に 「麻薬取り締まり月間」 「薬物の侵入を許しません!」 なんてでっかく書いてある。しかも何故か前の人がやたらしつこく色々聞かれている。係員目つき悪いし。

私の番。にっこり。
「今日はどちらからですか?」
「ロンドンからです(にっこり)」
「申告する物はありますか?」
「ないでーす(にっこり)」
おしまい。

ヴァージンは何と1時間遅れたので、11時着だった。哲ごめんね。
それにしても、寒いロンドンから逃げてきたら、東京に雪が積もっていたのにはびっくり。

帰宅途中でビール、ゴードン・ジン、ズブロッカ、イギリスブレッド、オレンジブレッド、蜂蜜、チーズ(ミラベラ、チェダー)を買う。こういう食事が一番好き。 家にはブッカーズとエズラ・ブルックスのバーボンコンビがお留守番してた。豪勢だわー。家に着くなり、エレガントに鯨飲。

ところでKくん、都合15時間近くも私の胸で温まったグラス、末端価格が跳ね上がってますことよ?



2002年12月09日(月)  Can't you see that I am not afraid?

フロントに6時のウェイクアップ・コールを頼んでおいたが、電話が来たのは6時25分。最後の最後まで・・・

TVのニュースはとにかく夕べも今朝も寒い寒いと言い続け。明日は雪かもとのこと。逃げなきゃ。

朝食してチェックアウト。アールズ・コート・ロードのクリーニング屋に寄り、彼らが戻し忘れた靴下を片方受け取る。(このクリーニング屋は3回利用したが、戻ってくるたびに必ず何かが足らないし、他人のものも紛れ込んでいるのであった)
最後の最後まで・・・

今朝は相当気温が低い筈だが、スーツケースをひきずって歩きながら全く寒さを感じない。去るのが悲しいだけ。

ピカデリー・ラインでヒースローへ。相当余裕を持って着く。

ぼーっとしながら総合搭乗ゲートの列に並び、ふと気づいたらコートのポケットにヘンプを突っ込んだままだった。慌ててその場で取り出してブラに突っ込む。犬が見えたらすぐに捨てるつもり。
──スウィートな麻薬犬。ニューカレドニアの空港ではにこにこしながら乗客達の間を嗅ぎ回っていた。一度TVで見た麻薬犬は、ベルトコンベアーを回ってきた荷物に飛び乗って、そりゃもう嬉しそうにわんわん吼えていた。働く犬は可愛い。誇り高い顔つきをしている。疑り深い人間なんかだませる。だませないのはあのピュアな目をした犬だけ。

バーガーキングに行きたいのをぐっと我慢。コーヒーを飲む。成田に着く前に100gでも痩せなきゃ。

ヴァージンの搭乗ゲートをくぐる。金属探知機その他一切ひっからず。
飛行機に乗る前にもう一度検査。こんなの初めてだ。やはりあのテロ以来? 女性黒人係員に、まずはリュックの中を調べられる。うわ。煙草の箱開けてるよ。やっぱり荷物に入れなくて良かった。
お次は身体だ。両手で体中を挟むようにしてさわってくる。胸の谷間にも手が来るが、さすがに乳房そのものはさわらない。どっこいそこなんだな、ヘンプが押し込んであるのは。右の乳房の、青い蝶の下辺りだよ。セーフ。

無事機上の人となる。離陸時には窓に張り付いてロンドンに別れを惜しむ。
また隣は誰もいない。"By The Way"のアルバムを5回聴き、アメリカンホームコメディをいくつか見て、あとは本を読む。ジンをもらい、機内食は残す。今度はグッズはスカイプルー、カトラリーはネオンイエローとライトブルー。

さよなら、ダーリン。必ずまた来るね!

Can't you see that I am not afraid? (びびってはいないわよ?)  * Touch Me(さわってごらん) / The Doors (1967) の歌詞。


2002年12月08日(日)  By The Light Of The Magical Moon / Tyrannosaurus Rex

ロンドン最終日。寒い。

テンプル駅からコートルード美術館へ。あまりに寒いので室内にいたいだけの理由で美術館へ来た。美術館を含むロンドンの名所は、前回の一ヶ月間の滞在中にほぼ行き尽くしている。コートルードは数少ない残りのひとつだ。
ところがこれが結構良かった。フランス印象派を中心にあるわあるわ、マネ、モネ、ルノアール、ゴッホ、セザンヌ、コロー、ボナール、モジリアニ、ウィスラー、シスレー、マティス、ドガ、ピサロ、デュフィ、ゴーギャン、ロートレック、ピカソ、ルソー、etc...
カンディンスキーだけの部屋もあり、自分が結構カンディンスキーを好きなことを知った。絵柄はミロやクレーを思わせるものから、レイモン・ペイネに似たものまで色々だが。

しかし実は私が一番気に入ったのが、"Landscape by Moonlight"という作品であった。題名通り、月明かりに照らされた風景。単純な作品だが、この色。戸外の風景がこういう色を出す時間はほんのひとときに限られている。水と木と荒野、月とそれにかかる雲。その絵の前に立っていると、自分の顔が月明かりに照らされているような気分になる。何だか見ているともう嬉しくて、30cmくらいの近さに顔を近づけて、にこにこしながら見ていた。その時たまたま部屋に誰もいなくて、思いっきり油断していたのだが、あとで柱の陰にしっかり監視員がいるのに気づいた。色んな意味で警戒されたかも。
ところでそれが結局誰の作品かというと。"Sir Peter Paul Rubens"──ルーベンスぅ? 私ルーベンスなんか好きだっけ?
ふと見回せばそこはルーベンスの部屋。一周してみるがどの絵も全く心に響かない。うちの父が好きそうな宗教画ばかり。あらま。
しかしこういう単純な絵は、複製にするともうしょーもないだろうなと思っていたら、案の定であった。しょーもな、と思いながら絵葉書を買う。

寒いがやはり最後にもう一度カムデン・タウンに行っとこう。

改札を出たと同時にカムデンの駅が閉鎖。最後の最後までやってくれるなあ・・・
寒いのでとにかくフラスクからジンを飲む。

サイバードッグという店に入る。ショップとカフェ。薄暗い中にスモークをたいて、ロックをがんがんにかけ、売っているものが全て蛍光塗料などで光っている。カフェの店員はそれこそサイバーという言葉にふさわしくて、ピアスだらけのモヒカンの女の子がメタリックシルバーの服を着て、踊りながら私のコーヒー入れたりする。見てたら案の定全部こぼしやがった。いちからやり直しね。

マーケットを回るが、とにかく寒い寒い。どうでもいいようなぼろいTシャツなど買う。

何しろ駅が閉鎖なので、バスでノッティング・ヒル・ゲートへ。バスで隣に座った黒人に電話番号を聞かれる。・・・最後の最後まで、、

今日はもう寒くてダメ。帰って荷造りする。



2002年12月07日(土)  A Design For Life / Manic Street Preachers

午前中カムデン・タウンに行き、タトゥーを入れる。
入れようと思いついたのはアムステルダムに行く前くらいか。日にちもないことだし、ロンドンに戻ったらすぐにやろうと思った。入れようという思いつき自体と、入れる場所と図柄とが、全部同時に頭に浮かんでいた。
カムデンならタトゥーやピアーシングのスタジオが沢山あった筈なので、とにかくやってきた。
駅を出て一番先に目についたスタジオへ。黒髪のスロヴァキア人のお姉さんが、渋い低音の声で "Can I help you?" と来たので、欲しい絵柄を詳しく伝えて、色々探してもらう。結局ずばりこれという絵柄はなかったので、ひとつ選んで色・デザインを変えてもらうことに。お姉さんが絵柄を私の希望の大きさに拡大コピーしてくれる。

彫師はポーランド人で、ポーランドのヘビメタを部屋に流していた。
まずはタトゥーのコピーをトレーシング・ペーパーのようなものに写し、インクでなぞり、肌の上の然るべき場所にぺたりと貼ると、絵が肌の上にうつる。それを上から彫っていくわけ。

作業をするところはまるっきり歯医者のよう。歯医者のような台。歯医者みたいな椅子に座らされる。彫師は製図のロットリングに使うような器具(ただし先は針)を手に持ち、台のスイッチを入れるとそれがういーんと動く。
相当痛いものと思っていた。時間も何時間もかかるか、下手したらその日だけでは終わらないと。とにかく入れると決めたんだから、覚悟はしていた。
きたきたきた・・・うわー・・・
あれ?
全然痛くない。何か、かりかりやられてるけど、痛いとまでは思わない。
えー、刺青ってこんなもんなの? こんなに簡単なの?
作業は順調に進み、20分くらいで終了した。彫られている最中も、何だか気持ち良いくらいで、過程としても結果としても、とてもエレガントな仕事をしてもらった気がする。
終わったので鏡で見てみる。"Beautiful." の一言だった。右の胸の上、シャツには隠れるがブラからは出る位置に、夢のように綺麗な深い青の蝶。

ヒーリングクリームを塗りラップして、上からテープで止める。
3、4時間してから取るように言われる。特に痛くもない。
彫る間、セーターを脱いでいたので、結構身体が知らないうちに冷えていた。バックス・ヘッドというパブでヒーターの横の席に座り、ビターを飲んでジャケット・ウェイジズ(ジャガイモの皮つきの部分を揚げたもの。サワークリームをつける)を食べる。まだ身体が温まらないので、ジンももらい、自分のフラスクからこっそりどんどん注ぎ足しては飲む。気づいたらかなりの量を飲んでしまっていた。

食べたばかりなのにまたストールのチャイニーズを見てしまう。ああうまそう。ダメよダメダメ。でももうすぐ帰るんだし。あああ買っちゃった。またそんなに山盛りで・・・。食べながら歩く。うまいー。
酔っ払い、お腹いっぱいの状態で、へろへろふらふらとカムデンの街を歩き回る。ふわふわして何とも気持ちいい。
マーケットのストールでまたJoに会った。"I'm drunk today." と言ったら笑っていた。赤い絞り染めのブラウスを買う。クリスマスに我が家に招待しようと言われたので、明後日帰るのだと言う。残念。

一度ホテルに戻り、マニック・ストリート・プリーチャーズを見に行く。ウェンブリー・パーク駅はゾーン4。今までで一番辺鄙な場所だ。
会場のウェンブリー・アリーナだが、どうも気に入らないつくりだ。ステージから向かって奥に縦長に伸びていて、角ばった長方形なのだ。1階は前半分がスタンディング、後ろがシート席。2、3階は、左右に座ればステージから90度顔を背けるかたちになるし、正面の奥は遠すぎる。

前座が何と元ストーン・ローゼズイアン・ブラウン。しかし歌が下手だね、この人は。どういうわけか「ビリー・ジーン」なんか歌う。マイケル・ジャクソンが聴いたら失神しそう。いいけど、させても。

マニックス登場。1曲目は"Mortorcycle Emptiness"。後ろにずっとビデオ映像を流してるんだけど、この1曲目の映像のロケ地が何と日本(渋谷)で、 「三千里薬局」っていうでかい字がずっと映っている。ニッキーが子供みたいに飛び跳ねているのが可愛い。
昨日のプライマル・スクリームを見たあとだけに、今日のマニックスというのが本当にきちんとしたコンサート作りをしているという印象が強かった。歌・演奏ともにかなりしっかりしている。客の喜ぶ曲ばかり立て続けにやり、最後は"A Design For Life"でしめて、何とアンコールなしですぱーんと終わった。客がそれにきっちり納得しているのがまた凄い。
しかしこのバンド、デビューは90年代に入ってからの筈なのに、音がもう'80年代のロマンティックな夢の名残とでもいった感じで、こんなバンドが未だに生き残っているということが、いかに根強い固定ファンを多く持っているかという証明である。昨日のオーディエンスはライブを楽しんで賑やかに帰っていった。今日のオーディエンスは感動に打ちのめされて無言で帰るのだ。
帰りに出口のところで一人の男性が連れに一言 "Special people...!!" とだけ言ってため息をついていた。幸せなバンドである。

それにしても、昨夜といい今日といい、オーディエンスの中に上は50代までちらほら見えるというのがすごい。マニックスを見に来る50代の夫婦なんて、日本じゃまずありえない。これはこの国では大人がロックを聴くという環境が築かれていることも勿論だが、大人が子供に馬鹿にされることを恐れていないことも大きいと思う。日本では、大人はひたすら若さを恐れている。色んな意味で。

帰りにマニックスのTシャツを売ってた男性にナンパされる。煙草だけもらっとく。
そういえば行きにはダフ屋にナンパされた。ほんと節操ないな、ここの男たちは。



2002年12月06日(金)  Rocks / Primal Scream

朝ホテルをチェックアウトし、8時から3時間バーニーズというコーヒーショップで過ごす。ここにはきれいに巻いたジョイントを売っているので、それを吸う。
時間が早いせいか、まともに朝食を取りに来るひとが多く、食後にヘンプを吸う場合もあれば、まれにそのままで出て行く人もいる。私はパンケーキを頼んで激しく後悔。直径が30cm以上あったのだ。コーヒーも飲む。
さて'Orange Bud'の夕べ巻いてもらったのを吸う。その後はホットチョコレートをおかわりしながら、Mekong Hazeのジョイント、そしてWhite Widowのジョイントを吸う。効かないので最後は100%ピュアなのにしてみたが、結果は同じだった。あああああ。

2時半の飛行機で発つ。時差の関係で14:50にロンドン着。さすがにアムスからのヘンプの持込は無理だろうと思っていたら、入管はノーチェック。悔しい。

夕方はBrixton Academyでプライマル・スクリームのライブ。19時過ぎに着く。前座はザ・キルズという男女のユニット。男のギターと、女のボーカル(たまにギターも)なのだが、この女性ボーカルがもうかっこいいこと!
ステージに向かって左がギター、右がボーカル。で、ボーカルは常に左半分を客に向けて、つまりはギターの方を向いて歌う。何と髪の毛全部顔の前に垂らしてて顔が全く見えない。ブルージーンズに黒のシャツ。最初男かと思った。男なら結構理想的。声も低くて、がちがちの硬い動きで歌う。歌いながら煙草を吸い、歌い終わると口に水を含んではステージ上にべっと吐く。音はいわゆるガレージ・ロック。
で、この二人がもうどう見ても出来てる。ボーカルは一切女性っぽさを前面に出さないし、ギターなんか殆ど相手を見もしないのに、お互いの間にすごい色気があるのだ。これはいいコンビだな、と思う。あの'Sonic Boom Sex'のボーカルの子が、いくら一生懸命メンバーと絡んでみても何のいやらしさも出せないのに比べると、まあこっちの方が年上とはいえ、経験の差なのか、迫力が違う。
ライブの間に1回だけすれ違いざまにすっとキスした。ギターの方が背が低い。

でまあ、プライマル・スクリーム。登場したのは21時15分。何のひねりもなくだらっと登場。私は何と一番前にいた。ボビー目の前である。特にファンというわけでもないのに。外国で見るとこうなのかな。だったらカリフォルニア行ってレッチリ見たいなー。
しかし何ともセクシーなコンサートだった。私からすれば、ボビーにどういうセックス・アピールも感じないんだけど、今日のオーディエンスは明らかに相当興奮させられてた。
ボビー自身は3曲目あたりからかなりのってきて、膝ついて座りこんでよれよれな感じ(まさにこの辺が昔私のカンに触ったあたり)。
あえて音楽的な話をすれば、演奏・歌ともにかなりダレてたと思う。まとまりがなく、だらだらしていて、歌は調子が外れてたし、録音してれば聴けたもんじゃないだろう。だけど今日のコンサートは、おそらくオーディエンス的には最高だったんじゃないか。(実際彼らの喜ぶこと喜ぶこと)



2002年12月05日(木)  Stupid Girl / Garbage

今日はアムステルダムに行ったわけなんだけど。
はい、やっちゃいました。まさか本当にこんなことするとは。国際線の飛行機に乗り遅れたよ。
45分前までに搭乗手続きしなきゃいけないのに、30分前に着いちゃった。でもいくら何でも乗れないとは思わなかった。そしたら英国航空めが、あっさり冷たくダメって言いやがって。"NO!!"って叫んだら、"Yes."と切り返され、何だか力が抜けたのでもう逆らわずに、2時間後の次の便に切り替えた。もともと観光目当ての旅じゃなし。向こうに朝9時着の予定が11時になったところで大した違いはない。
ところがだ。私の取っていた格安チケットが、別便に切替えたことで正規料金になってしまった。差額の85ポンドを払えと言う。はちじゅうごぉーーー?!!!? だって旅行社に払ってる金額が一切合切含めて170ポンドの旅行だよ? ここに至って初めて、さっきもう少し食い下がるべきだったと気づく。イギリス人は面倒臭がりなので、しつこく言えば通ったりするのだ。(でも機内に案内するのも面倒臭がったりして・・・)

今さら言ってもしょうがない。時間潰しに空港内のバーガーキングに入る。一番シンプルで安いバーガーを頼んだが、出てきた物は、どんな動物の餌だろうと思うような大きさだった。食べる。うまいーーー。もうダメだ私。

さて、ここから少しづつ精神状態がおかしくなり出した。
まさか飛行機に乗り遅れたことにそこまでショックを受けてるわけでもないだろうから、これは多分冷静に観察するに、忙しかった毎日の中で、いきなり2時間という時間が予期せぬところでぽかっと空いたのが原因ではないか。とにかく飛行機に乗る頃には少々泣きが入っている状態で、周囲とも眼を合わせないようにしていた。その時考えていたことというのは割とスジの通った話なのだが、ここに書くと2ページくらいになりそうなので割愛。

半ベソかいてアムスに到着。たった1時間20分の旅だ。その頃には気分は絶頂に達しており、アムスで死のうかなとまで盛り上がっていたのだが。この街を一目見るなりその気がうせた。
汚い。ブリュッセルに似ているが、ブリュッセル独自の建造物などに感じる魅力も特にない。名高い運河もただみすぼらしい。
都会──ディケンズの描くイーストエンド、ゾラのパリ、ドストエフスキーのモスクワ。くすんだ石と汚い水。人が集まってくるところ。貧しさと欲が浮き上がるところ。
実はゾラのパリになぞらえるほどの力すらアムスにはなかった。何しろこの都市は世界に類を見ないほど小さい。なので逆に不潔さも大したことはない。

まあでもとりあえずは運河だろうということで、目についたボート・ツアーへ。一番前に陣取るが、あまりの退屈さに寝そうになる。ぎっしり並んだボートハウス。土灰色の水。どんよりした冬の空。

1時間の行程を終えてセントラル駅に戻る。トラムに乗って美術館へ。名前?読めないけど、Rijksmuseum。
ここの最大の目玉はレンブラントのThe Night Watch──夜警である。最大というのはそのサイズにおいても然りで、一部屋をほぼ占領し、睥睨している。写真を撮ってもかまわないというので一枚撮った。テーマも何も全く知らないが、お得意の光と影は見事なもので、中心の人物はきれいにスポットライトの中に浮いて見える。谷崎潤一郎が 「陰翳礼賛」 の中で、日本の家屋や女性というのは、本来昼間でも薄暗い、照明の足らない室内においてこそその美を遺憾なく発揮するのだ、という意味のことを書いていたが、和の陰影ほど微妙ではないにしても、 「夜警」 の中にもそれに共通するものが見てとれる。ランプの光が届く範囲だけが浮き上がる、騎士道だのレディだのといったものを作り上げるのに必要だった 「足らなさ」 ──その不足こそをロマンと呼ぶのではないか。思えば幸せな時代である。フーバーが静寂をなぎ倒し、フィラメントが美を奪った現代。そこに私たちが代わりに得たものと言えば?
・・・騒音と'Heavy Glow'のロックだったりしてね。

おそらく次に有名なのがフェルメールのKitchen Maid。素直に綺麗な絵だが、これ日本ではある通信教育の広告に長年えんえんと使われ続けている作品で、私にもその印象が強い。そのイメージを完全に払拭してこの絵を見るのはちょっと難しい。

次はヴァン・ゴッホ美術館。ここの話はひとつだけ。私が訪れた二日後にここからゴッホが2枚盗まれたのだ。ロンドンに帰ってニュース見てびっくり。

ホテルは美術館からすぐのところだったので、歩いていく。部屋に一旦チェックインして、すぐまた夜のアムスに繰り出す。ここからが今日の本番。
今回の旅のお目当て、コーヒーショップ(合法ドラッグを出す店)へ。今日日中にアムスを見ていて思ったのだが、オランダがソフトドラッグを合法化したのは、ハードドラッグの中毒を食い止める為とか何とか理由がついていたが、結局実はこれって観光客目当てなんじゃ? アムスははっきり言って魅力に乏しすぎる。ドラッグがなけりゃ私もきっと来なかったろう。

まずは1件目。ライトハッシュいこう。
インドのCharrasを1gと、本物のコーヒーを一杯頼む。いきなり葉っぱだけ持ってこられたので、煙草で吸いたいんだけどと言うと、煙草を1本と専用の紙を何枚か持ってきてくれた。しかし上手く出来そうにない。
隣の席にいた、目のいっちゃってる金髪の男性に頼んで巻いてもらう。上手い。すごく手慣れていて、芸術的に巻いていく。私にはとてもじゃないが出来そうにないと言ったら、「とてもトリッキーなんだ」とぞくぞくするような色っぽい声で言う。
吸う。わわわ、これは私がカムデンで買ったのとはなんと言うか、品質管理が違う感じ。さすが合法。最初にちょっと笑いが来たが、あとはいつも通りゆるやかな効き目。はー、悔しい。何でこんななんだか私。ただひとつ言えることは、ヘンプ吸ってると他に何してなくてもまず退屈しない。ずしんと落ち着くのだ。

2件目。いきなりディープな雰囲気。「インターネットコーヒーショップ」なんて書いてあるから入ったんだけど、結局古い型のマックばかりで、使いものになりゃしない。まあそれが目当てではないからいいけどね。
黒人ばかりが集う店で、ここではモロッコのPollenを吸う。いい香りだ。店の黒人(Jackson)に巻いてもらう。ホットチョコレートももらう。喉の粘膜がやられてて、草の煙がもろに染みるのだ。そうでなくても甘いものは草とは相性がいいらしい。

しばらくしてJacksonが、ネット出来る他のコーヒーショップにつれて行ってあげようと言うので一緒に出る。(仕事しなくていいのか?)
私が朝から食事してないと言うと、おいしいチャイニーズを食べに行こうと言う。入ってみたらメニューはナシゴレン、サテ、ミーゴレン・・・あのーこれってインドネシアンて言うんじゃ。でも料理してるのは中国人だったりなんかする。ここでの食事がもう成田発って以来のベスト1であった。美味い!!

3件目のコーヒーショップ、結局PCはまた役立たず、メール1件送るのが精一杯。
さっきのPollenをどんどん巻いて吸う。別にどこでも持ち込み吸ってかまわないらしい。Jacksonが紅茶を2杯おごってくれる。飲み物はどんどん欲しい感じ。寒いし。

Jacksonに案内されて、レッドライト地区を見て歩く。アムス名物、有名な飾り窓がずらり。レッドと言うよりはピンクのライト。似たような個室が通りに向けてずらりと一列に並び、ドアはガラスで中が丸見え。室内はベッドと洗面台くらい。そして一人一人がガラスドアに半裸の身体を押し付けながら、客を呼ぶのだ。お客のついた部屋はドアにカーテンを下ろして中を見えなくする。
レッドライト地区の中でも更に極めつけのブラック・ゾーンと呼ばれる地域も歩いた。女性なんて一人も見かけない。私一人では絶対に来られなかっただろう。私はリュックしょってたのだが、ちょっと怪しい気配に振り向くともう手がリュックの中に伸びてたりする。

ピープ・ルーム(覗き部屋)へ。結構これもあちこちにある。真ん中の丸いステージをぐるりと囲むかたちの個室があって、そこに入るとコインの投入口がある。お金を入れた分だけ見られる。
あれって女の子からこちらは見えないことになってるけど、どうだろう、見えてんじゃないかな。かなり目が合ってる気がするし、しかも何だかこっちが女だってわかってる気もした。
男女の絡みを見たならともかく、女の子が一人で開脚してるのを見ていると、色々冷静に考えてしまう。身体柔らかいなあ、だの、下半身冷えないのかなあ、だの。

大変だ。頭がすっきりしてきた。草!酒!
4件目のコーヒー・ショップ。今度は何だかハード・ロックががんがんかかって、ロックビデオが流れている。コーヒー・ショップもほんと色々だ。ここではとうとうジンを飲む。またJacksonの奢り。ただし彼はちょっと前から態度が怪しくなり出しているので、適当なとこで逃げなきゃ。
インディカのOrange Budを吸う。これは一番甘くていい香り。何だか新しいのを試すたびに品質が上がっていく感じ。実際これはほんのちょい高いし。高いったって、何本か巻けて2,000円もしないんだけどね。
しかし酒。やはり酒。一気にいい気分になる。2時頃そこが閉店になったので、出て速攻でタクシー拾い、部屋まで送ると言うJacksonを蹴りだして、それじゃ!って感じで一人でホテルに帰る。



2002年12月04日(水)  Angel / Aerosmith

Went to a town called Angel. What a pleasant word to pronounce! Angel.
What if I'm from here. I am from Angel. Beautiful.

In an antique shop, fell in love with a box made in 1920 and bought it.
Pay 80 pounds for a tiny rusty box?! No way! But I did.

朝の7時からマリー吸う。

Angelという、アンティークで知られる街に初めて行く。何て耳に快い単語だろ。これは決してエンジェルとは発音しない。あえてカタカナにすればエインジョ。
こんな街に生まれてたらどうだろう。I am from Angel. うっとり。

アンティークのマーケットを見て、ピアスを買う。

雨の冷たさに耐えかねて、カフェでイングリッシュ・ブレックファストを食べる。本当に寒いと、熱いコーヒーやお茶だけではどうにもならない。食べないと。店内ではディランクラプトンロッド・スチュワートなどの60〜70年代の曲ばかり流している。

アンティーク・ショップで、店に入るなり奥に置いてあった銅製の箱が気に入る。1920年、ドイツ製、90ポンド。80ポンドにならないかと聞いたらなると言う。こんな薄汚れて傷のついた箱に16,000円? 馬鹿な、と思ったが。
気づいたら購入し、雨に濡れないようにしっかり胸に抱きしめて歩いていた。

ヨークというパブに入る。この綺麗な名前の街を去りがたくて、ゆっくり時間をかけてビターを飲み、煙草を吸う。
ガラス越しに、濡れそぼる街をただぼうっと眺める。私の好きな色が溶け合っている。ストーム・ブルー(嵐の蒼)、ミスト・グリーン(霧の緑)、マウス・ダン(鼠の茶)、それからアッシュ(灰)。

チューブでスローン・スクエアへ行き、キングス・ロードを歩く。ピストルズのマネージャーがやっていたSexという店がこの通りの向こうにあるはずなのだが、行けども行けども見当たらない。大体本当に今でもあるのかな。ガイドブックはあると言うのだが、その同じ本の中にビル・ワイマンストーンズのギタリストと書いてあるし・・・ 店名が店名なんで、人にも聞けやしない。

チューブでコベント・ガーデンへ行き、ナイン・ウェストのチョコレート・ブラウンのリュックを買う。

一旦ホテルに戻ってから、ピカデリー・サーカスへ。
"Ain't Nothing But Blues"というライブハウスへ行く。単に名前が気に入ったから。
19時半に店に入ったが、聞くとライブは21時半からだという。"Time Out"の情報ではもう始まっているはず。またか。
とにかくカウンターに座ってビターを頼み、煙草吸いながらゆっくり飲む。一杯飲んだら帰ろうと思っていたら、カウンターの中の店員が話しかけてきた。ブルース好き?と聞くので適当にまあねと答える。そうか、俺も大好き。ところでイングウェイ・マルムスティーンて知ってる? はあ?と思ったが、知ってるよと答えると、俺イングウェイが一番好きなんだよね、と財布の中から写真を取り出して見せる。まあ写真なんか持って可愛らしいこと。って、どこがブルースだ。おい。
ジンのカクテルは何が出来るか聞くと、ジン・トニックしか知らないという。これだ。ロンドン中どこへ行ってもジンと言えばジン・トニック。ジン・フィズすら知らないと言う。やけくそになってギムレット作れと言うと、じゃあ作り方をおしえてくれと言う。はいはい。やれやれ。
目の前に出てきたものを飲む。甘い。しかしジンは豪勢に入っている。俺のおごりだと言うので、それならばとありがたく飲む。
東京に帰る前にもう一度会いたいと言うから、またはいはい言っとく。まるっきり好みではないが、素直そうで好感の持てるタイプの男の子。店の外まで名残惜しそうに送ってくれた。

ネットカフェ行くが、なんかもうへろへろ。



2002年12月03日(火)  Attracts me like no other lover

(この日記は、ロンドン滞在中はネットカフェから英語でアップして、帰国後に一気に日本語に直しました。この日の英文だけ思い入れがあったので、一部残しておきました)

Visiting Waterloo Station means nothing. Nothing but Terry meets Julie at this station every Friday night. Ray Davies sings so. That's all.
That means EVERYTHING to me. Stupid girl.
Funny, but the station reminded me of my husband, came here with me ten years ago.

Crossed Waterloo Bridge as Terry and Julie did, safe and sound.

Had a strong feeling that I don't want to go back to Tokyo. I love it here, London. I love you more than ever.
Two weeks is short time but long enough to make me cry when I leave here.

Don't wanna leave him now.
You know I believe and how.

昨夜は部屋に帰ると同時に気を失った。服も全部着たままで。最近毎晩のようにこうだ。
5時に目覚める。6時間以上も寝たらしい。

1階(日本で言う3階)にお引っ越し。再度ドライヤー(部屋の壁に取り付けてあって、取り外し不可)が故障した為。一度は自然に直ったのだが、多分今回はもうダメだろう。今回は一切怒らずに、 「また壊れたんだけど、どしたらいい?」 てな感じであどけない顔して聞いてみた。そしたらあっさり別の部屋に移してくれたのだ。前よりも広くて快適で、バスタブもついている。・・・ふーむ。次回からはこの手でいこう。

軽い朝食を取って出かける。

チューブでタワー・ヒルへ。ロンドン塔へ外側からだけちょいとご挨拶。観光名所に来るのは、今回の旅で初めて。駅前で焼き栗を買って、歩きながら食べる。ホットドッグスタンドがあって、通り過ぎようとしたのだが、誘惑に勝てずハンバーガーを作ってもらう。でかい・・・ 一体私、今何キロなんだろ・・・

タワー・ブリッジを渡る。汚いテムズを下に眺める。
ロンドン・ブリッジ駅に行く途中で、ロンドン・ダンジョンがあったので入る。ここはロンドンの残虐・怪奇趣味を集めたような場所で、こけおどしな感じで今まで見向きもしなかったのだ。入ってみたところ、確かにちゃちくて安っぽいのだが、俳優らしき係員たちの演技ぶりがなかなか堂に入っていて楽しめた。

チューブでウォータールーへ。
小さいマーケットを見つけて、カードを何枚か買う。
ウォータールー駅に来たって、別に何があるわけじゃない。ここはただの大きな駅で、リバプール・ストリートやなんかと何も変わらない。
何の意味もない。ただ、テリーがジュリーに毎週金曜の晩にこの駅で会う、それだけだ。レイ・デイヴィスがそう歌ってるだけ。
それが、私にとっては、あらゆる価値を凌駕する。────何て馬鹿なんだろ、私。

おかしなことに、この駅の前に立ってるとダンナを思い出した。ここに10年前に一緒に来たんだ。

黒い大きな犬を連れたホームレスの男性が'Big Issue'を売っていたので一冊買う。
この"Big Issue"という雑誌のことは5年前に来た時に知った。何故いつも道端で汚い格好をした人ばかりが売っているのか不思議になり、そのうちにもしやと思い当たり、一人に声をかけて、買うからこの雑誌についておしえてくれと言ったら、喜んで説明してくれた。やはり思った通りで、これは1991年から始まった、ホームレスが社会復帰する手助けをする為のシステムであった。この雑誌を売る為の資格はただひとつ──ホームレスであること。写真付の証明書を首から下げた売り子(ホームレス)は、50ペンス(100円)で購入したBig Issueを1ポンド20ペンス(240円)で売る。寄付金は禁止されている。
このシステムを知って以来私は、ロンドンにいる間は毎週Big Issueを買うようにしている。中身は浅い情報誌にホームレス関係の話題を加えた感じで、読むところなんて殆どないので、大抵はぱらぱらっとめくっただけで終わってしまうが。
それにしてもこの売り子たちの顔が、どの顔も本当に生き生きとしているのには驚く。物乞いをしているホームレスとは雲泥の差どころではない。
この時の犬を連れた男性も同様で、快活な人柄であった。犬の写真を撮ってよいか聞くと快く承諾してくれ、撮れたデジカメ映像を見せるとぜひとも焼き増しが欲しいという。東京に帰ってから送るから少し時間がかかるよというと、東京からではお金がかかるから悪いと言う。たいしたことはないよと言うと、それではせめてこれをと言って、先週号のBig Issueをくれた。
この気持ちの良い男性に感激して、例えば20ポンド札を与えてしまうことは簡単である。でも決してそれをやってはいけない。その金は確実に彼の顔から生彩さとプライドを奪うだろう。
彼の名前はアラン・スミス、犬の名前はJJ。住所が書かれたしみだらけの汚い紙きれは、私の旅の大事な記念品だ。

ウォータールー・ブリッジを渡る。テリーとジュリーのように、安全かつ健全に。

ストランドを歩いてコベント・ガーデンへ。
ジュビリー・マーケットでちゃちい服やポストカードを買う。結構馬鹿げた文句を書いたTシャツなんかも欲しいのだが("Every good girl goes to heaven, every bad girl goes to London."みたいなのね)、ことごとくサイズがでか過ぎる。Sと書いてあっても、明らかに私にとってはLだったり。

今日はパフォーマーも多い。ステージもある。

ケン・ハイのいつものネットカフェで少々メールなど。

チューブでハイベリー&イズリントンへ。ぎりぎりゾーン2の辺鄙な場所。ガレージというライブハウスへ。
だしものの知らずに来たが、すぐにSonic Boom Sixというバンドの演奏が始まると言う。2,000円払って入る。
ボーカルが真っ赤な髪の女の子。何とかロックのセックス・シンボルになろうと一生懸命頑張ってる感じ。時々絶叫。歌詞は"Sex, sex, sex, sex, sex!!" ・・・この子好きだなあ。メインのバンドでない為、客は遠巻きにしているが、ジン飲みつつ一番前に立って見とく。この子が頑張るたんびに、私は嬉しくてくすくす笑ってしまう。Tシャツを出来るだけ色っぽく胸のとこまでまくり上げたり、セクシーなポーズを作って意味ありげに男のメンバーとからんでみたり。そのたびに私はにやにやにや。曲もけして悪くはなかった。ベースが曲書いてると思うんだけど、レッチリのフリーみたいな音だったね。
メインはThe Toastersというバンドで、なるほど演奏のレベルは格段に上がったが、ボーカルとサックスが黒人だった。2、3曲聴いて外に出る。私は実は、ジャンルを問わず黒人音楽は一切受けつけないのだ。

日本に帰りたくないという、殆ど脅迫観念に似た気持ちが湧いてくる。このまま一生ロンドンにいたい。以前からそう思ってはいるわけだけど。

Don't wanna leave him now.
You know I believe and how.

Attracts me like no other lover (こんなに私を魅了する存在は他にはない)  * Something / The Beatles (1969) の歌詞。


2002年12月02日(月)  Hard To Handle / Black Crowes

朝の6時からマリー煙草を2本巻いて吸う。今回は上手に巻けた。いったん部屋の外に出てから戻ってくると、もうあからさまに匂ってる。知ってる人にはまるわかりだ。
どういうわけだか私は昔からグラスが効かない。吸い方に問題ありか、もしくは効いてるという自覚がないのか。周りは後者だと言うけれど。Davidには 「君はナチュラル・ハイだからね」 と言われた。アメリカ人にそんなこと言われたくないわ。そういえばDavidも今はどうしているのやら。彼に出会ったのも新宿ロックバーRS。私の人生のダメな部分って、何もかもRS発。
とにかく私にとってマリーは、ジンに比べるととてもエレガント。少しずつ私をおかしくする。ジンはもっと直接的で効果的。

ネットカフェに行く。ええ中毒ですとも。

ケン・ハイからバスに乗る。マーブル・アーチに行くつもりが、ピカデリー方面へ直進してしまったので、ハイドパーク・コーナーで降りる。チューブとバス、両方の乗り放題パスを買っているので、適当に乗り降りしてもかまわないわけ。

ハードロック・カフェがあった。ちょうど11時半のオープンタイム。お昼はニールズヤードでと思っていたが、何となくタイミングに押されて入る。
1階のテーブルに案内される。10年前に来た時は、地下のジョン・ポール・ジョーンズのベースの下に座ったっけ。
ビデオが流れてる。ドアーズヴァン・へイレンアニマルズマッチボックス・トゥエンティ、そしてブラック・クロウズ
ブラック・クロウズ---驚いた。割と最近の映像だと思うが、何で全員太ってんのよお!! クリス以外なんて、全員メンバーチェンジしたのかと思うほどで、面影すらありゃしない。どうして皆こうもあっさり太るんだか!!
まあ、クリスはそれでもデブとは言わないだろうけど、間違いなく体脂肪が跳ね上がってる。それに何だこのださい服装。変な柄のオレンジ色の綿100%のトレーナーって、ひど過ぎ・・・それにトレーナーなのに眼の周りラメって・・・趣味の悪いアリス・クーパーみたい。あああ、せっかくの美形が何でこんなことに・・・絶句・・・

注文したローストビーフ・サンドイッチは一家5人を養えるほどの量。余りに大きくて手づかみで食べるのは不可能。ナイフとフォークで切り分けて、パンは殆ど残してローストビーフのみ食べる。本当に成田を発って以来食べ続けだ。私自身も気をつけなくちゃ・・・

チューブでマーブル・アーチへ。オックスフォード・ストリートを歩いて、ノッティング・ヒル・ゲートへ。
5年前に一ヶ月滞在した時は、英語の学校がマーブル・アーチにあったので、毎日のようにこの通りを歩いたものだ。

安っぽい派手な服を何枚か買う。店内で上品そうな紳士に、このコートを着てみてくれないかと頼まれる。あげたい相手が私と同じくらいのサイズだから、と。何てスウィートな。快くOK。あなたのサイズは?と聞かれる。7だけど、イギリスに7はない。6か8でしょうねと答える。今日辺りは食べ過ぎてるせいで8かも。しくしく・・・

ストールでアメリカン・チェリーとライチを半パイントずつ買う。5年前にもこうしてチェリーを買っては、ハイド・パークに行ったものだ。

思いつきでアムステルダムへの一泊旅行を予約する。アムスのことなんか何も知らない。ヘンプが吸いたいだけ、ただそれだけ。キンクスを流してる本屋でアムスのガイドブックを買う。店主の女性がWaterloo Sunsetを口ずさんでいる。

ニールズ・ヤードまで歩き、オープンカフェでお茶を飲む。ゴージャスな19世紀風の衣装の黒人女性が席へ案内してくれる。

レスター・スクエアからチューブで帰る。
またネットカフェへ。ええ、ええ、勿論中毒です。わかってます!



2002年12月01日(日)  Tea for one / Led Zeppelin

11時半に、清掃に来たルームメイドに起こされる。靴も脱がずに寝てた!!
1時間後にホテルを出て、ネットカフェへ。3時まで日記更新。

ケン・ハイを歩いて、ホーランド・ストリートのカフェでアフターヌーン・ティーを取る。選んだのはキュウリとクリームチーズのサンドイッチ、スコーン、チョコレートケーキ、ダージリン。

またケン・ハイをぶらぶら歩き、ネットカフェで更に1時間。
ビル・ワイマンの店、"Sticky Fingers"で夕食。赤ワイン、アップルサイダーグレーズのリブ、そしてストーンズの曲──"Under My Thumb"など。
ここに来たのは10年ぶりなのに、何も変わっていないように見える。

ホテルに戻り、午前2時まで4時間寝る。



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