Rocking, Reading, Screaming Bunny
Rocking, Reading, Screaming Bunny
Far more shocking than anything I ever knew. How about you?


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*名前のイニシャル2文字=♂、1文字=♀。
*(vo)=ボーカル、(g)=ギター、(b)=ベース、(drs)=ドラム、(key)=キーボード。
*この日記は嘘は書きませんが、書けないことは山ほどあります。
*文中の英文和訳=全てScreaming Bunny訳。(日記タイトルは日記内容に合わせて訳しています)

*皆さま、ワタクシはScreaming Bunnyを廃業します。
 9年続いたサイトの母体は消しました。この日記はサーバーと永久契約しているので残しますが、読むに足らない内容はいくらか削除しました。


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2002年11月30日(土)  Brown Sugar / The Rolling Stones

午前中はこの日記のアップに3時間もかける。ネットカフェのPCが異常に重かったのだ。とうとう諦めて途中で投げ出す。

ポートベローのマーケットへ。ポートベロー・ロードをえんえんと何キロも続くマーケットで、とにかく最後まで歩こうと思ったのだが、泣きが入ってきた辺りで標識を見たらまだ5/7だったので、諦めて引き返す。

途中チャイニーズ・フードを買って、歩きながら食べる。ロンドンのストールでチャイニーズ、ジャパニーズ、ベトナミーズと言って売っているのは全部同じもので、カレーや酢豚のような各種の煮込み物をタイ米(フライドもあり)か焼きそばにかけてくれる。これがもう、やたらと美味しい。結構な量なのだが、美味いので食べてしまう。大変やばい・・・

食後にカフェでコーヒーを買って飲む。ロンドンで「コーヒー」と頼むと、エスプレッソをお湯で薄めたものを出してくる。不味い。

引き返す途中で探していた物を見つけた。フラスクだ。ストールのお兄さんはお釣りの小銭が足りないから売れないと言う。本当にどこまで労働意欲がないんだか。たまたま別の客が細かいので払ったので、買うことが出来た。2個買って、大きいほうが哲にお土産、小さい方が自分用。ジンを入れて持ち歩くことに。

急いでホテルに戻り、シャワーを浴びて着替える。髪を乾かしていたら、備え付けのドライヤーが壊れた。フロントの男性に言ったところ、うるさそうにした挙句、しまいには"Just a hair-dryer blew up, so what?"と言いやがったので口論に。(実際口にこそ出さないが、"hair-dryer"という単語の前に明らかに"fuckin'"という単語が見えていた) しかしまあ最後には彼の頭も冷えたらしく、自発的に謝って、態度が悪かったことを認めた。


口論に勝って、ふと見ると17時。・・・17時! コンサート17時半からなのに! すっかり態度を改めたフロントがシェパード・ブッシュへの行き方などを教えてくれる。結局タクシーでシェパード・ブッシュ・エンパイアに乗りつける。
・・・結局会場が開いたのが18時、コンサートが始まったのが19時だった。ここがロンドンだってこと忘れてたよ。
ところでコンサートはユーライア・ヒープエイジアであった。Time Outの紹介文には"Rock Dinosaurs"と書かれていた。言い得て妙。
客はさすがに40代〜50代が中心。子供連れも多い。小学生くらいの女の子がクリムゾンを歌っていた。まあ感動的だこと。
私は3階席のチケットを買ったのだが、ある家族連れが何故か私を列の前に入れてくれたので、おかげで一番前に座れた。前の手摺の幅が広く、皆そこに腕を乗せてもたれてくつろぐ。ピンク・フロイドが流れている。
後ろのバーでジンを買う。隣に座っていた男性が何を飲んでいるのか聞くのでジンだと答えたら、しばらくしてから戻ってきて、自分もジンを買ったのに君の半分しか入れてもらえなかったとこぼす。バーに一緒に来て抗議してくれと言うので、嫌だよと笑う。彼の奥さんらしき人が、あとで何故か私にジンをもう一杯買ってくれた。本当にさっきの半分しか入っていない。"You see?"と彼が言う。
ライブが始まる。ロックとブーズ、最高の組み合わせ。何て幸せ。
私にとってのハイライトは、エイジアのジェフリー・ドーンズのソロであった。元バグルスの彼は、"Do you remember this song?"と言って「ラジオスターの悲劇」を弾き始めたのだ。客が"Video Killed The Radio Star"と声を合わせて歌うやわらかい歌声が、会場の天井にきれいにこだましていた。

チューブでコベント・ガーデンへ行き、ロック・ガーデン(ガーデニング・クラブ)という店へ。ここは毎週土曜がクラシック・ロック・ナイトで、題して'Brown Sugar'と言うのだ。これは行かなくては。霧雨の中1時間も並んだ挙句、ここが単なる70年代ディスコをかけるクラブに過ぎないことを知る。
とにかく、それでも踊った。15分おきに違う男が視界に入ってきて(踊っている時の私の視界は大変狭い。ほぼ下向いてるし、目も閉じてたりする)邪魔する。ディスコって行かないけど、皆こうなのかな。邪魔邪魔!! 酒買ってくれるのだけは歓迎するけど。

3時頃にもう我慢出来なくなって、黒人のDJに可愛らしく話しかけてみる。ねえねえ、ストーンズかけないの? だってこれ、"Brown Sugar Night"なんでしょ?
10分後。かかった!!!! まさしく"Brown Sugar"が!!! 大喜びでフロアのど真ん中へ。どいてどいて! ああもう、邪魔しないで!! 今大変なのよ、見りゃわかるでしょうが。続いて"Harlem Shaffle"がかかる。やったわ。ロンドン制覇!!

4時閉店。外に出て駅前の電話ボックスに入り、酔った勢いで公衆電話にクレジット・カード突っ込んで、哲に1時間電話してしまう。・・・この電話代がいくらかかったのか、実はもうきっちり計算できているのだが、理解したくない。イギリスの公衆電話から日本の固定電話まで1分190円。更に私がかけたのは携帯なので、その3倍かかる。・・・計算したくない。したけど信じたくない。きっとどこかで何かが間違っているはず。間違っているのは私の生活態度かな。うーん。

日曜の朝は駅が遅くまで開かないことをすっかり忘れて、レスター・スクエアの駅まで歩いて行った。もうすぐ開くものだと思い紅茶とフィッシュ&チップスを買って、食べながらチューブの入り口が開くのを待ってた。寒い。

カリビアンぽい男性が話しかけてくる。それ、美味しい? どこから来たの? 話してもいい?
かなり邪険にしていたら、そのうち離れていった。

チューブの入口前、私の横でホームレスの老人が凍えてる。私はホームレスにはお金をあげない。あげた瞬間に自分も相手もダメになっていくような気がする。このフィッシュ&チップス半分あげたら喜ぶかな? 嫌がるかな?
さっき私に話しかけた男は私と同じ店で食べ物を買っていたが、ホームレスがすぐそばにいるのに気づき、食べ物を買えと言ってコインを差し出すが、老人は頑として受け取らない。とうとう老人は店の窓口にやってきて、自分のコインを1枚出してピザを一切れ買った。そして私の隣に戻って来て、大事そうに両手で囲むようにして食べ始めた。
私は躊躇してたフィッシュ&チップスをさっさと食べ終え、老人に話しかけた。"Sir, do you usually put some sugar in your tea?" 老人はイエスと答える。"How many?" "Two."
売店に戻り紅茶を買い、砂糖を2個入れてもらう。老人に渡して言う。"Sir, here is your tea." 驚いたことに、彼はにっこり笑って受け取り、"Thank you"と言った。私は寒いのが何より辛い。この氷みたいな空気の中で、老人が少しでも温まると思うと心が楽になる。彼が紅茶を受け取ってくれた瞬間、紛れもなくこちらが何かしてもらった気分になった。多分本当にそうなんだろう。食事する時には何か飲み物がなきゃね、と言ったら、"Of course."とこたえてまた笑った。

老人に話しかける少し前に、タクシードライバーが近づいてきて、何回かタクシーを勧めた。断ると、今日は日曜だから駅が7時まで開かないのを知ってるかと言う。7時!!
やはりチューブ入口前で寝ていたスペイン人観光客のカップルを叩き起こす。駅は7時まで開かないよ、と言い、うろたえる彼らをバス停まで案内する。
タクシードライバーがまたやって来る。どこへ帰るの? バスに乗るの? 何番のバスだかわかってるの? そのしつこさにかなり苛ついたので、相当きつい声で、ええわかってる、N37だよ!と言う。ああそれなら向こうの方にバス停がある。連れていってあげよう。あら、いい人じゃん。
それからトラファルガー・スクエア近くまでの道のり、彼はえんえんと戯言を言い続けた。曰く東京に帰る飛行機をキャンセルして、結婚してずっと一緒に暮らそう、お金なら僕が稼ぐから云々。OKして、どう出るのか見てやりゃ良かったな。
ピカデリー・サーカスまで歩く。途中出会った、マナー・ハウスまで帰りたいというフランス人の男の子二人を連れて。着いたら駅が開いていた。助かった。
寒さのあまりコーヒーを飲みに寄って、ホテルに帰ったのは8時。ジンと熱い紅茶を飲み、そのまま気を失う。



2002年11月29日(金)  Dosed / Red Hot Chili Peppers

夜中の0時まで1、2時間寝る。8時半にネットカフェへ。

チャリング・クロスへ。
トラファルガー・スクエアに寄る。周り中工事中。ロンドンはどこもかしこも工事中。私が思うに、仕事が遅いからではないか。
駅前のマーケットで、ロックTシャツを売っていたストールの店員(フレンズのジョーイそっくり)に今晩飲みに行こうと誘われる。ローリング・ストーンズも知らない奴と出かけるのなんかやだね。(名前しか知らないらしい) 電話番号をもらったので、いつも通り捨てる。

チャリング・クロス・ロードのマーダー・ワンへ。世界最大のミステリ専門店である。
隅から隅まで探すがフレドリック・ブラウンはない。どうやら私が5年前に買ったのが最後の1冊らしい。買ったのは"The Lenient Beast"。

チャイナ・タウンでランチ。どうってことない。ストールの方がおいしい。
ピカデリー・サーカスへ。何とロック・サーカスがなくなっていた。

いくつか本屋をまわり、4時に帰宅。

またケン・ハイのネットカフェへ。向かいの本屋で"White Boy Blues"というCDを買う。
アールズ・コート・ロードのハンサム・キャブというパブでビターを飲む。'80年代ポップスばかりかかる。懐かしいというそれだけできらきら光る、ギヤマンのような'80年代のガラクタたち。

マリーの煙草を何本か巻いて吸う。ラッキー・ストライクとのブレンドは懐かしい香りがする。煙草を吸う男の香り。少し笑い出す。



2002年11月28日(木)  Alcohol / The Kinks

9時まで4、5時間寝る。10時半に出てネットカフェに行き、またケン・ハイをぶらつく。

コベント・ガーデンへ行く。カムデンと同じアーティストの街だ。手作り作品を売っているのは同じだが、こちらにはパフォーマーもいる。今日はミュージシャンだけが何組かいた。ちなみに駅は閉鎖されていたので、レスター・スクエアから歩いた。

アーケードの中のオープン・カフェでジャケット・ポテトを食べる。バターだけのにするが、とにかくでかくて凄い量だ。
階下のカフェではいつも通りクラシックを演奏している。今日はフルート、バイオリン、チェロのトリオで、カノンやトルコ行進曲など、お馴染みの曲目をやっている。
ふと、G線上のアリアが流れてきた。私のクラシックベスト5に入る一曲。やばい。この曲は急に来られると泣いてしまう。ジャガイモを食べながら泣いてたら、よほど不幸な女だと思われそう。
幸か不幸か、演奏者の力量が泣くまでには及ばなかった。

ちなみにクラシックベスト5の他の4曲は
軍隊 / ショパン (ホロヴィッツの演奏で)
カルメン / ビゼー (セギディーリアもハバネラも歌抜きで)
カンタータ第147番より、主よ人の望みの喜びよ / バッハ (あえてピアノで)
弦楽合奏のためのセレナードハ長調 作品48番 / チャイコフスキー (願わくば第一バイオリンは女性で)

中国人女性から手作りのピアスを買い、ジュビリー・マーケットを見る。

ホワイト・ライオンというパブでビターを飲む。"By The Way"のアルバムがかかっている。いつの間にか外は雨。毎日夕方になると降ってくる。イギリスの雨は気合で乗り切れる程度の降り具合で、実際みんな気合で乗り切っている。私もね。

帰宅途中にアールズ・コート・ロードでジンのボトルを買う。店の親父は、私がジンをストレートで飲むと知るや、必ずトニックとレモンスライスも入れなきゃだめだと力説し始める。一人で飲むのかと訊くのでそうだと答えると、素っ頓狂な声を上げて"Don't you have a friend? Don't you have a boyfriend?!"
また寂しい女だと思われてるよお・・・。

温かい紅茶とストレートのジンを交互に飲む。優しい時間が流れる。



2002年11月27日(水)  Everybody's trying to please me, baby

8時朝食。当然イングリッシュと思いきやコンチネンタル。ちょっとがっかり。
ケン・ハイのインターネット・カフェに行くが、日記更新のパスワードがわからない。私っていつもこう!

向かいのカフェでイングリッシュ・ブレックファストを食べる。観光客向けなのか、この頃のロンドンはイングリッシュ・ブレックファストを一日中サーブする店も多い。トーストに卵、ハム、フライドトマト。以前はソーセージはつかなかったが、今は大抵ついている。
隣に座った金持ちそうな初老の紳士がしきりに話しかけてきて、これからシティに行くのだが一緒に行かないかと言う。これってナンパなのか? 店員もやや呆れ顔で笑っている。シティ(大きな銀行やオフィスの集まる地区)になんか行って何するって言うのか。シティに用がないので、と断ると、すごく悲しそうな顔をされるが、いや、だって困りますもの。

大好きなケン・ハイをぶらぶら歩く。あれ、何かおかしいな。あれ?
わ!!
ケンジントン・マーケットがない!!!!
跡には更地が残るのみ。嘘でしょう! あの俗悪な看板。地下にひしめくロック・ショップ、アクセサリー店、洋服屋。モヒカンが一人でハサミ一本でやってる床屋。おかしな連中がぎっしり詰まった下品の殿堂。

ショックを抱えてケンジントン・ガーデンへ。予定通りにラウンド池のほとりで凍ってみる。10年前と全く変わらない風景。同じ白鳥。

ロイヤル・アルバート・ホールへ歩いていくが、ジョージ・ハリスン追悼コンサートのチケットは既に完売。価格未定なんてのがそもそも誤報だったようで、情報が嘘なんてのはイギリスの得意技。例えばコンサート開始時間なんて、ウェブと新聞と情報誌、全部違ったりする。どうしろってんだか。実際行くと全部間違ってたりする。

チューブでカムデン・タウンへ。6駅中2駅を飛ばされる。これもロンドンの得意技。スト(ほぼこれ)だの爆弾騒ぎだの事故だので、しょっちゅう駅が閉鎖されるのだ。常にアナウンスに注意していないとひどい目にあう。バスがバス停を飛ばすことすらある。次のバス停まで走って追いかけて乗ったことも。

マーケットを見てまわる。昨日ホテルへの道をおしえてくれたジーンズ店の男性(Jo)がストール(出店)を出していた。覚えていて声をかけてくれる。
レザーショップの店員に土曜の夜に飲まないかと誘われる。じゃあ土曜に来るよと適当に返事。(私は今後この手のしつこい誘いは全部適当に承諾し、きれいにすっぽかすことになる)

Geeという名の黒人の男の子からマリーを買う。本物?と聞くと、汚い建物の裏に連れて行かれてブツを吟味させられた。1/4ポンドで8,000円。安いような気がするが、よくわからない。とりあえず6,000円に値切る。
Geeは私に携帯番号をくれて、これで君はもう俺の顧客だと言う。うーん。

靴屋の店員が可愛い日本人の女の子だった。体に18箇所ピアス(鼻の付け根に横からぶち込むわ、上の歯茎の根元に入れるわ・・・)したうえに、全身に刺青をしていた。日本に帰る気なんかない、と言うが、入国審査を通らないんじゃないか。
同じ靴屋の店員に今晩飲もうと誘われるが、これは珍しくちゃんと断る。

エレファント・ヘッドというパブでピターを飲む。名前がいい。ベット・ミドラーに似て、ジョプリンみたいな声で喋るママがいた。

Everybody's trying to please me, baby (皆が私をちやほやしてる)  * It's So Easy / Guns 'N Roses (1987) の歌詞。


2002年11月26日(火)  Ten Years Gone / Led Zeppelin

哲(b)に見送ってもらって11:50のヴァージン・アトランティックで成田を発つ。ヴァージンは前から乗りたかったが、運賃が高いので避けていた。ところが今回オフ・シーズンのせいか往復で何と6万円台。
乗ってみてかなり満足。配られたグッズは全てショッキング・チェリー・ピンク。トイレのライトはサイケなビビッド・ブルーで、まるでカフェバー。
ヴァージンの売りは、エコノミーでも全席パーソナル・ビデオ付であること。CDジュークボックスもあり、早速"By The Way"を頭から通して3回聴く。幸せ。隣に誰も座らない席を希望した為、脚を伸ばしてくつろげた。快適。ジンをロックでもらう。
もともと飛行機では寝ないのだが(結構乗ってるのが好きなので)、今回も、搭乗前の時点で48時間寝てなかったにも関わらず一睡もしなかった。
しかし機内食3回は多い。食べ過ぎた。カトラリーもチェリー・ピンク。

ヒースローからチューブ(地下鉄)のピカデリー・ラインでアールズ・コートへ。B&Bに17時半チェック・イン。私の部屋は2階(日本でいう4階。M階もあるので) 小さいが快適な部屋。寒さだけを心配していたが、ヒーターが充分暖かい。トイレを流すのにコツがいるが、何とか会得した。
リフト(エレベーター)がぼろく、これも動かすのに苦労する。何と「リフトが止まっても慌てないで!」の張り紙あり。大丈夫かよ・・・

ベッドでちょっと一休み・・・のつもりが気絶してしまい、3時間寝てしまった。何しろここまで65時間以上寝てなかったからね。

既に地下鉄も終わる時間。どこも行けないかと思ったが、ふと思いついて午前2時にケンジントン・ハイ・ストリートに歩いていってみる。(ガイドブックに「女性は夜は決して一人で外出してはいけません」って書いてあったような記憶もあるけど。気のせい気のせいw) 何とホテルから徒歩3分。
ホーランド・パークの入り口前から懐かしいケン・ハイを歩く。店はほぼ全部閉まっているが、店のショーウィンドーを眺めながら歩く。変わらない店、初めて見る店。ヴァージン・メガ・ストアが出来てた。

ロイヤル・ガーデン・ホテルへ行くが、バーもちょうど閉まったばかり。
10年前にここにダンナ(当時はまだ彼氏)と泊った。
あれから10年だなんてね。既にロンドンに来るのは3回めで、そしてダンナは失踪中か。何て劇的な人生だろ。

ロイヤル・ガーデン・ホテル向かいの24時間営業のスーパーでTime Outを買う。ロンドン版ぴあというところ。
アールズ・コート・ロードに戻り、インディアンのカフェを見つけてサモサを食べる。ホテルに3時半に戻る。



2002年11月23日(土)  In my Shangrila

ロンドン行き、近し。
最近は新宿ロックバーRSに御執心なので、それより楽しい夜遊びが出来るのか?なんて思ったりもする。
大体何だってこんな寒い時期に行くんだ。日照時間だって異常に短い。22時頃まで明るい夏に比べ、冬は15時には暗くなってしまう。
3回めのロンドン。
最悪の天気、最悪の食べ物、最悪の水。
労働意欲のない商店の売り子たち、爆弾騒ぎでしょっちゅう封鎖される道路や駅。
すぐ壊れる電化製品、真冬に効かなくなるヒーター。修理を頼んだって、理屈ばかりこねて、かなりきつく言わないと直そうとしない。大人しくしてたら、直るのは1ヶ月先だ。
全然役に立たない電車内アナウンス、全く聞き取れないバスのアナウンス。
時間を守らないひとたち(私の比じゃない。1時間とか平気で連絡なしで遅れる)。
届かない郵便、使えない公衆電話。
停電、ガス爆発、工事中、スト。
ああ。
うっとりしてきた。
サーペンタインのほとりで、凍えそうになりながら恍惚としてる自分が見える。

Sit back in your old rocking chair
You need not worry, you need not care
You can't go anywhere
Shangrila

In my Shangrila (私の楽園で)  *Shangri-La / Kinks (1969) の歌詞。("In your Shangrila"のもじり)


2002年11月19日(火)  今回は64時間起きていましたとさ

今日の日記は内容が二人にしか通じない。

Katzへ。
私あの時、このままでいれば死ぬんだって思ったら、もうおかしくておかしくて、げらげら笑い出しちゃったんだ。目の奥は5、6時間前からかなり圧迫されてたし。笑ってたらそのうち涙が出てきて、ぼろぼろ泣いた。
そして、「今死んでも後悔しないだろう?」って聞かれた時に、もう自分でも思いがけないほどに動揺した。文字通り固まった。理由が全然わからなかった。今でもわからない。「助けて」って思ったけど、何からかわからない。

ぶっちゃんへ。
ありがとう。助かったよ。

* 意味が知りたい方はこちらへ。



2002年11月18日(月)  How does it feel to be on your own

"A rolling stone gather no moss."
「転がる石は苔むさず」などと訳すから誤解を招くが、一ヶ所に留まらないでふらふらしていると財産が出来ないという意味である。
そして'Rolling stone'といえばやはりボブ・ディランの'Like A Rolling Stone'なわけで、この曲を知らずにロックファンもあるまい。ところが実は私はこの歌の詞の内容を全く知らなかった。あんな鼻声では聞き取りも出来ない。でもまあ'Rolling stone'なわけだから、放浪の自由を歌っているんだろうくらいに軽く捉えていた。切ないながらもどちらかと言えば明るい曲調だし。
で、何となくネットで歌詞を出してみた。
────かなり驚いた。
Now you don't talk so loud
Now you don't seem so proud
About having to be scrounging for your next meal

って。
これは、裕福でプライドの高かった人間が、道端で食べ物をあさるまでに落ちぶれる歌だ────しかも、女が。
ことわざのままの意味だったんだ。サビの歌詞には殆ど具体的な部分がないから、そこだけだとわからないけれど。
How does it feel ?
そう聞かれても、Well, not bad!くらいに答えられる状況だとばかり思っていたのに。
一気に落涙してしまった。別に自分の将来を重ねたわけじゃない。今までずっとこんな歌詞だなんて知らないで、喜んでサビの歌詞だけ歌ってたのに。実は悲惨な内容だった。何でディランはあんなに明るく歌えるのか。
悲惨? 違う、そうじゃない。違う違う。
ねえ皆これ知ってんの? 歌詞の内容わかってた?
新宿のRolling Stoneのラスト曲にこれがかかる時に、喜んで踊ってたみんな。
How does it feel ?
これってあんた達が一番、骨身にしみるはずの言葉だよ。別に明日は我が身だなんてこと言ってるんじゃなくて。
ねえ、一晩中楽しく飲んで踊って、4時に店がはねて、一人で家に帰る時に、理由もなく泣きたくなったことない? 例え家族や恋人が待ってる家に帰るんでも。自分の中が空っぽになったように感じたことない?
少し感情的になり過ぎだって? そうかもね。でも自覚があろうとなかろうと────
私たちは皆、一人で死ぬんだよ。知ってた? 本当に知ってた?
ほら、もう一回聞いてごらん?

How does it feel ?
How does it feel ?
To be on your own
With no direction home
Like a complete unknown
Like a rolling stone


How does it feel to be on your own (何一つ頼るものがないってどんな気分だい?)  *Like A Rolling Stone / Bob Dylan (1965) の歌詞。


2002年11月17日(日)  あなたになりたい

パーキンソンの法則というのがあるらしい。曰く 「仕事の量は、使える時間が増えるにつれて限度まで増える」 ・・・なるほど。道理で私が毎日忙しいわけだ。他人の台詞とは思えない。パーキンソンの法則なんて初耳。まあ土屋賢二が書いていたことなので、パーキンソンの存在自体嘘かも。

みうらじゅんは、ロックのある時代に生まれ多大な影響を受けた自分は、今後どんな人生が待ち受けていようと大丈夫だと言う。何故なら、「カッコイイものの基準がある生き方に迷いや悩みはない。そんなことをしている暇なくボクはカッコイイものに近づいていかなければならないのだ」
これを読んで深ーくうなずいた次の瞬間、げっとなった。自分の中にずっとあった、もやもやしたモノの正体が見えたのだ。
こ、これはまずい。
私は勿論ロック好き。人格形成において多大な影響を受けている。その私のかっこ良さの基準。──今現在の例で言えば、レオン・ラッセルロビー・ロバートソンリック・ダンコスティーブン・タイラーリアム・ギャラガーカート・コバーンジム・モリソンイジー・ストラドリン、日本人なら町田康。このラインナップを見て、何がまずいかわかりますか?
これ、全員、男なんである。

以前この日記に、女だと「堕ちる」のも大変と書いたけど、それ以前にそもそもの目標設定が間違っていたことが明らかになったわけだ。目から鱗が落ちた。落ちたものの、理想は変わらない。
────どうしよう?



2002年11月14日(木)  17時間半

朝10時近くまでスフォ(vo)とチャットし、42時間ぶりに寝た。で、軽い咳の発作で目が覚めた。時計を見ると3時半。
3時半? はあ? 暗いんだけど。午後3時半まで寝たとしたって5時間半だから、普段からすりゃかなりよく寝たほうである。
意味がわからず携帯の日付を見る。15日? 金曜日? ええええ!!!!! 木曜はどこへ行ったの?

17時間半!!! 17時間半寝ちゃった! この3ヶ月、2〜4時間睡眠が当たり前だったのに。私病気かしら? えええええ。
思い当たることが一つある。少し前に母が送ってきた粉末状の青汁。劇的にお肌がきれいになるというので、コーヒーと睡眠不足でぼろぼろの肌に良いかと思い、素直に飲んでいる。
で、これが。眠くなるんである。これを飲み始めたと同時に、ずっと起きているとものすごく眠くなるようになった。日記を振り返って見ると、7日の日記に9時間寝ちゃったと書いてある。・・・母が青汁を送って来たのはその前日。えええ、肌がキレイになるって、そういうこと? 何か知らんけど恐るべし青汁。

今だけかもしれないが、呼吸もラクになっているし。うん、かなり楽だ。実は夕べ寝る前に、体の不調が続くことにいい加減キレそうになったのだ。寝れば良かったのね。っていっても寝られなかったわけだけど。
面白いことには、17時間寝たら体重が1.5Kg減ってたよ。ははは。皆これダイエット方法にすれば。

この17時間半の間、PCにはメールが6件来ていたものの、家の電話も鳴らず、携帯には電話もメールも入らず、本やCD宅急便も来なかったわけで、こんなのは本当に珍しい。みんなして私を寝かしてたのね。

もうひとつ。今回は42時間起きていたのだが、午前4時頃に突然死にたくなった。驚くほど突然に強烈に死にたくなった。もう何もかもいやになった。痛いのも苦しいのもダメなので、そこで具体的に何をするという発想にならないが、少し前からきていた眠気のくらくらする感じも手伝い床にへたり込んでしまった。しばらく動けなくなる。
ルカ(兎)にご飯をねだられて、ようやくその状態を脱する。睡眠薬のようなお手軽な手段が手元になくて良かった。

17時間寝た今、何で死にたかったのか、さっぱりわからん。いや、わかるけどね。まあ、死なないよ。



2002年11月12日(火)  222

現在ネットラジオの私専用局に登録してある曲は1130曲。うち100点が何と222曲。今もそのひとつ、R.E.M.の"Crush With Eyeliner"がかかっている。安っぽくていい。この曲を初めて聴いた当時、全く化粧をしなかった私がちょっとアイライナーに憧れた。

新聞によると、李登輝の訪日ビザがおりなそうだとか。慶応大学の腰抜けめが。中国との学術交流が途絶ぅ? 国交断絶してしまえ。いいか、日本は1971年当時から既に周恩来に馬鹿にされきってたんだぞ。腰抜け外交の河野だの、親中派の田中眞紀子だので散々甘やかし続けて増長させて。ここらで順子が一発いかなくてどうする。台湾独立万歳。



2002年11月10日(日)  Standing in line to see the show tonight

さいたまスーパーアリーナにレッド・ホット・チリ・ペッパーズを見に行った。いっちーが遅刻したので捨てていったら、ぎりぎりに現れた。ヤフーオークションで17,000円払って入手した最前ブロック。前から2番目にかぶりつく。
嫌んなるくらい良かったよ。あああ。涙出そうだった。これだけ上等のロックを見せられると、興奮し、上ずり、舞い上がり、それから少し悲しくなるね。あーあやっぱバンドやめなきゃ良かった、ってね。

私は'70年代ロックが好きで、まあ今の音楽は殆ど聴かない。でも、音楽でも何でも、実はリアルタイムにはまるのこそが本物だと思っている。あとは全部妄想だ。妄想相手の恋は逆に甘美だったりして、それはそれで良い。ただ、 「現代のものにいいものなんかない」 という意見は単なる怠慢だと思う。
だからレッチリにはまれて本当に良かった。世界中に向けて発信。レッチリ聴きやがれ!!!!!

この興奮のままに暴言を吐く。今日、プロのギタリストであるヨナフィとも話していたのだが、ロックを聴かない人間は、私たちの半分も充実した人生は送っていないと思う。この感動・興奮・陶酔。絶対に他にあるわけがない。
これクズのたわごとなので、Never Mind!!

ところでレッチリの会場で、あと1時間で開演という時にBobから電話が入った。この状況を興奮して伝える。"You know what? Red Hot Chili Peppers will play here in one hour!!"
この時のBobの返事がもう、この上なくクールだった。彼はこう言ったのだ。 "Oh, you see many Heavy Glows now?"
彼は私の10月14日の日記を読んでいる。そこで私は、ロックの感覚を体得していない人間がロックを聴くのは笑っちゃう、という意味のことを書いた。その日記のタイトルが「You don't have any Heavy Glow」なのだ。ぎらぎらしたライトをロック魂に例えたというわけ。それを覚えていて、さらっとこういうセリフを吐く。外人てのはかっこいいやね! 痺れたよ。

ステージの裾でもみくちゃにされて、汗だくになって帰り、シャワーを浴びたら何と全身打ち身だらけになっていた。うーん、Heavyだわね。いたたた。

Standing in line to see the show tonight (今夜のショーを観る為に並んでるんだ)  * By The Way / Red Hot Chili Peppers (2002) の歌詞。


2002年11月08日(金)  Let us be lovers. We'll marry our fortunes together

とうとう健康保険証を作りに行った。いや、役所は家から5分なんだけどね。
喘息は治らないし、実はこの1ヶ月、婦人科系もやられていて。いい加減病院に行かなくちゃ。

で、保険証を作りに行った。そしたら何と、ダンナが国民健康保険に入っているので(ダンナはフリーで仕事していた)、私もそちらに加入になるから、ダンナの保険証を出してくれという。えええ。ダンナの物なんか別居を始めた3月の時点で全部向こうの実家に送っちゃったよ。
そのうえダンナの保険料がずっと私の口座から引落されていたことが判明。話はごく自然にダンナの失踪に及ぶ。本人が消えちゃってるのに税金や保険料がかかるんですか? そもそも離婚しようとしてた相手が消えちゃったんですけど、どうすれば?
女性係員二人を相手に、非常にドライに話が進む。なるほど、そういうご事情ですか。実際に引っ越していない以上、ご主人の住民票を移すことは不可能です。しかし、例えばこういう方法はありますね。つまり世帯内の分離ということが出来まして、ただこの場合にもですね・・・
会話が明確かつ実際的で、心地よい。下世話な好奇心も、余計な同情もない。
ふと見れば、係員の一人は左の手首から先がなかった。静かに感動する。つまり、人間にはおよそどんなことでも起こり得るし、そして大抵のことには耐えられるということだ。

Let us be lovers. We'll marry our fortunes together (恋人になろうよ。結婚してお金も一緒にするんだ)  * America / Simon & Garfunkel (1968) の歌詞。


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