ユミコのメモ箱 DiaryINDEX|past|will
27cm×38cm 『十葉扁舟』のためのエスキース 鉛筆、ソリッドマーカー、とき墨 先週、友人Kちゃんの個展を観たり話を聞いたりして、思ったこと。 私が勝手に思っているのだが、Kちゃんと私の作品には似通っている部分があると思う。技法は違うし、他人が見ても似ている作風とは思わないかもしれないが、水面下で同じようなことを考えているというか。 でも、根底は違うのかもしれない。 同じ場所に行き着くにも、千差万別の行き方がある。 すごく近道したつもりが、振り返ってみると遠回りだったり、敢えて遠回りをしてみたり、一か八かワープしてみたり。迷ったり、悩んだり。かと思ったら、すんなり近道が見つかったり。 その行き方の違いを、Kちゃんの作品を見たり話を聞いたりすると、とても感じる。行き着く場所が同じ(だとして)なだけに、その違いを顕著に感じるのだ。 そうそう、私は幼い頃に『やっぱりおおかみ』とは出会っていないわけだし。 迷うことが良いとも悪いとも、近道がずるいとも楽ちんとも、思わないけれど、いろんな道を知っている方がいいんじゃないかと思う。だから、Kちゃんの道を伺い知ると、ああ、なるほど、とか、そうそう、そのとおり、とか、自分の道が開けたような、クリアになったような感じがして楽しい。 いよいよ本日から、私の『早起きGW』週間がスタートした。 難無く早起きができるようになると、ああ、いよいよ私の制作日程にもいささか焦りの色がみえてきたな、と客観的に思う。この早起き習慣は、少なくともあと1ヶ月ほど延長されるだろう。 毎年GWにアトリエの絨毯をはずしていたが、今年は1ヶ月先延ばしにしようと思う。
11cm×8cm リトグラフ 朝、家を出る時、「今日は忘れそうな気がする・・」と直感した。 ・・・当たった。 私は長傘を寿命まで使い切った事がない。志し半ば(?)で、どこかへ忘れてきてしまう。電車、トイレ、美術館、その他もろもろの公共の場に、かつて何本の私の傘が置き去りにされてきたか知れない。 だから、私はけして高価な傘は持たない。安い、軽い、ステキ、の順で傘を選ぶ。 「安物だからいけない、高ければ無くしたりしない」と指摘されたことがあるが、それはちょっと違うと思う。 私は高価な傘でもやっぱり忘れてくると思う。その自信がある。ただ、高価なものだったら、思い出した時点で取りに戻るなり、取り置きしてもらうなり、できる限りの手は尽くすかもしれない。(もちろん、簡単に取りに戻れる所で思い出せば戻るが、今日は電車で数駅行ってしまってから思い出したのだ。) それが面倒なので、安物でいいや、と思う。 今日忘れてきた傘は、安物だけど気に入っていた。デザインが気に入っていたので、見た目にはわからない、使い手にはちょいと不自由な故障があったが、今まで我慢して使ってきた。気に入っていたし、「どうせまたそのうち無くすだろうし・・」という点を見込んでいたのだ。 それでも一応、「またやちゃった・・」という脱力感と自己嫌悪に少なからず苛まれることも確かだ。 しかしこれは帰宅途中の出来事なので、あやうく雨に濡れることもなく、傘がなくても無事家にたどり着けたことが不幸中の幸い、と、気を取り直す。 モノは大切に使いましょう。
14cm×8cm リトグラフ 昨日、パシフィコ横浜にてサラ・ブライトマンのコンサートを観る。 実はタナボタ式に急なお誘いがあっての思いがけないできごとで、サラについても歌についても予備知識が殆どない状況(前日にライブDVDで集中予習)で、にわかファンとして挑んだ(って、普通にコンサートに行っただけだけど)。 サラはかつてミュージカル『オペラ座の怪人』のヒロイン役でトップ・スターの地位を築いたという経歴があることを知り、つい先日映画『オペラ座の怪人』を観て感激したばかりの私にとってはなかなかタイムリーなこのコンサート、しかもあの東儀秀樹と、二胡のチェンミンが『アジアン・フレンズ』として出演するというから、かつてのコンサートでそのエンターテイナーぶりを見せつけていたサラが、どんな『アジアン』とのコラボレートをみせてくれるのかと、期待していた。 が、蓋をあけてみたら、私の期待していた『コラボ』はアンコールでの『スカボロ・フェアー』1曲のみ。本編ではサラが3曲、チェンミンが3曲、サラが2曲、東儀が3曲、サラが3曲、と、交互にステージを出たり入ったりする始末。ま、勝手に私が期待を膨らましたのが悪いんだけれど。斜後ろの座席にいた若い女の子ふたり連れ(明らかに東儀ファン)が公演後、「すごい豪華キャストだよねえ〜〜!」と感激していたが、確かに素直にそう思うべきであっただろう。サラファンにはちと物足りないステージであったと言えるが。せめてアンコールにもう1曲、サラのアカペラのプレゼントがあれば、言うことなしだった。 まあ今回のステージのコンセプトはさておいて(いろいろ事情もあるんだろうし)、ミュシャの絵の女性のような美しい姿のサラのクリスタルヴォイスは、CDで聴くよりもライブDVDの方が数倍良く、さらに生は鳥肌ものだった。久々の生にうっとり。ジョアン以来だ。『オペラ座の怪人』も生で聴けてよかった。 細かいことを言うと、チェンミンのタイムリーなMCにジーンとし、東儀の『サラとの出会い』昔話にヘエ〜と笑った。二胡や笙や篳篥も良かったが、私は声が好きだ。 声が好きだが、実はこう見えてオーケストラ音楽も好きだ。幼い頃、ワケも分からず母につれられよく聴きに行ったことを覚えている。聴くというよりも、観るのが好きだ。指揮者と個々の演奏家たちとの一体感。コンサート・マスターのリード感。ああ、いまこの楽器が歌ってる、あの楽器が鳴っている、というのを、耳と目で確かめるのが好きだ。でも何といっても、演奏する前の音合わせが好きだ。あのなんともいえない美しい響き。『これから始まる!』というワクワク感がたまらない。 高校の時文化祭で、友人が出演するというので、吹奏楽部の演奏を体育館で観た。その友人はちょっと変わった子で、美大志望なのに音楽を選択し、吹奏楽部に所属していたという勇気のある女だった(それに比べて私は、美術選択の美術部というつまらない女だった)。吹奏楽といえばフルートやクラリネットやトランペットなどが花形だなと、そのころの私はフツーに思っていたが、彼女はパーカッションを担当していた。当時の吹奏楽部では、それら花形管楽器にあふれてしまった人たちが、仕方なく打楽器にまわされる、というのが常だったらしいのだが、彼女は自ら打楽器を選んだのだと誇らしげに言っていた。私は演奏を観るまで、その意味が全くわからなかった。 演奏をしている彼女(たちパーカッション部隊)は、意外にもかっこよかった。いろいろな打楽器を、みごとなチームワークでこなしていた。忙しそうだった。ドラムセットにまたがる人もいた。まったく打楽器が登場しない曲では、彼女達5〜6人は横一列になって揃ってステップを踏んだりしていた。「やられた!」と思った。あれだけ後方のパーカッション部隊だけを見つめていたのは、多分私だけだっただろう。 それ以来、オケを観る時は、向かって左後方のパーカッションが楽しみだ。昨日の演奏ではガンザが気になって仕方なかった。え?ちょっと下手とちがう?・・・そんなワケない、天下のTフィルハーモニー交響楽団だもの。でもでも、私の方がイケるかも。。。。。 というわけで、サラ、チェン、東儀のほかに、オケのみの演奏も2曲あった。個人的にはこちらもなかなか楽しめたわけだ。 盛り沢山の音楽を楽しみつつ、頭の隅っこにある制作中の立体作品が時折ステージの片隅に姿を現していたのを、ああ、我が性、と嘆きつつ、みなとみらいの夜景に乾杯!の夢心地の一時であった。
10cm×10cm リトグラフ ひとまず来週半ばに目処をつけねばならないA作品に取り組んでいて、ふと気がつくと別のBという作品のことを考えている。ああいけないと思い直してまたAに取りかかっていると、いつのまにかさらに別のC作品はいつ頃までに目処が立てばいいんだっけ?とカレンダーをめくっている。 それに加えてさらにまた2つの公募の要項が届いた。 うう、ちょっと待って。本気のパニック。 でも、ひとまずA作品の目処は立ったし、来週搬入のリト(上のと、昨日の)は額装・搬入の手配が済んだ。ひとつひとつ確実に。 そして明日は休息日(仕事はあるけど)。アトリエを出て、横浜に行こう。
15cm×10cm リトグラフ 本日から4日連続で、新作リトです。このうち今日と明日の2点を川口での『安行百花展』に出品します。
『ひらめいた!』というのは、自分の思考の流れの中で歳月をかけて生まれ出てきた様々な点と点が、自分でも「ほお〜〜っ!なるほど〜〜〜!!」と感動するほど、無意識のうちの必然的に、1本の線に繋がることを私は言う。意識的に繋げようとすると、自然界に無理が生じることが多いので、たいてい上手くいかず、『ひらめき』とは言えない。
春休みが終わった。
4日目にして、ようやく入手。
4月1日が発売日の単行本。
佐藤由美子
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