ユミコのメモ箱 DiaryINDEX|past|will
とうとう念願の自転車を買った。
『ku:nel』最新刊のラストにあるよしもとばななのエッセイ『なじむ』を読んで、しみじみした心持ちになる。馴染む。いい言葉かも。
夏に、大きな個展をすることに決めた。(『テンランミライ』参照)
先日、『ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還』を見た。
Fくんの個展を見る。Fくんは以前一緒にコラボレーションした、テキストを用いたインスタレーションの作家さん。
人の体験や気持ちを我が身に置き換えてみる、ということは、容易なことではない。いや、所詮無理なはなしだと思う。
昨日の続き。『二つの塔』ラストのフロドとサムの会話。サムの言葉が、ひとつひとつ心に染みた。
芸大美術館で16日まで開催中の『HANGA/東西交流の波』展を観に行く。招待券を持っていたので。まあ、まあそんなところ。
Oギャラリーに行く。閉廊一時間前に着いて、閉廊40分過ぎまでじっくり見たり選んだり話をしたり考えたり悩んだりする。
先日、部屋の壁にかけているフレーム(ポストカード用)の中味を、入れ替えた。
10cm×15cm パステル、木炭、鉛筆 今年に入ってから、部屋の本棚の整頓を少しづつしていて、行き場に困っていたものたちが納まりつつある。 片付け癖がついたのか、今日昼頃アトリエに着くなり版には目もくれず、無性に片付けがしたくなって始める。ここ3年程未踏の地であった「この中には何が入っているんだろう?」という箱の中や棚の奥を、ばっさばっさと切り開いてゆく。テーマは『捨てる』。いいテーマだ。45Lのゴミ袋がいっぱいになる。 夕方4時半頃からようやく制作に入る。 昨日のエスキースをもとに、2版に分けて描写。印象はかなり変わる。だからタイトルも変えることにする。 気分転換に電子辞書をクルクル見ていて、意味も無くふと今読んでいる山本容子のエッセイを思い出す。自分と重ね合わせて読んでいるのだが、もう最高に胸くそが悪い気持ちでいたのに突然、スイッチが切り替わる。自分の目指して行くべき方向・・・大きく分けて2つあるわけなのだが・・・でもまだ思い切りがつかないと言うか、未練があるというか。でももう思いきる潮時なのかも、と。そう割り切った上で、両方を目指したっていいんだし。 その後、ふたたび2版に手を少し入れて、別の絵を描きたくなったので上のパステル画をちょろっと描く。 アトリエに制作道具が出しっ放しって、いい。こういう環境を維持できれば、もっとひょいひょいっと制作ができそう。 でも、明日から仕事だ。金曜日にはまた片付けないと。
27cm×21cm 木炭、パステル、鉛筆 2005年、リト初め。 昨年、描画だけして刷っていない版を引っぱり出して、もう1版付け足すことにして、その描画を新たにする。版を横に2枚繋げて一枚の絵にする予定でいたが、右半分を全て無くすことにする。そのうち、1版をひっくり返して左の絵に重ねて刷ることにする。以前描いてあった左の2版のうち1版を無くすことにする。 さて、問題。 結局何版重ねることになったでしょう?(正解は明日のタイトルで) 上の習作は、今日突然降臨してきた絵のイメージ。 お香を焚いて電子辞書とにらめっこしていたら久しぶりに、パア〜ッっと見えて、悩まず描いた(普段は版に描く前にここまでしっかりエスキースすることは滅多にないが、なんとなくそんな気分になったので)。 明日、リト版におこしてみる予定。
14cm×20cm 鉛筆、色鉛筆 身の回りにひょいとあったモノのカタチを、忠実に描いてみた。 その、描いたカタチから、なにかが響いた、自分の中で。 そしたら、そこには実際にないカタチ、というか息遣い、みたいなものが、見えてきた。 そして、ゴシゴシゴシゴシ、と塗りたくなった。ゴシゴシ、と消したくもなった。 絵が描けないなあ、とこのごろ思っていたけれど、この方法なら、いいかもしれない。 『魂が宿る』というようなコンセプトを、自然に、『表現』ではなく『(私が)感じる』ことができているやり方だと思う。『宿っている』ことを表現したり伝えたり知らしめたりするのではなく、私自身が感じていることが、大切だから。
『不死鳥の騎士団』上下巻セットを、古本屋でゲットしたので、『炎のゴブレット』の残り3章ほどを一気に読み切る。シリーズも後半戦に突入し、映画(ビデオ)も観たし、物語そのものにはまってきた。う〜ん、次はどうなるのでしょう。
10cm×12cm 和紙にリトグラフをコラージュ、白ボール紙 元旦から5日間連続で、新作コラージュを掲載しました。 これらは本日から15日まで、東京・銀座のOギャラリーで開催中『コレクターへのすすめ』展に出品しております。(詳しくは『テンランミライ』のページで) 展示は、内2点のみですので、他のモノを見たい場合はギャラリーの人に声をかければ、見せてくれると思います。 他にも、かなり大勢の作家の小品が一時に見られる絶好のチャンスですので、ギャラリーにはじめて行ってみようという方にも、お気に入りの絵を見つけて部屋に飾ってみたいという方にも、おすすめの展覧会です。 私も近い内に足を運ぶ予定です。 『パウダー』ビデオ鑑賞。 うう、涙が止まらなかった。 まあ、ベタと言ってしまえばその通りではあるが、『モモ』とか『星の王子さま』などに共通するような「ほんとうに大切なこと」「人間の美しさ」みたいな教訓を得られるおはなし。つまり、個人的にはかなりツボに入ったわけだ。主人公パウダーがふたりの先生に心を開く場面と、同級生の女の子との公園でのやりとりの場面が、よかった。 昨日、お年玉兼プレセントとして迷った挙げ句、CD『うたううあ』を買った。 NHK『ドレミノテレビ』でウーアが童謡や古き良き歌をうたったCD。 ダビングも頼まれたため聞いたところ、おおっ、コレがかなり気に入ってしまったので、今度自分用にも購入しようと思っているところ。
10cm×12cm 和紙にリトグラフのコラージュ、解墨 一昨日の夜から丸二日かけて、『ハリーポッター』シリーズ3弾の映画をぶっ続けで鑑賞。 『読書日和』では、いまいちな書評を掲載しているが、なるほど映画を見ると、凝縮、というか端的に略されて、面白い作品になっている。特に『アズガバンの囚人』がいい。 端的で分りやすいものになっているが、やはり原作を先に読んでいると、原作の方がずっといいと感じる。原作の複雑さがまたいい。ただし、クィディッチのシーンを除いては。ただ単に、映画よりも本が好きという、個人的な好みによるところかもしれないが。 『アズガバンの囚人』の映画のなかの、ダンブルドアのセリフで心に残る言葉があった。 「子どもの言葉は、聞くことを忘れた者には届かない」というもの。原作を読み直してみると、「・・・十三歳の魔法使いが二人、何を言おうと、誰も納得はせん。・・・」というセリフ。ダンブルドアがハリーとハーマイオニーに言った言葉。 松岡佑子v.s.戸田奈津子。戸田さんの勝ち。 今後、冬休み中に『パウダー』と『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズを鑑賞予定。
18cm×5cm 和紙にリトグラフのコラージュ
8cm×8cm 和紙にリトグラフのコラージュ、白ボール紙、解墨 『はじめてのおつかい』について。 親のエゴだ。 あたかも子どもが『気付き』をしている風にコメントする大人たち。でもあれは、子どもの純粋さを利用して、大人が『気付かされている』だけなのだ。子どもはいい迷惑であろう。3才前後の子どもが自立してひとりでお使いする必要が、はたしてあるのか?もっと別の方法があるだろうし、この時にしかできない体験というものがあるだろう。成長をそんなに焦らなくてもいいんじゃないか?見ていて腹立たしい。虐待だ。 ・・・とか言いながら、欠かさず見てしまう、この番組。 そして子供達の健気な言動に、涙、涙で感動させられてしまうのだ。 でも絶対、私が親だったら、自分の子にあんなことはさせないな。
・・・マツケンサンバ。まともに見たのは初めてだったので。すごい。
佐藤由美子
|HomePage
|