ユミコのメモ箱
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とうとう念願の自転車を買った。 大幅に予定を変更して、折り畳みのコンパクトサイズ。 これならアトリエに置いておけるし、My軽CARにもらくらく積めるし。 白くてかわいいし。
Wさま、たいへんお世話になりました! 春までに春日部市内でシェイプアップしたら、共にレインボーブリッジを渡りましょう!
『世界を変えたければ、自分を変えろ』。
・・・ああ、なんと耳の痛いお言葉!
『ku:nel』最新刊のラストにあるよしもとばななのエッセイ『なじむ』を読んで、しみじみした心持ちになる。馴染む。いい言葉かも。
今日ふと思ったこと。 おしゃべりの達者な作家の絵と、寡黙な作家の絵。前者よりも後者の方が、絵そのものから発するなにかが大きいような気がする、ということについて。 絵を前にしたその時のおしゃべり(絵や作家自身についての解説)が絵をじゃまする、とか、下手に解説をされるよりも見る側の解釈で楽しめる、とかいうその場限りの事実だけではなく、作家のそういった性質が、根底の部分で絵にも表れるというか隠せないというか、そういうこと。だから良く見せようとして無理に黙っていても(もしくは無理に解説しとうとしても)絵の良し悪し(それは私の主観による判断だが・・)に変わりは無い。
・・・というか、今日偶然見たふたつの個展で、ひとりはよくしゃべる人で、もうひとりは「しゃべるの苦手で・・」と言っていた人で、たまたま私の絵の好みが後者だった(両方とも日本画だった)というだけかもしれないけれど。
ギャラリー21+葉で榎倉康二展を見る。 東京都現代美術館での展覧会も、はやく見たい。
| 2005年01月25日(火) |
この2週間を振り返る |
夏に、大きな個展をすることに決めた。(『テンランミライ』参照)
過去5回個展をしているOギャラリーup・sではなく、倍の広さのOギャラリーでの初個展、ということと、『今年は(大々的な)個展をやらない!休むぞー!!』と決め込んでいた矢先のこの決断ということで、実はものすごーくプレッシャーを感じている。
でもこのプレッシャーは、個展のことだけではなく、2週間ほど前のとある3日間で来年度の予定が展覧会関係仕事関係ごった返しておもしろいように一気に入ってきて、そういうすべてをひっくるめて、突然襲われた予期せぬプレッシャーだ。
そのなかでも個展は、心身共に一番つらいけれども、一番楽しくもある。
そして今、それらの予定に押しつぶされそうな心境。始まる前って、気ばかり焦って行動していないから、精神衛生上よろしくない。
歯が痛い(虫歯ではなかった)、に始まって、目が痛い(もう治った)とか、胃腸の調子が微妙とか、腰痛悪化とか。
極めつけにはつい先日過って指を切り、子供達の前で流血騒ぎ。切り所と切り方がまずかったのか、これがなかなか止まらない。久しぶりに血圧がスウウウーーッと下がるのを感じて冷や汗がどっと出た。
ああ、新年早々リセットなくちゃ。
先日、『ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還』を見た。 3部作を通して観て、ああ、これは友情物語だったのね。 3部目でもやはり、サムにやられた。サム、ありがとう。 物語のこと細かい内容は、複雑で一度観ただけでは理解しつくせない。 やっぱり原作本読破、かな。はまっちゃったな。
Fくんの個展を見る。Fくんは以前一緒にコラボレーションした、テキストを用いたインスタレーションの作家さん。
小説を読むことは、その世界に没頭するのではなく、現実との関係を感じる行為であり、過去の作品(小説)から現代の自分がなにかを得られた、ということは、美術作家としての自分もその小説を読んだことで現代から過去へ、もしくは自己から(小説の著者も含めた)他者へ、何かを発信できるはず、というスタンスをFくんは常に保っている。
そういう、自分の『内』だけでなく(むしろ『内』ではなく)『外』との響きを楽しんでいるように感じられる展示である。それは、視覚的な響きであり、音としての響きであり、肌で感じることのできる(と思わせるような)響きであったりもする。
小説や本と版画の関係性にも興味を持っているFくんの展示は、身近でありしかし新鮮な『言葉』を私に丁寧に投げかけてくれて、とても勉強になる。
その後Oギャラリーにて、個展の申し込みをする。
| 2005年01月17日(月) |
防災とボランティア(に限らず・・) |
人の体験や気持ちを我が身に置き換えてみる、ということは、容易なことではない。いや、所詮無理なはなしだと思う。
ここ最近のニュースを見聞きしながら「明日は我が身」だなんて、本気で考えたとしたら、精神的に健康に過ごせなくなってしまう。
私には私のやり方で、今無理せずできることからやろう、と思う。
昨日の続き。『二つの塔』ラストのフロドとサムの会話。サムの言葉が、ひとつひとつ心に染みた。
今日、ある全く悪意のない不可抗力により、左目の眼球(コンタクトレンズ付き)にあるモノが勢いよく当たった。
「痛っ!」と思わず声が出たと同時にうつむくと、コンタクトレンズがポロッと落ちた。
しばらく痛かったので、左だけレンズは外したままで、ハンカチを濡らして冷やしていたら、充血も痛みも20分ほどで治まった。ホッ。一時はどうなることかと・・・・
それで思い出したのだが、遠い昔、おたふく風邪で幼稚園を休み、テレビをボーッと見ていたところへ、妹が玄関に置いてあったらしい朝顔の蔓の支柱などに使うプラスチック製の棒を手にやってきて振り回したところ、私の左目に直撃したという、私の人生の中で最も古い記憶がある。 『おたふく風邪で幼稚園を休みテレビを』という部分や、その後の病院で診てもらい(特にこれといった異常は認められずも)「将来視力が落ちるかも」と言われたということは、後から母に聞いた記憶であるが、『妹がプラスチック棒(グリーン)を振り回し』ている部分は、映像として鮮明に記憶している。その時見えている部屋の風景も。あと、映像では無いが『両ほっぺの重度のおたふく腫れ』と『眼帯』を併発してとてもつらかったことも、ものすごくよく憶えている。
中学生になって、左右とも視力が落ち、特に左目のそれは著しく、以来未だにいわゆる『ガチャ目』であることは、おそらく『プラスチック棒』が原因ではなく、単なる姿勢の悪さだったと私は思っている。
なんて考えながら、今週も『金八先生』を「ああっ!ダメッ!しゅう〜〜!!」とか言いながら見ていたら、なんだかまた左目が痛みだした。疲れ目かな。残念だけれど『王の帰還』ビデオ鑑賞、今日のところはやめておこう。
| 2005年01月13日(木) |
上野・神宮前・日本橋 |
芸大美術館で16日まで開催中の『HANGA/東西交流の波』展を観に行く。招待券を持っていたので。まあ、まあそんなところ。
同じく陳列館で20日まで開催中の『スヴェレ・フェーン』展を見る。無料だし、ポスターに惹かれて。こちらのほうが数倍面白かった。特に、ビデオ展示が。
ギャラリーアートスペースに半年ぶりに行く。今年の本の展覧会の日程を聞く。展示も観る。いろいろ話す。
電話が入る。来月浦和でひっそり個展を開くことに、急遽決定する。穴埋めのために。 ここ2〜3日、雲行きが怪しい・・・・。
日本橋・三越新館に立ち寄る。休憩コーナーとトイレ付近にある私のリトをわざわざ見に行ってくれた方が、「3階の本館連絡通路付近にも、佐藤さんの作品らしきものがあった」と教えてくれたので、確認をしに。 あった。3階トイレの近く、本館への連絡通路手前に。やっほう!
『ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔』のビデオ前編を鑑賞。部分的にハリーポッターと混乱している。この後、後編を観るつもり。
Oギャラリーに行く。閉廊一時間前に着いて、閉廊40分過ぎまでじっくり見たり選んだり話をしたり考えたり悩んだりする。
帰りに光文社文庫 川上弘美選 恋愛小説アンソロジー『感じて。息づかいを。』を買う。今月の新刊。全8編だが、そのうちよしもとばなな著『とかげ』と川上弘美著『可哀想』は読書済み。
帰りの電車で、先程悩んだ件について、さらに悩む。
風呂に入って、なんでこんなに悩んでしまうのか、悩んでいる自分がわからなくなる。
先日、部屋の壁にかけているフレーム(ポストカード用)の中味を、入れ替えた。
ひとつは初心を忘れないために『谷内こうた』。 ひとつはちょっとした目標を掲げて『ディック・ブルーナ』。
毎日目に入るので、この試みはなかなかいい。
10cm×15cm パステル、木炭、鉛筆
今年に入ってから、部屋の本棚の整頓を少しづつしていて、行き場に困っていたものたちが納まりつつある。
片付け癖がついたのか、今日昼頃アトリエに着くなり版には目もくれず、無性に片付けがしたくなって始める。ここ3年程未踏の地であった「この中には何が入っているんだろう?」という箱の中や棚の奥を、ばっさばっさと切り開いてゆく。テーマは『捨てる』。いいテーマだ。45Lのゴミ袋がいっぱいになる。
夕方4時半頃からようやく制作に入る。
昨日のエスキースをもとに、2版に分けて描写。印象はかなり変わる。だからタイトルも変えることにする。
気分転換に電子辞書をクルクル見ていて、意味も無くふと今読んでいる山本容子のエッセイを思い出す。自分と重ね合わせて読んでいるのだが、もう最高に胸くそが悪い気持ちでいたのに突然、スイッチが切り替わる。自分の目指して行くべき方向・・・大きく分けて2つあるわけなのだが・・・でもまだ思い切りがつかないと言うか、未練があるというか。でももう思いきる潮時なのかも、と。そう割り切った上で、両方を目指したっていいんだし。
その後、ふたたび2版に手を少し入れて、別の絵を描きたくなったので上のパステル画をちょろっと描く。
アトリエに制作道具が出しっ放しって、いい。こういう環境を維持できれば、もっとひょいひょいっと制作ができそう。 でも、明日から仕事だ。金曜日にはまた片付けないと。
| 2005年01月09日(日) |
“outsider”のための習作 |
27cm×21cm 木炭、パステル、鉛筆
2005年、リト初め。
昨年、描画だけして刷っていない版を引っぱり出して、もう1版付け足すことにして、その描画を新たにする。版を横に2枚繋げて一枚の絵にする予定でいたが、右半分を全て無くすことにする。そのうち、1版をひっくり返して左の絵に重ねて刷ることにする。以前描いてあった左の2版のうち1版を無くすことにする。
さて、問題。 結局何版重ねることになったでしょう?(正解は明日のタイトルで)
上の習作は、今日突然降臨してきた絵のイメージ。 お香を焚いて電子辞書とにらめっこしていたら久しぶりに、パア〜ッっと見えて、悩まず描いた(普段は版に描く前にここまでしっかりエスキースすることは滅多にないが、なんとなくそんな気分になったので)。
明日、リト版におこしてみる予定。
14cm×20cm 鉛筆、色鉛筆
身の回りにひょいとあったモノのカタチを、忠実に描いてみた。 その、描いたカタチから、なにかが響いた、自分の中で。 そしたら、そこには実際にないカタチ、というか息遣い、みたいなものが、見えてきた。 そして、ゴシゴシゴシゴシ、と塗りたくなった。ゴシゴシ、と消したくもなった。
絵が描けないなあ、とこのごろ思っていたけれど、この方法なら、いいかもしれない。
『魂が宿る』というようなコンセプトを、自然に、『表現』ではなく『(私が)感じる』ことができているやり方だと思う。『宿っている』ことを表現したり伝えたり知らしめたりするのではなく、私自身が感じていることが、大切だから。
| 2005年01月06日(木) |
本&ビデオ&リモーネ漬け |
『不死鳥の騎士団』上下巻セットを、古本屋でゲットしたので、『炎のゴブレット』の残り3章ほどを一気に読み切る。シリーズも後半戦に突入し、映画(ビデオ)も観たし、物語そのものにはまってきた。う〜ん、次はどうなるのでしょう。
とその前に『ロード・オブ・ザ・リング』の前半を観たので、話がダブってちょっと頭が混乱する。
『ロード・・・』を観ながら、「これも本で読みたいかも・・」と大それたことを思う(けれど、他に読みたい本が山積みになって待機しているので、しばらく大作はやめておこう)。
リプトンリモーネの500mlペットボトルに付いているおまけの、モンチッチシリーズ全6種を、無事に揃え終わる。 モンチッチには、幼い頃のちょっとした思い出がある。お友だちとお別れした思い出。
10cm×12cm 和紙にリトグラフをコラージュ、白ボール紙 元旦から5日間連続で、新作コラージュを掲載しました。 これらは本日から15日まで、東京・銀座のOギャラリーで開催中『コレクターへのすすめ』展に出品しております。(詳しくは『テンランミライ』のページで) 展示は、内2点のみですので、他のモノを見たい場合はギャラリーの人に声をかければ、見せてくれると思います。 他にも、かなり大勢の作家の小品が一時に見られる絶好のチャンスですので、ギャラリーにはじめて行ってみようという方にも、お気に入りの絵を見つけて部屋に飾ってみたいという方にも、おすすめの展覧会です。 私も近い内に足を運ぶ予定です。
『パウダー』ビデオ鑑賞。 うう、涙が止まらなかった。 まあ、ベタと言ってしまえばその通りではあるが、『モモ』とか『星の王子さま』などに共通するような「ほんとうに大切なこと」「人間の美しさ」みたいな教訓を得られるおはなし。つまり、個人的にはかなりツボに入ったわけだ。主人公パウダーがふたりの先生に心を開く場面と、同級生の女の子との公園でのやりとりの場面が、よかった。
昨日、お年玉兼プレセントとして迷った挙げ句、CD『うたううあ』を買った。 NHK『ドレミノテレビ』でウーアが童謡や古き良き歌をうたったCD。 ダビングも頼まれたため聞いたところ、おおっ、コレがかなり気に入ってしまったので、今度自分用にも購入しようと思っているところ。
10cm×12cm 和紙にリトグラフのコラージュ、解墨
一昨日の夜から丸二日かけて、『ハリーポッター』シリーズ3弾の映画をぶっ続けで鑑賞。 『読書日和』では、いまいちな書評を掲載しているが、なるほど映画を見ると、凝縮、というか端的に略されて、面白い作品になっている。特に『アズガバンの囚人』がいい。 端的で分りやすいものになっているが、やはり原作を先に読んでいると、原作の方がずっといいと感じる。原作の複雑さがまたいい。ただし、クィディッチのシーンを除いては。ただ単に、映画よりも本が好きという、個人的な好みによるところかもしれないが。
『アズガバンの囚人』の映画のなかの、ダンブルドアのセリフで心に残る言葉があった。
「子どもの言葉は、聞くことを忘れた者には届かない」というもの。原作を読み直してみると、「・・・十三歳の魔法使いが二人、何を言おうと、誰も納得はせん。・・・」というセリフ。ダンブルドアがハリーとハーマイオニーに言った言葉。
松岡佑子v.s.戸田奈津子。戸田さんの勝ち。
今後、冬休み中に『パウダー』と『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズを鑑賞予定。
18cm×5cm 和紙にリトグラフのコラージュ
8cm×8cm 和紙にリトグラフのコラージュ、白ボール紙、解墨
『はじめてのおつかい』について。 親のエゴだ。 あたかも子どもが『気付き』をしている風にコメントする大人たち。でもあれは、子どもの純粋さを利用して、大人が『気付かされている』だけなのだ。子どもはいい迷惑であろう。3才前後の子どもが自立してひとりでお使いする必要が、はたしてあるのか?もっと別の方法があるだろうし、この時にしかできない体験というものがあるだろう。成長をそんなに焦らなくてもいいんじゃないか?見ていて腹立たしい。虐待だ。
・・・とか言いながら、欠かさず見てしまう、この番組。 そして子供達の健気な言動に、涙、涙で感動させられてしまうのだ。
でも絶対、私が親だったら、自分の子にあんなことはさせないな。
・・・マツケンサンバ。まともに見たのは初めてだったので。すごい。
10cm×10cm 和紙にリトグラフのコラージュ、白ボール紙、解墨
というわけで、あけましておめでとうございます。 今年もがんばってメモを続けてゆきたいと思います。
コラージュは、5日から始まる『コレクターへのすすめ展』に出品する5点のうちの1点です。額装して展示しますが、この作品、天地がこれで合っていたか・・わすれちゃった・・・・(撮影後、額装直前にサインを入れたので、って、理由になっていないけど)。ま、間違えていても、御愛嬌。
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