草原の満ち潮、豊穣の荒野
目次前ページ次ページ

49 Something to Talk About 1  ルー

朝。

新緑は晴天の下で鮮やかなグリーンを誇る。
手入れの行き届いた子馬達が駈ける牧場。
ヒダルゴは今日も明るい太陽の下。
鳥はさえずり、虫は花に潜んで娘達に悲鳴をあげさせた。




「ギャーッ!!!」


青空の下、響いた叫び声は娘のものではない。

「てめえ、このひっぱるな!」

石畳を歩く3人のうち頭からすっぽりとフードを被った男が喚く。
けらけらと笑い転げている小さな子供の手を引くのは
丸い黒眼鏡に不精髭の酒屋。

「こらルーくん、いたずらはあかんで。ブルー殿もおおげさや。
子供はオーバーな仕種を喜ぶんやから逆効果やろ」

「こっちは太陽が死ぬ程嫌いなんだ。出来るもんなら撃ち落として
やりたいくらいですよ」





ブルーのフードを引っ張ったり、陽気の割に大げさな外套を
めくってはけらけら笑う子供。その度にブルーが叫び声をあげる。

「えらい騒々しい道のりやなあ...」

「ナタさん、申し訳ない。付き合わせちまって」

「ま、乗りかかった船やし。ブルー殿ひとり行かせよったら、帰りは下手すりゃ治療院送りやろー。わはははは」

「笑い事じゃねんだ」

「しっかし太陽嫌い言うたら、ブルー殿どっから来たん?南やなさげやが」

「ん...まあそうですね...。確かに南じゃないんですが
年中氷が張って...熱い場所もあるにはあって...」

「は?氷張って熱いぃ?……極北極寒の温泉地かいな?
けんどあそこら辺りは……」

考える様子でぶつぶつ呟きながら言葉を濁した酒屋は、黒眼鏡の下から
笑う子供に視線をやって話題を変えた。

「ま、それはおいといて。それよりルーくん
ちぃとは言葉覚えなあかんねぇ。言葉知らんでも友達は作れるもんやけど、知っとる方が何かと便利やし」

「けっ友達ね」

「おんや、ブルー殿は友達は嫌いか」


酒屋が笑いながら突っ込む。
ブルーはフードをしっかり被りなおして吐き捨てた。


「殴ってなんぼ、ですよ。つるむのは嫌いだ」

「そしたら、残念やけど酒飲み友達もアカン言うこっちゃな?」

「........飲み相手は別です」

「わはは。都合のええこって。ま、何でもええわな。
ブルー殿のガキん頃が目ぇ浮かびそう。カーくんもある意味 
近いトコあったやもしれん」


豪快に肩をゆすって笑う酒屋にブルーは
とんでもない、という仕種で否定した。

「そう毛嫌いせんと。カーくんああ見えて酒豪やねんで。
上手うにつき合うたら、ブルー殿もええ酒飲み友達なれる思うし」

「なんでオレがあっちに合わせなきゃならないんだ。
オレが気に喰わねえ、ってんなら放っときやがれってんだ。
こちとら何もねえのに突っ掛からねえよ」

「何もない事あらへんがな。ルーくんおるやんか」

酒屋は苦笑いで青い子供の頭をぐりぐり撫でた。


「喧嘩するんは元気で好きにしいやーと言いたいけんども。
やるとなったらアレは手ぇ抜かんから、確実に半殺しにされるで。
尤も、無闇やたら誰でも殴ったりはせぇへんが」

「どんな奴だよ。大体深夜に森で灯のかわりに武器持って歩いてたし
まるで面隠すような髪型、得体の知れねえ顔つきしてやがる」

「ブルー殿正直やねぇ。俺がカーくんにソレそのまま言うたらどーするで?」

「構うもんか。オレは言いたい事は言うよ。
それで文句があるならかかってきやがれってんだ。
...それにさ、ナタさん、あんたがちまちまちくるようなカスなら
こうやって歩いてねえと思うんですがね」

「わはは。そらいちいち云うよな事でも無いけその程度。
ほれ、見えたで。あそこ」

「.....火かよ」




石畳の道はいつしか神官や街人で賑わっている。
足元の石には焔の女神の紋章が彫り込まれ、邪を遮断する魔法陣に
組まれ神殿まで続いていた。



「カーくんも流石時間ばっちり来とるなー」

「............」



聖堂の入り口に巨大な女神の紋章。
それを背に黒髪の司祭がひとりの少年を連れて立っていた。


「ようこそ。女神の祝福があらんことを」

「こちらこそ。迷惑をかけますが、どうかよろしく
司祭様」


司祭の丁寧な礼をブルーが同じく丁重に返した。

「ありゃ...ブルー殿」

続いて小さなルーがブルーの隣でそれを真似た。
周りの人々がくすくす笑いながら囁く。


「まあ、お父さんの真似してるわ。可愛らしいこと」


黒髪の司祭、カノンはしゃがみ込むとルーの頭を撫でた。

「よく来たね、ルー君。これから一緒に学んでいこう。
彼はケニー・スノウホワイト。君の勉強を見てくれる人だ。
安心していいよ」

ケニー少年がルーに挨拶をした。
頭を下げた拍子に瓶底の眼鏡がズリ落ちる。








「では、私はこれで失礼させてもらいます。夕方迎えに来ますから」


ブルーはにこやかな笑顔でカノンに言った。
カノンも穏やかな笑顔で応え、ナタクだけが苦笑いでそれを見ていた。


「あなたのような素晴らしい司祭様に教えて頂けるなんて
この子も幸運です」

「直接教えるのは僕じゃないが、君のような保護者殿の手助けになるよう
努力は惜しまないつもりだ」

「本当に素晴らしい司祭様で安心して仕事に励めますよ。
有り難い事です」

「仕事はともかく、君の生活態度や常識について
ちょっといくつか話をしておきたいんだがね、僕は」

カノンがこれ以上ないような優し気な笑顔で一室の扉を開け
入るように促した。



「....俺、もーちょい様子見てった方が良さげやね」

ナタクが煙草を取り出し火を付けた。


「遠慮します」

「相互理解のためにも、少しはきちんと人の話を聞いて欲しいんだよ」

「管轄じゃないと伺ったような気がするんですが司祭様?」

「君の場合、すでにそういう問題を逸脱しているだろう」


ブルーの舌打ち。
カノンの目は笑っていない。
仕方なさげにブルーは部屋へ入った。ナタクがさりげなくドアの前に
立ち何やら指折り数え出した。

「5、4、3、2...」

「いちいちガタガタうるせーんだよこのインテリ野郎!!」

「あ、ぴったしや」

ナタクが中のやり取りを聞きながらかかか、と笑った。






一方ケニー少年とルー。

「ルー君って言ったかな。さあ、ここが今日から君の...」


瓶底眼鏡の少年が小さな教室らしきドアを開けた瞬間。

「キャ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!かわいいーッ!」


瓶底眼鏡の少年は突き飛ばされ廊下にひとり放り出された。
ドアは閉められ少女達の黄色い声が響く。
13歳から15歳あたりまでの少女達。9歳そこらの幼い男の子に
盛り上がる。

「ちょ...ちょっと開けて下さいっ!勉強をしないとっ!!」

ケニー少年がドアを叩くも応じる気配はない。

「た、大変だあ!」


彼はあわててカノンに助けを求めに走った。

「あ、あのっ司祭様!カ、カノン司祭様っ!!ちょっと来てくださ..」

「うるせえ!だからオレのこたあ放っとけって
なんべん言ったらわかるんだ!」

「ひゃあっ!!」

ケニー少年がひっくり返った。
ドアを通してブルーの喚く声とカノンの
理路整然とした容赦ない突っ込みが聞こえる。

「あかんで坊主。今下手に入ったらえらいこっちゃ〜。はっはっは」



「だからオレはオレ、あのガキはあのガキなんだって!!
オレがどうかなんて関係ねえだろうが!」

「だから君は解ってないと言うんだ。子供は周囲の人間を見て育つ。
それを手本にするか反面教師にするかは子供自身の資質もあるが
君の場合、性格破綻や環境程度の事ではなく
その行動が遅かれ早かれあの子を巻き込む恐れがあると言っている」

「誰が破綻してるってんだ!」

「他に誰がいる」

「ボコられてえかこの、スカしやがって」

「君がどう思おうと知った事じゃない」


「あー、こらそろそろかのう」

「あの...何をやってるんでしょう?」

「坊主、そら言わぬが華という奴や。大人にゃいろいろ
大人の事情ちうもんがあるんじゃけ」

「ケンカしてるみたいですけど」

「カーくんも何でブルー殿に腹立てとんのかねぇ。
ま、元気そうでええけどな…っと」

ナタクがドアの前で少年に下がれ、と合図した。



「くらあッ!!ガキ共そこまでにせぇやっ……て、あらぁ?」




足で蹴り開いたドアの内部。
明るく大きな窓の室内。


「カーくん、もういてもうたん?」


カノンが困惑した表情で首を振った。

「僕はまだ何もしていない。ただ...」

「ただ何や」


カノンの足元にブルーが倒れている。
両手で目を押さえ転がり呻いていた。


「...彼が殴り掛かろうとしてフードを脱ぎ捨てただけだ」

「.............」


ナタクは来る道すがらの出来事を思い出した。

「ああ、なるほど。そいたらそらぁ自滅したんやな」

「どういう事だ?」

「ブルー殿、日差しが苦手なんやとさ。
せやからつまり、こういう事なんやろ」


ため息を吐いて、酒屋は床を指差した。

ブルーの呻き声は悲鳴に近い。窓を背に立つカノンの真正面で
まともにフードを外套ごと脱ぎ捨てたのだ。
大きく開け放たれた窓のカーテンがひらひらと揺れ、鳥が鳴いている。


「ではやはりあの子は....」

「外見(そとみ)は似ちょるがまったく別物云うこっちゃな。
カーくんちゃんと『視て』無かったがかい?」

「すまない、カーテンを閉めてくれ」

カノンはケニー少年に指示を出し、その隙にナタクに囁いた。

「普通なら通常の視界で十分事足りている。
だから深くは視ていなかった」

「てぇ事は、普段のソレに引っからんほどごっつ高度なモノ
云うことかい。ちゅーかお前、ぬるいこの街来て、鈍って無いか?
何で視てへんのや」

「言ってくれるな。僕も今実感した」


ブルーに向けたカノンの氷青の瞳が
細く鋭く絞られる。

「そっち視るん違うて。まあその話は後や」


慌ててカーテンを閉めた後、心配そうに様子をのぞき込んで来た
ケニー少年の存在に、ナタクはそこで話を打ち切った。
カノンものたうち回ろうとするブルーを抑えるので手一杯だ。

「そういや坊主、お前何しに来たんや?見ての通り取り込み中やが...」

「いえ、だからこっちもルー君が...」

「ああもう、何じゃっちゅーねん!
カーくん、ブルー殿看とけ。俺がルーくん見てくるけん」

「カーくんはよせ」

「言うとる場合か!」


ナタクはケニー少年と走り出した。

「何処や?」

「こっちです!そこのドアが中から...」


言い終わる間もなく、黒眼鏡の酒屋は滑り込み様勢い良く
回し蹴りをドアに叩き付けた。

「ルーく....」

5人の少女達が驚いたような顔で振り向き、ルーはその真ん中にいた。








「落ち着けブルー殿。暴れるとかえって良くない…っ」

「なんでもない!ほっといてくれ!」

言葉とは裏腹にまともに太陽を浴びた目は開かず
馴染んだ油断で薄着をしていた外套の下、露出部が完全に
赤く腫れ上がっている。

「火傷...?」

「くそったれ!」

ブルーが叫び続ける。
腫れ上がった顔は火傷の初期段階にも見えた。

「仕方がない」

冷やす材料を取りに行く余裕はない。
片腕でブルーを押さえつけながら片手で僅かに手印を切り
何事か小さく呪を唱えようとしたカノンは
部屋に入ってきた気配と足音に顔を上げた。

「.......」


目の前に異様な姿の子供。



「全くしょうもないわもうっ」


ルーが頭中に花を差されスカートをはいて立っていた。
遠目に見ると女の子のよう。
5人の悪戯娘達が次々に顔を覗かせる。

「こら!お前ら教室居れ云うたろが!だいたいこういう悪戯
お前らがするんは10年早いちゅーんじゃっ」

「だから僕が止めたんですー」

「ああもう忙しないなぁっ。とにかくブルー殿が先や。
早う治療院に…ってこらルーくん」



花を指した少年がブルーに駆け寄って笑いこけた。
カノンも流石に怪我人を笑う子供に一瞬眉を潜めたが...


「........」




ブルーの喚き声と悲鳴が止んだ。
5人の少女とひとりの少年、そして酒屋、司祭の見守る中
ブルーのただれかけた手や腕が元に戻って行く。

「信じられない...」

ルーはブルーの顔に小さな手を当てた。
ブルーの息が穏やかになっていく音が聞こえる。


「ちっ」


ナタクが少年少女を見て密かに舌打ちした。
彼等は目を丸くしてルーが何をしているのか見つめていた。
カノンは一瞬瞠目した後、複雑な表情でそれを見ていた。
氷青の『浄眼』



人間ではない.....?




カノンの浄眼に映ったブルーは獣人らしきごく一般的な
生きた『人間』

だがルーは。

普通の状態の浄眼ですら、ゴーストなどは一目で見分けられる。
それが効かなかったこの子は。
ルーの胸に青く丸い火のようなものが視える。
その体は、外側こそ人に視えるよう高度に巧妙な術で支えられていたが
内側はまったく、生きている人のそれではなかった。

この子には魂がない……

「全く、ややこしいこと抱え込むなぁ、カーくん」

「カーくんは、よせ....」


笑いながらブルーに手を当てる『子供』を見ながら
カノンは俯くと眼鏡を外し、言葉を発した。

「ケニー」

「は、はい」

名を呼ばれた少年が子供から司祭に視線を変える。
司祭はゆっくりと顔を上げながら、己が名を呼んだ少年を『見た』。
半分下ろされた右の前髪の隙間から覗く赤。
ナタクがそ知らぬ顔で横を向いた。
司祭が続けて呼び掛ける。

「サラ。マリア。ルイズ。ニナ。ヘザー。」

それぞれ名を呼ばれた5人の少女達が振り返った。

「あ...」

司祭は右の前髪を完全に後ろへかきあげ
赤い右目で彼等をじっと見つめた。
血のような赤。
左にある薄い氷の青の瞳とは、明らかに違った暗い光。
異様な圧力を持ってそれは少女達を捉えている。
見つめられた少年と少女達はまるで
魂が抜けたような表情で動きを止めた。

司祭の視線は微動だにしない。
数秒のち、彼は静かに口を開いた。


「君たちは何も見ていない。
彼が貧血で倒れ、ルー君は心配してここに来た。

ただ、それだけだ」


少年と少女達はゆるりと頷き、再び吸い付けられるように
赤い光に視線を戻した。
まるで見えない糸にでも手繰り寄せられているかの如く。


「彼も落ち着いてきたから、君達は心配しなくていい。
だが、ルー君に悪戯をしたのは感心しない。
全員部屋に戻って自習をしているように。

行きなさい」


司祭がドアの外を指差すと彼等はぼんやりとした表情のまま
無言で教室に戻っていった。


「これで問題ない」

カノンは何事もなかったように眼鏡をかけ、赤い目を前髪で覆った。

「ま、妥当な処置やな。
子供は何処で何くちゃべるか判ったもんじゃないきな」

「災いになりかねない事を放置する気はない...」

ナタクの呟きにカノンが低い声で答えた。
青い子供はブルーに手を当てたまま、周りの出来事など
全く意に介する素振りもない。
ブルーはブルーで眠っているのか身動きひとつない。
腫れ上がっていた顔や腕は赤味が残った程度にまで戻っていた。


「何にせよ、ブルー殿とはもっときちんと話して
事情を聞く必要があるな...。
彼はどう見ても人の部類だが......この子は...」


「人に似せた形代(かたしろ)みたいや」






静かな室内。
カーテンの向こうで鳥の鳴く声が響いている。
やや離れた教室では少年が少女達に席に着いて本を読むよう
叫んでいた。

「全くもう...。それにしてもルー君、大丈夫かな。
来た早々親御さんの貧血なんて勉強どこじゃないだろうし
彼女達も相変わらずだし...」


瓶底眼鏡の少年は新しい本とノートにルーの名前を書き込みながら
溜め息をついた。少女達は机に座って賑やかな井戸端会議を
やめる気配すらない。
何一つ変わりのない日常の昼下がり。