草原の満ち潮、豊穣の荒野
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48 River, Sea, Ocean 4~About A Boy

その神殿は街を見下ろした山の中程にそびえていた。
麓には礼拝や様々な行事が行われる聖堂や講堂。
街の者や神殿仕えの比較的下位者の姿が多く見られ
誰にでも門戸が開かれた親しみやすさがあった。

神学校と宿舎には様々な年齢の子供達。
孤児は成人まで男女共に神学生として扱われ
将来の選択をする日が来るのを待つ。

「司祭様。お休みなさい」

「ああ、お休み」

数人の神学生達が挨拶をしては宿舎へ戻って行く。


「あの、お呼びですか、司祭様」

ひとりの少年が戻らずに司祭の前にやってきた。
年の頃は17前後、青い目と短い金髪。
講堂正面の女神像へ膝を突き、軽く頭を下げ
続いて黒髪のまだ若い司祭である教師にも目上への礼を
忘れなかった。

「君は小さな子供達に読み書きを教えていたね。
明日から、ひとり9歳くらいの男の子を加えてほしいんだが
大丈夫かな」

「はい。今ちょうど5人程教えている所です。
だけど、全く問題がないわけでもなくって....」

少年はやや困ったような顔で溜め息をついた。

「途中で入ると教えにくいのかい?」

「いや、教える事は別に問題はないんですが...その」

「いいんだよ。遠慮しないで言いなさい。
君が困った事になるなら考え直す事にしよう」

「...僕はかまわないんだけど、教えてる子達が全員その...」

「なんだい?」

「...女の子なんです」

「それにどんな問題が...?
君達ぐらいなら、学ぶ内容的にまだ男女で差は無かったはずだが」

「その...前に入った男の子が毎日泣かされて...
きっとまたその子も逃げ出すんじゃないかと...」

「逃げた?」

「あ、いけない」

「いいよ、君の言った事は誰にも言わない。何があったのか
教えてくれないか」


少年はびくびくしながら話し出した。
自分よりやや年下の少女達が勉強もほったらかしで
入って来た少年をからかいいじめるのだと。

「女の子がいじめる...一体どんなふうに」

「...僕の口からは言えません。そんな」

「.....」


黒髪の若い司祭はしばし考え込んだ後、控えめに吹き出した。

「そう言えば聞いたような...。
なるほど、あの年頃の女の子達では仕方がないか。
君ではまだ解らないかもしれないが、丁度そういうお転婆な時期なんだよ。
...と言っても、流石に度が過ぎてて頭を抱えた年配の御仁が
もみ消したんだが」

「え?」

「いや、なんでもない。
それにしても君は大丈夫なのかい?彼女達から被害は…?」

「それが僕には何も...」

少年は青い目に鞄から取り出した眼鏡をかけた。
牛乳瓶の底程もあろうかという度の強い眼鏡。
司祭はその顔を見てなるほど、と笑いかけて止めた。
学内一の秀才にふさわしい風貌。年頃の少女の爪も歯が
立たない、というわけだ。


「では、僕もなるべく顔を出す事にしよう。
それなら引き受けてもらえるかな」

「それなら...。僕も子供達にしっかり読み書きを教えて
女神の教えを学ぶ道に案内しなければならないと思っています。
僕はもうすぐ司祭の資格試験を受けるんですよ」

「ああ、君の年齢では最年少らしいね。がんばり給え」

「いいえ、それが噂ですがもっと若い年齢の前例があったとかで...
司祭様達に聞いても皆嘘だって取り合ってくれません。
...ご存じないですか?」


「いや、僕も知らないな。噂なんて結構いい加減なものだよ。
あまり鵜呑みにしない方がいいね」



黒髪の司祭は笑って少年の肩を叩いた。

「さあ、遅いからもう行きなさい」

「新しい本とノート用意しておきます」

「頼んだよ」



黒髪の若い司祭、カノンは少年が宿舎に駆けて行くのを見送りながら
黙って眼鏡に手を添えた。
明日はブルーがルーを連れて来る事になっている。
カノンは私物置き場の小さな部屋に入ると溜め息をついた。


多分ナタクが付き添って来るのだろうが....。


やがて彼は銀色の棍を手に神殿の外へと歩き出した。外は夜。
司祭が生活する山の中腹から街へと降りて行く。
山の大部分が神殿として作り変えられ、道も鋪装されているが
夜は滅多に歩く者もない。

静まり返った夜道。
カノンが通り過ぎる度、いくつか置かれた小さな灯台の火が
燃え上がり石畳が光る。
彼の手にある銀の棍が鈍い光を放ち、持ち主の顔を照らした。
その顔は先ほどの少年に見せていたものとは、まるで別人。
彼は石畳に足音ひとつ立てることもなく、街へと降りて行った。





ある日の神殿内学校での出来事。

年少者、あるいは基礎学力修得必要者のクラスにて。
ひとりの少年が宿舎より脱走。彼は三日後
神官達に連れ戻され事情を聞かれる事となった。
街を飲まず喰わずでうろつき回った少年は差し出された
食事の匂いに全てを語った。

事の顛末。
当日未明、サラ、マリア、ルイズ、ニナ、ヘザーの5名が
同クラスの少年クリス・スパイラルをメープルの木に縛り付け
放置。その際、寄って集って衣服を脱がし
キスをしてからかった、との事。
サラ以下5名は3日間の懲罰授業にて子女の礼儀作法を
教えるも効き目なし。よってなかった事として少女らの
学習終了を待つ。

それまでは特別クラスとしてケニー・スノウホワイト少年に
任せるのが望ましいとされる。


尚、クリス少年は地方巡回司祭の助手として志願、現在旅路にあり。




星は今夜も人々の上で瞬いている。


47 River, Sea, Ocean 3~NO WHERE GIRL

ヒダルゴの街なかから森方面へと続く小道。
久々の休息をすませたブルーが戻って来る。
最近は水に入る暇もなかった。

青い子供の一件や住み込みの手伝い、その他煩雑な用事に振り回されて
心なしかげっそりとして見える。
健康上の問題は無気味なくらいなくなったのだが
人は心の健康、という厄介なものも抱えて生きている。




「....あー?」

彼は深く被ったフードの奥から目をこらすと
立ち止まった。
橋の真ん中に街人とおぼしき若い娘がひとり。
艶やかな黒髪を束ね、後れ毛が揺れている。


「娘さん、どうかなさいましたか?」


娘は橋から飛び込まんばかりに下を覗き込んだまま答えた。

「来ないんですの」

「はい?」

「もう愛は消えてしまったのかしら」

「......」

「あたし達の愛は永遠だってここで誓うはずでしたのに。
あたしだけがここでひとり残されて...」

「あの...話がよく見えねえんですけど」

「だから恋人に捨てられたって言ってるんですのよ。こんな事
口に出させるなんてひどい方ね。
ええ、ええどうせあたしなんか魅力も何もありませんのよ。
愛に捨てられた哀れな娘はいっそここから飛び下りて
冷たい川の流れに抱かれて若い命を終えるのがお似合いですわ」

「はあ....」

「きっと水は冷たく、無慈悲に心臓を凍らせ
あっというまに黄泉の国へ連れ去ってしまうのですわ。
おお!なんという悲劇、涙すら冷たい氷のように
零れ落ち闇に消えてしまうのです」

「...」

「愛を失った乙女の心臓は張り裂け、その悲しみに貫かれ
時を止めるのが運命。その前にいっそ、水の精霊にこの
嘆きの心臓を差し出して....(作者以下略)

どうぞ止めないで下さいまし」

「...」

「止めないでって言ってるでしょう」


「いや....そうしたいってんなら別に止めませんけど...
あれですか。その、彼氏が待ち合わせに来ないって事で?」

「ひどい質問をなさるのね」

「.....ひどいも何も。もしその彼氏かなんかに事情があって
遅れてるだけだったらどうするんです」

「一生後悔させてやりますわ。死ぬまでずっと
この川の水底で眠るあたしの事を想い続ければいいんです」

「.........」

ブルーは引き吊った笑いで手を振り歩き出した。

「ちょっと、なんで行くの」

「だってオレ、関係ねーもん」

「わかりましたわ。あなたあの男の回し者なんでしょう」

「ただの通行人だって」

「あなたもいらして!」

娘はブルーの腕を両手でしっかり掴んで橋の前に立った。

「またわけわかんねーのが....いいかげんにしてくんねえかな。
...でもさ...」

青い男の口元が耳まで割ける。無気味な笑顔。

「ほんとに飛び込むの?あんた。
水死体なんて膨れまくった挙げ句に蟹やら魚に喰われてさ
鼻の穴から小魚が顔出してコンニチワ、だぜ。
ま、オレは別にかまわねえけど」


青い男は反対に娘を掴み返し、川を覗いた。
そんなに大きくはないが深さはある。流れも早い。

「ちょっと...何を..」

「来いって言ったのはあんただぜ。
実はさあ、オレ若い娘の肝喰ってる化け物かもしれ..わあっ!」

「キャーッ!!」


悲鳴と同時に激しい水音が響き、娘は全力で街へ駆け出して行った。
川にひとり浮かんだブルーが吠えるように叫ぶ。

「あっはっはっは!!チクショウ今度会ったら水ん中
引き摺り込んでやるからな!
...って、うっぷ....ここの水臭えよ」

鼻を摘んで岸に上がる。生活排水が流れ込む川。
森の奥の水辺に比べたらドブに近い。
ブルーは犬のように全身を震わせて水を飛ばし
己の匂いを嗅いで顔をしかめた。




「それにしてもさ。娘の肝ってのは旨いのかね...」


物騒な事を呟きながら彼は街へ足を向けた。






「お待たせ、あんたの注文通り、全部揃えてきた....うえ」

薄暗い街角の裏路地。
派手で露出度の高い服装の女が言いながら鼻を摘んだ。

「ここ、なんか匂うわよ...何かしら」

「...さあ、知らないね」

ブルーは彼女から何やら受け取るとあさっての方を見た。

女は薬草らしき小袋をひとつひとつ
相手に確認させている間、煙草に火をつけた。

「あんたの試作品は完成するまで遠慮しとくわ」

「そりゃいい心掛けで」

「ブルー、あんたの腕は認めるけどさ、この街にいる限り
せこい商売しか出来ないわよ。アルファルドの話に乗ったら?」

「.....問題なし、全部もらうよ。いくらです?」

「金貨50枚」

「ぼったくるか」

「ふん、まともな場所で非合法なモンが
正規の値なわけないじゃない。いらないなら持って帰るわよ」

「金がない」

「だから乗れ、って言ってるんじゃないのさ。
悪党は悪党の正しい道行くもんよ」

女はブルーの顔を軽く撫で妖し気に微笑んだ。

「こっちにいらっしゃいな...」

「行くよ」

「....は?」

色気を披露するまでもなく即答を喰らった女、デライラが
顔をしかめ捲し立てた。

「そんならはじめっからそう言いなさいよ。
このバカ!」

青い男は辺りがすっかり暮れたのを確認してフードを取った。
振り撒かれた長く青い髪。
彼はきちんと整えるとデライラに真顔で言った。


「あんた、毋親になる気ない?」

「はああ!?」


唐突な言葉にデライラは煙草を取り落として目を剥いた。

「あんた頭おかしいんじゃない?薬作っててなんか
妙なもんにやられたとか」

「あんた誘ったじゃないか。
一緒に寝た事もあるし、問題ないだろ」

「ええ、ええ。あんた大いびきで寝ちまってあたしは朝まで
眠れなかったわよ。
でもね、あんたあたしの事なんだと思ってるわけ?
そのへんの女と一緒にしてもらっちゃ困るのよ。
それともあんた救いようがないくらい女に縁がないとか?」

「だってあんた同類だからさ」

「なんだそりゃ」

「オレだって好きなタイプはあんたとは世界の反対側まで
ぶっ飛んでるよ。でも同じ匂いの奴とじゃなきゃ
暮らすのは無理だ。アルファルドのおっさんの話に乗るから
毋親になってくれ」

「死ねバカ」

デライラは捨て台詞を吐いて歩き出した。

「待ってくれ!頼む!ほんとに困ってるんだ!
助けてくれたらあんた達にも手を貸すよ。
子供なんか男に育てろったって無理なんだって!」

「女房はどうしたのよ、冗談じゃないわこのカス!
女の敵!大バカクソ野郎!」

「...無茶苦茶言わないでくれ。
赤の他人のガキ押し付けられちまったんだよ。
逃げ損ねてほっとくわけにもいかなくなっちまったんだ。
あんたしか一緒に暮らせそうな女は思い付かないんだ。
頼む、あんたをバカにしてるとかそんなじゃない。
オレが育ったとこじゃあんたみたいな女ばっかで
落ち着くんだよ」


「...あんた、あたしを口説いてるわけ?」

「うーん、オレもよくわからん」

「とにかく、話だけ聞こうじゃない。でもあんたほんとにバカね」

「はん?」

「あたしの亭主になった男は皆原因不明の死を遂げる事に
なってんのよねえ...」

「はっはっは....勘弁してくれ」

ブルーはがくりと頭を垂れた。

「毋親になるのはお断りだけど
ま、アルファルドに相談してみるわよ。子連れって事
知らないだろうからさ。とにかく何がどうなんだか説明して
くれない?」

「...それがオレもよくわかってなくて....」


ブルーは海の事には触れず、軽く説明した。

「....どうだか。怪しいわねえ」

「んなワケねえだろ!どいつもこいつもクソッタレ!」

「まあ、どうだろ、最初はえらくお上品に喋ってた奴がさ。
ますますあんた胡散臭い男だわね」

「だからあんた達とは気が合うと思うぜ」

「ふん。まあ、いいわ。
でもさあ、あんた、ひとつだけ言っとく」

「何だよ」

「惚れた女と暮らせバカ」

「....すみませんでした」


しょぼくれた男を蹴飛ばし女は持っていた薬袋を放り渡した。

「それはあげる。その代わりアルファルドにあんたが承諾したって
話しとくわよ。あの親父、あんた気に入ってたみたいだから
そう悪い話にはならないわよ。同類なら尚更ね。

子供の事は...なんなら売り飛ばす?」

「そりゃオレみたいで笑えねえ」

「...」

「ま、あんまガキ無茶苦茶に扱うのは好きじゃねえ。
それだけはわかっててくれ。そういう商売は一切関わらねえって
付け加えといてくれ」

「ああ、大丈夫。そういう商売はあのおっさん好きじゃないから。
悪党の癖に変なとこだけ真面目なのよね。
平気で人殺す親父がさあ...」

「こわいねえ」

「わかって来るんなら歓迎するわ。じゃ、返事待ってて。
ひと月後、連絡入れるからトンズラなんかするんじゃないわよ」

「ああ。子連れじゃどうにもなんねえよ」



女は夜の闇に消えた。
星が出ている。
表通りは街の灯で明るい。
ブルーは鼻歌混じりで歩いて行く。
その足はあるひとつの店の前で歩調を緩めた。

小さなパン屋。
黄色い明かりが窓からこぼれている。
横目で覗いた店内には銀の髪の娘。
パンを抱えて笑っているのが見えた。
焼いたパンの香りが鼻をくすぐる。


「別世界だよな....でも見てられるってのも悪くないね...」

ブルーは鼻歌から口笛に切り替えて歩いて行く。
明日はルーを神殿に連れて行かねばならない。
あの司祭と顔を合わせるかと思うと気が重いが
それもひと月後にはなんとかなるだろう。

リラの食卓を思い出す。
柔らかい腕や胸の感触。幸福な想い出。

「オレだってさ、野郎のゴツイ腕なんか嫌だよ」

パン屋を通り過ぎいつもの道へ戻って行く。
エレンディラの固くやせた肩はどうなっただろう。
願わくば己で生き、歩いているように、と目を伏せる。

忘れるしかない。
今、自分は地上にいるのだ。
べろべろじいさんの夢はどこにもない。

乾いた世界。
明日も晴天。雨すら気配もない。