ぶらんこ
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すごく大袈裟なネーミングに聞こえるかもしれない。 でも考えてみるとわたしたちは生きていくなかで常に「選択」し「行う」ということをやっている。 それは誰の意思でもない。自分の意思だ。誰かに相談することもなく、ごくごく普通に選択・決定している。 たとえば朝起きたら頭のなかでトイレにまず行こうか先に珈琲を淹れるかなんてことを考える。 わたしなんかはそこに「ぷーを外へ連れて行く」が優先される。
ではなんらかの理由でその行動を起こせない場合は? ―きっとぷーちゃんのお世話はこころに頼むだろう。ぷーはおうちの中では絶対におしっこしない。我慢させていたら病気になってしまう。 では頼みたいのにもしも声が出せなかったら? ―紙に書いて頼むか? じゃぁペンを持つことが出来なかったら?どうやって伝えたら良いのだ?
人は自分の意思を誰かに伝えたいという欲求がある。ちいさなことから難しいこと、なんでも。 もしも自分の意思を伝える術がないのだとしたら、どんなに苦痛だろうか。想像してみて欲しい、先の日常のちいさな出来事でいいから。
ALS(筋萎縮性側索硬化症)など神経難病の患者さんや障害者の方々とのコミュニケーションをはかるため、意思伝達装置というものが開発された。 『伝の心(でんのしん)』というソフトだ。 その人の「意思」は、彼の動かせる部位(1本の指先だったり頬の一部だったり口唇だったり舌先だったりする)を利用し、モニター上に現れる。 それは声に合成もされる。抑揚のないいわゆるコンピューター調の音声ではあるけれど、その声は紛れもない彼の意思を代弁している。
研修で、『伝の心』を開発された技術者(小澤邦昭氏)と話しをすることが出来た。 とてもとても穏やかな人。彼のどこにあれだけの情熱が備わっていたのだろう、と不思議に思う。 長い年月をかけ、修正に修正を経て。(経済的な)利益の伴わない研究を続けられたのも、彼の「人となり」の力だと思う。 実際、『伝の心』はビジネスにはならない装置だ。 大手の企業(日立)がそれをバックアップしたという事実が嬉しい。思いっきり拍手。 それこそが大企業の役割だと思う。認知度うんぬん関係なく、日立というグループの価値がぐっと上がった。→日立・情報機器アクセシビリティ
小澤氏は『伝の心』開発の後、更に重症な患者(身体のどこも動かすことの出来ないALS患者)さんのために『心語り』という装置も開発された。 『心語り』は「はい」「いいえ」を脳血流量によって認識するもの。 患者さんにとって「はい」「いいえ」このふたつの簡単な気持ちを伝えること(家族にとってはそれを知ること)が、どれだけの喜びになったか。
「意思を伝える」「その人の意思を知る」。 この2点について、深く考えさせられた、とっても有意義な研修だったと思う。
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『伝の心』は日本語のソフトだ。試用版はこちら。→『伝の心』 小澤氏に英語のソフトはないのか質問してみると、アメリカではWords+社からEZ Keysというソフトが出ているらしい。→Words+ EZ Keys 言語が違うと勝手も違う。確かに『伝の心』のシステムをただ英語化しただけでは、時間がかかってしまい、かえって不便だろう。
・・・世界中の技術者に敬意を表したい。
島っちゅは みな 日暮方になると浜へ出て 泳ぐこともなく ただ 海を眺めていたりする 水平線の向こうに 知らない何かがあるみたいに
小浜でたっぷり遊んだ後の一枚。 申し合わせたみたいに黙って海を眺めるふたり。 少しずつ日が暮れていくさまをずっと見ていたくなる。
あんなに好きだったのにね〜 ホント信じられん 今でも好きなんじゃないの? いやそれはない 変わったね うん変わった
人は環境で変わるものだと思う。 東京へ引っ越したばかりのときは戸惑うことが多かった。 でも人はそれなりに馴れていくし、悲しいかな、快適を感じるようにもなる。 たぶん便利さみたいなものとと引き換えに、何かを失って。 わたしの場合それは「鈍感」になるということではなくて、感受性の「ある部分」をあえて麻痺させていったような感じだったと思う。 悪いことだとは思わない。 その中で楽しみも見つけたし、得たものもたくさんあった。 東京に出たからこそ、島を想う気持ちも生まれた。
テキサスでの暮らしは、忘れていたものを少しずつ取り戻してくれた。 けっして自然に囲まれた田舎暮らしをしていたわけではない。 それでも、ゆったりとした時間を過ごせた。 いつでも自然の中に身を置くことが出来た。乾いた大地。草を食む牛。地平線。追いかけた夕陽。
だからこそ、もう東京の暮らしに慣れることはなかったのかもしれない。 自分にとって何が必要なのか、自分が何を本当に望んでいるのか。 自分を置きたいと思える環境を、自分自身で選んでいく。 そういったことを、時間をかけじっくりと考えるようになった。 本当に変わったなぁと思う。
それにしても島の海の青さは奇蹟的。 ディズニー・シー(という名前なのかな?)に行こうという気持ちにならないの、これ見ればわかるでしょ。
甥がカツオを持って来てくれた。 カツオ漁をしている親戚(わたしの従兄弟)から貰ったらしい。 前の晩に祖母の初盆で一緒に呑み、そのようなことになったとかなんとか。 「なんか知らんが、くれた」とは、甥の弁。 「昨夜、命令された」とは、従兄弟の弁。 なんじゃ???ユックライんきゃの言うことはわからん。(よって誰も気にせん)
最初、しび(キハダマグロ)かと思ったがカツオだった。 ユゥ(魚)をアチカウ(さばく)ことは出来るのだけれど、こんな大きなのになると無理なので、甥に頼んだ。 甥は快く引き受けてくれた(というか最初から彼がするつもりだったらしい)。 丁寧に手際よくさばかれていくそのさまは、芸術的だ。 見ているとなんだか神聖な気持ちになる。 さっきまで「魚」の姿だったのが、いわゆる「切り身」になるのだもの。 陳腐な言い方だけれど、こういうのって、とっても大事だと思う。 ちゃんと食わな・・・と、誰に言われるでもなく、心の奥で「わかる」。
カツオは、身は「お刺身」に、そのほかの部分は「あら炊き(あら煮)」にした。 懐かしい味。 昔はカツオのあら炊きをよくいただいた。 ただ、今回のような身のたっぷりと付いたやつでなく、骨にうっすらと辛うじて身が付いているようなものだった。 チンチンなんかは競って食べた覚えがある。 (チンチン=心臓。我が家だけがこう呼ぶのだろうか?)
ほろ酔いの長兄が眼を細めながら言う。 「カツオのあら炊きがあったから生きてこられたようなモン。」 それくらいよく食卓にあがった、というだけの意味ではない。 わたしはほとんど忘れていたのだけれど、幼い頃、カツオの「粗」をよく貰ってきたのだそうだ。 わたしたちの村はカツオ漁が盛んだった(もちろん今も変わらず)ので、漁船が戻ってくると新鮮なカツオがその場でさばかれ、売られる。 わたしたちは刺身を買うことは滅多になかったが、そのときに出る「粗」を譲ってもらった。 それを炊いて夕食のおかずにした。 つまり、それくらい我が家は貧しかったのだ。
「これがなかったら、お前達は育ってなかったかもしらんなー。」 兄があまりにも感慨深く言うので、余計に胸がしめつけられる。 と、突然、昔むかし、チュパチュパと骨にしゃぶりついた記憶が蘇ってきた。 そうそう!この味。
曲がりなりにも、皆、こうして大人になって、それぞれがそれぞれの「暮らし」をしている。 もうそれだけで素晴らしい。 兄弟姉妹が集まると、長兄はいつもそう言う。 母はあの当時のことを思い出してちょっぴり涙ぐむ。
昔話をしたりギターの弾き語りをしたり。 カツオの子らはこの夜も遅くまで飲んで唄った。。。
泡立つ、塩辛い水。 四方から襲うでたらめな波。
いしいしんじ;『ポーの話』
「あんまり沖には行かんほうがいいよ、鮫がいるから。」 ウェットスーツ姿のおじさんにそう言われてビビってしまった。 慌ててはるか彼方、遠い沖にちびっこく見える青いフィンのこころの元へと向かう。 鮫がいるらしいことを伝えると、さすがのこころも一瞬うろたえた風。 彼女の手には網の紐がしっかりと握られている。海水のなかでは「がしち」がたっぷり、ゆらゆらと揺れている。 海に入ると俄然、生き生きとしてくるこころ。イルカみたいなヤツだ。と、いつも思う。 悔しいけれど、わたしよりも海の子。
海は不思議。 大好きだけれど、どこかで「怖れ」ている。 圧倒的な存在。それが海。 先のいしいしんじさんの言葉は凄い。 海のなかへ潜っていくときに感じる何かが目の前に表れる。そして、心のヒダ、細胞の奥深くまで滲みていく感じがする。
海のなかに潜るのが大好きだ。 たいした技量は持ち合わせていないので、せいぜい4mか5mくらいなのだろうけれど。 それでも海のなかはまったくの別世界で、心奪われてしまう。 そして、耳がツーンと鳴って、ほんの少しだけ、不安になる。 “Don't panic.”そんなときはそう言い聞かせて潜る。 浮上して息継ぎすると、大袈裟でなく、安心する。空気を深くふかく、吸う。 そうして、また潜る。 なんでだろう?自分でも不思議に思うのだけれど、しょうがない。 海のなかはどこか違っていて、それがとても魅力的でならないのかも。 ほんの少しの時間なのに、「永遠」と感じるほどに。 もしもスノーケルやマスクがなかったら、これ程でもなかっただろう。 フィン(足ひれ)もそう。 海のなかにいるときは、これらの道具が自分自身の身体の一部だといいな、と願う。魚になりたい、海のなかで。 変テコリンな願いだと思うと同時に、太古からの想いであるようにも感じる。 圧倒的に大きな存在である、海。
がしち。 捕れたがしちは浜で割って海水で洗う。 身をスプーンで掬う。 非常に贅沢だけれど、わたしが食べられるのはこの瞬間のものだけ。 タッパーに入れて持ち帰ったものはもう美味しさが違う。 ・・・瓶詰めで売っているものに関しては別の話。 きっと防腐剤なんかが使われているせいかもね。。。。
この日の収穫のほとんどは、兄とこころによるもの。 わたしも捕ったけれど、こころの数には及ばず。 彼女は潜るとがしちもてらじゃ(とびんにゃ)もすぐに見つける。 レンズ入りのマスク(水中メガネ)が欲しい〜!と言っていたけれど、なんのなんの。 眼、すぅ〜ごく良いじゃーん、誰よりも〜。
なつやすみ〜
アメリカに住んでいた頃は日本語に飢えていた部分があった。 周囲が英語ばかりの環境にあったせいで、無意識にも「日本語」を探し求めていたように思う。 持っていった本は何度か読み返したし、現地でそれなりに日本人の友達が出来てからは(日本語の)本の貸し借りをした。 なぜか日本語の「活字」を見る→解釈することが嬉しかった。 はっきり言って、どんな内容でも良かったように思う。ただ純粋に「日本語」に触れたかったのかもしれない。 縦(上から下へ)に読み、左から右へとページをめくること。
そのうち、PCを使うようになって日本語をDLしてからは、印刷物でなくとも日本語が身近になった。 リンクを辿ってブックマークに入れ、読んで読んで、読みまくった。 あれは今思うと一種の心の病だったのかもしれない、とさえ思う。活字中毒でもあったことは確かだけれどね。
今は、ネット上で「読む」という行為に、以前ほどの熱を感じない。 というか、熱中したとしても疲労感のほうが強くて長時間は無理。 この先はまたいつか・・・と中途で読むのをやめてしまう。(尚かつ、その「先」が来ることも珍しい。) だから、新しくお気に入りに加わったテキスト・サイトって、あまりない。 歳なのか、それとも心の病が良くなってきたのか???
それから、活字中毒のほうもなくなりつつある。 実際、読書量が ぐんっ と、減った。 どうやら、「周囲に日本語が溢れているから」などという理由ではなさそうだ。 あんなに本が好きだったのに。
でも、なんだかなぁ。。。と思う反面、この「変化」をちょっと嬉しくも感じている。 ちぃっとずつ「薄まっていく」というか。 うまく言えないが、わたしのまわりにいる年寄りたちに近づきつつあるような気がする。 ・・・ん?まだ早いかな?
まぁいろんなことをはずしながら歳を重ねていきたいな、と、思っている。 でもとりあえず、明日は2冊の本を持っていく予定。笑
稲たち
すくすくと育ってくれてる
不思議 7月29日撮影
「結構、好き嫌いが激しいんだ」と言われた。 『だ』で終わっているのが『断定』なのか『問いかけ』なのかは不明。たぶん、どっちでもないのだろう。
何かをするとき、決めるとき、人は何を基準に行動を起こすのか。 わたしの場合は、「好きか嫌いか」なのだと思う。 こんなことを言うと、「こどもじゃないんだから、」と、(こころあたりから)言われそうだ。
好きか、嫌いか。 欲するか、欲しないか。 気持ちが満たされるのか、そうでないのか。 自分の気持ちだからね。自分にしかわからんだろう。
たとえ話をする(愚痴じゃないよ)。
毎朝、誰よりも早く職場へ到着し、掃除をする。 床を掃き、ゴミを集め、タオルを新しいのに替える。花や緑に水をやる。それから、仕事前に必要だと思われる準備をする。 ある朝、その人は言った。 「わたしがやらないと誰もやらないから。」
んんん?そうか??? それなら「しなければいい」のだよ。 あなたが「しない」ことで、誰かが「する」かもしれない。 少なくとも、誰かがそれを行う「機会」にはなる。
違うのだ。 その人が行っていることは、その人が「欲してる」からなのだろう。 それは「綺麗にすることが好き」なのかもしれない。 「綺麗にしてしまわないと気が済まない」或いは「人がするのを待つよりも先にやってしまいたい」性質なのかもしれない。 要は、「あなたが何をどうしたいのか」なのだ。
掃除しないことは「苦痛」だ。 誰も掃除しないことは、もっと「苦痛」だ。 誰も掃除しないでいるのを見過ごして我慢することは? たぶんもっともっと!「苦痛」なのだろう。 では、「綺麗にしたい」と想う気持ちの度合いは? それらの苦痛よりも、もっと大きいだろうか、そうでもないだろうか。 どちらがあなたにとって大切?
うーーーかなり、くどい。。。。つまり。
自分が「欲している」ことを心から認識すれば、もっと気持ちが満たされるのじゃないかな、と思うのだ。 そうしたらば、「誰かが」などという言葉はなくなるだろうし、心がもっと豊かになるんじゃないかなぁ、と思う。 「わたしが好きでそうしたくてやっているのだ」ということ。
もちろん、「好き」という気持ちは不思議なもので、「苦痛」をも受け入れてしまうところがある。 こんな辛いのならやめてしまいたい。 なんだってこんなキツイことを選んでまでしてるんだろう・・・。 あーーー人を好きになんかならなきゃ良かった! などなど? 笑 人は苦痛の向こうに何を見ているのだろう? そもそも「苦痛」とはなんぞや?
きっと、そういうことを味わうことで「しあわせ」を紡いでいくのじゃないかなぁ・・・と思う。 ただ純粋に「好きだ」という想いで、曲がったりなんだりしながらね。
ろくでもない夢を見て、飛び起きた。 まだ4時頃だった。 ドキドキする胸を押さえ、正夢ではありませんように。と祈った。 その後、なんの気なしに窓を見ると、遠くの木立のすぐ上に、オリオン座がくっきりと耀いていた。 あんな低いところまで星が・・・ ゆっくりと見上げてみると、星たちがちらちらと揺れながら空いっぱいにはりついている。 満天の星空。
しばし言葉を忘れて見入った。 深呼吸。 星たちの静寂の音楽が聴こえてきそうなよあけまえ。
患者さんの中には牛の生産者の方々も多い。 牛舎は敷地内にあり、それほど大きくはない。 写真を撮ろうとしたらもう一頭も近付いてきた。 優しい眼でわたしを見る牛たち。
子牛は生後8ヶ月くらいでせり市場へと出されるのだそう。 一頭あたり、30〜50万円前後。 子牛の状態を見て値がつけられる。良い子牛ほど、高値でせり落とされるが、80万だか100万を超えると税金が課せられるという。
「高値がつくと嬉しいっちゅうか誇らしいね。せりの日は朝から気持ちが逸るよ。」 とは生産者の弁。わたしの担当する患者さんの奥さまだ。 以前は夫が主にやっていたが今ではすべてが奥さんの仕事。夫の介護をしながら、牛の世話をしている肝っ玉ばぁちゃんである。 「朝と夕2回えさをやるくらいで、牛の世話はそんなに大変じゃないよ。」
買われた子牛はどこかよその牧場(?)に引き取られ育てられるそうだ。 そして2歳頃になったら「食肉」として売られる。 わたしたちがいただいている牛肉はそれだ。
「子牛を手放すときは淋しい気持ちとかにもなりますか。」 ・・・馬鹿な質問をしてしまったなぁと今になって思う。 奥さまは笑って言ってた。「去年は一度に3頭せりに出したよ。」
わたしは菜食主義者でもないし「もう食べられない」と言うほどセンチメンタルな人間でもない。 ただ、牛でも豚でも鶏でも美味しくおいしくちゃんと味わっていただこう。と、思う。 牛たちを見ていると、逆に彼らから見られているような気持ちになった。
青天の霹靂ではなかったはず
きっと知っていた
たぶん待っていた
垂水港の黄昏
少し前に読み終えた本のことを反芻している。
私は今、私の目の前にいるこの男を愛している、なぜなら、私は彼を所有していないし、彼も私を所有していないから。 私たちは自由に基づいて互いを捧げあう――
『11分間』 著:パウロ・コエーリョ
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