ぶらんこ
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ぷーちゃんの目 何かを見つけてクレイジーになってる きっと、ぷーにとって重要な最優先すべき事柄を見つけたのだろうな
はせがわゆうじさんのサイトのインフォメーションより オトナサイズ2006というものを見つけました。 おもしろそう!でも、行けない。。。 お近くの方は是非お出かけください。
この前、友人が言ってた。
「・・・なんでこどもの頃は世界があんなに大きく広く見えたんだろうね。大人になってからそこへ行くと、驚くくらい狭くて小さい。 背が低かったせいかな? 目線が低いから、その分おっきく見えるし、高く感じる。」
もちろんそれもある。
でも、それだけじゃないような気がする。 きっと、こどもの目線って、「心の目線」なのだと思う。 こどもの心は自由だから。 見上げたりよじ登ったり、振り返ったり待ち伏せしたり。 そんなことをしながら、きっとこどもは、その向こうにある「見えないもの」を見ているのだと思う。 そうやって世界を創りだしているのだと思う。だから、でっかい。広い。 それが、こどもの目線なのだと思う。
そう答えると、友人は「そっかー」と言い、こどもの顔をして笑ってた。 ・・・何か見つけたらしい。笑
海がなんか言ってた。
患者さん宅でお願いして撮らせていただいた一枚 錦江湾(浜田海岸の辺り)
「無関心」より良いじゃないか。 なのになんでこんなにも心がざわざわするのか。
2006年07月12日(水) |
optimistic |
クロトンの花
「あなたは楽観的だね」とよく言われる。 そうか。わたしは楽観的なのか。としばし思案した後、 そうだ。わたしは楽観的なのだよ。と思う。 そこんところがわたしを楽観的だと言わしめる所以なのかもね〜。
写真は父や兄の眠るお墓に咲いているクロトンの花。 島にはいろいろな種類のクロトンの花がある。 わたしの一番好きなのは、赤や黒や深緑色の入ったねじりのやつ。 ・・・そういえば厳密に言うとクロトンは花ではないのだろう。 でもどう見てもこの葉っぱは「花」だと思う。 少なくともわたしたち家族は「クロトンの花」と呼んでいる。
なぜか optimistic view という言葉によく似合うような気がして、アップ。
「あなんだろうー」ってどういう意味? と、こころ。 「あなん」「だろう」 「あなん」→「ある」が「ない」=「ある」の否定???
語源はどうであれ 「違うでしょう」「そうじゃないでしょう」 これが変じて 「まさかそんなことはある筈ない」 という感じかな?
右の写真は、見事ガラを釣りあげたこころさん。
あなんだろーーーーー!(←一匹も釣れず終いの誰かさん・心の叫び)
訪問先の患者さんのお宅で捩花がテーブルに飾られていた。 散歩のときに摘んできたのだそう。 まっすぐにすっと立つ茎にぐるぅりと花がらせん状についている。 そういえば日本へ戻ってきたばかりの頃、こころはこの花を見つけて「SpiralFlower」と呼んだ。 そのまんまじゃーん。
それにしてもなんて素敵な形だろうと思う。 まるで天を祝福しているみたい。 じっと見ていると、花と一緒に空へ向かっていく気分。
ぐるぅりぐるぅり。。。 おんなじところを周っているようだけれど、ちゃんと上へ上へと進んでいる。 なんだか自分の姿が見えてくる。 ぐるぅりぐるぐる。。。 いろんなことをくり返しくり返しおんなじところを歩いているような気にもなったけれど。
でもおんなじなようでいて実はまったく違ってる。きっとね。 だって去年の今頃の自分。どんなだった? 10年日記というのがあるらしいけれど、ここもまんざら悪くない。 わたし、少しは前に進んでいるようだ。 読み返して思い出してみたりして。。。(でも、あんまり過去のものを読むのは好きじゃない。)
夏が来て秋が来て、季節はいつもと変わらず過ぎていく。 月は満ち、また欠けていく。 くり返しくり返し。でも、けっしておんなじじゃぁない。 そしてその流れのなかで、わたしも変わっていったのだろう。 すべてを包む大きな流れ。 悪くない。 ちゃんと良いほうへと向かっている。
今日は兄貴の命日。 7月4日はIndependenceDayでもあるので、忘れることはない。 毎年、何かしらの想いを重ねるのだけれど、今年はりんとした捩花の姿が心に残っている。
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