ぶらんこ
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誰も、誰かに、「あなたはこうするべきです。こうしたほうが良いです。」なんてことは言えない、と思う。 まぁ言ったって良いだろう。そらあなたの勝手だ。 でも、それは(言葉は悪いが)余計なお世話だと思う。 そしてわたしは心のなかで言うのだ。「うっせーが、ばーか。」(失礼、) その誰かは(なんだ、コイツ)と思うだろう。(なんて愚かな・・・)と、思うだろう。 それはそれでいい。だから、ほっといてちょうだい。
未来は既に用意されている。と、聞く。 今この同じときにどこかの空間(airはあるのかなぁ?)を、とうとうと流れている。とも、聞く。 どちらでも良い。 おおいなる流れ。逆らえない運命。不可避なこと。 そういったものを否定はしない。 でも、自分で進む道は自分で決めるよ。誰の命令でもない。自分の意思で選択する。 わたしの意志がわたしの未来を創る。それがある程度用意されたものであれ。 そう信じている。
「こうしなければ、酷いことになりますよ」 そんなこと言われても、わたしは信じない。 「こうしておけば、素晴らしいことになりますよ」 そう言われてもわたしは信じない、自分がそれを望まなければ。
わたしはわたしの望むようにやります。あなたが決めることじゃない。 誰に何を言われても良い。どう思われても良い。人は関係ない。自分がどう思うか、だ。 基本的にそう思っている。 どうしたって、良くも思われれば、悪くも思われる。 それは人それぞれの見方であり解釈だ。 誰もそれに、口出しは出来ない。 その人の自由な選択だから。
わたしはわたしのやりかたで大丈夫。 わたしは自分で決めて自分でちゃんと決着をつける。 どんな方法でもどんなに時間かけても、自分の思うとおりに、自分の納得するやりかたで。
あなたはあなたのやりかたで。 わたしがそれで大丈夫なように、あなたもあなたのやりかたで大丈夫なのだから。 それだけの力を、人はそれぞれ、ちゃんと持っているのだと信じたい。
上も下も先も後もない。 良いも悪いも賢いも愚かもなんもない。 みんな、おんなじ。
だから、泣いてもいいし怒ってもいいし引き篭もってもいいし暴れてもいい。
わたしはわたしを信じます。 わたしはあなたを信じます。
星を読むことが出来ると素敵だなぁ・・・と、思う。 でもわたしは星を読めない。 それどころか、せいぜい、おおくま座かカシオペア座を見つけられる程度だ。 冬の大三角形なんてものも、横で教えてもらったってなかなか見えない。 その代わりに、自分で勝手に星をつなげて星座を作ったりしている。
占星術(Astrology)とは、天空に輝く惑星と星座宮の関係から、地上の個人の運命を占うらしい。 正確な星の位置を知るには、生まれた日、時間、場所などが関係してくるという。 確かに単純に考えても、奄美大島と礼文島では月の出時間なんかは違ってくる。(そういう意味なのかな?) 詳しいことはよくわからない。 よくわからないのだけれど、なんとなく星占いは好きだ。 宇宙の法則のようなものを感じてしまう。
少し前に、今年(2005年)の個人チャートを見せてもらった。 でもわたしは、自分の生まれた正確な時間がわからない。 (母に聞いてもまったく覚えておらず、母子手帳のような出生時間の記された書類もなかった。) なので、そのチャートは、その日の星のおおまかな位置から出されたものだと思う。 正確な出生時間がわかったらほんの少し違ってたりするのだろうか。。。 それでも、「自分のもの」という感覚で見せてもらった。感謝。
ところで、弟は12月29日生まれだ。 でも父親が役場に届けるのが遅れたために、書類上は翌年の1月6日となっている。 兄弟姉妹のなかで、彼だけは病院で出生したらしいので、たぶん出生時間も記されているだろう。(ちょっと羨ましい。)
「それにしても出生時間が不明だなんて、残念〜〜〜。」 そんな話をしていたら、いちばん上の姉曰く、 「わたしたちの誕生日だって、本当に合ってるかどうか、怪しいわよ。」
妙に納得してしまった。。。。
あぁ星の位置がますますズレていく、、、、(なぜか笑える)笑!!
以前、愛知県・知多半島に誕生しかけた「南セントレア市」という新市の名前が撤回された。 今後、合併の是非を問う住民投票とともに新市名のアンケートが行われるらしい。 セントレア。 ちょっと画期的だな・・と思ってしまった。 もしそれが空港名でなければ、撤回されることもなかったかもしれない。(そういう発想もなかったかもしれないが)
市町村が合併されると、新しい名前が生まれることが多い。 島でも合併が予定されていて、新市名の公募が行われていた。(たぶんまだ決まっていない、と思う)
わたしの住んでいるところは、今のところ、合併の噂を聞かない。 山と畑しかないところなのに、どこかに何かしらの財源があるようだ。
すぐ隣の市は、合併が予定されている。 周囲の町、いくつかの名前が挙げられているが、最終的にどれくらいの範囲まで及ぶのかは、わからない。 エリア的には結構大きくなると思う。
名前はどうなるんだろうね。。。。 以前、そんな話になった。
市町村の名前は、地域に根ざしたものだから、合併されたからって、それがなくなるのは淋しいものだと思う。 特に、吸収された形で消失してしまったら尚のこと。 そういう意味では、(新)鹿児島市なんて、なんの魅力もないよ。
どうせなくなるのなら、素敵な名前が良い。 これまでとはまったく違った感じの名前。
「大空市」とか「青空市」とか「大地市」とか。空が広く土地も広い、という意味で。 或いは「大海市」。これは芋焼酎の名前だけど。。。。笑 「のんびり市」とか「ゆったり市」というのもいい。
どうでしょう???誰も賛同しないかな。。。。笑
「結局、私のほうは遊びだったということね?」 「大きな意味ではそうだね。」 「大きな意味ってなによ。」 「こういうやりとりはもうやめようよ。楽しかったことまで、だめになってしまうよ。」 「もうだめになってしまったから、同じよ。」
『ハゴロモ』 よしもとばなな
大きな意味ってなんだろう・・・。 この本を読んだとき、この言葉が胸にチクリと刺さった。 なんてこったい、まるでわたしのために用意されたような。
大きな意味。 勝手に大きく解釈しないでよ。 まず最初にそう思った。 良い表現だ。これじゃ何も言い返せないじゃないか。 そうも思った。 優しいようで冷たい。 嘘っぽいくせにホントのほんと。
ずぅーっと昔、意識を薄める練習(?)をしていた。 それはまず、「意識する」ことから始める。 呼吸を意識する。瞬きを意識する。心臓の鼓動を意識する。 どれもこれも、いつもは無意識に行われているわたしのなかの生の営み。 そのみっつすべてを意識するように集中してみる。 それから、(ちょっと矛盾しているのだけれど)意識的に意識を薄めていくのだ。 意識していることを意識せずに、呼吸を、瞬きを、鼓動を、感じ、見、聴く。 そうすると少しずつ意識が薄れていく。 雲がどんどんとその形を変えながら動き膨らみ消えていくような感じで。。。。
大抵、成功の一歩手前くらいで終わってしまった。 時に、成功した(っぽかった)こともあったような気がする。 けれども、意識が薄まったことを意識してしまっているのだから、それが成功と呼べるのかどうかはわからない。 ばかばかしいほどに、ややこしい。。。。
大きな意味というのは、それに似ているな、と思った。 どんな感情でもすべて包み込むもの。 あなたが意識しようが意識しまいが、おおいなる愛はすべてを包み。。。。
わかっているつもりになっても心が痛む。 それでもいいのです。大きな意味では、きっと。
ひょんなことから幽霊話をするはめに。
以前は幽霊(らしきもの)を見ることがあった。 もう随分前のことだ。 不思議とそれがなくなった。同時に、金縛り(らしきもの)も消失してくれた。 どうしてかはわからない。
見ようと思えば見えるのかもしれない。 と、いうよりも、そのように意識して認めるなら、見えるような気がする。 でも、きっと以前とは違った形(雰囲気)で見えるだろうし、怖いと感じることもないだろう。 どうかな・・・そんなこともないかな。。。笑
うまく言えないのだけれど、わたしはたぶん、自分の意識が映し出したものを見ていたのだと思う。 それは自分自身の意識だったり、誰かの、何かの意識だったり。 そして、わたし自身がそのことを怖がっていたので、より恐ろしげな雰囲気をかもしだしていたように見えたのだと思う。 過ぎてしまったから、そう思えるだけなのかもしれないけれど。
今は何に対しても「悪い」という感じを受けることは少ない。 少しはある。でも、たいしたことない。というか、あまり気にはならない。 わたしには関係のないことだ、と思っているからだろう。 背負う気持ちがないからなのだろうと思う。冷ややかなモンだ。
良いものは見えるような気がする。 たとえばこの家。 天使に護られている。これは、ホント。 きっと、もっともっと「意識」すれば、天使の姿も映し出してくれるだろう。そのうち。。。笑
と、いうようなことをこころに説明した。 彼女がどこまで理解したかはわからない。 少なくとも、真剣に聞いてくれていた。けっして馬鹿にすることなく。(さすが「ほんこわ」部員だ。笑) まぁ・・・実のところわたし自身も理解はしていない。 想像の域さえ超えれば見えるのだろうなぁ。もうじきだと思うのだけれど。。。。笑
こころと話していると時々、「それっていつの時代の話?」と聞かれることがある。 いつの時代ったって、もちろんわたしが生きてる時代なのだけれど、彼女にしてみればはるか大昔のことのように思えるらしい。 まぁわたしの場合、正直なところ特殊な環境にあったので、彼女の気持ちがわからなくもない。 が、それを抜きにしたとしても、平成生まれの彼女にとって昭和は想像のものでしかないようだ。 カラーテレビなんて言葉は、わたしの説明を聞いてちょっと間があり、理解した途端に笑い出していた。 ふむ。。。確かに時代の差は<かなり>ある。と、思う。
彼女はわたしの昔話が大好きで、今でもよく話して聞かせる。 島という自然・生活環境に加え、わたしの家庭環境をも織り交ぜて話さなければ、(オチは)なかなか理解できない。 というワケで話は長く大きくなり、彼女にしてみればさながら冒険物語のように聞こえるらしい。 (不本意ながら、オチじゃないところでよく笑い転げたりもしている。)
わたしは、話をしながらあらためて過去のことを思い出している。 思えば遠くへ来たモンだ。。。我ながらこの変化によく付いてきたよなぁ・・・と、思う。 たとえば、我が家に黒い電話が来た日のことを今でも覚えているのだけれど(この話はこころに大ウケだった)、 今では携帯電話なんか持つような身分になった。。。そんなことは夢にも思わなかったよ。ホントに。
そう考えると、現代に生きる老人たちは本当に凄い! と、心から思う。 彼らは大正、昭和、平成、と3つの時代を生きてきた。中には明治を知っている人もおられるだろう。 戦争があり、貧困があり、開発があり、発展があり。。。 昔は川へ行って、手足を使い洗濯していたのが、全自動の洗濯機を使うようになった。 たぶん村長さんとかの家まで行ってラジオを聴いていたのが、今じゃ自分専用のテレビを見ている(かもしれない)。 しかもちっちゃなボタンのついたリモコンなんかを操作したりして。 手で掬ってもらって鍋に入れ持ち帰ったお豆腐は、水漏れなんかあり得ない完璧なパックに入っている。 他にも・・・赤信号で待つとか、白線の内側で順番に電車を待つ、とか。。。
それに個々の経験も含めると、本当に様々なものすごい変化を、受け入れてきたんだなぁ・・と、思う。
身近な例で、こんなことがある。(ちなみにこれはカトリックの話) 全国的なものなのか鹿児島県下のものなのかよくわからないのだが、何年か前に「祈り」の言葉が改正された。 以前の難解な文語体から、現在の言葉に直されたのだという。 確かにわかりやすい。わかりやすいのだけれど、わたしは今だに覚えられない。(覚える気もないけど。) でも、母は新しい祈りをスラスラと唱える。すごいなぁ、、、と感嘆してしまう。
そう言えば、日本の教会は何十年か前まで、ラテン語でミサを行っていた。(それが文語体の日本語に翻訳されたのだった。) いちばん上の兄貴なんか、酔っ払うとラテン語で聖歌を歌ったりする。(かなり面白い。) つまり母は、祈りを、ラテン語、文語体、そして現在の形で唱えることが出来る。 祈りなんて言葉じゃない、と思うのだけれど、言葉に込められる力というものがあることも信じているので、やはり素直に尊敬する。 母も含めて歳を重ねた人というのは、きっと、とても柔軟なんだろうなぁと、思う。
新しいものを取り入れるには古いものを捨てていかねばならない。 程度の差こそあれ、そんなモンだと思う。 もしも捨てきれないのであれば、新しい容器を準備する必要があるだろう。 古い油の入った容器に新しいのを入れる人はいないからね。 増えた写真のためには新しいアルバムを。新しい花を植えるためにはそれなりのスペースを。
たぶん、人も同じなのかな・・・と思う。 新しい自分になるためには、古い自分ではいられない。 新しい自分を受け入れるということは、古い自分を捨ててしまう、ということ。 過去も未来も、今の自分とともにあるのだろうけれど。。。
今日はいちにち雨降りで、そんなことを考えていた。
夢がある。 その夢を叶えるまでは胸のなかにそっとしまっておこうと思う。 具体的なプランは今のところ、ない。 でも、おぼろげながらもその光景が見えるから、きっと叶うだろう。 蒔かれた種が自然の法則に従って芽を出し伸びてゆくように。
今日は天気が良かったのだけれど、つい先ほどから雨が降り出した。 雨の音が心地よい。 ぐっすりと眠れそう。嬉しい。
・・・
Happy Valentine’s Day♪ あなたもわたしも たくさんの愛でハートが満たされますように!
本土最南端 佐多岬(へ行く途中) この近くに 北緯31度線というでかい看板があった(はず)
海岸線を走るときは自然とにこにこしてしまう。 工事中のおじさんにも笑顔で手を振ったりなんかして。
大隅半島を錦江湾を右手に見ながら南下して行った。 海の向こう側には開聞岳が見える。薩摩半島だ。 進んでいくうちにどんどん形が変わっていき、湾を出ようとしているのがわかる。 こちら側のほうがあちら側より南になるんだなぁ、と、あらためて思う。 当たり前のことに、なぜか感動。。。
海岸沿いの道を走ると島を思い出す。やはりどこか似ているなぁと思う。 カーブを曲がる毎に広がる水平線。 ビロウやシュロの木。 錆びたガードレール。 ちいさな集落。
広い海。 海が広い!!
すごく良い天気。 お日さまに照らされて海が大きく光ってる。 夏が待ち遠しい。 海のなかが恋しい。
昨日は父の命日だった。 お墓には行けないが、いちにち、父のことを想った。
父はわたしが6歳の頃に亡くなった。父は46歳。47になる誕生日の直前だった。 父に対する記憶はあまりない。思い出そうとするのだけれど、頭に浮かぶ父はとても曖昧だ。 母や兄、姉たちから聞いた話を、自分の記憶として持っているような気もするし。 ときどき、父の仕草や声の感じを知りたいな・・・と思うことがある。
写真で見る父はとてもハンサムだ。いや本当に。 以前は、兄弟の中で弟が父に良く似ていると思っていたのだけれど、彼の顔は歳をとるにつれて変化してしまった。 つまり、父のほうが数倍かっこいい。 兄貴たちもしかり。どれも母の顔が入ってるせいかな?(なんて)
父が亡くなったときのことをおぼろげに覚えている。 わたしは弟や姉たちと一緒にオモテ(居間)で寝ていた。 そして突然、誰かに起こされた。長兄だった。 彼は布団をはぎながら「今から病院に行くから」と言った。 父のところへ行くのだ、と感じた。眠かったけれど、すぐに起きなくちゃいけないんだ、というのもわかった。
わたしたちは兄貴の小さな車に乗り込んで、父が入院していた県立病院へ向かった。 まだ夜は明けきらず、真っ暗だった。 わたしは車の後方、右側の端に座っていた。 車は海岸沿いの道を走っていった。 冷たい窓におでこをつけたまま、わたしは黒いタイヤがぐるぐるとまわるのを見ていた。 どこまでも続く道路の白い線を見ていた。 それから、横たわる黒い海を見ていた。黒い波が黒い岩に打ち付けるさまが見えるようだった。 誰も何も喋らなかった。 と、思う。或いはわたしが何も覚えていないのかも。 重く、暗く、冷たく、長いドライブだった。
病室で母が泣いていた。 そんな母の姿を見て、わたしも悲しかった。 父が逝ってしまった、ということは理解できなかった。でも、何か大変なことが起きてしまった、という感覚はあった。
父は家に戻り、オモテに寝かされた。 親戚や近所の人たちが集まり、神父さまが来て、死者のための祈りを捧げた。 わたしたち兄弟姉妹は父の棺の左側に並んで座った。兄貴たちを前列に、歳の順に。 母は父にいちばん近いところにいた。そしてやはり、泣いていた。 母がずっと泣いているので、わたしは不安でたまらなかった。 そして、兄貴たちが泣いているのにも気付いた。 兄貴が泣いている。ショックだった。どうしよう、、、と思った。 弟がしくしくと泣き始めた。そのうち声が大きくなり、彼はしゃくりあげ始めた。 母のところへ行きたかったのだろう、と、今になって思う。 二番目の兄貴が、弟を彼の膝の上において抱いた。弟は兄貴にしがみつきながらわんわん泣いていた。 それを見て、わたしも泣いた。。。ように思う。
教会で父のお葬式が行われた。 祭壇の中央に父の写真が飾られ、たくさんの白い菊の花で覆われていた。 とてもとても美しかった。 父が逝ったということは理解できていなかったのに、父のためのミサだということは理解していた。 わたしは、父の写真を見て誇らしく感じたのを覚えている。
父の命日にはいつもこのことを思い起こす。 父の記憶で確かに自分のものとして残っているのが亡くなったときのことだなんて、ちょっぴり淋しい気もするけれど。 父はどう思っているのだろう。
父はこどもたちのことを洗礼名で呼んでいた、という。 どうしてだろう?母に聞いても「なんでだろうね?」と笑うだけだ。父は変わった人だったのかもしれない。 「ヨハネ」「パウロ」「アンドレ」「アグネス」そして「マテオ」。 父はなぜか4番目の兄貴を最後に、呼び名を普通に変えてしまった。 なんでよ?母に聞くと「なんでだろうね?誰が何かわからんくなったからじゃないの?」と、笑う。 わたしはもちろん、洗礼名で呼ばれたことはない。だから今でも兄貴たちが羨ましい。
わたしにとって、父はいつまでも憧れの人だ。 幽霊でも夢のなかでもいいから、父と会って話がしたい、と心から思う。 父はわたしのことをなんて呼んでくれるかな? 笑
a real Teenager!!! ちいさな言葉ひとつにも いろんな意味があって 日本語でも英語でも伝えきれない ・・・そんなことのわかる 歳になりました
こころさん 13歳 おめでとう♪
ボールを投げる。 ゆるやかな球。 ダイレクトな直球。 むやみやたらに。丁寧に。 勇気をもって。 なんとなく。 近くへ。遠くへ。 あなたに投げる。 ただ、宙に放る。
ボールを受け取る。 しっかりと。 反射的に。 そうっと。 駆けてって。 あなたの投げた球。 誰かの投げた球。
間に合わないときもある。 ・・・転がっていくボールを追いかけ、拾う。 見失うこともある。 ・・・どんなに探しても、見つからない。 追いかけないこともある。 ・・・追いかけたくない。きっと、誰か別の人が取りに行くだろう。
ボールを投げる。 あなたのフィールドに。
ボールが返ってくる。 わたしの心に。
あなたが返してくれたボールじゃなくても それはもう違った形になっていても。
ひとはひとに、何を求めて、何を伝えたいのでしょう。
2005年02月03日(木) |
certain someone |
そのような変化を明確に定義したり理由を説明することはできませんが、物事は二度と同じではありえないことを知るのです。 ・・・・・そして、新しい友人の出現とともに、古い友人たちは人生から姿を消していきます。 感情的、精神的なきずなが変化したり壊れたりするでしょう。・・・・・・
アモラ・クァン・イン
先日、海岸線をずっと走った。 寒波が近づいていたせいか、天候のわりに、海は時化ていた。 強い潮風をすぐそこに感じるほどに、海面は白くうねっていた。 やっぱり海の見えるところっていいなぁ・・と、心から思う。 朝に夕に、陽に照らされた海を、風の見えそうなその海面を見る。 雲が映り、雨が走ってくる。 浜に下り、波打ち際を歩く。 流木を拾って家に持ち帰る。 石ころに絵を描く。拾い集めた貝殻を洗って飾る。 あさひの昇るところを見ながら食事する。(出来るなら東側がいい)
そんな場所で暮らせたらどんなに素敵だろう、と思いをはせる。 でも、台風が来るたびにわくわくもしてられないかな、と思う。 車だってすぐ錆ついちゃうだろうな。 それに・・・津波が来たら家はあっという間に流されてしまうんだろうなぁ、、、とも、思う。
時々、自分の居場所というものについて、ぼんやりとおもうことがある。
島は土地が少ない(山が多い)ために、住むには案外、お金がかかる。 それでも島の中心地から離れた、いわゆる不便な場所は、比較的安いらしい。 ちいさな集落の、そこからもまた離れた場所などは、島特有の人付き合いからも若干、距離を置ける。 そんな場所になら、住んでみても良いかも。。。 わたしがそんなことを口にしたとき、母はこう言った。 「人と離れては暮らせんよ」
いつまでも健康なわけじゃない。 歩いて行けるところにお店があるとか、誰かとすぐに会えるとか、そういうことがすごく大事。 それは、歳をとると尚のこと。 ひとり遠く離れて暮らして、若いうちは、健康なうちは、それを自由だと感じて楽しめるだろう。 どこへ行くにも、車があればなんとでもなる。 でも、いつまでも車を運転できるわけじゃぁない。 何もかもひとりでは出来なくなるだろう、きっと、いつか。
「そばに人が居らんと寂しいよね」 これは、新潟中越地震被災者である、あるお婆さんの言葉。
自分の居場所について、ぼんやりとおもうことがある。
地に足をつける、ということ。 身軽である、ということ。 生活を楽しむこと。 生きること。 生きることを、感じること。
自分の居場所を、自分自身を祝福すること。
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