ぶらんこ
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2005年01月31日(月) |
what I want |
こころが「モデルになりたい」と言い出した。
というか、彼女は以前からそのようなことをおぼろげに思っていたようだし、わたしに対して口にもしていた。 それが最近になって、やや積極的になってきた観。 どうやら、友だちの影響らしい。そんなことだと思った。しかしまぁそれも悪くはないだろう。
「やってみればいいんじゃないの?」 と、わたしは答える。 挑戦してみるだけでも価値はある。と、思うから。 本当になりたかったら、自分でどうにか道を切り拓くだろう。 心を何かに向ける・・・夢中になる、ということは、どんな理由やきっかけであれ、素晴らしく、美しいことだと思う。
彼女は最初、わたしに反対されると思っていたらしく、とても驚いていた。 別に反対する理由なんか何もない。 逆に、なんて自由な発想なんだろう! と、感心したほどだ。(わたしにはなかった発想) だから、自分の願いのためにやれることをやれば良い。 ただし、お金を払うようなときは事前に相談してくれなきゃ困る。 つまり、モデルになるための学校に入りたい、とか、なんらかの登録料を払わなければならない、とか。 (そうなるときはとりあえず今はあきらめてもらうことになる可能性が高いけどね、とも。)
そう説明すると「もちろんだよ!ありがとうマミィ!」と、彼女はものすごく喜んでいた。 さて、一体どうやって挑戦するつもりなのか? たぶん、オーディションだな。。。笑
「なんでモデルになりたいの?」 と、聞いてみた。「ケリィがやるから?」 「いや、違う。」 と、こころは言う。 「まぁそれもあるけど、でも・・・かっこいいじゃん!」 かっこいいか。そっか。そら、かっこいいだろうよ。笑 「でも、服とかいろんなのって、貸してもらうだけだと思うよ。ただで貰えるわけじゃないよ。」 「そんなのくらい知ってるよ。ただ、やってみたいなって思うだけだよ。」 そっか。 きっと彼女の頭のなかには、カメラマンとかスタイリストに囲まれ、素敵な服を着てポーズを取る自分の姿があるのだろうなぁ。 それが雑誌とかに載っちゃったりして? みんなに「すっごぉ〜い!」とか言われちゃったりして???
せっせと洗顔に励み、3Dの本を見て視力回復(眼鏡からの脱出)を夢見るこころさん。 どうでもいいけど、自分がやりたいことをしているときのあなたは、とっても綺麗だなぁと思うよ。 やりたいことに向かう心が、光り輝いてくるんだろうな。
モデルか。。。 なれるかどうかはさておいて・・・さて、ダディはなんて言うかな?
わたしはこのことに対するわたしの気持ちをちゃんと伝えます。 あなたはあなたで、自分の気持ちを相手にわかってもらうように伝えなくちゃならない。よね。 What I want is...(何をしたいかと言うと・・・)
楽しみだ。。。笑
『出汁』と書いて『だし』と読む。 デヴィ夫人はこれを「でじる」と読み、「それだけは言って欲しくなかった、」と言われていたが、わたしも心の中でそう読んでいた。笑
うちは、鰹節といりこで、だしをとっている。 鰹節は、母が遊びに来るたびに島から大量に持ってきてくれるので、買ったことがない。 ただで貰えるものだからケチケチせず、思いきり使っている。 いりこは去年、ある催し物でいただいた、鰯(イワシ)を粉末にしている自然食品。 これを、鰹節でとっただしに小さじ一杯くらい加える。 そうすると、本当に、ものすごぉ〜く、美味しくなる。 ふぅ〜 しあわせ。。。って感じ。笑
ふんだんに鰹節を使えるようになってからは、市販の顆粒だしは便利だけれど、なんとなく抵抗もあって、ほとんど使わなくなった。 (もう買わなくなったので使えない、ということもあるのだけれど。) 鰹節でだしをとるのは手間がかかることなのかもしれないが、たいした手間ではない、と最近思うようになった。 たぶん時間に余裕があるからなのかもしれない。でも、気持ちの持ちようかな、という気もする。 だいたいに「鰹節」と言っても、ちゃんと削られたものだし。
昔(まだわたしが幼かった頃)は、本モノの(?)鰹節を1本手渡され、「削って。」と言われたものだ。 我が家には、今は懐かしい木で出来た鰹節削り器(というのだろうか?)があった。 この作業は、ときに楽しく、ときにうらめしいものだった。 特に、もう小さくなった鰹節なんか堅いし持ちにくいしで、削りにくくてしょうがない。 もう充分だろうと思ってそっと小箱を引き出すと、たいして入ってなかったりして、「まだまだ全然、足りん!」などと言われたりして。笑
今では「花かつお」と書かれたパックの削り節を使っているのだから、まったくもって楽チンだなぁーと思う。
昔は、どの家にも鰹節削り器があったのだろうけれど、今は骨董品のようなものかもしれない。 ずっと以前のことだが、『通販生活』でどこかの職人さんが作る鰹節削り器が紹介されていた。 それも決して、安くはなかった。かなり高かった、と言っても良いくらいだ。 素朴な、昔ながらの方法は、今では「贅沢」となってしまったらしい。 『さぁ、削りたての贅沢をご家庭で味わえます!』
便利なものはどんどん求められ、安くなる。 そうでないものは需要が少ないので、高くなる。 不便をお金で買う、贅沢。
うちには一応、鰹節削り器がある。(かの職人の『名器』ではなく) あるのだけれど、使ってはいない。台所の戸棚にひっそりとしまわれている。 時々それを目にすると、鰹節を削っていた幼いときのことを思い出す。 西日の射す台所で、しゃんしゃんと無心に鰹節を滑らせた。 湯気をたてる鍋。姉の後姿。水屋に並べられた器たち。
なんともノスタルジックな光景なのだけれど、ついつい笑みがこぼれてしまうとっても贅沢な思い出。。。笑
『ファルちゃん』
作:ないる(姪っこ)
針金と綿で出来てるそうです。 大きさは・・・今度聞いてみよう。
少し前に見ていたテレビで、ある先生がこう言っていた。 「怒鳴ったり、威嚇したりするのは、教育じゃぁないんです。」 これは確かな真実だと思う。 すごい言葉だなぁ・・と思った。 それに何より、そんな言葉を口にすること自体が、素晴らしいなぁ。。。と思った。
それを見ていて思わず、「わたし、こころに怒鳴ってるよなぁ・・・」と、呟いた。 こころがすかさず、「そうだ、そうだ!」と得意げに言った。 すると、傍にいた姉が、「だって教育じゃないから。暮らしだから。」と言った。 ふむ。。。これも確かな真実だなぁ・・妙に納得してしまった。
暮らしと教育。 母ちゃんと先生。
確かに違うはずだ。笑
お店で泣き叫ぶこどもに、真剣に怒ってる母親がいた。 言葉で言ってわかる年齢とか、感情的であってはいけないとか、いろんなことがあるけれど、 親と子って、本気でぶつかっているんだなぁ・・・と、見ていてあらためて思う。。。 まっすぐなこどもの気持ちには、向かうこちらも真剣でなければならないのだ。
さきの先生と母親と、おんなじものがある。 それは、深い愛情が基盤になっている、ということ。
3日前から、我が家の前のちいさな道の拡張工事が始まった。 以前からそんな知らせを受けてはいたが、いざ始まってみると本格的かつ大がかりなので、正直、驚いている。 それにも増して、淋しく、そして悲しい。
我が家は、国道からちいさな道を入ったところにある。 その道は車一台がようやく通るくらいのものだ。 対向車が来ると(殆どそんなことはないが)、どちらかが後退して道を譲らなければならない。 そんなちいさな道をくねくねとちょっと登って行くと、我が家が見える。 わたしもこころもこの場所が大好きだ。まるで外界から隠された秘密の場所みたいに思える。 そして、そんな隠れ家へ誘うこの道は、ちょっとした自慢でもあった。 誰も知らない道、と言っても過言でないくらいの。
実際、こんなところに人が住んでいるなんて誰も思わないだろう。。。 我が家の周りには4軒しか家がない。 少し離れたところに、古い屋敷が一軒。 そして、(よーく見ると)拡がる畑の真ん中に、大きな屋敷が一軒。 ここは、近くの集落からもはずれた、ゴミ収集車も来ないような、ちいさなコミュニティー。 畑と雑木林とあぜ道に囲まれた場所。
道路の拡張工事に伴って、雑木林の伐採が始まった。 容赦なく切られ、倒される木々たちは、トラックであっという間に運び出される。 我が家の目の前はすっかりと視界が開かれてしまった。 たぶんまだ半分も終えてないだろうに、なんとも言えない空虚感だ。 もう台風の度に、前庭が、折れた枝々や落葉たちで覆われることはないだろう。 台風でなくても、笹の葉なんか、掃いて集めてを何度も何度もくり返す、終わりのない作業だった。 でも、それは竹林がそこにあったからのこと。 竹も松の木も、なんだか知らない名前の低木も、みーんなぐしゃぐしゃに潰されて、取り払われてしまった。。。 そのうち立派な舗装道路が出来上がるのだろう。 大きなゴミ収集車も通れるようになるだろう。 国道を行く車たちもまた、ここを通ってパチンコやとか電気やとかに行くのだろう。 もしかしたら、近くの空き地も、既にどこかの不動産やが買ってしまってるかもしれない。 そうして、似たり寄ったりの建売住宅がどんどこ建っちゃうのかもしれない。 畑だって、切り売りされていくのかもしれない。ここらの他の地域と同じように。
わたしは、田舎に住みたいくせに、都市に住むのはもう無理だと思っているくせに、便利を求めて止まない。 生ゴミを処理する器械が欲しいと思っているし、どこに住むにもネットの繋がる環境であることを望む。 洗濯機のない生活なんて考えられないし、乾燥機があるなら尚のこと、嬉しい。 エアコンはあまり好きではないけれど、あるに越したことはないと思う。 鳴らないケイタイでさえも、キャンセルはせず使って(?)いる。
道路の拡張は公共事業だ。 もう随分前に決められ、その予算案が通り、いろいろな順番を待って、着手されたのだろう。 それは、人々の暮らしをよくするための目的で行われている。はずだ。 たぶんどこかの大きな道路と繋がり、交通の便が良くなったり、どこぞの街の渋滞が緩和されたりするのだろう。 そのためには木々の伐採も仕方のないことなのだろう、と思う。。。
だけど・・・あぁーあ。 夕陽が沈み、月の帰る場所が、なーんもない、つまらないところになってしまったなぁ!
昨日、お隣さんとの境界に植えようと思って少し前に買った木を植えてみた。 マンサク2本とモクレン1本。 植えてみたら、めちゃめちゃ、ちびっこく見える。 しかも向かい側にある雑木林がなくなったおかげで、思いっきり風の通り道になってしまった。 今朝の強風には、よく耐えてくれたと思う。。。笑 この木が大きくなるには、何年も何十年も、かかるだろう。 そのときまで、わたしはこの家にいるのかどうか、わからない。 どうなるかわからないけれど、どうか大きく育ちますように、と願う。
いろんなことは、なるようになってたことなのかもしれない。 しょうがないことなのかもしれない。 大きな流れのなかの、いろいろなこと。 それでもそれらはすべて、人が選択してきたことの結果であり、大きく言えば、その経過なのだと思う。
わたしは、未来には、大きな道路ではなく、大きな木を残したい、と思う。 大きな流れのなかにも、自分の意思というものがあり、それが未来をつくるような気がする。 まだ、よくわからないけれど。。。
マンサクの木がもうちょっと大きくなったら、この木の向こうから朝日が昇るだろう。 わいん片手に縁側に座り、モクレンの木の上から満月の昇ってくるのも見えるだろう。 今から楽しみだ。。。笑
こころの学校でマラソンがあり、桜島まで行ってきた。 ほとんどの生徒は鹿児島側の桜島フェリー乗り場で集合だったが、わたしたちは直接、桜島へ出向いた。 せっかくだから、と、ぷーきーも連れて行った。
女子生徒ばかりの大きな塊を見ると、圧倒されてしまう。 女子だけ、とか、男子だけ、という世界というのは、やっぱり普通じゃないよなぁ。。。と、あらためて思う。 怪しく異様な光景。そして、滑稽。笑 おんなじ体操服を着た彼女たちは、グラウンドで、きーきーとお猿さんのような声をあげていた。 その中で、こころもまた、友達と嬉しそうにはしゃいでいた。 やかましくて、かわいい、お猿さんたち。
中学生のマラソンは3km30分以内、という規定だった。 30分なら楽勝でしょ。と、思って見ていたが、なかなか厳しそうな子も何人かいた。 あんなに辛そうな表情を見ていると、なんの意味があるんかなぁ。。。と疑問に思う。 個人の閾値以上のものに意味を見出すためには、それに見合ったサポートがなされるべきだろう。
30分以内に完走できなかった生徒は後日、追走があるという。 また、見学者や欠席者も、追走があるらしい。 なんだかなぁ・・・と、思う。 「義務」にしても、良いことってないと思うのだけれど。。。 そう呟くわたしに、こころは「マミィは走れなかったからね、わかるんだよね!」と、明るく笑う。
ぷーを連れていたので、こころの友人たちが集まってきた。 みんな、まだあどけない表情の子ばかりだ。 でもこの中に意地悪な子もいるんだよなぁ・・・と、しみじみ(こころには悪いがなんだか頼もしくも)思う。 少女たちの世界。
こころがわたしの毛糸の帽子を指差し、「ほらね、絵のとおりでしょ!」と言うと、みんなが笑い出した。 昨日、わたしの格好を絵に描いて見せていたらしい。なんなんだ。。。
こころの友人のお母さんに声をかけられた。 前にも何度か話したことがあるとても綺麗な女性だ。 今日も素敵な成り立ち。 わたしより歳が上なのか下なのか、てんで見当がつかない。 いつもしっかりした格好をしているので、年上にも思えるが、でもきっと年下なんだろうな、とも、思う。 女性の年齢って、本当にわからない。
「だってマミィは社会人じゃないからね・・・」と、こころが言う。 社会人だよ。と、答えようとしたが、ふと、違うかも。。。と思う。 年齢的には立派な社会人なんだけれど。 どうなんだろ???笑
家に帰ってから温泉へ行った。 (わたしもぷーと5kmくらい歩いたのでくたくだだったし。) 露天でこころと話をしていると、自分の要求が通らないこころが怒って「マミィには関係ないよ!」と言った。 あっそう。何かを取り違えているらしい。 わたしは、ピシャリと言い放つ。まぁいつものことだ。 と、突然知らないお婆さんに声をかけられた。 「素晴らしい!いまどきの若いお母さんとは思えない!お嬢ちゃん、あなた、お母さんの言うことを聞いていたら良いお嫁さんになれるよ。 あなたのお母さんは、とても立派。若いのに。」 そっかぁ?社会人じゃないのに?
どうなんだろ???笑
わたしは飼育小屋の中に立っている。左手にはバケツを持っている。 目の前に鶏が一羽、ちょうどわたしと対峙するように立っている。 やがて他の鶏たちもやって来るだろう。彼らはいつだってその時間を知っている。
さっきまでは大丈夫だと思っていたのに、こうして鶏と近づくと、やはり足がすくむ。 これじゃぁ抱きかかえるどころか、餌をあげることすら無理かもしれない。 わたしは、だんだん、逃げ出したい気持ちになってきた。
赤い鶏冠が、ふるふると風に揺れている。 まんまるい鶏の目が、二重三重、ぐるぐるに巻いている。 やがて、白い鶏の体に黒や灰色が混じりだし、鶏冠が立派に垂れ下がり、体がどんどんぶくぶく膨れ上がる。 そして、いつの間にか、鶏は、一羽の七面鳥となっていた。
七面鳥が目の前に立っている。 かなり、大きい。さっきの鶏の20倍はある。 わたしは呆然と立ちすくむ。 バケツを持っているのがうらめしい。 そして、頭の中でこの先どうしたら良いかと、忙しく思考をめぐらせる。
「あひるだったら、と思うのは、非常に失礼なんじゃないでしょうか。」 突然、女性の声がした。 もちろん、七面鳥が喋っているのだ。 「あなたは、あひるなら触れて、七面鳥なら無理だ、と、そう思っているのでしょう。 それは、こう言っちゃなんですが、『差別』というものなんじゃないでしょうか?」
わたしは驚いて声も出せない。七面鳥が喋っていること、にではなく、自分の考えを読まれていること、に対して。 彼女(彼?)は、さらに続ける。 「わたしが醜いからですか。あひるが美しいからですか。」 いや、そうじゃない。だって・・・。 「孔雀を持ち出してもおんなじですよ。孔雀も触れない、なんて言われて、わたしが喜ぶとでもお思いですか。 あなたは、わたしたち鳥のことを、何もわかっちゃいない。」
わたしは確かに孔雀のことを思っていた。 鳥の王様の孔雀。あの美しい羽根。 みんなが綺麗だ綺麗だ、と言って、嬉しそうに振っていた孔雀の羽根。 あのぐるぐる模様。 ぐるぐるぐるぐる。ぐるぐるぐるぐる。 眩暈がする、、、
・・・
この夢を見る前に手術室で仕事を再開する夢を見ていた。 その夢は短く、手術前の手洗いをしているときに、いきなり飼育小屋の場面へと跳んだ。
今年の抱負を彷彿させるようなふたつの夢。 正夢かな?
でも、そう思うのは、もしかしたらスピッツの新しいアルバムを聴きまくっているせいかも??? 笑
こころの学校は8日の土曜日が始業式だった。 よって、その朝は久しぶりの早起きだった。
目覚めてすぐ、ぷーと一緒にまだまだ真っ暗な外へ出た。 朝の空気が刺すように冷たい。 どこまでも黒い空に、白く細く凛と浮かぶ月。 星たちが小さく光る。でもその輝きは力強い。
こころを港まで送っていった。 帰り道、明け行く空に山々の陰がぼんやりと浮かびあがる。 そして、やがてくっきりと、その姿を現す。 いつ見ても、息をのむ。
時は流れ、すべてのものが刻々と変化していく。 わたしがここにいようと、あのひとがどこにいようと。 誰かが起き出す頃、誰かは眠りにつく。 耳をふさいでも耳をすましても、関係なく、時は流れる。 闇に沈んでいた山は朝の空気とともにその姿をあらわす。 静かに横たわる海にも、はじまりの風が吹く。
自然に流れていきたい、と思う。壮大な時間のなかを。 自分をごまかすことなく。みみっちぃ自分でもいいから。
寒い朝は苦手だ。 でも、とてもとても、美しい。
わたしを見ているぷーちゃん
以前はどうだったかわからないが、最近は、人のことはどうでも良い、とよく思う。 どうでも良い、という表現は好まれるものではないとは思うのだけれど、正直な気持ちだ。 綺麗に表現しようとしたら、それは嘘になる。
人のことはあまり気にならない、とも言える。 いや、気にならなくなった、と言うほうが正しいのかもしれない。 人は人。そう思えるようになった。 どんなであっても、その人にとってはそれが自然なことであり、必要なことであり。。。
自分のことさえもよくわからないのだから、人のことなど尚のこと、わからない。 わからないことは、口にしたくない。 ましてや、わからないことを気に病んでも仕方がない。 まぁそれでももちろん、人の気持ちを感じては、悲しくなったりもするし落ち込みもする。 感じれば感じるほどに、辛い。ことも、ある。 だが、それは自分がそう感じるだけのものであって、その人のせいではない。と、思う。 その人だって、自分とおんなじように、何かを感じているのだろうし。。。
人は皆、それぞれ。 人それぞれにいろいろな事情がある。 そんな中で絶えず何かが起こり、人は、そんなこんなをそれなりに対処しながら、生きている。 その人の考えがあり、その人のやりかたがあり、その人の決着のつけかたがあり。。。
人が気になるとき、自分はどうだ?と問うてみる。 そしたらすぐに、似たようなモンでしょ!と、気付くはず。 あれこれと、人のことを言いたくない。 口にするのは、自分のことだけでいい。
人のことは、どうでも良い。
“ 神様が、そう言ってくれたら、どんなにいいだろう。 私が、悪かったねぇって。 おまえたちを、こんな風に創ってしまってって。 ” 梨木香歩 『 エンジェル エンジェル エンジェル 』
“ しかしながら、主よ、これが、わたしに対するあなたの罪です。 あなたはわたしを必要以上に働かせました。 わたしの懇願に反して娘は病に倒れました。 わたしは誠実たろうとしたのに盗まれました。 必要以上にわたしは苦しみました。 ” パウロ・コエーリョ 『 悪魔とプリン嬢 』
*少し前にひょっこりと思い出したことを書こうと思う。もう随分前のことなので、記憶があやふやだけれど。
17か18歳の頃、初めて神戸へ行った。 なんで神戸なんかに行ったんだっけ・・・?と、よーーーく考えてみたら、それは修学旅行だった。笑 神戸だけでなく、京都、奈良、倉敷、それから宮島にも行った。 (でも、どんな順路で行ったのかは、まったく思い出せない。)
神戸では、異人館?だったかな。。。うろこの家とか、そういった屋敷を見て歩いた。 人がわんさかうじゃうじゃいた。みんな、坂道で斜めになりながら写真を撮っていた。 とても良い天気だった。 屋根の風見鶏の上に、澄み切った青空が広がっていたのをよく覚えている。
一緒にいた友人のひとりが「海を見に行こう」と言った。 それを聞いたわたしは飛び上がって喜んだ。 海に行くのならこんなところにいる時間はない、と思い、皆を急かした。
その場所は、当時、何かを建設中の、たぶん埋め立て地(或いは人工島)だったのだと思う。 何を建設していたのかは思い出せない。 その頃は大きなニュースだったと思う。電車の中には、そのポスターもあったような気がするから。
でも、そこへ到着したわたしは、正直言って、ちょっとがっかりした。 海なんか見えなかったからだ。これじゃぁ電車の窓からのほうが良く見える。
わたしたちは、確かそこだけがオープンしていたお店か何かでちょこっとだけ買い物をし、外へ出た。 そして、建設中の建物たちをを見ながら、戸外を歩いた。 友人はふてくされているわたしのことをからかいながら「しょうがないじゃーん」とか言って、慰めた。
時間をつぶしながらずんずん歩いていくと、堤防が見えた。 堤防。防波堤。ということは、その向こうは海じゃないか!
近づくと、それはとてつもなく高い堤防だった。 怖ろしく、高い。 こんな高い堤防は、一体なんのためだろう?と首を傾げるくらいに。 でも、通常の堤防らしく、ところどころにはちゃんと「はしご」がかけてあった。
「やめなよーーー」と言う友人を尻目に、わたしはもちろん、登り始めた。 「だーいじょうぶだって!せっかくここまで来たんじゃん。」とかなんとか言いながら。
堤防の上は、予想以上に広かった。 登っているときに目がくらくらしたので、かなり高かったのだけれど、そんなこと忘れるくらい、安定した広さだった。 そして、海はもっともっと広かった。色が深い。白波が立ってる。 おでこに冷たい潮風。 気持ちいい! 「貨物船が見えるよー」 わたしはそう言って、みんなを呼んだ。 けれども、登ろうとする友人はひとりとしていなかった。 それどころか皆、「もう降りてきなよー」と、不安気だった。
そのまま降りるのが惜しかったので、駅へ行く途中まで、わたしは堤防の上を、友人らはその下の道路をともに歩いた。 彼女たちは楽しそうに話していたが、潮風のせいで何を喋っているのか、よくわからなかった。 特に聞きたくもなかったし、海を眺めているだけで満足だった。 そうやって、ひとり、海と歩いた。
ところが。。。 いよいよ降りなければならない、というところで、大変なことになってしまった。 どうやっても、足がすくんで動かないのだ。 防波堤は、地面から垂直ではなく、海側に向かってゆるやかにカーブし、途中で反対側に反るように立っている。 そこへ、かろうじて弱々しくどうにも頼りなげにはしごがかけられてあるのだ。(そのはしごを登ったのだけれど。)
最初は笑っていた友人たちも、わたしがふざけているわけではないということがわかったのか、必死な形相となってきた。 「登れたんだから、降りれるよ。大丈夫だって!」 ・・・そう言われても、困る。自分だってそう言い聞かせてるのだ。 なのに、情けないことに、本当に、足が動かない。 実を言うと、駅が近くなるにつれ、降りてみようかな、と思いつつも、はしごをひとつふたつと、見過ごしたのだ。 降りられないかもしれない、、、と、思って。。。
集合時間が近づき、友人のひとりが思い切った行動に出た。 近くで建設中のビルにいたおじさん達を呼んできたのだ。 わたしは恥ずかしくてたまらなかったけれど、もうどうにでもなれ、という気持ちだった。 おじさんはもうひとりのおじさんからヘルメットを取り、それを持ってはしごを登ってきた。 「よぉこんな高いとこまで登ったなぁー!こりゃ、降りれんわ」 おじさんはそう言って笑った。(そんな感じの関西口調だったと思う) それから、持ってきたヘルメットをわたしにかぶせ、おじさんの背中におぶさるように、と言った。 そして、ふたりの身体を縄(だったと思う、)で縛った。 「目ぇつぶっときー」みたいなことを言われながら、おじさんはわたしを背負いながらはしごを降りた。 友人たちは心配そうに、でもそれ以上に可笑しかったのだろう、げらげらと笑っている声がいつまでも聞こえた。 わたしも可笑しかったけれど、それよか泣きたかった。。。笑
わたしたちはふたりのおじさんに、地面に頭が付くほどお礼を言った。 友人は、この事件は一生忘れないだろう!と言って、帰り道もずっと笑っていた。
でも、この大事件を、わたしはすっかり忘れていた。そしてつい最近、思い出したのだ。 しかも、ところどころ、曖昧な感じ。。。
だからこれは、もしかしたら夢だったのかもしれない。笑
「貧乏の子沢山」という言葉があるが、我が家はまさしくそれだった。 おまけに、父が早くに亡くなり、その後は母ひとりでわたしたちを育てたので、本当に貧しかった。と、思う。
と、思う。と言ったのは、今になってそう思う。ということだ。 (至極不思議なのだけれど)当時、わたしたちはそう感じてなかったから。 もちろん、裕福だと思っていたわけでもなく、ただただ、他の人々と何ら変わらない、という風に感じていたようだ。 脳天気なこどもたちだったのだろう。
実際、母は(今になって話すのだが)わたしたちを見て、なんて馬鹿な子らだろう、と思い、また、それに救われた、と言う。
「ワキャ クヮンキャ ヤ フルムン ナティ ウヤ ヌ ウランタン ヌーチン カンゲラジ ヌーチン ヤジ タマンダム アソビカタ ジャヤー ッチ ウムイカタ。 カミサマ ヤ キャシ シュン ジャヤー ッチ アリガタ ナンヤー ッチ。」
かすかな記憶として残っているのだが(それももしかしたら姉から聞いた話を自分のものとして覚えているだけかもしれない) 幼い頃のこと。
わたしたちは、いつものように教会の庭で遊んでいた。 (教会の庭は村のこどもたちみんなのものだったので、信者も信者でない子らも、いつも一緒に遊んだ。) ある日、わたしが大きな子に苛められ、泣きながら家に帰ってきたらしい。 わたしを見てくれていた姉も、眼にいっぱい涙を溜めていた。 母はわたしが泣きながら言っていた言葉を聞いて、胸が痛んで仕方なかった、と言う。 泣かされたわたしは幼くて、その子の言葉を理解してはいなかったと思う。 でも、痛めつけるだけの威力を充分に持っていたのだろう。 姉はそのことをよく覚えていて、今でもその話をするときは熱が入る。
そんなわたしたちの様子を見ていた近所の老婆の一言が、母は忘れられない、と、今になって話してくれた。
「ビンボウ チ ヤキイン ヤ ダナン ウサール チュ ヤ ワァー ナンティ アラン ド タルン クヮ ガ イサール カン ショティ クー!」
わたしたちが「アンマ」と呼んでいた、とても怖そうな老婆だった。 その老婆が、母を励ましてくれただなんて、大きな驚きだ。。。
・・・
去年の暮れから母が来ていて、母の昔ばなしを泣き笑いしながら聞く毎日だ。
わたしはまだ、あの頃の母の年齢には至っていない。 けれども、こうして母の話を聞きながら、 いつか母の気持ちを、もっともっと理解できるようになるかもしれない。 そうだといいな、と思う。
あぁ・・・ラップトップがあれば、母の話を聞きながらタイプ出来るのになぁ。。。笑
クリスマス・カードも年賀状も、誰にも送らなかったのに たくさんの方々からご挨拶が届き、とても驚き、そして恐縮している。 遅くなってしまったが、時間をかけて、ぼちぼち返事をしていきたいと思う。
「ハートが帰らない」という歌がある。 ♪あれから ハートが 帰らない (詩:草野マサムネ)
カードを書くのは大好きだったのに、それが出来なくなってしまったのは、 わたしのハートがどこかへ行ってしまったからなのかもしれない。 だから、わたしのもとへハートが帰ってくるといいな、と思う。 そしたらまた、カードを送れるようになるかもしれない。
でも、もしかしたらもうハートは帰ってきてるのかもしれないなぁとも思う。 よぉーく見てみるかな。。。
そして、わたしのハートを抱きしめてあげたい。
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