ぶらんこ
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2004年11月30日(火) ストーブ

倉庫からストーブを出した。
ファン・ヒーターだとばかり思っていたので、ちょっと意外だったのと懐かしいのとで、なんだか嬉しい。


夜になって早速ストーブをつけた。
パチパチと鳴った後、しゅ〜っと灯油の滲みていく音がした。
そうして、メラメラメラと炎が出てきた。
すばやくあったかい。
と言うよりも、熱いくらいだ。
ぷーちゃんがぶつからないように気を付けなければ。。。


ストーブをつけてから、部屋にいたこころを呼んだ。
何て言うかなぁ。。。と、わくわくしながら。
彼女は来るなり、わ、わ、あったかーい!と喜んでくれたが、その後、不思議そうにこう言った。
「ね。なんでやかんがのっかってるの?」


そっか、この子はストーブというものを知らないのか。。。
驚きの発見だった。(よく考えてみればわかるけど)

モイスチャーになるんだよ、と説明したが、ふ〜ん。。と、そっけない返事が返ってきた。
なんてことだ。こんなに素晴らしいシステムなのに!

お湯はいつも沸いているし、そのおかげで部屋は適度に加湿されるのだよ。
やかんだけでなく、これからはぜんざいとかも置いておけるのだよ。
ほら、こうやったら、火がちっちゃくもなる。

でも、そんなことは彼女にとって関係ない。
「あ、そう。良かったね。それよかこの匂いなに?なんか苦手だなぁ。。。」


やっぱりストーブを知らないのか。
まぁいいよ。
この冬でよーーーーーーーーーく知るようになると思うから。
灯油の入れ方から何から、たっぷりとやってもらおうじゃないの。笑


2004年11月28日(日) 夕暮れ

たくさんの黒い鳥たちが空を飛んでいた

彼らはひとつになり多数になり
線になったり円になったり
固まったり膨らんだりしながら

まるで大きな手が
夕暮れの色を混ぜ合わせるように
夜のしじまをそぅっと連れてくるように

悠々と空を飛んでいた


2004年11月27日(土)

母が来ていた。
しばらく滞在する予定でいた。
でも、今日、島へ帰った。
突然の訃報が入ったので。。。



昨夜、母と、死んだ兄貴の話をした。
父の話もした。闘病の頃から、亡くなるまでの話。。。
また、父の頃から親しくしていただき、兄がその生を終えるときにもまた懇意にしていただいた、神父さまの話。
そしてその神父さまが亡くなられたときのこと。。。

そんな話をした翌朝だった。
何かが知らせてくれたのかなぁ。。。と、思わずにはいられない。



ときどき、死んだ父や兄貴は、今どこにいるのだろう、と思う。

天国は、花園のようなところだと、幼い頃に教わった。
人(いのち)にはそれぞれ、部屋のようなものがあり、その人が良いことをすると、そこに美しい花が咲くのだと言う。
そしてその花は、悪いことをしたらしぼんでいまうのだと言う。
わたしはその話を、心から信じた。
いつも、ちょびっと悪いことをしてしまってる自分の部屋が、枯れた花でいっぱいなのではないか、と心配したものだ。
実のところ、今でもそのようなイメージがある。
その話が、きっと幼子に対する比喩なのだろう、と、感じていても。

大人になったわたしは今でも、自分の部屋が花でいっぱいだといいなぁ。。。と、思う。
色とりどりの、美しく、かぐわしい花たちで。




死んだひとはどこへ行くのだろう。
肉体は滅びる。
魂はその肉体を離れる。
では、心は???


わたしの心はどこへ行くのだろう。。。


そう思ったら、今、感じているこの心を、素直に、丁寧に、あらわしたい、と思った。
今、感じているこの心を、大事にしたい、と。

書きたい。
描きたい。

会いたい。
触れたい。


わたしの心。
わたしの身体。
わたしの魂。

わたし。。。

わたしは、花のように、優しく、はかなく、そして、凛としているといいなぁ。。。と、望みます。


2004年11月25日(木) ふとぅ

23日の夕暮れ。
帰りのフェリーで、イルカの大群に遭遇した。

夕陽が綺麗だったので甲板に出てみたら、きらきらと光る波間にイルカが二頭、ぴゅーんぴゅーんと跳びあがった。
うっわぁーーーー、と慌ててこころを呼び出す。
見ると、あちこちでイルカたちが飛び跳ねている。
大きいの、ちょっと小さいの。
一頭だけだったり、二頭一緒にいたり。


ざっと50頭はいたと思う。
かなりの広範囲だったから。
―あんな大群、初めて見た。。。
錦江湾のイルカたちがみんな出てきてくれた感じだった。

彼らは楽しそうに遊んでた。
わたしたち人間に挨拶してくれてるようにも感じた。
というか、実際そうだったんだろうと思う。絶対に。

ちょうど夕陽が沈むところだった。
海面がきらきらと橙色に光ってて、イルカ達の灰色の体が黒く浮かび上がって、とっても綺麗だった。。。



母が昨日から来ている。
母にこの話をした。
母が言うには、わたしの生まれた村のちいさな浜辺にも、イルカ達がよく来たそうだ。
昔むかしのこと。まだ、埋立地の出来るもっと以前の話。


タイトルの『ふとぅ』というのはイルカのこと。
母から教わった島口。


2004年11月22日(月) 親業

「何回も言った。言ったけど駄目だった。誰もわかってくれなかった。」
と、言うので、何を言ったのか、何をわかって欲しかったのか、ということになった。
そしたら、『言ったこと』と『わかって欲しかったこと』は、ちょっと違ってた、ということがわかった。(ややこしいけど)

まず、言ったことは、いわば『状況』であり『事実』。
わかって欲しかったのは、そのときの『想い』。だからこんなに悲しいんです、ということ。


「例の『わたしメッセージ』でちゃんと話してみたら?」と、わたしが言うと、
「あんなの意味ないんだよ!」と、こころは怒っていた。
確かにそうだよなぁ。。。とわたしは笑ってしまう。(けっして茶化すつもりはなく)


彼女は怒ったり泣き出したりしながら、堰を切ったように話していたが、なるほど言うことに筋は通っているなぁ、と感心する。
いろいろあるよなぁ。。。と、感慨深く聞いている。
聞いているのだが、怒りの矛先がわたしに向かってくることがあるので、むっとしたりもする。
そして、八つ当たりしないでよ、と言う。
あなたの気持ちはわかるけれど、そんな風に攻撃されると、マミィも傷ついた気持ちになるよ。悲しいし、辛い。


答えなんてものはない。(わたし的な解決策はあるけれど)
結局はこころが自分で決めることだし、本当はもう既に決めているのだろうし。
どうするか決めてはいるのだけれど、たぶん、いろいろと噴出すわけだ。手っ取り早いところで、一番言いやすいマミィに対して。
それはそれでいい。そうあって欲しい、とも思う。


感情はいろいろだ。

こんなことをするのは正しいことであっても迷惑なことかもしれない。とか、
自分は間違ってないのにきっとまた悪く思われるんだろうなぁ。。。とか、
先生もシスターも立派なことを言うくせに全然完璧じゃない。とか、
マミィだって逆ギレしてないでただ聞いてくれよ、とか。笑


心のなかに、いろんな想いがぐるぐるとある。
それをじぃっとため込んだり、たまにちょこっと見せたり、ときにぶわーーーっと吐き出したり。
そんなこんなで、想いは変わっていくのだろう。


そのどれもが、とっても大事なことだと思う。
そして「よりよい人間関係」などという親業マニュアル(?)なんか、なんの意味も持たない。
たぶん。。。笑


2004年11月21日(日) 相当

こころは「お小遣い」という言葉を知らない。
知らないので、彼女は「お給料」と呼んでいる。
でも、これはあながち間違いでもない。
彼女は自分で決めた家庭内での仕事をこなし、それにふさわしいお代をわたしから毎月いただいているのだから。
仕事をしなければ、もちろんお給料は支払われない。
お給料が欲しいから、決めた仕事はきちんとこなす。
至極単純明快。
わたしたちにとっては基本中の基本。



今日、こころはサイフを掏られた。
鹿児島市内へ、初めて友達とだけで出かけて。
ゲームセンターへ行ったりプリクラを撮ったりして遊んでいる隙に。全然気づかぬうちに。いつの間に。


たいした金額ではなかった。
それでも、それは彼女が働いて得た、貴重なお金だ。


こころは交番に行き、盗難届けを提出してから帰ってきた。
帰るための、市電とバスの代金は、友達から借りた。
幸いにも、通学に使っているバスとフェリーの定期は無事だった。
帰ってきたこころは、特別、憤慨した様子もなかった。意気消沈、ということもなかった。
「いろいろ勉強になったよ・・・。」と言っていた。




サイフもお金も、もちろん戻っては来ないだろうと思う。
犯人だって、捕まりはしないだろう。
でも、もしも盗んだ人に何か言えるのなら、こう言ってやりたい。



お金が欲しいのなら働け。
そんなことは12歳の娘だって知っている。
楽をするな。

恥を知れ。



2004年11月20日(土) 翻訳

2年程前から、ほぼ毎日のように、(短い文章ではあるが)英文を翻訳するという作業をしていた。

最初は英語のままさらっと読んでいただけだったのが、ちょっとしたことがきっかけとなって日本語に訳してみたのだった。
よく聞く話だけれど、どんな簡単な英文でも、いざ日本語にしようと思うとこれがなかなか難しい。
とりあえず普通に直訳すると、なんとなく違う、というのがわかるのだ。
さらに、自分のなかで「わかっていた」ことが、実は「理解しているつもりなだけ」だった、と気付かされる。
それがとても新鮮で面白かったので、なんとなく続けてきた。



翻訳という作業は不思議だ。やればやるほどにその魅力を感じる。
だんだん、その英文を書いた人の脳のなかに入り込むような気さえしてくる。
まるで自分がその人になってしまったような気持ちになる。
でも、これは大きな勘違いだ。決して、相手の想いを決めつけてはならない。

だから、とにかく何度も読む。
一度読んで、意味がわかっても、また、わからない箇所があっても、まずは読み込む。
何度も繰り返し読んでいくと、その文章が何を伝えたいのかが、ぼんやりとわかってくる。(そんな気がする)
そうなって初めて「訳す」作業に入る。
すると今度は必ず、自分のヘンテコリンな日本語と格闘することになる。
何かが違う、と感じるのがなくなるまで、それが続けられる。
そして大体は、いい加減なところで手を打つ。
わたしのやってる翻訳は、まだその程度でしかない。

それでも、なんとなくこの作業に惹かれている。
これを生業にしたいという気持ちはないが、もっと勉強したいなぁとは思っている。



最近、自分の心を言葉にするということが、この「翻訳」という作業によく似ているなぁ・・と思う。
(もっと大きく言えば、絵描きさんとか陶芸家とか、何か創りだす人たちは皆、自分の想いを翻訳しているのだと思う。)
想いを言葉であらわしてみると、それでも何かが不足なような、或いはまったく違った感じの言葉になってしまったりする。
そうじゃない、と感じながらも、とりあえず言葉にしてみる。
口にしなくても、たとえばこうやって書いたり、消したりしながら。
そうやって繰り返していくと少しずつ、心に近づいた言葉になるような気もする。
「とにかく出来る限り多くの原文に触れ、数多く、翻訳してみること」が、良い翻訳者の心得だそうだし。。。



と言いつつ、今は翻訳することを止めてしまっている。


毎朝やっていたちいさな作業がなくなって、なんとも空虚な感じだ。
何度か自分のために翻訳してみたけど、どうもいけない。
たぶん気持ちがのらないのだと思う。わざわざ日本語にしなくても良いなぁ、と思ってしまうから。
綺麗な英文のままで頭に入れ、英文のまま受け止めている(気になっている)。
きっと、翻訳というものは、相手にそれを使って伝えないと、ほとんど意味のないものなのかもしれない。
少なくともわたしにとっては。。。



ひとの気持ちもそうかなぁ・・・と思ったりもする。
伝えること。

自分の気持ちを翻訳してみる。なるべく自然な言葉になるように。
それを誰かに伝えて、誰かがそっと受けとめる。
それがお互いにとって自然なかたちであればあるほど、ひとはわかりあえるのかもしれないなぁ。。。と思う。
そこには優しさとかあったかさとか、なんだかわからない心地良いものが流れるような気がする。
調和。かなぁ。。。



言葉から人の心を捉えようとしても限りがある。
でも、心は感じるもの、感じあうものだと思うから、そう信じて、出来る限り人の心に添えるひとになりたいなぁと思う。。。

そんな気持ちで相手の言葉を聞けるといいなぁと思う。
そんな気持ちで自分の心を言葉にできるといいなぁと思う。


2004年11月18日(木)

雨降り。
しとしとしとしと。

だいぶん寒くなってきた。
寒いのは苦手だ。
でもこの時季になると、何かを待っているよな気分になる。
なんだかわからないが意味もなくこころもち嬉しいよな、そんな感じ。

だから、というわけでもないのだけれど、今日は思い立ってクリスマスの飾りを出し始めた。
この「和」の家に、どこまでどう飾れるのか???
これはもう冒険というよりも、かなり挑戦的な試みだと思う。笑



雨がまだ降っている。
我が家は、あちこちの窓をまだ開けたままでいる。

雨の音を聴きながら眠ろうと思う。


2004年11月17日(水) 葉っぱ

植物を見に、お気に入りのお店屋さんに寄った。
家からは遠いのでなかなか来られないけれど、空港の近くなので回数的にはよく来ているお店。
ここはいろんな種類の植物が置いてあるので嬉しい。
値段もいろいろだし。


見るだけーーーと思ったけれど、かわいい葉っぱたちがわたしを見上げるので、思わず選んでしまった。
うちに来ても元気で育ってくれそうな子たちを何種類か。。。


綺麗なオネエサンが葉っぱの名前と値段を言いながらレジを打ってくれた。
と、ハタ・・と手を止めた彼女。「あの、このお値段、覚えてらっしゃいますか?」
ちょっと赤みを帯びた、つやつやした色の葉っぱ。どの色にしようか悩みに悩んで選んだ子だけれど。
「ごめんなさい。ただ、安いってことしか覚えてません。。。」
正直に答えると、彼女は申し訳なさそうに頭を下げ、確認してきます、と出て行った。
場所がわかるのかな・・こっちが確認すればよかったかな・・・と、恐縮してしまう。

案の定、彼女はあちこち駆け回り(とても広い植物屋さんだ)、店長さんのところへ行ったらしい。
「店長、店長、お願いしまーす!」とどこかで声がしていたから。


店長さんのおかげで、値段はめでたく即座にわかった。
彼は彼女と一緒にレジまでやってきて、わたしの選んだ葉っぱたちを見て言った。
「ほぉ〜。。。寒さに強いのばかりですね!
これもこれもこれも・・・あっ、これとこれ。このふたつだけは室内に。後は外で大丈夫です。」

彼のテキパキした態度と、それから植物を見るなんとも言えない目に感激してしまった。
優しいだけでないまなざし。
あったかい、というよりももっと強い熱。情熱かな?そんなまなざしだった。

「あぁ・・・これも選んだんですねぇ。」
彼はシルバーのクリスマスツリーのような葉っぱを指差して言った。
まだ小さいけれど、『形を見ながら剪定していくと良い・とても丈夫』と、書かれていた葉っぱだ。
「はい。すぅごくかわいい子だなぁ・・って思って。。。」
わたしがそう答えると
「ええ。とても綺麗な子です。」

子、って言ったように聞えた。聞き間違いかもしれない。
「これは非常に買いやすい値段になりました。以前に比べたら半値くらいです。
案外、出ているってことでしょうか。そんなに珍しくもなくなったんでしょうね。」
彼はちょっと残念そうに見えた。きっとそれほど有名でもない頃から、この葉っぱを買い付け、売ってきたのだろう。
この人は植物の名前も、育て方も、もちろん値段なんかもすべて把握している。
そう思った途端、なんだか恥ずかしくなってきた。
わたしの選んだ子たちはみんな、すぅごく安い子ばっかり。
・・・そして今日、たったひとつだけ冒険したのが、このシルバーの葉っぱだったのだ。。。笑



家に帰り、近くのお店へ土と鉢を買いに行った。
そして、今日連れてきた子たちをそれぞれ植えてみた。
ふむ。なかなか、良い。 と、自己満足。

土をいじりながら、あの店長さんのことを思い出していた。
人より抜きん出てるものがある、というのはなんて素晴らしいことだろうなぁと、思う。
彼の自信は、どこから生まれてどうやって身に付いたんだろう?あんなにも自然に。。。



それにしてもわたしは花よりも葉っぱが好きなんだなぁ・・と、我が家の植物たちを見て、あらためて思う。
でも、春になったら、この前作った花壇にチューリップやらなにやらが咲き乱れるのだ。(あくまで予定)

これから寒くなるばかりだけれど、なんとなくほくほくしてしまった。。。


2004年11月16日(火) 重荷

『包帯を巻いてあげられないのなら、むやみに人の傷に触れてはならない』   
                               
                            著;三浦綾子 「続・氷点」 


こんな言葉が目に入った。
この本を読んだわけではない。
あるページに書かれていた、その本からの抜粋である。

この言葉は誰に対するものだろう・・・と考えていた。
たぶん、相手に向かって放たれた言葉ではないような気がする。
きっと、自分自身への言葉なのかな、と思う。。。
よくわからないけど。


この言葉に触れたとき、ふと、この逆もありだよなぁ・・・と思った。

『むやみやたらに人に傷を見せたからって、包帯を巻いてもらえると思ってはならない』

つまり。。。
相手に心を開いたのは「わたし」=自分自身。
心を開いて傷つくことをを選んだのも「わたし」=自分自身。


心を開くということは、そういうことでもあるんだなぁ・・・と、思う。
良いとか悪いとかではなく。
そういったことを知っておくべきなのだな、と思う。
怖れることなく、甘えることもなく。


そして、それでも、心を開くことを望むひとでありたいなぁ・・・と、思った。。。


2004年11月14日(日) なんでもない日

今日はわたしの誕生日だった。
39歳。
さんきゅー!(と、これは友人からのお祝いの言葉より引用)


誕生日の少し前に辛いことがあった。
なんとも弱っちぃことに、食事が出来なくなるほどだった。
とはいえ、人というものはちゃんと「生きる」ように出来ている。
食欲はなくてもお腹は空くし、意識さえすれば食べられる。
ただ、そのような食事はやはり栄養にはならないようで、一昨日に体重を測ったら案の定、痩せていた。
がっかりだ。

でも、最近は、美味しいと感じながら食事をいただいているし、そのことを自分自身、喜んでもいる。
ちいさなことだけれど、大事なことだと思うし。。。
もう少し体重が増えるよう、美味しいお料理をたんまりつくり、味わいながらいただきたいなぁ、と思う。



今年は・・・・
今年は、早く誕生日が過ぎてしまえばいいなぁ。。。と思っていた。
そうして、なんでもない日を迎えたかった。



友人に言われてあらためて思ったのだけれど、わたしにとって「誕生日」という日は特別らしい。
その歳になってそらないでしょう。と、言われるかもしれない。
自分自身にもそう言ってやりたいくらいだ。
「そらないでしょう!」

だけど、正直に告白してしまうと、本当に、情けないくらいに、「特別」なのだ。
どうしてなのかわからない。きっと心が成熟していないせいだろう。
自分でも呆れてしまう。


よく、「自分の誕生日を忘れてた。。。」と言う人がいる。
そんなときわたしは「えーーーー信じられない。。。」と驚きながら、内心は「かっこいいなぁ。。。」と憧れている。
本当に「特別でもなんでもない日」なのだろう、その人にとって。
それってすごいことだなぁ・・・と心から思う。
わたしもいつかそうなりたいなぁ、と思い、でもきっと無理だろうな、とも思う。



真夜中に目が醒め、喉がとても渇いていたので、起き出してお水を飲んだ。
時計を見ると既に2時近かった。
誕生日おめでとう。。。と、自分自身を祝福した。
それから、こうして素直な気持ちになれたことに、心から感謝した。
朝になると、雨が降っていた。
こころの英検2次試験に付き合い、鹿児島市内まで行った。
こころがしきりに、「マミィのバースデイなのに、ごめんね。。。」と言っていた。
1次試験は先月のある土曜日の午後からだったし2次は日曜日で休み返上なのだから、こころこそ気の毒というものだ。
帰り道、本屋さんに立ち寄った。
自分へのお祝いに本を2冊買った。
夕方からまた雨が降り出した。夜になって雷まで鳴り出した。
食事をし、お風呂に入り、映画を見た。
今日は特別に、こころも遅くまで起きて一緒に見た。

これが今日のおもな出来事。


明日からはUNBIRTHDAYSだ。
「なんでもない日」の『特別』を祝福するような、そんな心でいたいなぁと思う。


2004年11月11日(木) 時雨

昨夜からずっと雨。
わたしの住んでいる地域には大雨洪水警報まで発令され、今朝になっても雨はやみそうになかった。

こころが出かけた後(こんな雨の中でもごくごく普通に学校へ向かおうとする彼女の姿に感銘を受ける)、
雨はいよいよ激しくなり、雷まで伴いはじめた。
ときおり部屋中がカカカ、ピカーッと光る。
カーテン越しなのに、一瞬、部屋全体が膨らむかのように、とてつもなく明るく。強く。なんとも異様に。

雷と稲光の間隔が近くなり、轟音が容赦なく響き渡った。
電気が切れては点き、点いては切れた。
珍しくぷーが落ち着かず、震えている。
こんな彼を見るのは初めてなので、もしかしてこの家に落ちるのかなぁ・・・とまで思ってしまった。


雨は、8時頃に一時的に静かになったが、その後もずっと降り続けた。
「これから、雨が降るたんびに、どんどん寒くなっていくんだよ。」
こころの言葉を思い出す。学校で聞いたのか、フェリーの中で見る天気予報で聞いたのか。



一日中、雨だった。
ときどき、雨の様子を窓から眺めていた。
雨は激しく降ったかと思うと、突然やみ、鳥の囀りが響く。
そしてまた優しく降り始める。ちいさな波が打ち寄せるみたいに。
降ったり、やんだり。
大きく、ちいさく。
激しく、優しく。
遠く、近く。
心地良い雨の音は繰り返された。


誰かが泣いてるみたいだなぁ。。。と、ぼんやり思う。
涙を落としてぽろぽろと。
何かを思い出すかのようにしくしくと。
そして、泣き止んだかと思うと、また激しく、揺れるほどに泣き始める。
あらゆる悲しみは、そうやって地中へとしみていくのだろう。




どこもかしこも濡れに濡れている。
わたしはいつまでも眺めていたいと思う。

雨の日は静かにしずかに世界が満ちていく。


2004年11月10日(水) 呪文

波の音がする。。。と思ったら、雨が降っている。
今朝はいつもよりちょっと早く目が醒めた。

お弁当を作り、こころを起こしてから、ぷーちゃんを外へ出した。
雨はもうあがったらしい。
まだ明けきらない空の真ん中で、大きな黒雲が散り分かれようとしていた。
その合間からは星がちらちらと光っている。
芝生はしっとりと濡れていて、やっぱり雨が降っていたんだなぁ・・・と思う。

朝食の後、こころをバス停まで送っていった。
家に戻り、ぷーと外を歩いた。
少し疲れていたので、もうちょっと眠ろうかな・・と思い左の耳たぶを触って、どきっとした。


ピアスが無い。。。


昨日、1年ぶりくらいにピアスをつけたのだった。
誕生石の特別なヤツ。
「おまじないかけといたんだよ。呪文、呪文!」なんて、昨夜こころに冗談で威張ったばかりだった。
―がっくしだ。

眠るときまであったのだから、と、ベッドの中や周囲を見回したが、どこにもない。
電気をつけて探す気にもなれず、そのままベッドへともぐりこんだ。
呪文かけたのがマズかったんかなぁ。。。と、馬鹿みたいなことを思いながら。



わたしは、久しぶりに海に来ていた。
水がそんなに冷たくないので内心驚いている。
このまま服を着たままでいいからちょっと潜ってみるかなー、と、沖へ向かう。
それにしても遠浅だ。
こんなに潮が引くなんて不思議ー、と、ひとりではしゃいでいる。
波がざざーーーーっと打ち寄せては、さささーーーーっと帰ってゆく。
透明な綺麗な海水だ。
光の輪がわたしの膝にも揺れている。

やっぱり泳ごう、と思い、カーディガンを脱ぐために岸へ向かった。
砂はどこまでも白く、ちいさな黒い砂利が波に洗われながら行ったり来たりしている。
あっ。。。
歩きながら、砂の中にオレンジ色のちいさな石が転がっているのを見たような気がした。
もしかして・・と手を伸ばすと、それはやっぱり失くしたピアスの片っ方だった。
信じられない、と思いながらも、見つけた喜びで思わず転びそうになる。
こんなの良く見つけたもんだなぁーーと、感慨深げに、ちいさなピアスを拾った。
呪文が効いたんだ、呪文はまだ生きている!
そう思っているところへ、背後から突然大きな波が打ち寄せ、わたしは思いっきり前へ倒れてしまった。
そして、ピアスを握っていた手が開かれ、ピアスはそのまま他の砂と一緒に流されていった。
あーーーちょっと待って、、、
腕を伸ばしたが、わたしは次の波に飲み込まれ、身体ごと持っていかれる始末。
さんざん、波に遊ばれ、ずぶ濡れになりながら立ち上がることも出来ないでいたら、遠くの方で誰かが笑っていた。
遠浅で、砂浜に立っているその姿はとっても小さくて、よく見えない。
でも、誰もいなかったはずなのに。。。



というところで、いきなり目が醒めた。
なんと、既に9時を過ぎていた。信じられない。

我ながらアホみたいな夢をみたもんだ、と思う。
(そもそも呪文なんかかけたのが間違いだったのか???←まだ言ってる)


2004年11月08日(月) 通過点

自由になるということは、責任を持つということ。
自分の行動に。言葉に。雰囲気に。
自由でいるということは、自立すること。
自分でしっかりと立っていること。
自分を尊重し、相手を認めること。
そういうことだと思う。
そうなりたい、と思う。


我慢することが良いことだとは思わない。
犠牲になるというのも、不自然。



心を込める。
なにごとにも。
そして、自分で決める。
いろんなことを。

自分が決める。
なんでも。


得る。
失う。
つかむ。
手放す。


流れる。

流れる。


2004年11月07日(日) こころが帰ってきた

フェリーに乗った。
大きな翼の鳥が海面ぎりぎりのところを飛んでいた。
彼は、ときにその両足を下ろし、海面から水しぶきをあげて、遊んでいる。
えさを採っているんだよ、と、近くで誰かが言ってたけれど、わたしは密かに、違うよ。。。と、思う。
あの鳥の気持ちがわかる。
すごいスピードで水を蹴る。何度も、何度も。その軌跡を見せるために。
もっと速く。角度を変え、場所を変え。
そして空へ飛び立つ。自分の影を見るために。海がその姿を見せてくれるから。
ほらね。あれは遊んでいるのだよ。と、わたしは勝手に決め付けて見ている。




時間があったので、本屋に寄った。
ハードカバーの本が死ぬほど好きなのだけれど、お金が勿体無いので、もっぱら文庫本ばかり買っている。
その文庫本を買うのからも最近遠ざかっていたのだけれど、本を読もう!と思い立ってからは、なんだって買いたい気持ちだから不思議だ。
欲しかった本を見つけ、その後は、そこいらの本をぼんやりと眺めていた。
目に飛び込んでくる本があったら買おう、と思って。
手に取り、棚に戻し、をくり返していくうちに、1冊の本が目に入った。
パラパラとめくり、作者を見る。
鹿児島出身。
単純にもそれだけのことに運命的なものを感じ、同じ作者の本を2冊選んだ。
文庫本とはいえ、この衝動的な買い方に、ちょびっとだけ罪悪感を感じる。
だけど、良いのだ。
今は多くの本を読みたいから。


レジに向かって歩いていると、「幸福になる方法」とかなんとかいう本を見つけた。
何万部も売れているらしい。知らない作者。でもわたしが知らないだけで、きっと高名な人なのだろう。
「幸福を自分のところへ引き寄せる方法を教えます!」などというようなことが表紙に書かれてある。

ふ〜〜〜〜〜ん。。。と、思う。
幸福ねぇ。。。と、思う。
引き寄せるねぇ。。。と、思う。
そして、
余計なお世話じゃぃ・・と、思う。



このような類の本に、わたしは非常に懐疑的だ。
違う。いろんなことに対して、わたしは懐疑的なのだと思う。
いつも、まずは疑う。冷めた目で。だから、何よ。という感じで。

「さぁ、自分に自信を持って!」と書いてあった。
自信なんてなくたって良いよ、と、変な自信を持ちながら、その本を戻す。


きっと、わたしはすごく傲慢なのだろう。
そして、根性がねじれているのだろう。


相田みつを氏の言葉も、正直なところ、最初は「嫌悪」に近いものを覚えた。(これは、以前にも書いたことがあったと思う)
こんなことを言うと、ますます、自分という人間が酷い人に思えてくる。

今は、そうでもない。彼の詩を読んで、
なるほどなぁ。。。と、思う。
すごいなぁ。。。とも、思う。
綺麗だなぁ、とも、ありがたいなぁ、とも、あぁそうだったんだなぁ・・・とも、思う。
素直に、素晴らしい人だったんだぁ。。。と、思う。
そして、一時的とは言え、嫌悪していた自分を恥じてもいる。


それでも、心はこう思っているのだなぁ。。。
「でも、自分で決めるからいいよ」
―それで良いような気もする。




夜の海はまったくの黒だ。
遠くの連なった灯りたちが、陸であることを示している。
こころが黒い海に浮かぶ白い波しぶきの写真を撮っている。
わたしが昼間したこととおんなじことをしているので、可笑しい。

ふたりで黒い海を眺めていた。
考えてることは、それぞれなんだろうけれど、こういうのって、良いなぁ。。。と、なんだかしあわせな気持ちになった。


2004年11月06日(土) 変化

こんな言葉を見つけた。
 
 ・・・

 私はうなずいた。
 “母が灯台としてあまりにこうこうと明るすぎるから、
 通りかかる船はみな混乱し、さまざまに奇妙な運命が寄ってきてしまう”
 というのを直感的に知っていた。
 ある種の魅力は、その存在のエネルギー自体がただひたすらに変化を求めるのだと思う。
 そのことに母はうすうす気づいていて、傷ついている。
 だから、言葉にしない。

                                  『アムリタ』 吉本ばなな

 ・・・

心に強く残った。

わたしは、過去にそのようなことを言われたことがある。
何人かの人に。
自分のことをそう思っているわけではないけれど。
だから傷ついてもいないのだけれど。


こうこうと光る灯台。
くるくるとまわる光。




2004年11月05日(金) きよらか

こころが長崎へ行った。
研修旅行というもの。
2泊3日。
なんでよりによってこんなときに・・・と、思ってしまった、駄目母。。。



「皆さん、おはようございます!」
先生が挨拶すると、それまでがやがやしてた女子生徒たちは姿勢を正し、口を揃えてこう言った。
「おはようございます。 『心 清き者は 幸いかな』」


この言葉、知ってる。
でも、誰の言葉かは覚えていない。聖書に出てくる言葉。

心清き者。

清き者。

心の清らかな者。。。。

少女たちは、意味を知って言っているのだろうか?
それとも、ただ、毎朝、反芻しているだけ?
うまく飼いならされた?もっと極端に言うと、洗脳された?
違う。。。そんな感じはしない。
少なくとも、彼女たちの顔は、そんな顔じゃない。


それでも、そのリズム正しい言葉を聞いたわたしは、思わず笑ってしまった。
端っことはいえ、仮にも、彼女達の目の前にいるのを忘れて。
不謹慎この上ない。でも、素直な気持ちでもある。。。
こころを含めた何人かの少女が、わたしを見て、悪戯っぽく笑った。
その笑顔。。。
敵わないなぁ・・・と、思うわたし。


わたしの目から見た少女たちは、それはもう清らかだ。
素直で、心開いてて、希望に満ちてる。
きっと(こころももちろんそうだが)、ひとりひとり、それなりの悩みはあり、その子の感じている世界は、暗く、辛いものであったりする
のかもしれない。自覚の有無、関係なく。


それにしても、清らかな心って、どんなだろう?
何かを信じて疑わないこと?
それとももっと身近なところでは、嘘をつかないこと?

・・・その言葉は、わたしの心に、聖母マリアを思い起こさせる。

聖母
Mother Mary
女神
その呼び名は、なんとでも。


清らかな心か。。。あーーー難しいなぁ・・・と思う。
清らかでいたい、と願う心は、もう既に汚れているから。
それとも、そう願うだけでも、まだ救いがあるというの?



こころはクラスメイト達と、それはもう楽しそうにけらけらと笑っていた。
あの子の毎日の努力は、このためなんだなぁ・・・と、しみじみ思う。
その姿を見て、あー清らかだなぁ。。。と、思った。


わたしは、たくさんたくさん、言葉には出来ないくらい、汚れてしまったけれど、でも、清らかな心に憧れる。
そうありたい、と今でも願う。


そんな、地べたを這う、ちいさな魂でいい。。。と、思う。
ちさき者でありたい、と、思う。。。


2004年11月04日(木) 自由

「宮崎方面」と、大きく書かれたボードを背中にしょいながら歩いている男の人がいた。
どうしよう。。。と一瞬迷ったが、通り過ぎるときにちらりと見ると、まだあどけなさの残った顔をした少年だったので、車を停めた。
なんとなく。危険ではないだろう、と思って。

こころが駆け寄って「志布志までですけど、乗りますか?」と聞くと、彼は嬉しそうに「ありがとうございます!」と答えていた。
長いカーブの手前のほうだったが、後方にずらりと車が並び、ちょっと申しわけなく思った。
少年は、あまりにも長い間、歩いていたからだろうか。手足が思うように動かないのか、乗り込むのになかなか手間がかかった。


少年といっても、たぶん19・・・或いは20.。。いっても21くらいかな?
半袖のTシャツに短パン。出している両腕、両脚、もちろんその顔も真っ黒だった。

「ありがとうございます!よろしくお願いします。」
そう言いながら、彼は後部座席に座った。
荷物は大きなリュックひとつに、なにやらいろいろと入った手提げ袋が二つ。

彼が車に乗り込むと、
もわー。。。と、土か砂・・・埃かな?そういった大地の賜物がお日さまに照らされ、それが汗と混じったような、
そんな匂いがした。とても力強い、それでいて、優しい、懐かしい感じの。


志布志へ行くまでの間、彼の放浪生活を聞いた。
千葉を出発し、ヒッチ・ハイクをしながら本州、九州へと入り、つい最近までは沖縄で2ヶ月間、滞在していたという。
そして、昨日、鹿児島へと入り、今日は本州南端の佐多岬まで行ったらしい。もちろん、歩き&ヒッチ・ハイクで。
「結構、優しい人がいるもんで、乗せてもらえるんです。」と彼は言った。
彼のなかでは、わたしもその「優しい人」のうちのひとりなのだろうか。


彼の話は聞いていて、とても面白かった。
特別に話が上手いわけでもないのだが、彼がとても素直に喋るので、聞いていて、嬉しくなるのだ。
「沖縄の人って。。。なんていうか・・・湯船に浸からないんですよね。。。」
わたしが奄美大島出身だということを聞いた後だったせいか、彼はちょっとだけ遠慮しながら言った。
「え???そうなの???」
そう聞き返しながら、・・・あーーーでも、わかるかも。。。と、思ったりした。
島っちゅは往々にして「面倒くさがり」だから。
特に夏場だと、暑いのに、わざわざ熱い湯船に浸かろうとは思わないかも。
シャワーでいいや、と思ってしまうかも。
どうだろう?よくわからないけれど。

「お世話になった、どこの家でもそうだったんです。だから、ちょっと意外で。。。湯船が恋しいな、とか思っちゃいました。」
そんなことを言って笑っていた。


彼は来年は、アメリカへ1年間、留学するそうだ。
なんの勉強をしてるのか、とか、どこの大学なのか、とかは聞かなかったけれど
「すごく良い経験になると思うから、是非、行ってらっしゃい!」と、エールを送った。
「そうですよね!」彼は心から嬉しそうに答えた。来年まで待ちきれない、といった感じだった。



志布志に到着し、日南方面と書かれた標識の辺りで、車を停めた。
彼は車から出て荷物を降ろし、ごそごそと何かを取り出して恥ずかしそうに言った。
「これ・・・くずれちゃってて申しわけないんですけど、乗せてくれたお礼です。本当にありがとうございました!」
そう言って手渡してくれたのは、沖縄の『ちんすこう』というお菓子だった。
本当に、形がわからなくなるほど崩れてしまって、粉だらけだったので、袋の名前がないと、わからないくらいだった。


彼を見送りながら、身軽なことっていいなぁ。。。と、しみじみ思った。
自分のちいさな決断ひとつで、どこへだって行ける。なんだって、出来る。


でも、それは彼があの歳だから、とか、そういうことではないように思う。
もちろん、ある程度歳を取った大人には、家庭があり、社会的な立場があり、いろいろな役割がある。
その中でも、人は皆、自由であるはずなのだ。
精神の自由。

物理的なものでなく、精神的に「身軽」であれば。。。

帰り道、そんなことを考えながら、わたしもひとつひとつ、はずしていけるといいなぁ・・・と、思った。。。


2004年11月03日(水) 大事に

今このときを

大事にしよう


昨日は死んだ

明日はまだ先


生まれる一瞬

ただそれだけを


大事に

丁寧に


2004年11月02日(火) 前兆

先週の木曜日。落雷のような流星を見た。


夜明け。
北の空。

何気なく見上げた空にピカッと青白い光が走り、それはすぐに橙色に膨らんだ。
かと思うと、光はまた白く輝きながら一本の線となり、ツーーーッと落ちていった。
そして、再び閃光の如く光り輝いた後、雲の中へと消えていった。

胸がどくどくっと鳴った。
飛行機が落ちたのかもしれない、とさえ、思った。それくらい、強い光だった。

けれども辺りは朝の静寂に包まれていた。
前を行くぷーは全然気付いていない。
遠くで鶏が鳴いた。
東の空に明るい星ふたつ。
黒い木陰。
何層にも見える雲が静かに薄く伸びていた。




昨夜。散歩の帰り道。
ぽっかりと月が上ってくるのを見た。
夕焼け空のあかね色のよな月。

十九夜。臥待月。
かなり欠け始めているのに、すごく大きく見える。


思いがけなかった。嬉しかった。心がとくん、とした。
なんだか得した気分。
誰かに伝えたかったけれど、辺りには誰もいない。
もちろん、ぷーは知らん顔。


  ・・・


『必要なすべてのものはあるべきところにあります。
ただ、ここに、たったひとつの稲妻を。
それだけをわたしは待っています。』



揺れる水面がやがて静まるように
どうかこの心も
わたしの平和を取り戻しますように。


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