ぶらんこ
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非難することよりもっともっと大切なことがあるのではないか。 そんなことを言うのは甘い?
―ならばわたしは、甘ちゃんのままでいい。
生きるも
死んでいくも
いのちはそれぞれ
平等に尊いものだ。
笑うときには 大口あけて 怒るときには 本気で怒る 自分にうそがつけない私 そんな私を私は信じる 信じることに理由はいらない
地雷をふんで足をなくした 子どもの写真目をそらさずに 黙って涙を流したあなた そんなあなたを私は信じる 信じることでよみがえるいのち
葉末の露がきらめく朝に 何をみつめる小鹿のひとみ すべてのものが日々新しい そんな世界を私は信じる 信じることは生きるみなもと
詩:谷川 俊太郎
・・・
こころの学校で合唱コンクールがあり、出かけて行った。 先の詩は課題曲。 彼女はこの曲の指揮者を務めた。 壇上へ上るのを思わず忘れそうだったが、無事に大役を果たした。
うたは祈り。。。心からそう感じた。
歩くのがまだまだ困難だ。
「歩くのが」と言うより、「地に足をつけているのが」と言ったほうが正しいかもしれない。 街灯に両腕をまわし、わたしは街の様子を眺めていた。 近くでは、映画の撮影なのか、カメラや照明を持った人々がたくさんいた。 そのうち、あの空間の中央に、役者らしき人物が歩いてくるのが見えるのかもしれないな。 他の人々は、そんな様子を気にすることもなく、思い思いに街を歩いていた。 駆けている人もいた。 縁石に腰掛けている人もいた。
いろんな人(?)がいた。 変わった動物のような人(或いは宇宙人なのか?)もいた。 楽しそうにしている人、忙しそうにしている人、静かにしている人、いろいろだった。
空は、雲が灰色に垂れ込め、ずっしりと重い感じだった。 建物のあちこちに掲げられた旗が、小さな風を受けながらたなびいている。 どこの国なのだろう。旗は、赤と黒と緑のストライプに何やら絵が描かれていた。 建物は石で出来ていた。 道路も石が敷き詰められて出来たものだった。 あちこちに植物が植えられ、大きな木もある。 古い街なのだと思う。 懐かしいような気持ちにさえなった。
「あのさ、きみが思っているよりも、きみは上手く歩けてるよ。」 わたしの連れが優しく言った。 彼はわたしの半分くらいの背丈で、いつもわたしと一緒にいる。 いつからそうなったのか、自分ではよくわからない。 あまり気にしたこともなかった。彼に話しかけられ、あらためて彼の存在を思い出したようなものだ。
彼は人に近い姿だったが、眉毛がなかった。髪の毛もなかった。たぶん、体毛というものがないのだろう。 けれども、大きな黒い瞳が美しい子だったので、まつげはあったのかもしれない。 年齢はわからない。聞いたこともない。わたしよりも年上だろう。軽く100歳は超えているような気がする。 でも、背が随分低いので(それに綺麗な顔のせいか)わたしは彼のことを、ついつい子供のように思ってしまう。
「まだ『歩く』と言うには程遠いよ。」 わたしがそう答えると、 「それはきみの能力なんだから。きみはもっと自信を持つべきだね。」と彼は言う。 「『歩けない』能力?なんだか笑える。。。」 わたしが力なく笑うと、 「違うよ。きみの能力は『歩けない能力』じゃぁない。『飛ぶ能力』と言ったほうがいいね。」
飛ぶ???何を言ってるんだろう・・・。 そう思ったのに、わたしは次の瞬間、こんな言葉を口にしていた。 「『飛べる』じゃないでしょ。『跳べる』でしょう。大体にわたし、どこまでも飛んで行けたことなんかないじゃない。」
「どこまでも飛んで行けますよ。あなたがそう望めば。 いいですか。 あなたの能力は、「垂直抗力をコントロール出来る」というものです。それはあなた自身、ご存知な筈です。 この惑星の人たちで、それを出来る、いいえ、覚えているのは、残念ながら、わずかです。 実のところ、それを「覚えている」ということこそが『能力』と呼べるのかもしれませんが。」
なんで急に口調が変わってんのよ・・・。そう思って彼を見ると、
「あなたが変えたんです。 きみが変えたんだよ。 いいですか。どっちもわたしです。どっちだっていい。 どちらも、『あなたを通して話している』僕の言葉です。 あなたが感じるとおりの『僕』だ。」
わけがわからない、、、。
ショーウィンドウに自分の姿が映っていた。 相変わらず街灯にしがみついている。馬鹿みたいだ。 脚がやや細く見えた。腫れがいくらかひいたのかもしれない。 けれども、相変わらず両膝と両足関節が不恰好に腫れていた。 左のくるぶしには、大きな潰瘍が口を開けている。痛みがないので、余計に悪い。 なんでこんなことになったのだろう。ちゃんと洗浄しなくちゃ・・・皆が怖がっちゃう。。。 わたしは、ちょっと腕の力を緩めてみた。 大丈夫。 まだちゃんと立っている。
「ちょっと歩いてみる。」 わたしは彼にそう言って、意識的にゆっくりと歩いた。 地面から右足を離すと、すぐに体が浮く感じがしたが、まだ駄目・・と、それを抑えるように集中した。 右足、左足、右足、左足。。。 案外大丈夫そうだ。もうちょっと小股で自然に歩いてみるかな。 交互に足を出す、とか意識せずに?
と、いきなり体が浮いた。 ヤバい。 集中、集中。 あーーーもういい! ちょっと遠くまで行く!
わたしは上空まで高く跳んでみた。なんてことはない。やっぱり、まだまだ歩くのは困難だ。。。
「で?どこへ行きたかったか、きみは思い出したんだね?」 いつの間に、彼はわたしのすぐ横を飛んでいた。「飛んで」いた。 「うん。でも、あなたには言いたくない。秘密。」 すると彼は、にっこりと笑った。 「さっきも言ったとおりだよ。僕は『きみを通して』話してるんだ。 つまり、きみの行きたいところには、必ず、僕も、いる。」
ちょっと・・・そんなの、、、困る!
―と、いうところで目が醒めた。
なんという夢だ。現実があちこちに混在している。。。
なんだか、どっぷりと、疲れた、、、
最近、お弁当の出来栄えに満足してしまう。 なかなかじゃないかぁ〜。。。と、ひとり、ほくそえむ。 でも、こころのクラスの子たちのお弁当を見たら、きっともっともっと、美味しそうでお洒落な感じなんだろうなぁ、とも思う。 見たいよな、見たくないよな。。。
母のお弁当ってどんなだったろうなぁ・・と思い出してみる。 よく思い出せない。 というか、彼女が食事を作るのは、正月の『三献(さんごん)』くらいだったように思う。
我が家の食事は、長女から順番に4姉妹で作っていた。 当然のことながら、末の妹であるわたしは最終的な食事係で、それは家を出るまで続いた。 いや、今でも実家に帰って食事を作るのは、このわたしなのだけれど。
母は仕事ばかりしていて、食事を作る暇などなかった。 寝る間も惜しんで仕事していたくらいだ。 今でも覚えているのだけれど、わたしが晩御飯を作り、もう少しで仕上がる、というときに、母の仕事場へ呼びに行った。 母は近くの紬工場で機を織っていた。 わたしか、弟が母を呼びに行くと、母はキリのいいところで仕事を中断し、家へ帰ってきた。 そして、皆で一緒に食事をする。 母は食後に少し眠り、そしてまた仕事へと戻っていった。
わたしたちは、母のことを、とても尊敬していたように思う。(変な言い方だけれど。) 母は、立派な『家長』だった。 母のためには、特別な献立さえも存在した。 たいしたものじゃない。 例えば、カレーを作ったとする。子供達はもちろんカレーを食べる。 でも、母のためにはカレーを作る際、途中で材料を小分けして、豚汁にしたり、或いは、煮込みうどんにしたりした。 なぜそうなったのか、よく覚えていない。 母が、「カレーを嫌いだ」と言ったわけではない。と、思う。 なぜなら、母は今、カレーを喜んで食べるし、驚いたことに揚げ物とかも好きなのだから。(最近まで知らなかった!)
どうしてあの頃、母のためにわざわざ特別に作っていたんだろう・・・と、不思議でならない。笑
わたしたちは交代で(じゃんけんの時もあった)茶碗を洗い、母のために寝床を準備して、先に眠った。 母は夜中近くに帰ってきて、眠った。
朝食はいつもパンだった。 朝になって、誰かが買いに走らされた。もちろん、わたしか弟が多かった。 菓子パンを人数分買ったりした。今考えてみたら、なんとも不経済だ。。。 食パンは古いトースターでトーストして食べた。 サイドにツマミがあって、それを下ろすとパンが焼ける、というやつだ。 触るとビビビッと手が痺れたりして、なかなかスリリングだった。漏電してたんだろうか?不思議だ。。。笑
子供の頃に痩せていたのは、栄養不良だったのかなぁ・・・と、今になって思う。 当時は自分が痩せてるとか、太ってるとか、そういった感覚もなかったのだけれど。
美味しい食事をいただける、ということはしあわせだ。 いや。 食事をいただいて、美味しい・・・と感じることは、しあわせだ。 美味しい食事になりますように、と願いながら食事を作れる、ということもしあわせだ。
食することって、基本的にひとをしあわせにするものだなぁ・・・と、最近、つくづく思う。。。。
2004年10月20日(水) |
I'm giving up |
Is that really what you want?
去年の夏、ちぃさな島へ行ってきた。 なーんもないところで、昔なつかしい、素朴な、かつてのわたしの島を思い出させてくれるような、そんな島だった。
朝に夕に、浜を歩いた。 昼間は、海を見ながらうたた寝をした。 とんびが飛んでいた。 迷い犬が散歩していた。 夜になると波の音が絶えず聞こえてきた。 波の音を聴きながら、ぐっすりと眠った。
夏が終わる頃に、海の絵を描いた。 その一枚を描いているとき、とてもしあわせな気持ちに満たされた。 楽しくて嬉しくて、こどもに戻った気分だった。 色を塗っては消し、違う色を塗り、また消して・・・。 モニターを見ながら、マウスでカチカチと絵を描いた。 時間がばかみたいに過ぎていった。 絵を描いているときは、自分の魂もまた、海へと戻っていくようだった。
仕上がるといつも真っ先にこころに見せた。 こころは、へなちょこな絵をいつも心から賞賛してくれた。 へっぽこ絵描きはついつい気を良くして、次の絵に取り組んだ。
絵が増えてきた頃、ちいさな言葉を添えた。 「海の画帖」という名前をつけて、へなちょこギャラリーまで開設してしまった。 勘違いはなはだしいかな・・・とも思いつつ、でも自分のサイトだからやりたい放題だった。 どうせこんなところ、見る人もいないだろう・・・と思ったりもして。
そんな「海の画帖」が素敵に変身した。 わたしのへなちょこ絵が、言葉が、まるで誰か別のひとのものみたいに思える。 ひとそれぞれの感性って、素晴らしいなぁ・・と思う。
時間をかけて創ってくれた友人に心から感謝したい。
海の画帖
*ご意見・ご感想をお聞かせくださると嬉しいです。 よろしくお願いします。
Life is always interesting never boring.
おばあさんになってしまって
眠ってばかりいる
耳がよく聞こえなくなった
おトイレにも間に合わないことがある
ご飯もあまり食べられない
歩くのもやっとこさで
散歩にも行けなくなった
薬をあげると吐いてしまう
薬をあげないと死んでしまう
お医者は言った
「安楽死 ト イウ ホウホウ モ アリマス」
はなは今
天国へ行く準備をしている
はなのいのちは
はなのものだ
「悲劇などはない。 あるのは不可避な出来事だけだ。 すべてはそうあるべき理由を持っている。 お前は一時的なものと永続的なものを区別するだけでいいのだ。」
「一時的なものとは何ですか。」
「不可避なことだ。」
「では永続的なものとは?」
「不可避なことから学ぶことだ。」
『第五の山』 パウロ・コエーリョ
最近こころが変わった。ように感じる。
彼女がわたしに「ありがとう」と言う。 もちろん、これまでもごくごく普通に言われてきたし、特に回数が増えたわけでもない。 ただ最近、彼女から「ありがとう」と言われるときに、何か特別なものを感じる。 それはたぶん温度のようなもの。かもしれない。 きっと心を込めて言ってくれてるのかもしれない。 どうしてかはわからないけれど。。。いろいろと彼女なりに伝えたい想いがあるのだろう。 だからわたしも、心を込めて(ちょっと驚きながら)「どういたしまして」と応える。 「ありがとう」 「どういたしまして」 "Thank you." "You are very welcome."
自分の世界ってどんなだろうなぁ・・・と思うときがある。 まだ自分でもよくわからない。 でも、こころにはこころの世界があり、わたしにはわたしの世界がある。と、思う。 そして、自分でもよくわかっていない自分の世界を、彼女にわかって欲しいとは思わない。 また、わたしだって彼女の世界を知らないし、永遠にわからないのかも・・とも思う。 それでも、尊重することは出来ると思う。大切に思うこと。 良いも悪いもなく、お互いがお互いを認める。
真夜中にこころとふたりで歩いて帰った。 星が空いっぱいに張り付いていた。 とても綺麗な夜だった。
あの星たちのように、わたしたちふたつの世界も、くっつくことはなく離れることもなく、 それぞれがそれぞれ、輝いているといいなぁ・・・と、思った。
霧島 「風の見える丘」
・・・女性は山に登っちゃいけない って 高名な誰かさんが言ってたけれど そんなことはないでしょう・・・
高いところへ行くと遠くまで見渡せる。
何かに行き詰まったとき、山へ登っていくように 意識を少しずつすこしずつ薄めていって 自分が今まで見てたことを、ものを、遠くから見てみる。
「精神を高める」と言うには まだまだ遠いけれどね。。。
どちらか一方だけなんて この世界には存在しない
良くもあり 悪くもあり
まっすぐで 曲がってる
目をつむり 目をこらし
汚れた手で 水をすくう
のんきでいて おくびょうで
迷いながら 求めてる
情熱と 静けさ
みんな違ってて さほど変わらない
夕方から雨。
台風が過ぎてから ようやくの雨降り。。。
おひさまみたいな
つきみたいな
大好きなひとが遠い国へ行ってしまう夢を見た。 わたしはそのひとを見送るために空港まで来ていた。 ロビーには大勢のひとがいて、彼と話をするどころか、近くへ行くことも出来なかった。 ほかにも知っているひとが何人かいた。 けれども、誰とも言葉を交わさなかった。 皆、笑っていた。 わたしもぼんやりと笑っていた。
わたしは彼からの手紙を読みながら、遠くから彼を見ていた。 手紙の内容は彼らしい言葉で綴られていたのだけれど、随分と立派な便箋にプリントアウトされていて、 彼が今ではとても偉い地位にいることを感じさせた。 もう草そりなんかに乗って一緒に遊ぶことはないのだろう。 馬鹿みたいに笑って。帽子を飛ばして。どこまでも続く青い空で。
でも、それはそれで良いことのように思えた。 手紙には、「緊張するまでもないけれど、面倒ではある」といったことが書かれていた。 「連中がわかってくれるかどうか・・・天にまかせるしかないね」とも書かれていた。 わたしは彼の仕事のことをよくは知らない。 でも、きっと何もかもうまくいくだろう。 わたしは、いろんなことをわからない人間だけれど、そういうことはわかるのだ。
そうこうしているうちに彼らは皆、搭乗口へと誘導された。 ちらり、と目が合ったような気もしたけれど、違ったかもしれない。 とにかく、わたしは何も話さないまま、そのひとを見送った。 悲しいような、特別なんともないような、変な気分だった。
帰ろうかと思ったところへ、3人の老人がやってきた。 わたしを見るなり何やら話しながら、わたしの傍までやってきて、どやどやと隣に腰掛けた。 ―耳が遠いのだろう。 彼らは大きな声で話をはじめた。これからシアトルへ行くらしい。
「もう寒いんでしょうね」 わたしがそう話しかけると、ひとりの老婆が目を大きく開いて言った。 「え?あなた、シアトルのどこにいた、って?」 「いいえ。シアトルには行ったことはありません。ただの想像です、寒いだろうなって思って」 おかしなことを言う子だ・・・そんな顔で見つめられた。 説明すると尚のこと話が混乱しそうだったので(それにわたしの英語はそんなに上手ではない)、わたしはただ笑ってみせた。 「あなたも一緒に来るといいのよ。だってシアトルにいたんでしょう」 さっきと別の老婆がそう言って笑った。 わたしは「ええ、そうですね」とだけ応えた。
しばらくして3人は搭乗口へと誘導された。 「車椅子でないと行けないわよ。中は広いんでしょうね」老婆たちはそう叫びながら奥へ進んで行った。
あの飛行機がシアトル行きだったのかどうか、わたしにはわからない。
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