プープーの罠
2004年11月26日(金)

ツマラナイの品質

ペットの散歩(=ネットゲーム)
に精を出している。

ペットの感情は
嬉しい

悲しい
しかない。

散歩中、
その場に居合わせた人、
通りかかった人に向けて
嬉しい顔をする
と、嬉しい顔がぽこぽこと返ってくる。
悲しい顔がいても楽しい。
そうするとみんな一斉に悲しい顔をする。
嬉しいにも悲しいにも理由なんてない。
会話にも満たないごく原始的な
コミュニケーション
がそこにはあり、それから
ツマラナイことをとめどなく話す。
メンツはいつもバラバラ。
よく見かける人、それっきりの人
約束なんてなく、自然と集まっては散る。
そういう実のない状態が楽しい。
メインはあくまで散歩であり、
会話はおまけでしかない。
少なくとも私には。

そんな中でも何度か話すうちに
気が合う人というのもできるもので、
年の近い同じ職種の女の子、
散歩中に出くわさずとも
直接遊びに行き会うようになった

ところに、たまたま彼女の友達
だという男がきて
人生相談にのってやる的
彼女に近況を根ほり葉ほり聞いていた。

男は諭すように言う。
「国民年金より厚生年金の方が
 いっぱいもらえるんだぞ
 一時的な高収入に目がくらんで
 馬鹿な働き方をするのは辞めろ」

ごくごく普通の人というか、
20世紀の凡人思考、
周りにはいないというより
お近づきになりたい
と思うような魅力
的要素がまったくない
タイプである。

いい高校に行くために受験勉強して
いい大学入るために受験勉強して
いい会社に入るために就職活動して
いっぱい年金もらうために働く。
それがすべてか?
ゲームの中ですらも。

ツマラナイ人だなぁと思う。

2004年11月24日(水)

奇 遇

新しい仕事が入り、
プランナーと打ち合わせ、
タッグを組むプログラマの名前を聞き、
話をしに行きます。
その相手は私を見るなり
あっ
という顔をし
私もきっとそんな顔をした。
鳩尾の人であった。

あれはいつのことだったっけ。
大分期間があいているのは確か。

今さら
 あの時はすみませんでした
なんて言って
あの時なんてゆう親しげ
な言い方は果たして有効なのか
さらには
 あの時って?
なんて尋ね返されたりしたら
鳩尾を…と自らハッキリ掘り返
さねばならなくなります。

とりあえず
なかったことにして
仕事の概要とスケジュールを伝える。
 大丈夫そうですか?
と確認すると
彼は2、3回曖昧にうなづき
 そうだねぇ
と呟く。
それが了承の返事なのか
接続詞としてとりあえず発せられたもの
なのか分かりかねた。
プログラマやシステムエンジニアには
比較的風変わりな人が多い。

 浅田さんと仕事
 とは嬉しいです。

彼はそう言って くるり
と机に体を向けた。
病院の診察で「お大事に」
と締め括られる感じに似ていた。
社交辞令的定型挨拶
なのかそれとも
皮肉
なのか、よく
分からなかった。
 よろしくお願いします
と頭を下げ、私も席に戻る。

2004年11月23日(火)

歪んだワールドワイド

相変わらずネットゲームをしている。

RPGではないし特にストーリー性もない
ペットを飼うゲーム。
エサを買い、家を買い、
食事とトイレの世話をし
散歩に行かせる、時々他の飼い主と話す、
至極 シンプル なもの
であるが、実社会をそのまま凝縮した
ような社会がそこにはできあがっていて、

ただ世話をしている人
友達を探している人
家の装飾に凝る人
仲間を集って仕切る人
ペットを自慢して回る人
ペットをエサにして飼い主をナンパしてる人
お金を乞う人
餓死しそうなペットにエサを与えて回る人
エサを転売して商売をしている人
言葉巧みに相手を騙してお金をせしめる人
戦闘が好きな人
ペットを飼っては殺すのを楽しんでいる人

"できあがっている"というには
あまりにも未熟でモラルに欠けたものではある
けれど、ともかく、それは存在している。

そして、それを構成している
このゲームの主なユーザーは
小 学 生
であり、 学校 で作り方など教わらなくとも
個人が集まれば社会が形成される
というのはもはや自然現象なのだ。

大半の「教師」という人たちは
教育大学に入り、教育実習をし、
免許を取得して卒業すると学校に勤める。
お金を払って教わる立場から
お金を貰って教える立場へ
という変化はあるけれど、
"学校"以外の社会を知らない、
とても強引な言い方をすれば
上級生が下級生に勉強を教える
という行為をビジネス化
しているようなものであり、

たとえばあれは中学時代のこと、
尾崎豊に憧れていたちょっと悪
ぶってた新卒のアツ〜イ先生は
いつナンドキでも生徒の肩を持ってくれて
生徒からは絶大な人気があったし
13,4歳だった生徒からしたら

僕たちを理解してくれる唯一の大人

であったけれど、自分が
それと同い年、あるいはそれより年上
になった今、思えば彼は

大きな子供だったのだな

などと思う私は社会の擦れっ枯らしでござい
ますがとにかく、学校は鎖国された社会であり、
学校から出たことのない先生が語る"社会"は
空 想
に近かったように思う。

話が逸れましたが
今どきの子どもはパソコンを扱える事なんて常識、
先生の 絵空事 など聞かなくともネットを使い
自分の欲しい情報を手に入れる
ことができる

所詮
経験したわけではない情報知識
なのには代わりはないのですが。

そうして自らの意思で属した この 開けている
ようで閉じているイビツな社会で、小学生が
しかも両手だけで数えられるくらいの年齢の子供が
「お金をあげるから友達になって。」
などと言っているのを見ると
友達はお金で買える
なんていう病んだ経験を重ねるくらいなら
分別がつくようになるまでは
閉じた社会で 夢見がち なことを信じている
という経験こそが必要なのかも知れない。

なんて、何が言いたかったのか
分からなくなってきましたが、
もし私に子供がいたとして
そしたらこんな社会には晒したくない
ものだとつくづく思った次第です。

2004年11月22日(月)

同じ空の下に今存在しているという奇遇

思い出した
ようにオオサトさんから連絡が来て
鳥料理を食べに行くことになる。

オオサトさんは取締役になった
そうで、すごく昇格した
ように聞こえるけれど今まで
役職名が曖昧で何となく総括と言っていた
ところに正式に肩書きがついた
というかんじだ。

「ところで引っ越しはどうなの?」

私は取り立てて引っ越しの話を熱心にした
覚えなどは別にないのですが、オオサトさんは
何かと引っ越しの話題に触れる。

「したいとは思ってますけどね。」
「思ってるだけか。」
「そうですね。」
「テレビは買った?」
「引っ越す時に買い直します。」
「DVDは?」
「それも。」
「でも予定はないんでしょ?」
「えぇ。でも、テレビが壊れててもDVDが見られなくても
困ったことないですから。」

「俺、今もうひとつ部屋借りようと思っててね」

家から通うのが遠くてね。
と、彼は言った
が、遠いというほど遠くはなく
通勤には各駅停車で30分、都内でそこそこ
人気のある閑静な住宅街である。

「2部屋借りる
くらいなら都心に1部屋
の方が安いでしょう。」

私は何かと引っ越しの話題を打ち切る。

ハシゴして出た外は寒い。
イルミネーションが点り始めた街なかはクリスマスの色
というと赤か緑な印象だけれど今年は青が主流らしい
としてもこの浮ついた華やかな感じはクリスマスにしか見えない。

さて次はどこへ行こうか?
明日は休みだしと手を引くオオサトさん、
もう帰りましょうと言う私、
じゃあタクシーで帰ろう
まだ電車ありますから、と駅で別れる。

特に意味があるわけでもないけれど
私はここのところ、飲むのを抑えている。


駅を出てしばらく
したところで女の人に呼び止められる。
物腰的には キャッチ というより 手相、
見れば見覚えのあるカオ
名前を呼び返すと
人違いだったらどうしようかと思った
と、彼女は破顔した。
何年振りでしょうか、
かつての飲み友達でした。
すごいタイミング
再会。
近所に住んでるみたいです。

2004年11月19日(金)

カミナリワーカー

車の運転をすると人が変わる

かは、今のところ分からない、
なぜなら運転したことがない。

仕事となると人が変わる

ということには私自身 自覚があり、
神経質なまでに合理主義で潔癖になる。
仕事のできない人はとにかく嫌いで
そこは人情などというものは存在せず
使えないものは即座に見限る。

「浅田さんはA型ですか。」

などと、イライラする
くらいおっとりしたライターが
恐る恐る聞いてくる
くらいであり、

お嫁に行き遅れたヒステリックなお局さま
で浮かぶ人間像そのままが
きっと社内から見た私のイメージだ。

十中八九、29歳くらい?と言われる。
気を遣って若めに見積もった上でのこと
だろうからまず間違いなく30代だ
と思われているのでしょう。

仕事以外では
基本的にはぼんやりしていて
おっとりもっさりしている。
知らない人にはヘラリとしている。
というか、仕事をしていない
私は 抜け殻 である。

2004年11月18日(木)

雨戸からのぞき見る景色

嵐は去って、
猪口さんのプロジェクトは解散、
みんな金曜と月曜は代休となり、
火曜の祝日まで合わせて5連休だそう。
結局 6割方のデザインを私が担いました
が、私は出勤です。
派遣ですしね。

猪口さんも代休
と称して12月上旬までお休み、
約3週間、17連休、
欠勤日数にして10日、
月の勤務日数のまる半分、
有給のない契約社員
が。

いなくなるのは平和で良い
ことですが、ちょっと
休み過ぎじゃねぇのか?
図に乗りすぎじゃねぇのか。


基本的にフリーランスの集団
みたいなこの会社、
責任者や上司は存在こそする
ものの、責任は各自であり
だから、遅刻しようが失敗しようが、
怒る人がいない。

結果だけが全てで、そのプロセス
なんてものはどうでもいい
のかも知れないけれど、
実際のところ、

会社にいるべき時間
に いない ことによる
外部との連絡のとれなさ、
メンバーとの情報共有の欠落、
(いなくてもいい時間にいる光熱費のムダ)
"みんながそうだから、という妙な協調性"で
本当の協調性を捨て、時間軸がずれ続ける
悪循環スパイラル。

社会人としてだらしがない

んじゃねぇか?などと思うのは私が
テレビを見ながら
「志村!うしろ!」
なんて言っているような立場
にいるからなのでしょうか。

2004年11月17日(水)

考える時間を日々の糧にして

今日は更新当番。

プログラミングで自動更新する
ほどではないイレギュラーなweb更新、
日付の変わる瞬間、夜中の12時
きっかりに更新をする。
キャンペーンの〆切とかがそれにあたります。

仕事の主な内容は
待つ。

定時は19時です。
それから5時間ただ
ぼんやりと時間を食い潰し、
とめどなく考える。
働くとはどういうことなのか
堂々巡りは続く。

30秒で仕事は終わる。
ひんやりとした空気の中、少し走る。
座っているだけ、疲れを知らない肉体
に心地のよい筋肉の萎縮を感じる。

働くとはどういうことなのか
堂々巡りは終わらないまま。

2004年11月11日(木)

糸の関係

彼女とはネットで知り合った。
私が当時やっていたサイトの常連であった。

たまに彼女が送ってくるメール、
サイトについての感想でしたが、
5通に1度くらいは返事を出し、
ある時、行きたいイベントがあり、
そのことをサイトで話題にした
ときに、彼女から
『ちょうど私も行くので』
とメールをもらい、それで会ったのが最初
だったか、まぁそんな感じの、
サイトをやっていた私にとって
さして珍しくもない知り合い方であった。

以来、イベントの度に
先回りして誘われるようになり、
まさに行こうと思ってるんですもの、
そりゃ行きますよ
そうして 会う というより
一緒に行動 したのが何度か、
それが数年に渡り続いて、

そう 振り返ってみれば
長い付き合い
ということになりますが
ただそれ だけ であり、
糸のようにごく細い付き合いである。

常連というものは いつもいる
という だけ のことで
イコール友達
とは限らないし、その存在を
管理人がどう思っているかは
また別次元の話であり、

私は無闇に親友ヅラで知った風にされるのは
少なくともいい気分ではなかったし
ある日とてもイヤだと思った。
だからサイトをやめて、誰にも教えずに
レンタル日記に引っ越した。
大方の人はそのまま縁が切れたけれど、
私はそういう付き合い方を選んでいる。

その時も彼女はわざわざ
傷ついた
と申告してくれ、私はそれを無視したが
彼女のメールの頻度は以前よりマメになった。

それで、これで。

私から連絡をしたことがない
ので、私からしたら、それでも表面上の
関係は何も変わってはいないわけですが、
数カ月経った今、彼女はこう記した。

「死ね」と言われた気分だった。
以来、人にメールをするのが怖くなった。
リハビリをして最近やっとちょっとずつ
またメールができるようになった。
もしも私に悪いところがあったなら
ちゃんと言ってほしかった。
そうしたら直す努力だってできたのに。


傷をつけたことは承知である
けれどこう言ってもきっと
分かりはしないだろうけれど
私には悪意はなかったし
嫌いだから言ったわけでもなく、
ただシンプルに「合わない」だけのことだ。
この噛み合わない誤解もそれを証明してる。
そして、嫌いだと誤解された
ところでわざわざ弁解するほど
私にとって彼女自身の存在は大きい
ものではなく、また、どう
思われても一向にかまわない。

私の何に執着している?
幾度となく私の態度に"傷つけられ"て
何故それでもしがみつく?

それだけお手軽に友情を形成
するのであれば友達なんて腐る
ほどいるでしょう。
リハビリになるような優しい
メールをやりとりしてくれる
人がいるのでしょう?

ほつれても途切れても裁ち切っても結び直される
この糸の関係はひょっとしたら
すごくすごく貴重なものかも知れません。
けれど、これが小判であったなら私はネコであり、
真珠であるならば私はブタである。

2004年11月10日(水)

隣の芝生は刈らない

隣の猪口さんは未だに大わらわ
〆切は今週の頭だったハズ
なのですが、ずいぶんと押してる様子です。

先日、休日出勤を了承して以来
"時給労働者に割増賃金を支払う"タガ
が外れたかのように残業、残業。
タクシーで帰るのも日常
の一部となりつつありまして
それ自体は別に構わない
のですが、猪口さんの手伝い
というところが解せない。
手伝って終わりが早くなる
事はなく、なぜなら
猪口さんの睡眠時間が延びる
だけだからです。

本来、プランナー、コピーライターは別にして
デザイナーは猪口さん一人と外注
という、会社にしては小規模の仕事
だったのですが、いつの間にか今は
私を含めデザイナーが5人
引きずり込まれている。

原因は、火を見るよりも明らか、
外注に生半可な指示を出すため、
"指示的には完成"として納品された
出来損ないのデータを社内で修正する。
それは、ゼロから作成するより厄介であり
労力と時間がムダに浪費されていく。

私は自分の仕事にカタがつき手が空いた
けれど、自発的に手伝う
のをやめた。

席を離れ、少し会社をうろついて
みるとちょっと新鮮な感じ、
普段は自分の席と会議室とトイレ
くらいしか使うことはなく、
そういえば会社にはまるで興味がなく
未だに知らない社員も多い。
むしろ知ってる社員を数えた方が早い。


廊下、すれ違い様わざわざ
一歩よけて立ち止まり私とすれ違う
のを待ってくれた背の高い男の人
の鳩尾にすれ違い様グーパンチをかまし
それから席に戻った。


んっ?


席に戻って、やっと
今 自分がしたことのおかしさに気づく。
何でグーパンチ?

少なくとも彼と私は
ふざけ合うような親しい仲 ではないし
そもそも 親しい というのがどのレベル
から線引きされるのかも微妙なところですが、
 A.挨拶くらいは交わす
 B.同じ仕事に関わっている
 C.休憩時間によく話す
 D.一緒にご飯を食べる
 E.休日も遊ぶ
と区分するとすれば

実際のレベル:隣の会社の人ではないということは知っている。

レベル以前の圏外だ。

フレックスでもないのに
やたらと時間にルーズ
なので会わない人は本当に会わない
し接点も皆無に近いこの会社は
"会社"という括りが随分希薄である。
そこに、私の平素からの人付き合いの
希薄さが重なればますますのことで、
弁解に行こうと思うもどこの人だか分からない。

しかし逆を考えれば相手の方も
私のことを知らない可能性は大いにあり
ひょっとしたらこれは、
なかったことになる
かも知れない。

(そんなわけはない)

もういいや、変な人でいいや
グーパンチの時点でそれは決定的
なんだから、あれだけ何事もなかった
かのようにあっさりと過ぎ去って
来てしまったし、わざわざ
恥の上塗りに行っても仕方ないや
と開き直るもそれは
『どう思われようがかまわない』
以前に人として果たしてどうなのか。


風香り、時は巻き戻され


何となくヒマであり、することもない
ので、定時にとぼとぼと帰ることに

すると、ちょうど入り口のところ
見たことある顔が見えまして、
それはオブリークの青年、

少し距離があるので
スピードを落として距離を開けよう
かとしたところ、思いの外
彼はチラとこっちを見た。
私に気づいてドアを押さえ
待っててくれる。
私は小走りにドアを出てどうもと言い、
それから取ってつけたように
「大変ですね。」
と、言う
と、
「もう帰ります。」
と、
彼はぼんやりと笑む。

随分と軽装、手ぶらでしたの
でてっきりコンビニ
にでも 食料調達 に行く
かと思っていたのに予想外、
彼はそう言ったので
成りゆき上、一緒に帰る
ことになり、沿線が違うので
ほんの数分の信号まで
でしたが

差し当たって話すようなことは何もなく
ただテラテラと並んで歩く。

唐突に彼は口を開き、漠然と問う。
「いつもこんな感じですか?」
「何がですか?」
「仕事。」
どんな感じだろう。
「今回は特に、めちゃくちゃだと思います。」
彼はふと笑った。
彼もまた猪口さんのプロジェクトに
引き擦り込まれてしまった一人であり、
入社して一発目がそれとなった。

断片的に話す言葉
ゆっくりとした速度
この香り


さわりたい


それではお疲れさまでしたと
おじぎをして帰路を急ぐ。

2004年11月09日(火)

むかしむかしあるところで

私は信号待ちをしていた。

4車線をはさんだ横断歩道の向こう側で
一人の男が歩きながら
顔だけこちらに向けて2,3回
ぺこぺこと頭を下げたのが見えた
けれど私の知り合いではない。

ふと横を見れば一人の女がそれに対して
小さく手を振り、それを見ると男は
首を前に出すように再びぺこりとして
それから足早に去って行った。
女はそれを目で追うでもなく
ただ普通にやりすごした。

男の少し気まずそうな雰囲気、
二人はかつて 恋人
であったのだろうか。
そういう時は意外と女の方が
平然としているものかなと、
ただ赤信号を眺めている
女の横顔を見て思う。

やがて信号は青へと変わり
女は男の来た方へ、
私は男の行った方へと曲がった。

足音
に気づいて顔を上げた瞬間
すごいスピードのものとすれ違った。
私は振り返ってその背中を見た。
先程の男だった。

女の姿はもう私からは見あたらなかったが
男は迷いもなく奔って行った。


二人はまた逢えたのだろうか。

2004年11月08日(月)

オラサチ

朝 家を出たら思いがけず
2階に人がいた。

私の住んでいるビルは4階建て
1,2階がテナント、3,4階が賃貸で、
私の家は3階ですが
2階は唐突に退去して以来
ここしばらく がらんどう
なホールであった。

ここに住み始めて3年
くらいの間に、
4階の人の引っ越しは2回見たし
不動産は3回
大家さんは4人目、
テナントの入れ替わり
まで立ち会ったことになる。

不動産でこの新陳代謝の良さは
ちょっとアレな物件
てな感じもしないでもなく、

一時は中国人マフィア
のような人がこのビルを買い上げ
大家となり、ちょうどその時
4階は空き家であり
住んでいたのは私一人
なのに上に誰か上がっていく気配
もしくはすでにいる気配
アイ・スコープにかじりついて見れば
カップルというかアベックな語感の
恰幅が良くてダブルスーツのアッチ系な人と
顔から服から極彩色の風か水らしき人。
ここは何だ、ホテルか
などと戦々恐々としていた
こともそういえばあった。

少なくとも私が契約したときは
もう 少しマトモ だった。
むしろ、時を経て
持ち主が変わるにつれて
アレな物件と化していく、
それを私はただ 傍受 し続け、

引っ越したい
と思いながら契約更新をして
さらに1年くらい経つ。

小さなビルなので
1フロア1ルーム
だから部屋は結構広い。
隣人も階下の住人もいない
のでとても気楽。

いつぞやはブタを飼おう
などと酔狂なことを あながち
冗談でもなく考えていたりしたし、
結局なぜ飼わなかったかといえば、

 私自身があまり家にいないのに
 生き物を閉じこめておく
 のはかわいそうだから

なんていうのは表向きで、
そんな理由であればハナから
生き物を飼おうなんて言わないわけです。
ブタは50年生きる
と知って、私は尻込みをしたのであった。
食卓で見かけるブタはせいぜい
数年で生涯を終えているし
私の身近に存在するブタはそれ以外いない
ので、そんなに長命だとは思いも寄らず、
いくらこの部屋が
ブタも飼えそう
であってもこの先50年
ずっとここに住み続けるわけはないし
そんな 結婚 並の覚悟はなかった。

話がずれましたが、
これはこれでまぁ住みやすい
のだけれど、

たとえば洗面所のパッキンが異常に固いとか
階段がものすごく急だとか
大通りに面しているとか
玄関のすぐ外にトイレがあるとか
酔っぱらいにトイレと間違えられるとか
酔っぱらいが家の前に立っているとか

欲を言えばキリはないものですが
一番に思うことは
"もう少し家賃の安いところにしたい"
なにぶん 収入も不安定なのだし、

と言いつつも よくよく考えてみれば
先月なんて収入のまるまる半分は貯金
されていたりして、
働きだして以来、遡れば高校生のバイト
時代から収入の1割くらいは
天引きして使わないようにはして
いても結局 月末には足りなくなっておろす
3歩進んで2歩下がる的な 微蓄 でしたが
月並みな貯金 はしていた
ものの、最近の状態からいえば
あまるから貯まる
という感じ。
無職の時ですら支出額が下がらなかったワタクシ、
多くもらったところで増えるわけでもなく、

かといって
これ以上イイトコに引っ越そう
なんて考えは毛頭 なく
しかし今と同じくらいの広さ
を望めば必然的に高くなる。

駅に近くてこの広さ
とは、実はとても
めっけもの
なんじゃないか。

引っ越したい
と思いながら今のところ
引っ越す予定は
ない。

2004年11月07日(日)

引き際

ハナコさんとはそこで別れ、
残った人で2次会があるというが15,6人、
とにかく知らない人ばかりである。
どのタイミングで抜けようか
と漠然と画策していた

けれど、結局
それでも残ったのは
ハニちゃんが来る
ということを確信
していたから
だったのでした。

坂道の多い
裏通りにある学校の教室
のように殺風景な飲み屋、

少し遅れてやはり
ハニちゃんはやって来て、
どれくらいぶりかしら
髪型が"らしく"整えられ、
メガネが変わっていた。

ハニちゃんは私の隣に座り、
人見知りさんですから
知らない人の傍よりは
私の方がマシという案配です。
近況をゆるやかに話してくれる。
それは順調で充実したものであり、
思い出しながら話す口振りも実に楽しそう。

ほどなくして五代さんも合流、
ハニちゃんの話し相手は彼に移る。
知ってる人が来たならば
私なんて用ナシという案配です。
私はその様子を眺めている。

彼が、微笑む時に口元に手を当てるのが好き。

それはもう
私に向けられた
ものではない、
けれど。


これ飲んだら帰ろう
と、ウーロン茶を飲み下す
けれど、結局またウーロン茶を注文し
その場を離れることができない。
アルコールなんてとっくに飛んだ。

ほぼ 一定の間隔で
ハニちゃんの携帯にメールが届き、
彼は敏感に気づいては確認する。
私はだんだん気持ち悪くなってくる。

3時を過ぎた頃、ようやく
私は重い腰をあげ、飲み屋をあとにした。
帰り際ハニちゃんは、今日
初めてじっとこっちを見た。

タクシーはひんやりとし、
空気が研ぎすまされていて
幾分か爽やかな感じがする。

ハニちゃん
と呼ぶのはこれで最後にしましょう。
だいじょぶですよ、元気そう
な顔を見たら少し落ち着きました。

2004年11月06日(土)

時は金になる

休日に仕事にかり出される。
猪口さんの手伝いだ。
最近の休日の予定といえば歯医者
くらいしかなかったので一向にかまわない
けれど、今日は珍しく予定があった。
夕方までなら、という条件で手伝う
ことになり

○12時に会社に集合
とのことだったのに、猪口さんは来ない。
いないと話が進まないので否応なく待たされる
かと言ってそれで「俺がいないと何も出来ない」
と思うのは勘違い以外のナニモノでもなく、
自分の仕事の進捗は誰にも言わない
人と情報を共有しない デキナイ人
であることを証明しているだけのことだ。

○14時。
まだ来ない。
仕方なく他のメンツで打ち合わせを始め、
分担を決めるも最新データの在処
を知っているのは 猪口さん だけ。
作業に入れない。

○17時。
「寝坊した」と
疲労がたまってるから仕方ないよね
とでも言いたげに、むしろ
誇らしそうな顔すらして
猪口さんはのこのことやって来て
そして、やはり臭う。

昨日は
クライアントからの戻しがない
ということで、今日の作業のために、と
みんな定時に帰っている。
昨日徹夜だったので寝坊した
わけではないのだ。
そして苦労人顔でのたまう。

「2時まで何だかんだ起きてて
 あんまり寝てなかったんだ。」

あんまりって、
赤ちゃん並に寝て来たんじゃねぇか。
社会人としてかなりダメだろう。
君がデキナイのは構わないが、
人の足を引っ張る
のはやめていただきたい。

○18時。
一度打ち合わせをしたことを
猪口さんのためにもう一度繰り返し
やっと作業に入る。

○19時。
私の作業自体は1時間もあれば終わり、
そのために何時間待ったのか。
みんなは徹夜作業だそうだ。

馬鹿らしい。
時間通りに始めていれば
10時間作業したって電車で帰れる。
ほとんど手伝いにもならないまま
私は無責任の印籠をかかげて
会社をあとにし

○20時。
少し遅れて集合場所に着く。

最果てにダイブ


みんなで集まるのは数カ月ぶり。
スティーブが何かやるらしい。

トールさんが送ってくれた
地図を念入りに眺めるも目印
になりそうな建物が何もなく
ちゃんとたどり着けるか少々不安
だったけれど簡素化された紙の上
では分かるはずもない、目的地そのものが
赤外線のごとく真っ赤に光っていて
迷いようがないくらい
遠くからでも目に付く。
入るのに怯む。

中に入ると貸し切りのバー
のようなホールに通され、
ざっと20数人、
トールさんを見つけて
とりあえず所在なげに座りそれなりに
ぐるーりと見回してみるも
知っている人はことごとくいなく、

お酒を飲んだり隣の人の会話を聞いて
いるようないないような
まぁそれは割といつものことである。

トールさんが、奥さんの教え子
だという女の人を紹介してくれ、
トールさんの奥さんと面識があるのは
この中では確かに私くらい
ですがかと言ってその教え子と私
に関係性がある わけはもちろん なく
要するに一番ヒマそう だったのが私であった
というだけのことなのですが、
女の人は私の隣に座った。
名前をハナコさんと言った。

トールさんの奥さんはヨガの先生であり
ということは 彼女はヨガをやっている。
黒髪をアゴのラインで綺麗に切り揃え
背筋をしゃんと伸ばした姿が 凛 としてステキ。
彼女は美大で絵の勉強をし、
今は法律を勉強しているそうだ。
知的財産権、著作権、
絵を守る方に興味を持った
とのことで、よほどこういう
会話に慣れているのか
頭がいい故の当たり前のことなのか
分かりやすく丁寧に話してくれる。

それに対して私はヘェ、ヘェ、ホゥ
くらいしか言えない無知っぷりで
私もヨガを始めようかしら
なんてあさってなことを考えて
いたりもしましたが、とにかく
ハナコさんの話を聞いていると
何だかウキウキしてくる。
聡明な女性は好きだ。


ひとしきり話し込み
話題もとぎれた頃ようやく
スティーブの話が始まる。

何やら新しいプロジェクトを始めるそうで
その概念をつらつらとプレゼンテーション
しているのだろうが、あまり要領を得ない
ずいぶんと漠然とした話だなぁという印象、
そしてこの時に初めて知ったのだが、
スティーブはtomatoを辞めたそうだ。

トマトを箱詰めにして出荷し
ビジネスとして成立させ、そのラベルを
世界的に有名にしたのは確かに
スティーブこの人であろう。
けれど、今彼がやろうとしていることは
箱を一つ用意し、その中に"何か"を詰め
大々的に売り出し、そのラベルを
かつてのトマトをも越える
ブランドにしよう
ということであり、つまり今は
入れるものは何もない
けれどとりあえず
箱を用意してみました
というだけのことだ。

彼は見失ってはいないだろうか。
価値があったのは箱でもラベルでもなくて
トマト自体なのだ。

彼が縋りついているのは
藁ではなく確かな栄光
ではありますがそれはすでに過去形。
もう辞めたのである。


何だか尻すぼみのまま
集まりは解散へと向かい、

ホールの重鎮なドアを開けると
すさまじい爆音と奇声、
ダンスフロアもあるらしきこの店、
出口へと向かう通路では
裸に近い露出をした猫背の女が
大口を開けて何かを指さして笑ってる。

ここは好きになれない。

2004年11月01日(月)

差別と現実

猪口さんはもともとは派遣社員だった。
単発派遣が主流のこの会社で
正社員登用を前提とした 派遣採用で入ったらしい。
そういう意味で
この会社で私の立場を一番解っている
のはきっと猪口さんであろう。

私も
派遣の面接で正社員
を打診され、断わりましたが
働いてみて考えたら?と派遣で採用、
更新の際に再び正社員
登用を打診され、やはり断わり
派遣契約も終了、しかしてまた
派遣として呼び戻され、今に至る。
会社は正社員雇用には実に
前向き である。

猪口さんは、1年の派遣社員を経て先日
まずは契約社員に登用したそうだ。

男女平等
とは言ってもやはり
実際はそうではない
ことはいまだに多く
私が派遣でありながらも
それなりの評価を受ける
のは、男女差別の恩恵 でもある。
"結婚するまでの腰掛け"OL
ほどあからさまでないにしても
"責任を取らない"と言い切っても
非難されたりはしないし、
そんな"無責任"発言をしていようとも
正社員に迎えてくれようとしてくれる。

一方、男性の派遣社員
というのはたとえそれが自分で選択した道
だとしても
"正社員になる能力がない"
または
"正社員として雇われない理由があるのではないか"
そんな勘ぐりを持ってして
あまりイイ目では見られないようだ。

実際のところ、
それは猪口さんが
東 京 大 学 を 出 て い る
という学歴を持ってしても
やはり拭い去れない"理由"を
勘ぐらせるだけの要素は多分にあり、
無意識か皮肉なのか、わからないけれど癪に障る言い方
「うちの大学ではそういう教え方はしてなかったですけどねぇ」
などと年上のコピーライターを咎め、
インターンでバイトをしている大学生に向かって
「電話の取り次ぎごときもできないのか」
と憎々しげに呟いたそばから自分は
鳥の唐揚げをむさぼり食べていた
そのままの手で受話器を持って
そのまま私に取り次ぐ。

猪口さんはこの会社が初めての社会進出であり、
ということははじめから派遣社員なのであり、
くわえて 新人社会人 というには決して若くはない
30代も半ば に差し掛かっている。


会社からしたら
時給制より月額契約の方が得策です。
なんてったって"いつも会社にいる"のですから。
しかし 派遣から正社員に登用する
に、あたっての会社側の"躊躇"
みたいなものが垣間見える 契約社員
というイレギュラーなステップアップ。

猪口さんの会社的メリットは今のところ
"いつも会社にいる"ということくらいだ。
そこに"意味もなく"という枕詞がつく
にしたとしても。

索引
「プープーの罠」 written by 浅田

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