晴れたり曇ったり。10月も晦日となり流石に夏日にはならなかった。
週間予報では来週から一気に気温が下がりそうである。
「立冬」も近くなりそれが当然のことに思う。
また苦手な冬がやって来るが耐えなければいけないのだろう。
今朝は生きていた。眠ったまま死ぬことはなかったようだ。
仕事のことで頭がいっぱいになっており無事に職場に着く事しか考えていない。
通勤途中で事故にでも遭ったら大変なことになってしまう。
助手席のバックには会社の現金を残らず保管してあったのだ。
もし夜中に強盗に襲われてもこれだけは渡すまいと思っていたくらいである。
無事に職場に着きなんとほっとしたことだろうか。
9時になるのを待ち兼ねてATMへ走り全ての支払いを済ませた。
残った現金は預金に入れ来月の運転資金とする。
それから小口の集金にまわり午前中には月末の仕事を終えていた。
大きな安堵で肩の荷が下りたせいか眠くてならず
お昼には机に突っ伏し30分程眠ることが出来た。
なんとも心地よい達成感である。我ながら大した者だと思う。
母の助けがあってこその事だったが諦めずにいて良かったのだ。
帰り道にも市内のお客さんと会う約束をしており集金が叶う。
なんと半年前の車検代だった。催促もせずにそっとして置いたのだが
これも母のおかげだろうか思いがけない入金となる。
いつもより随分と早く3時半には帰宅していた。
今週もあやちゃんの担任の先生が来てくれるらしく
夫とまた一悶着あったようだった。
どうやら先週約束したことを反故にするつもりらしい。
部屋はもぬけの空で雲隠れをしていた。
もしやと思い私達の寝室を覗いたら夫のベッドに潜り込んでいるのだった。
それには夫も根負けしたのだろう。約束は約束に違いないが
どうして無理強いが出来ようかと思ったようだ。
玄関のチャイムが鳴り先生が来てくれたが全て夫に任せる。
「すいません、すいません」としきりに謝っている声が聞こえた。
何だか夫が酷く憐れに思えたがあやちゃんを責める訳にはいかない。
その後で「もう帰った?」と呑気にケロッとしているのだ。
先生にも任務があり仕事として来てくれているのだと思う。
少しでも前向きになって欲しいと願ってくれてもいるだろう。
けれどもあやちゃんには少しも伝わっていないのではないだろうか。
いくら子供でも人としてどうかなと思わずにいられない。
他人の思いやりを無駄にするような人にはなって欲しくなかった。
ちゃんと先生に会って「ありがとう」と言える子になって欲しい。
これは私の考えであって夫や娘とは全く違うようだ。
だからこそ私は要らぬ口を挟んではいけないのだと思う。
けれども複雑な気持ちは日に日につのるばかりであった。
夕飯の支度をしていたらあやちゃんが笑顔でやって来て
「おばあちゃん、今夜は何?」と訊いてくれて嬉しかった。
幾日ぶりだろうか久しぶりに爽やかな秋晴れとなる。
気温は24℃と高めであったが蒸し暑さもなく過ごし易い一日だった。
今朝は出勤すると看板猫の「みい太」が運搬車の荷台に座っていた。
「そんなところで何しよるの?降りて来なさいや」と声を掛けると
私の言葉が通じたのか直ぐに飛び降り来て「みゃおう」と鳴く。
さあ朝ご飯の時間である。猫係の常連のお客さんの車が見えると
駆け寄って行って餌の催促をするのだった。
お客さんも毎朝の楽しみにしており何とも微笑ましい光景である。
夏の間は少し食欲が落ちていたが最近はよく食べるようになった。
量が足らない時もあり「もっと食べたい」としきりに鳴き出す。
「癖になるけんやったらいかんぞ」義父からのお達しであるが
追加の餌を与えないとそれはしつこく追い掛け回すのだった。
こちらが根負けしてこっそりと餌を与えたらまたガツガツと食べ始める。
それも愉快でならず朝から笑顔が溢れる職場であった。
独り暮らしの義父にとっては家族も同然になっており
みい太のことを話す時の義父の穏やかな顔がとても好きだなと思う。
「金は天下の回り物」今日もまるで奇跡のように転がり込んでくる。
丁度一年前のタイヤ代を支払いに来てくれたお客さんもいた。
車検完了のお客さんは即金でありどれ程助かったことだろう。
月末の支払いどころか来月末の支払いも出来そうになる。
これを安泰と云わず何と言おう。まるで夢を見ているようであった。
母のおかげだとしか思えない。ずっと見守ってくれているのだ。
生前はお金の苦労ばかりしていたからこそ私の苦労が分るのだろう。
神様仏様よりも「お母様」であると昨日からずっと感謝している。
明日の準備は整い肩の荷が下りたが、根っからの不安症な者だから
今日死んだらどうしようと思い始めていた。
帰り道で交通事故に遭うかもしれない。今夜突然死するかもしれない。
死ななくても夜中に強盗に襲われお金を全部盗られてしまうかもしれない。
考え出したら切りがなく不安で一杯になってしまった。
大げさな話だが何としても生きて明日に臨まなければいけない。
お母様がきっと守ってくれるだろう。やっとそう思えるようになった。
黄昏時に一番星を見つける。それがとても不思議に輝いていた。
蝋燭の炎のように見えたのだ。それもゆらゆらと揺れているではないか。
目の錯覚かもしれないとも思ったがそれは確かに星の輝きであった。
死んでしまったら何もかも終りとは限らない。
魂はより近くに在り愛しい者たちを守ろうとする。
時には身代わりになり再び死ぬこともあるだろう。
けれども魂は永遠であり夜空の星の如く決して消えることはない。
曇り日。時おり霧雨が降る。まるで春先の雨のようだった。
気温は20℃程で蒸し暑くはないはずだが何故か薄っすらと汗をかく。
太っているせいかもしれないが随分と汗っかきになったようだ。
今朝は「つわぶきの花」の詩を書いた。
書こうと思って書いたわけではなく自然と頭に浮かんで来たのだった。
書いた後の何と清々しかったことだろう。
いつも読んでくれている大阪の詩人さんが声を掛けてくれて
今まで書いた詩をまとめて詩集を出す予定はないのかと訊かれる。
そうして私の詩集を読みたいとまで言ってくれたのだった。
これほどの励みがかつてあっただろうか。何とも嬉しくてならない。
しかし残念ながら詩集を出す予定などあるはずがなかった。
まだまだ未熟である上に経済的な余裕が全くない。
貧乏人に詩集など到底無理な話であった。
返答に戸惑ったが本当の事がどうして言えよう。
「柴田トヨさんが目標です」と咄嗟に応える。
100歳の詩集を出すのだ。それが私の夢でもあった。
その為には何としても元気で長生きをしなければならない。
夢は叶えるためにあるのだそうだ。生きてこその夢である。
今朝は母の遺影に手を合わせ「お金が転がり込んで来ますように」と祈った。
そうしたら出勤するなりお客さんが支払いに来てくれて驚く。
金庫は空っぽだったのでおつりが無く焦りまくってしまった。
私の財布からと同僚からも借りて何とかその場を凌いだ。
お客様は神様である。朝一からこんなに嬉しいことがあるだろうか。
お昼前にもお客さんが支払いに来てくれた。
新札の一万円札ばかりでこれもまた嬉しい。
二人分を合わせると何とか月末を乗り越えられそうだった。
欲を云えばもう少しと思っていたら午後からもお客さんが来てくれる。
7月分の支払いだったので思いがけずに何と嬉しいことだろう。
今日はいったいどうしたことかと不思議にさえ思った。
ふっと事務所の机の前に貼ってある母の写真と目が合う。
「そうか、お母さんやね」と思わず声を上げていた。
母が助けてくれたとしか思えない。奇跡のような一日であった。
もう思い悩むこともない。安心して月末を迎えられそうだ。
仕事も順調にあるのだからまたお金が転がり込んで来るだろう。
自転車操業なのだからとにかくペダルをこぎ続けなくてはいけない。
不安が一気に無くなると目の前がぱあっと明るくなった。
ゲンキンな話だが「何でもかかってこいや」と思えるようになる。
油断をしていたらまた窮地に陥るかもしれないが
笑う門には福来るである。とにかく笑顔で頑張ろうと思った。
嘆いたりくよくよしていたら貧乏神に捕まってしまうだろう。
難破船のような会社であるが前途洋々と船を漕ぎ出して行く。
秋晴れは程遠く今日も曇り空のまま日が暮れる。
雨が降り続けば「秋霖」(しゅうりん)と云うのだそうだ。
学が無い者だから調べてみて初めて知ることが多い。
朝の峠道ではっとしたのは「つわぶき」の花が沢山咲いていたこと。
先週の金曜日にも通っているのにまったく気がつかなかった。
峠道には所々に谷がありその岩陰に鮮やかな黄色の花が見える。
向日葵を小さくしたような花だが一輪に幾つか花を付けるのが特徴だった。
日本古来の花なのだろうか気になって調べてみたら
長崎県に「つわぶきの花」と云う名の温泉宿があるのだそうだ。
ネットの画面はそればかりで肝心の花のことが分らなかった。
その温泉宿にはおそらくつわぶきの花が沢山咲いているのだろう。
旅行などとても無理だが何だか訪れてみたくなった。
月曜日らしく仕事は忙しかったが預金通帳を記入して愕然とする。
今日は自動車保険の引き落とし日であったが12万円も引かれていた。
全部で15台ほどあるが新しい運搬車の保険料が2ヶ月分加算されている。
保険料の把握はしていたがいざ引き落とされると戸惑うものだ。
預金残高は後わずかであった。月末を乗り越えられるかと一気に不安になる。
大口の入金があるはずなのだがおそらく月末になるだろう。
もしその入金が来月になれば会社は火の車となってしまう。
同僚にお給料も支払わねばならず頭の中が「お金」一色になった。
そこで「なんとかなる」と思いたい。お金は天下の回り物である。
回っている限り転がり込んで来るだろうと思うことにした。
これまでどれ程の危機を乗り越えて来たことだろう。
私はいつも試されている。神様なのか仏様なのか知る由もないけれど。
お昼休憩が取れなかったので少し早めに帰ろうとしていたら
義父に呼び止められネットで調べ物をしていたら3時前になってしまった。
義父の許しを得て逃げるように帰って来る。
サニーマートで買い物をし店内の百円ショップへ行ったのだが
明日必要な封筒が在庫切れになっておりがっかりだった。
仕方なく隣接するセリアまでカートを押しながら歩く。
わずか50メートル程だったが何ときついことだろう。
目当ての封筒は買うことが出来たがまた車まで歩かなければいけない。
往復百メートルの距離に汗が噴き出て今にも倒れそうになった。
丁度その時、両手に杖を持ちとても辛そうに歩いている老女に会う。
声を掛けずにどうしていられようか。まるで未来の私であった。
「カートを持って来ましょうか」と問うと「かまん、かまん」と。
訊けば買い物ではなく店内のATMまで行くのだそうだ。
見る限り車の運転はとても無理に思える。
おそらく介護タクシーを利用していたのではないだろうか。
僅かな年金を引き出すのであればとても憐れに思えた。
もし独り暮らしなら尚更である。不自由な両足で何と難儀なことだろう。
そう思うとまだ片足だけで家族に恵まれている自分が申し訳なかった。
欲を云えばきりがなく今の幸せを大切にしたいとつくづく思う。
帰宅するなり夫に話したら「明日は我が身だと思えよ」と言われた。
夜になりぽつぽつと雨が降り始めている。
明日も雨なら「秋霖」なのだなと少しお利口さんになったようだ。
2024年10月27日(日) |
後悔はいくらでもしよう |
曇り日。陽射しのある時間帯もあったが日が暮れると小雨が降り始める。
やはり10月とは思えない蒸し暑さで扇風機が必要だった。
朝顔はもう咲きそうにない。今朝見ると葉全体が黄色くなっていた。
水は遣り続けていたが花芽はもう見当たらなくなっている。
不思議なことに種も見当たらずいったいどうしたことか。
ビオラは小さいながらも健気に咲いている。
娘が植えてくれたので尚更に嬉しい。
後は葉牡丹があれば冬の庭になるだろう。
外出は叶わずほぼ一日中家の中に籠っていた。
出掛けたのは買い物と選挙だけである。
投票所は地区の集会所で立会人は見知った顔であった。
一人は友人のご主人でもう一人は昔のバド仲間である。
敢えて杖を付かずに行ったのだがバド仲間のKさんが驚いたのか
「大丈夫かよ」と心配そうに声を掛けてくれた。
もうバドミントンどころではなくなり歩くのがやっとである。
返れるものならあの頃に戻りたいが到底無理な話であった。
昼食を終えてからまた茶の間で横になりお昼寝体制に入る。
とにかく自室に行ってはならないと言い聞かすばかりだった。
この世から煙草が消えてしまえば良いのにと本気で思う。
そのくせ今朝はカートン買いをするのだから矛盾だらけである。
一時間程眠っただろうか。もう寝るのも飽きてしまったようだった。
当然の事だが昼寝をし過ぎると夜の睡眠に響く。
昨夜も熟睡出来ずすっかり自業自得であった。
何もかもだがいい加減にしなくてはならない。
その加減が制御出来なくなっている自分に苛立ちさえ感じる。
何だか泥沼の中を必死になって歩いているような気がするのだ。
その泥沼が果てしなく続いているとしか思えなかった。
夕飯は「すき焼き」家族皆の好物である。
私はお豆腐しか食べないが夫は牛肉をこれでもかと食べる。
そうなるだろうと思い安価な輸入肉を2パック買って来ていた。
それでも2千円である。煙草だと4個分に相当するのだ。
煙草を買わなければ美味しい和牛が買えたのにと思う。
後悔はいくらでもしよう。でも自制出来ないことには変わりない。
明日はやっと仕事である。少しでも節煙出来ればと思っている。
泥沼ならば汚れてしまえば良いのだろうか。
雨が降れば洗い流してくれるのだろうか。
連日の曇り日。しばらく秋晴れは望めそうにない。
蒸し暑さもあり半袖で十分であった。
秋物の出番はなくすぐに冬物になってしまいそうだ。
宿毛市郊外の畑で秋桜が満開になっているそうだ。
見るだけで良いからと夫に頼んでみたがやはり却下される。
もう何を言っても無理なようで諦めるしかなさそうだ。
道端の秋桜はもうすっかり散ってしまって枯れ始めている。
その秋桜は稲刈り後に種を蒔いたのだそうで遅咲きになるのだろう。
とても貴重に思えるのだが夫とは価値観が全く違うようだった。
家に居ると煙草ばかり吸ってしまう。何とかして逃れたいが
意思の弱さもあるのだろう。雁字搦めになるばかりであった。
茶の間でテレビでも見ようと思い行ってみたら
夫が朝から「暴れん坊将軍」を見ていた。
ネットフィリックスでは一日中見られるのだそうだ。
私も嫌いではないのでしばらく一緒に見ていたが
何となくそわそわと落ち着かなくなりまた自室へと戻る。
そうしてまた煙草である。我ながら呆れ返って情けなくてならない。
情緒不安定なのだろうか。何だか自分が壊れているような気がする。
10時になるのを待ち兼ねてカーブスへ行った。
これはこれで良き気分転換となりそれなりに楽しいのだ。
心地よく汗を流し元気な自分が嬉しくてならない。
けれどもそれもつかの間の事。家に帰ればまた元の木阿弥となる。
昼食をお腹一杯に食べとにかく寝ることである。
寝てさえいれば煙草を吸わなくても良いのだ。
そこで気づくのは吸いたくて吸っているのはないと云うこと。
ここまで来れば病的な依存症であることは間違いないと思う。
結局3時まで寝ていた。向井理が主演のドラマ風の夢を見ていたようだ。
もう少しでラストだったのに残念ながら目が覚めてしまう。
何だか最終回の途中で壊れてしまったテレビのようであった。
今夜続きが見られたら良いがそれは無理な話だろう。
4時までまた自室に籠りSNSのタイムラインを追っていた。
小泉今日子が絶対に選挙に行きましょうと訴えている。
私達夫婦は必ず行くが娘達は全く興味がない様子であった。
とにかく自民党の票を一票でも少なくしなくてはならない。
日本国民としてそれは当然の事のように思う。
一時間で10本の煙草。後悔以上にもう自滅である。
ここまで落ちぶれたかとひたすら自責の念に駆られるばかりであった。
明日も外出が無理ならどうしようと途方に暮れている。
夫に訳は話せなかった。話せたらどんなにか救われるだろうか。
夕食は娘達とは別々にそれぞれが食べたい物とする。
私達はサニーマートのお惣菜で簡単に済ませたが
娘達は「キムチ鍋」を作ったようで今もまだ家族団欒をしている。
あやちゃんがにこにこと笑顔で何とも微笑ましく感じた。
めいちゃんは二従兄弟のまあちゃんの家にお泊りなのだそうだ。
夕食もご馳走になるらしくリュックを背負い出掛けて行った。
気のせいかもしれないがめいちゃんが不在だとあやちゃんのテンションが高い。
両親を独り占め出来るからかもしれなかった。
それだけ普段はじっと耐えているのではないだろうか。
甘えたくても甘えられない。それは2歳でお姉ちゃんになってから
ずっと続いている宿命のようなものかもしれない。
すっかり大人びて見えるあやちゃんであったが根はまだ子供なのだ。
干渉は禁じられているが声を掛けたくてたまらない時がある。
何が正解で何が間違いなのか。老婆心よりも大切な愛情が必要に思う。
曇り日。昨日の肌寒さが嘘のような夏日となる。
風も吹かずなんと蒸し暑かったことだろう。
我慢出来ずとうとう事務所のエアコンを稼働させてしまった。
10月も終りに近づいているのに異例の事である。
そうしてまた一気に肌寒い日がやって来るのだろう。
正直からだが付いていけない。これ程堪えることはなかった。
「桜紅葉」だろうか。桜の葉が少し色づいて来ている。
やがては散ってしまい裸木になってしまうだろう。
その散るさまが目に浮かびふっと切なさを感じる。
けれどもそうして寒い冬を乗り越えてこそ花を咲かすのだった。
「寒さなければ花は咲かず」私はこの言葉がとても好きである。
金曜日のせいか仕事が忙しくお昼休憩も取れなかった。
お客さんから問い合わせがあり代書事務所へ電話をしたら
忙しくて対応できないと断られてしまった。
その口調がとても荒くてなんだかとても残念でならなかった。
どれ程忙しくても配慮を怠ってはならないのだと思う。
それは私にも云えることで良き教訓になったようだった。
工場も車検整備があり忙しかったが同僚は午後から休みになっていた。
二つの病院を掛け持ちするのだそうで仕方ないことだったが
お昼にタイムカードを押すなり無言のまま帰ってしまった。
社長である義父も事務所に居たのにせめて一言が欲しかったと思う。
いくら通院だと云え義父も不愉快な気持ちになったようだった。
従業員の健康が一番の事だが休むのが当たり前になってはいけない。
その後義父から相談があり金曜日の通院を土曜日に出来ないものかと。
そのことを同僚に話してみてくれと云うのだった。
私も気が重かったが嫌とは云えず引き受けるしかなかった。
来週早々に話してみようと思っているが同僚も気を悪くするだろう。
あちらを立てればこちらが立たずになりそうで困ったものである。
午後も急ぎの事務仕事があり完了してから3時に退社した。
今週の疲れが一気に襲って来たようでしんどくてならない。
案の定運転中に酷い眠気がありやっとの思いで市内まで辿り着く。
眠気には煙草が即効だが先日から帰りの車内での喫煙を止めていた。
それがせめてもの「けじめ」に思ったのだ。
代わりに飴玉をしゃぶっている。丁度2個で市内まで帰ることが出来る。
サニーマートで買い物を済ませ4時過ぎに帰宅した。
家の中から夫とあやちゃんの大きな話し声が聞こえていて気になる。
何事かと思えば今日は夕方また担任の先生が来てくれるのだそうだ。
今日こそはと夫が宥めている最中であった。
あやちゃんは「絶対に嫌!」と言い張りトイレに閉じ籠ってしまう。
私が声を掛けようとしたら「お前は黙っていろ」と叱られてしまった。
両親は仕事で不在である。夫にしてみれば大きな責任があるのだろう。
昼間はおじいちゃんと二人きりなのだ。話し相手にもなっているようだ。
それなりに二人の間には信頼もあり「絆」のようなものもある。
5時過ぎに担任の先生と保健室の先生が来てくれたが
やはり駄目だった。「絶対に会いたくない」と言い張り拒否する。
しかし来週には会えるかもと夫に告げたのだそうだ。
それが約束なのかは分からないが少しでも気持ちが動いたのだと思う。
夫も誠心誠意尽くしていた。それが努力でなくてなんだろう。
可愛い孫のために「俺じゃなくては」と一生懸命なのだった。
トンネルの出口は見えているが一歩も前へ進めないのだろう。
暗いトンネルの中で蹲っている姿が目に浮かぶ。
どれ程の葛藤だろうか。あやちゃんの心中は誰にも分からなかった。
曇りのち雨。小雨ではあるが今も静かに降り続いている。
日中の気温は20℃程で随分と肌寒く感じた。
小雨なので傘を差さずにいたが濡れるとなんと冷たいことだろう。
何か羽織るものを着て来れば良かったと悔やまれた。
朝の山道ではお遍路さんが二人。午後には雨に濡れてしまっただろう。
余程の大雨でない限り雨合羽を着るお遍路さんは少ない。
野宿ならばお風呂にも入れないので気の毒でならなかった。
長靴を履いて歩くお遍路さんもまずいない。
雨が降れば靴も濡れ余計に歩くのが辛くなるだろう。
それでも嘆きもせずに次の札所を目指す。
延光寺さんまでは車だと40分程であるが歩くと一日がかりだった。
過酷な道のりに思えるがそれがお遍路の真の姿なのだろう。
仕事はそこそこの忙しさであった。
郵便局の専属工場なので今日は新車バイクの登録があった。
書類を整えて役場に行きナンバーを交付して貰う。
その足で直ぐに郵便局へ届けたのだったが
後で役場の職員が誤ったナンバーを交付したことが分り大騒ぎとなる。
よく確かめようとしなかった私にも落ち度があった。
事後処理は役場の職員が全てしてくれて助かったが
気づくのが遅れていたら大変なことになるところだった。
110ccのバイクに50ccのナンバーを交付していたのである。
過ちは誰にでもあることで私も大きな過ちを起こす。
それも帰宅してから義父の電話で発覚したことだった。
お客さんに届ける車検証が別のお客さんと入れ替わっていたのだ。
義父が確かめてくれなかったらそのまま届けるところだった。
「そそっかしいにも程があるぞ」と義父からお叱りを受ける。
もちろん間違えた記憶が全くなかった。
ボケが始まったのだろうかと本気で思ったほどだ。
失敗は成功のもとである。もう二度と同じ過ちをしてはならない。
仕事を終えてから週一のリハビリへ。駐車場が空いていて助かる。
傘を差さねばならず杖を付かずになんとか受付まで辿り着く。
よっこらしょと椅子に座るなり名前を呼ばれておどろく。
おそらくキャンセルがあったのだろう。早めに来て正解だった。
理学療法士はいつものU君であったが今日も痛い処に手が届く。
なんとも丁寧に揉み解してくれて夢見心地であった。
保険適応なのでわずか780円の支払いである。
なんだかそれでは申し訳ないような施術であった。
U君とも話したのだが一週間の何と早いことだろう。
直ぐに今年が終わりそうだねと笑い合ったことだった。
私は射手座だが前半は内に向かい後半は外に向かうのだそうだ。
今はもう後半だが果たして外に向かっているのだろうか。
相変わらず報われない一年だったようにも思える。
けれども如何程の努力だったろうかと疑問にも思えるのだった。
報われないのはきっと努力が足らないのだろう。
かと云ってこれ以上いったい何をすれば良いのか分からない。
日々精一杯である。仕事も家事もそうして書きながら生きることも。
2024年10月23日(水) |
友となり町から来たる |
二十四節気の「霜降」朝晩が冷え込み霜が降りる頃。
季節はもう晩秋のはずなのだが今日も夏日となった。
異常としか思えない気候である。なんだか不気味にさえ思う。
今日はまるで梅雨の晴れ間のような青空であったが
明日からまたしばらくは雨の日が多くなりそうである。
花たちは散る時を知っているのか秋桜が散り始めた。
一足先に咲いていたキバナコスモスはもう姿が見えない。
東北地方では山茶花が咲き始めているそうだ。
冬を代表する花である。やがては四国も咲き始めるだろう。
紅葉の季節もやって来るがまだ樹々の緑が鮮やかであった。
植物は健気に季節を知らせようとしているのだろう。
その気持ちを受け止めてやらねばならない。
仕事はまずまずの忙しさで午前中に古い友人が訪ねて来てくれた。
差し入れにとミルク味ののど飴を持って来てくれたのだ。
私の声枯れと咳の酷さを気に掛けてくれたのだろう。
そっと手渡してくれたその心遣いがとても嬉しくてならない。
彼女とは30年来の友人であるが最近は疎遠になっていた。
お互いの暮らしに精一杯で付き合いどころではなかったのだ。
以前はよく手紙を交していて今も大切に手元に置いてある。
晩婚だった彼女は大いに恋に悩み辛い思いをすることも多かった。
私は年上でもあり良き相談相手となっていたのだろう。
でも肝心な時には何の役にも立てなかったのかもしれない。
それでも彼女は私を姉のように慕ってくれたのだった。
結婚し女の子が生まれその娘さんはもう大学生になっている。
莫大な学費に苦労しながらも夫婦共働きで頑張っているのだった。
60歳を過ぎそろそろ老後の心配もしなければいけない。
姑さんと同居をしておりまだまだこれからの苦労にも思われる。
今日は車検代の支払いに来てくれていたのでゆっくりと話せず
「またきっと会おうね」と約束をして帰って行った。
私にとっては数少ない友人の一人である。
もしもの時にはお葬式に来てくれるだろうかとふっと考えていた。
人生色々。結婚は縁に他ならないが「運命」にも似ている。
「あの時出会わなければ」と誰もが思うことだろう。
赤い糸で繋がっていたのならきっと出会ってしまうのだ。
その糸を自ら切るようなことがあってはならない。
どれほどか細くても例え縺れていてもその手を離さないことだ。
午後から雨が降り始め今も降り続いている。
宮崎では線状降水帯が発生し大雨になっているようだ。
能登の水害が頭を過り何とも心配である。
「秋の長雨」と云うが秋雨前線が消滅すれば次は寒波だろう。
気象庁の3ヶ月予報では西日本は暖冬傾向で
北日本では大雪になる可能性が大きいそうだ。
自然のなすがままである。いったいどんな冬が待ち受けているのだろう。
今朝は久しぶりに朝顔が咲いていて嬉しかった。
やはり下の方の葉は枯れているが花芽は元気なようだ。
最後まで見守ってやらねばならない。きっと種を付けるだろう。
ビオラも何と可愛らしいこと。実は娘が植えてくれたのだった。
夫の言う通りでろくに植えることも出来ない私である。
それでも花を諦めない。既に冬の庭のことを考えている。
仕事はお昼過ぎまで忙しかったが午後は来客もなかった。
義父は午前中に乗用車で出掛けたきりお昼になっても帰って来ない。
行き先を告げずに出掛けることはよくあることで「またか」と思う。
3時まではと机にへばりついていたがなんだか嫌になってしまった。
同僚に正直に話しお先に失礼することにする。
2時半にはもうサニーマートへ着いており珍しいこと。
タイムセールには早過ぎたがゆっくりと買い物が出来た。
煙草も買わなければいけない。財布が一気に軽くなる。
そこで思い留まることが出来たらどれ程救われるだろうか。
貧乏人のくせに煙草を買うなんてと心の鬼が嘲笑うばかりである。
3時過ぎに帰宅。あまりに早いので夫が驚いていた。
いつも買い物の荷物を家の中まで運んでくれるのだ。
それがどれ程助かり有難いことだろうといつも思う。
「当たり前」のことなど何ひとつ在りはしないのだ。
洗濯物も乾燥機から取り出してくれていた。
皴にならないように部屋中に広げてくれている。
おしゃべりをしながら畳むのも楽しいものだった。
4時からは待ってましたの「破れ奉行」である。
最初から見れるのがわくわくと嬉しくてならない。
これも一人で見たら面白くはないだろうと思う。
夫はどうだろう?私が傍に居た方が良いのだろうか。
老いるばかりの二人であったが共有出来る楽しみがあった。
夕飯は「親子丼」夫も孫達も好物なので花丸の夕食である。
娘は帰宅しても真っ先に子供達に声を掛けることをしなかった。
娘婿と二人でさっさと晩酌を始めてしまうのである。
それもどうかなと思うのだが決して意見を言ってはならない。
黙って様子を見ていると気配を感じた孫達が階下へ降りて来る。
そうしてやっと家族団欒となるのだった。
決して絵に描いたような家族には見えないがそれが「平和」なのだろう。
私はお風呂に入りながら色んなことを考えている。
仕事の事だったり詩や短歌の事だったり孫達の未来だったり。
そうして終る一日が愛しくてならなかった。
明日のことなど誰にも分からない。決めることも出来ないだろう。
けれども生きてさえいれば愛しい一日が待っているのだと思う。
昨夜から風が強く今もまだ唸り続けている。
北風とばかり思っていたら東北東の風なのだそうだ。
そのせいか気温はあまり下がらず寒さを感じなかった。
山里は朝から雨となり久しぶりにまとまった雨となる。
畑の作物等には恵みの雨となったことだろう。
雨雲レーダーを見ると四万十市内は降っておらず
山里ばかりの雨だったようだ。やはり高い山があるからだろう。
月曜日の仕事は特に忙しく落ち着きを失くしていたようだ。
大切な書類が見当たらなくなったり通帳を忘れてATMに行ったり。
あれもこれもと急いでしまうとついミスをしてしまうものだ。
来客は若い頃に憧れていたY君であった。
昔は会話も叶わなかったのに今は何でも話せるのが不思議である。
農家なので長靴と作業着の時が多かったが
今日はいかにも秋らしい薄手のセーターを着ていてよく似合っていた。
70歳らしくそれなりに白髪も目立つが凛々しい顔は昔と変わらない。
「いい男だな」と思うと年甲斐もなく胸がドキドキするのだった。
当時の私の恋心に気づいていたかは定かではないが
私は封印出来ずにいる。彼はいつまで経っても憧れの人であった。
午後には仕事が一段落していたので2時半過ぎに退社する。
FMラジオは「園まり」特集でおどろくほど古い。
今の若者が知る由もない。すっかり高齢者向きである。
「夢は夜ひらく」が流れていた。歌詞をしっかりと憶えていたのだった。
私が10歳の子供の頃の歌である。きっと母が好きだったのだろう。
母ばかりではなく父も歌が好きで我が家にはステレオがあった。
嘘と知りつつ愛したの。あなたひとりが命なの。
口ずさんでいて母に叱られたことを一気に思い出した。
家にはレコードがたくさんあって聴き放題だったのだ。
当時の母はまだ28歳の若さであった。
夢もあっただろうと思う。やりたいこともいっぱい。
そんな母が恋をしてしまったことをどうして責められようか。
人生の歯車が狂ってしまってもう後戻り出来なくなったのだろうと思う。
けれどももう過ぎ去った事であり母ももうこの世にいない。
母が生きていたとしてもそれは「禁句」であった。
夢はほんとうに夜ひらくのだろうか。
恋とは無縁の老いた我が身を何か得体の知れないものが襲って来る。
逃げなくてはいけない。振り向いてはいけない。
私の夢が夜にひらくことは決してありはしない。
秋らしい爽やかな晴天。風があり随分と涼しく感じた。
このまま秋が深まりやがては寒さがやってくるのだろう。
北海道北部では初雪が舞ったそうでおどろく。
朝のうちにサニーマートへ買い物に行っていたが
皆さん秋らしい服装をしており半袖姿が少し恥ずかしく感じた。
けれども寒いとは思わないのだ。私にとっては快適な気温である。
冬物かと思われるセーターを着ている人もいて暑くないかと気遣う。
臨機応変にと思う。寒さを感じたら長袖を着れば良い。
地場産市場へも行きやっとビオラの苗を買い求める。
5個で3百円の安さ。持ち帰るとまた夫に叱られてしまった。
ろくに植えることも出来ないくせにと云うのだ。
この人とは価値観が違うのだとつくづく思う。
大月町の遅咲きの向日葵もやはり見には行けなかった。
億劫なのもあるが車の運転が苦手になっているようだった。
先週も出掛けたから勘弁してくれと云う。とても無理強いは出来ない。
地区の秋祭りでもあったがお神輿は出ず何とも寂しい。
せめて近くで外食をと願ったがそれも却下されていまった。
そんなに行きたけりゃ一人で行けと云うので何とも悲しい。
とにかく外出するのが億劫でならないようだ。
自室に籠っていると煙草ばかり吸ってしまうのでどうしようもない。
夫と一緒にテレビを見ようと茶の間に行ったのだが
何だか怖ろしいような洋画を見ていた。
吸血鬼がうようよ居て残虐な場面が多く映し出されていた。
夫にとってはスリル満点で面白くてならないようだったが
私にはとても無理である。気分が悪くなりまた自室へと戻って行った。
煙草は一箱があっという間である。自分でも病気としか思えない。
何とかしなければと思うのだがどうしても自制することが出来ない。
午後はネットフィリックスとかで「極悪女王」を見た。
昨日娘がダウンロードしてくれて見放題になったのだそうだ。
女子プロレスラーの「ダンプ松本」の物語でとても興味深い。
プロレスなので酷く乱暴なシーンもあったが怖いとは思わなかった。
人間味あふれる良き作品だと思う。心がほっこりと温かくなった。
3時を過ぎ娘が洗濯物を取り入れ畳んでくれていたのが嬉しい。
365日私の役目だと決めつけていた。「夢に餅」とはこのことだ。
夕食の鶏の唐揚げも揚げてくれてとても美味しかった。
夫が珍しく娘婿を誘い一緒に晩酌を始めたのもほっこりと絵になる。
いつもは無口な娘婿も酔えば饒舌になり夫も楽しそうだった。
こんな日曜日がこれからもずっと続けば良いなと思う。
思うように行かないことがあっても思いがけないことがある。
些細なことで落ち込んでいてはいけないのだとつくづく思った。
夫も私もどうしようもなく老いて行くけれど
明るい未来がきっと待っていることだろう。
一喜一憂しながらではあるが一歩二歩と歩んで行きたいものだ。
曇り日。夕方からぽつぽつと小雨が降り始める。
雨音が耳に心地よい程の雨にはなりそうになかった。
なんとなく渇いている。それは心の隅っこのようだ。
水なしでは生きられない魚ではないはずだが
もしかしたら水すましのように浮かびたいのかもしれない。
足りないものがあっても欲しがってはいけない。
愚かな欲に囚われてはいけないと思うばかりである。
大月町に遅咲きの向日葵がたくさん咲いているのだそうだ。
明日見に行きたいと夫に告げるなり即却下された。
悲しむほどのことではないがなんだか余計に渇きを感じてならない。
カーブスは良き気分転換となった。心地よく汗を流すと
気分も明るくなり溌溂として来る。
70代に見えるお仲間さんが声を掛けてくれて嬉しかった。
「今日も頑張りましたね」その一言がとても励みになる。
俯くと汗がぽたぽたと床に落ちる。まるで身体の嬉し涙のようだ。
午後は2時間程お昼寝をし目覚めてから夫と録画映画を見ていた。
「武士の家計簿」である。なんと14年も前の作品のようだ。
幕末に実在していた武士の役を堺雅人が演じていて興味深い。
お家の一大事になる程家計がとても苦しかったようだ。
それは現代にも通じるところがありどれ程の人が貧困に耐えていることだろう。
裕福な暮らしをしている人はほんの一握りのように思えてならない。
我が家も貧困家庭であるが最低限の暮らしが出来るだけで幸せに思う。
三食をちゃんと食べることが出来て住む家があるだけで十分なのだ。
欲を云えばきりがない。ただただ日々に感謝するばかりであった。
映画は2時間程だったが見終わった後はとても感動していた。
家計簿は今でも現存しているのだそうだ。この目で見てみたいと思った。
夕食はめいちゃんのリクエストで「しゃぶしゃぶ」だった。
例の如くで夫と先に食べたが私はあまり好まず
お豆腐をしゃぶしゃぶせずにそのままお醤油を垂らして食べる。
夫は野菜を一切食べず豚肉だけをしゃぶしゃぶしていた。
その後娘達が食べ始めたがあやちゃんの姿が見えない。
娘に訊こうと思ったが機嫌が悪くなりそうで何も言えなかった。
家族団欒には持って来いの「しゃぶしゃぶ」なのにと残念に思う。
家族が食べ終わってから独りぼっちで食べるのも寂しいものである。
あやちゃんの好きなように。それが娘の方針のようだった。
一切の干渉をしない。注意することも叱ることもしない。
寝たい時に寝て起きたい時に起きるそんな日々が2年近くも続いている。
来春には卒業式もあるがおそらく出席することはないだろう。
娘も悩んだ挙句の現状なのだと理解を示すしかないないのだと思う。
毎晩寝る前には部屋をノックし「おやすみい」と声を掛けている。
あやちゃんも必ず「おやすみい」と応えてくれるのが嬉しい。
朝方まで雨が降っていたが日中は思いがけずに晴れる。
気温が異常な程に高くなりほぼ30℃の暑さであった。
熊本県の水俣では32℃を超え日本一を記録したようだ。
そうかと思えば北海道では週末に雪が降るかもしれないと云う。
それが本来の気候なのだろう。北海道の秋はとても短い。
ここ数日朝顔が咲かずもう駄目なのかもと諦めかけていた。
確かに蕾があるのにどうしてだろうと不思議でならない
ようく見ると下の方の葉が枯れかけているではないか。
雨が降ったので安心していたがどうやら水不足のようである。
玄関の軒下なので雨が十分に届かなかったのかもしれない。
また無残な目に遭わせてしまうところだった。
慌てて水遣りをしたがどうか持ち直して欲しいものだ。
職場のお客さんは高齢者が多いが、今日は若者のお客さんが来てくれた。
大阪出身らしいが山里がとても気に入り移住を決めたのだそうだ。
古民家を購入し来月から正式に住民となる予定であった。
山里のレモン農園で働いておりこれまでも多少お付き合いはあったが
礼儀正しく真面目そうな青年で大いに好感が持てる。
しかし全身に刺青を施していて義父がそれさえなければと苦言を漏らす。
今時の若者にはよくあることで刺青もおしゃれのひとつだと聞く。
私はまったく気にならなかったが義父は大いに気になるようだ。
レモン農園は毎日の仕事がなく農園主からアルバイトの相談もあった。
整備士の資格は持っていないようだが手先がとても器用なのだそうだ。
簡単な整備は出来るそうでアルバイトには持って来いである。
しかし義父は大反対で農園主に即刻断ったのであった。
民間車検場は公務員ではないが国の仕事の一環には違いない。
たとえアルバイトでも刺青を施した者を雇うわけにはいかないのだそうだ。
私もそれには納得出来た。何かトラブルがあってからでは遅いのだ。
しかし確かに偏見である。見た目よりも人間性を重視するべきだろう。
複雑な思いが募るが義父に逆らうことがどうして出来ようか。
青年はブレーキの修理で来てくれていたのだが
待ち時間のあいだ義父と意気投合して話し込んでいた。
愛想もないのではとハラハラしていたので何とほっとしたことだろうか。
「来月から晴れて住民になります」と丁寧にお辞儀をして帰って行った。
義父も稀にみる好青年だと感じたようでとても機嫌が良かった。
人を見かけで判断してはいけないのだとつくづく思う。
心にまで刺青をする人が居るだろうか。
素直で明るく正直に生きている青年がとても尊く思えた。
曇り一時雨。ぽつぽつと小雨で直ぐに止んでしまった。
まとまった雨が降れば一気に秋が深まるのではないだろうか。
桜の狂い咲きだとか。こちらでは見かけないがちらほらと咲いているようだ。
珍しくて愛でる人も居るようだがなんとも異常な秋である。
春に再び咲くことが出来るのだろうかと心配でならない。
お昼に俳優の西田敏行さんの訃報が速報で流れる。
好きな俳優さんだけになんともショックでならなかった。
発見された時にはもうベットで冷たくなっていたのだそうだ。
おそらく昨夜のうちに息を引き取っていたのではないだろうか。
まだ詳しい報道がなく憶測でしかないが
家族はどうして気づかなかったのだろうと思わずにいられない。
独り暮らしではなかったはずなのだ。それがとても残念に思う。
ひとは突然に死ぬ。その現実を思い知らされたような訃報であった。
76歳、まだまだこれからの人生だったことだろう。
どうすることも出来ずただただ冥福を祈ることしか出来ない。
整形外科のリハビリの日であったが退社が遅くなりぎりぎり間に合う。
病院前の駐車場は満車で第二駐車場から必死の思いで歩く。
無理をしてはいけないと今日は杖のお世話になった。
受付を済ますなり直ぐに名前を呼ばれ息を整えることも出来ない。
理学療法士はいつものU君であった。
口数は少ないが腕は良く患者さんからも一目置かれているようだ。
主治医の計らいで専属にしてもらったのだが気の毒でならない。
私のように太っていて身体が固いのは余計に力が要るだろう。
それでもとことん揉みほぐしてくれる。それが有難くてならなかった。
帰りのエレベーターの中でお礼を言ったら「大丈夫ですよ」と言ってくれる。
直ぐにまた次の患者さんが待っているのだ。頭が下がるばかりである。
買い物を終え4時半に帰宅。自室で一服してから茶の間に行った。
「破れ奉行」はラストしか見れなかったが十分に思う。
「てめえらを斬る」その一言が聞きたかったのかもしれない。
煙草を少し控えめにしていたせいか今日は咳が殆ど出なかった。
咳をしてみないと頭痛が治っているのかよく分からない。
それも可笑しな話であるがおそらくもう大丈夫なのだろう。
体調の変化で不安に陥るのにもすっかり慣れてしまった。
生きてさえいればと思うが眠ったまま死ぬことも在り得る。
それは夫も同じであり互いの異変に気づかなければいけない。
毎晩寝る前に父と母の遺影に手を合わせている。
「また明日の朝会おうね」それは約束であり希望にも等しい。
曇り日。雨が降りそうで降らず午後には薄陽が射し始める。
気温は30℃にもなり蒸し暑くてならない。
朝の道。休憩所で休んでいるお遍路さんを見かけた。
車を停めて声をかけてみようかと思いながら通り過ぎてしまう。
何か熱心に書き物をしていた。旅の記録を綴っていたのかもしれない。
雨が降らなければ良いなと思う。延光寺さんまでは随分と遠い。
今朝は少し頭痛があった。軽く咳をしただけでずきずきと痛む。
若い頃には偏頭痛があったが最近では珍しいことである。
何か脳に異変が起きているのではないかと不安になった。
煙草を吸えば咳が出る。ならば吸わなければ良いのだが
吸い始まてしまうと留まることを知らず情けなくてならない。
おそらく重度の依存症なのだろう。それも病には違いなかった。
朝のうちに近くのJAへ行き「三原米」を買い求める。
ブランド米だけあって10キロで6千円を超えおどろく。
その足で郵便局へ行きゆうパックで弟に送った。
そうでもしなければ弟の気持ちが収まらないだろう。
機嫌を取るわけではないが姉として出来ることをと思ったのだ。
義父は「十和錦」の袋詰めをしていたが思ったよりも数があったらしく
弟に「送ってやれや」と言ってくれたがもう後の祭りであった。
さすがに買い求めて送ったとは言えない。当て付けのようになってしまう。
義父には適当に胡麻化して弟よりも他の人にと勧めた。
毎年注文してくれている人に不都合を掛けてはいけない。
お米の件はそれで落着となりもう頭を悩ますこともないだろう。
弟も持つべきものは姉と喜んでくれるに違いない。
仕事はそこそこの忙しさであったが2時半に退社する。
ゆっくりと買い物をし4時前には帰宅していた。
実は「破れ奉行」を見たかったのだ。
夫も一緒に見ようと待っていてくれていたようだ。
50年近く昔の時代劇なので役者さんの若々しいこと。
「これはあの人だね」と言っても名前が出て来ないのも愉快であった。
「てめえらを斬る」今日も悪人が次々と成敗された。
それが少しも残虐でないところがとても好ましい。
見終わってから10分程うたた寝をしていたようだ。
とろりとろりと何とも心地よい眠りであった。
それからは大急ぎで夕飯の支度である。
あらあらという間に夫の晩酌が始まるので待ったなしであった。
平日は毎日その繰り返しであるが主婦冥利に尽きると言っておこう。
夕食後いつもの薬に加えて鎮痛剤を服用する。
頭痛の原因も喫煙だとしたらもう目も当てられないと思う。
追い詰めているのは他の誰でもない私自身である。
そんな「わたし」を救えるのも私しかいないのだ。
明け方まで小雨が降っていたが日中は曇り空。
今日も夏日となり蒸し暑さを感じた。
10月も中旬だと云うのにエアコンのお世話になる。
そんなことがかつてあっただろうかと思う。
夏野菜の胡瓜がまだ獲れているのだそうだ。
しかも畑ではなくベランダで栽培していると聞きおどろく。
よほど管理が良いのだろうが毎朝収穫しているそうだ。
そこではっと閃く。来年は庭先に胡瓜を植えてみたらどうだろう。
大きめのプランターを買ってミニ菜園にするのだ。
そう考えただけでわくわくとして来る。
しかし夫が手伝ってくれるだろうか。
「胡瓜なんて買えばいい」と言われたら一気に夢が破れてしまう。
亡き姑さんが残してくれた畑はすっかり荒れ果ててしまった。
今の時期なら大根やほうれん草の種を蒔き楽しみなことだろう。
輪転機は在るが耕すこともままならない不自由な身である。
夫が野菜作りに目覚めることなどとうてい無理な話であった。
やっと三連休が終り火曜日からのスタートである。
大袈裟かもしれないが武者震いをしてしまう朝であった。
あれもこれもと仕事の事ばかり考えて気分は独楽鼠である。
出勤時間は30分であったが今朝は何故か煙草を吸いたくなかった。
このまま止めてしまえるかもしれないと目の前が明るくなる。
職場に着いてもそれは変わらず喫煙所に向かうこともしなかった。
しかし義父の「すったもんだ」が始まり一気に辛くなる。
決して怒らせてはいけないので神経を尖らせていたのだろう。
居ても立ってもいられなくなりとうとう煙草を吸ってしまった。
吐き気がし咳き込む。そうしてまた自己嫌悪に陥るばかりである。
追い打ちを掛けるように弟から電話がありお米の催促であった。
先日から催促があったのだが延ばし延ばしにしていたのだ。
おそるおそる義父に話すと機嫌が悪く「困ったなあ」の一言である。
最後の稲刈りも終りそこそこの収穫はあったのだが
「十和錦」は例年の三分の一しかなかったのだそうだ。
毎年の注文にとても追いつかず義父も頭を悩ませていた。
弟に訳を話すとこれもまた機嫌が悪い。「もういい」と投げ遣りである。
おまけに母の遺骨を返してくれないかと言うので寝耳に水であった。
先日から「分骨」の相談は受けていたのだがまさか「返せ」とは。
いくら弟であってもあまりにも酷いのではないかと思った。
幼い頃から母親べったりの子供であったがその執着心には呆れる。
弟には母に捨てられた記憶が無いのだろうかとその心中を疑う。
私は13歳。弟は10歳だった。あの寒い冬の日の朝のことを。
私達姉弟はアパートに置き去りにされたのだ。
生前の母はまるで遺言のように生まれ故郷のお墓に拘っていた。
弟はそれをしっかりと憶えており母の願いを叶えてやりたいのだろう。
私もそれは気になっていたが義父にどうして告げられようか。
最期を看取ってくれたのは義父である。母はどんなにか安らかに
息を引き取ったことだろうと思う。もう何も思い残すこともないと。
それは私たち子供には到底理解出来ない愛の終着だったのではないだろうか。
弟にはしばらく日を置いてゆっくり説得しようと思っている。
きっと分かってくれるだろう。どれ程の愛情であっても
それ以上に敵わない愛情がこの世にはあるのだ。
曇り日。気温は夏日であったが心地よい涼風が吹く。
エアコンも扇風機も要らず自然の風のなんと有難いことだろう。
今朝は朝顔が咲いておらず。ようく見ると固い蕾があった。
それは必ず咲くと云う約束であり希望である。
一喜一憂せずに咲く時を静かに待とうと思う。
花すべりはもう終ったようだ。さすがに夏の花である。
しかし枯れてはおらず茎を伸ばし切っており健気であった。
越冬出来るかどうかは調べてみないと分からない。
引き抜いて処分するにはあまりにも憐れに思う。
空いたプランターがあるのでビオラの苗を買って来ようか。
そう思うだけで何も出来ないのがもどかしくてならない。
一輪の朝顔だけが頼りであった。花の無い庭先の何と寂しいことだろう。
夫に昨日のリベンジを申し出る。却下覚悟であったが
思いがけずに了承してくれてほっと嬉しかった。
10時に家を出て市の山間部へと向かう。
途中で息子のマンションの前を通り車が在ることを確かめる。
けい君が独りぼっちでなくてとてもほっとした。
山間部の川登地区から有岡へ抜ける県道を走る。
何処かに「ポツンと一軒家」がありそうでわくわくしたが
所々に集落があり必ず二軒は並んでいるのだった。
そうそう在りはしないと夫と笑い合いながら先へと進む。
「一風」は11時開店なので思ったよりも早く着きそうである。
夫の提案で「横瀬ダム」に立ち寄ることにした。
来るのは二度目であったが壮大な眺めに感動を覚える。
このダムが出来たおかげで下流地域の水害が無くなったのだそうだ。
夫が自慢気に話す。なんだかダムの管理職員のようであった。
寄り道をしても早く着き過ぎ駐車場で10分程待つ。
まさか今日も12時開店ではないだろうなと玄関を確かめた。
貼り紙が無かったので今日こそリベンジが叶いそうである。
幼馴染のなっちゃんが出迎えてくれて早速ラーメンセットを頼んだ。
先日の法事でもお世話になっておりしっかりとお礼も伝える。
昨日も宴会の予約がありとても忙しかったのだそうだ。
あっさり系の中華そば。今日はちゃんと煮卵も入っていた。
前回は少し味が薄く感じたが今日は完璧であった。
半チャーハンも顎が落ちそうなほど美味しい。
「満足、満足」と夫も上機嫌で私も嬉しくてならなかった。
「また連れて来てね」と言うと「おう!」と声も弾んでいる。
半日であったが休煙も叶う。禁断症状も全く感じない。
もしかしたらこのまま断煙出来るかもしれないと思ったが
そうは問屋が卸さず帰宅したら元の木阿弥であった。
吸わないのは昼寝をしている時間だけで起きてしまえばどうしようもない。
立て続けに吸ってしまい一箱があっという間である。
なんと情けないことだろう。今日ほど自己嫌悪に陥ったことはなかった。
吸えば激しい咳である。その度に尿漏れもある。
不潔で汚らしい「ばばあ」そのものであった。
夕食後はまた被害妄想に陥る。
先日のSNSでの「ブロック」が相当堪えているらしい。
ブロックをされたら自分もブロックをするべきだが
いくら考えてもそうすることが出来なかった。
それだけ信頼していた人である。
私の落ち度は認めるがせめてもと思う気持ちが募るばかりであった。
もしかしたらこの日記を読んでくれているかもしれない。
それが最後に残された私の「希望」に他ならなかった。
縁とはどうしてこれ程までに私を苦しめるのだろう。
そうしてどうして私はその「糸」を断ち切ろうとしないのだろう。
爽やかな秋晴れであったが日中の気温は30℃に近かった。
湿度が低く今が一番過ごし易い季節なのだろう。
地場産市場の店先には「ビオラ」が並び始めた。
寒さに強い花なので春先まで楽しめるはずなのだが
まだ植える気にならず眺めるだけであった。
足が不自由になってから億劫なことがどんどん増えて行く。
身体を動かせば心も動くのだ。諦めてはいけないのだと思う。
絶好の行楽日和となり夫と意気投合しプチドライブに出掛けていた。
家に居ても退屈でごろごろと寝るばかりである。
土佐清水市から宿毛市へと向かい一時間半程の距離だった。
久しぶりに海を見る。陽を浴びてきらきらと輝きとても綺麗。
こうして出掛けると煙草から遠ざかっていられる。
まったく吸いたいとは思わないのだ。
もちろん禁断症状も出ず気分はとても良かった。
夫にはそんな話は出来ないが決して我慢しているのではない。
それを日常に当てはめれば禁煙など簡単なことに思える。
昼食はいつもの「一風」と決めて11時過ぎに到着したが
今日はどうしたことか12時開店の貼り紙がしてあった。
仕方なく四万十市内へと向かい国道沿いのレストランへ行った。
昔から「ひいらぎ」であったが店内は「ぞうさん亭」に変わっており
まるで初めて来たように戸惑ってしまう。
メニューはステーキとハンバーグがメインでラーメンなど在りはしない。
今更昔のことを言っても仕方なくステーキと海老フライのセットを頼んだ。
後から知ったことだが鉄板焼きの専門店になったのだそうだ。
家族連れが多くなんと賑やかなこと。夫の機嫌がいささか悪くなった。
待ち時間も長く苛々して来る。やっと運ばれて来たのだが
ステーキソースがやたら甘くどうやら子供向きのようであった。
海老フライは大きかったがナイフで切ると衣が剥がれてしまう。
夫の顔色が増々悪くなりなんとも居心地が悪い昼食となる。
食べ終えて外に出るなり「もう二度と来んぞ」と夫が言う。
私も同じであった。今日の昼食は大失敗だったと思う。
「一風」さえ開いていればこんなことにはならなかったのだが
何か事情があったのだろう。まあこんな日もあるものである。
帰宅して直ぐに卵と大根を茹でた。
今夜はおでんの予定で朝のうちに材料を買い込んであった。
お昼寝をし過ぎて目覚めたらもう4時。急いでおでんを仕込む。
弱火でぐつぐつと煮込めば家中にいい匂いが漂う。
なんと平和な匂いだろうと思った。おでん程の幸せがあるだろうか。
これから鍋料理が多くなるが「おでん日和」が一番である。
あれこれと思い悩むことも無きにしも非ず。
けれどももう過ぎ去った事だと思い封印しようとしている。
考えれば考えるほど納得がいかないことだった。
かと云ってもう何も伝えることが出来ない。
私はそれ程までに無礼な人間だったのだろうか。
10月とは思えない夏日が続いているが
真夏の猛暑に比べれば随分と過ごしやすく感じる。
朝顔はまだまだ元気。もしかしたら冬まで咲き続けるかもしれない。
その健気さが愛しくてならず咲いた朝のなんと嬉しいことだろう。
朝ドラ「カーネーション」を見てから急いで病院へ向かう。
7時からの受付なので少し出遅れ16番であった。
駐車場に友人の車を見つけ思いがけずに嬉しい。
待合室で肩を並べゆっくりと語り合うことが出来た。
彼女は昨年最愛のご主人を亡くされどれほど辛かったことだろう。
「日にち薬」だと励まして来たがずいぶんと明るくなっていた。
微笑みながら思い出話が出来るのも日にち薬のおかげだと思う。
県外に住む娘さんが同居を勧めてくれているらしいが
70歳までは働くのだと言ってなんとも頼もしかった。
けれども毎朝見送ってくれたご主人はもういない。
疲れて帰って来ても独りぼっちの孤独に耐えているようだった
明日は我が身だと思う。夫に先き立たれたら途方に暮れるしかない。
「最愛」とはそう云うことである。失うのが怖くてならなかった。
先に受診を終えた彼女を見送りやっと私の順番が来る。
血液検査の結果を持参していたが再度検査をした。
主治医は今日も穏やかな笑顔で接してくれなんと安らぐことだろう。
血液検査も整形外科より詳しい数値が出ていたようだ。
細菌感染は無く特に異常はないと聞き胸を撫で下ろした。
相変わらずの咳と声枯れが続いていたので喉を診て貰ったら
やはり赤くなっており軽い炎症があるとのこと。
それで白血球の数値が高くなっているようだった。
原因はもちろん喫煙である。医師も同意見であった。
しかし医師は禁煙を強要することをしなかった。
それはおそらく私の意思に任せると云うことなのだろう。
とうとうここまで来たかと思う。全てが自業自得なのであった。
受診を終えて駐車場に戻るなり立て続けに煙草を吸った。
「いけない、いけない」と思いつつ自制することが出来ない。
まるで麻薬のように支配されていることを思い知る。
断ち切らない限り永遠に悩み続けなければいけない。
酷く追い詰められていることをもっと自覚しなければと思った。
幸い「肺がん」の不安は薄れたが複雑な気持ちは募る。
油断していたらきっと落とし穴があるだろう。
その時に後悔してももう遅いのだ。
いったいこの先私はどうすれば良いのだろう。
ぐるぐると同じところを空回りしているような気がする。
爽やかな秋晴れであったがやはり今日も夏日となる。
寒さは苦手なので過ごし易く思うのだが
突然に寒くなるのだけは勘弁して欲しいものだ。
私にとって冬ほど怖ろしい季節はなかった。
血圧がぐんと高くなり卒倒するのではないかと不安でならない。
そのまま死んでしまえば諦めもつくが半身不随にでもなれば
夫や娘達にどれほど迷惑を掛けることだろう。
考えたくもなかったが負の感情がつのるばかりであった。
もっと楽観的に生きていけたらどんなにか楽だろうか。
仕事は来客が多く嬉しい悲鳴を上げていた。
午後一番にタイヤ交換を予約してくれていたお客様がお昼前に来る。
待たせるわけには行かず同僚がお昼休みを犠牲にしてくれた。
義父は最後の稲刈りの準備をしていたが「もう昼飯じゃな」と
居室に向かうなり直ぐに工場に戻って来る。
今朝仕掛けたはずのご飯が炊けていなかったのだそうだ。
うっかりして炊飯器のスイッチを押し忘れていたのだろう。
「炊けるまで待つ」と言っていたがあまりにも可哀想なので
急いでお弁当を買いに走った。一緒に同僚のお惣菜も買い求める。
同僚は3時からの通院を控えていたのでそのまま2時まで居てくれる。
どんなにかお腹が空いただろうと気遣わずにはいられなかった。
買って来ていたポテトサラダを見るなり3日連続だと苦笑いする。
独り暮らしなので毎日お惣菜を買っているのは知っていたが
昨日もポテトサラダだったとは知る由もなかった。
玉子焼きや煮物を詰め合わせたお惣菜セットも手渡す。
義父はお弁当を食べ終わるなり稲刈りに出掛けた。
やっと「十和錦」であるが猪の被害に遭っているので僅かである。
半日もあれば終わるそうで今日は手伝い手も居なかった。
籾米を軽トラックで運ぶのは私でも出来たのだが
今日は市の胸部レントゲン検診があり3時には退社しなければいけない。
義父は一人でも大丈夫と言うので手伝うことも出来なかった。
3時半には地元の集会所まで帰り着く。
胸部レントゲンのせいかいつになく緊張していたようだ。
もし異常が見つかれば4ヶ月以内に連絡があるのだそうだ。
頭から「肺がん」が離れない。とても4ヶ月は待てないと思った。
「死」の恐怖がひしひしと押し寄せて来るばかりである。
明日は主治医の診察があるそうなので受診することに決めた。
予約制ではないので早朝から出掛けなければならないが
藁にも縋る思いである。「大丈夫」の一言を聞きたくてならない。
ようく調べたら白血球の数値はストレスでも高くなるのだそうだ。
今のところ大きなストレスはないが「隠れストレス」の可能性もある。
とにかく信頼している主治医に委ねるしかないだろう。
死んでしまえば全て終りだが生きてさえいればまだ未来がある。
目標は米寿であった。あと20年の命がどうか叶いますように。
朝の肌寒さもつかの間。日中は今日も夏日となった。
時おり雲が広がったものの陽射しは強く暑さを感じる。
今朝は朝顔が咲いており嬉しくてならず
めいちゃんに見せようと外から呼んでいたら
娘から「朝からうるさい」とお叱りを受ける。
めいちゃんが一年生の時に学校から貰って来た朝顔なのだ。
こぼれ種であってもめいちゃんの朝顔に違いないのだけれど。
今朝はもうひとつ嬉しいことがあってSNSの例の方が
私の詩を読んでくれたらしく反応があった。
もうこれで大丈夫だと思ったのだ。これからも繋がっていられると。
ここ数日のわだかまりが一気に消えなんとほっとしたことだろう。
しかし午前中に思いがけないメールが届く。
先日のいざこざの時に私が発した言葉を酷く気にしているようだった。
これはいけないと思ったが仕事中で忙しく直ぐに返信出来なかったのだ。
何としても丸く収めなければと焦る。このままでは取り返しがつかなくなる。
お昼になるのを待ち兼ねてメールのページを開いて唖然とした。
「私のような無礼な人はブロックします」と追ってメールが届いていた。
直ぐに返信するべきだったのだ。時はもう遅かりきである。
確認すると確かにブロックされておりもう返信も出来なくなっていた。
その方の投稿も一切見ることが出来ず完全なシャットアウトである。
今朝の嬉しさもありなんだか寝耳に水のような出来事であった。
よほど傷ついていたのだろうと思う。それは私以上にである。
わずか5ヶ月のふれあいであったがずっと昔から知っている方のように思えた。
だからこそ一気に親しくなれたのだろうと思う。
今回のことはその親しさが裏目に出てしまったのかもしれない。
結局は取り返しのつかない事となりお互いが傷つくことになってしまった。
その後で気づいたのだが昨夜私が寝入った後に短歌を読んでくれていたようだ。
コメントを頂いていたのに今朝は全く気づかなかった。
それも返信なしのままなのでまるで無視したような結果となっていた。
今更悔やんでもどうしようも出来ないが悔やんでも悔やみきれない。
「ブロック」は度重なる私の落ち度のせいとしか思えなかった。
もう詫びることも出来ない現実に圧し潰されてしまいそうだった。
心優しく繊細な方だったのだ。心は脆くとても傷つきやすい。
その上に信頼し合っていたのだから裏切られたように思ったのだろう。
けれども私は仕打ちだとは思わない。彼のことは一生忘れはしない。
不穏なSNSの世界で彼ほど信じられる方が他にいただろうか。
もう十分に悲しんだ。後はただひたすらに生き抜くだけである。
週一のリハビリのあった日。今日はリハビリ後に診察があった。
先日の血液検査の結果が出ており医師も心配顔である。
白血球の数値が異常に高く内科での再検査を勧められた。
これも寝耳に水であった。足の痛みはあってもこんなに元気なのにと思う。
白血病。がん。心筋梗塞。どれも可能性があるらしい。
まさか整形外科でそんな話を聞く事になろうとは夢にも思っていなかった。
帰宅して早速ネットで調べてみたが間違いではなかった。
なるべく早い方が良いだろう。内科の主治医に相談しなければならない。
一瞬怖ろしくなってしまって「死ぬのか」と思った。
喫煙が原因で「肺がん」になっているのではないか。
いや「心筋梗塞」も在り得る。全て煙草のせいとしか云いようがない。
今すぐ止めなくちゃと思いつつ引っ切り無しに吸ってしまうのだ。
なんだか気が狂ったようである。まるで自殺行為としか思えない。
死ぬのなら書かなくてはならない。詩を短歌をこの日記も。
私が「わたし」として生きていたことを残して置きたくてならない。
久しぶりの快晴。朝は19℃と少し肌寒く感じたが
日中は25℃を超え10月とは思えない夏日となった。
北海道では氷点下の処もあったそうで驚く。
関東では初冬の寒さとなり札幌よりも気温が低かったらしい。
日本は小さな島国であるが地域によってこんなにも差があるのだ。
朝の山道ではお遍路さんが二人。一人は逆打ちであった。
どちらも荷物は小さく近辺の宿に泊まっていたのだろう。
以前はよく野宿のお遍路さんを見かけたが最近は殆ど見ない。
Mさん以外にも顔見知りの職業遍路さんが何人か居たのだが
何処かの町で居を定め落ち着いているのかもしれない。
風の噂でGさんは癌を患っていると聞いたことがあったが
治療をするにも托鉢暮らしでは病院にも行けなかったことだろう。
何とも憐れで不憫でならない。それもGさんの選んだ人生である。
Wさんは父の命日に二年続けて会いお経を唱えてくれたことがあった。
Wさんも所持金が少なく一日一食を貫き栄養失調になっていた。
「いつ死んでも良いのだ」と言った。寂しげな顔が忘れられない。
お大師堂から足が遠のきもう2年が過ぎたようだ。
これまで頂いた沢山のご縁は私にとって人生の宝物に他ならない。
仕事は今日もぼちぼちの忙しさであった。
義父は昨夜飲み過ぎたらしく二日酔いでお昼まで寝ていた。
よほど嬉しかったのだろう。飲み会は義父の一番の楽しみである。
けれども81歳になった高齢者にはいささか厳しさもあるのだろう。
車検整備が完了した車があったのでお昼のうちに車検を終わらす。
私のお昼休みはなかったがいつものことであった。
一時からは国会中継を見たいと言いまた居室へと戻って行く。
午後は来客があり早目には終れず3時過ぎに退社した。
FMラジオは「谷村新司特集」でしみじみと耳を傾ける。
昨日が命日だったのだ。何と惜しい命だったことか。
けれども歌声は永遠に残り癒し続けてくれるだろう。
買い物を済ませ4時過ぎに帰宅した。
めいちゃんの友達が遊びに来ており二階は賑やかである。
水曜日は下校時間が早いので思う存分に遊べるのだ。
他の日は宿題に悩まされており可哀想でならない。
昔は学校から帰るとランドセルを放り投げ夕方まで遊んだものだ。
今の子供達は帰宅しても勉強である。そんな世の中になってしまった。
洗濯物を畳みながら「破れ奉行」を見たがもうラストに近かった。
悪者を成敗する時に奉行が「てめえ達を斬る」と大声で叫ぶ。
片っ端し斬り殺すのだが決して血を見せないのが良い処である。
きっと女子供が見ても怖がらないように配慮されているのだろう。
「配慮」は大切に思う。それは人を思い遣ることに等しい。
SNSで受けたダメージは未だ消えずにいるが
今日はその人の誠実さをつくづくと感じた。
発信されているポスト(投稿)に共感せずにはいられないのだ。
真から心根の優しい人なのだろう。そうしてとても正直であった。
だからこそ私に対しても本音をぶつけて来たのだと思う。
お互いが傷つけ合ってしまったのだ。私の落ち度もかなり大きい。
遠ざかるべきではないのだと今日は思った。
何かの仕打ちのように容易く後姿を見せてはいけない。
「配慮」あってこその縁である。たったひとつきりの魂ではないか。
二十四節気の「寒露」露が冷たく感じられる頃。
秋は日に日に深まっているようにも感じるが
日中は25℃とまだまだ夏の名残がある。
都心では一気に気温が下がり寒さを感じたようだ。
朝の道の秋桜もほぼ満開となり心を和ませている。
峠道に差し掛かる手前の地区にはお遍路さんの休憩所があるのだが
数日前から溢れんばかりの秋桜が花瓶に活けられている。
地元の方の温かなもてなしに頭が下がる思いである。
残念ながらお遍路さんの数は少ない。今朝も一人も見かけなかった。
おそらくこの夏の猛暑で出足が鈍っているのだろう。
秋が深まれば一気に増えるのではないだろうか。
そう云えば職業遍路のMさんにしばらく会っていない。
最後に会ったのはいつだったか忘れるほどである。
初孫が生まれて娘さんが同居を勧めてくれていると言っていた。
迷っている風であったが山梨へ帰ったのかもしれない。
10年以上も毎日歩き続けて来たのだ。
ゆっくりと休み穏やかな老後を過ごしてくれていたら何よりに思う。
今日は義父の81歳の誕生日だった。
そわそわと落ち着かないのは自動車免許の更新が気になっていたようだ。
高齢者講習は既に終えており合格していたのだが
ずっと目の調子が悪く不合格になるのではと不安だったようだ。
どうしようどうしようと迷っていたが決心したのか午前中に出掛けた。
お昼にはにこにこと笑顔で帰って来て合格とのこと。
私も嬉しくてならず義父と一緒に喜び合った。
免許を失効してしまえば仕事も出来なくなってしまうのだ。
それだけはあってはならないことである。
今夜は友人たちが誕生日のお祝いをしてくれるそうで楽しみにしていた。
今頃は大いに酔っぱらって盛り上がっていることだろう。
独居老人ではあるが友人に恵まれており有難いことである。
午後には仕事が一段落していたので2時半過ぎに退社した。
4時前には帰宅しておりゆっくりと寛ぐことが出来る。
もちろん「破れ奉行」も見た。何度見ても面白い。
20年以上も昔の時代劇だがとても新鮮に感じる。
今は時代劇そのものが廃れておりとても残念でならない。
頭から離れないのは「太平楽」であった。
神経質な私にとって人から言われたことはかなり尾を引く。
もちろんそう言われたのはこれまで生きて来て初めてのことだった。
「勝手気ままに振る舞うこと」「でたらめな言い分」など。
周りの状況や他の人の様子を気にせずに、悠長に過ごしているさまや
好き勝手な言動をあらわす言葉なのだそうだ。
SNSで最も信頼していた人からそう言われたのだからダメージは大きい。
最初は時が経てばと思っていたがどうやら修復は無理なようである。
昨日から一切の繋がりが絶えてしまったようだ。
哀しみよりもこんな理不尽なことがあるのかと嘆くばかりである。
去る者は追わない主義なので私も後姿を見せるしかない。
いったい誰だったのだろうと思う。私が出会った「魂」とは。
今日も天気予報が外れおおむね晴れとなる。
山里では午後にわか雨が降ったが市内は降らなかったそうだ。
「洗濯物がかり」の夫にとっては乾く乾かないが重要な問題のようだ。
今朝はどんよりと曇っていたのでまた乾燥機に放り込んでしまった。
7時50分出勤。外に出ると朝顔が咲いており嬉しくてならない。
愛でる時間はなかったが声を掛けてから出掛ける。
花にも「こころ」があるような気がしてならない。
目も耳も口もあるのではないだろうか。
昼間は10月とは思えないほどの暑さとなった。
まだ事務所にはエアコンが必要でいったいいつまでだろうと思う。
長期予報では11月になると一気に寒くなるのだそうだ。
このままでは冷房と暖房がバトンタッチしそうである。
さあ仕事と意気込んでいただけになんと面白いことだろう。
後から後からする仕事があり忙しさを愉しんでいた。
金曜日には一日がかりで登録に行っていた義父もほっと寛いだ様子。
新しい運搬車のナンバーは「1010」であった。
古い運搬車も車検があるのでこれからは2台となるのだが
自動車税など経費を考えると少しばかり頭が痛い。
けれども義父の嬉しそうな顔には負けてしまうのだった。
義父と相談し古い方は農機具用に。新しい方は顧客専用とする。
事故車などを運搬するとかなりの利益が生じるのだった。
義父と顔を見合わせ「どんどん儲けようぜ」と笑い合った。
市役所に臨時ナンバーの返却に行かねばならず2時半過ぎに退社。
M君は対応中で忙しそうにしていたので声を掛けられず残念だった。
仕事ぶりはとても頼もしく若い頃のM君とは別人にも思える。
情報処理の専門学校を出ており頭脳明晰と見た。
しかも明徳義塾高校卒である。身障者であっても彼は本当に凄い。
若い頃にはまともな就職に恵まれずどれほど苦労したことだろう。
障害者施設で毎日リサイクルの空き缶を踏み潰していた頃もあった。
今思えばどんなにか惨めで辛かったことだろうと思う。
障害者雇用は社会的問題になっているが彼は「光」になったのだ。
4時に帰宅。洗濯物を畳みながら夫と「破れ奉行」を見ていた。
私は子供の頃から血を見るのが苦手であった。
残虐なシーンなどあると逃げてしまいたいほど怖くてならない。
目を背けてはならない史実であってもそれは同じである。
それがどうして許されないことなのか分からなかった。
SNSのその人は「太平楽」と言ったのだ。
「平和な国の民の特権」だとも言った。
確かに私は平和な国の民である。もちろん戦争も知らない。
それではいけないと云うのなら私はどう生きれば良いのだろう。
毎朝般若心経を唱えながら「どうか家族をお守りください」と手を合わす。
それはおそらく私が死ぬまで続くことではないだろうか。
曇りの予報だったが青空が見え隠れしていた。
「洗濯物がかり」の夫が「乾いたのになあ」と嘆く。
今朝天気予報を信じた私が乾燥機に放り込んでしまったのだ。
私も同じように嘆く。これが二人の共通の話題であった。
残念ながら朝顔が咲いておらず肩を落とした。
流石に真夏のようにはいかないのだろう。
けれども蕾が見えており明日の希望につながる。
どうでも良いようなことだが一喜一憂するのが私の性質だった。
日がな一日ごろごろと寝て過ごす。明日が待ち遠しくてならない。
退屈ほど辛いことはない。かと言って何もする気にならないのだ。
あれもこれもと頭の中は仕事のことでいっぱいになっていた。
来週にはまた三連休を控えており今から途方に暮れている。
SNSで少し辛いことがあった。とても楽観視など出来ない。
神経質な性質のせいかどうしても自分を責めてしまうのだ。
まだ未熟かもしれないがれっきとした大人である。
まさかこの歳になって追い詰められるとは思ってもいなかった。
ネット歴が長いせいか過去にも何度がそんなことがあった。
その度に学んだことはいったい何処に行ってしまったのだろう。
掟のようなことかもしれないが特定の人と親しくなり過ぎてはいけない。
あたかも魂が触れ合っているように感じるがそれはとても脆い。
きっかけさえあれば直ぐに捩れてしまうものなのだ。
「傷ついた」と思った時には同時に相手を傷つけている。
哀しいのは私だけではないのだと己を慰めるしかなかった。
また互いに縁を手繰り寄せることが出来ればそれに越したことはない。
「にんげんだもの」その一言で解決出来ればどんなに救われるだろうか。
再び互いの信頼を取り戻すには必要な「時」がある。
秋が深まりやがて冬が来れば出会った頃の春もきっと訪れるだろう。
曇り日。気温は高くはなかったが少し蒸し暑く
やはり梅雨時のようであった。
10月の朝顔。こぼれ種から育ったそれは逞しく伸び
一日置きに花を咲かせてくれるのだった。
今朝はお休みで昨日の花がしぼんでいるのが見えた。
終わった花を摘んでやるべきかと迷う。
これも調べてみるべきだろう。どんな状態が好ましいかだ。
ようく見ると花芽が次々に出来ている。12月まで咲くかもしれない。
「自分のペースで咲く」それは人にも当てはまることだろう。
皆と一緒でなくても良い。咲きたい時に咲けば良いのだ。
午前中にカーブスへ行っていたがうっかり杖を忘れていた。
忘れる位だから今朝は痛みもなく調子が良かったのだろう。
しかしなんと心細いこと。筋トレは出来てもボードで足踏みが出来ない。
これまでどれ程杖に助けられていたかを思い知った。
コーチの女の子に励まされながら何とか一周することが出来る。
筋トレの後はストレッチだが汗が滝のように噴き出て来た。
成果はないように思えてもしっかり効いている証拠である。
困ったのは次の買い物であった。時間帯のせいか専用駐車場は満車だった。
仕方なく一般スペースへ停めたがもちろん颯爽とは歩けない。
やっと入口に辿り着き備えてあるカートにしがみついた。
カートさえあれば買い物は出来るがその後がまた一苦労である。
車までカートを押して行っても元の場所に戻さなくてはいけない。
「よっし」と気合を入れて両手に荷物を持ち必死で歩いた。
赤い羽根の共同募金とか申し訳ないがそれどころではなかった。
幸い声を掛けられることもなかったので逃げるように遠ざかる。
駐車スペースさえ空いていればそんな苦労をせずに済んだが
車椅子の人もいるだろう。身体の不自由な人は沢山いるのだと思う。
たかが左足一本ではないか。歩こうと思えば歩けるのだ。
午後はお昼寝をする前に動画を観た。
SNSで親しくしている人から是非にと薦められたのだった。
昨夜のうちにメールが届いていたのだが早寝の私のことである。
今朝まで気が付かずなんだか無視したような形になってしまった。
「おうち診療所」そんな医療施設があることを今まで知らずにいた。
小児がんなど難病の子供が家族と一緒に暮らせる「おうち」なのである。
4歳のいっちゃんは小児がんと闘っており余命宣告を受けていた。
天国へ行くことをいっちゃんに話すご両親の気持ちは何とも悲痛である。
最期はお母さんに抱っこされて安らかに息を引き取った。
まだ4歳の幼い命である。「辛い」の一言でどうして済まされようか。
こんなことはあってはならないと思うが現実はとても厳しく
今もって沢山の幼い命が失われていることを忘れてはならない。
おうち診療所
曇り日。今は小雨がぽつぽつと降っている。
気温からしてなんだか梅雨時の夜のようだ。
やはりセイタカアワダチソウだった。
今日は近くで見ることが出来て葉の形を確認する。
ブタクサの葉は蓬のようにギザギザがあるらしいが
そうではなく真っ直ぐに平らな葉だったのだ。
見渡すと辺り一面のセイタカアワダチソウである。
花粉症の夫は見ただけで鼻がむず痒いと言っていたが
ただの勘違いであり花粉症には全く影響がないのである。
じゃあブタクサはと思い見渡してもそれらしい花は咲いていなかった。
植物のことを調べるのは面白い。ひとつお利口さんになったようだ。
義父は予定通りに高知市の陸運支局へと向かう。
会社は民間車検場であるが大型車の中古新規登録が出来ないのだ。
高知市までは4時間近く掛かり一日仕事である。
忘れ物はないか書類に不備がないかと朝から大騒ぎであった。
午前中の検査には間に合わず午後の予約となる。
義父を送り出してから気が抜けたようになった。
同僚も同じらしくまるでのらくら一等兵と二等兵のようである。
仕事は立て込んでいたがそこそこにしか出来なかった。
8月末に購入した運搬車である。検査までなんと長い道のりだったことか。
外注先の工場にお世話にならなければとても無理であった。
義父から無事完了の報告があるのを待っていたが未だ連絡がない。
不備があれば大騒ぎするはずだからきっと大丈夫だったのだろう。
法務局へ行く用事があり2時過ぎに退社した。
こんなに早く帰れるのは久しぶりである。
FMラジオでは「アルフィー」の特集をしており何と嬉しい。
今年は結成50周年なのだそうだ。
昔好きだった人の影響で私もすっかりファンになっていた。
4時前に帰宅。自室で一服してから夫と一緒に「暴れ奉行」を見る。
ラストの悪者を成敗するシーンが好きでたまらない。
決して血の海にはならないのだ。悪者が次々に息絶えて行く。
今の世では考えられないことだが奉行の刀は将軍様から授かった物で
人を殺めても罪にはならないのだそうだ。
その悪者たちはそれぞれに病死とか急死として葬られるのである。
今週はずっと残業続きで帰宅が遅かったので今日はほっとした。
夕飯の支度まで横になることも出来て幸せとしか云いようがない。
毎日そう出来たらこの上ないことだが所詮無理な話だろう。
どんなに疲れても出来ることを精一杯に尽くしたいと思う。
夕方、あやちゃんの担任の先生と保健室の先生が訪ねて来てくれた。
週に一回は必ず来てくれて頭が下がる思いである。
しかし今日も駄目だった。「会いたくない」の一言で済ます。
どんなに宥めてもその意思は固くどうすることも出来ないのだ。
無理強いはいけないと学校からも指示を受けており
本当に申し訳なかったが夫が対応し引き取ってもらった。
昼間は「今日は先生が来るから」と笑顔で話していたらしい。
それがいざとなったら拒否である。いったい何が原因なのだろう。
理解出来ないことばかりで心配ばかりが募るこの頃であった。
娘は今日も6時半に帰宅。あやちゃんには声も掛けない。
「いつまでもこの家には居ないから」と言っていたが
子供達はいったいどうなってしまうのだろうと思う。
一人は引きこもり。一人は鍵っ子にするつもりだろうか。
私達じいもばあも何があっても家族だと思っている。
どれほど蔑まれてもこれほどまでに愛しい者があるだろうか。
雨のち曇り。幸い大雨にはならずに済む。
能登の被災地も雨になっており気掛かりである。
再び豪雨などあってはならないことだ。
福井沖で発見された遺体はやはりあの少女だったようだ。
死因は窒息死とのこと。どんなにか苦しかったことだろう。
DNA鑑定でなければ身元が判明しなかったのは
残念ながら遺体が酷く傷んでいたものと思われる。
せめて直ぐに発見されていたらと思うと居たたまれない。
ご両親やご家族の心痛を思うと胸が張り裂けそうであった。
やっとご両親に会えたのだ。しかし帰る家はもうない。
悲惨な現実に圧し潰されてしまいそうだ。
今朝のことセイタカアワダチソウとブタ草は違う植物だと知った。
詳しく調べてみたがよく似ていて写真では判別し難い。
その上秋の花粉症の原因はブタ草の方らしいのだ。
セイタカアワダチソウの花粉は重く飛散することはないのだそうだ。
花はよく似ているが葉の形が違うのだそうである。
しかし普段から近くで見ることはあまりなく比べようがない。
もしかしたらずっとセイタカアワダチソウだと誤認していたのかも知れない。
そのブタ草かも知れない花が日に日に黄色くなっている。
何とも秋らしい風景であった。
義父はすっかり元気なり今日も工場の仕事に励んでくれた。
明日はやっと新しい運搬車の登録に行けるようになる。
その為にはまた臨時ナンバーが必要で市役所へと赴く。
流石に宿毛市役所は行き難く四万十市役所で手続きをした。
係の職員がまたM君で早くも再会が叶う。
新人職員とは思えない手際の良さに驚く。
来週の月曜日にはナンバーを返却に行くのでまた会えることだろう。
整形外科のリハビリもあったので帰宅がすっかり遅くなってしまった。
夫に入浴時間を少し遅らせてもらいなんとか夕食が整う。
ご飯が少なかったのでナポリタンを作った。
6時半に娘が帰宅しそのまま急いでダンス教室へと向かう。
残業はめったにないのだが今日は忙しかったのだろう。
仕事にはもう慣れたのだろうか。そんな会話も全く在りはしない。
今日は失禁をしてしまいGパンを汚してしまった。
入浴前にその現状をありありと確かめショックでならない。
汚れた下着を丸めてゴミ箱に放り込んだ。
今からこれでは10年後はどうなっているのだろう。
紙パンツのお世話になるのも近いのではないかと思う。
情けないったらありゃしない。もうすっかり糞ばばあである。
秋晴れの朝であったが次第に雲が広がり午後には雨が降り始める。
台風の影響ではなく秋雨前線が停滞しているのだそうだ。
残念ながら能登の被災地も雨になってしまった。
どうか再び豪雨にならないことを祈るばかりである。
彼岸花が盛りを過ぎたのだろう少しずつ枯れ始めている。
白い花は糸のようになり項垂れているが
紅い花は何とも憐れでまるで幽霊のようにも見える。
紫陽花もそうだったが散れない花の最後は悲哀に満ちていた。
「死人花」とも呼ばれている彼岸花はまさに「死」である。
やがては茎も跡形もなく消えてしまうのだが毒を持つ根は残るのだった。
決して死んでしまうわけではないが「死」を連想せずにはいられない。
今朝は緊急事態発生。義父が体調を崩し寝込んでしまっていた。
食当たりかもしれないが昨夜から激しい嘔吐とのこと。
病院へ連れて行こうとしたが嫌がりしばらく様子を見ることにする。
夏の間の疲労で胃が弱っているのかもしれなかった。
今日も仕事が立て込んでおり義父の代理で外注先へ向かう。
例の新しい運搬車の修理を依頼してあったのだが
臨時ナンバーを付けっぱなしにしており返却を迫られていた。
とにかくナンバーだけでもと思い出向いたのだが
もう修理が完了しているとのこと。車も引き取らなければならない。
会社まで戻り義父に相談したら「何としても行く」と言い出す。
無理をさせたくはなかったが胃薬を飲ませお昼まで様子を見ていた。
すると「あの胃薬はよう効くのう」となり吐き気が治まったようだ。
早速また二人で外注先へと走る。これでやっと一件落着となった。
会社へ戻り着くなり義父がナンバーを外してくれて
私は宿毛市役所へと急いだ。お咎めを受けるのではとはらはらである。
宿毛市役所は新庁舎となってから初めて行ったのだが
ロビーのなんと広いことだろう。杖を付きながらキョロキョロしていたら
親切そうな男性職員が駆け寄って来てくれて係まで案内してくれた。
昨日の四万十市役所でもそうだったが「杖」の力は偉大である。
優しく親切にしてもらい頭が下がる思いであった。
係の女性職員も笑顔でお咎めもなくなんとほっとしたことだろう。
会社へ戻り着くともう3時前になっていたが義父が車検をしてくれていた。
私だけ退社するわけにも行かず車検書類の準備を整える。
義父のおかげで2台の車検が完了し思いがけずに嬉しかった。
今朝の様子では今日は無理だと思っていたから大きな安堵である。
やっと4時に退社。朝からなんと目まぐるしかったことだろう。
疲れはあったがそれよりも達成感の方が勝っていた。
仕事をしていると「順調」こそが支えになる。
トラブルがあれば忽ち窮地に立たされるのだ。
誰一人倒れてはならない。今日ほどそう思った日はなかった。
この私だってまだ死ぬわけにはいかない。
雲一つない晴天。風は涼しく感じたが気温は30℃を超える。
10月に真夏日などかつてあっただろうか。
明日からしばらくは雨の日が続くとのこと。秋が深まるかもしれない。
昨夜もここに記したが福井沖の日本海で行方不明の少女が見つかったようだ。
まだ正式な発表はないが間違いないだろうと思う。
ご両親は着衣の写真だけしか見せてもらえなかったらしい。
たとえ遺体であってもどんなにか抱きしめたいことだろう。
DNA鑑定をしなければいけないらしくなんとももどかしく感じる。
悲痛としか云えない。悲しみよりももっと大きな痛みであった。
どんなにか怖かったことだろう。激流に呑み込まれた尊い命を想う。
雨が憎い。神様が憎い。どれほど憎んでも失った命は還って来ない。
朝一の納車があり幼馴染の家の前を通った。
そうしたら先日命日に届けたカランコエがそのまま放置されていた。
どうしよう困ったことになったと気が焦るばかりである。
騒ぎ立てるのも気が引けたが幼馴染のお姉さんに連絡をしてみた。
住んでいるはずのご主人も娘さんも移転していることを知る。
今は空家状態になっているそうで全く知らずにいたのだった。
お姉さんの計らいで無事にご主人の元に届けることが出来た。
水遣りもしてくれて仏壇に供えてくれたそうで何ともほっとする。
ほんのささやかな気持ちだったのだが伝わって本当に良かった。
四万十市役所に用事があり2時半に退社する。
申請用紙を記入していたら職員の男性が優しく声を掛けてくれた。
お互いが顔を見合わせなんと驚いたことだろう。
バドミントン時代の仲間であったM君である。
会うのは10年ぶり位だろうか彼はもう40歳になったのだそうだ。
M君は右半身に障害があったがそれは熱心にバドを頑張っていた。
私とダブルスを組んで試合に出たこともある。
もちろんぼろ負けだったがなんと懐かしいことだろうか。
仕事中のM君と長話も出来ず後ろ髪を引かれるように別れた。
障害があるためにずっと就職に苦労していたことを思うと
市の職員に採用され本当に良かったと思う。
まだまだこれからの人生なのだ。きっと素晴らしい未来が待っているだろう。
今日はもうひとつ嬉しいことがあった。
義父が猪の被害に遭った稲「十和錦」を作っている農家を探しており
もしかしたらと旧友に電話をしてみた。何とほぼ20年ぶりである。
米農家をしており昔「十和錦」を買ったことがあったのだ。
しかし残念ながら今は他の品種を作っているとのこと。
義父がすぐ横で返事を待っていたので用件だけのあっけない電話であった。
4時に帰宅。Gパンを短パンに着替えていたらその旧友から着信がある。
あまりにあっけない通話だったので掛け直してくれたのだった。
ゆっくりとお互いの近況を話すことが出来て嬉しかった。
車でほんの一時間の町に住んでいるのになんと疎かにしていたことか。
お互いに老いたけれど会おうと思えば会える距離である。
けれども若い頃のように颯爽と出掛けることが出来なくなってしまった。
ふと私のお葬式には来てくれるだろうかと思う。
縁起でもない話だけれどそんな年頃になったのだろう。
高校時代、文芸部の仲間でもあった。
彼女はもう詩を書いていないのかもしれない。
彼女の詩がとても好きだったことを一気に思い出す。
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