ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2024年09月30日(月) 自転車操業

曇り時々晴れ。ぽつぽつと小雨が降る時間帯もあった。

秋雨前線と二つの台風があり爽やかな秋晴れとは行かないようだ。

能登地方は晴天の日が続いており必死の捜索活動が続いている。

今日は例の14歳の少女の制服が見つかったそうだ。

しかし発見には及ばず何とも痛ましく残念でならない。

制服はおそらく部屋の壁に掛けてあったのだろう。

きっと近くに居るような気がしてならない。

もう少しなのだ。一刻も早く見つかることを祈るばかりである。



母の命日であったが月末の仕事に追われそれどころではなかった。

母が見守っていてくれているはずだと信じて

精一杯のことを遣り遂げた一日だった。


お昼前にやっと大口の入金がある。どれほど待ち兼ねたことだろう。

おかげで取引先への支払いを全て終えほっと肩の荷を下ろす。

「何とかなったのだ」と思う。まるで奇跡のようにも思えた。

仕事は次々に入っており小口の入金も絶えることはないだろう。

とにかく自転車を漕ぎ続けることだ。決して休んではならない。

いつもは無関心な義父も今日ばかりは心配だったのだろう。

報告をすると「それは良かった」と笑顔を見せてくれた。


気の早い話だが私の気持ちはもう年末に向かっており

何としても乗り越えようと気合が入っている。

どうかこのまま順調に進むことが出来ることを祈るばかりである。





午後からも忙しく4時前に退社。ラジオからは「秋桜」が流れていた。

声枯れが酷く口ずさむことも出来なかったが大好きな歌だった。

買い物を済ませ5時前に帰宅する。もう横になる時間もない。

夫が乾燥機から洗濯物を出してくれていたが

籠にぎゅうぎゅう詰めに押し込んであり皴もつれになっていた。

いつもは座敷に広げてくれているのだが今日はどうしたことだろう。

怒るのも可哀想に思い黙って洗濯物を畳んだ。

毎日「洗濯物がかり」を頑張ってくれている夫には感謝しかない。


夕飯は珍しく二品作る。親子丼とあんかけ豆腐だった。

親子丼は直ぐに出来たがお豆腐を揚げるのが大変である。

揚げながらあんかけを作ろうとしたら片栗粉を切らしていた。

仕方なく小麦粉を代用したが白っぽいあんになってしまった。

でも味は良かったようで夫は文句も言わずに食べてくれる。


お刺身用に「びんよこ」を買って来ていたが私達は食べず

娘が帰宅してから切るように冷蔵庫に入れて置く。

最近めいちゃんがお刺身をよく食べるようになって

一節では足らなくなってしまったのだった。

食費は嵩む一方であるが娘には言えず何とかやり繰りをしている。

そうそう半額の食材は手に入らず家計は火の車であった。


あちらもこちらも大変だがきっと何とかなるだろう。

とにかくくよくよと思い悩んではいけない。

一か八かの勢いで日々を全うして行きたいと思っている。


9月が終わる。家中のカレンダーを10月にした。



2024年09月29日(日) 歳月は「薬」

曇り日。気温は高くなかったが蒸し暑さを感じる。

九州では初秋とは思えない程の暑さになったようだ。

台風18号が北上しており進路が気になるところだが

能登にだけは接近しないで欲しいと願わずにいられない。

あの14歳の少女は今日も見つからなかったようだ。

ご家族の気持ちを思うとなんとも痛ましくてならない。



10時からの法事で早めに山里へと向かう。

お供えする精進料理だが今はドライフードがあり便利になっている。

昔は高野豆腐を煮たりお白和えを作ったりしたものだ。

せめて一品でも手作りの物を供えてやりたかったが

結局は何も作れず母や義祖母に申し訳なかった。


お寺さんが少し早めに来てくれて読経が始まる。

難しいお経ではなかったのでなんとも心に沁みた。

ほっこりと優しい気持ちになり母や義祖母を偲ぶ。


法事は亡くなった人のためにするのではなく

生きて残された人達のためにするのだと思う。

一周忌、三回忌、七回忌と歳月は「薬」に他ならない。

どれ程の寂しさも辛さも時が癒してくれるのだろう。


弟達が不参加だったので10名ほどのささやかさであった。

会食はいつもお世話になっている「一風」へと向かう。

料理はお任せしてあったが十分に準備してくれていた。

伯母の孫である健君のなんと可愛らしいことだろう。

鮪の握り寿司が大好きだそうで追加で注文した。

にこにこと美味しそうに食べてくれて心が和む。

めいちゃんも連れて来てやれば良かったのだが

娘達は今日も外出で不参加を申し出ていた。

弟にも話したのだが母の一周忌だけではないのでその方が良いだろう。


義父を頭に男性陣は生ビールを飲み大いに盛り上がっていた。

酒盛りが好きだった母。賑やかなのが好きだった義祖母も喜んだことだろう。


そうして無事に法事が終り肩の荷が下りた気がした。

母の命日は明日だが私には月末の仕事が待っている。

「あんたは偉いねえ」と母に言って貰えるように精一杯でありたい。

酔っぱらった義父が私だけが頼りだと言ってくれたのがとても嬉しかった。







2024年09月28日(土) ご機嫌如何?

薄曇りの空。風が無かったせいか蒸し暑さを感じた。

すっきりと秋らしい気温になるのはいつのことだろう。


待ち侘びていた秋桜が咲き始めた。

まだ一輪二輪だが嬉しくてならない。

昨日は気づかなかったのだ。秋桜に申し訳ない。


背高泡立ち草も三角の帽子が黄色くなり始めている。

「ブタ草」とも呼ばれ嫌う人が多いが私は好きであった。

花に何の罪があるのだろう。外来種の駆除対象になっているようだ。

いったいいつ頃日本に渡って来たのだろう。

子供の頃には全く見た記憶がなかった。




朝のうちにお供え物などを買いその足で山里へ向かう。

義父も居てくれたが伯母が手伝いに来てくれ大いに助かる。

「お団子」を作って持って来てくれたのだ。

法事には欠かせないものなので伯母の心遣いが身に沁みる。


併修なので母と義祖母の遺影と位牌を飾る。

なんだか母の顔が歪んでいるように見えたのは気のせいだろうか。

義祖母はおっとりとした優しい人であったが

母とは折り合いが悪くしょっちゅういざこざが絶えなかったのだ。

母が義祖母を虐めるのである。荒々しい声で怒鳴ることもあった。

特に義祖母が寝たきりになってからの母の態度は目に余る程だった。

優しさには優しさが返って来ると云うが母は最期まで冷酷を貫く。

いったい何が母をそうさせたのだろうと未だに理解出来ない。


そんな二人の併修である。母の機嫌が良いわけはなかった。

けれども共にあの世で暮らせば心が通じ合うこともあるだろう。

そう思わなければ救われないような気持になった。


2時間程で準備を終え帰宅した。後は明日の法事を待つだけである。

それにしてもこの一年のなんと早かったことだろう。

母の遺品の整理もせずほったらかしのままである。

忙しさのせいにしているがそれが私の薄情さでもあるだろう。

ゆっくりと母と向き合うことをしなかった一年でもある。




午後は少しお昼寝をしてから短歌を一首だけ書いた。

やはり書きたい時に書くのが一番のようだ。

SNSで「#短歌写真部」とハッシュタグを付けて発信すれば

自動的に「NHK短歌」に投稿したことになる仕組みになっている。

つい最近まで知らなかったが何事も試してみなければと思った。

溺れる者は藁をもつかむ。まさにその諺通りである。



朝から出掛けていた娘達がやっと帰って来たようだ。

何処に行くとも教えてはくれなかったので心配していたところである。

いつも留守番のあやちゃんが不憫でならないが

大きなお世話の老婆心に他ならないだろう。

とにかく一切の干渉を断つこと。それが我が家の掟であった。

最初のうちは寂しさを感じたが今ではもうすっかり慣れてしまった。


家族のようで家族ではない。それぞれの暮らしを楯に今夜も更けていく。



2024年09月27日(金) ご褒美の生クリーム

朝の涼しさもつかの間。日中は真夏日となり暑さが堪える。

江川崎では34℃を超え日本一の暑さだったようだ。

秋の気配は感じるものの潔くは去れない夏の「迷い」を感じる。

地球温暖化、異常気象と当たり前のように云われているが

季節感の薄れに戸惑うことの多いこの頃である。


出勤前に幼馴染の家へ行き玄関先にカランコエをそっと置いておく。

ご主人も娘さんも居るのだが敢えて声を掛けずに立ち去った。

もう8年目の命日であるがつい昨日のように悲しみが押し寄せて来る。

かつてあれほど泣き崩れたことがあっただろうか。

まるで片腕を失ったような喪失感であった。




義父が居てくれたおかげで仕事が捗り午前中に納車を済ます。

同僚は通院日で午後から休みになっていた。

今週の車検は全て順調に終り肩の荷が下りたような気がする。

明日は一般修理の予約が入っており同僚は忙しくなりそうだ。


義父の姉と妹に当たる伯母たちが来てくれて法事の準備をしてくれた。

母の一周忌と義祖母の7回忌を併修にすることになっている。

明後日のことだが気が気ではなく私もそわそわとしていた。

仕事の片手間に準備は出来ず伯母たちの助けがとてもありがたい。

明日はカーブスを休み私も準備をする予定である。


それにしてもこの一年の何と早かったことだろう。

母はもうこの世に居ないけれど未だに信じられずにいる。

母の夢を見る度に「生きている」と思う。

母の顔も声も鮮明に「この世」にあるのだった。





午後から開店休業状態だったので2時に退社する。

帰り道に平田町のお客さんに車検証を届けに行っていた。

市営住宅なのでもう一人のお客さんも加わりしばし雑談をする。

車のトラブルは全て任せるからと言ってくれて嬉しかった。

「信用」と「信頼」は商売の大切な基本である。



サニーマートで買い物を終えて外に出たら甘い匂いが漂っていた。

移動販売のクレープ屋さんが来ていたのだった。

甘い物は滅多に食べないが今日は何となく食べたくてならない。

頑張ったご褒美だと思い「チョコバナナ」を注文する。


それが予想以上にボリュームがあり驚く。

これでもかと思う程の生クリームであった。

クレープはかぶりつくものらしいが何と食べ難いこと。

Tシャツを汚してしまったが気にせずに平らげる。

胃の中は生クリームでもう勘弁して下さい状態になっていた。

美味しかったがもう二度と食べてはならないと思う。


おかげで夕食は殆ど食べられず胃もたれに悩まされていた。

夫はへらへらと笑うばかりである。

けれどもご褒美は必要。今日は華金ではないか。


やれるだけのことを全うしたのだと思う。

頑張ったのではない。ひたすら生き抜いたのだろう。



2024年09月26日(木) 専務おばば

朝は肌寒いほどだったが日中は真夏日となる。

本格的な秋にはまだ程遠いのだろう。

もうしばらく夏の名残を楽しむのも良いかもしれない。

やがては寒い冬がやって来るが一年で最も苦手な季節である。



例年なら柿の実が色づき始めるころ。

職場には2本の柿の木があるが今年は一個も実を付けていない。

おそらく大繁殖していたカメムシの影響ではないだろうか。

葉ばかりの柿の木のなんと寂しげなことだろう。


今朝は板金塗装済みの車があり義父と納車に行っていた。

すぐ近くに義父の田んぼがあるので様子を見に行く。

先日から猪の被害にあっており義父も気が気ではないようだ。

最後に植えた稲で「十和錦」という銘柄の匂い米である。

もちろん食糧米だが猪も美味しいお米を知っているのだろう。

飼料米には目もくれず匂い米ばかり食べに来るのだった。


田んぼを見て唖然とする。もう稲刈りの必要もないほど荒らされていて

田んぼの片隅に僅かに稲が残っているだけなのだ。

幸い全部の田んぼではなさそうだが義父の失望は大きかった。

来月になれば最後の稲刈りを予定している。このままでは一刻を争う。


仕事は今日も忙しく飛び込みで一般修理のお客さんもあった。

完全予約制なのだが無下に断るわけにもいかない。

仕方なく今日の予約のお客さんに午後まで待ってもらうことにした。

私が段取りをするものだから同僚の機嫌がすこぶる悪い。

義父は田んぼの草刈りに出掛け全く知らん顔である。


例の大口の入金は今日も無かったが小口の入金がけっこうあった。

金庫が潤う。このまま行けば月末を乗り越えられるかもしれない。

落胆よりも希望である。笑う門には福来ると云うではないか。

とにかくくよくよしないことだ。笑顔を忘れずにいよう。



整形外科のリハビリの日だったので2時に退社。

予約時間まで余裕があたので先に法務局へ行く。

母が亡くなって取締役が減り新しい謄本が必要だった。

義父はしきりに私に専務をと勧めてくれていたが

夫と相談の上、辞退してしまったのだった。

責任が重過ぎるのだそうだ。今まで通りの事務員で居ろと云う。

私は「専務おばば」に少し憧れていた。職業は「会社役員」である。

なんだかめっちゃかっこいい肩書に思えてならなかったのだ。



リハビリを終えてサニーマートでゆっくりと買い物をする。

お惣菜を2種類買って後は2品ほど作ることにした。

「茹で卵と胡瓜のサラダ」「エリンギのオイスターソース炒め」


セルフレジで精算を済ませて入口近くの花屋さんで足を止めた。

可愛らしいピンクのカランコエの鉢がとても気に入る。

自分の為ではなかった。明日は幼馴染の命日なのでそっと届けようと思う。

助手席にカランコエを宝物のように載せて家に帰った。


帰宅して洗濯物を畳みながら夫と一緒に「暴れ奉行」を見る。

もう4時半だったのでラストが近かったがそのラストが豪快で面白い。

悪人たちが次々に成敗されるのだが決して残虐ではなかった。

血が流れるシーンは殆ど無く安心して見ていられるのだ。



夕食後も短歌は書かずただ沈む夕陽を仰いでいた。

私は「わたし」以外の何者でもなかったが

存在すると云うことはもしかしたら奇跡かもしれないと思う。








2024年09月25日(水) 秋桜を待つ

夜明け前には小雨が降っていたが日中は次第に晴れて来る。

真夏日にこそならなかったが陽射しには夏の名残を感じた。


朝の道では県道沿いにキバナコスモスが満開になっている。

秋桜より早く咲くが同じ仲間なのだそうだ。

肝心の秋桜はまだ何処にも咲いておらず心待ちにするばかり。

やはり猛暑が続いたせいだろうか草花も戸惑っているようだった。


私はどんな花も好きだが秋桜が一番好きである。

特に白い秋桜が好きで見つけた時のなんと嬉しいことだろう。

清楚な純白。穢れを知らない乙女のような花であった。

子供の頃からの憧れはこの歳なっても変わりはしないのだ。

花言葉は「優美、純潔」いささか私には縁遠い言葉である。



仕事は相変わらずの忙しさ。それが面白くてならない。

午後からシステムサポートのO君が診断機のメーカーの人と来てくれた。

来月から始まるOBD検査の手順を教えに来てくれたのだ。

複雑のようでありながらやってみると結構簡単であった。

ただ義父はノートパソコンを一切使うことが出来ない。

仕方なく私と二人係で検査をしなければいけなくなりそうだ。

もうすぐ68歳の私と81歳になる義父との高齢コンビである。

お国が決めた事なので問答無用であるがどうなることだろうか。


O君たちが帰ってから車検を一台仕上げる。

納車に行っていたらすっかり遅くなり4時になっていた。

昨日も遅かったので焦りながら帰路に就く。

今日こそはちゃんとした夕飯をと思っていたのだが

結局はサニーマートのお惣菜ばかり買ってしまう。


5時に帰宅すると大量の洗濯物が待っていた。

急いで畳んでいると夫が早くもお風呂に入ろうとする。

せめて畳み終えるまで待ってくれないかと引き止めた。

とにかく毎日同じ時間にお風呂に入りたがる。

5時半には晩酌を始めるのも同じであった。

そこで腹を立てるような私ではなかったがつい苛立ってしまう。

「イカのお刺身」を買って来ていたので夫に与え

急いで茄子と豚バラを炒める。お惣菜ばかりではあんまりだろう。

一品は作りたい。簡単な物でもあれば食卓が映えて来る。


食後やっと一息。自室の窓から暮れていく空を眺めていた。

煙草が美味しく立て続けに2本も吸ってしまった。

慌ただしい一日だったが今日も全うしたのだなと思う。



入浴後にはこの日記を書くのが日課だが

投票ランキング上位に食い込んでおりとても励みになっている。

以前は一人だけだったが最近になり増えているようだった。

劣等感のかたまりである私にとっては神様のように思える。

こんな日記でも読んでくれる人が居てくれるだけで有難いことだ。


ある日突然に書けなくなる日も来るだろう。

そうなればもう死んだも同然のように思えてならない。

どうかどうか明日も書かせてください。

ノートパソコンを閉じる時にはいつも手を合わせている。







2024年09月24日(火) 夏の忘れ形見

爽やかな秋晴れの朝であったがそれもつかの間のこと。

10時頃には厚い雲に覆われ雨が降り出してしまった。

「洗濯物がかり」の夫の云う通りになる。


気温も上がらず随分と秋らしくなった。

吹き抜ける風のなんと心地よいことだろう。


職場の百日紅はもうすっかり散ってしまったが

まだあちらこちらに咲いているのを見かける。

もうとっくに百日は過ぎているはずであった。

なんと健気で逞しい花だろうか。

なんだか夏の忘れ形見のように思えてならない。




連休明けの仕事は活気があってよろしい。

義父も待機してくれていて順調に仕事が捗る。

驚いたのは連休の間に稲刈りを終わらせていたこと。

もう荷造りも出来ており工場には8トンの飼料米が積まれていた。

近いうちに出荷するようだが価格は期待できないとのこと。

食糧米よりずっと安値でくたびれ儲けとなりそうである。

国の補助金が無ければとても採算は取れないだろう。


車検の予約が次々に入っておりもう10月の半ばまで埋まった。

これから年末に掛けてが勝負だと思う。

とにかく稼がなければならない。まるで金の亡者のようになる。

例の大口の入金は今日も無く肩を落とすばかりであった。

相手先に問い合わせたらもう少し待って欲しいとのこと。

月末までに入金が無ければ会社はどん底になってしまうのだ。

資金の余裕が無いと大風呂敷も広げられない。

あまり催促をするのもみっともないと義父から注意を受けた。




仕事が忙しく4時半に退社。もうサニーマートへ寄る時間がない。

いつもは自動車専用道路を通るのだが今日は国道を走った。

国道沿いの「ちきん館」に寄り「丸っぽ鶏」を買い求める。

5時過ぎに帰宅したがもう横になる時間もなかった。

「丸っぽ鶏」は鶏の姿そのままのローストチキンである。

夫に解してもらっている間に大量の洗濯物を畳む。

よっこらしょと立ち上がったら軽く眩暈がした。

仕事は辛くはないのだが身体は正直になっているらしい。

まだまだゴールは見えないのだ。気合で乗り切るしかないだろう。


食後やっと自室で寛ぐ。煙草さえあれば生きていけると思った。

もしそれで寿命が縮まっても自業自得なのだ。

我慢するのはもう二度と御免だと思う。好きなように生きたい。


届いていた短歌雑誌をぱらぱらと捲って見たが

当然のように私の短歌は何処にも見当たらなかった。

このままでは一生救われることはないだろう。

「めげる」何度でもめげる。そうしてまた這い上がって行く。


あとどれくらいの生涯だろう。まさか今日が最後ではあるまい。

可能性を信じること。希望を失わないことである。



2024年09月23日(月) 奇跡の朝顔

暑さ寒さも彼岸までとはよく云ったものである。

今朝は一気に気温が下がり肌寒さを感じた。

日中も30℃に届かずエアコン無しでも過ごせるほどに。

先日までの猛暑が嘘のようであった。


北海道では山に初雪が降ったようだ。

もうストーブの季節である。

能登の被災地は晴れていたようだがなんと悲惨な有り様だろう。

死者も7人に増えまだ行方不明者の捜索が続いている。

一人で留守番をしていた14歳の少女は家ごと土砂に流されてしまった。

どんなにか怖ろしかったことだろう。地獄としか云いようがない。

地震にも負けず残った家が跡形もなく消えてしまったのだ。

ご両親の気持ちを思うと心が締め付けられるように痛んでならない。

能登の人達に何の罪があるのだろう。神も仏も恨みたくなってくる。




こぼれ種から芽を出していた朝顔が咲いた。

紫に白い筋の入った可愛らしい花である。

季節外れではあるがまだ蕾を付けており明日もきっと咲くだろう。

自然の営みのなんと感動的なことだろう。奇跡の朝顔に思える。

咲かそうと思って蒔いた種ではないのだ。

2年ものあいだ土の中で眠っていた尊い命である。



午後、固定電話を解約した。祝日でもネットで簡単に出来て助かる。

家族がみな携帯電話を持っており全く使っていなかったのだ。

着信があっても迷惑電話ばかりで通話拒否をし続けていた。

詐欺被害の多い昨今である。固定電話が必要とはもう思えなくなった。


以前はよくあやちゃんのお友達から掛かって来ていたが

もう一年以上も誰からもなかった。

お友達ももうスマホの時代なのだろう。

あやちゃんはまだ持っておらず仲間外れかもしれなかった。

けれどもタブレットとパソコンさえあれば十分なのだそうで

子供部屋に置いてあった固定電話の子機を片付けてしまったのだ。

「友達」を諦めてしまったのだろう。それも憐れなことである。



午後2時間程お昼寝。3時には目覚めていたが今日も短歌は書かない。

やはり書きたい時に発作のように書くのが一番に思う。

大相撲が終り夫は気が抜けたように過ごしていたが

4時から「暴れ奉行」と云うかなり古い時代劇を観ていた。

「子連れ狼」はもう終ってしまったのだそうだ。


気になったので調べてみたらなんと47年前の時代劇である。

主役の萬屋錦之助はもうこの世にいなかった。

若い頃の千昌夫、大谷直子などが出演しており興味深い。

夫がまた楽しみな番組があり良かったなと思う。

私も早く帰れた日には一緒に見ようと思った。



明日はやっとする仕事があるのだが金策で頭を悩ませている。

例の大口の入金が遅れており月末に間に合うだろうかと心配だった。

29日には母の一周忌を控えておりお布施も用意しなければいけない。

「何とかなるだろう」そう思えるほど私は楽天家ではなかった。


生まれ持った性分とは厄介なものである。

私は父に似たのか神経質でくよくよと思い悩むのが常であった。

母ならばきっと笑い飛ばしてくれたことだろう。


目の前の荒海に飛び込む勇気はなかったが

難破船にしがみつく気力はありそうだった。

成るようになってこそ生きている甲斐があるのだろう。







2024年09月22日(日) 羽ばたくために

秋分の日。昼夜の長さが同じになり次第に秋が深まっていく頃。

彼岸の中日でもありお墓参りに行くのが習いであった。

雨のせいでもあったが我が家は行かず疎かにしてしまう。

私はもちろんだが夫も義妹も足腰が弱くなりお寺の裏山に登るのが

随分と辛くなってしまったのだった。ご先祖様も許してくれるだろう。


雨は幸い小康状態で雷雨も長続きせず午後からは曇り空になった。

能登の被災地も豪雨の峠を越えたようで何よりであったが

大きな水害となりその傷跡のなんと痛々しいことだろう。

明日からしばらくは晴天が続きそうだが復旧作業が大変だと思う。

停電になっていないか水道は使えるのか心配事は絶えなかった。

励ます言葉も見つからない。ただただ心を痛めるばかりである。




午後からめいちゃんの「ダンス発表会」があり市内の文化施設へ。

今春出来たばかりの新しい施設で行くのは初めてだった。

一時の開演で直ぐにめいちゃんが登場しわくわくと嬉しい。

ジュニアの部、シニアの部とあり交互にダンスを披露してくれた。

これまでの発表会でも目にしていたのだがシニアパワーの凄いこと。

白髪頭のご婦人が真っ白いドレスを着て華麗に踊るのである。

どう見ても80歳は過ぎているように見えた。

やれば出来るものなのだと感動せずにはいられない。


めいちゃんは我が孫ながらとにかく可愛いかった。

ついつい他の子と比べてしまうのだがダンスはイマイチである。

上には上が居るものでめいちゃんより上手な子が大勢いた。

けれどもなんと楽しそうに踊っていることだろう。

好きこそものの上手なりと云うではないか。大好きなのが一番である。


あやちゃんと仲良しだったお友達も出演していたが

もう中学生ではないかと思うほど立派に成長していた。

「ここにあやちゃんが居れば」とつい叶わないことを思う。

ダンス教室を止めたことは大きな挫折だったことだろう。

仲良しだったお友達も今ではすっかり遠のいてしまった。

寂しくはないか。辛くはないかと気遣うのは老婆心に他ならない。

あやちゃんには自分の世界がありそこで自由気ままに生きている。

その世界に踏み込んではいけないと改めて思うきっかけになった。


夕飯に好物の「肉じゃか」を作る。

「めっちゃ美味しい」と言ってくれてどんなに嬉しかったことか。

顔を見るのは一日にほんの数分のことだったが

暗い顔をしている時は滅多になかった。

にこにこ笑顔。今はどんな状況であれ確実に未来へ羽ばたこうとしている。



2024年09月21日(土) 洗濯物がかり

晴れてはいたが時おり空が暗くなる。

雨が降るかもしれないと夫が「洗濯物がかり」をしてくれた。

外に干してあった大量の洗濯物を乾燥機に入れてくれたのだった。

「すまんねえ、ありがとうね」とお礼を言ったら

「ほんまにありがたいと思うちょるがか」と笑い飛ばしていた。

当たり前だとは決して思っていない。どれ程助かることだろうか。



お昼に悲痛なニュースが流れる。

能登の被災地が豪雨に見舞われ大変な水害になっていた。

河川が氾濫し仮設住宅も浸水しているとのこと。

地震の復旧作業をしていた人が土砂に呑み込まれ命を落としていた。

どうしてこれ程までに能登ばかりをと思わずにいられない。

気の毒を通り越して理不尽でならず心が痛むばかりであった。


台風14号は温帯低気圧に変わったが明日も大雨の怖れがありそうだ。

どうかもうこれ以上の被害が無いことを祈る事しか出来ない。

神よ仏よと思う。本当に存在するのならどうして見捨てようとするのか。





午前中はカーブスに行っていたが午後はひたすら寝て過ごす。

三連休は少しも嬉しくなくむしろ憂鬱でもあった。

仕事がしたくてならないのだ。何と貧乏性なことだろう。

どれほど疲れを感じても仕事あってこその自分に思える。

経営に携わるようになってもう6年程だろうか。

自転車操業はとにかくペダルを踏み続けなければいけない。


4時前に目覚め一度自室に籠ったが短歌は書けなかった。

全く書く気にならないのだ。ぼんやりと煙草を吸うばかり。

発作のようなものだと思う。そうなればもう自然に任すしかない。


「洗濯物がかり」の夫が乾燥機から出してくれて

エアコンの効いた茶の間に運び込んでくれていた。

それもどれ程助かることだろう。感謝しきれない程だ。

洗濯物を畳みながら夫と一緒に大相撲を観ていた。


夕食はあやちゃんのリクエストで手作り餃子を作る。

包むのを手伝ってくれるかと思いきやその気はなさそうだった。

娘が手早く包み50個の餃子が出来る。

我が家の餃子は何処のお店で食べる餃子よりも美味しい。

それだけは自慢で私の得意料理であった。

餃子が焼けるまで夫は「鰹のタタキ」で晩酌である。

目を輝かせながら食い入るように大相撲を観ていた。

大の里が豊昇龍に勝ち何と今年2度目の優勝を果たす。

夫は舞い上がるように喜びもっとビールが飲みたいと言う。


大の里は石川県出身の力士であった。

能登の被災地の人達もどんなにか喜んだことだろう。

しかし今日の水害で観戦どころではなかったのかもしれない。

それを思うと手放しでは喜べずとても複雑な気持ちになった。

何があっても負けない。そんな勇気と希望に繋がればと願う。


午後8時。残業だった娘婿が帰宅し娘達の夕食が始まったようだ。

あやちゃんもきっと喜んで食べてくれているだろう。


そろそろ短歌が書きたくなって来た。

酔いは程々。そろりそろりとあちらへ参りましょうか。





2024年09月20日(金) 眠り薬

狐の嫁入り。晴れて陽が射しているのにぽつぽつと雨が降る。

よほど大気が不安定だったのだろう。

朝の道では山に虹が掛かっており思いがけずに嬉しかった。


日中は猛暑日にこそならなかったが厳しい残暑となる。

高知県では四万十市が一番の暑さだったようだ。

上には上があり静岡市では39℃を超す猛烈な暑さを記録する。

人間なら高熱である。どれ程の人が耐えたことだろうか。



紅い彼岸花が一気に咲いた。亡き祖母を思い出さずにはいられない。

明後日が命日である。もう19年の歳月が流れた。

私は母よりも祖母に似ていて鏡を見ると祖母の面影が蘇る。

自分の顔を見て懐かしいと思うのも不思議なことなのだろう。


昨年「紅い道」と云う詩を書き県の文芸賞に応募したのだが

あまりにも感傷的だったせいか見事に落選した。

けれどもあの詩の中にこそ祖母が生きているような気がしてならない。


今年も締め切りが迫っているがどうしようかと迷っている。

SNSで発信した詩は未発表にはならず規約に反するのだそうだ。





今朝は出勤して驚く。工場に飼料米の一トン袋が四個も座っていたのだった。

今日が稲刈りの予定だったので義父が徹夜で荷造りをしたのだろう。

なんと今朝の7時まで掛かったのだそうだ。あまりにも無謀である。

一睡もしていないのに寝る時間を惜しみ今日も忙しなく動いていた。

稲刈りは天候がイマイチで延期となった。

あともう少しで終わるのだそうだ。雨さえ降らなければと残念でならない。

それにしても義父のタフなこと。もう直ぐ81歳とはとても思えなかった。


車検が2台完了。それも義父の助けが無ければ不可能だった。

明日は予約が入っておらず同僚も通院の予定である。

三連休は有難くはないがもうする仕事が無くなってしまった。


納車があり3時半に退社。いつもより遅くなってしまい大急ぎで帰る。

買い物を済ませ4時半に帰宅したが日中雨は全く降らなかったそうだ。

「よう乾いちょるぞ」と夫が自慢気に洗濯物を指差す。

大相撲を観ながら畳んでいると直ぐに5時になってしまった。


半額でゲットした鯵の開きを焼く。後は「豚ニラもやし」だった。

お惣菜の「ヤンモニョチキン」はいつも不評なのだが仕方ない。

サニーマートのお惣菜はもう飽きてしまったのだろう。


大相撲を観ながら夕食。大の里と琴桜は同体となり取り直しになった。

夫の鼻息の荒いこと。いつもの穏やかな夫とは別人に思える。

大の里が勝ったら「よっし、よっし」と増々鼻息が荒くなるのだった。

食後二階の自室に上がったら階下から大声で叫んでいる。

休場中の貴景勝が引退のニュース速報が流れたようだった。

まだ28歳の若さで残念であるがもう首の痛みが限界らしかった。


夫と大相撲は切り離すことが出来ず今の彼の一番の楽しみである。

毎場所のことだが大相撲が終わると気が抜けたようになるのだった。


私はどうだろう。ただ淡々と日々を過ごすだけである。

仕事のことで頭を悩ましながら常に時間に追われている。

夜明け前の一時間と今こうしている寝る前のひと時であった。

この日記を書き終えると「寝酒」と称して短歌を書いているが

先日ある方から「明日も仕事ですよ」とコメントを頂いた。

寝酒がそれ程までに悪いことだろうかと思う。

若い頃からもう何年も続けて来た私の「眠り薬」なのだった。


ほろ酔って短歌を書いて何が悪いのだろうと思う。

酔ってはいけない理由があるのなら教えて頂きたいものだ。


惜しむ時間ばかりである。「いま」しか書けないことがある。

それは私が「わたし」ではいけないのと同じことではないだろうか。





2024年09月19日(木) 明日に向かうしかない

午後6時40分。辺りはもう薄暗くなっている。

微かに見える雲は鱗雲でこれも小さな秋なのだろう。

連日の真夏日が続いているが夕暮れが早くなると風が変わってくる。

暑さ寒さも彼岸まで。週末から雨の日が多くなりそうだが

一雨ごとに秋らしくなるだろうと期待せずにはいられない。



仕事は相変わらずの忙しさであったが義父が時間を割いてくれ

車検で入庫していた車のエアコンを直してくれ大助かりだった。

お昼に平田町まで納車に行っていたが寒いくらいにエアコンが効く。

高齢のお客様で大喜びしてくれこちらもなんと嬉しかったことだろう。

いつも順調とは限らないが今日はとても良い日に思えた。


午後になりまた急きょの稲刈りとなる。

今日の助っ人は一人であったが近場なので十分とのこと。

ひっきりなしに軽トラックでお米が運び込まれて来る。

乾燥機は全部で4機あるが3機は満杯であり残りの1機を満杯にするらしい。

後は1トン袋に入れて出荷するのだがそれも大変な作業であった。

気のせいかもしれないが義父が酷くやつれているように見える。

今朝も朝食を食べる暇がなかったのだそうだ。

お昼前に地区の民生委員の人が出来たての「ちらし寿司」を届けてくれ

義父は余程空腹だったのだろうガツガツと貪るように食べていた。


好きでやっている稲作であるがなんだか憐れにも思えて来る。

この先どんどん高齢になるのだ。少しでも楽をさせてやりたいものだ。





3時に退社。その足で整形外科へ向かった。

病院前の駐車場が満車状態で仕方なく第二駐車場へ行ったが

そこも沢山の車で埋まっておりやっと奥の方へ停めることが出来る。

杖なしではとても病院まで歩けそうになかったが

一か八かだと思い自分を試してみることにした。

ふうふうと辛く汗が流れたがなんとか辿り着くことが出来る。

そのことを受付の女性に話したら「偉かったですね」と褒めてくれた。

私もやれば出来るときっと自慢気な顔をしていたのだろう。


今日はリハビリ後に診察があったので帰宅が遅くなりそうだった。

買い物も出来ないだろうと今朝娘に相談したら

ダンス教室が終わってから食料を買って帰るとのこと。

そうなれば例の如く「ほか弁」である。ラッキーと喜んだのは言うまでもない。


予定では5時半のつもりだったが思いがけずに早く済んだ。

サニーマートへ寄ろうと思えば可能だったがもうその気はない。

「ほっかほか亭」まで走りいつものおかずを買って帰った。

大相撲を観ながら食べていたら大の里が負けてしまう。

霧島も高安も居るし優勝は無理かもしれないと思った。


夕食後の短歌はお休み。気忙しかったせいか全く書く気になれない。

そもそも「ほか弁」では短歌にもなりそうになかった。

寝る前に書くことにして今ここでこれを記している。


なんとなく虚しいのは老いのせいだろうか。

達成感と充実感は同じようでありながら何処が違うのだろうと思う。

日々やれるだけのことはやっているつもりではあるが

どうしてこんなに虚しいのか分からなかった。


報われたいのか。認められたいのか。自問自答するばかりである。

老い先短いこの身にどれ程の光が降り注ぐことだろう。

奇跡などそうそう在りはしないのだ。


生きたことよりも生きることなのだろう。

自分らしさを貫きながら明日に向かうしかない。



2024年09月18日(水) 好きなように

明け方まで小雨が降っており中秋の名月は見られず。

夜明け前に見る月はいっそう綺麗なので残念であった。

今夜は十六夜の月になるのだろうか。それが満月らしい。

素人考えでは中秋の名月こそが満月のように思えてならない。


明日は彼岸の入り。今日は白い彼岸花が咲いているのを見つけた。

いつも行っている郵便局の近くだったのでいつの間に咲いたのだろうと思う。

小さな秋に気づかないことが多い。心に余裕のない証拠かもしれない。



職場は一日中乾燥機の音が鳴り響いていた。

仄かにお米の匂いがする。なんだか郷愁を誘うような匂いである。

子供の頃によく遊びに行った祖父の家の匂いに似ていた。


義父は工場に居てくれたが乾燥機に付きっきりで仕事にはならない。

何処か故障しているのだろうか乾燥具合が良くないのだそうだ。

田んぼの稲はまだ残っており明後日また稲刈りをするらしい。

仕事は立て込んでおり同僚が一生懸命頑張ってくれていたが

またエアコン修理があり義父の助けがなければどうしようも出来ない。

何事も順調にとはいかないもので私は頭を悩ますばかりであった。




3時に退社。FMラジオは「五つの赤い風船」特集をしており

なんとも懐かしい「遠い世界に」が流れていた。

フォークソングは青春時代を彷彿とさせ切なさも蘇って来る。


買い物を済ませ4時に帰宅したがもう短歌は書かないことにした。

二階の自室には西日が射し込みとてつもないような暑さである。

とにかく無理に書こうとしないことだ。どうせろくなものしか書けない。


エアコンの効いた茶の間で洗濯物を畳み夫と大相撲を観る。

直ぐに5時になりもう夕食の支度であった。

5時半には夫が晩酌を始めるので気忙しくてならない。

私は毎晩ノンアルビールを飲むのだが今朝冷やし忘れていたようだ。

仕方なく麦茶を飲みながら夕食を食べる。

娘が「オクラの肉巻き」を食べたがっていたので下拵えだけした。

夫はオクラが嫌いなので急いで作っても無駄なのである。


食後一首だけ短歌を書いた。

「カイワレの日」なのだそうだ逞しく真っ直ぐに育った芽を食す

短歌と一緒に「鰹とカイワレの酢浸し」の写真を載せる。

短歌はお粗末だが食後の一首も良いものだなと思った。

なんだか楽しくてならない。もちろん書きたくて書いているのだ。


好きなように書きながら好きなように生きる。そんな人生に憧れている。

いや「憧れ」は違うかもしれない。そんな「夢」かもしれない。

叶う叶わないは別として「これだけは譲れない」と思うことなのだ。

日々試されているのならとことん試されたい。

出来るのか出来ないのか。書けるのか書けないのか。




2024年09月17日(火) いいじゃないか妄想も

曇りのち晴れて真夏の暑さとなる。

陽射しはきつかったが木陰に立つと思いがけないほどの涼風が吹く。

終らない夏はなく秋は確実に近づいているようだ。


山里の職場に着くなり義父が慌てており忙しなく動き回っていた。

友人の助言があり急きょ稲刈りをすることになったのだそうだ。

雨の後で田んぼは泥濘になっていて義父は気が進まなかったようだが

友人は仕事を休み駆け付けて来てくれるのでもう延期は出来ない。

「誰の田んぼか分からんなったぞ」と苦笑いをしながらであった。


いざやるとなったら何と早いこと。他の友人も直ぐに来てくれた。

総勢4名でまるで兵隊さんのように勇ましく出掛けて行く。

今回の稲刈りは「飼料米」で家畜の餌になるのだそうだ。

牛は草を食べるので豚や鶏だろうと思われる。

お国が買い取ってくれるので保障もあるとのこと。

とにかく家畜の為である。精を出せねばなるまい。


お昼前に義父の彼女?がお弁当を持って来てくれた。

いつもお世話をかけているのでお礼を言ったがつんつんと愛想が悪い。

いそいそと事務所のテーブルを片付けてくれたので

日頃からろくに掃除も出来ないことを詫びたら「なんで?」と訊かれた。

足が不自由でも掃除くらい出来るじゃないかと言わんばかりである。

これにはいささか参ってしまい酷く責められたように感じたのだった。

触らぬ神に祟りなしである。もう二度と自分からは口を聞くまいと思う。



午後は10月から始まるOBD検査の準備のために

システムサポートのO君が来てくれていた。

新しい診断機とノートパソコンもO君が手配してくれたのだった。

領収証が無いと国からの補助を受けられないので

有り金をはたいて支払いを済ます。なんとも痛い出費であった。

例の大口の入金を首を長くして待つしかない。


補助金の申請をするのに手間が掛かりO君に後を任せ3時に退社する。

私が居ても何の役にも立たないのだからお先に失礼をした。


サニーマートで買い物を済ませ4時に帰宅したのだが

二階の自室に籠ったものの短歌の「た」の字も浮かんで来ない。

これは駄目だなと潔く諦め大量の洗濯物を畳むことにする。

だんだんと疲れが出て来たのだろう。10分だけ横になっていた。


夕食後に一首だけ書ける。ろくな短歌ではなかったが良しとした。

どんな日もあるものだ。今日はこんな日なのだと思う。


このところずっと寝る前にも短歌を書いているので

焦りを感じることは殆ど無い。書きたい時に書くのが一番なのだろう。

その酔っぱらった短歌が我ながら気に入っており愉快でならない。

まるで誰かに恋をしているような短歌になってしまうのだ。

誤解される方も居るだろうがもう恋とは無縁の老いぼれであった。


そっか、酔った挙句の妄想なのかもしれない。

いいじゃないか妄想も。それは少しだけ夢に似ている。



2024年09月16日(月) このやるせなさ

雨のち晴れ。少しも爽やかさはなく今日も不快な蒸し暑さとなる。

汗は尋常とは思えず俯けばぽたぽたと落ちるのだった。


先日彼岸花の話をしたがやはり全国的に開花が遅れているのだそうだ。

なんでも最低気温が20℃を切らないと咲かないらしい。

今朝など27℃で到底無理な話である。


北海道では10℃を切っている地域が多くもう暖房が必要とのこと。

日本は小さな島国だが北と南とでは随分と差があるようだ。

しかし油断をしていたら一気に気温が下がることもあるだろう。

季節の変わり目、体調管理に留意しなければならない。




鶏頭の苗を買い求めに行くこともせず日がな一日怠惰に過ごす。

最低限の家事と食料を買いに行った以外は殆ど寝ていた。

月曜日のお休みは少しも嬉しくなく仕事に行きたくてならない。

生活のリズムが狂ってしまうと精神的にも良くないようだ。

鬱々とどうしようもないことを思い悩むことが多い。

劣等感のかたまりである。認められたい欲との闘いである。


午後4時には目覚め自室にしばらく籠っていたのだが

とにかく煙草の量が半端なく我ながらうんざりしてしまう。

「チェーンスモーカー」なのだ。ひっきりなしに火を点ける。

以前に医師から「吸うことがストレスだ」と言われたことがあったが

それも一理あると思った。まるで鎖に縛られているようなのだ。

かと言って禁煙の苦しさはもう二度と味わいたくはなかった。

愚かな者である。このまま一生救われることはないかもしれない。


短歌は15分程で書けたが随分と陰鬱な短歌になってしまった。

ありのままだとそうなる。希望の光など何処にも在りはしないのだ。


雲ばかり西からの陽を受けながら透明になる午後四時の空

気怠さを紫煙にまかせ廃れいくこの惨めさよこのやるせなさ

夏草が秋の衣を羽織る頃はだかになって我は彷徨う


どんな時もあって良しと発信したが少し後味が悪かった。

果たして私の「イメージ」とはと考えずにはいられない。

感性は廃れ老いは深まりもう手の施しが無いのでないか。

それでいて生きようと必死になってあがいているように思う。


あと20年も生きられるとは思ってもいない。

もしそれが叶えばもはや奇跡ではないだろうか。

書きながら一生を終えられることは私の「夢」であった。






2024年09月15日(日) 夢ひとつ

曇り日、時おり雨がぱらつく。一日中不快な蒸し暑さであった。

明日も今日と同じような空模様になりそうだ。

一雨ごとにと秋を想うが夏の名残のなんとしぶといことだろう。


エアコン無しではとても過ごせず朝から滝のように汗が流れる。

短い髪はびしょ濡れになりぽたぽたと滴が落ちていた。


昨夜はどうした訳か夜中に何度も目が覚めてしまい

その度に左足がうずきなんとも辛い夜であった。

日中は杖が無くてもあるけるほど回復しているのだが

安静時に痛むのはいったいどうしたことだろう。


いつものように午前四時にアラームが鳴ったが直ぐには起きられず

そのまま二度寝をしてしまいもう四時半になっていた。

夫が気遣ってくれもっと寝るように言ってくれたのだが

詩を書きたい一心で布団から抜け出してしまった。

書きたくてたまらないのに書けないかもしれないと思う。

焦りを感じることは滅多にないのだが今朝は追い詰められていた。

ゆっくりと息をしながらその息を言葉にして行く。

自分でも不思議でならなかったが自然と言葉が湧き出て来た。

走り書きのような詩であったがそれがありのままだと思う。

自分らしさとはきっとそう云うことなのだろう。




朝食後、酷い眠気に襲われ倒れ込むように寝ていた。

だらしないことだが日曜日で幸いに思う。

8時から活動を開始し流しに山積みだった食器を洗った。

洗濯物は外干し出来ず乾燥機のお世話になる。


9時前にサニーマートへ行き駐車スペースを確保した。

今日も一週間分の酒類を買わなければならず

入口に一番近いスペースに車を停める。

今夜は娘達の夕食もありあれこれと頭を悩ませたが

鶏もつ煮の食材、揚げるだけの海老フライ等を買い求める。

鶏もつ煮には葱が必須だが青葱のなんと高いことだろう。

仕方なく白葱を一本買ったがそれも決して安くはなかった。

猛暑が続いたせいだろう。野菜類は驚くほど高騰している。


昼食にはローソンの冷やし中華と助六寿司を食べた。

満腹となりそのまま寝入り込んだのは言うまでもない。

なんと4時間も寝ていたようだ。我ながら呆れ返る。

夫はもっと呆れており「異常ではないか」と心配していた。


気怠さを引き摺ったまましばし自室に籠る。

短歌も書かなければいけないのでなく一心に書きたいのだった。

今日は風景を気にせず思うままに書いてみた。


真っ直ぐでなければいけない理由などなかったのだ今曲がり角

海鳴りが聴こえる町に居た頃は傷つきやすく泣き虫だった

灰色の空に浮かべる夢ひとつ雨ならそうと伝えてほしい


堅苦しさがなく好きだなと思う。たまには己惚れてみなければいけない。



2024年09月14日(土) 家族の絵

小雨が降ったり止んだり。その割に気温は高くなんとも蒸し暑かった。

台風の影響なのだろう。生温い風が吹き海鳴りも聴こえる。

轟々と飛行機の爆音に似て思わず空を仰ぐほどだった。

台風は現在奄美地方の南を北上しており本土には影響がなさそうだが

またフィリピン沖に新たな台風の卵が発生しており油断は出来ない。

台風14号となれば本土に近づく恐れがあるかもしれない。



朝食時にNHKを見ていたら俳人の「夏井いつき」さんが出演していた。

テレビではよく見かける方で上品な顔立ちに似合わずユーモアも備えている。

はて?年齢はいくつくらいだろうと夫と語り合っていた。

夫は80歳位ではないかと云う。私はまだ70代ではないかと思う。

白髪頭をひっつめており老けて見えるがなんと溌溂としていることか。

食後気になってならずネットで調べてみたらとても驚く。

なんと見た目よりずっと若く私よりも年下の67歳であった。


愛媛県愛南町の出身で若い頃から国語教師をしていたとのこと。

退職した現在は松山市に在住しているのだそうだ。

愛南町と云えば宿毛市からすぐの県境の町でとても身近に感じる。

そこで潮風に吹かれながら少女時代を過ごしたのであろう。

同時代を生きて来たのだと思うと一気に親近感が湧いて来たのだった。


俳人として名を上げ今では芸能界でも有名な方である。

同年代とは云え私とは雲泥の差であった。

これは憧れずにいられない。今日からファンになろうと思う。

まるで星のような方に思えてならなかった。

運の良し悪しではないのだ。才能あってこその成功なのではないだろうか。




今日はめいちゃんの10歳の誕生日であった。

我が家で生まれ我が家ですくすくと成長した可愛い孫である。

良く気が利く優しい子に育ってくれてなんとも感慨深かった。

今夜はお祝いをと考えていたのだが娘に却下される。

そんなこともあるだろうと思っていたのでショックではなかった。

家族で焼き肉を食べに行くのだと夕方出掛けて行く。

当然であるかのようにあやちゃんは留守番である。

またまたそこで老婆心が芽生えて来てしまうのも無理はないだろう。

ステーキを焼いていたのであやちゃんを誘ったのだが

「今は食べたくない」と言い張り部屋から出て来てはくれなかった。

家族断絶とまではいかないが哀切が漂うような夕暮れ時であった。


娘達はもう帰宅していて今からケーキを食べるようだ。

もちろんお誘いはないので少しいじけながらこれを記している。

もうどうでもいいやと不貞腐れているのかもしれない。


この10年はあっという間の歳月だった。

今ではどちらが居候なのか分からなくなってしまったが

私達夫婦も老いに任せ随分と小さくなったように思う。

老いては子に従えと云うがなんだか酷く粗末に扱われている気がする。


いつだったかめいちゃんが「家族の絵」を描いてくれたことがあった。

その絵は宝物のように今も壁に飾ってあるのだが

真っ先に「おじいちゃん、おばあちゃん」を描いてくれていた。

めいちゃんにとっては私達も家族なのだろう。

それだけが救いであり私達夫婦の励みになっている。


歳月は流れるばかり。10年後のめいちゃんに会いたくてならない。










2024年09月13日(金) 紅い道

晴れたり曇ったり。相変わらずの厳しい残暑であった。

明日から明後日に掛けては雨になりそうだ。

台風が南の海上を北上しているせいなのかもしれない。

そのせいか九州北部では9月とは思えない猛暑となったようだ。

37℃を超え体温を超えるような危険な暑さである。


職場の百日紅は殆ど散ってしまったが

大きな樹ともなるとそのぶん生命力が強いのだろう。

まだ鮮やかに咲いている樹をあちらこちらで見かける。

「百日」と云われているがおそらくもう過ぎているのではと思う。

紅だけではなく白い花もありそのコントラストは見事であった。


彼岸の入りも近くなり例年なら彼岸花が咲き始める頃だが

今年は暑さのせいだろうかまだ見ることが出来ない。

昔はお墓の近くによく咲いていた。根に毒があるので

遺体を野生動物から守るための知恵だったのだろう。

血を吸って紅くなる「死人花」とも呼ばれていたのはそのせいである。

子供の頃には触れてはならない怖い花であったが

そう教えてくた祖母が亡くなった時に「紅い道」を目にしたのだった。

その記憶があまりにも鮮やかで彼岸花を見ると祖母を思い出すようになった。

今年も命日が近くなった。あの「紅い道」はきっと今もあるだろう。





義父が精力的に動いてくれたおかげで仕事が大いに捗る。

例の大口の入金は来週早々には振り込まれるようだ。

もう思い悩むこともない。どれほど助かることだろうか。

溺れる者は藁をもつかむと云うが溺れる寸前で救助されたのである。


同僚が通院のため早退。私も少し早めに退社した。

ラジオからは山口百恵の「秋桜」が流れていたが

カラオケの十八番だったのはいつの事かもう歌うことも出来なかった。

それがなんだか情けなくて秋桜を聴きながら目頭が熱くなる。

同時にもう母がこの世にいないことをしみじみと感じた。



買い物を済ませ4時前に帰宅。直ぐに二階の自室に籠る。

制限時間は30分であったが今日は15分で短歌が書けた。

相変わらず良し悪しは分からないが自分では満足である。

さらりっと書けた時はいつもそうでなんとも心地よいのだった。

考えれば考えるほど書けなくなる。それは詩も同じである。

ようするに「発作」なのだろう。これは私の持病かもしれない。


親子雲寄り添う空に名残り陽が初秋を告げて後を追う風

ボート部の一年生かぎこちなく四万十下る川面光らせ

目に映る風景だけが頼りなり詠み人になる老いた我が身も


三首目の通り目に映る風景だけが頼りだった。




2024年09月12日(木) 落ちてはならぬ

午後6時30分。黄昏ていく西の空を仰いでいる。

5時前にはまるでイルカのように大きな雲が浮かんでいた。

あの雲は何処に消えてしまったのだろうと不思議でならない。


朝の道に民家があると必ずと云って良いほど鶏頭が咲いている。

夏から咲いていることもあるが秋を代表する植物であった。

花に見える部分は花ではなく隠れた部分に花を咲かすのだそうだ。

鶏の頭のような色づいた部分は「花序」と呼ばれ

その根元の「帯化」した部分に「花びらのない」小さな花が咲く。

調べてみると本当に今まで知らなかったことばかりでおどろく。


そうだ、たった今思いついたのだが庭先に鶏頭を植えてみたらどうだろう。

夏すみれが枯れてしまったので庭に秋を招いてみようと思うのだ。

思い立ったら早い方が良い。週末に苗を買い求めて来よう。




整形外科のリハビリの日だったが予約時間が4時半と遅く

すっかり帰宅が遅くなってしまった。

リハビリ前に骨密度の検査があり結果は順調とのこと。

足腰よりも腕の骨が強くなっているのだそうだ。

素人考えだがカーブスの筋トレが効いているのではないだろうか。

何事も続けてみるべきなのだなと思った。

しかし「骨粗しょう症」が完全に改善されたわけではない。

もし転倒すれば必ず骨折するようなレベルらしかった。

転ばぬ先の杖である。とにかく慎重に行動しなければいけない。

骨を強くする薬はまだまだ必要であった。


「ほっかほか亭」に寄りおかずのみ買って帰る。

娘達が夕食は不要と言ってくれていたので大助かりだった。

夫に焼き肉。私は好物のチキン南蛮にする。

店員さんとはすっかり顔なじみになりもう常連であった。


帰宅したら思いがけずに娘の車がありおどろく。

病院は休診ではなかったが休みが取れたのだそうだ。

洗濯物を畳んでくれておりなんと助かったことだろう。


大相撲を観ながら夕食。大の里が連勝で嬉しい。

食後の食器洗いも無くずいぶんと楽をさせてもらった。

入浴前に短歌を書く。今日は2首がやっとだった。

相変わらず大した短歌ではないが書けた時の達成感が大きい。

「出来ることを」と思っている。それが出来たのだから上等だ。

決して時間が有り余っているわけではなかった。

その限られた時間をいかに有効に使うかだろう。

ぎりぎりの瀬戸際であっても書こうと思えば書けるのだった。

諦めてしまったらもうそこでお終いである。

日々、自分で自分を試しているようなものであった。


茜雲イルカのように浮かんでは静止している声も出さずに

沈む陽に今日の私を重ねては落ちてはならぬ生きてこそ明日


お粗末なのかもしれないが

私は2首目が好きだなと思う。



2024年09月11日(水) 黄色いさくらんぼ

朝はどんよりとした曇り空だったが次第に晴れて来る。

猛暑日にこそならなかったが厳しい残暑となった。


最近よく見かけるのは「仙人草」の純白の花である。

写真を載せられないので分り難いと思うが

蔓状になっており木やフェンスなどに絡みついている。

属名「クレマチス」別名「馬の歯落とし」「牛食わず」とも云われ

可憐な花に似合わず有毒植物なのだそうだ。

花から長い毛が伸びておりそれが仙人の髭に似ていることから

「仙人草」と呼ばれるようになったらしい。

見慣れた花でも調べてみると知らないことがいっぱいあって面白い。




頭を悩ませていた資金繰りの目途がなんとか立ちそうになった。

とにかく売上次第なのだが近いうちに大口の入金がありそうなのだ。

今日は義父に助けてもらいながらその段取りをしていた。

私一人では前へ進めなかっただろう。社長あってこその私である。


目の前が明るくなりもう思い悩むまいと思う。

まだ大船に乗った気分にはなれないが桟橋に立っているのだろう。

きっと何とかなるとやっと思えるようになった。

海は荒波である。やがて辿り着くであろう島影が遠くに見えている。


午後は来客があり忙しかったが3時に退社した。

楽しみのFMラジオは1950年代の特集をしており

「黄色いさくらんぼ」とは何と大昔の曲に思える。

私が4歳の頃に流行した曲なのだそうだ。

おそらく母が口ずさんでいたのだろう。不思議と歌詞を憶えていた。

父も母も歌がとても好きだった。懐かしい記憶が溢れて来る。


買い物を済ませ4時に帰宅。制限時間は30分であった。

とにかく短歌しかない。書かずに一日を終えるわけにはいかない。

自分に課すと云うことは生半可な気持ちでは済まされなかった。

「ようし書くぞ」と思う。今日こそはまともな短歌を書きたかったのだ。

けれども「まとも」とはいったい何を基準にしているのだろう。

私がまともでないことは既に知り渡っているのではないかと思う。

「ええい、つべこべ言うな」そこで開き直るのが私であった。


夏雲を見上げながらの帰り道明日は秋なら歌を詠おう

絡みつき緑を覆う純白を仙人草と誰が名付けた

相応しいことなのだろう青空に鯨のような雲を浮かべて


いったい何処がまともなのだろうか。








2024年09月10日(火) ホテイアオイ

真夜中に久しぶりの雨音。明け方にはもう止んでおり

日中も殆ど降らないまま日が暮れてしまった。

一雨ごとに秋らしくなるのではと期待していたが

明日は晴れてまた厳しい残暑になりそうだ。

やはり彼岸までなのだろう。もう少しの辛抱である。


今朝は義父が飼っているメダカの鉢にホテイアオイの花が咲いていた。

一輪だけであったがまるでメダカの学校の先生のようである。

朝からほっこりと心が和む。きっと明日も咲いてくれることだろう。




仕事はそこそこの忙しさであったが資金繰りが苦しく頭を悩ませてる。

10月から開始されるOBD検査のため設備投資が必要であった。

国から3分の1は補助金があるのだが全て支払ってからとのこと。

とにかく先に資金を準備しなければ先に進めないのである。

義父も先日大枚をはたいて運搬車を買ったばかりでとても余裕などなかった。

金庫番の責任は重く「足りない」ではとても済まされないのだ。

いざと云う時のため蓄えている資金はあるのだが

それを使ってしまったらもう経営資金が底を尽いてしまうのだった。

まあ後は何とかなるだろうと思うほど私は楽天家ではなかった。

しかし負けるわけにはいかない。何としてもこの山を乗り越えなければ。



2時半に退社。内科の薬が切れるので病院へ寄り処方してもらう。

薬の量が多いので高額となりけっこう痛い出費となった。

70歳になれば負担額が減るのだそうだ。もう少しの辛抱である。

これほどの薬をと思うがそのおかげで元気でいられるのだろう。

血圧は正常値が続いており精神疾患も今のところ大丈夫だった。


買い物を済ませ4時に帰宅。夫は大相撲中継に夢中である。

「子連れ狼」は録画して翌日の昼間見ているのだそうだ。

私は見ることが出来ず残念だが仕方あるまい。


30分と時間を決めて自室に籠り短歌を書いた。

雨は降っていないのに降っていることにしたりして滑稽である。

雨の光景を目に浮かべながら書くのだ。殆ど妄想に等しい。

当然のようにろくな短歌は書けなかった。

それでも即発信するのだから私も相当落ちぶれたものだ。


けれども「書く」と云う姿勢は誇りに思いたい。

どんなに忙しくてもどんなに疲れていても「書く」のだった。

そんな自分を死ぬまで見守ってやりたい。



限りある命を楯に突き進む例え今日が最後の日でも

めだか鉢ホテイアオイの一輪が師の如く咲く声高らかに

対岸の山を霞めて降る雨はいったい何を隠すのだろう


お粗末でした。



2024年09月09日(月) 奇跡の雨

今日は昭和99年の9月9日なのだそうだ。

平成、令和と年号が変わったが昭和の時代を感慨深く思い起こす。

私は昭和31年に生まれたが戦後の復興期だったようだ。

ベビーブームでもあり沢山の子供達が命を授かった。

戦争の傷跡も知らず誰も教えてはくれなかった気がする。

悪く云えばぬくぬくと育って来たのだろう。

父は16歳で終戦を迎え母はまだ7歳の子供だった。

もし終戦が長引いていたら父は戦地へ行っていたことだろう。



今朝は夏すみれにたっぷりと水を遣り出掛けた。

しかし帰宅して愕然とする。もうぐったりと枯れ始めていた。

土から根が浮き上がっているのだ。水の遣り過ぎだったのかもしれない。

なんとも憐れで涙が出そうになった。そうして自分を責めるばかり。

やはり私は花を育てるのが無理なのかもしれない。

手入れが行き届かず結局は可哀想な目に遭わせてしまうのだ。




仕事の手を休めながら母の一周忌の段取りをしていた。

そろそろ親族に案内もしなければならず手抜かりがあってはならない。

実は義祖母の7回忌も一緒にすることになっており

それは義父と話し合って決めた事であった。


弟が家族総出でやって来るらしくそれとなく相談したのだった。

今回は弟夫婦だけが良いのではないかと話したのだが

私の言い方が悪かったのだろう。弟を怒らせてしまったのだった。

「もう行くのは止める」と言い出し困ったことになった。

弟としては娘達夫婦、孫も一緒にと楽しみにしていたのだろう。

けれどもそれでは決まりが悪く遠慮すべきだと思ったのだ。

総勢6名である。法要後の会食の段取りもあり頭を悩ませていた。

弟達は「お供え」のお包みを一切しないのである。

それが当たり前のように思っておりいささか非常識であった。

しかし決して裕福ではない弟達に強制することは出来ない。

亡き母は実母であっても義父とはあくまでも義理の仲である。

義父は大らかな人であるがやはり義理を通すべきだと思うのだ。

そんな私の気持ちは残念ながら弟には伝わらなかったらしい。

「来ないならもういい」と思う。弟とはしばらく距離を置くことにした。





仕事が一段落していたので2時半に退社する。

時間の余裕があることは嬉しいことであった。

4時前には帰宅しており焦ることもなく短歌を書く。

良し悪しなど全く考えずに好きなように書いた。

いつだって自然体で在りたい。自分らしく在りたいと思う。

誰かに認められるために書いているのではないのだ。

私が「わたし」を認めるために書いているのだと思う。


夕立ちを連れて来るのか夏雲は山にぶつかり涙を流す

朝顔がまだこれからと手を伸ばす季節外れの花となるため

夏すみれとうとう尽きて憐れなり奇跡の雨を待つ定めかな


午後7時53分渇いた心を潤すように雨が降り始めた。



2024年09月08日(日) 猫じゃらし

午後6時40分。ほうずき色の空にか細い三日月が浮かんでいる。

まるで絵本のような風景をうっとりと眺めているところだ。


朝晩の涼しさは日に日に増しているが日中は厳しい残暑となる。

江川崎では今日も36℃を超え猛暑日だったようだ。

全国一かなと思いきや上には上があるもので熊本市がトップだった。

暑さに勝ち負けはないがついつい気になってランキングを見てしまう。


朝食時、夫が久しぶりにラーメンを食べに行くかと言ってくれ嬉しい。

宿毛市郊外の「一風」まで20分程だがドライブも楽しみであった。

車中では娘達の噂話である。「いったいいつまで居座るのか」などと

家では話せないことを意気投合して語り合うのだった。

お互い肩身の狭い思いをしておりそろそろ限界を感じている。


「一風」ではラーメンセットを注文した。

けれどもいつもと何となく違う。

ラーメンに煮卵が入っていなかったり炒飯も味が薄かった。

もちろん文句など云えず黙々と食したのだが

調理を手伝っている奥さんが不慮の怪我で足を骨折しているのだそうだ。

全治一ヶ月とのことどんなにか不自由を強いられていることだろう。

パートの女性が手伝いに来ていたが奥さんと同じにとはいかない。

かなり高齢のようで腰が曲がっているのが見えた。

どんな時もあるものだ。それでも必死の思いで切り盛りしているのだろう。

いつもと味が違うなどとどうして云えようか。


月末に母の一周忌を控えており会食の予約を済ませて来たが

その頃には奥さんも復帰出来そうでほっとした。

忙しい目に遭わせてしまうが他に頼るところもないのだった。




満腹になっていたせいか午後はひたすら寝て過ごす。

自分でも異常ではないかと思うほど酷い眠気だった。

午後4時前にやっと目覚める。なんとも気怠い。

よっこらしょと起き上がり日課の短歌を書くことにした。

しかし頭の中が真っ白になっており何も浮かんで来ないのだ。

上の句は出来ても下の句が出来ない。正直辛かった。

こんな思いをしてまで書かなければいけないのかと思う。

強制しているのは他の誰でもない自分自身なのである。

そんな自分を無視することがどうしても出来ない性分であった。

負けるもんかと思う。何としても書き上げようと努力する。


40分かかりやっと3首書き終えた時には心地よい達成感があった。

ネットの海に浮かべると雑魚であってもすいすいと泳ぐ。

鯛やヒラメには敵わないが海でしか生きられないのである。

その「いのち」をどうして粗末に出来ようか。



花すべりそろそろ顔を伏せる頃昼間の夢は恋だったのか

灼熱を鎮めるように吹く風は夏を追いやる息ほどの秋

猫じゃらしゆらゆら揺れて語り合う野に一筋の光を求め



2024年09月07日(土) 露ほどの秋

二十四節気の「白露」大気が冷え始め露を結ぶ頃。

いよいよ本格的な秋かと思えるがそうは問屋が卸さず

今日も全国的に厳しい残暑となった。

江川崎は36℃を超え全国3位の猛暑日となる。

やはり彼岸まではまだまだ夏の名残があるだろう。


夏すみれは持ち直してくれ今朝は元気に咲いてくれていたが

紫と白があり白の方はすっかり枯れてしまっていた。

もうそうなればいくら水遣りをしても駄目だろう。

夏の花である。紫の方も秋まで咲き続けるとは思えなかった。

最後までと思う。無残に死なせるわけにはいかない。




朝のうちに一時間程朝寝。なんともだらしない有り様である。

10時にカーブスへ行ったが駐車場が満車状態であった。

仕方なく近くの文化センターに停めさせてもらったが

道路を横断せねばならず汗だくになって歩く。

普段から歩き慣れていないせいかふうふうと息が上がっていた。


カーブスでは「お友達紹介」とかであれこれと景品をもらった。

紹介したつもりはなかったのだがSNSで知り合った友人が居て

入会時に私の名前を出してくれたのだそうだ。

それはとても思いがけなく嬉しいことであった。


彼女は昨年最愛のご主人を亡くされ独り寂しく暮らしていた。

いつまで経っても悲しみは癒えず気遣わずにはいられなかったのだ。

「始めてみよう」と思ったとのこと。きっと良き転機となるだろう。

身体を動かせばきっと心も動き出すのに違いない。

少しでも前向きに明るい気持ちになれることを願わずにいられなかった。


私も仲間が増えてやる気が出て来たように思う。

足の痛みに負けず出来ることを頑張って続けようと思った。




昼食後、ふと思い立って美容院へ行っていた。

癖毛なので汗をかくとぼさぼさになりなんと鬱陶しかったことだろう。

思い切り短くカットしてもらい栗色の髪に染めてもらった。

まるで生まれ変わったような気分である。

とにかく行動するべきだと思う。自ら変わるきっかけを作るべきなのだ。


帰宅後はお昼寝。目覚めたら4時近くになっていた。

日課の短歌をと思い自室に籠っていたが今日はいささか調子が悪い。

いつもは直ぐに頭に浮かんでくるのだが今日は駄目だった。

まあどんな時もあるだろう。決して焦ってはならない。

結局30分かかりなんとか3首を書き終える。

如何なものか。良し悪しは相変わらず自分で判断することは出来ない。


洗濯物を畳んでから恐る恐る通知をチェックしたら「いいね」があった。

僅かではあったがそれがどれ程励みになることだろう。

まるで「いいね」中毒のように愚かな私であったが

詩も短歌もそうして救われているのだと思う。

それは同時に他からは一切認められないことに等しい。

SNSあってこその私だと云っても過言ではないだろう。


そんな生き方があっても良いのだと思いたい。

まるでネットの海を漂う海月のようでもあった。


露ほどの秋なのだろう陽は西に夏の記憶が傾いている

赤とんぼ群れから外れ独り飛ぶ空に故郷があるかのように

子の背には夏の塗り絵が描いてあり汗かく度に思い出となる



2024年09月06日(金) 明日は咲こう

朝の涼しさもつかの間。今日も厳しい残暑となる。

ただ今までと確かに違うのは風の色であった。

風に色なんかあるはずはないのだが

熱を帯びた夏風とは違いとても爽やかである。

それは空の色だろう。空がそのまま映っているようだ。

明日は「白露」終らない夏など在りはしないのだ。


帰宅したら夏すみれがぐったりと項垂れていた。

今朝は元気に咲いていたので水遣りを怠ったせいだろう。

昼間の陽射しがよほど堪えたのだろうと思う。

慌てて水遣りをしたがなんとか持ち直して欲しいものだ。


花すべりは逞しい。水をあまり欲しがらず陽射しにも強かった。

しかし夕方になると花を閉じるので平日は見ることが出来ないのだ。

留守中の庭先を彩ってくれているのだと思えばなんとも健気であった。





仕事は順調とは行かず来週まで尾を引きそうである。

新しい運搬車の車検整備が完了したのだが

ABSセンサーを交換したにも関わらず警告灯が消えないのだった。

他に原因があると思われるが義父にも分からず頭を悩ませている。

仕方なく大型車専門の業者に依頼することになったが

臨時ナンバーが必要で今日は手続きが間に合わなかった。

大枚をはたいて購入した車である。しかも遠く石川県まで行ったのだ。

何としても乗れるようにしてやりたいと手を合わすばかりである。


義父の落胆は大きくかなり焦っているようだった。

それもそのはず飼料米の稲刈りが迫っている。

猪が出没し稲を食い荒らしているのだそうだ。

一刻も早く稲刈りをしなければ収穫量にかなり響くだろう。

神様仏様である。私もなんだか追い詰められたような気分であった。




買い物を済ませ4時に帰宅。短歌を後回しにして「子連れ狼」を見る。

今日も沢山の人が殺められたので夫に「罪にならないのか?」と訊いた。

もちろん大罪なのだそうだ。奉行所も捕えようと必死になっているらしい。

しかし奉行所の役人も「拝一刀」には敵わないのだそうだ。

刺客は今で云う殺し屋である。その報酬で生き延びているのだろう。

どれほど残虐なシーンがあっても幼い大五郎に救われる思いであった。

そうでなければ成り立たない時代劇なのだと思う。


見終わってから短歌を書いた。夕食の支度まで15分程ある。

窓の外は夕焼け空でとても穏やかな気持ちになれた。

大きく深呼吸をしながら指先が勝手に動き出すのを待つ。

「即興」と云うより「オン書き」であった。

詩も短歌も全てそうして書いている。そうでなければ書けない。

そうしてそのまま発信してしまうのだから書き直すことは出来ないのだ。

賛否両論はあると思うがそれが私の書くスタイルであった。


だからいつまで経っても認められないのだと自覚している。

けれどもこのまま最期を迎えても私は悔やみはしない。

人はひと私はわたしであることを貫き通したいと思っている。


夕暮れて蕾に変わる花がある眠る夜なら明日は咲こう



2024年09月05日(木) 私のあがき

9月になってから夕暮れが早くなったようだ。

毎日少しずつのことだったのだろう。

さほど気にも留めずに過ごしていた証拠である。

あたふたとするばかり。他にも気づかないことがるのかもしれない。

「小さな秋みいつけた」自然は健気にそんな声を待っている。


今朝は車検受けのため夫の車で出勤した。

不慣れなせいか緊張してしまい肩に力が入る。

とにかく落ち着こうと煙草を二本吸ってしまう。

車中に匂いが残らないように窓を全開にして走った。

もし見つかればどんなにか叱られてしまうだろう。

我慢することがどうしても出来ない。

わずか30分の距離なのに自分をコントロール出来ないのだ。

バレなければ良いと思っている。なんと狡い性分だろうか。




車検は予約してあったのでスムーズに捗る。

同僚も機嫌よく整備してくれたので何よりだった。

お客さんとは違って儲けにはならないのだ。

正規の工賃など支払う余裕などあるはずもなかった。

車検整備後には手洗い洗車のサービスもあるのだが

さすがにそれは遠慮する。同僚に申し訳なくてならない。

あまりに汚れていたので同僚は洗いたがっていた。


義父も忙しくしていたのだが手を休め完成検査をしてくれる。

二人で書類を作成しやっと車検完了であった。

3時に退社。同僚に「ありがとうね」とお礼を言ったら

「何のこと?」と首を傾げ上手く伝わらなかったようだ。

同僚にしてみれば仕事以外の何物でもなかったのだろう。

私は同僚のそんな生真面目さがけっこう好きである。


買い物を済ませ4時に帰宅。「子連れ狼」に間に合ったが

その前に短歌を書き終えておきたかった。

今日も一首5分の早業である。我ながら感心するばかりだ。

「ええい、これでどうだ」と投げるように発信した。

昔ながらの中華そばにはとても敵わないが

即席めんも食べてみればけっこう美味しいものである。

胡椒も少し。それでこそ一味違ってくるのだった。



「子連れ狼」は予想以上に面白かった。

刺客なので人が必ず斬り殺されてしまうのだが

そんな残酷さの中にも人情味あふれる温かさが垣間見える。

大五郎のなんと凛々しいことだろう。とても3歳には思えなかった。


この子役の男の子は現在25歳になっているのだそうだ。

もう芸能界には存在せずユーチューバーをしているらしい。

いかにも今時の若者らしく微笑ましく感じた。

明日も少しでも早く帰宅して夫と一緒に見たくてならない。



午後8時ともなれば外はもうすっかり夜の帳が下りている。

私はと云えば寝酒の真っ最中でほろ酔い状態であった。

後は寝るだけであるがここ数日寝る前にまた短歌を書いている。

まるで発作のように書きたくてたまらなくなるのだった。


それが殆ど記憶にないのがまた愉快でならない。

朝一番に確認して思わず「おお!」と声が出る時もある。

そんな愉しみもあるから人生は面白いのだろう。


生きて来たし生きている。私のあがきはまだまだ続きそうだ。



2024年09月04日(水) 思いがけないほどに

おおむね晴れ。今朝は22℃と随分と涼しかった。

暑さ寒さも彼岸までである。厳しい残暑もあと少しだろう。


こぼれ種から芽が出ていた朝顔がぐんぐんと育っている。

なんと逞しいことだろうかと感動さえ覚えるのだった。

花が咲けば感激である。涙が出てしまうかもしれない。


咲かそうと思い植えた花よりも思いがけなく咲く花がいい。

ひともそうで在りたいものだ。思惑など一切ないのである。


私は欲深い者だからついつい大きな期待をしてしまうのだが

それが思い通りに行かなかった時の落胆は大きい。

かと云って全く期待しないのも虚しいものである。




仕事中に酷い眠気に襲われ机に突っ伏す。

そのまま15分程眠っていたようだった。

その後も気怠さが続き仕事が全く手に付かない。


幸い義父が稲の消毒に出掛けていたので早退することにした。

例の部品は新品を注文したのでもう一段落である。

しかし諄いことに「探せばきっとあったはずだ」とまだ言っていた。

いかにも私の手落ちのように言うので少しむっとする。

機嫌を損ねないように接するのは並大抵のことではなかった。

義父の性格は分かり切っていてもそれがストレスになっていく。


とにかく逃げるように帰った。煙草を二本も吸ってしまう。

声は擦れる一方でもう鼻歌も歌えなくなる。

手遅れにならないうちに歯止めをと思うがなんと情けないことだろう。

止められない止まらないジレンマとの闘いである。


買い物を済ませ3時過ぎに帰宅。つかの間のスローライフであった。

短歌を書き終えてから夫と一緒に「銭形平次」を見る。

最初から見ることはめったにないことでわくわくと嬉しい。

今日も一文銭が勇ましく飛ぶ。なんとも爽快で好きな場面だった。


見終わってから夫が「もう今日でお終い」と言うので驚く。

知らずに見ていたのだが今日が最終回だったのだそうだ。

まだまだ見たい番組だったので残念でならない。

明日からは「子連れ狼」とのこと。それも良いかもと思う。

夫と少しでも一緒に見られる時間を大切にしたいものだ。


5時半を過ぎ夫と夕食を食べていたらお向かいの奥さんが思いがけず

こんがりと焼けた「鰻の蒲焼」を持って来てくれた。

ご主人と「はえ縄漁」をしていて四万十川の天然鰻である。

買えば高価な物でまるで夢のようであった。

娘婿が度々「素潜り漁」のお裾分けをしておりそのお礼だと言う。

勝手に食べて良いものかと思ったが夫と一切れずつご馳走になる。

帰宅した娘婿に報告したが機嫌が良かったのでほっとした。

天然鰻は身が引き締まっておりとても美味しい。

そうしてとても懐かしい味がした。

昔はこれでもかと云うほど食べていたのだから当然のことである。


先日夫が四万十川の「漁業組合」を脱退した。

40年以上も続けて来た「川漁師」とももうお別れとなる。

苦労ばかりの歳月であったがなんと感慨深いことだろう。

乳飲み子の娘を背負って私も必死で頑張って来た。

「思い出」と云うより私達夫婦の「歴史」のように思えてならない。







2024年09月03日(火) あと幾日か誰も知らない

晴れたり曇ったり。残暑は厳しく今日も真夏日となった。

関東ではゲリラ豪雨とのこと。冠水した道路の映像が流れる。

突然の豪雨にどれほどの人が戸惑ったことだろうか。

いったいいつになったら安定した天気が続くのかと思う。


職場の百日紅が散り始め小豆のような小さな実が成っている。

以前にも思ったのだがその実を土に埋めてみたらどうだろう。

もしかしたら芽が出て大きな樹になるかもしれない。

思い立ったら直ぐにと思うが結局は何も出来ないのだった。

子供のように純真な心があればと思う。好奇心のかたまりである。




事務仕事はさほど忙しくなかったが義父に振り回された一日。

運搬車の「ABSセンサー」を交換しなければいけなくなり

新品は驚くほど高価なので中古部品を探すことになった。

取引先の部品屋では見つからず私に矛先が向かって来たのである。

とにかくネットで探せと言い渡され血眼になって探していた。

専門の部品屋が見つけられないのをどうして私が見つけられようか。

お昼休憩もそこそこに3時過ぎまで探したがやはり駄目である。

けれども義父は諦めずまた明日探せと言うのであった。

いっそのこと新品をとも思っている。痛い出費であるが仕方あるまい。




買い物を済ませ4時半に帰宅。どっと疲れが襲って来る。

短歌どころではなかったがどうしても休む気になれない。

自室に籠り15分で3首書き終えた。我ながらたいしたものである。

まるでお湯を注げば3分で出来るチキンラーメンのようだ。

良し悪しはともかくとして「臨む」姿勢が大切なのだと思う。

休むことは容易いかもしれないがそれでは全う出来ないのだ。


茶の間で洗濯物を畳みながら「銭形平次」を見た。

ラストの10分であったが一文銭が飛ぶところが見れたので満足である。

せめて以前のように2時で仕事が終われたらと思うが無理な話だった。

スローライフは夢のように遠い。死ぬまで働く運命かもしれない。


朝は7時50分に家を出ているが一日はあっという間だった。

最低限の家事だけは疎かに出来ず精一杯の日々である。

そんな暮らしの中で如何にして自分を貫くかであった。

時間が足らないなどとどうして嘆くことが出来ようか。


一生認められなくても「わたし」を貫く。

それこそが生き甲斐のように思えてならない。


空白のこころに咲いた百日紅あと幾日か誰も知らない

雑草も憐れに思い水を遣る春には確か花だったこと

向日葵の種を啄む鳥がいる咲かせる夢を見るかのように




2024年09月02日(月) どうにかこうにか

朝の涼しさに秋の気配を感じるようになった。

夜明けも少しずつ遅くなっているようだ。

しかし日中はまだ残暑が厳しく今日も真夏日となる。


台風崩れの熱低はまだ悪さをしており

何処かで必ず大雨を降らせている。

日本中が秋晴れとなるのはいったい何時のことだろう。


台風11号は幸い日本には影響がないようだが

太平洋上には新たな熱低が次々に出来ており先が思いやられる。

不安は尽きず常に心構えが必要なようだ。



仕事は月末の〆などがありそこそこの忙しさであった。

精一杯やり繰りをしていても預金残高が乏しい。

今日は社会保険料が引き落とされておりかなりの痛手である。


工場は買ったばかりの運搬車の車検整備をしており

義父が段取りをしては同僚が整備を任されていた。

前後のブレーキに不備があり危険な状態なのだそうだ。

おまけにABSランプが点灯したまま消えない。

そんな状態でよく無事に石川から帰って来れたものだ。

修繕費は嵩むがなんとしても直さなくてはいけない。


3時に退社。今日ものど飴をしゃぶりながら帰る。

喉の悪化が進んでおりすっかりガラガラ声になってしまった。

また以前のように声が出なくなるのかもしれない。

防ぐには禁煙しかない。それが大きなストレスとなる。

煙草は嗜好品だと云うが私にとっては精神安定剤であった。

禁煙の苦しさはもう二度と味わいたくはなかった。


4時に帰宅。夫が「銭形平次」を見始めていたが諦める。

日課の短歌を書くためにしばし自室に籠っていた。

どうにかこうにかである。良し悪しは自分では全く分からない。


洗濯物を畳み終えるともう夕食の支度であった。

大急ぎで作り5時半には夫と二人で食べ始める。

6時には娘が帰って来るのだがほぼ毎日のように機嫌が悪い。

仕事の疲れかとも思うが私に八つ当たりするのだった。

今日もさっさと台所を明け渡せと言わんばかりである。

急いで食器を洗う。それからお風呂に入りいま「ここ」であった。

とにかく娘達の家族団欒を邪魔してはいけないようだ。

ひとつ話し掛ければみっつも荒い言葉が返って来る。

今日はそんなに母が憎いのだろうかと悲しくなった。


私は全ての家事をこなしているが家政婦ではない。

家族と認めて欲しいわけではないが母に違いなかった。

思い遣ればうるさがられる。全てが余計なことのようである。

嘆いてはいけないがしんどいなと思った。

このままでは一生報われないのに違いない。

あの優しかった娘はいったい何処に行ってしまったのだろう。


夫は口癖のように「相手にするな」と言う。

干渉しない。話し掛けてもいけないのだろうか。


寝る前にはいつも孫達に声を掛ける。

あやちゃんもめいちゃんもちゃんと「おやすみぃ」と言ってくれて嬉しい。




2024年09月01日(日) 雲ひとつない

9月になりささやかな秋の訪れだろうか。

今朝は24℃と随分と涼しい朝であった。

風はもちろん無色透明なのだが秋の色となる。


心配していた台風はお昼に熱低に変わったようだ。

しかし雨雲はまだ健在と見えて所々に雨を降らす。

幸い大雨の地域はなかったようで何よりだった。


気になるのはフィリピン沖の熱低である。

台風のたまごなのに違いなく不安は尽きない。

日本に接近しないことを祈るばかりである。




日曜日恒例の酒類の買い出し。開店と同時に行くつもりだったが

また朝寝をしてしまいすっかり遅くなってしまった。

やはり夫の言う通りネット通販を利用するべきなのかもしれない。

しかしポイントが貯まるのが嬉しく迷うところであった。

それに一気にカードから引き落とされるのも辛いものである。

酒類だけではなく夕食の材料、洗剤やシャンプーも買わなければならない。

今日もほぼ9千円の出費であった。ポイントは450も付く。

貯まったポイントを使うのもまた楽しみでならないのだ。


午後は「24時間テレビ」を見ていたがいつの間にか寝ていた。

3時頃目を覚まし日課の短歌を書く。

自分では気に入っていても相当粗悪なものらしい。

その証拠に高知新聞の歌壇ではまったく相手にされない。

ずっと落選続きで落胆するばかりであった。

「励み」とはいったい何だろうと思わずにはいられなかった。

こちらは一縷の望みを掛けているがとことん踏みにじる。

それを恨んでも仕方なくやはり自分の落ち度なのだろう。

そこで「なにくそ」と奮い立たなければいけないのだと思う。

しかしちっぽけなプライドが邪魔をし増々落ち込むのであった。


SNSはあくまでも「評価」ではないけれど

「いいね」にどれほど励まされていることだろう。

今日も山上秋恵さんが「いいね」をしてくれて天にも昇る気持ちだった。

一瞬もう新聞投稿を諦めようかとも思ったのだが

いつも楽しみにしてくれている恩師や友人の顔が目に浮かんだ。

それは一人や二人ではなかったのだ。


詩はもちろんのこと短歌も崖っぷちなのだと思う。

とことん追い詰められ虐げなければならない。

それでこそ「わたし」が生きられるような気がしている。


まだ暑き9月の空に投げ出した想いは遥か雲ひとつない


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