ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2024年06月30日(日) 心の琴線

曇り日。風はあったが不快な程の蒸し暑さだった。

扇風機ではとても耐えられずエアコンのお世話になる。

娘達は朝からエアコンをフル稼働しており

夫が「俺らが我慢することはないぞ」と苦笑いしていた。

電気代は馬鹿にならないが快適に過ごすことが一番なのだろう。


サニーマートが開店する9時を待ちつつ自室で過ごしていたが。

ひっきりなしに煙草を吸ってしまい我ながらうんざりとする。

とにかく部屋から出なければいけないと茶の間に行ったら

夫が録画してあった洋画を観ていた。

戦争映画のようだったがそれがなんとも残虐である。

後から後から人が死んでいく。小さな子供も乳飲み子さえも。

母親は犯され乳房を抉り取られそうになっていた。

「もう止めて」の一言が云えない。夫は食い入るように観ている。

「コンナヒトナノダナ」と改めて思う。

価値観とはまた違うのだろうがとても共感など出来なかった。


買い物から帰宅すると今度は別の洋画を観ていた。

缶コーヒーのCMによく出ている俳優さんで名前は知らないが

見知った顔なので興味が無きにしも在らずだった。

戦争映画のように残虐ではなかったが怖ろしい場面ばかりである。

途中からだったので夫にあらすじを訊ねたら

ロサンゼルスで地震があって地下の火山が爆発したのだそうだ。

街中には溶岩が流れ込み人々はパニックになり逃げ回っている。

夫にとってはスリル満点のようだが私はひたすら怖ろしくてならない。

「モウイヤダ」と思う。逃げるように自室に向かいまた煙草ばかり。

手も口も切って捨てたい。なんだか気が変になってしまいそうだった。





午後4時過ぎ、あやちゃんが珍しく部屋に入って来て

またSNSの話になった。今日の私のポストを見せる。

そうしたら今朝のポストに昔の写真を載せていたのがいけなかった。

夕陽を背にしたあやちゃんとめいちゃんの写真で

逆光なので顔は判別できないと思っていたのだが

「どう見てもこれ私じゃんか」とお叱りを受ける。

6年前の写真であっても絶対に許さないと言うのだった。

即刻削除を言い渡されあやちゃんの監視のもとに削除した。

「いっぱいいいねが付いていたのに」と私が反論すると

「誰もいいねと思って押してないよ」と真剣な顔をして言う。

SNSとはそう云う場所なのだそうだ。

お説教はまだまだ続きうかつに人を信用しないこと。

顔も知らない人と仲良くなったりしないこと。

最後に「ネットは危険がいっぱいながやけんね」だった。


まるで大人が子供に云うようなことであった。

でもそれだけ慎重に考えて行動しているのだと思う。

とても12歳とは思えないしっかりとした考えだと感心したのだった。

私は自分の迂闊さを深く反省し今後に活かさなければいけない。


思い起こせばネット生活も25年程だろうか。

様々なトラブルに巻き込まれ人を傷つけたりその反対もあった。

それでも私は人を信じることを止められずに今に至っている。

顔が見えないこそ魂が触れ合うのではないだろうか。

心の琴線に触れる「縁」を大切にしたくてならない。



2024年06月29日(土) 私は燃えている

曇り日。風はあったが梅雨時らしい蒸し暑さとなる。

もう幾日も洗濯物を外に干せずにいる。

「今日はどうかな?」と夫に訊けば「止めとけや」と即答だった。

お天気の良い日はいつも夫が洗濯物を庭まで運んでくれるのだ。

何しろ6人分の洗濯物の重いこと。私にはとても無理な話である。

夫はもうそれが自分の役目と心得ていて文句の一つも言わなかった。


だんだんと家事がまともに出来なくなっている。

あと5年後、10年後となればいったい私はどうなっているのだろう。



朝のうちにサニーマートへ買い物に行っていたら

店頭に刃物屋さんが出店していて包丁研ぎもしてくれるそうだ。

確か去年の今頃にも研いでもらって助かったことがあった。

とても愛想の良いお兄さんで今年も頼むことにする。


一度帰宅してから包丁を3本持って行った。

忙しいのか仕上がりは午後になるとのこと。

夕方までに取りに来ることにしてカーブスへ向かった。


カーブスでは滝のような汗で脂肪が燃えているらしい。

実感は全く無いが「私は燃えている」と思い頑張る。

何と心地よいことだろう。気分も明るくなったような気がする。

昨日の肩凝りが嘘のように楽になっていた。

それだけでもカーブスに通う意義があるのだと思った。


カーブスを終え駐車場から夫に電話を掛ける。

「明星鉄板焼きそば」を作ってもらおうと思ったのだけれど

開口一番に「今それどころではない早く帰って来い」と言うのだった。

いったい何が起こったのだろう。気が気ではなくなり大急ぎで帰った。

真っ先に頭に浮かんだのは息子の元お嫁さんのことだった。

まさか自殺。それは常日頃から一番心配していることである。

精神病なので発作的に命を絶つことも十分に考えられた。



帰宅したら台所から笑い声が聞こえているではないか。

夫は焼きそばを作ってくれているようだった。

訊けばあやちゃんが急に腹痛を訴えて苦しんでいたのだそうだ。

娘も買い物に出掛けており夫もパニック状態だったのだろう。


「もう治った」とケロッとしているあやちゃんにほっとする。

便秘だったのだろうかトイレに行ったら楽になったそうだ。

不規則な食生活。運動不足もあるだろうと察する。

とにかく一時的なことで済み何よりだった。


夫の作ってくれた焼きそばの美味しいこと。

焼きそばライスにしてお腹いっぱいになった。

そのまま倒れ込むように寝てしまい目覚めたら4時近くになっていた。

週末はとにかく寝ることである。そうして私は蘇るのである。


アイスコーヒーを飲みながら短歌を捻った。

何が良かったのかすらすらと詠める。

一首5分の早業であった。うん我ながら素晴らしいと悦に入る。

特に2首目が気に入ったので高新文芸にまた投稿してみよう。



ヤフオクで落札した山上秋恵さんの歌集が昨日届いた。

驚いたのは中古本のはずなのにどう見ても新品だったことだ。

これは誰も開いてはいないのだと確信する。

もしかしたら山上さん本人が手放したのかもしれない。

それ程までに辛いことがあったのか。それは知る由もなかった。


短歌は2001年から2013年のものが収録されており

まだ20代だった頃の作者の若々しさが感じられた。

子育ての真っ最中だったのだろう家庭的な短歌が多いようだ。

まだ全てを読み終えてはいないがゆっくりと読みたいと思っている。


風に出会い風を見る。心の琴線に触れる確かな風を感じた。



2024年06月28日(金) こころはいつも忙しい

大雨の予報だったが幸い小雨のままで済む。

今はもう止んでいて心地よい夕風が吹いている。

明日は晴れ間もありそうだ。ゆっくりと天気が回復するだろう。


夜明け前に「つゆさん」の詩を書いた。

以前から書いている季節シリーズのつもりであるが

きっと誰にも分からないだろうと思う。

そもそも詩人でもないくせにシリーズなど大それたことだろう。

自己満足以外の何ものでもない。私が好きなのだからそれでいいと思う。

いつもリポストしてくれていた方が家庭の事情でしばらく休むのだそうだ。

当然のことながらリポストは全くなくなってしまった。

しかし今思えばそれも過剰評価だったのではないだろうか。

その方にはとても感謝しているが好意に甘え過ぎていたように思う。


もっと現実を見るべきである。厳しければ厳しいほど私は燃える。

ありったけの心でありったけの命で書き続けて行かねばならない。




仕事は実質的に月末であった。先月は苦しかったが今月は余裕がある。

義父に相談することもなく自分一人で乗り越えられそうだった。

9時半にはもう全ての支払いを終え肩の荷が下りる。

振込も何件かあり出金ばかりではなかったのが幸いだった。

これが順調でなくて何だろうと思う。悦に入っている場合ではないが

山あり谷ありの日々である。油断大敵雨あられもあるだろう。


同僚は通院のため午後からの出社であった。

義父は午後二時になっても姿が見えなかった。

義父の親友であるお客さんがオイル交換に来てくれて

二階の居室にいるはずの義父に声を掛けたが返事がない。

「死んじょるがじゃないか」となってしばしパニックになる。

お客さんが部屋を見に行ってくれようとしていたら

のそりのそりと階段を下りて来る義父の姿があった。


どうやら昨夜田植えの段取りがてら友人達と深酒をしていたらしい。

明日最後の田植えをすることに決まったそうで何よりであった。

それにしても人騒がせなこと。マジで死んだのかと思ったではないか。


余談ではあるが義父の父親は57歳の若さで亡くなっている。

心臓発作だったそうだ。ある日突然にぽっくりと死んだらしい。

そんな不運な血筋である。義父が長生きをするとは限らないのだ。


私は明日の段取りをする。点検と車検の予約が入っていたので

同僚がスムーズに仕事が出来るように準備を整えて置かねばならない。

あれもこれもと何と目まぐるしいことだろう。

それも全て自分が休む為であった。謂わば自業自得である。


4時前に退社。今日は随分と遅くなってしまった。

幸い眠気は無かったが少しでも横になりたくてならない。

しかし買い物をしなければならず洗濯物の山が待っている。

首と肩がパンパンに張っており今にも倒れそうになっていた。


5時半には夫の晩酌開始である。時間をずらすことは可能だが

その分夕食が遅くなるので娘達も戸惑うことだろう。

6時には食べ終えていないと私の入浴も遅くなってしまうのだった。


毎晩の事だが7時にはこの日記を書き始めている。

くだらない日記ではあるが書き終わるまで一時間半程掛かる。

けれども書かずにはいられない私は日記中毒であった。

22年も書き続けて来たのだ。どうして今更止められようか。


こころはいつも忙しい。けれどもその心のおかげで生きている。

ゆらゆらと揺れ続けているがここには真実の私がいる。



2024年06月27日(木) のらりくらり

曇り時々雨。湿度は高かったが気温が低く過ごし易い一日。

明日は大雨になるそうだがどうか程々の雨であって欲しいものだ。

来週からはしばらく晴天が続き梅雨明けの発表があるかもしれない。


なんとなくダル重。とにかく眠気が凄い。

月曜日の元気は何処へやらである。木曜日辺りが一番しんどいようだ。

もしかしたら年齢に相応しい仕事ではないのかもしれない。

ほぼ一日中事務仕事でパソコンに向かう時間が多いのだ。

けれども70歳を過ぎても現役で働いている人もけっこういる。

私だけではないのだと思うとまだまだへこたれる訳にはいかない。



義父は高知市内へ出張。整備振興会の理事会があった。

スーツ姿がよく似合いとても80歳には見えない。

長靴を履いて農作業をしている時とは大違いである。


出掛けにはバタバタと気忙しかったが義父を送り出すとほっとした。

のんびり仕事をしようと思うのだがその仕事に身が入らない。

まあいいかと思う。のらりくらりとやり過ごすしかあるまい。


車検の予約が入っていたが午後からになるとのこと。

同僚が暇を持て余していたので愛車のオイル交換をしてもらった。

灯台下暗しで私の車のメンテは滅多にしてもらえない。

未だに冬タイヤで走っているのもご愛嬌であった。

同僚がワイパーゴムが破れているのに気がついてくれて助かる。

交換してもらったら見違えるように視界が良くなった。


午後、郵便局のゆみちゃんが大騒ぎしながらやって来て

配達中にバイクのハンドル操作が出来なくなって転倒したのだそうだ。

おそらくパンクだろうと思われるが見た目には異常がなかった。

同僚は車検整備を始めていたが手を止めてバイクを直すことになる。


もう2時だったがゆみちゃんはまだ昼食も食べていないとのこと。

今のうちに食べて来ると言って急いで郵便局へ帰って行った。


私よりひとつ年下で今年の年末にはやっと退職できるのだそうだ。

バイクに乗って勇ましく働くゆみちゃんにどれほど励まされたことか。

「お姉も頑張らないかんぜ」といつも言ってくれて嬉しかった。


転倒した時に脇腹を強く打ったらしい。

今は痛みがなくても明日の朝にはどうなっていることやら。

いくらタフなゆみちゃんでも心配でならなかった。


皆みんな弱音を吐かずに頑張っている。

けれどもゆみちゃんに会えなくなったらと思うと寂しくてならない。


私にはゴールがない。とにかく行ける処まで行くしかなかった。



2024年06月26日(水) 今生の花

雨の予報だったが思いがけずに青空が広がる。

風は殆ど吹いておらず相変わらずの蒸し暑さであった。


盛りを過ぎた紫陽花が少しずつ枯れ始めた。

白い紫陽花は特に憐れで目を背けたくなるのだが

最後まで見届けてあげなければあまりにも可哀想である。


毎年のことだが我が身を重ねずにはいられない。

清楚な純白ではないにしろ花には違いないのだろう。

老いは意思には関わりなく身に降りかかる宿命のようである。


紫陽花の季節は何度でも巡って来るが

ひとはただ命の終いへと押し流されて行く。

潔く散れれば良いがそれを許さない掟があるらしい。

今生の花としていったい何を残すことが出来るのだろうか。




仕事はそこそこの忙しさであったが2時半に退社する。

今週も木曜日に予約が取れず今日がリハビリの日であった。

理学療法士は話好きのO君で楽しく会話が弾む。

ただ話に夢中になると手を止めることが多かった。

それも個性だろう。咎めることなどどうして出来ようか。


娘さんが二人いるらしく独身のはずはないのだが

料理が趣味なのか「しめじ料理」を伝授してくれた。

しめじに白出汁を掛けてレンジでチンするだけの簡単料理である。

これは明日にでも早速作ってみようと思う。

しめじに限らずキノコ類は身体に良くダイエット効果もあると

延々と話し続けていたが最後に左の腰の付け根を集中的に揉んでくれ

それがなんと気持ち良いこと。思わず声が出るほどだった。

施術が終ってからは杖がなくても歩けるようになる。

リハビリの成果は確実に表れていることが分るのだ。


リハビリ後は医師の診察があった。3週間ぶりである。

私は医師の顔を見ると一瞬お茶目になる。

そうして医師の笑顔を見ると今度は乙女になるのだった。

これほどまでに親身になってくれる医師が他にいるだろうか。

心が惹かれるのも無理はあるまい。誰も咎めはしないだろう。



診察のある日は遅くなるので夕飯は「ほか弁」が習いである。

ご飯はあるのでおかずだけ買えば良いので安上がりだった。

3600円。普段の食費とほぼ同じである。

とにかく臨機応変にと思う。作れない日は何も作れないのだ。



今夜はどうしたわけか酷く眠くてならない。

生欠伸が絶えず目も虚ろになって来ている。


目覚めれば朝だとしてもそれは決して当たり前のことではない。

眠っている間も「いのち」は息をし続けている。








2024年06月25日(火) 露草の花

朝方少し雨が降ったが日中は薄く陽射しがある。

気温も29℃まで上がり不快な程の蒸し暑さとなった。


朝の道の「お遍路さん休憩所」には新たな花が活けられており

紫陽花にグラジオラス、向日葵に似た黄色い花。

どれも今の季節の花で可愛らしくほっこりと心が和む。


時間帯のせいもあるだろう休憩しているお遍路さんを見たことはないが

すぐそばには自動販売機も備えて在り渇いた喉を潤すことも出来る。

私も今朝はアイスコーヒーを買った。なんと百円の安さである。

そうしてふっと自動販売機の横を見ると露草の花が咲いていたのだった。

雑草扱いされることが多いがなんと慎ましやかで可憐な花だろう。

真っ青なその色に心惹かれる。なんだか懐かしくてならなかった。

おそらく子供の頃から慣れ親しんできた花だからだろう。





仕事は朝のうち義父が待機してくれていて大助かりだった。

BMWのお客さんが来てくれてエアコンが全く効かないと言う。

ガスは満タンなのにコンプレッサーが回っていないことが判る。

原因はマグネットスイッチの不良であることを義父が究明した。

さすがだなと思う。義父が留守だったら対応することも出来なかった。

高知市内の外車センターに問い合わせたら見積りが20万を超すらしい。

お客さんは困り果ててしばらく考えてみると肩を落として帰って行った。


原因を究明した義父の得意顔ったらなかった。

そんな時は大いに「よいしょ」するように心掛けている。

「やっぱりおとうさんは凄いね」と褒めたたえるのである。


一仕事終わったので次は田んぼである。

「よっし行くぞ」と勇ましく出掛けて行った。

2時間程して帰って来てやっと全ての代掻きが終ったのだそうだ。

いよいよ最後の田植えである。お天気次第だと義父は言う。


私は稲作には全く無知であったが最近少しずつお利口さんになって来た。

まず田起こしと代掻きの違いである。

田起こしをしてから田んぼに水を張るのだ。

それから土をさらに細かく砕き丁寧にかき混ぜ

土の表面を平らにする作業が代掻きである。

そうしてやっと田植えにこぎつけるのだからその労苦は大きい。

それを80歳の義父がたった一人で遣り遂げたのだから凄いことである。

後10年はとても無理に思えるが義父が健在である限り応援したいと思う。




昨夜ここに歌人の「山上秋恵さん」のことを記したが

長いこと読者でいてくれている方が貴重な情報を知らせてくれた。

時間を割いて調べてくれて本当に有難いことである。

1975年生まれらしいので私よりもずっと若いことが判った。

様々な賞を受賞されておりとても偉大な方である。

私のような者が興味を持つことも畏れ多いような気がするが

それはもう直感を信じるしかなかった。

風としか言いようがないのだ。その風に吹かれるのではない。

私はその風を見るべきなのだと思っている。


歌集が落札出来るまで後4時間足らずになった。

明日の朝にはメールが届くことだろう。

念願が叶うまであともう少しである。


ただ少し気になっているのは山上秋恵さんはその歌集の発刊で

酷く傷ついたのだそうだ。SNSではそう発信されていた。

いったい何があったのだろう。どれ程の辛さだったのか。


てっぺんまで上り詰めたひとにも哀しみはあるのだろう。

まるで薔薇の花のように誇らしげには咲いていないのだ。


ひっそりと慎ましやかに咲く露草のようなひとなのかもしれない。



2024年06月24日(月) 直感を信じる

梅雨らしい雨の一日。時おり強く降る時間帯もあった。

気温はそう高くないのに不快な程の蒸し暑さである。


関東では猛暑日となり栃木の佐野市では36.8℃を記録したそうだ。

佐野には古くからの友人が住んでいるが身体に堪えたことだろう。

近況は何も分からない。年に一度の年賀状だけで繋がっている。


西日本はしばらく梅雨空が続きそうだ。

田んぼの稲が日に日に青づいて順調に生育しているのが分かる。

高知平野ではもう稲穂が見え始めているそうだ。

やがて全国のトップを切って稲刈りが始まることだろう。



義父はまるで外遊びを禁じられた子供のように過ごしていた。

まだ全部の田植えが終わっていないので気が気ではない様子である。

あれほど頑張っていたのにと思う。それだけ作付け面積が広いのだ。


午前中は工場の仕事をしてくれてとても助かったが

お昼前になり合羽を着て田んぼに行くと言い出す。

事務所のスケジュールボードには午後から事業者講習会となっていた。

「おとうさんいかんよ、昼から会があるけん」と慌てて引き止める。

「なに?そうか、すっかり忘れちょった」と思い出したようだ。

「まだ時間があるけんちょっとでも休んだや」と告げると

「そうじゃな、昼飯食うて休もうか」と言ってくれてほっとした。


夢中になると大切な約束でさえ忘れてしまうひとなのだ。

そんな80歳の高齢者も珍しいのではないだろうか。

それは決してただの物忘れではないことを私は知っている。


なんだか気疲れがしてしまって2時半に退社した。

義父のせいにしては気の毒だがそうとしか思えない。

会話がとにかく諄いのだ。日頃からとことん話し込む癖があった。


いつもより30分早いだけで買い物が楽しい。

かと云ってあれこれ作る気にはならず簡単に「牛丼」にする。

最近鰹がとても安く助かっている。お刺身は欠かせない我が家であった。

後は例の如くお惣菜である。茄子の挟み揚げと鶏の甘酢あんかけを買う。


それから店内にある百均で夏用のソックスを買った。

あれこれとゆっくり見て回るのが好きで不要な物までつい買ってしまう。

帰宅したらいつもと同じ4時である。随分と長い買い物だったようだ。



先日ここに記した歌人さんの歌集が見つかった。

なんと奇跡のようにヤフオクに出品されていたのだ。

残り後一日となっており慌てて入札をする。

もし他に入札者があればメールが来るのだが今のところまだない。

しめしめとほくそ笑んでいる。もうすでに手に入れたも同じである。

ちなみにその歌人さんは「山上秋恵さん」

歌集は「オレンジの墓標」で」第一歌集のようだった。

SNSのプロフィールには個人情報の公開はなく

年齢も居住地も定かではないがとても親近感を感じている。

もしかしたら私と同じ年頃ではないのだろうか。

ずっと若い方だったら申し訳ないが。

ネットで検索しても歌集以外の情報は得られなかった。

どんな短歌を詠まれているのかもまったく定かではない。


私にとっては「風」なのだ。その直感を信じたいと思う。



2024年06月23日(日) おまえはもう死んでいる

晴れたり曇ったりにわか雨が降ったり。

沖からの風が強く吹いていたが酷く蒸し暑い一日だった。

耐え切れずにエアコンを稼働する。もう節電どころではない。


道路沿いの民家の庭にアガパンサスが見事に咲いていて

前を通る度にほっこりと心を和ませている。

紫陽花と同じ季節の花だがなんとなく日陰の身なのだろう。

紫陽花程には愛でられずひっそりと慎ましく咲いているのがいい。


花ならばそんなふうに生きたいものだ。




朝のうちにサニーマートへ。また一週間分の酒類を買い込んで来た。

これが私にはいささか重労働で汗がぽたぽたと落ちる。

先週は店員さんが助けてくれたが今日はそうはいかなかった。

マイバックではなくマイカゴを準備した方が良さそうである。

カゴならそのまま車に積み込めるのできっと楽に違いない。

しかし今からこの有り様では先が思いやられる。

80歳になった私が悪夢のように目に浮かんだ。


昼食は冷やし中華。麺を茹でてスープを掛けるだけのシンプルなもの。

「一風」の具沢山の冷やし中華が食べたくてならない。

夫が来週には電話確認をしてから行ってみようかと言ってくれる。

どうか始めていますように。もうすっかり食べたような気持になった。



3時間程昼寝をしたが久しぶりに母の夢を見た。

なんともリアルな夢で母の死など嘘のように思える。

7月20日から海外へ旅行に行くのだそうだ。

誰と一緒に行くのだろうかと問えば我が家のお向かいの奥さんだった。

だからその奥さんを私の代わりに会社で雇ったのだと言う。

私はもうクビらしい。母の偉そうな顔が憎たらしくてならない。


北斗の拳ではないが「おまえはもう死んでいる」と叫んだ。

母は一瞬悲しそうな顔をして見せたがすぐにケロッとする。

なんだか馬鹿にされているような気がして悔しくてならなかった。


母でありながら母ではない。いつまで経っても会社の上司である。

いざこざが絶えなかった頃を思い出さずにはいられなかった。

子供の頃の優しかった母はいったい何処に消えてしまったのだろう。

たとえ夢でも一生会うことは叶わないのかもしれない。


もしかしたら寂しくてたまらないのではと思った。

遺骨は空家同然の家にそのまま放置してあり

誰一人手を合わす人もなく月日が流れるばかりであった。

この夏は初盆であるが母は無事に帰ることが出来るのだろうか。

「もう私のことなんか忘れたがやね」と母の声が聞こえる。


どうして忘れることが出来ようか。伝える術もないが

朝に晩に遺影に手を合わせている娘を見失わないで欲しい。


魂は永遠だと信じている。来世には私が母になろうではないか。





2024年06月22日(土) 風を待つ

曇りのち雨。いかにも梅雨らしい一日だった。

暑さは和らぐが湿度が高いのでじめじめ感が半端ない。

また鬱々としてしまいそうだったが気分は良かった。

肩の荷が下りたのだろう。もう何も考えることがない。

あれこれと思い煩わないことだ。私はいつも深刻過ぎる。

感受性も強いのだろう。些細な事でも気になってしょうがないのだ。

もっとあっけらかんと生きられないものかと思うばかりであった。



今朝は「オードリー」を見終わってから1時間程寝ていた。

平日なら出勤時間である。週末は得をしたような気分になる。

無気力もそこそこに買い物に行きカーブスにも行っていた。

まずまずの元気である。明るい気持ちが嬉しくてならない。


昼食後はまた2時間程お昼寝をして疲れを癒す。

だらだらとしているようでそうでもなかった。

不思議と寝起きの怠さもなく何かしなくちゃと思う。


まずは短歌といつものように3首詠んでみたが

満足するようなものは書けなかった。

日によって波があるようだ。大波小波ではないが

風が吹けば揺れるような水面の静かな波である。

ひたひたと水が満ちて来る。そんな歌を詠みたいものである。

日々風まかせであった。窓の外は雨ばかり降り続いている。


SNSでは私と同じように詩や短歌を発信している人が多いが

これは素晴らしいと共感する作品とはめったに巡り会えない。

私は見つけたくてならず躍起になるが思うようにはいかないものだ。


それが今日はとある歌人さんと巡り会った。

短歌ではなく俳句であったがなんと素晴らしい一句だったことか。

リポストせずにはいられない。もちろんフォローもした。

そうしたらその方も私の短歌を見てくれたらしい。

感動の「いいね」を頂きおまけにフォローまでしてくれたのだった。


その方の短歌を読みたくてならず歌集を探したが在庫切れである。

入庫予定は無しとのことでまるで夢を掴むような歌集となった。

アマゾンが駄目ならブックオフと中古本も探したがこれも在庫切れ。

とりあえず「入庫待ち」の手続きをしてみたがこれも無理かもしれない。

なんとしても読みたい気持ちは今も宙を彷徨っている。


その人こそ私の「風」なのかもしれないと思う。

なんとかしてその「存在」を風に変えられないものだろうか。





4時を過ぎて乾燥機の洗濯物を畳み終えてからふと思いつき

ホームセンターへ走る。娘達の衣類をなんとかしたかった。

勝手なことをしてと叱られるのを覚悟で衣類用のカゴを買って来る。

とにかく仕分けをしないと座敷中に衣類が散乱しているのだった。

娘も週末は疲れ切っているようで整理どころではないのだろう。

カゴは4個、それぞれの衣類を仕分けしてとてもすっきりした。

今後も私は「洗濯係」なのに違いない。

決して嫌なわけではないが畳んだ後のストレスはこれで解消される。

娘は「もう整理せんよ」となんとちゃっかりしていた。


娘と肩を並べて夕食の支度をするのも久しぶりである。

夫は相変わらず5時半から晩酌を始めていたが

鰹のタタキを頬張る口元が何とも気持ち悪くてならない。

自分でもどうしてか分からないのだが夫の口元を見るのが嫌だった。

何か生理的なものだろうか。もう男でも女でも在りはしないのに。

おそらく夫も私の仕草を見ながら同じことを思っているのだろう。

それは今更どうすることも出来ない「老い」の姿であった。


歳月は愛しくもあるが時には残酷でもある。

それでも生き永らえていかねばならない。



2024年06月21日(金) 山越え谷越え

二十四節気の「夏至」一年で最も日が長い日である。

また本格的な夏を迎える節目でもあった。


午後七時。外はまだ昼間のように明るい。

生憎の曇り空で太陽は見えないが

ゆっくりと西の空へ沈んでいくことだろう。


日中は陽射しが溢れ真夏日の一歩手前

湿度が高かったのか風もなく蒸し暑い一日だった。

事務所にはエアコンがあるが工場には扇風機しかなく

心苦しさがつのるばかりであった。

同僚が汗を流してくれるおかげで整備の仕事は捗っていたが

肝心の義父はどうやら二日酔いのようであった。

田植えをした日は必ず打ち上げがあるのだから仕方あるまい。


11時頃になりやっと工場に顔を見せてくれる。

二日酔いよりも疲労が大きいのではないだろうかあまり元気がなかった。

急かしてはいけないと思い同僚も私も義父のペースに合わせる。


とんとん拍子とはいかないもので一台目の車検から手こずっていた。

手直しをしながらで一時間も費やしてしまう。

後まだ3台の車検が控えていてとても短時間では終わりそうになかった。

仕方なく同僚に無理を言ってお昼休みを返上してもらう。

もちろん私も義父もである。タイムリミットは3時であった。


ヘルニアの持病がある同僚は毎週金曜日が通院日であり

私も昨日予約が取れなかったので今日がリハビリだった。

義父もそれは心得ていて間に合うようにと努力してくれていた。

後の三台はスムーズに車検が通りなんとほっとしたことだろう。

2時に同僚を退社させる。とにかく昼食を食べさせてやらねば。

無理を言って本当に済まなかったと心から詫びる。


車検が完了したら保安基準適合証の作成であった。

義父が記録簿を記入し私が適合証を書く。

慌てるとミスをしてしまうので慎重な作業だった。

2時30分、やっと全ての書類を書き終える。

もう納車をする時間がなかったのでお客さんに来てもらった。

随分と待たせたのに苦情のひとつもこぼさずにいてくれる。

長年の信頼あってのことだろう。本当に有難いことだと思った。


気を揉み続けた日々であったがやっとひと山越えたようだ。

ずっと精神的に追い詰められていたような気がする。

私は毎日そうして試されていたのだろう。


自分一人ではどうしようも出来ないこと。

田舎の小さな車検場ではあるが皆で力を合わせていかねばならない。

今日ほどそれを思い知った日はなかったように思う。

一人でも欠けたらお終いなのだ。常にぎりぎりの瀬戸際である。



整形外科でリハビリを終えて外に出たら同僚と一緒になった。

「あっこちゃ〜ん」と呼び止め今日の苦労をねぎらう。

彼は明日も仕事なのだ。ただただ頭が下がるばかりであった。


あっこちゃんの私服はなかなか良い。

さっぱりと清潔感が漂いまた惚れてしまいそうだった。







2024年06月20日(木) 輝く紫陽花

朝からぽつぽつと小雨が降り続いている。

気温は低く随分と涼しい一日だった。

紫陽花の花がきらきらと輝いて見える。

雨が嬉しくてならないようだ。

梅雨の季節ならではの日本の風物詩なのだろう。


私は夏には咲けそうにない。

雨が降れば項垂れ陽が照れば萎れてしまう。

春の野原には黄色い花が咲くがおそらくその類だろう。

名前はあっても誰も呼ばないのだ。

そうして踏み荒らされていく運命なのに違いない。

ああ、なんて可哀想な私。惨め過ぎて涙が出そうである。




小雨決行で予定通り田植えであった。

今回も義父の友人が二人手伝いに来てくれてなんと有難いこと。

それぞれ仕事を持っているのに休んで駆け付けてくれたようだ。


工場は相変わらず糞詰まり状態であったが

とにかく順調に田植えが終わることをひたすら願う。

明日になればきっと仕事も順調に捗るだろう。

決して焦らないことだ。苛立たないことだ。


とは云えとうとうお客さんから催促の電話があった。

急がないと聞いていたがさすがにもう4日目である。

車検整備は終り洗車も済ませ後は検査待ちであることを伝えると

快く了承してくれてなんとほっとしたことだろう。

もし苦情だったら泣いて謝るしかなかった。

成るようにしかならない。どれほどあがいてもそれは同じことだ。


午後どうしたわけか酷い眠気に襲われる。

少し仮眠をと思ったがそれよりも早く家に帰りたくてならない。

同僚に訳を話しいつもより一時間早く2時に退社した。

帰り道の高速運転でも眠気が襲って来たが事故だけは避けたい。

ラジオの音量を上げ窓を全開にして走り抜ける。

無事にサニーマートまで着きハンドルに凭れ5分程仮眠した。

疲れているのだろうか。自分ではよく分からなかった。

でも元気とは言えない。ただ気が張っているだけのように思う。


お総菜売り場で「チキン南蛮」と「鯵フライ」を買った。

後は茄子と豚バラ肉を買い甘辛く炒めることにする。

ふうふうと息が上がっていた。まさかまだ限界ではあるまい。



食後6時過ぎにあやちゃんの担任の先生が来てくれた。

娘の帰宅に合わせてくれたようで気の毒でならない。

娘の笑い声が聞こえそれが少し痛々しくもあった。

あやちゃんは先生に会ってからとても機嫌が良くほっとする。

決して学校が嫌なわけではないのだろう。

ただきっかけがなく戸惑い続けているように感じた。


この日記を書いていたらあやちゃんが笑顔でやって来て

あれこれと話し掛けてくれて嬉しかった。

今朝のSNSにあやちゃんの後姿の写真を載せてしまったのだ。

事後報告になってしまったが「見せて、見せて」と言ってくれる。

海辺で波と戯れる写真である。まだ一年生の頃ではないだろうか。

「この写真いいじゃん」叱られずに済みとてもほっとした。


思い出は消えない。どれ程の歳月が流れたとしても

少女はやがておとなになるが

きっとまた砂浜を裸足で駆ける時が来るだろう。



2024年06月19日(水) 手抜き祭り

今朝は18℃ほっとするような涼しさだった。

しかし日中は30℃の真夏日である。

温度差のなんと激しいことだろうか。

これからは朝の涼しさは期待出来ないが

日中は35℃を超す猛暑日になるに違いない。

熱中症で亡くなる約半数の人が屋内でのことなのだそうだ。

特に高齢者はエアコンを節約し水分もあまり摂らないらしい。

それもトイレが近くなる単純な理由からであった。


あれはいつの夏だったか息子に酷く叱られたことがある。

かなり暑い日だったが夫と二人で扇風機で涼を取っていた。

まだ我慢できると思っていたのだがそれが大間違いとのこと。

息子に「おとうもおかあも死ぬぞ」と怒鳴られたのだった。

あれ以来我が家ではなるべくエアコンを点けることにしている。

今年はまだ点けていないがそろそろそんな時期なのだろう。

特に梅雨の時期は除湿だけでも良いと思う。

電気代は嵩むが何よりも命を守らなくてはいけない。




仕事は今日も糞詰まり状態だった。もう焦ってもしょうがない。

梅雨の晴れ間も今日までとのこと。明日の午後から雨続きになりそうだ。

義父の精神状態は異常な程に高ぶっている。

トラクターは直ったが今度は田んぼの除草作業であった。

おまけに明日は田植えをするらしい。その段取りもしなければならない。


お昼には帰って来たがまた直ぐに出掛けるとのこと。

「腹が減って死にそうな」それもそのはず朝食も食べていないのだった。

少しでも休むように言い聞かせ近くの地場産店へ走る。

義父の好きなお稲荷さんがあって良かった。

余程空腹だったのだろう犬のようにガツガツと食べていた。


「終わったら車検をせんといかんな」そう言い残して田んぼへ行く。

その目まぐるしい姿を見ていると可哀想でならなくなった。

いくら社長とは云えもう二足の草鞋を履く歳ではないのだ。


3時前に帰って来たが丁度エアコン修理のお客さんが来ていて

同僚に代わり義父が故障個所の診断をしてくれて助かる。

お客さんは90歳の高齢者でとても安心したようだった。

故障の原因が分かったので部品の手配をし後日入庫してもらうことに。

さすが義父だなと思った。エアコン修理では右に出る者はいない。


「いかんな、もう時間がない」私の退社時間が迫っていた。

義父もまだ田植えの準備をしなければいけないようだった。

明日は駄目でも明後日がある。「なんとかなるけん」と義父に伝える。

お客さんには迷惑を掛けるがそこは私がフォローしてみせよう。

催促があればその時のことだ。出来ないものはしょうがない。


3時半に退社。気を揉んだせいかどっと疲れが襲って来る。

とにかく肩の力を抜かなければとそればかり思っていた。

サニーマートへ着くとお総菜売り場に直行する。

揚げたてのきびなごの天婦羅と野菜のつくね巻を買った。


4時半に帰宅。大量の洗濯物を畳み終え10分ほど横になった。

さすがにお惣菜だけではと思いニラ玉と胡瓜のサラダを作る。


6時に娘が帰宅。「手抜き祭りで〜」と私が言えば

「手抜きでええがよ」と娘が言ってくれてほっとした。

あれもこれもと頑張り過ぎてはいけないとつくづく思う。

決して無理をせず出来ることだけにしなければいけない。


まだまだこれからなのだ。くたばるわけにはいかない。

いっぱいいっぱいだとしても「隙間」は必ず出来る。





2024年06月18日(火) 心で書く

夜明け前まで強い雨が降っていたが次第に止み

日中は雲間から薄く陽射しがこぼれていた。

午後7時、今は西の空に夕焼けが見えている。

明日は朝から晴れるのだろう。また厳しい暑さになりそうだ。


強い雨雲は北上し静岡県などに豪雨をもたらしたようだ。

高知県は幸い雨の被害はなかったようだが

東部の田野町では竜巻と思われる突風が吹き荒れ

家屋の屋根が飛んだりビニールハウスが潰れたらしい。


田野町は中学時代を過ごした海辺の小さな町である。

古い友人も多いが敢えて誰にも被害状況を訊くことはしなかった。

薄情なのかもしれないが今更と云う気持ちが大きい。

皆それぞれに家庭を持ち日々の暮らしに精を出しているのだろう。

もし被害に遭っていてもお見舞いを伝えるほど今は親しくはなかった。

反対の立場であってもきっと同じことだろうと思う。





仕事はぼちぼちの忙しさ。今朝も義父が居てくれてほっとしたが

トラクターの部品が届いたそうで修理に夢中になっていた。

車検が2台完了していたが「まあちょっと待て」である。

幸いどちらも急ぎではなかったので明日の納車にすることにした。

田舎あるあるである。ディーラーのような一日車検は到底無理である。


今日もお昼休みを取らず。義父は昼食も摂らずに頑張っていた。

机に突っ伏して少し仮眠をと思ったがそれも気まずくてならない。

いつものように短歌は詠めたが悲哀に満ちた三首となる。

老いて行くせつなさ。儚いいのち。どうして朗らかになれるだろう。

私は決して無理に微笑むことをしない。それが私だからだ。


詩もそうだが短歌も心で書いている。

これだけは誰にも負けない私の「ほこり」であった。

同時にそれは無名だからこそ出来ることだと思っている。

詩人になる気も歌人になる気もない。私以外の何者でもないのだ。


老いれば死に近づくばかりだがいつまでたってもそれが怖ろしい。

いったいいつになったら「もう十分に生きた」と思えるのだろう。


詩集もない歌集もない。けれども私には「こころ」がある。



追伸:血圧は少し落ち着きました。明日も明後日も私は続くでしょう。

   ご心配をおかけしました。



2024年06月17日(月) 日記中毒

曇り日。夕方からぽつぽつと小雨が降り出している。

今夜から明日の朝にかけて線状降水帯が発生する恐れがあるとのこと。

災害級の雨と聞くと身構えずにはいられず不安がつのってくる。

無事に強い雨雲が遠ざかることを願ってやまない。



血圧は異常に高かったが自覚症状は全くなく元気に朝を迎える。

無意識のうちに気負いが出ていたのかもしれない。

やはり私にはする仕事が必要なのだなと改めて思う。

もし失ってしまったらどれほど途方に暮れることだろう。


今朝は義父が待機してくれていてとても助かる。

どうやらトラクターの部品が明日入るようだった。

とことん直す気になっており新しいトラクターは諦めた様子。

資金さえあればと可哀想に思えたがこればかりはどうしようも出来ない。

稲作に精を出せるのもせいぜいあと5年位ではないだろうか。

義父にはその自覚が全くなくとてつもなく張り切っているのだが

周りから見れば無謀としか思えないのが憐れでもあった。


午前中に車検が完了。すぐにまた新たな車が入庫する。

今週はぎっしり予約が入っておりかなりの忙しさになりそうだ。

同僚は通院しながらではあるが精一杯頑張ってくれている。

もし同僚に倒れられたら車検整備は出来ず一切お手上げになるのだ。


お昼休みが取れなかったせいか午後はなんとなくしんどかった。

事務仕事は一段落していたので少し早めに退社する。

私の場合は時間給なので臨機応変がまかり通るのだった。

定時はあってないようなもの。その点はとても気楽である。


いつものようにFMラジオを聴きながらの帰り道だったが

なんか変。うるさい洋楽ばかり流れて来て苛々してくる。

番組編成が変わったのかとがっかりしていたのだが

どうやらチューナーが他のFM局に変わっていたようだ。

私しか乗らない車である。こんな不思議なことがあるのだろうか。


サニーマートで買い物をして帰宅。お向かいの奥さんの呼ぶ声がする。

青紫蘇をたくさん頂いた。先日は胡瓜を頂きなんと有難いことだろう。

「海老チリ」を作ったり「胡瓜と蛸の酢の物」を作ったりした。


台所で立ちっぱなしなのが堪えたのか左足が重く痛む。

一気に気が滅入って来たが何のこれしきと頑張り抜いた。


食後一休みしてお風呂に入ろうとしたら湯船が空っぽである。

夫はシャワーなので給湯ボタンを押し忘れたのだろう。

私もシャワーで済ませた。夏場はこれで良いかもと思う。

けれども娘達はやはり湯船に浸かりたいそうで給湯ボタンを押す。


血圧を測ってびっくりした。3回も測ったが同じことである。

上が170に近いのだ。さすがにおっとこれは危ないと思う。


早目に寝ることも考えたがいかんせん日記中毒であった。

倒れるわけにはいかない。死ぬわけにはいかないとこれを記す。


まさか最後の日記にはならないだろう。


なんとしても明日に続く。







2024年06月16日(日) 冷やし中華まであと少し

雨上がりの爽やかな朝とはいかず梅雨らしい蒸し暑さとなる。

日中も真夏日にこそならなかったが厳しい暑さだった。


今朝はすっきりと目覚める。重怠さもなく気分も良い。

溌溂とはいかないが動けることが有難くてならなかった。


朝食時に夫が「そろそろ冷やし中華が始まったかもな」と

宿毛市郊外の「一風」へ久しぶりに連れて行ってくれると言う。

わずか20分程の距離だが出掛けるのが嬉しくてならない。

頭の中が冷やし中華でいっぱいになった。


朝のうちに昨日行っていた洋品店へ。

買ったパンツを履いてみたがなんと不格好なことだろう。

お尻の辺りがふわっとしていて裾が細くなっていた。

まるで工事現場の人が履く作業ズボンのようである。

試着をせずに衝動買いしてしまった私が悪いのだが

無理を言って他のデザインのパンツに取り替えて貰うことにした。

店員さんがあれこれと見繕ってくれてやっと気に入ったのが見つかる。

うきうきと嬉しい。来週末には履こうと楽しみが出来た。


お次は街中の商店街にある精肉店へと走る。

娘達が焼き肉に賛成してくれたのでほっと嬉しい。

ハラミを1キロ、ミックスホルモンを3百グラム買う。

精肉店の奥さんはとても愛想が良く笑顔を交し合った。


まだまだ続く最後はサニーマートであれこれと買う。

ポイントが10倍だったので1週間分の酒類を買った。

セルフレジでもたもたしていたら店員さんが直ぐに来てくれて

袋に入れてくれたりカートに載せてくれて大助かりだった。

吞兵衛一家なので酒類のまとめ買いは本当に大変である。


汗びっしょりになって帰宅。休む間もなく「一風」へ向かう。

11時過ぎに着いたがもうお客さんがいっぱい来ていた。

残念ながら冷やし中華はまだ始めていないとのこと

仕方なくいつものラーメンセットにしたが文句なしの美味しさである。

冷やし中華は今月末に始めるとのこと。来月には食べられるだろう。


帰り道はもう眠くてたまらない。いつものことだと夫が笑う。

帰宅するなりばたんきゅうである。なんと4時まで寝ていたようだ。


洗濯物は夫が取り入れてくれていて娘が畳んでくれていた。

これでこそ家族だと自分に都合よくほくそ笑む。

しかし甘え過ぎてはいけない。出来ることはやらなければと思う。


5時過ぎから焼き肉だったが夫と二人きりである。

これはいつものことでもう慣れてしまったが

皆でわいわいと食べたらもっと美味しいことだろう。

娘達に強制は出来ずこれが私達家族の「カタチ」であった。



夕食後息子から電話があり先日の夜のことなど。

お嫁さんはあるトラブルに巻き込まれており

しばらくはけい君に会す訳にはいかないのだそうだ。

息子はかなり神経質になっており声も弱々しく聴こえる。

何があっても助けたい気持ちでいっぱいになった。

近いうちに夜勤があるので今度こそ夫が泊まりに行くことにする。



すべてのことが順調とは限らないのだ。

運命にも渦があり巻き込まれまいと必死になるが

手足を心さえも引き込まれながらみんなみんな生きようとしている。







2024年06月15日(土) こころの休養

曇りのち雨。雨が降り出すまでのなんと蒸し暑かったことだろう。

気温は23℃と低目だったが汗がぽたぽたと流れる。

朝からもう眠くてならず重い身体を持て余していた。

寝不足とは思えないがその怠さは半端ない。

すっかり無気力になってしまってぼんやりと過ごすばかりであった。


朝ドラ「オードリー」を見終わってから2時間近く眠っていた。

目覚めは悪くなんだか自分が自分でないような気がする。

冷たい珈琲も煙草も効かず気分は沈みもやもやとするばかり。


いつもより30分程遅れてカーブスへ行っていたが

仕事の電話が3回もあり困った。もう筋トレどころではない。

むしゃくしゃしたがここで腹を立てても仕方あるまい。

早目に切り上げコーチの女の子と馬鹿話をしてから帰る。

少しだけ笑顔になれて良かった。気分転換にはなったようだ。


昼食後はまたひたすら眠る。目覚めたらもう3時になっていた。

ふと思い立ち夏服を買いに郊外のショッピングセンターまで走る。

今朝半袖Tシャツをとっかえひっかえ着てみたが

どれもムチムチに小さくなっておりみっともないたらありゃしない。

なんとか一枚だけ着れたがそれも色あせよれよれになっていた。


ブティックではないが中高年向きの洋品店があり助かっている。

おしゃれなTシャツを3枚買い黒いセミロングのパンツを買った。

しめて9900円である。決して高い買い物ではないだろう。


それが良き気分転換になったのか少し朗らかになった気がする。

乾燥機の洗濯物を夫が取り出してくれていたのも嬉しい。

さあやるべきことをやろうと思う。まずは洗濯物を畳むことだ。


夕飯は「しゃぶしゃぶ」だったので手間が省ける。

娘が手際よく準備をしてくれて私は何もすることがなかった。

明日は父の日なので焼き肉にしようかと提案する。

夫はもちろん大賛成だったが娘は考えておくと言い残す。

即答ではなかったのが少し寂しかった。



今に始まったことではないが気分の浮き沈みが激しい。

特に仕事のない週末は落ち込んでいることが多いようだ。

「元気」とか「笑顔」とか遠い世界のことに思えてならない。


こころにも休養が必要なのではないだろうか。

何も考えずにぼんやりしたり無気力もそのひとつであろう。

そうしてその無気力を決して責めてはいけないのだと思う。





2024年06月14日(金) 私の息

全国的に今年初の暑さだったようだ。

高知県西部も真夏日となり陽射しのなんと強いこと。

幸い風があったのでさほど苦にはならずに済む。

明日からは梅雨空が戻ってくるのだそうだ。

暑さは和らぐだろうが雨が続くのは気が滅入りそうである。

その上に豪雨の心配がある。雨は降り過ぎてもいけない。

どんな日があっても受け止めながら過ごして行きたいものだ。



今朝は義父が居てくれてほっと胸を撫でおろす。

トラクターの修理が済み戻って来たが手直しが必要とのこと。

部品を注文したりして気忙しそうにしていた。

おそるおそる仕事を頼んだら思いがけずに頷いてくれる。

おかげで一気に捗り3台の車検が完了した。

お客さんには迷惑をかけてしまったが義父は全く気にしていない。

私なりに精一杯フォローしてきた。それも今日が限界だったのだ。

何があっても一山一山越えて行かなければならない。


午後には仕事が一段落していたので3時前に退社した。

同僚は明日も仕事である。金曜日はいつも心苦しい。

月給制ではなく週給なので今週の賃金を渡し終える。


時間のゆとりがあったのでゆっくりと買い物をした。

娘の再就職から10日目である。私も少しずつ賢くなっているようだ。

まず最初にお総菜売り場へ行きあれこれと見繕う。

揚げ物を買うことが多い。今日は鯵フライを買った。

酒肴は藁焼きの鰹を2節買う。今夜も鰹のタタキである。


帰宅したら参加している同人誌が届いていた。

パラパラと捲り自分の短歌だけ目を通す。

歓びはまったく感じない。ただただ虚しいだけである。

それでもまだ続けるのかと自問自答するばかりだった。

詩ばかりの同人誌に短歌しか載せて貰えないのだ。

勝ち負けではないが勝負のしどころが全くない。


SNSでは今日が11周年の記念日らしかった。

めでたくも何でもないがもう11年かと感慨深い。

来る者は拒まず去る者は追わずであった。

最近やっと心から信頼できる人に出会ったばかりである。

これも生きている限りと思っているが先のことは分からない。

仕様が変わり続けているSNSに未来はあるのだろうか。


けれども私にとっては詩を発信できる唯一の場所である。

読み返すことは殆ど無いが誰かの心の片隅に残り続ければと願う。


儚さを思い知りつつもまた夜明け前に書くだろう。

それは私のいのちであり息そのものに他ならない。



2024年06月13日(木) 風を待つ

真夏日の一歩手前。午後から一気に暑くなる。

耐えられなくなりとうとう事務所のエアコンを点けた。

同僚は扇風機で暑さを凌いでいて気の毒でならない。

まだまだ序の口の暑さである。やがて梅雨が明ければ

いったいどれ程の猛暑が襲って来るのだろう。


陽射しをいっぱいに浴びた紫陽花も憐れであった。

ぐったりと項垂れたように見えて哀しい色をしている。

週末には梅雨空が戻ってくるのだそうだ。

どんなにか雨を待ちわびていることだろう。




車検整備終了の車が2台あったがまた義父に逃げられてしまった。

引き止めたら「それどころではない」と暴言を吐く。

もう呆れ返って何も言う気にはなれない。

長閑な山里だからこそそれでも成り立っているが

街中の車検場ならとっくに潰れていることだろう。

とにかく風向きが変わるのをじっと待つしかないようだ。

やる気にさえなればとことんやる人である。


3時前に退社。その足で整形外科へと向かう。

週一のリハビリが楽しみでならなかった。

待合室で久しぶりにお嫁さんのお母さんと会う。

顔色が悪くげっそりとやつれているように見えた。

声を掛けたがあまり話したくなさそうだった。

お嫁さんの様子を訊きたかったが何も訊けずに別れる。


リハビリは順調で帰りには杖が要らないくらいだった。

このまま順調にと願わずにいられない。

痛みのない暮らしを続けられたらどんなに楽だろうか。



「ほっかほか亭」に寄りほか弁を買って帰る。

娘達は夕食不要と言ってくれたのでなんとも気楽である。

夫は息子のマンションへほか弁を持って行く手筈になっていた。

6時前に出掛けたがどうした訳かとんぼ返りをして来て驚く。

なんとマンションへ行ったらお嫁さんが来ていたのだそうだ。

入院していると聞いていたので狐につままれたようである。

「もう大丈夫ですから」と言ったそうだ。

そうして夫が持参して行ったほか弁を「ご馳走になります」と。

「おらの弁当を取り上げられた」とまるで笑い話のようである。


どうやら息子も知らなかったようだ。帰宅してから驚くことだろう。

お嫁さんは母親としての役目をしっかり努めようとしたのだと思う。

「統合失調症」ここで初めて病名を明かすが珍しい病気ではない。

発症しても治療さえすれば落ち着く病気なのだそうだ。

息子は離婚を選んだが決して見捨てたわけではない。

けい君の母親として尊重し共に支え合おうと決めたことである。



風はどちらから吹き何処へ流れて行くのか。

誰にも決められずただ風に吹かれるしかないのだと思う。





2024年06月12日(水) 私のふるさと

梅雨入りをしてから夏日の日が続いている。

今日も蒸し暑かったがエアコン無しで過ごしていた。

暑さで有名な江川崎では32℃もあったようだ。


私の生まれ故郷であるが子供の頃にはそれほど暑さを感じなかった。

気温もせいぜい30℃に留まっていたのだろう。

その頃にはまだ「地球温暖化」と云う言葉さえなかったのだ。

学校から帰ると真っ先に駅前の商店へ走りアイスキャンデーを買った。

一本5円だったのだ。今では信じられないような安さである。

お小遣いは一日十円。ミレービスケットが一枚50銭で買えた。


生まれ故郷であっても官舎住まいで父は転勤族だったから

江川崎で過ごしたのは小学3年生までだった。

でもおとなになって「出身は?」と訊かれると「江川崎」と応える。

それだけ郷愁がありいつまでたっても懐かしい「ふるさと」に他ならない。





仕事はそこそこの忙しさ。朝から義父も居てくれたが

自動車免許の高齢者講習がありお昼前に出掛けて行く。

なんだか苛々しているように感じたが気のせいだったのかもしれない。

思うように農作業が出来ないので当たり散らしているようだった。

新しいトラクターがどうしても欲しいのだそうだ。

まるで子供がプラモデルを欲しがるように駄々をこねる。

会社にはそんな余裕はなく自力で何とかしようとしているのだが

もう80歳の高齢である。借金は無謀としか思えない。

昔蓄えていたお金を母が勝手に使ったのだそうだ。

おそらく会社の運転資金になったのだろう。

母の苦労を顧みず昔のことをほじくり返すのは義父の悪い癖だ。

おまけに母の生家を売り飛ばすと云うからすっかり呆れ返る。

自棄としか思えないが反論すれば雷が落ちるだけであった。



3時に退社。今夜は昨日亡くなったお客さんのお通夜があるので

義父と同僚が参列する予定だった。同僚は4時で早退するらしい。

義父はまだ帰宅していなかったが机の上にお香典を置いて帰って来た。

突然の事だったのでご家族の悲痛を思うと心が痛んでならない。


サニーマートで買い物をしていたら息子から着信があった。

明日の夜けい君を預かってくれないかと言う。

訊けば夜勤の時に来てくれていた元お嫁さんがまた入院したらしい。

今回は今までとは異なる症状で詳しいことはまだ分からないとのこと。

実家のご両親もどんなにか困惑していることだろう。

離婚したとは云えけい君の母親である。それは大きな心配事だった。


帰宅して夫に相談したら自分がマンションへ泊りに行くと言う。

我が家ではどうしても娘夫婦に迷惑を掛けてしまうので

特に娘婿には気を遣わずにいられなかった。

娘にとっては血の繋がった甥っ子であるが娘婿には他人なのだろうか。

あれこれと考えていると複雑な心境になり辛くなるばかりである。


息子に提案したが未だ返事が無かった。

息子も悩んでいるのだろう。それが憐れでならない。

私と夫も一つ返事で快諾してやれなかった事がとても心苦しかった。

我が家はもう私達夫婦だけの家ではないことを思い知らされる。


とんとん拍子だった日常が大きく傾いてしまった一日だった。



2024年06月11日(火) 明日につづく

曇り時々晴れ。湿度が高かったのだろう蒸し暑い一日となる。

今朝は夜明け前に虫の声を聴いた。まるで夏の終りのようだ。

季節外れではあるが草むらにちいさな「いのち」を感じる。

本物の秋が来れば一斉に鳴き出すことだろう。



職場に着くなり訃報が舞い込む。

昨日車検を受けてくれたお客さんが今朝には亡くなっていたのだそうだ。

なんとも驚き信じられない気持ちでいっぱいになる。

80歳を超えた高齢ではあったが昨日まであんなに元気だったのに

穏やかで人当たりが良くいかにも好々翁とした人であった。


聞けば昼間は大好きな庭いじりをし花苗も植えたのだそうだ。

暑い中無理をし過ぎたのだろう夕方から体調を崩していたらしい。

寝れば治ると早めに床に就いたらしいがそのまま亡くなってしまったのだ。

死因は心臓麻痺とのこと。なんと無念な最期だったことだろう。


「やはり人は死ぬのだ」そう受け止めるしかなかった。

それも突然に。病気ならともかく何の心構えも出来ないのである。

私もそんなふうに最期を迎えるかもしれないと思うと不安でならない。

平穏無事に朝を迎えることさえも奇跡のように思えて来る。


「生きたい」欲も跡形もなく消滅してしまうのだ。

魂は永遠だと信じているがいったい死んだら何処に行くのだろうか。





義父も同僚もショックを隠し切れないまま仕事に励む。

生きている者には与えられた日常があるのだ。


トラクターの故障で農作業が出来ない義父もすっかり諦めた様子で

工場の仕事に精を出してくれてどれ程助かったことだろう。

やり始めたら休むことを知らない。私も昼休みどころではなかった。

3時過ぎまでぶっ続けに働く。義父は昼食も食べていないのだ。


疲れはあったが心地よい疲れである。

夕食はすっかり手抜きでサニーマートで揚げ物を買って帰った。

作ったのは鰹のお刺身とレタスのオイスターソース炒めだけである。

6時過ぎに娘が帰って来て「ご覧の通りよ」と自慢すれば

「上等じゃん」と褒めてくれて「ご苦労さんやね」と言ってくれる。

それがとても嬉しかった。私はやれるだけのことをやったのだろう。

まだまだこれからが長いのだ。決して頑張り過ぎてはいけない。



この日記を書き終えると後は眠るだけだが

無事に朝を迎えられるかどうかは誰にも分からない。

連続ドラマのように「つづく」で終れたらどんなに良いだろうか。



2024年06月10日(月) 45年の歳月

雨上がりの爽やかな晴天のはずが午後から一気に曇る。

大気が不安定なのはやはり梅雨のせいなのだろう。


今朝は車のエンジンが掛からず焦る。

セルは回っていてもう少しで掛かりそうなのに駄目なのだ。

夫が何度か試してみてくれて何とか掛かりほっとした。

10年目で16万キロも走ったオンボロ車である。

おそらくバッテリーの寿命が近くなっているのだろう。

とにかく職場まで一気に走り切ることにした。

アイドルストップが作動しなくなっている。

職業柄それがバッテリーの寿命なのが分かった。

エコバッテリーは高価だが会社の修繕費で落とす。

それが金庫番の特権でもあった。おまけに専務なのである。


通勤距離が長いので車の不調は大きなストレスとなる。

お客様優先なので修理は後回しになるが

今日は特別に無理を言って同僚にバッテリーを交換してもらった。

同僚が「請求書を出すけんね」と言って大笑いになる。




「時の記念日」は息子の誕生日でなんとびっくり45歳になった。

生まれた時のこと幼い頃のことが走馬灯のように目に浮かんでくる。

私も初めての子育てに必死だったが息子のおかげで母になれた。


大人になってからの苦労は決して並大抵ではなく

二度の離婚を経験し今はシングルパパとして頑張っている。

心配は尽きないが余程困った時しか連絡を寄こさない。

私に似て神経質な性質で落ち込む時も多いのだが

便りの無いのは元気な証拠と信じて日々は流れるばかりだった。


電話をしても仕事中かも知れず短いメールを送ってみる。

そうしたら夕方になり返信がありとても嬉しくほっとした。

「変わりないかね?もう45になったがやけん身体に気をつけて

ぼちぼち頑張りよ」と母。

「ほ〜いほ〜い変わりないけんね」と息子。

短いやり取りであったがささやかに繋がってくれていた。


息子とはこれからも程よい距離を保ちたいと思っている。

仕事に家事に子育てにと苦労は続くだろうが

息子ならきっと乗り越えて行けるだろうと信じてやまない。


母はいつまでも母である。息子は幾つになってもこどもである。



2024年06月09日(日) 容器の底

九州南部の梅雨入りに続き四国地方も梅雨入りとなった。

いかにもそれらしく朝からずっと雨が降り続いている。

なんとなくしんみりとしてしまうのは雨のせいだろうか。

気力はあるようでなくまるで容器の底に沈んだように過ごしていた。

振れば混ざるだろう。分かっているけれど何も出来ない。


午前中は横殴りの雨。買い物に行っていたが雨に濡れてしまった。

杖と傘を両方持つのはけっこう大変である。

けれども車椅子の人も居るのだ。これ位のことで嘆いてはいけない。


サニーマートで新しい失禁パンツを買った。

手触りもよくゆったりしていて「速乾」と記してある。

ネットで3枚も買ってしまったことが未だに悔やまれてならない。

箪笥に仕舞ってあるが思い切って捨ててしまおうと思う。

そうすれば綺麗さっぱりと忘れてしまえるだろう。




娘は昨日から寛いでいて今朝も遅くまで寝ていたようだ。

洗濯物の乾燥が終っていたので取り出そうとしたら

洗面台で顔を洗っている娘と一緒になった。

もしかしたらと期待する。畳んでくれそうな気がしたのだった。

しかし娘は見て見ぬふりをするかのように立ち去ってしまう。

がっくりだったが「もう当てになんかするもんか」と思った。


洗濯物を畳みながら虚しさが込み上げて来る。

私は生きている限り洗濯物を畳み続けるのだろう。

畳むだけではない。毎朝干すのも私の役目であった。

決して嫌いな家事ではないが途方に暮れるような気持ちである。

夫が「そのうちあやが畳んでくれるようになるろう」と言ってくれたが

それはいったい何時のことだろう。今はとても考えられなかった。



午後はひたすらごろごろと寝てばかりだったが

日課の短歌だけは書き終える。これだけは気力があるようだ。

今朝の高知新聞にちらっと短歌が掲載されていて嬉しかった。

落選続きの時が多いがたまには「ご褒美」があるようだ。

ささやかなことでも励みになる。また頑張ろうと思う。


5時になり夕食の支度を始めた。

娘を当てにしないと決めたのでとても気が楽である。

もう肩を並べて料理をすることもないだろうとさえ思う。

そうしたら娘が二階から降りて来て黙って手を出し始めた。

私は無意識のうちにツンツン尖っていたのかもしれない。

元来卑屈な性格である。それは在り得ることだろう。

「もういい、全部自分でやる」と心の声が聞こえたような気がした。


まだまだこれから先が長いのだ。今から躓くわけにはいかない。

そのうち娘も仕事に慣れて家事も少しずつ出来るようになるだろう。

私はやはり「肝っ玉母さん」でいなければとつよく思った。



これを書いているうちに雨が止んだようだ。

風も出て来て雨雲が東に流れているのが分かる。

梅雨入りはしたが明日は晴れるとのこと嬉しくてならない。

思い煩うことなく淡々と過ごしたいものだ。



2024年06月08日(土) 三十四の瞳

ぽつぽつと小雨だったが午後から激しく降る時間帯もあった。

九州南部が梅雨入りとのこと。四国も直ぐに後を追うだろう。


雨が止んだ頃玄関のチャイムが鳴り夫が応対に出てくれたが

なんと全身ずぶ濡れのお遍路さんが立っていたのだった。

荷物も濡れてしまったのだろう乾いたタオルを欲しがっており

娘と私が応対を代わりバスタオルとフェイスタオルをお接待した。

新品のタオルもあったがそれでは水気を吸い難いので

使い晒しの洗ったタオルの方が良さそうである。


訊けば雨具は一切持っていないとのこと。

なんだか無謀にも思えたが初めてのお遍路ではないのだそうだ。

23年ぶりだと言う。遠路はるばる茨城県から来たらしい。

目のくりくりっとした60代位の男性だった。


もう4時近かったので今夜の宿を心配すればお大師堂へ向かうと言う。

ほっとしたがお風呂に入ることも出来ないので憐れでならない。

民泊なら入浴はもちろんのこと温かい食事も食べられただろうに。

これまでも野宿だったのだろうか。そこまでは訊けなかった。

お遍路さんは皆それぞれに事情を抱えているのだと思う。

観光がてら優雅な旅をしている人もいれば

節約しながら切り詰めて旅をしている人もいるのだった。

今日のお遍路さんは間違いなく後者だと思われた。


これもささやかな一期一会なのだろう。我が家を選んでくれたのだ。

田舎とは云え密集した住宅地のことである。

Sさんならきっとお風呂のお接待をしたのに違いない。

そう思えば私は薄情だとも取れるだろう。どうかお許し願いたい。





娘はゆっくりと休めたようだ。今夜は夫婦で外食に出掛けている。

夫とめいちゃんは義妹宅にお呼ばれしご馳走になっているようだ。

義妹が「鶏飯」を持って来てくれた。これがとても美味しいのだった。

私とあやちゃんはそれで済ます。簡単で楽ちんな夕食であった。


朝のうちはカーブスへ行っていたが午後からは寝てばかり。

なんだか身体が怠けてしまってよけいに疲れを感じている。

気分転換がしたくてならないが何も思い当たることがなかった。

嬉しいことはなくてもいい。新鮮な何かに出会いたいものだ。


先日からこの日記の閲覧数が17人に落ち着いた。

それはとても喜ばしいことでほっと安堵している。

「ゆらゆら茶屋」の固定客に他ならない有難い存在なのだった。

だから決して不愉快な思いをさせてはいけないのだと思う。

かと云っていつもにこにこ笑顔でいられないのが申し訳ない。

浮き沈みの激しい性分である。その上に偏屈と来ているからしょうがない。


「三十四の瞳」に見守れられてこその私であった。




2024年06月07日(金) 季節は何度でも巡ってくる

晴れのちくもり。気温は27℃と高かったが爽やかな風が吹く。

まだ事務所の冷房も要らず自然の風がとても心地よかった。


くちなしの花が枯れ始めてなんとも切ない。

まるで純白の衣装に泥を塗られたように朽ちていく。

しっかりと最後まで見届けてやらねばならない。

決して目を反らしてはいけないのだと思う。


季節は何度でも巡ってくる。それは永遠の「いのち」なのだ。

花は枯れ朽ち果てても逞しく根を張っていることだろう。

そんなふうに生きられたらどんなに良いだろうか。




今朝はあたふた。食後にいつもの薬を服用しようとしたら

昨日整形外科でもらったはずの薬が何処にも見当たらないのだった。

昨夜確かに台所のワゴンの上に置いたことはしっかりと覚えている。

それがどうして忽然と消えてしまったのか狐につままれたようだった。


燃えるごみの日だったのであれこれと不要な物を袋に放り込んだが

おそらく薬の能書きと一緒に捨ててしまったのではないだろうか。

ごみはもう収集所に持ち込んでおりどうしようも出来なかった。


夫が病院で再処方してもらえば良いと言ってくれたのだが

内科の薬と違って飲まなくても身体に支障があるとは思えない。

骨粗しょう症の予防薬とカルシウムのようなものである。

3週間分なので少し気になったが今回はもう諦めることにした。


以前にも車のキーをごみ袋に入れて捨ててしまったことがある。

無意識とは云えそんな年頃になってしまったのだろう。

情けないが「笑い話」だと思えばもう過ぎたことである。



仕事はそこそこの忙しさだったが3時に退社。

同僚も通院があり一緒にタイムカードを押した。

義父は昨日トラクターがまた故障して困り果てていた。

いつもは部品を注文し自分で修理をするのだが今回は手に負えないらしい。

焦りもあるだろうがなんだか気が狂ったように嘆くばかりである。

新しいトラクターを買ってやりたいが会社も火の車であった。

「順調」は決して当たり前ではないことをつくづく感じる。



買い物をして4時に帰宅。今夜こそまともな夕食になりそうだ。

福岡産の剣先イカが半額だったので二杯買いお刺身にする。

娘婿は蛸は食べるがイカを好まずお刺身用の鰹を買って来ていた。

とにかく酒肴さえあれば後は何とかなる我が家であった。

「親子丼」「胡瓜とカニカマのサラダ」レトルトの「ミートボール」

娘が帰宅してから「枝豆ペペロンチーノ」を作ってくれた。

明日は休みなので気が楽だったのだろう。今日は昨日よりも元気だった。


夕食後あやちゃんの同級生達が5人も訪ねて来てくれる。

聞けば修学旅行から帰ったばかりなのだそうだ。

岡山のお土産をそれぞれが持って来てくれてなんと有難いこと。

それなのにあやちゃんは部屋から一歩も出て来なかったのだ。

照れくささもあれば気まずい気持ちもあったのだろう。

どうしてそれを責められようかと思った。

もう一年以上も学校に行っていないのにみんなが気にかけてくれている。

その優しさをあやちゃんはどんな気持ちで受け止めたのだろう。


トンネルの出口は見えているはずだが蹲っている姿が見えた。



2024年06月06日(木) 友からの手紙

午後からぽつぽつと雨が降り始める。

走り梅雨ではなさそうで明日は晴れるのだそうだ。

気温は22℃程でずいぶんと涼しい一日だった。


昨日帰宅したら古い友人から手紙が届いており

今朝は仕事を始める前に返事を書いた。

走り書きであったがメールよりも良いだろう。

嬉しかったことを精一杯に伝える。

30年来の友人である。いつまでも私のことを忘れずにいてくれて

時々手紙をくれるのだった。なんと有難いことだろうか。

もう何年も会っていないが元気でいてくれて何よりに思う。


まだ携帯電話も無かった頃はよく手紙を書いたものだった。

文通と云うほど頻繁ではなかったが「時々」が嬉しいものである。

互いの近況もそうして伝え合うことが出来たのだ。


今は「ライン」の時代らしいが私は未だ未経験だった。

スマホを持つ気はないのでちょっとした時代遅れでもある。

便利かもしれないがなんだか鬱陶しいような気もするのだ。

返事を急かされるのも嫌だし常に繋がるのも好きではない。

そうして時代に取り残されるだろうが焦る気持ちもなかった。


手紙が好きだ。その気持ちを大切にしたいと思う。





週一のリハビリの日だったので3時前に退社。

病院の玄関でサンダルを脱ぐことが出来ず困っていたら

ちょうど後から入って来た女性が手を貸してくれて嬉しかった。

親切にはとことん甘えるように心掛けている。

そうして心から感謝の気持ちを伝えるのが心地よい。


今日は診察のある日だったのでリハビリ後30分程待った。

以前は時間が気になってならなかったが

遅くなる日は夕食の支度をしないことに決めてから気が楽である。

しかし2週間の早いこと。さすがに心苦しくなってしまい

今日は医師に相談し診察を3週間後に伸ばしてもらった。

本来なら毎回診察を受けなければいけないのだそうだ。

私の場合は特別らしく大目に見てくれてとても有難かった。


薬局で薬を受け取り「ほっかほっか亭」へ走る。

予め電話をしておいたのでもう出来上がっており大いに助かる。

今日はいつものメニューに焼きそばを追加していた。


5時20分に帰宅。夫はお風呂に入ってるようだった。

そうして出て来るなりビールを飲み始めたのだが

2パック買って来ていた焼きそばを二人分だと思ったらしい。

独り占めしてガツガツと食べ始めたのでまたなんと憎たらしいこと。

私がストップを掛けたら睨みつけてくるのだった。

そうして「半分お前にやるわ」と偉そうに突き返して来る。

食べ物の恨みはオソロシイのだ。よく覚えているがいい。


食器洗いも少なく夕食後はいつもよりずっと楽だったが

まだ洗濯物を畳んでいなかったので一気に疲れが襲って来る。

娘の有難みをつくづく感じた夕暮れ時であった。


娘は今日も6時に帰宅。忙しかったのだろう酷く疲れているようだった。

けれども検査技師の職員はもっともっと忙しいのだそうだ。

技師一人助手一人の検査室の様子が目に見えるようだった。

今日は尿検査が多かったそうで「おしっこばっかり」と娘がぼやく。

まだ二日目であるが娘は少しでも助けになっているのだろうか。


今夜はダンス教室があり休む間もなく出掛けて行った。

帰宅は9時前でそれからめいちゃんと夕食である。


心配していたあやちゃんはあっけらかんとしていて元気。

やはり私の思い過ごしだったのだろうと今は思っている。

それだけあやちゃんがしっかりしている証かもしれない。



あれこれ思い煩っていても日常はとんとんと過ぎて行く。

先へ先へと道は続いておりひたすら歩くしかなかった。

今日はもうお終い。明日はあしたの風に吹かれようではないか。





2024年06月05日(水) 肝っ玉母さん

二十四節気の「芒種」稲や麦などの種を蒔く頃のことだが

今ではあまりぴんと来ない節気である。

高知県は特に田植えが早く高知平野では二期作も行われている。

西部の山里でも田植えはほぼ終わっており8月にはもう稲刈りなのだ。


やれ草だ。やれ田螺だと義父は狂ったように田んぼに走る。

草には「クサトッタ」といかにもそれらしい除草剤を使う。

田螺には「椿油」が効くらしく中国産のものを使っているようだ。

今年も異常発生をしておりてんやわんやの日々である。

それにしても稲作のなんと苦労の多いことだろう。

苦労の割に収入は少なくその上に農機具の高価なこと。

義父も新しいトラクターを欲しがっているが6百万円もするらしい。

「宝くじでも当たらんかなあ」が日頃からの口癖であった。


その義父が今日はお昼に帰って来てくれてとても助かる。

おかげで午後から車検済みの車を納車することが出来た。

仕事をしながら運転資金の話になったが今日も「そうか」である。

おそらく金庫番の私が何とかするだろうと思っているようだ。

今日はなけなしの定期預金を解約した。もう最後の資金である。

本日の売り上げ5千円。いくら田舎でもあんまりではないか。

けれども私はまるで「肝っ玉母さん」のような顔をしている。

嘆いても何も変わりはしない。もうやるっきゃないと思う。



3時に退社。買い物を済ませ4時には帰宅していた。

洗濯物はよく乾いており夫が取り入れてくれており助かる。

その大量の洗濯物をせっせと畳んだ。

相変わらず娘とあやちゃんの靴下の区別が出来ない。


足の痛みはあっても正座はなんとか出来る。

しかし立ち上がることが出来ないのだった。

いちいち夫の助けを呼ぶわけにも行かず自力で立ち上がる。

「よっこらしょ」と大きな掛け声が私を助けてくれるのだった。

これ位のことでへこたれてどうする。これから毎日のことなのだ。


5時半には夫が晩酌を始めるのでなんと気忙しいこと。

とにかく先に酒肴をと急いで鰹のタタキを作った。

「後は急がんでもええぞ」と言ってくれたが苛々が止まらない。

夫のことを「なんと憎たらしい客だろう」と思った。

もぐもぐと食べている口元が妙に気味が悪いのだ。

ずっと昔から見慣れているはずなのに最近気になってしょうがない。

この人とキスをしたのかと思うとぞっとするのだった。

と、これはあまりにも言い過ぎだろう。ごめんなさいと言っておく。


心配していた娘が帰宅したのは6時だった。

思った通りげっそりと疲れ切った顔をして帰って来る。

慣れない上にとても忙しかったのだそうだ。

聞けば助手は一人きりらしい。個人病院はそれが当たり前なのだろう。

右も左も分からずまるで外国のようだったと嘆いていた。

この先続けられるかと心配でならないが娘を信じようと思った。

最初からテキパキと仕事が出来る人なんていないはずである。

一週間、ひと月と日が経てばきっと慣れて来るだろう。

ようは最初から頑張り過ぎないことが肝心である。


質素な夕食であったが何とか作ることが出来てほっとした。

私も頑張り過ぎてはいけない。無理せずぼちぼちである。

あやちゃんに明日から家庭科クラブに入らないかと言ってみたが

「めんどくさい」の一言で笑い飛ばされてしまった。

本当は当てになどしていない。そうかと云って自信もないのだが

私の得意な「こつこつ」を貫いてみようと思っている。


肝っ玉はけっこう逞しい。それでこそ私なのではないだろうか。









2024年06月04日(火) 寝耳に水のようなこと

夏日が続いているが今日も風があり過ごし易かった。

朝の山道のなんと心地よいこと。

窓を開ければまるで森林浴である。

道端には姫女苑。山々の濃い緑が目に沁みるようだ。


峠道に差し掛かかる手前に小さな集落があり

地元の人達がお遍路さんの休憩所を構えている。

扉はないがテーブルと椅子が備えられていて

雨風はじゅうぶんに凌げる癒しの空間であった。


テーブルにはいつも花が挿してあるが

その花が枯れているのをかつて見たことがない。

今朝はグラジオラスが挿してありほっこりと心が和む。


歩き疲れたお遍路さんもどんなにか寛ぐことだろう。

地元の人達の真心がしみじみと温かく感じられる。




それなりに仕事。今日は残念ながら義父に逃げられてしまった。

急ぎの仕事があったのに同僚に押し付けるようにして出て行く。

普段は温厚な同僚も今日はいささか機嫌が悪かった。

二人で義父の悪口を言い合う。それが一番のストレス解消になる。


3時に退社。FMラジオからは「木蓮の涙」が流れていた。

スターダストレビューだったか昔好きだったことを思い出す。

カラオケでよく歌ったが今はもマイクを握ることもなくなった。



4時に帰宅。娘から重大発表があり驚く。

今まで何も聞いていなかったのでまるで寝耳に水のようであった。

再就職先が今日決まったのだそうだ。しかも明日が初出勤らしい。

面接に行き直ぐに採用が決まったとのこと。

急募だったのだろう。それにしてもラッキーなことである。


新しい勤め先は母がずっとお世話になっていた病院だった。

夫も掛かりつけでもう長いこと通院している。

その病院の臨床検査室で助手の仕事をするのだそうだ。


娘は全くの未経験である。務まるのかどうか心配ではあるが

余程嬉しかったのだろうやる気満々になっている。


モンダイは勤務時間だった。8時半から5時までのフルタイムである。

病院は市内だが8時には家を出なくてはいけない。

朝に弱い娘のことである。遅刻せずに通い続けることが出来るだろうか。

心配をはし始めたらきりがなくすっかり母の気持ちになった。


モンダイはまだある。この2ヶ月余りずっと娘に甘え続けて来たが

明日からは一切の家事が私に圧し掛かって来るのだ。

大量の洗濯物を畳み6人分の夕食の支度もこなさなくてはならない。

夫が気遣ってくれて「手抜きでええわや」と言ってくれたが

毎日そんなわけにもいかないだろう。これには頭を悩ます。

とにかく始めてみなければ分からないことだ。出来るのか出来ないのか。


最後のモンダイはあやちゃんのことである。

娘はあまり深くは考えていないようだが

母親が一日中家に居るのと居ないのでは環境が変わり過ぎる。

最近目に見えて明るくなったのは母親のおかげだと思うのだ。

勉強を見てくれたり昼食を作ってくれたり甘えることも出来た。

それが突然明日から出来なくなってしまうのだ。

「別にええよ」と口にしていても内心では傷ついているのではないか。


夫は「おまえは考え過ぎじゃ」と笑い飛ばしているが

たとえおせっかいな老婆心であっても大切なことだと思えてならない。


明日は娘の再出発の日だ。気持ちよく送り出してあげたいものだ。






2024年06月03日(月) くちなしは無口なのだろうか

今日も夏日だったが風があり過ごし易い一日だった。


早朝、能登でまたやや強い地震があったようだ。

家を失い避難所暮らしの人が多いことだろう。

そんな不安な暮らしに自然はどうして追い打ちをかけるのか。

怒りの矛先を向けることも出来ずただただ気の毒でならない。

復旧作業もかなり遅れていると聞く。

国は?自衛隊は?と思うが報道の全くない日が続いている。


明日は我が身と思う気持ちが頭から離れない。

命は助かっても家を失ってしまったらどうすればいいのだろう。

元気を出して前向きに。そんな言葉は綺麗ごとに過ぎない。


「うしなう」と云うことはとてつもなく辛いことなのだ。




出勤しようと車に乗ろうとしていたらほんのりとくちなしが香る。

何処だろうと辺りを見回していたらお向かいの庭先であった。

昨年は気づかなかったので最近になって植えたのかもしれない。

鉢植えであったが純白の花がそれは見事に咲いていた。


くちなしの花を目にする度に「律子」の詩を思い出す。

クラスは違ったが同じ文芸部の仲間だった。

繊細でとても優しい詩だったことを憶えている。

律子はもう詩を書いていないのだろうか。

もしそうだったらとても残念でならない。


目まぐるしいほどに歳月が流れて行く。

律子からの便りは年に一度の年賀状だけだった。





仕事はそこそこの忙しさ。義父は相変わらず田んぼだったが

お昼には帰って来てくれて午後からの仕事が捗った。

車検が一台完了。夕方には義父が納車に行ってくれるそうだ。

とにかく運転資金が底を尽いているため稼がなくてはいけない。

「そうか」しか言わない義父も内心では心配しているのだろう。


月末締めの請求書をせっせと作る。切手をきらしていたので

郵便局へ行ったらとても可愛らしい切手を販売していた。

季節の花だったが蛍光塗料で縁取りをしてありきらきら光っている。

局員の女性と「これは届いたらすぐに払いたくなるよね」と笑い合う。

他にも数人のお客さんが居てみんながくすくすと笑って愉快だった。

たかが切手ではないのだ。切手にも真心を込めなくてはならない。


3時に退社。FMラジオは懐かしの歌謡曲特集で嬉しい。

サニーマートへ着く直前まで山口百恵の「さよならの向こう側」だった。

口ずさみたくても声が出ない。最近また声枯れが酷くなっている。


4時過ぎに帰宅。自室でSNSをチェックしていたら

「おかえりい」と声がしてあやちゃんがまた部屋に来てくれた。

「あのさあ、昨日リンク外したよね」と訊くので

「もう大丈夫よ」と応えたらほっとしたように笑顔を見せてくれた。


ここでの私は「山��詩織」ではなく「anzu」なのだ。

今は亡き愛犬の名前をそのままハンドルネームにしたことも懐かしい。

ネット空間に出没してからずっとそう名乗っていたのだった。

「おばあちゃんはあんずだからね」「うん、いいね」とあやちゃん。

あんずが亡くなった時あやちゃんはまだ二歳だったが

記憶の片隅にうっすらとあんずの面影が残っているようだった。


「あんず」から「みかりん」になり「詩織」になった。

ネット空間を漂うようになりもう25年以上になったようだ。

たくさんの縁を頂いたが今はもう殆どが消滅している。

だからこそ今も尚私を忘れずにいてくれる人がいてくれて

本当に有難くてならない。かけがえのない縁だと大切に思っている。

ましてこの日記を末永く読んでくれていることは奇跡ではないだろうか。


きっと最期の私を見届けてくれるに違いないと信じて止まない。



2024年06月02日(日) ゆらゆら茶屋の日が暮れて

晴れ時々曇り。夏日ではあったが風があり暑さが和らぐ。


燕の一番子が巣立つ頃だが残念ながら我が家は全滅となる。

昨年もそうだったがやはり蛇の仕業ではないだろうか。

つい先日まで可愛らしい雛が顔を出していたのだが

ある日忽然と姿を消してしまった。親鳥ももう寄り付かない。

古巣は壊れかけていて成す術もなかった。

自然界の厳しさを思い知らされるが助けてやることも出来ないのだ。


夫と相談してしばらくしたら古巣を取り除くことにした。

来年は来年のこと。きっと新しい巣を作ることだろう。





今朝もあやちゃんが部屋に入って来てくれる。

昨夜からずっと考えていたのだろう真剣な顔をしていた。

「おばあちゃんやっぱこのままじゃやばいよ」と言う。

SNSとこの日記のことであった。

ペンネームであったが本名も公開している。

日記のリンクも貼ってありその気になれば誰でも閲覧出来るのだ。

あやちゃんは個人情報を危惧しており不安でならないのだろう。

さすがに「もうやめて」とは言わなかったが

「おばあちゃんがどこの誰なのかわかるじゃんか」と声を震わせていた。

それは同時に家族皆をネット上にさらすことに等しいのだ。


しばらく差し向かいで話し合った。

とても12歳の少女とは思えないしっかりとした考えを持っている。

SNSでは匿名の人がそれはたくさん居るけれど

堂々と本名やペンネームを名乗っている人もけっこう多いのだ。

おばあちゃんのペンネームは若い頃からのもので

今更それを匿名に変えるつもりがないことを話す。

あやちゃんは素直に頷きながら聞いてくれた。

「うん、わかった」と言い残して部屋を出て行ったが

それから私は私なりに思案を巡らせていたのだった。


結論としてSNSは今のまま続けたくてならない。

しかし今日を限りにこの日記へのリンクを外すことに決めた。

今ならまだ間に合う。最低限の閲覧数を維持することが出来る。


これまで欲深く一人でも多くの人に読んでもらいたいと願っていたが

それが大きな間違いであることに気づいたのだ。

昨夜もここに記したが信頼関係があってこそのことである。

そうでなければどうしてありのままの日々を記すことが出来るだろう。

22年間も書き続けて来たのだ。いつかは最後の日が来るけれど

生きて在る限り書き続けられる私でありたいと強く願っている。


四万十川のほとりの「ゆらゆら茶屋」であった。

お客様はみな常連さんばかりで和気あいあいとしている。

それこそが私が望んでいた場所なのに違いない。











2024年06月01日(土) 水無月の一歩

午後から薄雲が広がったが概ね晴れ。

真夏日の一歩手前となったが風のおかげでさほど暑さを感じなかった。

しばらくは晴天の日が続くようで梅雨入りが例年になく遅れるそうだ。

大雨や豪雨の心配があるとのこと。なんだか不安でならない。


不安と云えば今朝は目覚めるなり地震があった。

また震源地は豊後水道で前回ほどの大きな揺れはなかったが

ひしひしと得体の知れない物が襲って来るような危機感を感じる。

台風もまた発生するだろう。豪雨、地震と鎮まることを知らない。

なんとしても身を守らねばならないがつい立ち竦んでしまう。

漠然とした不安は恐怖としか云いようがない。



仕事は休みであったが急きょ出勤となった。

カーブスを終えるなり山里の職場に向かう。

納車が2台あり1台はお客さんを迎えに行く約束をしていた。

義父は田んぼの除草。同僚は車検整備に忙しい。


お客さんは今は亡き友人の息子さんだった。

もうすぐ25年目の命日が近づいている。



50歳を過ぎたばかりの息子さんはお父さんにそっくりになった。

声もよく似ていてなんだか友人が生き返ったように感じる。

車中でとにかくよくしゃべる。それも愉快なことであった。


もう25年もの歳月が流れたことが未だに信じられない。

お葬式の時、私は立ってはいられないほど泣きじゃくった。

後にも先にもあれほど涙を流したことはなかっただろう。

魂は永遠だと信じている。きっとまた巡り合える日が来るのに違いない。




もう1台の納車を済ませ少し残りの事務を終え2時に退社。

帰り際に義父が汗びっしょりになって帰って来た。

空腹だが今朝ご飯を炊き忘れたそうで何も食べる物がないと云う。

あまりにも可哀想で急いで近くの地場産店へ走った。

ちらし寿司とお惣菜を買って来たら義父が喜んでくれほっとする。

「食べたら少しでも休んだよ」と言うと

「そんな暇はない草だらけじゃ」と言い返された。

おそらく日が暮れるまで除草作業をしていたことだろう。

熱中症の心配もありはらはらとするばかりである。


買い物を済ませ3時に帰宅。そのまま寝入り込んでしまった。

まだ扇風機は出していないが開け放した窓からの風が心地よい。


夕飯は「すき焼き」夫が子供みたいに喜ぶ。

そろそろ食べたいなと思っていたのだそうだ。

ラッキーなことに窪川牛が3割引きだったので4パック買って来ていた。

あやちゃんも大喜びで笑顔を見せてくれてなんとも嬉しい。


そのあやちゃんが先ほど珍しく私の部屋に入って来て

「おばあちゃんは毎晩何を書きよるが?」と訊いてくれる。

「おばあちゃんはね毎晩日記を書きよるがよ」と応えると

「あやのことは書かんとってね」と釘を刺されてしまった。

ごめんねあやちゃん。今までもいっぱい書いてごめんね。


閲覧数は極めて少ないが公開されていることを忘れてはならない。

けれども私は数少ない読者の皆さんを心から信頼している。

その信頼あってこその「ゆらゆら日記」ではないだろうか。


私が日々を暮し私が生きている。

どんな日もあるけれどこれからも見守って欲しいと願ってやまない。


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