ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2024年05月18日(土) 失禁パンツ

朝と昼間の寒暖差が激しく今日も日中は夏日となる。

洗濯物は良く乾いていたが一枚だけ乾いていなかった。

恥を忍んで白状するが私の「失禁パンツ」である。


ネットで買物をするなと散々夫から言われているけれど

つい衝動買いをしてしまったのは10日程まえだったろうか。

最初はLサイズを二枚購入したのだが小さ過ぎて履けなかった。

その時点で諦めるべきところを思い切って4Lを注文してしまったのだ。


それは直ぐに届いたのだが巨大としか言いようのない代物である。

けれども履いてみたらお腹まですっぽりと収まり丁度であった。

まさか4Lのパンツを履くようになるとは思ってもいなかったが

それならばどうして注文などしたのだろうと可笑しくてならない。


失禁パンツなので直に尿を吸収するしくみになっているようだが

私の場合は水分ケアのナプキンをいつも使用していた。

それでも激しく咳き込んだ時はズボンまで濡らしてしまうことがあった。

そんな時のための失禁パンツに他ならない。もうこれで安心と思う。

ごわごわした感じもなく履き心地もけっこういい感じである。

一枚しか買わなかったのでもう一枚注文しようと思った矢先だった。


洗濯物を畳んでいたら全体がしっとりしていて乾いていない。

特にパットの部分は濡れたままで不可解でならなかった。

おそらく生地の素材が悪いのだろう。吸水性はあるが速乾ではない。

ナプキンをしていなかったらと思うとぞっとしたのだった。

最初の二枚と合わせて三枚のパンツが無駄になってしまったようだ。

合計で三千円である。安いようでいてけっこう痛いものがある。


同年代の人に訊いたことはないが私の場合は異常なのではないだろうか。

テレビで水分ケアナプキンのCMをよく見かけるが

出演している女性はどう見ても50代にしか見えない。

まだ若くて溌溂としているのだ。尿漏れなどあるようには思えなかった。

でも店頭では少量から多量まで様々なナプキンが売られているのだ。

私も最初は5ccだったが今は50ccになっている。

それ以上の多量になるとお値段は倍以上に高くなるのだった。

だからこその失禁パンツであったが結果はこの有り様である。


咳さえしなければ尿漏れは殆どなかった。

じゃあ咳をしなければ良いのだがその為には煙草を止めなければならない。

「やはりそうなるか」とまたまた追い詰められてしまうのだ。

自業自得は留まることを知らない。とことん苦しめられるだろう。


もう新たに他の失禁パンツを探す気にはなれない。

高価でも多量用のナプキンを購入するしかないように思う。


私もとうとう「しょんべん臭いばばあ」になったようだ。











 



2024年05月17日(金) 私の鍵

夜明けが随分と早くなり4時半にはもう辺りが白み始めている。

そうして早起きの燕たちが声を揃えて一斉に鳴き始めるのだった。


今朝は少し肌寒かったが日中は28℃まで気温が上がり暑くなる。

春はもう遠い処に行ってしまったのだろう。

指切りもしないまま別れてしまった。


今朝も母の遺影に願い事をしてから出勤する。

きっと母が助けてくれるに違いないと信じていたのだった。

闘病中もずっと仕事の事ばかり気にかけてくれていた。

今もはらはらしながら見守ってくれていることだろう。


山里の職場に着くとしっかりと義父の姿があった。

思わず「お母さんありがとうね」と心の中で呟く。


いきなりであったが宿毛市の外注先に義父と出掛けることになった。

急ぎの仕事だったので義父が動いてくれてどれほど助かったことだろう。

段取りもすべてしてくれて私は大船に乗ったような気分である。


その後もお昼までに検査をしてくれて無事に納車を済ませた。

昨日とは打って変わって目まぐるしいほどの忙しさであったが

嬉しくてならない。どんどん順調に仕事が片付いて行く。


午後はまた取引先に用事があり私一人で宿毛市へと走る。

一日に二度も宿毛市へ行くのは初めてのことだった。

大切な書類を預かり速達で高知市の代書事務所に郵送する。

これでやっと今週の仕事が無事に終わったのだった。

遣り切った感が半端ない。なんと心地よい達成感だろうか。


3時過ぎに退社。FMラジオからは浜田省吾の歌声が流れていて

うっとりと聴きながらなんだか涙が出そうになった。

男だとか女だとか恋だとか私には無縁のはずなのだけれど

切ない気持ちは幾つになっても変わらないのかもしれない。


私には私の鍵があるけれど時々何処かに置き忘れる。





4時半に帰宅。小学校の保健室の先生が来てくれていた。

あやちゃんがにこにこしながら話していてとてもほっとした。

気分転換になったのかその後も上機嫌で「今夜は何?」である。

「ポークステーキ」「ジャーマンポテト」「ちく胡」などなど。

胡瓜が好きなので「ちく胡」が嬉しかったのか笑顔で頷いてくれた。


あやちゃんにも鍵があるのだ。合鍵は誰も持っていない。

無理やりこじ開けるなどもっての外である。

鍵を掛けることで自分を守ろうとしているのだろう。

それは私も同じだった。けれども大人なので来るものは拒めない。

でも踏み荒らされるのは嫌である。なんとしても阻止したい。


日々ネット空間を彷徨っていると思いがけないことがいっぱいある。

心の琴線に触れるような出会いもあれば

逃げ出してしまいたいような出会いもあるのだ。

どれも縁なのに違いないがそこには安らぎが必要に思えてならない。


安らいでこその「ふれあい」なのではないだろうか。



2024年05月16日(木) あしたの風

爽やかな青空だったが強風が吹き荒れ嵐のような一日だった。

栴檀の木が風に煽られ薄紫の花がまるで雪のように舞う。


夜明け前にはホトトギスが頻りに鳴いていた。

鳴くのは雄だと云うから求愛の合図かもしれない。

それにしてもまだ外は真っ暗闇である。

「眠らない鳥」なのだろうか。いったい何時眠るのだろう。

日本では「夏告鳥」と呼ばれている。確かな夏の訪れであった。



義父が高知市へ出張。早朝5時に出掛けたようだ。

田んぼに行って不在なのとは何となく違う。

工場の仕事も一段落しており同僚と二人のんびりと過ごす。

来客は一人だけ。電話も一切掛かって来ない。

夏告鳥どころか閑古鳥が鳴いているようだった。


お昼もゆっくりと休み午後からものんびりしていたら

突然義父が帰って来て慌てふためいてしまった。

用事が済み次第とんぼ返りをしたらしい。

おそらく昼食も食べてはいなかっただろう。


トラクターの部品が届いており目を輝かせていた。

直ぐに修理に取り掛かり明日はまた田んぼに行ってしまうだろう。

明日は車検の予約が入っておりまた頭を悩ますことになりそうだ。

じたばたしても始まらない。なるようにしかならないのだと思う。




リハビリの日だったので3時前に退社。

病院で息子の元お嫁さんのお母さんに会った。

元気そうに見えたが「変わりないかね?」と声を掛けたら

ふっと暗い表情になり言葉を濁らせたので気になってならない。

余計なことにも思えたが「一人で抱え込んだらいかんよ」と告げる。

決して縁が切れたのではないのだ。私の気持ちはずっと変わらない。

昨年の今頃はお嫁さんの入院で大変だったことを思い出す。

そうして息子が離婚を決意してから一年が経とうとしている。



リハビリはいつもの療法士さんだったが今日は施術が変わっていた。

左側の骨盤の辺りを重点的に揉み解してくれてなんとも心地よい。

痛いけれど気持ちが良いのだ。これは初めての経験だった。

普段は自覚症状が無いが骨盤もかなり弱っているのだろう。

歳を重ねるごとに身体のあちこちにガタが来るのは仕方あるまい。

リハビリに通っていなければと思うとなんだか怖ろしくなった。

来週も楽しみである。完治の見込みはないが確実に良くなっているようだ。



4時半に帰宅。珍しくあやちゃんが出迎えてくれて嬉しかった。

開口一番に「今夜は何?」である。「オクラの肉巻き」と応えると

「やったあ」と喜んでくれたので私は天にも昇る気持ちであった。

気のせいかもしれないが娘が一日中家に居るようになってから

あやちゃんがずいぶんと明るくなったような気がする。

もうお姉ちゃんだからと我慢することもない。

甘えたいだけ母親に甘えることが出来るのだ。

もしかしたらそれが一番に求めていたことなのかもしれないと思う。

まだまだゆっくりと少しずつではあるが前途に光が見えて来た。

誰も背中を押すことはしないが自ら歩み出しているように感じる。


この先どんな日もあるのだろう。辛い日もあるかもしれない。

それはあやちゃんに限らず皆に訪れる日々であった。


私はすくっと立っている。明日はあしたの風が吹くのだもの。



2024年05月15日(水) 私にも棘がある

曇り日。風はあったが少し蒸し暑さを感じる。


土手や道端に野薊の花が見られるようになった。

葉も茎も棘だらけであるが花だけはやわらかい。

おそらく手折る人もいないだろう。

そうして自分の身を守り続けている。

秋になると花は綿毛になり自由自在に飛んでいくのだった。


実は私にも棘がある。目には見えないかもしれないが本当の事だ。

私だって身を守らねばならない。そうして自由でありたいと願う。




今朝は山里の職場に着くと義父の姿があった。

田起こしが一段落したのかと声を掛けたら

トラクターが故障してしまったのだそうだ。

一瞬ドキッとする。実は出勤前に母の遺影に手を合わせ

アクシデントがあっても良いから義父を引き留めて欲しいと願った。

その通りになったのだ。きっと母のおかげだろうと思う。


トラクターの修理をするにも今日は部品が手に入らないのだそうだ。

義父もすっかり諦めている様子で工場の仕事をする気になっていた。

なんとほっとしたことだろうか。内心ではしめしめと思う。


午前中からお昼過ぎまで車検完了の書類を作成する。

忙しかったが嬉しくてならない。肩の荷が下りたような気分だった。

私はこれでも専務であり段取り課長でもあるのだが

社長である義父が不在だと手も足も出せないのだ。

ここ数日は空回り状態ですっかり困り果てていた。


仕事は好きだが責任が重い。だからこそ遣り甲斐があるのだと思う。

そうして未だゴールが見えず走る続けるばかりであった。



3時に退社。その前に短歌を書き殴っていた。

お昼休みが取れなかったので仕方ないがやはり後ろめたさがある。

そんな気持ちで書いた短歌に満足出来るはずがなかった。

今日は休めば良かったのだ。発信してから後悔する。

「これだけは」と常に自分に課しているようだ。

「絶対に」となると自分を追い詰めてしまうのだろう。

もっと自由気ままになれないものかと不甲斐なさを感じる。


サニーマートで買い物をし4時過ぎに帰宅した。

嬉しいのは娘が洗濯物を畳んでくれていること。

新たな仕事が見つかればまた忙しくなるだろう。

今のところまだその予定はないらしく毎日寛いでいるようだ。

私もその時が来るまで甘え続けていたいと思っている。


夕飯は予定通りに「破竹の天ぷら」にした。

揚げながら娘と味見をしたら柔らかくなっておりとても美味しい。

大鍋一杯に煮込んでいたのを全部揚げたら大皿にてんこ盛りになった。

とにかくせっせと食べる。無駄にせずに済み何よりだった。



そろそろ8時半になろうとしている。

今日も燃え尽きたのか心地よい達成感しかなかった。

書くことから始まり書くことで終われるなんてなんと幸せなことか。

そのせいかある日突然書けなくなることが怖くてならない。


今日に栞を挟む。そうしてまた明日を開こう。



2024年05月14日(火) ごがつ晴れ

雲一つない晴天。湿度が低く風がとても爽やかだった。

「さつき晴れ」と云いたいところだが

それは元来梅雨の晴れ間の事を指すのだそうだ。

しかし最近では「ごがつ晴れ」とも云うようになって

テレビのアナウンサーでさえ使うようになった。

日本語の進化だろうか。良いのやら悪いのやら判断に難しい。


職場にお客さんが「破竹」をたくさん持って来てくれた。

今朝獲れだろうか。見た目はとても新鮮で皮も剥いでくれている。

茹でてくれていたらこの上なく有難いのだがそうも言えず

「大好きながよ」と満面の笑顔で頂戴した。

早目に帰って茹でなければと少しプレッシャーを感じる。

破竹は灰汁が少なく米ぬかを入れなくても良いのだそうだ。

「なんちゃあ、すぐに煮えるけん」とお客さんも言ってくれた。

その言葉を信じていつも通りに3時まで仕事をして帰宅する。


帰宅間際に義父が田んぼから帰って来たがまた直ぐに出掛けた。

仕事の報告や相談したい事があったのだが空振りである。

明日も田んぼだろうか。なんだかパニックになってしまいそうだ。

同僚は午後から通院で休み。幸い来客はなく助かったと云うべきか。

会社は自転車操業なのでペダルをこぎ続けていなければならない。

前途はそう明るくはないのだ。ついつい心細くなってしまう。



サニーマートで買い物をし4時に帰宅した。

破竹を数えたら15本もありとても食べ切れそうにない。

お向かいの奥さんに声を掛けたら喜んで貰ってくれて助かった。

早速大鍋に火を点けて破竹を茹でることかれこれ40分。

いつまで経っても箸が通らず堅いままであった。

もしかしたら朝獲れではなかったのかもしれない。

筍類は時間が経つほど堅くなると聞いたことがある。

お向かいの奥さんも困っているだろうなと思ったがもう仕方ない。

取り合えず味付けをして煮込んだがやはり堅くて食べられなかった。

ネットで検索したら新鮮な物なら10分茹でれば良いとある。

10分どころか40分だ。大好物の破竹なのに残念でならない。

娘の提案で明日天ぷらにしてみることになった。

何としても食べるぞと食い意地の張っている私なのである。

せっかく頂いた物をどうして無駄に出来ようか。

旬の物は美味しく頂く。破竹にだって命が宿っているのだもの。



夕暮れ間近、めいちゃんが騒いでいるので何事かと思えば

燕の巣から可愛らしい雛が顔を出していた。

先日残念ながら一羽が死んでしまったがもう大丈夫だろう。

今のところ三羽しか見えていないがもう一羽いるかもしれない。

まためいちゃんが見つけてくれるだろう。我が家の家族である。



この日記を書き始めたのは7時過ぎだったがもう8時を過ぎた。

日課ではあるがのめり込むように日々を綴っている。

書き終えると燃え尽きたようになる。そうして私の一日が終るのだ。










2024年05月13日(月) 一件落着

午後7時15分。西の空がまるで燃えているように紅い。

明日は晴れるのだろう。なんだか心がおひさま色に染まりそうだ。


午前中は残り雨。午後から少しずつ陽射しが降り注ぐ。

義父がまるで何かに取り憑かれたように田んぼへ走る。

とにかく引き留めてはいけない。黙って見送るしかなかった。


一度戻って来たので一段落したのかと思いきや

洗車機でトラクターを無我夢中になり洗い始めた。

恐る恐る声を掛けたら田螺が異常発生しており

次の田んぼに行けないのだそうだ。

トラクターにくっ付いている田螺を洗い落としてから

また他の田んぼで作業を続けるつもりらしかった。

そうしなければ全部の田んぼが田螺だらけになってしまうのだ。


「お腹空いたろ?お昼食べてから行ったや」と再び声を掛ける。

「おう、そうじゃな」と素直に聞き入れてくれてほっとした。


夢中になると食事もまともに摂らない。

それは今に始まったことではなくよく身体が持つものだと思う。

リポビタン一本でどうして農作業に精を出すことが出来るだろうか。


そんな心配は無用らしくあまり気遣うと機嫌を損ねてしまう。

見て見ぬふりをするべきなのだろう。それも精神的にきついものである。





同僚に留守番を任せて2時過ぎに退社。少し心苦しい。

アマゾンからメールが届いており今日荷物が届くとのこと。

自室の空気清浄機のフィルターであった。

夫が受け取ると「これは何だ?」となってしまうので

なるべく早く帰宅したかったのだが時すでに遅しとなってしまった。


案の定「ネットであれこれ買うなと言うたろうが」とお小言である。

「これは必要な物やけん」と仕方なく空気清浄機の事を話す。

てっきり喫煙がバレると思っていたのだが深く追求されなかった。

それにしてもなんと後ろめたいことだろう。

愛する夫に隠し事をするなんてもってのほかである。


自室でこそこそとフィルターを交換したが

赤い警告灯が点いたまま消えない。焦ってメーカーに問い合わせたら

リセットボタンを押さなければいけないのだそうだ。

窓からが西日が射し込み汗がだらだらと流れていた。


それから夫のご機嫌取りも兼ねて一緒に大相撲を観る。

あの力士はあの力士の弟だとか訊きもしないのに教えてくれた。

「へえ〜そうながや」そこで私は感嘆の声を上げなければいけない。

夫は上機嫌であった。もう空気清浄機の事など忘れたのに違いない。


夕食は夫の大好きな「オムライス」だった。

機嫌は増々良くなりお代わりをするほどである。

しめしめと私はほくそ笑んでいた。ちょろいもんだなと愉快でならない。


しかし今は違う。もしかしたら夫は何もかもお見通しなのではないか。

知っていても責めようとはしないそれが夫の優しさなのだと思う。





2024年05月12日(日) 母からの贈り物

朝のうちは小雨だったが次第に本降りの雨となる。

空の気分をそのままにしんみりと過ごしていた。


気分転換をしたくてならず夫に外食を願い出たが敢え無く却下。

その理由が私の咳だと云うから唖然とするばかり。

確かに所かまわず咳き込むことが多いので反論は出来なかった。

「そのうち治るだろう」と言ってくれたが今は到底無理な話である。

夫は昨年私が禁煙に成功したとすっかり信じているようだ。

だからしつこい咳の原因が煙草だとは思ってもいないのだった。

困ったことになったとすっかり途方に暮れるばかりである。

やはり再び禁煙を志すべきだろうか。酷く追い詰められたような気分だ。




私があまり好きではない「母の日」が今年も来てしまった。

それは少女の頃からの辛い記憶しかなかったのだ。

どれほど母を恨んだことだろう。愛しさは少しもなかった。

まして母に感謝するなどもっての外に思える。


二十歳で母と再会したがもう子供の頃の母ではなかった。

その現実に苛まれながら歳月を乗り越えて来たのだろう。

私はいったい母に何を求めていたのか今もって分からずにいる。


長い闘病生活の果て母は昨年秋に黄泉の国へと旅立ったが

私はあくまでも薄情な娘を貫き涙を流すこともなかった。

悲しくなどなかったのだ。むしろほっとしていたのかもしれない。

最後の最期まで母を赦すことが出来なかったのだろう。

母はそんな私の気持ちを知っていたのだと思う。

義父一人だけに看取られ安らかに息を引き取ったのだった。


18歳の若さで私を産んだ母だった。

初めての子育てでどんなにか戸惑ったことだろう。

それが母の青春だったのかと思うと憐れにも思えて来る。

お腹が空けば泣いただろう。おむつが濡れたら泣いただろう。

母の乳房の温もりさえ知らずにすくすくと育って来たのか。

幼い頃の記憶は殆ど無い。抱かれたことさえ憶えていないのだ。


真実はひとつだけである。母が私を産んでくれたことだ。

母が存在しなければ今の私は存在しない。

そう思うと私の人生は母からの贈り物だったのだろう。

波乱万丈な人生であったがその試練も母が与えてくれたことだ。

辛い思いをしてこその幸せなのだと思う。

涙を流してこその笑顔なのだと思う。


そうして母あってこその私がこうして生きている。



2024年05月11日(土) 足るを知るべき

晴れのち曇り。爽やかな風が吹き過ごし易い一日だった。

明日は雨らしく夕方には黒い雲に覆われてしまう。


数日前に燕の雛が孵化したようだったが

今日はそのうちの一羽が巣の下に落ちていた。

まだ生まれたばかりで自力で巣から這い出したとは思えない。

他の鳥の仕業かもしれないが以前にもよくあったことで

親鳥が間引きをしたのではないかと思われる。

厳しい子育てで強く逞しく育つ見込みのない子は捨てられてしまうのだ。

残酷なようにも思えるがそれが自然界を生きる燕の掟であろう。


めいちゃんが見つけて夫が直ぐに巣に戻してみたが駄目だった。

しばらくするとまた落ちている。もう諦めた方が良さそうだ。

人間の手が触れてしまうと燕はよけいに嫌うらしい。

それは承知であったがどうして見捨てることが出来ようか。


とうとう亡骸となってしまった雛はまだ温もりがあった。

それが「いのち」でなくて何だろうと思う。





内科の通院日だったので7時半に家を出る。

予約制では無いので一刻も早く順番を取らねばならなかった。

それでも15番でかなり待たなければいけないようだ。

今日は特に混雑しており2時間待ちでやっと名前を呼ばれた。


O先生の優しい笑顔。それだけで待った甲斐がある。

家ではずっと高かった血圧も正常値になっていた。

こればかりは不思議でならない。他の医師では高くなるのだ。


声はまだ少し嗄れているが会話が出来るので良しとする。

しつこい咳の原因はやはり喫煙としか考えられないそうだ。

それは自分でもよく承知しておりもう自業自得でしかなかった。

咳止めの薬を服用するよりも禁煙を目指すべきだろう。

「駄目だ出来ない」ではなく心掛けることが大切だと言われた。

再び禁煙外来に通ってみるのも得策であろう。


いつもの薬を処方してもらって近くの薬局へ行く。

血圧の薬、更年期障害の薬、抗不安薬、抗鬱薬、精神安定剤など。

60日分なので薬代は7千円を超えていた。

薬漬けの日々ではあるがおかげで元気にいられるのだろう。


薬局を出るともう11時前になっておりカーブスを諦める。

先週も休みだったので身体を動かしたい気持ちもあったが

それよりもお腹が空いて早く昼食を食べたかった。

ほか弁を買って帰る。もちろん大好きな「鶏そば」である。


午後は例の如くで2時までお昼寝。目覚めのなんと気怠いこと。

それでも気を取り直して短歌を三首書き終えた。

反応はいつもと変わらない。足るを知るべきだとひたすら思う。



夕飯は夫と二人レトルトカレーで済ませた。

娘達は庭でBBQである。もちろんお誘いはない。

焼き鳥だろうか、いい匂いが家の中まで漂って来ていた。

「これでいいよね」と夫と顔を見合わせ頷き合う。

娘達にとっては何よりも楽しい家族団らんであった。



気分がいい日もあれば酷く落ち込む日もある。

今日はきっと「いい日」だったのだろう。

欲を云えばきりがないのだ。足るを知るは最上の富である。



2024年05月10日(金) 自分の世界

若葉寒が続いており今朝も全国的に冷え込んだようだ。

けれども日中は大幅に気温が上昇し夏日が続出したらしい。

高知県西部も夏日に近くすっかり初夏の陽気となった。


この時期道路沿いや田んぼの畦道などに黄色い花をよく見かける。

コスモスに似て可愛らしい花だが特定外来生物に指定されていて

駆除対象の花となっておりなんとも憐れでならない。

名を「大金鶏菊」(オオキンケイギク)と云いキク科の植物だそうだ。

繁殖力がとても強く日本の生態系に悪影響を与えるらしい。

花には全く罪はないが「厄介者」になってしまっている。

日本に運ばれてさえ来なければとその運命を嘆かずにいられない。

それはいつ頃のことだろう。子供の頃には見かけなかった花だ。




もう金曜日なのかと思うほど今週は少し物足らなかったが

いつも通りに三時に退社。ラジオを聴きながら家路を急ぐ。

昨日のような気忙しさはなくゆっくりと買い物が出来た。


四時過ぎから夫と一緒にまた時代劇を見ようと茶の間へ行く。

そうしたら「三匹が斬る」は昨日が最終回だったそうだ。

で、「松平なんとか」だが「松平右近の事件帳」であった。

どうやら将軍家斉の実弟が主人公らしい。

主役の里見浩太朗の若いこと。水戸黄門とは大違いである。

「三匹が斬る」と同じような展開で最後に悪人を成敗するのだが

峰打ちではなく確かに斬り殺しているのが見て取れる。

夫に訊いたらそうするために将軍から刀を授かっているのだそうだ。

そうか、そうなのか。また毎日大勢の人が死ぬのだろう。


見終わってからググってみたらなんと42年も昔の時代劇だった。

里見浩太朗は45歳。どうりで若いはずである。

それにしてもテレビは凄い。一気に昔にタイムスリップするのだ。


明後日からは大相撲が始まるのでしばらくは夢中になることだろう。

大勢の人が死んでも見なければ何も知らずに済むことになる。


夫婦とは不思議なもので必ずどちらかの影響を受けやすい。

私の場合は自分はさて置き夫の好みに合わせているようだ。

その方が仲睦まじく会話も弾むような気がする。

それに男と云う者はそれが嬉しくてならないようだ。

私が興味を示してあれこれ質問すると喜んで教えてくれるのだった。


その分私は自分の殻に閉じ籠ることが多い。

一人になるとすっかり自分の世界を愉しんでいるふしがある。

詩や短歌もそうだし何よりもこの日記がそうだろう。

夫は全く興味がないのでこれ幸いと思っているようだ。

感心を持たれたら大いに困る。それが本音である。


夫はいつも俺よりも長生きしろよと言ってくれているが

もし私が先に死んでしまったらいったいどうなるのだろう。

ネット上にばらまかれたモノを見ることがあるのだろうか。

それは嫌だなと思う。出来れば一生知らずにいて欲しいものだ。


私は生きている限り自分の世界を守りたい。

もし踏み込まれたら死んだ方がましだと思っている。



2024年05月09日(木) 優しいのど飴

今朝は5月とは思えない程の冷え込みとなる。

全国的に冷え込んだようで北海道では氷点下の処があったようだ。

日中は23℃まで気温が上がり過ごし易い一日となる。

それにしても寒暖差が激しく体調管理が大変であった。


今思えば真冬の寒さをよく乗り越えたものだと思う。

暖冬とは云え雪の日もあり厳しい寒さだった。

入浴中に死ぬのではないかと怖くてならなかったお風呂も

案ずるより産むが易しだったのかいつの間にか乗り越えている。

生命力と云えば大げさだが寒さに負けなかったのだろう。

これからは真夏の暑さとの闘いである。気を強く持たねばならない。




週一のリハビリを楽しみに3時前に退社した。

予約時間よりも早く着き過ぎたが直ぐに名前を呼ばれる。

マッサージは意識が遠のくほどに心地よい。

うっとりと目を閉じると窓からそよ風が吹き込んでくる。

女性の療法士さんは無口だがその分施術に集中しているのだろう。

今日も完璧であった。痛みは楽になり杖を付かなくても歩ける。


医師の診察がある日だったので廊下の長椅子に腰掛け待っていた。

いつもは30分も待てば名前を呼ばれるのに今日の遅いこと。

途中で突然咳き込み始めて焦った。例のしつこい咳である。

周りの人達に迷惑をかけてしまうので困り果てていたら

隣に座っていた70歳位の男性が「これを舐めてみいや」と言って

のど飴を手渡してくれてなんと嬉しかったことだろう。

おかげで咳は直ぐに治まり気分も楽になった。

その男性もよく咳が出るので常にのど飴を持ち歩いているそうだ。


一時間待ちやっと名前を呼ばれる。その男性の次だった。

膝にヒアルロン酸注射をするのだそうだ。「めっそに痛いぞ」と言う。

毎週木曜日に来ているらしく「また会おうな」と別れる。

私ものど飴のお礼をしっかりと言えて良かった。


薬局で骨粗しょう症の薬を受け取ったらもう5時を過ぎていた。

娘と相談のうえ今夜は夫と二人分の夕食で良かったので助かる。

ビールを切らしていたので大急ぎでサニーマートへ行く。

お総菜売り場で鶏南蛮とサラダの盛り合わせを買った。

それから鮮魚売り場で鰹のタタキを一人前だけ買う。


帰宅したら夫は入浴中だった。ぎりぎり晩酌に間に合いそうだ。

なんと忙しない一日だったことか。取り合えず自室で一服する。

夕食後にやっとSNSをチェックすることが出来た。

気になっていたのは今日の短歌である。

お昼休みに書くことが出来ず帰宅寸前に書いたものだった。

それもぎりぎりでなんとか間に合ったシロモノである。

当然ながら駄作であるが自分ではまずまずと思っていた。

私の自惚れはとてつもなく大きいのが自慢でもある。


反応は決して評価ではない。「見ましたよ」の「いいね」が多い。

たまに短歌を志している人からあるととてもほっとするのだった。

最善なのは反応を気にしないことだ。分かっていても気になってしまう。

いい歳をした婆さんなのに子供みたいなところがある。

「ねえねえ、これ書いたよ見て」「あらまあ上手に書けたわね」


世間はそうそう甘くはないが私はまるで蜜蜂のように飛び交っている。

一度甘い蜜を吸ってしまうと他の蜜では満足出来なくなるのだ。


もっともっと苦い思いをしなければならない。

それが一番自分の為になるだろう。



2024年05月08日(水) 大切なこと

晴れたり曇ったり。気温はあまり上がらず過ごし易い一日。

爽やかな風が吹き抜けていく。周りの山が動いているように見えた。

職場に居ながら森林浴をしているようである。



始業前には看板猫のみい太を囲んで雑談をするのが習いだが

どうやら妻猫が子猫を産んでいるらしかった。

黒い野良猫でいつもお腹を空かせているのが見て取れる。

可哀想でならないが絶対に餌をあげてはいけないと義父のお達しだった。

みい太も野良猫だったのになんと恵まれた待遇なのだろう。

義父曰く「差別ではない区別だ」いくらみい太の妻猫であってもだ。


子猫は同じ敷地内の鉄工所に居るようだ。まだ姿は見せないが

鳴き声が聞こえているらしい。鉄工所のK君が言っていた。

私は見たくてならないのだが見れば情が湧くだろう。

K君も見ないようにしているらしい。皆気持ちは同じである。


気になってならないのは子猫たちの授乳であった。

痩せ細った母猫から果たしてお乳が出るのだろうか。

子猫たちが死んでしまうのではないかと思わずにいられない。


誰からも餌を与えられず自然界で逞しく生きている猫は多い。

何処だったか野良猫ばかりの島もあるそうだ。

人間と一緒に共存しているのだろう。それは平和にである。

母猫もそうであって欲しいと願わずにいられない。





仕事は決算月なので伝票入力が主だった。

経理の仕事はまとめてすることが多く振替伝票が半年分ほどある。

一気に入力すると肩が凝るので今日は2ヶ月分で終えた。


3時に退社。FMラジオは母の日特集で母に因んだ歌ばかり流れる。

それも昔の歌が多く島倉千代子の「東京だよおっかさん」とか。

昭和32年の歌らしいが私でも知っているので有名な歌なのだろう。


今日も手抜きは出来ずサニーマートであれこれ買って帰る。

帰宅して2階に上がろうとしていたら階下に居たあやちゃんが

「邪魔だから早くして」と言う。私が駆け上がれるはずなどない。

階段の隅に身体を押し付けるようにして「お先にどうぞ」と言ったら

ぷんぷんと怒ったような顔をして階段を駆け上がって行った。


「どうしてそんなにおばあちゃんをいじめるの」つい声を荒げる。

怒ってなどいなかった。悲しくてやりきれなかったのだ。


傷つけてはいけないとどれほど気を遣っていることだろう。

あやちゃんには何も伝わっていないのかもしれない。

たとえ家族でも思い遣ることの大切さを学んで欲しいものだ。


求め過ぎてはいけないが願うことは出来る。

それは祈りにも通じる大切なことではないだろうか。






2024年05月07日(火) 明日も書かせて下さい

雨上がりの爽やかな風。なんと清々しい朝だったことか。

5時前にはもう夜が明け始める。ずいぶんと早くなったものだ。


昨日までとは打って変わって晴れやかな気分だった。

わくわくしながらそわそわする。まるでスタートラインに立ったよう。

走ることなど出来ないのに今にも走り出してしまいそうだった。


する仕事があるのは本当に有難いことである。

いつからこんな仕事人間になってしまったのだろう。

決して生真面目ではない。活力が有り余っているわけでもない。

ただ日常の規則正しい生活が心地よくてならないのだと思う。

逆に云えば不規則が苦手である。どうでも良いような感覚が。

そのくせ休日は堕落しまくっているのでこれは大きな矛盾であろう。




山里は一面の新緑である。そうして田んぼの稲のなんと可愛らしいこと。

数日見ない間にすくすくと伸びて一斉に風に揺れている。

あと三ヶ月もすればもう稲刈りである。その生育の早さに驚く。

人間と同じように病気にもなり水害で全滅することもある。

それを思えばなんと健気な「いのち」であろうか。

その「いのち」を人間が有難く頂いているのだった。


義父は連休の間に田起こしを全て終わらせたようで上機嫌である。

田植えはまだまだ続く。次は飼料米で最後に自家用米であった。

自家用米には我が家の分も含まれており随分と助かっている。

義父の作ったお米はとても美味しく市販のお米とは比べ物にならない。


工場の仕事は連休前の残り仕事がやっと片付く。

宿毛市まで義父が納車に行ってくれてとても助かった。

明日からの予約も入っておりまた忙しくなりそうだ。

同僚には苦労を掛けるが私は忙しいのが大好きである。


3時に退社。昨夜のこともありあれこれと買い物をした。

とにかくあやちゃんの好きな物を作らなくてはいけない。

気に入ってくれるだろうか。笑顔で食べてくれるだろうか。

今朝はもしかしたら登校するかなと思っていたがやっぱり駄目だった。



5時までまた夫と一緒に「三匹が斬る」を見る。

まだアイドルだった頃の柏原芳恵が出ていてびっくりした。

歌はもちろん上手いが演技も上手だったので意外に思う。

そう云えばレギュラーに長山洋子も出ているのだった。

とにかく30年以上も昔のドラマなので見応えはある。

しかし今日もたくさんの人が死んでしまった。



これを書き始めたのは7時だったがもう9時が近くなっている。

作家ではないので執筆とは言えないが「書く作業」に等しい。

日々が自己満足に過ぎないが私にとっては生きがいのようなこと。

明日も書かせて下さいとノートパソコンに手を合わせてから眠る。






2024年05月06日(月) お咎めなし

午後7時。外はまだ薄明るく雨に煙る川向の山が見えている。

真っ直ぐな雨だ。正直で規則正しい雨だ。


近所の県道沿いに大きな枇杷の木があり実が鈴なりになった。

ひたすら雨に濡れているのを見るとなんだか切ない。

収穫はしないのだろうか。このまま朽ちてしまうのだろうか。

昔は子供のおやつになったが今の子供は喜ばないだろう。

実の割に種が大きい。種の無い枇杷など聞いたことがなかった。



GW最終日。静かな雨音を聴きながら気怠く過ごす。

鬱ではないと思うのだが明るい気分にはなれなかった。

深い谷底に居るようである。空を見上げることもせず

ひたすら地面に爪を立てているようだった。

気分転換も出来ない。自分が自分で無いようで落ち着かない。

起きていると煙草ばかり吸ってしまうので苛立ちが募る。



朝のうちにサニーマートへ行ったが満車状態であった。

開店と同時に来ればよかったと悔やまれたが

仕方なく入口近くの駐車区域ではない場所に車を停める。

咎められたらその時のこと。傘を差し杖を付くのがやっとであった。


お昼はお好み焼きにした。夫がホットプレートを準備してくれる。

見た目は美味しそうだったがなんとなく粉っぽい。

どうやらうっかりしていて卵を入れ忘れていたようだ。

「まあええじゃないか」と夫が言ってくれてほっとする。


午後は茶の間で横になり夫と録画番組を見ていた。

いつものことだが夫優先でまずは「鬼平犯科帳」である。

途中から眠ってしまって目が覚めたら「松平なんとか」だった。

松平健ではない。夫が教えてくれたが今はもう忘れてしまった。

またうとうとと眠ってしまい3時前にやっと目覚める。


よろよろと二階の自室に行き短歌を三首書く。

今日は我ながら上出来だと思ったのだが単なる自惚れだろう。

それでいいのだと開き直る。自分が好きだと思えるのが一番だ。

ぽつぽつと「いいね」を頂く。本当に有難く感謝しかない。



それから乾燥機から大量の洗濯物を引っ張り出した。

私が休みだと娘は一切ノータッチなのだ。

平日は頼りっぱなしなので畳むのは私の役目である。

あやちゃんと娘のTシャツの区別がつかない。

もう着る物はすっかり大人サイズになった。


5時までまだ時間があったのでまた茶の間で横になる。

今度は「三匹が斬る」今日もたくさん死ぬのだろう。

何しろ正義の味方なのだ。悪者は成敗しなければならない。


ふと「暴れん坊将軍」の話になり吉宗も悪者を殺すのかと夫に訊いた。

そうしたら夫が「あれは峰内だ」と教えてくれてほっとする。

いくら将軍吉宗でも悪者を斬り殺すわけにはいかないだろう。

でも「三匹が斬る」は違う。確かに人の血が流れているのだった。

だからと云って殺人罪で奉行所に引っ張られることはない。

「お咎めなしなのさ」と夫が笑いながら教えてくれた。

夫と一緒に時代劇を見ているとけっこう勉強になって面白いものだ。



夕飯は我が家の定番「天下茶屋」であったが

あやちゃんが気に入らない様子でしばらく食べようとしなかった。

娘が宥めてくれてなんとか「もやし」だけは食べてくれる。

「あやちゃんありがとうね」と声を掛けたらにこっと微笑んでくれた。


気分が沈んでいる時は些細なことで泣きそうになるが

それはあやちゃんも同じなのだろうと思った。

みんなみんな自分の機嫌を取るのに精一杯である。



雨はまだ降り続いているが明日は青空に会えそうだ。

















2024年05月05日(日) 夏が立った日

曇り日。湿度の割に爽やかな風が吹く。

土地の言葉では「沖の風」と云う。海からの南風のことである。


「立夏」暦の上では今日から初夏となった。

梅雨も近くなるがなんと心地よい響きであろうか。

夏が立つのである。すくっと前を向いて立つのである。

私は春を見送りに別れ道まで行かねばならない。



夫が「宇和島方面へ行ってみるか」と言ってくれたのだが

娘達があやちゃんを残して高知市内へと出掛けて行ったので中止する。

いくらもう12歳でも独りで留守番をさせるわけにはいかない。

先日の地震から度々余震がありもしものことを考えずにいられなかった。


結局退屈を持て余すことになったがそれなりに過ごす。

以前なら読書三昧だったが今はそれすら出来なくなった。

気分が散漫とし煙草ばかり吸ってしまうのだった。

集中力は全く無いに等しく落ち着くことが出来ない。


早目に昼食を済ませ横になればすぐに眠くなってしまう。

3時間ほど眠っただろうか。目覚めたら2時を過ぎていた。

洗濯物を確かめに外に出るとなんとか乾いていてほっとする。

今にも雨が降り出しそうな濃い灰色の空だった。


お昼寝をすると寝起きの気だるさは半端ない。

アイスコーヒーを飲みつつ立て続けに煙草に火を点ける。

そんな自分に嫌気が差してくるがどうしようも出来なかった。


やっと頭が冴えて来て短歌を三首書くことが出来る。

いつまで経ってもそれは自己満足に過ぎなかった。

私が発信してから10分もしないうちに俵万智さんが発信していた。

「こどもの日」の短歌である。一首だけ好きだなと思う短歌があった。

反響が凄い。どんどん「いいね」が増えて行くのだ。

知名度と実力である。当然のことながら私とは雲泥の差であった。

比べること自体が愚かではあるが私は口惜しくてならない。

そうして自信を失くし自滅の道へと進んで行くのだった。

けれども書くことを諦めてはいない。私は私の短歌を書くしかない。

そうでなければ生きていた証を残すことが出来ないのだ。





あやちゃんが朝からカップうどんしか食べていなかったので

空腹ではないかと気になり声を掛けたらとても機嫌が悪かった。

干渉と老婆心の区別がつかない。そっとしておくべきだったのだ。

まだ子供だけれど「こども」ではないのだと思う。

そうして「こどもの日」が何事も無かったように暮れて行く。



先日から寝る前にSNSでこの日記のことに触れているが

そんな姑息なことは今後一切やめようと思っている。

以前にもここに書いたことがあるが「一見さんお断り」を貫きたい。

長いことこの日記を読んで下さっている方には理解して頂けるはずである。

決して興味本位で読むような日記ではないと思っている。

包み隠さず真実を書き続けられるのは読者を信頼しているからこそだ。

22年も書き続けて来られたのはその方達のおかげだと思っている。


日記を公開する以上覚悟が必要なのは当然の事だろう。

その覚悟の上で今夜もありのままの一日を記した。


雨の匂いがし始めた立夏の夜のこと。









2024年05月04日(土) 同じ日は二度とない

爽やかな晴天。午後には入道雲が現れまるで夏のようだった。

明日は立夏である。季節はもう初夏と云って良いだろう。


昨日植えた花たちのなんと可愛らしいことか。

今朝は水遣りをしながら「よしよし」と声を掛けていた。

「みどりの日」それは緑に限らずすべての植物を指すようだ。

自然に親しむとともにその恩恵に感謝し豊かな心を育む日である。


見渡す限りのみどりだった。なんと清々しいことだろうか。




先日から届いていた階段の手摺を夫が取り付けてくれることになった。

面倒くさがりではあるがよく思い立ってくれたと嬉しく思う。

しかしそれが思うようにはいかなかった。

階段の壁が板張りではなく石膏ボードのため補強が必要とのこと。

ホームセンターへ行って合板を買って来なくてはいけないのだ。

夫は直ぐに買いに行く気になっていたが娘がストップを掛ける。

GWで混雑が予想されるため日を変えた方が良いと云うのだ。

娘も今日は出掛ける予定があり手伝えないらしく

夫も一人では心細かったのだろう即延期が決定する。

意気投合するところは流石に親子だなと可笑しかった。



午前中にシーツを洗い久しぶりに敷布団を干す。

私は布団を抱えることが出来ず夫が手伝ってくれて助かる。

たっぷりの陽射しであった。わくわくしながら干した布団を見ていた。

今夜はおひさまの匂いがする布団で眠れるのだと嬉しくてならない。


午後は3時前まで寝ていたが「そろそろ入れないとな」と

夫が取り入れてくれて大助かりである。布団はふかふかになっていた。

掛け布団のシーツや枕カバーも洗っていたので少し忙しくなる。

やっとベットに設えるとまたすぐに眠りたくなってしまった。




夕方までにと短歌を三首書き終え暇つぶしに昨年の5月の日記を読む。

自分で云うのも何だが私の日記は大いに暇つぶしになるようだ。


そこには禁煙を決意しダイエットに励む私がいた。

今の私とはまったくの別人のように思える。

意志よりも「医師」だと禁煙外来にも通い始めていた。

おそらく必死の思いだったのだろう。文面からそれが伝わってくる。

「変わりたい」と記してあったがその時の気持ちは何処に行ったのか。

変わるどころか元の木阿弥となりなんと情けないことだろう。

いつの間にか開き直ってしまったのだ。もう我慢はしないと決めている。

それが堕落でなくて何だろう。そうして今はその堕落を愉しんでいるのだ。

リバウンドは半端ではなかった。煙草の量は増え体重は一気に増えた。


一年前の自分を遠い目で見ている。もう戻れないとさえ思える。

生きてさえいればと覚悟を決めたのかもしれなかった。

どうなっても良いとは思っていないがなるようしかならないのだろう。



意外だったのは5月3日の日記だった。

あやちゃんの11歳の誕生日なのに一切そのことに触れていない。

おそらく複雑な事情があり書くことを躊躇ってしまったのだろう。

ほんの一年前のことなのにその時の心境が思い出せないのだった。

「どん底」ならそう記すべきだったのだ。真実を書くべきである。

けれどもそうすることであやちゃんを傷つけてしまうことも在り得る。

触れたら壊れてしまいそうな硝子細工のようだったのだ。


日々こうして書き綴りながら歳月は流れて行くのだろう。

いや流れるのではない。積み重ねて行くのだと思う。

同じ日は二度とないのだ。だからこそ真実を書き残したいものだ。



2024年05月03日(金) 夢で終わらせてはいけない

今日も晴れたり曇ったり。夏日にはならず過ごし易い一日だった。


燕が卵を温め始める。無事に雛が生まれることを願って止まない。

巣がまた少し壊れ掛かっているのが気になっている。

いったい何者が悪さをしているのだろうか。


午後、重い腰を上げやっと花を植えることが出来た。

ガザニアとペチュニア。買ってから6日もそのままにしてあった。

娘がそのうち植えてくれるだろうと思っていたが甘かったようだ。

今日も断られもう自分でやるしかないと腹をくくる。


プランターを抱えることは出来ない。

一度座り込めば立つこともままならかった。

それでもやってみるものでなんとか植えることが出来たのだった。

花のある暮らしは良いものだ。惚れ惚れとした気持ちで眺める。

後は枯らさないように毎日見守るだけである。




あやちゃん12歳の誕生日。朝から笑顔で居てくれてなんと嬉しい。

12年前の日記を読み返しながら感慨深い一日となる。

あやちゃんに読ませてやりたかったがさすがにそれは出来なかった。


そこには初孫の誕生に心浮き立つ私の姿があった。

生まれたばかりのあやちゃんが愛しくてならない。

沐浴をしている写真もあり懐かしくて涙が出そうになった。


書き残して置いて良かったと思う。永遠にとはいかなくても

せめてあと8年。あやちゃんが二十歳になるまでは残して置きたい。

ある日突然に消滅することだけは勘弁して欲しいと願っている。


午後、あやちゃんのクラスメイトが5人も遊びに来てくれた。

それはとても思いがけなくどんなにか嬉しかったことだろう。

最初は照れくさそうにしていたがすぐに打ち解け一緒に遊び始めた。

皆でじゃんけんをし堤防で鬼ごっごをしていたようだ。

私はまるで夢を見ているような気がした。

そうしてそれを夢で終わらせてはいけないと強く思ったのだ。


きっかけさえあればきっと明るい光が射し込んで来るだろう。

一歩踏み出す大きな勇気が芽生えたのではないだろうか。


このままではいけない。変わらなければいけない。

そう強制することは決して出来ないけれど

悩み葛藤し続けて来たこの一年は無駄ではなかったと思う。

自分が選んだことを貫く大きな成長ではなかっただろうか。


生まれて来てくれてありがとう。

これからもずっとおばあちゃんはあやちゃんの味方です。



2024年05月02日(木) 川辺の野ばら

晴れたり曇ったり。爽やかな風が吹き過ごし易い一日だった。

さすが風薫る五月である。なんとも清々しいものだ。


今朝は10匹ほどのカメムシ。おそらく昨日の生き残りだろう。

殺虫剤で殺めることも出来たが敢えてそうしなかった。

義父は昨夜早めに事務所の電灯を消し門燈も点けなかったそうだ。

しばらく油断は出来ないがもう昨日のようなことは無いと思われる。


カメムシ情報があり一昨日近所で大木を伐採したのだそうだ。

その時に大量のカメムシが見つかったらしい。

突然居場所を失ったカメムシが一斉に飛んで来たのだと思う。

カメムシにも蜂のように巣があるかは定かではないが

その大木が棲み処だったのは間違いないようだ。

カメムシにとってはこの上ない災難だったことだろう。

例え害虫であってもいのち在るものには違いない。

彼らも生きるために必死なのだった。





週一のリハビリのため今日も3時前に退社する。

明日からGW後半であるが工場の仕事は完了出来ないままとなる。

もう部品が手に入らないのだ。仕方なく諦めるしかなかった。

大手は10日間も休業である。なんと贅沢なことだろう。


いつもの整形外科に着き受付で何気なく診察券を見たら

初心がちょうど2年前の5月2日であった。

もう2年と思うよりまだ2年なのかと思う。

ずいぶんと前から足の痛みがあったような気がしたのだ。

今はもう痛みも薄れて苦痛を感じることも少なくなったが

痛み止めが効かず毎日が辛かったことを一気に思い出す。

杖を付くようになったのはいつからだったのだろう。

それもずいぶんと前からのように思えてならなかった。


帰宅して2年前の日記を読み返していた。

その日は祭日振替で仕事は休みだったようだ。

意を決して整形外科を受診したことが記されていた。

「持病が増えた」とかなりショックだった様子である。


足を痛めたきっかけは何だったのだろう。

5月の日記には何も記されておらず4月の日記も読み返した。

それは海苔養殖場の撤収作業である。よほど無理をしたのだろう。

40年以上も続けて来た家業でもう慣れているはずであった。

それを歳のせいにするのも情けないことだが現実は厳しかったのか。

川の中を歩き回りおそらく水圧が足に負担を掛け過ぎたのだと思われる。


その年の青さ海苔は全滅であった。もちろん収穫はゼロである。

その虚しさを希望に変えるのは並大抵のことではなかった。

そうして休業を決めて2年目の春となったのである。

諦めずに続けていた同業者も多いが今年も全滅だったそうだ。

それでも撤収作業はしなければならない。もう希望どころではあるまい。

掛ける言葉も見つからなかった。なんと気の毒なことだろう。


夫は「おまえの足がきっかけだったかもしれんな」と云う。

私もそう思っている。もう限界だったのだろうと。


手術以外に完治の見込みはないと医師は云うが

私の目下の目標は杖を付かずに歩けるようになることだ。

リハビリを頑張っていればそれも夢ではないだろう。


「野ばら咲く川辺の道を思い出すあの頃は幾らでも歩けた」








2024年05月01日(水) 三匹が斬る

夜明け前からの雨が一日中降り続く。

柔らかな絹のような雨だった。

そうして5月が始まる。ほんの少し新鮮になったようだ。


今朝は職場に着くなり大騒ぎになる。

事務所の周りや中までカメムシの大群であった。

死骸が多かったが生きているカメムシも居る

鼻を突くような悪臭が漂いたじろぐような光景である。

臭いさえなければまるでえんどう豆をぶちまけたような有り様。

仕事どころではなくなり同僚に手伝ってもらい払い集める。

玄関の門燈の下が一番酷かった。カメムシの背中にまたカメムシなのだ。

とても数えられなかったがおそらく千匹を越えていたのではないだろうか。

同僚がビニール袋に詰め込んでくれて一件落着となったが

大量発生しているのなら明日の朝も同じ光景になるかもしれない。


カメムシの生態について少し調べてみたら

4月が繁殖期で5月から8月が産卵期なのだそうだ。

寒くなれば家屋に浸入し越冬するとありぞっとする。

一匹や二匹ならともかく大量発生だけは勘弁して欲しいものだ。




午後には仕事が一段落していたので3時前に退社する。

ゆっくりと買い物が出来るのは有難いことだ。

メインは塩焼きそばにしてお刺身用の鰹を買って帰る。

「えらい早いじゃないか」と夫がびっくりしていた。


5時まで夫と一緒に「三匹が斬る」を見ていた。

夫は時代劇が好きで毎日録画をして見ているようだった。

高橋英樹や役所広司のなんと若いことだろう。

それもそのはず30年以上も昔の番組なのだそうだ。

必ず悪代官が出て来て最後には成敗されるのだが

如何にもチャンバラらしく勇ましく斬りまくるのである。

「ねえ、みんな斬られて死ぬの?」夫に訊いたら

「当たり前じゃないか悪者なんだぞ」と笑いながら応える。


悪者の家来でも悪くない人もいるかもしれないのだ。

その家来にも家族が居て小さな子供も居るかもしれない。

そんなことを考えもせずに皆殺しにしてしまって良いのだろうか。

いくら正義の味方でもあまりにも配慮が足らないように感じる。

今日だけでもざっと30人は殺されたようだ。

これが毎日となるとどれほどの命が絶たれることだろうか。


夫に言えば「あほか!チャンバラとはこう云うもんじゃ」と笑う。

「けんど・・けんどよ」と私がもぞもぞと反論しようとすると

「おまえはもう見んでもええ、飯でも作りよれ」となるのであった。


やっぱり夫とは価値観が違うのだなと思うのだが

男の人はみんなそうなのかもしれない。

夫は明日も楽しみにしているようだ。




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