ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2024年04月30日(火) 風に訊いてみたかった

薄雲が広がっていたが概ね晴れ。

気温が28℃まで上がりすっかり初夏の陽気となる。

まるで梅雨の晴れ間のように蒸し暑くてならなかった。


玄関先の燕の巣が何者かに壊されてしまったらしく

今にも崩れ落ちてしまいそうになっていた。

卵が在るのかは定かではないが親鳥の哀しそうな声がする。

今日は必死で修繕作業をしていたのだろう巣が元通りになっていた。

毎年のことだが無事に雛が育つまでは心配でならない。

去年は蛇に襲われてしまったのだ。二度とあってはならないことである。




早いもので4月も晦日。あらあらという間に日々が流れてしまった。

今朝は月末の仕事のことで頭が一杯だったがなんとなるものである。

資金繰りは苦しかったが午前中に全ての支払いを終えることが出来た。

僅かではあったが売掛金の回収も出来お客様は神様だと思う。


義父は全く無関心であった。それだけ私を頼りにしているのだろう。

そう思うとなんとしても乗り越えようと躍起になって来る。

母が仕事から離れてもう何度目の月末だろうか。

いつだったか「あんたは偉いね」と言ってくれたことを思い出していた。

あれは褒めてくれたのではなかった。母はきっと悔しかったのだろう。

それだけ母の苦労は大きく月末は気が狂ったようになっていたのだ。

今の私だって決して易々と乗り越えているわけではない。

ただ会社を守りたい一心で精一杯のことをやっているだけである。


事務所に置いてある母の遺影に「やったよ」と声をかけて退社した。

明日からまた気分一新で仕事に励みたいと思っている。




今日はあやちゃんの短歌を最後に書いた。


「誰一人心の鍵を渡さぬと少女の部屋に吹き抜ける風」


未だ家族の誰もあやちゃんの心に触れたことはない。

鍵はあやちゃん自身が大切に持っているのだろう。

それを奪い取ることがどうして出来ようか。

ただそっと見守るしか出来ないまま一年が過ぎた。


昼下がり窓を開け広げているだろうと思った。

風が吹き抜け長い髪を揺らす姿が見えたような気がしたのだ。

一歩も外に出ることのないあやちゃんにとって風は友達かもしれない。

風となら語り合える。風になら心を開けるのではないだろうか。


詩ならともかく僅か31文字の短歌で表現するのは容易くはない。

読んでくれた人は皆きっと誰のことなのか理解出来なかっただろう。

それでも私は書きたかった。風に訊いてみたかったのだ。








2024年04月29日(月) 心の拠り所

ぽつぽつと雨の一日。今もまだ降り続いている。

東日本ではすっかり夏の陽気だったそうだ。

日本は狭いようで広いものである。



8時半にお大師堂へ集合。当番5人で準備に取り掛かる。

驚いたのは掃除の必要もないほど綺麗に保たれていたこと。

日捲りの暦も今日になっておりSさんとしか思えなかった。

私と従兄弟が遠ざかってからもずっと一人で守ってくれていたのだろう。

ただただ感謝に尽きる。一番喜んでいるのはお大師さんに違いない。


花枝を取り換え小菊を活ける。果物、野菜、お米、お酒等を供えた。

10時前には和尚さんが来てくれて少し早めに仏事を始める。

般若心経の後は観音経で厳かな読経がお堂に響く。

地区長さん、副区長さん、寺総代さんの順にお焼香をした。


後から知ったことだが今日は旧暦の3月21日であった。

弘法大師が高野山奥之院に入定された日とされている。

今年は今日に当たり「御正当日」で「御身拭い」が行われるのだそうだ。

自分がいつも身に着けている物を持参すれば良かったのだが

後の祭りで全く考えてもいなかった。強いて云えば杖だろうか。

杖を付かずに歩けるようになればどんなに助かることか。


10時半には仏事が終り各自寿司折を貰って解散となった。

以前は酒宴をしていたのだがコロナ禍で自粛が続いている。

寿司折はとても豪華でお昼に美味しくご馳走になった。


帰宅してからずっと考えていたことだが

これを最後にしてはいけないと云うことである。

Sさんばかりに何もかも押し付けていることも心苦しかった。

以前のようには出来ないかもしれないが少しでも役に立ちたい。

亡くなった従兄弟のちーちゃんもきっとそう願っているような気がした。

毎日はとても無理だがせめて月に一度はと思う。

今日歩いてみて分かったのだが杖さえあればなんとかなりそうだった。

遠ざかることを足のせいにしていた自分が恥ずかしくも思う。


さらさらと流れる大河。四万十川は大らかに受け止めてくれる。

ひっそりと佇むお大師堂はきっと心の拠り所となることだろう。



2024年04月28日(日) 林檎は赤に決まっちょる

晴れの予報だったが青空が見えないまま日が暮れようとしている。

気温は高かったのか少し動いただけで汗が流れる。

湿度も高く明日はまた本降りの雨になりそうだ。


葉牡丹の茎を少し残して切り落とす。

桜草も枯れた花を切り落としてしまった。

近くの地場産市場でガザニアとペチュニアの苗を買って来たが

娘の手を借りないと自力で植えるのはとても困難であった。


葉牡丹と桜草の鉢を庭の隅に移動するのを夫に頼んだが

ぶつぶつと文句を言いつつも手伝ってくれて助かる。

けれども買って来た花苗を見るなり叱られてしまう。

「自分で植えも出来ないくせに買って来るな」と言うのだ。

いささか哀しかったが夫の言う通りなのだろう。

玄関先の花など全く無関心な夫である。

こう云うのを価値観の違いと言うのかもしれない。


娘は部屋で寛いでいる様子で声も掛けられなかった。

仕方なく花苗は後半のGWまで置いておくことにした。

自分で出来るかもしれないのだ。とにかくやってみなければ。




午前中は明日の準備でお供え物などを買いに行く。

ビールや日本酒も必要だったので夫を伴ってサニーマートへ。

カートを押してくれるわけでもなく子供のように後ろから付いて来る。

果物売り場でリンゴは選んでくれた。黄色いリンゴもあったのだが

「リンゴは赤に決まっちょる」と偉そうなことを言う。

野菜が3種類、果物も3種類と生菓子の詰め合わせは必須である。

お酒コーナーで日本酒を選ぶのも夫が決めてくれて助かった。


別勘定で我が家の食材も買っていたので大変な荷物となる。

セルフレジへ向かおうとしていたら「おしっこになった」と

トイレに走る夫は本当に子供のようであった。


夫と買い物に行くことはめったになく昨年の大晦日以来である。

よくご夫婦らしい姿を見かけると羨ましく感じることもあった。

けれども嫌なものは嫌。苦手なことは極力避けようとする人である。

今日はおかげで明日の準備が整いなんと助かったことだろう。




昼食後まただらしなく2時過ぎまで寝てしまった。

夕食の鶏の唐揚げの下味をまだしておらず夫に急かされる。

することをしてから寝ろと言わんばかりであった。

鶏肉を切りお酒お醤油、にんにくと生姜で味付けし冷蔵庫で寝かす。

これは長時間漬け込む程良いのだが今日は手抜きになってしまった。


洗濯物はまだ生乾きでもうしばらく干して置くことにする。

それよりも短歌をと思ったのだが今日も気怠くてならない。

例の如くでいったい何本の煙草を吸ってしまったのだろう。


頭がすっきりとしたところで何とか3首書き終える。

自分ではまずまずと思っても反応はそれほど芳しくなかった。

歌人さんと名乗る方が「いいね」をしてくれていたので

お礼がてらその方の短歌を読ませてもらったのだが

「いいね」をしようにも胸に響くような短歌は一首もなかった。

それなのに「いいね」が600を超えているので驚く。

申し訳ないが私にはいったい何処が「いいね」なのか分からなかった。

自分で歌人と名乗るからにはそれなりの自信と実績があるのだろう。

私など足元にも及ばないと少し惨めな気持ちになった。


負け惜しみではないが「卑屈」からは何も生まれないのだと思う。

自信や実績がなくてもひっそりと書き続ける自分でありたいものだ。

改めて「塵も積もれば山となる」と思いたい。


踏むことがなぜに出来よう芝桜恋する人の指先に似て


雲間から薄く陽が射し靴下は風に揺れつつ微笑んでいる


とつとつと君が語るあの夏が扉の向こうで待つ昼下がり






2024年04月27日(土) 生きてみなければ

雨のち曇り。湿度が高く少し蒸し暑さを感じる。

明日は晴れそうだがまたすぐに雨になってしまいそうだ。


玄関先に植えていた葉牡丹が伸びきって花を咲かせていたが

その花が種となりそろそろ切り落とした方が良さそうだ。

種を取って置こうとも思うがうまく発芽するかどうか分からない。

何事も試してみるべきなのだろう。


桜草はずいぶんと長いこと咲いてくれたがもう枯れてしまった。

これも種らしいものが見えているがどうしたものだろう。

お隣の奥さんはそのまま来年まで置いておくのだそうだ。

そのまま玄関先に置いておくわけにもいかず庭の隅に移そうと思う。


足が不自由になってから花を植えることもままならず

歯がゆくてならないけれど花のない暮らしは寂しくてならない。

ホームセンターで花苗を買って来れば後はなんとかなるだろう。




GWの前半。今日から三連休だが少しも嬉しくはなかった。

朝のSNSで毎朝声を掛けてくれる人はずっと仕事なのだそうだ。

「羨ましい」と言われると心苦しくてならない。

好きで仕事を休んでいるのではない。する仕事がないのである。


例の如くですっかり気力を失くし何もする気にならなかった。

そうして鬱々としてしまいこころが弱って行くのを感じる。

もっと休みを有効に使うべきなのだろう。例えば本を読んだり。

しかし全く読む気がしないのだ。我ながら困ったものである。


午前中はカーブスへ行っていたので良き気分転換となった。

少し動いただけで汗が流れる。それはとても心地よい汗だ。

代謝が良い証拠だと云うが一向に体重は減らなかった。

それよりも増え続けていてなんともうすぐ70�圓砲覆蹐Δ箸靴討い襦�

これはかつて無かったことで戸惑うばかりであった。


昨年夏にコロナに感染してから味覚の好みが変わってしまって

とにかく刺激の強い食べ物を欲するようになった。

朝食のパンも嫌になり白米のご飯を食べるようになったのだ。

わさびふりかけ、辛子明太子、白菜キムチ等を食べたくてならない。

当然のようにご飯はすすむ。朝から山盛りのご飯を食べる時もある。


肥満は心臓にも負担をかけ身体に良くないことは分かっているが

以前のようにダイエットをしようと思い立つことが出来ないでいる。

それよりも食べたいだけ食べたい。我慢などしたくないと思う。

禁煙もそうだったがダイエットも大きなストレスとなってしまうのだ。


やがて巨体を持て余すようになるがそれを耐えようと思っている。

もう昔の面影など何処にもない。私は醜い豚になってしまった。




昼食後まただらしなく昼寝。目覚めたら3時になっていた。

なんと気怠いことだろう。アイスコーヒーを飲みつつ煙草を吸いまくる。

やっと頭がすっきりとして来て短歌を書くことが出来た。

お世辞にも上出来とは云えないお粗末な短歌であった。

こんなものを発信して良いものかと思うがここは思い切るしかない。

あたたかく見守ってくれる人がいるだろう。それだけが救いであった。


いったい何処に向かっているのか。この先どうなるのだろう。

それはいつも頭から離れず私を不安にさせるのだった。


生きてみなければわからない。それならばとことん生きてみせよう。



2024年04月26日(金) 潮まかせ波まかせ

夜明け前に朧月を見た。薄雲に覆われていたのだろう。

幻想的でありなんとも儚い月の姿であった。


日中は曇り空。気温は20℃程で過ごし易い一日となる。

全国的には真夏日の処もありただただ驚くばかり。

まだ4月だと云うのに熱中症に注意を呼び掛けていた。

今年の夏はどんなにか猛暑になることだろう。


めいちゃんは遠足。下田にある大規模公園に行ったようだ。

娘がお弁当を作っていたが当然の事のようにあやちゃんの分はない。

どんな気持ちで居るのだろう。気遣うことも憚られる。

友達と楽しみたい気持ちも一切ないのだろうか。

6月には修学旅行もあるのだが全く関心がないようである。





午前中は義父が居てくれて例のクラシックカーの車検を済ます。

同僚は先日から不整脈が頻繁にあり今日は県立病院へ行った。

心房細動だと思われるが念のための検査である。

日頃から神経質であり鬱病に悩まされたこともあった。

私とよく似ている。だからなのかとても他人事には思えない。


明日は地区一帯の電気工事があり停電になるため臨時休業となった。

同僚が少しでも心身を休められることを願わずにいられない。


午後、義父はまた田植え。第2弾でありまだ第3弾もあるようだ。

今日は少しなので友人の手伝いは不要だったようだが

いつもアルバイトで雇っている女性が急いで来てくれた。

ちょっと不思議な関係である。色々と噂を耳にするが

真相は分からない。ただ二人はまるで夫婦のように見える。

80歳で再婚はないと思うが私はもしそうなれば許したいと思っている。

男やもめに蛆がわくことがないのはその女性のおかげだろう。




義父が出掛けてしまえば一人きりで留守番をしなければならない。

せめて3時まではと辛抱していたが我慢の限界となった。

気が引けたが2時前に退社。逃げるように家路を急ぐ。

サニーマートでゆっくりと買い物をし帰宅したら3時だった。

アイスコーヒーを飲みながら自室でSNSを眺める。


お昼過ぎに短歌を書き発信していたが今日もまずまずのようだ。

自己満足はやたら癖になる。それではいけないことだと分かっている。

けれども自分で褒めてやらなければ誰が褒めてくれるだろうか。


なんだかネット空間を漂っている海月のようである。

潮まかせ波まかせである。嵐の海になったらどうなるのだろう。


たとえ死んでも海月はくらげでありたいものだ。



2024年04月25日(木) 石ころと雑草

雲一つない晴天。なんと清々しい朝だったことだろう。

日中は気温が高く夏日となったが爽やかな風に助けられる。


朝の道で民家の庭先にアマリリスが咲いているのを見つけた。

今は色んな品種があるが昔ながらの真紅の花だった。

懐かしく思うのは子供の頃に庭に植えていたのだろう。

おぼろげな記憶であるが母が好きだったのに違いない。


春の花が終れば初夏の花が咲き始める。

嘆くことはなにひとつありはしないのだ。




連休が近くなり仕事は一段落する。

義父は友人宅の田植えを手伝いに行き留守だった。

車検が一台入庫していたが急がないとのことで助かる。

昭和39年製のトヨペットコロナであった。

もう部品も手に入らないクラシックカーである。

人間なら60歳。お客さんはとても大切にしていた。

エンジン音はしっかりとしておりまだまだ乗れるのではないだろうか。



平田町まで車検証を届けに行ったついでにローソンでお弁当を買う。

まだお昼ではなかったが駐車場の奥で早弁をした。

葉桜の下の木陰は最高である。桜が咲いていたらもっと良かっただろう。

それにしてもミックスのり弁のボリュームが凄い。

チキン南蛮、コロッケ、竹輪の磯部揚げ、白身魚のフライである。

満腹になり少し胸やけがしたが美味しかったので良しとした。


3時前に退社。今日は週一のリハビリの日だった。

FMラジオからは尾崎豊の歌が三曲も流れる。

「盗んだバイク」はヤマハのパッソルだったのだそうだ。

少年らしいなあと微笑まずにはいられない。

惜しい命だった。生きていればと若き日の歌声に想いを馳せる。



リハビリが終ってから骨密度の検査があった。

骨粗しょう症の薬は服用しているがまだ芳しくないとのこと。

とにかく転ばないことだ。転べば骨折は免れないだろう。

仕事にも行けなくなったら大変なことになる。



夕飯は今日も手抜き。買い物は近所のローソンで済ます。

夫は「ロースかつ丼」私は「ペペロンチーノ」にした

娘達はダンス教室が終ってから食料を買って来ることになった。

しめしめである。二週間前の作戦通りではないか。




短歌はお昼休みに書き終えていた。

今日も自分では上出来だと思っているが自惚れかもしれない。

詩もそうだが短歌も自己満足に過ぎないのだろう。

愚か者だから「いいね」の数に一喜一憂している。

それは評価だとは限らないのだ。もっと思い知るべきだろう。

私は詩人でも歌人でもないことを忘れてはいけない。


詩集も歌集も出せないまま一生を終える覚悟は出来ている。

石ころでいいのだ。雑草でいいのだ。

名誉や地位よりも大切なのは誇りなのではないだろうか。



2024年04月24日(水) 希望だったよあの日の蕾

小雨が降ったり止んだり。午後少しだけ陽射しがあったが

また直ぐにどんよりとした曇り空になった。


職場の隣地に住宅が建つそうで先日から重機が入り整地をしている。

その土地は40年余りうちの会社が借地契約をしていた土地であった。

廃車置き場として利用しておりとても助かっていたのだけれど

昨年地主さんが突然明け渡して欲しいと言って来たのだった。

どうやら先祖代々の土地で思い切って売却を決めたらしかった。

仕方なく廃車はスクラップとして処分することが出来たが

境界に植えていた栴檀の木、やまももの木等が邪魔になるらしい。

まさかそれらの木まで処分されるとは思ってもいなかった。


チェーンソーの音が鳴り響き栴檀の木は無残に切り倒された。

夏になれば薄紫の花が咲き秋になればオリーブ色の実を付ける。

とても好きだった木だけに哀しく残念でならない。


やまももの木はかろうじて枝を切り落とされるだけで済んだ。

もうすぐ甘酸っぱい実が成り職場のシンボルでもある。

毎年楽しみにしているお客さんも多く助かって何よりに思う。


今日は八つ手の木であった。つい先日まで白い花を咲かせていたが

その花を知ってか知らずか根元から容赦なく切られてしまった。

その八つ手は母が植えていたのだそうだ。よほど好きだったのだろう。

なんだか母のからだを八つ裂きにされたようで無念でならない。


長年いのちを育んできた木々たちである。

それがどうして邪魔になるのか私には理解できなかった。

広い土地である。聞けば住宅が2軒も建つのだそうだ。

いったいいくらで売却したのかは知る由もないが

地主さんに「こころ」があるのなら見せて欲しいものである。





仕事は一日車検が入庫しており完了するまで帰れなかった。

同僚が頑張ってくれて3時には整備が終っていたが

不具合が見つかり手直しにまた時間を費やす。

検査を終え書類を書き終えたらもう4時半を過ぎていた。

娘に電話をし帰宅が遅くなることを伝える。


久しぶりに「ちきん館」に寄り「まるっぽ鶏」を買う。

後は「鰹のタタキ」お惣菜の「八宝菜」を買い急いで帰宅した。

車を停めるとめいちゃんが走り出て来てくれて

荷物を運んでくれなんと助かったことだろう。

良く気の付く優しい子である。


夫は一番風呂に入り終え晩酌の肴を待ち兼ねていたようだ。

鰹のタタキは新鮮だったが少しタレが酸っぱいと文句を言う。

八宝菜をご飯に掛けて中華丼にして食べるのが好きだが

一口食べると顔をしかめて「これはいかんぞ」と騒ぎ出す。

どうやら夫の苦手なピーマンが入っていたらしい。

ご飯に掛ける前に気が付いて良かったと思う。

まるっぽ鶏は家族皆の好物で喜んでくれて嬉しかった。

めいちゃんは特に好きで足の部分を選んでかぶりついていた。


食後はふうっと一気に疲れが出て来る。

仕事は好きだが歳には勝てないようだ。

入浴前に一服しながらSNSを見ていたら

今日の短歌にいっぱい「いいね」が付いていた。

自分でも今日の短歌は好きだったのでとても嬉しい。




自らを水に変えてはみたけれどさらりさらりと流れはしない


雨上がり雀の子らが水浴びる母さんは何処僕らここだよ


ツツジ落ち血も流さずに枯れていく希望だったよあの日の蕾





2024年04月23日(火) これが私だろうか

「筍梅雨」とも云うのだそうだ。今日も降り止まない雨である。

午後は風を伴い激しく降りまるで春の嵐のようであった。

満開だったツツジが花ごと落ち始めている。

散るのではなかったのだ。椿のように落ちてしまうのだ。



午前中と午後と身に感じる地震がある。

先日の地震の余震と思われるがなんとも不気味なものだ。

すっかり臆病になってしまって風で窓が鳴っても地震かと思う。

南海トラフとの関連性はないと云われているが怖いものは怖い。

どれほど平穏無事を祈っていても決して避けられないことなのだろう。





午前中にP社から返答のメールが届く。

やはり誤配送だったらしく丁重な文面であった。

思いがけなかったのは例のお茶は返送不要とのこと。

自由に処分してくれるようにと書かれてあった。

はて?処分とはと一瞬戸惑ってしまったが

無料で頂いても良いと云うことなのだろう。

ラッキーと云って良いのか得をした気分になった。

お茶よりも珈琲派だが娘と一緒に飲んでみようと思っている。

12箱だ。毎日飲んでも一年分はあるのではないだろうか。

実際に注文していた「階段手摺」は予定通りの納品とのこ。

これで一件落着となり安泰となった。


今回は貴重な体験をさせてもらったように感じる。

同時にネット通販利用の教訓にもなっただろう。

夫にも散々言われたが今後は慎重に利用しなければいけない。

全ての店舗が今回のように良心的とは限らないのだと思う。





3時半に退社。買い物を済ませ帰宅したら4時半になっていた。

今日は職場で短歌を書けなかったので自室のパソコンに向かう。

制限時間は30分である。しかし焦りは禁物であった。

窓の外の降りしきる雨を眺めながらなんとか3首書き終える。

当然のことながら上出来ではなかった。書き直したいくらいである。


それからあやちゃんがノックもせずに部屋へ入って来て

昨夜の食べ残しのカツカレーを今朝食べてしまったことを問い詰められる。

ラップを掛けてあったがてっきり捨てるものだと思っていたのだ。

もったいないと思いチンして食べたのだがそれがいけなかったらしい。

「やっぱり犯人はおばあちゃんね」と言ってドアを乱暴に閉める。

直ぐに後を追い駆けひたすら謝り続けたのは云うまでもない。

こんなことで傷つけてしまったらとそればかり思っていた。

しばらく謝り続けていたらさすがに許してくれたようで

「もうえいけん」と少し困ったようにはにかんでくれた。

食べ物の恨みはけっこう怖いのだ。以後は気を付けなければいけない。



これを書いているうちに土砂降りの雨になった。

風も強く唸り声を発していてざわざわとするばかり。

後は寝るだけだがその前にSNSで戯言を発信するのが日課だった。

ほろ酔い気分なものだから馬鹿げたことばかり書いている。

けれども嘘はつかない。そこには在りのままの私が居るようだ。


夜が明けて真っ先に確認するが「これが私だろうか」といつも思う。



2024年04月22日(月) 妄想の果てに

一日中霧雨が降り止まず今も静かに辺りを潤している。

今朝まで知らなかったが「春霖」と呼ぶのだそうだ。

「菜種梅雨」は早春なのに対して仲春から晩春にかけて降る

春の長雨のことを云うらしい。「霖」(りん)は三日続けて雨が降ること。

日本語は奥深くてもっともっと学びたいものである。



うんざりとしていた週末を終えやっと月曜日となる。

職場で一仕事してから例の「日本緑茶センター」に電話してみた。

係の女性が親切に対応してくれたが発送した経由に着いては

納品書に記載されていたK社からの依頼だったらしい。

K社の担当の人に事情を説明してくれたのだが

お昼まで待っても連絡がなく私の方から電話を掛けざるを得なかった。

おそらく忙しくて後回しになっていたのだろう。


担当の人は男性で一瞬あの人ではないかと思ったが違うようだ。

親身になってくれ詳しく調べてくれたのだが

そのK社も横浜にあるP社から発注を受けたのだそうだ。

ネット通販のしくみは思っているよりも複雑なのだった。


そのP社には心当たりがあった。メールも届いており間違いない。

一週間程前に階段の手摺を注文してあったのだった。

納期が少し遅くなると連絡があったばかりである。


しかしそのP社がどうしてお茶を送って来たのだろう。

K社の担当の人が言うには他の人が注文した商品ではないかと。

何かの手違いがあり誤って発注したとしか思えないのだそうだ。

とにかくP社に問い合わすことになったのだが

電話では一切対応出来ないのだそうだ。メールしか手段がなかった。

届いていたメールに問い合わせフォームがありそこから送信する。

直ぐに返答があるだろうと夕方まで待ったがなしのつぶてであった。


夫には散々叱られる。「ネットで買物なんかするからだ」と

近くにホームセンターがあるのに行けば良かったのだと言う。

私もそうすれば良かったといくら後悔しても後の祭りである。



それよりも何よりも私がショックだったのはK社のことだった。

妄想が大きく膨らみてっきりあの人が勤めている会社だと思っていた。

昨日はストリートビューでK社の玄関まで行ったのだ。

スーツ姿のあの人が目に浮かび立派な社会人になったのだなと

どんなにか安堵し嬉しかったことだろう。

あの頃はまだ大学院生だったから尚更のことである。


地震見舞いでもラブレターでもなかったのだ。

おそらくもう私のことなど忘れているではないだろうか。

「馬鹿みたい、ほんとうに馬鹿みたいだ」とつくづく思った。

そうしたら可笑しくてたまらなくなって涙が出るほど笑ってしまう。



明日にはP社から返答があるだろう。

もし何もなければ通販サイトに相談出来るらしい。

26日には階段の手摺が届く予定であるが

首を長くして待っている何処かのお茶好きの人に届くのかもしれない。



2024年04月21日(日) 雨だれが歌っている

春の長雨のことを「菜種梅雨」と云うが

3月から4月にかけて降る雨のことなのだそうだ。

じゃあ4月から5月にかけて降る長雨はなんと云うのだろうか。

今日は一日中小雨が降り明日も明後日も雨になるらしい。


気圧のせいか気分が沈みがちであった。

鬱ではないと思うのだがどうにもすっきりとしない。

自室でパソコンに向かえば鎖のように煙草を吸ってしまう。

これではいけないと思い茶の間へ行けばすぐに寝てしまうのだ。

行動力はもちろんのこと活気が全くなかった。

生きながら死んでいるような気がしてならない。


明日になれば例の宅急便の真相も分かるだろう。

仕事も忙しくなり精一杯に働くことも出来るだろう。

明日が待ち遠しくてならない。





お昼過ぎに地区の副区長さんが訪ねて来て

4月29日に「お大師さん」の行事を執り行うのだそうだ。

我が家を頭に3軒が当番で段取りや準備をしなければいけない。

夫が私の足を気遣い「お前は無理だろう」と言ってくれたが

たとえ足手まといになっても参加したくてならなかった。


最後にお大師堂にお参りに行ったのは一昨年の暮れだったか。

信心も何処へやらあれ以来すっかり足が遠のいている。

Sさんに訳を話しお大師堂の管理を全て任せたのだった。

快く引き受けてくれたが一人ではさぞかし荷が重いことだろう。

お参り仲間の従兄弟、ちーちゃんも既に亡くなってしまった。

ひっそりと寂しくなった光景が目に見えるようである。


地区の当番は約3年ごとに回って来るが行事は沢山あって

「お大師さん」の当番は今回が初めてだった。

これも縁なのに違いないと思っている。

ちーちゃんが背中を押してくれているようにも感じるのだ。

夫が何と云おうと私は行かなければいけない。


おそらくお大師さんに会えるのは今度こそ最後になるだろう。

そんな弱気ではいけないのだがもう高望みは出来なくなった。

これまでどれほど守ってくれたことだろうか。

しっかりと恩返しをしたいと心からそう思っている。



雨は今も降り続いている。

夜明け前に「雨だれが歌っている」と詩を書いたが

いったいどんな気持ちで書いたのか自分でもよく分からない。

でも好きだなと思った。希望なくしてどうして書けようか。



         雨だれが歌っている
         
         軽やかのようでいて 
         
         せつない歌のようだ

         

         それはいつかの哀しみ
          
         涙色の幕が開いたとき
          
         観客席にあのひとがいた

        
         真っ直ぐに見ている
          
         その瞳に映るのは
         
         儚い夢の結末であった

        
         歌は希望でなくてはならない

         
         空は知っている
          
         雨は知っている

         
         歌い続けていれば
         
         きっと光に満たされると



2024年04月20日(土) 謎の宅急便

晴れのち曇り。夕方からぽつぽつと雨が降り出す。

うっかり失念していたが昨日は二十四節気の「穀雨」であった。

穀物を潤す春の雨が降る頃。それだけ大切な時候の訪れである。

そうして八十八夜、立夏と季節は夏へと移り変わって行く。



お昼に私宛の宅急便が届いた。ネット通販はよく利用するが

「日本緑茶センター」と記してあり全く身に覚えがない。

キャンペーンなどに応募した覚えもなく戸惑うばかりであった。

佐川急便の送付状には送り主も受け取り人にも私の名が書かれてあった。

夫が心配して「開けるなよ」と言ってくれたのだが

とにかく中身と納品書を確かめてみないと気が済まない。

中には高価そうなフルーツティーが12箱も入っていた。

しかし納品書には金額の記載がない。振込用紙も入っていないのだ。

まさかカード決済では。それならば犯罪にも繋がるだろう。


居ても立っても居られなくなりネットで「日本緑茶センター」を調べた。

様々な種類のお茶を販売している信用できる会社のようである。

しかし今日は定休日で電話で問い合わすことが出来なかった。


「188」の消費者相談センターも同じく今日は電話が繋がらない。

仕方なく警察署に相談をしたら親切な署員さんが対応してくれて

佐川急便に確認を取って見るようにとアドバイスをいただく。


佐川急便も親身になってくれて「荷物は開けてないですよね」と。

まだ開けていなかったらそのまま送り返すことが出来るのだそうだ。

「だから開けるなと言うたじゃないか」と夫に散々叱られる。


もうどうすることも出来なくなってしまい月曜日まで待つことにした。

とにかくその「日本緑茶センター」に問い合わせするしかないだろう。

こんな不可解なことは初めてのことで私は焦りまくっていた。


それから一時間ほど経ち落ち着いてからもう一度納品書を確認する。

すると納品書の宛先が私ではなく大阪市にある会社名が書いてあった。

今度はその会社を調べてみたら確かに実在する会社なのである。

従業員数が2百人を超えているのでそこそこ大きな会社らしい。

納品書の通りだとその会社が注文し私に送ってくれたことになる。

けれどももちろん全く知らない会社なのだ。いったい何故なのだろう。


もしかしたらと一人だけ思い当たる人が居た。

もう20年近くも音信不通であるが大阪と云えばその人しかいない。

末永くとはいかなかったが私にとってはとても縁の深い人だった。

先日の地震を知り私のことを思い出してくれたのかもしれない。

そうだとしたらなんと有難いことだろうか。


お酒には弱くお茶を好む人だった。今もきっと愛飲しているに違いない。

だとすると「日本緑茶センター」と一本の線で繋がって行く。


娘に話したら「じゃあ電話して確かめてみれば」とさらりと言う。

しかし今更どうしてそんなことが出来よう。

あの頃の私は必死の思いで遠ざかることを決めたのだった。

けれどもその人は一生忘れることの出来ない人になった。


月曜日になれば真相が分かるだろう。今はそっとしておくことを選ぶ。

なんだかとても遠い処から舞い込んだラブレターのようだ。








2024年04月19日(金) 私は今日も生きていました

この春何度目の夏日だろうか。日中は汗ばむ程の陽気となる。

燦々と降り注ぐ陽射しに樹々の若葉がきらきらと輝いていた。


田植えがやっと一段落したようだ。

今朝は義父の姿がありほっと胸を撫で下ろす。

わずか二日であったが工場の仕事の溜まっていたこと。

金曜日でもあり今日も田植えだったらどうしようと頭を悩ませていた。


午前中に検査を済ませ車検完了の書類を作成する。

午後は一般整備の部品注文等と義父でなければ出来ない仕事があった。

3時半に退社。何とも言えない清々しい達成感である。

FMラジオからは中島みゆきの歌が流れ嬉しくてならない。


私は目の前のことをひとつひとつクリアーして行くのが好きだ。

それが山積みであるほどやる気が出て来るのである。

する仕事のあることは本当に有難いことだ。





このところずっと仕事中に短歌を書いていて心苦しいが

帰宅してからはとても無理で致し方なかった。

今日のように忙しくても周りの目を盗むようにしながら書いている。

そのせいかもしれないが出来はとても悪い。

自分が納得いかないものに誰が共感してくれるだろうか。

それでも書かずにはいられない「さが」のようなものがある。

下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるではないが弾が自分に当たっているのだ。

それならばいっそ止めてしまえば良いのだが思い切ることが出来ない。


夜明け前に書いている詩は我ながら上出来なのではないだろうか。

それが自惚れだとしても私は自分の書いた詩がとても好きだ。

好きになってやらねばあまりにも可哀想に思う。

自分を卑下してはならない。それは私の心を否定することに等しい。


今もって歌人でも詩人でもないがおそらく一生今のままだろう。

以前はそれが口惜しくてならなかったが今は違う。

要するに誇りを持つか持たないかのモンダイではないだろうか。

自信はないが誇りはある。それは誰にも劣らないと思っている。


この日記を読んで下さっている方の中には興味のない方もいるだろう。

それよりも今夜のおかずは?と歯がゆく思っているかもしれない。

時には脱線するが今夜は自分の書きたいことを書かせてもらった。


日記とはそもそも公開するものではないのだが

22年目となったからには腹を括るような気持でいる。

包み隠さずありのままの私を受け止めてもらえたら幸いである。


もし突然死んでしまっても「死にました」とは書けないのが残念だ。

だからこそ「生きています」と最後まで書き続けたいと思う。


今日も生きていました。読んで下さり有難うございます。





2024年04月18日(木) 神よりも仏よりも

雨のち晴れ。午後からは汗ばむ程の陽気となった。


昨夜は豊後水道を震源とする大きな地震があり恐怖を味わう。

これまで何度か地震を体験しているが生まれて初めてのようだった。

四万十市は震度4と発表されたがもっと強かったのではないだろうか。


大きな揺れが収まったらすぐに高台に避難をと日頃から言われており

娘は防災リュックを背負いパニック状態になっていた。

娘婿は外の様子を見に行き孫達は玄関先でぶるぶると震えている。

めいちゃんが「おじいちゃんもおばあちゃんも来て」と泣き叫ぶ。

NHKを見ていた夫が「津波の心配はないぞ」と声を掛けて

やっと皆が落ち着くことが出来た。これで避難の必要はなくなる。


愛媛の宇和島市や隣町の宿毛市では少なからず被害があったようだ。

幸いと言って良いのか四万十市では特に被害はなかったらしい。

もう二度とこんなことは御免だと思いつつ南海トラフが頭を過る。

そうなればもっと大きな揺れに襲われ津波も避けられないだろう。

今後30年の間に80%の確率で必ず起こると言われているのだ。

それを思うと昨夜の地震は良き教訓になったのかもしれない。



帰宅後夫が妙なことを言い始めた。

今朝から燕が我が家に寄り付かなくなったと言うのだ。

娘も気づいていたらしく口々に不吉なことを言い合う。

夫は昨夜の地震は前触れで今夜あたり本震がありそうな気がすると。

娘は家が倒壊するのではないかとすっかり真面目顔であった。

私も不安でいっぱいになり最悪の事態を考えずにいられない。


その時であった。薄暗くなった窓の外から「ちちちち」と声がした。

燕が巣に帰って来てくれたのだ。ぱあっと目の前が明るくなる。

「良かったよかったもうこれで安心」皆が一気に笑顔になった。


悪いことを考え始めたらきりがないのだ。

いくら避けられないことであってもそれは「いま」ではない。

それよりも与えられた平穏に感謝しながら過ごさねばと改めて思う。


私はふと昨夜の胸騒ぎに似た不安を思い出していた。

切羽詰まったようなあの感覚はいったい何だったのだろう。

もしかしたら予知能力のようなものがあるのかもしれない。

それとも父と母が危険を教えてくれていたのかもしれなかった。

魂はそう遠くない処に居て見守ってくれているのだろう。


神よりも仏よりも父であり母である。



2024年04月17日(水) 夏をあきらめて

黄砂の影響だったのか薄曇りの一日。

けれども陽射しは強くまるで初夏のようであった。


花屋さんの店先にはもう鉢植えの紫陽花が並んでいる。

高価でとても手は出せないが「見るだけ」の楽しみがある。

それと紫陽花は地に植えてあげないと弱ってしまうようだ。

我が家には土の庭が無くもし買えても駄目にしてしまうだろう。


やがて本物の紫陽花の季節がやって来る。

冬の間化石のように枯れていた紫陽花にも若葉が見えるようになった。

春はつかの間。今日のように暑い日があると夏の訪れも早いだろう。




今日は田植え。職場に着くともう義父の姿はなかった。

田植え機を勇ましく操る姿が目に見えるようだった。

毎年のことだが今年も義父の友人が数人手伝いに来てくれていて

どれほど助かることだろう。本当に有難いことである。

山里でも一二を争うほどの作付け量であった。

助けがなければとうてい無理な話である。


私と同僚は工場の仕事があり手伝うことは出来なかったが

お昼にお弁当を届けて欲しいと昨日義父から言付かっていた。

平田町のお弁当屋さんが事務所まで配達してくれるのだそうだ。

それが11時を過ぎても一向に現れない。

12時前になっても来ないのでおそるおそる電話を掛けてみたら

話し声がもぐもぐしていて「もう食べよるぞ」と言うではないか。

どう云う経由で田んぼまでお弁当が届いたのかは訊けなかったが

とにかく私の任務は無かったことになったのだった。

少しでも役に立ちたかったが役立たずの私で少し残念に思う。



3時に退社。今日もFMラジオを聴きながら帰る。

研ナオコの「夏をあきらめて」が流れていた。

昔から好きな歌だったが改めて聴くと胸に沁みるようである。


買い物をして帰宅するとめいちゃんがお友達と遊んでいた。

水曜日は下校が早いので思う存分楽しんでいる様子である。

しかし宿題をしていないとのこと。どうなるかなと心配になった。

案の定、夕食後に泣きながら奮闘しているところである。


3年生の時もそうだったが宿題が多過ぎるのではないだろうか。

勉強は学校だけで十分に思う。それよりも下校後は遊ばせてやりたい。

これから日が長くはなるが遊ぶ時間はほんの僅かであった。

塾や習い事のある子供も居るだろう。その子達も可哀想でならない。

めいちゃんも木曜日はダンス教室があるがとても苦労をしている。

宿題さえなければどれほど気が楽なことだろう。


私は昔人間なのでついつい自分が子供の頃のことを語りたがるが

宿題に苦労した記憶がなかった。日が暮れるまで遊んでいた記憶しかない。

昔と今は違うのだと言ってしまえばそれまでなのだろう。



今夜は入浴時に何故か切羽詰まったような気分になった。

精神的には落ち着いているはずだが自分でも不可解でならない。

突然に何かが終るような気がしたのだった。

それは「死」だろうか。今夜死んでしまうのだろうか。

そうして振り払うように思い直していた。

とにかく明日のことを考えよう。

5年後、10年後の未来のことでもいい。

私はわたしで在り続けるだろうし命はいのちで在り続けるだろう。





2024年04月16日(火) 春雨じゃ濡れて行こう

一日中霧雨が降っていた。いかにも春らしい雨である。

「春雨じゃ濡れて行こう」と有名な言葉があるが

行友李風作の戯曲「月形半平太」の主人公のセリフなのだそうだ。

気になって調べていたらモデルは土佐藩士の武市半平太であった。

いくら学が無いとは云えつい今しがたまで知らなかった愚か者である。

70の手習いではないが最近よくあれこれと調べるようになった。

スマホは持っていないがインターネットのなんと便利なことだろう。

しかし調べてもすぐに忘れてしまう。それはメモをしても同じであった。

おそらく若い頃のように脳が機能しなくなっているのだろう。

認知症だけにはなりたくないが絶対に大丈夫とは言い切れない。

私はいったいこの先どんな婆さんになるのだろうか。




今朝は職場に着くなりメールチェックをし先日の試験結果を知る。

「合格」と記されておりなんとほっとしたことだろうか。

まったく自信がなかったせいもあり嬉しくてならない。

けれども85点はイマイチであった。常識問題にしては低過ぎである。

この先も保険募集をすることはないがなんと頼りないことだろうか。

でも今度こそ最後である。もう二度とこんなことは嫌だと思う。


肩の荷が下りたせいか午前中は仕事にならないほど眠くてたまらない。

珈琲を飲んだり煙草を吸ったりしながらお昼までやり過ごす。

煙草を吸い過ぎれば咳が出る。咳が出れば尿漏れがある。

この連鎖はどうしようもなく自分に腹も立って来た。


お昼休みを頂くことにして車中で30分程眠った。

助手席には読みかけの本や詩集が転がっているが遠ざかるばかりである。

そのくせ衝動買いをしてしまうので本類は増える一方だった。

このままで良いのかなと少しずつ焦りも出始めているようだ。

もし突然死んでしまったら無読の本類はいったいどうなるのだろう。

お棺に入れて欲しいと娘に頼んでおく手もあるが

灰になった本を果たしてあの世で読めるだろうかと心配になる。



3時過ぎに退社。FMラジオからは懐かしい歌謡曲が流れていた。

「幡多らんど」と云って地元のFM放送が気に入っている。

CMが幡多弁なのも面白くとても親しみが涌くのだった。


夕食は「豚の生姜焼き」実は昨夜「しゃぶしゃぶ」だったのだが

うっかり間違えて生姜焼き用のロース肉を3パックも買ってしまっていた。

当然のことながら「しゃぶしゃぶ」は大不評であった。


胡瓜と薄焼き卵とハムで「中華風サラダ」を作った。

以前からちょくちょく作っていたが食べず嫌いだったのだろうか。

今夜はあやちゃんが気に入ってくれてそれは食べること。

あっという間にお皿が空になってとても嬉しかった。

そうして笑顔でいてくれることがこの上なくほっとするのだった。

明日は何を作ろうか。もう今夜から明日の献立を考えている。



雨はやっと止んだようだ。窓の外からは生温い空気が漂って来た。

日々こつこつと布を織るように過ごしている。

やがては一枚の布になることだろう。

「完成」をこの目で確かめるまでは死ねない。





2024年04月15日(月) 心配無用

曇り時々雨。ぽつぽつと春らしい優しい雨だった。

陽射しがないせいか少し肌寒く感じた。

全国的には気温が高くなり真夏日だった処もあったそうだ。

4月に真夏日などかつてあっただろうか。

異常気象、地球温暖化。今年の夏はいったいどうなるのだろう。


藤の花に雨。無風状態だったので揺れもせずひたすら雨に濡れている。

薄紫は母も私も好きな色でありなんだか切なくてならない。

うまく言葉に出来ないが胸に滴がこぼれ落ちて来るようであった。

受け止めなくてはと思う。どれほどの哀しみであってもだ。





昨日、中高時代の友人からメールが届いていたが

返信出来ずにいて今日に至った。

これまでも何度かメールがあったが一切返信をしていなかった。

言葉はとても悪いが彼女は空気が読めないのではないだろうか。

不愉快だと言ってはならないが私の心の領域に飛び込んでくる。

そうして過剰反応を繰り返し私のことを気遣おうとするのだった。

「心配無用」そんな一言を送信できればどんなにか楽だろうか。


昨日のメールは朝刊に私の短歌が掲載されていた件であり

「元気?大丈夫?」で始まっていた。

あの子のことを書いた短歌だったので尚更のことだろう。

決して暗い短歌ではなかったのだが彼女には伝わらなかったようだ。

友達だから助けてやらないとと思ったのなら余計なお世話である。

私がいったい何を求めていると云うのだろうか。

私はただあの子のことを書き残して置きたかっただけなのだ。


このままではずるずるとまたメールが届くだろう。

なんとか阻止しなければと今日は思った。

けれどもはっきり言ってしまえば彼女を傷つけてしまう。

しばらく悩んだ末にとにかく元気でいること。

私は書きたいことを書いているのでどうかそっとしておいて欲しいと。

最後にこれまでの無礼を詫び感謝の気持ちを伝えた。


それで良かったのか今も悩み続けているが

決して後悔だけはするまいと思っている。


友達とはいったい何だろうと考えるきっかけにもなった。

子供のようにいつまでも仲良しこよしではいられないのだ。


青春時代を共に過ごした仲間ではあるが悩みを話したことはない。

どんなに辛いことがあっても涙を見せたこともなかった。

まして彼女に甘えることも頼ることもなかったのだ。

そう振り返ると私には真の友達などいなかったのかもしれない。


群れることを好まずいつも図書室の隅っこで詩を書いていた。

それは孤独でありそんな孤独が私に詩を書かせてくれたのだと思う。

独りぼっちが好きで寂しさが好きで切なさが好きな少女であった。


彼女からもうメールが届くことはないだろう。

だからと云って切れるような縁ではないと思っている。





2024年04月14日(日) 最後の法要

雲が多かったが概ね晴れ。爽やかな風が吹き過ごし易かった。

窓から川向の山を眺めていると山全体が笑っているように見える。

つい先日まで山桜が沢山咲いていたのだがいつの間にか

椎の木の花が満開になったようだ。クリーム色ではなく黄な粉の色である。

むくむくとそれはそびえ大きな木であることが見て取れた。

今まで近くで見たことがないがいったいどんな花なのだろうか。



姑さんの7回忌。位牌を抱くようにしてお寺に向かった。

義妹、義弟と相談のうえ今回の法要で「上げ法要」とする。

「弔い上げ」とも云うらしいが故人の最後の法要である。

お寺の住職さんはまだ13回忌までは出来るでしょうと言ってくれたが

夫も義妹達も正直なところ自信がなかった。もちろん私もである。

自分達が元気なうちにと思う。それが子の務めではないだろうか。

上げ法要をするともう仏様ではなくご先祖様になるのだそうだ。

「まだ早いことないかい」と姑さんの声が聞こえて来そうだった。


読経、焼香が終わり墓前に向かったが私はお寺の境内で待っていた。

毎朝聞こえている鐘。赤い前掛けをした5体のお地蔵様。

藤の花、八重桜、ツツジも咲いている。

そうして水子地蔵もありはっと胸が締め付けられそうになる。

以前から知ってはいたが人目を気にして手を合わせたことがなかった。

ゆっくりと向き合うこともなかったのだ。なんと薄情なことだろう。

境内には私しかおらず心の中で「いま」しかないと思った。

あの子の50回忌である。母として他に何が出来るだろうか。

そっと手を合わすと胸に淀んでいた灰汁のようなものが流れて行く。

それはあの子の最初で最後の法要であった。





今夜は義妹宅で小宴。身内が集まり賑やかに過ごす。

本来なら長男である夫が段取り我が家で行うべきなのだが

恥ずかしながらお布施を準備するだけで精一杯であった。

だから義妹にはいつも甘えさせてもらっている。

「遠慮せんといっぱい食べてや」と言ってくれて

滅多に食べられないスシローの握り寿司をお腹いっぱいご馳走になった。

夫や娘達はまだ居座っているが私は一足先に帰って来たところである。

いくら目と鼻の先でもあやちゃんを独りにさせておくわけにもいかず

何よりもこの日記が書きたくてならなかった。


「こんなもの」と思ってしまえばいくらでも疎かに出来るだろう。

しかしいつ最後になるやもしれずそれだけは避けたかった。


昼間2018年の4月の日記を読み返していた。

その年の10月にはお舅さんの37回忌で上げ法要をしていた。

もしそれを最後にしていなければ今年は43回忌だったのだ。







2024年04月13日(土) ホトトギスの初音

薄曇りであったが気温が高くなり初夏のような陽気となる。

長袖では暑いくらい。かと云ってまだ半袖は着れない。

表現が間違っているかもしれないが年寄りの冷や水になるだろう。


夜明け前に微かにホトトギスの鳴き声が聞こえた。

毎年燕よりも遅れて渡ってくるのだがもうそんな季節なのか。

日本では夏鳥である。寒さを感じるようになれば南に渡って行くそうだ。

暗闇からその鳴き声がするとなんとなく不気味ではあるが

私は好きである。待ち侘びていただけに今朝は嬉しかった。




今朝はNHKで8時45分から中島みゆきの歌番組があった。

SNSでその情報を知りなんとしても見たくてならない。

歌番組をあまり好まない夫であったが渋々ながら一緒に見てくれた。

「中島みゆきは何歳だ?」と訊くので「あんたと同い年よ」と教える。

最後まで見終わった夫が「ええ歌ばっかりやったな」と言ってくれた。

そうして「今の若いもんの歌よりずっとええぞ」と絶賛してくれる。

私はデビュー当時からの大ファンなのでそれが嬉しくてならなかった。

可笑しい話だけれど自分が褒められたような気がしたのだった。


それからサニーマートへ買い物に。今夜は「すき焼き」に決まっており

半額の白菜やお豆腐も見つけてルンルン気分である。

牛肉は輸入肉が無く仕方なく窪川牛を買ったが2パックで2千円は痛い。

けれども家族の喜ぶ顔が見られたらこの上ない幸せであった。


お次はカーブスへ行き心地よく汗を流す。

脂肪が燃えているらしいがその実感はまったく無いに等しい。

新人コーチの挨拶もあったがどうにも頼りない。

直感で「これはすぐに辞めるな」と思った。

とにかくコーチの入れ替わりが激しいのだ。

仕事自体は楽しそうだがおそらくノルマがあるのだろう。

一番長いコーチで2年。辞めてしまったコーチは数え切れない。





明日は姑さんの7回忌なのでお墓掃除に行かねばならなかった。

お墓はお寺の裏山にあり私の足では到底無理な話である。

夫や義妹にも辛くなり足が遠のくばかりであった。

地区で一番古い納骨堂でもありその老朽化は半端ではない。

けれども荒すわけにはいかない。それは当然のことである。


今日は夫と義妹に娘とめいちゃんも加わり掃除に行ってくれた。

めいちゃんが大活躍したと聞きなんと頼もしいことだろう。

おかげで明日は滞りなく7回忌の法要が出来そうである。


私はおそらくもうお墓参りにも行けないだろう。

心苦しくてならないが仕方ないことだと思う。

もし行くことがあればそれは私の納骨の時である。

そうしてそこで永遠に眠るのだがそれも侘しいものだった。

それならばいっそのこと四万十川に散骨してはくれまいか。

今までそんな例がないのなら私が最初になってもかまわない。

そんなことをふと思った。季節は秋よりも春がいい。


日々のことをひとつひとつ数えるように過ごしている。

与えられた定命が尽きるのはいったいいつのことだろうか。



2024年04月12日(金) 全力で守りたい

春らしい穏やかな晴天。風もなく汗ばむほどだった。

山里ではあちらこちらで田植えの光景が見られる。

今は機械であっという間に植えてしまうけれど

昔はどんなにか大変だったことだろう。

私は経験したことがないが母が子供の頃には手伝ったらしい。

子供が家の仕事を手伝うのが当たり前だった時代である。

母が中学を卒業した時に高校へ進学したいと祖父に願い出たら

「百姓の子に学問は要らん」と酷く叱れたと聞いたことがある。

もし母の願いが聞き入れられていたら私はこの世に存在しなかっただろう。

運命なのか宿命なのか母は18歳の若さで私を産んだのだった。


私ももしあの時にああしていればこうしていればとよく思うが

違う道を歩んでいたら今の暮らしも家族にも出会えなかったことになる。

そう思うと人の一生は生まれた時から定められているのかもしれない。

すべてのことが縁だと云っても過言ではないだろう。





義父が田起こしに行ったきり帰って来ない日が続いていた。

田植えが遅れていることにいささか焦りを感じているようである。

工場の仕事も忙しかったが義父なりの優先順位があり

周りがあれこれと口を挟むと大変なことになってしまう。

とにかく義父の思い通りにさせてあげなくてはいけなかった。


今日はもう金曜日。仕上げなくてはいけない車検が4台もあり

来週まで延ばすことはどうしても出来なかった。

義父もそのことは承知していたのでひたすら帰りを待つ。

お昼になっても帰らない。2時になりやっと帰って来てくれた。

昼食も食べないで直ぐに検査に取り掛かってくれてほっと安堵する。

検査が終れば車検適合の書類を書かねばならず私も忙しかった。

目まぐるしいとはこんな時を云うのだろう。トイレにも行けない。


やっと書類を書き終えたらもう4時になっていた。

義父は「よっし、もうええな」と言ってまた一目散に田んぼに向かう。

とうとう昼食を食べる暇もなかった。どんなにか空腹だったことだろう。

義父に比べれば私の疲れなど本当に些細なことである。


後始末をして大急ぎで帰路に着いたが買物をしなければならない。

さすがに二日続けて手を抜くわけにはいかなかった。

サニーマートへ着いたらお刺身が半額になっており嬉しくてならない。

後はお惣菜の鶏のから揚げを買いスンドゥブの素を買った。

絹ごし豆腐とアサリ、ウィンナーを入れて煮込めば直ぐに食べられる。


帰宅したら庭でめいちゃんとお友達が水遊びをしていた。

昼間なら兎も角もう5時を過ぎていて風邪を引きそうである。

二人とも全身びしょ濡れなのでなんともはらはらした。

娘がお風呂の準備をしており直ぐに入ってくれたのでほっとする。

元気なのは嬉しいことだがさすがにまだ水遊びは早いだろう。


夕食時めいちゃんがしきりに学校の話をしていて気になった。

月曜日の朝礼で何かの発表をするのだそうだ。

それはそれで頼もしく喜ばしいことではあったが

あやちゃんが俯いたきりしゅんとしていて気遣わずにいられない。

「ごちそうさま」と小さな声で呟くと逃げるように二階に上がったのだ。

娘夫婦は気づかなかったのだろうか。あやちゃんは葛藤をしている。

それは今に始まったことではないが心境を察するばかりであった。


けれどもそれも試練なのだろう。そう思い直すことにする。

腫れ物に触るような日々であってはならない。

もう以前のような硝子細工ではないのだ。

少々のことでは傷つかない。あやちゃんは少しずつ逞しくなっている。


けれどももし石を投げるような人がいれば私は全力で守りたい。

家族みんながそう思っているのに違いないのだ。












2024年04月11日(木) 白き夢

曇り時々晴れ。夕方になり少しだけ雨が降った。

予報では5月並みの気温になると聞いていたが

風が強く吹き肌寒いほどだった。


小手毬を庭先に植えている家が多くあちらこちらで見かける。

白い紫陽花に似た大手毬もあるが私は小さいほうが好きだ。

花を千切ることはさすがに出来ないが手のひらに載せてみたくなる。

「小手毬の指先に散る白き夢」短歌ではなく俳句のつもりだが

二十歳を過ぎた頃だったか高知新聞の俳壇で入選したことがあった。

若い頃の感性は殆ど失われてしまった今となっては懐かしい句である。

恋多き頃のこと。「白き夢」とはいったい誰のことだったのだろう。




朝の道で商工会のS子ちゃんに会った。

S子ちゃんのほうが先に私を見つけてくれて思いっきり手を振ってくれる。

私も直ぐに気がつき千切れんばかりに手を振ったことだった。

フロントガラス越しに満面の笑顔が見えてとても嬉しい。

ああ好い朝だなと思う。朝からこんなに笑顔になれるなんて。

おかげでいつもは眠くなる朝の道がとても清々しく感じた。

明日も会えるだろうか。午前8時に四万十大橋である。



週一のリハビリの日だったので3時前に退社。

今日の療法士さんは息子と同年代に見えるM君であった。

私の担当になるのはまだ二回目だが会話が弾む。

「声がだいぶ出るようになりましたね」と言ってくれた。

それから煙草の話になり禁煙の話になり焼酎の話になる。

話しているうちに施術が終ってしまって少し物足りなかった。

わずか20分でもM君の腕や手はくたくただろうと思う。

療法士さんの仕事は思っているよりもずっと大変なのだった。


リハビリが終ると診察があり元気に足踏みをしながら診察室に行く。

医師が「ほほう!」と感嘆の声をあげ愉快でならない。

いつも親身になってくれて本当に有難いことである。

先日杖を忘れて出勤したことを話したらまた「ほほう!」であった。

完治の見込みはないのだとしても良い方向に向かっているのだろう。


薬局で骨粗しょう症の薬をもらったらもう5時になっていた。

その足で「ほっかほか亭」に走る。今夜はまた手抜きである。

今朝娘に相談したら夕飯は要らないから大丈夫と言ってくれたのだった。

夫にステーキ、私にはチキン南蛮を買って帰った。

おかずのみなのでとてもリーズナブルである。

お腹がぺこぺこだったので6時にはもう食べ終えていた。

食器洗いもしなくても良い。なんとも楽で嬉しくてならない。

ふと閃いたのは2週間ごとの手抜きであった。月に2回である。

診察のある日は遅くなるので娘に提案してみようと思う。


その娘であるが昼間重い物を持ったらしく腰を痛めたようだ。

軽いぎっくり腰だと思うが無理を承知でダンス教室へ出掛けて行った。

帰りに食料を買って来てそれから娘達の夕食となる。

あやちゃん娘婿もどんなにかお腹を空かせていることだろう。


娘がずっと家に居てくれると本当に助かる。

家の中も少しずつ片付けてくれて随分と整理整頓が進んでいる。

ずっと失業中とはいかないがついついそう願ってしまうのだった。

あやちゃんの為にもそのほうが良いのではと思う。

今は母と娘が向き合う時間が必要なのではないだろうか。



桜と同じように小手毬もやがて散る時が来るだろう。

季節は春から初夏に変わり溢れんばかりの光がだんだんと強くなる。

春は青く夏は白いのだ。眩しさに目を細めながらどんな夢を見るのだろう。









2024年04月10日(水) 母と北風

もう花冷えとは云えないが肌寒い朝となる。

まだまだ暖房器具が必要なのだろう。

日中は晴天に恵まれたが北風が強かった。


ふと「ふゆさん」を思い出す。

転校して行ったのだが元気にしているだろうか。

友達は出来ただろうか。いじめられて泣いてはいやしないだろうか。

今朝はそんな詩を書いたらある方が宮沢賢治の作品世界に通じると

感想を述べてくれてなんと身に余ることだろう。

怖れ多いと云うか私のような者にはもったいない言葉であった。

そう云いつつ私は「ふゆさん」が好きでならない。

自分なりのシリーズとして何作か書いたがどれも好きであった。

しかし松下育夫氏いわく「少年詩か童詩の影響を受けているようだ」と。

それはまるで「ふゆさん」がいじめられたかのように悲しかった。

ここではっきり言わせてもらうが私は何からも影響など受けていない。

私は私の「こころ」から影響を受けながら書いているのである。

松下氏は決して貶した訳ではないと思うが踏みにじられたように感じた。

そうしてそれは「詩の通信教室」を止めるきっかけになったのだった。




今日は午後から損害保険募集人の資格更新試験があった。

5年ごとの更新だがもう何度目なのかは記憶にない。

はっきりと憶えているのは5年前にもうこれが最後だと思ったことだ。


以前は高知市内の試験会場まで出向かなければいけなかったが

コロナ禍の影響もあり今はオンラインで受験することが出来る。

一日がかりだったのが僅か40分で終わるので随分と助かっている。


朝からそわそわと落ち着かなかった。全く学習をしていないのだ。

常識問題だとしてもこの歳であるから物忘れも酷くなっている。

おまけに今は募集人の仕事を一切していなかった。

全て提携先代理店のY君にお任せしているのである。


こればかりはいくらあがいても仕方なく試験に臨むことになった。

今回は試験中にテキストを見ても良かったのだが

いざ問題が出て来るとテキストの何処を見れば良いのか分からない。

あたふたしているうちにどんどん制限時間が迫って来るのだった。

終った時には冷汗が出ていた。当然のことながら自信はゼロに等しい。

合格発表は来週の火曜日とのこと。不合格なら再試験となる。


あれは12年程前だったろうか。母が試験に臨んだ日のことを思い出す。

パソコンを全く使えないため「パソコン教室」に通っていたのだった。

その頃には仕事もパソコンを使うことが多く母は手も足も出せない。

それがよほど悔しかったのだろう。毎日のように言い争っていた。

私が少しでも教えようとすると「今はいい」と言って拗ねるのだ。

そうして挙句には私がパソコンを占領していると言い怒るのだった。


思い出していたらきりがないほど母との確執は絶えなかったが

母は試験に合格した。75点の合格ラインぎりぎりであった。

あの時の母の喜びようはなかった。もちろん満面の笑顔である。

それからしばらくは機嫌が良かったが結局は元の木阿弥となった。


「お母ちゃん懐かしいね」事務所に置いてある母の遺影に話し掛ける。

閉め切っていた窓を開けるとまるで母であるかのように風が吹き抜けた。











2024年04月09日(火) 長い人生のほんの一部分

雨上がりの爽やかな朝。風は北風だったようだ。

日中は快晴となりなんと清々しいこと。


職場のすぐ近くの空家に大木がそびえており

その木に絡みつくように藤の花がたくさん咲いていて

強い風に煽られながらゆらゆらとなびいているのが見えた。

おそらく観賞用に植えられた藤ではないのではと思う。

野生の藤があるのか定かではないが雄大な自然の姿に見える。

もう随分と昔から主なき家であった。その揺れる姿もせつないものだ。



今朝は職場に着くなり昨日貸し出した車がありおや?とおどろく。

8時には免許センターに着かなければいけないと言っていたので

道中無事であればもうとっくに着いている時間であった。

一時間ほどしてお客さんから電話があり友人と一緒とのこと。

友人の年齢は定かではないが送り迎えを引き受けてくれたのだそうだ。

それを聞きなんと安堵したことだろう。これでもう大丈夫である。

しかしもう90歳が近い高齢である。免許更新が出来たとしても

今後の運転のことを考えるとやはり心配は尽きないだろう。

中古車を購入してくれることになり準備はしているのだが

どうかそれが仇にならないことを祈るばかりである。


午前中に古くからの友人がタイヤ交換に来てくれた。

会うのは3年ぶりだろうか。ずいぶんと久しぶりであった。

高校生だった娘さんも大学生になっていると聞きおどろく。

3年なんて本当にあっという間のことである。

彼女は私より6歳年下だがそれなりに歳を重ねているのが見て取れる。


雑談をしているうちに孫の話になった。

話して良いものかと一瞬迷ったがあやちゃんのことを話してしまった。

そうしたらおどろいたことに彼女の娘さんも不登校だったのだそうだ。

辛かったこと悩んだことを打ち明けてくれて思いがけなかった。


長い人生のほんの一部分だと云う。それは本当に些細なことなのだ。

中学は殆ど行かなかったが高校に入学し今は大学生である。

とにかく温かく見守ってやるのが一番だと話してくれた。


この話をどれほど娘に聞かせてやりたかったことだろう。

しかし家に帰れば「禁句」となり何も話すことが出来なかった。


当のあやちゃんは今日も機嫌がよく笑顔でいてくれる。

夕飯は「チャーシュー丼」娘が目玉焼きをトッピングしていた。

「春雨の酢の物」も作っていたのでどうかな?と見ていたら

ちゅるちゅると美味しそうに食べてくれていて嬉しかった。


現実を嘆くことは何ひとつないのだと思う。

もうトンネルの出口は見えている。あと少しもう少しである。



2024年04月08日(月) 赤いランドセル

日中は霧雨だったが夕方から本降りになる。

もう田植えを始めている農家もあり恵みの雨になることだろう。


桜とバトンタッチをするように藤の花が咲き始めた。

躑躅も菖蒲もである。山吹も小手毬もである。

春から初夏にかけて咲く花のなんと多いことだろう。

鬱々とはしていられない。こころにも花を咲かせなければ。


低迷はまだ尾を引いているようだが少しだけ吹っ切れたようだ。

季節の変わり目のせいかもしれない。気圧も関係しているのだろう。

物事を楽観的に受け止めることが出来ずつい悲観的になってしまう。

けれども何事も気の持ちようなのではないだろうか。

昨日のように嫌なことがあってもさらりと水に流してしまいたい。

いつまでも拘っていたら一歩も前へは進めないだろう。


深い穴を掘って「ああ嫌だ、嫌だ」と叫んでみたい。

気が済むまで叫んだらさっさと穴を埋めてしまえば良いのだ。

そうすればもう済んだこと。二度と気に障ることはないのだと思う。


大切なのは他人の言動に振り回されないことである。

私にだって芯はあるのだ。その芯をなんとしても守らねばならない。





先日自損事故を起こしたばかりの高齢のお客さんが

明日一日だけ代車を貸して欲しいと申し出て来る。

伊野町の免許センターまで運転免許の講習を受けに行くのだそうだ。

近くの免許センターならまだしもかなりの遠方であった。

認知症はまだ大丈夫そうだが長距離運転は心配でならない。

道中何もなければ良いがまた事故を起こす危険もあるのだった。

義父とも相談の上で仕方なく貸すことになったが

慣れない車のせいかすでに発進から運転がおぼつかない。

おまけに伊野町の免許センターの場所もよく分からないらしい。

これは困ったことになった。明日はいったいどうなることだろう。




3時に退社。買い物を済ませ帰宅したら庭に娘の車があった。

店舗の後片付けは今日で終わると言っていたので早目に帰れたのだろう。

全てが終り寛いだ様子。すっきりとした良い顔をしていた。


玄関ではなく座敷にあやちゃんのランドセルと上履き入れがある。

娘は母親として精一杯の準備をしていたのだろう。

それがとても切なかった。赤いランドセルが泣いているように見える。

「やっぱり駄目やったがやね」娘に声を掛けたら「うん」と小さく応えた。


その後に玄関のチャイムが鳴り担任の先生が来てくれていた。

応対している娘の声がやたら大きい。笑い声も聴こえる。

それがなんだか不自然に感じ娘の複雑な気持ちが伝わってくる。

あやちゃんも一緒に居たのだが一言も声は聴こえなかった。

先生は6年生の新しい教科書を届けに来てくれたようだった。

5年生の一年間はなんとか遅れを取らずに済んだが

6年生になると勉強もずっと難しくなることだろう。

いくら努力家のあやちゃんでも心配でならなかった。


娘は何も言わない。だから私も何も言えない。

そうして当然のようにあやちゃんも何も言ってはくれなかった。


夕飯は豚カツ。あやちゃんはレトルトカレーで「カツカレー」だった。

「めっちゃ美味しい」と今夜も満点の笑顔である。



2024年04月07日(日) お目汚し

曇り日。花曇りと云いたいところが桜はほぼ散ってしまった。

そうして季節は巡って行く。桜の季節は永遠に訪れるだろう。

ふとそんな季節に逝けたらと思う。花弁のように散ってしまいたいものだ。



低迷が続いており気分転換をしたくてならない。

「退屈たいくつ」と何度も口にしてみたが

夫は聞こえないふりをして無視をするのだった。

そうなると余計に気分が沈んでしまって何もする気になれない。

ひたすら寝る。おそらく5時間ほど寝ていたのではないだろうか。


娘は店舗の後片付けに行ったが夕飯は要らないと言い残す。

だからあえて買い物にも行かず余計に退屈であった。

早く明日になればいい。仕事をしたくてたまらない。





ここに書いて良いものかとずいぶんと迷ったが

SNSは決して楽しい場所ではない。

今日は少し不愉快なことがありもやもやとした気分が収まらずにいる。

以前はミュートしていて発信に目が触れることはなかったが

最近になって解除してしまったのがいけなかった。

一日に何度も発信がある。言葉は悪いがうんざりする程である。

「虫が好かない」と言って良いのかどうにも共感出来ない。

じゃあ再度ミュートすれば済むことだがそれも迷ってしまうのだ。

フォロー解除、ブロックという手もあるがそれは良心が咎める。

決して悪意がある人ではなかった。だから尚更のことである。


あれこれ考え込んでいてはっと気づいたのは

私も誰かから同じように思われているかもしれないことだ。

毎日好きなように発信を続けているが気に食わない人もいるだろう。

誰もが共感してくれることは決して在り得ないことである。


私はよく「お目汚しを」と口にするがそれは謙遜ではなかった。

不愉快な思いをしている人が少なからずいることを感じているのだ。

そうして劣等感は強まりどんどん自信を失くしてしまう。

それでも私は書くことを諦めずにいる。

一握りの光を求めSNSの海を漂っているようなものだ。

この日記もそうだが他に私の居場所は無いに等しい。

だから失うことが怖くてならない。それは死んだも同然に思う。


ゆるしてはくれまいか。認めてはくれまいか。

これからも生きている限り私は在り続けたいと願ってやまない。





あやちゃんがパスタを湯がいていた。

「すごいね、えらいね」と褒めたら「別に・・」と応える。


明日は入学式もありいよいよ新年度が始まる。

めいちゃんはとても楽しみにしていてテンションが高いが

あやちゃんはどれほど複雑な気持ちだろうと気遣わずにいられない。

しかし迷っているふうには見えない。おそらくもう決めているのだろう。

「行かない」選択をどうして周りが責められようか。


新鮮な春である。桜は散ってもまた新たな花が咲くことだろう。

あやちゃんのこころにそっと一輪を添えてあげたいものだ。



2024年04月06日(土) 雨は見えない

曇りのち雨。春らしいやわらかな雨となる。

何処からともなく若い緑の匂いがするような気がした。

雨を受けながらきっと生き生きとしているのだろう。


私はと云えばしんみりとするばかり。

鬱ではないと思うのだが感傷的になってしまうのだ。

例えば若い子は箸が転んでも笑うとよく云われているが

私の場合は箸が転んだら悲しくなってしまうだろう。

無理に微笑むことをせずにいるとどんどん深みにはまって行く。

「そんな時は自分を抱きしめて」それも綺麗ごとにしか思えない。

こうなれば在りのままの自分を愉しむしかないのだった。




今朝は再放送の「オードリー」を見てから2時間近くも眠っていた。

そろそろ買い物に行かなければと気だるさのまま起き出す。

ふっと頭に浮かんだのは「鰤大根」であった。

寒い頃に頂いた大根が冷蔵庫の野菜室で眠っている。

まだ大丈夫だろうと確かめもせずにもう鰤のアラを買おうとしていた。

サニーマートの鮮魚売り場へ行ったら切り身はあるのにアラがない。

もしやと思い店員さんに訊いたらまだ準備中とのこと。

忙しそうにしていたのに奥から出して来てくれてとても助かる。

2パックで7百円、切り身よりもずっと安い。


帰宅したらもう10時を過ぎていた。次はカーブスである。

計測日であったが強制ではないのでさらりとお断りする。

体重もお腹周りももうどうだっていいのだと開き直っていた。


大きな扇風機がいくつか回っているのに流れる汗が半端ない。

それはとても心地よくそれだけで来た甲斐があると思った。

コーチが声を掛けてくれて脂肪が燃えているのだと言う。

それは嘘だろう。そんな誉め言葉に私は騙されはしない。



帰宅する前にほか弁を買いに行く。

全部で6人分。娘とけい君の分もあった。

娘はまだ店舗の後片付けが残っているが疲れが酷いとのこと。

今日も行く予定だったが急きょ休みにしたようだ。


けい君に会うのはお正月以来であった。

少し見ない間に背が伸びていてびっくりしてしまう。

やっとあやちゃんが遊んでくれたのは昼食を終えてからだった。

タブレットとゲーム機、それさえあれば何も要らない。

部屋からは楽しそうな話し声も聴こえていてとてもほっとした。


4時には息子が迎えに来て仕方なくもう帰らなくてはいけない。

つかの間ではあったが息子と少し話すことが出来た。

私の声がまだまともに出ていないのを心配してくれて嬉しい。

けれども最後には「煙草を止めんといかんぞ」と叱られてしまう。


仕事は順調とのこと。元お嫁さんとも度々会っていて

息子が夜勤の時には泊まりに来てくれているそうだ。

季節の変わり目なので心配なこともあったらしいが

今は落ち着いていると聞きどれほど安堵したことだろう。

離婚という息子の決断は決して間違ってはいなかったと思う。

「夫婦」にしばられなくても息子達のような関係もあるのだ。

もう5年生のけい君が辛い思いをすることは今後も決してないだろう。



降り止まぬ雨音を聴きながらこれを記した。

暖かいので窓を開けているが降っているはずの雨は見えない。


気分は相変わらず低迷しているが幸せな一日だった。









2024年04月05日(金) 鰹のひっつけ寿司

霧雨だったのがやがて本降りになる。

気温は朝から殆ど上がらず午後からは肌寒く感じた。

桜の花びらが雪のように舞うのを見ているとやはり切ないものである。

郵便局の桜はもうすっかり葉桜になっておりこれも侘しい。

心にぽっかり穴が空いたように思う。なんとも寂しいものだ。

けれども桜の木は何も失ってなどいないのだ。

嘘だと思うなら桜の木に訊いてみるがいい。



今朝は職場に着くなり大変な忘れ物に気づく。

車から下りようとしたら大切な杖が見当たらなかったのだ。

うっかりではない。おそらく無意識の内のことだろう。

家の玄関を出て車までいったいどうやって歩いたのか記憶になかった。

それだけ痛みが薄れていたのかもしれないがそれも記憶にない。


職場では車から下りて歩くことが出来ず同僚に助けを求めた。

そうしたら家に杖があるからとわざわざ取りに帰ってくれる。

今は老人ホームに入居しているお母さんの杖なのだそうだ。

有難いこと。おかげで一日難儀をせずに済み随分と助かった。

それにしても不思議でならない。今朝はどうしたことだろうか。



義父は早朝から田起こしに行ったらしく留守だった。

車検が3台もう整備は終っており後は検査をするだけである。

ひたすら義父の帰りを待っていたがお昼になっても帰って来なかった。

これは長丁場になるなと察しお昼休みの内に短歌を書いておく。


「しとと雨はらり桜の舞う空は失うことを怖れもせずに」

意味不明かもしれないが分かる人にはきっと伝わるだろう。

何しろ自己満足のうえに自分勝手な者だからこんなもんである。

詩もそうだが短歌も低迷し続けているようだ。

自分では80点だと思っていても現実は厳しく30点としたものだ。

めげるなよ挫けるなよとひたすら自分を励まし続けている日々であった。





義父は2時前にやっと帰って来てくれたが昼食の時間もあり

適合証を書き終えたら3時をとっくに過ぎていた。

同僚と納車を済ませてから4時に退社することが出来る。

今日は娘が家に居てくれたので随分と気が楽だった。

サニーマートへ着いてから娘に電話をする。

残りご飯が多いか少ないかの確認であった。

「いっぱいあるよ」と聞き「鰹のひっつけ寿司」に決める。

鮮魚売り場へ真っ先に行ったら今日も新鮮な鰹があった。

予想に反して少し高く一節で9百円だったが奮発して二節買った。

後は半額の物をあれこれ買ったので総額は予算内で収まる。

我ながら賢い主婦である。半額様々と呟きながら家に帰った。

「鰹のひっつけ寿司」は顎が落ちそうなほど美味しく幸せである。



息子から久しぶりに電話があり明日けい君を預かることになった。

もう5年生になるのでほったらかしでも良いのだけれど

めいちゃんとは遊ばすあやちゃんにべったりのけい君である。

おそるおそるあやちゃんに訊いたら一緒に遊んでくれるとのこと。

それも「おばあちゃんが決めたらえいよ」と言うので意外だった。

友達は居ても誰とも遊ぶことのなかったこの一年である。

けい君とは不思議と気が合いひたすらゲーム三昧をするのだった。

明日はきっと良き気分転換になることだろう。



桜はすっかり散ってしまっても何も失わないと言ったが

樹齢百年を超えた桜の木もあるのだそうだ。

そのほんの一年のことである。桜の季節は永遠に巡って来るのだ。



2024年04月04日(木) 桜吹雪が舞う

二十四節気の「清明」すべての命あるものが生き生きと光り輝く頃。

桜はもちろんのこと樹の若葉。道端の草やてんとう虫もである。

人間はどうだろう。輝けるはずがないと嘆く人もいるだろうが

自然を仰ぎ心を清々しくしながら穏やかさを保とうとすることは出来る。


私のように歳を重ね落ちぶれてしまった者でも歓びはある。

そうして微笑めば奇跡のように輝くことが出来るのではないだろうか。

くすぼっていてはいけないのだ。諦めてしまってはいけないのだ。

自分の可能性を信じる。生きてさえいればきっと叶う日が来るだろう。




週一のリハビリの日だったので3時前に退社。

余裕を持って早めに行って良かった。病院に着くなり直ぐに順番が来る。

私は待ち時間が苦手なのだ。些細なことでもストレスを感じてしまう。

夫いわく病院は待つのが当たり前なのだそうだ。

「おまえは辛抱が足らんがじゃ」とよく言われる。


今日の療法士さんは若い男性でちょっと胸がときめく。

しょっぱなからの手触りがなんとも優しくうっとりとしてしまった。

それなのに突然咳き込み始めて焦りまくる。

一度咳が出始めるとなかなか止まらないのだった。

マスクをしていてもこれほど迷惑なことはないだろう。

療法士さんが気遣ってくれて「喘息ですか?」と訊ねてくれた。

煙草を吸った直後ならまだしも私にも原因がよく分からないのだった。

血行が良くなり身体が温まると出るような気もするが

そんな病気があるのだろうか。それにしても困った咳である。



サニーマートで買物をして4時半に帰宅する。

今日は遅くなるかもしれないと思いお昼休みに短歌を書き終えていた。


「あのひとのことなどもう忘れたいよ歌詞のようにはいかない恋だ」

なんとお粗末でふざけた短歌だろう。自分で呆れながらも愉快である。

突然、浜田省吾の「片思い」が頭に浮かんで来たのだった。

ちなみに私には忘れたいひとなど一人もいない。

二度と帰れない青春である。忘れてたまるものかと思っている。


洗濯物を畳もうとしていたらあやちゃんの姿が見えたので

「ただいまあ」と声を掛けたら「おかえりい」と言ってくれて嬉しかった。

今日も機嫌の良い証拠である。精神的にも落ち着いているのだろう。

春休みも残り少なくなったが期待はせずにいようと思っている。

背中を押すことも決してしてはならない。

でもあやちゃんにはもうトンネルの出口が見えているような気がする。

そこには散り始めた桜の花びらが春の空を舞っていることだろう。



2024年04月03日(水) 大丈夫よ心配しないで

雨が時おり激しく降る。春雷も鳴り空が割れてしまいそうだった。

季節を真っ二つに引き裂くような一日ではなかったろうか。


桜散らしの雨だと思い込んでいたが見上げる桜のなんと健気なこと。

まるで雨を愉しんでいるかのように微笑んでいるのだった。

「大丈夫よ心配しないで」そんな声が聴こえて来る。


嘆いてはいけないのだ。何があっても強く生きなければばらない。

桜にとっては覚悟の雨だったのに違いない。

逃げることも隠れることも出来ないのなら立ち向かうしかないのだ。





義父が午前中出掛けていたため午後から一気に忙しくなった。

どうやら久しぶりに友人達と喫茶店で盛り上がっていたようだ。

農閑期にはよくあることだがそんな息抜きもなくてはならない。

ストレス発散になったのか機嫌よく帰って来たので私も嬉しかった。

午後からは「さあやるぞ」である。パワフル満開になっていて愉快。

心配していた同僚も今日は体調が良さそうで何よりだった。


3時半に退社。いつもより遅くなり大急ぎで帰路に着く。

夕飯は何にしようかと考えながら運転していた。

それから短歌である。今日は書く時間がないかもしれない。


良心市で手に入れた新玉葱があったので親子丼にすることにした。

サニーマートで格安のブラジル鶏を買う。

お刺身は鰹、新鮮な鰹が安くてなんと助かる。


4時半に帰宅。洗濯物も畳まずに二階の自室に駆け上がった。

ちょうど大きな雷が鳴り始めてめいちゃんが怖がっていた。

「ごめんねめいちゃん、おじいちゃんと一緒におってや」

私を頼ってくれたのになんと薄情なおばあちゃんだろう。

制限時間は20分である。なんとしても書くぞと気合が入る。


「春雷に折れそうになる老いた樹に寄り添う花の優しさを見る」





洗濯物を畳むのに20分も掛かってしまった。

もう5時を過ぎていたが少しだけ寝転がってしまう。

なんだかとてもしんどかった。ひどく疲れを感じる。

歳のせいだとは思いたくはないが無理をしているのかもしれない。

夕食の支度をしなければと思いつつ直ぐには起き上がれなかった。


その時である。娘が早めに帰って来てくれたのだった。

今日も遅くなると聞いていたのでなんと嬉しかったことだろう。

ゲンキンなもので直ぐにやり気満々になった。

店舗の片づけは明日で終わりそうとのこと。

男手が無いので店長と娘だけで頑張っているのだそうだ。

じゃあ明後日からずっと家に居てくれるのかなと期待がふくらむ。

ずるい性格なのでもう楽をしようと目論んでいる私であった。


先のことは何も分からないがだからこそ前を向いていたい。

ひと針ずつ縫い続けているような日々であった。


いったい何が出来上がるのだろう。この目で確かめようと思う。



2024年04月02日(火) 明日は散るかな桜花

花冷えだろうか今朝は少し肌寒かったが

日中は風もなくずいぶんと暖かくなった。

雨が近づいているらしく午後には雲が広がり

何処からともなく蛙の鳴き声が聞こえていた。


出勤時に四万十大橋を渡っているとS子ちゃんの車とすれ違った。

12年もの間村の商工会に勤めていたのだが

この春の異動で黒潮町に転勤になったのである。

「また会える日もあるよね」と笑顔で別れたのだが

まさかこんなに早く再会できるとは夢にも思っていなかった。

あっS子ちゃんのプリウスだと気づいたのは一瞬のことで

窓を開けて手を振ることも間に合わずとても残念に思う。

けれども明日がある。明後日もある。これから毎朝会えることだろう。

私もぼんやりしていてはいけない。手を振る準備をしておかなくては。

そう思うと朝の道が楽しみでならずなんだかわくわくとしてきた。




仕事は3月の繁忙期を乗り越えたようにも思えるが

まだまだ油断は出来ず既に来週いっぱいは予約で埋まった。

来週には義父が田植えを始めるらしいがどうなることだろう。

どちらもも順調に捗るようにと願ってやまない。


気になるのは同僚の体調のこと。昨日は不整脈の発作が起きてしまい

仕事を終えてから救急外来へ行っていたそうだ。

ゆっくりと休ませてあげたいが今日も無理をさせてしまった。

義父に相談しても無理な話で「煙草の吸い過ぎじゃ」と怒るばかり。

一歩間違えればパワハラである。もう少し親身になってあげて欲しい。




3時に退社。今日は娘が店舗の片付けに行っていて遅くなるらしい。

昨日の歓びもつかの間であったが今日は今日のことをと思う。

サニーマートであれこれと悩みながらとにかく半額品を買った。

鮭の切り身が半額。脂がのっていてとても美味しそうだった。

後は特売の茄子と南瓜を買い天婦羅にすることにする。


南瓜の素揚げが大好きなあやちゃんにお手伝いを頼んでみたが

部屋に閉じ籠っており応答がなかった。

私もつい苛立ってしまって「じゃあもういい」と怒鳴り散らす。

いけないいけない。また血圧が上がってしまいそうだ。


とにかく落ち着こうとパソコンに向かい短歌を書いた。

何度か深呼吸をしたのが良かったのだろう我ながら上出来である。

ここだけの話だが俵万智の短歌よりずっと優れていると思った。


「雨近く花を曇らせ薄紅の恋したひとも明日は散るかな」


今はまだ降っていないが今夜遅くからまとまった雨になりそうだ。

おそらく桜散らしの雨になることだろう。

儚いようで潔い。そんな花のいのちが愛しくてならない。






2024年04月01日(月) 「いのち」の花

今日こそはと快晴。黄砂の飛来もなく真っ青な空だった。

気温はほぼ夏日であったが爽やかな風が吹く。


郵便局へ行ったら入口に桜の花びらが沢山落ちていて

もう散り始めたのかと切なくてならない。

ソメイヨシノより少し早く咲いていたのだった。

局長さんが大島桜だと教えてくれたのはつい先日のこと。

純白の桜でソメイヨシノより花が大きく葉が緑なのが特徴である。

私はこの桜がとても好きで毎年咲くのを楽しみにしていた。

思いがけない桜吹雪だった。なんと儚いことだろうか。


帰り道の平田町ではソメイヨシノが満開になっており

お花見客が多く見られた。乳母車の赤ちゃんもいる。

青空に吸い込まれてしまいそうな桜を仰いでいると

なぜか胸が熱くなり涙がこぼれてしまいそうになる。

ふとどうしてしまったのだろうと自分が分からなくなった。

母が死んでも涙ひとつこぼさなかった私がである。

「そうか、そうか咲いたのか」と心の中でつぶやいていた。

誰に語り掛けていたのだろう。あの子かもしれないとふと思った。

咲かせてあげたかったのだ。それは「いのち」の花である。




帰宅すると当たり前のように娘が居る。

夕陽を受けて娘の車がきらきらと輝いて見えた。

なんだか嫁いだ娘が里帰りをしているような気がする。

「おかえりなさい」と言われてはっと我に帰った。


この安心感はなんだろう。肩の荷が下りたようにほっとする。

気が抜けたようになりつつ日課の短歌を書いた。

制限時間は30分である。おかげで穏やかな気持ちで書けたようだ。


「断捨離の母の春着に手を添えて懐かしきかなあの日の笑顔」



久しぶりに娘と肩を並べて夕食の支度をする。

もうばたばた慌てることもない。もちろん血圧も上がらない。

5時半には晩酌を始める夫には鯛のお刺身を作った。

後は「椎茸のタタキ」「豚ロースの味噌焼き」

いつものように夫と二人で先に食べ始めていたのだが

娘夫婦が庭で何かこそこそとやっているのが気になった。

何かを焼きながらビールを飲んでいるらしいのだが

いったい何だろう。匂いも漂って来ないのだった。

夫が口に指を当てて「黙っていろよ」と合図をする。

好きなようにさせるのが一番なのだろう。

もう10年も一緒に暮らしているとあれこれ秘密もあるらしい。


日が暮れると何事も無かったように家の中に戻ってくる。

「さあご飯食べようかね」と娘が言うのでくすっと可笑しかった。

あやちゃんは今夜もご機嫌である。それが何よりも嬉しく思う。


我が家の居間にはメモリアルボードが飾ってあって

歩き始めた頃のあやちゃんの写真もある。

そのあどけない笑顔が私は好きで好きでたまらない。

10年ひと昔と云うがまるで昨日のことように思う時がある。






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