ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2024年03月31日(日) 弥生尽く

快晴かと思いきや午後から花曇りとなった。

昨日初燕を見たばかりだがなんと元気に飛び交うことだろう。

長い旅を終えたばかりとはとても思えない。

さえずりも可愛らしく聴いているだけで心が和む。

  
いつもは朝から寝てしまう日曜日だが

今朝は冬物を片付けようと押し入れを開けていた。

まだ花冷えもあるだろうがもう着ることもないだろう。


母のもはや形見になってしまった衣類も沢山あった。

アパートを引き払う時にかなり処分はしていたのだが

衣装持ちの母のことである。とても捨て切れなかったのと

施設に入居しても普段着の必要な時もあり残して置いたのだった。

高価だった衣類が多く状態はとても良かったが心を鬼にする。


一枚一枚確かめるように手に取り母を懐かしく思い出す。

ああこれは好きだったな。ああこれもよく着ていた。

懐かしんでいたらきりがなく思い切ってビニール袋に詰め込む。

もちろんゴミではなく市のリサイクル施設へ持ち込むのだ。

繊維資源として何か他の物に生まれ変わるのかもしれない。

衣類のまま発展途上国へ送られるのかもしれなかった。

これも断捨離なのかと思う。母を断つ。母を捨てる。母と離れる。


空っぽになった衣装ケースに夫と私の冬物を入れた。

もしもの時には娘が処分してくれるだろう。

無事に生きていればまた寒くなったら着れば良いのだ。




午後は2時間ほどお昼寝。暖か過ぎて炬燵も要らない。

いつの間にか曇っていたので早めに洗濯物を取り入れようとしていたら

外で遊んでいためいっちゃんが駆け寄って来てくれて手伝ってくれた。

背が伸びたのだろう。高い所にも手が届きなんとも頼もしい。

洗濯物を畳んでいたら台所からがちゃがちゃと音が聞こえる。

なんとめいちゃんが流しにいっぱいだった食器を洗ってくれていた。

こんなに嬉しいことがあるだろうか。思わず目頭が熱くなるばかりである。

自分から進んでお手伝いが出来るようになった大きな成長だと思う。



その後、冷たいコーヒーを飲みながら短歌を書く。

このひと月のあいだ最後には「あの子」のことを書いて来たが

今日で終わりにしようと思っていた。

わずか31首であったが少しは供養になったのだろうか。

身勝手な自己満足に過ぎないが書くことで救われたようにも思う。


「毎日が命日だった弥生尽く忘れぬことが供養だろうか」





6時半に娘が帰宅。やれるだけのことをやったのだろう機嫌が良い。

心身ともに疲れ切ってしょんぼりして帰って来るのではと思っていた。

もしかしたら空元気かもしれないが鼻歌まで聞こえているのだった。

あれこれと訊ねてはいけないと思いただ微笑むばかりの母である。


明日はもう卯月四月。きっと新鮮な春になることだろう。

弥生三月は去ろうとしている。そうしてやがて過去になるのだ。



2024年03月30日(土) 桜が満開になった日

晴れのち曇り。今日も汗ばむ程の陽気となる。

市内の桜の名所「為松公園」では桜が満開になったそうだ。



さすがにもう冬物の服は着れなくなってしまって

今朝は春物を引っ張り出して着てみたがなんと不格好なこと。

この一年で体重が8キロも増えてしまったのだ。

ダイエットもすっかり諦めてしまったので体重は増える一方である。

今日はなんとか凌いだが明日はいったい何を着れば良いのだろう。

昼食を食べ過ぎてしまいまるでお相撲さんのような姿であったが

意を決して市内の衣料品店へ買い出しに行っていた。

「しまむら」へ行けば安いが品が悪く長持ちしないのが難点だ。

体型をカバー出来るベストのような物を二着買い

ゆったりサイズのおしゃれTシャツを二着買った。

総額一万円を超えけっこう痛い出費となる。

けれども背に腹は代えられない。これで少しは恰好が付くだろう。


日々醜態を晒していてもうかつての面影もなくなった。

年齢を重ねると次第に痩せてくるらしいが私には当てはまらない。

小食にもなるらしいがとんでもないほどの大食いである。

だからと云ってなんとかしなければとはもう思わなくなった。

なるようになるだろうと開き直っているような気もしている。

幸か不幸か太っているおかげで顔の皴はあまり目立たない。

全体にむちむちしていてふっくらと可愛らしいのかもしれないのだ。




娘の働いているセリアが明日で閉店となるため

在庫商品すべてが半額と知り様子を見がてら買物に行って来た。

商品は少なくなっていたがお客さんのなんと多いこと。

娘はレジに居たがひっきりなしに清算をしていた。

台所商品を8点ほどカゴに入れレジに行ったら娘の機嫌が悪かった。

「なんで来たの」と言わんばかりである。

他のお客さんには笑顔で接しているのに私には愛想が悪い。

これではまるで邪魔者扱いではないかと思ったが

腹が立つどころかなんとも切なくてならなくて涙が出そうになる。


高卒で就職試験に2度も失敗し途方に暮れていた娘に

アルバイトで良いから働いてくれないかと声を掛けてくれた人がいた。

娘も就職が決まるまでと思って気軽に勤めるようになったのだった。

それから25年目の春である。娘はもうアルバイトではなかった。

正社員となり副店長にまでなった。結婚もし子供にも恵まれたのだ。


娘にとってはとても縁の深い職場だったのだと思う。

沢山の出会いもあり何よりもずっと笑顔の日々だったことだろう。

最後には「閉店」となり世間の荒波に呑み込まれてしまうが

娘の心の内を思うととても言葉に出来ないような寂しさがあった。


さっちゃん長いことご苦労様。いっぱいいっぱい頑張ったね。

母はそんなさっちゃんを誇りに思っています。

明日もうひと踏ん張りしたらしばらくはゆっくりと休もうね。



2024年03月29日(金) 発作のようなこと

昨夜は殆ど雨は降らず春の嵐ではなかったようだ。

今朝は晴天となっており日中は20度を超え汗ばむ程の陽気となった。

桜が次々と咲き始めなんだかわくわくとしてくる。

例の平田町の桜並木も3分咲き程になった。

週末にはお花見客もあるだろう。夜にはぼんぼりに火が灯るかもしれない。

夜桜も好いものだ。昔は家族揃って行ったことがとても懐かしい。



3月最後の金曜日。村役場等は年度納めだったようだ。

異動があった職員は引き継ぎに忙しそうにしていた。

義父がいつも懇意にしていた農林業課の職員も異動とのこと。

もう相談も出来ないと義父は少し途方に暮れている。

それも新年度が始まってみないと分からないことだ。

また良き職員に巡り合えるかもしれないではないか。


会社は5月決算なのでいつもと変わらない月末となった。

資金繰りが順調だったので気苦労もなく順調に終える。

中古車の納車が一台あったがオーディオが不良とのこと。

昨日の義父の電話はその件で部品注文が間に合わなかったのだ。

今朝はもう叱られずに済んだがやはり心苦しくてならない。


3時半まで仕事。なんだか疲れてしまって明日はお休みを頂く。

サニーマートへ行ったら今日は「肉の日」だと騒いでいる。

「天下茶屋」にしようと窪川産の牛肉を買ったが特売ではなかった。

2パックで2500円。輸入肉が見当たらず残念だった。


4時半に帰宅。2階の窓からめいちゃんが手を振ってくれて嬉しい。

おまけに外まで駆け出して来てくれて重い荷物を運んでくれた。

春休みの間は学童の「たけのこ学級」に通っているが

3時までなのでおじいちゃんがお迎えに行っていたようだ。


昼間は新任の保健室の先生と教頭先生が来てくれたとのこと。

あやちゃんは緊張することもなく笑顔で応対していたと聞きほっとする。

どんな先生なのだろう。気になってしょうがないが

あれこれ詮索するなよと夫からきつく言われてしまった。

話したくなったらきっとあやちゃんから聞けることだろう。



5時までに短歌を書こうと自室にこもりパソコンに向かった。

制限時間は15分ほど。一首につき5分となかなか厳しい。

考えている時間はないのでまるで発作のようにして書いた。

自己満足に過ぎないが書き終えた後のなんと清々しいこと。

思わず「今日もやったね」と声が出る。

実は昨夜もあれから書けてしまったのだ。

おかげで思い残すこともなく心地よい達成感があった。


どれほど忙しくても心を亡くしてはいけないと思う。

私にとって書くことは生きることに等しいが

それは同時に「生きたい」欲なのではないだろうか。

その欲を手放すことはとても考えられないことである。


些細なことであっても「いのち」を注ぎ込めるような

そんな生き方をしたいと願ってやまない。



2024年03月28日(木) 春の嵐が来る前に

曇り日。夕方からぽつぽつと雨が降り始める。

今夜から明日の朝にかけて激しく降るのだそうだ。

花曇りから桜雨。花に嵐にもなり得るだろう。



今日は義父がずっと工場の仕事をしてくれて助かった。

雨の予報だったので最初から諦めていたのだろう。

私もする仕事は沢山あったがリハビリの日だったので早めに終える。

日によって予約時間が異なり2時半までに着かなければいけなかった。

電話はマナーにしなければならず気にはなっていたが

急ぎの用事があり義父が何度か電話を掛けたらしい。

4時に病院を出たがうっかりしていて着信に気づかなかった。

日が暮れてからやっと気づき折り返し電話をしたのだが

「もういい、もう間に合わん」と義父に叱られてしまった。

そんな些細なことでも私はひどく落ち込んでしまう。


そのせいではないのだが今日は短歌が書けなかった。

言い訳になってしまうが時間の余裕が全く無かった。

今からでも書けないでもないがもう諦めようと思っている。

決して書かなければいけないのではない。

詩も短歌もこの日記も書きたくてたまらないから書いているのである。


日課のひとつが欠けてしまったことが残念でならない。

なんだか片腕を失ってしまったように哀しい。





今日は娘が休みだったのでずいぶんと助かった。

帰宅したのが5時だったので尚更のことである。

掃除機も掛けてくれており洗濯物も畳んでくれていた。

来月からは職を失ってしまうのでしばらく主婦をするらしい。

私は助かるがずっと失業中ともいかないだろう。

まだ先のことは見えないが明るい前途であって欲しいと願っている。


娘が一口カツを揚げてくれた。私は高野豆腐を煮る。

昨日の椎茸が残っておりそれしか思いつかなかった。

ダンス教室があるので娘とめいちゃんは出掛けてしまって

あやちゃんは独りで夕食を食べていた。

「おばあちゃんはお風呂に入ったや。大丈夫やけん」

寂しくはないかと気遣っていても一人気ままが良いようだった。

独りぼっちに慣れてはいけないと老婆心のように思う。



雨は降ったり止んだりのようで今は雨音も聴こえない。

なんだかしんみりとしてしまってどうしようもない。

これからSNSへ飛ぶが短歌が書けるかもしれない。

行ってみないと分からないのだ。こことは全く違う世界である。



2024年03月27日(水) 春に三日の日和なし

夜明け前には檸檬のような月が見えていた。

私はそれを「見られている」と表現する。

そうして詩が書けるのならそれで良かったのだろう。

月の光は果汁である。今にも零れ落ちてしまいそうだ。


夜が明けると雲ひとつない青空が広がっていた。

なんと清々しいことだろう。そうして私の一日が始まる。



職場に着くなり義父がまたそわそわと落ち着かない。

開口一番に「田んぼへ行ってもええか?」と私に問うのだった。

昨日は逃げるように出掛けて行ったのに今日はどうしたことだろう。

まるで小学生が母親に「遊びに行ってもええ?」と問うようであった。

私は愉快でたまらない。「宿題をしてからね」とはもちろん言えない。


お昼過ぎに一度戻って来て契約に行った。

先日の事故のお客さんが新車を買ってくれることになったのだ。

30分もしないうちに「売れたぞ」と上機嫌で帰って来る。

そうしてまた長靴を履くと大急ぎで田んぼに向かったのだった。

おそらく日が暮れるまで農作業をしていたことだろう。

とても80歳とは思えないパワフルな義父であった。





少し早めに仕事を終えられたので3時過ぎにはサニーマートへ着く。

今夜のメニューは八宝菜に決まっておりちゃちゃっと買物をする。

むき海老が半額だったので助かった。椎茸も特売である。


5時になり夕食の支度を始めようとしたらあるはずの白菜がない。

昨日娘が友人から貰ったので冷蔵庫に入っているはずだった。

春らしくなったので鍋物よりも八宝菜だと閃いたのだが

冷蔵庫の野菜室には白菜の菜花のような物が入っていた。

それはそれでざっと湯がいてポン酢マヨで食べたら美味しい。

しかしどうしてそれで八宝菜が出来ようか。

よくよく考えたら今の時期に路地物の白菜があるはずがなかった。


しばらく台所で狼狽えていたが何か他の物を作らなくてはいけない。

豚バラ肉で生姜焼きを作る。むき海老は天婦羅にすることにした。

お風呂上がりの夫がビールを飲み始めたので

大急ぎで鰹のお刺身を作る。まるで小料理屋の女将のようだった。

6時前にやっと娘が帰って来て海老天を揚げてくれ助かる。


夫は八宝菜が好きで中華丼を楽しみにしていたようだが

あやちゃんはあまり好まず海老天の方が嬉しかったようだ。

今日も機嫌がよく笑顔で食べてくれて嬉しかった。



お風呂上りに血圧を測ってびっくり。上が170もあった。

最近はずっと落ち着いてたので「まさか」と疑う。

自覚症状は全くないがおそらく台所で奮闘し過ぎたのだろう。

ストレスではなくパニックだったのだ。

まあどんな日もあるだろうとあまり気にせずにこれを記している。

大丈夫。これくらいで死にはしない。



「春に三日の日和なし」とよく云われるが

今日の快晴が嘘のように明日はまた下り坂なのだそうだ。

明後日には春の嵐になるのかもしれないが

咲き始めた桜のなんと健気なことだろう。


彼女らは何があっても咲くのだ。決して挫けることはない。




2024年03月26日(火) 三月の素麺

夜明けと共に雨はやみ日中は次第に晴れて来る。

午前中は汗ばむ程の暖かさであったが午後から風が強くなった。

明日の朝は平年並みの気温に戻るとのこと。寒暖差がとても激しい。


青空が見え始めると一気に桜の花が咲き始め

朝にはまだ咲いていなかった木にもぽつぽつと花が見え始める。

今日よりも明日と次々に咲き始めることだろう。



仕事が忙しく何から手を付けたら良いのか。

来客も多くしゃがれた声のまま応対に追われていた。

晴れたら義父も田んぼに行きたくてならずそわそわと落ち着かない。

田んぼに水を張る前に田起こしをしなければいけないのだ。

お昼前に逃げるようにして出掛けて行った。


私は昨日の事故車も含めナンバープレートを外す作業をしていた。

それが螺子が錆びついていてドライバーでは外れない。

杖を付きながらの片手作業なので尚更のことだった。

仕方なく同僚の手を借り3台のナンバープレートを外すことが出来る。


次は車検証と一緒に高知市内の代書事務所へ速達で郵送する。

最近の郵便事情はとても悪く普通便では翌日に着かないのだ。

29日までに着けば間に合うのだが何か不備があってはいけない。

廃車は特に気を遣う。来年度の自動車税が掛かれば大変なことになる。


郵便局を出たのが12時40分。今日はお昼休みどころではなかった。

義父が大量の洗濯をしていたのでコインランドリーへ持って行く。

いつものことなのだが10日分程溜めるのが常だった。

下着も作業着も後が無くなるまで洗濯をしないのだ。


母が健在だった頃はこまめに洗濯をしていて

ベランダいっぱいに干していたことを懐かしく思い出した。

でも母は畳むことをしなかった。仕事が忙しく手が回らなかったのだろう。

私が畳むことが多かったがそれも今となってはとても懐かしい。

5本指の靴下の左右を間違えてよく叱られたものだった。


コインランドリーでとても親切な女性に会った。

娘と同じ年位だろうか。乾いた洗濯物を車まで運んでくれたのだ。

私が杖を付きながら苦心しているのに見兼ねたのだろう。

大きな洗濯籠を両手に持って軽々と運んでくれなんと嬉しかったことか。

足が不自由になってからよけいに他人様の親切が身に沁みるようになった。


自分で出来ることはなるべくと思いつつ甘えたり頼ったりする。

無理をしたり強がったりしてはいけないのだと最近よく思う。

でも甘えっぱなしではいけない。恩返しをすることも大切なことだ。





4時に帰宅。今日は「夢に餅」はなく自分で洗濯物を畳んだ。

お昼休みが無かったのでまだ短歌を書いていない。

ふとたまには休もうかと思ったが「毎日」に拘っているようだ。

自室のパソコンに向かい開け放した窓から西の空を仰ぐ。

風は強いがなんと清々しい青空だろうと思った。

西に傾いたおひさまは眩しいほどに輝いている。

そうしているうちに自然に31文字が浮かんで来た。

15分で書ける。我ながら大したものだと己惚れるばかり。



炊飯器の蓋を開けたらご飯が少ししか残っていなかった。

夫に相談したら「素麺が食べたい」と言う。

幸い去年の夏の素麺が沢山あり早速大きなお鍋で湯がいた。

これが大好評で孫達も大喜びで食べてくれて嬉しかった。

三月に素麺も良いものだ。四月だって五月だって素麺だ。

真夏になれば毎日でも素麺が食べたい。





2024年03月25日(月) 「余生」ではなく「与生」

いかにも春らしい優しい雨。あたり一面がしっとりと潤う。

同じソメイヨシノでも木によって環境が異なるのだろう。

すでに3分咲の桜もあればまだ蕾のままの桜がある。

四万十川の中流地域では川沿いの桜がもう満開なのだそうだ。


桜に左右されているわけではないが気分は晴れやかである。

鬱々と考え込むこともなくすっきりとししているようだ。

くよくよしても始まらない。すくっと前を向きたいと思う。


桜は咲けば散ってしまうが私はまだ散るわけにはいかない。

「余生」ではなく「与生」なのだそうだ。

与えられた定命をなんとしても全うしたいものだ。




義父が高知市へ出張。緊張感が緩み同僚と共にゆったりと仕事。

同僚は少し鬱気味になっており眠れない夜が続いているらしい。

仕事の忙しさに加え日曜日は農作業をしているのだそうだ。

おそらく過度の疲労で精神的なストレスが溜まっているのだと思う。

先日も義父に相談したが「じゃあ毎日遊んでいればいい」と言う。

人一倍タフな義父にはとても考えられないことなのだろう。


お昼前にお客さんが転落事故を起こしSOSがあった。

ガードレールのない林道を走っていてハンドル操作を誤ったらしい。

義父が不在なので同僚が駆け付けたがとても手に負えない状況である。

幸い任意保険に加入しており専門の業者に依頼することが出来たが

レッカー搬送されて来た車を見て血の気が引けるほど驚く。

助手席は大破しており窓ガラスは割れ車内は荷物が散乱していた。

もし助手席に誰かが乗っていたら命に関わるような事故であった。

運転していたお客さんはかすり傷で済み不幸中の幸いである。

自動車税のこともありすぐに廃車の手続きしなければいけない。

それから新車は買えないので中古車を至急探して欲しいと依頼がある。

明日には早速段取りをするがまた義父が忙しくなることだろう。




いつもより少し早めに帰路に着く。今日は「ちきん館」で買物をした。

「丸っぽ鶏」と「鰹のタタキ」を買い自販機で冷たい缶コーヒーを。

ラジオを聴きながらコーヒーを飲みながら帰った。


帰宅してももう大相撲はない。夫のなんと退屈そうなこと。

しばらくは大相撲ロスが続きそうである。

まだ4時だったので録画してあった「ポツンと一軒家」を見ていたが

例の如くでまた途中から眠りこけてしまっていたようだ。

5時になりまだ洗濯物を畳んでいないことを思い出す。

やれやれと溜息を付きながら乾燥機を覗きに行ったら洗濯物が無い。

夫に訊いたら娘が出勤前に畳んでくれたようだった。

思わず「夢に餅」と声が出る。娘も気忙しかったことだろうに。


夕食は出来合いの物ばかりだったので孫達にワンタンスープを作る。

それからエノキ茸を湯通しし甘酢和えを作った。

夫は今夜もビール。ご飯も普通の白米を食べることが出来る。

酷かった下痢も軟便になったそうでもう大丈夫だろう。



雨はまだ降り続いており雨音が耳に心地よい。

このまま雨音を聴きながら眠るのも良いだろう。


詩が書けた。短歌も書けた。こうして日記も書けた。

思い残すことは何もない一日が終ろうとしている。



2024年03月24日(日) 催花雨

桜が咲き始める頃に降る雨を「催花雨」(さいかう)と言うのだそうだ。

花を催促する雨と云う意味である。

桜が咲けば「桜雨」寒の戻りがあれば「花冷え」曇れば「花曇り」

古くからの日本語はなんと風情があり好きだなと思う。

私のように無知で学のない者は少しずつ覚えて行かなければならない。

今日は「催花雨」を覚えたので少しだけお利口さんになった。



夫の体調が心配でならない朝だったが幸い熱は平熱になっており

今朝はいつも通りに起床し一緒に朝食を摂る。

昨夜の雑炊が残っておりお味噌汁も飲んだ。

しかしまだ下痢が治まらず食後はトイレに直行だった。

めいちゃんのダンスの発表会「オムツをしてでも行くぞ」と強がる。

楽しみにしていただけに気合で治そうとする意気込みが伝わってきた。

発表会は午後からだったので午前中は様子見である。


昼食は温かいおそばを食べる。食欲はあるようでほっとした。

その後すべてを出し切ったようだ。とてもすっきりした顔をしている。



土佐清水市までは40分足らず。遠いようでけっこう近い。

雨も小降りになっており久しぶりのドライブであった。

お遍路さんのなんと多いこと。青い目をしたお遍路さんも歩いていた。

行きだけでも10人ほど。春遍路ならず雨遍路である。

雨合羽を着ていても足元はずぶ濡れだろうと気遣う。


土佐清水市民会館へ着いたが既に駐車場は満車状態である。

なんとか一台だけ停めることが出来てほっと胸を撫で下ろした。

一時半の開演でプログラム一番からもうめいちゃんの出番である。

可愛らしい衣装。メイクもしてグレーの付け髪もしている。

親馬鹿ではないが他の誰よりも上手に見えた。

嬉しくてならなかったが夫はもっと嬉しそうな顔をしていた。

無理をしたのかもしれなかったが観に来れて本当に良かったと思う。

発表会は昨年に引き続き2回目であったが

めいちゃんが心から楽しんで好きなダンスを踊っているのが分かる。

ずっと末永く続けられたらと願うばかりであった。

そうして成長していく姿を見続けることが出来ればこの上ない幸せである。



娘達が外食とのことで今夜も夕食の支度を免れる。

あやちゃんにはテイクアウトを買って来るそうだ。

スシローだろうか、はま寿司だろうか定かではないが

あやちゃんも一緒に行ける日が来れば良いなあと思った。


夫がまた雑炊が食べたいと云うので「ちょっと雑炊」を作る。

仕上げに卵を入れるととてもインスタントには見えない。

それから鰤の塩焼き。玉子豆腐もぺろりと平らげる。

さすがにビールはもう一日我慢するように言ったが

どうしても飲みたいと言って聞かないのではらはらした。

あらあらという間に500を一本飲み干し満足したようだった。

今夜下痢がなければもう大丈夫だろう。

それにしても人騒がせなお腹だったこと。



気温は一気に春らしくなったが明日も雨になりそうだ。

桜の蕾はどんどんと膨らみ花開いていくことだろう。

春だからこそ忘れてはいけないことがあったが

いつか自分を赦せる日が来るのだろうか。







2024年03月23日(土) 真っ直ぐでなくてもいい

曇り日。時おりぽつぽつと小雨が降る。

彼岸明けとなり気温は一気に高くなって春らしくなった。

高知城の桜が今日開花したそうで全国一番の開花宣言がある。

あと一週間もすれば見頃になり春爛漫となることだろう。



深夜に夫が嘔吐と下痢。私は爆睡しており全く気づかなかった。

昨夜きびなごのお造りを食べたのだが食あたりだろうか。

私も食べたが異常はなく原因は定かではなかった。

よほど辛かったのだろう今朝はぐったりとしていた。


もちろん食欲があるはずもなく今朝は独りで朝食を食べる。

テレビを点けていなかったらしんみりと寂しかったことだろう。


娘夫婦も仕事だったので留守にするのが心配だったが

夫が「行ってこいや」と言ってくれその言葉に甘えた。

カーブスを終えるなり山里の職場へと向かう。

今日中に仕上げなければいけない車検があり致し方なかった。

3時間ほど仕事。義父が納車に行ってくれてほっと肩の荷が下りる。


帰り道にお客さんに車検証を届けに行ったら胡瓜をたくさん頂く。

ハウス農家にアルバイトに行っているそうで規格外の胡瓜だそうだ。

大き過ぎたり曲がったりしていると出荷出来ないと聞き憐れでならない。

胡瓜も曲がりたくて曲がっているわけではないのだ。

野菜にだって命が宿っている。どうして粗末に出来ようか。

全部で30本程あっただろうか。帰宅してご近所さんにお裾分けした。

お向かいの奥さんは漬物にすると言って喜んで貰ってくれる。


夫は吐き気は治まっていたがまだ下痢が続いているとのこと。

なんとなく熱っぽいと言うので測ったら37度5分あった。

早目に病院へ連れて行ってやれば良かったと悔やまれてならない。


お昼は軽くお茶漬けを食べることが出来たそうだ。

孫達もそれぞれにカップ麺を作り食べたらしい。

私が留守にしなければもっとまともな物を食べさせてやれただろう。

これも悔やまれたがもう後の祭りであった。


明日はめいちゃんのダンス発表会があり今夜はリハーサルだそうだ。

夕食は要らないと言うので今夜も楽をさせてもらった。

夫は卵入りの雑炊を。あやちゃんは冷食のパスタ。私はチキン南蛮。

まだ6時であったが夫は解熱剤と正露丸を飲んで早めに床に就いた。

明日の発表会を楽しみにしていただけに治ることを願ってやまない。



今はまだ降っていないが明日は大雨になるそうだ。

木の芽には必要な雨かもしれないがお手柔らかに願いたいものだ。


私は燃え尽き症候群ではないかと思うほど無気力になっている。

ひたすらぐっすりと眠りたくてたまらない。





2024年03月22日(金) 別れの季節

今朝も真冬並みの冷え込みであったが日中は穏やかな晴天となる。

気温はさほど高くはならなかったがたっぷりの陽射しが降り注ぐ。

明日以降は雨になるらしいがもう寒の峠は越えたようだ。


仕事で平田町まで行っていたら川沿いの桜並木に沢山の人。

桜はまだ蕾だがぼんぼりを付ける作業をしていたようだ。

去年よりも多いのではないだろうか桜並木が鮮やかになった。

おそらくコロナ禍でお花見を自粛していたのだろう。

今年は大勢の人が訪れるに違いない。微笑ましい光景が目に浮かんだ。

私も仕事帰りにお花見が出来る。わくわくと楽しみでならない。




今朝は目覚めるなり右足の痛みを感じなくなっておりおどろく。

昨夜までの痛みは何だったのだろう。なんだか狐につままれたようだった。

三日目だったので自然に治ったとも考えられたが

母が私の願いを聞いてくれて赦してくれたとしか思えなかった。

これ以上懲らしめたら可哀想だと思ったのに違いない。


生前はよくいがみ合い言い争うことが多かったが

それも今では懐かしい思い出となった。

母はそう遠くはない処に居てずっと私を見ているのだと思う。

おそらくこの日記も読んでいるだろう。

私の心の中はすっかりお見通しで自由自在に操ることも出来る。

姿かたちは見えなくなっても魂とはきっとそんな存在ではないだろうか。

それは決して怖ろしいことではない。むしろ有難いことなのだ。




仕事は怒涛の忙しさで4時までの残業となる。

残り仕事があり明日も出勤することにして帰路に着いた。

サニーマートで買物をし帰宅したらもう5時である。

今日は娘が休みだったのでずいぶんと気が楽だった。


玄関先に来客があり賑やかな話し声がしていて

保健室の先生があやちゃんにお別れに来ていたようだ。

先日教職員の異動が発表となり他校への転勤が決まったらしい。

今日は卒業式と終業式だったのでとうとう最後になってしまったのだ。

あやちゃんが唯一心から打ち解けることの出来た先生だった。

どれほどの優しさだったことだろう。どれほど親身になってくれたことか。

あやちゃんは笑顔で接していたがきっと寂しさでいっぱいだったと思う。

これで縁が切れるとは思いたくないがもう結ぶ糸が見つからない。

しばらくは途方に暮れると思うがそれも試練なのだろうか。

娘は仕方ないよとあっけらかんとしていたが

私はあやちゃんが憐れで可哀想でならなかった。


春はどうしようもなく別れの季節であるが

また新鮮な出会いもきっとある季節である。


どうかどうかあやちゃんがすくっと前を向いて歩いて行けますように。



2024年03月21日(木) 母が与えた罰

今朝は真冬並みの冷え込みとなる。

日中も気温が上がらず寒い一日となった。

彼岸が明ける週末にはやっと春本番になるとのこと。

もう少しの辛抱だ。そうして桜の季節がやって来る。


右足の痛みは相変わらずで昨夜の湿布も効かなかったようだ。

これまでどれほど右足を頼りにしていたことだろう。

労わることもせずに酷使していたことを今更ながらに感じる。


ふと頭を過るのはこれは罰ではないかと

神様でも仏様でもなく母の仕業なのに違いないと思ったのだ。

昨年の49日の法要以来お線香の一本も上げていない。

巳の日正月もしないまま年を越してしまったこと。

彼岸も同じく何ひとつ供養らしきことをしていないのだ。

そんな薄情な娘に母が黙っているとは思えない。

懲らしめてやろうと母ならあり得ることである。


私の部屋には小さな仏壇があり父と母の遺影を祀ってあるが

おそらくそれも気に入らないのだろう。

とっくの昔に離婚した父と一緒に居るのが耐えられないのだと思う。

それはあくまでも私の都合なのだ。なんと身勝手なことだろう。


だからと云ってどうしようも出来ない。

母はきっと許してくれるに違いないと勝手に思い込んでいた。

怒っているのなら夢でもいいからそう伝えて欲しい。

私は試練だと受け止めて耐えて見せようと思っている。




お昼休みにいつものように短歌を三首。

残った時間で同人誌に送る16首をやっと選ぶことが出来た。

メールで送信するのだが何の手応えもないのはいつものことである。

虚しくてならない。そうしてどっと気疲れが襲って来る。

やはり潮時なのかもしれない。これが最後かもしれないと思う。



午後も仕事が忙しくリハビリの予約時間に間に合いそうになかった。

病院に電話をしたら4時の予約に変更出来て助かる。

車検完了の納車を済ませてから大急ぎで病院に向かった。

今日は初対面の療法士さんで最初は少し緊張したが

あれこれと話し掛けてくれて一気にリラックス出来る。

右足の痛みも気遣ってくれてなんとも優しい施術であった。

やはり左足を庇うため酷使し過ぎたのだろうと言う。

ふくらはぎの筋肉はパンパンに張っている。

揉み解してもらってずいぶんと楽になった。


母の罰だとしても後悔しているのかもしれない。

可哀想だと思ったらもう赦してはもらえないだろうか。




今夜は娘が職場のお別れ会で留守にしている。

夕食は要らないと言うので楽をさせてもらった。

めいちゃんと娘婿はダンス教室が終ってから何か買って来るそうだ。

あやちゃんには娘が出掛けに冷凍のたこ焼きをチンしていた。

そんな物で良いのかと気遣うと今夜はたこ焼きの気分なのだそうだ。

それだけではあんまりだと思っていたら昨夜の寄せ鍋の残りも

嫌がらずに食べてくれて嬉しかった。鶏肉が残っていて良かった。


夫と私は寄せ鍋におうどんを投入しぐつぐつ煮て食べる。

後はサニーマートの鰹のタタキとイカの唐揚げがあった。

寄せ鍋はまだ残っており明日の朝が最後の勝負である。

いつも作り過ぎてしまうのだ。でも捨てる訳にはいかない。



明日の朝も冷えるのだろうか。暖かくして眠ろう。

明日はあしたの風が吹くらしいがどうか春の風でありますように。



2024年03月20日(水) 月見うどん

春分の日。彼岸の中日でもある。

一気に春らしくなる頃であるが「寒の戻り」となり

朝から強い北風が吹き荒れ真冬のような寒さとなった。

もう少し気温が低ければ雪がチラついたことだろう。


今朝は目覚めるなり右足が酷く痛んでいた。

寝ている間に筋がつったのだろうか原因は不明である。

日頃から痛む左足を庇って酷使していたせいなのかもしれない。


両足が不自由となればまとも歩くことも出来ず困惑するばかり。

とりあえず湿布を施し様子を見ていたが痛みは治まらなかった。



朝のうちに2時間ほど寝る。そろそろ買い物に行かねばならない。

めいちゃんが一緒に行ってくれることになりなんとも心強い。

カートを押してくれて食材を籠に入れてくれとても助かった。

寒いのでお昼はおうどん。夜は寄せ鍋にすることにした。

グレの切り身、白身魚のすり身、牡蠣、鶏団子などを買う。


帰宅したらもうお昼。4人分のおうどんを急いで作る。

玉子を入れて「月見うどん」にした。

嬉しかったのはあやちゃんも一緒に食べてくれたこと。

お汁まで飲み干して「美味しかった」と言ってくれた。

いつもはカップうどんを食べることが多く珍しかったのだろう。

もしかしたら初めて食べたのではないかと思った。

だとしたら今日は「月見うどん記念日」である。




身体がぽかぽかと温まりまた眠くなってしまった。

炬燵に潜り込むなり直ぐに寝ていたようで目覚めたらもう4時である。

あまりに寝るので夫は呆れるよりも心配をしていた。

私も異常だと思う。今日は朝から6時間も眠っていたのだ。


もちろん寝ている間は何も出来ない。

それだけ時間を無駄にしていることになる。

今日は同人誌に送る短歌を選ぼうと思っていた。

16首どころか一首も選べずいったいどうなることだろう。

いつまでたっても精力的に取り組むことが出来ない。

それ程までに無気力になってしまったのだろうか。


寝起きの気だるさはあったが今日の短歌は詠むことが出来た。

相変わらずの塵芥である。けれども誰かが見つけてくれるだろう。

諦めてはいけないのだと思う。私は塵を積み重ねていかねばならない。


塵を見つけた人はゴミ箱に入れてくれるだろうか。

いや丸めてぐしゃぐしゃにして放り投げてしまうかもしれない。

そうしたら風に乗って何処までも飛んでいけるのだ。







2024年03月19日(火) 春彼岸

曇り日。午後から少しだけ雨が降る。

寒の戻りなのだろう。気温も上がらず肌寒い一日となった。

明日は今日よりも冷え込むらしい。まるで冬があがいているようである。


今朝はなんとなく動悸がしふたふたと落ち着かない。

また眩暈の前兆かもしれないと安定剤を服用したのがいけなかった。

運転中にいつも以上の眠気に襲われ危うく事故を起こしそうになる。

一瞬眠っていたのだろうはっと気づけば反対車線を走っていた。

対向車が目前に見え慌ててハンドルを切ったが危機一髪であった。

気をつけようにも成す術もない。まるで命がけの運転である。


毎朝の眠気にはもうすっかり慣れているつもりだが

以前に医師に相談した時には誰にでもあることだと言われた。

あまり神経質になってもいけないようである。

もしかしたら自己暗示に掛かっているのかもしれない。



今日もお昼休みに短歌を詠んだ。3首詠むのに30分程かかる。

直ぐにスイッチが入るのは良いことだが決して上出来とは言えない。

同人誌の締め切りも近づいており16首選ばなければいけないが

どれもこれも塵か芥のような短歌ばなりで頭を抱えている。

今日はいっそのこと同人誌なんか止めてしまおうかと思った。

それよりもSNSでひっそりと発信し続ける方が気楽である。

掲載費を支払ってまで活字にする必要があるのだろうかとも思う。


このところずっと三首目には「あの子」のことを書いているが

ただただそれがささやかな供養になればと思っている。

「あの子」のことを知っている人は数少ないはずだ。

この日記を昔から読んでくれている人に限られる。

もう今更おおやけにするつもりはない。

だから誰に何と言われようと「あの子」を守らなければいけない。


「抱くことも叶わなかった魂が野を彷徨っている春彼岸」





今日も3時半まで仕事。小雨降る道を突っ走るように帰る。

昨日よりも今日と咲く枝垂桜を見たが停車せずに走り抜けてしまった。

きっと写真を撮ろうと思っている。やはり晴れた日が良いだろう。


サニーマートでは半額品をあれこれ仕留めご機嫌も麗しい。

塩焼き用の鰤、イカの浜焼き、アスパラベーコン、むき海老。

とにかく買って帰ればなんとかなるだろうと思っていた。


そうしたら何と言うことでしょう。帰宅したら車庫に娘の車があった。

一気に目の前が明るくなる。「夢に餅」とはこのことである。

久しぶりに娘と肩を並べて夕飯の支度をした。


娘は今月いっぱいで失業するのでしばらくは暇になるようである。

新しい仕事が見つかるまでは私も楽をさせてもらえそうだ。


あやちゃんもめいちゃんもご機嫌。笑顔のまま一日が終ろうとしている。



2024年03月18日(月) 木の芽起こしの頃

陽射しはたっぷりとあったが風は冬のようだった。

強風注意報が出ていたようだ。北風は暴れん坊である。


今朝は国道沿いの白木蓮がすっかり散っており詫びしいこと。

僅かに残っている花も冷たい風に震えているように見えた。

お遍路さんがひとりふたり背中を押されるように歩いている。

ここ数日の間に増えたようで全部で6人のお遍路さんに会えた。

追い越しながら会釈をするばかり。もちろん一方通行の会釈である。

声を掛けるきっかけがつかめない。その前にまだまともに声が出ない。



仕事を始めて2時間ほど経った頃だったろうか。

いきなり眩暈がし始め一瞬倒れるのではないかと思った。

数年前にはよくあったことだが最近ではすっかり忘れていた眩暈である。

昨日はゆっくり休んでおり疲れとは考えられない。

もしやと思い血圧を測ってみたがこれも正常であった。


木の芽起こしの頃であり季節の変わり目でもある。

寒暖差も著しくおそらく自律神経の乱れではないだろうか。

いつも持参している安定剤を服用ししばらく様子を見ていた。


お昼休みに30分程クルマのシートを倒しうとうとした。

それが良かったのか午後からは少し元気になる。


体調を崩すと直ぐにパニックになってしまう。

そうして死ぬのではないかと不安でいっぱいになってしまうのだ。




3時半まで仕事。買物もしなければ、洗濯物も畳まなければ

気ばかり焦って車を飛ばしていたら県道沿いの枝垂桜に目が留まる。

桃色の桜である。いつの間に咲いたのだろうと思った。

近くにはソメイヨシノの並木もあるが真っ先に咲いたようだ。

帰り道の楽しみが出来た。明日は車を停めてみようと思う。



夕飯はオムライス。それから南瓜の素揚げ。

お刺身はびんなが鮪がお買い得になっていた。

オムライスは簡単そうでけっこう手が掛かる。

南瓜を揚げながら作ろうとしていたが手に負えなくなった。

あやちゃんは料理クラブの気分ではなかったようだが

「あやちゃん助けて〜」と呼んだらすぐに二階から下りて来てくれる。

そうして南瓜を全部揚げてお皿に盛りつけてくれたのだった。

私は感激で胸がいっぱいになり涙が出そうなくらい嬉しかった。


6時前に娘が帰宅。褒められたあやちゃんの笑顔が輝いている。

今日は自主的ではなかったがどれほど助かったことだろう。

「出来ることがある」それはきっと自信に繋がるに違いない。


学校はもうすぐ卒業式があり春休みに入る。

その春休みの間に事態が好転するかもしれないと

期待ではなくひたすら祈るような気持でいる。


もう新鮮な春が始まっているのだもの。



2024年03月17日(日) 俺より先に死ぬなよ

小糠雨降る一日。気温はさほど低くはなかったが肌寒く感じた。

彼岸の入り。あちら側とこちら側に真っ二つに分かれてしまいそうだ。

正しい日本語なのかは定かではないが私はよく「寒の別れ」と表現する。

「暑さ寒さも彼岸まで」と昔の人はよく言ったものだ。



夫72歳、母が生きていれば86歳の誕生日である。

夫と出会った若き日に「運命」を感じたが果たしてどうなのだろう。

苦労も多かったが今のこの幸せを噛みしめずにはいられない。

45年目の春である。共に白髪の生えるまではとっくに過ぎた。

あと何年添え遂げられるのだろうとそればかり考えている。

「俺より先に死ぬなよ」残された私はどうやって生きていけばいいのだろう。




朝のうちに髪を切りに行きさっぱりと心地よくなった。

私にはいつも2センチの憂鬱があるようだ。

生きている証なのだろう。2ヶ月で2センチ髪が伸びる。


義父から何度も着信がある。どうやら一人で仕事をしていたようだ。

昨日二日酔いでサボってしまったのでよほど心苦しかったのだろう。

逐一報告してくるのでまたまた子供みたいだと可笑しくなる。

かなり仕事が捗ったようで明日が楽しみであった。



夕方、めいちゃんが食卓の周りに飾り付けをしてくれる。

折り紙で作った花や風船まで飾ってくれ夫のなんと喜んだこと。

プレゼントと手紙まで渡してくれて夫は涙ぐんでいた。

私はふと不安になった。もしかしたら最後の誕生日ではないかと。

いやいやそんなはずはないと振り払うように思い直す。


いつも優しいめいちゃんの成長した姿だったのだろう。

大好きなおじいちゃんのために心を尽くしてくれたのだと思う。


夫も母も彼岸に生まれ春に祝福されたことだろう。

桜の花が咲き嬰児の瞳に鮮やかに映ったに違いない。


母には今年の桜を見せてあげることが出来なかったが

夫よ。どうかどうか長生きをして下さい。

私より先に逝かないで下さい。





2024年03月16日(土) サクラサク

快晴。昨日よりも更に気温が上がり汗ばむ程の陽気となる。

宿毛市に続き四万十市でも桜が咲いたのだそうだ。

山桜、山ツツジはすでに咲いており山々を彩っている。

今年は暖冬だったせいか急ぎ足の春であった。


朝のうちにカーブスへ行き終わり次第に職場に向かう。

昨日車検が完了した車があったが適合証を書き終えていなかった。

検査員の義父が留守だとこれが困りどうしようも出来ない。

お客さんに迷惑をかけてしまうので今日こそは納車しなければならなかった。


お昼前に職場に着いたが義父の姿が見当たらなくて焦る。

農作業かと思いおそるおそる電話を掛けてみたら

二階の居室で発信音が鳴り響いているのだった。

しばらく鳴らし続けていたらやっと義父が出てくれる。


どうやら二日酔いでダウンしていた様子である。

昨日苗床を運び出すのを手伝ってくれた友人達と酒盛りをしていたらしい。

義父は労いのつもりだったろうがいささか飲み過ぎたようだ。

若い頃から酒豪ではあったがもう80歳の高齢者である。

青年団ではあるまいしもっと限度を知るべきだろう。


しかしなんだか子供みたいな気がして微笑ましくもあった。

そのやんちゃぶりは90歳になっても変わらないだろう。



書類を書き終え仕事は直ぐに終ったがとんぼ返りするわけにもいかず

二時間ほど待機して同僚に留守番を頼み帰路に着く。

峠道に差し掛かる前に畑仕事をしている亡き母の友人を見つけた。

道端に車を停めてしばし話し込む。とは云えまともに声は出ない。

じゃが芋の植え付けをしていたのだそうだ。もうそんな季節なのか。

別れ際に「声かけてくれて有難うね」と言ってくれて嬉しかった。

ささやかなことなのだ。声がまともならもっと話せたのにと思う。


3時前に帰宅。大量に干していた洗濯物がもう取り入れてあった。

娘が休みだったのに夫が日課と称して早目に入れてくれたようだ。

感謝すべきところだがつい「3時までは干しちょったらええに」と

言ってしまう。そうしたら「乾いたらさっさと入れたらええがや」と

女はまだもったいないと思うが男はそうではないようで可笑しかった。


直ぐに畳もうと思いつつ炬燵に潜り込んでしまう。

そのまま一時間ほど寝入っていたようだった。

目覚めてからもしやと思い確認すると娘がもう畳み終えていた。

「しめしめ」と思う。実はそれが私の作戦だったのだ。


今夜はダンス発表会のリハーサルがあり娘達の夕食は要らなかった。

おさんどんを免れることほど嬉しいことはない。

ローソンに行って夫にはカツ丼、私は明太子パスタを買って来た。

食器洗いもしなくていい。なんと楽ちんな夜だろうか。


あやちゃんは娘がお昼にカレーを作っていて今夜もカレーである。

部屋で食べると言うので娘が出掛けにお盆に載せて運んで行く。

昨日の夜から顔を見ていないがきっと笑顔でいることだろう。

お風呂上りに声を掛けてみた。「あやちゃんお風呂にどうぞ」

「うん、わかった」と明るい声が聞こえとてもほっとしている。



このところずっと寝る前にSNSで発信をしている。

どうでもいいようなつまらない言葉でも反応があるのが嬉しい。

所詮酔っぱらいの戯言である。辟易している人も多いことだろう。


自分がどう見られているかよりも自分がどうあるべきなのだ。

老い先は短い。残せる限りの言葉をこの世に残したいと思う。



2024年03月15日(金) 新鮮な春

最高気温が20℃となりすっかり春の陽気となる。

彼岸の入りも近くなり春にまっしぐらのように思えるが

来週には寒の戻りが数日あるとのこと。

桜が咲けば「花冷え」となり季節の趣を感じるだろう。


朝の山道を行くと民家が3軒ほどある集落があり

そこの良心市に春を告げる「タラの芽」が並んでいた。

毎年楽しみにしていて今年もそろそろかなと思っていただけに

今朝は嬉しくて思わず歓声を上げてしまった。

一パックに6本程入っており百円の安さである。

二パック買い浮き浮きしながら職場に向かったことだった。

お金を入れる鍵付きの箱など置いてなくて小さな湯呑を置いてある。

それでこその「良心市」なのではないだろうか。



山里ではもう田植えの準備が始まっており義父が忙しくしている。

今日は育苗機に入れてあった苗をハウスに運ぶ作業をしていた。

その苗のなんと可愛らしいこと。まだ5センチ程だが「いのち」を感じる。

来月早々には田植えを始めるのだそうだ。義父は生き生きとしている。


工場の仕事も大変な忙しさで同僚一人ではとても手に負えない。

だからと云って義父に無理強いは出来ず農作業を優先させてあげたい。

とにかく機嫌を悪くさせてはいけないのだ。

母が現役だった頃には義父との諍いが絶えなかったことを思い出す。

母が嫌味を言えば義父が怒る。それは当然のことだったのだろう。

そんなことは二度とあってはならない。私は母とは違うのだ。




仕事が少し残業となり4時半に帰宅する。

娘は今日も遅くなるそうで洗濯物の山が待っていた。

畳み終えて10分程横になっていたが直ぐに夕食の支度である。

「タラの芽の天ぷら」は最後にすることにして

台所であたふたしていたら二階からあやちゃんが下りて来てくれた。

今日は料理クラブの気分だったのだろう「手伝おうか」と言ってくれる。


「豚肉とインゲンの甘辛煮」「イタリアンパスタ」

私は材料の下ごしらえと味付けをするだけで後はあやちゃんに任せた。

まだ手付きは危なっかしいが二つのフライパンと格闘する。

その間にさつま芋を切りタラの芽と一緒に天ぷらにすることにした。

一人ではパニックになっていただろう。あやちゃんに助けられる。


やがて娘が帰って来て天ぷらを揚げてくれた。

タラの芽が大好物の夫はウハウハ言いながら美味しそうに食べていた。

さつま芋の天ぷらも甘くて美味しい。これは孫達の好物である。


娘は明日は休みだが明後日から月末までずっと遅くなるらしい。

もう閉店まで仕入れはしないそうで売り尽くすのだそうだ。

在庫が少なくなっているせいか客足が減っているらしい。

それでも最後の日までなんとしても遣り遂げるのだと言う。

私も明日は行ってみようと思っている。少しでも売上に協力したいのだ。


三月は去ると云うが、別れの季節でもある。

けれども桜は咲くだろう。そうして新鮮な春が始まろうとしている。



2024年03月14日(木) 散るばかりではない

曇りのち晴れ。気温は18℃まで上がったが

春の陽気のはずなのにさほど暖かさを感じなかった。

雲が多く陽射しが少なかったせいだろう。


国道沿いの白木蓮が少しずつ散り始めたようだ。

今朝はきれいに掃き清められていたが樹に残った花は少ない。

すぐ向かいのうどん屋さんの自宅である。

おそらく毎朝掃除をするのが日課なのであろう。

道路にまで散った花が車に轢かれるのはなんとも無残なものだ。



昨日の今日ではまだ声は変わりなく出る時もあるが出ない時もある。

電話応対の度に声が出難いことを伝えるのに苦労していた。

「お大事にね」と言ってくれる人もいて有難いことである。

義父が買って来てくれた飴玉をしゃぶる時もあれば

ついつい喫煙所に足を向けてしまう時もある。

その割に自己嫌悪に陥ることもなく開き直っている自分を感じる。

このままでは完治するまで更に長引くことだろう。

それでも良いと思うくらいに喫煙を我慢できないのだった。

何にしろ自業自得であるから罰を受けているのだろうと思う。

神様だろうか仏様だろうか。もしかしたら天国の母かもしれない。




毎週楽しみにしているリハビリの日。

予約時間の15分前に着いたら直ぐに名前を呼ばれた。

今日も女性の療法士さんですっかり打ち解けるようになった。

最初に痛みのない右足から施術をして貰うのだが

かなり酷使しているらしく筋肉がパンパンになっているそうだ。

ゆっくりと優しく揉み解してくれるので夢見心地となる。

痛む左足は痛みを感じる寸前までである。決して無理をしない。

揉み解して貰うと嘘のように痛みが和らぐのだった。


今日は診察があったのでリハビリを終えてからずっと待っていた。

なんと40分も。我慢の限界となり止めて帰ろうかとも思う。

しかし待っているのは私だけではない。なんと大人げないこと。


やっと医師の顔を見れた時にはほっとしたが

足のことよりも声が出ないことを気遣ってくれて嬉しかった。

電子カルテにしっかりと打ち込んでくれていて

「早うに治るとええな」となんと優しいことだろう。

喫煙のことは言えなかった。言えばさすがに叱られてしまうに違いない。

なんだか信頼している医師を欺いているようで心苦しく思う。



サニーマートへ着いた頃には4時半近くになっており大急ぎで買物をする。

さすがに二日続いて手抜きは出来ない。

娘も今日は早く帰れそうだと言っていたのでなんとかなるだろう。


ニラが特売だったのでぱっと閃き「豚ニラキムチ」を作ることに。

後は焼くだけのギョーザと鯵のお刺身を買った。

夫は鯵のお刺身をあまり好まないので半額の「イカそうめん」にする。

そのイカそうめんを食べている時が愉快だった。

「このイカはなかなか練れていて旨いな」と言うので

「そりゃあ半額やもん」と言ったら大笑いになった。

イカは新鮮な物より少し鮮度が落ちた方が美味しいのである。


今夜はめいちゃんのダンス教室があり娘と出掛けて行ったが

出掛けにちゃちゃっと「チャルメラ」を作っていた。

あやちゃんが久しぶりに食べたいと言ったのだそうだ。

なんともご機嫌でにこにこしながら食べていた。

「あやちゃん久しぶりやね」と言ったら

あまりに食べ過ぎて飽きていたのだそうだ。

それも微笑ましくほっこりと心が和む。


「別に・・何でもいい」が口癖だったのが

ちゃんと食べたい物を言えるようになったのだ。

私も嬉しかったが娘はもっと嬉しかったのではないだろうか。


これまでずっと我慢して来たことが沢山あるはずなのだ。

甘えること、我儘を言うこと、お姉ちゃんらしく在ること。

そういうの全部投げ出してしまえばいい。

まだ純真な子供であることを認めてあげたいとつくづく思った夜である。



2024年03月13日(水) ファイバースコープ

よく晴れて陽射しはたっぷりとあったが北風の冷たい日。

お隣の宿毛市ではいち早く桜が開花したようだ。

高知城下の見本木が咲かないと開花宣言は出来ないようで

宿毛市が独自に宣言したそうだ。それも良いのではと微笑ましく思った。


やがてあちらこちらで桜が咲き始めるだろう。

そうして春爛漫となるのが楽しみでならない。



仕事を少し早めに切り上げて咽喉科のあるK病院へ向かう。

昨年禁煙外来でお世話になっておりなんだか感慨深い。

やはり紹介状を持参して良かった。受付はスムーズに済む。

しかしその後の待ち時間の長いこと。2時間近く待たねばならなかった。


医師は優しそうな女医さん。看護師さんは顔なじみのKさんで嬉しい。

禁煙に臨んでいる時にどれほど親身になって励ましてくれたことか。

会えたら良いなと思っていたので随分と緊張が緩んだ。


鼻に麻酔薬を注入しファイバースコープで喉を撮影する。

声帯が赤くなっており炎症が見られるが癌のようなものは見られず

「大丈夫ですよ」と言ってもらって大いに安心した。


原因は激しく咳き込んだ際に声帯を傷つけてしまったらしい。

風邪は引いていなかったのでおそらく煙草の吸い過ぎだろう。

まさに自業自得としか言いようがなかった。


炎症とは別に痰がたくさん見られまるで蟹が泡を吹いているようだった。

自分の喉の写真を見たのはもちろん初めてのことだったが

その痰には私も驚いてしまう。なんだかとてもおぞましい。

とりあえず痰をきれいに切ってしまう薬を処方してもらった。

炎症は自然に治るらしくしばらく様子を見ることになる。


煙草は即刻止めるように。それから無理にしゃべらないように。

覚悟はしていたがどちらもかなり厳しい。

それが今後の大きなストレスになりそうだった。

看護師のKさんも「また禁煙頑張ってみようよ」と言ってくれたが

この場に及んでも私はあがこうとしている。とても狡い考えなのだ。



病院がすっかり遅くなり「ほか弁」でおかずだけ買って帰る。

贅沢のようにも思うが6人分で3千円程。普段の食費と変わらない。

娘は休みで家に居たが「今夜は楽ちんやね」と喜んでいた。

たまにはこんな日もなくてはならない。


今夜はどうしたわけかめいちゃんが大暴れしている。

大声で泣き喚いているので理由を訊けばよけいに泣きだしてしまった。

仕方なく娘に任せてそっと様子を見ているが気になってしょうがない。

宿題が多過ぎる日がずっと続いており可哀想に思う。

学校から帰ったらおもいっきり遊ばせてあげたいものだ。

子供にだってストレスはある。発散させる機会をもっと与えてあげたい。


こんな時のあやちゃんは部屋から一歩も出ない。

以前に私がお手上げのポーズをして見せた時には

「お母さんはめいを甘やかし過ぎるけんよ」と言っていた。

もうすぐ12歳になるがなかなかするどいことを言うものだ。


もしかしたらお母さんに甘えたいのはあやちゃん自身なのかもしれない。

ずっとずっと我慢して来たのならそれも可哀想でならなかった。











2024年03月12日(火) 雨がやんだら

雨のち晴れ。午後からは北西の風が強く吹く。

雨雲は遠ざかり青空が見えていても冬の寒さを感じた。

明日は穏やかに晴れそうだ。きっと春なのに違いない。


帰宅したら桜草がずいぶんと散っていて憐れなこと。

花びらではなく小さな花のまま散ってしまうのだ。

近くの水溜まりにまるで水中花のように浮かんでいるのを見た。

花のカタチでいられるだけでも彼女たちは幸せなのかもしれない。




仕事帰りに病院へ寄って紹介状を受け取って来た。

明日になってみないと分からないがスムーズに診てもらえたらと思う。

いきなり行ってもおそらく無理だろう。予約制なら尚更のこと。

紹介状があるとないとでは対応が違うのではないかと思われる。


それにしても何と書いてあるのだろう。気になって仕方ないが

しっかりと封をしてあり中を見ることは出来なかった。

癌の疑いがあるなどと書かれていたら目の前が真っ暗になってしまう。

またまた私の悪い癖でついつい悪い方へと考え込んでしまうのだった。




今日も娘の帰りが遅く台所で一人奮闘していた。

サニーマートで半額の蛸が買えたので胡瓜、若布と酢の物にする。

同じく半額の「イカの葱塩」柚子仕立ての「鯵の干物」

メインは「豚ロースの味噌麹漬け」で2パックで千円ほどだった。


あやちゃんが二階から下りて来てくれたので料理クラブかなと思ったら

「おばあちゃんがんばってね」の一言でまたすぐに二階へ消えて行く。

あらまあと少し残念ではあったがその気持ちが嬉しくてならない。

無関心ではいられないのだ。きっと気になっていたのだろう。

これも今まで一度もなかったことで明らかな変化である。


食事中もにこにこと笑顔を絶やさなくなった。

酢の物の蛸ばかり食べている。それも微笑ましい光景だった。

めいちゃんが学校での出来事を話し始めた時はドキッとしたが

私の心配をよそにうんうんと頷きながら聞いているのである。

その笑顔を見ていると決して学校が嫌いなのだとは思えない。

いったい何を拒絶しているのだろう。分からないまま春がやって来る。


見守り続けたこの一年であった。

いつの間にかあやちゃんは硝子細工ではなくなったようだ。



2024年03月11日(月) ありったけの花を添え

朝の寒さもつかの間。日中は春の暖かさとなったが

午後から雲が広がり今夜には雨になりそうだ。

一雨ごとにと思って良いのか日に日に春らしくなることだろう。


東日本大震災から13年。まるで地獄のようだった光景が蘇る。

一生忘れることはないだろう。どれほど心を痛めたことか。

いくら歳月が流れても悲しみを埋め尽くすことは出来ない。

復興はまだ半ばだと聞く。それは誰のせいでもないかもしれないが

被災された多くの方達が少しでも希望を捨てずに生きて欲しいと願う。


「魂にありったけの花を添え祈り続ける生きて在るなら」





明日は我が身だとずっと思い続けて過ごしてきた。

能登で被災された方達もきっと同じ気持ちではなかったろうか。

だからと云って毎日怯えながら暮らしていくわけにはいかない。

与えられた場所で与えられた日常を感謝しながら過ごすことである。

だからこそ平穏無事の有難さをつくづく感じずにはいられなかった。



いつもより少し早めに帰宅。娘が遅くなるのが気になってならない。

それだけ日頃から頼りにしていたのだろう。

洗濯物を畳み終えて少しだけ大相撲を観ていたが落ち着かず

そわそわと台所に立ち夕食の支度を始めていた。

今夜も簡単に「牛丼」である。揚げ物などは到底出来るはずがない。

後は「ほうれん草の白和え」と「ちく胡」だった。

胡瓜を丸ごと竹輪に詰めていたらあやちゃんが二階から下りて来て

「手伝おうか」と言ってくれて嬉しかった。

昨夜のお料理クラブの話を覚えていてくれたようだ。

竹輪に胡瓜を丸ごと詰めるのは簡単そうでコツが要る。

無理やり詰め込もうとすると竹輪がすぐに破けてしまうのだ。

一口サイズに切るのを手伝ってもらったが包丁が上手く使えない。

私が手を添えて教えたらなんとか切れるようになった。

だいじょうぶ。包丁は使えば使うほど上手になるから。


娘が帰って来て歓声をあげていた。それが照れ臭かったのだろうか

切るのを途中で止めて二階へ逃げて行ってしまった。

でもやれるだけのことをしてくれたのだ。ありがとうねあやちゃん。


ほうれん草は茹でてあったので娘に白和えの作り方を伝授した。

いつも私が作るので娘は今まで一度も作ったことがなかったのだ。

とにかく水分をしっかり取ること。お箸ではなく手で和えること。

出来上がった白和えを味見した娘が「やるじゃん」と喜んでいた。


家族の美味しい顔ほど幸せなことはない。

ささやかなことである。それがどれほど大切なことだろうか。


そうして明日のことを考えている時間がとても愛しくてならない。






2024年03月10日(日) お料理クラブ

朝は真冬並みの冷え込みであったが日中は春の暖かさとなる。

雲一つない空からたっぷりの陽射しが降り注いでいた。

私はまるで馬鹿の一つ覚えのように「光の天使」と表現するのだが

他にどんな表現があるのだろう。知っていれば教えて欲しいものだ。


絶好の行楽日和に思えたが例の如くで夫に却下される。

もうすぐ72歳になろうとしていて高齢者には違いないが

車の運転が億劫でならないようだ。

こればかりは仕方がなく無理強いは出来ない。

無理に出掛けても事故を起こしてしまったら大変なことになる。

危険なリスクは避けるべきだろう。家に居るのが一番安全なのだと思う。


思い起こせば色んな場所に連れて行ってくれた。

その度に最後かもしれないとどれほど思ったことだろうか。

思い出がいっぱい。もうこれ以上望むことはないに等しい。




せめてもとお昼には「ほか弁」を買って来て食べる。

夫は「カツ重」私は「鶏そば」でビールとノンアルで乾杯した。

満腹になればあとは寝るだけだが、今日は録画してあった映画を観る。

椎名誠原作の「息子」を観るのは二度目であったが良き作品である。

もちろん原作は読んでいたのでどんどん引き込まれて行った。


その後のお昼寝は一時間ほど。目覚めたら夫が大相撲を観ていた。

今日から2週間は退屈せずに済むだろう。夫は大の相撲好きである。

まだ観客もまばらな幕下の取り組みから観るのが楽しみなようだ。


炬燵からよっこらしょと起きあがったら「もう入れてあるぞ」と

今日も私が寝ている間に洗濯物を取り入れてくれていた。

なんと助かり有難いことだろう。持つべきものは夫である。


娘は今日も仕事で帰りが遅くなるとのこと。

実は20年以上も勤めて来た「セリア」が今月いっぱいで閉店となる。

すでに従業員も何人か辞め人手が足らなくなっているのだそうだ。

副店長である娘はもちろん最後まで尽くすつもりである。

長年勤めただけに寂しさもあり感慨深い気持ちもあることだろう。


夕食はついつい簡単なものになり今夜は「ちゃんぽん」にした。

先日頂いた春キャベツがあり助かる。もやしも入れて野菜たっぷり。

冷凍室に豚バラ肉があったので解凍して使ったのだが

娘があやちゃんのチャーハン用に買い置きしていた物だったらしい。

帰宅した娘が冷凍室をかき混ぜて「ない、ない」と騒ぎ出す。


あやちゃんはちゃんぽんを好まずチャーハンが食べたかったらしい。

私は娘に叱られひたすら謝り続けていた。

「今から買って来ようかね」と言うと「もうええけん」と怒る。

仕事の疲れもあったのだろう。なんとご機嫌の悪いこと。


冷凍室の隅っこに豚ロースが少しだけあり仕方なくそれで作っていた。

炊飯器の残りご飯を全部使って欲しかったのでおそるおそる言うと

「豚肉が足らんじゃんか」とまたまた叱られてしまった。

そのついでのように「明日も明後日も遅くなるけん」と追い打ちをかける。


あやちゃんはにこにこしながらチャーハンを食べていた。

その笑顔にどれほど救われたことだろう。

「ねえ、あやちゃん明日からお料理クラブに入らない?」と訊けば

「気が向いたらね」と応えてくれた。


どうかどうかあやちゃんの気が向きますように。










2024年03月09日(土) 毎日があの子の命日

晴れたり曇ったり。今日も北西の風が強く寒い一日だった。

先日の雨でぐんにゃりしていた桜草がすっかり元気を取り戻す。

強い風に煽られても倒れもせずになんと逞しく健気なことか。

花の盛りはもう過ぎているがどんな終わり方をするのだろう。

桜のようにはらはらと散ってしまうのか見届けてあげなくてはいけない。



一週間前に処方してもらった薬が切れてしまったので今日も病院へ。

7時半に受付を済ませたが13番目で一時間半の待ち時間だった。

咳は殆ど出ていないので隔離されることもなくほっとする。


声嗄れがあまりにも長引いているので医師と相談の上

専門の耳鼻咽喉科を受診することになった。

ファイバースコープで声帯を診てもらったら原因が分かるだろう。

まさか癌ではあるまい。医師もそれはないよと笑い飛ばしてくれた。

しかしもう三週間目になろうとしている。

声の出ないのは本当に不便なもので特に電話はかなり辛いものだ。

来週の水曜日。医師の紹介状を持ってK病院へ行く。





病院からカーブスへ行きサニーマートで買物をしてから帰宅する。

お昼は夫と温かいおそばを食べた。身体がぽかぽかと温まる。

そのまま炬燵に潜り込みなんと3時間半も寝ていたようだ。

いつものことであるが今週は仕事がハードだったので疲れていたのだろう。

週末はとにかくゆっくりと身体を休ませてやらなくてはいけない。


目覚めたら夫が洗濯物を取り入れてくれていた。

今日は「おまえがやれ」とは言わなかった。本当は優しい人なのだ。

サンキューの日らしい。「ありがとうね」とちゃんと言える。


山里のお客さんから猪の肉を頂いていたので圧力鍋で煮る。

その間に短歌を書こうとパソコンに向かっていた。

頭がぼんやりとしていたせいか思うように書けない。

昨日は15分で書けたが今日は30分掛かってしまった。


最後に「あの子」のことを書く。3月はあの子の死んだ月だから

思い出さない日はなかった。しかし肝心の命日を失念している。

どうして忘れてしまったのだろう。それさえも悔やまれてならない。

若さを理由にしてしまったらあの子があまりにも可哀想ではないか。

産声もあげられなかった子。名もなければ遺骨さえなかった。


光るのは天使の羽根に違いない天の国からあの子が帰る


もしかしたら今日が命日なのかもしれない。





2024年03月08日(金) 独楽ねずみ

陽射しはたっぷりとあったが北西の風が強く寒い一日だった。

それもそのはず関東は雪で都心でも積雪があったようだ。

「なごり雪」ではあるが春を押しやるような冷たさだったことだろう。

四万十も数年前の3月に大雪が降ったことがあった。

まだまだ油断は出来ないがささやかな春を楽しんでいる日々である。


今朝は出勤前に山里のお客さんから電話があって

昨年塩漬けにしていた「イタドリ」を取りにおいでと言ってくれる。

塩抜きをしてくれていてすぐに食べられるのだそうだ。

私は山菜が好きで特にイタドリは大好物である。

全国的にはあまり食べる習慣がないと耳にしたことがあるが

高知県人は好んでよく食べる。炒め物にすると最高に美味しい。


お客さんの家は朝の通り道で峠を越えた地区にある。

それが思いがけないことに道路まで出て来て待っていてくれた。

大きな袋を提げておりほうれん草と春キャベツまで入っている。

なんと有難いことだろう。笑顔で礼を言い職場に向かった。

今日は幸先が良いなと思う。朝からこんなに嬉しいのだもの。




金曜日の仕事は怒涛の忙しさであった。

まるで独楽ねずみのようになり後から後からする仕事がある。

お弁当を掻き込むのが精一杯でお昼休みもなく働く。

義父は昼食を食べる暇もなく手を休めることもなかった。

あまりの忙しさに同僚はパニック状態である。


事務所の机の前に母の写真を貼ってあるのだが

いつ見ても笑っている。いったい何処から見守っているのだろう。


3時過ぎにやっと一段落したがふらふらっと眩暈がし始めた。

これはいけないとリポビタンを飲んでもうひと踏ん張りである。

最後に郵便局へ行って車検済みの書類を速達で郵送した。

帰り道には取引先に寄らねばならずいつもの高速道路は走れない。

国道沿いを走っていると「ちきん館」が近づいて来て

そうだと思いつき「まるっぽ鶏」を買って帰ることにした。

今日は娘も帰宅が遅くなるとのこと。とても炊事どころではない。


ちきん館にはお刺身も売っており助かる。鯛のお刺身を3パック買う。

それで千円なのだからサニーマートよりずっと安かった。

無性に甘い物が食べたくなり一切れサイズのバウムクーヘンも買う。

外の自販機で冷たい缶コーヒーを買って食べながら帰った。

ラジオからはミスチルが流れる。今日は桜井さんの誕生日である。


帰宅したら洗濯物の山が待っていたがとにかく少し休みたい。

ほんの10分程だったが炬燵に潜り込んだだけで疲れが癒えた。


4時45分。今日は諦めようと思っていた短歌を書く。

詠むのではなく書く。一首5分の早業であった。

どうせろくなものが書けないだろうと思っていたが

まあまあの出来だったので私は天才かもしれないと思う。

それはもちろん冗談だが書けたのがとても嬉しかった。


くたくたの独楽ねずみであったが最後の力を出し切った気がする。

週末はもう頑張らなくていい。ひたすら寝ていてもいい。

今度はトドになるのだ。もう何も思い悩むこともないだろう。



2024年03月07日(木) 光の天使

風もなく穏やかな晴天。すっかり春の陽気であった。

玄関先の葉牡丹がにょきにょきと伸びてもうすぐ花芽が見えそうだ。

昨年だったか花が終ってから種を採ろうと目論んでいたが

そんな面倒なことをしなくても茎を短く切れば良いのだそうだ。

そうすればまた新しい芽が出て冬の庭を彩ってくれるらしい。

今年はそうしてみようと思っている。ものは試しであろう。

お隣の奥さんはそうしてもう何年も育てているらしかった。


足が不自由で思うように庭いじりも出来ないが

ささやかなことだけでも続けてみようと思っている。

そうして季節ごとの花を楽しんでみよう。



仕事を終えてから週一のリハビリへ。

今日は診察がなかったので医師とスマホで面談する。

まだあまり声が出ないことを伝えると

「しゃべらんでもええぞ、今日も頑張れよ」と笑顔で応えてくれた。

私はピースサインをして応える。医師も手を振ってくれた。


リハビリは身も心もリラックス出来てなんとも癒される。

週一では足りないぐらいで毎日でも通いたかった。

療法士さんとの会話も楽しい。今日もガラガラ声であれこれ話す。

マッサージをしてもらうと血行が良くなるせいかおならが出そうになる。

そんな無礼なことをと必死に我慢していたが漏れるように出てしまった。

音のしないおならだったのでどんなにか匂うだろうと心配だったが

療法士さんは全く気づいていないようでほっと胸を撫で下ろした。

マスクのおかげかもしれないが以後は気をつけねばなるまい。

それにしてもリハビリの成果はすごい。足の痛みが嘘のように和らぐ。




帰宅して娘と夕食の支度を始めたらあやちゃんが二階から下りて来た。

チキンカツを作るのを手伝ってくれてパン粉をまぶしてくれる。

こんなことがかつてあっただろうか。初めてではないかと思う。


後から夫が話してくれたのだが、今日は保健の先生が来てくれたそうで

あやちゃんをお散歩がてらローソンへ連れて行ってくれたようだ。

「知らないふりをしておけよ」と夫に言われたので

あやちゃんの前では何も言えなかったけれど

その出来事がよほど嬉しかったようだ。

陽射しをいっぱいに浴びて歩く姿が目に見えるようだった。

この一年家から一歩も出ない日がずっと続いていたのだもの。


もしかしたら光の天使に会えたのかもしれない。

そうして心から笑顔になれたのだと思う。


光の天使はいつだってあやちゃんを待っている。

またお散歩に行こうね。真っ青な春の空を見上げようね。





2024年03月06日(水) 一日一生

曇り日。気温はそう低くはなかったが肌寒くてならない。

陽射しがあるとないでは随分と違うものだ。


国道沿いの白木蓮がほぼ満開になった。

白装束のお遍路さんが歩いていると絵になるのだが

今の時期はお遍路さんが少なくたまにしか見かけなくなった。

春遍路さんが多くなるのはお彼岸頃からだろうか。

また新たな出会いもあることだろうと楽しみにしている。



今朝は資源ごみの回収があったので夫に頼んだのだが

ぶつぶつと文句ばかり。どうして機嫌よく引き受けてくれないのだろう。

「最近のおまえは人使いが荒いぞ」と捨て台詞まで投げつける。

私は出勤前の家事で精一杯である。時間に追われてばかりなのだ。

あれこれと頼めば機嫌が悪くなるのだけれど

今日はお風呂場の掃除も頼んでから出掛けたのだった。

ついつい命令口調になっていたのだろう「おまえがやれ」と怒る。

「一日中遊んでばかりいるくせに」と私も負けてはいられない。


労わり合い助け合ってこその夫婦ではないか。

私も出来ることはしよう。でも助けて欲しい時がいっぱいある。

「お願いだから助けて」と甘えてみるのも良いかもしれない。




仕事は今日も忙しかったがお昼休みがあったので短歌を詠めた。

我ながらマンネリ化してきたことを感じていて悶々とする。

斬新は無理でも新鮮でありたい。しかし焦りは禁物である。

ゆっくりと時間をかけて自分の言葉と向き合っていきたいと思う。


帰宅しながらやはり「塵」なのだなと思った。

それは自分を貶めるのではなくむしろ誇りに思うべきなのだ。

些細なことでも続けていればきっと「山」になるのだと信じたい。

そうして日々積み重ねていくことが肝心なのだろう。


未来はあるようでなく「一日一生」を心掛けている。

与えられた一日を精一杯に全うしてこそ生きていると云えるだろう。


そうして少しずつ「欲」を手放していかなけれなならない。

まずは認められたい欲だ。それさえなければどんなにか気楽なことか。


何者にも束縛されず私は自由になれるだろう。

書きたいことを書く。書けるだけ書く。

誰に何と言われようとそれが私の誇りなのだ。


他人の評価など気にしていては自分を見失ってしまうだけだ。

私が好きならばそれでいい。とことん愛してやろうではないか。





2024年03月05日(火) 新じゃが芋のガレット

二十四節気の「啓蟄」春の気配を感じた虫たちが土の中で動き出す頃。

寒の戻りはあっても季節はたしかに春なのだろう。

三寒四温を繰り返す早春の頃が私はなんとなく好きである。

冬と春が互いにせめぎ合っている。それは勝ち負けではなくて

まるで身を引くように冬がゆっくりと退いていくのだ。


木の芽起こしの雨だろうか。小糠雨が降る一日。

帰宅したら玄関先の桜草がぐんにゃりと倒れていた。

風はなかったが雨に打たれてしまったのだろう。

優しい雨だと思っていたが満開の桜草には辛かったのかもしれない。

雨に悪気はない。桜草はそろそろ終わり支度を始めているのだ。





職場に着くなり義父が大きな飴玉の入った袋をくれた。

氷砂糖をまぶした昔ながらの飴玉で懐かしい。

煙草を吸いたくなったら飴玉をしゃぶるようにと言って

私の声が出ないのをとても親身になって心配してくれているのが分かる。

昨日はもう禁煙はしないと決めていたがなんとも心苦しくてならない。

今日は少しでも節煙しようと努力した一日だった。

しかし結果は義父を裏切るようなことになってしまい申し訳ない。

情けないけれどこればかりはどうしようも出来なかった。

やはり狡さが勝つ。禁煙をせずに声帯を回復させようとしているのだ。




夕飯に「新じゃが芋のガレット」を作った。

昨夜SNSでぼのさんに教えてもらったレシピである。

ぼのさんは男の料理の天才でいつも美味しそうな料理を作っている。

多忙な仕事の傍ら畑仕事もしていて色んな野菜を栽培しているのだ。


もう10年以上も前のことだが「聖護院大根」の種を送ってもらった。

その頃の私は姑さんの畑を受け継いで畑仕事に目覚めていたのだ。

大根や白菜、キャベツにえんどう豆。収穫する時のなんと嬉しいこと。

何よりも無農薬なので安心して美味しく食べられたのだ。


しかしそんな楽しみも長続きはしなかった。

夫が除草剤を撒き過ぎてしまって野菜が作れなくなってしまったのだ。

せっかくぼのさんが送ってくれた種も発芽はしたが緑ではなかった。

もうすでに枯れたかのように茶色の芽が出たのだった。


私はそのことをどうしてもぼのさんに言えなかった。

もう昔のことなのに未だにそのことが心苦しくてならない。

ぼのさんあの時はありがとう。そうして本当にごめんなさい。


「新じゃが芋のガレット」は我ながら上手く出来て美味しかった。

初めて作ったのに夫が喜んで食べてくれて意外だった。

食べず嫌いの人なのに珍しいこともあるものだ。

あやちゃんとめいちゃんは気に入ってくれただろうか。

今夜は夕食が遅くまだ食べていないのが残念である。


ぼのさんとはネット空間で出会ったがかれこれ20年になる。

もちろん会ったこともないが私が最も信頼している人だ。

私の部屋のカレンダーにはぼのさんの誕生日が記してある。

もう20年もそれは消えることはなかった。



2024年03月04日(月) 花の命は短くて

朝は真冬の寒さだったが日中は春の暖かさとなる。

暑さ寒さも彼岸まで。あと2週間もすれば本格的な春になるだろう。


今朝驚いたのはご近所の例の桜がすっかり散ってしまっていたこと。

こんなに早く散ってしまったことがかつてあっただろうか。

悪天候が続けばそれも在り得るだろうがなんとも切なくてならない。


花の命は短くて苦しきことのみ多かりき。

私は学も教養もないがこれは林芙美子の短詩らしかった。

「放浪記」を一度読んでみるべきなのかもしれない。




さあ月曜日と勇み足で職場に向かう。

再び禁煙を試みてみようと意気揚々としていたのだけれど

昨年の経験からしてもそれは容易なことではなかった。

我慢をすればするほど仕事が手に着かない。

とうとう限界となり同僚から煙草を貰って火を点ける。

意志の弱さはもちろんのこと精神的に異常なのではと思う。

情けないことだがもう自分を責めることはしなかった。

もう禁煙はよそうと思う。もう苦しむのはこりごりである。

声はそのうちきっと出るようになるだろう。

もうしばらくがらがら声で頑張ってみようと思う。



昨夜「塵も積もれば山となる」と書いてしまったが

かなり自暴自棄になっていたようだ。

もうどうでもいいようなやけっぱちな気持ちだったのだろう。

しかしこの諺の本当の意味は

塵のように取るに足らない存在であっても

それが時間をかけて積もっていけば山のようになるように

些細な行動も時間をかけて継続すると

やがて思わぬ大きな結果につながるものであるということなのだそうだ。

些細であってもよいから善行や努力などを地道に積むことである。


私はどうやら思い違いをしていたようだった。

自分の書く詩や短歌を「塵」だと表現してしまったのだが

それをまるで汚物かごみのように思っていた。

確かに取るに足らないものではあるが決して無駄ではないのだ。

どれほど蔑まされても私は私を見失ってはいけないのだと思う。

認められたい「欲」ばかりでどうして生きて行けようか。

もっと誇りを持って生きて行かなければならない。


命ある限り書き続けていればきっと光が射す日も来るだろう。

もし死んでしまっても誰かの心に在り続ける私でありたい。







2024年03月03日(日) 塵も積もれば山となる

今朝はほぼ氷点下の冷え込みであったが日中は暖かくなった。

雲一つない青空である。降り注ぐ陽射しのなんと有難いことか。


何処かに出掛けてみたくなり夫に相談してみたが

迷う風もなく即刻に却下される。いささかショック。

もうすぐ72歳になろうとしているが運転が億劫になったようだ。

よほど気が向かない限りもうドライブは無理なのかもしれない。


そう云う私も独りでは何処にも行けない。

以前は海を見に行ったり写真を撮りにあちこち出掛けたものだった。

もうそんな行動力はなく今はひたすら夫に頼るばかりである。


家に居ると寝てばかり。最低限の家事をするだけである。

読書も全くしなくなって久しい。読みたい本が見つからないのだ。


午前中に一時間ほど寝て午後も三時間寝る。

身体が腐ってしまいそうだ。どんどん活力が失われていく。

「休みたんびによく寝れるもんだな」と夫は呆れ返っているが

何処にも連れて行ってくれないあなたも悪いのでしょう。




おひな祭りだがお雛様は飾らずいつもと変わらない日曜日。

せめてもと思い夕飯は「手巻き寿司」にした。

娘もケーキを買ってきておりささやかにパーティーである。

イクラと甘海老が大好きなあやちゃん。めいちゃんはシーチキンが好き。

私は鮭を。夫は遠慮もせずに鮪ばかり食べていた。

再来週の日曜日は夫の誕生日なので焼き肉の予定である。

食べたいだけ食べさせてあげなければいけない。



SNSである方から「毎日短歌を3首もよく詠めますね」と

誉め言葉とも受け止められるコメントを頂いた。

それは決して才能でも素晴らしいことでもないのだと私は思っている。

「発作のようなもの」と私は応えたのだが

正にそうだと後からじわじわと実感が込み上げて来た。


詩も短歌も書こうと思って書いているのではない。

それは私の中から自然と湧き出て来るものなのだ。

止めようとしても止められない正に発作ではないだろうか。

その発作を見せびらかしている。汚物かもしれないものでも。

私はいかにもきれいなモノであるかのように発信しているのである。

それはおそらく死ぬまで続くことだろう。

「塵も積もれば山となる」とはこのことである。

一年で365編の詩。短歌はなんと1095首に及ぶ。

私が死んだらそれらすべてが泡のように消えてしまうのに違いない。


いいさそれでも。だって元々塵だもの。

風が吹いたら真っ青な空に飛んで行くんだ。




2024年03月02日(土) 自業自得

晴れたり曇ったり。最高気温が10℃に満たず冬の寒さとなった。

ご近所に早咲きの桜が咲いているのだけれど名を知らず

日本には現在6百種類もの桜の品種があるのだそうだ。

ソメイヨシノは分かるが他の桜はとても見分けがつかない。

薄桃色のとても可愛らしい桜なのだが残念ながら写真が撮れなかった。

それはご近所の畑の中に在り無断で入り込むわけにはいかず。

しかも杖を付きながらでは足元が覚束ないのだった。


遠くから眺めている。どんなに寒くてもそこだけ春のようである。





午前7時半に家を出て病院へ向かった。

院長先生の診察を受けるにはそれだけ早く行かなければならない。

予約制ではないので早い者勝ちなのだ。

受付は9番目でほぼ一時間待ちだろうか。診察は8時半から始まった。

看護師さんに声が出難いことを伝えると隔離部屋へと通される。

熱は無くてもやはり感染症を疑っているのだろう。

けれども追い返されなくて済んだので少しほっとした。


診察も発熱外来でとなり院長先生が診察室まで出向いてくれる。

胸や背中を聴診器で丹念に調べてくれたが異常はなかった。

酸素濃度も正常で悪い病気ではなさそうである。

声帯が炎症を起こしたのはやはり激しく咳き込んだかららしい。

どうして咳き込むのかとなると喫煙以外に原因は考えられないと言う。

私もそれは痛感していたが医師から告げられると信憑性が増す。

とにかく二日で良いから禁煙をしてみるようにと言われた。

そうしたら必ず声が出るようになるのだそうだ。

咳を鎮める漢方薬と声帯の炎症を治療する薬。胸に貼るシール。

そのシールは喘息の治療薬なのだそうだ。


医師には禁煙を誓い病院を後にしたが憂鬱でならない。

まるで悪魔と闘うことになった天使の気持ちである。

昨年の禁煙失敗の記憶があまりにも鮮やかでその辛さが蘇った。

また大きなストレスが待っている。それを乗り越えられるだろうか。

昨年のように「子豚シリーズ」を書き紛らすわけにはいかないと思う。


私はずるいのだ。姑息な考えが頭に浮かび今もそれが消えずにいる。

禁煙をせずに声が出るようにならないものかと考えているのだ。

それがどれほど甘い考えなのかと思うとどんどん追い詰められていく。


いったいこれは何の罰だろう。「自業自得」とはこのことである。





2024年03月01日(金) 弥生つめたい風

よく晴れて陽射しはたっぷりとあったが風が強く冷たかった。

「弥生つめたい風」高校時代に大好きだったNSPの歌である。


今日は県下の公立高校で卒業式があったようだ。

昭和49年の卒業式も3月1日だったことをよく憶えている。

もうほぼ半世紀の歳月が流れてしまったことを感慨深く思い出す。

私にとっては生涯忘れることの出来ない一日となった。


そうしてその数日後に私の犯した罪はなんと悲惨だったことか。

その罪を償うことも出来ず今まで生き永らえて来た。

どんなに悔やんでも悔やみきれない汚点のような「過去」である。

私は取り返しのつかないことをしてしまったのだ。


今が幸せならばそれでいいとどうして思うことが出来よう。

そんな綺麗ごとで済まされるようなことではない。

たとえ死んでも赦されることではないのだ。それは私の永遠の「罪」である。


散り急ぐ桜の花よ魂よ抱かれもせずに遠ざかる春





声は少し出るようになったが今日は咳が酷かった。

激しく咳き込み胸が苦しくてならない。

涙が出て鼻水が出て恥ずかしい話だが尿も漏れる。


明日行く予定の病院に電話したら咳も発熱と同様の扱いなのだそうだ。

まず感染症を疑うらしく直ぐには診てもらえないらしい。

受付の女性がきつい口調で「直接は来ないで下さいね」と言う。

予め電話をして医師の指示に従わなければいけないのだそうだ。

それ程までに警戒しなければいけないのかと腑に落ちない。


幸い自分の名を名乗っていなかったので禁を破ることに決めた。

直接行ってもし咎められたらその時のことである。

ようは待合室で咳をしなければ済むことなのだ。

出来るのかそれが。自信はないが当たって砕けろである。





このところずっとあやちゃんの機嫌が良くてほっとしている。

確かに以前とは違う変化が表れているが誰も口に出さない。

はらはらと心配することもなくなり家族皆が明るく接している。


この春には6年生になるがどうなるのだろう。

もしかしたらそのまままた一年が過ぎてしまうのかもしれない。

私はそれでも良いと思っている。もちろん娘達も同じ気持ちだろう。

あくまでも世間の「カタチ」に拘ってはいけないのだ。

あやちゃんは自分なりのカタチを作り続けているのだと思う。

それが正解かどうかはあやちゃん自身が決めることだ。


弥生三月。きっと新鮮な日々が待っているのに違いない。


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