ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2024年02月29日(木) 高過ぎるハードル

雨の一日。今は小雨になっているが日中はまとまった雨となる。

冬の間はだか木だった桜の枝に小さな蕾らしきものが見えていた。

心配していたけれどその時期が来ればきっと咲くことだろう。

明日からはもう弥生三月である。本格的な春の訪れを感じずにいられない。



漢方薬が効き始めたのか今朝は少し声が出るようになっていた。

会話が出来るだけでも随分と楽に感じる。

もう少しの辛抱かもしれないがやはり病院に行った方が良いだろう。

神経質な者だから喉にポリープでも出来ているのではと不安になった。

悪い方へ考え始めたらきりがない。いい加減にしなくては。



月末の仕事が忙しくあたふた。肝心の運転資金がぎりぎりだった。

約束していた大口の回収があったが午前中は音沙汰がない。

仕方なく定期担保で資金を作り取引先の支払いを済ませたが

普通預金の残高が7700円。こんな会社があるだろうか。

自転車操業にも程があると云うものだ。

しかしそんな苦しさが面白い。土壇場に立たされてこそ私は燃える。


整形外科のリハビリの日だったので2時に退社し病院へ向かう。

信号待ちをしていたら義父から着信があり

大口のお客さんが支払いに来てくれたそうだ。

思わず「やったあ」と声が出る。これでしばらくは安泰である。


リハビリは今日も順調。ついに痛み止めの薬も止めることになった。

あまりの成果に医師も驚きながら大いに喜んでくれる。

ずっと親身になって寄り添ってくれた医師には感謝しかない。

完治する見込みはないのだとしても痛みが和らいだことが嬉しいのだ。

まだ杖は手放せないでいるが杖なしでも少し歩けるようになった。




サニーマートで買物をして4時に帰宅。

今日はお昼休みが無かったので短歌どころではなかった。

夕飯の支度までには一時間あり自室のパソコンに向かう。


深呼吸をしながら考える。昨夜思ったように自由に詠みたい。

もう自分で「お題」を出すのは止めようと思った。

そうしたらなんだか解放感に満たされとても新鮮な気持ちになった。

すらすらすらと三首書く。上出来ではなかったがまあまあかなと思う。

特に「遺影ではいつも笑顔でいるけれどこんな雨の日喧嘩をしたね」

これは母を想って詠んだ歌で仕事をしながら喧嘩ばかりしていたこと。

それは今となれば懐かしさとしか云いようがないことであった。

もう喧嘩をしたくても母はいない。遺影はずっと笑顔のままなのだ。


昨夜も寝る前に思ったことだが私のハードルは高過ぎたのだと思う。

必ず跳ばなくてはいけないと躍起になっていた。

勇気もなければ自信もないのにどうして跳ぶことが出来ようか。


中学の時の運動会を思い出していた。

クラブ対抗リレーがあって陸上部はハードルを跳ばなくてはいけない。

私はハードルが苦手だった。どんなに練習しても跳べないのだ。


陸上部は当然のようにトップを走っていたが

私の番になり最下位に落ちてしまった。

ハードルを跳べない私はなんと潜り抜けてしまったのだった。

ブーイングの嵐にも負けはしない。もちろん泣きもしなかった。


あの時と同じなのだなと思う。私は未だにハードルを跳べない。



2024年02月28日(水) 新鮮な場所へ

今朝は真冬並みの冷え込みだったが日中は穏やかな晴天となる。

毎朝能登地方の天気予報を見るのが習慣になっており

今日は生憎の曇り空で寒い一日だったようだ。

被災地からの報道が日に日に少なくなっているこの頃

決して忘れてはならないことなのだけれど

世の中のまるで渦のような報道が後を絶たなくなった。

痛ましい事故や事件に胸が詰まるような思いである。



昨夜は随分と声が出るようになりもう治ったかに思えたが

今朝はまたぶり返し殆ど声が出ない状態になっていた。

仕事を半日休ませてもらって病院へ行くことも考えたが

市販の薬を飲みつつ土曜日まで様子を見ることにした。

声帯の炎症を鎮める漢方薬なのだが直ぐには効かないようだ。

煙草はもってのほか飲酒も控えた方が良いらしいが

どうしても我慢できない。この性分にはすっかり呆れ返っている。


仕事にも支障がありまず電話応対が出来ない。

頼みの綱の義父も今日は農作業に出掛けていて不在だった。

こんな日に限って着信が多い。必死に声が出ないことを伝えるしかない。

明日はもう月末である。おそらく忙しい一日になることだろう。





毎日短歌のことばかり書いて申し訳ないが

今日も苦心しながらなんとか三首を詠むことが出来た。

ふと気づいたのは少しも楽しくないことである。

そもそも楽しいことではなく辛い作業なのかもしれない。

言葉を連ねて書く詠み方には確かに限界があるのだった。

自分で自分に「お題」を与えているのだけれど

その時点でもう私は自由では無くなっている気がする。

それこそが学びでそれこそが努力なのかもしれないが

精神的に疲れを感じるようになってしまうと元も子もないではないか。

私はもっと自由であるべきなのだ。好きなように短歌を詠みたい。

今日は「青空」で終わった。明日は雨なのにどうすれば良いのだろう。


雨の詩を書き雨の短歌を詠みたい。

土砂降りの雨になって何処かへ流されてしまいたい。


辿り着いたその場所はきっと新鮮な空気で満ちていることだろう。



2024年02月27日(火) 燃え尽き症候群?

本日も晴天なり。強風もおさまり随分と暖かく感じた。

鮮やかなピンクの花は桃の花だろうか。

山里の民家の近くに毎年咲いているのだけれど

誰にも訊けずにいてもうかなりの歳月が流れてしまった。

「桃の節句」も近くなりおそらくそうに違いないと思い込んでいる。

白木蓮に続き春を感じずにはいられない。なんともこころが和む。



今朝は目覚めるなり左足がつり激痛が走った。

夫がマッサージをしてくれ痛みは直ぐに治まったが

今度は声が殆ど出ない。どうやら声枯れが悪化したようである。

なんとか会話は出来たがまるで「がらがらへび」のようであった。


職場に着くなり義父にお説教されてしまった。

煙草の吸い過ぎを指摘され「自業自得じゃ」と言うのである。

それは私も痛いくらいに承知しているし反省もしている。

しかし自分をセーブすることが出来ない病気のようにも思えるのだ。

もう禁煙に臨むことは考えていないのでどうしようもなかった。



今日はお昼休みがあったのでゆっくりと短歌をと思ったが

思うように詠めない。やはりひどく追い詰められている。

そんな時は「どうせ崖っぷち」だと開き直るしかなかった。

昨日は「映る」で終わっていたのであれこれと考えていたら

「映像」が閃く。とてもここでは紹介出来ないような愚作である。

一首目からすでに途方に暮れていて墓穴を掘り続けていた。

自信もなければプライドもない。この先どうなるのだろうと思う。


「燃え尽き症候群」と云う言葉がある。精神的な病のようなもの。

それまでモチベーションを高く保っていた人が

突然やる気を失ってしまう症状なのだそうだ。

どれほど努力をしてもそれに見合った成果が出なかった時とか

逆に大きな成果を達成した後の喪失感からもそれは在り得るらしい。


私の場合は前者だと思われる。まるで架空の空を羽ばたく鳥のよう。

そこは空ではないのだ。なのに私は羽ばたこうと必死になっている。

もちろん成果などあるはずはない。あるのは虚しさだけである。

今に地上に落下するだろう。そうして傷だらけになってしまうのだ。


さあて困りましたね。これほど弱気になってしまっては。


昨夜もここに記したがこれまでの努力を水の泡にするつもりはない。

なんとしても書き続けて行く信念こそが大切なのだろう。

今日は「悔いはあるまい」で終わったので明日は「悔い」から始まる。

「悔やむ」「悔しさ」他に何があるだろうか。

そうだ悔しさをバネにすればいい。そうしてまた羽ばたいて行く。




2024年02月26日(月) いつだって崖っぷち

久しぶりの青空であったが強風注意報が出ていた。

陽射しを突き破るようにして冷たい北風が吹く。


朝の国道沿いに白木蓮の花が咲き始めていて思わず歓声をあげた。

春を告げる花である。毎年咲くのをどんなにか待ちわびていることか。

とても大きな樹で満開になると見事な存在感がある。

今日よりも明日と咲くことだろう。朝の道が楽しみでならない。

蕾はまるで手のひらを合わせたように見える。

何を祈っているのだろう。それとも感謝の気持ちなのかもしれない。




やっと月曜日。する仕事のあることが有難くてならなかった。

朝から来客が多く嬉しい悲鳴をあげるばかり。

あっという間にお昼になり急ぎ足で時間が過ぎて行く。


義父は好天気に農作業をしたくてならない様子で少し苛立っていた。

言葉が荒くなっていたがそれを宥めるようにやり過ごす。

にっちもさっちも行かないとはこんな時を云うのだろう。

やっと一段落したがまだ朝食も食べていないのだった。

「腹が減っては戦が出来ぬ」と促し大急ぎで掻き込ませた。


すでにお昼休みであったがまた来客がある。

義父を送り出した後で私が対応するしかない。

不謹慎にも頭の中は短歌のことでいっぱいになっていた。

大丈夫、15分もあれば書けるだろうと甘く見過ぎていたようだ。


今日は「愛」から始めなければいけなかった。

例の如くでどうして愛なのかと自分を責めたくなってくる。

また悩みの種を蒔いてしまったようだ。さてどうする。


しばらく考えていたらふと「愛別離苦」と云う仏教の言葉が浮かんだ。

これは人間の八苦のひとつで愛する者とは必ず別れがやって来る。

それが人の世の儚さであり運命であると云う教えであるらしい。

無知で教養のない私ではあるが昔読んだ本にそう書いてあった。

「愛別離と書けば苦しかないけれどこの世の掟なんと儚し」

この歌を詠むのに30分程かかる。もう時間の余裕など無いに等しい。

仕方なく仕事をしながら次の歌を考えなければならなかった。


よほど追い詰められていたのだろう。もう限界かもしれないと思う。

短歌なんていっそ止めてしまおうかとも思った。

でもそれでは今までの努力が水の泡になってしまうのだ。

こんな時こそ「負けるもんか」なのだ。限界を乗り越えずにどうする。

私は崖っぷちに立っている。そう思ってなんとか後の2首を書き終えた。

これは明日もある。明後日もある。生きている限り続くのである。




帰り道のラジオで震度3の地震があったことを知る。

運転中の事で全く気づかなかったがけっこう揺れたようだった。

つい先日も震度2の地震があったばかりで不安がつのる。

幸い震源地は土佐沖ではなかったが近いうちに必ずあるだろう。


帰宅したら夫が「おまえは逃げるのは無理だ」と言う。

娘も一緒になって私を馬鹿にするので開き直ってみた。

杖を放り投げて走れるかもしれないのだ。

火事場の馬鹿力をきみたちは知らないのかい。

その時になってあっと言わせてやろうではないか。


朝に晩に仏壇に手を合わせている。

どうか大きな地震が来ませんようにと。

家族皆をどうかお守りくださいと。


しかし私をお守りくださいとは一度も願ったことはない。



2024年02月25日(日) 罪ばかりを数えて

今日も曇り日。夕方近くなりやっと青空が見え始める。

ほおずき色の空が嬉しいこと。明日は久しぶりに晴れそうだ。


三連休は少しも嬉しくなくごろごろと寝てばかりで退屈で仕方ない。

ドライブがてら「一風」へラーメンを食べに行こうと夫に相談したが

「そんな気分じゃない」と敢え無く却下されしょんぼりとするばかり。


午前中また7時から9時半まで炬燵に潜り込み寝ていた。

自分でも異常ではないかと思う。なんと不可解な眠気だろう。

夜の睡眠が足らないのかもしれないが7時間眠れば十分に思うのだ。

平日の朝の眠気も相変わらず続いており悩みの種になっている。

とにかく事故を起こさないように注意しなければならない。


昼食は結局「お好み焼き」を作って食べる。

「外食するよりずっと安上がりだぞ」となんと偉そうな夫。

ビールを飲みご満悦で私もノンアルビールを飲んだ。


お腹が一杯になるとまた眠くなる。また3時間ほどお昼寝をした。

寝起きの気だるいこと。アイスコーヒーを2杯飲む。

煙草はすっかり元の木阿弥になっており鎖のように吸い続ける。

そのせいか声が嗄れて咳き込むことも多くなった。

食欲と同じで我慢することが出来ないのだ。もう開き直るしかない。

しかしこれは自殺行為に等しいと思う。まだ死にたくなどないのに。




今日の短歌は「夜」で始まる。これもしまったと思ったが自業自得。

自分で蒔いた種なのでなんとしても芽を出させてやらねばならない。

しかし私のこの試みはいつか実になることが出来るのだろうか。

やがて大きな落とし穴が待っているようで心細くてならない。

「負けるもんか」と毎日書き続けているが漠然とした不安が付きまとう。


「夜」はなんとか書き終えて最後には

「今だからこそ言えること傷つけてごめん愛していたはずなのに」

これは意味深な一首になり自己満足以外の何物でもない。


かつて愛した人がいた。しかしどれほど傷つけてしまったのだろう。

二十歳を過ぎたばかりの春だった。私は何もかも捨てて逃げだしたのだ。

若気の至りでは済まない大きな罪を犯したのだと思っている。


過去に背持った物は重い。一生身軽にはなれないだろう。

今がどれほど幸せであっても忘れてはいけない「過去」がある。


ずいぶんと生き永らえて来た。あともう少しなのかもしれないが

書き残すことで少しで罪を償うことが出来たらと願ってやまない。





2024年02月24日(土) それがどうした

どんよりとした曇り日。薄日が射すこともなく肌寒い一日だった。


水仙は冬を代表する花だが春先になるとラッパ水仙が咲き始める。

近所の美容室の窓の下にそれが一斉に並んで咲いているのを見た。

うきうきと心が弾む。季節は確かに春なのに違いない。


朝ドラ再放送の「まんぷく」を見終わってから2時間も寝ていた。

朝から何てことだと夫が呆れ返っていたが眠いのは仕方あるまい。

いつもならカーブス行く前に買物を済ませおくのだが時間が無かった。

寝起きの気だるさが抜けず珈琲を飲み煙草を吸ってから出掛ける。


リハビリの成果がありこのところ足の痛みが和らいでいて嬉しい。

そのせいか筋トレも楽しく笑顔もこぼれるようになった。

異常な程に汗をかくのは代謝が良くなっている証拠らしいが

体重はどんどん増え続けもうすぐ70キロの大台になろうとしている。

少々の筋トレでは追いつかないほどの暴飲暴食のせいだろう。

とにかく満腹になるまで食べないと気が済まないのだった。

もうダイエットはしないと決めた。我慢するのはもう沢山だと思う。

私は醜くなる一方だが「それがどうした」と開き直っている。




午後も3時間の昼寝。4時前にやっと目覚めて短歌を詠む。

昨日は「声」で終わったので今日は「声」から始める。

「声のするほうへと歩み寄りながら幻みたいな君を抱いた」

「抱く」は性交とも読み取られ卑猥なイメージがあるが

この老いぼれにそれは決してないだろうと自分で納得していた。

それこそ自己満足だろうが自画自賛とも云えるだろう。

私は好きである。他の誰にも読めない歌だと思っている。

もし愚かさを指摘されたら「それがどうした」とまた開き直るだろう。


詩も短歌も信念失くしては書けないのだと思っている。

特に私のように残り少ない人生を書くことで全うしようとしている者に

遊び心でどうして書けよう。それは時間の無駄だと思うのだ。

いつだって真剣でなくてはならない。これは命がけの作業なのである。


認められたい「欲」はいつまで経っても手放せないが

私の死後にもし誰かの目に触れることがあれば本望に思う。

私はきっと忘れられない人になることが出来るだろう。



2024年02月23日(金) 彷徨う老犬

小雨が降ったり止んだり。夕方になり雲間から少しだけ夕陽が見えた。

眩しさに目を細める。それは恍惚とするような光であった。

スポットライトには無縁であるがもしやこれがと思う。

そんな夢のようなことを考えるほど私はもう若くはないのだけれど。



天皇誕生日で祝日。今日から三連休を頂いたが少しも嬉しくはなかった。

なんだか道に迷った老犬のように居場所を見失ってしまった気がする。

何処に行けば良いのだろう。ふと心細くなるほどだった。



娘夫婦が仕事だったのでめいちゃんを誘って買物に行く。

最初にドミノピザへ行って昼食用のピザを注文した。

焼き上がりまで20分とか。その間にサニーマートへ行く。

頂き物の白菜があるので今夜は寄せ鍋にしたが

マンネリ化してしまって少しもわくわくしないのだ。

具材もいつもと同じ物ばかりで鍋用の魚も品薄である。

めいちゃんの好きなえのき茸、あやちゃんの好きな葛切りは必須。


ピザを車に積み込むとなんと美味しそうな匂いだろう。

早く帰って食べたかったがめいちゃんがダイソーに行きたがる。

今日もまた770円の買物。そろそろお小遣いが底を尽きそうだった。

可哀想に思い千円札を渡したら「やったあ」と喜ぶ。

家まで10分程。私の即興で「ピザの歌」を歌いながら帰った。

「それだれのうた?」と訊くので「おばあちゃんの歌」と笑い合う。


家に帰り着いたら一足違いであやちゃんがカップヌードルを食べていた。

娘が自分で作って食べるようにと言い残していたらしい。

ピザを買って来ることを言ってなかった私も悪かったのだ。

娘も娘である。どうして私に頼ってくれなかったのだろう。


夫が少しでもと言って二階へ持って行ったら一切れだけ食べてくれた。

「もうおなかいっぱい」と笑っていたそうでほっと嬉しかった。

娘が帰宅してからその話をするとあくまでも非常食なのだそうだ。

別に私に遠慮したわけではないのだと怒ったように言う。

なんとなく険悪なムードになりさらりと水に流すことにする。




今朝はSNSにMさんからメッセージが届いており嬉しかった。

最愛の奥様を亡くされたMさんは私の詩を毎朝読んでくれている。

私も以前はMさんを意識しながら書くことが多かったが

最近では自分の好きなように気ままに書くことが多くなった。

時には暗く陰鬱な詩にもなるが最後には必ず光を当てるよう心掛けている。

かなしみは癒されるべきなのだ。どんなに辛く苦しい日々であっても

前を向けばきっと救われる日が来るのだと私は信じている。

春の息吹を優しい風を感じられるように言葉を綴って行きたい。

それは同時に私自身も救ってくれるではないだろうか。


「死」はどうしようもなく身近となりもう避けられない宿命となった。

一日一生だと思いつつ日々を過ごしているが

全うするためにはもっと努力が必要なのかもしれない。


書くことが生きること。それは誰にも侵されてはならない。

定命が尽きるその日まで私は書き続けて行きたいと思っている。

儚くなくてどうしてそれが出来ようか。



2024年02月22日(木) 令和枯れすすき

曇り日。夕方少し小雨が降ったが今は止んでいる。

一日中どんよりと暗い空だったが寒さは感じなかった。

しかし寒気がゆっくりと南下して来るそうで油断は出来ない。

「冬の背にそっと息を吹きかけて別れ道まで送って行く」

そんな短歌を詠んだのは二年前の今頃だったか。

記憶はどんどんと遠ざかり残るのは儚さだけであった。

自ら消えようとしているのでない。私は消されているのだと思う。

誰に?まるで世間に負けた「令和枯れすすき」のようである。



職場に着くなりもう義父が働いていておどろく。

昨日の疲れなど全く無いように見えた。

けれども少し機嫌が悪く苛立っているように感じたのは気のせいか。

どうやらあまりの忙しさに農作業が出来ず焦っているように思える。

田植えはまだまだ先の事と思っていたが種籾の準備があるらしい。

「もう米どころではないぞ」と今日もぼやいていた。


なんとかスムーズに行かないものかと私も頭を悩ませているが

工場の仕事を優先して貰わないとにっちもさっちも行かなくなる。

機嫌を損ねないように気を遣いつつ見守るしかないのだろう。



今日も昼休み無しで4時過ぎまで仕事をしていた。

整形外科のリハビリが5時からだったので丁度良かったが

受付時間ぎりぎりになりなんとか間に合った。


今日の療法士さんは男性だったが初めてではなかったので

あれこれと会話をしながら施術をしてもらいなんとも心地よい。

私の気のせいかもしれないが女性よりも上手なのではないだろうか。

まだ独身に見えたがきっと女性に優しいのに違いない。


帰宅がすっかり遅くなりそうで夕飯は「ほか弁」にした。

娘とめいちゃんはダンス教室なので三人分で良い。

あやちゃんが「ステーキ弁当が食べたい」と言ってくれる。

これも以前ならそっけなく「要らない」と言ったことだろう。

ちゃんと食べたい物を言ってくれたのがとても嬉しかった。


私達と一緒には食べなかったが「温いうちに食べたや」と

声を掛けたら「うん、わかった」と笑顔で応えてくれる。

独りで食べるのにはもう慣れてしまったのだろう。

寂しくはないかと気遣うこともなくなった。

自主的と云うのだろうか自由気ままなのが一番のようだ。


隣室から鉛筆を削る音が聞こえている。

定期的に学校から届く課題は完璧なのだそうだ。

先日も訪ねて来てくれた先生が褒めてくれたらしい。

あやちゃんは決して怠けているのではないのだ。

自分なりに努力をしながら前向きに頑張っているのだと思う。


天使が空から舞い降りてくる日がきっと来るだろう。

トンネルを抜けたらきらきらと眩しく輝く空が見えるのに違いない。





2024年02月21日(水) 春雷

日中は激しい雷雨となる。昔「春雷」と云う歌があったが

誰が歌っていたのか思い出せない。「ふきのとう」だったか?

空を突き破るように稲妻が走り力強い春の訪れを感じた。


悪天候の中、義父が徳島市内へ出張し心配でならない。

お客さんが事故を起こしレッカー搬送を依頼されたのだった。

まるで若者のように張り切っていたが80歳の高齢者である。

長距離運転には自信があっても万一の事が無いとは限らない。

しかもいつもは電話魔なのに今日に限って一切連絡がなかった。

往復10時間としてもそろそろ帰り着いている頃だろう。

きっと疲れてぐったりしているのではないかと思われる。

あえてこちらから電話をせずにいて明日会えるのを待つしかない。




昨日の今日で診療所に相談したら健康診断が可能とのこと。

予約も不要とのことでとりあえず3月初旬に予定することにした。

同僚にその旨を話したら必要ないと言ってあまり乗り気ではない。

普段から病院通いが多くあれこれ検査をしているのだそうだ。

けれども年度末までに結果を報告しなければいけないので

なんとしても受けてもらわなければいけない。

他にも作成しなければいけない書類があったが今日はやる気がしない。

だらだらと怠けてばかりの一日だった。


お昼前に平田町のローソンまで走る。

無性にオーロラソースのチキン南蛮弁当が食べたくてならなかった。

助手席に積んでわくわくしながら職場まで帰る。

まるで夢のように美味しい。毎日でも食べたいくらいだった。


今日の短歌は「知らない」から始める。

どうして昨日「知らない」で終わってしまったのかと頭を抱えた。

仕方ない自分で蒔いた種である。なんとしても咲かせなければ。

「知らないで済むことならば目を閉じて君の心の鍵を壊そう」

我ながらなんじゃこれと思うほどの駄作となってしまった。

意味不明である。心の鍵を壊されたらたまったもんじゃない。


しかし今日は「未来」で終われたので少しほっとしている。

明日はもっとましな歌が詠めるに違いない。


短歌は31文字の「詩」であるべきだと私は思っている。

SNSではそう感じられない短歌が沢山発信されているが

反応が凄い。「いいね」が2百以上も付いていておどろく。

きっと今の若者にはそんな短歌が好ましいのだろう。

私の短歌は相変わらずだが決してめげてはいけないのだと思う。

あくまでも信念を貫く。それが私の誇りでなくてなんだろう。

反応イコール評価ではない。無視されても私は書き続けるしかないのだ。


と、少し強がってみたが本音は心細くてならない。

私はやがて消えるだろう。詩も短歌もなんと儚いことだろうか。







2024年02月20日(火) おんなの墓穴

最高気温が25℃近くまで上がりまるで初夏のようだった。

全国的に2月の過去最高気温を記録したらしい。

暖かいに越したことはないがなんとも気味が悪い。

不安症の私など大地震の前兆ではないかと心配でならない。

大きな揺れが収まったらすぐに高台に避難をと言っているが

家が潰れて下敷きになってしまったらどうすればいいのだろう。

家もろとも津波に呑まれるのは目に見えている。

果たして生き残れるのだろうか。それはもう恐怖しかない。

不安の種を蒔き続けていたらきりがないが考えずにはいられなかった。

どうかどうか大きな地震がありませんようにと毎日祈り続けている。





さて今日の短歌は「おんな」昨夜からずっと頭から離れない。

なんとか書けそうになったが今日もお昼休みがなかった。

午後からは労働基準監督署に行かなければいけなくて焦るばかり。

とりあえず下書きをしておき義父の目を盗んでパソコンに向かった。

「女には一本道があるらしい脇目も振らず駆け抜ける恋」

なんだか演歌のような歌になったが「一本道」に拘っていた。

自分では上出来だと思っているが反応はそれほどでもない。

いかに私の自惚れが強いかこれで明らかになった。

昔のような感性はもう殆ど残っていないのだろう。

このまま廃れていく運命なのかもしれない。




労働基準監督署は最低賃金を守っているかの調査だった。

ランダムに選んだそうだがどうして我が社がと思う。

もっと大きな会社がいくらでもあるだろうに。

幸いぎりぎりだが最低賃金は守られておりお咎めはなかったが

健康診断の話になりこれはいささかまずかった。

これは法律で決められており「必須」なのだそうだ。

ずっと気にはなっていたがあまりにも疎かにしていたようだ。

明日にでも山里の診療所に相談してみるつもりだが

設備が整っていなければ大きな病院へ行かなければならない。

これは同僚だけのことで私は対象外であった。


最後に同意書にサインをする時、役職名を書くように言われ

取締役に続けて私の名前を書く。初めてだったのでどきどきした。

それにしても出世したものだと後からほくそ笑んでしまう。




今夜のあやちゃんもにこにこ。最近ずいぶんと明るくなった。

鶏の手羽元が好きなので照り焼き風に煮付けたら喜んで食べてくれる。

「ごちそうさま」そう言うと汚れた食器を流し台まで運んでくれた。

こんなことは初めてではないだろうか。少しびっくりした。


娘は何も言わないが内心では変化に気づいているのではと思う。

けれども話題にしてはいけない事だと思い私も黙っていた。


とにかく明るい方へ。あやちゃんは真っ直ぐ前を向き歩き続けている。



2024年02月19日(月) おんなの一本道

二十四節気の「雨水」雪が雨に変わり春の兆しが見え始める頃。

そんな「雨水」を待ち兼ねていたようにまとまった雨が降る。

風も強く吹きなんだか春の嵐のような一日だった。


昔から農耕の準備を始める時期とも言われていて

義父がそわそわと落ち着かない。しかし大雨では農作業も出来なかった。

仕方なく諦めた様子で工場の仕事を手伝ってくれ大助かりである。

同僚も頑張ってくれて2台の車検を仕上げることが出来た。

どちらも大掛かりな修理が必要で一週間も預かっていたので

私もほっと肩の荷が下り心地よい達成感が待っていた。

2月の予約は全て埋まりもう3月の予約が入り始めている。

ぼちぼちではいられず気を引絞めて取り組まなければと思う。

仕事は忙しいほど張り合いがある。嬉しい悲鳴をあげずにはいられない。




8時半から7時間ぶっ続けで働く。お昼休みもなかったので

ゆっくりと短歌を詠む時間がなかった。

しかし焦ってはいけないと自分に言い聞かせながら

義父が昼食を摂っている間になんとか3首書くことが出来た。


長年短歌に携わっているけれど技法には全く無知である。

私が今試みているのは「連詠み」のようなもので

ひとつの短歌の最後の言葉を次の最初に詠む方法である。

例えば昨日は「幻想」で終わったので今日は「幻想」から始める。

「幻想に惑わされては歳重ね若き日の夢いずこかへ去る」

次は「去る」なので

「去る者は追わずと決めているけれど後ろ髪引く熱き指先」

これは最初「憎き指先」と書いていたが違和感があり書き直した。

次は「指先」である。

「指先でなぞるような過去があるあの日あの時私はおんな」

書き終わってからこれは面白いことになったと思った。

当然のことながら明日は「おんな」から始めなければいけない。

老いぼれの婆さんがいい歳をして穴が在ったら入りたいくらいである。

しかしなんとしてもやり遂げるのが私の信念ではないだろうか。

きっと書いて見せよう。我ながら明日が楽しみになって来た。

おそらく仕事をしながら頭の中は「おんな」で溢れることだろう。





今夜もにこにこ笑顔のあやちゃんに会えた。

私と娘が夕食の支度をしていたら二階から下りて来て

なんと珍しく揚げ物を手伝ってくれたのだった。

くくっと笑い声。久しぶりに聞く「鳩ぽっぽ」だった。

食事中も会話が弾み父親としきりに話し込んでいた。

冗談を言い合ったりふざけ合ったりなんと楽し気な笑顔だろう。


幼い頃からずっと明るく朗らかな子だった。

この一年近く何を悩み傷ついていたのだろうと思う。

葛藤はまだまだ続くのかもしれないけれど

「もう過ぎ去ったこと」がきっとあるのに違いない。



2024年02月18日(日) オムライス

2月とは思えない暖かさとなり汗ばむ程だった。

まさに異常気象である。このまま行けば夏はかなりの猛暑になりそうだ。

桜は無事に咲いてくれるだろうか。寒さが足らないのではと心配になる。

以前に今年は咲かないかもしれないとニュースで聞いたことを思い出す。

やはり季節に似合った気候が望ましい。寒の戻りもなくてはならない。



午前中にちーちゃんに会いに行く。奥さんのなっちゃんが喜んでくれる。

姿かたちは見えなくても魂は決して消えないのだと話した。

なっちゃんも頷きながらそう信じている様子であった。

あまりにも急いで逝ってしまったので「あっけにとられている」と

寂しさはもちろんのことだが悲しみはずっと後から訪れるのに違いない。


拙いが般若心経を唱えさせてもらってしばし遺影と語り合う。

声は聞こえなくてもちーちゃんは確かに存在しているのだと思った。


帰宅するなり出掛けていためいちゃんが帰って来て

「めいもちーちゃんにあいにいく」と言って駆け出して行く。

ふたいとこのまあちゃんを誘ったようで二人で行っていたようだ。

なんと頼もしいことだろうとそんな成長を嬉しく思った。

子供心に「死」がどのように映っているのだろう。

いつも可愛がってくれていた大好きなちーちゃんであった。




今夜は残りご飯が沢山あったので炒飯かオムライスかと迷う。

おそるおそるあやちゃんに訊いたらオムライスが良いと言ってくれた。

以前なら「別に・・」と言ったり「どっちでも良い」だった。

そんな無関心さが哀しかったが今夜はなんと嬉しいことだろう。

娘が鶏のから揚げを揚げてくれていたので私はオムライスを作った。

いつも以上に張り切っている。あやちゃんの笑顔が見たくてならない。

サニーレタスも買って来ていたので生ハムとトマトでサラダも作った。

これもあやちゃんの好物で今夜は好きな物ばかりだった。


にこにこと笑顔のあやちゃんを見ていると救われたような気持になる。

もうトンネルの出口が見えているような気がしてならなかった。

先回りして出口で待っていてあげたい。そうして抱きしめてあげたい。


今は決して背中を押してはいけないのだ。とにかく「待つ」ことだ。



2024年02月17日(土) 黄泉の国

風もなく穏やかな晴天。空から天使が舞い降りて来そうだった。

天使の母親は女神なのだと勝手に思い込んでいる。

「行ってらっしゃい」きっとそう言って送り出しているのだろう。


夜明け前に「はるさん」の詩を書いた。

「ふゆさん」と同じく自分ではシリーズ化しているつもりだが

果たして読者にそれが伝わったのかは定かではない。

ただいつも厳しいK子さんが「春を感じますね」と言ってくれた。


明るく朗らかな詩はあまり書けないがたまにはこんな朝もある。

清々しくほのぼのとした気持ちを大切にしたいものだ。


昨夜は「未来があるのだろうか」とここに記したが

ある方がSNSで「未来とは過去から憶測した妄想である」と。

「今ここに生きることしかない」と言ってくれて救われるようだった。

それこそが「一日一生」なのだと改めて思うことが出来た。


私がSNS等で発信する言葉は殆どが一方通行である。

無視されることも多く反応も思いのほか少ない。

それだけ共感を得ていないという証でもあるだろう。

しかしそれに惑わされていては何も伝えられないのだと思う。

たった一人のひとでいい。心を少しでも動かせてあげたいものだ。




今日はちーちゃんの49日の法要があった。

実際には来週の水曜日だが週末を選んだらしい。

私もお焼香に行きたかったが夫一人の案内であった。

こればかりは押し掛けるわけには行かず後日に行くことにする。


いとこ達が勢揃いしてとても賑やかな法要だったようだ。

寂しがり屋のちーちゃんもきっと嬉しかったことだろう。

もう家の軒下には居られない。いったい何処に行くのだろうと

皆で語り合ったそうだ。三途の川を渡らねばならないが

ちーちゃんの事だから自分で船を操縦したのに違いない。

魚がいれば漁もする。川面は陽を受けきらきらと輝いている。


黄泉の国のことは誰も知らないが天国と云う位だから

きっと住み心地のよい最高の国なのだろう。

そこでちーちゃんはきっと笑顔で過ごすのだと思う。


母が亡くなった時もそうだったが失った気が全くしない。

寂しさはあるがまたきっと会えるような気がしてならないのだ。


私もやがてお迎えが来るだろう。

そう思うと「死」はそれほど怖ろしいものではない気がしてきた。


茜色の空の向こう側。黄泉の国は光り輝いている。




2024年02月16日(金) 未来はあるのだろうか

昨日までとは打って変わって冬型の気圧配置となる。

また三寒四温の「三」なのだろう。

しかし思いのほか暖かくなり狐につままれたようだった。

風は少し吹いていたが輝くような陽射しが降り注ぐ。

まさに絵に描いたような冬晴れである。


もう金曜日なのかと今朝は物足りなさを感じていた。

よほど貧乏性なのだろう。もっと仕事をしたくてならない。

母と一緒に仕事をしていた頃は辞めたくてたまらなかったのが嘘のようだ。

精神的なストレスが大きく逃げ出してしまいたいような日々であった。

今思えば母でありながら母ではなかったのだろう。

私は求め続けていたのだと思う。優しい母の面影ばかりを。


けれども母に何の罪があったのだろう。

身体の不調を訴えながらも母は必死の思いで会社を守り続けて来た。

ゆっくりと休ませてやりたいとどれほど思ったことだろうか。


結果的には度重なる入院の挙句にとうとう施設に入居したのだった。

いつかの面会の時に「もう仕事のことは忘れたけん」と言った。

その時私はほっとしたのだ。やっと母を休ませてやれると。

そうして内心ではもう二度と母といがみ合うことはないのだと思った。


歳月は流れ今では私が一人で母の身代わりになっている。

母が守り続けて来た会社をなんとしても守らねばならない。


仕事は楽しい。張り合いもあり遣り甲斐もある。

忙しければ忙しいほど私は張り切っている。





さて一区切り着いたところで何を書こう。

あくまでも日記なのだから気楽にと思うが先へ進めない。

やはりサニーマートが必要で今夜のおかずが必要なのだろうか。

それならば容易くいくらでも書けるのだが昨夜から躊躇している。

「日記」はそもそも人に見せるものではないが

公開している以上は読者あってのことだろう。

もう22年目になったがずっと読み続けてくれている人もいる。

そんな人達のおかげで今まで書き続けて来れたのだと思う。

けれども裏切る時もある。期待通りには書けない時もいっぱいあった。

それが許されると思いつつ私は甘え続けて来たのだった。


在りのままであるがために人を傷つけたこともある。

「絶対に許せない」とその人は憤怒しもう二度と帰って来なかった。

悲しいのは私ではなかったのだ。その人こそが「悲しみ」だった。


この22年は私の人生の記録に他ならないが

この先いつまで書き続けられるのかと思うと不安でならない。


私は何処に向かっているのだろう。未来はあるのだろうか。



2024年02月15日(木) 文才は無いが情熱はある

清く正しく素直に雨が降る。気温は今日も20℃近くあった。

植物や畑の作物には恵みの雨になったかもしれないが

暖冬の影響で大根やキャベツ、ブロッコリーなどが巨大化し

キャベツは割れ、ブロッコリーはもう花が咲いているのだそうだ。

ご近所さんから頂くことも多く店頭でも格安で手に入るが

農家の人達はどんなにか困惑していることだろう。


三寒四温とはよく言ったもので明日はまた冬型の気圧配置になるそうだ。

まだ2月である。立春を過ぎたとは云えもう少し冬であるべきだろう。





けい君10歳の誕生日。もう10年の歳月が流れたのかと

過ぎ去った日々を感慨深く思い起こしている。

家庭の事情は色々あったけれど素直で明るい子に育ってくれた。


そのけい君が数日前からインフルエンザに感染しており

まだ熱が下がらず心配でならない。

先ほど息子に電話したら看病に来てくれていたお嫁さんも発熱とのこと。

おそらく感染したものと思われる。困ったことになった。

息子は今のところ大丈夫のようで仕事にも行っているようだ。

けい君の学校は学級閉鎖になっており今週いっぱい休みらしい。


せっかくの誕生日なのにと可哀想でならないが仕方あるまい。

元気になったら改めて誕生日祝いをするのだと息子が言っていた。


病弱だったお嫁さんがやっとの思いで産んだ子である。

けい君はきっと神様に守られていると信じてやまない。





連日のサニーマット日記もそろそろ潮時ではないかと思っている。

しかし思うように方向転換が出来ずにいる。

書きたいことが他にあるはずなのだ。どうして書こうとしないのだろう。

もう昔のような「感性」を失ってしまったのかもしれない。


なんだか時間の無駄遣いをしているようにも思える。

それ程までに残された時間がたっぷりあるわけではないのだ。

「命がけで書いている」などと偉そうなことを言いながら

「このざまはなんだ」と自分を叱りたくもなって来る。


しばらくはその日の気分に任せてみるが

もしこのまま進展がなくてもお許し願いたい。

「今夜のおかずはなあに?」楽しみにしてくれていたなら感謝しかない。


私は誰からも強制されることなく自由に書いている。

文才は無いが情熱はあるのだと自負せずにはいられなかった。



そろそろ娘とめいちゃんがダンス教室から帰ってくる頃だ。

あやちゃんは独りぼっちで夕食を食べたが少しも寂しそうではなかった。

毎日少しずつ芽を出すように成長しているのだと思う。



2024年02月14日(水) 命がけで書いている

今日は全国的に四月並みの暖かさだったようだ。

高知県西部も20℃まで気温が上がり春の陽気であった。

しかしお天気は下り坂とのこと。今夜遅くには雨が降り出しそうである。


昨夜は久しぶりに母の夢を見た。

一緒に仕事をしている夢で私は酷く苛立っている。

母も穏やかではなかった。二人ともすっかり喧嘩腰なのだ。


困ったことになったと思う。明日からどうすれば良いのだろう。

母に生活費も渡さねばならないのに何処にもお金がなかった。

私は夢だとは気づいていないのだ。現実だとばかり思い込んでいる。

以前の夢では「もう一度死んでしまえ」と母をぶったが

さすがに良心を咎めていたのだろう。暴言も吐けないのだった。


精神的に追い詰められている。もう逃げ道はないのだと思った。

はっと目が覚めてやっと夢だと気がついたけれど

なんと後味の悪い嫌な夢だったのだろうか。

母には申し訳ないがもう二度と会いたくなどないと思う。


子供の頃の記憶はいったい何処に消えてしまったのだろう。

確かに優しかった母がいたはずなのに。





平日は短歌を詠む時間がない。それでも書きたくてたまらなくなる。

昨日もそうだったが苦肉の策で仕事の合間に書くようになった。

余程仕事が暇なのだろうと思われるかもしれないが

決してサボっている自覚はなかった。云わば人生の「仕事」である。

大げさな表現をすれば成し遂げること。貫くことである。

書いた後のなんと清々しいことだろう。

私にとっては無くてはならない貴重な時間なのだと思う。


詩も、この日記もそうだが命がけで書いていると云っても過言ではない。

それらは私の記録であり生きて来た証になるだろう。

永遠にこの世に残るものではないからこそ愛しくてならないのだ。





サニーマートへ着いたのは3時過ぎだった。いつもより少し早い。

職場で大月町のお客さんから新鮮な「びんよこ」を頂いていた。

鮪の幼魚だがほぼ鮪に近く大きな切り身である。

すぐにお刺身に出来るようにしてくれていてなんと有難いこと。

お刺身があれば後は何でも良いように思うがそうはいかない。

あやちゃんの好きな肉じゃがと海老フライを作ることにした。


エクアドル産の有頭海老が12匹入って680円の半額。

これには思わず「やったあ」と声を出さずにはいられなかった。

思い切って2パック買う。これで24個の海老フライが出来る。

後は細目の胡瓜があったので丸ごと竹輪に詰めて「ちく胡」にした。


めいちゃんはもちろんのことだが今夜も笑顔のあやちゃんが嬉しい。

肉じゃがの出来が気になったので「どうかね?」と訊いたら

「めっちゃ美味しい」とにこにこしながら応えてくれた。


おかげで平和な夜である。この平和がどうかずっと続きますように。





2024年02月13日(火) キャベツの卵とじ

晴れたり曇ったり。気温は三月並みだったようだが

陽射しが少なかったせいかさほど暖かくは感じなかった。

あちらこちらで梅が満開である。風が仄かに匂うようだ。


夜明け前、ふと自分が生まれた時のことを想い詩を書く。

もちろん記憶などあるはずもないが

どうして憶えていないのだろうと思う。

憶えていればどんなにか母を愛しく思ったことだろう。


死んでも涙一つ出なかった薄情な娘である。

そのことをずっと罪のように感じてならない。




やっと仕事。お休みはもうたくさんだと思っていた。

だから今朝は嬉しくてならず気分が高揚していたようだ。

仕事を失ってしまったらどうなるのだろう。

暮しの目途も立たなくなりたちまち困窮するのが目に見えている。

字を書くことも無くなり頭を使うことも無くなってしまったら

認知症になってしまうのかもしれない。


そうかと思えば未だゴールが見えないことに戸惑いを感じている。

70歳か、75歳か、もしかしたら80歳かもしれない。

こればかりは義父次第だがなんだか義父が死ぬのを待っている気がする。

それもまた薄情なことで罪の上に罪を重ねているようなものである。




少し早めに終わらせてもらってサニーマートへ。

昨日買い込んだので今日は節約が出来そうだった。

「赤魚と豆腐の煮付け」はもう決まっている。

頂き物の巨大なキャベツもありキャベツ料理をと考えた。

思いついたのは「キャベツの卵とじ」味付けはお醤油と砂糖である。

これは如何にも貧乏くさいので合い挽きミンチを入れることにした。

それからキャベツとシーチキンで「マカロニサラダ」にする。

後は「牛カルビとにんにく芽のタレ漬け」これは炒めるだけのもの。


帰宅したら娘婿の友人から伊勢海老が届いておりお刺身も加わる。

頭と殻は明日の朝のお味噌汁にすることになった。


あやちゃんとめいちゃんはレトルトカレーを食べていた。

伊勢海老はグリルで焼いた方が良かったようだ。

「キャベツの卵とじ」はまるで怖い物のように誰も箸を付けない。

その上に昨夜の切干大根も残っていて踏んだり蹴ったりである。


でも今夜も機嫌の良いあやちゃんが嬉しくてならなかった。

食べ終わると大きな声で「ごちそうさま」と言ってくれる。


もしかしたらトンネルの出口が見え始めたのかもしれない。

あともう少しなのだ。トンネルを抜けたら桜の花が咲いているだろう。





2024年02月12日(月) せめて靴を脱いで下さいね

穏やかな晴天。気分はすっかり春うららである。

明日からも気温が高くなり3月並みの暖かさになるようだ。

また寒の戻りもあるだろうがつかの間でも春を感じていたいものだ。



情緒が安定しているのか今日は詩も短歌も上出来だった。

何と云う自惚れだろうかとも思うが良いものは良い。

誰に何と言われようと自分に誇りを持ちたいと思う。

「これが私です」と胸を張っていたいのだ。


そうこうしているうちに落とし穴もきっとあるだろう。

けさなれることには慣れているので「かかって来い」と思っている。

それは土足で私の心を踏み荒らすのと同じである。

その時には微笑みながら「せめて靴を脱いで下さいね」と言いたい。

嘆いた方が負けなのだ。私は私を守り続けて見せよう。





娘夫婦が仕事だったのでめいちゃんとサニーマートへ。

今日もまた百均へまっしぐらである。買物が楽しくてならないようだ。

後から私を追い駆けて来たのでお菓子を買ってあげようとしたら

自分のお金で買いたいのだと言って聞かない。

随分と成長したものだなと感心せずにはいられなかった。

そうして清算も自分でセルフレジへ行き慣れた手つきである。

それには見ていた店員さんも驚いていたようだった。


私の荷物は今日も重い。レジ台からカートに載せるのに苦労していたら

店員さんが駆け寄って来てくれて手を貸してくれた。

いつも本当に助かっている。心から感謝の気持ちを述べた。


今日は月曜祭で特売品が多い。豚カツ用のカナダ産ロースが一枚百円。

多い方が良いだろうと8枚買った。パン粉もサラダ油も。

野菜は地場産品売り場で「わさび菜」を買う。一束120円だった。

後は従姉妹から貰った切干大根を煮ることにして油揚げを買う。

明日の夕食用にと冷凍の赤魚と梶原食品のお豆腐も買っておく。

安い時に買っておくのが賢い主婦なのに違いない。


豚カツは娘が手際よく揚げてくれて助かった。

カナダ産を馬鹿にしてはいけない。柔らくてとても美味しいのだ。

わさび菜はざっと茹でてナムルにしたがこれは大不評だった。

苦みが強く癖があるので私以外は誰も箸を付けない。

切干大根と油揚げの煮物も同じく夫でさえ食べようとしないのだった。

こんなに美味しいものをと私一人でせっせっと食べる。


豚カツ大好きのあやちゃんが「やったあ」と喜んでくれて嬉しかった。

わさび菜はとても無理なのでトマトの中華和えを急いで作る。

これは冷やし中華のタレと同じでごま油が決め手である。


「豚カツしかないじゃん」娘が冷凍焼売をチンしていた。

好きなようにしなさいねと私は笑ってごまかすしかない。



昼間、あやちゃんの仲良しだった友達が二人訪ねて来てくれた。

バレンタインのチョコを届けに来てくれたようだ。


決して忘れられてなどいなかったのだ。

明日は無理でもきっと学校へ行ける日が来るだろう。

「今日はいい日だったね。嬉しかったね」と言ってやりたい。







2024年02月11日(日) ほうずき色の夕暮れ

今朝は氷点下近くまで冷え込み日中も真冬の寒さだった。

三寒四温の「三」だろう。次第に暖かくなるはずだと思う。


夜明け前にまた「ふゆさんとはるさん」の詩を書いた。

自分の中ではシリーズ化しておりきっとまた書くつもりである。

しかし世間の厳しいこと。不評とまではいかないが期待通りにはいかない。

そこで欲を出してはいけないのだがついつい欲張ってしまうのだ。

私は私のそう云うところが嫌いである。けれども守ってやりたい。

私が認めてやらなくて誰が認めてくれるだろうと思う。


ある有名な詩人さんが「自分の詩に魅了されることが大切だ」と

SNSで発信していたが本当にそうなら救われる思いである。

私は私の詩が好きである。単なる自己満足で終わらせたくはない。





三連休はそれなりに過ごしているが家に居ると寝てばかりいるので

今日は気分転換を兼ねて久しぶりに「一風」へ行っていた。

宿毛市郊外まで片道20分もあれば着くがドライブには違いない。


夫と二人で大好きな「ラーメンセット」を食べる。

私は炒飯を先に食べるが夫はラーメンが先だった。

ラーメンは少し伸びた位の方が美味しく感じるのは私だけだろうか。

そうしてチャーシューを最後に食べるのが私流であった。


炒飯の赤い福神漬けもたまらない。家では全く食べないが

子供の頃には大好きでよくご飯の友にしていたものだ。

だからなのかとても懐かしくてたまらない。


お腹がはち切れそうにいっぱいになり帰り道は居眠りである。

家に帰るなり炬燵に潜り込みまた3時まで寝たのは言うまでもない。



夕食は「寄せ鍋」つい先日もそうだったような気がしたが

寒いと鍋しか思いつかないのだった。娘の了解は得ていた。

しかし寄せ鍋のつゆを間違えて「濃厚味噌味」を買ってしまう。

初めての味だったが不評ではなかったのでほっとした。


サニーマートで買物をしている時に見知らぬ女性に声を掛けられる。

私と同じように杖を付いていて70代くらいに見えた。

よくよく話を聞けば私と同じ「左股関節変形症」なのだそうだ。

おまけに同じ整形外科で週一のリハビリをしているらしい。

その女性は月曜日で私は木曜日なので今まで会う機会がなかった。

すっかり意気投合してしまってしばし立ち話をする。


同じ痛みを持つ人がいるのはとても心強く感じるものだ。

辛いのは自分だけではないのだと思うと勇気も湧いてくる。

その女性も手術はしないつもりらしく限界まで頑張ると言う。

最後に「お互い頑張ろうね」と言ってくれてとても嬉しかった。

幸いリハビリのおかげで痛みが少しずつ和らいでいる。

将来を悲観してはいけないのだと強く思った。

悲観からは何も生まれない。あるのは絶望だけではないだろうか。



夕焼けがとても綺麗だった。まさにほうずき色である。

陽が沈む度に心は明日に向かっている。



2024年02月10日(土) 名の無い雑草などない

時おり雲が広がったがおおむね晴れ。

暖かいようでいて強い風に少し冷たさを感じる。


お隣の山茶花がまだ残っていてはらはらと散るのを見た。

踊っている風に舞いまるで音符のようである。

椿は落ちるが山茶花は散る。私はどちらを選べば良いのだろうか。

また紫陽花のようにそのまま化石のように枯れてしまう花もある。


花のように生きているわけではないがもし花だったらと思った。

どうせ雑草のくせにとも思うがこの世に名の無い雑草はないのだそうだ。

私の名は何だろう。誰かに呼んでもらえる日が来るのだろうか。





職場は休みではなかったが私だけ三連休を頂く。

もうそれが当たり前のようになっていて心苦しくもある。

カーブスへ行ったからと言って特に成果があるわけでもないが

杖を付きながらでも身体を動かすことが出来るのが嬉しい。

もう以前のように憂鬱になることもなかった。

それだけ足の痛みが和らいでいるのだろう。

出来ることをと思う。諦めてしまったら何も出来なくなる。


午後は3時まで昼寝。ぐうぐう鼾をかいて寝ていたそうだ。

強い風に煽られて庭で洗濯カゴが転がっていたらしく

夫が早めに洗濯物を取り入れてくれていた。

私が寝たいだけ寝させてくれて有難いことだと思う。


寝起きの苦い珈琲を飲みながら短歌を捻る。

納得のいかない日が多いが今日はまずまずの歌が詠めた。

SNSでいつも読んでくれているK子さんが

「詩よりも短歌のほうが好きです」とコメントしてくれた。

K子さんは亡き母と同い年だが日頃からかなり厳しい。

特に私の詩はあまり好きではないらしく

以前には発信するのを止めるようにと忠告してくれたこともあった。

どうぜお目汚しなのだと開き直りながら書き続けている日々だ。


私は自分の欠点がよく分からない。

自信はないくせに人一倍プライドが高いのではないだろうか。

それが欠点なのだとしたら身も蓋もなくなってしまう。




今夜は娘が同窓会とかで夕方から出掛けて行った。

この時期に同窓会とはとも思うがコロナ禍でずっと我慢をしていたのだろう。

先日も飲み会があったばかりでなんだか打ち上げ花火のようである。


娘婿とめいちゃんはお婿さんの実家で食事会だそうだ。

高知市から従兄弟が来ていてめいちゃんはお泊りをするらしい。


そんなわけで夕食は作らずローソンであれこれ買って来た。

夫は「ロースかつ丼」私は「高菜ベーコン明太マヨパスタ」である。

あやちゃんの夕食もと思っていたけれど娘婿がマックで買って来ていた。

ハンバーガーとチキンナゲット、フライドポテトもあるらしい。


夕食を作らなくても良いのは本当に楽である。

月に一回ぐらいこんな日があれば良いなあと思う。


普段から全く外に出たがらないあやちゃんであったが

今日は少しだけお散歩に行っていたようだ。

気分転換になったのだろう。今日は機嫌がよく笑顔で過ごしていた。

両親も妹も留守なのにまったく寂しそうな素振りを見せない。

私達祖父母も少しは役に立っているのなら嬉しいことだ。


娘はいつまでも同居はしないと言い張っているが

今の状況を考えると別居はとても無理なのではないだろうか。

夫とそんな話をすることが多くなったこの頃である。


決して家族ごっこをしているのでない。

正真正銘の「家族」なのだと思わずにいられないのだ。



2024年02月09日(金) 22歳の別れ

朝は少し冷え込んだが日中は今日も早春の暖かさとなる。

「陽だまり」「日向ぼっこ」そんな言葉がよく似合う。


仕事をしていると日向ぼっこも出来ないけれど

看板猫のみい太がしているのを見ただけで心が和む。

野良猫でも良いから猫になりたいものだと思う。


捨て猫のような暮しをしていた若い頃もあった。

別れた人は車の免許を持たない私に自転車を買ってくれたのだ。

優しい人だったがどうしても添い遂げられない事情があり

泣く泣く別れなければいけなかった。まさに「22歳の別れ」である。


そんな私を拾ってくれたのが今の夫だった。

今思えば誰でも良かったのかもしれない。

この人でなくてはいけないと思ったのはずっと後のことである。




仕事は順調。今日は任意保険の新規契約があった。

オーストラリアから山里に移住してきたご夫妻である。

提携先の保険代理店からY君が来てくれて手続きをしてくれた。

実はY君も英語が苦手らしくなんと愉快なこと。

スマホの翻訳アプリを使いながら説明に必死である。

やっと契約が整った時には「クラッシュ、オッケイ」と叫んだ。

ご夫妻はこれからも我が社を贔屓にしてくれるそうで有難いこと。

私も少しずつ英会話を学ばなければと思う。

しかしそれよりも先に日本語をマスターされてしまうかもしれない。


仕事は本当に楽しい。全てのことに遣り甲斐を感じる。




帰り道のラジオでしきりに「今日は肉の日」だと聞かされる。

家族も期待しているかもしれないと思い「すき焼き」に決めた。

野菜売り場で「にんにく葉」が特売で一束148円と安い。

高知県民はにんにく葉をよく食べる。他県では珍しいようだ。

肉との相性がとても良いのですき焼きには持って来いだった。


牛肉は残念ながら国産品しかなかった。四万十町の黒和牛である。

2パックで2千円を超す。たった5百グラムである。

とても3パックは買えなくて何とかなるだろうと家に帰った。


娘が「やったあ」と喜ぶ。やはり期待していたのだろう。

すき焼きはすぐに出来て早速夫が食べ始めたが

私は昨夜の茎若布の煮物が残っており後始末をすることにした。

辛子明太子と沢庵があればもう十分である。


しかし例の如くで夫の食べること。それも牛肉ばかりガツガツとだ。

その上に「もう肉はないのか」とあんまりことではないか。

とうとう一パックの半分をあっという間に平らげてしまった。


後から食べる娘達のことは全く考えていないのだ。

やはり3パック買って来れば良かったがもう後の祭りである。

私は何のために我慢をしたのだろうと思うと虚しさが込み上げて来た。


私達が食べている時にあやちゃんが二階から下りてきたが

「お母さん達と食べる」と言ってまた二階に上がってしまった。

なんとなく元気が無いなと思っていたら眠かったのだろうか

そのまま寝入り込んでしまったようだった。


めいちゃんは宿題と格闘していた。三連休なので沢山あるようだ。

今夜のうちに全部済ませてしまうつもりらしい。


娘が独りぼっちですき焼きを食べていた。

なんとも侘しいものだなとその後姿を見る。

まだ子供達も娘婿も食べていないからお肉も残さなくてはいけない。

なんだか娘に悪いことをしたような気がして気分が沈んだ。

奮発しなかった私が悪いのは当然の事である。


もうすぐ9時になる。あやちゃんはまだ寝ているようだ。

お腹が空いているだろうに。すき焼き大好きなのにな。





2024年02月08日(木) 椿はやがて落ちるけれど

安定の晴れ。早春らしい陽射しが燦々と降り注ぐ。

空がきらきらと輝いている。ぽっかりと浮かぶ白い雲。


職場の荒れ果てた庭に椿がぽつぽつと咲き始めている。

地植えなのでずいぶんと大きな木になっているが

奥まった処にあるので目立つこともなくひっそりと佇んでいる。

これもおそらく母が植えたのであろう。かなり昔ではないだろうか。

ようく見ると蕾が沢山付いていて今日よりも明日と咲きそうだ。


母が健在なら手入れを怠らなかっただろう。

私は何も出来ない。椿の花を見つけてやることしか出来ないのだ。





週一のリハビリの日。少し早めに終わらせてもらって病院へ行く。

早めに行けば必ず会える人がいてそれも楽しみであった。

息子のお嫁さんのお母さんでもう長いこと足を患っている。

私と同じように杖を付きながら週二回のリハビリを頑張っていた。


お嫁さんは正しくはお嫁さんだった人だが私は全く拘っていない。

縁は決して切れたのではなく今まで通りのお付き合いを願っている。

お母さんも私と同じ考えでいてくれて会う度に話が弾むのだった。


お嫁さんはすっかり元気になっているようだ。

いつも笑顔で家事も手伝ってくれると喜んでいた。

やはり環境が変わったのが良かったのだろうと話す。

息子と暮らしていた頃には殆ど寝てばかりいたのが嘘のようだ。

息子の思いやりが足らず至らないところも沢山あったと思うが

今更責めてもどうしようも出来ないことだった。

それよりも「いま」である。息子達の決めた事は過ちではなかったのだ。

お母さんとは毎週木曜日に会える。なんだか友達みたいで嬉しくてならない。



今日は診察が無かったので3時半にはサニーマートへ着いていた。

特売のエリンギを真っ先に買いオイスターソース炒めにすることに。

いつも安い茎若布は鯖缶、厚揚げと一緒に煮ると美味しい。

メインは今日も豚肉。残念ながらカナダ産が見当たらず

仕方なく国産の高い薄切りロースを買うしかなかった。

これは「生姜焼き」にする。タレも市販の物を買う。


注文していた氷結と焼酎ハイボールの24本入りケースが入荷していて

サービスカウンターの店員さんがカートに積んでくれた。

清算を済ませてから車までは運ぶことが出来たが

重いので積み込むことが出来るか不安でならない。

そうしたら一人の店員さんが駆け寄って来てくれて

「お手伝いしましょうか」と声を掛けてくれたのだった。

なんと親切で有難いことだろう。お言葉に甘えさせてもらった。


最近はこんなことがよくある。私はやはり障害者に見えるのだろう。

けれどもそれを当然のことだと受け止めてはいけないのだと思う。

お客さんには車椅子の人もいる。私などずっとずっと軽いのだ。


優しい親切が身に沁みる。私はどうやら甘えることを覚えたようだ。

「どうもありがとう」ほぼ毎日口にしないことはなかった。


私も困っている人を少しでも助けてあげられるようになりたい。

出来ないのではなくそれはやってみないと分からないことだ。








2024年02月07日(水) 明日も書かせて下さい

晴れたり曇ったり。その度に暖かだったり肌寒かったりした。


宿毛市楠山の梅園で梅の花が満開になっているそうだ。

5年程前だったろうか娘や孫たちと梅見に行ったことがある。

あの頃はまだ足の痛みもなくいくらでも歩けた。

駐車場から梅園まで少し歩かなくてはいけなくて

今はもうとても無理だろう。言い出すことも出来ずにいる。

色んなことを諦めなければいけなくなった。

嘆いても仕方がないがまだまだ今生の思い出が欲しくてならない。

いつかは最後の梅になる。それは今年かもしれないと思ったりする。


いやいや、そんな弱気でどうする。

生きられるだけ生きて思い残すことがないような人生でありたい。




今日も3時まで仕事。最近ではもうそれが定時になった。

勤続36年目となったが若い頃には4時まで働いていたこともある。

冬から春にかけては家業の海苔養殖が忙しくて

あちらもこちらもと掛け持ちするのが当たり前であった。

今思えば本当に良く働いたものだ。私も若かったからだろう。

母がまだ現役だったからそれでもなんとかなっていたが

その母が亡くなり全ての事務仕事を任された今となっては

一日でも休めば大変なことになり会社はパニック状態となってしまう。

義父と同僚と私の三人で一人でも欠けたらもうお終いなのだった。

健康に気をつけ決して「故障」してはならない。

そう心して日々の仕事を全うして行こうと思っている。



サニーマートで久しぶりに友人と会った。

「足はどう?」と気遣ってくれたので足踏みをして見せる。

明日はまたリハビリの日だ。とにかく諦めてはいけないのだと思う。


今日は大好物の辛子明太子が半額でとても嬉しかった。

牡蠣や鍋用の鯛なども半額だったが迷いつつ買わずにいた。

パナマ海老のむき身が安かったので「海老マヨ」にしようと買ったが

帰宅して娘に話すとあやちゃんが食べないのだそうだ。

昨夜も天ぷらだったが「海老天」にすることにした。

それから頂き物のさつま芋で「芋天」も。

我が家では揚げ物が続くことがよくあることだった。


頂き物が多く大根も2本あり「豚バラ大根」にすることに。

カナダ産の豚バラブロックが格安でありとても助かる。

いつも豚肉が固くなるのでお酒を入れて煮たら柔らかくなった。


後は「樺太ししゃも」特大のやつが特売になっていた。

それから一昨日買っておいた長芋を短冊にする。

これはめいちゃんの大好物だった。

「ほうれん草の白和え」地場産品売り場で新鮮なほうれん草を買う。


「海老天」は天むすに。あやちゃんは天むすが大好きなのだ。

今夜もにこにこしながら美味しそうに食べてくれて嬉しかった。

「海老マヨ」「海老チリ」は駄目。憶えておかなくてはいけない。


まだ娘婿が帰宅していないが穏やかで平和な夜になった。

私の書く「しごと」もそれなりに順調に思える。

一日一生と云うがほんの一部分なのかもしれない。

自分で決めたことを全うして終えられることが仕合せなのだろう。


パソコンの電源を切った後にはいつも

「明日も書かせて下さい」と手を合わせて眠ることにしている。



2024年02月06日(火) 太刀魚の天ぷら

日中は穏やかな晴天となる。陽射しはすっかり春のようだった。

昨日の関東の大雪を思うと日本は狭いようで広い。

北海道では氷点下28℃と信じられないような寒さである。



時間が足らない。週末はごろごろ寝てばかりいるのに

平日のなんと慌ただしいことだろう。

昨日のように余裕がある日は滅多になかった。


私の一日は書くことから始まり書くことで終わる。

作家でもないのに偉そうなことをと我ながら思うが

書くことが生きがいのようになっているのだろう。


夜明け前には詩を。仕事を終えて帰宅したら短歌を。

そうして入浴後の今はこの日記を書いている。

今日は帰宅が遅くなり短歌どころではなかったが

時計を見ながら「なんとしても書くぞ」と思った。

制限時間は15分ほど。まるで走り書きのような短歌である。

けれども詠んだ歌は決して走ってなどいないのだ。

これは私の特技かもしれないとつい己惚れてしまいそうになる。

誰に背中を押されているわけでもない。

私は自分で自分の背中を押し続けているのだろう。

私が私を試していると云っても良いのかもしれない。


いつかは必ず終る人生である。書きたいだけ私は書く。





サニーマートへ着いた頃にはもう4時を過ぎていた。

とてもゆっくりとメニューを考える余裕もない。

野菜はめいちゃんのお友達の家からアスパラを頂いていたので

「アスパラベーコン」にすることにした。

鮮魚売り場のお総菜コーナーに「太刀魚の天ぷら」があった。

ふっくらとしていて美味しそうだったが、もしやと思い

鮮魚売り場を見ると三枚に下ろした太刀魚が沢山並んでいる。

普段は高級魚でとても手を出せないが今日は格安だった。

おそらく近海で大漁だったのだろう。嬉しいことである。

一パックに3匹分位だろうか、それで480円は大助かりだ。

二パック買い自家製の天ぷらを作ることにした。

精肉売り場では滅多に売っていない「豚スージャー」があった。

これはフライパンで炒めるだけで超簡単である。


今夜は娘が職場の飲み会とかで出掛けることになっていたが

まだ時間があるから大丈夫と手伝ってくれて助かる。

私はせっせと太刀魚の天ぷらを揚げた。

その傍らで娘がつまみ食いをしたらめっちゃ美味しいとのこと。

孫たちにも味見をさせようとお皿に入れて二階へ持って行く。

天つゆよりも塩コショウのほうが良いようだ。

「おかわり」と孫たちの声に再度娘が「お運び」をした。

大皿にてんこ盛りだった天ぷらがあっという間に半分になる。


晩酌を始めた夫が例の如くで遠慮せずに食べるので

思わずストップを掛けざるを得なかった。

あやちゃんが二階から下りて来てにこにこしながら

「おばあちゃんさっきのはこれ?」と訊くので「そうよ」と言うと

「全部はいかんよね。半分ならええかな」

そう言ったかと思うともう自分のお皿に並べ始めていた。

よほど美味しかったのだろう。笑顔で食べてくれて私も嬉しかった。


めいちゃんは熱こそないが昨日から風邪気味で学校を休んでいた。

今日は仲良しのお友達が手紙と宿題を届けてくれたそうだ。

まさかあやちゃんみたいにと一瞬不安になったが

私が風邪を気遣えば「もうなおったけん、あしたは行くけん」と

元気な声で応えてくれてほっと胸を撫で下ろしたことだった。


あやちゃんにも仲良しの友達は何人か居たはずだが

この一年足らずの間に年賀状も手紙も届くことがなかった。

もう忘れらているのだろうか。そう思うと不憫でならない。



2024年02月05日(月) 笑顔のご馳走

雨のち晴れ。何日ぶりの夕陽だったことだろう。

やがて茜色に染まった空は明日の約束を忘れなかった。

しばらくは晴天が続きそうで嬉しくてならない。



仕事は珍しく開店休業。義父と相談したが仕事の段取りが出来なかった。

同僚は「今だ」とばかりに羽根を伸ばしておりそれも良しとする。

ずっと忙しい日が続いていたのだから息抜きも必要に思う。


義父は掛かりつけの整形外科へ。湿布薬が切れてしまったらしい。

タフな義父でも膝が痛んだり腰が痛んだりするのだった。

明日からの農作業が待っており焦る気持ちもあったのだろう。

けれども決して弱音を吐かない。なんともパワフルな高齢者である。


雨のせいか来客も少なかったが義父の友人夫婦が顔を見せてくれた。

大根を6本も。それから自家製の沢庵を持って来てくれる。

来るたびに手土産を忘れずにいてくれて本当に有難いことだ。

これも山里ならではのことだろう。ささやかな畑の恵みである。





事務仕事もさほど忙しくなく今日は早めに終わらせてもらった。

サニーマートは月曜祭で特売品で溢れている。

あれもこれもとすっかり目移りしてしまった。

洗い牛蒡、人参、長芋、玉葱も安かったがまだ買い置きがある。

牛蒡と人参とくれば「鶏牛蒡」である。辛子入りこんにゃくを買う。

鶏肉は確か冷凍室にあったはずだが不安なので買っておく。


梶原食品(豊ノ島の実家)のお豆腐も特売だった。

いつもは一丁126円だが今日は106円と安いので2丁買う。

これは「あんかけ豆腐」にする。娘婿の大好物だった。


菜花は特売ではなかったが食べたくてならない。

野菜売り場では一束298円もしたが地場産品売り場では180円だった。

地元の農家が直接卸しているのでコストが掛からないのだろう。


娘がお豆腐を揚げてくれている傍らで鶏牛蒡を作る。

それから「そぼろあん」も片栗粉でとろみを作り仕上げた。

菜花は油断が出来ない。さっと茹でなければすぐにべちゃべちゃになる。

花の部分は別として茎は硬いのに「なんでやろう」と不思議に思う。


特売だった塩サバも焼いたがこれは誰も食べない。

私は好きなので残ったら明日のお弁当に入れて行くつもりだ。


孫たちのおかずが無かったので娘がジョイフルのハンバーグを焼いた。

これはいざと云う時のために冷凍室にストックしてあるのだ。


あやちゃんの機嫌がとても良い。にこにこしながら食べてくれた。

そうして「うまい!」と声を発したので皆が笑顔になった。


ずっとずっと笑顔の日が続きますように。

明日のことは誰にも分からないけれど願えばきっと叶う気がする。









2024年02月04日(日) 立春大吉餃子

待ち望んでいた「立春」昨夜からずっと小糠雨が降っている。

この雨が上がれば春らしい陽射しに恵まれることだろう。

三寒四温を繰り返しながら季節は確実な春になろうとしている。



目覚める寸前まで恵(けい)ちゃんの夢を見ていた。

音信不通になってから20年近い歳月が流れたが

これまでも時々夢に見ることがあり不思議でならない。


その度に何かあったのではないか。元気にしているのだろうか。

まるで母親が息子を想うように心配でならなくなるのだった。

縁を切ったつもりでもまだ縁が続いているのかもしれない。

そんな証はもう何処にも残ってなどいないが何かを感じるのだ。


当時は大学院生だった。そうして教員免許を取得し中学教師となった。

精神面に不安を抱えており何らかの支えが必要に思う。

私は誠心誠意そのための苦労を惜しまずに接してきたつもりである。


しかしいくら親子ほど歳が離れていても男と女だったのだろう。

「愛情」と一言では言い尽くせない大きな葛藤が待っていた。


私は離れる決心をした。それがお互いのために最善のことに思えたのだ。

そうして歳月が流れていく。もう二度と繋がることはなかった。


一度も会ったことのない恵ちゃんの夢を見る。

その姿はおそらく私の空想なのだろう。

けれども確かに存在している「いのち」に他ならなかった。


失ってなどいなかったのだと思う。

そうして恵ちゃんは私に春を届けに来てくれたのだ。





今夜は手作り餃子を作った。めいちゃんも手伝ってくれて62個。

いつもは焼くだけの餃子を買って来るがやはり手作りが美味しい。

それなら度々作れば良いがあまりにも手間が掛かり過ぎる。

キャベツの千切りは売っているがどうしてみじん切りがないのか。

まな板の上で散らばるキャベツと格闘をしなければならない。


自慢ではないが我が家の餃子は最高である。

市販のどの餃子よりもラーメン屋さんの餃子よりも美味しいのだ。

これだけは誰にも負けないと自慢の餃子であった。


しかし餃子好きのあやちゃんがあまり食べてくれない。

娘婿もホットプレートでハムを焼いて食べていた。

なんでや。これにはいささかショックで少し落ち込んでしまった。


どんな時もあるものだ。気分屋のあやちゃんは餃子の気分ではなかった。

娘婿も餃子よりもハムが食べたかったのに違いない。

夫や娘、めいちゃんが喜んで食べてくれたので良しとしよう。



小糠雨降る御堂筋。そんな歌もあったっけ。

御堂筋は大阪市だ。恵ちゃんの住んでいる町と近い。



2024年02月03日(土) 幸せな鬼

曇り日。夕方からぽつぽつと雨が降り始める。

冬の雨とは思えない程の優しい雨だ。


ここ数日雨のおかげで庭の桜草やパンジーが活き活きしている。

花の色もいっそう鮮やかになり見る度に心が和む。


今日は節分。明日はもう立春である。

節分は春夏秋冬と年に4回あるが春を一年の始めとして

世の中に根付いたのだそうだ。なんとも新鮮に思える。


私もあたらしくなりたい。このまま滅びるわけにはいかない。

焦っても仕方ないがせめて生き生きと日々を過ごしたいものだ。




朝のうちにカーブスへ。今日は月始めの計測日であったが

素足でないと体脂肪計が機能しないのだそうだ。

左足の靴下が上手く脱げない。わけを話して免除してもらった。

お腹周りは測ることが出来たがなんと100センチに達していた。

もう目も当てられない。次回から一切の計測をパスすることに決める。

食事制限をしてまで痩せようとは思わなくなった。

ダイエットの辛い記憶が蘇るばかりである。




サニーマートの店内に入るなり何と大勢の人だかり。

何事かも思えば陳列ケースに恵方巻が山ほど並べてあった。

食品ロスが問題になっているが売れ残ったらどうするのだろう。

いくら大勢の人でもとても完売するとは思えなかった。


我が家は手巻き寿司に決めていたので見向きもせずに鮮魚売り場へ行く。

ありました。「手巻き寿司のネタセット」1980円なり。

高いようにも思うが中央にイクラ。鮪、鯛、穴子、イカ、サーモン。

胡瓜や玉子焼きも入っていてお買い得ではないだろうか。

6人分には少し足らないように思い鮪の短冊、甘海老も買った。


夕食は例の如くで夫と先に食べる。節分なのにと少し侘しい。

夫が鮪ばかり巻いて食べるのではらはらした。

彼はいつも後から食べる娘達のことを考えないことが多い。


やっと娘達が食べ始めたので鬼面を被りそっと玄関から外に出た。

そうして杖で窓ガラスをがんがんと叩く。

「鬼だ、鬼が来た」と家の中で騒いでいて愉快でならない。

「鬼は外 福は内」めいちゃんの投げる豆のなんと痛いこと。

あやちゃんも笑顔で豆を撒いてくれて思いがけずに嬉しかった。

もうそんな子供じみたことしない。馬鹿みたいって言うと思っていたのだ。


家の中に入ると娘が「ご苦労様、ありがとうね」と言ってくれる。

その言葉が胸に沁みる。ずっとずっと鬼でいたいと思う。


どうか平穏無事な日々が続きますように。

家族皆が健康で過ごせますように。








2024年02月02日(金) ご機嫌如何ですか?

小雨が降ったり止んだり。気温はそう低くないのに肌寒い。

やはり陽射しあってこそのこと。おひさまは有難いものだ。


お天気が悪く農作業に行けない義父が精力的に仕事に取り組んでいる。

それは驚くほどでまるで人が変わったようにも見えるのだ。

きっと自分が社長であることを思い出したのだろう。

時には口うるさい時もあるがそれも威厳に満ちている。


嬉しいのは何でも私に相談してくれることだ。

決してワンマンではない。ほんの些細なことでも話してくれる。

「そうだな、その方がいいな」最近ではそれが口癖のようになった。


私はそうして義父の片腕になって行くのだろう。

70歳までだろうか。もしかしたら80歳まで続くのかもしれない。




仕事が一段落していたので今日は早めに終えることが出来た。

帰り道の自動車専用道路には覆面パトカーが度々走行しているらしい。

それを聞くまでは横着に百キロ近くのスピードで走っていたが

さすがに怖くなって今日から制限時速を守るようになった。

追い越し車線でも決して前の車を追い越してはならない。

検挙された人はなんと覆面パトカーを追い越してしまったのだそうだ。



3時にはサニーマートに着いていた。今日はゆっくりと買い物が出来る。

「鰹のたたき」「親子丼」冷蔵庫にピーマンとレタスがあった。

ピーマンはめいちゃんのお友達の家がハウス農家をしていて

よく届けてくれるのだった。だから買うことはめったにない。

レタスは先日「しゃぶしゃぶ」をした時の残り物だった。

今朝、野菜室を確かめたらまだ新鮮なままだったので良かった。


ピーマンはベーコンとコンソメ炒めにして

レタスはオイスターソース炒めにする。

どちらも娘が手際よく作ってくれて助かる。


鰹は静岡産の解凍物だったが鮮度は良かった。

海が荒れているのだろうか土佐沖産の鰹は見当たらない。


親子丼はブラジル鶏で作る。卵が値下がりしており大助かりだ。

あやちゃんもめいちゃんも親子丼が好きなので喜んでくれた。


後はめいちゃん大好物のキムチもやしをまた買ってしまった。

それから買い置きのミートボールはレトルトで賞味期限がぎりぎり。

今夜は食べておかないととレンジでチンして食卓に並べる。


明日は節分なので恵方巻にするか手巻き寿司にするか迷う。

あやちゃんに訊いたら「どっちでもいい」と少しそっけない。

娘が手巻きにしようと云うのでそうすることにした。


夕食後めいちゃんがリコーダーを吹き始めた。

まだ習い始めたばかりなのだろうあまり上手くは吹けない。

娘が「あやは上手やん」と言ったのがいけなかったのか

あやちゃんは無言のまま二階へ駆け上がってしまった。

とにかく学校に関する発言は慎まなければいけないようだ。


何が良くて何が悪いのか家族みんながピリピリしているけれど

そうして硝子細工のようなあやちゃんを守り続けている。


何度も云うが出口のないトンネルなどないのだ。

あやちゃんは今何処を歩いているのだろう。



2024年02月01日(木) 如月の一歩

雨の匂いがする朝。気温は高めで随分と暖かい。

やがて雨が降り始めたがほんの小雨で傘も要らないほどだった。

そうして如月二月が始まる。春の足音が聴こえて来そうである。


能登地震からひと月が経った。未だ行方不明の方がいて心が痛む。

家族をすべて亡くして独り残された遺族もいる。

家を失い車を失い最愛の家族も失ってしまったある人は

「何を頑張れと言うのだ、頑張れるはずがないじゃないか」と

涙ながらに報道陣に訴えていた。まさにその通りである。

「日にち薬」とよく言うがいったいどれほどの歳月が流れれば良いのか。

それは今回の地震だけではなく過去の地震でも同じことだと思う。

家や車は取り戻すことが出来るかもしれないが

失った家族はもう二度と取り戻すことなど出来ないのだ。


生き残るのが運命だったのだろうと夫が言う。

私は直ぐには頷けなかった。運命で済まされてたまるものかと思った。

もしそれが私だったらとても耐えられないことだ。





仕事を早めに終わらせてもらって整形外科のリハビリへ。

毎週木曜日のリハビリがとても楽しみでならなくなった。

終った直後には嘘のように足の痛みが和らいでいる。

今日は診察もあったので医師に見せたくてならない。

杖を付かずに診察室へ入り得意顔をして見せたら

医師が「おお!」と声をあげとても喜んでくれた。

私は調子に乗って足踏みまでして見せる。

診察を終えてから再び見せようとしたら「もういいぞ」と医師が笑った。

完治の見込みはないが痛みはゆっくりと改善されているようだ。

医師と相談し今夜から痛み止めの薬を止めることになった。



サニーマートに着いたのはもう4時過ぎ。

何のメニューも思い浮かばず取り合えず半額品を探す。

今日はけっこうあった。ボイルしたあさりの剥き身、鯵の開きなど。

あさりは2パック買い「しぐれ煮」にすることにした。

孫たちには半額ではなかったが揚げるだけの「海老フライ」を買う。

後は家にあるじゃが芋で「ジャーマンポテト」をすることに。

ベーコンを忘れずに買い大急ぎで帰路に着く。


直ぐに夕食を作らなくてはいけなくて短歌を詠む時間がなかった。

それでも毎日の日課である。パソコンに向かい走り書きをする。

我ながらお粗末な短歌だった。「こんなもの」と思う。

それなのになんとびっくり。普段は全く「いいね」をしないめいさんが

まるで奇跡のように「いいね」をしてくれたのだった。

寄りによってこの駄作にと思ったが素直に嬉しくてならなかった。


台所に下りて行ったらあやちゃんと会って

「海老フライでかまんかね?」と訊いたら「かまんよ」と言ってくれる。

ジャーマンポテトも好きなので今夜もなんとかなりそうだ。


海老フライは娘が揚げてくれたがすぐにダンス教室へ行ってしまう。

あやちゃんは娘達が帰宅してから食べるものだと思っていた。

娘もそのつもりだったのだろう。あやちゃんに声も掛けずに行く。


お風呂から出たら食卓にあやちゃんが独りぼっちで居た。

自分でご飯もよそったらしく黙々と食べている。

私は思わず「ごめんね」と謝ってしまった。

独りぼっちにさせるつもりなど全く考えてもいなかったのだから。

けれどもあやちゃんは少しも寂しそうではなかった。

そうして「おばあちゃんいいよ」と言ってくれる。

その顔があまりにも大人びていて少しドキッとした。


葛藤ばかりの日々の中で彼女は確かに成長しているのだと感じた。

それはこの先きっと良い方向に向かうことだろう。




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