ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2024年01月31日(水) 火事場の馬鹿力

雨が降ったり止んだり。菜種梅雨にはまだ早過ぎるが

しばらく雨の日が続きそうである。

気温は3月並みらしく雪に変わることはなさそうだ。


母の紅梅が枯れるのではないかとお客さんが心配してくれて

手入れも全くせず水遣りもしていなかったことが悔やまれた。

しかし今日の雨で花の色も鮮やかになり生き返ったように見える。

やはり鉢植えの梅は手入れを怠ってはならない。

昨年から殆どまとまった雨も降っていないのだ。



月末の仕事をなんとか無事に乗り越える。

資金繰りが思うようにいかず切羽詰まっていた。

ATMで通帳を記帳しても何処からも入金がない。

ありったけの現金を搔き集め四苦八苦するばかりであった。

それでも奇跡のようになんとかなるものである。

取引先に買掛金の送金をし午後には最後の支払いを終えた。

通帳の残高は殆ど無くなったが決してゼロではない。

仕事は後を絶たない程あるのでお先真っ暗でもなかった。


義父に報告し、写真の母にも報告する。

「やったね」と思う。なんとも心地よい達成感であった。

会社の経理を金庫番を任されてもう何年になるのだろう。

これまでずっと順調だったが今日はついに落とし穴かと思った。

けれども追い詰められてこそ発揮できる力があることを知る。

火事場の馬鹿力ではないが似たようなものだろう。





少し残業。今日も遅くなり4時過ぎにサニーマートへ着いた。

最初にお稲荷さんを買う。無性に食べたくてならなかったのだ。

茄子は「茄子そうめん」にすることに。これは母の味である。

夏場の素麺がまだ残っていたので閃くように思いついた。


今日の半額は「ぶり子」鰤の卵巣で薄甘く煮付けると美味しい。

娘の好物なので迷わずに買う。きっと喜ぶに違いない。

お刺身用の鰹。まだまだ新鮮なので半額にはなりそうになかった。


後は揚げるだけの鶏のから揚げ。特売で2パック680円である。

それでは足らないので3パック買ったつもりだったが

清算時に見たらカゴに4パック入っていた。

いくら特売でも買い過ぎだと思ったが売り場に戻しに行けなかった。


帰宅して休む間もなく夕食の支度である。

娘が唐揚げを揚げてくれたので私は茄子そうめんを作ったが

素麺を入れ過ぎてしまって煮込み素麺みたいになってしまった。

鍋の中でふやけてしまって茄子は何処へやらである。

味はまあまあだったが母には敵わないだろう。

かなり残りそうなので明日のお弁当に持って行こうと思う。


鶏のから揚げは4パックで正解だったようだ。

めいちゃんの食べること。あっという間に半分になっていた。

あやちゃんは今夜も静かに黙々と食べていた。

娘が急きょ「卵スープ」を作りそれが気に入ったらしい。

「茄子そうめん」にはさすがに箸を付けなかったようだ。


特に会話もなかったがそんな平凡さが自然なのだろうと思う。

あやちゃんは自分のペースで淡々と日々を送っているのだ。


そうして今日で睦月が終る。

節分も立春もすぐにやってくるだろう。

私はもうすっかり春の気分だ。







2024年01月30日(火) 一期一会

予報では3月並みの暖かさと聞いていたが

午後から雲が広がり少し肌寒く感じた。

明日からしばらくは雨の日が続きそうである。

間もなく立春とはいえ雨が雪に変わらないことを願っている。



お昼休みに田中美智子の「まだ生きている」を読了。

読書のペースがすっかり落ちていて全く読めない日もあり

読了まで一か月以上も費やしてしまった。

図書館で借りた本ではないので返却の必要がないのが幸いである。


あれは昨年の11月だったか図書館で田辺聖子の本と間違えてしまい

読み始めるまで全く気が付かなかったのだ。

「今日は何日何曜日」と云う本で初めて田中美智子と出会う。

そうして著者が作家ではなく共産党の元国会議員だったことを知った。


80歳でがんの宣告を受け余命わずかと知らされたが

もういつ死んでも良いと思っていてもなかなか死ななかったのだそうだ。

その間に最愛の夫に先立たれ田舎で猫と二人暮らしを始めている。

84歳の時に若者からネットを教えられブログを書き始めたのだそうだ。

そのブログが本になった。それが今日読了した「まだ生きている」である。


死をまったく怖れずに淡々とした日常を綴り続けていて清々しいこと。

時には嘆くこともあるがすぐに立ち直る姿に感動を覚えた。

こんなふうに老いたいと心から思う。私は著者が大好きになった。


本にはブログの一部しか書かれていなかったので気になってならない。

なんとかして全文を読めないものかとネットで検索をしてみたが

アドレスをクリックしたらもうすでに消滅しているサイトであった。


享年96歳とあるのに驚くとともに感激で胸がいっぱいになる。

しっかりと逞しく生きていたのだ。なんと素晴らしい人生だったことか。


私にとってこれほどの出会いはないと思う。

まさに「一期一会」のように感じたのは云うまでもなかった。





仕事が忙しく少しだけ残業。サニーマートには4時前に着く。

今日の半額はベビー帆立だけだった。バター炒めにすることに。

後は豚肉と糸コン、冷凍のいんげんを買う。

生姜を効かせて甘辛く炒め煮にすればご飯の良きおかずになるのだ。

お惣菜の鯵の南蛮漬け。コロッケも買った。

それから大きめの有頭海老も。これは塩茹でにする。

夫の好きなめじかの生節も。明日のお昼にも食べられるだろう。

めいちゃんの大好きなキムチもやしも買った。

今日はビールも買わなくてはいけなくてカゴいっぱいになる。

セルフレジで精算をしたら6200円も買っておりびっくりした。

明日は少し節約をしなければいけないと反省する。


下校後近所の友達の家で宿題をしていためいちゃんが帰って来る。

キムチもやしを見るなりもうお箸を提げていた。

凄い勢いでもしゃもしゃと食べ残った真っ赤な汁まで飲み干す。

辛くはないかと気遣えば「めっちゃおいしい」のだそうだ。


あやちゃんは塩茹での海老を好んで食べる。

娘が殻を剥き直ぐに食べられるようにしていた。

静かに黙々と食べている。そうして「ごちそうさま」と言ってくれる。


昼間は保健室の先生が訪ねて来てくれていたそうだ。

どんな会話をしたのかいつも気になってしょうがないが

それは決して訊いてはいけないことであった。

若い先生で気が合うらしい。それだけで救われているのだと思う。


明後日はもう二月。ゆっくりと春が近づいている。

種を蒔けば芽が出るだろう。そうしてやがては花が咲くのだ。



2024年01月29日(月) 蛸の顚末

放射冷却だったのか今朝は冷え込んだが

日中は暖かくなりまるで春かと思うほどだった。


職場の近くに小さな梅園があり白と紅が競うように咲いている。

勝ち負けはともかくとしてなんとも長閑な景色なのだろう。

足さえ悪くなければゆっくりと散策してみたいものだと思う。

出来ないことが日に日に増えていくが確かな春に違いなかった。



義父がそろそろ田起こしをしなければいけなくなり

工場の忙しさと重なり四苦八苦しているのが分かる。

あちらを立てればこちらが立たないのだ。

身体はひとつきりしかも80歳の高齢である。

いくらタフな義父でも倒れてしまうのではないかと気遣う。

どうか順調にと願いつつはらはらしながら見守っているのだった。


今日はお米を貰って帰る。30キロの玄米を車に積み込んでくれた。

問題は夫である。前回の精米の時にすっかり弱音を吐いていたから

果たして精米が出来るかどうか心配でならなかった。

でもいざとなるとなんとかなるもので上白米にして帰ってくる。

「まだまだいけそうなぞ」と今日は得意顔であった。


お米を買わなくても良いのは本当に助かっている。

だからと云うわけではないが義父の米作りを応援したいのだ。





毎日仕事を終えてからのサニーマート。

今日は生食用の蛸が半額だったので2パック買う。

酢の物ではなくお刺身にしてみようと思ったのだ。

後は炒めるだけの「イカの葱塩」これは夫用である。

蛸をがんがん先に食べてしまったら娘達の分が少なくなってしまう。

食費は嵩むがよくよく考えて買わないと大変なことになるのだった。


精肉売り場で格安のセセリを3パック。これは焼き鳥用である。

ついこの前も食べたような気がしたがセセリの安さに負けてしまった。

娘が塩コショウ味と醤油だれの二種類を焼く。


野菜はこれも安い胡瓜を。3本で130円だった。

カニカマと茹で卵でサラダにする。茹で卵が決めてである。


ご飯が少ないかもしれないと思い即席のナポリタンも買った。

これはパスタを茹でる手間が要らずソーセージと玉葱で炒めるだけだ。


夕食の支度が出来たら二階からあやちゃんが下りて来て

「蛸だ、やったあ」と喜んでくれてとても嬉しかった。

いつも酢の物を作った時に蛸ばかり選んで食べているのを知っている。

お刺身は初めてだったが蛸好きにはたまらなかったことだろう。


でも食後の食卓を見てがっくり。お刺身が沢山残っていた。

娘が苦笑いしながら「酢の物の方が良かったみたいなね」と言った。

私はそうして学んでいる。なんとしても完食を目指したい。

毎日メニューを考えるのはけっこう大変なことだが

家族の美味しい顔が私の幸せなのだと思っている。


仕事を終えてから「しらすうなぎ漁」に行っている娘婿が帰って来たようだ。

どうか蛸を残さず食べて下さい。お願いしますと祈っている夜である。



2024年01月28日(日) 縁あってこそ

曇り空の朝だったが次第に青空が見えて来た。

まずまずの暖かさ。日中は暖房が要らない。


昨日のこと。SNSで県内在住の方と知り合う。

俳句や短歌を詠まれていてとても風流な人だと感じた。

書かれている作品に温かみがあり心惹かれるばかりである。

縁と云うものは不思議なもので同時にフォローし合っていた。


その方が私の短歌に「短歌」でコメントを下さり

私も返歌のつもりで短歌を詠み返信をしたのだった。

その即興の短歌が我ながら素晴らしくて悦に入っている。

「きっかけ」がなければ生まれなかった短歌だったのだろう。

有難いことだと思う。出来ればこれからも続けさせて頂きたいものだ。

そうして互いに惹かれ合いながら詠み続けていけたらと思っている。





今朝は珍しくあやちゃんが早起きをして私の部屋へ入って来た。

娘は仕事で娘婿も出掛けていたので心細かったのかもしれない。

一緒に買い物に行かないかと誘ってみたがそれはやはり無理だった。

「午前中ならそんなにお客さんおらんよ」と私が言うと

「ちがう、そんなんじゃない」と否定し俯くばかりである。

どうして無理強いが出来るだろう。そこには大きな葛藤が見えていた。

「お腹空いたね、朝ごはん作ろうか?」と問うと

ローソンのイクラおにぎりが食べたいと言ってくれた。

早速買いに行く。ちゃんと話してくれたのが嬉しくてならない。


夫は地区会に出掛けておりめいちゃんもまだ帰宅していなかった。

「じゃあお留守番たのむね」と言うと素直に「うん」と頷いてくれる。

頑なだった心に少しだけ光が射したように思えた朝のこと。




今夜はめいちゃんのダンス教室があり夕飯は要らないと娘が言う。

ダンスは毎週木曜日だが発表会が近く総練習をしているようだった。

サニーマートで2割引きの牛肉を買う。

それからお惣菜のサラダセットを買った。

こんな日に手を抜かなくていつ抜くかなのである。


牛肉はごま油で玉葱と炒めプルコギのたれを混ぜれば出来上がり。

サラダは三種類入っておりポテト、マカロニ、パスタである。

家ではとても三種類も作れないのでこれはとても助かった。


大相撲の千秋楽を見終わってからの夕食であったが

琴ノ若をずっと応援していたので優勝を逃し残念でならない。

照ノ富士が優勝して君が代が流れるのも違和感があった。

モンゴル人はどうしてこうも相撲が強いのだろうと思う。

でも琴ノ若の大関昇進はほぼ確定なのだそうだ。

来場所を楽しみにしていよう。日本人がんばれである。



この日記を書く前にあやちゃんに声を掛けていた。

好きな時間にお風呂に入るように告げたら「うん、わかった」と。

今日はいつになくいっぱい話せて嬉しくてならない。


明日は月曜日。あやちゃんの葛藤はまだまだ続くことだろう。

でも自分で決めたことを貫くのも勇気なのだと言ってやりたい。





2024年01月27日(土) お茶碗記念日

寒気が緩みずいぶんと暖かな一日だった。

燦々と降り注ぐ陽射しはまるで後光のようである。

観音様だろうか。とても尊い光に思えた。


観音様と云えば我が夫である。額の中央に大きな黒子があるのだ。

若い頃にはあまり目立たなかったが歳を重ねるごとに大きくなった。

孫達が幼い頃には「おじいちゃんのスイッチ」と言って

面白半分に黒子を押していたことがあり愉快な思い出である。


私は手を合わせたくなる。私にとって夫は観音様のような人だ。

俺よりも先に逝くなよといつも言っているが

もし夫に先立たれたらと思うと悲しみに圧し潰されそうになる。

同じ歩幅で歩いて行きたい。出来ることならば一緒に逝きたい。





今朝は開店時間にサニーマートへ行く。

真っ先に鮮魚売り場へ向かった。鰤のアラが欲しかったのだ。

お刺身や切り身はいつもあるけれどアラは滅多に手に入らない。

朝一番だったらきっとあるに違いないと思った通りだった。

頂き物の大根がしばらく冷蔵庫で眠っており

今日こそは「鰤大根」を食べられるので嬉しくてならない。


大根を下茹でしアラは湯引きをした。お酒と生姜は欠かせない。

大きめの鍋でぐつぐつと煮込む。全体が飴色になったら出来上がりだ。


孫達には揚げるだけの「チキンスティック」を買っていた。

これはサニーマート特製で下味の付いた鶏肉の細切りフライである。

あやちゃんの好物でいつもオーロラソースを付けて食べている。

もう一品はこれも頂き物のピーマンでベーコン炒めをすることにした。


買い物から帰るなりもうカーブスの時間である。

娘が仕事だったのでめいちゃんも一緒に行くことになった。

カーブスは市内の「アピアさつき」と云うショッピングセンター内にある。

娘の勤めているセリアも同じ店内にあるのだった。


首からお財布とスマホをぶら下げためいちゃんはまっしぐらにセリアへ。

百均にすっかりハマっていて買い物が楽しくてならないようだ。

娘には許しを得ていたので私は安心して筋トレに励んだ。

寒い朝だったのに汗が噴き出るように流れなんとも心地よかった。

けれども相変わらず脂肪は燃えている気配はない。

来週は計測日だがお腹周りが気になってしょうがなかった。


カーブスを終えてセリアに行ったらまだ買い物中のめいちゃん。

手に持てなかったのかカゴを提げてあれこれ迷っている。

私もお茶碗を買った。自分のとあやちゃんのと可愛らしいのがあった。

私はずっと長いことご飯を断っていたので専用のお茶碗が無かった。

あやちゃんのお茶碗は数日前から欠けていてそのままだったから。

灯台下暗しではないが娘はいつまで経っても買って来ないのだ。


昼食はお好み焼きを作った。あやちゃんは好まないので3人分である。

めいちゃんは小さいのにしてと言っていたが焼けたらけっこう大きい。

残してもえいけんねと言っておいたが全部食べてくれていた。


ずっと昼夜逆転のあやちゃんはいつもお昼まで寝ている。

シーチキン巻のお寿司を買って来ていたが気に入らなかったようだ。

2時頃部屋をノックして訊いたらカップうどんを食べたのだそうだ。

そんな時は何も言ってはならない。あくまでも自主性に任せる。

自分でカップうどんにお湯を注げるようになったのも成長だと思う。


夕方にはめいちゃんがリュックを背負って出掛けて行った。

まあちゃんの家でお泊りをするのだそうだ。

娘が駄目だと叱っていたが泣いてでも勝つめいちゃんであった。


ハイテンションのめいちゃんがいない夜は静かでしんみりとしている。

あやちゃんは機嫌よく夕食を食べてくれていた。

「そのお茶碗気にいったかね」声を掛けたら「うん」と一言。

だから今日はお茶碗記念日だ。俵万智先生すみませんね。





2024年01月26日(金) こころまでしゃぶしゃぶ

雲ひとつない晴天。やわらかな陽射しが燦々と降り注ぐ。

日陰に残っていた雪もすっかり融けたようだ。

立春まであと10日足らず。このまま春にならないものだろうか。


水仙、梅の花、菜の花と真冬から早春へと季節を繋げるように咲く花。

ひともきっと冬のままではいられない。

こころをあたためながら向かう春があるのだ。



いつものように夜明け前に詩を。帰宅してから短歌を詠んだ。

なんとなくだけれど手応えがある。以前とは違うように感じるのだ。

だからと云って世間に認められているわけではない。

自己満足だと分かっているが満足せずにはいられないのである。

とにかく残された時間がない。ある意味切羽詰まっている。

追い詰められているからこそ書けるものがあるように思う。


怖いのはある日突然書けなくなること。それは死にも等しい。




今日は義父が珍しく「もう帰っていいぞ」と言ってくれた。

仕事も一段落していたのでお言葉に甘えさせてもらう。

でも時計を見たらいつも通りの3時だったので可笑しかった。

今週も我ながらよく頑張ったと思う。心地よい達成感がある。

来週はもう月末になってしまうのでいっそう頑張らなくてはいけない。



3時半にはサニーマートへ着いていた。

今夜は「しゃぶしゃぶ」にしようと決めていたので気楽である。

娘達も食べたがっていたのできっと喜ぶことだろう。


豚肉はしゃぶしゃぶ用のロースを。野菜はレタスとエノキ茸。

お豆腐もしゃぶしゃぶするのが我が家流である。

タレは自家製のポン酢醤油と娘婿は市販の胡麻ダレが好みだった。

私は「しゃぶしゃぶ」をあまり好まずいつもお豆腐だけ食べる。

後はご飯にわさびふりかけを掛け沢庵をかじった。


夫と娘婿は食べないが娘がクリームシチューを作ってくれた。

これは久しぶりだったので満足この上ない美味しさである。

若い頃にはご飯にシチューを掛けて食べたこともあった。


お刺身はグレのお造りとイカのお造りを奮発して買って来ていた。

先日のサーモンのお詫びである。高かったが節約どころではない。

夫も娘婿も喜んでくれたのでよしとしよう。


あやちゃんも機嫌よく食べてくれていたので嬉しかった。

シチューを口に運ぶ時に熱かったのかふうふうしている姿が可愛い。

おとなぶっていてもまだ子供なのだなと思った。


今日は落ち込むことも一切なくなんと幸せだったことか。

どんな日もあるものなのだ。明日はあしたの風が吹くだろう。





2024年01月25日(木) 毎日が終活

昨日の雪が融けずに残っておりしんしんと冷え込んだ朝。

夜明け前の空を仰ぐと満月間近の綺麗な月が見えていた。


日中はまだ風が冷たかったが晴天となり陽射しが降り注ぐ。

紅梅の花が微笑んでいるように見えて心が和んだ。


毎日が終活。今日はふとそんなことを思う。

詩や短歌やこの日記もそうなのだろう。

あれやこれやと欲張っているが断捨離をするつもりはない。

これは与えられた人生を埋め尽くすための作業ではないだろうか。

思い残すことがあってはいけないのだ。悔いのない人生でありたい。

書けるだけ書いて死のう。最後の日まで書けたら本望である。





毎週木曜日はリハビリに行く日。今日は4時半の予約だった。

いつもは3時だが患者さんが多かったのだろう。

終るのが遅くなりそうなので診察を免除してもらったら

医師とテレビ電話で面談をしなければいけないそうで

療法士さんがスマホを用意していて顔を見ながら話すことが出来た。

なんと便利な世の中になったことだろうとおどろく。

スマホには私の不細工な顔も映っていて白髪を染めていて良かったと思う。

医師に痛みが和らいでいることを話すとピースサインをしていた。

その笑顔が胸に焼きつく。なんだか惚れてしまいそうである。


療法士さんは先週と同じく若い男性であった。

口数は少ないが愛想が悪いのではない。優しい好青年に思える。

痛みを確認しながら無理のないように筋肉をほぐしてくれるのだ。

これは癖になる。出来ることなら毎日でも通いたくなる。



5時過ぎに病院を出てそのまま「ほっほか亭」へ走った。

今日は娘と相談して別々の夕食にすることに決めていたのだ。

献立を考えなくて良いのでなんとも気楽である。

お弁当ではなく単品でステーキとチキン南蛮、焼そばを買って帰る。


帰宅したら娘もステーキを焼いていた。

「あらまあ」と思わず笑ってしまわずにいられない。

あやちゃんも二階から下りて来て焼けるのを待っているようだった。

「ステーキ嬉しいね」と声を掛けたら「うん!」と笑顔で応えてくれる。

私が考える献立にはもううんざりしていたのかもしれない。

たまにはこうして娘に任せてみるのも良いかもしれないと思った。


誰が何と云おうと母親が一番なのだ。

子供達の期待外れにならないように思い遣ることが出来る。

私は少し反省しながらすくっと前を向いているようだ。

家族みんなの美味しい顔が見られるようにまた明日から頑張りたい。


「おばあちゃんのご飯美味しかったね」と懐かしんでもらえるように。



2024年01月24日(水) 窓の外を見てね

早朝から雪が降り始め瞬く間にあたり一面が銀世界となる。

大雪と云ってしまえば雪国の人達に笑われてしまうが

南国高知である。少し積もっただけでも大騒ぎになるのだった。

山間部では記録的な大雪。四万十市もかなり積もり夕方まで降り続いていた。

同じ県西部でも職場のある三原村では僅かの積雪で

午前中に雪が止み日中は陽射しが降り注いでいた。

夫に電話したら「大雪だぞ、帰って来れなくなるぞ」と言う。

早退させてもらおうと義父に相談したら「そんなはずはない」と言う。

山里があまりに良い天気だったので信じられなかったのだろう。


SNSで市内の雪の様子を動画で発信してくれている人がいて助かる。

義父に見せたらやっと信じてくれて少し早めに帰ることが出来た。

自動車専用道路は時速制限が出ていたが順調な車の流れ。

市内が近づくと辺りはすっかり雪景色だったが道路に雪は無かった。

雪も次第に小降りになっており無事にサニーマートへ着く。

店頭には凍結に注意の立札が数ヵ所にあり酷い雪だったことが窺える。



さて夕飯はどうしよう。今夜も温かいものが食べたくてならない。

しばらく迷ったが「ちゃんぽん」にすることにした。

キャベツ等の野菜はあるので豚バラ肉とむき海老を買う。

麺はスープ付きを売っており6人分買った。

鮮魚売り場でお刺身用のサーモンが半額。これは買わずにいられない。

あまりの嬉しさに2パック買う。脂がのってとても美味しそうだ。


しかし帰宅してからがっくり。娘婿はサーモンの刺身を好まないそうだ。

娘が「そんなにいっぱい買って来てどうするがよ」と言う。

よくよく訊けばお刺身好きのめいちゃんも食べないとのこと。

私はお刺身ならなんでも喜んでくれると思っていた。

もう10年も一緒に暮らしているのになんて迂闊だったのだろう。


おまけにあやちゃんは「ちゃんぽんは嫌だ」と娘に伝えたらしい。

直接私に言わないところがあやちゃんらしいが私はショックである。

娘が大急ぎで「キーマカレー」を作っていた。

それならあやちゃんも食べてくれるのだそうだ。


サーモンのお刺身は私と夫、娘も手伝ってくれて無駄にせずに済む。

娘婿には悪かったが好き嫌いがあるほうがよっぽど悪いと思う。

これでも毎日気を遣っているのだ。それだけは分かって欲しい。


あやちゃんはキーマカレーが嬉しかったのか今夜は笑顔を見せてくれた。

今朝は娘が置手紙をしており「窓の外を見てね」と書いてあった。

雪を見せてやりたかったのだろう。母親なんだなと感動したことだった。


「窓の外見てみなさいと置手紙少女の母は雪を見せたい」

これは今日の短歌である。


あやちゃんはきっと雪を見たのに違いない。










2024年01月23日(火) あったかい豚汁

氷点下ではなかったが冷たい風の吹く朝。

山里ではずっと小雪が舞っていた。

陽射しはあるのだ。だから雪がきらきらと光って見える。


紅梅は5分咲くらいだろうか。雪にもめげずなんと健気なことか。

もしかしたら母が近くに居るのかもしれないと思った。


人は死んでしまったら何も出来なくなるのだろうか。

そうではないと私は思う。魂は永遠に不滅だと信じてやまない。




仕事が忙しく今日も残業となる。

サニーマートへ着いた頃には4時半になっていた。

思った通り半額品は殆ど見当たらない。

おそらく第一弾が3時。第二弾は閉店間際の7時頃だと思われる。

今日はあまりに寒いので「豚汁」にしようと決めていた。

大根や人参など野菜は家にあったのでお豆腐、糸コンなどを買う。

お味噌は伊予味噌を使うがそれも買い置きがあった。

店内の時計を見ながら大急ぎでセルフレジに向かったが

肝心の豚肉を買い忘れていた。足の痛みがあり売り場に戻るのが辛い。

カセットコンロ用のボンベも買っていたので荷物の重いこと。


帰宅したら台所に電気が点いていてほっとする。

娘が温風ヒーターで温めてくれていた。

洗濯物も畳んでくれていてこの上ないほどの幸せである。


豚汁は大きな土鍋で作る。材料に火が通ったところでお味噌を入れるが

買い置きの伊予味噌が変色していて風味が落ちているようだった。

仕方なく使ったがなんだか赤味噌のような味がしてイマイチである。

一番に気になっのはあやちゃんである。今夜も食べてくれないかも。

昨夜もカップ麺だったのだ。さすがに二夜連続は不憫であった。


二階から下りて来たあやちゃんは父親としきりにゲームの話をしていた。

機嫌は良いようである。どうかこのままと祈るような気持だった。


運動不足もあるのだろうすっかり小食になっておりお椀一杯の豚汁。

ご飯も少しだけ食べてくれたようでほっと胸を撫で下ろす。

食べ終わるとすぐに二階に上がってしまうのだ。

ゆっくりと顔を見ることも出来ず私との会話は一切なかった。


どうやら家族で私だけ避けられているような気がしてならない。

いったい原因はなんだろう。私のどこがいけないのだろう。


もう何処を探しても幼い頃のあやちゃんは居なかった。

それはとても寂しいことだがそうして成長していくのだと思う。



2024年01月22日(月) 今日よりも明日に咲く

日中は陽射しに恵まれ暖かだったが夕方から冷たい北風が吹き始めた。

寒気が南下し明日は一気に真冬の寒さとなりそうだ。

先日から天気予報に雪マークが出ていたが今日は消えていてほっとする。

しかし油断は禁物だろう。心構えだけはしておかなければいけない。


今朝は毎朝の眠気が嘘のようになかった。

もしかしたらずっと長いこと暗示に掛かっていたのかもしれない。

自分で自分に催眠術を掛けるようなものだ。

たまたま今日だけのことかもしれないが克服出来たような気がした。

暗示に掛かりやすい性格である。それを良い方に利用すればいい。


清々しい気持ちで職場に着けば紅梅の花が迎えてくれた。

週末の暖かさに誘われ一気に咲いたのだろう。

母に知らせなければと思う。母は何処にいるのだろうと。





仕事はぼちぼちの忙しさ。話好きの来客もありおしゃべりもする。

お弁当を買いに行ったらいつものお弁当屋さんがお休みとのこと。

インフルエンザに罹ったらしい。明日もどうやら無理のようだ。

仕方なくパンとお惣菜のポテサラを買い昼食を済ませる。


その後少しだけお昼休みを取れたので同人誌に短歌を送信した。

いつもメールでのやり取りなので簡単なのだけれど

選んだ16首は如何なものだろう。今まで感想などは一切ない。


それから今朝書いたばかりの詩をワードの原稿用紙に移し

高新文芸の「詩壇」に送った。これは郵便でなければいけない。

自分ではとても好きな詩だがおそらくまた落選だろう。

認められなければもうこそ最後にしようと決める。

私の詩はきっと選者に憎まれているのに違いない。

憎まれ者世に憚るである。長生きをしてとことん書き続けようと思う。





またまたサニーマート。このところずっと買物日記ばかりである。

今日は3時過ぎに着いたので半額の牡蠣を仕留めることが出来た。

フライにするか天婦羅にするか娘に任せることにしてとにかく買う。

後は蛸が半額だったが先日食べたばかりなのでブーイングが怖い。


ブラジル鶏はいつでも安い。玉葱とガーリック炒めにすることに。

それから特売のお豆腐を2丁買い湯豆腐にすることにした。

あやちゃんには焼くだけの餃子。好きだけど食べてくれるだろうか。

帰宅したらお向かいの奥さんがカリフラワーを沢山持って来てくれた。

我が家には珍しいがブロッコリーよりも美味しいのだそうだ。

お向かいの奥さんは凄いなあといつも感心する。

畑仕事が大好きで色んな野菜を沢山作っているのだ。


牡蠣は天婦羅に。湯豆腐も餃子もカリフラワーも自家製の柚子ぽんで。

直七と柚子とお醤油、味の素を少し入れて作るのだが

市販の物よりずっと美味しいと家族には大好評であった。


あやちゃんが二階から下りてきたがなんだか元気がない。

食卓を見るなりまた二階に上がろうとしたのを娘が抱き寄せていた。

私が馬鹿の一つ覚えみたいに餃子ばかり買って来るからかもしれない。

嫌なら嫌と言って欲しいし食べたい物をちゃんと伝えて欲しい。

今のあやちゃんにとってそれは酷なことだろうか。

家族みんなが心配で仕方ないけれどそれを口に出さずにいる。

あやちゃんは「腫れ物」だろうか。そうではないと私は思いたい。


今日も一言さえ会話はなく笑顔も見せてはくれなかったが

どれほど愛しいことだろう。どれほど大切な存在だろうか。



2024年01月21日(日) 気分一新

今朝は外気温が15℃もあり気味の悪いような暖かさとなる。

何か異変が起こるのではないかと頭を過るのはやはり大地震だった。

明日は我が身だとずっと思って来たのだからその不安は一層大きい。

幸い今日は平穏無事に過ごせたが今夜かもしれないと思っている。

「天災は忘れた頃にやって来る」と言ったのは寺田寅彦だったか。

だから常に忘れてはならない。身構えるように過ごして行かなければ。



数日前から今日こそはと決めていた美容院へ。

サニーマート内にある美容院で手軽に行けるのが魅力だった。

行く度に美容師さんが入れ替わっていて今日は若い男性である。

独身かなと思ったら左手の薬指に指輪を嵌めていた。

初めてだったので少し緊張したがカットの上手なこと。

白髪を染めたかったので色はお任せすることにした。


昨年は椎名誠のエッセイばかり読んでいて

「年寄りは髪を染めない方が良い」と書いてあるのを何度か目にした。

顔は皺くちゃなのに茶髪なんかにしたらみっともないのだそうだ。

私はすっかり洗脳されて「そうだ、その通りだ」とずっと思っていた。

だからもう絶対に染めないと決めていたのだけれど

最近になりなんとなくそんな自分に違和感を感じるようになった。

鏡を見る度にぞっとする。ぼさぼさの白髪頭はまるで化け物である。

その上に皺くちゃの顔だから化け物は2乗され妖怪のようだった。

おまけに足が悪く杖を付いているものだから余計に老けて見えるのだ。


夫に相談したら「在りのままでええことないか」と言ってくれたが

自分がどんどんみすぼらしくなり醜くなるのに耐えられなくなった。


美容師さんが選んでくれた髪色は黒でもなく茶でもない。

それは栗色でとても上品で優しい色であった。

もう婆さんではないと思う。ちょっとしたマダムの気持ちである。

それからサニーマートで買物をしたが周りの人達の視線を感じた。

実際は誰も見てなどいないのだがよほど見て欲しかったのだろう。


気分一新である。自分から変わろうとしない限りひとは変われないと思う。





夕飯は我が家の定番「天下茶屋」にした。

冷蔵庫にニラがまだ残っておりキャベツもあった。

もやしと牛肉だけ買えばよくこの上ない節約となる。

しかし娘からブーイングの嵐。「この前食べたばかりじゃんか」と。

娘は「しゃぶしゃぶ」が良かったのだそうだ。

それならそうとどうして早めに言ってくれなかったのだろう。

夫は何ひとつ文句を言わない。だから愛さずにはいられないのだ。


例の如く夫と二人で先に食べる。牛肉はなるべく残して置かなければ。

ホットプレートの電源を保温にしていたのだけれど

娘達は一向に食べようとしないので電源を切ってしまった。

やはり「しゃぶしゃぶ」が良かったのかと少し落ち込んでしまった。


入浴後、食卓の上を見たら牛肉が沢山残っていた。

遠慮して食べたのになと思ったがもう後のまつりである。


あやちゃんのお茶椀が空っぽになっていた。

いつの間にか食べ終わっていたようだ。

そのお茶碗を見ただけで私はほっとするのだった。


今日も一言の会話もない。顔さえも見ないまま夜が更けていく。



2024年01月20日(土) 生まれ変わったような日

曇り日。雨が降りそうで降らず夕方から小雨が降り始める。

気温は今日も3月並みで「大寒」とは思えない程の暖かさだった。

庭の桜草がほぼ満開となる。なんと心が和むことだろう。

猫になって一日中眺めていたいものだと思う。


予定通り内科の病院へ。予約なしなのでとにかく早くと

7時半過ぎに家を出る。それでも既に数人待っていて10番目だった。

一時間ほど待っただろうか。やっと名前を呼ばれてほっとする

待合室にいる間に例の咳が出始めてしまってごほごほと咳き込む。

そうしたら直ぐに看護師さんがやって来て

「その場を動かないで下さいね」と注意を受けた。

コロナやインフルが流行っており病院も神経質になっているようだ。


院長先生との再会。ほぼ5年ぶりではなかっただろうか。

嬉しくて懐かしくて涙が出そうになった。

若い医師には話せなかったことが後か後から湧き出すように出て来る。


禁煙に失敗したことも咎められることもなく受け止めてもらえた。

「本当は止めた方が良いけど無理に止めなくてもいいよ」と

咳が頻繁に出るのはやはり喫煙の影響らしい。

聴診器を当ててもらったが呼吸器には乱れがないそうだ。

それから血圧を測ってもらったらなんとびっくり正常値になっていた。

今朝までの高血圧が嘘のようである。こんなことがあるのかと思う。

血圧は全く心配ないと太鼓判を押してもらった。


朝の酷い眠気もあまり神経質に考えてはいけないと云う。

先生も往診中に酷い眠気に襲われることがよくあるのだそうだ。

そんな時は車の窓を開けてリフレッシュ。大音量で音楽を聴いたり

それでも治まらない時はとにかく一時停止をすると良いそうである。

早速月曜日から実行してみようと思う。諦めてはいけないことなのだ。


診察が終わってからのなんと清々しいこと。

まるで生まれ変わったような気分になっていた。

次回の通院からも土曜日の午前中にしようと決める。

そう思っただけで一気に救われたような安心感があった。


その足でカーブスへ行っていたがいつもの憂鬱は何処へやら。

なんだか自分が別人になったように楽しかった。





カーブスを終えてからサニーマートへ。

もうお昼近くになっており空腹でたまらない。

そんな時はついつい余計な物を買ってしまうので注意が必要である。

お昼はラーメンにすることにして夕飯の献立を考えた。

むき海老を2パック買い「海老チリ」にすることに。

それから「スパイシーポーク」これは焼くだけの簡単なもの。

野菜売り場で思い切って菜花を買った。少量で170円もする。

しかし昨日から食べたくてたまらなかったので許してみた。


今日は寝ないつもりだったが結局午後から2時間ほど昼寝。

目覚めてから夕方まで大相撲を観ていた。


娘が手際よく海老チリを作ってくれる。ポークも焼いてくれた。

私はわくわくしながら菜花を茹でたが何と云うことでしょう。

うっかり茹で過ぎてしまってべちゃべちゃになってしまった。

「まあもったいない」娘も苦笑いをしている。

でも胡麻和えにしたら結構美味しかったので今回は良しとしよう。

菜花はまだ出始めなので高いがそのうち百円で手に入る時が来る。



今夜のあやちゃんは「まあまあ」上機嫌ではなかったが

少しはにかむような笑顔を見せてくれたのでそれが精一杯なのだろう。

ハイテンションのめいちゃんと比べたら可哀想に思う。


決して無理をしないこと。在りのままでいることが大切なのだ。



2024年01月19日(金) 菜花の季節に

今日もすっきりとしない空模様。

気温は17℃まで上がりまた3月並みの暖かさであった。


あちらこちらに菜の花が見えるようになる。

冬野菜が育ち過ぎもうトウが立っているのだそうだ。

この暖かさでは無理もないことだろう。

農家の人達の嘆き声が聞こえて来そうである。


「菜花」を菜の花と勘違いする人が多いようだ。

同じアブラナ科だが「菜花」は食用として栽培されている。

種類も色々あるようだが私には詳しい知識がなかった。

黄色い花が咲く前に収穫し「旬の野菜」として店頭に並ぶ。

今日も見かけたがあまりの高さに手を出せなかった。

苦みが少しあり癖のある野菜だが私はとても好きである。





血圧の薬が増えて一週間が過ぎたが未だ改善されていない。

もうしばらく様子を見ても良いのだが不安でならないので

明日の午前中に再度病院へ行ってみようと思っている。

元々の主治医だった院長先生の診察があるらしい。

今診てもらっている若い医師には申し訳ないが苦肉の策である。

禁煙に失敗したことも話したい。咳が酷いことも話したい。

院長先生ならきっと親身になってくれると信じている。

心療内科の専門医でもあるので精神的にも楽になるのではないだろうか。




今週の仕事が一段落していたので今日は早めに終えることが出来た。

3時過ぎにはもうサニーマートへ着いておりゆっくりと買物をする。

どうやら3時になったら半額シールを貼っているようだ。

今日は歓声を上げたくなるほど半額品であふれていた。

まず大好物の辛子明太子。それからお刺身のお造り。

イカ、鯛、サーモンと三種類を仕留める。

それだけですっかり満足して後は鶏肉と茄子を買う。

油で揚げて南蛮漬けにすると孫達も喜んで食べてくれるのだ。

もう一品はニラ玉。昨日のニラがまだ沢山残っている。

ニラは傷みやすいので無駄にしないように食べ尽くしたい。



帰宅して日課の短歌を捻っていたら部屋のドアが少し開いた。

そこにあやちゃんの姿が見えてはっと驚く。

咄嗟に「おかえりぃ」と言ってしまって急いで「ただいまぁ」と言う。

そうしたら少し乱暴な音をさせてドアを閉めてしまったのだった。

もちろん何も声は聴こえない。それがいささかショックであった。


機嫌のよい日もあれば悪い日もあるのだろう。

決して振り回されてはいないが一喜一憂することが多い。

だからと云って無関心ではいられない。いつだってあやちゃんを見ている。


いつものように私と夫が先に食べ終え娘達の夕食が始まる。

それとなくあやちゃんの様子を見るのも日課になった。

スマホを操作しながら隣の父親としきりに会話をしている。

後から後から話したいことがあるのだ。それも笑顔でのこと。

それは親子だからこそのことだろう。私には務まらないのだと思う。


深く考えてしまうと歪な家族なのかもしれないが

それでまあるく収まって一日を終えられるのが一番に思った。



2024年01月18日(木) 冬は冬らしく

曇り日。夕方からぽつぽつと雨が降っていたがもう止んでいるようだ。

最高気温が18℃まで上がり三月並み暖かさだったらしい。


週末には「大寒」だがこのまま暖冬が続くとは思えない。

かつて3月に大雪が降ったことを思い出す。

やはり冬は冬らしくあるべきだろう。異常気象は不気味なものである。



昨日、内科と眼科へ通院していた同僚が「緑内障」の疑いがあるとのこと。

来週また再検査だそうで心配でならない。

緑内障は失明する可能性が大きいと聞く。いったいどうなってしまうのか。

気の弱い同僚のこと。あまり周りが騒ぎたててもいけないと思う。

しかし一人でも欠けたらもう会社の存続を諦めねばならない。



私は週一のリハビリへ。3時の予約だったので大急ぎで駆け付けた。

今日の理学療法士さんは若い男性で少し緊張する。

でも施術をしてもらったら女性の手のように優しかった。

つかの間ではあったがやはりリハビリをすると足の痛みが和らぐ。

そう医師に告げると「そりゃあ良かった」と喜んでくれた。

痛みに真剣に取り組み少しでも楽になるようにと誠意を尽くしてくれる。

そうして親身になって患者の話に耳を傾けてくれるのだ。

私は「医師の鑑」のように思ってとても尊敬している。





サニーマートへ着いた頃にはもう4時を過ぎていた。

例の如くで半額品を漁ったが目ぼしいものがない。

辛うじて鮮魚売り場に鰆の切り身があったので2パック買った。

私は鰆の塩焼きが好きだが家族には不評である。

それでも買わずにはいられない。とにかく半額なのだから。

後は豚ニラキムチ。麻婆豆腐。ワンタンスープにする。

昨日娘婿がニラを沢山貰って来ていた。買えば高いのでとても助かる。

麻婆豆腐は丸美屋の素を使うが甜麵醬を加えると味が濃くなり美味しい。

ワンタンスープはキャベツたっぷり。キャベツは買い置きがあった。

清算すれば2200円程。今日は少し節約が出来たようだ。


めいちゃんのダンス教室のある夜だったが珍しく食べてから出掛ける。

豚ニラキムチは大好き。それから麻婆丼にしてぺろりと食べてくれた。


入浴後二階へ上がろうとしていたらあやちゃんの姿がちらっと見えた。

声を掛けようとしたが逃げるように子供部屋へ閉じ籠ってしまう。

そんな時は決して声を掛けてはいけないことを学んでいる。


そろそろ娘達が帰って来る頃だ。

どうかあやちゃんが少しでも笑顔を見せてくれますように。





2024年01月17日(水) 儚く消える運命

今朝は放射冷却で厳しい冷え込みとなる。

しかし不思議なものだ。寒さに慣れてしまったのか少しも苦にはならず。

日中との寒暖差にも身体はしっかり順応しているようだ。


29年目の阪神忌。能登大震災と重なり記憶が積み重なるようだった。

誰もが二度とあってはならないと思ったことだろう。

しかしその後の東日本、熊本と地震は後を絶たずにいる。

そうして多くの尊い命を奪ったことを忘れてはいけない。


私はやはり不安神経症なのか恐怖心が募るばかりだった。

何をしていても今地震が起きたらと考えてしまうのだ。

今もそうだ。気分は落ち着いているようでも不安でならない。

地震イコール死では決してないはずだが死をとても身近に感じている。

家が圧し潰される。津波に吞み込まれる。

私はいったいどんな死に方をするのだろうか。

なんとしても命だけは守りたいが果たしてそれが出来るだろうか。




同僚が通院のため工場は午後から開店休業となった。

義父も農作業に出掛け事務所で独り留守番をする。

事務仕事も一段落していたので自分時間を頂くことにする。


参加している同人誌の締め切りが近づいているため

この2ヶ月の間SNSで発信していた短歌をワードに移す。

なんと自分でも驚いたが全部で160首もあった。

同人誌に発表できるのはその内の16首である。

それが簡単なようで難しく読み返すとろくな短歌がない。

下手な鉄砲も数打てば当たると云うが当たりどころではなかった。

頭を悩ませながらなんとか16首を選んだ。

仕事時間中に心苦しくもあったがお許し願いたいと思う。


詩も毎朝書いているので60作程あったがこれは行き場がない。

同人誌の代表者から詩の掲載を許されていないのだ。

その代表者が選者をしている高知新聞詩壇に何度か投稿したが

ことごとく落選となっている。私の詩は認められることはないだろう。

口惜しさをバネにするべきだが私はそれほど強くはなかった。

儚く消える運命だと思えばそれもまた詩になるほど切ないものだ。





3時に義父が帰って来てくれて留守番から解放される。

義父は昼食も食べないまま頑張っていたようだ。

すぐに帰る訳にも行かず少し会話を交わしてから帰路に着いた。


サニーマートで例のごとく半額品を漁る。

今日は蛸とめじかの生節を仕留めた。

蛸は胡瓜と若布で酢の物に。めじかの生節は明日の朝のおかずである。

メインは一口カツにした。豚肉のもも肉が3パックで千円ほど。

野菜はブロッコリーを買い塩茹でにしてマヨポンで食べることに。


帰宅したらあやちゃんが珍しく階下に居て「ただいまぁ」と言ったら

「おかえりぃ」と応えてくれてなんとも嬉しかった。

早速夫に話したら昼間も茶の間でしばらく一緒に過ごしたそうだ。


何となくだけれど光が射し始めたように感じる。

まだ少しずつだが何かが動き出しているようだ。


「必ずや出口はあると信じたい長いトンネルあともう少し」

お粗末ではあるが今日の一首である。





2024年01月16日(火) 梅花咲いた

風は確かに北から吹いて来るが陽射しはたっぷりとある。

今朝はもう白梅の花が咲いているのを見つけ心が和んだ。

山道にもぽつぽつと民家がありその近くである。

かなり古い梅の木だと思うが大木ではなかった。

おそらく民家に住む人が楽しみにと植えていたのだろう。

遍路道のこと。足を止めて見上げるお遍路さんも多いのではと思う。


職場の庭にも母が植えた紅梅の木があるが蕾をふっくらと膨らませている。

あと数日もすれば花開くだろう。母に見せてやりたいものだ。


母の机の上を整理していてふっと母は何処に居るのだろうと思った。

まるで子供のようであるが同僚に訊いたら

笑いながら「お星さまになったがよ」と教えてくれた。

そうか星なのかと思う。私にとっては決して笑い事ではなかった。





毎月中旬になると「詩の通信教室」に詩を送っていたが

今年からもう止めようかと思っている。

理由はあるようでない。ただなんとなく虚しくなってしまったのだ。

有名な詩人さんに詩を読んで頂き感想まで頂けるのは

本当に有難く身に余ることだと思っている。

しかし「教室」であるのなら学びの場所であるべきだろう。

学びだけではない人としてふれあうことも大切なことだと思う。

けれどもこの半年、私はいったい何を学んだのだろう。

事務的な感想が返って来るだけで「手応え」のようなものは一切ない。

「ふゆさん」の詩を送った時は虐められたような気がした。

所詮、鯛には雑魚の詩など分かるはずがないのだ。


もう無意味なことは止めよう。そう思うと心の霧が晴れたように感じる。





仕事が忙しく少し残業。3時半にやっとタイムカードを押せた。

サニーマートで半額品を漁るには丁度良い時間である。

いつもは高くて買えない鰤のみりん干し。鯖のみりん干しもあった。

牛肉のタレ漬けは3割引きだったので2パック買う。

後はポテトサラダとちく胡、高野豆腐の煮物にする。


帰宅したらあやちゃんが久しぶりに「今夜は何?」と訊いてくれた。

ポテサラ大好きなので文句は言わないだろうと思っていたが

食べる段になって娘に「他に何かないの?」と言っていた。

そんなことは珍しく今まで聞いたことがなかった。

もしかしたら母親に甘えたかったのかもしれないと思う。

身体はすっかり成長していても心はまだ子供なのかもしれない。

遡れば2歳でお姉ちゃんになってから母親離れをしている。

まだまだ甘えたい盛りだったのではないだろうか。


娘がチャルメラを作って食べさせていた。

あやちゃんはそれは満足そうににこにこしながら食べている。


もっともっと甘えてわがままを言っても良いのだ。

それがもしかしたら固い殻を破るきっかけになるかもしれない。



2024年01月15日(月) 遠い日の恋

夜明け前からにわか雨が降っていたようだ。

音もせずあまりにも静かな雨だったので全く気がつかず

杖を付きながらやっとの思いで洗濯物を玄関まで運んだ。

庭の物干し台まで運ぶのはいつも夫が手を貸してくれるので

声を掛けたら茶の間からすぐに出て来てくれる。

そうして外に出るなり「見てみろ!」と叫ぶのだった。

まるで霧のような雨が降っていた。


「だから今日は干すなと言ったじゃないか」

決して怒っている訳ではないのだがしゅんとせずにはいられない。

夫は直ぐに重い洗濯籠を提げて乾燥機まで運んでくれたのだ。


そんな何でもないようなことが嬉しくてならなかった朝のことである。

幸せってきっとささやかなことなのだ。ただ気づかずにいることが多い。

私がもし「当たり前のこと」だと思ったら幸せは消えてしまっただろう。




今日は職場に昔好きだった人が来てくれた。

年甲斐もなく胸がドキドキして照れくさくてならない。

私より2歳年上なので今年70歳になるのだけれど

とてもそんな歳には見えない。すらりと伸びた長い脚は昔のままだ。


私はと云えば杖を付いた白髪のお婆さんである。

穴があれば入りたいくらいだったが生憎穴が見当たらなかった。

なんと恥さらしなこと。これでは千年の恋も台無しである。


長い髪をなびかせながら見つめ合った日のことを思い出す。

片思いではあったが彼は確かに私の気持ちを知っていたのだと思う。

既に付き合っている彼女が居たのだ。私はおじゃま虫であった。

どれほど涙を流したことだろう。叶わない恋ほど切ないものはない。


記憶は遠ければ遠いほど鮮やかに光り続ける。

こんな私でも若さで輝いていた頃があったのだ。


長靴を履いた彼は軽トラックに乗って颯爽と去って行った。



2024年01月14日(日) 醜い私

今朝は氷点下だったのか厳しい冷え込みとなる。

日中は穏やかな冬晴れとなりほっとするような暖かさだった。


朝陽が射し始めた頃に洗濯物を干す。

おかげで夫の小言を聞かずに済んだ。

とにかく炬燵に潜り込んではいけない。

すぐに眠ってしまうのが癖になっているようだ。


洗濯物を干し終えてから台所で蕪をスライスする。

年末にご近所さんから頂いていた蕪が5個ほどあった。

保存状態が良かったのかまだ新鮮なままで2個を残す。

市販の千枚漬けの酢を掛ければすぐに食べられて美味しい。


サニーマートの開店時間に合わせて買物に行った。

昨夜娘から「あやが寄せ鍋を食べたいがやと」と聞いていたので

迷うこともなく寄せ鍋の材料を買う。白菜が半額になっていて嬉しい。

あやちゃんの好きな葛切り、めいちゃんの好きなエノキ茸。

お魚は調理済みのグレがあったが骨の無いタラにする。

すり身、ベビーホタテ、牡蠣、お肉は鶏の手羽元を買った。


直接ではなかったがあやちゃんが食べたい物を言ってくれて嬉しかった。

いつも私が訊いたら「別に・・」と応えるばかりである。

まるで食べることへの興味を失っているように感じていた。

どうでも良いような投げ遣りな言葉を聞くと悲しいものである。





昼食後はついに炬燵に潜り込み当然のように寝てしまう。

でも2時には起きられたので良しとしよう。

陽射しがあるうちに洗濯物を取り入れ畳むことが出来た。

今日閃いたのは取り入れながら畳む方法である。

さすがに片手では出来ないが立ったまま畳むと随分と楽だった。

一度座敷に座ると立ち上げれなくなりどれほど苦労だったことか。

風のない穏やかな午後である。西に傾き始めた陽の眩しさを感じる。



精神的にはとても落ち着いていると思っていたのだが

ふっと劣等感が襲って来てその後自己嫌悪に陥る。

SNSでの反応を見ながら詩も短歌もこれでは駄目だなと思う。

そんな反応など気にしなければ良いのだがどうしても気になるのだ。

自分を信じてこつこつと。いつかはきっと報われる日が来ると思いたい。

どんなに拙いものでも読んでくれる人が居てくれるのだ。

もしたった一人であっても書くことを諦めてはいけないのだと思う。



煙草の吸い過ぎだろう咳き込むことが多くなった。

その度に尿漏れがある。ナプキンを当てているが役に立たない。

酷い時はズボンまで濡れてしまいどうしようも出来ない。


顔はまるでお化けのようだ。皴もあればシミもある。

髪の毛は白髪だらけ。おまけにいくら櫛で梳いてもぼさぼさになる。


カラダは幕下三枚目の力士である。座ればお腹の肉が太腿に触れる。

トイレの後始末も出来なくなった。太腿の肉が邪魔をするのだ。

あの部分に手が届かない。仕方なく立ってから拭かねばならない。


この醜態を何としよう。いったい私はどうなってしまうのだろう。

せめて心は清く美しくと思うのだがそれも自信はなかった。


生きているだけで丸儲けらしいがそうそう儲けるつもりはない。

醜いまま死ぬのか。骨になればもう思い残すことはないのだろうか。



2024年01月13日(土) いらいら虫

日中は汗ばむ程の陽気となる。

やはり暖冬なのだろう。それにしても異常な暖かさだ。

被災地は雪。東京でも初雪が舞ったらしい。

同じ日本でありながらこうも違うのが不思議でならない。


例の如くで朝から眠気。8時前から9時まで寝ていた。

「早く洗濯物を干さないか」夫のなんと口うるさいこと。

言われなくても分かっていることなのだ。しかし動き出せない。


娘が仕事なのでめいちゃんと買い物に行く約束をしていたが

洗濯物を干すのが遅くなり買物は後回しにする。

先にカーブスへ行っていたが義父から2度も着信があった。

仕事を休ませてもらっている私が悪いのだが

どうにも落ち着かず筋トレどころではなかった。


帰宅してからやっとサニーマートへ。

めいちゃんは今日もまっしぐらに百均へと走る。

お正月にお年玉を沢山貰ったので買物が嬉しくてならないようだ。

あれこれ好きな物を買い満足そうに微笑んでいた。


それからフルーツを食べたいと言い出して売り場へ行ったが

好物のシャインマスカットのそれは高いこと。一房3千円以上もする。

それはさすがに買ってやれず苺にすることにした。

「おばあちゃん、いちごも高いよ」と心配そうな顔をしていたが

一パック650円。決して安くはないが可愛い孫の為である。

昼食には「鶏そぼろ弁当」を買う。私は「鶏弁」夫には「天津飯」

どれもほか弁より高くけっこう痛い出費となった。


夕食には焼き鳥用のせせり。お刺身用のハマチ。めじかの生節。

熊本産の芝海老は安く塩茹でにすることに。お浸し用のほうれん草など。

他にもトイレットペーパーやティッシュも買わねばならず

総額7千円以上の出費となる。とても節約どころではない。



昼食を食べ終えてからまた眠くなり炬燵に潜り込んでいた。

途中で何度か目を覚ましたが結局4時まで眠り込んでいたようだ。

「洗濯物を入れんといかんぞ」夫のまた口うるさいこと。

これももちろん分かっていることなのだ。しかし起き上がれない。


杖を付きながら庭に出る。片手では思うようにいかない。

そうしたら友達と遊んでいためいちゃんが手伝ってくれた。

なんと有難いことだろう。めいちゃんが天使のように見える。

「孫の手が天使に見える夕近く洗濯物に残る陽だまり」一首出来た。


夕食の支度に取り掛かろうとしたら娘が何処かへ出掛けて行った。

一気に苛立ちが募り胃がきりきりと痛みだす。

もう知らない。自分達の食べる物は勝手に作ればいいと思う。

洗濯物にしたってそうだ。早くから帰っているのに取り入れてくれない。

大量の洗濯物を干すのも私で畳むのも私なのかと腹が立ってくる。

夫も同じく口ばかりうるさく言って手伝おうともしないのだ。

みんなして私を舐めているのか。この野郎めと爆発しそうになった。


夕食を食べ始めるとやっと冷静になっていた。

娘や夫とも笑顔を交すことが出来る。これでよしよしと思う。

あやちゃんがお昼に食べてくれなかった鶏そぼろ弁当を食べた。

おそらく今日は食べたくない気分だったのだろう。

気にしていたらきりがない。さらりと水に流そうと思う。



明日も冬晴れのようだ。ようし頑張って洗濯物を干そう。










2024年01月12日(金) 落花飴

日中はまるで春のような暖かさとなる。

「小春日和」と云いたいところがこれはもう使えない。

それは晩秋から初冬の言葉で今は真冬である。

日本語のなんと奥深いこと。私ももっと学びたいと思う。


被災地は冷たい雨。明日はその雨が雪に変わりそうだ。

深く傷ついた人達になんと容赦ないことだろう。

報道が流れるたびに心を痛めている。

それはどうしようもなく辛いことであった。


平穏無事に暮らしていることが心苦しくてならないが

そんな日常に感謝するべきなのだろう。

自分たちがどれほど恵まれているか思い知らなければいけない。





今週はたった4日しか働いていないのに疲れが酷い。

今日はお昼休みを頂き車中で30分程仮眠する。

降り注ぐ陽射しのなんと暖かいこと。とろりろりと眠った。


午後からも忙しく3時まで仕事。落花飴をしゃぶりながら帰る。

噛んだら落花生が出て来るが自然に出て来るのを待つのが良い。

母が好きだったことを思い出す。なんだかとても懐かしい味だ。


死んでしまったら何も食べられないぞと義父は言う。

いくら仏前に供えても匂いを嗅ぐことも出来ないのだろうか。

それでも人は故人の好きだった物を供え続けている。

要は気持ちなのだろう。「こころ」を供えているのかもしれない。



いつものようにサニーマートで買物をする。

今日は山里の地場産店で原木椎茸とキャベツを買っていた。

肉厚の椎茸はタタキに。キャベツは回鍋肉にしようと決めていた。

豚バラ肉を買い、回鍋肉の素を買う、お刺身は「ハガツオ」にする。

孫達には炒めるだけのナポリタン。これは簡単で美味しい。


最近めいちゃんがお刺身を好んで食べるようになって

今夜は私が我慢することにした。昨夜の煮魚の残りで十分である。


例の如くで娘達が食べ始めるのが遅くなり階下が賑やかだ。

さっきちらっと見たらあやちゃんが笑顔だったのでほっとする。


今朝は夜明け前にあやちゃんのことを詩に書いた。

もしかしたらあやちゃんが読んでくれるかもしれないと思ったが

どうやら期待外れだったようだ。その方が良かったのかもしれない。


私はあやちゃんのことを守ってやれているのだろうか。

書いてはいけないことを書いているような気もする。

でも後悔はしたくない。だって書かずにはいられないのだもの。





2024年01月11日(木) 弱虫なんかじゃない

穏やかな冬晴れ。このまま春になればと思う。

でもそれだと桜の花が咲かない可能性があるらしい。

やはり寒さなければ花は咲かないのだ。


もし日本に四季がなかったらどうなるのだろう。

稲はもちろんのこと作物は育つことが出来ない。

梅雨がなくなればたちまち水不足になるに違いない。


春夏秋冬があってこその日本。私達は恵まれているのだと思う。




午後から仕事を休ませてもらって内科、整形外科とはしごする。

内科はまだ薬が残っていたが少し早めに受診した。

相変わらず医師との相性が悪く今日も悶々とするばかり。

先日から気になっていた「動脈硬化」は高齢になると

誰にでもあるのだそうだ。だから高血圧になるらしい。

特に治療法もなく生活習慣を見直したり降圧剤を服用するしかない。

そんなわけで今日も血圧の薬を増やしてもらった。


「生活習慣」は聞いただけで頭が痛くなる。

喫煙、飲酒、肥満。どれも私に当てはまることだ。

医師は私が昨年禁煙したとばかり思っている。

今更どうして本当のことが言えようか。

後ろめたい気持ちもあったが再び禁煙に臨むことはもう出来ない。


吸いたいだけ吸い、飲みたいだけ飲み、食べたいだけ食べる。

それはもしかしたら自殺行為に等しいのかもしれない。



整形外科ではリハビリに臨む。若い理学療法士さんの優しい手。

なんとも心地よく痛みがほぐれて行くのを感じた。

今日はリハビリ計画書にサインをし毎週木曜日に行うことに決まる。

どんなに仕事が忙しくてもこれだけはと思った。



すっかり帰りが遅くなりサニーマートであたふたする。

もう5時だったので半額品を狙っていたが残念ながら空振りであった。

仕方なく鮮魚売り場で「べいけん」と云う煮魚を買った。

一瞬べんけい?と思う。県外では「角あじ」とも呼ばれているそうだ。

白身の魚で少し癖があるが生姜と甘辛く煮付けたら美味しい。


孫達には焼くだけのハンバーグを。これは2割引きだった。

我が家はいつも和風の煮込みハンバーグにする。

娘がフライパンで手際よく作ってくれて助かった。


今夜はめいちゃんのダンス教室があってまだ帰宅していない。

あやちゃんは娘達と食べるらしく部屋に閉じ籠っている。

そんな時は決して声を掛けてはいけないことになっている。


昼間、保健室の先生が訪ねて来てくれたのだそうだ。

夫が応対してあやちゃんを呼んだら玄関まで下りて来て

しばらく先生と話していたと聞きほっとした。

どんな話をしていたのかは定かではないが心がほぐれたことだろう。


誰が何を言っても頑なに貫こうとしている気がする。

あやちゃんは決して弱虫ではない。とてもとても強い子だと思う。













2024年01月10日(水) 恩返し

曇りのち晴れ。午前中にはにわか雨が降っていた。

被災地には大雨警報が出ていて救援活動に支障があったのでは。

甚大な被害にただただ心を痛めるばかりで何も出来ずにいる。


仕事で村のバスセンターへ行ったら近くの畑に菜の花が咲いていた。

それはとても思いがけずなんとほっとしたことだろうか。

まだまだ寒中だけれどそこだけ春のように見えた。

写真を撮りたかったがその畑まで歩く自信がない。

日に日に足の痛みが増しているようだ。

情けない気持ちと悔しい気持ち。負けるもんかと思う気持ち。





今日は結婚記念日だった。もう45年も経ったらしい。

夫が「あと5年だな」と言ってくれたがその後で

「生きていればな」と言ったので一気に心細くなる。

「そんなこと言わんとってや、一緒にがんばろう」と告げた。

金婚式なんて夢のようだ。だからこそ何としてもその日を迎えたい。


死ぬかもしれないと生きたくてたまらないが渦巻いている。

もう十分に生きたとはどうしても思えないのだ。

人にはそれぞれ「定命」があるらしい。

それは生まれた時からもう決まっているのだそうだ。

だからどんなに願ってもそれを変えることは出来ない。


幼くして亡くなる子もいれば長寿を全うして亡くなる人もいる。

それを運命だと捉えるほど人は強くはないのだと思う。


この45年を思い起こす。山あり谷ありだったが

お互いを労わりつつ暮らして来たのかもしれない。

私は決して良妻ではなかったので夫の苦労は人並みではなかっただろう。

何度赦されたことか。夫には感謝しかなかった。

だからこそ定命が尽きるまで恩返しをしたいと思っている。




義父にへと近所の人がお肉をたくさん届けてくれた。

牛肉、豚肉、鶏肉と一人ではとても食べ切れないほど。

義父は鶏肉が苦手などで私が頂き、豚肉も分けてもらった。

メインのお肉があったので食費がずいぶんと助かる。

鶏肉はチキンカツに豚肉は生姜焼きにした。

後はほうれん草の白和え、長芋の短冊、チンするだけの焼売。


めいちゃんは長芋の短冊が大好物でポン酢醬油をたっぷりと掛ける。

あまりにも掛け過ぎるので止めたら泣き出してしまった。

あやちゃんはチキンカツが好きなので美味しそうに食べてくれる。

今夜は殆どしゃべらなかったが情緒は安定しているようだった。

顔色も良い。それが何よりに思う。



義父は牛肉で「すき焼き」を作ると言っていたが

独りで食べるのも寂しいものだろう。

母が元気だった頃は昼食に作っていたこともあった。

けれども母と一緒に食べたことは殆どなかったように思う。

義父は憶えているだろうか。寂しかったあの頃の母のことを。



2024年01月09日(火) 明日のために

山里では氷点下の朝。やはり平野部より気温が低い。

職場の周りの田んぼも霜で真っ白になっていた。


被災地の雪は止んだようだが冷たい雨だったようだ。

昨日は3百人を超えていた安否不明者がかなり減っていたけれど

それだけ亡くなられた方が増えたと云うことなのだ。

「どんな形でもいい、見つかって欲しい」と高齢の女性が訴えていた。

報道を見るたびに心が痛む。被災地はまるで地獄のようである。


SNSでは「負けません、頑張ります」と若者の声。

今は希望など無いかもしれないけれど立ち向かって行く勇気はある。

そんな被災者に寄り添う気持ちを忘れてはいけないと思う。





仕事始めの日から5日ぶりの仕事だった。

いったい何から手を付けたら良いのかパニックになりそうな忙しさ。

お弁当を食べる時間はあったがお昼休みは取れなかった。

あらあらという間に時計は3時になっている。

残り仕事を机の上に置いたままタイムカードを押した。


晩ご飯は何にしよう。直ぐには思い浮かばない。

サニーマートへ行ってから考えることにした。

そう云えば冷蔵庫の野菜室に大根が半分残っていたっけ。

鰤大根にしようと鮮魚売り場へ行ったが残念ながら鰤が無かった。

じゃあ豚バラ大根にしようと精肉売り場へ行って豚バラ肉を買う。

厚切りの豚バラ肉があまりにも高かったので薄切りにした。


後は半額の鯵の干物。これも半額の有頭海老。マカロニサラダ。

海老は塩茹でにしたらあやちゃんが喜んで食べてくれた。

それから昨夜のカレーも残っていて皆で少しずつ食べる。


あやちゃんのテンションが高くて終始笑顔を絶やさない。

情緒が安定しているのだろう。それは何よりのことだった。

めいちゃんは気を遣っているようで学校の話を一切しなかった。

子供心に我慢をしているように感じてそれも可哀想に思う。

久しぶりに先生や友達に会えてどんなにか嬉しかったことだろう。


それでもまあるく収まっている。波風を立てないようにと

家族皆がそれぞれを思い遣っているのだと思った。


明日のことを考えるとこころが「あした」になるのだそうだ。

これは誰の言葉でもない私の言葉である。





2024年01月08日(月) 陽だまりを探して

今朝は寒中らしい冷え込みだった。

ほぼ氷点下ではなかっただろうか。

けれども被災地の雪を思うと些細なことである。

救助作業も並大抵のことではない。

まだ安否不明者が大勢おりただただ力を尽くすのみだ。


家族10人を生き埋めで亡くされた男性に報道陣がマイクを向ける。

男性は嗚咽しながら叫んでいた。「なんでこんなことに」

けれども最後に「俺は生きます」と力強い声が聞こえた。

失った現実は変えられない。遺族は「これから」を考えようとしている。




今日も娘が仕事だったのでめいちゃんとサニーマートへ行く。

店内の百円ショップが10時の開店なのでその時間に合わせた。

首からお財布をぶら下げためいちゃんがまっしぐらに駆けて行く。

お昼はほか弁。夜はカレーと決めていたので今日の買物は楽ちん。

セルフレジで精算を済ませたらめいちゃんが笑顔で戻って来た。

なんと880円も買物をしたようだ。ぬいぐるみのような帽子も。

それは440円だったらしい。以前から欲しかったのだそうだ。

車の中で早速被って見せてくれたが子犬のように可愛いかった。


帰宅してから一緒にちーちゃんの家を訪ねる。

お饅頭は日持ちがしないのでカントリーマアムをお供えした。

遺影に向かってきちんと正座し小さな手を合わせる。

ちーちゃんの奥さん「なっちゃん」がとても喜んでくれた。

めいちゃんはお葬式の時に渡した手紙のことを気にしていて

「ちーちゃんは読んでくれたろうか」と。

なっちゃんは手紙のことを知っていたので「ちゃんと読んだよ」と

それがよほど嬉しかったのだろう。ほっとしたように微笑んでいた。


初七日は明日だが学校が始まるので今日にして良かったと思う。

宿題の作文には「おそうしき」の事を書いたのだそうだ。


ちーちゃんの家の庭には猫が5匹くらい集まって遊んでいた。

すべて野良猫だそうだがもう何年も居着いているらしい。

ちーちゃんが可愛がっていたと聞きその優しさを感じずにいられない。



夕飯は予定通りにカレー。甘口と辛口をふたつのお鍋で作る。

あやちゃんがお代わりをしてくれて嬉しかった。

機嫌も良くにこにこと美味しそうに食べてくれる。


明日から新学期なので気が重くなっているのではと心配していた。

でもなんだか吹っ切れているように感じる。

もう「行かない」と決めているのだろう。

それはあやちゃん自身が決めることで周りが決めることではない。

その意思を尊重し受け止めてやらなければと思う。


長い長いトンネルの中だ。でも決して暗くなどなかった。

あやちゃんはてくてくと歩いている。それは真っ直ぐな道である。

出口のないトンネルなど無いのだ。みんながそう信じている。



2024年01月07日(日) 寒空に咲く桜草

冬型の気圧配置となり真冬並みの寒さとなる。

晴れたり曇ったりで時雨が降る時間帯もあった。

被災地はやはり雪とのこと。

避難所で身を寄せ合っている人達の心痛を察する。


SNSを見ていたら「罪悪感を感じる必要はない」と

発信している方が居て考えさせられた。

与えられた場所で与えられた日常を大切に過ごすべきなのだろう。

しかし明日は我が身であることを決して忘れてはならないと思う。


寒空に健気に咲く桜草が今日は5輪になっていた。

まだまだ沢山の花芽が見えていてほっこりと心が和む。

お隣の奥さんに報告したら「まあ、それは良かった」と笑顔が返って来る。

お隣のブロック塀の上にも桜草が次々に咲いていた。




娘が仕事だったので朝のうちにめいちゃんとサニーマートへ。

「お昼は何を食べようかね?」「お好み焼き!」の声が弾む。

キャベツは冷蔵庫にあるので粉と豚バラ肉を買った。

「晩ごはんは何をたべようかね?」「う〜ん、わからん」と悩んでいる。

そこで閃いたのは我が家の定番「天下茶屋」であった。

お昼にホットプレートを使うのでそのまま夜まで置いておけば良い。

牛肉、もやし、ニラを買う。ウィンナーは確か冷蔵庫にあった。


今日は七草の日であったが七草セットの高いこと。

毎年のことだけれど作っても誰も食べたがらないので止めることに。

めいちゃんが「ななくさってなに?」と訊くので簡単に説明をした。

「みんなが病気にならないように」それで合っているだろうか。


買物を終えると荷物をせっせと車に運んでくれる。

めいちゃんは力持ちだ。そうしてとても優しい子。


帰り道にちーちゃんの家の前を通って遺骨の話になった。

「おうちにおるの?」「そうよ小さな箱の中におるの」

私は今日が初七日だとばかり思っていたのだけれど

3日に亡くなったのだから9日が初七日だった。

「おい、まだちいと早いぞ」とちーちゃんの声が聞こえる。

めいちゃんとお線香を上げに行きたかったが日を改めることにした。



夕食時、テレビから津波の被害に遭った能登町からの映像が流れる。

小学2年生の女の子が津波にのみ込まれおじいちゃんが助けたそうだ。

その映像を見ていたあやちゃんがとても心配そうな顔をして

「助かったの?ああ、良かった」とほっとしたように微笑んだのだった。


決して無関心ではないのだ。悲しく辛い思いをしている人達が大勢いる。

そんな被災地の人達に寄り添う気持ちが確かにあるのだと思う。


もしかしたら自分の葛藤や悩みなど些細なことだと気づくかもしれない。

冬休みも残り一日となった。学校はそれほどまでに遠い場所だろうか。




2024年01月06日(土) 普通の暮らし

曇りのち晴れ。気温は高めだったが肌寒さを感じる。

明日は冬型の気圧配置になり真冬の寒さになりそうだ。

能登の被災地では冷たい雨が雪に変わるとのこと。

天は何処まで仕打ちを続けるのだろうと心が痛んでならない。


日常のことを当たり前のように思って過ごしている。

三度の食事。トイレ。お風呂。暖かな布団で寝る。

それがどれほど恵まれているかを思い知らずにはいられなかった。

自分達が恵まれていることを決して忘れてはならない。


東日本大震災の時に何も書くことが出来なくなった私に

当時の友人であったRが言ってくれた言葉を思い出している。

「普通にしていればいい」その一言にどれほど救われたことだろう。

けれども今回はその「普通」が心苦しくてならない。

悲しみのどん底にいる人達にいったい自分は何が出来るのか。

少しでも痛みに寄り添うような言葉を綴りたいと大それたことを思う。





昨日の告別式を終えてからちーちゃんの顔が目に浮かび続けている。

それが供養になるのならと思うがなんとも寂しくてならない。

残されたご家族はもっと寂しい思いをしていることだろう。

明日はもう初七日。訪ねて行ってお線香を上げさせてもらおうと思う。



お昼に息子とけい君がやって来た。

息子は準夜勤で帰宅が遅くなるのだそうだ。

その時間までけい君を我が家で預かることになった。

いつもは離婚したお嫁さんが一緒に居てくれているようだ。

「通い婚」のようなカタチだが息子達が決めたことである。

けい君もお母さんに会えるので喜んでいるらしい。


お嫁さんの実家のお母さんがインフルエンザで寝込んでいるとのこと。

お嫁さんも風邪気味らしく今夜は来られなくなったそうだ。

けい君を預かるのはもう慣れているつもりであったが

やはり娘婿の顔色を窺ってしまう。義理とは云え甥っ子には違いないが

明らかに不機嫌な時があり気を遣わずにはいられなかった。

めいちゃんの友達が遊びに来ても何も言わないのに

どうしてけい君を嫌がるのか理由は定かではない。


午後はあやちゃんの部屋で過ごしていた。

一緒に遊ぶと云うよりお互いがタブレット三昧である。

けれども誰とも会いたがらないあやちゃんがけい君を受け入れてくれる。

傍に居ることを許してくれるのは微笑ましいことだった。

それは娘もおどろいている。「けい君なら」と皆が思っているのだ。


夕食は鶏のチューリップを5本も平らげる。

それから鰹のお刺身も残さずに食べてくれた。

お風呂は帰宅してから息子と入るのだそうだ。


あやちゃんの部屋に行きたがっていたがさすがに夜はと制止した。

茶の間はネット環境がイマイチでひたすら我慢するしかない。

息子の仕事が終わるまで宥めつつ一緒に待とうと思っている。


夫が「先に寝ろや」と言ってくれているがそうはいかないだろう。

息子の帰りを待つなんて何年ぶりだろう。

深夜まで待っていて怒られたことも今では懐かしい思い出となった。








2024年01月05日(金) めいちゃんの手紙

陽射しをいっぱいに浴びて川面がきらきらと輝いていた。

「佳き日」と云ってしまうと不謹慎でもあるが

そうとしか云いようのないほど穏やかな晴天となる。



午後一時より告別式。めいちゃんは朝から喪服を着ていた。

午前中はちーちゃんに手紙を書いていたようだ。

読ませてもらったがとても丁寧な字で

「大好きなちーちゃん、空からみまもっていてね」

「べんきょうもダンスもがんばるからみまもっていてね」と

思わず目頭が熱くなるような微笑ましい手紙であった。


私がお棺に入れてあげようねと言ったら夫が凄い剣幕で怒る。

そんな余計なことをするなと言うのだった。

それにはさすがの私も反論せずにはいられなかった。

いったい何が余計なことなのだろう。

めいちゃんが心を込めて書いた手紙の何がいけないのだろうか。


恐らく夫は他の人がしないことをするなと言いたかったのかもしれない。

目立つことをとても嫌がる性格は昔から変わっていなかった。

だからと云って子供の心を傷つけるようなことを言うのは許せない。


実は私も昨日の朝書いた詩をプリントアウトしていた。

川漁師だったちーちゃんのことを書いた詩だった。

その詩とめいちゃんの手紙を封筒に入れこっそりと持って行く。

出棺前の最後のお別れの時に夫に見つからないようにお棺に入れた。

それは沢山の生花に埋もれすぐに見えなくなる。

でもちーちゃんはきっと受け止めてくれたのに違いない。


めいちゃんのほっとしたような顔。私もとてもほっとした。

詩も手紙も焼かれてしまうけれど「カタチ」ではないのだと思う。

灰になっても「こころ」は永遠に残り続けることだろう。


霊柩車がクラクションを鳴らして火葬場へと行った。

「めいも行きたかった」と今にも泣きだしそうな顔をする。

小さな手をぎゅっと握りしめたらぎゅっと握り返して来た。


子供心に死を受け止めていることを感じる。

大好きなちーちゃんにもう会えなくなった。

ちーちゃんは何処に行ってしまうのだろうと。


帰り道に見た四万十川のなんと清らかな流れだったことか。

川と共に生き抜いたちーちゃんの人生を想う。

川を見るたびに思い出すことだろう。あの満面の笑顔を。





2024年01月04日(木) 一日一生

ちーちゃんのお通夜を終えて帰って来た。

笑顔の遺影を見ていると本当に死んだのかと思う。

そうしてやはり涙のひとつも出やしない。

私はもう一生泣かないのかしれないと今夜もまた思った。


死が現実だとしたら魂は何処に行くのだろう。

母の時もそう思ったが遠く離れて行くとはどうしても思えない。

そうかと云ってずっと傍に居てくれるとも限らないのだろう。

天から空から見守ってくれていると考えるのが妥当かもしれない。

けれどもそれにも限りがあるだろう。

どんなに見守ってくれていても死ぬ時には死ぬのだ。

大地震が襲って来て家屋の下敷きになるかもしれない。

津波にのみ込まれて海の藻屑になるかもしれない。

そんなことを考えているともうきりがなくて

この世で死ほど身近なものはないような気がする。


12年後、私は80歳になる。ちーちゃんの享年である。

なんとしても生きていたいけれど生かされているのだろうか。

何もかもお終いになってしまいそうで怖ろしくてならない。


一日一生と云う言葉がある。

一日を一生だと思って大切に過ごすことだろう。

けれどもどんなに大切にしていても必ず終りが来る。


そうとなればもうあがくしかない。

どんなにみっともなくてもなりふり構わずである。

そうして「負けるもんか」と声に出して叫びたいと思う。


従兄弟ちーちゃんは川漁師だったが

さらさらと流れる四万十川の清流に身を任せるようにして逝った。





2024年01月03日(水) また会おうな

曇り日。まるで春先のように暖かい。

庭の桜草が三輪咲いた。奇跡のような花だ。


元旦から辛いニュースばかりで昨日は飛行機事故。

被災地に救援物資を運ぼうとしていたのだそうだ。

海保機に乗っていた6人のうち5人が亡くなる。

まだ若い隊員ばかりで家族や恋人もいたことだろう。

なんとも痛ましく残念でならない。


今日は今日で朝から訃報が舞い込む。

先月入院したばかりの従兄弟が亡くなった知らせだった。

大晦日には一時帰宅が許され私も会うことが出来た。

顔色も良く冗談交じりの会話も出来ていて

まさかこんなに早く逝ってしまうとは思ってもいなかった。

「また会おうね」と言うと「おう、また会おうな」と言ってくれたのだ。

元旦にはもう病院へ戻らなくてはいけなかったそうだが

大晦日の夜には家族皆揃い賑やかに過ごせたらしい。

それが最後になるとは誰も思ってはいなかっただろう。


昨夜容態が急変し今朝8時前にあっけなく息を引き取ったらしい。

幸いと言って良いのか自分が癌であることは知らないままだった。

だからきっと治ると信じていたのだろう。

嘆き悲しむこともなく本当に安らかな最期だったと思う。


「ちーちゃんが死んだ」めいちゃんはショックを受けている。

でも元旦に会うことが出来て車から手を振ってくれたのだそうだ。

ずっと心配していただけにどんなにか嬉しかったことだろう。


明日がお通夜。明後日の告別式にはめいちゃんも一緒に行く。

ちーちゃんもきっと喜んでくれるだろう。

「おう、来てくれたかや」と笑顔を見せてくれるに違いない。



私は今日も涙ひとつ流さなかった。

薄情なのか冷酷なのか自分のことがよく分からない。

もしかしたらもう一生泣かない人間になったのかもしれない。


「また会おうな」と言ってくれたのだ。

いつかきっとまた会える日が来るのに違いない。



2024年01月02日(火) 使命のように

明けてふつか。風もなく穏やかな晴天。ずいぶんと暖かくなる。


一夜明け被災地の様子が少しずつ明らかになって来た。

亡くなられ方が昨日よりもかなり多くなっていて心が痛む。

消失家屋が2百とは想像も出来ない程の悲惨な有り様である。

断水、停電、避難所での不自由な生活。

それはとても他人事ではないけれど自分が経験してみないと分からない。

明日は我が身と思っても考えるだけで不安が込み上げて来るのだった。


SNSでは無事に救出された方の発信が多く安堵したけれど

昨夜はデマや詐欺まがいの発信があったそうで耳を疑う。

本当に助けを求めていた人が沢山居たはずなのだ。

悪戯では済まない。とても人間とは思えなかった。

SNSの落とし穴と言ってしまえばそれまでだが

そのような許し難い行為がまかり通ってはいけないと思う。

私も騙された一人だが怒りよりも悲しみの方が大きかった。


被災された方々に少しでも希望の光を届けてあげたい。

「書くこと」でそれが叶うのならと使命のようにも思っている。

嘆きや苦しみに寄り添えるようなそんな言葉を綴りたいものだ。





今年も「しらすうなぎ漁」が解禁となり夕方娘婿が出掛けて行った。

そのおかげでもないけれど娘達と夕食を共にする。

しばらくは母子家庭のような日々が続くことだろう。

今夜は「すき焼き」だったがめいちゃんの食欲におどろく。

葱とえのき茸が好きなのだ。お肉よりも先に葱を食べる。

あやちゃんは静かに黙々と食べていたが真っ先にお肉である。


夕食後はお風呂。今日は娘が新しいパジャマを買って来ていた。

冬用の暖かそうなパジャマでめいちゃんの可愛らしいこと。

心配していたらあやちゃんのパジャマもちゃんと買って来ていた。

もう幾日も同じパジャマを着ていたので気になっていたのだった。

「明日はお洗濯しようかね」と言ったら小さく「うん」と応える。

相変わらず口数は少ないが時々思い出したように笑顔を見せてくれるのだ。

冬休みが終ったらまた葛藤の日々が続くことだろう。

どうか自分を責めないでいて欲しいと願ってやまない。



昨日の大地震をきっかけに南海トラフの不安が襲って来ている。

それは明日にでも在り得ることである。

愛しい家族をなんとしても守りたい。失ってたまるもんかと思う。


神さまはいったい何処にいるのだろう。

この声が聞こえたらどうか返事をして欲しい。










2024年01月01日(月) 祈り

晴天に恵まれ穏やかな元旦となる。

「家族ではない」家族も今日だけは家族らしく過ごした。

息子は仕事で早朝からけい君を連れて来てくれる。

しばらく見ないうちに背が伸びたようだった。

誰とも会いたがらないあやちゃんがけい君と遊んでくれて

部屋からは二人の笑い声が聞こえなんとほっとしたことだろう。

新しい年を迎え少し希望が見えてきたような気がする。



4時20分頃だったか「笑点」を見ていたらいきなり地震速報が。

石川能登地方で大きな地震があったようだった。

そうして大津波警報も発令され避難を呼び掛ける大きな声が聞こえる。

とても他人事ではなくざわざわと心が騒いでいた。

よりによって元旦に大地震とはまるで地獄のように思える。

天を恨んでも仕方がないがどうして恨まずにいられようか。


久しぶりに帰省した家族も居たことだろう。

家族団らんの真っ最中にこのような悲劇があってたまるものかと思う。

まだ被害の様子は一部しか報道されていないが

SNSでのタイムラインには助けを求める声が飛び交っていた。

どうしようも出来ないもどかしさ。これほど心が痛んだことはない。

どうか助けてあげて下さい。ただただ祈ることしか出来ない。


明日は我が身だと思う。これまでも何かある度にそう思って来た。

穏やかに新年を迎えたことを記すつもりであったが

あまりにも不謹慎に思え今夜は自粛することにした。


どうか今日から始まったこの一年にもう悲劇が起こりませんように。

苦しんだり悲しんんだりする人が一人でも救われますように。




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