ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2023年11月30日(木) もう恋なんてしない

霜月も晦日。なんと早いことだろう。

日々が急ぎ足で流れていくばかりである。


曇りのち晴れ。午後からは陽射しがあったが風の冷たい一日だった。

夕方から一段と冷え込み風がひゅるひゅると唸っている。

夕焼けがとても綺麗だった。以前は写真を撮りに土手まで駆け上がっていたが

今はもうとてもそんなことは出来ない。気力も体力も無くなってしまった。

このまま老いて行くのも侘しいものである。


20年ほど前だろうか。たぶん恋をしていたのではないだろうか。

色んな写真を撮ってあの人に見せたいといつも思っていた。

ネット空間で出会った顔も知らない人である。

今のようにSNSなど無い時代だった。

写真にコメントが入るサイトがあったのだ。

一番先にあの人のコメントが入りどんなにか嬉しかったことだろう。


今はもう恋をすることも無くなったがそんな懐かしい時代があった。

「仙ちゃん」はその名の通り仙人のような人だった。

何処からともなく現れいつの間にか去って行くような人である。

今は何処に居るのだろう。もう消息を知る由もなかった。




月末の仕事を無事に終える。資金繰りがなんとかなりほっと安堵。

会社経営はとても大変であるが遣り甲斐がある仕事だと思う。

なんとしても守らなければいけない責任も大きいが苦にはならない。

ただ今はまだゴールが見えず漠然とした不安が立ちはだかっている。

社長である義父も専務もどきの私も同僚もすっかり歳を取ってしまった。

後継者のいない会社ほど心細いものはないように思う。

一人でも欠けたらもうそこでお終いなのだ。


明日から師走。一年で一番忙しい繁忙期を迎える。

よほど段取りよく仕事をしないとパニックに陥ることだろう。

年末には僅かでもボーナスを支給してやりたいと思っている。

義父は要らないと言っているがそんな遠慮はしなくても良いのだ。

実は一番欲しがっているのは私なのだけれど。




夕飯はキャベツたっぷりの塩焼きそば。

お客さんに無農薬の大きなキャベツを頂いて義父と半分こにした。

田舎の山里ならではのことである。有難いことだった。


後は魚のすり身の天ぷら。あやちゃんには揚げるだけの海老フライ。

メインが焼きそばなので今夜はいささか質素であった。

娘とめいちゃんはダンス教室に行っておりまだ食べておらず

あやちゃんも娘達の帰りを待っているようだ。


昼間あやちゃんが二階から下りて来て炬燵に潜り込んだのだそうだ。

「寒くて我慢できない」と言っていたそうで

そろそろ半袖と短パンは止めてくれるのではないだろうか。

風邪を引かないで下さいね。家族みんなが見守っていますよ。

大好きなあやちゃんへ。おばあちゃんより。



2023年11月29日(水) 初めてのプルコギ

今日もたっぷりの陽射し。北風も一休みだろうかぽかぽかと暖かい。

良心市や地場産店に冬野菜が並ぶようになった。

大根、蕪、ほうれん草。もう少ししたら白菜も仲間入りするだろう。

サニーマートで買うよりもずっと安くて助かっている。


毎日欠かせないのは蕪で千枚漬けにして食べるのが美味しい。

スライサーで薄切りにし塩をまぶしてしばらく置くと柔らかくなる。

水洗いをして塩気を抜き軽く絞ってから「千枚漬けの素」をかけて

ざっと混ぜればすぐに食べられるのだった。

こんな美味しい物を家族は誰も食べず私一人でせっせと食べている。


先日は従姉妹が畑の蕪をたくさん持って来てくれたが

どうしたわけか切ると中がすべて茶色くなっていた。

仕方なく捨ててしまったが蕪が憐れでならなかった。

おそらく天候のせいで暑さや水不足が原因ではないだろうか。

捨ててしまったと従姉妹には言えずなんとも複雑な気分になった。

せっかくたくさん持って来てくれたのになんと云うことだろうか。





今日は久しぶりにお昼に少し休んでみた。

義父は相変わらず仕事をしていたが「ちょっと休むよ」と言えたのだ。

10分程本を読んでから車のシートを倒し寝る体制に入ったが

どうしたわけか少しも眠くならないのだった。

おそらく頭は仕事モードだったのだろう。緊張感が残っている。

それでも30分位は目を閉じて居られたようだ。

そんな休養が必要に思う。肩の力を抜かなければいけない。


いつもより少し早めに仕事を終わらせてもらったが

10分も走らないうちに朝と同じような酷い眠気が襲って来た。

道端の自販機で冷たい缶コーヒーを買い飲みながら走る。

やはり異常としか思えない。なんとも戸惑うばかりであった。

お昼休みに少しでも寝ておけばこんなことにはならなかっただろう。


なんとか無事に家の近くまで帰り着きサニーマートで買い物。

3割引きの牛肉を見つけたのでプルコギにすることにした。

実は初めて作るので不安であったが「プルコギのたれ」がある。

何とかの素とか何とかのタレとは主婦の強い味方であった。

私はプルコギよりも無性に塩サバが食べたくてならない。

塩サバと蕪の千枚漬けがあれば大盛のご飯が食べられるのだ。



娘婿が残業なのかまだ帰って来ておらず

娘と孫達が遅い夕食を食べていた。

めいちゃんが今日のマラソン大会の話をしていてあやちゃんが気になった。

ずっと俯いてスマホを操作していて聞こえないふりをしているようだ。

めいちゃんが4年生の男の子を追い抜いたのだそうだ。

「すごいやん、えらかったね」と言わずにはいられない。


あやちゃんは俯いたまま黙々とご飯を食べていた。

プルコギを口に運ぶのが見えたので私は「やったあ」と嬉しかった。





2023年11月28日(火) 早弁の早食い

気温もさほど低くなく陽射しもたっぷりとあったが

強い北風が吹き荒れ随分と寒く感じた。

風に煽られて木の葉が飛ぶ様がなんだか蝶の群れのように見える。

この寒さで蝶はないだろうと。まして蝶が群れるわけもないのだが。


気がつけば辺りはすっかり雀色。芒も枯れてしまったようだ。

高知県東部では遅咲きの秋桜が咲いているらしい。

写真や映像では見たが実際にこの目で見てみたいものだ。





今朝も酷い眠気。もうここに書くのも気が引けるようになった。

いつものことなのだ。いい加減にしようと思う。


お昼休みの無い日がずっと続いている。

以前は車の中で本を読むのが日課だった。

図書館で借りている本は全く読めずまた延長の手続きをする。

休日は休日で寝てばかりいるものだからすっかり読書離れしてしまった。


コロナから立ち直った義父のなんとパワフルなことだろう。

精力的に仕事をしておりお昼休みなど関係ないのだった。

ついつい私も一緒に仕事をしてしまう。

「少し休むよ」の一言がどうしても言えない。

8時半から3時までぶっ続けで働いている。

以前は2時で終わらせてもらっていたがいつの間にか3時になった。

その分の時間給は増えるのでまあ良いだろうと思っている。

ちなみに以前よりも2万円ほど増えた。


ところでお弁当はいつ食べているかだが超早弁で毎日10時である。

たまに来客があったりすると遅れる場合もあるが

それでも11時には食べ終えていることが多い。

事務机の上にお弁当を広げちゃちゃっと掻き込むのだ。

早弁の早食いである。我ながら見事だと思っている。





仕事を終えて帰路に着きサニーマートで買物をする。

お刺身用の鰹が安かったので2パック買った。

若鶏のせせりは焼き鶏用。あやちゃんには2割引きのローストビーフ。

めいちゃんにはもやし。例の激辛もやしナムル用である。

セルフレジで精算をしていたらポイントが700円分もあった。

鰹1パック分が助かる。思わずラッキーと声が出る。

食費は毎日ほぼ3千円はかかる。6人家族なので相応だろう。


それから隣接するホームセンターで丸椅子を買った。

毎朝仏壇の前に座るのが辛くなってしまったからだ。

正座はなんとか出来るが立ち上がることが出来なくなった。

左足の股関節はどんどん悪化しているようだ。

不安はつのるばかりだがなんとしても耐えねばなるまい。



夕食時、あやちゃんがまるで鳩ぽっぽのように笑う。

「くっくっくっ」とそれは楽しそうに笑っていて嬉しかった。

毎日は無理なことは分かっている。もちろん強要も出来ない。


けれども今夜のように心からの笑顔を見せてくれる時もあるのだ。



2023年11月27日(月) クルクルぱあ

日中は霧のような雨が降り続いていた。

残念ながら恵みの雨にはならなかったようだ。

四万十川も水量がかなり減っていると聞く。

農作物にも影響が出ていることだろう。



土日にたっぷりと寝溜めをしたので今朝は大丈夫だと思っていたが

峠道に差し掛かった辺りでまたいつもの睡魔が襲って来る。

暖房を切り窓を開けて走ってみたが眠気は治まらない。

こんな日が毎日続いていたら死んでしまうかもしれないと怖ろしくなる。

やはり精神科へ行った方が良いのだろうか。それも直ぐには決断できない。


ネットで検索したら「隠れ疲労」が原因と記してあるサイトがあった。

目覚めてから4時間後に酷い眠気に襲われるのだそうだ。

鵜呑みには出来ないがいつも8時過ぎのことなのでもしかしたらと思う。

治療法は無くとにかく疲れないようにするしか手段はないらしい。


確かに仕事が忙しくお昼休みも取れなかったり残業も多い。

けれども疲れを感じることは殆ど無かった。だから「隠れ」なのか。

もし「隠れ疲労」だとしたらいったいどうすれば良いのだろう。

相談するような医師も居なくて途方に暮れるばかりである。


眠気が襲って来たら車を停め仮眠する方法もあるけれど

毎日遅刻と云うわけにもいかないだろう。

8時半からの仕事だが9時からに変更してもらうことは可能だ。

明日にでも義父に相談してみようかと思っている。

そうだ「専務時間」と云うのはどうだろう。我ながら良い考えである。





雨で湿度が高かったせいか髪の毛がクルクルぱあになっていた。

白髪頭なのでみっともないったらありゃしない。

サニーマートの中の美容院を覗いたら空いていたので飛び込んだ。

メンバーカードを見たら2ヵ月ぶりでどうりで伸びていたはずである。

カット980円の格安美容院なので美容師さんの入れ替わりが多い。

今日は初めての美容師さんだったがとても愛想が良かった。

カットもとても上手で今までで一番気に入った髪型になる。


すっかり上機嫌になってにこにこしながら美容院を出ていた。

さて今夜のおかずは何にしようか。杖を付きながら店内をうろつく。

鮮魚売り場へ行ったら鰤のアラが特売になっていた。

一パック3百円だったので二パック買い今夜は「鰤大根」に決める。

孫達には揚げるだけのチキンスティックを買った。


帰宅したらあやちゃんが珍しく階下に下りて来ていて

「今夜は何?」と笑顔で訊いてくれて嬉しかった。

「あれよ、あれ、あやちゃんの好きなチキンの長いやつよ」と言ったら

「ああ分かった。あれね」と嬉しそうな顔をしてくれる。


昨日の沈黙がまるで嘘のように思える。

会話が全く無いわけではないのだ。

あやちゃんはあやちゃんなりに家族を気遣ってくれているのだと思う。

ずっと昔からそれはそれは優しい子だった。







2023年11月26日(日) 「沈黙」は哀しみにも似ている

昨日の朝よりも冷え込んでいたようだがさほど苦にはならず。

少しずつ寒さに慣れて来ているのだろう。

日中は小春日和となった。鱗雲は秋の名残である。


今朝も一時過半ほど眠る。なにもする気になれなかった。

心配した夫がドライブにでも行ってみるかと言ってくれたが

助手席で眠ってしまうのが目に見えている。

気が向いたら行くことにして時間が経ってしまった。


ずいぶんと陽が高くなってからやっと洗濯物を干した。

お向かいもお隣ももうとっくに干している。

お向かいの奥さんが声を掛けてくれたがなんだか気まずい。

正直に寝ていたことを伝えると「そんな時もあるよ」と言ってくれる。


流し台には汚れた食器が山積みになっていた。

どうしてもすぐに洗う気にならない。

まあいいかと思い先に買い物に行く。


夫が腰痛のため痛み止めのローションを買いにドラッグへ。

安いのは効かないから駄目だと言っていたので奮発して高いのを買う。

私には黒酢を買った。沖縄産だがその割に安くて助かる。

もう随分と長いこと飲んでいるが血圧にもダイエットにも効かない。

それでも止めてしまったら体調が崩れそうで不安なのだった。


次はサニーマートへ。今夜は娘のリクエストで「すき焼き」にした。

白菜が半額。牛肉は2割引きでなんとラッキーなこと。

食費は2千円で足りそうだったので仕事用の靴を買ってしまった。

今日はポイントが10倍だったので気が大きくなっていたようだ。

明日から新しい靴だ。なんだか浮き浮きとして来る。


帰宅したらもう10時半を過ぎていてドライブは中止になった。

県知事選の投票を済ませてから「ほか弁」を買いに行く。

大好きな「鶏そば」である。余は満足であるぞ。


はっと気づけばいつの間にか流し台が綺麗に片付いていた。

てっきり見かねた娘が洗ってくれたのだろうと思っていたら

なんとびっくり。めいちゃんが洗ってくれたのだそうだ。

思いがけず涙が出そうなくらい嬉しかった。

めいちゃんをぎゅっと抱きしめ「大好き」と声を上げていた。

お駄賃は2百円。少ないのに「やったあ」と喜んでくれる。



午後は録画してあった「ポツンと一軒家」を見ていたが

いつのまにかまた眠ってしまっていたようだ。

目覚めれば3時。もう洗濯物を取り入れなければいけない。


あやちゃんは未だに半袖Tシャツに短パンだった。

生理ショーツはもう何日目だろうかと余計なことを考える。

とにかく一切の干渉をしてはいけないのだ。


夕食の「すき焼き」は大好評だった。

2割引きの牛肉があっという間に無くなるほど。

今夜は珍しくあやちゃんも一緒に食べていたが一言も口を聞かない。

ずっと俯いてスマホを操作しながら食べていた。


笑顔いっぱいで賑やかなのはめいちゃんで周りを明るくしてくれる。

それはそれで楽しいことなのだけれどあやちゃんが心配になる。

妹にお株を取られたとか私の出番はないのだとか

自分はどうでも良いのだと思っているのかもしれない。

そんなことは決してないのだけれど「沈黙」は哀しみにも似ている。


明日は月曜日だがあやちゃんは学校へは行かない。






2023年11月25日(土) 激辛もやしナムル

今朝は予報通りの冷え込みとなったが

日中は気温の割に暖かく感じた。

風がなかったせいだろう。陽が燦々と降り注ぐ。

冬のおひさまは本当に有難いものだ。



朝ドラ再放送の「まんぷく」を見終わってから炬燵で寝てしまった。

目覚めたら8時半になっており急いで洗濯物を干す。

我ながらなんとだらしないことだろうと思うが睡魔には勝てなかった。

体内時計が狂っているとしか思えない。やはり私は異常なのか。


買物に行く前にめいちゃんに訊いたら「しゃぶしゃぶが食べたい」と

お安い御用である。メニューが決まっていると買物も楽だ。

しかし店内を歩くのがかなり辛い。カートを押しても歩けなくなった。

左手でカートを押し右手で杖を付きながらがやっとである。

こんなことがこの先いつまで続くのだろうと思うと不安でならない。

整形外科の医師は手術をしない限り車椅子になると脅かす。

それだけはなんとしても避けたいが早急に手術も出来ないのだ。

それ程までに仕事が大切に思う。私が欠けたら会社は潰れてしまうだろう。

専務になったからには責任を持って会社を守らねばならない。





10時半にカーブスへ。いつまでも鬱々としてはいられないと思う。

何事も気の持ちようだろう。出来ることを頑張れば良いのだ。

もはや楽しみでは無くなってしまったが自分を試すような気持だった。

限界までやってみる。駄目で元々と思うように心掛ける。


他の人の半分も出来ていないのに薄っすらと汗をかいていた。

コーチが「代謝が良くなっている証拠ですよ」と言ってくれた。

疑心暗鬼ではあるがそう信じてみようと思う。

要は何もしないよりもマシだと云うことなのである。



お昼は昨夜の豚汁にうどんを加えふうふうしながら食べた。

買って来ていたお稲荷さんと巻き寿司も食べて満腹になる。

その後はまた炬燵に潜り込みなんと3時間も寝ていた。

夫が私の眠気を心配している。一度専門医に相談してみろと。

掛かりつけの内科では駄目なのだ。精神科へ行くようにと言われた。

しかしどうしてもそんな気にはなれない。これ以上の病気はたくさんだ。



夕飯は予定通りの「しゃぶしゃぶ」家族皆が好きなのだけれど

私はあまり好きではなかった。大根菜を炒めて大盛ご飯を食べる。

めいちゃん特製の「激辛もやしナムル」が今夜も登場した。

すっかり料理好きになって自分で作るのが楽しみなようだ。

唐辛子、ラー油、豆板醤、にんにく、最後にごま油を加えるらしい。

味見をさせてもらったが口から火がでそうなくらい辛かった。

めいちゃんはそれをご飯にのっけて美味しそうに食べるのであった。


「しゃぶしゃぶ」の〆はラーメン。これは娘達の定番である。

わいわいと賑やかな食卓を横目に私は二階の自室にこもる。


短歌を三首捻った。自分ではまあまあだと思うのだがどうだろう。

「いいね」がいっぱい貰えると天にも昇る気持ちである。


お風呂に入りながら漠然と考えていた。

どんなに努力をしても私は詩人にも歌人にもなれないのだと思う。

きっとそう云う星の元に生まれて来たのだろう。



2023年11月24日(金) 黄泉の国から

寒気が南下しているとのこと。北海道は雪だ。

朝のうちは暖かく感じたがお昼頃から冷たい北風が吹き始める。

木枯らしなのだろうか。ローカルニュースでは何も言わなかった。

強風注意報が出ていて明日の朝は真冬並みの冷え込みになるらしい。

それくらいで怖気づいてはいけない。冬はまだまだこれからのこと。



雑魚モードになり鬱々としていたが今朝は心地よく詩が書けた。

我ながら「ああこれいいな。好きだな」と思う。

これからもそんな詩を書けるようになりたい。

お目汚しも程々にと云うことだ。少しは反省をしなければいけない。





義父やっと完治。今日は検査キットで調べてみたら陰性だった。

今のところ後遺症もなくすっかり元気になったように見える。

もう大丈夫だろう。ほっと肩の荷が下りた気分であった。


早速仕事を始めたがあれこれと振り回される。

やはり緊張してしまうのだろう久しぶりに胃の痛みを感じた。

これくらいのことでと思う。まだまだ先の長い相棒なのである。


コロナになったのはやはり母が連れに来ていたのだと云って聞かない。

独りであの世に行くのが寂しくてたまらなかったのだろうと。

「それはあり得ない」と一度は否定した私であったが

今日はもしかしたらそうかもしれないと思ったのだ。

だとすると未だ成仏出来ていない可能性もある。

それはあまりにも不憫なことではないだろうか。


だからと云って誰も一緒には行ってやれない。

それは母自身も納得していることだろう。

けれども自棄を云ってみたくなったのかもしれない。

それが義父に対する最後の「甘え」のような気がするのだ。


生前母は「見捨てられた」とよく口にしていた。

薄情な娘を持ち一度も面会に来ない義父に対して言ったのだと思う。

コロナ禍のこともありどうしても疎遠になってしまっていた。

それは今思えば本当に仕方のないことだったと思う。


しかし母の亡くなる寸前の一週間ほど義父は毎日母に会いに行っている。

それには私も驚いたし母もきっと夢のように思ったことだろう。

母は決して見捨てられてはいなかったのだ。


そうして最期の日。母は義父一人に看取られて死んでいった。

駆け付けている私を待とうともしなかったのだ。

それほどまでに義父との時間を愛おしく思っていたのだろう。


ちょっとコロナにしてみようかな。

悪戯っ子のような母も愉快に思えて来る。

そうして義父を助けた。それは誇らしげな顔をして。


もう寂しくはないだろう。黄泉の国から笑顔が伝わってくる。



2023年11月23日(木) 美味しい顔

昨日よりも暖かくなり汗ばむほどの陽気となる。

寒波が目前にまで迫っているとはとても思えない。

なんだか突き落とされるような不安を感じている。


昨夜から「雑魚」が頭から離れない。

それ程までに劣等感に苛まれるとは思ってもいなかった。

惨めな気持ちが「鬱」に姿を変え私を苦しめている。

一刻も早く抜け出さねばと焦るばかりであった。


雑魚には沢山の種類があり鯛よりも美味しいのだそうだ。

確かにそうである。今夜はうるめ鰯の酢漬けを食べた。

雑魚としての誇りを持たなければいけない。

どれほど蔑まされても挫けてはいけないのだ。





娘夫婦が仕事だったので午前中はめいちゃんと一緒に過ごす。

まずはダイソーに行って雑貨品などを買った。

めいちゃんはシールと髪飾りを買う。

私は杖に付けるストッパーのような物を買った。

何処に立て掛けても倒れないようになっていて便利だ。


それから「郡展」を見に行っていた。

残念ながらめいちゃんは入選していなかったのだが

仲良しのお友達の作品を見たかったようだ。

絵と硬筆とそれはとても上手で目を輝かせて見ていた。

来年はめいちゃんも入選したら嬉しいね。

「がんばろう」と云う気持ちになったようだ。


今度はサニーマート。晩御飯は何にしようかねと。

スイーツコーナーで足を止めためいちゃんが手に取ったお菓子には

二割引きのシールが貼ってあった。でもそれは一個しかない。

「あやの分がない」と困った顔をして見せる。

子供心に少しでも安い物をと思ったのだろう。

「だいじょうぶよ」と言ったらほっとしたように定価の物を手にした。

めいちゃんと一緒に買物をするのはとても楽しい。

荷物も車まで運んでくれてどんなに助かったことだろう。


お昼にはお好み焼きを作った。とりあえず三枚焼く。

あやちゃんはまだ寝ていたので後から焼くことにした。

めいちゃんの「美味しい顔」にはなんと癒される。

お好み焼き屋さんのより美味しいと言ってくれて嬉しい。


午後2時、やっとあやちゃんが起きたようだったが

いつまでたっても二階から下りて来なかった。

すっかり冷めてしまったお好み焼きは夕方までそのままである。

娘に話したらたこ焼きは好きだけれどお好み焼きは嫌いなのだそうだ。

それは初耳の事でいささかショックであった。

娘が何か食べさせたのだろうか。今夜もまだ夕食を食べていない。

あれこれと干渉してはいけないことは分かっているのだが

どうして心配せずにいられることだろう。



今夜は半分のお月様が見えている。

隠された半分の光にはいったいどんな秘密があるのだろうかと思う。










2023年11月22日(水) 雑魚と鯛

二十四節気の「小雪」本格的な冬の始まりであるが

今日は昨日よりも気温が高くなり異常な程の暖かさだった。

これで一気に冬らしくなればどんなにか戸惑うことだろう。

いくつもの冬を乗り越えてきたが耐える自信があまりない。

けれども恐る恐るでも立ち向かって行こうと思っている。



松下育夫さんの「詩の通信教室」から感想が届いた。

先日メール送信した時に返事が無かったので

行方不明になったのではと心配していたがちゃんと届いていたらしい。


しかし今回は手厳しい。なんだかとても惨めな気持ちになった。

やはり私は負け組なのだろう。上から目線の感想が辛くてならない。

「ふゆさん」は自分でも好きだなと思うほど自信があったので

よけいに傷ついてしまったのだと思う。

雑魚にはそれなりに相応しい詩があり鯛には敵わないのだ。

だからと云って馬鹿にされて喜ぶ雑魚がいるだろうか。

口惜しさよりも悲しくてならないがじっと耐えねばなるまい。

どれほど傷ついても死んでしまうわけではないのだから。


「詩の通信教室」はこれからも続けようと思っている。

もしかしたら読んでもらえるだけで幸せなのかもしれないのだ。





義父の熱がやっと平熱になった。5日間もよく耐えたと思う。

これまでずっと元気だった義父がすっかりやつれてしまった。

すぐに元通りとはいかないかもしれないがきっとまた元気になるだろう。

仕事が順調だったのは何よりで私もそれなりに頑張ったのだと思う。

明日は祭日なので今週いっぱいは様子見をしながら

来週から通常通りに仕事が出来るようになるだろう。


仕事を終えてから裁判所へ行っていた。

母の相続放棄の手続きを済ませて来る。

多額の負債がありそうするしか手段がなかったのだ。

弟はしきりに母の実家を惜しがっていたのだが

目先の事よりも今後のことを重視しなければいけない。

私も弟も守らねばならない大切な家族が居るのだ。


なんだか母を切り捨ててしまったような複雑な気持ちであったが

母もきっとそうすることを望んでいるのだと思う。


捨ててしまったものはもう二度と戻らないのだけれど。







2023年11月21日(火) 一喜一憂

連日の小春日和。猫は日向ぼっこをし蝶々が飛ぶ。

まるで天国のようだと思うのだが母からは便りがない。


今朝は出勤前にぽらぱらと高知新聞をめくっていたら

先日投稿していた「母の冥銭」が掲載されていた。

いつも夫が先に読むのだが見落としてしまったのだろう。

読まれたら照れくさいのでバレないうちにと切り抜いてしまった。


題名は「お母ちゃんへの一万円」と変えられていたが

それではまるで子供の作文ではないかと可笑しかった。

本文はそのままではあったが難しい漢字はひらがなになっており

おそらく小学生でも読めるようにと配慮されたのだと思う。

「三途の川」が「さんずの川」に「忽然と消えた」が「こつぜん」に

少し違和感を感じたがそれよりも掲載されたことが嬉しかった。

小学生が読んでくれたらもっと嬉しいのだが一握りであろう。


いつも新聞をチェックしてくれている親友からメール。

久しぶりだったので折り返し電話をしてみた。

どんなに離れていてもまるで昨日も会ったように話す。


中学の時の恩師からも電話があった。読みながら泣いたそうだ。

その言葉を聞いて私も涙ぐんでしまった。

母の死にも涙一つ流さなかったのに不思議なものである。

恩師は母よりも高齢であり「先生、長生きしてね」と伝える。

職場のすぐ近くに住んでいるので近いうちに会いに行こうと思う。


帰宅してSNSをチェックしていたら母がお世話になっていた

病院の介護士さんがなんと新聞記事をそのまま発信してくれていた。

病院の皆さんも読んでくれたらいいなと思っていただけに

感動で胸がいっぱいになった。なんと有難いことだろうか。

私は自分の新聞記事など発信出来なかったと思う。

小心者ではないかもしれないがなんとなくおこがましいのだ。

得意顔も出来ない。自慢するようなことではないのだと思う。


自分の「作品」と云って良いのかそれもおこがましいが

一喜一憂することがとても多い。

落選は日常茶飯事のことである。もうそれにも慣れてしまった。

そのくせプライドが高いので酷く傷つけられたように思う。


諦めたらそれでお終いと自分を励まし続けているが

どちらかと云うと「負け組」なのではないだろうか。


書きたい気持ちは常にある。それだけが救いなのかもしれない。

最期の日がいつなのか分りもしないがその直前まで書きたいと思う。





コロナ発症から4日目の義父。今日も微熱が続いていた。

少し弱気になっており母が連れに来ているとまで言う。

そんなことは絶対に在り得ない。母はきっと見守ってくれているはずだ。

明日はどうか熱が下がっていますように。そればかりを祈っている。



2023年11月20日(月) 命の蝋燭

今日も20℃近くまで気温が上がり小春日和となる。

この暖かさも後数日で週末には厳しい寒波がやって来るらしい。

少しずつ身体を慣らせていかなければいけない。

血圧は落ち着いて来ているがやはり不安が付きまとう。

夫曰く。ぽっくり死ねば良いが半身麻痺は困るのだそうだ。

私はどちらも嫌だ。あと20年くらいはなんとしても元気でいたい。

しかしこればかりは自分で決めることが出来ないのだ。

命の蝋燭があとどのくらい残っているのか知ることも出来ない。





義父、昨夜再発熱。38℃を超えていたようだ。

解熱剤を服用しても熱は下がり切らない。

今朝は布団でぐったりしていて可哀想でならなかった。

コンビニでおにぎりを買って来ていたので一個だけ食べる。

食欲があるわけもない。無理やり詰め込むようにしていた。

感染から3日目なのでそろそろ峠を越すだろう。

体力はあるのだ。後は気力で乗り越えて欲しいと願って止まない。



月曜日のせいか仕事がとても忙しくパニック状態となる。

コロナは理由にはならないのだ。お客さんは待ったなしである。

同僚が協力してくれてなんとか今日のノルマを遣り遂げた。

明日も忙しくなるだろう。まるで仕事と闘っているようだ。

なんだか自分が試されているような気がする。

出来るのか出来ないのかと矢を放たれたかのように。

身を交すことは無理だろう。こうなったら受け止めるしかないと思う。



ぐったりと疲れて帰宅。今日は娘が休みだったようだ。

以前から物置状態になっていた和室を片付けてくれていた。

それからあやちゃんと久しぶりに買物に行っていたらしい。

あやちゃんはよほど嬉しかったのかおじいちゃんに報告してくれたそうだ。

良き気分転換になったのだろう。夕食時も笑顔を見せてくれていた。


一時的なことかもしれないが希望が見えたような気がする。

あやちゃんの閉じ籠っている殻は簡単には砕けない。

周りの大人が無理に砕こうとしてはいけないのだ。

それはあやちゃん自身がこつこつと砕いて行くものだと思う。

まるで卵からひよこが生まれるように。







2023年11月19日(日) コロナの嵐

朝は冷え込んだが日中は陽射しが降り注ぎ小春日和となった。

こんな日がずっと続けばどんなにか良いだろうか。

冬はどうしようもなく深まることだろう。

それも春に向かうための約束のようなものだ。



早朝から近くのローソンへ。予め電話をしたら体温計の在庫があるとのこと。

ドラッグは9時にならないと開店しないのでとても助かった。

おかげで8時過ぎにはもう山里へ着くことが出来る。


義父は空腹になったらしくインスタントラーメンを食べていた。

聞けば昨日の朝から何も食べていなかったそうだ。

早速熱を測ってみたら36℃8分、ほぼ平熱に近い。

咳と声枯れのみで頭痛など他の症状は無いようだった。


ただの風邪なのかもしれないが念のために病院へ連れて行く。

休日の当直医は四万十市立市民病院で私の住む町にある。

義父を車に待機させ受付へ行ったらひと悶着あった。

「発熱外来」はすべて予約制でいきなり来ても診てもらえないらしい。

もうすでに午前中の予約はいっぱいになっていると言われた。

困り果てていたら担当の看護師さんが親身になってくれて

遠方からなので特別に割り込ませてくれることになった。

本来なら出直さなければいけないところをなんと有難いことだろう。


義父は院内には入れず私も一緒に駐車場で待機していた。

医師が出向いて来てくれてPCR検査をする。

30分程で結果が出た。やはり心配していた通りコロナ陽性であった。

義父はしきりにコロナワクチンを何度も打ったのにと納得しない。

そのワクチンのおかげで軽症で済んだのだと言い聞かした。

もう熱は下がっているので急変することはないと思うが

高齢なのでくれぐれも用心するよう医師から注意を受ける。


おそらく度重なる高知市内への出張。大切な会議があったのだ。

その時に感染したと思われるがそれも定かではなかった。

明日も会議があるので帰宅しながら電話を掛けまくっていた。

そうしたら先日から同じ会議に出席していた人も義父と同じ症状らしい。

その人はただの風邪だと思い病院には行っていないと言う。

「絶対にコロナだ!すぐに検査してもらえ」義父の口調も荒くなる。


もっと心配なのは母の49日の法要での事である。

義父がすでに感染していたのなら親族皆が濃厚接触者になるのだ。

数名だが電話で確かめたら今のところ異変はないようだった。

それで安心して良いものか。数日は様子を見なければいけない。


一番接触しているのはこの私であるが

二度もコロナに罹ってたまるもんかと気を強く保っている。

しかし気のせいかもしれないがなんとなく喉に違和感を感じている。

まさかまさかと思いつつ焼酎で消毒をしているが如何なものだろう。


明日から23日の祝日までが勝負だと思っている。

義父不在の職場をなんとしても順調に守らなければいけない。


もうコロナは御免だ。どれほどの嵐でも立ち向かって行こうと思う。







2023年11月18日(土) 冬の足音

冬型の気圧配置が強まり今季の寒さを更新する。

強い北風。午前中は時雨れて霰のようなものが降る。

高知県の山間部では初積雪もあったようだ。

暖冬だと聞いていたけれどやはり冬なのに違いない。

11月の中旬に雪が降ったことがかつてあっただろうか。



朝のうち例の眠気に襲われ炬燵で一時間半ほど寝ていた。

カーブスに行く予定だったが先に買物を済ませて置く。

なんとなく気が向かない。寒さのせいか足の痛みも酷かった。

無理に行ってもまた落ち込むばかりだと思い「休む」連絡をする。

もしかしたらこのまま止めてしまうのかもしれない。

自分でもよく分からないのだ。続けたいのかどうか。



お昼には温かいおそばを食べた。身体の芯から温まる。

とろろ昆布と天かすをたっぷりと入れて美味しい。


おでんの材料を買って来ていたので玉子を茹で大根を茹でる。

大きな土鍋でことことと煮込んだ。家中におでんの匂いが漂う。

煮込みながらまた炬燵に潜り込み2時間ほど寝ただろうか。

ガスの火は夫が消してくれておりすでにおでんは出来上がっていた。


娘の帰宅が遅かったので夕飯はおでんのみ。

めいちゃんは食べてくれたがあやちゃんは箸も付けない。

娘が大急ぎでチャーハンを作ってくれた。


なんと怠惰な一日だったことだろう。

ごろごろと寝てばかりで家事らしきことは殆どしていなかった。





日が暮れて義父から電話がありどうやら熱が出ているらしい。

体温計が何処にも見当たらないと言って困っていた。

母の49日が終わるまではと気が張っていたのだろう。

昨日の上機嫌が嘘のように弱り果てている様子であった。

もしかしたらコロナかもしれない。インフルエンザの可能性も大きい。

とりあえず風邪薬で様子を見ることにしたが

心配なので明朝すぐに駆け付けてみようと思っている。


人一倍タフな義父である。熱にうなされることなどあってはならない。

たとえ80歳だとしてもだ。義父ほど元気な人は居ないのだと思う。


母と別居してからずっと独り暮らしだったが

これまで母の心配はしても義父の心配などしたことがなかった。


もし心配している人が居るのならそれは母以外に考えられない。

黄泉の国から義父の姿が見えているのならどうか守ってやって欲しい。



2023年11月17日(金) 山茶花の季節

西の空にナイフのような三日月が浮かんでいる。

いったい何を切ろうとしているのだろうか。



母の49日の法要。

身内だけのささやかな法要であったが

和やかな雰囲気となり母もきっと喜んでくれたと思う。


とうとう逝ってしまうのか。何かが千切れてしまうような感覚があった。

縁が切れるわけはない。ではいったい何が切れてしまうのか。

「存在」について考える。それはこの世に生きて在ってのことだろうか。

私はそうではないと思う。魂は永遠に存在するのではないだろうか。


三途の川を渡り切った母が花の道を歩いている。

もう山茶花の季節。その一輪を手折り母の髪に挿してやりたい。


これはきっとひとつの「区切り」だと思う。

区切ってやらなけれ母は黄泉の国に辿り着けないのだ。





けい君とめいちゃん。伯母の孫のけんた君。

子供達も小さな手を合わせ無事に法要を終える。

それから皆で「一風」へ行き昼食会となった。

上機嫌の義父。子供達が来てくれたのがよほど嬉しかったらしい。

けい君もめいちゃんも血の繋がりこそないが義父のひ孫に違いない。


私はふっと義父の葬儀を思い浮かべていた。

それは縁起でもないことだけれど必ず訪れることである。

義父が寂しくないように賑やかに送ってやらねばと思った。

たとえ義理の仲ではあっても私は義父のたった一人の娘である。

人生において二人の父に恵まれたのだ。

母の死には涙ひとつこぼさなかったが義父が死んだらきっと泣くだろう。

それほどまでに義父は尊い存在であった。





「一風」でテイクアウトのステーキを二枚焼いてもらった。

あやちゃんと娘婿の夕食用である。

あやちゃんが「めっちゃ美味しい」と言って食べてくれる。

その笑顔のなんと嬉しかったことだろう。


お葬式にも今日の法要にも出席することは出来なかったが

あやちゃんも母の大切なひ孫に違いなかった。


母はきっと見守ってくれることだろう。

ひ孫たちの成長を楽しみにしてくれることだろう。



2023年11月16日(木) 赦すこと

朝のうちは晴れていたがお昼頃からぽつぽつと雨が降り始める。

気温は上がらず肌寒い一日となった。

今夜は強く降る予報だけれど今は止んでいてとても静かだ。

ずっと空気が乾燥していたのでまとまった雨が必要なのかもしれない。



明日が母の49日の法要なので義父の姉に当たる伯母が来てくれた。

仏前にお供えするお団子を作って来てくれてとても助かる。

本来なら娘である私が準備しなければいけないことだった。


義父には姉と妹が二人いて三人とも心安く付き合ってくれている。

特に伯母は穏やかな性格で一番好きだった。

相談相手にもなってくれてとても頼りがいのある人だ。



昔々、母が義父の元に転がり込んで来た時には

どれほどの迷惑を掛けたことだろう。

狭い山村のことである。人々の噂の標的にもなっていたと思う。

それを耐えてくれて母を赦し受け入れてくれたのだ。


母の性格では恩を感じたことはなかったのではないだろうか。

母の悪口は言いたくないが本当に身勝手な人だった。

そうでなければどうして子供を捨ててまでして男に走るだろうか。


書きながら今気づいたが、私は未だに母を赦していないのだと思う。

いったいいつになったら心から赦せる日が来るのだろう。

もう母はこの世にいない。その現実さえも受け止められずにいる。


母は亡くなってからやっと私の本心を知ったのかもしれない。

このままでは成仏出来ないのではないか。私はわたしを責めている。

赦すなら明日だろう。心から母を赦してやりたいものだ。





今日は今年の「高知県文芸賞」の入選者の発表があった。

どきどきしながら見たが何処にも私の名前がなかった。

きっと当然のことなのだろう。ずいぶんと己惚れていたらしい。


祖母の命日に書いた詩だったので残念でならないが

賞よりも何よりも活字になることが出来ないのがとても辛く思える。

私の詩はそんなものなのだ。儚く消えてしまう運命なのだろう。

だからと云って諦めてしまったら何もかもお終いなのである。





今日はほぼ残業無しで早めに帰宅した。

夕飯はチンするだけのグラタン。鯵のお刺身。

炒めるだけの牛肉のタレ漬け。群馬産ほうれん草の胡麻和え。

あとはハムもどきの焼豚。すべて簡単な手抜き料理である。


娘達はめいちゃんのダンス教室のある日なのでまだ帰宅していないが

あやちゃんは一緒に食べるつもりなのだろう一切顔を見せない。

今夜は鉛筆削りの音も聞こえず静まり返っている。


一昨日の夜にちらっとあやちゃんの顔を見たきりだ。

あやちゃんに会いたい。



2023年11月15日(水) 裸木

冬型の気圧配置が少し緩んだようだ。

日中は20℃近くまで気温が上がりぽかぽかと暖かだった。

今日も季節を忘れたかのように蝶々が飛んでいるのを見た。


職場の近くには二本の銀杏の木があり心を和ませてくれていたが

そのうちの一本はもうすっかり葉を落とし裸木になっている。

枝を空に伸ばしているのがなんだか骨のように見えてせつない。

これから本格的な冬になるがどんなにか冷たいことだろう。

耐えながら春を待つ。そうして若葉の季節がやって来るのだ。





父の命日。もう20年もの歳月が流れた。

あの夜、父の遺体に寄り添って眠ったことを忘れられない。

離れ離れになってから何年経っていたのだろう。

私は本当に親不孝な娘だったと思う。


父が亡くなってから不思議なことがたくさんあった。

その度に父の気配を感じ魂の存在を感じずにいられなかった。

私はそうしてずっと父に守られて来たのだと思う。

父が近くなった。それは生前よりもずっと近くに。


私もやがて黄泉の国に旅立つ時が来るが

母には悪いけれど真っ先に父に会いたいと思っている。


もしかしたら既に生まれ変わっているかもしれない。

だとしたらきっと身近な存在になっていることだろう。

魂は何度でも巡り合うことが出来るのだそうだ。





昨日の朝「ふゆさん」で始まる冬の詩を書いた。

自分でも好きだなと思う。もうこれ以上の詩は書けないとさえ思った。


松下育夫さんの「詩の通信教室」に送信する。

いつもなら直ぐに「受け取りました」と返信が来るのだけれど

それが来ないのだ。こんなことは初めてである。


おそらくたくさんの詩が送られて来ていて返信が漏れたのだろう。

そうは思っても届いていない可能性も無きにしも非ずだった。

2週間程すれば感想が送られて来るのだが来なかったらどうしよう。

私の詩が行方不明になってしまうのだ。それはなんとも悲しい。


「届いていますか?」とメールすれば解決するかもしれないが

そんな厚かましいことなどどうして出来ようか。

私など足元にも及ばない有名な詩人なのである。





今日も一時間ほど残業。どうやらもう定時を切り替えた方が良さそうだ。

専務なのだもの。いつまでもパートの事務員ではいられない。

その専務が今日もうっかりミスをしてしまった。

最近ミスが多く歳のせいだろうと自分を宥めている。

挽回に挽回を重ねているが追いつけないのが現実である。

もうすでに12月の予約が入り始めている。

なんとしても順調に年内の仕事を終わらせなければいけない。




夕飯は揚げるだけのエビフライ。豚肉の生姜焼き。

鰤の仲間のような魚のお刺身。後はブロッコリーを茹でた。


昨日の夜からあやちゃんの姿を見ていない。

今夜も夕食を食べたのかどうかも分からない。

勉強をしているのだろうか子供部屋から鉛筆削りの音が聞こえている。



2023年11月14日(火) 茹で卵

日毎に朝の寒さが更新されているようだ。

もう秋の服は着られず今朝は冬の服を着た。


日中は冬型の気圧配置が緩んだのか小春日和になった。

蝶々がひらりひらりと飛んでいる。まさに春のようである。

職場の看板猫みい太が心地よさそうに日向ぼっこをしていた。


義父が高知市内へ出張。一気に緊張感が薄れる。

気のせいか同僚もゆったりと仕事をしているように見えた。

やはり義父は社長なのだ。その権威は当然の事なのだろう。



お昼に母の親友がお線香を上げに来てくれた。

お葬式には息子さん夫婦が焼香に来てくれていたが

おばちゃんは体調があまり良くなかったのだそうだ。

49日までに母に会いたいとずっと気になっていたらしい。

「お母ちゃん、まさ子おばちゃんが来てくれたよ」

母もきっと嬉しかったことだろう。もう思い残すこともないと思う。

二人で色んな所に遊びに行ったのだそうだ。

母の運転で高速道路も走り抜けたらしい。

「思い出がいっぱい」おばちゃんは目に涙を浮かべていた。





午後は定期の内科通院。病院は空いていてすぐに名前を呼ばれた。

若い医師とはずっと前から相性が悪くぶつかり合うことが多かったが

今日は私がよほど素直だったのだろう。医師も笑顔を見せてくれた。


血圧の薬を調整してくれて一錠だったのが二錠になった。

ゆっくりと血圧を下げていくのだそうだ。

次の通院日にはもう新年を迎えている。なんと早いことだろう。

寒い冬を乗り越えていかねばならない。どうか血圧が下がりますように。


朝の酷い眠気の相談もしてみたがやはり原因が分からないらしい。

単なる寝不足かもしれないと言われたが納得がいかなかった。

早寝早起きを心掛けているが睡眠の質が悪いのかもしれない。

とにかく用心しながら様子を見るしかないようだ。

居眠り運転だけはなんとしても避けなければいけない。





夕飯は豚ニラキムチ、めいちゃんの好物である。

後はカマスの塩焼き、ぶり子の煮つけ。水炊きの残りにうどんを入れた。

何をうっかりしていたのだろう。あやちゃんの好きな物がない。

娘に相談したら「大丈夫!」と言って茹で卵を作ってくれた。

あやちゃんは茹で卵にマヨネーズを付けて食べるのが好きだった。



夕食後また日課の短歌を唸る。今夜は三句、我ながらまずまずだろう。

夜明け前の詩もそうだが何も考えずに書いている。

言葉が勝手に自由気ままに浮かんでくるのだった。


私はもしかしたら天才なのかもしれませんね。ふふふ。



2023年11月13日(月) 寒い日には水炊き

明け方から冷たい雨。真冬なら雪になっていたことだろう。

全国的に今季一番の冷え込みだったようだ。

日中も気温が上がらず一日中暖房のお世話になっていた。


今朝は血圧がびっくりするほど高い。

おろおろしていたら夫が「気にしたらいかんぞ」と声を掛けてくれた。

寒いからだと言う。そうかそんなもんかと気が楽になった。

夫も高血圧の治療をしているが家では一切血圧を測らない。

だから当たり前のように全く気にならないのだそうだ。

私はそうはいかない。毎朝毎晩測らなければ気が済まないのだ。

神経質な性格は父に似たのだろうと思う。

ストレス性の胃炎も父と同じであった。

ちなみに父方の祖父は胃がんで亡くなっている。

父の死因は明らかではないがおそらく食道がんではなかっただろうか。

病院へ連れて行ってやれなかった事が未だに悔やまれてならない。

明後日が命日。もう20年もの歳月が流れた。





今日も2時間の残業。もう慣れてしまって苦にはならないが

必死の思いで義父のペースに合わせている。

来客があれば長時間話し込む。電話も一時間は日常茶飯事だった。

義父の手が空いてからやっと一緒に仕事が出来るのだった。

車検が二台。一台は不適合で再修理が必要となる。

同僚は大型車と格闘しており全く余裕が無い有り様であった。

何事も順調にとはいかない。また胃がきりきりと痛みだす。


ふっと母は見ているだろうかと思った。

きっとはらはらしていることだろう。心配をかけて済まない。





寒い日だったので夕飯は水炊きにした。

いつもより遅い時間だったので半額になっているだろうと期待する。

鮮魚売り場へ行ってがっくり。鍋物用の魚はすべて定価だった。

仕方なく鯛を買う。6百円だったのでそう高くはない。

調理済みなのが有難い。鍋に放り込めば良いのだ。

後は牡蠣と魚のすり身を買った。鶏肉は家の冷凍庫にある。


水炊きはポン酢で食べるのが習いだが、我が家は大根おろしを入れる。

先日搾ったばかりの柚子と頂き物の直七を搾った。

お醤油を加え刻み葱と唐辛子でそれは美味しいタレが出来る。


ぐつぐつと煮えたところでさあ食べようとなったが

私は無性にご飯が食べたくてたまらなかった。

水炊きには殆ど箸を付けず大盛ご飯に蕪の千枚漬け。

沢庵もポリポリ食べてお腹がいっぱいになってしまった。


夕食後は日課の短歌を唸る。

大した短歌でもないのに「いいね」のなんと有難いことだろう。

お目汚しばかりで本当に申し訳なく思っている。


階下へ降りたらあやちゃんが笑顔で水炊きを食べてくれていた。

一日の疲れが一気に癒されていく。


あやちゃんありがとうね。もうそれ以外に言葉の見つからない夜だ。



2023年11月12日(日) 山茶花咲いた

今日も冬型の気圧配置。南国高知も冷たい北風が吹いていた。

日中は陽射しがあり過ごし易く感じたが

夕方からまた一気に寒くなってしまった。

お風呂で温まりちゃんちゃんこを羽織ってこれを記している。



お隣の山茶花が可愛らしく咲き始めている。

まだ一輪二輪だがたくさんの蕾が見えておりこれからが楽しみだ。

我が家には土の庭が無いので木を植えることは出来ないが

ご近所さんの庭で季節を感じることが多い。

南天や千両、おたふくの紅い葉も心を和ませてくれる。





お昼は「一風」へラーメンセットを食べに行っていた。

宿毛市の郊外だが車で20分もあれば着く。

小学校の同級生の「なっちゃん」が働いている。

いつも笑顔で迎えてくれるのでそれも嬉しくてならない。


母の葬儀後の会食をお世話になったが49日の法事も頼むことになった。

義父とは打ち合わせ済みで予約を私に任せてくれたのだ。

最初は皿鉢料理を配達してもらって自宅ですると言っていたが

準備や後片付けが大変なので出向くことになった。

私の足が痛く座敷に座れないのでそれも考慮してくれたようだ。


今のところ順調に法事の準備が進んでいる。

母もきっと安心していることだろう。

なんとしても無事に三途の川を渡らせてやらねばならない。





夕食は「天下茶屋」以前にも説明したが牛肉多めの野菜炒めである。

杖を付きながら片手でホットプレートを出していたら

手を滑らせ落としてしまった。大きな音がして本体がバラバラになる。

すぐに夫が駆け付けて来てくれたがぶつぶつ文句を言うので腹が立つ。

「私にさせるからだ」と言うと「俺は頼まれていないぞ」と言う。

頼んだら何でも手を貸してくれのだろうか。次から試してみよう。


今夜は珍しくあやちゃんが娘達と一緒に食べてくれていた。

ついつい顔色を窺ってしまうのだがにこにこしていてほっとする。

その日の気分次第なのだろう。いつもそうだとは限らない。

まあるく納めるのは難しくはらはらすることが多いけれど

あやちゃんは彼女なりに葛藤しながら過ごしているのだと思う。


笑顔の日がずっと続きますように。祈るばかりの日々であった。



2023年11月11日(土) こころの鍵

西高東低の冬型の気圧配置。高知県はさほどの冷え込みはなかったが

北海道の平野部では初雪が降ったようだ。

どうしようもなく冬が始まる。後はもう春を待つしかない。



今朝から血圧がいつもよりも高く今もまだ落ち着いていない。

特に自覚症状はないのでどうと云うことはないのだけれど

突然に倒れたりするのではないかと不安でならない。


死が頭を過るのだけは勘弁して欲しい。まだ死ぬわけにはいかない。

生きて全うしなければいけないことがたくさんあるのだ。




午前中はカーブスに行っていたがまたメンタルをやられる。

もうこそ止めようかと思いつつ肩を落として帰宅した。

下半身が駄目でも上半身だけでもと思うのだ。

何もしないでいるとどんどん体力が無くなってしまうだろう。

弱気になってはいけないと自分を励まそうとしても

こころに頑丈な鍵が掛かっているように感じる。

その鍵を開けられるのは自分しかいないのだと思う。



午後はひたすら寝ていた。目覚めたらもう3時になっていて

のろのろと庭に出て洗濯物を取り入れる。

あやちゃんはまだ半袖短パンのようだ。

いつになったら暖かく着込んでくれるのだろう。

一切口出しをしてはいけないのがもどかしくてならない。



夕飯はカレーライス。甘口と辛口とふたつの鍋で煮込んだ。

娘が手伝ってくれたのでずいぶんと助かる。

あやちゃんは一緒に食べてはくれなかった。

娘が何も言わないので私も何も言えない。



夕食後は短歌をふたつ。これももう日課になった。

今月は同人誌の締め切りがあるので久しぶりに送ってみようと思っている。

少しでも活字にして残しておきたい。まるで遺書のようだ。



北風だろうか窓の外でひゅひゅると唸っている。

北海道はどんなにか寒いことだろうと友に想いを馳せている夜だ。



2023年11月10日(金) 北からの風

ぽつぽつと小雨降る一日。夕方には止み北風が吹き始めた。

明日の朝は冷え込むかもしれない。


夏の花だとばかり思っていた朝顔がまだ咲いているのを見た。

詳しくは朝顔によく似た花と言ったほうが良いだろう。

青い大輪で蔓を伸ばしなんとも逞しく見える。

朝顔はその名の通り朝に咲き昼間はしぼんでしまうのだが

その花は昼間も誇らしげに咲いているのだった。

夏の忘れ物かもしれない。きっと寒さに強いのだろう。





昨日のミスはすっかり許され気分よく仕事を始める。

義父の機嫌も良かったのでほっと嬉しかった。


しかしどうしたことだろうまた今日も胃痛に悩まされる。

同僚に話したら「絶対にストレスだ」と言って聞かない。

やはり義父の顔色ばかり気にしているせいだろうか。

私はそれほど精神的に弱い人間だったのかと思う。


ストレス以外に考えられるのは季節の変わり目だからかもしれない。

夏から秋への暴飲暴食も祟っているのだろう。

しばらくは胃薬に頼りながら様子を見るしかないように思う。

家に帰れば胃痛が治まる。それが何を意味しているかだ。


ずっと残業続きの一週間だった。週末はとにかくゆっくりと休もう。






今日は珍しくお昼休みがあったのでこの日記の一部を手直して

高知新聞の「あけぼの」に投稿した。

10月23日に書いた「母の冥銭」である。

原稿用紙2枚以内に納めなければいけないのでかなり削ったが

それなにりまとまったものとなり自分では満足している。

採用されたら新聞に掲載されるので母もきっと喜んでくれるだろう。

出来れば一週間後の49日の法要に間に合えばと思っている。

今回だけはかなり自惚れが強いがもし駄目だったら奈落の底だ。

どうかどうかと手を合わせつつポストに投函した。


書くことは生きること。そう言った作家は誰だったか忘れたけれど

私も同じ気持ちでいる。なんとも大それたことではあるが

もし書けなくなってしまったら死んだも同然だと思う。


何処に向かっているのか分からない。

生きている以上は死に向かうしかないのかもしれない。

生きた証をどれだけ残すことが出来るのだろうか。









2023年11月09日(木) 新専務おばば

天気予報が外れてしまって曇り日。

肌寒くはなかったがやはり陽射しが欲しくなる。

明日は雨の予報で強く降る時間帯がありそうだ。

来週から一気に気温が下がり初冬らしくなるとのこと。

北海道は雪と聞く。なんと短い秋だったことか。


今朝のニュースで春になっても桜が咲かない地域があるらしい。

暖冬の影響だと言っていたがなんだか信じられなかった。

冬になってみないと分らないし春になってみないと分らない。


夕方のローカルニュースでは県内の紅葉の情報が流れていた。

すでに見頃になっている場所もあり気になって仕方ない。

夫が「ろくに歩けもしないのに」と意地悪なことを言う。

私は車窓からで十分に思っているのだけれど駄目なのだろうか。

諦めたくはないがなんだか楽しみが薄れていくような気がする。





仕事でうっかりミス。義父に散々叱られてしまった。

今に始まったことではないがネチネチとくどいのだ。

ひたすら謝って勘弁してもらったがなんとも後味が悪い。

どうしてあんなミスをしてしまったのだろうと

自分を責めてみたりして後悔ばかりしている。


全てが順調とはいかないものである。人間だもの失敗もするのだ。

けれども教訓にしなければまた同じ過ちを犯すだろう。

もうすぐ67歳になろうとしているがまだ成長しなければいけない。


母が亡くなってしまったので私が専務取締役に就任することになった。

ちっぽけな会社ではあるが専務不在では成り立たないのだそうだ。

カタチだけだけれど喜んで引き受けてしまった。

「専務」なんと心地よい響きであろうか。えっへんと声を出したくなる。

仕事内容はこれまでと全く変わらないが責任が少し重くなった。


ストレスなのかもしれないが最近胃痛に悩まされている。

家に帰れば治まるなんとも分かりやすい症状である。


通勤時の酷い眠気。左足の痛み。そのうえに胃痛と三重苦なのだ。

泣きたいような気持になるけれど負けるもんかと思っている。



昼間、銀杏の葉がはらはらと散っているのを見た。

もうそんな頃なのか。銀杏はやがて裸木になるだろう。

自然の命は逆らうことをしない。いつだって受け止めながら生きている。



2023年11月08日(水) 小春日和

立冬。暦の上では今日から冬が始まる。

今年は暖冬だと云われているがどうなのだろう。

雪の降る日もあるのではないだろうか。


「寒さなければ花は咲かず」の花とは桜のことを指す。

厳しい寒さを乗り越えてこそ桜の花は咲くのだ。

人生も同じだと思う。どんなに辛くても乗り越えなければいけない。

そうしてやがて「人生の春」を迎えることが出来る。


日中は小春日和。やっとそう云えるようになった。

「小春日和」は冬の季語なのだ。

早く使いたくてうずうずしていたほど好きな日本語である。





母の49日の法要が近づき義父とあれこれと段取りをしている。

納骨はしないのだそうだ。その前に義父の家には納骨堂が無かった。

昔は土葬だったので先祖代々のお墓はあるのだけれど

5年前に亡くなった義祖母の遺骨は穴を掘って埋めたらしい。

母の遺骨は一周忌まで置きまた穴を掘って埋めるのだろう。

なんだか憐れにも思えるが仕方ないことだと思う。

立派な納骨堂を建てるほどの経済的な余裕はないのだ。


母の実家にはちゃんとした納骨堂があるが

今更どうして義父に言えよう。もう何も言ってはならない。

母もきっと許してくれるだろうと祈るような気持でいる。


49日が過ぎれば複雑な気分も少しは落ち着くだろう。

心に何かが絡んでいるような日々がずっと続いていた。

母が無事に天国に辿り着くまではと気が張っているのかもしれない。

まともにお線香もあげずなんと親不孝な娘なのだろうか。



母が植えていた百日紅の花がまだわずかに残っている。

本当に百日咲く花だったのだ。仏間に居る母に見せてやりたいと思う。





2023年11月07日(火) まだ死にたくはない

雨上がりの爽やかな朝。

寒さを覚悟していたけれど思いがけずに暖かくなる。

日中は20℃ほど。さすがにもう夏日はないだろうと思う。

午後から風が少し冷たくなった。かすかに冬の気配を感じる。


関東などでは大荒れの天気だったようでまるで嵐のありさま。

強風の被害も少なからずあったようだ。

全国的に穏やかな晴天とはなかなか叶わないものである。




もう7時半。最近この日記を書き始めるのが遅くなっている。

夕食後、食器洗いもせずに短歌を唸ったりしているものだから

入浴の時間がずれてしまってめいちゃんが先に入るようになった。

今夜も私が先に入ろうとしていたら怒られてしまう。

さほど長風呂ではないので待ち時間は苦にならないけれど

ついつい煙草に火を点けてしまったりしていけない。


家での禁煙は9ヶ月続けることが出来ていたのだけれど

先日からどうしようもなくまた吸い始めてしまった。

もう我慢はするまいと思う。自分を責めるのもよそうと思う。

吸いたいだけ吸えばいいと開き直ってしまったのだ。


不思議なことにあれほど高かった血圧が下がり始めている。

それが健康だとは決して思ってはいないけれど

禁煙がストレスになっていたことは確かなのではないだろうか。


昼間は職場で義父に散々お説教をされた。

このまま煙草を吸い続けていたら母のようになると云う。

母は過剰な喫煙が原因で心臓を悪くしたのだそうだ。


「おまえも死ぬぞ」それほど怖ろしい言葉があるだろうか。

すぐ暗示に掛かりやすい私にひしひしと死が迫ってくる。

それからずっと自分が死ぬことについて考えている。

今もそうだ。頭から振り払うことが出来ない。

だからと云ってすぐに煙草を止めることも困難に思える。

どうしたら良いのだろう。私は死ぬしかないのだろうか。

このループはなかなかに手強い。すでに雁字搦めになっているようだ。



夫の祖母は百歳近くまで長生きをしたが

愛煙家で亡くなる寸前までキセルで煙草を吸っていたそうだ。

幼い頃に祖母と同居していた夫はそうして煙草嫌いになったらしい。

そのせいか未だに喫煙者を憎むような発言をする時がある。


癌や心臓病や避けられない病は確かにあるけれど

長生きをした祖母のような人も居るのだと思うと救われる気がする。


まだ死にたくはない。けれども煙草を止めることも出来ない。










2023年11月06日(月) 私の生きがい

雨が降ったり止んだり。果たして恵みの雨になったのだろうか。

冬野菜を育てている農家の人達はどんなにか待ちわびていたに違いない。


雨が降れば気温が下がるのかと思いきやほぼ夏日となり蒸し暑かった。

やはり異常気象なのだろう。南風が吹き荒れた地域もあったようだ。

明後日はもう立冬である。正しい季節の訪れを願っている。


樹々の紅葉も今年は少し遅れているようだが

朝の山道では所々に色づいた樹が見られるようになった。

職場の近くの銀杏の木も日に日に黄金色になっている。


セイタカアワダチソウは枯れ始め芒の穂も老いてきた。

秋桜はいつの間にか散ってしまい種を見せている。


何処に向かっているのだろうと思う時がある。

背中を押されているように日々が流れていく。





来客が多くなんとも忙しい月曜日だった。

以前はお昼休みに本を読むのが楽しみであったが

最近は全く読めない日が続いている。

週末には返却しなければいけないが読み終わることが出来るだろうか。

なんだか時間がぎゅうぎゅう詰めなのだ。

焦りを感じることはないが余裕を持つことが出来ない。



夜明け前の詩と日が暮れてからの短歌は毎日書き続けている。

たぶん私の生きがいなのだろう。この日記もそうだと思う。

ある日突然に書けなくなるのが怖くてならない。

生きているうちにどれほどのものを書き残すことが出来るのだろうか。

やがては消滅するのだとしても私が存在していたことは消えない。


おそらく無名のままでこの世を去ることになるだろう。

「詠み人知らず」である。それほど光栄なことはないのだそうだ。



雨が止んでまるで梅雨時のような夜気が漂っている。

窓を開け広げて真っ暗な空を仰いでいると

どれほどちっぽけな私でも光になれるような気がするのだった。



2023年11月05日(日) ばたんきゅう

今日も季節外れの暑さ。汗ばむほどの陽気となる。

明日は雨の予報だが一雨ごとに冬が近づいてくるのだろうか。



去年の今頃鉢植えの小菊を二鉢買ってそれは綺麗に咲いていた。

花が終ってから来年も咲かせようとプランターに植え替えたのだった。

あっという間の一年である。蕾が色づきもう少しで咲きそうになる。

しかし夏の間に水遣りを怠ったせいだろう葉が枯れてしまって

せっかくの菊がなんとも痛々しく無残な有り様となった。


足が不自由になってから思うように庭いじりが出来ない。

ホームセンターでパンジーを見つけても買う勇気がなかった。

歯がゆいような情けないような悲しい気分になる。


猫の額ほどの庭であるが見渡せば枯れ始めたセイタカアワダチソウ。

その他の雑草が生い茂っておりもう手に負えないのである。

娘が多肉植物を育てていたのもいつの間にかほったらかしになっている。

そのうち目覚めてくれるかもしれないと気長に待つしかない。


出来ていたことが出来なくなる。これも運命だと受け止めなければ。




お昼に巨大なお好み焼きを作って食べた。

4人分の粉で二枚焼くのだからどれ程のものか想像がつくだろう。

夫はビール。私はノンアルでお腹がはち切れそうになった。

なんという幸せだろうか。天にも昇るような気持ちである。

その後はばたんきゅうと横になり2時間ほど寝ていた。

食っちゃ寝ばかりだもの太るのは当たり前なのだ。


天気予報がよく当たりすっかり曇り空になっていた。

杖に縋り付きながら片手で洗濯物を取り入れるのが辛くてならない。

いつもは夫が取り入れてくれているけれど休日は私の役目である。

何もかも甘える訳にはいかないのだ。出来ることは自分でやらねば。


夕飯は焼くだけの餃子。娘がせせりで焼き鳥を焼いてくれる。

ほうれん草の白和え。しめじのバター炒め。レタスの炒め物。

元気になった娘婿が鯛を釣って来ておりお刺身にして頂く。


あやちゃんは今夜も皆が食べ終わってからだったが

餃子が好きなのでにこにこしながら食べてくれていて嬉しかった。

「美味しいかね?」と声を掛けたら「うん、美味しい」と応えてくれる。



最近は焼酎の水割り二杯でよれよれになる。

またばたんきゅうと寝ることだろう。



2023年11月04日(土) まあこんなもんだろう

朝陽を浴びつつ洗濯物を干していたら汗ばむ。

11月だと云うのになんと異常な暑さだろう。

晴れのち曇り。午後もひどく蒸し暑かった。



その汗は異常ではないかと夫が心配してくれる。

カーブスで相談したら代謝が良くなっている証拠だと言われた。

代謝が良くなると筋肉が付き太らない身体になるとか

また免疫力も高まり風邪等に強くなるのだそうだ。


そんなの嘘っぱち。信じてたまるものかと思う。

体重はどんどん増えておりもう手に負えない。

恥ずかしい話だがついに65キロになりお腹周りは一メートルになった。

我ながらうんざりしており鏡を見るのも嫌になっている。


とにかく筋トレを続けましょうとカーブスのコーチは励ましてくれるが

週に一度の筋トレで成果があるとはとても思えない。

それも杖を付きながらである。みっともないったらありゃしない。

今日はもう止めてしまおうかとも考えたが決断は出来なかった。

運動不足の身体である。もしかしたらと一縷の望みが残っている。


何事にも限界があるだろう。その限界まで自分を試すのも良いだろう。





娘婿の39歳の誕生日であったが、まだ本調子ではないため

パーティーは延期することにした。「何か食べたい物はある?」

そうしたら「豚汁が食べたい」と言ってくれた。

お安い御用である。早速スーパーで材料を買って来る。


豚汁を食べるにはいささか蒸し暑い夕べであったが

娘婿はもちろんのこと孫達も喜んで食べてくれて嬉しかった。

明日の朝は残りにおうどんを入れて食べるのも楽しみである。


同居を始めて9年が経ちすっかり「家族」らしくはなったが

娘に云わせれば家族ではないと。それは複雑な気持ちになってしまう。

以前はどうすれば家族になれるのだろうと悩んだこともあるが

今は「まあこんなもんだろう」と思えるようになった。


サザエさんだと「マスオさん」である。

口数は少ないが酔っぱらうと饒舌になる愉快な娘婿であった。



2023年11月03日(金) 柚子日和

文化の日で祭日。今日も夏日となり異常な程の暑さとなる。

富山県では28℃を超えていたそうで驚くばかり。

冬は雪深い地域である。どんなにか戸惑ったことだろう。

やはりその季節に相応しい気候を望まずにはいられない。



昨夜は深夜にハプニングがあり大騒ぎをした。

夫がトイレに閉じ込められ出られなくなってしまったのだ。

どうやらドアノブが壊れてしまってロック状態となったらしい。

私は熟睡していてすぐには気づかず娘夫婦のお世話になった。

トイレの天井をどんどん叩いて知らせたのだそうだ。

娘達はすぐ真上で寝ており何事かと駆け付けてくれたのだった。

娘婿がドアノブを分解しやっとの思いで夫を救出する。


今朝は笑い話になっていたが夫ではなく孫達だったら

どんなにかパニックになり泣きじゃくっていたことだろう。



今日は新しいドアノブを買いにホームセンターへ行く。

隣接するスーパーで食料品も買ったのだが

夫が車まで荷物を運んでくれてずいぶんと助かった。

毎日は無理だけれど週末だけでも一緒に来てくれたらと思う。



午後は山里で頂いた柚子を絞る作業をする。

規格外で出荷出来ない柚子を10キロ近くも頂いていたのだ。

柚子農家さんが丹精込めて作った柚子も傷があったり小さ過ぎたりすると

廃棄処分になるのだそうだ。なんともったいないことだろう。

手間は掛かるけれど果汁にすれば立派な柚子である。


台所で奮闘していたら見かねたのか夫が手伝ってくれた。

搾り機が無いので手で絞られねばならず握力がものを云う。

女の手よりも男の手の方がずっと効率が良いのだ。


たくさんあった柚子も搾れば一リットル程。

それでも一年分はあるだろう有難いことである。

我が家は毎年自家製の柚子醤油を作るようにしている。

市販の物よりもずっと美味しく重宝しているのだ。


台所はもちろんのこと家中に柚子の香りが漂っていた。

柑橘系の匂いは不思議と心身を癒してくれるものだ。


窓から夕雲を仰ぎながらあしたのことを想う。

西に沈みかけた夕陽が雲を貫くように射していた。



2023年11月02日(木) 桜紅葉の頃

最高気温が27℃まで上がり夏日となった。

かつて11月にこれほどの気温の日があっただろうか。

なんだか異変が起こりそうに思えて不安になってくる。


けれども秋は確実に深まっているようで

銀杏の葉が黄金色に染まり桜紅葉も見られるようになった。

山茶花の蕾もふくらみもうすぐ咲くことだろう。


来週の月曜日が雨の予報。その後急激に寒くなるのだそうだ。

そうして立冬がやって来る。暦の上ではもう冬が始まる。





娘の熱が下がりもう峠は越えたようだ。

めいちゃんはまだ少し咳をしているが食欲が出て来て元気。

娘婿はまだビールを飲みたくないようで様子見である。

三人とも長引かずに済み何よりに思う。

あやちゃんも私達夫婦も今のところ感染の兆しはない。

どうかこのまま平穏無事な日々が続くことを祈るばかりである。



昼間弟から電話があり母の49日法要の打ち合わせ。

遠方ではあるが駆け付けて来てくれるようで何よりだった。

弟がしきりに母のお墓の心配をしていて

生前母が生まれ故郷の実家のお墓に入りたいと言っていたこと。

それは私もしっかりと聞いており母の願い通りにしてやりたかった。


しかし義父の立場を考えるとどうしても押し切ることが出来ない。

いくら長いこと別居をしていたとは云え夫婦には違いなかった。

お墓を別にするとなると縁を切るように思えてならない。

それはなんだか義父に対しての仕打ちのように感じるのだった。

母は決して義父を恨んでなどいなかった。

義父も最後の最期まで母に愛情を注いでくれたのだと思う。


弟に相談もしないで私は母を義父の家のお墓に入れて欲しいと頼んだ。

義父はとてもほっとした様子で頷いてくれたのだった。


夫婦とはと考える。様々なかたちをした夫婦がいることだろう。

母のように子を捨ててまで女の道を選んだひとも居る。

大切なものを失い多くの犠牲を払ってでも貫きたかったのだろう。


弟は「そうか・・」と納得してくれたようだった。

いつかは義父も亡くなる日が来るだろう。

その時には母がきっと迎えに来てくれると信じている。


そうしてふたりは生まれ変わってもまた巡り合うことだろう。



2023年11月01日(水) 命あっての物種

霜月と云う響きがなんとなく好きだ。

晩秋から初冬へと季節が移り変わっていく。

初霜が降りるのも近いことだろう。


とは言え今日の日中の暑さ。明日はもっと気温が上がるそうだ。

そうしてまた一気に寒くなるのかもしれない。

寒暖差が身に堪えるが受け止めなければいけないのだろう。



今朝は出勤前に10分程仮眠をした。

それが良かったのか眠気に襲われることなく職場に着く。

遅刻になってしまったが明日からもそうしようと思っている。

なんとしても居眠り運転を避けなければいけない。


職場に着くなり近くの診療所に電話をして

インフルエンザのワクチンを接種して貰うことになった。

医師には家族が感染していることを告げなかったが

ぎりぎりセーフになるだろうと勝手に決めていた。

接種の効果がすぐに現れるかどうかは定かではない。

それでも安心感はある。これで絶対に大丈夫と思う。


仕事を終えて帰宅したらめいちゃんと娘婿は熱が下がっていた。

娘はまだ微熱がありしんどそうな様子だった。

コロナの時よりも症状は重く後を引くようである。

コロナも怖いけれどインフルエンザを侮ってはいけないのだ。



あやちゃんは今夜も素直でにこにこと微笑んでいた。

好物の肉じゃがを作っていたので「やったあ」と喜んでくれる。

今までずっと私と話すのを避けていたのに会話も弾んだのだ。

つかの間のことかもしれないが何かが吹っ切れたのかもしれない。

このままトンネルの出口まで歩いて行けることを願ってやまない。




先日からメンタルが弱っている気がして鬱々としていたが

いつの間にか気が晴れたようですっきりとしている。

元気溌溂とまではいかないがそれなりに明るく過ごしている。

とにかく前向きに出来ることを頑張って行きたい。


命あっての物種であろうか。




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