ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2023年10月31日(火) 親子丼

とうとう10月も晦日。今年もあと2ヶ月となった。

母が亡くなってから昨日でひと月となりなんと早いことだろう。

あれ以来夢に出てくれなくなった。お金は足りているのだろうか。



今朝は娘が発熱。やはりどうしようも出来なかったらしい。

午前中に夫婦で病院に行きインフルエンザのお墨付きを貰って来たようだ。

めいちゃんと三人でずっと寝ていてどんな様子なのか分からない。

食欲どころではないようで今夜はまだ夕食を食べられずに居る。


あやちゃんはいつもと違ってとても素直になっており

大盛の親子丼を食べてくれた。笑顔も見せてくれてほっとする。

妹と両親が寝込んでいるのだ。どんなにか心細いことだろう。


私は昨夜娘を励ましたように強気を心掛けている。

絶対に感染するわけにはいかない。なんとしてもだ。

もし私が明日にでも寝込むようなことになったら家事は誰がするのか。

洗濯や買い物や食事の支度や忽ち困ってしまうのだ。


これまでずっと家族の健康を祈り続けて来たが

どうしようも出来ないことが突然襲って来るものなのだ。

それをどう受け止めるかが大切なことのように思う。


たとえば川の流れに逆らえないように。

身を任せ辿り着く処まで流れて行かなければならない。





2023年10月30日(月) コロナの次はインフルか

今朝は今季いちばんの冷え込みだったようだ。

まだまだこれからの寒さである。そのうち慣れて来るだろう。

年寄りの冷や水にならないよう暖かくして過ごさねばならない。



出勤前にめいちゃんの様子を娘に訊いたら高熱になっているとのこと。

昨夜のうちに熱が上がったのだろう。ふうふうと辛そうである。

早めに病院へ連れて行った方が良いが娘は午後からしか休めないと云う。

あまりにも可哀想に思い私が連れて行くことになった。


病院は9時からであったが8時半に家を出る。

そうしたらなんとびっくり。病院の玄関前に長蛇の列であった。

仕方なく最後尾に並んだが受付を済ますと16番だった。

待合室はいっぱいなので車の中で待機することにする。

めいちゃんは後部座席に横になりしんどそうに息をしていた。


一時間後、まだ順番が来ない。そのまま二時間待ちやっと順番が来た。

殆どの子供がインフルエンザのようではらはらする。

めいちゃんもやはりそうだった。こればかりはどうしようもない。

一週間の自宅待機を言い渡され薬をもらってやっと家に帰る。


後はじいちゃん(夫)に任せ大急ぎで職場に向かった。

朝ではないので眠気は来ないだろうと思い込んでいたのだけれど

いつもと同じ酷い眠気が襲って来たのだった。

途中で車を停め10分程仮眠をしたが眠気は治まらず

ガードレールに追突しそうになって身の危険を感じた。

一瞬こんなふうにして私は死ぬのかと思った。

車を運転するのが怖い。明日も眠気が襲ってくるのだろうか。



3時間ほど仕事をして帰宅する。

めいちゃんはあれから嘔吐をしたそうで大変だったようだ。

娘が先に帰っていたのでもう心配はないだろう。


しかし夕方になり帰宅した娘婿が仕事中に発熱したらしい。

コロナの時の悪夢が蘇る。もしかしたらまた家庭内感染かもしれない。

娘婿は明日病院に行く予定だがおそらくインフルエンザだろう。


娘が少し弱気になっているので気を強く持つようにと励ましながら

私達夫婦もなんとしても乗り越えようと話したことだった。


朝から何も食べていなかっためいちゃんが雑炊を食べている。

コロナには治療薬が無いがインフルエンザにはちゃんとあるのだ。

きっと薬が効いてくれるだろう。明日の朝には熱が下がっていますように。








2023年10月29日(日) 思い通りにいかないこと

朝は少し冷え込んだが日中は穏やかな晴天となる。

夜明け前に紅い月が西の空に沈むのを見た。

今夜が満月なのだろうか。明日の朝も見えることだろう。



二週間程前に高知新聞の文芸欄に詩を投稿していたのだが

残念ながら佳作止まりでいささか落ち込んでしまった。

佳作は名前だけでそれも一番最後に申し訳程度に載っているのだ。


いつも自信がないけれど今回だけは自信があった。

母のことを書いた詩だけあってなんだか踏みにじられたような気分になる。

悔しさよりも悲しくてならない。選者のD氏を恨めしく思った。


これを最後にもう投稿はするまいと決める。

そう決めたらこころがとても楽になった。


いつまでたっても認められたい欲を手放せない。

さっぱりと切り捨てることが大切なのではないだろうか。





午前中にドコモショップへ。とうとう母の携帯を解約した。

例の母の友人と思われる方からは着信が無いままである。

解約するまでにもう一度掛けてみようかとも思ったが

その方も何処かの施設に入居されているのだから

電話に出られない事情もあることだろうと察した。

儚い縁だったかもしれないが母の友達になってくれて感謝している。



午後、読みかけの本を開いてみたが全く集中出来ない。

もう借りてから二週間になる。今日が返却日であった。

図書館に延長の電話をしようと思いつつすっかり忘れてしまった。

読書熱が醒めてしまったとは思えないがなんだか歯がゆくてならない。


あれこれと考えていると思い通りにいかないことで溢れている。

期待だったり愚かな欲だったり人間だから仕方ないことなのだろうか。

何も考えずに日々を過ごしている人など居ないはずである。




夕方、めいちゃんが発熱。幸い高熱ではないが早めに寝ている。

学校でインフルエンザが流行っているらしく心配だ。

様子を見て明日娘が病院へ連れて行くことになっている。

どうかただの風邪でありますように。


あやちゃんは相変わらず部屋に閉じこもっている。

決してドアを開けてはならない。

夕飯は鶏の唐揚げを数個だけ部屋で食べたきりである。

とにかく好きなようにさせるのが娘の方針であるらしい。

何かが間違っているのだとしても一切口出しをしてはいけないのだ。



たっぷりとお昼寝もして身体は休養できたが

なんだか気疲れをしてしまってしんどい。

思い通りにいかないことを思い通りにしようとしているからだろう。


そういうのもう止めよう。





2023年10月28日(土) 魔法の手

穏やかな秋晴れ。冬の小春日和を思わすような暖かさだった。


予約してあった津野町の治療院へ向かう。

3時間は掛かるだろうと見込んでいたが

ナビが近道を教えてくれて2時間足らずで着く。

七々子峠から大野見経由の四万十川上流沿いの道である。

四万十川の源流に近くあちらこちらに看板が見えていた。

夏場などは観光客が多いのだろう。道路整備が進んでいるようだ。


早く着き過ぎてしまって近くの道の駅で小休止。

ちょうど観光バスが到着しており大勢のお客さんだった。

朝採れの野菜の新鮮なこと。残念ながら見るだけで終わる。


治療院は津野町の街中にあった。散髪屋さんの角を曲がって行く。

民家のような佇まいで庭先に大きな犬が繋がれていた。

ドアを開けても受付窓口のような場所が見当たらない。

治療室だろうかと思われる部屋のドアを開けたら老齢の男性が居た。

ちょっと気難しいような顔をしていたが意外と愛想が良かった。


杖を付いた私の姿を見るなり「かなり酷いなあ」と言う。

「もう2年が近いだろう」と話さなくても判ったようで驚く。


結論から云うと完治の見込みはまったくないのだそうだ。

怖れていた通りのことをずばりと云われたじろぐばかりである。

しかし気長に治療を続けていると今の痛みが三分の一になるらしい。

その覚悟さえあれば出来る限りの手を尽くしてくれると言った。


駐車場で待機していた夫を呼び寄せると

夫の姿を見るなり「ご主人もかなり酷いですなあ」と云う。

私よりも先に歩けなくなる可能性があるのだそうだ。

そうして夫が長いこと運転手をしていたことも判ったようだ。

腰痛持ちの夫はただただあっけにとられ驚くばかりである。


少しだけ治療することになり施術台にうつ伏せになった。

足ではなく背骨から腰のあたりをマッサージする。

指圧とはまた違ったまるで魔法の手のようであった。


10分位して立ち上がると不思議なことに痛みを感じない。

しかしそれは一時的なものですぐに元に戻るのだそうだ。

とにかく継続的な治療が必要だと云うことなのだろう。


夫と相談し今後も治療に通うことにしたが

最低でも週に2回は通院しなければいけないとのこと。

それもすべて予約制なので自分の都合通りにはいかないようだった。

来月はもうすでに予約で埋まっているとのこと。

おまけにこれから冬になると積雪の多い土地なので交通の心配もある。

しばらく辛抱して春から継続して治療をすることになった。

しかし今日すぐに3月頃の予約は出来ないのだそうだ。

年が明けてからまた電話するように言われる。

継続と云っても何ヶ月掛かるのかまったく分からなかった。

長い人は何年も通っていると聞き気が遠くなってしまいそうだった。


問題は治療費である。保険適用ではないので一回につき4千円。

週に2回だとすると8千円。月にすると3万円を超えてしまうのだ。

それほどの多額の治療費を果たして捻出出来るだろうか。

夫はなんとかなるだろうと云うが私は自信がなく不安であった。

貧乏人の辛いところである。お金さえあればと情けなくなってくる。


とりあえず年明けまで辛抱しながらようく考えてみようと思っている。

痛みが自然に薄れるとは思えず辛い日々となるかもしれないが

自分を試す良い機会になるかもしれない。





2023年10月27日(金) かみさま。ほとけさま。おかあさま。

高知県西部は穏やかな晴天であったが東部では雹が降ったそうだ。

全国的に不安定な天気だったようで各地から雷雨や雹のニュースが流れる。

上空に強い寒気が流れ込んでいるとのこと。いつまでも秋ではいられない。



今朝は山道の路肩に車を停め10分程仮眠をした。

それだけで随分と眠気が治まる。

その分遅刻をしてしまったが事故を起こすよりは良いだろう。

来週からもそうしようと思っている。眠ければ寝れば良いのだ。

とにかく原因が判らないので受け止めるしかないのだと思う。


つわぶきの花。いつもぼんやりしているから気づかなったのだろう。

今朝は山肌からこぼれるように咲いているその花を見つけた。

お遍路さんも足を止めてくれるだろう。それは一瞬で心が和む。





足の痛みが半端ない。日に日に痛みが増しているように感じる。

仕事中は座っていることが多くそれほどでもないが

スーパーで買物をしている時が一番辛く涙が出そうになる。

買い忘れた物があってもその売り場まで戻ることが出来ないのだ。

途中で立ち止まって大きく息をする。負けるなよと励ます。


今日も荷物が重かった。帰宅して車から下ろそうとしていたら

ちょうどめいちゃんが学校から帰って来て家の中まで運んでくれた。

優しくて力持ちのめいちゃんは本当に頼りになる。



明日は予約した治療院に行くのだけれど少し不安になって来た。

治る見込みがない場合は即刻に告げられるのだそうだ。

一か八かと思う気持ちはあるが駄目だったらどれほど落ち込むことか。

それでも藁を掴むような気持で臨まなければいけないのだろう。


かみさま。ほとけさま。おかあさまと祈り続けている。

きっと助けてくれるに違いないと信じようとしているのだった。


まるで崖っぷちに立たされているような心境であるが

最後まで望みを捨ててはならない。



2023年10月26日(木) 着信あり

今朝は少し暖かく感じた。

日中も薄っすらと汗をかくほど。

職場の看板猫みい太も車の下に潜り込み昼寝をしていた。

猫ほど癒される動物はいないのではないだろうか。

あくびをしただけでほっこりと心が和む。



今朝も相変わらずの眠気。もううんざりしてしまった。

ネットで検索したら「隠れ疲労」と書いてあった。

起床してから4時間後に眠気が襲って来るのだそうだ。

私はすぐに鵜呑みにしてしまう性質なのでその気になってしまう。

「隠れ疲労」とは自分では気づかないうちに疲れが溜まっているらしい。

それはどうだろう。私は本当に疲れているのだろうか。


昨夜も寝つきが悪く夜中に何度も目が覚めてしまった。

けれども寝起きは良く特に睡眠不足とも思えない。

ただ詩を書いてみると暗く重苦しい詩になってしまう。

「いけない、いけない」と思いつつ最後まで書いてしまった。


やはり精神的に安定していないのかもしれない。

いきなり薬を飲むのを中止したからではないかと思う。

あれこれと考えているとパニックになってしまいそうだった。

仕方なくまた今夜から薬を服用することにした。

まるで薬の依存症のようで情けなくもあるけれど

自分にとって何が最善なのかこれも大切な選択にも思える。





母宛にドコモの請求書が届いた。

義父と相談し今月いっぱいで解約することにする。

ドコモショップに予約をしたら死亡したことが判る書類が要るとのこと。

葬儀屋さんが死亡届のコピーをしてくれていたので助かった。


携帯電話は母の仏前に置いていたので仏間へ取りに行く。

お線香を立てて手を合わせ母と少しだけ話した。

やはり母は死んでなどいない。目の前にちゃんと居るのにと思う。


携帯電話を手にすると「着信あり」はっとして確かめると

母が亡くなった翌日に誰かが電話を掛けてくれていたようだ。

未登録の番号でそれが誰なのか判るはずもなかった。


もしやと思い当たる人がいて折り返し電話をしてみたが

留守番電話になっており繋がることは出来なかった。


病院の施設で一番仲良しだった人だ。

転院を余儀なくされ泣く泣く母と別れたと聞いていた。

息子さんが携帯電話を買ってくれたのだそうだ。

母の番号は伝えてあったからきっとその人に違いないと思う。


きっと虫が知らせたのだろう。もしかしたら母が知らせたのかも。

母の死を知ったらどんなにか嘆くことだろうと思ったが

まるで母の遺言のように感じて「知らせなくては」と思った。


また折り返し電話を掛けてくれる可能性もあるが

解約するまでに間に合うだろうか。

「お掛けになった番号は現在使われておりません」

それですべてを受け止めてくれることを願っている。



2023年10月25日(水) 溺れる者は藁をもつかむ

朝の肌寒さもつかの間。日中は25℃の夏日となる。

長期予報では今年は暖冬になるらしい。

冬野菜が心配だと農家の人が嘆いていた。

やはり冬らしい寒さが必要なのだろう。



昨夜は寝つきが悪かったがなんとか眠ることが出来た。

20年ほども飲み続けている薬を止めたのだから

体調が悪くなるのではと不安だったが心地よく朝を迎える。


今日こそはと思っていた。絶対に眠気が来ない自信があったのだ。

しかしいつもの山道に差し掛かるなりそれが襲って来る。

なんだか気を失ってしまうような酷い眠気であった。

幸い事故にはならず無事に職場に着きほっと肩の荷を下ろす。

薬が原因でないのならいったい何が悪いのだろうか。

医師に相談することも考えなければいけない。





私の足を気遣ってくれるお客さんから治療院を紹介してもらった。

指圧とマッサージで痛みを取り除くのだそうだ。

半信半疑ではあったが一度診てもらうことにして予約を入れる。

その治療院は遠方の津野町にあり片道3時間ほど掛かる。

私に運転が出来るはずはなく夫が引き受けてくれたが

「そんなもんで治るもんか」と疑っているような口ぶりであった。

溺れる者は藁をもつかむである。その藁を掴んでみなくては分からない。


整形外科の医師からはもう限界だと云われている。

その時はまだまだと思っていたが最近の痛みは度を越しているようだ。

スーパーで買物をするのも辛くなった。

カートを押していても思うように歩けなくなってしまったのだ。

荷物の持ち運びにもとても苦労している。

この痛みが少しでも薄れてくれたらどんなにか助かることだろうか。


予約は今度の土曜日。ドライブがてら行ってみようと思っている。





最後にはついあやちゃんのことを書いてしまうのだけれど

本人が読んだら気を悪くするだろうと心配でもあった。

もしかしたら傷つけてしまうかもしれないのだ。


腫れ物に触るような日々が続いており

かと云ってどうすることも出来ないもどかしさがある。


先日、出口のないトンネルなどないとここに書いたが

せめて少しでも光を届けてやりたくてたまらない。



2023年10月24日(火) 硝子細工

二十四節気の「霜降」。冬の始まりを思わすような節気であるが

今朝はさほど冷え込まず日中も穏やかな秋晴れとなった。

そろそろつわぶきの花が咲く頃だが今朝はまだ見つけられなかった。


相変わらず朝の眠気が続いており今朝も危ないところだった。

山道をぼんやり走っていて対向車に気づくのが遅れてしまったのだ。

危機一髪のところでハンドルを切り事故を免れる。


先日から薬は職場に着いてから飲むようにしているのだから

やはり副作用ではなさそうである。いったい何が悪いのだろう。


昼間、常連のお客さんが来てくれてその話をしていたら

夜の薬がそのまま朝まで残っているのではないかと云う。

長いこと看護師さんをしていた人で真実味があった。


夜は精神安定時と抗不安薬を服用している。

精神安定剤は頓服であるが習慣になっており毎晩服用していた。

飲まないと眠れないような気がしてならないのだ。


おそらくそれが原因ではないかと云う。

その手の薬は歳を重ねるごとに副作用が強まるのだそうだ。

眠気はもちろんのことふらつきや眩暈もあるらしい。

もう20年ほど服用しているが昔は何も感じなかった。

40代から60代へと私も随分と歳を重ねたのだ。


今日のアドバイスはとても参考になり有難かった。

試しに今夜はその薬の服用を中止している。

これで朝の眠気が治まればやはりその薬が原因だと判るだろう。


薬のおかげで元気でいられる気がしていたが

薬ほど怖いものはないとも思い始めている。

このままでは死ぬまで薬漬けの日々が続くのかもしれない。





今夜は珍しくあやちゃんが娘達と一緒に夕飯を食べていた。

けれども一言も口を聞かずにいるのがとても気になっている。

おまけに服装も真夏のままで寒そうに見えた。

いくら気になっても口出しをしないようにと娘からきつく言われているので

なんだか無視するようなカタチとなり私まで気が塞いでしまう。


明るく笑顔を見せる日もあるのだ。今夜は虫の居所が悪いのかもしれない。

それにしても硝子細工のように見えて心細くてならなかった。

割れないでいて欲しい。ひびひとつもあってはならないのだ。



2023年10月23日(月) 母の冥銭

今朝は目覚める寸前まで母の夢を見ていた。

とても切実な顔をして「ガソリン代がない」と云う。

もう免許も失効し運転は出来ないのに何処にいくのだろうと思った。


生前からよくあったことで「お金がない」は日常茶飯事のこと。

特に私が会社の金庫番をするようになってから

母は自由にお金が使えなくなり困惑していたようだった。


夢の中で私は金庫から一万円札を出し母に渡した。

そうしたらとてもほっとしたように微笑む。

しかしその後忽然と姿を消してしまったのだった。


そうして目が覚める。母にお金を渡した後で良かったなと思う。

もし渡せないまま目覚めたらなんとも悔やまれたことだろう。


まだ三途の川は渡っていない。母は車なのでフェリーだろうか。

サングラスを掛け三山ひろしの歌を聴いているに違いない。

決して苦しく辛い旅ではないはずだ。笑顔のままで逝ったのだもの。



職場に着くなり義父に夢のことを話したら

持たせたお金が底をついたのかもしれないと言う。

途中にパチンコ屋さんがあったのかもしれないと。


義父は毎晩母の仏前にお寿司を供えビールをコップに注いでいるらしい。

そのことを今日聞くまで私は知らずにいた。

私はと云えばもう幾日もお線香も上げず母に会ってはいなかった。

いくら忙しくてもそれはあんまりことではないかと反省するばかり。

それ以前に私の薄情さが明るみになったと云っても過言ではない。



仕事を終えてからやっと母に会いに行く。

玄関を開けて「お母ちゃん」と声を掛けてから仏間に行った。

母は決して怒ってはいなかった。その微笑みに救われるような思いである。


母の夢を見なかったら仏前に手を合わすこともなかっただろう。

おざなりにしながら49日を迎えていたのかもしれない。


一万円で足りるだろうか。もし足らなかったらちゃんと伝えてね。



2023年10月22日(日) 秋の日の珍道中

昨日よりも今日と冷え込んだ朝。

まだまだこれからの寒さだけれど老体には厳しい。

血圧が高いとよけいに不安がつのるばかりである。


買物に行くと真冬を思わすような服装の人を多く見かけた。

私はと云えば七分袖のシャツに秋物のベストを羽織っただけである。

なんだか貧乏くさいような引け目を感じずにいられなかった。

去年の今頃は何を着ていたのだろうと思う。

新しい服を買うような余裕もない。





秋晴れの好天に恵まれ夫とふたりぶらりと出掛けることにした。

先日行われた四万十川ウルトラマラソンのコースを走ることにする。

百キロなので2時間ほどのドライブになりそうだった。

昼食の心配もあり街でほか弁を買って行く。

夫はステーキ弁当、私はチキン南蛮弁当にした。


スタート地点まで行きさあここからだと云うところであったが

空腹に耐えられなくなり早めにお弁当を食べることにする。

四万十川の支流の後川(うしろがわ)の土手でお弁当を開く。

すると夫が川向の民家を指さし「あの家だったな」と言う。

そこはなんと息子の最初のお嫁さんの実家であった。

気立ての良い可愛らしい娘さんだったことなどを話す。

今となってはどうしようも出来ないことであったが

縁はあったもののなんと儚い縁だったのだろう。

子供さえ無事に生まれていたらと残念でならない。


息子に話せば「そんな昔のことを」と叱られてしまうだろう。

時が経て息子はまた新たに結婚したがそれも破局となった。

「病める時も健やかなる時も」と云うが

病には勝てなかったのだと思う。どうして息子を責められようか。

今はけい君とふたり楽しく暮らしているようで何よりのことだろう。


息子には息子の人生がある。私達父母はただそっと見守るしかない。



さて肝心のドライブであるがお腹がいっぱいになり眠くなってしまった。

まだスタート地点を過ぎたばかりである。どうする?と顔を見合わす。

「リタイヤしようぜ」と夫が云うので私も大賛成であった。

それにしても何と愉快な珍道中であろうか。

二人でくすくす笑いながらさっさと家に帰っていた。


帰宅して炬燵に潜り込むなり三時まで寝ていた。

夕飯はおでんの残りにはんぺんを足し「はんぺん鍋」にする。



2023年10月21日(土) おでん日和に

今朝は全国的に今季いちばんの冷え込みだったようだ。

早朝は暖房を。その後茶の間に炬燵を出す。

また寒い冬が近づいているのだと思うと不安でならない。

血圧は相変わらず高い日がずっと続いている。


朝食後いつものように薬を服用したが眠気は襲って来なかった。

なんだか狐につままれたような気になる。

薬イコール眠気とは限らないのかもしれない。

そうだとすると一体原因は何なのだろうか。



娘がおでんを食べたいと云うので材料を買って来る。

卵はいつまでたっても安くならない。大根のこれまた高いこと。

牛筋も高かったので鶏の手羽先を代わりに買った。


買物から帰るともうカーブスの時間になっていた。

出掛けようとしていたら義父から電話があり延々と仕事の話。

私が仕事を休んでしまうとやはり苛々してしまうようだ。

まくしたてるように話すのでつい気分が塞いでしまう。


出鼻をくじかれカーブスを休もうかと考えていたが

気分転換になるかもしれないと思い出掛けて行った。

やはり足が痛く思うように動けない。

これでは気分転換どころではなく増々落ち込むばかりだった。

そもそもが楽しく身体を動かす場所らしい。

けれどもメンタルをやられ今後続ける自信も失われていくのだった。

そう言いつつ来週も行くのだろう。なんだか試練のようでもある。



昼食は温かい蕎麦。夫とふたりお汁まで飲み干す。

私は天かすが好きだ。お汁に浮かんでいるのが特に気に入っている。


午後はおでんを煮込む。茹で卵と大根の下ごしらえが面倒。

大きな土鍋でことこと煮ながら少し炬燵でお昼寝をする。

その間、夫が火加減を見ていてくれたようだ。

「よう煮えて美味そうだぞ」と晩酌が楽しみな様子であった。



夕方、トイレに行っていたあやちゃんと台所ですれ違った。

「今日は寒いね」と話し掛けてくれて嬉しかった。

見ると半袖Tシャツに短パン姿である。

娘がまだ秋物を準備していないのかと思った。

去年まで着ていた服はサイズダウンしていることだろう。

身体はもうすっかり大人並みである。

「お母さんにぬくいの買ってもらわんといかんね」と言ったら

娘が二階から大声で怒鳴っているのだった。

新しい服を買っているのに着てくれないのだそうだ。

そっか、まだ着たくないのかな。それはあやちゃんの自由だものね。


娘に叱られたのでまた少し落ち込む。

今日はやたら落ち込む日だったなと思ったが

おでんはとても美味しかった。











2023年10月20日(金) 冷たい雨

朝のうちは晴れていたが午後からぽつぽつと雨が降り出す。

幸い小雨のままですぐに止んだけれど思いがけないほどに冷たかった。

もうすっかり秋の雨なのだなと思う。濡れたら風邪を引きそうだ。



今朝も酷い眠気。なんとか無事に職場に着いたが

義父が毎朝食後に服用している薬のせいではないかと言う。

私も他に思い当たることがなくそうに違いないと思った。

以前に病院でも相談し幾つか薬を減らしてもらったことがあったが

すぐに体調が悪くなり元に戻してもらっていたのだった。

それはそれで良しとして薬を飲む時間帯が問題なのである。

どうしてそのことにもっと早く気づかなかったのだろう。

食後に飲まずに職場に着いてから飲むようにすれば良いのだ。

早速月曜日から試してみようと思っている。

それで運転中の眠気から解放されれば何よりではないか。

そうして煙草に依存することが無くなればこの上ないことである。





母が亡くなってからもうみ七日になった。

死んだ人は七日ごとに修行をしながら極楽浄土に旅をしているのだそうだ。

四九日が経ってやっとその旅が終ると云われている。

魂もその極楽浄土とやらへ行ってしまうのだろうか。

そこは空の果てにある星のような処なのかもしれない。

しかしもしかしたらそう遠くないのではと思う。

母はきっとすぐ近くにいる。だから私は寂しくないのだろう。

未だに失った実感はなく母の死を受け止められずにいる。


以前に読んだ本に魂は生まれ変わる準備をするのだと書いてあった。

前世に縁のあった人のもとに必ず導かれていくのだそうだ。

私も遅かれ早かれ母の後を追うがまたきっと巡り合うだろう。

今度は私が母になるのかもしれない。

遠い遠いはるか彼方の未来のことである。



2023年10月19日(木) 元の木阿弥

朝と昼間の寒暖差が著しい。

今は窓を開けて三日月を仰いでいるが、夜風が心地よく感じている。


早朝6時頃から酷い眠気。なんとか洗濯物は干せたが

こっくりこっくりしてしまうほど目を開けているのが辛かった。

仕方なくコンビニまで走り煙草を買い求めて来る。

立て続けに3本程吸っただろうか。一気に覚醒しすっきりとしてくる。


いけないことは重々承知している。自己嫌悪も半端なかった。

このままでは元の木阿弥になってしまうしかない。


初心は何処に行ってしまったのか。なんとしても帰らねばならない。





山里の職場に向かっているとまた眠気が襲って来る。

曲がりくねった山道がいけないのだろうか。

慣れているだけあって緊張感が薄れてしまうのかもしれない。

ルームミラーで自分の顔を見たら目が半分つぶれているではないか。

このままでは危険だと分かっているのだけれどどうしようも出来ない。

5分でも寝てみようと路肩に車を停めて眼を閉じてみた。

しかしどうしたわけか今度は眠気が治まってしまうのだった。

仕方なくまた車を走らせやっとの思いで職場に着いた。


すぐに喫煙所へ行きまた立て続けに3本吸う。

それでやっと覚醒し仕事に取り掛かることが出来た。


いったい自分の身体に何が起こっているのか理解出来ない。

身体と云うより脳だろう。狂っているとしか思えなかった。


だらだらとどうしようもないことを書き連ねてしまったが

これは自分を正当化しようとしているのに違いない。

喫煙を認めさせようとしている。とても卑怯なことだと思う。


禁煙は禁じること。断煙は断つことである。

禁じようとするから精神的に苦痛を伴うのだろう。

断とうと思えばもしかしたら出来るのかもしれないと思っている。

今日は大目に見て許そう。しかし明日からは許すわけにはいかない。

強い意志を持って立ち向かっていかなければいけないのだ。





仕事を終えてスーパーで半額の嵐に遭遇する。

あれもこれもと片っ端カゴに入れていた。

ふぐの唐揚げ、むき海老、めじかの生節等。

あやちゃんが海老好きなので「海老マヨ」にすることにした。

娘が作ってくれたのだけれど「あやは食べんかもよ」と言う。

そう云えば海老チリも食べなかった。海老マヨも駄目なのか。

もうその時点で悲しくなってしまう。がっくりと落ち込んでしまった。


家族はみな喜んで食べてくれたがあやちゃんはまだ部屋に居る。

そろそろ8時になろうとしているのでもう少しだろうか。


娘がフライドポテトを揚げたようだ。あやちゃんの好物である。

「あやちゃんはよう食べたや」

娘はどうして何も言わないのだろう。



2023年10月18日(水) 子豚の喪失

今夜も三日月。昨夜よりも少しだけふっくらとしている。

誰かのこころもそんなふうにふくらめばよいのだけれど。


土足で踏み込まれるのは嫌だ。きっと誰だってそうだろう。

そうして掻き回されるのも嫌だ。いったい何の権利があってか。

触らぬ神に祟りなし。危険だなと思う人には近づかないことだ。



職場の栴檀の木にオリーブ色の実がたわわになった。

夏の風に揺れていた薄紫の花を想う。

夏の終りには雪のように散っていたこと。

栴檀の花もそれはそれは儚い命なのだ。

けれども花が散ってしまった後には必ず実を付ける。

それは冬になると黄金色の実に変わるのであった。


今朝はそんな栴檀の木の実のことを詩に書いてみた。

読んだ人はいったい何の実だろうと思ったことだろう。

私の詩は解り難い。それだけ未熟だと云っても過言ではない。





仕事が忙しく今日も残業となった。

帰り際に職場にストックしてある煙草を持ち帰ろうかと思ったが

それだけはいけないとなんとか思い留まった。

しかし今になって後悔している。無性に吸いたくてたまらないのだ。

家ではずっと禁煙出来ていたのに今頃になってどうしたことだろう。

思い起こせば母が死んでしまってからである。

精神的には落ち着いているようだが何かが狂ってしまったようだ。

もしかしたらまだ母の死を受け止められないせいかもしれない。


今日もあの骨は本当に母の骨だったのだろうかと思った。

義父に話せば「何を馬鹿なことを」と笑い飛ばされてしまった。

粉々になった骨の間に黒焦げになったペースメーカーが転がっていた。

「何よりの証拠じゃないか」と義父は言うのだった。


いったいいつになったら信じられるようになるのだろうか。


煙草は何処にもない。



2023年10月17日(火) 無名のあがき

今夜は三日月。今にも折れてしまいそうな月だ。

か細いものを見るとなんとなく切なくなるのは何故だろう。

誰かのこころのカタチに似ているのかもしれないと思う。


3日程前からSNSにまた短歌を書き始めた。

最初は黄昏時にふっと浮かんだのだったが

どうやらその時間帯が一番しっくりと来るようである。

明くる日も書いてみる。そうして今夕にもまたひとつ。

これからも続けられる限り書いてみようと思っている。

もしかしたらまた同人誌に復活出来るかもしれない。

活字にして残すことが出来たら救われるような気がするのだ。


詩は松下育夫氏の通信教育に10月分として送信した。

怖れ多い気もしているが読んで頂けるだけで十分である。

先月は「良い詩だ」と感想を頂きなんと嬉しかったことだろう。

所詮は無名のあがきであるが無名だからこそ書ける詩があるのだと思う。





仕事を終えて帰り道に逆打ちのお遍路さんに会った。

逆打ちだと正面からはっきり顔が見えるのだった。

外国人の若い女性で金髪をなびかせながら颯爽と歩いている。

咄嗟に窓から手を出し思いっきり振っていた。

そうしたらしっかりと気づいてくれて手を振り返してくれる。

その時の満面の笑顔が今も心に残っている。

ほんとうに一瞬の出会いではあるがこれも一期一会であろう。

声を掛けることは出来なかったが心の声はきっと届いたと思う。





夕飯はあやちゃんの好きな物ばかり。

別に機嫌を取ろうとしているわけではないが自然とそうなってしまう。

エビフライ、餃子、胡瓜と若布とタコの酢の物。

エビフライと餃子は揚げるだけ焼くだけの手抜きであった。


やはり今夜も家族が食べ終わってから一人で食べる。

寂しそうに見えるが本人はそれが気に入っているようだった。

「要らぬ口出しをしたらいかん」娘からは強く言われている。

ついつい顔色を窺う癖が付いてしまってちらりちらりと見てしまう。

本当は声を掛けてもいけないのだが「おいしいかね」と訊ねた。

「うん、おいしい」その一言で私は舞い上がってしまうのだった。


時が解決してくれるのかもしれない。いつまでもは続かないと思うが

なんだか長いトンネルの中で迷子になってしまったような気がする。

それはあやちゃんも同じなのではないだろうか。


出口のないトンネルはない。そこには秋の青空が広がっているだろう。



2023年10月16日(月) 未知との遭遇?

朝はひんやりと肌寒く日中は夏の名残を感じた。

10月も半ばを過ぎたけれどまだ夏日の日があるのだろうか。


たとえ伝えたい人が居ても直球はいけないと今朝は思った。

かと云って回りくどいのもあまり好きではない。

やんわりとしていてもしっかりと届く詩でなくてはいけないのだ。

そうして決して下心を持たないこと。見返りを求めないことだ。

50年以上も書いて来たが私はまだまだ未熟なのだと思う。




今朝は出勤までのわずかな時間に昨日借りて来た本を開く。

読み始めてすぐに違和感を感じた。これは田辺聖子ではない。

図書館でうっかり間違えて選んでしまったらしい。

改めて本の表を見ると「田中美智子」と書いてあった。

有名な作家ではあるだろうが初めて知った名前だった。

1922年生まれと紹介されているのですでに亡き人であろう。

予備知識は全くないがこれも何かの縁だろうと思うのである。

大げさに云えば「未知との遭遇」のようなものなのかもしれない。


本にも出会いがあってなんとなく手に取った本だったり

誰かから贈られた本がとても好きになることがあるだろう。

私は偶然にも田中美智子さんに会ってしまったようだ。





仕事が忙しく今日も残業となった。西日を浴びながら帰路につく。

スーパーで献立に悩みながら超簡単な「天下茶屋」にする。

天下茶屋は宿毛市にある有名な野菜炒めの専門店である。

牛肉バージョンと豚肉バージョンがあって焼き肉のタレで食べるのだ。

今夜の我が家は「牛天茶」にした。家族は皆豚よりも牛を喜ぶ。

キャベツ、もやし、ニラと先にフライパイで炒めてから

どさっとホットプレートに載せるのだった。その方が高級感がある。

牛肉はあらあらという間に無くなり残った野菜をお皿に移すと

今度は目玉焼きを作るのが定番であった。

目玉焼きを焼き肉のタレで食べるとこれがまた美味しいのだ。



家族が皆食べ終わってからやっとあやちゃんが二階から下りて来る。

もうすでにホットプレートは片付けられておりお肉も冷めている。

「あやちゃん、お肉は足りるかね?」と訊くと

「うん、いっぱいあるけん大丈夫」と笑顔で応えてくれて嬉しかった。


みんなと一緒に食べたらもっと美味しいだろうなと思うけれど

何も言ってはいけないのだそうだ。そう娘が言う。


複雑な気持ちも寂しさもあやちゃんの笑顔にはかなわない。






2023年10月15日(日) 子豚の懺悔

爽やかな秋晴れ。心地よい風が吹き抜けていく。

四万十川ウルトラマラソンが4年ぶりに開催されるので

お天気が気になっていたが好天で何よりだった。


今朝はSNSで初めてスペースに参加する。

チャットとは違ってリアルタイムで声の会話が出来るのである。

すごい世の中になったものだと驚くばかり。


ホストはいつも私の詩を読んでくれているMさんだった。

以前にもここに書いたことがあるが昨年暮れに奥様を亡くされている。

私の詩のよき理解者で「救われる」とまで言ってくれたことがあった。

大勢の人でなくてもいいただ一人の人に伝わればと思って書いている。

その一人が他ならぬMさんである。私にとっては尊い存在であった。


会話は5分程ですぐに退室したが十分に思った。

心根の優しいとても実直な人である。息子と同じくらいの年頃かと。

最愛の奥様を亡くされどれほど辛い思いをしたことだろう。

それでも前向きに生きようとしている姿にいつも心を打たれている。


またきっと話せる日が来るだろう。

私はひとつでも心に残る詩を書き続けようと思っている。





昼食は宿毛市郊外のレストラン「一風」へ。

母の葬儀後の会食でお世話になって以来だった。

久しぶりにラーメンセットを食べる。やはり顎が落ちるほど美味。

49日の法要後もお世話になることにして帰路についた。


出掛けに孫達に声を掛けたが二人とも行きたがらなかった。

あやちゃんは「行って来れば」と相変わらずそっけない。

めいちゃんは「あやが行かないならいや」と頑固である。

それも成長のあかしであろうが寂しさを感じずにはいられない。


帰宅後はまた3時間の昼寝。もう身体が腐ってしまいそうだ。

けれどもそうしてリフレッシュしているのだろうと思うことにした。


今朝もコンビニに走り煙草を買って来てしまった。

「紫煙」の詩を書きつつ自己嫌悪に陥る。

自分をひたすら正当化しようとしているのだ。なんとおぞましい。

何処の誰なのか分からない方からコメントを頂き

断煙の素晴らしさを延々と述べていた。まさにその通りである。

私も出来ることならばそうなりたいと切に願っている。


とにかく今一度初心に帰らなければいけない。

禁煙を思い立ってからもう10ヶ月になろうとしている。



2023年10月14日(土) 海鳴りが聴こえる

雨の予報だったがさほど降らず。時おり小雨が降る程度だった。

気温は20℃位だったか少し肌寒く感じる。


今朝は昨日の光景を思い浮かべながら「赤とんぼ」の詩を書いた。

赤とんぼのことを「お日和とんぼ」と教えてくれた母のことを。


いつも読んで下さっている方からコメントがあり

「遠くに行かれてほっとされたことでしょう」と。

一瞬胸を矢で刺されたような衝撃を受ける。

軽く受け流せないのはそれが的を射ているからではないだろうか。


もしかしたら私は母が死んでほっとしているのかもしれない。

そう思うと言葉に出来ないような罪悪感が襲って来たのだった。

だから少しも寂しさを感じず悲しむこともないのかもしれない。

私はやはり薄情な娘なのだと思い知るしかなかった。


その後のやりとりでその方はそんなつもりで言ったのではないと。

私の思い込みから来る誤解だと判った。

救われたのだと思ったがいまだ心に霧が掛ったような気分でいる。

この霧の正体はいったい何だろう。やがて晴れて来るのだろうか。





午前中にカーブスへ行っていたが足の痛みが酷く途中でリタイヤする。

筋トレマシンが12機あるのだけれどその間にボードがあって

そこで足踏みをしなければいけないのだがそれが出来なかった。

悔しさよりも情けなさが勝る。今にも泣きだしてしまいそうだった。

今日は駄目でも次は出来るかもしれない。そう宥めて家に帰った。



午後はひたすら寝る。なんと目覚めたら4時を過ぎていた。

乾燥機に洗濯物を入れたままだったのでしぶしぶと畳んだ。


夕方コンビニに走りとうとう煙草を買って来てしまう。

これも情けない一言に尽きるが自分を抑えることが出来なかった。

今夜は特別なのだと自分に言い聞かせながら吸っている。

二度とあってはならないことと重々承知の上である。



夕飯はすき焼きだったがあやちゃんが喜んでくれて嬉しかった。

娘達もそうだがなんだか腫れ物に触れているような気がする。

腫れ物と云うよりガラス細工のようでもある。

乱暴に扱えばすぐに粉々に割れてしまうことだろう。

繊細な少女の心に何が巣食っているのか誰も知らない。



今夜は海鳴りが聴こえる。ごうごうと海が叫んでいる。

訴えたいことがあるのならそっと聴かせてくれないだろうか。






2023年10月13日(金) 赤とんぼ

爽やかな秋晴れの日が続いていたけれど明日は雨になりそうだ。

気温も一気に下がり秋の深まりを感じることだろう。


どこからともなく金木犀の香りがする。

職場の庭の片隅に母が植えていたのをすっかり忘れていた。

草が生い茂っており見るも無残な有り様ではあるが

しっかりとオレンジ色の花を咲かせて芳香を放っている。

一枝手折って母の仏前に供えようと思ったが足元が悪く近づけない。

せめて仏間の窓を開け広げてやれば良かったと後から思った。


今日でふた七日。日々はあらあらという間に流れていく。





午後、義父が思い立ったように稲刈りをすると言い出す。

塞ぎ込んでいる日が多かったのでやっと気力が湧いたように見えた。

稲は「中手」で自家用米にと遅くに植えたものだった。

僅かなので2時間もあれば刈ってしまえそうだと言う。

それでも手伝いが必要で私が引き受けることになった。

コンバインで刈った籾米を軽トラックで運ぶのだ。


稲刈りを見るのはとても面白い。じっくりと見たのは今日が初めてだった。

あらあらという間に稲が刈られていく。なんと勇ましい義父の姿。

とても80歳には見えない程の活気に溢れていた。


午後4時前にすべて刈り終える。義父のなんと嬉しそうな顔。

帰るのがすっかり遅くなってしまったが私も心地よくてならない。

母に報告したかったがきっと見ていてくれただろうと思う。

お線香も上げられず急いで帰路についたことだった。


稲刈りを終えた田んぼにそれは沢山の赤とんぼが群れていた。

その光景が今も目に焼き付いている。

今日はとても好い日だった。



2023年10月12日(木) 冥途の土産

今日も爽やかな晴天。真っ青な空に秋桜が映える。

純白の秋桜がたくさん咲いている場所があるが

写真を撮りたい気持ちばかりで身体が云うことを聞かない。

以前の私ならすぐに車を停めて駆け出していたことだろう。



今日は整形外科の通院日だったが朝から憂鬱でならない。

ずっと仕事が忙しかったので予約時間に間に合うだろうか。

その時間までに行かなかったら後回しにされるのではないか。

どれほど通い続けても足が治ることもないのだった。

あれこれ考えているとなんだか無駄足のように思えて来る。

そうして行き着く先は「めんどくさい」なのであった。

他の誰のためでもない自分のためだと云うのになんたることだろう。


結局は定時で仕事を終えられ予約時間に間に合った。

それでも30分は待たなければいけない。少し苛々する。

診察ではどうしても痛みを訴えるしかなく医師に慰められる。

レントゲンを撮ったら前回よりも明らかに悪化しているようだった。

大学病院だったら即手術室に運ばれる程らしい。

職場の状態や私の仕事の内容を話して医師はなんとか納得してくれたが

必ず限界が来ると半ば脅かすような口ぶりで話していた。


レントゲン技師の説明で私は赤ちゃんの時に股関節を脱臼していたようだ。

それは亡き母も知らないことでそのまま成長したらしい。

昔は今のように乳児検診で詳しく調べなかったのだろう。

今更何を言ってもそればかりはもう仕方のないことである。


そうか赤ちゃんの時からなのかと感慨深く思った。

母が知ったら嘆くかもしれないがもうその母はこの世にいない。

もし生きていても私は話さなかっただろうと思う。


そんなことを考えていると「痛み」は母の置き土産のようなものだ。

このまま私が冥途の土産に持って行っても良いかもしれないと思う。


医師からは今までよりの強力な湿布を処方してもらったが

今のところ何の効き目も感じられない。

それでもとても親身になってくれた医師には感謝している。

「痛いろうね、なんぼか痛いろうね」と誰が言ってくれるだろう。







2023年10月11日(水) 会釈はエール

爽やかな秋晴れ。気温は夏日だったが少しも暑さを感じなかった。

遍路道に金剛杖の鈴の音が響く。秋遍路さんがずいぶんと多くなる。

最近は外国の方をよく見かけ今日も男女二人連れが歩いていた。


以前のように声を掛けることも殆どなくなってしまって

ふれあうことが出来ないが会釈をすることだけはずっと続けている。

気づいてくれたら嬉しいが目が合うことはなかった。

一生懸命に歩いているのだからそれが当たり前のことだろう。

会釈はエールである。そうして旅の無事を祈っている。





今日も仕事が忙しく残業になった。

同僚がお母さんの入院している病院へ行ったので

工場の仕事は義父が引き受けてくれて助かった。

同僚のお母さんは食事が摂れなくなったそうで心配である。

もう90歳を過ぎているので老衰もあり得るかもしれない。


午後3時、義父はまだ昼食も済んでいなかった。

ご飯は炊いてある。大根も煮てあると誇らしげに言う。

その時、母の思い出話になった。料理がとても上手だったこと。

そうして亡くなる寸前まで義父の食事の心配をしていたこと。

義父も私ももう二度と母の手料理を食べられなくなったのだ。


帰る前に母に会いに行く。足が痛く玄関の敷居に上がれない。

仕方なく這って母の仏前まで行った。

なんとみっともない恰好だろう。我ながら情けなかった。

母にあれこれと話し掛けたがもちろん母の声は聴こえない。

それでも母がちゃんと聴いてくれているように感じた。


そうなのだ。母は決して遠い処に行ってしまったのではない。

すぐ近くに寄り添っていて見守ってくれているのだと思う。


母のことを書いた詩を高知新聞に送った。



2023年10月10日(火) 死んでなどいないのだ

爽やかな秋晴れ。今朝は肌寒さも緩んでいた。

日中は夏日となり少し暑くなったが心地よい風が吹く。


心配していた眠気も無く無事に山里の職場に着く。

寝溜めの効果もあるかもしれないがやはり緊張感がものを言うのだろう。

なにかこうピンと張り詰めたような心地よさがあった。


仕事は目まぐるしいほどの忙しさ。昼休みも取れない。

本来の事務仕事と母の葬儀関係の雑事が後を絶たなかった。

やっと葬儀屋さんへ支払いを済ませとてもほっとする。

それにしても葬儀費用の高いこと。

お香典でなんとかなったが自腹で払える金額ではなかった。

もし自分が死んだらと思わずにいられない。

残された家族にどれほどの負担を強いることだろうか。



2時間近くの残業となり遅くなったが母がお世話になっていた病院へ。

9月分の最後の支払いを済ませ職員の皆さんにお礼を。

息子に訊いたらやはり何か品物を持って行った方が良いと云うので

ドリップ珈琲の詰め合わせをを用意していた。

菓子折りよりも喜ばれると息子が教えてくれたのだった。


お世話になったケアマネさんや介護士さんにもちゃんと会えて

お礼を言うことが出来て良かった。介護士さんは目に涙を溜めていた。

そうしてスマホに入っている母の動画をいくつか見せてくれた。

母が動いている。母がしゃべっている。死んでなどいないのだ。


その介護士さんは母と一番の仲良しだったそうで

母が亡くなった日も休みだったのに駆けつけて来てくれたのだ。

息子と同じくらいの年頃で母にとっては孫のような存在だったのだろう。


母はどれほど幸せだったことか。決して孤独ではなかったのだ。


そう思うことで私自身が救われているように思う。

最後の最後まで薄情な娘であったが母を見捨ててはいなかった。





2023年10月09日(月) このままで良いのだろうか

6時半にはもう日が暮れて真っ暗になった。

曇り日。雨は降りそうで降らずどんよりとした一日。


今朝も異常な眠気で朝の家事を終えるなり寝ていた。

寝溜めになっているのだろうか、明日からが不安である。

運転中に眠くなったら大事故にも繋がり兼ねない。

動いたのは買物に行っただけで後は殆ど寝てばかりだった。


お昼はお好み焼き。4人分の粉を2人分にして焼く。

もちろんそれは巨大なお好み焼きである。

夫はビールを。私はノンアルビールを飲みつつ食べた。

お腹がいっぱいになるとなんとも幸せな気分になる。


そのまま2時間ほど寝てから少しだけ本を読んだ。

このところまったく集中出来ず読書は遅々として進まない。

母の葬儀も重なり図書館に延長の手続きをしてもらったばかりだ。

田辺聖子も読んでいたら面白い。関西弁が好きなせいもあるだろう。

NHKの朝ドラ「芋たこなんきん」を思い出しながら読む。

小説よりもエッセイが好きだ。エッセイには嘘がない。





朝からあやちゃんの姿を一度も見ていなくて

娘に訊いたらちゃんと部屋に居るとのこと。

家族は皆もう夕食を終えているがまだ食べていないようだった。

娘達の方針があるので要らぬ口を叩くのは憚られるが

夕食ぐらいは家族揃って一緒に食べたら良いのにと思う。

食べている日もあるのであやちゃんの気分次第なのだろう。

それがあやちゃんにとっての「自由」なのかもしれないが

なんと寂しい自由なのだろうと思わずにいられない。

難しい年頃であるのは重々承知しているが

本当にこのままで良いのだろうか。





煙草を我慢している。どうしようもなく我慢している。

そのストレスのせいなのかは定かではないけれど

最高血圧が170と異常に高くなっている。

まさかこれくらいで死にはしないだろうけれど不安でならない。

禁煙外来に通っていた時、禁断症状は3日がピークだと聞いた。

今日がその3日目であるがなんとしても乗り越えたいと思う。

明日になれば職場で吸ってしまうのだ。いくらでも吸ってしまう。

その悪循環を断つために通った禁煙外来であったはずである。

情けない気持ちもあるけれど許したい気持ちもあるのだった。


こればかりは誰も助けてはくれない。



2023年10月08日(日) 子豚の思い出

しとしとと雨の一日。肌寒くいかにも秋の雨らしかった。


血圧が高くても自覚症状はまったく無いのだけれど

まるで病人のように一日中寝てばかりいた。

眠気はやはり異常で朝の7時からもう眠くてたまらない。

9時まで寝てよっこらしょと起きて買物に行く。

酒類や洗剤など重くて杖を付きながらでは大変である。

ショッピングカートにしがみついているうちはまだ良いが

車に積み込む時にはとても難儀であった。

帰宅しても車から下ろせず夫の助けが必要である。

その時どうしてぶつぶつ文句を言うのだろうといつも思う。

黙って手を貸してくれたらどんなに有難いことだろうか。





お昼は温かい蕎麦。天かすもとろろ昆布も入れてとても美味しい。

これから寒くなるので週末の楽しみになることだろう。

食べ終わり茶の間でテレビを観ていたがまた眠くなった。

寝室に行き本格的に寝る。ぐっすりと3時間ほどだったろうか。

高血圧と云い、異常な眠気と云い身体の変調を感じるが

病院へ行ってももう相手にしてくれなくなった。

病院を代わりたいと夫に相談したら「いいかげんにしろ」と叱られる。

しばらく様子を見るしかないが死んでしまったら元も子もない。

まあそう簡単に死ぬつもりはないが不安なのは仕方ないことだ。



夕食後、娘夫婦が台所の換気扇の下で煙草を吸っていた。

まるで深呼吸をしているようで心地よさそうに見える。

私はとにかく我慢するしかない。それが大きなストレスであった。


家での喫煙を止めてから急に血圧が高くなったのだが

医師は笑い飛ばして「太ったからだ」と云って聞かない。

眠気も同じくであるが医師は全く聞く耳を持たなかった。


だからと云って家での喫煙を再開するつもりはない。

やっと止めることが出来たのだ。どれほどの苦労だったか。


もう9ヶ月が過ぎた。

あの気が狂ったような子豚のことを憶えているだろうか。





2023年10月07日(土) 気が抜けたように

曇り日。日中の気温は25℃を超えていたようだ。

まだ半袖で過ごせるが思い切って衣替えをした。


朝からまた酷い眠気。7時半にはベッドに横になっていた。

9時までぐっすりと眠る。目覚めてからのかったるいこと。


10時にはカーブス。足を動かせない程に痛みがあった。

上半身だけでもと思いマイペースで筋トレをしていたら

「頑張りましょう」とコーチが声を掛けて来る。

私はすこぶる機嫌が悪い。いったいどれほど頑張れと云うのだろう。


計測もあったが体重は増えウエストもヒップも増えていた。

やはりご飯をもりもり食べるのがいけないのだろう。

分かっているけれどどうしても食欲を抑えられない。

体重の増加が足の痛みに拍車を掛けていることも承知している。

いったいどうなってしまうのだろうと不安にもなるのだった。





母の死から一週間。先週の今頃は母の亡骸と一緒に居た。

お通夜や葬儀の打ち合わせ等でなんと忙しかったことだろう。

その忙しさが未だに尾を引いているような気もするが

今日は仕事が休みだったので気が抜けたように過ごしていた。


こうして母の死に触れなければきっと忘れていることだろう。

書いているうちはまだ解放されないのだと思う。

少しずつ母の死から遠ざかっていければと考えている。


義父から電話があり今日も弔問客があったとのこと。

やはり知らなかった人が多かったらしい。

49日までは続くかもしれない。有難いことである。





娘達が夕飯は要らないと言いお婿さんの実家へ行ったようだ。

あやちゃんは行きたがらず部屋に閉じこもっている。

娘が何も食べさせなくて良いと言うので気になりつつも

声も掛けずにそっとしているがとても複雑な気分である。

お腹が空いていないだろうか。それも訊くことが出来ない。


「おばあちゃんお腹が空いた」と言ってくれたらどんなにか嬉しいことか。

この目に見えないような壁はいったいいつまで聳えているのだろうか。


焼酎のお代わりをしに階下に下りて行ったら台所にあやちゃんが居た。

冷凍パスタを温めようとしていたらしく「6分?7分?」と訊いてくれた。

6分30秒にしてスイッチを入れ温まるのを待っている。

「熱くなるけん気をつけて」と言ったら「うん、分かった」と応えた。


これが今日の唯一の会話である。



2023年10月06日(金) 終わり良ければ総て良し

今朝は今シーズン一番の冷え込みだったようだ。

明日の朝はさらに気温が下がるらしい。

さすがに夏布団では寒いだろうと先ほど毛布を出したところだ。


日中は25℃ほど。快適な気温と言って良いだろう。

一年中そうだと良いのだけれどそれでは常夏の国になってしまう。

桜は寒さが無ければ咲かないらしい。それも寂しいことだと思う。



早いものでもう初七日。法要はお葬式と一緒に済ませていたが

義父がしきびを活け替えたりお供え物を新しくしてくれる。

母の好きだったショートケーキを買って来てくれていた。

本来なら娘である私がしなければいけない事なのだろう。

いそいそと動き回る義父がとても頼もしく見えた。


それは生前には見たこともないような姿である。

亡くなる数日前から義父はまるで人が変わったようだった。

こんなに優しい人だったのかとなんだか信じられないような気分だった。

母のことを疎ましく思っていたのではないか

もう愛情など少しも残っていないのではないか

そんなふうに感じるほど母には冷たく振舞っていたのだ。


最期の時を義父が看取ってくれて本当に良かったと思う。

母はどんなにか嬉しかったことだろうか。

だから私に会う前に息を引き取ったのだと思う。

「この人さえ居てくれたら」と幸せだったのではないだろうか。


波乱万丈な人生であったが終わり良ければ総て良しである。

そんな母の人生に結局は影響を受けざるを得なかったが

私は自分の人生を否定することは出来ないだろう。

母のおかげで今があるのかもしれないけれど

母を赦してはやれなかった。じゃあ憎んでいるのかと云うと

そんな気持ちは一切ない。かと云って感謝も出来ないのだ。


母を忘れる娘など居ないだろう。それは生まれた時からの約束である。

私には「未来」と云うほどの時は残っていないが

来世でもきっと母と巡り会うことだろう。










2023年10月05日(木) 泣けない私

晴れたり曇ったり。にわか雨が降った時間帯もあった。

ちょうど良い気温で風もあり過ごし易かったのだが

明日の朝はぐんと気温が下がり肌寒くなりそうである。

血圧の高い日が続いているので用心しなければいけない。

ぽっくりと死んでしまうわけにはいかないだろう。


母の死をきっかけに死がさらに身近になってしまったが

以前のように「明日死ぬかもしれない」とは思わなくなった。

「明日死んでたまるか」とけっこう強気になっている。


病ではないけれど何事も気の持ちようだと思う。

弱気になってしまったら死神の思うつぼではないだろうか。





山里は今日も弔問客があった。とうとう2百人を超す。

義父の友人は泣いていた。それがとても不思議でならない。

泣けない私はどれほど薄情なのだろうと思ってしまったのだ。

こればかりはどうしようもなく自然に任せるしかないだろう。

悲しみはいったいいつ訪れるのだろうか。


帰宅したらポストにSNSを通じて知り合った友人から手紙が届いていた。

中を開けてびっくりする。手紙とお香典が入っていた。

咄嗟に夫に話したら「なぜ知っていたんだ?」と問い詰められた。

夫は私がSNSであれこれと発信していることを知らないのだ。

詳しく話せば叱られてしまいそうで何も言えなかった。

するりと逃げるように言葉を交わしもうその話には触れずにいた。


友人にはすぐに電話をしお礼を言った。

会おうと思えばいつでも会える処に彼女は住んでいる。

近いうちにゆっくり会う約束をして電話を切った。


友人は8月にご主人を亡くされたばかりでまだ悲しみの中に居る。

おそらく涙も涸れてしまったのではないだろうか。


同じ身内の死であるがその違いが私には解らなかった。

きっと楽になったのよと友人が言ってくれた。







2023年10月04日(水) 私を生んでくれた人

午後7時。外はもうすっかり夜になっている。

虫の声が微かに聴こえているがずいぶんと弱ったようだ。

虫も死んでしまうのだろうか。それとも冬を越すのだろうか。


道路沿いにはセイタカアワダチソウが色づき始めた。

黄色い三角帽子のような花だ。花粉症の原因になるので嫌われ者だが

私は好きだなと思う。いったい花に何の罪があるのだろう。

セイタカアワダチソウには秋桜よりも芒が似合う。

川辺だとそれがいっそうに映えて秋らしい風景となるのだった。





山里には今日も弔問客が。昨日程ではなかったが10人位だったか。

工場の事務仕事は殆ど手が付かず応対に追われていた。

急ぎの整備もあったが義父は全くやる気が起こらないらしい。

溜息をつくことが多く時々ぼんやりと考え事をしているようだった。


心配になって訊けば昔のことを思い出していたのだそうだ。

母も義父もまだ若い30代の頃のことらしい。

50年以上もの歳月が流れている。私は知る由もなかった。


別居期間が長かったとは云え夫婦だったことには変わりない。

私は母と12年しか暮らしていないが義父はずっと長いのだ。

母の家族は義父一人きりと云っても過言ではないだろう。


言い換えれば私と母が家族だったのはわずか12年のことである。

だから今回私は家族を失ったとは言えないのだと思う。

じゃあ何を失ったのかと問うと答えが出て来ないのだ。

「母」とはいったい何だろう。私を生んでくれた人だろうか。

その母を失ったのに私はどうして悲しまないのだろう。


最愛でなかったのは確かなことである。

どれほど歳月が流れようと私は母を赦すことはないのだと思う。





2023年10月03日(火) 夢としか思えない

ひんやりと肌寒い朝。日中も涼しく過ごし易い一日だった。

風に揺れる秋桜。まだ咲き始めたばかりで満開が楽しみである。


今日から少しずつ日常のことをと思っていたけれど

そうは問屋が卸さず葬儀の後始末に追われていた。

頂いたお香典の整理が大変でその数は二百人に近かった。

母がそれだけ慕われていたことはもちろんのことだが

義父の人望の厚さが招いた結果でもあるだろう。

お香典の有難さ。おかげで葬儀費用に充てることが出来そうだ。


朝から弔問客が絶えなかった。葬儀に来られなかった人の多いこと。

聞けば村の無線放送に不備があり訃報を知らずにいたのだそうだ。

高齢者も多く町の葬儀場まで来られなかった人もいたようだ。


工場の事務仕事も忙しく2時間の残業になる。

気がつけば朝から母にお線香もあげていなかった。

母のことだから怒りはしないだろうが私の良心が痛む。

帰り際に遺影に手を合わせて「ごめんね」と声を掛ける。

「早く帰って家のことをしなさいや」と声が聴こえたような気がした。

それが母の最後の言葉だったことを思い出す。

もう二度と聞くことは出来ないのだ。


あれこれと現実が押し寄せて来ても私は未だ悲しんではいなかった。

もしかしたら一生悲しまずにいるかもしれない。

母もそれを望んでいるのではないだろうか。






遅くなったのでスーパーのお惣菜を何種類か買って帰る。

娘も残業らしくまだ帰って来ていなかった。

洗濯物をたたみながらぼんやりとこの三日間のことを思い出していた。

やはり夢としか思えない。いったいいつ目が覚めるのだろう。


夕食時、あやちゃんに訳を話し「手抜きでごめんね」と言ったが

笑顔は見れなかった。無視されたように感じずにいられない。


あやちゃんは結局、お通夜にもお葬式にも出てはくれなかった。



2023年10月02日(月) じゃあね、ばいばい

朝は少しひんやりと日中は爽やかな秋晴れとなる。


午前9時から母の告別式が執り行われた。

昨夜に引き続き大勢の方が参列してくれて感激に尽きる。

母がどれほどの人に慕われていたのか改めて知った。


お坊さんが遅刻する前代未聞のハプニングもあったが

母がわざと遅らせているかのように思えた。

まだ死ぬつもりではなかったのだ。ちょっとふざけただけだったのだ。

どうしよう本当に死んでしまった。困ったことになったと。


お棺の中の母は相変わらず微笑んでおりお茶目ぶりを発揮している。

だから泣けない。どうしても涙が出てこなかった。


最後のお別れをしてから火葬場へ行く。

それは沢山の花に囲まれたままお棺がゆっくりと焼却炉に入った。

もう熱くはないだろう。痛みもないだろう。

義父が焼却炉のスイッチを押した。


そうしてお骨拾い。さすがにもう母の笑顔は見えない。

こんなに小さかったのかと思うほど骨は粉々になっていた。

弟が泣いている。どうしたらそんなに涙が出るのだろう。


母は確かに死んだらしい。それではいったい何処に行ったのか。

私はずっと夢を見ているような気分だった。

決して悪い夢ではない。どこか現実離れした不思議な夢である。


「じゃあね、ばいばい」すぐ近くから母の声が聴こえて来る。

「お母ちゃんどこ?」いったい何処に隠れているの?


消えてしまったのだろうか。どうしてそんなことが信じられようか。



2023年10月01日(日) 秋月等照信女

十六夜の月の次は何と呼ぶのだろう。

今夜も綺麗な月が煌々と輝いている。


母の通夜式を無事に終えて帰って来た。

なんと多くの人が焼香に駆けつけて来てくれたのだろう。

お棺の中の母は相変わらず微笑んでおりとても嬉しそうであった。


弟がお棺に縋りつくようにして泣いている。

「お姉ちゃんはまだ一度も泣いていない」と言ったら

「おまんは薄情ながよ」と怒った顔をしていた。


私もどうして涙が出ないのか分からなかった。

もうお通夜だと云うのにまだ実感が湧かない。

母は確かに死んでしまったのだけれど失ったとは思えないのだ。

明日は骨になってしまうらしい。それさえも信じられないでいる。


いったいいつになったら私の心の中の母が死んでしまうのだろう。

もしかしたらずっと死なないまま生き続けているのかもしれない。


中秋の名月。十五夜の日に母は息を引き取った。

「秋月等照信女」と云う戒名を頂いた。



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